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ar78質問者:2001.4.8
 何がきっかけで今のような境地になりましたか?

前世ぜんせつかんだもの

-ありがとうございます-
 (わたし)は、前世(ぜんせ)来世(らいせ)(しん)じられないんです、本当(ほんとう)にあるんですか?

ありがとうございます:
 神さま(かみさま)最高表現(さいこうひょうげん)頂点(ちょうてん)無限(むげん)無限(むげん)のチャンネルの頂点(ちょうてん)というのがあります。過去世(かこせ)とか前世(ぜんせ)というのは(ひく)(ほう)番組(ばんぐみ)なんです。あんまり前世(ぜんせ)とか過去世(かこせ)とか()()ぎると、過去(かこ)()きずる(こと)になります、過去(かこ)()きずってあんまり()番組(ばんぐみ)には(こころ)()かなくなります。(たか)番組(ばんぐみ)は、過去(かこ)(つか)まないから一瞬一瞬(いっしゅんいっしゅん)最高(さいこう)の、最高表現(さいこうひょうげん)だけを()(つづ)けるから、(こころ)自由(じゆう)(しば)りがありません。


 この姿すがたはあの縮図しゅくずになっているんです、あの無限むげんのチャンネルがあります、このはあの縮図しゅくずとしての全体ぜんたいをひとつにみている世界せかいです。この地獄じごく極楽ごくらくもあり、いろんな姿すがたがいっぱいあって、このは、なにこころ選択せんたくしてえらつづけていくかという勉強べんきょうなんです。
 こころをプラスにけていくひとも、マイナスにけていくひと自由じゆうなんです。こののプラスをえらつづけたらこころがプラスをえらこころになるでしょう。そうするとあのってもチャンネルががっていきます。そういうチャンネルえらびの勉強べんきょうなんです。


       最低さいてい名前なまえ 

-ありがとうございます-
 わたし自分じぶん名前なまえきなんですが、苗字みょうじきらいなんです、くないですか?

ありがとうございます:
 なんでも好き嫌す  きらいというのは、きになるのはプラスのものをけたときにきになるんです。プラスを発見はっけんできたらき、でもマイナスになったとききらいになります。ひとがおたが好き嫌す  きらいをうにも、相手あいてから自分じぶんにプラスのものをあたえてもらっているうちきなんです、ぎゃくに、迷惑めいわくかけられたりマイナスをあたえられたらきらいになるんですね。

 前世ぜんせ過去かこからのつながりがあるでしょう、おたがいにマイナスをあたえすぎたらきらいになります、でも、プラスをあたつづけられていたら無性むしょうきになっているんです。結婚けっこんする相手あいてつけるにも、きなひと結婚けっこんするというのは借金しゃっきんがあるんですよ(女性じょせい大受おおうけ)、過去かこでお世話せわになった・可愛かわいがってもらった恩返おんがえしにくさなければならない責任せきにんがあります。
 ところがきで結婚けっこんして、くしてくして相手あいてからくしかえされないと、今度こんど自分じぶんくしたほうがおおくなるでしょう、借金しゃっきんがえしをましてしまったらきがえていって、相手あいてからマイナスをけたらきらいになります。

 だから名前なまえもおんなじですよ、プラスに解釈かいしゃくできたらきになります。いまマイナスにかんじているんでしょう?どんな名前なまえでも無限むげん謙虚けんきょ自分じぶんだったら全部ぜんぶプラスになるんだけどね。ぎゃく最低さいてい名前なまえけたほうがいくらいですよ、謙虚けんきょになる意味いみでもね。
 だから法然ほうねんさんは、愚禿ぐとくほうねんとかって自分じぶん最低さいていとすでしょう、それは、そのほうが謙虚けんきょになって感謝かんしゃしやすいからです。だから最低さいてい名前なまえあくちゃんじゃないけれど、一番いちばん最低さいてい名前なまえのほうがいんですよ、謙虚けんきょになりたい自分じぶんにとったら最高さいこうじゃないですか。


        一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんたのしむ

-ありがとうございます-
 子供こどもそだてるうえで、かたにはめないでおおらかにそだてたいのですが、はしゃぎすぎて人様ひとさま迷惑めいわくをかけることもありますが、迷惑めいわくとはどんなものでしょうか? 

ありがとうございます:
 無限むげんのチャンネルには、迷惑めいわく掛け合か  あ番組ばんぐみもあります、はしゃぎまわる番組ばんぐみもあっていですね。それをめようとしてもなかなかまらないですね、める番組ばんぐみもあるし、ほっといてもくなる番組ばんぐみもあります。自分じぶんがどの番組ばんぐみ本当ほんとうたいのかそれさえまったら方法ほうほうてきます。はしゃぎまわらないおとなしい番組ばんぐみいのかね。

 本当ほんとうは、まあ元気げんきですね、とていけるのがいいんですけど、みんな自分じぶんかんがえでめてしまいますね、もっと自由じゆう柔軟じゅうなんこころだとプラスプラスにていけるのにね。だからこころ問題もんだいですね、自分じぶん問題もんだいですね。
 もしそのたっきりでうごけない状態じょうたいだったら、ってでもうごいてしいとおもうでしょう、はしれたらものすごくよろこびますね。このまれてきてくれただけでも「ああうれしい」とおもえるのが本当ほんとうただしい見方みかただとおもいます。もしまれてきてくれなかったら、なにいところをひとつもあじわえないでしょう、まれてきてくれたことだけでも無限むげんうれしいね、五体ごたい満足まんぞく普通ふつうそだってくれたら無限むげんにありがたいですね。手足てあしがなくたっきりでといわれたら・・・それでもまれてきたことはありがたいんですよ。

 そういうようにプラスにプラスにとらえていたら、走り回はし  まわるほうがいいんじゃないかな。まわりのひと迷惑めいわくおもっているかどうかというふうにおもったら、それも自分じぶん浅知恵あさぢえでみてるかんがえです。まわりのひとはそれをよろこんでいてくれているかもれない、わからないものね。本当ほんとう迷惑めいわくをかけているにしても、迷惑めいわくをかけられたひと過去かこ迷惑めいわくをかけて、それを帳消ちょうけしにしてもらうために、迷惑めいわくをかけられている姿すがたあたえてもらって、過去かこつみしているのかもしれないのです。

 プラスにけたほうが自分じぶんにとってはいいんです。だから、自分じぶんだけの問題もんだいかもしれないんですよ、おかあさんが子供こどもにうるさくっているのもね、自分じぶん立場たちばからみたら過去かこ自分じぶん姿すがたをマイナスにチョッとけてもらっているとえるかもしれないですね、そしたらもう、よろこんでいるだけでいいんじゃない?「ありがとうございます」としあわせをあじわうだけの行き方ゆ  かたほういですよね。プラスにプラスに。

 運命うんめいあらわれたこのかたちつかんでしまうこと間違まちがいのもとなんです。さっきの物質ぶっしつ現象げんしょうはなしにもあったように、普通ふつうはいらないコーラのビンにおおきいものがパッとはいるんでしょう、それがまたパッとけるんでしょう。でも、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえだったらなんでもないですよ、いまパッとビンが物質ぶっしつしててきた、つぎに、はいってる姿すがたがパッと物質ぶっしつしててきた、つぎに、からのビンがパッとてきたら瞬間しゅんかんからっぽになるでしょう。本当ほんとう宇宙うちゅうすべてが一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん物質ぶっしつ現象げんしょうですね。
 だから、一瞬いっしゅんだけをとらえればいいんです、すべての現象げんしょういま一瞬いっしゅんだけたのしめばいいんです、つぎ瞬間しゅんかんにまったくべつなものがてくるんです。それを無理むりつながなくていんです、普通ふつうつなぐというのは過去かこつかんで残像ざんぞうあたらしいのとをつぎわせたわけです。本当ほんとうつながっていません。

 いま科学かがくでもこのすべてが波動はどうなんだとだいぶわかっているんです。波動はどうというと本当ほんとうかたまりじゃないんです、なみ変化へんかでしょう、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん変化へんかです。変化へんかというのはおなものじゃありません、つねわっています。現実げんじつ姿すがた執着しゅうちゃくしてここにこういうかたちのものがあるというのは、本当ほんとう間違まちがいです。これが、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえということが本当ほんとうにわかれば、執着しゅうちゃくしないでたのしむだけでいいんですよね。

 禅宗ぜんしゅう公案こうあんというのがあるでしょう、お饅頭まんじゅうされて、「これをいつべるんだ」とわれるでしょう、いつべます?・・・「いまべる」とうでしょう、いまうのでも無限むげん億万おくまんぶんいちびょうという時間じかんいまべられるかとかんがえてください。べられないでしょう、いまべるとうけど無限むげん億万おくまんぶんいちびょうたったらもう過去かこなんですよ。過去かこになったら過去かこには絶対ぜったいべられないでしょう。無限むげん億万おくまんぶんいちびょう未来みらいにも、まだ未来みらいだからてないからべられないですね。本当ほんとう無限むげん億万おくまんぶんいちびょうくちはいるかというとはいらないですね。   そしたら、本当ほんとう一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえなんですね。べてない姿すがたいまているでしょう、つぎに、べたという結果けっかがあったら、そのべている姿すがたがパッとてくるわけです。だから、そのつながりをひとおもいで上手じょうず連続的れんぞくてきにつぎわせているんです。本当ほんとうは、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん切り離き  はなしたほうがいいんです。

 また、べつはなしで、うさぎかめいかけっこでもいですね。うさぎかめあとからいかけます、かめかならまえすすむでしょう、たとえばいちびょうかかってまえすすんだとするね、うさぎいかけるいちびょうかかってサッとます、つぎかめまえるでしょう、うさぎもチョッとはやちかづきます。でも際限さいげんなくどこまでも無限むげん億万おくまんぶんいちびょうかめまえたら、うさぎもその時間じかんいつこうとするんだけど、かぎりなくゼロにちかづいていくとチョッとズレがあるんです。だから、うさぎかめいつけなくなるんです、絶対ぜったいにね。
 でも実際じっさいは、うさぎのほうがはやいから追い越おいこしますね。でもそれは、残像ざんぞうをつないであるからです。

 だから、この姿すがたもあの姿すがたも、番組ばんぐみとしてあらわれている運命うんめい姿すがた全部ぜんぶ一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん置き換お  かえになっているんです。だから奇跡的きせきてき手品てじなみたいなこと本当ほんとうなんでもないんです。一瞬いっしゅんにパッとつぼみ花開はなひらいたり出来できるんです。パッとえてもいいんです。つぼみやさしい言葉ことばをかけて素晴すばらしいねとうと、よろこんでしまって、時間じかんのサイクルがみじかくなるでしょうよろこびの世界せかいというのはね、そうするとサッとちてしまう結果けっかてしまうということもこります。
 たか世界せかいいちびょうは、ひく世界せかいなんおくねんかもれないですね。浦島うらしま太郎たろうはなしおなじなんです、浦島うらしま太郎たろう竜宮りゅうぐうじょうっていると、竜宮りゅうぐうじょうはチョッと次元じげんたかいんです、しあわせいっぱいのたか世界せかいです。そうすると、そこでは時間じかんがたつのをわすれているでしょう、わずかかな時間じかんがたったとおもって現実げんじつかえったら、何百なんひゃくねんもたっているかんじなんでしょう。


      感謝かんしゃのない状態じょうたいよく

-ありがとうございます-
 自分じぶんしあわせだなと感謝かんしゃしているんですが、いろんなよくてきます。いま十分じゅうぶんたされてないとかんじるからよくるんだとおもうんですが、それって、本当ほんとう感謝かんしゃしてないということなんでしょうか?
 
ありがとうございます:
 感謝かんしゃこころよくこころとは正反対せいはんたいです、両極りょうきょくかれるんです。感謝かんしゃというのは神さまかみさまこころとひとつになるこころです、神さまかみさまこころ感謝かんしゃこころです。よくというたにけるこころ・・・ふる字体じたいはそうですね。たにというのは宇宙うちゅう絶対ぜったいしん意味いみです、宇宙うちゅう絶対ぜったいしんこころけた状態じょうたいよくなんです。感謝かんしゃのない状態じょうたいよくこころになります。

 感謝かんしゃこころ神さまかみさますべてをけているから満ち足み  たりています。いまさらもとめる必要ひつようがありません。必要ひつようなもの全部ぜんぶあたえられているから、ただ感謝かんしゃよろこびで満足まんぞくなんです。よくのほうはその満ち足み  たりたこころがないんですね。ところがこころ満ち足み  たりた状態じょうたいっているから、りないものをおぎなおうとするんです、そして、よくこころというもとめるこころてくるんです。ただそれをどこへけるかなんです、神さまかみさまけたらそれがスッとたされるんです。

 だから、よくこころときは、神さまかみさまこころわすれてるよという警告けいこくみたいなものです。だから神さまかみさまのほうへこころけなさいよとね、感謝かんしゃしなさいよねという意味いみです。そしたらもとめなくてむわけですね。食べ物た  ものでも、べたいものいっぱいべたらしあわせかというとそうじゃないですね。そんなのはちいさいですね、べたときチョッと満足まんぞくするだけでしょう。
 本当ほんとうは、必要ひつようなものをいただいて無限むげん感謝かんしゃささげたほうがよろこびががってきます。食べ物た  もの殺生せっしょうしてべるというんじゃなしに、感謝かんしゃしてべるこころ食べ物た  ものが・おこめ一粒ひとつぶ一粒ひとつぶ自分じぶんいのちささげて、わたしいのちをお使つかいください・べてくださいとっているんでしょう。いのちささげてもらって「ああ、ありがとうございます」とけたらなにことして、おこめよろこぶようにしてあげないといけない。そういうふかいとこまでかんがえてけていけば、ごはんいちぜんべるにしてもものすごくふか意味いみがあります。 「ありがとうございます」といただいて、なにおおきいやくことをさせていただこうというになりますね。

 感謝かんしゃというのはそういうように無限むげん価値かち見出みいだしていきます。だから、まず、感謝かんしゃ先行せんこうさせたほうがいいんです。そしたらよくなくなります。食欲しょくよくわるいんじゃないですね、感謝かんしゃしていただくのは食欲しょくよくとはわない、感謝かんしゃわすれたときは食欲しょくよくうのかもれないですね。


      謙虚けんきょになることがこころ進歩しんぽ

-ありがとうございます-
 ている番組ばんぐみがどの程度ていど次元じげんなのか、見極みきわめる方法ほうほうおしえてください。友人ゆうじんにサニワを職業しょくぎょうにしているひとがいるんですが、本人ほんにんはやめたがっているのに、かっている神さまかみさまめさせてくれないんです。

ありがとうございます:
 番組ばんぐみ見極みきわかたかってくる神さまかみさま見極みきわかたですね。どういう神さまかみさまかってくるかは大事だいじですね、自分じぶんこころ波長はちょうわないとかってきません、自分じぶんこころ謙虚けんきょになっていれば謙虚けんきょ神さまかみさましかかってこないんです。謙虚けんきょ神さまかみさま一番いちばんたかいほうの神さまかみさまです、絶対ぜったいひと自由じゆうしばりません、本当ほんとう謙虚けんきょいのちがけで神さまかみさまにすがったときに、必要ひつようなだけのたすけをあたえてくれます。
 無理むりやりこうからこれをやりなさいとはってこない、自分じぶんこころみがいていかないとわかるようにはなりません。謙虚けんきょになることが自分じぶんこころ進歩しんぽです、謙虚けんきょになればなるほど感謝かんしゃふかくなって感謝かんしゃいてくるようになります。感謝かんしゃふかさに比例ひれいして番組ばんぐみたかまっていくというふうにると大体だいたいわかりますね。

 ご友人ゆうじんは、やめたい気持きもちもあるけれど、やめたくない気持きもちのほうつよいんだとおもいます。自己じこ弁解べんかいこころとか、よくせたいというこころがいろいろてきます、そうすると、自分じぶん本当ほんとうの)気持きもちを受け入う  いれにくいときもありますよね。そうすると、神さまかみさまのせいにするんですよね。自分じぶん波長はちょう神さまかみさまりてくるときもあるし、そうでないときもあります、自分じぶん勝手かって思い込おも  こんでいるときもあるし、潜在意識せんざいいしきはたらきもあるし、番組ばんぐみというのはいろいろあります。
 結局けっきょく本人ほんにんさだめています、そのままでいのにね、本当ほんとうわりたかったらわります。


     さとりのかなめ

-ありがとうございます-
 沢山たくさん修行しゅぎょうしゃ巡礼じゅんれいしゃこころざしなかばにたおれていったとおもうんですが、先生せんせいはご自分じぶんで,どこがくて現在げんざいいたったとおかんがえですか?

ありがとうございます:
 一番いちばんいのは、感謝かんしゃ勉強べんきょうさせてもらったことかもしれないですね。いろんな耐乏生活たいぼうせいかつ苦労くろうとおしてなんでもありがたいという、粘土ねんどべることくらべたらなんでもおいしくありがたくべられるでしょう。そういう体験たいけんつうじて、感謝かんしゃがまずこせるようにしていただいたことが一番いちばんおおきいとおもいます。

 つぎに、なにひとのためにするのでも、ひといやがることでもよろこんですすんですること神さまかみさま御心みこころにかなうことだと、ちいさいときおしえられていたんです。だから、いや仕事しごとすすんで無報酬むほうしゅうでする習慣しゅうかんがついていました。なにをしても苦痛くつうおもわなかった、どんなにきたなこと・こえみしてもなんともない、ほねあつめをしてもなんともない。どんな仕事しごとをしても苦痛くつうにならなかったんです。これは、神さまかみさま指導しどうしてもらったおかげだとおもいますが、よろこんでする・むくいをもとめないでするのがいのだという、ちいさいときからの習慣しゅうかんせいがかなりプラスになっています。

 それと最後さいごには、自分じぶんいのち神さまかみさまにおかえしできたこと神さまかみさまいのちささげて、お使つかいくださいとえたところですね。それでますます謙虚けんきょになれたんです。それで、神さまかみさまおおきいたすけをけて、どれだけ神さまかみさまためそうとしたかはらないけどね、ためしてもためしてもまもってもたったんですね。だから自分じぶんでも神さまかみさまはすごいなとおもいます。

 だから、自分じぶんちからじゃないみたいですね、最初さいしょから最後さいごまで神さまかみさままもつづけてくれるという感覚かんかくです、これはみんなおんなじだとおもいますよ。いろんな体験たいけんきてくるとおもいます、ただチョッと徹底てっていしたほうがいですね、中途半端ちゅうとはんぱだと、みぎったりひだりったりまようところがあるのね。徹底てっていするとすぐに気付きづかせてもらう・わかるとおもいます。

 食べ物た  ものでも、なにもない状態じょうたい一度いちど自分じぶんいてみると、不思議ふしぎまわりから食べ物た  ものはこんでくれるんですね。たとえば、いっヶ月かげつかんなにべないとめると、本当ほんとう一口ひとくちくちはいらないかとうとそうでもない、まわりから食べ物た  ものくち押し込お  こんできます。だれ押し込お  こんでくれないとおもうでしょう、自分じぶん食べ物た  ものれてべないととおもうでしょう、本当ほんとうはそんなことないのね。一回いっかい開き直ひら  なおってみるとくわかります、神さまかみさまちからはやはりすごいですね、かならず食べ物た  ものはこんでくれます。  


      かみ本心ほんしん自分じぶんも、には謙虚けんきょ

-ありがとうございます-
 にっちもさっちもかないときに、「ありがとうございます」と感謝かんしゃすれば・神さまかみさま全部ぜんぶまかせするというのは、本心ほんしん自分じぶんただしいこたえをっていて、神さまかみさまがそうしてくださるということですか?

ありがとうございます:
 そうだね、本当ほんとう自分じぶん本心ほんしん自分じぶん神さまかみさまからあらたにあらたになおしている自分じぶんね、その本心ほんしん自分じぶんがこのにスーッとてこないとうそなんだけど、本心ほんしん自分じぶん謙虚けんきょでしょう、こころがあると遠慮えんりょしてひかえめになります、神さまかみさまがそうなのとおなじように本心ほんしん自分じぶん部分ぶぶんたいしては謙虚けんきょなんです。
 
 まーチョッと自由じゆうにしてごらんというふうに、ある一定期間いっていきかん自由じゆうにさせてくれるんです。でもかなら行き詰ゆ  づまるようになるから、本心ほんしん自分じぶん神さまかみさまけてきます。そのときこころ神さまかみさまのほうへ)けたらしよしとうようにこころしてくれます。それで、本心ほんしん自分じぶんがスーッとてきてちからるうようになります。
 本当ほんとうは、本心ほんしん自分じぶん自由じゆう意志いし全部ぜんぶうごくんだけど、自由じゆう一時的いちじてきゆるすのも本心ほんしん自分じぶん自由じゆうなんですね。最後さいごには本心ほんしん自分じぶん自由じゆう意志いしでチャンと仕上しあげてきます。


      最低さいてい謙虚けんきょさと

-ありがとうございます-
 さとりをひらいた状態じょうたいとはどんな状態じょうたいですか?

ありがとうございます:
 さとりにも無限むげん段階だんかいがあるようですね。わたし二十歳はたちのときにこころおおきくひろがったんです、肉体にくたい感覚かんかくたましい感覚かんかくえてしまいました。その神さまかみさまへの感謝かんしゃふかまりました。

 さとりというのは、自分じぶん神さまかみさまの()を()ることなんです、宇宙うちゅう絶対ぜったいしん自分じぶんあいだをどれだけってしまうかというのがさとりのふかさですね。あたらしい神さまかみさま姿すがたけなかったら神さまかみさまはなれていきます。過去かこつかんでいると、過去かこふるいものにしがみついてあたらしいものをそこなうんです。それは神さまかみさまとの)距離きょりをドンドンはなしてしまう状態じょうたいです。
 でも本当ほんとうは、本心ほんしん自分じぶん神さまかみさま一体いったいなんです、あらたにてきた自分じぶん本当ほんとう自分じぶんでしょう、神さまかみさまとまったくひとつなんです、神さまかみさまとピタッとひとつになっているんです。切り離き  はなこと絶対ぜったい出来できません。だから、自分じぶん本心ほんしん自分じぶん意識いしきもどってしまったら、みんなさとっているのがくわかります。みんな無限むげん無限むげんかがやいているというのが本当ほんとうなんです。いまからさとるのではないんです、みんなもうさとっているというのが本当ほんとうですね。

 たとえると、みきがあって枝葉えだはがあるでしょう、枝葉えだは一番いちばんさき一枚いちまい一枚いちまいっぱが肉体にくたい人間にんげんという感覚かんかくですね。でも本心ほんしん自分じぶん全体ぜんたいなんです、神さまかみさまからすべてをなお自分じぶんというのはね。全体ぜんたいから一番いちばんさき一枚いちまいっぱをたときに、っぱをパッと切り離き  はなした状態じょうたいれた状態じょうたいでしょう、っぱというのはね自分じぶんおもいで勝手かって切り離き  はなすときがあるんですね。
 そうすると、神さまかみさま自分じぶんつながっていないとおもってしまいます。だから、のほうへのほうへともどればいいだけなんです。それは、おおきくなればいいんです、気持きもちをおおきくおおきくしていくのが一番いちばんいですね。また、このだけじゃなくていろんな次元じげん世界せかいこころをぐんぐんひろげるのがいですね。結局けっきょく感謝かんしゃおおきくふかくするしかないんです。

 だから、感謝かんしゃ対象たいしょう無限むげんおおきくすればいでしょう、またふかくすればいいのね。感謝かんしゃきわめたらドンドンおおきいものがかんじられてくるんです、神さまかみさまをよりおおきく感じ取かん  とれる自分じぶんになっていきます。
 だから、感謝かんしゃさとりも一回いっかいさとったからいいんじゃないんですね、無限むげん無限むげんにさらにふかまっていくんです。いまあらわれた神さまかみさま最高さいこう表現ひょうげんも、つぎ瞬間しゅんかんまたあたらしい最高さいこう表現ひょうげんあらわれてくるでしょう。いまけたからといって、つぎ瞬間しゅんかんけなかったらもう最低さいていなんです。

 一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん真剣しんけん勝負しょうぶです、本当ほんとうにね。それも一番いちばん謙虚けんきょ状態じょうたいけないと本当ほんとう最高さいこう受け方う  かた出来できないから、いま自分じぶん最高さいこうだとおもったらつね一番いちばん最低さいてい自分じぶん突き落つ  おとさないといけない、謙虚けんきょにね。そしてまたそこから最高さいこうのものをなおします。その繰り返く  かえしによって、受け方う  かた上手じょうずになり、そして自分じぶんというものもえて神さまかみさまだけというふうに感じ取かん  とれるようになってきます。
  だから、本当ほんとうさとりは、自分じぶんがなくなること・神さまかみさまがすべて・神さまかみさましかないんだということです。という状態じょうたいではなくて、神さまかみさまだい肯定こうていする状態じょうたいです。自分じぶんというものが一切いっさいなくなるほうがいいんです。自分じぶんがなくなったら神さまかみさまとの)がないでしょう。いまさらつくることもないのにね。

 「ありがとうございます」という神さまかみさま宇宙うちゅう究極きゅうきょく神さまかみさまです。究極きゅうきょく神さまかみさま名前なまえです、このなか全部ぜんぶあるんです。ありとあらゆる神さまかみさま名前なまえ全部ぜんぶあります、すべてのすべてがそなわっています。「ありがとうございます」をとなえているうちに、究極きゅうきょく神さまかみさまとひとつになっていくから、全部ぜんぶ自分じぶんなかにある・自分じぶんといったらおかしくなるから・神さまかみさまなか全部ぜんぶある・神さまかみさますべてなんだという感覚かんかくいてるようになります。
 そしたら、このにいても、地獄じごくりていても、神さまかみさまだけをかんじます。地獄じごくにいるからかとったらそれはちがいます、地獄じごくにいても、地獄じごく中心ちゅうしんいて無限むげん無限むげんかがやいた世界せかいかんじます。全体ぜんたいをいつもかんじるようになるから、地獄じごく苦痛くつうではなくなってきます。地獄じごく拡大かくだいしてはないんですね、無限むげんなか一点いってんぐらいになります。


      自分じぶんこころおうじててきます

-ありがとうございます- 
 医療いりょう従事じゅうじしています、患者かんじゃさんが「ありがとうございます」と口先くちさきだけででもとなえているときに、症状しょうじょう好転こうてんしたりします。病気びょうきというのはさとりへみちびきではないのかとおもうんですが?

ありがとうございます:
 神さまかみさま番組ばんぐみが・無限むげんのチャンネルがあるでしょう、かたち姿すがたというのも、無限むげん健康けんこう無限むげんやまい両極りょうきょくがありますね、そのあいだ無限むげん段階だんかいがありますね。またこころ持ち方も  かたもそうですね、マイナスにおもこころとプラスにおもこころ無限むげんちがいがあります。病気びょうきつかんでその病気びょうきなおすというよりは本当ほんとうはね、番組ばんぐみえているんですね本当ほんとうはね。病気びょうきになっているひともそうだし治療ちりょうするがわおなじですね。

 治療ちりょうするがわ病気びょうきみとめない心境しんきょうになったら、病人びょうにんがもうないですね。病人びょうにんがおきゃくさんとしててくるあいだ自分じぶんなか病気びょうき相手あいてにするこころがチョッとのこっているはずです。いい意味いみでもわる意味いみでも、病人びょうにんなおしたいというこころがあるかもしれないし、マイナスにおもこころ自分じぶんなかのこっているかもれないですね。 それを感謝かんしゃすることによって自分自身じぶんじしんがプラスの番組ばんぐみにドンドンわっていきます。そうすると、病気びょうき瞬間しゅんかんにサッとなおったり、きてすぐ勝手かってなおってしまう患者かんじゃさんがたり、きたまえなおってしまったりということがこるかもしれないですね。いろんな現象げんしょう自分じぶんこころおうじててきます。

 わたしも、二十歳はたちぐらいのときから病気びょうきなおしのおいのりを一生懸命いっしょうけんめいしました。みんな神さまかみさまなんだ、無限むげん健康けんこうなんだ、完全かんぜんなんだというふうにね、一生懸命いっしょうけんめいいのつづけたんですね。そのとき病気びょうき相手あいてにしていました、ちいさいときにお医者いしゃさんになりたかったというのは、病気びょうきというものをかなりつかんでいたんだとおもいます、過去かこでね。それは、病人びょうにん相手あいてにしなければならない運命うんめいですね。

 いろんなひとから病気びょうきなおしてとわれるんですね、毎日まいにち何十なんじゅうにんたのまれて一生懸命いっしょうけんめいいのつづけてじゅうねんぐらい病気びょうきなおししていました。そして、プラスにおもうおいのりを一生懸命いっしょうけんめいするでしょう、そうすると自分じぶんなか病気びょうきというのはドンドンえてしまいます。自分じぶんまえ病人びょうにんあらわれなくなります。
 今度こんどは、病気びょうきなおしの仕事しごとえてしまって、しあわせをあたえる仕事しごとになります。職業しょくぎょうわるんじゃないですか。わたしまえにくればしあわせになりますよという仕事しごとです。実際じっさい、お医者いしゃさんは、このお医者いしゃさんはかなら病気びょうきわるくなってぬというお医者いしゃさんとね、このお医者いしゃさんは、患者かんじゃさんがたら診断しんだんするまえくなってかえってしまうようなお医者いしゃさんと、二通ふたとおりありますね。お医者いしゃさんにもこころがいろいろですよね、プラスプラスにていくお医者いしゃさんにはいい患者かんじゃさんがて、はやなお患者かんじゃさんがますね。

 やっぱり、自分じぶんのみる世界せかい自分じぶん運命うんめいというものは、自分じぶん必然的ひつぜんてきになって、自分じぶん自由じゆう意志いしでどうにでもなるんだとうほうがただしいんだとおもいます。そうでないと自分じぶん運命うんめいわらない、ひとのせいにしていたら自分じぶんちから発揮はっきできない、いやなおきゃくさんがたとひとのせいにしていたら、何時いつまでいやなおきゃくさんがつづくかもれない。でも、自分じぶんこころえることでいつでもえられるんだったら、瞬間しゅんかんえられますね。だから、もう病人びょうにん絶対ぜったいたくなかったら、みんな無限むげん健康けんこういっぱい・無限むげんしあわせいっぱいというふうにおがつづけるのが一番いちばんです。


      自由自在じゆうじざいとなえる

-ありがとうございます-
 「ありがとうございます」をとなえるのは、こえして言霊ことだまとしてとなえるのがいいいですか、こころなか
となえてもいいですか?

ありがとうございます:
 自由自在じゆうじざいでね、くちすのもいいし、こころだけでとなえるのもいいし、いてもいいしね、るだけでもいいし、ひとわりにとなえさせるのもいいですよ、(わらい)となえさせたのも自分じぶん(のもの)よ。


      わたしだけの問題もんだい

-ありがとうございます-
 二十歳はたちころ病気びょうきなおしはどんなふうだったんですか?

ありがとうございます:
 二十歳はたちだいころいそがしかったー、いまにそうだと電話でんわしてくるんです、ひまがなかったです。必死ひっし電話でんわしてくるでしょう。

-ありがとうございます-
 なおらなかったことは?・・・・

ありがとうございます:
 たいていなおっていますね。

-ありがとうございます-
 それは本人ほんにんに(病人びょうにんに)感謝かんしゃ気持きもちが・・

ありがとうございます:
 それはちがう、わたしたけの問題もんだいですね。勝手かってなおりますね、わたしこころをマイナスからプラスにえるおいのりの練習れんしゅう時期じきだったとおもいます。感謝かんしゃふかめる段階だんかいですね。わたしこころ病人びょうにんつかんでいるでしょう、それをおいのりしてつかまなくなったら、つかまなくなってそのひと健康けんこう姿すがたせてくれるだけなんです。

 自分じぶん世界せかい自分じぶんけるんでしょう、わたし世界せかいは、このていないんです、おおきいおおきい宇宙うちゅうをいつもながめているんです。だから、地球ちきゅうもあまりにちいさすぎます、このちいさいです、それもひかりすくないこのでしょう。本当ほんとうは、無限むげん無限むげんかがやいたあたらしい宇宙うちゅうなおしているんです。
 だからこの地球ちきゅうほろんでも、この肉体にくたいえても、わたししあわせには無関係むかんけいなんです。絶対ぜったいくずれないしあわせなんです、無限むげん無限むげんしあわせいっぱいというのはね。感謝かんしゃがぐんぐんふかめさせてもらえたら、本当ほんとうしあわせはそこまでくんですよ。

 こののことは相手あいてにしていません、病気びょうきなおろうが、地震じしんまろうが。そんなのはあまりにちいさすぎてね、本当ほんとうは、無限むげん無限むげんしあわせをなおすほうがおおきいしあわせでしょう。みんなはすでにさとっている・みんな無限むげん無限むげんかがやいているんだという実感じっかんのほうがいいじゃない。
 肉体にくたいはこういうふうにはなしたりいろいろしているけど、わたし肉体にくたいっていないから、おくおくでみんな無限むげん無限むげんかがやいている・かがやいてさとっているんだというふうにているんです。だからこの肉体にくたい本当ほんとう自分じぶんからみたら、たいしたことはないのです。

-ありがとうございます-
 そこまでおもえるというのは、執着心しゅうちゃくしん完全かんぜんになくなるということですか?

ありがとうございます:
 そう・・もうこの執着心しゅうちゃくしんはないね。このに、もうすべてにね。過去かこたいして一切いっさいない。だからあらたになおほうこころけているから、一瞬いっしゅんでもそこなったら、あたらしいものをうしなうという感覚かんかくだね。

-ありがとうございます-
 かたちのあるものはすべてなくなるという感覚かんかくですか?

ありがとうございます:
 そうね、あたらしくまれたらね、えないとぎのものてこれないから。(あと不明ふめい・・)

           ありがとうございます


ありがとうございます:
 きっかけはないですね(何かのきっかけでこうなったのではない)、最初は、この世の姿を良くしたいと思ってお祈りの練習をさせてもらっていたんです、病気の人を直したいとか、地球の滅亡を防ぎたいとか、それを練習しているうちに、「ありがとうございます」を唱えているうちに中から変えてもらうんです。そしたら、この世なんてちっぽけに見えてくるんです、中からの輝きのほうが無限に無限に大きいから、この世なんて相手にしなくても良いようになる、過去を掴まなくなります。そういう心に変えてくれたんです、「ありがとうございます」の神さまの力ですね。唱えさせてもらって、助けてもらって、幸せにしてもらって、そんなもんですね。

謙虚

質問者:
 誰でも皆「ありがとうございます」のようになれるんですか?

ありがとうございます:
 そうです、そうです。本当は私のほうが最低だったと思うよ、こんな最低の自分でも、神さまが助けてあげようということになったら、いろんな体験も与えてもらい、感謝できるようにしてくれて、本当の感謝の意味も実感させてくれて、幸せにしてくれます。あとは「ありがとうございます」と感謝させてもらえば良いだけですよね。そしたら一瞬に悟れるんです。 だから、最低に自分を置いたほうが、謙虚になって感謝しやすいのかもしれないですね。神さまにすがれるというところがありますね。
 「ありがとうございます」という最高の神さまは、最後の切り札みたいな神さまです、とても謙虚な神さまで、でしゃばってこない、人の自由を縛らないから、どんな神さま仏様にもすがりなさいと言う、自由にしなさいよと言ってくる。でも、最後に戻ってきたら、大きな力で助けてくれます。
 皆、ある一定期間、自由な生き方をするんです、でも、満足できない、どんな生き方をしても、どんな神さまを信仰しても、本当の満足は得られないんです。最後に、「ありがとうございます」という究極の神さまにすがるんです。その時に最高の力で悟らせてくれます。
 すごい神さまですよ、何も要らないんです、どんな修行をしなさいもない。何にもなしで、神さまと一体なんだよと解からせてくれるから、何も否定する事がないですね、この世を否定する事も何もいらない、全てを大肯定できます。この世もあの世も全て肯定できるんです、みんな神さまなんだと解かってくるから、プラスにプラスに受け直せるんです。
 「ありがとうございます」という神さまの力が「ありがとうございます」という祈り言葉に降りているんです、その言葉さえ受け入れたら良いだけなんです。「ありがとうございます」という言葉を唱えるだけです。難しくはないですよ。



他の神を応援する

質問者:
 そんなに素晴らしい「ありがとうございます」という言葉なのに、アーメンとか南無阿弥陀仏という祈り言葉のように普及していない、普通の挨拶言葉としてしか普及してないのはなぜですか。

ありがとうございます:
 ほかの祈り言葉が前面に出てくると、ありがとうございますの神さまは、どうぞどうぞ応援するんじゃないですか。

質問者:
 (アーメン・南無阿弥陀仏などの祈り言葉と)同じじゃないんですか?

ありがとうございます: 
 同じじゃない。南無阿弥陀仏がでてきたら、それを前面に出しなさいというふうに広がるんです。後押しだけをしてくれるんです。



最後の切り札
質問者:
 過去にも悟った人はいましたが、(ありがとうございますに)気付かなかったんですか?

ありがとうございます:
 例えば、南無阿弥陀仏で悟るとそれが最高と思い込んでしまうんです、その奥に「ありがとうございます」という神が控えているんですけどね。どんな神仏を信仰する人もその次に必ず「ありがとうございます」というんです。最後の切り札のバックアップをしている神さまの働きを感じているんですね。

質問者:
 「ありがとうございます」の神さまは天地創造の神さまですか?

ありがとうございます
 天地創造の神でもあるし、全体でもあるんです。全てです。創造した側とされた側とに分かれていない、両方全部をひっくるめて全体なんです。


日本は世界・宇宙の雛形

質問者:
 「ありがとうございます」は日本語ですが、他国語に同じ意味の言葉がありますよね、他国語には同じようなパワーはないんですか? 

ありがとうございます:
 言霊のさきはう(幸ふ)国と日本は言われますね、「ありがとうございます」は言霊と一致している言葉です。だから輝きが大きいですね。
 
質問者:
 それは日本人にとってということですか?外国人の人も「ありがとうございます」と言った方が良いんですか?
 
ありがとうございます:
 言ったほうが良いね。世界共通語になったほうがいいね、「ありがとうございます」ぐらいはね。
 日本が雛型になる。雛方というのは、例えば、中心に円ができたら、中心から円が同心円的に広がります。だから、日本が良くなれば世界が必ず良くなります。
 これは地理的にいってもそうでしょう、日本列島は世界の大陸の縮図になっているでしょう。何でこんなにそっくりにしているのかと思うくらい不思議でしょう、北海道が北アメリカ大陸そっくりでしょう、四国なんかオーストラリア大陸そっくりでしょう、全部ピタッとあっていますね。そういうふうにみると、日本が世界の雛型でしょう、だから、日本が変われば世界が変わるはずです。
 星の世界もそうらしいですね、星座の世界にも北アメリカ大陸そっくりの星座があるというのです。すると、星座の世界にまで日本の雛型が広がるでしょう、宇宙に。不思議ですね、こういうのは人間業じゃないものね。
 中心の円・雛型の役目があります、だから、日本には世界の文化も全部入ってくるでしょう。日本だけでしょう、宗教でも全部はいってくるのは。それで、全部を生かして中に取り込む、吸収してしまう、そして違和感がなくなるでしょう。外国は、対立しますね。建物だってそうです、外国はドアーでピシャッと閉じてしまうでしょう、日本はふすまだけで広くなったり狭くなったり、部屋が伸び縮み自由ですね。カバンだって、一定の形のままですが、風呂敷は大きいものでも小さいものでも包める。着物も、下駄や草履もそうですね。靴だと小さすぎるとはいらない大きすぎると不自由する、下駄や草履だと大きい人も小さい人も使えます。日本にはそういうのが自然と備わっています。
 そういう意味で日本が全世界の責任を負っているんです。だから、日本を良くたら世界が必然的に自然に良くなっていくと思います。


本当の神さまは掴み所がない

質問者:
 とても初歩的な質問なんですが笑わないでください、<すでに大笑い>神さまはお一人ですよね?総元締めというか、としたら、認可されている宗教法人はその支社みたいになるんですか?

ありがとうございます:
 本物の神さまは唯一絶対のものでしょう、その全体の部分部分の別れがいっぱいあります。

質問者:
 認可を受けているというのは、一応本物の神さまですか?

ありがとうございます:
 いやいや、そういうのはまだまだ本物じゃない。本物の神さまはこの全大宇宙です、全大宇宙が神さまの体です。この全大宇宙の中の小さい地球でしょう、地球なんて無限の中の一点みたいなものです。無限の中の一点みたいな地球の中で、なおかつ、人間が作って、これか神さまだと指差している姿が宗教法人の神さまです。本物じゃない。全部を包み込んでいるのが本物の神さまです。
 本物と模型は違います、地球と地球儀とはぜんぜん違うでしょう。人間がこれが神さまだと指さしているだけです。さしているほうが正しいかどうかは解らないですね。人間が作ったのはみんな偽神さまです。本物の神さまは名前も名乗らないし、宣伝もしない。掴みどころがないように思うんですが、でも、全体なんです。


神さまの中心に置かれた自分

質問者:
 キリストとかお釈迦様とかそういう昔から頂点に立っているような人たちも、本物の神さまから見たら子分みたいなものですか?

ありがとうございます: 
 子分にもはいらない。無限に無限に小さすぎて、人間なんてたいした事ない。でも、一番奥へ戻ったら、本当の本体の自分に戻ったら、みんな神さまの意識をもらって、神さまの全てを一瞬一瞬受け直せる自分だから、その自分は神さまと一つだから素晴らしい。その神さまと一つになった自分でも、神さまから新しいものを受けなかったらゼロなんです、マイナスなんです、何もない状態です。
 一瞬一瞬受け直してこそ神さまの素晴らしさを頂けます。それは自分じゃないんです、神さまです。だから、謙虚になるしかないんです。自分には何もないということに気付くしかなくなるでしょう。そして、前面に出てくるのは、「ありがとうございます」という神さまだけになってくる。
 そうしたら、過去のどんな立派な人がでてきてもそんなものは、足跡のちっぽけなものでしょう。本当の自分から見たら、魂の自分・肉体の自分もつめの垢よりずっと小さい。だから、過去なんかも相手にしなくなります、そして、最高の神さまだけを心に感じ取ろうとするのが良いですね。そして、無限に無限に輝いた姿を実感しようとしていくのが感謝行です。
 「ありがとうございます」という一言に、「新たな無限の無限の幸せいっぱい」という意味も含まれているでしょう、「無限の無限の悦びがいっぱい」という意味が含まれているでしょう。ありとあらゆる神さまの徳が全部含まれています、全部考えるのはややこしいから「ありがとうございます」の一言で押さえるんです。「ありがとうございます」一言で全部受け直すんです。
 その「ありがとうございます」を無限に無限に積み重ねたものも、もう一つ大きな「ありがとうございます」の中に納まってしまいます。その大きな「ありがとうございます」を無限に無限に積み重ねた「ありがとうございます」がもう一つ大きな「ありがとうございます」になっていきます。「ありがとうございます」がドンドン大きくなるんです。最初はちいさいかんじかも知れないけど、唱えているうちに大きくしてもらうから、中身がドンドン変わってきます。だからできるだけたくさん唱えたほうが得なんです。
 その中身が実感できてきたら、神さまがますます遠く感じるかも知れない。遠くに感じるけどね、あまりに大きすぎるからです。全部を掴みきれないという意味で遠くになるけれど、神さまの中心に置かれているというのは解かってくるんです、大光源の中心にいつも自分が置かれているというのがね。いやというほど解かってくると思う。
 だから、神さまをどこに捜し求めるのか?探し求めなくて良いんです。神さまの中心にいるんです。


感謝して命を頂く


質問者:男
 今日の食事で肉は出ていなかったんですが、それは、なぜですか?

ありがとうございます:
 いや、ここは何でも出るよ。たまたま出なかっただけじゃない。

質問者:女
 出てましたよ、私食べました。

ありがとうございます:
 何を食べても良いんですよ。みんな命を捧げてくれてるんです、いい事してくださいよ。<笑い>菜食も良いですけど、それも一つの生き方です。お米も一粒、生きているのは動物も同じですね。命を捧げてもらったという感謝で頂くんだったら、動物でも悪い事ではないですね。
 弘法大師さんでもお肉を頂くでしょう、「ありがとうございます」と感謝して受けたら、一緒にいたお坊さんに「お前、肉を食べて!!」と言われて、「わしは、食べてない」と弘法大師、「じゃー、吐き出してみろ」と言われて、弘法大師からは何も出てこないのに、もんくを言った人から肉が出てくる。
 弘法大師は、命を捧げてもらったという深い感謝で受けているから、肉じゃないんです命なんです。でも、人を攻める心は肉を掴んでいるでしょう、心で肉を取り込んでいるから自分の中から肉が出て来るんですね。
 食べ物というのはいつも、神さまの命を頂いているんです。お米の粒がたくさんあるのは、たくさん感謝できるように<笑い>。食べ終わるのに時間がかかる<笑い>そこで、「無限の無限のありがとうございます」と言えばいいんです<笑い>。


感謝はどこまでも自由に広がる

質問者:
 輪廻転生はどうですか?

ありがとうございます:
 輪廻転生はかなり低い番組なんです。新たに受け直す番組は輪廻転生しないんです。常に一瞬一瞬生まれ変わる世界の番組だから、絶対の神さまの世界から新たに生まれてくる輝いた自分だけになります。だから、輪廻転生する肉体・魂を掴まなくなります。そういう番組も上のほうにはたくさんあります。
 だから高い神さまは、輪廻転生はないと断言するんです、だけど、輪廻転生はあるという神さまも低い世界にはいます。それも正しいですね、決して間違いではない。

質問者:
 誰々の生まれ変わりとかそう云うのはないということですか?
 
ありがとうございます:
 そういうのもあります、そういう番組もあります。いろんな人に生まれ変わるんです。低い番組をみたらあります。神さまの放送番組には、無限のチャンネルがあります、低いほうには必ず輪廻転生があります。番組の中にはまり込んだら、その番組のストーリー通りに動くんです、でも、番組を放(離)して見る自分は自由自在です。縛りのない自分です。
 感謝というのは縛りのない自分に戻ることです。感謝の心は縛りのない自分になるためなんです。番組の中にはまり込んで抜けられない人は「ありがとうございます」を唱えているうちに抜けてしまうんです。だから、自由になれる、世界が広がります。思いの世界は一つのものを掴んで小さくはまり込んでいくけど、感謝は縛りから抜けて無限に広がります。

「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」の言霊


質問者:
 「ありがとう」と「ありがとうございます」の違いは、「ありがとうございます」の方が謙虚に聞こえるんですが、それだけなんでしょうか?

ありがとうございます:
 日本語は言霊で捉えると正しく理解できます。「ありがとうございます」を言霊的に解釈すると。

「あ」は、光とか光源と言う意味です。

「り」は、ら行音で、螺旋状に宇宙の創造は行われています。螺旋状が直線と違うのは、螺旋状に二本の線が回ると、途中で出会うのが無限に大きくなってたくさん増えるでしょう。直線だと一回交わるだけです。螺旋状の渦巻きで交わると、途中で何回も交わっていきます。そして、小さいものから大きいものまで相似形のものがたくさん出来あがります。このように、宇宙の創造の仕組みが、螺旋状に組み合わさるというようになっています。「り」は創造の働きを指しています。

「が」は、輝くという意味をダブらせています。(無限に)(無限に)輝くという意味を「が」に表しています。

「とー」は、ありが(たし)と言うと、た行音とさ行音になります。それを縮めて「ありが(とー)」となり、た行音は縦の線・さ行音は横の線です。すなはち、相対に別れる両極を十字に組み合わせるという意味です。

だから(ありがとうございますは)、宇宙の全ての全てを指しています。神さまの絶対の光源から(=あ)、光が螺旋状に放射されて(=り)、無限に無限に輝いて(=が)、全ての相対の両極に分かれたものがピッタリと大調和の姿に組み合わされている(=とー)、という意味です。



「ございます」の意味は、ただ、いらっしゃるという浅い意味だけじゃないんです。
神さまは自由自在な性質を本質としてもっていて、それが凝り固まって形あるものまで出てきます。

「ご」は、凝り固まってさらに凝り固まってという意味です。

「一霊四魂・一元四体」<いちれいしこん・いちげんしたい>(古事記ふることふみ4 6−1を参照)という言葉があります。
 霊が魂<こん>という四つの魂<たましい>の働きに分かれる、「奇霊・くしみたま」「幸霊・さきみたま」「和霊・にぎみたま」「荒霊・あらみたま」の四つの魂の働きに分かれます。
 一元四体というのは、物質は一元がまず<精体>見えない姿に分かれて、<精体>・<気体>・<液体>・<固体>の四つの働きに分かれます。
 神さまの絶対の自由自在なる姿が懲りが溜まって<魂こん>の姿をとります。さらに凝り固まったら<体>という形に現れてくる。凝り固まって凝り固まって宇宙の全ては生み出されてきます。それが「ごー」という響き(意味)になります。

「さ」は、「さ」わやかというのは清清しいと言う意味でしょう。汚れが全然ない・澄み切って気持ちがいい、そういう「さ」がダブって「ざ」になります。どこにもマイナスがない状態です。

「い」は、生き生きと生きてるという感じです。

「ます」は、増すという意味があります。同じ状態を保っていない、ドンドン増える・さらに良くなるという意味があります。「ま」は、完全・全き(まったき)という意味です。「す」は、澄み切る・中心という意味です、大調和の姿です。

「あ・り・が・とう・ご・ざ・い・ま・す」全部で、神さまの働きをそれぞれ表現しているんです。だから、神さまの働きを小さく受けるんだったら「ありがとう」と言えばいいんです。この世的な小さい幸せとか喜びを受けるんだったら、「ありがとう」でいいんです。でも宇宙全体、それも無限に深いところまで全部受け直すには、どうしても、自然に「ありがとうございます」になってしまいます。あまりに大きすぎて深すぎて・恐れ多い。だから自然に「ございます」と言葉だけでもつけてくるんです。
 だから、「ありがとうございます」と「ありがとう」は別といえば別だけど、「ありがとうございます」の中に「ありがとう」もあります。最初は「ありがとう」から入っても良いんです。「ありがたや・ありがたや」と歌っても良いんです。
 

最高の罪の消し方
質問者:
 罪を犯した場合、償いが出来るのならば、どのようにしたら良いですか?

ありがとうございます:
 罪の捉え方もいろんな段階があるし、でも、[ありがとうございます」と唱え始めたら、罪というのは、過去の古いものを掴んで積み重ねて、新しいものを受け損なった結果なんです。だから、新しいものを受け直す[ありがとうございます]という生き方に変わったら、その時点で一切の罪はありません。本当の罪の消し方は、新たに受け直すことです。[ありがとうございます]という神さまを心に受け入れたら良いだけです。[ありがとうございます]と言えば過去の一切の罪はないんです、最高の消し方です。

光のネットワーク
質問者:
 先生は、***(ある企業名)に参画されているんですが、事業も含めて構想はどのようにお考えですか?

ありがとうございます:
 第一直感でサッと入っただけなんです。これから必要な事は神さまの方から、この世の中をよくするための働きをしてくるんです。その一環として自然に出てくる姿が・形が***の姿です。今までは、誰かが頂点にあって、支配するような形をとってきています。これからはそうじゃない、神さまの御心を中心にして、一人一人が自由自在に望める、そして全体が大きい働きをします。だから、ネットワークが大事です。一本一本の糸ではね、それが救いの糸だったら一人の人は救えるけど、それが網になると一挙にザーッと救い上げられる。救いの光のネットワークです。これが光でなかったら、思いの・業の心だったら、皆を網で縛ってしまいます。今までは縛りのネットワークです、これからは、一人一人を自由にする光のネットワークが必要になってきます。そういう意味で、一人一人が神さまの御心と一体化して、一人一人の持ち味を生かして自由自在の働きをします。それで、全体が助け合いをとって大きい働きをするんです。
 世界を大きく変革する働きは、中心は神さまから生まれてきて、その神さまの御心を一人一人が具体化するんです。だから、縛りのない働きでないと本物になりません。本物は、「ありがとうございます」という究極の神さまがどれだけ降り立つかなんです。神さまが一人一人の中に降り立って自由に動けてこそ働きなんです、皆を幸せに出来る働きになってくるんです。
 捨石になりたいと思ったんです。基礎を作るときの捨石です、将来大きな建物を作るときの基礎を作る捨石になりたいと思ったんです。

先祖供養
質問者:
 先祖供養とはなんでしょうか?

ありがとうございます:
 自分が先祖をどのように見ているかが根本です、その見方によっていろんな方法が生まれてきます。だから、神さまの最高表現に近い光のご先祖様と見たときには、みんな無限に無限に輝いて悟っています。子孫に対しては、幸せを与え尽くそうとするばかりです。そうしたら、先祖供養は感謝だけでしょう。仏壇を家にお祭りしてお供えするにしても、中心にご本尊様があってご先祖様があって、輝いた姿をとっているでしょう。お供えは向こう向けずにこっち向けるでしょう。ご先祖様から必要な一切を私たちに与えてもらっているんです。仏壇は感謝を深めるための模型です、本当の供養は感謝ばっかりです。
 でも、ご先祖様は悪い事をしたのでまだ迷ってると思うと、それを助けなければいけない立場になります。そういう立場にたつと、真理の言葉を教えて上げなければいけない、お経を唱えて上げなければいけない・お祈りしてあげなければいけないとなりますね。
 どっちを選ぶかは一人一人が選びます、段階が全部違うから、低い段階・高い段階と必要な段階があります。順番にいろんな段階を通って最後は感謝に行き着きます。早く「ありがとうございます」に戻ったほうが良いと思います。仏壇もお墓も必要なくなります、感謝の心があったら、形の模型は必要なくなって、もっと自由になります。だからと言って、仏壇もお墓も破壊する事はないんですよ、それが必要な人には必要です。大事に守るこことも大事です。
 小学校から大学まである、自分が大学生だから小学校も中学校も高校も要らないと壊してしまったら大変でしょう、あとから小学校に入学してくる子もいます。そういうのも大事に守ってあげるのも大事です。

一体感
質問者:
 自分と他人が一体なんだと、よく聞くんですが、どうしたらその実感が得られるのでしょうか?

ありがとうございます:
 木を例えに言うと、中心に幹があり枝があって細い枝があって、末端に葉っぱがあります。そうすると、肉体を自分と思っていると、一枚の葉っぱを自分と思っている感覚ですね。葉っぱ同士は別々ですね、でも、小枝から太枝へ遡ると繋がっているでしょう。繋がった時点で一体なんです。だから、できるだけ自分の心を根元まで下げていくと良いんです、それは神さまの中へ入ることです。神さまへ近づけば近づくほどたくさんのものとの一体感が自然に生まれてくるんです。これも感謝だけですね、感謝すればするほど神さまとの一体感が大きく深くなっていきます。そうすると、みんな自分なんだという感覚が、そして宇宙全部が自分なんだという感覚が自然に生まれてくるんです。だから、みんなの幸せが自分の幸せです。自分の幸せは無限の幸せだとしても小さいですね、でも、全部の人の無限の幸せが自分の幸せになれば、無限の無限の幸せをいつも味わえます。「ありがとうございます」を唱えたらいいだけです。

統一
質問者:
 先生は、統一・瞑想している時どういう世界なんですか?

ありがとうございます:
 みんな無限に無限に輝いていると感謝しているだけです。皆が無限に輝いて素晴らしいなーと、褒め称えて感謝して喜んでいます。一番幸せにしてもらって「ありがとうございます」と喜んでいるだけです。
 たくさん感謝できるほうが統一は深いんです。出来るだけ沢山の人を感謝の対象にするほうが良いんです。みんなの幸せを自分の幸せにしてしまうんです。
 
本当の統一は、一(いつ)なるものに統(す)べられるということです。一(いつ)なるものとは「ありがとうございます」という神さまの事です。そこへ繋がれば良いんですね統一というのはね。「ありがとうございます」という神さまと繋がっているという心の実感がドンドン大きく深くなってくれば良いね。日に日に実感が大きく深くなります。
 私の場合、統一は、目をあけていても閉じていても大丈夫なんです。このまま「ありがとうございます」の神さまに向いているんです。
 統一というのは、無念無想とかそういうのとは違うんです、感謝が深くなる事なんです。心境が澄み切って青空のようになって・・・そんな事は考えなくて良いんです、もっと自由自在なんです。感謝というのは、いろんな状態を全部中に持っています。澄み切った状態が必要だったら出てきます、踊り狂うような喜びの表現が必要なら踊り狂うんです。歌を歌うのが良かったら歌いだすし、自由自在な全てを中に持っています。

お金
質問者:
 お金とは何でしょうか?結構これに惑わされるんです。

ありがとうございます:
 神さまの世界はお金じゃない、必要ない。人間の世界ですねお金があるのは。人間の世界のお金は約束事ですね、働いたらそれをお金に換えて、またそのお金で同じ働きの分を返してもらうという、基本的にはその約束事なんですね。沢山働いてそれを貯金という形で残すためには何か別なものに振り替えなければいけない、お金という形で振り替えておいて、必要なときにそれを働きに換えてもらうわけですよね。
 基本的にはそうなんだけど、今の世界は、あんまり働かないで沢山儲ける。その儲けたお金は金額は多いけども、その多い金額で返してもらうのは、自分の働いた分だけしか帰ってこないんです。だからそのお金には余り価値がありません、昔から、あぶく銭には価値がないといいます。博打で勝ったお金もすぐに消えてしまいます。泥棒して奪ってきたお金は価値がありません、何も与えず奪ってきたものだから価値はゼロなんです。あるいはマイナスかもしれない。
 お金の額よりも、それを手に入れるときにどれだけ働きとして、幸せをどれだけ与えたかが大事ですね。それでそのお金が生きてくるんです。
 お金は相手にしなくても良いと思うんです、沢山働いて報いを求めず全部与えてしまったら、お金はないんだけど、今度必要なときに、ただで与え返されるんです。だから、無報酬でするボランティアが一番神さまの世界に近い。だから、お金儲けに縛られなくて済むでしょう、自分が喜ぶことを喜んで一生懸命にできます。ボランティアで自分の出来る事を一生懸命世のために尽くして働いておけば、それに見合ったものは必ず利息をつけて返されてきます。そのような与える心は神さまの世界の高い世界に波長が合いますよね、運命はドンドン急上昇します。そして恵みがいっぱいになってっきます。

ボランティア
質問者:
 与えたものが大きくなって帰ってくるとか、見返りを求める下心があってボランティアしてもいいんですか?

ありがとうございます:
 見返りというより、そういう信じる心は良いですね。与えれば与えられるとか、神さまの世界に波長が合うとかね、そういう確信は大事でしょう。それで喜んで喜んで与え尽くせば良いですよね。
 下心が有っても最初は良いと思います。そのうち下心も消えてなくなるかもしれないし、それ以上の大きな喜びが湧き上がってきます。
 私は二十歳のころから全部ボランティアで、働いても自分の生活費に使っていません。そしたら、必要なもの全部ただで与えてもらうんです。ここもそうですね、お金儲けしてお金ためてしてないんです。何もないところに出来上がっていくでしょう、スピードが速い、普通だったら家を建てるのは大変ですね、それがバーッと作り上げていってもらえます。必要な材料もほとんど集まってきます、不思議でたまりません。「ありがとうございます」の神さまの力なんでしょうけどね。天から降ってくるという、物質化される感覚ですね。「ありがとうございます」だけ唱えていたら寝てても良いんですよ、でも、嬉しくて動き出しますけどね。

質問者:
 先生が二十歳代の時に、病気の人を治したいと祈っているときに、寝る暇もなかったとのことですが寝られないのはきついですよね。

ありがとうございます:
 今にも死にそうな人が来たら寝てられないでしょう。そういう真剣な思いが育ってくるでしょう。子供が死にそうになったら母親は寝ませんね、一週間ぐらい徹夜で寝ないでがんばれますね。真剣になった時は寝ないで済むみたいですね。神さまが応援に降りて来るんだと思うけど。


一日だけの縁
質問者:
 家族は、縁というか、自分が選んで生まれてくると聞いたことがあるんですが、そうなんですか?

ありがとうございます:
 そういうふうに、選んで生まれてくる番組もあります。神さまの絶対の世界から一瞬一瞬新たに生まれてきて、一瞬一瞬受け直すという縁もあります。その方がいいのね、神さまから最高のものを光の縁として今、一瞬一瞬与え続けてもらうほうがね、腐れ縁じゃなくなりますね。
 今、自分の家族がいても、今日一日神さまから与えてもらった光の縁だと思うと、大事にするでしょう。過去からズーッと続いていると思うと、たいした事ないと思ってしまって、終いには嫌になってしまう可能性もあります。今日一日だけというのは新しい光の縁です、そういう受け方のほうが感激が新たに出来て良いです。
 結婚してても、今日一日だと思ったらお互いに大事にするでしょう、子供でも、今日一日子供でいてくれると思ったら、どれだけ大事にしようかって思うじゃない。神さまが1日単位に変えてくれたら良いのにね、良くわかって良いんじゃないかな。

マイナスの言葉に惑わされないように
質問者:
 身近に、自殺した人がいるんですが、それも寿命、光り輝いていると考えたら良いんですか?

ありがとうございます: 
 見方がいろいろあります、プラスに見てあげる方が良いですね、そしたらプラスの姿を感じます。自殺というのも悪く見たら、逃げて自殺して地獄に落ちているとか見方はいろいろあるんだけど、逆に、自分の身代わりにマイナスを背負って消すために、自殺の姿で消してくれたと感謝して考えれば、その人は無限に輝いた大菩薩ですね。
 プラスに受けていった方が、自分は素晴らしい番組を見せてもらえますね。マイナスの言葉に惑わされないようにね。マイナスの人が多いですね、自殺したら地獄に落ちてるという人が多いからね。逆に、自殺した人はみんな最高の世界に上がっていると言った方が良いかもしれない。正反対に思えるけど、そのぐらいにプラスに思えたら悪く見ずに済みます。

恐怖心
質問者:
 五歳の子供がいるんですが、一人になる事をとても怖がるんですが・・・

ありがとうございます:
 子ども自身が「ありがとうございます」と言えるようになれば心安らぎます、それまでは周りの人が代わりに「ありがとうございます」と言ってあげると心が安定します。小さい時は皆そうかもしれないですね、一人ぼっちになるのは怖いです。
 私も小さい時はかなり臆病でした、怖い怖いというのが強かったです。それを取ってもらったのが中学生のときです。山に連れて行ってもらって、山でほったらかされるんです。明日までに帰って来いと言ううんです。途中で迷う道に入りかけると必ず木から蛇がぶら下がっているんです。人があまり通らないところに蛇はぶら下がっているのかも知れないけど、偶然といったら偶然なんだけど、必然といえば必然です。迷い道に入ったら蛇がいるんです、木からぶら下がっていたり、下にいて鎌首もたげていたり。怖いから戻るでしょう、それで違う道へ行った正解なんです。
 迷い道に入ったら必ず蛇が出てきたんです、そういうのが繰り返されると、それまで怖かった蛇に対してプラスに思えてきてね愛着を感じるんです。本当に不思議ですね、蛇って神さまの使いだなと思えてきたんです。
 そういう体験で私の恐怖心を全部とってもらったんです。その時からどこにいても怖くありません、真っ暗闇の中に一人でいても怖くなくなりました。それまでは蛇が一番怖いものでした。神さまは恐怖心の取り方が上手ですね、結局は、神さまを感じなければいけない。神さまの愛を感じたら恐怖心は消えてしまいます。一番良いのは「ありがとうございます」と唱えさせてあげる事ですね。神さまを直感で感じるようになれば、どこにいても怖くなくなります。


先生
質問者:
 先生は、誰か先生に付かれた事があるんですか?

ありがとうございます:
 皆私の先生だと思っています。小さいときからみんなから学ぶという気持ちは持っていました、みんなを手本に良い所は学んでというふうにね。まあ、神さまを先生にしているんだけれど、宗教の本はほとんど読んでいます。特定の宗教だけじゃなくて、いろんなところの本をほとんど読んでいます。宗教だけじゃなくて、いろんな本を沢山読みました。本を読むのが早かったです、一冊一時間かからなかった。

迷いの選択
質問者:
 どちらを取るか選択する場面で、あれこれ考えるよりも「ありがとうございます」を唱えていれば、自然に選べますか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」は今あるものを選択するのではなく、新たにプラスのものが出てきてそれをを選べます。新しい良いものが出てきます、それを与えてもらえます。今あるものから選ぶんだったら、まだ低い番組の中からだったら変わりがありません。その時は無理に選ばなくて良いんです、もっと良いものが出てきます。
 迷っている時は急いで決めないでまず、「ありがとうございます」をしばらく続けてれば、迷っているのがまずなくなって、良いものが出てきてスッと選べます。
 神さまの導きというのは、「ありがとうございます」と感謝し続けた第一直感的に第一番目に出てきます。だから、過去のものから選ぶんじゃないんです、感謝し始めたときから神さまは用意して与えてくれるんです。必ず第一番目に出てきます、沢山ある中から選ぶんじゃなくて、神さまが用意しているのを一つだけ持ってくるんです。

自由自在に「ありがとうございます」
質問者:
 瞑想するときに「ありがとうございます」と唱えても良いですか?

ありがとうございます:
 いいのいいの、それは自由自在で良いですよ。ただ、瞑想というふうに囚われると縛られるでしょう。「ありがとうございます」という神さまの大きい光の中心に、自分が置かれているというふうに「ありがとうございます」と唱えたら、いつもその光の中だから、自由自在でいいんです。寝て夢の中で唱えてもいいんです、極端に言えばね。
 「ありがとうございます」を唱えて助けてもらうんじゃないんです、助けてもらっているのを確認するだけです。いつも神さまの中にいる・・・それを確認するのが「ありがとうござきます」なんです。だから気楽にしたら良いです。

光の交流
質問者:
 本当の友達とはどんなものですか? 

ありがとうございます:
 感謝し合える友達です。感謝し合えるというのは、神さまを中心に置いて両方が一体化できる、そしたら本当の意味での光の交流が起こります。友達だけでなく、夫婦・親子の関係でもそうです、会社でも社長と社員が感謝し合えたら、交流ができてピタッと一つになれる。
 友達でも、一生懸命感謝してたら、いい姿をとってくれるようになります。まず自分から感謝してると、相手も感謝する姿を見せてくれる。でも感謝を忘れると裏切られるかもしれない、感謝を忘れると言う事は自分が裏切っている事になる、感謝は光の表の世界でしょう、それを忘れたら裏のマイナスの世界になります。
 よく、人に裏切られたと言う人がいるけれど、そうじゃない、自分が感謝を忘れたからですね、それで、過去のマイナスを掴んでしまって、ますます感謝を忘れてしまいます。そして修復できなくなる。感謝したら過去を全部払ってくれるし、必ずいい姿を向け直せます。壊れた関係でも必ずもとに戻ります。

感激を新たに受ける
質問者:
 先生の言葉の中に、受ける・受け直す、とかあるんですが、何を受けるんですか?

ありがとうございます:
 それはね、神さまの全部、この世の中だったらこの世の中全部ね。狭く浅くじゃなくて全部頂くんです。みんな神さまのプレゼントとして全部頂くんです。
 何でも与えられたものを当たり前に掴んでしまうのが怖い。一回打ち上げ花火がどーんと上がるのを見せてもらったら、一回で満足すればいいんですが、「ありがとうございます」と永遠に感謝し続けたら良いんですが。それが、ズーッと打ち上げ花火が上がるともう感謝しなくなるんですね、当たり前になってしまってね。だからたまに、宇宙を全部消してくれたら良いと思うんだけど、一秒でも消してもらえたらわかるんだけどね。でも神さまは優しいから消さないんです、無限億万分の一秒ぐらいで次から次へうと上げてくるんです。だから切れ目がわからないですね。 一回一回感激を新たに受け直すのが良いみたいですね。
 「おかげさま」という言葉があるでしょう。「おかげさま」というのは「ありがとうございます」という感謝の言葉です。「儲かりまっか」・・「おかけさまで」・・・・何か浅いように思うんですが、会社でも繁栄させてもらっているのは、最高の神さまの影に働く力のおかげなんだということです。みんなそうなんです、何に対しても「おかげさまで・ありがとうございます」と受けると本当の助けを受けるんです。

あっという間 劇場
質問者:
 肉体はいつか滅びて、あの世へ行くんですが、あの世でもこの世のようなランク付けみたいなものがあるんですか?

ありがとうございます:
 神さまのランク付けというのは、この世の地位とかとは意味が違います。神さまのランク付けは、光が強いか・どれだけ謙虚かです。それでランク付けが決まります。謙虚なほど高い神さま・光が強いほど高い神さまです。

質問者:
 先生は、あの世へ行くための準備として「ありがとうございます」という感謝行をしているんですか?

ありがとうございます:
 いや、私は自分を肉体だとは思っていないから、肉体は放してしまっているから、肉体は道具として使っているけれど、みんなに話をするのも肉体がなければ出来ないですね。でもいつも肉体にはいないんです<えー!!と会場からの声>。

質問者:
 必ず先へ進んでるんでしょうか?元に戻ってる事もあるんでしょうか?
 
ありがとうございます:
 みんな進歩してるんです。低い世界へ降りていっているようでも、いろんな勉強で進歩しています。必ず進歩しているんです、マイナスの体験は謙虚になる大きい進歩でしょう。

質問者:
 運命というのは「ありがとうございます」という感謝の気持ちで、変わってくるんでしょうか?

ありがとうございます:
 男に生まれるか女に生まれるかどこに生まれるか運命として決まっています。本当は宿命的なものでも、心が本当に自由自在になって神さまを受け切ったら変わりますよ。ただ、そこまで変える力がない・変えないだけだね。神さまの高い世界だったら、一瞬一瞬自由自在に変身できるんです。男になったら次はサッと女に姿を現せるんです。瞬間に何にだって姿を変えられるから宿命だって変えられるんです。この世の人はそこまで心の自由自在性がないんです。だから宿命的なことは変えがたいと思うんです。でも、この世的な生活の運命は心の持ち方で変わりやすいんです。

物質化現象
質問者:
 原始時代から、体験と知恵を重ねて現代の文明があり、魂もずっと続いてそのように進化するんですか?

ありがとうございます:
 二通りの意味合いがあります。進化論と同じようにこの世の文明も進化的に発達するという、この世のいろんな体験をもとにして順番に加えていくと言うんですけど、そういう行き方もチョッとはあると思います。でも、必要なものは天から降ってくるという行き方もあるんです。必要だったら天から物質化されて現れてくる。本当は、天から降ってくる・物質化して降ってくるというのが基本なんです。下から積み上げるというのはある意味では錯覚なんです。
 だから、人間は猿から進化したかと言うとそうじゃないんです。猿の姿は猿なんです、人間は人間なんです。猿と人間はチョッとにてるでしょう、間に類人猿が入って猿から進化してきたかと思うんですが、根本は、神さまの方から人間が物質化して天下ってきているんです。その時に、猿の・類人猿の肉体をチョッと利用する場合もあるんですね。それとまったく空中から物質化する場合と両方あります。二通りの人間の肉体を現す行き方があったんです。それが今はミックスされていてバランスが取れているような感じです。でも、物質化現象のほうが正しいですね。

霊的文明
質問者:
 物が今ほどなかった昔は、心が綺麗で思いやりがあり感謝の気持ちもあって、物質文明が栄えて今は思いやりがなくなりました。このまま物質文明が栄えていけば、心の問題はおろそかになっていくと思うんですが、物だけを与えれば物に執着する心だけが芽生えてくるのに、なぜ、神さまはこのようなことをされるんですか?

ありがとうございます:
 神さまの計画の中に、人を幸せにするという計画があるでしょう。その中にまず、物質的にも幸せでなければいけませんね、そして、精神的にも幸せ・霊的にも幸せというふうにね。それをバランスよく順番に手に入るように仕組んでいくんです。
 (今はバランスが取れていないけど、今は)その過程なんです。物質文明を最高に花を咲かせるためには、極度に物質文明を栄えさせるんです。その時には精神文明も霊的文明も疎かになるんです。ただ、バランスをとる時がきます、その時は物質文明がほどほどに押さえられてきます。
 今までは、物質文明と精神文明が交互に、ある時は一方的に大きくなったりして今まできています。それを全体のバランスをとるのが霊的文明です、神さまと一体の自分が精神文明も物質文明も、バランスのとれた姿に変えていきます、それはこれからの時代です。
 だから、全部を生かさなければいけない、精神文明も物質文明もね。バランスをとって生かすのが大事です、否定しないのが大事ね、全部生かし切るという働きですね。
 昔みたいに物のない時代になったら良いかと言うとそうじゃないのね、便利なほうが良いです、それも必要最低限に最高に良いものがあるほうが良いです。だから、神さまの最高の世界とこの世が一致するのが良いですね、高い世界ほど必要なものがサッと出てくるんです。トイレでも清潔なほうがいい、整理整頓できていつも綺麗なほうがいい、高いものでも空中からさっと出てくるほうが良いでしょう。これからそうなるかもしれないですよ。

神の創造と人間の創造
質問者:
 必要なものが与えられるような状態になるのであれば、何のために、神の意図としては、この世に人間を送り出して、この世界を創ったのですか?

ありがとうございます:
 神さまが人間に与えているのは、最高の理想の世界を一人一人に完璧に与え尽くしているというのは、本当の自分・命の自分に対してなんです。後は、本心の自分・命の自分に対して自由を与えて、好きな事をして遊びなさいという感覚なんですね。だから、この世を創ってきているのは一人一人の自分なんです、神さまじゃないんです、宇宙の大神さまじゃないんです。
 神さまから自由を与えられて、神さまから最高の力を受けて、その自分が自由に遊んできてるんです。言ってみれば、ちょうど一枚の紙を与えてもらって、色鉛筆を与えてもらって、絵を描きなさいと任せられた状態が本当の自分です。それで今まで、落書き描いたりいろんな描き方してきて、だんだんと完成に向けて仕上げてきてるんですね。
 神さまの宇宙創造と、人間がこの世を創る創造とダブって見えてくるでしょう。神さまは宇宙を創造して楽しんで眺めてる、人も自分の世界を創造して眺めるんです。ちょうど絵を描くような感じですね。この世の運命全部は一人一人の絵を描くような姿です。いろんな絵の描き方があります、一人一人全部違います。最初はみんな落書きですよね、でも、それを楽しませてもらっているだけです。神さまが全部与えて強制しているのではありません、人間の完全な自由の意思で選んでしている事です。

本心の自分を感じるには
質問者:(一つ前の質問の続き)
 人間というのは、肉体の人間ですか?

ありがとうございます:
 いいえ、肉体は一つの道具ですね。肉体の奥で働いている命の自分が人間です。本心の心の自分です。本心の自分と言うのは感謝の心です、神さまの与えてくるものを完全に受け取れる心の自分です。感謝を深めていったら、本心の自分が出てきて、神さまが与えてくれる最高のものを感じ取れます。その時に本当の人生の目的も、この世で自由に創造を楽しませてもらっている事もわかってきます。
 感謝を忘れたら、肉体を自分だと掴んでしまう・過去を掴む思いに囚われます。そうすると、自由を失って、人生の目的もわからないし、なんか縛られてるなという感覚になるんです。縛られているのは、自分の思いに縛られた姿を掴むからです。もう一回感謝して、自由な心に戻らなければいけない。自由になったら楽しいばっかりになります、自分の好きな番組を楽しめます。最後には、無限の無限の輝きがいっぱいという状態になります、これは永遠に砕けない状態です。

この世はお祈りのチャンス
質問者:
 この肉体の時に「ありがとうございます」を言い続けて、次に生まれ変わりの番組で生まれ変わったときに「ありがとうございます」をすっかり忘れてたらどうしましょう?

ありがとうございます:
 そんなことはない、あの世へ行くでしょう、あの世のほうが早く進歩するんです。生れ変わって来ないかも知れないですね、必要ないものね。もっと早く神さまの世界に飛び込めます。

生まれ変わりを必要とするからこの世に生まれてくるんです。この世に生まれ変わってくるのは、自分に何が必要かという選択する勉強の場でもあり、お祈りのチャンスを与えてもらってお祈りの練習をする場なんですね。だからそれができるようになったら、この世に生まれてくる必要は全然ないし、あの世のほうが早く進歩します。ただ、この世に生まれてきて、みんなを助け指導するという立場だったら、自分が選んで生まれてくる可能性はあるよね。

神さまが降りてくる
質問者:
 先生にとって、守護霊とはどんな方ですか?

ありがとうございます:
 素晴らしい方!!みんなの守護霊様はもっと素晴らしいよ。立派な守護霊さんははけなされて喜ぶんです、ほめられても喜びません。ほかのものを褒めるほうが喜びますね、立派な高い守護霊さんほど謙虚に下に下に降りたがるんです。
 言葉で指導があるのはまだまだ本物じゃないんです、嫌な事いわれたら苦しいですね。表面的に出てきて指導してくれる事もありますが、本当の守護霊さんの働きは、感謝してたらね、守護霊さんが自分の心の中に入ってきて、守護霊さんの心を自分の心に変えてくれます。そして、守護霊さんが実行してくれて、自分の行い努力となって出てくるんです。ピタッと一つになってるんです。言葉でああしなさいと言われないほうが本物ですね。守護霊さんが直接肉体に入って自分のように動いてくれます。感謝してるとこうなります。
 守護霊さんも、その上の守護神さんも、「ありがとうございます」という最高の神さまも同じです。感謝してたら、降り易くなったら、「ありがとうございます」という神さまも降りてきます。そして、必要な助け、必要な力を添えてきます。

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