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0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.


 神様が大きいお役に使おうという時は、必ず先に人の何倍も苦労をさせてくるはずなんですね。それで心を鍛え上げてくる、磨き上げてくださるのね。いろんな勉強も先に済ませてきているはずですよね。そして最後に、自分の命も捧げて神様のお役にたちたいという奉仕の生き方をとるのね。

 そうでないとね、役に立たないですもんね。これはみんなが知ってるんですよ、自分が知ってるのね。皆さんご存知のはずね、心の中ではちゃんと納得してるのね。そういうお役の与えられた人が、これから感謝をぐんぐん深めて行くのね。深めて行くというより、神様が応援して感謝が深くなるように助けてくださるね。そして神様がそこへ降りて、大きい働きができるように力を添えてくださるのね。感謝するのも奉仕するのも神様の力なのね。人の努力じゃないですね。いろいろ苦労はしてきてますけどね。でも、努力して良くなるのじゃない、強く立派になれるんじゃないのね。みんな神様の方の働きかけによって立派に変えていただくのね。それで神様と人とが一体化して悟りを開いた神人にみんなが生まれ変わってきますね。

 その時に、やっぱり世界を平和にするための本当の力が一人一人を通して出てくるんです。みんな個性豊かにいろんな素晴らしい才能が生まれてこないと、本当は本物じゃないですね。みんなが同じような姿をとってるのだったら偽物ですよね。一人一人が個性が輝いて出てきて「みんなが違う」という感じで、尚且つ、感謝と奉仕の心は強く深いんだという、そして中心に神様がいらっしゃるというのがいいんですね。

 本物というのでもね、神様が中心になって、一人一人が神様のお手伝いに生きて、全体がバランスがとれて、本当に調和した大きい働きになるのが本物なんですね。人が勝手に組織をつくって、リーダーが上に立ってみんなを手足に動かすというのは偽物なんですね。

 軍隊のような、あの行列もそうですよね、行進を見てもみんな同じように見えますよね。ああいうのは偽物なんです。だから、一人一人が自由自在な心で個性を豊かに発揮して、そして神様に一つの調和した姿で使っていただくというのが、理想の本当の姿ですね。そういう姿を目指すんですね。本物の理想の姿とは何か、理想の雛形とは何か、難しいですけどね。いろんな分野の本物が必要になってくる。

 例えば、宗教の本物と言ったら、やっぱり教えを説くことじゃないんですね。教団をつくることじゃないんですね。教えを説いたり教団をつくったら偽物なんです、もう。そして自分の名前も出したら偽物なんですね。神様を中心に据えないと駄目なのね。

 その神様の愛の働きを現実化する為のお手伝いに、自分をパイプ役に使ってもらうのがいいんですよね。そして、自分は一番最低に落とすほうがいいんです。「みんなの身代わりだったら地獄へも喜んで行きます」と言わないといけないね。

 そして、お金儲けなんか絶対したら駄目なの、神様事でお金儲けをするのは大きい偽者なんですね。神様からはいつも無限の無限の幸せをいっぱい与えていただいているんですよね。その上に何でお金儲けをしないといけないか。恩返しだけでいいでしょう。だから、過去に幸せにしていただいた、プレゼントをいっぱいいただいた、その恩返しに今日一日ぐらいは無料奉仕で、全力で神様のお手伝いに奉仕すればいいね。

 一日といわず、百日ぐらいでもいいんですよ、はははは、何も食べずにでもね。本当はそこまでぐらいでもいいんだと思うんですね。だから百日ぐらい断食してずーっと奉仕するというのもいいんですよね。

 でも、そこまで気持ちを固めても、食べ物は与えられるんですね。誰かが口に放り込みにくる、はははは。本当にそうですよね。神様のお手伝いをしてるとね、断食もできなくなるんですよ。

 本当に「神様のお手伝いに生きる」というのが、本当は一番の喜びのはずなんですよね、恩返しの心でね。そうするとまた新しい大きい幸せ、新たな無限の無限の幸せを与え続けてもらえるね。また、それを受けたらまた直ぐに恩返しの気持ちが湧いてくるはずなんですね。

 だから、人って自分で生きているんじゃないはずなのにね、生きようとするでしょう。ねえ、生かされてるのにね。生かされてるのに何故生きようとするのでしょうって。それを無駄な努力という。

 呼吸させていただいてるのに、自分が呼吸をしようとするでしょう。そしたら夜中も寝ずにしなさいよ、はははは、ねえ、夜中はみんな寝てしまうじゃないですか。そしたら、わざわざ呼吸しなくていいですね、呼吸をさせていただいてるのね、生かされてるのね。必要なものは全部そうですよね。

 太陽も必要だからって神様が与えてくださるのでしょう。太陽がなかったらみんな死にますよね、空気も同じね、水も同じでしょう。大地が無かったら宇宙に浮いてますよ。もう全部必要なものは全部神様に先に与えてもらってるのね。今更、人が努力して手に入れなきゃならないものなんて何一つないはずなんですね。それなのに、それなのにって、みんな生きるために働いてる、生活のために働いてるというんですけど、本当にそうですか、はははは、みんな無駄な努力じゃないですかね。生きるために働かなくてもいいんですね、生かされてるのね。

 特に、この寿命が定められて、これだけの期間がこの世の勉強の期間と定められたら、その期間に全部必要なものを神様が用意してるんです、先にね、何の心配もないんですね。

 そしてこの世を卒業したら、またあの世の更にいい勉強の場へ移るだけでしょう。だから老後の心配なんかいらないですよ、そんなん。若いときから老後の心配して働いて貯金して。さてそれをどうしようかというと病気になったりして全部使い果たして心配するでしょう。ねえ、何をしているんでしょうねえ。それよりも、神様の恩返しにしっかり生きたほうが喜びが深くなるでしょう。そして神様の護りが無限に大きく完璧な護りになりますよね。




 「世界平和」について、ちょっと皆さんと一緒に考えながら勉強していきたいんですけど。

 本当の平和ってどういうものでしょうね、難しいですよね。「戦争がないだけ」というのでは、まだ平和ではないですね。本物の平和といういのはどういうものか、また、世界を平和にするのにはどうしたらいいかというのでも、本物の平和をこの世へ持ちきたすというのが大事だと思うのですけど。難しいですね、かなりね。本物の平和について勉強していきたいですね。

 「平和」という言葉、この「平」というのは、「みんな平等」という意味が含まれていると思うんです。人類・人間同士もお互い平等で、人間以外の万類ともみんな平等という感じね。

 「和」というのは「調和」だと思うんですね。役割がぜんぶ決まって、お互いが助け合って、生かし合って、本当に調和した姿をとってるという意味ですよね。だから、本当の自由が保障されてないといけないと思うんですよね。みんなの自由が最高に発揮されて、個性豊かに役割が決まって、それが全体としてバランスがとれて大調和の姿をとってる。これが本当の「和」だと思うんですね。

 だから「自由と平等」というのがなかったら平和じゃないんですよね。この本等の「自由と平等」というのをしっかり見極めないと、本当の平和はわからないと思うんですね。

 浅い自由とか平等では、まだまだ駄目なんですね。

 人間について「自分とは何か」というのでも、浅いとらえ方ではまだまだ自由と平等があっても、まだその自由と平等も浅いですね。奥深い自分をしっかりとらえて、その自分の本当の自由と平等を把握した時が本物だと思うんですね。だから、段階が無限にあると思う、本当の自由も本当の平等も無限の段階があるんですよね。だから、より本物の自由と平等へというふうに、一歩一歩みんなのぼってるのだと思うんですけどね。その本当の自由と平等をしっかりと見極めながら、心をそこへ向けていく、そしてそれをしっかりと体得して把握していくというのが大事だと思うんですね。

 でも、日本には、あまり自由とか平等を求めての運動って少ないですね。外国はそれが多いですね、自由がないから、平等ではないから、それをなんとか守らないとという強い運動が起こるんですね。

 その点、日本の人は、かなり自由と平等を既に与えられてて、本物を把握する感じが強いのかも知れないですね。もう自然にそういうものが与えられて備わってるというところがね。普通は、もっともっと自由と平等を命懸けで求めて、それを手に入れないとという感じが世界にはそういうものがあると思うんですね。

 みなさんも真剣に考えて欲しいんですけどね、本当の自由と平等についてね。

 この世だけを眺めてるとね「平等」といっても本当は無いんです。先ず、生まれたときの状態がぜんぶ違うでしょう。いろんな家に生まれますよね、またいろんな国にも生まれ変わりますね、男に生まれたり女に生まれたりしてね。そして運命がぜんぶ違いますよね、これはぜんぶ違いますね。細かいところまで見ると無限に違いが出てくるんですね。

 だから、この世を見てたら「平等」なんてあり得ない。もし、それを型にはめて同じようにしたとしたら、そこには、もう自由が完全になくなりますよね。 自由のない平等なんて価値がないんですよね。

 「本当の平等はこの世には無い」と言ってもいいと思う、断言できるんですよね。そしたらどこにあるか、やはり、人間の心の奥の奥の、更に奥の一番奥に神様が存在するんですよね、本当の宇宙絶対神がね。その絶対神の中に本当の平等ってあるんですね。だから、平等についても無限の無限の段階の平等というのがあるはずなんです。それを順番に段階を追って、奥へ奥へ近づけば本物の平等という神様の中へ到達するんですね。

 そこではどういう姿をとってるか―― 

 宇宙の大神様の最高表現としての、全大宇宙はどういう状態かと言うと、無限の無限の輝きが一杯なんですね。それも神様の働き・徳性の全てが無限に無限に輝いてるね。

 例えば、「愛」だったら、愛が無限に無限に輝いてる、「知恵」だったら、知恵が無限に無限に輝いてる、「幸せ」という徳性だったら、幸せが無限に無限に輝いてる。もう全ての要素がぜんぶ無限に無限に輝いた姿で、それが大調和しているんですね。そういう姿を一瞬一瞬神様は現わし続けてるのね。

 その神様の最高の姿、最高表現、最高の宇宙の姿を、心の奥底・核でしっかりとらえた状態、これが平等の姿なんですね。

 意識あるもの全て、人間だけじゃないんですよ、動物も、植物も、鉱物も意識ある存在の全てが、心の奥底深くで神様の最高表現を一瞬一瞬新たに受け直す状態ね。神様をしっかりととらえて、認めて、受けた状態ですよね。その状態において、みんな平等なんですね。

 その意識を持って自由自在にいろんな、例えば、無限の無限のチャンネルの番組が用意されているとして、そこへ自由自在に舞い降りてくるんですね。そして「この世」という一つのチャンネルに降りてきてるんですね。この世も細かく分けたら一つの番組ですけど、無限のチャンネルに分かれるね。この世に生きている人も同じ番組は見てないのね、みんな違う番組ね。細かいところまで比べてみるとぜんぶ違うね。

 ある人は無限の中の一つの番組を眺めてるのね、また別な人もちょっとは違う番組なんですよね、もうぜんぶ違うんです、だからね。同じ番組は誰一人見ることはできないのね。それは、もう一番上の自分から眺めると、無限の無限のチャンネルを与えられて、それだけの選択肢を与えてもらって、自由に一つを選んできてるのね。その一つを選んで、またこの世でいろんな立場の見方ができるんですけど。それも自由な立場に立って、それを楽しんでるってね。

 そこには、自由が全然束縛されてないですよね、それでいて、奥ではみんな同じものを受けてるのね。

 最高番組としての無限の無限のチャンネル全体を、神様から一瞬一瞬新たに与え続けてもらってるんですね、だから平等なんです。それでいて、いろんなチャンネルに舞い降りて、それを楽しんでる状態も、自由は絶対束縛されてないのね。自由にどの番組でも選べるのね、また、どういう立場からでも味わえる、どういう感じ方でもできるのね。ここに自由と平等は保障されてる。

 これが神様が意識ある全ての存在に与えてるものなんです、「最高のプレゼント」という。

 ここまでさかのぼった時に、はじめて平等感が出てくるね、本当の平等ってね。

 だから、天照大御神様という名前で、例えば、神様の名前を、最高表現としての名前を呼んだ時に、この天照大御神様を受け直して一体化して合体しないといけないですね。天照大御神様の全てを自分が受け直して、自分が天照大御神様というぐらいの感覚になったときが本当の平等。

 だから、いろんな平等のとらえ方があるんですけど、浅い段階、小さい段階ではまだまだ不平等そのものね。

 例えば、魂の段階に降りてきても、魂ってぜんぶ違いますよね、もうね。

 それで、「肉体人間」に降りたら、もう一つ限定された違いがいっぱい出てきますよね。

 それで、「命の自分」といっても、まだ小さい命の自分では全然違うんですよ、みんな持ってるものがぜんぶ違うんですよね。

 だから、一番奥までいかないと駄目ですね、やっぱりね、本当の平等はね。そして全てを受け直した状態ね。それでないと平等にまで行かないですね。部分的なだけを受け直しているのでは、まだまだ不平等ですよ。だから、神様の全てを受け直して、はじめて平等。

 でも、これはわかりにくいですね、大変ですね。想像を絶するぐらいのものだと思うんです。でも、そこまでいかないと本当の平等感が無いんですね。差別感の世界に落ちてしまうんです。

 「本当の平和」というのをこの世に持ちきたすのでも、一番奥へ戻らないとみんな崩れるんです。浅い段階の平和って掴んだとしても、直ぐにもろくも崩れ去るのね。だから、本当の幸せというのは、そういう自由と平等が完全に保障された状態ですよね。だから、本当はこの世にそういう自由と平等が保障された状態って無いんです、まだね。

 それは先ず、神様からのプレゼントの受け方が足りないんですね。先ず、無限の無限のチャンネルをぜんぶ受けないといけないですね。ところが「この世だけ、この世の宇宙だけ」というのを受けてると、無限の中の一つしか受けてないのね。そこに先ず、一番の問題があるんですよ。

 そして、「自由」と言っても、無限の中の一つだけ掴んだのでは自由が無限分の一になるんですね。選択肢が無限分の一に減ってしまうんですね。そうするとそれだけ自由がなくなったということね。

 それで、この世に降りてきて一つの番組を眺めているんですけど、この世でも全体を見てないですね、宇宙全体を見てないですね、まだね。

 本当は、宇宙全体が自分が見ている番組としても、この地球だけを見てたらまた小さくなるでしょう。

 地球全体を見ても小さいんですよね、そして地球の中ではもう一つ小さいでしょう、日本だけ見てるともっと小さいでしょう。それでまた、自分の肉体のまわりだけ見てると益々小さくなるね。

 小さく掴んだということは、結局、自分の自由を小さく小さく限定してしまってますよね。だから、どんどんどんどん心が縛られて苦しくなってくる。

 これは誰が縛ってるかというと、自分なんですよ、みんなね。他の誰かが自分を縛るんじゃないんですね。

 奥の本体の自分というのは、完全な自由と平等の保障された自分なんですよね。神様の全てを与えられて平等であり、完全な自由を保障されて自由自在なんですね。この自分が天から舞い降りて一つの番組を掴んでしまったというところがあるのね。そしてその中のまた部分に執われてしまった、そして益々小さくなってるでしょう。

 これは何故そういうふうになるかというとね、心の働きにも二つあるんですよね。

 過去を掴んで古い心になったのは「思い」というんですね、思いがどんどん溜まるとどんどん自分を縛るんです。

 でも、「感謝」をすると、新たに新たに受け直すんですよね。感謝は神様からのプレゼントを新たに新たに受け直すのね。だから、古いものを消す働きもあるのね、古いものを消してもらって新しいものを受け直すんですね。だから、「感謝」は自由をどんどんどんどん大きくするんですけどね、「思い」はどんどん縛りを大きくして行くんですね。

 普通、この世でいろいろな思いを出しながら生きていますよね。思いの中心になるのは言葉ですけど、いろんな言葉を使いながら、いろんな思いを出して生きているんですよね。

 その言葉が、思いが自分自身を縛るんですね。だから、縛りのない言葉とか、縛りのない思いというのはないですよね。どんないい言葉でも自分を縛るんですね、どんないい思いでも自分を縛ってくるんですね。

 その言葉や思いの縛りをどうして解いていくか、無くしていくか、消しきっていくか、これは一番大事なことなんですけど。どんな方法があります?

 これはみんな神様に預けないと消えないんですよね。自分の掴んだものを、自分が掴んで握ってるだけなんですけどね、古いものを掴んで握ってるだけなんですけども。一旦掴むと放せないですよね。

 ところが、丁度、太陽があって、太陽から光線がさーっと流れてきますよね。古い光が思いになってどんどん消えていくという感覚で眺めた時に、古い思いを消すのは新しい光を受けたらいいんですよね。新しい光をどんどんどんどん受け直してたら、古いのを相手にしなくなるのね。

 最初、太陽から光がすーっと出てくるでしょう、その光は放射されたらどんどん遠くになって消えて行ってなくなりますよね。その古い光にしがみついたら、どんどんどんどん遠くまで行って消されていくんですよね、古くなってね。

 ところが、新しい方へ、新しい方へ心を向けている限りはね、古いのは相手にしなくなるんですよね。それで、新しい光を、新しい光をというふうに受け直して行くと、古いのは勝手に消えて行くんですね。掴まない限り、とどめない限りは勝手に消えて行くはずなんですね。

 だから、思いの心というのは掴まなかったら消えて行くはずなんです、自然に消されて行くんですね。どんどん新しい光によって押し出されて、どんどん消されて行くはずなんですね。だから、新しい方へ心を向けるというのがね。これは神様の源ですね、光源の方へ心を向けることが、古いものをぜんぶ消してくださる働きですよね。そしたら神様へ心を向けたらいいですね。

 ただ、「神様」というのがちょっと難しいですね。どこにいてるかってわからないでしょう。神様のいてる場所、ご存知の方。

 でも、難しいことはないんですよ、神様はどこにでもいてるんです。どこにでもいてるんですよ、全体に満ち渡ってるんですけど。

 ただね、心の向きって大事ですよね。心の向きを言葉によって定めることが必要なんです。

 神様が天にいてるか、地にいてるか、心の中にいてるかとみんないろんな見方をするんですけど、ぜんぶにいてるんですよ、本当はね。ただ、神様を感じるには言葉で方向付けをして神様を感じ取っていくんですね。

 「神様ってどういうものか」というと、無限に無限に輝いているんですね。無限に無限に輝いているという言葉で心を神様に向けるんです。そうすると、その言葉の指し示す奥に神様がいてるという感覚で感じ取れてくるんですね。

 本当は、神様って全方向から、無限の無限の輝きが一杯という姿でやってくるんです、天からも地からも、右からも左からも、どこからでも神様を感じ取れるんですね。

 ただ、言葉の使い方って大事ですね、神様を表現する言葉、神様を指し示す言葉を使わないと。

 「無限の輝き」と言ったらまだ小さいのね、神様までは行かない。「無限の無限の輝き」と言ってもまだ駄目なんですけどね、かなり近くなるんです。

 「無限の無限の輝きが一杯」と言うと、神様へ心を、照準を合わせていくような感じですね。その言葉の奥に神様が厳然といるんですね。

 だから「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」と言うぐらいがいいですね。そうすると全方向からところてん式に自分の方へぜんぶ飛び込んでくる。

 だから、いつもそういう言葉を使い続けてたら自分のまわりはぜんぶ神様になるんですね。ところが、この言葉を普通は使わないですね。この世のことを表現するつまらんマイナスの言葉か、つまらんプラスの言葉を、それだけをいっぱい使い続け過ぎてるのね。だから、その言葉通りに方向付けして、この世だけを相手にするの。つまらんマイナスの言葉、つまらんマイナスの番組に波を合わすの、波長合わせてそれに心を向けてるのね。小さいプラスの言葉、小さいプラスのある低い番組へ心を向けてることになるね。光源へ、神様へはまだ向いてないね。

 でも、これは使う言葉通りなんですね、これは法則ですからね、言葉で方向付けをして、その番組を心を向けて見るようになってるのね。

 だから、神様をしっかりと見るためには、「無限の無限の何々」という言葉でしっかりと照準を絞りきらないとね。そういう大きいプラスの言葉を使い続けて、はじめて神様に心を向けたことになるのね。そうすると神様の方がスッと現われてくるのね。無限の無限のチャンネルの中でも、より高い番組が現われてきてくれるのね。

 幸せだったら「無限の無限の幸せが一杯!」という姿がスッと出てくるね。

 喜びだったら「無限の無限の喜びが一杯!」という姿がスッと現われてくるんですよね。

 それで、「神様の全徳の無限の無限の輝きが一杯!」というふうにまわりが感じられてきたら、かなり最高番組に近いんです。でも、最高番組はこの世では無理です、感じられないですよね。あまりにも差が大き過ぎるのね。

 この世で神様の最高の輝きに近いものを感じたと言っても、この世は低い番組なの、まだね。この世なりの輝いた番組なのね。

 本当の最高番組は、この肉体感覚を消しきって、五感六感の感覚をぜんぶ無くしてしまって一番奥まで入らないと。命の自分をどんどんどんどん奥へ入れて、本当に低い番組の縛りをぜんぶ断ち切っていかないとそれは無理なんです。

 それは別に慌ててしなくてもいいんです、まだね。まだまだ一番上から舞い降りてきたんですからね、もうちょっとこの世で遊んでもいいんですけどね。

 ただ、その縛りからは抜けないといけないですね。言葉の縛りで不自由になっているところを、プラスのいい言葉を使って、もう一回自由を回復しないとね。自由な心でもう一回番組選びというのが必要なのね。そしたらかなり奥へ入れますよね、そしたら本当の平等感というのをかなり感じられるはずなんですね。

 みんな神様からは、無限の無限の輝きが一杯の素晴らしいプレゼントを与え続けてもらってるという「みんな平等なんだ」という感覚が甦ったら、また自分が本当の「無限の無限の幸せ」という感覚が出てきたら、人に対しても求める心は起きないですよね、ただもう与えたいばっかし、幸せを与えたいばっかしという感覚になるんですよね。

 この宇宙の大神様という根源の神様が、最高表現の姿で「天照大御神様」というふうに現われた時にね、この神様の目的は何かというのね。

 「天照・あまてらす」という言葉の意味ね、「天・あま」は宇宙全体ですよね「てらす」という照らす働きなんですよね。天照大御神様は自ら無限に無限に輝くと同時に、他を照らす働きをするんですね、与える働きなんです。自分だけが輝いて幸せというのじゃないんですね、みんなを輝かすんですね。

 だから「無限の無限の輝きが一杯!」という姿で現われた天照大御神様が、みんなも同じように輝かそうとするね。無限に無限に輝いた姿をとらそうとするんですね。それで「無限の無限の輝き」というのをぜんぶに与え尽すのね。そうすると「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」という状態になるんですね。これ全体をひっくるめて「大きい天照大御神様」となるのね。

 神様は常に小さい喜びを味わってるんじゃないのね、どんどんどんどん喜びを拡大していくんですね。

 だから、神様が人と現れて、人というか神様の分身ですよね。分身をこれだけ無限にたくさん創るのは、一人一人の体験がぜんぶ違うわけでしょう、幸せの味わい方がぜんぶ違いますよね。ぜんぶの人の体験、幸せの感じをぜんぶ取り込むんですね、神様はね。だから、みんな必要なの、神様にとっての分身になってるんですね。

 一人一人が天照大御神様と同じだけの感覚に戻らないといけないですね。「無限の無限の輝きが一杯!」という状態の感覚に戻って、そういう人たちがまた無限に無限にいてるわけでしょう。

 だから、神様の目的は、自ら輝くと同時に、みんなを輝かせようとしているね。その分身としての人も、そういう同じ目的を持たないといけないですね。

 「人生の目的」ってね、いろんな目的がありますよね、これも無限にあっていいんですね。段階が無限にあると思うんです。ただ「本物の人生の目的は何か」本物という限りはね、神様の目的と一致しないといけないね。神様の目的と一致した時が、人生の本当の目的。

 浅い目的はいろいろあるんですよ、段階は無限にあっていいんですけど。

 でも「本当の人生の目的とは何か」と考えると、自分が最後に納得するのは、神様の目的と一つになったときなんですね。途中ではまだ満足しきれない。だから、自ら無限に無限に輝くというのが、やっぱり大事なんですね。それと同時に、全ての存在、全てのものを無限に無限に輝かせるという、これも目的なんですね。そうすると、そこに生き甲斐も喜びも湧き上がってくる。

 やはり、人生の目的を定めないと、本当の目的を定めないと生き甲斐は無いんですよ。喜びも湧き上がらないですね。

 人生の目的について皆さんもある程度悩まれたこともあると思うのね。また、悩む時期が必ず誰でもやってくるんですよね。「何の為に生きているのか、生かされているのか」ってね、小さい意味の目的じゃなしに、本当の意味の、大きい意味の人生の目的ね、生かされてる目的がわかった時にはじめて自分の心が納得するのね。だから、中途半端で納得できない人は、かなり深いところまで自分の意識が行ってるんです。

 浅い段階では中途半端な目的で満足するでしょう。でも自分の意識が深く入ってくると、小さい目的では納得できなくなるね。そういう人はかなり神様に近づいていると言えるのね、本物へ近づきつつあるのね、もうちょっとで深く入れる。

 神様へより近づけば、神様の目的と自分の目的と一つにスッと融け合ってくるね。そうなったら心から喜べるのね。

 そして「平等」というのも、やっぱりそこまで行ってはじめて平等でしょう。

 日本には天皇陛下がいらっしゃるよね。皇室というのは天照大御神様の子孫というふうに、普通はとらえて「中心者」というふうに見てるでしょう。でも、これは言葉の縛りなんですよ。そういう言葉を使った人の縛りにあって、皆さんは縛られてますよね。言葉はもっともっと自由な言葉でないといけないと思うのね。

 全ての存在は天照大御神様の子孫よ。

 全ての人が宇宙の中心よ。

 神様は別にエコヒイキして天皇家だけを、天皇陛下だけを中心に置いたり最高の位置に置いてないよ、みんな平等なんよ。一番奥の元ではね。

 本当は誰でも宇宙の中心に立って宇宙の天皇になれるのよ。ただ、みんな平等だから、またみんな神様の無限の無限の謙虚さというのを持ってるから、自分から中心になろうとはしないわね。みんな謙虚に譲り合うのね、みんなね「私は一番最後で結構です」ってぜんぶ言うのよね、奥の本体の自分がね。だから譲り合って誰もならないのね。最後に一人、神様が定めてくれるよね、その時は誰かがなるのね。これは誰が偉いからとか、どうのこうのと違うよね。みんな平等の立場にあって、その一人の人を宇宙の天皇を選ぶね、神様はね。

 また、太陽系の中心に一人の天皇がいるのよ、地球にも一人いるよね、中心者としてのね。一人誰かを選ばないといけないね。

 中心ってやっぱり大事ですよね、中心があるから調和するのよね。だからいろんな中心がいっぱいあるでしょう。この中心がたくさんあって、ぜんぶが調和しないといけないでしょう。

 その中心になった人が偉いんじゃないのね、一番謙虚なんよ。一番下に立って、全責任を持って全体の調和を図るのね。だから、中心に立つのは大変なの、本当はね。みんなのマイナスを一心に背負わないといけないのね。「本物の中心」ってそういう意味よ。

 でも、低い番組は上に立つのを中心だと錯覚するのね。上に立ってみんなを支配するのが中心かなと思うでしょう。でも、そういう権力者的な、上に立つ生き方は本物の中心じゃないのね。でも、それも低い段階では中心と言えるのね。でも、高い番組で「本物を中心」と言うのは違うね、自分が一番下に下りることね、みんなを支えることなんよね。それもみんなが本当の自由を発揮してそうなるのね。

 この世で「民主主義」という言葉があって、民主主義にも本物と偽物があるんですよね。

 浅い民主主義は、やっぱり偽物なんよね。奥深い自覚の民主主義が本物なのね。自分が単なるこの肉体人間ととらえたときは、浅い民主主義ね。この時は、まだ奥の本心が輝き出てないから、思いの心を生きるのが多いよね。思いの心で多数決で決めていろんな意見が出てまとまらないでしょう。

 でも、一番奥の本心同士の民主主義は、最高の言葉はわかる、直ぐにね。多数決で決めなくてもいいのね、みんなの意見が一致してしまうのね、スッと衆議一決するってね。どんな問題があってもパッと一瞬に一つにまとまってしまうのね。これが本当の民主主義よ。

 だから、一人一人の心の状態で変わるわけよね。

 この世に本当の平和な世界を実現するには、一番奥の姿を降ろしてこないといけない。だから一人一人の自覚が神様と一体の自覚まで戻らないと、本当の自由と平等をしっかりととらえてこないとね。そしてみんなで力を合わせて協力して、スッと最高番組の極楽世界を現実化するのよね。

 そうしたら、今の政治家のしているような足の引っ張り合いなんか無いよね。お互いにいいものを褒め合うだけなんよね。足りないところを補い合うだけでしょう。だから「いいことをやりたい」と言ったら、もうぜんぶが協力してサッと仕上げてしまうでしょう。そんなん、問題なんか一つも起こらないね、即完全平和実現というような極楽世界がすぐ現われるのね。

 でも、やっぱり奥へ戻るのが、まあ難しいかも知れないね。奥の自分に、奥の自覚に戻るという、本当に神様と一体の自分の自覚へ戻らないとね。ここへ戻るのが今の時期、一番大事なのね。

 でも、神様は戻るのに難しい方法を用意しているんじゃないね。一番上から、天から舞い降りて、いろんな番組に心を合わせて降りてきて、仮にそれに執われてはまり込んで抜けられんというときに、すぐに抜ける方法を先ず用意してくれてるのね。ちょっと心を自由にするだけでいい。

 これはどういう言葉か「ありがとうございます」という言葉なんよ。これは誰が発明した言葉でもなんでもないんだけどね。最初からある言葉ね。最初から全体を把握する言葉として、心を自由にする言葉として存在してるね。その言葉を神様は最初から与えてるのね。そして必要になった時に気づかせるね。

 「ああ、この言葉に力があるよ」というのに気づかせてくれるね。また、知らず知らず使っているうちに、心を自由に変えてきてくれる。だから、何気なしに「ありがとうございます」を使ってるうちに、いつの間にか心が自由になってくるのよ。思いの縛りが解けてくるね、これは不思議なのね。どれだけ思いの縛りで苦しい時も、嘘でも何でもいいのよ「ありがとうございます」を連発してご覧よ、心が軽くなってくるね、縛りがスッと消えて行くのよね。

 それで、その心の縛りが解けると同時に、プラスの方へプラスの方へ心が向いて選択肢が広がって行くのね。それで自由に心がなってくるのね。自由になってくると、また最初の自由自在な本体の自分へ戻りやすくなる。

 だから、人というのはいろんな番組に執われては、また自由になり、執われては自由になりという。そしていろんな番組をいろんな角度から味わって、最後には最高番組に戻るんですよね。だから、ある時期は執われないといけないみたいですね。一つの番組をしっかり味わうという意味でね。でも、自由にまた戻らないと、次の番組に移れないですからね。でも、無限の無限のチャンネルをぜんぶ味わうって大変でしょう。万のチャンネルでも大変でしょう、一万のチャンネルをぜんぶ味わい尽すのは大変でしょう。でも、みんなチョッチョッチョッと摘んでは見ているような感じで、ちょっと体験して早く最高番組へ戻るんですよね。

 最高番組を何故最初から味わい続けて、それだけで終らないか。これはやっぱり最高番組だけを見ててもとらえ方が浅くなるのね。一大交響楽が流れてるとするでしょう、初めて素人がその音色を聞いて「ああ、素晴らしいな」と感動する心と、いろんな楽器の演奏の仕方を、一つ一つ部分的に勉強してぜんぶマスターした人の感じ方と全然違うでしょう。全ての楽器の演奏の仕方を学んできた人は、更に細かく区別して聞き取れますよね、味わい方がグンと深くなるのね。

 だから、最高番組だけを見てるのも同じなのね。他のいろんな番組を順番に体験して味わって、そして最後に戻った時に、中味の濃い味わい方ができるでしょう。同じ最高番組を味わうのでもね。

 そういう意味で、いろんな番組の体験って必要になってるんですね。

 だから、「この世を平和にしないといけない」と躍起になってる人もいますよね。でも、本当はそうじゃないんですね、心が本当に自由で平等な感じを取り戻せばいいのね。この世の番組を自分勝手に変えることが大事なんじゃないんですね。神様の創った番組を、人が勝手に変えるわけにはいかないのね。もっと低い番組、戦争ばっかしの番組もあるよね。殺し合いの、争いの地獄絵図のような番組もあるのね。でも、それも番組としては必要なのね。その番組を勝手に変えようと思っても変らないし、変える必要もないよね。

 ただ、自分の心が自由と平等を回復すればいいね。そして、自由な心に戻って必要な番組をこの世へ降ろせばいいでしょう。ちょっと平和な心を持てば、この世は平和になるじゃない。どの番組でもスッとこの世に引き降ろせるよね。

 だから、この世はあの世の番組の縮図なのね、あの世は地獄から極楽まで無限のチャンネルの番組があるわけね。あの世の地獄から極楽までの番組のぜんぶを、言葉によって、心によってこの世へ引っ張り出す、あの世のどの番組でも自由に引っ張り出すようになってる。

 だから、あの世の地獄もこの世に引っ張り出せるし、あの世の極楽もこの世に引っ張り出せるのね。それで、この世のチャンネルが無限のチャンネルに分かれてるの、細かくね。その言葉の使い方によって、平和な番組を引っ張り出せばいいでしょう。そしたらこの世なりの平和番組ができてくるね。

 だから、この世の地獄も、あの世の地獄と比べたら取るに足らないよね。万分の一か、億分の一の苦しみの世界ね、この世の地獄はね。

 極楽も同じなのね、あの世の極楽はこの世の極楽の何億倍以上の素晴らしい極楽。ただ、縮図としての、模型としての極楽の姿がこの世に降りてくる。

 平和も本当は同じね。一番奥の最高番組としての平和の姿と、この世に降ろした平和とは比較にならないぐらい違いがあるのね。本当の平和の小さい模型的な平和がこの世には降りてくるけど、一番奥の完全平和なんてとても降りないよ。この世なりの小さい平和なのね。

 でも、この世なりの平和でも、最高番組をこの世に降ろした平和だったら凄いよね。みんなが感謝が深くて、与え尽す心がいっぱいで、本当に助け合いの姿をとって、人だけじゃなしに、動物も植物も鉱物もぜんぶが、褒め合って感謝し合って喜び合ってという大調和の姿をとるよね。どこにもマイナスは無いという。

 これがこの世の完全平和の姿という姿で出てくるね。

 そのために必要なことは何か。本当は「ありがとうございます」一言なのね。「ありがとうございます」という言葉の力に気づけばいいだけね。神様の大きい助けが一言に降りてくる、「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」という、こういう神様の大きい光の働きが降りてくるのね。ただ、その降り方が一人一人の順番に合わせてくれるから、必要なだけを順番に降ろしてくるんだけど。その順番に降ろしてもらったものを受けるのに、ちょっと時間がかかるだけね。必ず大きい光を受けられる自分に変わった時に大きい光を与えてくるのね。

 ただ、それもみんな同じなんよね、言葉の使い方がいろいろだからよね。「ありがとうございます」一言に絞り込んだ人はまだ少ないよね。他のいろんな言葉を使い過ぎるでしょう。それもプラスだけじゃなくて、マイナスまで使うでしょう。

 それで、神様の方は順番待ちで、順番に光を強い光に変えては与えてくるのよね。だから、ある程度の人が「ありがとうございます」に絞り込んでくれるとかなり大きい光がダッと降りるから、まわりがいっぺんにパーッと明るくなるような感じで平和がすぐに実現するんですけどね。

 でも、まだまだしつこくマイナスの言葉を使いたい人もいてるじゃない。それも強制はできないわね、プラスの言葉を使いなさいというふうにね。最初からみんな自由だからね。

 ただ、みんなが「ありがとうございます」と言い始めたら、それに習ってくる人が増えてくるね「ああ、そのほうがいいか」と気づいてくる人が増えてくるのよね。

 だから「ありがとうございます」は世界平和のための言葉よね。世直しの言葉ね。