0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

AR135 2003年 5月17日 昼





 三種の神器
司会者:
 「三種の神器」についてお話していただきます。ありがとうございます。

ありがとうございます:
 ありがとうございます。「三種の神器」と普通は言われてますね。 

     「八咫の鏡・ヤタノカガミ」
     「八坂瓊の勾玉・ヤサカニノマガタマ」
     「草薙の剣・クサナギノツルギ」 

 皇室に伝えられてる天照大御神様からのお守りみたいなものですね。それについてちょっと説明していきたいと思うのですけど。


     ★ 天照大御神

 先ず、宇宙の大神様が最初に全大宇宙を創造されますね。その時に、絶対の姿を相対の両極に振り分けて、それを螺旋状に組み合わせて、宇宙の全てを生み出してくるんですね。その絶対の中には全ての全てが海のような姿で「無いものは無い」というぐらいに詰まってるわけですね。だから、光の光源のような姿、「無限の無限の大光源」というような姿で「絶対」というのがあって、その中にいろんな要素が全部あるわけですね。

 それを相対の両極に振り分けると、例えば「光と闇」・「生と死」・「美と醜」・「善と悪」・「時間と空間」も全ての要素をぜんぶ相対の両極に振り分けて、それで組み合わせていく。その組み合わせ方が、また単純じゃないんですね、本当はね、無限に複雑なんですね。そして、その神様の創造された宇宙が、最高表現として「天照大御神様」という姿をとって、全体宇宙が輝きに輝く姿をとるんですね。「神さまの名前」というのは「働き」を指してるのね。

 「国」といういのは「組み合わせ・組合す」というので「国」になるね。国土とか形あるものは全部ね。だから、肉体も一つの「国」なんですね、原子も一つの「国」とかね。「神さま」というのは、奥の働きの方を主に指すんですね。だから、目に見えないですね、目に見えないですけど感じられるんですね。

 「天照大御神様」というのは、宇宙の大神様の最高表現として、神さまの全徳の無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯という姿をとって、一瞬一瞬新たに出続けるのね。その、天照大御神様の全体像というと、チャンネルでいうと、無限の無限のチャンネル全部なんですね。一番最高のものを頂点に、一番下まで、無限の無限のチャンネルとして全部とり揃えた状態が、天照大御神様の全貌・全体なんですね。

 それで、一人一人、意識あるもの全部、天照大御神様の前に立った時に、みんな平等なんです。そして天照大御神様の全てを受け直せるの。それも、完全な自由を保障されて、自由自在に、受け方も自由だし、またそのチャンネルのどの番組へでも自由に舞い降りて、どの番組を選んで楽しんでも良いようになってるね。そして、完全な自由と平等を保障されて、人は天照大御神様の前に立つと平等、それだけのもの凄いプレゼントを与え続けてもらってるので、みんな謙虚に謙虚になるしかないでしょう。無限に無限に謙虚にへりくだるんですね。だから、「もう、一切の我を出さない」という姿が「本当の自分」ですね。皆さんの本体が全部そうなんです、同じなんですよ。

 その「本体の自分」がいろんなチャンネルに降りてくると言うと降りてくるんですね。また、この世という一つのチャンネルに舞い降りて、この世を最高の姿に先ず置き換えて行こうかなという感じですね。この世は中間点ぐらいと考えていいですね、無限のチャンネルの中の中間点。そこへ、最高理想の姿を、この世的に現わしてみよう。上から舞い降りてきて、この現実の中間点へ、最高理想の姿を形に現わそうとするのね。それで降りてくる時に、神さまの大きい守りって必要ですよね。最高理想を持ってきてさっと移せるかというと、難しいですね。

 例えば、景色を眺めて「ああ、素晴らしいな」と感じた時に、一枚の紙へ絵として描く時に、すぐにサッと描ける人というのはいないですよね、普通ね。練習に練習を重ねて天才的な能力を発揮するんですよね。最初は、やっぱり練習を良くした人がお手本を示してこないと駄目でしょう。だから、大勢の人が、例えば地球というところに神さまの最高理想の姿を、この世に現実化していこうという時にはね、一人では無理なんですね、みんなが協力し合ってつくり上げるんですけど。でも、最初はお手本を示す人が必要になるんですね。それが代表的に一人の人が選ばれるんですね。


     ★ 天孫瓊瓊杵尊・テンソンニニギノミコト

 例えば、「天孫瓊瓊杵尊・テンソンニニギノミコト」という方が、地球人類の代表として選ばれて、天照大御神様から託されるわけね。「この地球を平和な理想の姿に変えなさい」というふうにね。その時にお守りとして与えてもらうのが、この「三種の神器」なのね。これは、神さまの最高理想の高い波と波長が合いやすいお守りなんですね。また、それがあることによって、忘れずに済むわけね。神さまの護りを「神さまはいつもいつも護って下さってる」というのを忘れずに済むわけね。また、神さまの御心をお手本にして、その通りに生きようという、そういう気持ちにもさせてもらえるのね。いろんな意味合いが沢山あるんですよね。そして、その三種の神器を携えて降りてきて、そしてみんなが協力し合って、この地球を平和な理想の姿に、しっかり変えようとしてるんですね、今はその過程なんです。

 先ず、「地球全体」というとあまりにも大きすぎるでしょう。だから小さく先ず「日本の国」となるのね。日本の国でも全体というわけにはいかなかった昔はね、一部なんですね。でも、一部を先ず理想的な姿に、先ず変えようという働きから始まるわけですね。いずれは、地球全体を本当の平和な理想の地球に変えていくのね。ただ、この一人の人がなんぼ頑張っても駄目ですよね。

 例えば、天皇陛下が、もう本当に命懸けで頑張りに頑張っても無理なんです。地球上に全ての人が神さまの御心を本当に理解して、それを現わそうとして、みんながそれぞれに能力を発揮しないと、本当の完全平和な理想の世界というのは生まれないね。そういう学びをみんな順番にズーッとし続けてきてるのね。そして、今の時代が特に最後の仕上げの段階だと思いますね。神さまの御心を本当にしっかりと把握して、そして理想的な地球を創り上げていくのね。ただ、その時にお手本になるのは、やっぱり天皇陛下のあり方、生き方なんですね。また、その三種の神器の本当の働き・意味合いをしっかり把握していくということも必要になってくると思うね。


     ★ 「草薙の剣・クサナギノツルギ」

 「草薙の剣・クサナギノツルギ」「x(クス)ナリの剣」ということから、ちょっと話をさせていただきますけど。これは「八岐大蛇・ヤマタノオロチ」って、頭が八つの大蛇ですよね。須佐之男命・スサノオノミコトがこの八岐大蛇を退治して、その尾っぽのところから見つけ出されたのが「天叢雲・アメノムラクモ」という剣なのね。それが、名前をまた変えて「草薙の剣」になるんですけど。「天叢雲」というのも深い意味があるんですね。また、その剣がその後「日本武尊・ヤマトタケルノミコト」が火を放たれて焼け死にそうになった時に、その草薙の剣によって、逆にこっちから草を刈って火を放って、身の安全を図れたという言い伝えがあるんですね。そういうところから草薙の剣という名前に変わってるんですけど。それはあくまでも表面的な小さい意味合いですね。

 本当の「草薙の剣」という意味は、宇宙創造の段階、最初の段階で先ず「天の沼矛・アマノヌボコ」というのが出てくるね。宇宙創造の本当の神さまの力が一つに結集したような形のものですよね。それで、宇宙の全てが創造されるんですけど。一番根源の「草薙の剣」というのはそうですね、「天の沼矛」なんですね。それが段階を追って順番に出てきてるんです、だから一つや二つじゃないですよ、いろんな種類の出方があるんですね、段階ごとにね。それが、この世的には諸刃の剣のような姿をとってるというんですけどね。これはあくまでも奥から見ると小さい模型、模型の模型のもう一つ模型という感じですね。その中味の働きの方が大事になるんですよね。

 「剣」というのは、鎌にもちょっと形が似てるでしょう。曲がってるこういう感じですよね、すべてを「乱麻を切り分ける」ってね。全部を、問題を整理整頓して解決するというような感じで、どんなものでも切り分けることはできますよね。それで、適材適所に配置するという働きがあるんですよね。 「草薙の剣」というのは、宇宙の大神様の宇宙創造の時の三大根本神力の一つなんですね。

 先ず一つは、放射する働き、光を放射する働き、螺旋状に放射するんですけど。その放射されたものを組み合わす働きが、先ずこの草薙の剣の働きね。組み合わさったものが形あるものに生まれるんですけど、これが「八坂瓊の勾玉・ヤサカニノマガタマ」という勾玉なんですね、‘形あるもの’という意味ですけど。その組み合わせが本当に複雑なんですよね、無限に複雑なんですね。螺旋状に組合すというのでも、方向が全方向、そして中心が無限にある。ちょっと想像を絶するんですけどね、それを説明するって難しいから、できるだけ単純に単純にというふうに模型を使って説明してるのね。


     ★ キリストの十字架

 キリスト教の「十字架」ってあるでしょう。「十字架」という意味もいろんな深い意味があるんですね。先ず、縦と横を組み合わす「相対の両極を組合す」という意味ですよね。これは草薙の剣の一つなんですよ。十字架の意味も一杯ありますよね、普通、磔になったというふうに見る人もあるんですけどね、それは表面の浅い意味なんですね。先ず、偽物を抹殺する、すると本物が復活するという意味ね。だから、クロスして失くして復活させるプラスなのね。それでまた、大犠牲精神でね、磔にかかるという事は、もの凄い愛の極致でしょう。そこには神さまの愛が燦然と輝くというような感じでしょう。


     ★ 仏教の卍

 それに、仏教の「卍」というのも同じなんですね。今度「卍」となると、「巴」というんですが。先ず、勾玉が一つあって、これが二つ組み合わせると「巴」になりますよね、「二つ巴」・「三つ巴」・「四つ巴」ってありますよね形でね。太鼓なんかによくそれを模様としてありますけど。 この勾玉が最初の一番原点の形あるものなんですね、螺旋状に組み合わさって、形が生まれてくる、その一番元という感じですね。それも、やっぱり種類が無限に分かれていくんですね。 それを単純化して現わすと、仏教の「卍」なんですね。「卍」も、だから「草薙の剣」なんですね。 世界に通じる、いろいろな草薙の剣の働きをする模型がいっぱいあるんですよね。

 仏教では、いろいろお「浄・清」めする時に「独鈷」ってあるでしょう。三鈷杵とか、五鈷杵とか、あれはみんな草薙の剣なんですね。よく似てるでしょう。剣というと、刀のこういう感じだけじゃないのね。あれはそういう感じの格好をしてるでしょう。だから、すべての組み合わせを完璧に成し遂げる「知恵の働き」ですよね。神さまの本当の英知ですね。そして全ての難問題を即座に解決する知恵なんですね。また、すべてを適材適所に配置するとか。先ず、無限の無限のチャンネルが生まれること自体が知恵でないとできないでしょう、神さまの知恵が無いとね。

 また、一つのストーリーでも、神さまの知恵で創らないと、同じものをやっぱり二つ創ってしまいますよね。同じものは二つと創らない、また二度と同じことを繰り返さないといったら、もの凄い英知がいりますよね。だから、そういう英知の働きが、草薙の剣の働きでもあるわけね。 その「草薙の剣」という一面をとらえると、いろんな働きがみえるんですけど。これを同時にね、一番ここが大事なところなんですけど。 この「八咫の鏡」であり「八坂瓊の勾玉」なんです。元々、この三つは一つなんです。

 例えば、現代のわかりやすい言葉でいいますとね。
「命」と「愛」と「知恵」とみますと、「命」が光の放射する「八咫の鏡」ね。「知恵」が「草薙の剣」で、「愛」というのが「八坂瓊の勾玉」ですよね。 だから、形あるものは全部愛の心で物質化して形あるものにするんでしょう。 また、「真・善・美」という言葉を使うと、「真理」というのが「八咫の鏡」ですね、光の放射ね。 「美」が「八坂瓊の勾玉」勾玉のほうですね、いろんな形あるものを生み出す働きね。「善」というのが、すべてを調和させる働きで、「草薙の剣」なんですね。その「真・善・美」が三種の神器なのね。「命と愛と知恵」が三種の神器なんですね。 「ありがとうございます」も三種の神器なんです。ここに「愛も知恵も命」もあるわけですね。だから、模型的には、この世にもいろんな種類の模型がいっぱい降ろされてるのね。 その全体像をとらえていくというのが必要ですよね。草薙の剣は今話したような感じなんですけど。


     ★ 「八咫の鏡・ヤタノカガミ」

 一番大事なのが「八咫の鏡・ヤタノカガミ」なんですけどね。「八咫・やた」というのは「いやた」という意味なのね。 無限に無限に進展するという、放射されて進展する、進むという意味なんですけど。 「鏡」は「輝く身」ですね。姿を映す鏡というのは、あくまでも裏面の話ね、裏の話なんですね。 光り輝く、輝くのが「鏡」なんですね。「輝く身」という意味で天照大御神様の一番中心の働きを現わすんですけど。

 天照大御神様というのは、自ら無限に無限に輝くと同時に、他を照らす働きをして、照らされたものも無限に無限に輝いて、その全体を全部一つにひっくるめて、大きく無限に無限に輝いた姿が天照大御神様という姿をとってるんですね。 そして、その天照大御神様の働きの姿を模型的に見ると、皇室の御紋章ですね、「十六菊の御紋章」ね。十六の方向に放射されてるということも模型的には大事なんですね。普通は一方向、それでは足りないですね。二方向も足りないですね。先ず四方向、四方に出て、八方に出て、十六方向に出るんですけど。最初の組み合わせから見ると、順番に法則通りに放射されて行って、一番最初の原点になる模型的なのが十六方位の十六菊なんですよね。 実際はそれを無限に無限に複雑化したものを全部束ねて「八咫の鏡」なんですね。だから、この「八咫の鏡」というのは、無限に無限に輝いて、更に無限に無限に輝いて、全体を総まとめにしたような姿。それで十六菊の紋章として模型がつくられてるんですね。

 仏教は「蓮の花」を使いますね、蓮華、蓮の花をね。これも大事なんですね、十六菊と同じなんです。花弁が十六方位に出て輝いているという姿を、仏教でもそういう模型的に「八咫の鏡」を現わしてるね。だから、神さまからぜんぶ降ろされてますからね、地球上の全てにね。いろんな降ろし方があるんですけどね。みんな一つの目的を持って、みんなが協力し合って、早く地球を完成された理想の地球に変えようと、働き続けてきてるんですね。 だから、日本の皇室だけが尊いとか、日本の国だけが尊いんじゃないんですね。世界の全てが協力し合って、共同作業でどんどん地球を立派にしようというふうに進化し続けきてるわけですね。 人も生まれ変わりは、いろんなところに生まれ変わるでしょう、日本だけじゃないね。外国にもあちこちに生まれ変わっては、全体的にみんなが平等に調和した姿で助け合って、どんどん地球を良くしてきてくれてるね。


      ★ 「八坂瓊の勾玉・ヤサカニノマガタマ」

 「勾玉」ですけどね、「勾玉」というのは、おたまじゃくしのような形が基本になってるんですけど。本当はおたまじゃくしだけじゃないんです。「曲がった玉」というのは、表面のごく一部のことなんですけど。「マアカタマ」と言うんですね本当はね「マアカ」というのは「完璧な玉」と言うんですけど。 その中には「無限の、全ての、完璧な形あるもの全部」という意味があるんですね。これが本当の意味の「勾玉」の姿なんですね。だから、宇宙に生み出された全ての形あるもの、ぜんぶ勾玉なんです。それを全部ひっくるめて束ねて、一大統一し、一大調和させた姿、全体像が「八坂瓊の勾玉・ヤサカニノマガタマ」ね。

 これが天照大御神様の体、玉体なのね。天照大御神様の玉体の模型が、この「八坂瓊に勾玉」ね。それを見る事によって、いつも天照大御神様と一緒という気持ちになりやすいでしょう。 普通、お守りに頼らない時は、お守りは無くても良いんですけど。でも、ちょっと心が心配して安らぎがなくなった時は、お守りがある方が良いですよね。「これさえあれば護られてるんだ」という信念が強くなりますよね。特に遠くに出掛ける時は、外国旅行へ行く時はやっぱり心配ですよね。飛行機が落ちないかとかね。

 だから、最初に「天孫瓊瓊杵尊・テンソンニニギノミコト」がこの地上に降り立つ時はそうだと思いますね。もっと心配だったかも知れないですね。今まで見た事もないところへ行くんですよね。それも低い世界へ降りてくるというのね。 天から雲の下へ降りて、地上で何かをしようというのですからね、心配で心配でたまらないかも知れないね。その時にやっぱり天照大御神様が、「これが本当の力あるお守りだよ」というふうに授けて下さるという事は、深い意味があると思うね。

 三種の神器の意味は、まだまだ深い意味がいっぱいあるんですけど、簡単にみたらこんな感じですけどね。神さまの命と・愛と・知恵を受けて、この地上を平和な世界にしようという感じなんですね。 その為には、一人一人にとって一番必要なものは何か。


     ★ 中心に立つ

 特に、日本の民族にとって、やっぱり世界の雛形のお手本を示していく使命を持ってますんで。日本に生まれた人は、何をお手本にするのが良いかというと、やっぱり天皇陛下の生き方ですよね。天皇陛下の生き方を真似すれば良いんですよね。これが神さまの生き方を真似する事にもなってるんですね。 天皇陛下を悪く言う人もたまにはいるんですけどね。本当の姿を知らないから言うだけで、本当の事を知ったら涙を流して感謝できるんですけどね。だから、正しい本当の真実を知るというのも必要ですよね。 そして、天皇陛下の本当の生き方をお手本にして、神さまの御心をしっかりと生きるという。そういう人がどんどん増えると、日本が善くなるのね。日本が善くなって、更に世界がどんどん善くなっていくという姿をとるんだと思いますけど。

 普通、「中心に立つ」って大変な事なんですよ、上に立つんじゃないんですね。 「中心に立つ」というのは、全責任を自分に持ってくる事なんですね。日本の全責任を取るというだけでも大変でしょう。世界の、地球上の全部の全責任を取るというのはもっと大変ですよね。でも、天皇陛下はそれをされようとするね。地球全体の責任も取ろうとされてるね。これは宇宙の大神様の御心だから、天照大御神様の御心そのものだからという意味でね。 だから、人の心の中の思い、マイナスを全部引き受けようとされるのね、大変なお役目よね。

 本当は、質素で、贅沢のない生き方をとろうと思っても、周りが虚栄心の強い人ばっかりだと、着せ替え人形になるでしょう、苦しいよね。小食で済ませたい思っても、ご馳走をたくさん持ってこられたら食べなきゃならないでしょう、苦しいよ。贅沢して幸せな感じは全然無いんですよ。質素な方が良いのね、その方が楽なのね、本当はね。だから、そういう状態に天皇陛下を置いてあげられる人が周りに増えれば、直ぐに地球なんて平和になると思うね。

 ところが今のところは、まだ人間に五欲の思い、虚栄心の思い、執着の思いが一杯あるんですね。そういう思いまで身に引き受けて消さないといけないね。だから、いろんな意味で嫌な事をいっぱい引き受けて、背負って消し続けるというのが中心者の役目なの。 だから、自分の我を出せないでしょう。思いを、願いを一切出せないでしょう。「自分がこうしたい」と言えないのね。なりたいですか? 謙虚という意味だけじゃなしに、尻り込みするよ。「謙虚で」と言うと格好が良いんですけどね、「大変」って言うて尻り込みするわね本当はね。それだけの大変な大きいお役目よね。

 でも、皆がそれに近づくというのが必要なんですね。そして本当のお手伝いになるね。 だから、天皇陛下がいろんな病気をするのも、みんなの思いを背負うのよね、マイナスを背負うからよね。天皇陛下の心が汚いからじゃないよ、生き方が間違ってるからじゃないのね、地球人類のマイナスを背負うからなのね。 いいお手本が日本の国にあるという事は、もの凄い幸せなんですね。お手本が無かったら、正しい生き方はなかなかとり難いんですけどね。 一番大事なのは「中心」という、全体を調和させる本当の「中心の働き」ってないといけないですね。調和させる意味ではね。中心がなかったら全部バラバラになって崩壊するんですね。

 家庭でもそうですよね、中心というのは上に立つのではないですよ。家庭の幸せを、全責任をもって守るのが中心なのね。だから、自分の意見は言わないですね。 例えば、お父さんが中心になる時は、お父さんは皆の幸せだけを願うね。みんなの願いを活かすだけでしょう、上から「こうしなさい」とは言わないね。みんなを喜ばすばっかしというのが「中心者」ね、大変な役目なのよね。
 
 会社でも同じよね、社長さんが中心に立つといったら、社員の全てを活かすわけよね。自分が一番下に降りるのよ。みんなを拝みあげて、みんなを称えて、みんなの願いを活かして、そして全体が幸せになるようにって、率先して下座の行につく人。そういう人が本当の社長さん、中心者よね。 だから、上に立つのと、下に降りるのと、全然正反対でしょう。

 世界に君主、王様って一杯いてるのね、ただ、一番下に降りる中心者は、日本の天皇陛下なのね。 上に立つ王様は一杯いてるのよ。中には立派な王様なんかもいてるよ。でも一貫して一番下に降りて、中心者として、その働きをずーっと続けてきてるという、これは日本にしかないのね。皇室としてズーッと続いてる天皇陛下の姿でズーッとね、皇統連綿として続いているわけでしょう。これはもの凄い神さまの護りがあるわけですよね。特に、その三種の神器の護りが大きいんですね。お守りのお蔭という。

 これは、地球規模で見てるんですけどね、これを大きくまた拡大するのも大事なんですね。太陽系規模とか、もっと大きい宇宙大の規模で見るのも、これも必要なのね。本当の三種の神器は宇宙大のものなんです。その大きい姿の模型の模型、小さい模型がこの地球に降り立ってるのね。そのぐらいの感じでとらえるのが良いかなと思うんですね。 このぐらいで三種の神器のお話は終ります。また、質問をどうぞ。


  縄文と弥生

質問:
 縄文と弥生について。

ありがとうございます:
 歴史上に出てくる姿というのは、みんな歴史学者によっていろんな考え方がついてますよね。それも参考にされても良いと思うんですけど。 でも、本物の歴史というのは、足跡を残さないんですね。ぜんぶ消しきってくるというのが本物なんですね。だから、「歴史上に残されてるのは、あまり大したものは無い」というぐらいのほうが良いんですね。まあ、ちょっとは参考にしてもいいんですけど。本物は常に隠されてるのね。そして奥で新たに新たに生まれ続けてるのね。それをしっかりとらえるには、やっぱり感謝行をして、神さまの御心をしっかりとらえて、新しいものをとらえないと、本当の事は解らないですからね。まあ、歴史書を一回読んで、参考にして下さい。


  この世を終える時の心構え

質問:
 二ヶ月ほど前に母を亡くしました。その時に死という恐怖ではないのですが、いずれは我が身に降りかかってくる問題として、五十にして身近に感じまして。これから迎える死についての生き方について不安でもあり、一つ目的ができたような気がするんですけれども。受け止め方についての心構えを教えていただきたいんです。

ありがとうございます:
 普通ね、七難八苦の苦しみってありますよね。これはみんな思いの心に生まれてくるんですね。感謝の心には七難八苦は無いんです、七福八楽って、はははは。 神さまからはね、一瞬一瞬新たに幸せばっかしが降り注いでくるんですね。それを捕らえている限りは、一瞬一瞬が新たな生まれ変わりなんですね。永遠に生き続ける。永遠に変化し続けてるだけ。それも良いように、良いように変化するだけなんで、死は無いんですね、感謝の心にはね。神さまの永遠の命を感じ取るだけなのね。その場所が変化するだけ、姿が変化するだけで、もう「常に幸せだけ」というのが感謝の生き方ね。

 ところが思いの生き方は過去を掴んでしまうんですよね。掴んでそれだけが全てというふうになってしまったら、それが消えた時に、消えるというのは変化した時ですよね。形が変化したり、場所が変わった時に「消えた」と錯覚するんですね。そして「今掴んでるものも消えて無くなった、‘ああ大変’」となるのね。

 でも、気持ちをちょっと横に広げたら、横にいてるかも知れないよ。この世から去ってもあの世にいてるのに、同じ人でもこの世から姿を変えたら見えなくなるでしょう。だから、ちょっと変化してるだけなのに、思いの心は執われてるので、変化に付いて行けないのね。 それも古いものを追いかけてるから、新しい良いものに心が向かないんですよね。だから、思いの心を消し去れば、感謝の心に戻ればぜんぶ解決するんです。

 だから、感謝さえし続けたら、亡くなったお母さんも光り輝いて身近にいてるのがわかるのよね。そして「幸せ一杯」というふうに感じ取れるね。死の恐怖なんて絶対起こらない、本当にそうなるのね。いつも幸せばっかし、心の奥から噴き上がるような感じで、幸せ感だけが出てくるね。本当に無条件の幸せが湧いてくるんです。 条件付というのは、思いの心のほうね。執われてる心は条件付で「これでないと幸せじゃない」と思うのね。「こうなったら幸せ、こうなったら不幸」と分けてしまうのね。 でも、感謝の心は無条件ね、どうなっても、どう変化しても幸せなの。だから、感謝の心さえ深めたら、いつも幸せは永遠に持続できるね。そういう解決法がいいよ、一番ね。



  念力より感謝の祈り

ありがとうございます:
 思いと念力とは同じですね、祈りとは違うんですね。「感謝と祈り」と、「思いと念力」は正反対ですね。普通、思いの心でイメージトレーニングとか、いろいろやってますよね、一所懸命ね。思いで実現したものは消えるんです、また。それを支えるエネルギーが消えた時、消えて無くなるんですよね。また、それを支えるのが相当なエネルギーがいるんです、大変なんですよね。

 だから、一つの願いがあって、それを実現する為に、それだけを思いつめるんですね。思い続けるんでしょう。これは必ず実現しますよね、でも、それを支えるエネルギーって相当ロスしてしまいますね、使い果たしてしまうのね。それを支えるエネルギーが消えた時に、ぜんぶ崩壊するんです。消えてしまうんですね。

 プラスの場合は、プラスのエネルギーを使わないとできないですね。丁度、心に溜めた貯金を全部いい事に現わすのに使い果たしてしまうんです。すると貯金はゼロ。貯金がゼロになると、今度いい事をイメージしようとしてもできないし、しても実現しなくなるね。良い事を思ってるのに、なかなか実現しないという状態になってしまうのね。これはエネルギー不足、貯金不足になってしまうのね。だから、最初にイメージして良いものを引っ張り出したら、あと続かない人は大勢いてるんですよ。最初は実現しやすいね。ところが、貯金を使い果たした後は、なかなか良い事をイメージしたぐらいでは、何も願いが実現しなくってくるね、徳切れでね。

 でも、お祈りは違うんですよね。感謝のお祈りは、神さまからいつも無限の無限のプラスを受け取ろうとする生き方なので品切れにならないですよ。それも小さい一つの願いを実現するんじゃないんですね。もう、全部、実現した状態で与え続けてもらうわけね。一つの事だけじゃなしに、他にも良いものが一杯出てくるんです。「これだけで良い」と思ってるのに、他の事が一杯実現してしまう。これが感謝のお祈りの生き方ですね。

 神さまが本当に必要としている事は、何でも与えてくれる。これは無限にあっても、無限の全てを与えてくるね、必要なものを全部与えてくる。そして感謝の心でそれを受け取れば良いだけですね。本当はそうよ。いつも与え続けてもらってるのに気づかないだけですからね。特に思いの心は、心の目を閉じて、真っ暗闇の中にいるような感じなんでね。手探りで欲しいもの、必要なものを探そうとしてるだけね。でも、思いが消えたら、目がぱっちり開いて、周りは明るいのね。必要なプレゼントが一杯あるのに気づくのね。気づくという事は、既に与えられてるという事になるのね。それで、無限の無限の幸せが一杯というふうにいつも感謝して喜べるのね。だから、お祈りの方が良いんですよね。イメージトレーニングも念力も駄目ですよ。それを早く卒業して、感謝のお祈りに切り替える方が良いんです、楽なんです。楽だし、良いものが一杯、早く実現して現実化するんですね。


  陰徳について

質問:
 徳を積む事について。陰徳についてちょっと伺いたいんですが。人の悪口を言ってしまう、人から悪口を言われると借金を返すという事ですが。それも徳を積んでるという話があったのですが。

司会者:良い事をして、悪く言われるというのが「大きい徳を積む」という事なんですが。

ありがとうございます:
 徳にも沢山段階があるんですよね。上中下にわけたら、上中下に分かれるんですけど。 先ず、「下」の方の徳積みですよね。この世的な徳積みの仕方が色々種類が沢山あるんですけど。 普通、人の幸せの為にいろんな良い事を一杯しますね。それも本当は報いを求めないでするのだったら、徳積みなんですね。それは貯金になって残るんです。 逆にマイナス、人にマイナスを与えると、これは借金、借りなんですね、借りがやっぱり残っていくんですね。 誉められると貯金が消えるんですね、徳が消えるんですね。逆に、良い事をしたのに悪く言われたというと、徳は消えないですね、残ってるのね。逆に徳が増えるんです。 ところが悪い事をして誉められる人もあるんですね。借金が増えるんです。悪い事をして悪く言われたら、それで元々、帳消し、はははは。借金が残っただけ、増えない。 まあ、「下徳」下の方の徳はそういう感じの積み方ですね。

 「中徳」となると、人に対して幸せになる方法をいろいろ教えてあげることね。真理の本を読ませてあげたり、聞かせてあげたり、またお祈りの仕方を教えてあげるという、幸せになる方法を人に伝えるのが「中徳」ですよね。それもいろんな伝え方がありますけど。

 一番上が「上徳」ですよね「お祈り」ね。神さまの無限の無限の徳をお祈りで受ける生き方ですね。神さまの新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯!ってね、感謝して受けると、無限の徳がどんどん積まれるのね、神さまの徳をいただくんです。これが一番の徳の積み方ですね。 そうすると過去のマイナスを全部、本当は一瞬に消えるかも知れないですね。そのぐらい大きい徳ですね。 そして、同時に自分の縁者の徳まで、神さまの方からもらって施せるのね。だから、周りの縁ある人の全てのマイナスを消す力も、それで与えてもらえるようになるね。だから「お祈り」というのは大事ですね。 特に「感謝のお祈り」神さまから無限の無限の徳をいつも受け直すというのが一番いいですよね。


  欲しいものと、神様が与えるもの

質問:
 自分が欲して与えられるものというのは、全て念力の作用なんでしょうか。それとも神様からの恩賞という場合もあるんでしょうか。自分ではその見分けがつかないんです。何でも与えられるものは、全て神様から出てくるものだと感謝して受け取ればいいのか、それとも自分の念力で手に入れてしまったのか、ちょっと考え直した方がいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 区別をつけるほうが良いですね。神さまからのプレゼントは「本当に必要なもの」というふうに絞った方が良いんですね。絶対間違わないのね。自分にとって「一番必要な・絶対必要なもの」ってね。これが神さまからのプレゼントと受けたらいいね。 ところが、ちょっと必要か、欲しいのかというのが、神さまの側から見ると、無い方がいいよという場合があるのね。それは邪魔になるよという、そういう時があるけどね。 それで、ちょっと贅沢をすると、やっぱり周りに迷惑をかけてるのね。周りに迷惑をかけて、負担をかけて、また大自然の何かを犠牲にしてるのね。それは無い方がプラスだよという場合があるから、そういう時は必要なだけに絞りきって、感謝して受けておく方が、本当の意味で徳を積み続けてる姿ね。 そうすると、徳が積まれていくと力が出てくるでしょう。自分に力が備わってきたら、周りから何を与えられても、そのマイナスを受けてあげるというのも人助けよね、徳積みなの。そういう意味だったら、何を受けても、感謝して受けて喜んでも良いのね。何をもらってもいいよ、周りからね、徳積みなのそれはね。

 お釈迦さんなんかの悟った人は、「如来」と言ったり、また「応供・おうぐ」と言ったりするのね。 悟った人というのは、人から供養されたものを全部受け取る資格があるのね。それは、その人の持ってるマイナスを全部引き受けて消す力があるからなのよね。 お金を貰っても、物を貰っても、親切を貰っても、その人の持ってるマイナスを同時に引き受けるのね。それで大きくマイナスを消す力があるから「応供」という名前がつくのね。そういう生き方だったら、受けてあげるのも人助け、供養ね、本当の意味の徳積みなのね。 ただ、最初からそういう自分だったら良いんだけど、まだ力の弱い場合があるでしょう。お祈りも浅い、まだ徳も充分積まれてないという時は、あまり無理しない方がいいの。できるだけ必要なだけに絞っておく方が、早く徳が積まれて力が付くのでね。その後、みんなを助ける意味で受けてあげるのが大事ね。

質問者:
 自分でこれが欲しいんだとか、神様これを下さいだとか、思わないほうが良い。

ありがとうございます:
 それは思わないほうが良い。「もう、何も要りません」と言っておく方が良い。 「要りません」と言っておいてもね、必要なだけは与えてもらうの、必ずね。それが一番楽ね。

質問者:
 先程の、誉めると借金になってしまうという事ですが。例えば、先生を誉めると先生の借金が増えちゃうのかな、誉めない方が良いのかなと。

ありがとうございます:
 本当は、そうね、厳密に言うとね、はははは。 でもね、誉めてちょっと消えても、感謝があるでしょう。感謝があるとまた大きいプラスを与えてもらうの。ただ、「誉めるだけ」という、浅い意味の誉めるだけでは、それを、もし誉められて喜んでるような心境だったらマイナスになっていくね。 でも、誉められたら、私の方がもう一つ感謝して拝んでるからね、はははは、また無限の徳を積むの、だから減らない、大丈夫。


  氣の力

質問:
 氣の力ってなんでしょうか。

ありがとうございます:
 「氣」の力、氣持ちの「氣」ですよね。中は「メ」と書くより「米」と書くんですね。 「氣」というのは、神さまの「いのちの働き、光の働き」と見た方がいいですね。全てのものを生み出して活かす働きね。「米」の字は、光の放射ですよね「無限に湧き出る」という氣のとらえ方ね。 常に無限に無限に湧き出てくる神さまのいのちの働き・光がね。

質問者:
 それが人間にも入ってきて。

ありがとうございます:
 もう常にそうよね。常に光が中から放射されてるのね。それを感謝で受けると、いつも無限のパワーで一杯という。

 ありがとうございます。






ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。