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0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
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116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
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ar105.2001.5.2.02


 感謝の中に全てがある 

質問:
 最近誕生日を迎えまして、何歳かはちょっと置いて起きまして。(無限の無限の、はははは)朝、拝んでるんですけど、今日までよくよく生かせて頂いて「ありがとうございます」と言ったら、そんなこと思ってないのにすっごい喜びの波動に包まれまして、自分では思ってないのにどんどんどんどん喜びが広がって包まれてしまって、ご先祖様から何から何までみんなに感謝して、その昔びが今迄平面だったのが立体的なというか、なにかわからないけど。ああ、感謝てこんなすばらしいものか、という。ありがとうございます先生が今おっしやつたように、無限がまだ無限にすばらしくあるという感じ。

ありがとうございます:
 その表現の無限の無限の幸せがそうでしょう。その表現を生み出す元が、絶対がもう一つ「無限の無限の、…」とつけてあるはずなんですよね。感謝というのは、幸せという要素一つじゃないですね。

 喜びも・安らぎも・愛も・知恵もね、ありとあらゆるものを全部含めて「ありがとうございます」の感謝なの。「感謝の中に全てがある」という意味では、幸せを表の顔にした時は、そのバックにいろんな要素を組み合わせを違えてぜんぶ背後に控えてるんですね。そうすると一個一個の幸せの顔がバックが違うだけで、個性が変化するのね。バックにいろんな要素があればあるほど複雑に組み合わさってきますよね。

 そしたら、それが無限の無限のどころの変化じゃなしに、まだ、もっと無限を付けたくなるような感じですよね。感謝というのは「無限の無限の感謝」というのも、そういうふうに考えていきましたら、もう言葉で表現しがたいようなね、「無限の無限の…」と、とっても、なかなか表現し切れないというところがあるんです。「ありがとうございます」を唱えながら、時々「無限の無限のありがとうございます」を入れて唱えるといいというふうに思うんですけどね。そうすると感謝がどんどん大きく広がって、一回の「ありがとうございます」の中に、もういろんな要素が、それもいろんな種類の光が複雑に微妙に組み合わさって、たえなる微妙な・最高の・素晴らしい・素敵なというね、ありとあらゆる褒め言葉を駆使しても表現できないような、組み合わせの広がりの輝きがあるんですよね。

 「ありがとうございます」の中にも全部、ありとあらゆるものが含まれてるんだ、というね。全部まとめた純白と言うんですけど、その純白の中に全ての個性ある色合いが、ぜんぶ複雑に組み合わさって、尚且つそれが、一つに統一しているようなね、それが一個の「ありがとうございます」になってるのね。

 それが、神様。「ありがとうございます」という神様の一つの姿。感謝に生きればそれがわかっていって、思いに執われたら、本当の姿が見えなくなって、何かにしがみついたような状態になって不自由になるね。

 プラスとマイナスの定義

質問:
 プラスとマイナスの定義というのは、善と悪というだけじやなくて、いろんなのが含まれてるんですね。

ありがとうございます:
 いろんなのが含まれてるんです。

質問:
 どういう意味でプラス、マイナスつて。

ありがとうございます:
 ああ、そうね。プラスとマイナスを分けたときは、もう相対の全部を振り分けたらいいですよね。光と闇、生と死、美と醜とかね、ありとあらゆるものに同時に振り分けて、またそれを複雑に組み合わせた状態、と見ていいんですけど。より素晴らしく神様の表現を感じるために、というふうに見た方がいいんじゃないかと思うんですけど。言葉って難しいですね。

質問:
 ある意味では、それがどんどん変化すると大きなプラスなんでしょうね。

ありがとうございます:
 そうですね。だから、プラス・マイナスも立場によって、マイナスがプラスに、プラスがマイナスに変化しますしね。

 反省

質問:
 高橋信次先生は、反省しなさいと。ありがとうございます先生は反省とかそういうのは、どう思われますか。

ありがとうございます:
 反省も懺悔もいろんなのがあると思うんです。それもそういう姿のある段階の、まあいろいろだと思うんです。でも、反省も俄悔も何もいらない番組に波長を合わせてね。だから、無限の無限の神様のチャンネルの中には、そういうのはぜんぜん無視できるような、本当にプラスばっかしの世界がありますよね。
 そういう世界に入れば、そういう世界を味わった人には、もう反省も慨悔もないんです、も最初からね。だから、いろんな世界がある、と見たほうがいいですよね。

質問:
 例えば、親とどうしてもうまく行かない。それで、いろんな人間関係もトラブルが多い。それが「ありがとうございます」の感謝の中に自然と親との和解も自然といって、強いて自分を親に仲良くしようとしたりしなくても、感謝の中にいればいい。

ありがとうございます:
 そうよね。極端に言いましたらね、過去のゼンブ無視してもいいと思うんです。今、最高の表現を今受けられるんでしたらね、過去のは全部いらないですね。「無視して悪いか?」そうじやないよね。無視して最高のいいものを受ける方が正しいんですよね。だから、古いものにしがみついて、それを良く見ようとか、掴んでそれを変えようとかいうのは、あまり大して褒められた生き方ではないかも知れないです。

 生まれ変わりは必要ない

質問:
 その番組の中ですけどね。最高の生き方をしましたら、生まれ変わりとは必要ない。

ありがとうございます:
 必要ないですね。

質問:
 生まれ変わりをする人は、生まれ変わりをする番組に出演してるということですか。

ありがとうございます:
 そうですね。全ての番組に自分の表現を置けるんですね。置いてるんですね。だから、最高の番組を、今の自分が見るんだったら、生まれ変わりのない常に新たに生まれて、生まれたてのほやほや、という感じで、最高の幸せを味わい続ける自分でしょうね。下のほうの部分を見たら、また輪廻転生の生まれ変わりの世界の自分の表現も楽しめて、というね。それ一つだけ見るんじゃなしに、いくつかを同時に見るのかも知れないですね。

質問:
 今100チャンネルありまして。そこからずーつと最高の生き方が100としましたら、生まれ変わりがないというのは100チャンネルだけですか。(いや、いや)90チャンネルぐらい。

ありがとうございます:
 いや、もっと下まで。

質問:
 生まれ変わる必要はない。

ありがとうございます:
 そうですね。仏教のお釈迦さんの十戒、心の状態を十戒にわけてますよね。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上、ここまでが生まれ変わりの世界で。声聞・縁覚・菩薩・仏が生まれ変わりのない段階と見たほうがいいかも知れないね。「思いの世界」と「感謝の世界」に分けて、思いの世界は生まれ変わりがある、感謝の世界はもう必要ない。大まかに分けるとそんな感じがしますね。

 距離を置いて眺めたらいいだけ

質問:
 よく私に対して、私の母とか主人の母もそうなんですが。私に話をしたいらしくて、結構、自分のストレスをばーっとぶつけてくるんですよね。やっぱりいい気持ちにはならないんで、主人なんかに言わせると、五井先生は、消えていく姿でということがあるんですけど。それが出来るときと出来ないときと、私の状態もいろいろあるので。ただ「ありがとうございます」でいいんだなあ、とわかっていても、その時できるかどうかというのがまだ。その変どう感じられてるのかなあと思って。

ありがとうございます:
 ただ、一つの番組を掴んでしまうと、感謝が出来てる自分がいる番組もあるのに、それを忘れてしまうんでしょう。それで、また感謝も何もせずに、それを投げ返すような番組もまたあるんですよね。それもぜんぶ悪いことじやないんですよね。それぞれの番組としてはテレビを見るように、ちょっと距離を置いて眺めたらいいだけなんですね。楽しんでね、ほんのちょっとの距離を置くだけでね。だから、テレビを幾つか並べてね。

質問:
 自分というんじやなくて、また別に切り離して…。

ありがとうございます:
 そうね、だから、感謝の心はちょっと距離を置く自分の心なんですね。テレビのチャンネルをいくつか波長を合わせてテレビを置いて、ここはちょっと最低の番組ってね。ここは最高のだってね、今はこの辺を楽しんでるって。そういう感じで眺められたらね、逆に笑えてくるって。(テレビドラマですね)そのぐらいの感じがいいですよね。

 ありがとうございました

質問:
 言われたことに何気なく「ありがとうございます」とか、「ありがとうございました」というのを使ってしまいます。自分の中で明確に言葉の意味がわかってくると、今まででしたら自分に嫌なことはありがたくなくて、「ありがとうございます」の言葉が出ないんですが。自分の中で「ありがとうございます」と「ありがとうございました」が区分けがありまして、嫌なことを跳ね除けるんじやなくて「ありがとうございました」にして、過去形にしてしまえば自分に起こつたチャンネルがうまく処理ができるような感じがしたんですけど。

ありがとうございます:
 「ありがとうございました」となると過去をプラスに受けて卒業という感じの言葉です。「ありがとうございます」は、全てのチャンネルをぜんぶ揃えてもらって全部を一応楽しめるという状態の自分に置けるわけですね。その中から何を選ぶかは自由なんですけど。
 ぜんぶ受けてもいいし、部分だけでもいいし、というような感じで。全体像を認める生き方ですね、神様の表現全てを今ここに目の前に認める、という生き方ね。それがプラスであろうとマイナスであろうと構わんのね。それで「ありがとうございます」なのね、常に今新たに新たにというね。ちょっと違いますね「ありがとうございます」と「ありがとうございました」はね。やっぱり違いますね。

質問:
 何気なく納得してやってたんです。わかりました。

 道は神様との一体化

質問:
 食事の席に、表彰状が綱引きのということで。ありがとうございますと書いてありまして。綱引きを訓練やられることをYさんの文章で面白いなと思ったのですが、詳しい話をお聞きしたいと思いまして。

ありがとうございます:
 「綱引き競技」と、私たちが目指してるのは「綱引き道」なんですけど。道というのは神様と一体化するのを目的にするのね。どんな武道でもそうですね、芸術・習い事もそうですね。道と付く限りは、神様と一つにつながるというね。それを目指してるんですね。それを綱引きの練習を通してでも、先ず、我を捨てないと消してもらわないと本当の自分が出てこないね。神様と一体の自分が出てこないんで。

 先ず、我を消してもらう、神様と離れた自分を消してもらうんだ、というね。だから、思いを消してもらうの。思いがある間は、やっぱり自分の思い通りにしたいというと、どうしても我が強くなってしまうんで。それを、限界破りの苦しい練習を通して、体が痛みに痛むほど大きく浄めて消してもらえるというね。だから、全力で引く練習をするのよね。それで、痛みとか、しんどい、というのが出てくれば消してもらえるのね。それで我が消えると、今度は神様と一体の感謝の自分がどんどん表面に出てくるようになると、今度は感謝の心をどんどん優先させて、前へ感謝しながら神様に降りていただくというね。神様を呼びながら神様に自分の中へ降りていただくという練習、神様に合わしていくというね。そうなると、今度はマイナスを消してもらうんじやなしに、綱引きで引き合う時は、お互いの良さを引っ張り出し合うという。

 だから、勝ち負けがないんですよね。お互いの良さを神なる自分を引き出し合って、共に幸せを喜び合うんだという。だから、前へ押すんじやなしに後ろへ引っ張る、はははは。だから、お互いの良さを引き出し合えば、それは勝ち負けを越えて喜べるんだというね。だから、相手チームが強いほど沢山引っ張り出してもらうわけでしょう。だから、自分たちが相手の良さを沢山引っ張り出せば出すほど、相手に感謝されるのね。

 それで勝ちも譲ってもらえるという。はははは。だから、争いの競技じゃなしに、やっぱりみんなが一体化していって、幸せを感じて大きくするというね。そういうものをちょっとでも身に付けて、自分たちが味わい大勢の人にそれを知ってもらいたいと思うんでね。それでみんな頑張ってるの。

 我を消すには

質問:
 我を消すのには「ありがとうございます」という感謝。

ありがとうございます:
 そうね。感謝してると自然に消してもらうんですけど。感謝のないときに我の消す方法は、痛みとか苦しみとかそういういろんな現実にいろんなマイナスが形に出ますよね、その時にやっぱり大きく消されるんです。だから、病気でも大病したらマイナスが消されて心が澄み切って、感謝の心が湧き出る状態になるわけよね。怪我でも同じよね、怪我をすると心のお浄めになるね。だから、怪我したから一生その怪我が続くか、そうじやないよね。浄まったらまた完全な神様の姿をスッと現実化してくるんですね。
 過去を掴まなかったらマイナスがあればあるほど喜べばいいのね。早くマイナスを消してもらえってね。後は、感謝を加えてどんどん神様の最高表現を受け直していけば、どんどんレベルアップしたプラス一杯の姿をとってきますよね。

 病気

質問:
 病気に関することなんですけども。自分が病気をしてきたので感じるところがあったのですが。病気を治す、といいますよね。自分が振り返ってみたら、病気は治すのじやなくて病気は卒業するものだと思ってたんです。何故かと言うと、今おっしやつた中の、心の中が変わって行ったから、いくら医者が治す、治ったと言ったところで、結果的にはそれは、心が変わらない限りは表面的なものが取れただけで、治ってることにはならないんじやないかな、と私個人は思ってたわけですけれど。そういうことですかね。

ありがとうございます:
 本当はみんなそうですよね。本当はね。ただね、自分の回りの姿というのも、自分の心の中にあるものを、有る意味では見せてくださるというね。自分の心の中にあるものが波長合わせの信念になるわけでしょう。それに合う番組をやっぱり見てしまうんですね。そしたら病気という情念が恐かったら、「周りが病人ばっかし」という姿にどうしてもなるんですね。それを治すためにお祈りを一生懸命するでしょう。
 人の病気を治すためにお祈りしてるという感覚でもいいんですよね。でも、そのマイナスをプラスにプラスに思ってるうちに、自分の情念の中のマイナスの病念をぜんぶ消されてますよね、消えていくのね。すると周りの病気の人の姿もどんどん減っていくんですね。だから、自分の中に病気を掴む心がなくなって変化すれば、病人が目の前に現われにくくなるでしょう。

質問:
 病気になっても、病気が大変だなあと人に対しても思わなくなる。病気はいいという感じがする。心配しなくていいよ、という。

ありがとうございます:
 そういう心の変化も、波長合わせの情念もどんどん変化しますよね。病気を掴む段階からね、病気をプラスに見て「これも勉強でいいんだ」という番組に変化するとガラッと世界は変わりますよね。病気する人が羨ましくなるぐらい。そういう番組があっていいですよね。ははは。病気する人ほど幸せだって。そういう番組が一つぐらいあってもね。それを楽しみたいという人がいてるかも知れない、ねえ。

質問:
 イエスの前に病人が現われて病気治しをしました。あれは病人が現われたことにならないんですか。

ありがとうございます:
 そういうストーリーの必要な番組もあるんですね。神様の無限の無限のチャンネルの番組には、そういうストーリーでどんどん人間を高めてあげるというね。そうするとそういう病気の人がサッと奇跡のように治ったりね。イエスさんの力が治す時はあっても、また背後の人が治す時があってもいいんですね。それによって心がプラスに向いていく人が増えれば、そういうストーリーも増えていきますよね。
 ただ、それが全てじやないと思うんです。それも一つの番組、というぐらいね。番組を見るのでも、いろんな立場から眺めたら、またみんな違う見方が出来ると思うんですよね。それも素晴らしい番組の一つというね。

 他人の思いに影響されない

質問:
 業想念の心や他人の思い願いに影響されては、本心の自分の願いを生きることは出来ない……、とあるんですけども。他人の思い願いあるじやないですか。こうして欲しいとか、親の思いのように頑張ろうとかそういう部分がありますよね。そういう部分の思いもあかん、という意味でしょうか。

ありがとうございます:
 人の思い・願いを自分が感じ取って、その中に自分がはまり込んでいくんですよね。そうするとその番組から抜けにくくなる。それだったら最初からそれを無視して、神様の心をだけを相手にした方が、番組がスッと高い方へすぐに変化するんですよね。ぜんぜん違うプラスぱっかりの運命がそこで体験できてくるというね、ちょっとはいいんですよ。ちょっとは、人の思いに合わせてあげるとか、その願いを叶えてあげるとか、そういう生き方も自分の幸せを大きくする番組もあるんですよね。ただ、それに縛られたらやっぱり不自由になりますよね。また、人の思いや願いの奴隷の状態、操り人形になってしまいますよね。

 それよりも、やっぱり自分を主体性のある主人公にした方がいいんですよね。それで自分の本当の願いを実現する方向へ心の向きを向けていく方が、人のせいにしなくて済むんですね。ただ、自分の自由意志で、相手を幸せにするために、「相手の思いを叶えてあげる」というんだったらそれでもいいと思うんですね。そういう気持ちの強い時は縛られてないですから、それもどんどんされたらいいんですけどね。でも世の中の人って縛られてますよね。親がこういうから親の言うなりにならあかん、というような強い信念の人がいてますよね。そういう人はなかなかその番組から抜けがたいんですよ。抜けるまで時間がかかりますよね、それはね。やっぱり親のせいにしてしまいますからね。親が変わるかって、変わらんのですね。自由にしなさいとは言ってくれないですね、なかなかね。そういう人はなかなか一つの番組から抜けがたいですからね。だから、自分が責任持って変えられる立場でいるほうがいいんですよね。

 多くのチャンネルを見る

質問:
 逆に、非常に親思いで、嫁さんはその次だとか。それで家庭が不和になってるような番組をやってる場合もあります。それと逆に、そういうことに執われずに、次から次に新番組を探し回ってる、そういう人もいます。それもその人の持ってる性格、何なんでしょうね。

ありがとうございます:
 過去の生き方が一人一人ぜんぶ違いますよね。どういう番組を過去に味わってきたかというんでね。それもどの程度味わったかというのでね。みんな生き方が違ってきてますんで、受け方がね。だから、今どういう生き方をしてるか、その人に一番必要な相応しい生き方かも知れないですね。

 だから、お節介に「この人の生き方、ちょっとおかしい」とかね、思わないほうが、その人の自由意志で選んで・楽しんで、一番いいんだというぐらいに見てあげた方が、自分が自由になると思うんです。その姿も自分の心の投影で鏡に映ってる姿かもわからないね。だから人のお節介をしたということは、結局そのお節介は自分に戻ってくるんですね。人からもそういうふうにいろいろ思われたり、見られたり、またそういうお節介を受けたり、結局自分の出したお節介の縛りがぜんぶ自分を縛ってくるね。その縛りの中に自分を置けば置くほど、また番組から抜けにくいね。だから、もうぜんぶ自由に離した方が、自由にどの番組でも見れる自由な立場に、自分を戻しやすいですよね。

質問:
 いきなり多くのチャンネルを見るほうがよろしいんですか。

ありがとうございます:
 そうです。その方が、ちょっとまたテレビ買わないと。ははは。五個ぐらい買ってみる練習をしないと。

 夢

質問:
 昼間の番組は大体わかったんですけど。深夜放送になると、夢の世界ですね、夢は何であるのかという夢の構造をちょっとお聞きしたいんですが。夢を見ますと、非常に楽しい夢を見る時と、非常に暗いというか恐いという時期もありまして、自分の知らない風景というか知らない人物も含めておどろおどろしい時もあるし、その逆の時もあるんです。夢はなんなのでしょうか、ということと、何のために見てるんでしょう、ということを。

ありがとうございます:
 自分の意識、意識というのは本当の意味の感謝の心の自分と思えばね。その意識の自分が今ある番組から自由に移動するんですね。今見てる一つの番組の肉体人間の自分がいてて、そして、その中で昼間はちやんと生きてるのね。夜は、魂・意識が抜けて、そしてより高い次元へ上がってエネルギーの補給を受ける、光を沢山受けてくる。そうするとマイナスヘ向くよりもプラスヘ向きやすい状態へ変えてもらうのね、前向きに。普通は、大抵その一つの番組の中へそのまま生きるんですけど。その次元を移動する時にいろんな番組を通過するんですよね。その時に、夢というのは大体意識が戻ってくる寸前のものを大体記憶に止めるのね。それと、「これが役に立つ」というふうに見せてくれる場合もあるの。そうすると一つの番組の中で生きてても、何かプラスの働きかけが加わると、意識をどんどんプラスに向けたり、次元を変えたり番組を変えたりするチャンスが生まれるんですね。夢の考え方でもいろんな説があるんですけど。

 もっと簡単に説明する人が多いですよね。例えば、守護霊さんの心のお浄めの働きが夢なんだとか。本当は覚えてない時も夜中じゅう夢を見続けてるんだとかね。マイナスをどんどん夢の形で投影して消してくれてるんだからってね。それも事実だと思うのね。そういう番組の世界では、そういう働きもあって、その番組の中をどんどんプラスに変えてくれる働きもあるんですけど。夢の見ない番組もあるんです、全然夢の見ない番組もね。そして意識もいつも覚めてる、という番組もあるんですね。だから、次元を変える為のそういう働きと、一つの番組の中でも夢を見ながらストーリーを良くしてもらえるという番組もあるんです。

質問:
 いい夢って簡単にお聞きしますとどんなのですか。いい夢を見てる時はどうだとか、悪い夢を見てる時はどういう。

ありがとうございます:
 だから、いい夢を見て心をプラスに向けられるのなら、いい夢を見た方がいいんですね。ところが守護霊さんなんかの浄めの働きだったら、悪い夢を見たたときほど沢山消してもらってる。守護霊さんは「マイナスを沢山消したよ」というんでマイナスを見せて残してくれたというね。まあ、いい夢見たときも、もっといい夢を現実化するために「程度の低いのは消したよ」という意味で、それも守護霊さんの働きと見るんだったら、どの夢見ても喜べるんだと思うんですけど。

 どっちもプラス

質問:
 会社を「やりたいことがあるから辞める」というのならまだいいのかなと思うのですが、ただ、何となく自分のやりたいことはこれじゃないな、という感じで辞めちやう方が多いんですけど。

ありがとうございます:
 やっぱりそれね、両方プラスの働きなんですよね。だから、業想念の心で我侭で自由勝手で辞めたのね。それもね、そのエネルギーが一杯あったらそれを発散させた方が早く消えるんですよね。それをやり尽くしたら、もう、いい生き方しかやれなくなるのね。また、本当に必要かなってあわなかったら、どういう理由が出てきても、どういう辞め方をしても、それも神様の愛の計らいで、辞めさせてもらってプラスに向き変えてもらうチャンスなんだ、というふうに見ていけたら、どっちもプラスの番組に変わりますよね。ははは。

 神様が笑ってくださる

質問:
 ありがとうございます先生は昔からいつも笑ってたんですか。

ありがとうございます:
 はははは。昔はね、もっとまじめな顔してた。

質問:
 感謝してたら自然に笑いが出てきたんですか。

ありがとうございます:
 そうね。神様が笑ってくださる。

 功徳

質問:
 仏教用語で「功徳を受けました」という表現の仕方があります。或いは「ご利益」とか。こういうのはやっばり倣慢な言葉のうちに入るんですか。

ありがとうございます:
 「功徳」というふうに受ける時は「謙虚」なんですよね。自分の力で手に入れたというんじやなしに、神様や仏様の力で与えて頂けた、というのね。ある意味では「謙虚」というふうに見た方がいいのね。だから、自分の力で手に入れたのは「功徳」と言わないですね、普通ね。

 助けてあげたい

質問:
 病気の重病人の人には、なかなか感謝の心は出てこないですが、出てきにくいと。重病にかかる原因は、気付けばいいと思うんですけど、なかなか気付けない、わからない、そして神様を悪く思う、何故自分がこんなにということで。そういう心でもっと悪くなるし、そういう悪循環になるかと思うんです。それを何が悪いのかわかってもらうためには、どういうふうにアドバイスをすればいいのか。また、そういう人にアドバイスをしてもわからないといった場合には、その人はもう死ななければわからないというか。傍で見てるとどうしても助けてあげたいという気持ちになるわけです。どうしたものでしょう。

ありがとうございます:
 神様が常に一人一人を完璧に護り続けてくださっている、ということを先ず認めたほうがいいですね。そして、人の自由を尊重して、絶対自由を縛らないという立場に立ってね。本当は神様への感謝があればプラスへプラスヘ必ず向いていくんですよね。絶対マイナスにはならないと思うんですよね、絶対ね。

 ところが感謝を忘れ、感謝をしない自由があるので、神様のそういうプレゼントを拒絶する自由もあるんで。それでどんどん低い番組へ移していくという。ある意味では別に悪いんじやないのね、必要な体験としては、それも必要なんですよね。それは「謙虚さを身に付けるために、勉強し続けてるんだ」と見ていけばいいんですね。

 この一生って本当は永遠の時間から見ると短いですよね。たかが百年、その中で何か一つすることが出来たら大きい収穫なんだ、と言うくらいに見てあげる方がいいんですよね。この世で一応好き勝手なことをしてきて、そして晩年になって治らない病気に罷って、心も変わらないで苦しんでるとしても、好き勝手なことをしてきたそのマイナスを「その治らない病気で大きく消してくださってる」という見方も出来るのね。そうするとこの世からあの世へ戻った時に、それがいろんな意味の反省の勉強材料になるんですよね。

 この世で気付かなかったら、あの世へ戻った時にマイナスが少なくなってて、よく分かる心が表面に多く出てね。やっぱり亡くなった時に、「必ず一生を見せてもらう」んですよ。一生の移り変わる姿を鏡で見せて一生の移り変わりを見せてもらって、やっぱり反省を迫られるのね。それでこの自分だったらこの界へいくのかなって。必ず自分で判断するんですよね。

 でも、「こういういいこともあったから、ここの極楽へ置いてあげようかって」ちょっと見せてくれるのね。ところがね、自分の一番落ち着くところ、と言うたらなんですけどね、一番相応しいところへ遠慮がちにずーっと降りていくのね。だから、ちょっとマイナスを一杯持って、悪いことをした人は極楽へ上げてもらってもちょっと居辛いんですね、居たたまれないんですね。そういう場合は落ち着く地獄へ行くかも知れないですね。そこでまた本当の勉強が始まるんですね。謙虚になってまたプラスヘプラスヘどんどん上がっていくね。回り道じやないんですね、逆に言うたら近道かも知れないんです。だから、中途半端に下へ降りるのを止めてしまうと、やっぱり納得しないね。

 未練が残って上へ上がってももう一回下へ降りようとする。ははは。だから、本当の神様の助けと言うのは、「ありがとうございます」を唱えた時に一番必要な助けを的確に受けるんですけど。もし、助けが出来るとしたら、代わりに「ありがとうございます」を唱えてあげると言うんですが、その人に「ありがとうございます」と神様を呼んであげたらいいんですよね。すると神様が判断して必要な助けを与えてくださるんだったら、その人にとっても最短コースを歩むというね。

 また、病気で死ぬんだったら死んだ方がいいよね。もし、治るんだったら治してもらえるね。それは任せた方がいいですよね。もう究極の最高の神様にね。そして、「ありがとうございます」と唱えてあげるのが一番いいんじやないかと思いますね。

質問:
 それは伝えるだけで、後は本人の自由意志で。

ありがとうございます:
 そうね。自由意志が一番大事ですね。アドバイスを聞き入れる聞き入れないも、それも全部「ありがとうございます」で任せられたらね。必要だったら聞き入れてくれるようになるしね、プラスに変化すると思うのね。

 社長を使ってる

質問:
 先月の話で面白いなあと思ったのが。社員が不満を持ってるうちは自分が使われてるとか。人間が大きくなったら社長を使ってるって逆に思えてくるという話しがあったんですけど。なかなかこれは面白いな、と思って。大きくなるというのは、感謝の見方が…、

ありがとうございます:
 そうですね。自分が感謝を積み重ねて感謝の心をしっかり身に付けたら、自然に自分の心と神さまの心が一致して、神様の心が自分の心になって出てくるんですね。神さまの心は元々大きいですからね。
 全部の総責任者みたいなもんでね、みんなを立派に仕上げようと思ってしてるんで、そういう立場に立ちやすいですね。そうすると一つの会社で自分が一番下の平社員でも、社長も何もかも自分の下で働いてるように見えるのね。「どうして立派に変えようか」ってそういう見方に変わるようになりますよね。

 下から見上げたい

質問:
 番組ですが。先生は1チャンネルから100チャンネルまで全部を見ていらっしやるのか、100チャンネルだけを見ていらっしやるのか。

ありがとうございます:
 100チャンネルだけを見てる時もありますし。一番謙虚に謙虚になって、一番下からぜんぶ仰ぎ見て一生懸命見ようとしてるんだけどね。もう「何もかもプラスに見たい」というね。だから、地獄番組もプラスに見てみたい、というのがあるんです。両方ありますね。でも、なかなかぜんぶ見切れないですよ。はははは。見切れないですね、やっぱりなかなか謙虚になりがたいですね。やっぱり本当の地獄を味わうのは大変ですね。みんな自分の身代わりにねえ、マイナスを背負ってくださってる愛の姿だと思っても、実際その場へ立つとね、違うんですねやっぱり。やっぱり、苦しい、痛いが先に立つのね。でも、下から見上げたいですね。ははは、ははは。どこまでもどこまでもあるみたいで…。




ありがとうございます


カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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