20030101未年の意味AR117

 あけましておめでとうございます。
 お正月というのは、心を新たにする一番の節目になるのね。「あけましておめでとうございます」ということです。
 人間というのは常に神さまの中から生まれ出て、新たに生まれ新たに生きるというのが一番幸せな生き方なんですね。ところが過去を掴むと思いが溜まって、いつの間にか思いの中にはまり込んで不自由になって七難八苦で一杯という姿をとってしまう。一年の終わりには必ず大祓いとか、また除夜の鐘を聞いて過去をぜんぶ捨ててしまうのとね。過去を捨てることによって、新たに生まれる自分に置き換わってくるんですね。
     
 今年は未年よね、羊というのは柔和よね、ものすごくね。従順で素直で謙虚ですね。
 キリスト教では羊を「神の子」にたとえてるね。
 「謙虚」というのが一番大事なのね、神さまの前に立つときはね。謙虚になると神さまをしっかりと受け入れることができる。
 日本では「ひつじ」を「ひつぐ」という「日を継ぐ」という言葉を使うのね。神さまのすべてを受け入れて継ぐというのね「ひきつ〜ぐ」というね。

 神勅

 天照大御神さまの「神勅」というお言葉として「天壌無窮の神勅」というのがあるよね。それはどういうものかというと


  豊(とよ)葦原(あしはら)の 千五百(ちいほあき)秋(あき) 瑞穂(みずほ)の国(くに)は
 
  是(これ)れ我(わ)が子孫(しそん)の 王(きみ)たるべき地(くに)なり
 
  宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま) 就(ゆ)いて治(しら)せ さきくませ
 
  宝祚(あまひつぎ)の 隆(さか)えまさむこと
 
  まさに天壌(あめつち)と 窮(きわま)り無(な)かるべし

 これは天照大御神さまからみんなに与えられたお言葉だというのね。
 「豊葦原の 千五百秋 瑞穂の国は」というのは「無限に無限に輝いた全大宇宙」ととらえたらいいね。
 「是れ我が子孫の」というのは、天照大御神の子孫・子供といういう意味ね。本当はみんなが天照大御神さまの「まことの子・真子」であり「生みの子・子孫」ね。
 天皇家だけが天照大御神さまの子孫じやないよ、みんな天照大御神さまから生まれてるのね。みんな天照大御神さまのまことの子供なのね。
 「我が子孫の 王たるべき地なり」の「王・きみ」という言葉も王様とか君主という意味じやないのね。
 「王・きみ」というのは「極の身」というわけね、これはもう絶対の自覚よね、全体者の自覚・総責任者の自覚・中心者の自覚というのが「王・きみ」なのね。だから、神さまのすべてを受け入れた状態を「王・きみ」というのね。一人一人が天照大御神さまからすべてを受け直したら「王・きみ・極身」になるわけね。

 「宝祚」というのは「天の神さまの無限の無限の輝きを受け継いだ人」というのね。だから、常に自分が「無限の無限の輝きが一杯!」というふうに神さまから受け直した自分が「宝祚」というのね。それが「永遠に、いや増しにまして輝き続ける」というのが本当の生き方よね。

 日本の民族の生き方

 日本の民族というのは、世界の雛形としての役割をもってるよね。日本列島が世界の大陸の縮図のように、日本の民族の生き方が世界に大きく影響していくのね。
 だから、日本民族は神さまの宇宙の法則をしっかりと体得して、それを現実に現して世界を平和にしていく大きい使命があるのね。昔から、日本は「我」を先ず死にきらないといけないのね。これは日本民族の一番の特徴よね。日常生活の中でもそうでしょう、日本民族は自分を主張しないよね。
 例えば、子供が学校へ行く場合に「行ってきま〜す」だけで「私が行ってきます」とは言わないね。自分というのを絶対出さないのが本当よね。「私が、私が」と主張しないのが日本民族の特徴よね。だから、いろんな日常の生活の中に、いろんなのがあるよね。
 例えば、風呂敷があるよね、何でも包み込めるでしょう、我が無いのね。
 着物もそうよね、大きい人でも小さい人でも少々寸法が違っても着にくいかもしれないけど、着れるよね。
 下駄やぞうりがそうよね、靴と違ってちょっと小さくても大きくても履けるね。家の造りもそうよね、襖なんていうのは開けたら広くなるよね。ドアというとあかんね、壁に囲まれてしまってるから、部屋が広がらないよね。
 日本には、そういうふうに「我の無い生き方」というのをしっかりと生きるように使命付けられてるのね。
これは日本だけの特徴よね、外国は自分を主張するよね。

 宗教的な教えもそうよね「教え」というのと「道」というのはちょっと違うのね。キリスト教でも仏教でもイスラム教でも、みんな「教え」というのがついてるでしょう。日本は神の道「神道」よね。
 「道」というのは、道路もそうだけど、すべてを一つにつなぐでしょう。それで「充ち(道)わたるもの」というね「宇宙全体に充ちわたるもの、すべてのすべてなるもの」という意味があるのね。道でないと全体とひとつになれない、ならないよね。
 日本には「道」とつくのがたくさんあるよね。武道にしてもそうよね、いろんな習い事はぜんぶ「道」がつくのね「茶道」にしてもそうでしょう。「道」というのは全体と一体化するためのものよね。「武術」と「武道」とは違うのね「術」と「道」はぜんぜん正反対なの。
 「術」のほうは自分を出すのね「道」のほうは自分を出さないのね、神さまを現わそうとする、大きいものをね。全体、ひとつのものを現して調和をそこにもちきたすのよね。だから「武術は戦い」なのね、「武道は矛(ほこ)を止(とど)める」という愛の姿を持ってるね。だから、礼に始まって礼に終わって相手を傷つけないのね。全体を調和させるという働きよね。「道」とつくものは、神さまと全体と一体化してるの必ずね。だから、本当の幸せがそこに生まれてくる。
 日本人は神さまから授けられた使命を生きるのが一番の幸せなのね、外国の真似はする必要はないのね。いままではちょっと外国かぶれがあるのよね。
 民主主義にしてもそうよね、我の心を主張するのが本当の民主主義と錯覚してたのね。本当の民主主義はそうじやないね「我の心を死にきって、絶対者の自覚」よね。「王・極身」の自覚になってはじめて神さまの御心を現す本当の民主主義の生き方よね。これはなかなか奥深い生き方だから大変なんだけど。
 先ず、自我を死にきって、神さまの心をしっかりと受け止めて、全体者の自覚に立ったときにはじめて、みんなを幸せにする大きい本当の正しい生き方がとれるのね。それが本当の民主主義なのね。
 ところが浅い民主主義は偽者よね、我の主張だけで、争うだけで終わってしまうのね。神さまの御心を中心に持ってこないと調和しないね、どんな場合もね。

 謙虚

 「謙虚」というのでも何が一番謙虚かというと、マイナスを掴んだ状態は謙虚なんかじやないよね。マイナスを掴みすぎると「卑下慢」になるね。「謙虚」というのは、神さまをしっかりと受け入れて、感謝が深くなったときにはじめて「謙虚」になれる。「無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯!」というぐらいの神さまの大きい働きをしっかり受け入れて、感謝が深くなった状態が一番謙虚ね。もう自然に神さまの前に立たされたときに、ヘリくだれるのね。
 神さまはいつも無限の無限の幸せをみんな一人一人に与えようと一生懸命よね。天から滝のように幸せが、光が降り注いでるのね。ところが、それに背を向けた途端に、自分には何も無いのね、幸せでもなんでもなくなるでしょう。その途端に我が出てくるね、倣慢になってくるね、卑下慢になってくるね。
 でも、神さまから「無限の無限の輝きが一杯!」という幸せをいっぱい受けたときは、もうそのまま圧倒されるような感じで謙虚になるしかないのね。そしたら喜んで一番下へ降りられるのね。
 ちょうど、夏の暑いときは暑さでいっぱいでしょう。そしたら冷蔵庫に入れるでしょう、喜んで。どんな寒いところへもスッと入れるよね。でも、冬の寒いときは冷蔵庫へよう入らんでしょう。だから、神さまから「無限の無限の幸せが一杯!」と受けた人は、地獄のどん底へ喜んで降りられるのね。
「謙虚」というのは、神さまから幸せをいっぱい受けた人が謙虚になれるね。だから、感謝を深くして「無限の無限の幸せが一杯!」というふうに受けた人が一番謙虚になりやすいね、なれるのね。そうすると恩返しの心を起こせるのね。

 恩返しの心

 恩返しの心を起こすということは、一番大事なのね。普通、神さまは一人一人に合わせて助け続けてくれてるよね。最初、幼いときは赤ん坊をあやすように赤ん坊に合わせて助け続けるのね。一生懸命に自分に合わせて助けてくれるよね。
 ところがね、段々と成長するにつれて、今度は人間のほうが我を出すのよね。わがままを言うのね。小さい子の成長をみてたらそうよね。赤ん坊のときはあまり言わないよね。でも成長しだすと顔を出す子があるよね。そこが問題なんよね。図に乗ってわがままを言い出すと、神さまを召使のように扱うようになるね。そうすると、神さまのほうは、それは間違った生き方だよというふうに「無礼千万也」というわけよね。
 恩を受けたのだったら恩返しの心を先ず起こさないといけないね。そして、自分のほうから神さまに合わせていくのね、今度はね。この切り替えの時期が無いと駄目なのね。「受けた恩を返そう」という恩返しの心を起こして、神さまへの奉仕に生きるという。これが神さまへ戻っていく正しい生き方よね。

 ご利益信仰と本心開発の信仰

 宗教信仰でも二通りあるのね。神さまを召使のように扱って、自分の思いや願いを叶えようというのは「ご利益信仰」ね、これは間違った信仰よね。こういう信仰は何百年続けても、何万年続けても、何億年続けてもあかんのね。本物になれない、幸せになれないのね。
 でも、本心開発の信仰というのは「悟りを開くための信仰」よね。これは、幼いときは自分に合わせて神さまは助け続けてくれてるね。だから、その「恩返しの心」で今度は神さまに合わせて「神さまのお手伝いに生きよう」というのが正しい本心開発の信仰になるのね。これは「自分の命を、自分のすべてを神さまにお返しする」という生き方ね。そしたら神さまの無限の護りが受けやすくなる。だから、神さまの中に飛び込まないとあかんのね、先ずね。ここが一番の切り替えのポイントなのね。神さまに命を捧げたときから、本当の正しい生き方になるね。
 でも、最初はなかなかそこへ踏み込めまないのね。肉体の自分を掴んで、魂の自分を掴んで、どうしても「自分、自分」つて主張しやすいのね。でも、それをぜんぶ神さまの方へ投げ入れないといけないのね。そうすると、過去に積んだ無限の業想念、無限の借金をぜんぶ神さまが肩代わりしてくれるの、消してくれるのね。過去のすべてを消してもらったら、今度は神さまの中から新たに生まれてくる自分に変われるわね。
                                        
 新たに新たに生まれてくる自分が本当の輝いた自分よね、最初から悟ってる自分よね。天照大御神さまのすべてを受け継いで、それを現して天から舞い降りるように出てくる自分ね。この自分は「いつも無限の無限の幸せが一杯!」という自分ね。この切り替えのポイントを早く掴まないといけないね。どちらが得するか損するか、そんな程度じやないのね、雲泥の違い、天地ほどの違いといわれてるね。
 本心開発の信仰っていうのは、悟りを開くための信仰よね。幼いときは自分に合わせて神さまは助け兢けてくれてるのね、だから、その恩返しの心で、今度は神さまに合わせて「神さまのお手伝いに生きよう」というのが正しい本心開発の信仰になるのね。これは自分の命を、自分のすべてを神さまにお返しするというかたちね。そしたら神さまの無限の護りが受けやすくなる。だから、神さまの中へ飛び込まないとあかんの、先ずね。ここが一番の切り替えのポイントなのね。
 神さまに命を捧げたときから本当の正しい生き方になるのね。でも最初はなかなかそこへ踏み込めないのね。肉体の自分を掴んで、魂の自分を掴んでどうしても「自分、自分」って主張しやすいのね。でも、それをぜんぶ神さまのほうへ投げ入れないといけないね。そうすると過去に積んだ人間の重態釜、無限の借金をぜんぶ神さまが肩代わりして消してくれるわね。過去のすべてを消してもらったら、今度は神さまの中から新たに生まれてくる自分に生まれ変われるわね。新たに新たに生まれてくる自分が本当の輝いた自分ね、最初から悟ってる自分。天照大御神のすべてを受け継いでそれを現して天から舞い降りるように出てくる自分。その自分はいつも「無限の無限の幸せが一杯!」という自分ね。
 この切り替えのポイントを早く掴まないといけないね、どちらが得するか損するかの程度じやないのね。ここに雲泥の違い、天地ほどの違いが出てくる。それで「ありがとうございます」を唱えたら神さまの助けを受けやすいのね。神さまが助けに来てくれるのね。

 でもね、思いの心で「自分の思いや願いを実現しよう、叶えよう」という心で「ありがとうございます」を唱えても、ちょっとしか受けられないのね。ちょうど、黒雲が白雲に変化するぐらいの助けよね。でもね「命を神さまに捧げます」と言って神さまとそういうふうに約束して「ありがとうございます」を唱えたら、黒雲や白雲が光に、太陽に変わるのね。太陽の自分に変わるように大きく変化するのね。だから、無限の助けを受けるのね。有限の小さい助けじやないね、無限の大きい助けを受けられる自分になるね。ここが大事なのね「命を神さまに預ける」というのがね。古い自分を神さまにお返しするというのがね。

 自我を死にきる

 日本人と外国の生き方が違うのはそこなのね。日本人は、先ず自分を神さまにお返しするのね、自我を死にきるのを第一にするのね。
 ユダヤの人も能力の高い人がいっぱい居てるのよね、神さまに選ばれた「選民」という気持ちで生きてるのよね、我が強いね、自我を死にきらないのね。「自分が・自分が偉いんだ」という生き方よね。だから、ノーベル賞をもらった人がいっぱい居てるよね、世界の富をいっぱい自由に支配してるでしょう。でも、駄目なんよね、争いの種をいっぱい撒き散らすね。
 でも、日本人は逆なのね、同じ神さまから選ばれた民族といっても、先ず「自分を、我を死にきろう」とするのね、そこが大きい違いなのね。そして神さまを前面に出すのね。神さまだけを表にだせばいい、自分を出す必要は無いのね、神さまが出てきてくれたら全体が調和するのね、みんなが幸せになれるね。
 だから、日本の武士道は「死ぬことと見つけたり」という言葉があるよね。「武士道とは、死ぬことと見つけたり」これは、自我を死にきることよね。「自分が、自分が」という小さい自分を死にきれば、恐いもの知らずね。また、神さまの愛の心と一体化するのね。そうすると、そこにはもう争いは無いのね、争いの心を消しきるだけの働きがそこに生まれるのね。「綱引き道」もそうよね「綱引き」と「綱引き道」の違いもそこにあるのね。

 お正月の飾り

 お正月の飾りというのは、いろんな意味をもってるよね。鏡餅もそうだけど、鏡餅の二重(ふたかさ)ねは「無限の無限の輝きが一杯!」という意味よね。「完全円満な姿が無限に無限に輝いている」という意味で鏡餅が二重ねよね。
 そして、昆布を垂らすのが「喜びが溢れ出てる」という「無限の無限の喜びが一杯!」という意味ね「よろ昆布」というね。
 干し柿がそうでしょう「ニコニコ仲むつまじく」つてね、神さまの神通自在の働きがそこにあるのね。ニコニコ笑ってるとそこに神さまの大きい助けがあるという意味よね。
 そして、橙(だいだい)をちょんと載せるね、これは「一瞬一瞬すべてが移り変わってる、置き換わってる」という意味ね。だから、神さまのほうからは「無限の無限の輝きが、一瞬一瞬新たにどんどん出てきてる、喜びが溢れ出てる」という意味ね。そういう心になるのを、鏡餅の飾りを見て忘れないようにしてるわけよね。
 「松竹梅」も同じよね。
 「松」は、永遠の命を生きてるんだという意味よね。
 「竹」は、また素直な中が空っぽという、素直な空っぽの心、謙虚な心を生きるんだという意味ね。
 「梅」は、無限の無限の創造の働きの中に自分を置いてるんだという意味よね、生み出すという意味よね。

 みんな新たに生まれ出るための、新たに生まれる心に引き戻すための、いろんな教えを具体化してそういうふうに現してるのよね。それを「忘れないように」というのが大事でしょう。みんな意味があるのね、深い意味があるのよね、一つ一つにね。それがぜんぶ日本には備わってるのよね。気づかなかっただけ、忘れてただけなのね。もともと日本民族にはそういうものが、いいものがいっぱい用意されて、まわりにいっぱいあるわけよね。それに気づいてそれを自然に生きればいいだけよね。

 注連縄(しめなわ)

 「ありがとうございます」という言葉は、全体をしっかり把握して、そしてそれに気づくための言葉なのね。「ありがとうございます、ありがとうございます」つてね、ただ唱えるだけでそういう気づきが増えてくるね。そして、いつの間にか神さまの心を自分の心とするのね。そして、神さまの目的を自分の目的として生きられるように変わってくるのね。
 神さまの最高の表現というのは、天照大御神さまとして、いつも無限に無限に輝いてるのね。ちょうど、太陽が輝くようにみんなを照らしてるわけね。本当の天照大御神さまは太陽どころじやないんだけどね。「太陽の大きい輝きを無限に無限に集めて、更に無限に無限に集めて」というのが宇宙大の大きい神さまの働きだけど。その神さまの、天照大御神さまのすべてを受け直す生き方というのが「宝祚」を受ける生き方よね、未年の生き方なのね。
 年回りというのは一人一人いろんな「年回り」というのが必要なのね。節目節目が大事なのね。もう、常に神さまは、より周到に準備して幸せが大きくなるように助け続けてくれてるね。
 綱引きの「綱」というのは何を現してるかというと。注連縄(しめなわ)があるでしょう、お正月に飾る注連縄(しめなわ)ね。あれは「しりくめ縄」というの、もともとはね。これは、宇宙の創造がラセン構造よね、右回り左回りの神さまの働きが組み合わさって、すべてが生み出されて行く、左旋・右旋と言うね。直線が交わるのは一点だけだけど、ラセン状に放射されたものが組み合わさると、無限に相似形の姿ですべてが生み出されるね。
 縄は右にねじり、左にねじりでしょう、そうすると組み合わさって生まれてくるよね。それを完璧に組み合わせたのが「しりくめ縄」というのね。天照大御神さまの象徴なのね。だから、注連縄飾りを見たときは「無限の無限の輝きが一杯!」というふうにとらえるのね。そうすると天照大御神さまをそこに見出せるのね。
 だから、綱引きの綱は、天照大御神さまを握ることよね。神さまの中からすべてを引っ張り出すことよね。みんなが天照大御神さまから、幸せだったら「無限の無限の幸せ」を引っ張り出してくるね。そういうものが本当の「綱引き道」よね。
 昔から神社でずっとされてるのもそうよね。神さまから幸せを引き出すためにしてるのね、神さまから力をもらうためにするのね。神さまからすべてをいただくために綱引きをするの、引っ張るのね。これは、老若男女だれでもできる、勝ち負けじやないのね、本当の綱引きってそうよね。そこに喜びだけが湧き出るのね、感謝だけが湧き出るのが本当の綱引きね。そうすると神さまの力、能力をいっぱいもらえるのね。「楽しくて楽しくてたまらない」というのが本当の綱引きよね。だから、世界平和にも大きく貢献するのね。
 思いの心を撒き散らしたら伝染病のばい菌を撒き散らすより悪いね。思いの心を溜めて、それでなんのいいことをしてもマイナスを撒き散らすのよね。
 でも、感謝の心、喜びの心でどんなに小さいことでもさせてもらったら、喜びを、幸せを撒き散らしてることになるの。人はどちらかを選んでるのね、思いを生きるか、感謝の生き方を選ぶかによって、マイナスを撒き散らすか、プラスを撒き散らすか。思いはやっばリマイナスよね。勝ち負けの思いってそうでしょう、争いの思いってそうよね。マイナスを撒き散らすね、人を不幸にするね、人を傷つけてしまうね。
 でもね、感謝の心で、人の幸せを願う心、喜ぶ心はプラスの光を撒き散らすのね。だから、みんなが幸せになれるのね。ただ、人って自由があるから、何を選んでもいいのよね、どんな生き方も選べるけど。

 戦争も消える

 今は特にアメリカやイラクの問題もあるけど、戦争ごっこを選ぶ人が多いのね。それは一人一人の自由だから止めるわけにはいかないんですよね。でも、本当に平和を願う人は、平和をしっかりと引き出さないといけないのね。「無限の無限の平和が一杯!」という祈り言葉を使って神さまから平和を引っ張り出さないとね。
平和を引っ弓長り出す人が多いほど、この地球(ちきゅう)は平和になるね。「無限の無限の調和が一杯!」つて、調和を引つ張り出せばこの地球は調和するのね。言葉の使い方というのが一番大事な要素よね。プラスのいい言葉をしっかり使うことよね。
 「不景気、不景気」と言うと不景気を引っ張り出すのよね。「不景気」という言葉を使っている間は、まだ不景気なのね。もっとプラスのいい言葉を使える人が増えてきた途端に変わるのね。言葉の使い方ですぐに変化するのね。だから、みんなが「無限の無限の幸せが一杯!」というふうにしっかり感謝すれば、全体が幸せな状態に必ず変化してくるね。

 今年は未年よね「神さまの無限の無限の輝きが一杯!」という姿をしっかりと受ける年よね。そういう人が増えれば増えるほど不景気も消えて、戦争も消えるね。必ず平和な幸せな世界に変わるね。
 はい、ありがとうございます。

 古神道の語意

豊葦原 ‥‥・・無限に進展する高天原

千五百秋‥‥‥‥無限の年月 完成の連続

瑞穂の国‥‥‥‥全大宇宙・原子も人体も家庭も国家も地球もー切のものは瑞穂の国である

爾   ‥‥‥‥親愛なるあなた方

皇孫  ‥‥‥‥宇宙絶対神の御心を正しく継承する真子

就いて ‥‥‥‥与えられたその役目を完全に成し遂げること

治せ  ‥‥・‥全体の中心者としてすべてを正しく知り、それを適材適所に活かし大調和させること

さきくませ ‥‥幸せ増せ無限の無限の幸せで一杯!という状態

祚(ひつぎ)‥‥幸え(さきはえ)・幸運・絶対神より継承した徳

隆えまさむ …・与えていただいた最高の姿を正しく受け、この世に顕現し、すべての御親なる絶対神の最高の歓びとなるのである。人の一番の役目は、神さまからの無限の恵みを永遠に受け続けることである


  
 20030101未年(ひつじどし)の意味(いみ)AR117

 あけましておめでとうございます。
 お正月(しょうがつ)というのは、心(こころ)を新(あら)たにする一番(いちばん)の節目(ふしめ)になるのね。「あけましておめでとうございます」ということでね。
 人間(にんげん)というのは常(つね)に神さま(かみさま)の中(なか)から生まれ出(うまれで)て、新(あら)たに生(う)まれ新(あら)たに生(い)きるというのが一番(いちばん)幸(しあわ)せな生き方(いきかた)ですね。ところが過去(かこ)を掴(つか)むと思(おも)いが溜(た)まって、いつの間(いつのま)にか思(おも)いの中(なか)にはまり込(はまりこ)んで不自由(ふじゆう)になって七難(しちなん)八(はち)苦(く)で一杯(いっぱい)という姿(すがた)をとるね。一年(いちねん)の終(お)わりには必(かなら)ず大祓(おおはらい)いとか、また除夜(じょや)の鐘(かね)を聞(き)いて過去(かこ)をぜんぶ捨(す)ててしまうのね。過去(かこ)を捨(す)てることによって、新(あら)たに生(う)まれる自分(じぶん)に置き換(おきか)わってくるね。
     
 今年(ことし)は未年(ひつじどし)よね、羊(ひつじ)というのは柔和(にゅうわ)よね、ものすごくね。従順(じゅうじゅん)で素直(すなお)で謙虚(けんきょ)ですね。
 キリスト教(きりすときょう)では羊(ひつじ)を「神(がみ)の子(こ)」にたとえてるね。
 「謙虚(けんきょ)」というのが一番(いちばん)大事(だいじ)なのね、神さま(かみさま)の前(まえ)に立(た)つときはね。謙虚(けんきょ)になると神さま(かみさま)をしっかりと受け入(うけい)れることができる。
 日本(にほん)では「ひつじ」を「ひつぐ」という「日(ひ)を継(つ)ぐ」という言葉(ことば)を使(つか)うのね。神さま(かみさま)のすべてを受け入(うけい)れて継(つ)ぐというのね「ひきつ〜ぐ」というね。

 神(かみ)勅(みことのり)

 天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)の「神勅(しんゆ)」というお言葉(ことば)として「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神(かみ)勅(みことのり)」というのがあるよね。それはどういうものかというと


  豊(とよ)葦原(あしはら)(あしはら)の 千五百秋(ちいほあき) 瑞穂(みずほ)の国(くに)は

  是(これ)れ我(わ)が子孫(しそん)の 王(きみ)たるべき地(くに)なり

  宜(よろ)しく爾(みまし)皇孫(すめみま) 就(ゆ)いて治(しら)せ さきくませ

  宝祚(あまひつぎ)の 隆(さか)えまさむこと

  まさに天壌(あめつち)と 窮(きわま)り無(む)(な)かるべし

 これは天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)からみんなに与(あた)えられたお言葉(ことば)だというのね。
 「豊(ゆたか)葦原(あしはら)の 千五百秋(あき) 瑞穂(みずほ)の国(くに)は」というのは「無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)いた全(ぜん)大宇宙(だいうちゅう)」ととらえたらいいね。
 「是(これ)れ我(わ)が子孫(しそん)の」というのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫(しそん)・子供(こども)といういう意味(いみ)ね。本当(ほんとう)はみんなが天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)の「まことの子(こ)・真子(まこ)」であり「生(う)みの子(こ)・子孫(しそん)」ね。
 天皇家(てんのうけ)だけが天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)の子孫(しそん)じやないよ、みんな天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)から生(う)まれてるのね。みんな天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)のまことの子供(こども)なのね。
 「我(わ)が子孫(しそん)の 王(おう)たるべき地(ち)なり」の「王(おう)・きみ」という言葉(ことば)も王様(おうさま)とか君主(くんしゅ)という意味(いみ)じやないのね。
 「王(おう)・きみ」というのは「極(きょく)の身(み)」というわけね、これはもう絶対(ぜったい)の自覚(じかく)よね、全体(ぜんたい)者(しゃ)の自覚(じかく)・総(そう)責任者(せきにんしゃ)の自覚(じかく)・中心(ちゅうしん)者(しゃ)の自覚(じかく)というのが「王(おう)・きみ」なのね。だから、神さま(かみさま)のすべてを受け入(うけい)れた状態(じょうたい)を「王(おう)・きみ」というのね。一人一人(ひとりひとり)が天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)からすべてを受け直(うけなお)したら「王(おう)・きみ・極身(きみ)」になるわけね。

 「宝祚(あまつひつぎ)」というのは「天(てん)の神さま(かみさま)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きを受け継(うけつ)いだ人(ひと)」というのね。だから、常(つね)に自分(じぶん)が「無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが一杯(いっぱい)!」というふうに神(かみ)様(さま)から受け直(うけなお)した自分(じぶん)が「宝祚(あまつひつぎ)」というのね。それが「永遠(えいえん)に、いや増(いやま)しにまして輝(かがや)き続(つづ)ける」というのが本当(ほんとう)の生き方(いきかた)よね。

 日本(にほん)の民族(みんぞく)の生き方(いきかた)

 日本(にほん)の民族(みんぞく)というのは、世界(せかい)の雛形(ひながた)としての役割(やくわり)をもってるよね。日本(にほん)列島(れっとう)が世界(せかい)の大陸(たいりく)の縮図(しゅくず)のように、日本(にほん)の民族(みんぞく)の生き方(いきかた)が世界(せかい)に大(おお)きく影響(えいきょう)していくのね。
 だから、日本(にほん)民族(みんぞく)は神さま(かみさま)の宇宙(うちゅう)の法則(ほうそく)をしっかりと体得(たいとく)して、それを現実(げんじつ)に現(あらわ)して世界(せかい)を平和(へいわ)にしていく大(おお)きい使命(しめい)があるのね。昔(むかし)から、日本(にほん)は「我(が)」を先(ま)ず死(し)にきらないといけないのね。これは日本(にほん)民族(みんぞく)の一番(いちばん)の特徴(とくちょう)よね。日常(にちじょう)生活(せいかつ)の中(なか)でもそうでしょう、日本(にほん)民族(みんぞく)は自分(じぶん)を主張(しゅちょう)しないよね。
 例(たと)えば、子供(こども)が学校(がっこう)へ行(い)く場合(ばあい)に「行(い)ってきま〜す」だけで「私(わたくし)が行(い)ってきます」とは言(い)わないね。自分(じぶん)というのを絶対(ぜったい)出(だ)さないのが本当(ほんとう)よね。「私(わたくし)が、私(わたくし)が」と主張(しゅちょう)しないのが日本(にほん)民族(みんぞく)の特徴(とくちょう)よね。だから、いろんな日常(にちじょう)の生活(せいかつ)の中(なか)に、いろんなのがあるよね。
 例(たと)えば、風呂敷(ふろしき)があるよね、何(なん)でも包み込(つつみこ)めるでしょう、我(わ)が無(な)いのね。
 着物(きもの)もそうよね、大(おお)きい人(ひと)でも小(ちい)さい人(ひと)でも少々(しょうしょう)寸法(すんぽう)が違(ちが)っても着(き)にくいかもしれないけど、着(き)れるよね。
 下駄(げた)やぞうりがそうよね、靴(くつ)と違(ちが)ってちょっと小(ちい)さくても大(おお)きくても履(は)けるね。家(いえ)の造(つく)りもそうよね、襖(ふすま)なんていうのは開(あ)けたら広(ひろ)くなるよね。ドアというとあかんね、壁(かべ)に囲(かこ)まれてしまってるから、部屋(へや)が広(ひろ)がらないよね。
 日本(にほん)には、そういうふうに「我(われ)の無(な)い生き方(いきかた)」というのをしっかりと生(い)きるように使命(しめい)付(つ)けられてるのね。
これは日本(にほん)だけの特徴(とくちょう)よね、外国(がいこく)は自分(じぶん)を主張(しゅちょう)するよね。

 宗教(しゅうきょう)的(てき)な教(おし)えもそうよね「教(おし)え」というのと「道(みち)」というのはちょっと違(ちが)うのね。キリスト教(きりすときょう)でも仏教(きょう)でもイスラム教(きょう)でも、みんな「教(おし)え」というのがついてるでしょう。日本(にほん)は神(がみ)の道(みち)「神道(しんとう)」よね。
 「道(みち)」というのは、道路(どうろ)もそうだけど、すべてを一(ひと)つにつなぐでしょう。それで「充(み)ち(道(みち))わたるもの」というね「宇宙(うちゅう)全体(ぜんたい)に充(み)ちわたるもの、すべてのすべてなるもの」という意味(いみ)があるのね。道(みち)でないと全体(ぜんたい)とひとつになれない、ならないよね。
 日本(にほん)には「道(みち)」とつくのがたくさんあるよね。武道(ぶどう)にしてもそうよね、いろんな習い事(ならいごと)はぜんぶ「道(みち)」がつくのね「茶道(さどう)」にしてもそうでしょう。「道(みち)」というのは全体(ぜんたい)と一体化(いったいか)するためのものよね。「武術(ぶじゅつ)」と「武道(ぶどう)」とは違(ちが)うのね「術(じゅつ)」と「道(みち)」はぜんぜん正反対(せいはんたい)なの。
 「術(じゅつ)」のほうは自分(じぶん)を出(だ)すのね「道(みち)」のほうは自分(じぶん)を出(だ)さないのね、神さま(かみさま)を現(あら)わそうとする、大(おお)きいものをね。全体(ぜんたい)、ひとつのものを現(あらわ)して調和(ちょうわ)をそこにもちきたすのよね。だから「武術(ぶじゅつ)は戦(たたか)い」なのね、「武道(ぶどう)は矛(ほこ)(ほこ)を止(とど)める」という愛(あい)の姿(すがた)を持(も)ってるね。だから、礼(れい)に始(はじ)まって礼(れい)に終(お)わって相手(あいて)を傷(きず)つけないのね。全体(ぜんたい)を調和(ちょうわ)させるという働(はたら)きよね。「道(みち)」とつくものは、神さま(かみさま)と全体(ぜんたい)と一体化(いったいか)してるの必(かなら)ずね。だから、本当(ほんとう)の幸(しあわ)せがそこに生(う)まれてくる。
 日本人(にほんじん)は神(かみ)様(さま)から授(さず)けられた使命(しめい)を生(い)きるのが一番(いちばん)の幸(しあわ)せなのね、外国(がいこく)の真似(まね)はする必要(ひつよう)はないのね。いままではちょっと外国(がいこく)かぶれがあるのよね。
 民主(みんしゅ)主義(しゅぎ)にしてもそうよね、我(われ)の心(こころ)を主張(しゅちょう)するのが本当(ほんとう)の民主(みんしゅ)主義(しゅぎ)と錯覚(さっかく)してたのね。本当(ほんとう)の民主(みんしゅ)主義(しゅぎ)はそうじやないね「我(が)の心(こころ)を死(し)にきって、絶対者(ぜったいしゃ)の自覚(じかく)」よね。「王(おう)・極身(きみ)」の自覚(じかく)になってはじめて神さま(かみさま)の御心(みこころ)を現(あらわ)す本当(ほんとう)の民主(みんしゅ)主義(しゅぎ)の生き方(いきかた)よね。これはなかなか奥深(おくふか)い生き方(いきかた)だから大変(たいへん)なんだけど。
 先(ま)ず、自我(じが)を死(し)にきって、神さま(かみさま)の心(こころ)をしっかりと受け止(うけと)めて、全体(ぜんたい)者(しゃ)の自覚(じかく)に立(た)ったときにはじめて、みんなを幸(しあわ)せにする大(おお)きい本当(ほんとう)の正(ただ)しい生き方(いきかた)がとれるのね。それが本当(ほんとう)の民主(みんしゅ)主義(しゅぎ)なのね。
 ところが浅(あさ)い民主(みんしゅ)主義(しゅぎ)は偽者(にせもの)よね、我(われ)の主張(しゅちょう)だけで、争(あらそ)うだけで終(お)わってしまうのね。神さま(かみさま)の御心(みこころ)を中心(ちゅうしん)に持(も)ってこないと調和(ちょうわ)しないね、どんな場合(ばあい)もね。

 謙虚(けんきょ)

 「謙虚(けんきょ)」というのでも何(なに)が一番(いちばん)謙虚(けんきょ)かというと、マイナスを掴(つか)んだ状態(じょうたい)は謙虚(けんきょ)なんかじやないよね。マイナスを掴(つか)みすぎると「卑下(ひげ)慢」になるね。「謙虚(けんきょ)」というのは、神さま(かみさま)をしっかりと受け入(うけい)れて、感謝(かんしゃ)が深(ふか)くなったときにはじめて「謙虚(けんきょ)」になれる。「無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが、無限(むげん)に無限(むげん)に一杯(いっぱい)!」というぐらいの神さま(かみさま)の大(おお)きい働(はたら)きをしっかり受け入(うけい)れて、感謝(かんしゃ)が深(ふか)くなった状態(じょうたい)が一番(いちばん)謙虚(けんきょ)ね。もう自然(しぜん)に神さま(かみさま)の前(まえ)に立(た)たされたときに、ヘリくだれるのね。
 神さま(かみさま)はいつも無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せをみんな一人一人(ひとりひとり)に与(あた)えようと一生懸命(いっしょうけんめい)よね。天(てん)から滝(たき)のように幸(しあわ)せが、光(ひかり)が降り注(ふりそそ)いでるのね。ところが、それに背(せ)を向(む)けた途端(とたん)に、自分(じぶん)には何(なに)も無(な)いのね、幸(しあわ)せでもなんでもなくなるでしょう。その途端(とたん)に我(わ)が出(で)てくるね、倣慢になってくるね、卑下(ひげ)慢になってくるね。
 でも、神(かみ)様(さま)から「無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが一杯(いっぱい)!」という幸(しあわ)せをいっぱい受(う)けたときは、もうそのまま圧倒(あっとう)されるような感(かん)じで謙虚(けんきょ)になるしかないのね。そしたら喜(よろこ)んで一番下(いちばんした)へ降(お)りられるのね。
 ちょうど、夏(なつ)の暑(あつ)いときは暑(あつ)さでいっぱいでしょう。そしたら冷蔵庫(れいぞうこ)に入(い)れるでしょう、喜(よろこ)んで。どんな寒(さむ)いところへもスッと入(い)れるよね。でも、冬(ふゆ)の寒(さむ)いときは冷蔵庫(れいぞうこ)へよう入(はい)らんでしょう。だから、神(かみ)様(さま)から「無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せが一杯(いっぱい)!」と受(う)けた人(ひと)は、地獄(じごく)のどん底(どんぞこ)へ喜(よろこ)んで降(お)りられるのね。
「謙虚(けんきょ)」というのは、神(かみ)様(さま)から幸(しあわ)せをいっぱい受(う)けた人(ひと)が謙虚(けんきょ)になれるね。だから、感謝(かんしゃ)を深(ふか)くして「無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せが一杯(いっぱい)!」というふうに受(う)けた人(ひと)が一番(いちばん)謙虚(けんきょ)になりやすいね、なれるのね。そうすると恩返(おんがえ)しの心(こころ)を起(お)こせるのね。

 恩返(おんがえ)しの心(こころ)

 恩返(おんがえ)しの心(こころ)を起(お)こすということは、一番(いちばん)大事(だいじ)なのね。普通(ふつう)、神さま(かみさま)は一人一人(ひとりひとり)に合(あ)わせて助(たす)け続(つづ)けてくれてるよね。最初(さいしょ)、幼(おさな)いときは赤ん坊(あかんぼう)をあやすように赤ん坊(あかんぼう)に合(あ)わせて助(たす)け続(つづ)けるのね。一生懸命(いっしょうけんめい)に自分(じぶん)に合(あ)わせて助(たす)けてくれるよね。
 ところがね、段々(だんだん)と成長(せいちょう)するにつれて、今度(こんど)は人間(にんげん)のほうが我(が)を出(だ)すのよね。わがままを言(い)うのね。小(ちい)さい子(こ)の成長(せいちょう)をみてたらそうよね。赤ん坊(あかんぼう)のときはあまり言(い)わないよね。でも成長(せいちょう)しだすと顔(かお)を出(だ)す子(こ)があるよね。そこが問題(もんだい)なんよね。図(ず)に乗(の)ってわがままを言い出(いいだ)すと、神さま(かみさま)を召使(めしつかい)のように扱(あつか)うようになるね。そうすると、神さま(かみさま)のほうは、それは間違(まちが)った生き方(いきかた)だよというふうに「無礼(ぶれい)千万也(せんばん也)」というわけよね。
 恩(おん)を受(う)けたのだったら恩返(おんがえ)しの心(こころ)を先(ま)ず起(お)こさないといけないね。そして、自分(じぶん)のほうから神さま(かみさま)に合(あ)わせていくのね、今度(こんど)はね。この切り替(きりか)えの時期(じき)が無(な)いと駄目(だめ)なのね。「受(う)けた恩(おん)を返(かえ)そう」という恩返(おんがえ)しの心(こころ)を起(お)こして、神さま(かみさま)への奉仕(ほうし)に生(い)きるという。これが神さま(かみさま)へ戻(もど)っていく正(ただ)しい生き方(いきかた)よね。

 ご利益(ごりやく)信仰(しんこう)と本心(ほんしん)開発(かいはつ)の信仰(しんこう)

 宗教(しゅうきょう)信仰(しんこう)でも二(ふた)通(とお)りあるのね。神さま(かみさま)を召使(めしつかい)のように扱(あつか)って、自分(じぶん)の思(おも)いや願(ねが)いを叶(かな)えようというのは「ご利益(ごりやく)信仰(しんこう)」ね、これは間違(まちが)った信仰(しんこう)よね。こういう信仰(しんこう)は何(なに)百年(ねん)続(つづ)けても、何(なに)万年(ねん)続(つづ)けても、何(なに)億年(ねん)続(つづ)けてもあかんのね。本物(ほんもの)になれない、幸(しあわ)せになれないのね。
 でも、本心(ほんしん)開発(かいはつ)の信仰(しんこう)というのは「悟(さと)りを開(ひら)くための信仰(しんこう)」よね。これは、幼(おさな)いときは自分(じぶん)に合(あ)わせて神さま(かみさま)は助(たす)け続(つづ)けてくれてるね。だから、その「恩返(おんがえ)しの心(こころ)」で今度(こんど)は神さま(かみさま)に合(あ)わせて「神さま(かみさま)のお手伝(てつだ)いに生(い)きよう」というのが正(ただ)しい本心(ほんしん)開発(かいはつ)の信仰(しんこう)になるのね。これは「自分(じぶん)の命(いのち)を、自分(じぶん)のすべてを神さま(かみさま)にお返(おかえ)しする」という生き方(いきかた)ね。そしたら神さま(かみさま)の無限(むげん)の護(まも)りが受(う)けやすくなる。だから、神さま(かみさま)の中(なか)に飛び込(とびこ)まないとあかんのね、先(ま)ずね。ここが一番(いちばん)の切り替(きりか)えのポイントなのね。神さま(かみさま)に命(いのち)を捧(ささ)げたときから、本当(ほんとう)の正(ただ)しい生き方(いきかた)になるね。
 でも、最初(さいしょ)はなかなかそこへ踏(ふ)み込めまないのね。肉体(にくたい)の自分(じぶん)を掴(つか)んで、魂(たましい)の自分(じぶん)を掴(つか)んで、どうしても「自分(じぶん)、自分(じぶん)」つて主張(しゅちょう)しやすいのね。でも、それをぜんぶ神さま(かみさま)の方(ほう)へ投げ入(なげい)れないといけないのね。そうすると、過去(かこ)に積(つ)んだ無限(むげん)の業(ごう)想念(そうねん)、無限(むげん)の借金(しゃっきん)をぜんぶ神さま(かみさま)が肩代(かたが)わりしてくれるの、消(け)してくれるのね。過去(かこ)のすべてを消(け)してもらったら、今度(こんど)は神さま(かみさま)の中(なか)から新(あら)たに生(う)まれてくる自分(じぶん)に変(か)われるわね。
                                        
 新(あら)たに新(あら)たに生(う)まれてくる自分(じぶん)が本当(ほんとう)の輝(かがや)いた自分(じぶん)よね、最初(さいしょ)から悟(さと)ってる自分(じぶん)よね。天照大御神(おおみかみ)様(さま)のすべてを受け継(うけつ)いで、それを現(あらわ)して天(てん)から舞い降(まいお)りるように出(で)てくる自分(じぶん)ね。この自分(じぶん)は「いつも無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せが一杯(いっぱい)!」という自分(じぶん)ね。この切り替(きりか)えのポイントを早(はや)く掴(つか)まないといけないね。どちらが得(とく)するか損(そん)するか、そんな程度(ていど)じやないのね、雲泥(うんでい)の違(ちが)い、天地(てんち)ほどの違(ちが)いといわれてるね。
 本心(ほんしん)開発(かいはつ)の信仰(しんこう)っていうのは、悟(さと)りを開(ひら)くための信仰(しんこう)よね。幼(おさな)いときは自分(じぶん)に合(あ)わせて神さま(かみさま)は助(たす)け兢けてくれてるのね、だから、その恩返(おんがえ)しの心(こころ)で、今度(こんど)は神さま(かみさま)に合(あ)わせて「神さま(かみさま)のお手伝(てつだ)いに生(い)きよう」というのが正(ただ)しい本心(ほんしん)開発(かいはつ)の信仰(しんこう)になるのね。これは自分(じぶん)の命(いのち)を、自分(じぶん)のすべてを神さま(かみさま)にお返(おかえ)しするというかたちね。そしたら神さま(かみさま)の無限(むげん)の護(まも)りが受(う)けやすくなる。だから、神さま(かみさま)の中(なか)へ飛び込(とびこ)まないとあかんの、先(ま)ずね。ここが一番(いちばん)の切り替(きりか)えのポイントなのね。
 神さま(かみさま)に命(いのち)を捧(ささ)げたときから本当(ほんとう)の正(ただ)しい生き方(いきかた)になるのね。でも最初(さいしょ)はなかなかそこへ踏み込(ふみこ)めないのね。肉体(にくたい)の自分(じぶん)を掴(つか)んで、魂(たましい)の自分(じぶん)を掴(つか)んでどうしても「自分(じぶん)、自分(じぶん)」って主張(しゅちょう)しやすいのね。でも、それをぜんぶ神さま(かみさま)のほうへ投げ入(なげい)れないといけないね。そうすると過去(かこ)に積(つ)んだ人間(にんげん)の重態(じゅうたい)釜(がま)、無限(むげん)の借金(しゃっきん)をぜんぶ神さま(かみさま)が肩代(かたが)わりして消(け)してくれるわね。過去(かこ)のすべてを消(け)してもらったら、今度(こんど)は神さま(かみさま)の中(なか)から新(あら)たに生(う)まれてくる自分(じぶん)に生まれ変(うまれか)われるわね。新(あら)たに新(あら)たに生(う)まれてくる自分(じぶん)が本当(ほんとう)の輝(かがや)いた自分(じぶん)ね、最初(さいしょ)から悟(さと)ってる自分(じぶん)。天照大御神(おおみかみ)のすべてを受け継(うけつ)いでそれを現(あらわ)して天(てん)から舞い降(まいお)りるように出(で)てくる自分(じぶん)。その自分(じぶん)はいつも「無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せが一杯(いっぱい)!」という自分(じぶん)ね。
 この切り替(きりか)えのポイントを早(はや)く掴(つか)まないといけないね、どちらが得(とく)するか損(そん)するかの程度(ていど)じやないのね。ここに雲泥(うんでい)の違(ちが)い、天地(てんち)ほどの違(ちが)いが出(で)てくる。それで「ありがとうございます」を唱(とな)えたら神さま(かみさま)の助(たす)けを受(う)けやすいのね。神さま(かみさま)が助(たす)けに来(き)てくれるのね。

 でもね、思(おも)いの心(こころ)で「自分(じぶん)の思(おも)いや願(ねが)いを実現(あらわ)しよう、叶(かな)えよう」という心(こころ)で「ありがとうございます」を唱(とな)えても、ちょっとしか受(う)けられないのね。ちょうど、黒雲(こくうん)が白雲(はくうん)に変化(へんか)するぐらいの助(たす)けよね。でもね「命(いのち)を神さま(かみさま)に捧(ささ)げます」と言(とい)って神さま(かみさま)とそういうふうに約束(やくそく)して「ありがとうございます」を唱(とな)えたら、黒雲(こくうん)や白雲(はくうん)が光(ひかり)に、太陽(たいよう)に変(か)わるのね。太陽(たいよう)の自分(じぶん)に変(か)わるように大(おお)きく変化(へんか)するのね。だから、無限(むげん)の助(たす)けを受(う)けるのね。有限(ゆうげん)の小(ちい)さい助(たす)けじやないね、無限(むげん)の大(おお)きい助(たす)けを受(う)けられる自分(じぶん)になるね。ここが大事(だいじ)なのね「命(いのち)を神さま(かみさま)に預(あず)ける」というのがね。古(ふる)い自分(じぶん)を神さま(かみさま)にお返(おかえ)しするというのがね。

 自我(じが)を死(し)にきる

 日本人(にほんじん)と外国(がいこく)の生き方(いきかた)が違(ちが)うのはそこなのね。日本人(にほんじん)は、先(ま)ず自分(じぶん)を神さま(かみさま)にお返(おかえ)しするのね、自我(じが)を死(し)にきるのを第一(だいいち)にするのね。
 ユダヤの人(ひと)も能力(のうりょく)の高(たか)い人(ひと)がいっぱい居(い)てるのよね、神さま(かみさま)に選(えら)ばれた「選民(せんみん)」という気持(きも)ちで生(い)きてるのよね、我(わ)が強(つよ)いね、自我(じが)を死(し)にきらないのね。「自分(じぶん)が・自分(じぶん)が偉(えら)いんだ」という生き方(いきかた)よね。だから、ノーベル賞(しょう)をもらった人(ひと)がいっぱい居(い)てるよね、世界(せかい)の富(とみ)をいっぱい自由(じゆう)に支配(しはい)してるでしょう。でも、駄目(だめ)なんよね、争(あらそ)いの種(たね)をいっぱい撒き散(まきち)らすね。
 でも、日本人(にほんじん)は逆(ぎゃく)なのね、同(おな)じ神(かみ)様(さま)から選(えら)ばれた民族(みんぞく)といっても、先(ま)ず「自分(じぶん)を、我(われ)を死(し)にきろう」とするのね、そこが大(おお)きい違(ちが)いなのね。そして神さま(かみさま)を前面(ぜんめん)に出(だ)すのね。神さま(かみさま)だけを表(ひょう)にだせばいい、自分(じぶん)を出(だ)す必要(ひつよう)は無(な)いのね、神さま(かみさま)が出(で)てきてくれたら全体(ぜんたい)が調和(ちょうわ)するのね、みんなが幸(しあわ)せになれるね。
 だから、日本(にほん)の武士道(ぶしどう)は「死(し)ぬことと見(み)つけたり」という言葉(ことば)があるよね。「武士道(ぶしどう)とは、死(し)ぬことと見(み)つけたり」これは、自我(じが)を死(し)にきることよね。「自分(じぶん)が、自分(じぶん)が」という小(ちい)さい自分(じぶん)を死(し)にきれば、恐(こわ)いもの知(し)らずね。また、神さま(かみさま)の愛(あい)の心(こころ)と一体化(いったいか)するのね。そうすると、そこにはもう争(あらそ)いは無(な)いのね、争(あらそ)いの心(こころ)を消(け)しきるだけの働(はたら)きがそこに生(う)まれるのね。「綱引(つなひ)き道(どう)」もそうよね「綱引(つなひ)き」と「綱引(つなひ)き道(どう)」の違(ちが)いもそこにあるのね。

 お正月(しょうがつ)の飾(かざ)り

 お正月(しょうがつ)の飾(かざ)りというのは、いろんな意味(いみ)をもってるよね。鏡餅(かがみもち)もそうだけど、鏡餅(かがみもち)の二重(ふたかさ)ねは「無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが一杯(いっぱい)!」という意味(いみ)よね。「完全(かんぜん)円満(えんまん)な姿(すがた)が無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)いている」という意味(いみ)で鏡餅(かがみもち)が二重(にじゅう)よね。
 そして、昆布(こんぶ)を垂(た)らすのが「喜(よろこ)びが溢れ出(あふれで)てる」という「無限(むげん)の無限(むげん)の喜(よろこ)びが一杯(いっぱい)!」という意味(いみ)ね「よろ昆布(こんぶ)」というね。
 干し柿(ほしがき)がそうでしょう「ニコニコ仲(なか)むつまじく」つてね、神さま(かみさま)の神通(じんづう)自在(じざい)の働(はたら)きがそこにあるのね。ニコニコ笑(わら)ってるとそこに神さま(かみさま)の大(おお)きい助(たす)けがあるという意味(いみ)よね。
 そして、橙(だいだい)(だいだい)をちょんと載(の)せるね、これは「一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)すべてが移り変(うつりか)わってる、置き換(おきか)わってる」という意味(いみ)ね。だから、神さま(かみさま)のほうからは「無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが、一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)新(あら)たにどんどん出(で)てきてる、喜(よろこ)びが溢れ出(あふれで)てる」という意味(いみ)ね。そういう心(こころ)になるのを、鏡餅(かがみもち)の飾(かざ)りを見(み)て忘(わす)れないようにしてるわけよね。
 「松竹梅(しょうちくばい)」も同(おな)じよね。
 「松(まつ)」は、永遠(えいえん)の命(いのち)を生(い)きてるんだという意味(いみ)よね。
 「竹(たけ)」は、また素直(すなお)な中(なか)が空(から)っぽという、素直(すなお)な空(から)っぽの心(こころ)、謙虚(けんきょ)な心(こころ)を生(い)きるんだという意味(いみ)ね。
 「梅(うめ)」は、無限(むげん)の無限(むげん)の創造(そうぞう)の働(はたら)きの中(なか)に自分(じぶん)を置(お)いてるんだという意味(いみ)よね、生み出(うみだ)すという意味(いみ)よね。

 みんな新(あら)たに生まれ出(うまれで)るための、新(あら)たに生(う)まれる心(こころ)に引き戻(ひきもど)すための、いろんな教(おし)えを具体化(ぐたいか)してそういうふうに現(あらわ)してるのよね。それを「忘(わす)れないように」というのが大事(だいじ)でしょう。みんな意味(いみ)があるのね、深(ふか)い意味(いみ)があるのよね、一つ一(ひとつひと)つにね。それがぜんぶ日本(にほん)には備(そな)わってるのよね。気(き)づかなかっただけ、忘(わす)れてただけなのね。もともと日本(にほん)民族(みんぞく)にはそういうものが、いいものがいっぱい用意(ようい)されて、まわりにいっぱいあるわけよね。それに気(き)づいてそれを自然(しぜん)に生(い)きればいいだけよね。

 注連縄(しめなわ)(しめなわ)

 「ありがとうございます」という言葉(ことば)は、全体(ぜんたい)をしっかり把握(はあく)して、そしてそれに気(き)づくための言葉(ことば)なのね。「ありがとうございます、ありがとうございます」つてね、ただ唱(とな)えるだけでそういう気(き)づきが増(ふ)えてくるね。そして、いつの間(いつのま)にか神さま(かみさま)の心(こころ)を自分(じぶん)の心(こころ)とするのね。そして、神さま(かみさま)の目的(もくてき)を自分(じぶん)の目的(もくてき)として生(い)きられるように変(か)わってくるのね。
 神さま(かみさま)の最高(さいこう)の表現(ひょうげん)というのは、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)として、いつも無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)いてるのね。ちょうど、太陽(たいよう)が輝(かがや)くようにみんなを照(て)らしてるわけね。本当(ほんとう)の天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)は太陽(たいよう)どころじやないんだけどね。「太陽(たいよう)の大(おお)きい輝(かがや)きを無限(むげん)に無限(むげん)に集(あつ)めて、更(さら)に無限(むげん)に無限(むげん)に集(あつ)めて」というのが宇宙(うちゅう)大(だい)の大(おお)きい神さま(かみさま)の働(はたら)きだけど。その神さま(かみさま)の、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)のすべてを受け直(うけなお)す生き方(いきかた)というのが「宝祚(ほうそ)」を受(う)ける生き方(いきかた)よね、未年(ひつじどし)の生き方(いきかた)なのね。
 年回(としまわ)りというのは一人一人(ひとりひとり)いろんな「年回(としまわ)り」というのが必要(ひつよう)なのね。節目(ふしめ)節目(ふしめ)が大事(だいじ)なのね。もう、常(つね)に神さま(かみさま)は、より周到(しゅうとう)に準備(じゅんび)して幸(しあわ)せが大(おお)きくなるように助(たす)け続(つづ)けてくれてるね。
 綱引(つなひ)きの「綱(つな)」というのは何(なに)を現(あらわ)してるかというと。注連縄(しめなわ)(しめなわ)があるでしょう、お正月(しょうがつ)に飾(かざ)る注連縄(しめなわ)(しめなわ)ね。あれは「しりくめ縄(なわ)」というの、もともとはね。これは、宇宙(うちゅう)の創造(そうぞう)がラセン構造(こうぞう)よね、右回(みぎまわ)り左回(ひだりまわ)りの神さま(かみさま)の働(はたら)きが組(く)み合(あ)わさって、すべてが生み出(うみだ)されて行(い)く、左(ひだり)旋・右(みぎ)旋と言(い)うね。直線(ちょくせん)が交(まじ)わるのは一点(いってん)だけだけど、ラセン状(らせんじょう)に放射(ほうしゃ)されたものが組(く)み合(あ)わさると、無限(むげん)に相似形(そうじけい)の姿(すがた)ですべてが生み出(うみだ)されるね。
 縄(なわ)は右(みぎ)にねじり、左(ひだり)にねじりでしょう、そうすると組(く)み合(あ)わさって生(う)まれてくるよね。それを完璧(かんぺき)に組み合(くみあ)わせたのが「しりくめ縄(なわ)」というのね。天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)の象徴(しょうちょう)なのね。だから、注連縄飾(しめかざ)りを見(み)たときは「無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが一杯(いっぱい)!」というふうにとらえるのね。そうすると天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)をそこに見出(みいだ)せるのね。
 だから、綱引(つなひ)きの綱(つな)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)を握(にぎ)ることよね。神さま(かみさま)の中(なか)からすべてを引っ張り出(ひっぱりだ)すことよね。みんなが天照大御神(あまてらすおおみかみ)様(さま)から、幸(しあわ)せだったら「無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せ」を引っ張り出(ひっぱりだ)してくるね。そういうものが本当(ほんとう)の「綱引(つなひ)き道(みち)」よね。
 昔(むかし)から神社(じんじゃ)でずっとされてるのもそうよね。神(かみ)様(さま)から幸(しあわ)せを引き出(ひきだ)すためにしてるのね、神(かみ)様(さま)から力(ちから)をもらうためにするのね。神(かみ)様(さま)からすべてをいただくために綱引(つなひ)きをするの、引っ張(ひっぱ)るのね。これは、老若男女(ろうにゃくなんにょ)だれでもできる、勝ち負(かちま)けじやないのね、本当(ほんとう)の綱引(つなひ)きってそうよね。そこに喜(よろこ)びだけが湧き出(わきで)るのね、感謝(かんしゃ)だけが湧き出(わきで)るのが本当(ほんとう)の綱引(つなひ)きね。そうすると神さま(かみさま)の力(ちから)、能力(のうりょく)をいっぱいもらえるのね。「楽(たの)しくて楽(たの)しくてたまらない」というのが本当(ほんとう)の綱引(つなひ)きよね。だから、世界(せかい)平和(へいわ)にも大(おお)きく貢献(こうけん)するのね。
 思(おも)いの心(こころ)を撒き散(まきち)らしたら伝染病(でんせんびょう)のばい菌(ばいきん)を撒き散(まきち)らすより悪(わる)いね。思(おも)いの心(こころ)を溜(た)めて、それでなんのいいことをしてもマイナスを撒き散(まきち)らすのよね。
 でも、感謝(かんしゃ)の心(こころ)、喜(よろこ)びの心(こころ)でどんなに小(ちい)さいことでもさせてもらったら、喜(よろこ)びを、幸(しあわ)せを撒き散(まきち)らしてることになるの。人(ひと)はどちらかを選(えら)んでるのね、思(おも)いを生(い)きるか、感謝(かんしゃ)の生き方(いきかた)を選(えら)ぶかによって、マイナスを撒き散(まきち)らすか、プラスを撒き散(まきち)らすか。思(おも)いはやっばリマイナスよね。勝ち負(かちま)けの思(おも)いってそうでしょう、争(あらそ)いの思(おも)いってそうよね。マイナスを撒き散(まきち)らすね、人(ひと)を不幸(ふこう)にするね、人(ひと)を傷(きず)つけてしまうね。
 でもね、感謝(かんしゃ)の心(こころ)で、人(ひと)の幸(しあわ)せを願(ねが)う心(こころ)、喜(よろこ)ぶ心(こころ)はプラスの光(ひかり)を撒き散(まきち)らすのね。だから、みんなが幸(しあわ)せになれるのね。ただ、人(ひと)って自由(じゆう)があるから、何(なに)を選(えら)んでもいいのよね、どんな生き方(いきかた)も選(えら)べるけど。

 戦争(せんそう)も消(き)える

 今(いま)は特(とく)にアメリカやイラクの問題(もんだい)もあるけど、戦争(せんそう)ごっこを選(えら)ぶ人(ひと)が多(おお)いのね。それは一人一人(ひとりひとり)の自由(じゆう)だから止(と)めるわけにはいかないんですよね。でも、本当(ほんとう)に平和(へいわ)を願(ねが)う人(ひと)は、平和(へいわ)をしっかりと引き出(ひきだ)さないといけないのね。「無限(むげん)の無限(むげん)の平和(へいわ)が一杯(いっぱい)!」という祈(いの)り言葉(ことば)を使(つか)って神(かみ)様(さま)から平和(へいわ)を引っ張り出(ひっぱりだ)さないとね。
平和(へいわ)を引っ張(ぱ)り出(だ)す人(ひと)が多(おお)いほど、この地球(ちきゅう)は平和(へいわ)になるね。「無限(むげん)の無限(むげん)の調和(ちょうわ)が一杯(いっぱい)!」つて、調和(ちょうわ)を引つ張り出(はりだ)せばこの地球(ちきゅう)は調和(ちょうわ)するのね。言葉(ことば)の使い方(つかいかた)というのが一番(いちばん)大事(だいじ)な要素(ようそ)よね。プラスのいい言葉(ことば)をしっかり使(つか)うことよね。
 「不景気(ふけいき)、不景気(ふけいき)」と言(とい)うと不景気(ふけいき)を引っ張り出(ひっぱりだ)すのよね。「不景気(ふけいき)」という言葉(ことば)を使(つか)っている間(あいだ)は、まだ不景気(ふけいき)なのね。もっとプラスのいい言葉(ことば)を使(つか)える人(ひと)が増(ふ)えてきた途端(とたん)に変(か)わるのね。言葉(ことば)の使い方(つかいかた)ですぐに変化(へんか)するのね。だから、みんなが「無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せが一杯(いっぱい)!」というふうにしっかり感謝(かんしゃ)すれば、全体(ぜんたい)が幸(しあわ)せな状態(じょうたい)に必(かなら)ず変化(へんか)してくるね。

 今年(ことし)は未年(ひつじどし)よね「神さま(かみさま)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きが一杯(いっぱい)!」という姿(すがた)をしっかりと受(う)ける年(とし)よね。そういう人(ひと)が増(ふ)えれば増(ふ)えるほど不景気(ふけいき)も消(き)えて、戦争(せんそう)も消(き)えるね。必(かなら)ず平和(へいわ)な幸(しあわ)せな世界(せかい)に変(か)わるね。
 はい、ありがとうございます。

 古神道(こしんとう)の語意(ごい)

豊葦原(とよあしはら) ‥‥・・無限(むげん)に進展(しんてん)する高天原(たかあまがはら)

千五百秋(ちいほあき)‥‥‥‥無限(むげん)の年月(ねんげつ) 完成(かんせい)の連続(れんぞく)

瑞穂(みずほ)の国(くに)‥‥‥‥全(ぜん)大宇宙(だいうちゅう)・原子(げんし)も人体(じんたい)も家庭(かてい)も国家(こっか)も地球(ちきゅう)もー切のものは瑞穂(みずほ)の国(くに)である

爾(なんじ)   ‥‥‥‥親愛(しんあい)なるあなた方(あなたがた)

皇孫(すめみま)  ‥‥‥‥宇宙(うちゅう)絶対(ぜったい)神(しん)の御心(みこころ)を正(ただ)しく継承(けいしょう)する真子(まこ)

就(つ)いて ‥‥‥‥与(あた)えられたその役目(やくめ)を完全(かんぜん)に成し遂(なしと)げること

治(なお)せ  ‥‥・‥全体(ぜんたい)の中心(ちゅうしん)者(しゃ)としてすべてを正(まさ)しく知(し)り、それを適材適所(てきざいてきしょ)に活(い)かし大(だい)調和(ちょうわ)させること

さきくませ ‥‥幸(しあわ)せ増(ま)せ無限(むげん)の無限(むげん)の幸(しあわ)せで一杯(いっぱい)!という状態(じょうたい)

祚(ひつぎ)‥‥幸(さきはえ)・幸運(こううん)・絶対(ぜったい)神(がみ)より継承(けいしょう)した徳(のぼる)

隆(たかし)えまさむ …・与(あた)えていただいた最高(さいこう)の姿(すがた)を正(ただ)しく受(う)け、この世(よ)に顕現(あらわ)し、すべての御親(みおや)なる絶対(ぜったい)神(しん)の最高(さいこう)の歓(よろこ)びとなるのである。人(ひと)の一番(いちばん)の役目(やくめ)は、神(かみ)様(さま)からの無限(むげん)の恵(めぐ)みを永遠(えいえん)に受け続(うけつづ)けることである

トップへ

カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.