0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.


AR128.2003.6.14



 言葉は運命をひらく


自分の言葉は自分自身の作品です。人はそれぞれ自らの自由意志で言葉を選び、言葉を定め、それを自らの運命として生きているのです。

 言葉は諸刃の利き剣です。言葉には、プラスの言葉とマイナスの言葉とがあるのです。その言葉には、鋭利な剣と同じように、絶大なる力(創造力・実現力)があるのです。ペンは剣よりも強し、どころの話では無いのです。言葉が一切を支配しているのです。宇宙(世界)の創造も、言葉(言霊)によって成されているのです。人の心も信念も運命も、言葉によって作り上げられているのです。

 神さまの言葉(言霊)による宇宙創造は、マイナス無限大からプラス無限大に至る、全徳が光一元に無限の無限の大光明燦然と輝いている完璧なものです。人間一人一人の運命は、そのマイナス無限大からプラス無限大に至る、無限の無限の表現の中から、言葉の力によって波長を合わせて、その一つを現実化して体験しているものです。人間は自己の心に取り入れ・蓄積した言葉の通りの信念を保持し、その信念通りの運命を現実化して、その表現を味わい・楽しんでいるのです。

 マイナスの言葉のみを心に積み重ねて、マイナス無限大の地獄を体験するにしても、それはその人自身の自由な生き方なのです。心に取り入れ・蓄積した言葉の通りに、運命が現実化するのは、厳然たる宇宙法則なのです。

 神さまのプラス無限大の表現(無限の無限の幸せが一杯)を感受し・味わう為には、自分の心の中にプラスの言葉のみを、無限に無限に蓄積しなければならないのです。その為には何を眺めても、すべてがプラスに見えるようになることが一番です。それはすべてを光一元に仰ぎ見る、本心の立場に立てば可能なのです。すべてがプラスに見えるようになれば、必然的にプラスの言葉だけを駆使できるようになるのです。

 またプラスとマイナスの混在する中から、プラスだけを選び取る訓練も必要です。そうすることによって過去に蓄積したマイナスの言葉を打ち消して、心に大きくプラスの言葉だけを蓄積できるようになるのです。
 しかしながら一朝一夕に、無限の無限のプラスの言葉を、蓄積できるものでは無いのです。自分自身の弛みない努力によって、プラスの言葉を積み重ねると同時に、救済の神さまの大きな助けを受けることも大切です。救済の神さまに真心から感謝することによって、大きくプラスの言葉を加えていただけるからです。

 更には周りから感謝され・善く思われる自分になることです。その分のプラスの言葉も、自分の心に蓄積されてゆくからです。反対に周りから恨まれ・憎まれ・悪く思われたら、自分の心にマイナスの言葉が蓄積される可能性もあるのです。
 個人の運命も、家庭の運命も、国家の運命も、世界の運命も、心に蓄積された言葉通りの運命になっているのです。だからみんなの心にプラスの言葉が大きく積み重ねられてゆくように、プラスの言葉を積極的に使い続けてゆくことが、何よりも大事なのです。


 「ことば」という語源、言霊の語源



 ありがとうございます。言葉には二つあるんですよね。「神さまの言葉」と「人の言葉」大きく分けると二つにわかれるの。
 神さまの言葉は宇宙創造の働きがあるのね、人の言葉はその神さまの言霊の言葉に波長を合わせる言葉ですね。番組選びの言葉なんですね。
 「ことば」という語源、言霊の語源を探ってみると――

「こ」というのは「凝り固まる」という意味ですね。自由自在なものが形あるものに凝り固まってくるのが「こ」というのね。
 「と」というのも「とどまる」という意味ですよね。もともと、絶対というのはもう自由自在な海のような存在ですね。そこにすべての元になるものが詰まりに詰まってるわけね。自由自在な姿で存在しているんですけど。そこから螺旋状に放射された姿が凝り固まる姿をとって、すべてのものが生み出されてくるんですよね。

だから、無限の無限のチャンネルが生まれてくるというのは、神さまの言葉の働きなんですね。言葉が無限の無限のチャンネルそのものね。働きと同時に、その生み出された姿でもあるんですよね。神さまの言葉が無限の無限のチャンネルの番組になってるのね。
 その番組の中から一人一人自由を与えてもらって、自分の使う言葉通りの番組を選ぶんですね。だから、どんな言葉を使っても、その言葉に波長の合う番組が出てくるんです。いつも妖怪ばっかしを相手にすると、妖怪が出てくるんですよ、化け物を相手にしたら化け物が出てくるのね。マイナスの言葉を使うとマイナスが必ず出てくるね。言葉通りに必ず出てくるね、ピッタリと波長の合う姿で出てくるね。


 地獄の番組ほど神さまの愛の塊


 神さまの無限の無限のチャンネルの番組には無いものは何もないね。もうすべてを尽した表現なのね、もうすべてがあるんですね。ただ、神さまの表現はみんなを幸せにするための番組なんですよ。みんなを苦しませる番組じゃないのね。地獄番組一つとってもそうなのね。みんなを地獄へ落として苦しませるためじゃないのね、逆なのね。地獄の番組ほど神さまの愛の塊なの、本当はそうよね。

 ただ、これは神さまの心をしっかりとらえないとわからないね。そこで「感謝の心」というのが大事なんですけどね。「言葉」というのはそういう意味ね。自由自在な神さまの姿が凝り固まって、とどまって、それで枝葉に無限に無限に分かれて、いろんな姿が生み出されてくる、宇宙のすべてが生み出されてくるという。

 「尊・みこと」という「尊い・とうとい」という字も「尊・みこと」と言いますよね。その生み出されたものは尊厳極まりない尊いものよね。
 また「命・いのち」というのも「命・みこと」と読むのね。それは「命輝いている、命そのものなんだ」という意味ね、生きてるのね。
 また「みことのり」という「ことば」というのも「ひびき」ですよね。「ひびき」というのは、人間の使う言葉だけじゃないのね。音楽もそうだし、形ある絵になったのもそうよね、みんな「ひびき」が現れてるのね。だから、形あるものはぜんぶ「いのち」でもあり「ひかり」でもあり、そういう光という波動よね、「ひびき」であり、そして無限に尊い尊厳極まりないものだというのね。
 そういういろんな意味が含まれてるね。

 神さまというのはもともと一つなのよね。一つだから本当は分割できないの、バラバラにはできないね、もともと一つのものをバラバラには絶対できない、切り離すことはできないのね。
 ただ、それを‘一つ’というふうに漠然と見ると、詳しいところまでわからないよね。だから、いろんな立場から眺めていろんな見方をするだけね。

 例えば一つのダイヤモンドがここにあるとするでしょう。それをいろんな角度から見ると見え方が違うでしょう。カットがいろんなカットがたくさんあるね。一つのカットを自分の前に置くと、同じ一つのダイヤモンドでも見え方が違うのね。
 神さまの働きも細かく分けると無限に分かれるから、その無限の働きを、その一つの働きを前面に出すと、その働きがよくわかる。ただ、その無限の働きが、カットがあるから、いろんな立場から眺めて神さまの働きをとらえることができるのね。だから無限に複雑よね、神さまを見るというのはね。

 そして人が神さまの分身として無限に無限に分かれて出てきてるのも同じことよね。神さまは一つの立場から自分の立場を見たくないのよね「それはもう自由がない、執われてる」という見方よね。
 だから、人に託して、無限の無限の立場から自分自身を眺めたいのね。自分の生み出した素晴らしい宇宙を味わいたいわけね。だからみんな見方が違うでしょう、同じ一つの宇宙を眺めてもね。一人一人みんな見方が違うのね、それが素晴らしいのよね。
その違う見方をぜんぶ束ねて、神さまは宇宙の素晴らしい表現を味わってるわけね。だから、自由自在な心で無限の無限のチャンネルの番組を選んで、みんな楽しくそれを味わってるわけね。地獄番組もだからいいのよ。見る人がなかったら神さまは困るの、はははは。
 ただ、その地獄番組を見るときでも、プラスにプラスに見る心を先ず養って欲しいという。それは苦労を重ねて謙虚になって、はじめてそれをプラスにプラスに見ることができるのね。

 最初からプラスの番組なら誰にでもできるよね、プラスに見るのは楽なのね。でも、地獄番組をプラスに見るというと、やっぱり相当勉強しないと、修行しないといけないね。
 だから、一人一人を神さまは送り出して、無限の無限のチャンネルを自由に楽しんでもらって、最後には地獄番組を最高番組に見るぐらいの謙虚な感謝の深い自分に変わって欲しいわけよね。

 普通「極楽がいい」というんだけど「地獄がいい」のよ。
 何故、いいかと言うとね――
 マイナスを一身に背負って、そのマイナスを大きく消す働きをするのは最高の愛の働きでしょう。無限の借金を抱えた人のその借金を背負ってあげようというのはすごいことでしょう。
 無限の富を持ってる人がお金をサッと与えるのは楽なものよね、それは誰でもできるよね、余ってるのを与えるようなものだからね。また大したことないよね、愛が深いかどうかはわからないよね。

 でも、自分に何も無いのに人の借金を背負ってでも、その人を助けようといったら、もう本当に無限の愛の塊がないとできないよね。そういう意味では地獄の姿は神さまの最高の愛の塊の姿、愛の極致の姿よね。それがわかったら感謝が深いのよね。だから地獄番組を無限のプラスの番組に見られるように早くなって欲しいのよね。そういう意味で地獄もあるのよね。

だからマイナス番組じゃないよ、本当はね。どの番組も無限の絶対価値のある番組ばっかしね。
 ただ、そのランク付けというのか、表現の違いはあるのね。そういう意味では無限の無限のチャンネルというのをすべて用意してくれてるね。そして自由な心で全体像をとらえて、尚且つ、一つ一つの番組を前面に出して価値あるものに見るのよね。


 宇宙は入れ子構造

 神さまの宇宙創造の働きって、入れ子構造というんですけどね、これは無限に複雑な重層構造よね。もういろんな立場から見て入れ子構造になってるね。
 無限の無限のチャンネルの分かれてるというのも入れ子構造よね。これがもの凄いことなんよね。
 また一つの宇宙の中に、また一つの小さい部分があって、その部分の中にまた大きな宇宙があるというような入れ子構造もあるよね。この世の一個の原子の中に大宇宙と同じ姿があるというね。
 この人体も小宇宙というね、本当は宇宙の仕組みはぜんぶ含まれてるね。細胞一個にも、原子一個にもそうなのね。ぜんぶ大宇宙と同じ構造が中に収まってるのね。そういう入れ子構造の素晴らしさというのは、もう言葉を超えていると思うね。そういう素晴らしい宇宙を、神様は一瞬一瞬新たに生み出し続けてくれてるのね。これが「言葉」というのね、神さまの言葉よね。

 「言葉・ことば」の「ば」というのは、「は」をダブらせるわけでしょう。「は」というのは、拡がる働きよね。無限に拡がる働きを、これを重ねてるのね。すると無限に無限に拡がるのよね。どこまでもどこまでも無限に無限に拡がるね。これが入れ子構造の働きよね。神さまの言葉って凄いでしょう。

 例えば「あ」という言霊があるよね、この「あ」という言霊は単純に「あ」一つじゃないの。「あ」というのは無限に分かれてるのね。無限に分かれた「あ」の中から必要なものを引っ張り出して組み合わせていくのよ。人の頭で考えると、最初に単純な「あ」があるように錯覚するね。でも、違うのね。

 神さまの心の中には「あ」も無限にあるのね。種類の違う「あ」が無限にあって、宇宙創造の時にはその中から必要な「あ」を引っ張り出すのね。
 だから、最初の出発点の要素がぜんぶ違うのね。一つ一つ違うものを組み合わせて最高のものを生み出してくるね。だから、同じものは何一つして生れないのね。


 同じものは何一つとしてない

 そうよ、原子一個、水素原子、だから同じかって、ぜんぶ違うのよ。顔も違う、働きも違う、ぜんぶ違う。中の構成要素がぜんぶ違うのね。原子になるまでに最初の要素として出てきたものは、最初からぜんぶ違うから、その組み合わせがまた無限に複雑だから、原子になる段階でもう大きく違うね、無限に違うと言った方がいいよね。一個一個の原子がね。

 だから、この世に人体が生まれたといったらね、凄い大きい違いよ。60兆の細胞をみんな持ってるから同じかというと、違うよ。細胞一個一個もぜんぶ違うしね、その組み合わせもまた違うのよね。だから、この人体一つとっても同じものは宇宙にないの、似通ってるものもないの。大きく違うの、ぜんぶね。
 だから、宇宙に唯一つという、最高傑作ね、神さまのね、素晴らしい作品よね。みんなそういう素晴らしい肉体を与えてもらってるでしょう。その肉体を与えてもらって、まあ道具としてね、神さまの働きをするお手伝いの道具として与えてもらってるんだけど。この一つを与えてもらってるだけでも無限の価値があるでしょう。いくら科学が進んでもつくれないよ。クローン人間なんて馬鹿よ、似たようなものは絶対つくれないよ、そんなんね、違いがわからないだけよね。

 機械で何かをつくるのでもそうでしょう。同じものは何一つとしてつくれないよ。家をつくるのでも同じじゃない、材料がぜんぶ最初から違うのよ。同じ木で、杉の木だったらみんな同じかって、違うでしょう。その育ってきた杉がどこで育ったか、どういう栄養素を吸い取ってきたかとかね、どういう気候で育ったかってみな違うでしょう。一本の杉のこの柱にしても、同じものは何一つとしてないでしょう。どの家をつくるのでもぜんぶ異なる材料でつくってるのね。形は似ているように見えてるけど違うよね。中身がぜんぶ違うでしょう。

 だから、そういう意味では機械でも同じものは何一つつくれないよ。オモチャ一つつくるのでも、似たようなオモチャをつくってるというけど違うよ、みんな違うのね。ましてや、神さまのつくったものはぜんぶ違うよ。
だから、神さまの言葉の働きで生み出された宇宙というのは、同じものは何一つとしてないの。そして二度と同じことは出てこない。同じことの繰り返しは絶対ないのね。これは、もう神さまの宇宙創造の鉄則よね。

 だから、今与えてもらったものを受け損なったら大損するのよ、二度と受けられない。だから、今受けたものを大事にしないとね、本当の価値を見出さないとね。
 宝物ばっかしじゃない、自分の周りは無限の宝物でいっぱいじゃない。道に転がってる石ころ一個がそうよ、本当はね。神通自在の神さまが、愛の心の極致の姿で石ころに物質化して変身して、みんなの前に出てきてる。踏まれても踏まれても「ありがとうございます」って、みんなを支えてくれるよね。みんなに愛の光を投げかけてくれるよね。この石ころが飛び回ったら大変よ、頭に当たるかも知れんし、どこに当たるかも知れん。
石ころもそうだしね、草木もそうよね、どんな動物も昆虫もそうよね、みんな神さまの愛の変身の姿だから、神さまの愛の塊よね。神さまの言葉の宇宙創造の働きが本当にわかってきたら、神さまの愛がひしひしと感じられてくるでしょう。


 神さまの愛を感じ取る

 感謝というのは「ありがとうございます」と唱えるのも感謝の練習ではあるけどね、そうじゃないよね。本当の感謝は神さまのこの愛の働きを感じ取ることよね。小さいものから大きいものすべてに、神さまの大きい愛の働きを感じて感謝よね。神さまを感じ取るのが感謝よね。そのために「ありがとうございます」という言葉を使って神さまを呼んで、神さまの助けを受けて、神さまの愛の働きを感じさせてもらうのね。そうすると幸せが無限に無限に大きく深くなるのね。


 言葉通りになる

 人の言葉は、その神さまの言霊の言葉の写しみたいなものね。だからどんな言葉でも人は使えるよね。その人の使う言葉によって波長合わせをするのね。似たような言霊に波長が合うんですね。そして何でも選べる。
 本当に何でも選べるのよ。だから、自分が「こうだ」という言葉を使うとその通りの自分の番組が出てくるね。この「肉体が自分なんだ」と思ったら、そういう言葉を使ってたら、そういう言葉の番組になるのよ。そうすると「自分は肉体だ」という思いで生きる番組になってるね。

 でも「自分が宇宙なんだ」という言葉を使えば「宇宙が自分」という感覚の番組になるのね。「宇宙全体が自分だ」という番組に生きるのね、そうすると幸せが大きくなってるね、大きい感覚よね。みんな言葉通りなの、どの番組でも選べるようになってるね。

だから、人の言葉というのは凄いね、神さまの言葉はもっと凄いんだけど。言葉を与えてもらってる、言葉を自由に使えるというのは凄いことなんよね。ただこれに気づかないと損よね、早くね。言葉の大切さに気づいて自由自在に使いこなせる自分に早くなることね。そうするとどんな番組でも選べるね、どんな運命でも自由に創り出せる、この世へ現実化できるのよね。その言葉の働きに気づかなかったら環境の奴隷よね。番組の中にはまり込んだら抜けられなくなる。


 過去に使った言葉を消す

 「言葉」というのは、いろんな素晴らしい働きもしてくれるけど、不用意に使った言葉というのは自分を縛ってしまうね。言葉の縛りにあうとがんじがらめよね、身動きできなくなるね、心がね。そうすると苦しくてたまらないという状態ね。言葉をあまり心に溜めすぎたら駄目よね。特に古い言葉を溜めすぎたら、言葉の縛りでがんじがらめになるね。

 だから、過去に使った言葉を一瞬一瞬消し切ってもらうのがいいのね。そうすると今新たに使う言葉で自由自在に番組選びができるでしょう。そうするともの凄く楽なのね。ただ、新たに新たに自分が言葉を選んで使わないといけないけどね、大変かも知れないよ、それも。でもね、惰性で生きるよりは楽よ。
 過去に使った言葉を心に蓄積すると惰性では生きられるよね、でも同じことを繰り返すのね。似たようなことを繰り返すでしょう。まあ、それがいいという時期もあるのね。でも、本当の自由な生き方じゃないよね。

 本当の自由というのは、もう何もないところで、無限の無限の中から一つ選ぶのよね。本当の自由がある、そこにね。だから、選択肢をいつも無限に広げておかないとね、どんな言葉でも自由に使えるという自分に先ず置くというのが大事ね。そうすると本当の意味で自由な番組選びができて、いつも幸せ一杯ね。

 だから、過去に使った言葉を思いとして、みんな心に蓄積してるね。その思いを先ず消す働きって必要になるね。思いの絶対出て来ない人というのはもう悟った人なんよ。でもちょっと出てくるよね。いろんな思いが、雑念が出てくるね。まだ心に溜めてるのよ思いをね、心の中に言葉を溜めてる、過去の言葉が残ってるのね。その言葉が今の自分の番組選びにも影響してるよね。その言葉をぜんぶ消しきってしまったら、本当に自由に楽になるね。

 でも、その言葉を消すのにはどうしたらいいかというのでしょう。消す方法は――
 大変よ。先ずどんな言葉が心に蓄積されてるか探さないと駄目よ、普通、気づかないよね。心も奥深いからね、無限に広いし表面しかわからないよね。それも奥から湧き出たときに気づくぐらいよね。
 だから心に溜めた言葉をぜんぶ消しきるのはもう至難の業、不可能かも知れないね。それは自分にとったらそうよね。でも神さまだったらできるね、神さまだったら自分の心をぜんぶ見通してるから、心に何が溜まってるかよくわかるわね。それで何を一番に消してあげたらいいかってよく知ってるわね。

神さまの方は一所懸命先ず大きいマイナスを消そうとするね「早く消してあげよう」としてくるね。だからこの世にいろんなマイナス、七難八苦が出てくるのがそうよ、そういう意味よね。「先ずマイナスから消してあげよう」と言うのね。それも確認をとらないと勝手には消せないからというのでね、ちょっとだけ出てくるね。マイナスをちょっとだけ表面に出してくるね。本当の氷山の一角、もっと小さいよ、ほんのちょっと出るぐらいにして、それで「マイナスの言葉を今消しますよ」とサインを送ってくるね。それがこの世のマイナスよね。
 その時に「あっ、消してくださってありがとうございます」と言うのがいいよ。文句言うと消してもらえない。消してもらったら困るというような生き方になるのね、文句を言うとね。
 「ありがとうございます」と言うと「消してあげたて喜んでくれるのかな」というわけね、神さまの方は。だから、何があってもマイナスが出てくる度に、「大きいマイナスを、これも無限に大きいマイナスをこんなに軽くして消してくださった」というふうに受けると楽よね。するとマイナスが出てくる度に喜べるでしょう。本当に深い感謝になってくるね。そしたらマイナスがマイナスでないのね。神さまの大きいプラスの愛の働きを自分が受けたことになるね。大きい無限の幸せを感じたことになるのね。
 
 本当の幸せというのは、いつもご馳走ばかり食べて満腹状態じゃないよ。どんなご馳走を食べても満腹になったらもう嫌になってくるじゃない。
 呼吸も同じでしょう「あっ、美味しい空気、いっぱい吸った」って、吸うばっかしだと苦しくなるじゃない。そうじゃないね、一回吐き出さないと駄目よね、お腹を空かせないとね。どんなご馳走を食べる時もお腹をいっぱい空かせておくの。お腹を空っぽにしておくと、美味しいご馳走がさらに美味しくなるじゃない。
 空気もぜんぶ吐き出して深呼吸すると「ああ、空気って美味しいな」ってなるのね。「幸せ」というのはそういうものよね。


 一番下へ降りて全てをプラスに見る

 一旦受けた無限の大きいプラスの大きい幸せでも、ぜんぶ一回放さないとね。できたら地獄のどん底まで降りたほうがいい。一番下に降りて、そこからもう一回受け直すのがいいのね。同じ幸せを受けても幸せが大きく深くなるでしょう。だから、いつも謙虚な心でマイナスの立場に立つのがいいのね。そこからプラスをいっぱい感じ取ればいいね。

本当はプラスばっかしなのにね、上から見たらプラスに見えないね、マイナスに見えてしまうね。一番下から見るのが大事ね。一番下へ降りるというのが一番大変なんだけどね。
 そういう意味で神さまは早く下へ降りて強くなって欲しいというのね。最初はみんな一番上から出てくるんですよ。一番上から舞い降りてきて、いろんな番組選びをして楽しんでるんだけど。でも、早く一番下へ降りないと駄目よね。一番下へ降りて強くなったら、全てがプラスに見えてくるね。その時に、どの番組を選んでも無限の価値のあるものばっかしよね、幸せばっかしに感じるでしょう。
 だから一人一人が神さまの代わりにいろんな幸せを大きくしていくという意味でも、早く謙虚な大きい心にならないとね。神さまのためにも、自分の幸せを大きく深くしていかないといけないですね。これが「神さまのお手伝い」よ、本当のね。


 神さまのお手伝い

 神さまのお手伝いって、何か形でちょっとするんじゃないよね。本当はね、無限に謙虚になって全てをプラスにプラスに見える自分になることね。深い感謝のできる自分になることよね、一番大きいお手伝いってね。これが神さまを幸せにする大きいお手伝いよね。だから、苦労を苦労って思わなくなったらいいのね、本当に苦労を楽しまないとね。喜んで喜んでマイナスに降りる方がいいよね。
 みんなの重荷を逆に自分が背負ってあげるぐらいがいいよね。だから「助けて欲しい」じゃなしにね、「みんなを助けたい」というぐらいがいいのよね。そのほうが早く大きい幸せを感じるでしょう。

 病気になってもいいのよ、別にね、病気になるほど幸せになる。貧乏になるほどいいよ。人間関係が悪くなるほどいいの。極端に言ったらね、マイナスがいっぱいの方がいいの。それをプラスに見えるようになった自分が最高の自分よね。感謝の深い自分、本当の自分よね。その自分は、幸せは絶対崩れなくなる。
 条件付で「幸せ」というのはまだ浅いね。どんな時も「感謝だけ」「幸せをいっぱい感じる」というのが本物よね。神さまの願いは「早くそうなって欲しい」というのね。
 だから、感謝の深い自分になることよね。これが本当の正しい生き方ね。

 言葉の使い方も「プラスの言葉だけを使ったら」というのもまだ執われね。マイナスの言葉も自由自在に使いこなせてプラスにしないとね。

 マイナスの言葉はぜんぶ打ち消して消してしまう働きでしょう。「お金があったら」と言う人は「無限のお金がいっぱい」と言うかも知れないけど。でも、お金が無いのがいいのよ、「無限の借金がいっぱい」でもいいよ。早く謙虚になれるじゃない。「無限健康でいっぱい」というのもいいけどね、「無限の病でいっぱい」の方がいいのよ。一番謙虚な自分に早くなれるのね。
 だから、プラスとマイナスの言葉を自由自在に使いこなせて、ぜんぶプラスにできるのがいいね。
 最初はみんなマイナスの言葉を恐がるのね。でもね、上手に使いこなせたら、言葉って「剣」だから、諸刃の剣だから両方に刃があるでしょう。プラスの言葉とマイナスの言葉と両方あるのね。使い方によって自分を傷つけるのよね。だから、本当に正しく使いこなせたら自分を傷つけない、人も傷つけないよね。

 最初はプラスの言葉を使う練習をするのね。でもね、マイナスの言葉の使い方も正しく使えるように練習しないとね。謙虚になるためには、「無限の無限の苦痛で一杯」という地獄に降りる方がいいかも、はははは、恐いもの無しよ。
試しに降りてみるといいのに、地獄に落ちた人はね、絶対人を責めないよ。みんなを褒めるだけ。
本当に落ちきったらね、自分より下は見えないよね。みんな立派ないい人ばっかし。でも、これは理屈で言うとそうだけどね、まあ降りるのは大変かも知れないけど。

 でも降り方があるのね。夏の暑いときは冷凍庫に入るぐらいは平気でしょう。夏の暑いときね、ちょっとぐらい冷凍庫に入るのは逆に心地よいじゃない。だから「無限の無限のプラスが一杯」という言葉をしっかり使って心を幸せにしておくと地獄に降りるのも簡単ね。いい言葉をしっかり使うのね先ずね、そして心を大きいプラスの心に整えておくと、自由自在にマイナスの世界に喜んで降りられるのね。それが地獄に降りやすい心よね。そうすると謙虚になって、更に幸せが大きくなるのね。

 寒いときに冷凍庫なんかに入れないよ、震えあがってどうしようもないじゃない。先ずね、幸せな心に自分をすることね。その一番いい方法が、神さまの働きのすべてに波長の合う言葉がいいよね。
「ありがとうございます」という言葉が神さまの働きの全てね。一番奥深い働きから、一番表面の働きまでぜんぶ中にあるのね。
絶対から、創造の働き、統一の働き、神通自在の働き、愛の限定の働き、全ての働きがぜんぶある言葉よね「ありがとうございます」はね。そして無限の無限のチャンネルが光燦然と輝いてるよね。この神さまの全ての働きを先ず受けることよね。この世も神さまの愛の塊というぐらいに、しっかり受け止めることね。
そうするとね、もう恐いもの知らずね、もうぜんぶが神さまだから、神さまの愛の働きそのものだから、どこへ行っても恐いもの知らずよね。地獄に降りても神さまの愛の塊に感じるからね。そういう心に早くなることね。


 幸せになる方法は一番単純で簡単

 その一番いい方法よね「ありがとうございます」って、心に唱え続けるのね。それが自分だけじゃないのね、自分の縁あるところへぜんぶ感謝の光は届くのね。神さまを呼ぶことによって、神さまの光が自分を通して周りの全てへ放射されるのよね、光をふりまいてくれるね。だから、大きい働きになるでしょう。

 だから、幸せになる方法って、一番単純で簡単なの。不幸になる方法が難しくしてるのよ、神さまはね。難しいことをしてたら不幸になる。一番簡単なことをすると幸せになってしまうのね。
 難行苦行してごらんよ、なかなか悟れないから。でも一番楽な方法よね「ありがとうございます」って唱えるのは一番簡単な方法ね。幸せになるしかないのね。
神さまは、幸せになる方法は一番易しい方法にしてるのね。
不幸になる方法は一番難しくしてるね。みんなが不幸にならないように難しくしてくれてる、最初からね。だから、一番優しい方法を選べばいいのよ、一番単純な方法をね。それが幸せへの道なのね。

 「ありがとうございます」って言えなかったら「あ」だけでいいの。
赤ちゃんがいつも言うじゃない「あ、あ、あ」って。一番よく知ってる、赤ちゃんが。「あ」だけでいいのよ、本当はね。「あ」だけでも「ありがとうございます」に通じてるのね。
笑うときは「あ、あ、あ」じゃない。「あ」が無限に無限に広がってるじゃない。「ありがとうございます」なんよ、本当はね。

 「神さまの言葉」と「人の使う言葉」の違いね、これをよく知っておいてね。神さまの「言葉・言霊」はすごい最高のプレゼントをつくり続けてくれてるね。
人の言葉は神さまのプレゼントを受けるための言葉よね。だから上手に使いこなすのがいいね。そうするとどんな幸せでも受けられるね。
そういう意味で「神さまの言霊」と「人の使う言葉」の違いをしっかりとらえておくのが大事よね。

 このぐらいで、あと質問をしてください。


 今使った言葉は未来に出る


 どうもありがとうございます。私二十年間うつ病というのに苦しんでいます。元気な時は意識的に幸せな言葉を使うようにしているんですけど、うつ病になると苦しくて、苦しいとか、辛いとか、死にたいとか、そういうマイナスの言葉で、今までのプラスの言葉がぜんぶマイナスになって消えちゃって自分でカルマをつくちゃうんじゃないかとまた恐がるんだけども、でもどうしようもないんですね。
 時期が経つとまた元気になってきて、またプラス的な思いと行動ができるんですけど、どうして二十年間もこういうふうに繰り返すのか。今うつ病の方が多いですよね、でも憑依現象なのかなと思いながらも、その憑依現象にもお礼を言うのかと思ったり。自分の中で「ありがとうございます」と言い続けているうちに良くなるのか、是非おうかがいしたいと思って参りました。よろしくお願いします。

ありがとうございます:
 心に溜めた言葉ってね、ぜんぶ働いているんですけどね、時間的に‘今すぐ’じゃないのね。過去に使った言葉が、今、形に出てくるのね。今、使う言葉がまた未来に出てくるね、ちょっと時間的にズレがあるのね。この世というのはそういう意味で反省の時間もあるし、時間的なズレをつくってもらってるということはありがたいことなのね。
 だから、マイナスの言葉を使ったのが今出てこない、直ぐはね、しばらくしてから出て来るね。(それが恐いんです)プラスの言葉を使ったらまた出てくるね。


 それがわかってるから、苦しいから、切らさずにはいられないんです。私は駄目だとか――

ありがとうございます:
 勉強でしょう、言葉通りになるという勉強ね。これに気づくと、今度はプラスの言葉を使うためのいろんな方法を使いこなせるよね。
 だから、自分がプラスの言葉を使おうと思っても使えない時ってくるでしょう。その時に助太刀を頼まないとね。周りからプラスの言葉をいっぱい投げかけてもらうといいよね。そうしたら、周りにプラスの言葉をいっぱい書いて置いておくとかね、素晴らしい絵を貼っておくとか、いい音楽を流しておくとか、方法はいくらでも出てくるよ。
 それでプラスだけが心に入ってくるようにすると、今度は自由自在にそれを支配できるようになるじゃないね。


 じゃあ、以後お楽しみで‥‥ (笑い)

ありがとうございます:
 そう「ありがとうございます」で、はははは、もう大丈夫ね、負けないね、もうね。


 迷信について


 迷信についておうかがいしたいのですが。友引の日に葬式をあげるなとか、或いは仏滅の日には結婚式を、三隣亡(さんりんぼう)には‥‥、とかありますけども。それには意味があるんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうね、みんな言葉通りよね。(笑い)そういう言葉を使う人はその言葉に縛られていくね。外国はそんなの関係ないでしょう、日本でも一部よね。それを信じている人にだけ通用するのね。
 だからそういう言葉を使ってその縛りにあってる人って、やっぱりちょっといてるというぐらいよね。全員その影響は受けてないよ。だから言葉通りになってるよ、その人の使う言葉通りね、相手にしなかったらいいね、そんなのね。それは一つの言葉の使い方だからね、それはね。それがぜんぶを支配するんじゃないのね、その言葉を使ってそういう言葉の番組にはまり込んで、そのちょっと影響を受けてるというぐらいね。もっともっと自由よ、神様は「日々これ好日」って最高のプラスの日に変えてるよ。それを小さく落として「この日は友引だから、お葬式は駄目」とか、そんなの無いよ。だから、プラスの言葉をいっぱい使うと影響を受けなくなるね、それはね。


 時期が来たから


 今お聞きしましたら、ぜんぶ私の答えだったんですね。貧困と、人の関係と、それがわかってるんです。でも我慢できなかったり、悔しかったりとか、どうしてかしらと、自分が毎日「ありがとうございます」と言って消さなくちゃと思っててもまた「こいつ!」って思う心が出てきて。どうなったら自分がもっと安らかで平和で、相手を思いやれたり、感謝ができるのかなと。今、お答えをいただいた感じはするんですけれど。

ありがとうございます:
 本当ね、最初に神さまの世界から舞い降りていろんな番組を選んでくる時点で、もう感謝ばっかりしてたら心にマイナスの言葉は絶対溜めないね。ぜんぶ消しきってもらって自由自在な心で、いつでも何でも選べたのね。ところがみんな感謝を忘れたのね、感謝しなかったの、最初はね。最初は自由自在で楽だったから、「感謝することも無い」と思ってたのね。だから感謝を忘れて遊んでいるうちに巻き込まれてしまうのね。感謝を忘れた時期って長いわけでしょう、みんなね。それで苦しくなってやっと神さまに心が向いて、元の感謝のできる自分ね、自由な心の自分に戻りたいという願いが中から湧いてきてるのね。その時に「時期がきたから」ということで神さまの方から助けにきてるのね。

 「ありがとうございます」というこの言葉に触れるのも、これに気づかせてもらうのも、神さまの助けがきてるだけね。神さまはずーっと見守り続けてるよね、「いつ、このチャンスを与えようか」って、ずーっと何億年かけて見守り続けて「やっとその時期がきたな」という感じね。
 だから、どれだけマイナスが噴き出してももう大丈夫ね、後はそのマイナスをぜんぶ消してもらうだけね。だから表面に出てきた時に「ああ、コンチクショー、腹が立つ」というのでも、万分の一以下の軽さで出てきてるのね。その万倍以上、今消し続けてもらってるね、大丈夫ね。後はもう絶対出なくなるから、今度、寂しくなるよ。(笑い)ねえ、「ちょっとは出てきて欲しい」と思う時があるかも知れない。今、ちょっと楽しんでおいて‥‥はははは。


 悪用している人がいる


 私は「ありがとうございます」の言葉を知ってまだ六ヶ月ぐらいですが。
 先日、ここに二十回以上来られている方がいらっしゃったんですけれど、六ヶ月しかやっていませんが、結構、思い、エゴが無くなって謙虚になれるんですけど。二十回以上来ている人というのは、「ありがとうございます」を二十回も来ているのに悪用しているというか、一人地獄番組みたいな、やりたい放題で、ネットワークビジネスに活用したりとか。二十回も来ているのになんか悪用しているというか、(笑い)一人地獄番組を見ているようで、やりたい放題で人相が悪いし。(笑い)自分としては「ありがとうございます」で少しずつ人相が良くなって来てると思うんですけど。(笑い)これでも。体が真芯から「ありがとうございます」が言えるようになるにはどうしたらいいのですか。
 二十回来てもそんなふうになりたくないし、すごい「俺が、俺が」という感じでもの凄い否定されるんですよ僕のことを。どうしたらいいのかなあと思っています。

ありがとうございます:
 人によってみんな選ぶものが違うのね。その人が自分のマイナスだけを表面に出して消し続けてるかというと、そうでないかも知れないね。もっと大きくみんなのマイナスをぜんぶ一身に背負う人かも知れないね。(笑い)マイナスを、我を出す苦しみをよく味わってて、みんなの我をぜんぶ取ってあげようという感じでね、一所懸命消してるかも知れないじゃない。そういうふうにプラスに見てあげるのもいいかも知れないね、プラス思考にね。そしたらマイナスに見ないだけ自分が徳・得するじゃない。プラス思考で行きましょうよ、はははは。


 真芯にするにはどうしたらいいですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と呼べば、神さまの助けは必要なだけスッと入ってくるね。神さま任せがいいね、一番いいように入ってくるね、神さまの助けがね。自分で考えなくても大丈夫ね、神さまの方がぜんぶ見通して知ってるからね。一番いいところへ必要なだけをスッと入れてくれるね。だから最短コースを歩めるから「ありがとうございます」だけ。


 唱えて感涙


 私は去年の7月にはじめて「ありがとうございますという方がいらっしゃる」とはじめてご縁をいただきました。それ以来自分なりに「ありがとうございます」を唱えさせていただいてまして、絞るような涙が全身から出ると言いますか、もう嗚咽(おえつ)というか、どう表現していいかわからないぐらいの涙を、いろいろ体験させていただいたんです。
 今日、ありがとうございますに会えて、なんか恋人に会うようにワクワクした気持ちで参加させていただきました。お会いするまでは、「あれを質問しよう、あれをお聞きしよう」という思いがあったんですが、今日という日が近づくにつれて「もういいか」という心になってきたわけです、自分の中で。もうあるがままの状態でここで過ごさせていただこうと、どういう自分がいただけるのかという気持ちで今ここに居らせていただいています。
 今、あえて手をあげましたのは、本当に「ありがとうございます」という感謝の気持ちなんです。随分思う癖、マイナスを抱えてきた人生を体験しました。それが私には本当にプラスにとれるようになりまして、湧き上がるような喜びが時々あるんです、自分の中で。わけもわからずに涙が出たりという感じで。今日は、本当に感謝の気持ちで、本当にありがとうございます。(ありがとうございます)(拍手)

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を唱えているとやっぱり涙が流れるでしょう。これはみんな心でね、奥の心で神さまを感じてるのね。神さまと出会ってるんですよ、奥の心でね。表面はまだ気づかなかってもね。


 まだ、マイナスも結構出てくるんですね。だけど、「これも必要だから出てきてるのかな」と思うようにしているんですね。それでいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 それでいいのね、どんどん溜めたマイナスだけは消してもらったら、後は神さまだけを感じる自分になるのね。


 先程、地獄に落ちて光一元に見るのが一番の感謝だということで、「ああ、そうだな」と思ったんですけど。今、実際に地獄に落ちている方が、その姿を私たちに見せてくれているんですよね。
 その人たちはどうしたら救われるんでしょうか。

ありがとうございます:
 感謝することによってみんな幸せになるね。


 その地獄の人たちに感謝の言葉「ありがとうございます」が行くんでしょうか。

ありがとうございます:
 本当に「ありがとうございます」ってね、神さまの愛の塊でしょう、本当に「ありがとうございます」と感謝したら、その人のマイナスの姿は必要ないから、スッと消えて極楽世界に住んでいる姿を見せてくれるわね。


 じゃあ、地獄の方たちもいつまでも地獄じゃなくて、極楽世界に行くことができるのですか。

ありがとうございます:
 一瞬に変わるね、はははは。
 そうそう、もう一瞬に変わって、またね、愛の深い神さまは一瞬に極楽から地獄に降りてくれるのよ。だから、今地獄にいてる神さまを感謝で極楽に引き上げるのね。極楽にのぼった神さまは、またみんなを救うために地獄に降りてくれるでしょう。その繰り返しになるかも知れないけどね。でも一瞬一瞬、地獄の全ての神さまに感謝するのが大事よね。


 「ありがとうございますシール」はカビキラー?


 みなさんご存知かも知れませんけど。二・三日前に気づいたんですけど、うちに一ヶ所すごいカビの生えるところがあるんです。カビが生えるとカビキラーなどで敵みたいに落としてたんです。でも、建て替えとかあるものですから、好きなように生えたらいいわと放っておいたらすっごく広がってきたんですね。
 壁の裏がジクジクになってまして、ありがとうございますシールを周りにずっと貼ったんです。そうしたらカサカサに乾いて止まってしまったんです。壁紙を剥がしますとカサカサ。本当に不思議なくらいで、ちょっとカビを落としてしまうのももったいなくて(はははは)これからどうなるかなと放ってありますけど。なくなるのか、これからどうなるのか楽しみに見ているところです。

ありがとうございます:
 もう必要な助けはスッと降りるのね。カビを全滅させたらいいんじゃないけどね、必要な働きとして必要なときは出てくるでしょうけど、必要でなかったらスッと奥へ引っ込ませるのよね。


 一ヶ所だけというのは何かあるんでしょうかね。

ありがとうございます:
 そういう勉強をさせてもらったのね、神さまの働きの凄さがよくわかるじゃない。
 はい、ありがとうございます。

 
起テープ/M.T



2003.6.14



 
 【竜神さんのこと】

 どんな姿でもとれる


ありがとうございます
 竜神さんって恐い? 「逆鱗に触れる」という言葉があるのね。竜神さんの触ってはいけない髭に触ると命まで取られるというぐらい。でも、竜神さんって別に恐い存在じゃないのね。
 本当の自分、本体の自分から見ると、自分は何にでもなれるのね。竜神さんになれるのよ。一番奥の自分は神通自在にどんな姿でも現わせる自分ね。必要だったら竜神さんの姿もとるのね、天使の姿もとるね、どんな姿でもとれるのね。それが本当の自分ね。


 自然現象を司る

 「竜神さん」というのは、神さまの一つの働きよね。この世に出て来てないね、竜神さんね。恐竜じゃないよね。その働きもいろいろよね、自然現象を全て司ってるね。
 四つの働き「地・水・火・風」ってあるでしょう。ある時は「山の神さま」となるのね、

 「地」土地よね。地球全体になると「地球霊王」という姿をとるよね。
 「水」も竜神さんの働きね。琵琶湖なんかには大きい竜神さんがいてるね。いろんな滝にもいてるね、護ってるのね、修行を助ける意味でね。井戸にもいてるね、川の流れにも竜神さんの働きが「浄・清」めの働きとしてね。
 「火」もそうね、「火」も竜神さんの働きよね。
 「風」もそうなのね、台風なんてすごい風の力でしょう、マイナスの思いをぜんぶ吹き飛ばして消してくれるものね。自然現象のほとんどに竜神さんが関わってるね。

 だから働きも細かく分けたら無限に変化してるね。同時に、番組から言うと、全ての番組に顔を出してるからね。高い番組ほど純白に近いのね、色合いがね。純白に近いほど高い竜神さんね。


 竜神さんには色別の働き


 「白竜さん」というのはやっぱり力があるね。その皇の聖地は、この山全体を白竜さんが自分の身体として護ってるからすごい「浄・清(きよ)」まった場所になってるね。
 琵琶湖にも大きい白竜さんがいてるね、琵琶湖を自分の身体として現わしてるのね。
 世界のいろんな大きい湖もそうね、大きい白竜さんが護ってるね、自分の身体として護ってるね、「浄・清」めの働きをしてるのね。

 色合いが暗くなるほど、光が乏しくなるほど、別に上下の差別はないんですけど働きが変わってくるね。どんどん低い番組に合わせた働きになるね。

 「黄金の竜」なんていうとかなり神通自在よ。大きい働きをしてくれるね。
でも、「灰色の竜」とか、「黒竜」という黒くなると、やっぱり働きも小さくなるね。小さくなるといっても、次元を下げて、番組を下げてその場で働くから大きく働けないのね。黒竜さんが働くといろんな物質化現象が簡単にできるよね。パッと金粉が吹き出したとか、黒竜さんのイタズラね、あれは。いろんな姿を見せてくれるけどね、でもみんなにもいろんな竜神さんが護ってるのよ。必要に応じて神さまからの助けとしていろんな段階の竜神さんが、いろんな働きの竜神さんが手助けに来てくれてるね。

 だから特別に自分だけについているというようなのは大したことないのよ。神さまの方から必要に応じて派遣されてくる竜神さんの方がいいのね。
 「雨が欲しい」と言ったら雨がスッと降るでしょう、そうすると雨を司る竜神さんがスッと助けに入ってるのよね。
 台風が来て大変というよね、消して欲しかったらスッと消してくれるよ。自分のところだけ風が吹かなくなったりするのね。それはもう神通自在ね、竜神さんにとったらね。
 
 ただ、高い神さま、竜神さんでも高い竜神さんはあまり低い番組に働きかけるのは少ないね。よっぽどの時よね。大きい「浄・清」めの時は白竜さんが直接働いてくるよね。でもそこまで必要のない時は段階をおっていろんな竜神さんを、一番上の白竜さんが使いこなすのね。上から命令してくるね、そして役割を与えて力を添えていろんなことをさせてくるのよね。

 みなさんも、ある時は竜神さんになるよ、ある時は自由自在に何にでもなってるのね。だから別個の存在じゃないのよね。みんな自分の中にあるというと言った方がいいね。宇宙大の自分の中に、神さまから大きいプレゼントを受けた自分の中にぜんぶあるのね。それで肉体の自分をも守りに護ってくれる姿をとってるね。

 みんな一体なのね、みんな本当に神さまの身体の一部だから、本当に全体が生かし合い助け合いよね。循環して、本当に調和を保つようにちゃんとなってるのね。だからどれだけ竜神さんの恩恵を受けてるか計り知れないね。

 遠い星からも光を貰ってるでしょう、ねえ、あれも竜神さんの光よ。
 空気を吸うのも同じよね、空気って流れなかったらみんな死んじゃうよ。自分の周りの空気が移動しなかったら酸欠ですぐ死ぬよ。流れてるでしょう、空気ってね、地球上の空気がぜんぶ循環してるでしょう。循環させる力って凄い力でしょう、本当に‘生きてる’という感じね。生かす力が働いているという感じでしょう。

 風でも強いところほどいいのね、文化が栄えるってね。何故、文化が栄えるかというと、マイナスを消してくれるわね、プラスのいいものがどんどん出てくるようになる。風の強いところほど文化は栄えてる。
 大きい竜神さんの助けよね、それもね。だから台風はありがたいよ、マイナスに見たら損よね。

 普通、表面の現象だけを見てマイナスにとらえやすいけど、感謝の心で見るときは大きいプラスを発見するのね。台風ほどありがたいものはないというぐらいね。でも台風に対する備えさえしてたら恐いものじゃないよね。マイナスだけを消し切ってくれるのね、感謝の心でしっかり受け止めたらいいのね。


 何にでも化けられる

 護摩焚きの火も同じよね、竜神さんの大きい「浄・清」めの働きね。「不動明王様」というのも竜体を現ずるのよ、大きく働く時はね。凄い光を放ちながら大きい働きをしてくれるのね。
 ただ、いろんな図で描かれている有体の姿ね、あれだけが全てじゃないのね、ああいう姿もとるというだけね。なんかちょっと恐い感じよね。必要だったらやさしい女神さまとか観音さまの姿をとるのね。神通自在に姿を現して目の前に出てくるね。高い神さまは何にでも化けられるのよ。
 あまり「竜神さん」というと、竜神さんに執われたら駄目よね「そういう働きも、姿もとってくれる」というぐらいね、決め付けない方がいいね。

 一人一人に付いている守護霊さんや守護神さんでも同じなのよね。こういう守護霊さん、こういう守護神さんと決め付けると間違うね。守護霊さんも守護霊さんも一応悟って神通自在になってるとするでしょう。そうすると自分に合わせていろんな姿をとってくれるの。ある時、竜神さんの姿で現われた方がいいという時は竜神さんの姿をとるの。

 みなさんもいろんな信仰を続けてきて、キリスト教に入ってキリスト教の勉強をしている時は、やっぱり仏教の菩薩なんかが出てきても相手にせんでしょう。だから、キリスト教関係の有名な神さまなんかに化けて出てくる。守護霊さんなんかでも化けるのよ。時にはイエスさんに化けるかも知れないね。でも、イエスさんの姿で出てきたら「あっ、イエスさんが助けにきてくれた」と思うでしょう。マリアさんの姿で出てきたら「あっ、マリアさんが出てきてくれた」と思うでしょう。でも守護霊さんはできるのよ、自分の心境に合わせていろんな姿を神通自在にとれるのね。それで、 順番に姿を変えて指導し続けてくれるでしょう。


 守護霊さん、守護神さんが代表格

 今度は仏教に入ったら、仏教の菩薩になって化けて出てくるよ。でも、化けた姿に騙されたら駄目なのね。だから、守護霊さんって凄いよ、一人一人専属に護ってる神さまってね。
 みんな神社にお参りして、神社の神さまに護ってもらおうかと思うのかも知れないけども、違うよ。守護霊さんが護るの、直接ね。別に神社の神さまに助けてもらわなくてもいいの。守護霊さんに力があるのね、必要だったら必要な助けはいくらでも、宇宙の大神さまから受けた力でそれができるのよね。

 でも、最初はみんな守護霊さんを無視していろんなところへ会いに行くのよね。お参りして頼んだら助けてくれると思うのよね。でも、助けてくれているのは自分の守護霊さん、守護神さんよね。頼んだから助けてくれるような神さまは大したことはないよ、はははは。頼む前から、ずーっと昔から助け続けてくれている神さまが、本当の自分にとって大切な神さまでしょう。それが守護霊さん、守護神さんよね。
 これからも未来永遠に助け続けてくれるのよ。付いたり離れたりしないよ、そんなんは大したことないよね。ずーっと付きっ切りで助け続けてくれるのが本当の守護霊さん、守護神さんね。これは宇宙の大神さまの代表になって助ける姿をとってるのよね。まあ、宇宙の大神さまの変身の姿だけどね、一人一人の身近に付き添って愛する姿よね。

 竜神さんの働きもそういう姿で、守護霊さんの変身かも知れないよ、いろいろ助けに来てくれるのもね。場合によったらそうよね。でもね、宇宙の大神さまは守護霊さんを代表格にして、全ての神さまを神通自在に使って助けに来てくれるよね。だから、守護霊さんだけに助けてもらってるというのもまたちょっと小さくなるから。だから「ありがとうございます」で宇宙の大神さまからの全ての助けを受けるのがいいよね。

 だから、「守護霊さん」と言うことも必要ないよね、「竜神さん」と呼ぶこともないのね。みんな「ありがとうございます」で宇宙の大神さまからの必要な助けという受け方がいいね。
一つの名前を使うとそれに執われちゃうのね、縛られるでしょう。「竜神さん」と言うと竜神さんに縛られてしまうね。そしたら他の神さまに心が向かないもんね。
だから、いつも全体に心が向くように、感謝が行き届くようにというのは、宇宙の大神さま唯一つ、これをしっかりととらえたらいいね。「ありがとうございます」でぜんぶに通ずるしね、ぜんぶから助けられるね。
 
 竜神さんもね、入れ子構造の姿をとるからね、小さい竜神さんから大きい竜神さんまでね。またたくさんの竜神さんを自分の中に束ねて持ってたりね、いろいろな姿をとってくれるね。
 これをバラバラに見るのはあまり良くないのね、比較して見るのはあまり良くないね、みんな一つなのね。神通自在の姿の中に、本当の竜神さんの働きがあるのね。


 雨、涙、朝露、体温、血液まで

 雨の一粒にも大きい竜神さんがいてるかも知れないよ、無限の竜神さんが入ってるかも知れないね。
 朝露の一つのしずくの中に大きい竜神さんも、無限の竜神さんもいてるかも知れないね。たくさんの竜神さんがその中にいてると見たらすごいでしょう、一粒の朝露のしずくの中にね。また流れ落ちる一滴の涙の中に、すごい「浄・清」めの竜神さんがいっぱいいてるかも知れないよね。だから、涙が流れるというのはすごいでしょう、すごい「お浄・清」めの働きよ。涙を流させる神さまっていてるのね

 本当の神さまの愛に触れたらみんな感極まって涙を流すよね。表面の自分はわからないね、何が起こったのかわからないね。でも奥の自分が神さまの愛を感じて大きい「お浄・清」めを受けて喜びの涙を流すのね。大きい「浄・清」めの竜神さんの働きをしっかりととらえてるのよね。だから、その名前をいろいろの神さまの名前を使ったりしていうけど、でも、神さまの大きい愛の「浄・清」めの働きよね、みんなね。

 人間の体温でも上手に調整されてるでしょう、冷血動物みたいに冷たくなったらどうなる? でも、体温の状態ってほとんど一定に保たれるでしょう、大きい竜神さんの自然に調整してくれる働きよね。目に見えないところからいろんな助けがいっぱいきてるよ。この世だけで肉体が維持されて生かされてるんじゃないね、いろんなところからたくさんの神さまの愛の助けがいっぱいきてるのね。それはもう神通自在に流れてきてるから、みんなそれに気づいてしまったら大変よね、いろんな光がいっぱい入ってくるね。

 風邪をひいて熱が出るのも同じよね、熱が必要なのね‘マイナスを消すために’ってね。この世の人は表面だけをみて「あっ、ばい菌が自分を攻撃してる」とみるのね。そのために熱が上がって殺してるんだと言うのかも知れないけど、そうじゃないね、そんなちっぽけなものじゃないね。ばい菌も悪役を演じてるように見えるけどね、自分のマイナスを背負ってくれてるだけだからね。大きいマイナスを背負って身代わりに背負ってくれてるだけね。その背負ったマイナスを竜神さんが大きい光を、熱を与えて消してくれてるよね。みんな良い役よ、みんな助けてくれる愛の働きばっかしね。何が起こっても大丈夫。

 竜神さんが助けてくれなかったらみんな死ぬよ、即ね、瞬間に熱がなくなって冷たくなってる。心臓の血液の流れも瞬間に止まるもんね、竜神さんの働きがなくなったらね。呼吸が止まったらそのまま駄目よね、みんなそうよね、何一つ欠いても一瞬も生きて居れないもんね。自分の周りのぜんぶ、大きい神さまの生かす働きばっかしでしょう。生かされてるだけよね。どれ一つ間違っても駄目なのね。

 だから「死ぬ」といったらすごいことよね。勝手には死ねないよ。ねえ、神さまの生かす働きが無限に無限にいっぱい降り注いでるでしょう。本当は絶対死ねないよ。でも時期が来たら死ぬだけよね、この世の勉強の場からもっといい勉強の場へ移るだけよね。悪いところへ行くんじゃないよ、もっと相応しい勉強の場へ移るだけね。幸せへの最短コースを歩ませてもらうのね。だからどういう勉強の場へ移ってもそれが幸せへの最短コースになるように導いてくれるね。

 みんな地獄に落ちたら損したように思うのかも知れないけど、そうじゃないよね。地獄にもし落ちたら、一番謙虚になる勉強を先にさせてもらう。だから、一番早く悟りを開けるかも知れない。
 でも、これはみんな守護霊さん、守護神さんが見通してるから、一番最短コースを歩むように歩むように護り導いてるね。
ただ、思いの心じゃ逆に見たりするから、自分が損するのね。感謝の心だとお任せできるね。いつも一番良いように良いように導いてもらってるから。感謝で受ける方がプラスにプラスに感謝して受けてるね。それだけでも幸せよね。プラスをわざわざマイナスに思う必要はないもんね。


 何があってもお任せ

 だから、死ぬ時は死んだらいいのよ、一番幸せなの。病気になる時はなった方がいいね、一番幸せなのよ。だから感謝の心でみると、何が起こっても「これが最高の幸せ」よね。「ありがとうございます、ありがとうございます」で受けきっていったらいいだけね。もう最高の幸せを次から次へと与え続けてくるね。何があっても大丈夫ね、だからね。

 ただ、思いの心になってしまうと、ひっかかるのね。「思い通りにならん」というのでひっかかるのよね。思いの心は全体を見通せないのね、先が見えないのね。わからないのね、何が幸せかわからないね。回り道をしているかも知れないね、落とし穴に落ちてるかも知れないのに、なんかそれがいいように思うだけね。
だから思い通りになっても幸せにはなれない、絶対ね。神さまの計らいの方が無限に上なのね、もうちゃんと計らってくれるから。何が与えられても感謝の心で受けたら無限の幸せが一杯に感じられるね。

 一つの小さいものにしがみついたら必ずそれを取ってくれるよ。そしたら無限にたくさん与えられているのに気づくでしょう。神さまが小さい幸せまで奪ったんじゃないのよ、逆ね。小さいものに執われているのを大きい心に変えてくれるだけね。たくさんのプレゼントを受け取れるようにしてくれるだけなのね。
 「この世しか無い」と考えている人にとったら、そうでしょう、この世のものを奪ってもらう方がいいのよ。しがみついたものを奪ってもらう方が、あの世に無限の世界があるって気づかせてもらうのね。あの世の無限の世界にいっぱいプレゼントがあるのね。だから心を大きくしてくれるだけね。

 神さまの計らいって、やっぱり思いの心ではちょっと気づき難いね。感謝を深めて、それで神さまの御心をしっかりとらえないとね。どこまでもどこまでも神さまの愛は深いの。‘山よりも高く、海よりも深い’その程度じゃないのよ、無限に無限に愛深いよね。もう至れり尽くせりね、どこまで行ってもそうよね「これでもか、これでもか」というぐらい愛を加えてくるよね。


 周りの人の姿は自分の勉強

 自分の周りにいろんな人の人生のあり方、姿を見せてくれるでしょう。これはみんな自分の勉強よ、早く気づくように気づくようにってね、神さまの愛に気づくための勉強なのね。だから、小さくとらえたら損よね、みんな神さまに愛されてる姿なのよね。自分一人で受けきれないから、自分の代わりにみんな周りの人ぜんぶが、神さまの愛を受ける練習をしてくれてるでしょう。その神さまの愛の受け方を学んで、ぜんぶ自分の「神さまの大きいプレゼント」と受けるのよね。

 本当は最初からみんな神さまの愛に抱かれて、無限の無限の幸せが一杯!というのが本当よ。気づく気づかないは別にしてね。それはもう本当の姿よね。奥の自分だけがそうじゃないよ、その肉体を持って生きてるこの自分もそうなのね。神さまの大きい愛に包まれてるだけよね、本当はそうよ。ただそれに早く気づけばいいだけだけどね。気づくためには「一番必要なのは何か」というだけでね。

 「ありがとうございます」ってね、神さまに心を向けるだけよね、神さまを呼ぶだけね。「ありがとうございます」って呼び続けたらいいだけね。そしたら自然に気づかせてくださる。
 本当にね、この世も神さまの愛の塊に見えてくるよ、感じられてくるね。
 本当にね、みんな一回消えて無くなったと思えば気づくのよね。
 「もし、空気がぜんぶ消えたら」って考えてみたら、空気が無かったら生きられないもんね。


 「謙虚」というのは、一旦ぜんぶ消しきる

 なんぼ嫌な人がいっぱいで「人嫌い」という人でも、この世の人がぜんぶ消えたらと思ってごらんよ、一人ぼっちよ。そしたら喧嘩相手が欲しいのよ。地獄に落ちても仲間が欲しいのね。
 だから、みんな贅沢な悩みを抱えてるでしょう。
本当に「謙虚」というのは、一旦ぜんぶ消しきるのね「みんな消えて無くなったら」という気持ちになると、そうしたら新たに受け直せるよね。新たに受け直したものはみんな無限の価値があるね、みんなね。みんな神さまの愛の姿よね。ありがたいばっかしになってくるでしょう。

 だから、一瞬一瞬新たに受け直すこの感謝の練習は、過去を消しきる働きよね。そして神さまから本当に愛の姿を新たに受け直してるでしょう。この感謝の練習だけが幸せを大きく深くするのね「新たに新たに」というのが大事ね。


 総仕上げだからなかなかたどり着けない

 でも、なかなかみんな「ありがとうございます」にたどり着けないのよ。簡単なようだけど、最後の総仕上げだから、なかなかたどり着けんの。でも、一旦たどり着いたら、あと心配ないね。あとは感謝が無限に深くなっていくだけね。幸せが無限に無限に大きくなって気づくだけよね。
これも時期がこないとわからないよね。時期がくるというのがすごいことでしょう。これも神さまの大きい助けで時期がくるのよね。時期がきて「ありがとうございます」に触れるのも、神さまの大きい助けで触れるのよね。
先ず神さまが中に入って「ありがとうございます」を唱えてくれるのね、自分が唱えてるんじゃないよ。神さまが助けに入って唱えてくれてるよね。だからいつも神さまと一緒よね。
最初から最後までそうなんだけどね。でも「ありがとうございます」と唱え始めた時に初めて気づくのね。「ああ、いつも神さまと一緒なんだ」というふうに気づかせてもらうのよね。
だから「ありがとうございます」というこの言霊の働きって凄いね、凄い力があるのね。

では、他に何か質問があればしてもらおうかな。なんでもどうぞ。


 【質疑応答】

 比較


 なんで人は比較をするのか。前の状態と今の状態とかも比較します。別に比較しないでもいいのに、比較しないとわからないように思えるんですけど。前の良いところが見えてたりすると‥‥、なんで比較しないとわからないのでしょうか。

ありがとうございます:
 神さまが与えてくるのは、常に新しい良いものばっかしなのよね、本当はね。
 先ず「無限の無限のチャンネル」という姿を与えてくるのも同じものは無いのね、ぜんぶ違うものね。それも必ず新しい変わったものとして出てくるね。だから無限の無限の選択肢を与えてくるね。それは神さまが一人一人に自由を完全に保障しているという姿なのね。だから、自由が無いと人は幸せじゃないのね。選択肢が狭くなると人は幸せからどんどん遠ざかるのね。

 この世でも同じね、一つのことに縛られたら苦しくなるのよ。比較するというのは選択肢が拡がるということよね。たくさんあった方がいいでしょう、その中から自分が好きなものを選んでいくのよね。その選び方もいろいろよね。
 だから根本は自由が大事というところよね、そして選択肢を神さまは無限に拡げようとしてるね。そして比較して優劣を決めるのも、それも別にその人の自由だからいいんだけどね。本当は「全部良い」というふうに見えるのがいいのね。

 花だったら無限の種類の花があるとするでしょう。どの花も「素晴らしいな」と見える方がいいね。ただ優劣を決める「この花は大きいから素晴らしい」というのね、優劣を決める見方は思いの心の方ね。思いの心の方の受け方はちょっと程度が落ちるのよ。どの花も、大きいのも小さいのも、もう全てが素晴らしいんだという、もう無限の素晴らしい価値があるんだというふうに受けて、そして選択肢を無限に拡げるのがいいね。そしたら自由に神さまからのプレゼントを受け取れるというところがあるね。

 感謝の心はもともと自由自在な心でしょう、それで全てに無限の価値を見出してみんなを褒め称えて、そして感謝の心で受けて喜ぶだけというのがいいのね。
 ただ、思いの心は、やっぱりちょっとひっかかってるのよね。


 比較すると、良いのが見えてきます。

ありがとうございます:
 良いのは選ばないと駄目だけどね、比較した時にね。


 比較するといい方が見えてくるんで、なんでその時に気がつかなかったのか。

ありがとうございます:
 これは感謝の心だったら気づくのね「全部良い」というのに気づくのよ、最初からね。
 でも、思いの心は一つの立場に執われてしまうね、縛られてしまうのね。立場が自由でないから、その立場でものを見ると、見方が感謝の心の見方と違う時があるね。その時に「こっちが良い、こっちが悪い」と見てしまうね。だから、その立場が執われてるのね。
 自分が良いのを見たとするでしょう、その立場から見ると、下がぜんぶ駄目なんでしょう。

 一つの花を見てもそうよね、花が咲いた状態を先にとらえた人は「蕾は駄目だ」と言うのね「双葉も駄目だ」と見えるのね。でも、種を見た人は「双葉も素晴らしい」と言うのね、「蕾はもっと素晴らしい」と言うんでしょう。

 自分の立場が自由になってたら、それぞれにぜんぶ最高に見る立場に立てるのね。でも、一つの立場にみんな縛られてしまうね、思いの心ってぜんぶそうね。過去を掴んで一つの立場に縛られてしまうね。その時に自分の見方が比較するのよね、「こっちがいい、こっちが悪い」と執われた比較をするのね。
 でも、また立場が変わった時に、また違う比較の仕方をするのね。でもどちらも執われてるのよ、比較するというのはね。

 だから、「分別心」という、善悪を決めたりする「分別心」も思いの心なのね、感謝の心じゃないのね。思いの心は分別心を起こすね、比較の心を起こすのね。
 でも、それでは本当の姿はわからないね、浅いのね、自由の無い執われた見方になるね。これを、やっぱり先ず感謝の心に戻してごらん、もっと自由な立場で、比較を超えて全てに無限の価値を見出せるね。
 そうすると最初からいいものばっかしだったと気づくの。比較していいものを選ぶ程度じゃないのね。もう「最初から最高のいいものばっかし」と気づいた方がいいね。比較している間はまだ気づかないね。無限にいいものがいっぱいあるのに気づかない。見てる世界が狭いね、小さい部分しか掴んでないね。やっぱり部分に執われてしまうのね。

 実際そうでしょう。比較する心で何を見てるかと言ったらね、つまらん小さい一つか二つなの、宇宙全体を眺めてないね、見てないね。感謝の心になってはじめて大きく眺めるでしょう、その時は全てに大きい価値を見出せるね。

 人を比較するのでも同じよね。比較する人をごく僅かな人だけを見てるだけね。これはやっぱり執われた思いの心ね。宇宙の全人類を見てるのと違うよ、全ての人は見えてないね。
 またこの世の人だけじゃないね、あの世にいてる全ての人を見てないね。感謝の心でないと、それは見えないね、気づかないのよね。だから、比較するというのはあまりいいことないよ。特に上下をつける、優劣をつけるのは良くないね。それは、思いの心だから、この思いの心はやっぱり消してもらう方がいいのね、楽になるね。

 「思いを消してもらう」というのが感謝の第一歩なんよね。だから「ありがとうございます」を唱えてると、先ず神さまの方が思いを消してくるね、そういう比較する心をね、分別心をどんどん消してくれるから何を見ても価値を見出せるようにしてくれるよね。そうするとひっかかる心は消えてしまうね。


 痛みは「浄・清(きよ)」め


 風邪をひいて熱が出るのは、マイナスを消してくださるとおっしゃいましたけど。私の母は八十六歳で、いつもは元気なんですが、時々足が吊れたり、記憶が少しあやしくなってきているんですが、それはどういうふうに感謝に結びつけたらいいのかちょっとわからないので教えてください。

ありがとうございます:
 足が吊るというのも、いいよ、はははは。ちょっとは痛みが伴った方がいいのよ、まだ。どんな痛みが伴っても大きいマイナスを軽く消してくれてるね。
 例えば、地獄の無限の苦痛って味わったら大変なことよね。それをこの世でだったら億分の一で消してくれるね。そうすると「足が吊って痛い」という姿をとるでしょう。でも、この足が吊るのは単にこの世だけじゃないのね、あの世からのいろんな働きも「浄・清」めもあって、それでこの世で‘足が吊る’という姿をとるだけね。だから、自分だけじゃないね、いろんな縁者の救いにもつながってるのよね、だからマイナスでは絶対ないよね。喜んでたら大きいプラスの働きに変わるね。

 何から何まで本当はそうなんよ。マイナスは一切無いよ、本当はね。特にそれを感謝で受けたら、大きい世界からの働きが、深い世界からの働きがぜんぶ加わってきてるから、大きい助けを受ける。気づかなかっても受けてるんだけど、気づかない心だけが損してるのね。気づいた方が幸せが大きく感じられるというだけね。


 ここに来ることを聞いて、私自身が膝が痛くなったりとか、いろんな症状が出たり。今日もトラブルがあったんですけど。そういうのもぜんぶそうですか。

ありがとうございます:
 こういうところへ来ないと、大きいマイナスが軽く消えないよね。


 二回目なんですけど、前の時も「行こう」とお電話して、かなりいろんなことが起きるんですよね。

ありがとうございます:
 そうでしょう、だから消してもらえる大きいものをぜんぶ浮かび上がらせてくるでしょう。また縁者のマイナスをぜんぶ集めてくるでしょう、先にね。こういう場で一挙にパッと消してもらうからね。
だからマイナスが噴き出したのと違うよ。大きいマイナスを消してもらったのよ、みんなね。その確認よね、ちょっと出てくるのはね。


 兄弟だとかいろんなことを含めてですか。

ありがとうございます:
 ぜんぶ含めてよ。


 「ありがとうございます」というのは、誰々に対して「ありがとうございます」じゃなくて「ありがとうございます」ということによって、全てその人の周りの人も全てお蔭があるんですか。

ありがとうございます:
 宇宙の大神さまが直接に、直々に働くでしょう。自分の縁あるものをぜんぶを幸せにしようとしてくるからよね。それでみんなが助かっていくね。


 同じ場所で同じ話を聞いていも、同じ番組は見てない


 番組という概念がまだ完全に理解できてないんですけれども。神さまが無限のチャンネルを用意して、自分の番組を見てる。自分と現実は一つなんですか。

ありがとうございます:
 自分の見ている番組が自分が受けた一つの世界よね。だからみんな同じ番組は見てないよ、ぜんぶ違う番組を見てるのよ。「この世」という共通の番組があっても、この世が無限にまた分かれてるから、一人として同じ番組は見てないの。自分の見てる世界が自分の見てる番組ね、神さまから無限の無限の番組を与えてもらって、一つを選んで見てるだけなの。


 例えば、この場にいる人が全員違う番組を見てるんですか。

ありがとうございます:
 違う、うん。だから、自分と人とって、いろいろ言うけどね、自分の見てる世界が自分の見てる番組。


 例えば、全員ありがとうございますの話を聞いていますけれども――

ありがとうございます:
 みんな違うことを聞いてる。(笑い)
誰一人同じことを聞いてない。同じ受け方を絶対してないの。


 あ〜。

ありがとうございます:
 みんな違う番組を見て違う受け方をするの。


 日本の神話から


 太陽と、月と、地球で天照大御神。チラッと読ませていただいたような気がするんですけれど。
 月讀命と「讀」という字がありますね。「竹取物語」に出てくるかぐや姫の話。これまでの先生のお話の中に「龍宮城」のお話が時々聞かせていただきましたけれど。日本の神話の中の「竹取物語」をどういうふうに受けたらいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 神話というのは、やっぱり素晴らしい真理を、いろんな段階の解き明かしをしてるのよね。
 だから「太陽と、月と、地球」の働きって、これは神様の大きい働きの一つの模型なのね。天照大御神様を太陽と見るでしょう。それで、月讀命を月と見るのね。須佐之男命を地球と見るのよね。この三神はもともと一体の神様ね。大きい天照大御神様なのね、一つのね。
その大きい神様の働きを分けて、小さく天照大御神様、月讀命、須佐之男命に分けてるのね。もともと一体だから分けることはできないんだけどね、この働きをしっかりとらえる意味で説明上分けて説明するの。もともと一体なんよね。

 「月」というのは、闇を照らす天照大御神様の働きでしょう、太陽の光を受けて反射して、そして闇の世界を照らしてるでしょう。それも光を加減するでしょう。新月になって、三日月になってね、満月になっていくという姿で反射光の量を加減するでしょう。それで闇を照らす光の働きも変化してるね。
 だから、小さい光から大きい光まで自由自在に加減しながら、闇の世界を照らして救いを与えてるね。ただ、闇の世界というのは強い光は受け付けないでしょう、やわらかい小さい光でないと駄目なのね。

そういう意味では天照大御神さまの太陽としての大きい光をやわらげて、一人一人に合わせて必要な光を与えてくる働きよね。ものすごく愛深い働きでしょう。もぐらに太陽の光を与えたら死んじゃうもんね。
 だから、みんな神さまの愛の働きで光を加減して、それで幸せを自分に合わせて与えてきてる姿よね。でも、それも必要なんよね、みんな一人一人の成長段階がぜんぶ違うから。

 例えば、種が蒔かれて、そして芽が出て強い光を与えたら枯れちゃうよ。やっぱりやわらかい光で包んでくれないとね。その時にちょっと霧が立ち込めた方がいいぐらいなね。
だからいろんな神さまの愛の働きが、みんな自分に合わせて降りてくる。周りの姿がぜんぶ自分を助ける姿をとってくるのよ、本当はね。 

 環境自体が自分一人を幸せにする姿で現われてくるね、ただ気づかないだけよね。気づく心が感謝の心というだけで。だから、どんな番組に降りて、どんな姿をとってても、みんな神さまの大きい愛の働きばっかしね、早く気づいた人が得するのよね。
 だから「竹取物語」の話もいろんな段階の話があるよ。先ず「竹」というのは、「心が空になる」空っぽになることよね。そこから生れるのが素晴らしいお姫様よ、本心の自分が出てくるのよ。

 やっぱり本心の自分というのは、この世に縛られるものと違うのよね。もう神通自在に天に戻るのよ。いつまでもこの世に執着して、この世で幸せを掴むというのと違うからね。本心の自分を自覚したら必ず宇宙大に大きくならないとね。本当の本源の世界に戻るのね、月に戻り、太陽に戻るのがいいのよ。神さまと一体化するというのが大事なのよね。本当の幸せはこの世になかったのね「神さまの中にあった」という、これも一つの例え話だけどね、いろんな意味合いがあるよ。百ぐらい考えてみたらいいかも知れない。


 全国への本の出版について


 今度本が出版されますよね。今までは口コミだとか、一般書店に今度はありがとうございますの本が出るじゃないですか。そうすると認知度が、隠れているところから次元が変わって前に出てくるイメージがあるんですけども。それについてどう考えておられるのかなと。名前が売れるというか――(笑い)

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と唱えたら、みんな「ありがとうございます」よ。今まで私が一人だったから、集中攻撃をくらって大変だった。でも大勢生まれてきたからね、神さまは、「大勢ありがとうございますが生れたから、もう大丈夫」と言うよね。

 
私は関係ないの、だから。「ありがとうございます」の神さまが働いているのよ。私の働きでどうこう違うよ「ありがとうございます」という宇宙の大神さまが大きく働いているだけ。だから、みんなを「ありがとうお姉さん」にするのよ「ありがとうお兄さん」にしてね、神さまが大きく力を揮うだけね。だから、そういう神さまが大きく働く時期になったというだけね。

 あの本も、神さまがそういう必要な人を使って作らせて、みんなの手に渡るように渡りやすくしてくれただけね。
私は全然関係ないの。もともとね、神さまから受けた言葉はぜんぶ複製自由で無料贈呈で、版権もぜんぶ放棄して、みんな自由にお使いくださいという形をとってるから、それをどういう形で活かしてくれてもいいのね。だから、心ある出版社が善意で「神さまの言葉をみんなに伝えてあげよう」ということでしてくれてるのよね。素晴らしい本になってるね、あれね、読みやすくしてくれてね。

 でもね、みんな神さまの大きい光がそこへ注がれてるからね、神さまが大きく働いているよね。凄い奇跡を起す力になって、あの本が活躍するよ。私は関係ない、はははは、みんな神さまがする働きだけね。
 そのうちに私は忘れられてしまう、はははは、本が主役になっていくんじゃない‘本の本物’というて‥‥(笑い)


 自分から何かを発見したりつくったり、何かを伝えようとする時にきっかけとして、闇の中からの光と、上からの直接の光とあるんですけども。どちらかを信じたい時に、お任せした方が早いのでしょうか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と唱えて「無限の無限の輝きが一杯!」というふうに言うと、光の中に自分を置けるからね、そこから自然に出てくるのが光の放射よね、光が発信されるね。
 でも、思いの心だと思いを撒き散らすよね、するとみんなにマイナスを与える可能性が大きいでしょう。思いの縛りを与えてしまうこともあるよね。だから、先ず光に戻ったほうがいいね、神さまの光をいっぱい浴びて、それで自然にお任せした状態で光を振り撒いてもらうね。それも必要なところに必要なだけの光を与えてもらうのね、光の加減をしてもらわないとね。
 強い光ばっかし与えたらいいのと違うのね、神さまに光の加減もしてもらいながら光を振り撒くそういうお手伝いよね。だから、先ず光に戻る「ありがとうございます」を唱えて光の自分に戻してもらって、自然に「お任せ」というのがいいね。
 ありがとうございます。