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カウンター

arigatougozaimasu25柔道について2002.04.20.02

司会者 私は山下さんとは8年くらい前に一度、金沢の方で講演会されたのをお聞きしてお会いするのは今回で2度目なんですけど、18年前オリンピックで金メダルをとるのもテレビでみていました。今日、先ほどお話をお聞きして、私たちがここでありがとうございますに学んでいることをそのまま生きてこられた方だなぁという印象を受けたのは私だけではないと思いますが、そんなところから話をすすめていきたいと思います。
 ありがとうございますさん にお聞きしたいんですけど、柔道ということを通して日本人が本来持っている謙虚さとか思いやり・・・畳の上で、以前は場合によっては殺すくらいの感じで相手に勝つ、ということだったのが最近の心境としては相手も生かし自分も生きるというようなそんなお話だったと思うんですが、そんなことも含めて山下さんのお話の印象などを少しお話してください。

ーありがとうございますー
 もう、感謝をそのまま生きているようなお話の感じでしたよね。神さまの護りをいっぱい受けて幸せへの道を歩み続けてという感じです。本当に感謝に生きるというのは別にありがとうございますと言葉にして唱えなくても「あ」だけでもいいみたいですね。マイナスの過去に一切囚われない、常に光を感じ取っていくような生き方ですね。プラスをプラスを発見していく生き方、大楽天主義的な気付きを増やしていく生き方、これはやっぱり謙虚な素直な生き方の中にそれがそのまま備わっています。身体全体から滲み出てますね・・謙虚さ素直さ感謝の深さが。

 特に柔道を選ばれて、やっぱり柔道の「道」という言葉はいいですね。道は宇宙に満ち渡っている全てをひとつに繋ぐものという感じで神さまをあらわしている言葉です。柔というのもいいです剛じゃなくて謙虚で控えめで柔らかいというような感じで、その中に本当の神さまの強さが必要な時に出て来るんだと思うんですけど、これから日本の国が大きい働きをしていくんだと思うんですけど特に新しい世紀になってから本物がはっきりと出てくる時代だと、皆そういうふうに言ってますよね。

 神さまが人の口を使っていっているのだと思うのですけど本物というのは神さまだけです。神さまが直接みんなの中に降りて輝く時代という意味だと思うんです。本物の神さまは全体をひとつに常に繋がないと、全体者としての意識がスッと皆の中に降りてこないとバラバラですよね。みんな一体感、愛の心で生かし合い助け合いの姿をとってくるんだと思うんです。

 だから柔道というのはこれからいいと思います。スポーツ界の最先端の行き方だと思うんです。日本の心をそのまま現しているんじゃないかと思うんです。嘉納先生の心もそうだと思います。柔道を通して本物を皆に伝えていくという大きい役割を果たしてもらうんだと思います。あるべくしてあるという感じですね。特にこれから新しい世紀に必要なお役目だと思うんですけど、特にこの「すめらの聖地」は本物を発信する場所として昔から計画されている場所みたいなんです。全ての分野において本物を発信する人が集まってくる場所でそのために古来からずっと準備された聖地になっているみたいです。「すめらの聖地」という言葉も「すめら」というのが、天皇陛下も「すめらみこと」といいますけどもスメタカアマハラミコトというのが宇宙の大神様の名前なんです。それを略して「すめら」なんですけど、だから宇宙の大神様というのは谷の神さま、谷神(こくしん)といって一番奥に隠れて本当の働きをする神さまです、その神さまが働く場なんです。

 だから一人ひとりの努力で立派になっていくんじゃなしに神さまが一人ひとりに降り立って立派にしてくださるというこれからそういう時代だと思うんです。だから日本人は特に我の努力はもう要らなくなる、我の努力じゃなしに神さまに降りていただいて立派にして頂いて、そして神さまのお手伝いをお役にたって皆を幸せにしていくというそういう役目だと思うんです。昔から日本はよく神風が吹いたでしょ、神風というのは本当に謙虚になったときの神様の助けなんです。我を出すと神さまは引っ込むんです、だから神さまの助けがないです。でも謙虚になったときは必ず神さまの助けが降りるんです。だから絶対に戦いの場に置かれても敗れることはないんです。

 神武

 もともと神武建国という意味も・・神武という言葉はいいでしょう・・神に武道の武ですけど、武は矛を止めるという意味で、矛というのも相手をやっつける武器みたいなものですけどそれを止める、争いの心を鎮める愛の心をそこに大きく現すという言葉です。神さまがそういう武の姿をとって現れるのが武道ですけど、神武不殺という言葉もありますけど、神の武は絶対に人を殺さないんです。すべてを生かすんです。だから争わずして全てを調和させていくんです。そういう役目として日本が誕生している筈なんです。だからそういう大きい役目が全ての分野で起こらないとウソです、科学や芸術やとあらゆる分野で起こらないとこれは本物にはならないです。ひとつの分野だけでは足りないですから、これから全ての分野のいろんな本物の働きをさせていただいている人が手を取り合って世界を変えていくという、これが世界維新なんです。それも過去の積み重ねじゃないんです、新たに新たにいいものが降りてくるんです。それで古いものと新しいものとの置き換えです、どんどん新しいものと置き換えてくださる、それでどんどん変化するんです。今までは日本の国もそうですけど、どうしても西洋のあり方から影響を受けて、どうしても現実だけを重視するという生き方を取りすぎたんですね。これは日本の国の心とちょっとズレていたと思うんです。

 桜

 日本の国の桜がそうですね、花がひらひらと散るのが日本の心なんです・・潔く散るという・・そう言っても散ってなくなるんじゃなくて毎年新しい花が開いて潔く散っていける、永遠に花は咲き続けるんです。そして散り際がもの凄く潔いですね、きれいで・・美しいという、これは常に過去を放している生き方です。常に常に新しいものを受けて過去はすっかり潔く放してしまうんです。だから過去を積み重ねないんです。日本の心のひとつの特徴ですね。常に新たに受けるだけ、だから過去は何があっても人を恨んだりしないです。赦せるという心があるんです。赦しの「赦」は常に新たに新たに受けなおすので、すべて赦せるという意味なんです。新しいものを受けたらもう古いものは必要ないです、それで古いことで心が囚われることがないので過去を全て赦せるんです。

 ニワトリと卵

 日本はそういう心をもとから与えられているんですね。それをそのままスッと自然に現していけたら世界をひとつに繋ぐ役をさせてもらうので、世界は日本の中心から全部生まれて拡がってという感じもあるんですけど、また世界の全体が縮図として日本の姿として現れているという意味もあるんです。だからニワトリと卵がどっちが先かというような、日本が卵だったらニワトリは世界なんですけど卵からニワトリは生まれるんですね、またニワトリから卵が生まれるんです。だからこれはもう、どっちが先というんじゃなしにどちらも先なんで、どちらも後なんです。ここに本当の愛の一体感が生まれてますね。だから日本から世界へいいものがどんどん広がると同時に世界からもいいものがどんどん入ってくるんです。この循環が一番大事だと思うんです・・宇宙の神様の創造の仕組みというのはそうですね、常に中心から外広がりにでたものが必ず中心に戻ってくるこの循環が常に行われているんです。この循環があるから生きている、常に変化して輝いているというのがあるんです。常に自分から出たものは周囲にどんどん与え尽くされて、また周囲全体から自分に必要なものをどんどん与え尽くし返されるというその循環が早いほど幸せが大きくなるんです。

 スピード

 神さまの与える無限の無限のチャンネルの番組の中でも高いほどスピードが速いんです。スピードが速くなるほど高い番組です。一秒を無限分の一に絞り込んだ無限分の一秒になるともの凄くスピードは速いでしょう、そうなるほど素晴らしいものがいっぱいという極楽世界のような姿をとるんです。だから与え合いがこれからどんどん早くなっていきます。特に今の時代は進化変化が速いですね、それだけ良くなってきてるといったら良くなっているんでしょうね。次元が高くなったとか番組が上ったという感じだと思うんですけど、ただそれはもう与え尽くし合いでスピードが速くなるほど速くよくなるんです。これが過去のような奪い合い求め合いでは早くなるほど傷つくのも多いですね。だからこれからも与え尽くし合いがいいんだと思うんです。特に日本の場合は与える心は大きいと思うんです。

 婦道

 今までの日本の過去の古い家庭のあり方はそうですね、お母さんにしても求める心はないですね、家族の為に自分を全部与え尽くしているでしょう、すごいことですね・・そういう生き方を婦人の「婦道」というんですが常に生き方自体が道と繋がっているんです。道に繋がるというのは神さまと直結しているという意味で、だから日本のどんな生き方も常に神さまから出発して神さまへ戻っているんです。今の時代は神さまというと毛嫌いする人もあるんですけど日本人は逆になってくる筈なんです。神さまほど身近なものはないというふうに・・どんどん変化すると思います。心の中では、神さましかないという感覚があるんです。ところが周りの人が、神さまというと何かちょっとおかしいと見られると恥かしい感じで・・でも、これからは神さまという言葉がどんどんまた輝いて出てくると思うんです。日本のその神様という言葉でないと世界の宗教をひとつに統一できないですね。何々の神さま、何々の神さまと対立するような神さまばかりじゃダメなんです。

 神の響き

 神さまという言葉の響きが、神という言葉が全てを現しているんです。特に五つの意味で、カクリミ・カゴリミ・カガリミ・カケリミ・カギリミという神さまの五つの働き全部が大きく浮かびでてくるんです。今までは単なる八百万の神さまのような感じの神さまという捉え方だったんですけどもこの五つの意味の全部が表に復活して輝くようになってくるんで、この神という言葉が世界の全てをひとつに繋いでしまうんです。そういう本物の時代は特に言霊の響きというのがどんどん表に輝いて出ますから、そういう意味で本当の神さまが大きく働くんです。それで中から皆を変えていくんです。特に日本のあり方というのはそういう役目として自然にそういうふうにさせられていくんだと思います。

 神を信じるかどうか

ー山下さんー
 神様を信じるか信じないかで生き方は大分変ってくる気がします・・・。

ーありがとうございますー
 変りますね。

ー山下さんー
 神様の存在を信じると誰も見ていなくても神様は見ていると思うと、自分の行動に襟が正せるような気がします。神様を信じる方が人間としてのおごりが出てこないような気がします。信じない人の方が、本人が万物の霊長で地球を支配して、目に見えないものより目に見えるものを大事にする・・そんな気がします。今の教育の問題でも、ある方が「神を信じなくなったことが一番の教育の荒廃の原因である、私は誰が見ていなくてもお天道様が見ているとか、そういう意識が人間の心に対して常にブレーキをかけていた部分がある・・それをアッピールしていくべきじゃないか」と。神様ということを話すのはなかなか難しいですね。まだまだ知らない人の前で話すと逆にアレルギーを・・・。
 個人的にひじょうに疑問に思うのは、お釈迦様にしても例えばイエス様にしてもアラーの神や孔子様もみんな上からそういう役目を授かってきているんじゃないかと思うんですが、この人達がもし同じ時代に生きていたらもの凄く意気投合して力を合わせて、地球を人類を良くしようとすると思うんですけど、どうしても教え子になると自分が教わったその人が一番素晴らしくて・・というかたちになってそれが今の宗教のセンスなのかなと・・そういうものは神様から命を受けて降りてきた人達は何も望んでいないと思うんですけど、その辺は国家と国家、宗教と宗教の争いはこれからもっと出てくるような気がするんですけど・・信じるものは救われることを広めた方は悲しまれていると思うんです。
 私はよく判らないけど神様というのは包み込むような愛だと思うんです、でもいろんな宗教を信じる方でそうではない逆に排他的な部分があるというのはひじょうに難しいなと思います。本来のそういういろんな宗教の教えと今の行動というのは相反する部分があるんじゃないかなという気がしています。

 一灯照隅 万灯照国

ー司会者ー
 もうひとつ今ありがとうございますさんの方から世界維新という話を聞いて、山下さんも先ほど柔道を通して世界のスポーツ界の人たちが何らかの形で、いろんな奉仕活動みたいなもので弱者に目を向けていくというか山下さん自身もスポーツ界全体を含めてそういう事をやっていきたいと仰っていましたが、私たちは世界維新ということを本気で思っているわけですけど、山下さん自身でそういう事が可能なのかどうかもう少し具体的に・・?

ー山下さんー
 いやぁ・・判りませんね。世界維新なんて私は考えたことがないから・・ただ好きな言葉に「一灯照隅 万灯照国」というのがあります。ひとつの灯かりが隅を照らす、それが万に達した時その灯かりが国を照らす・・だから我々一人ひとりが僅かでも隅を照らせる灯かりになることが大事じゃないかなと、せめてその万のうちの灯かりの一つにはなりたいなと思いますけども、世界維新とかいうことを考えたことはないですねぇ。
 ただ、どうしても日本人は日本と他の国を区別して考えるところがあると思うんです。日本人の他人を思いやる気持が単に村意識だけじゃなくて全てを包み込んで日本人だけじゃない世界中のみんなをそういうふうに見ていけると、もうちょっと日本人は成長するのかなと思います。柔道界で言うと、どうしても日本が本家で日本が主導権をとって日本の意見を通して・・私は国際柔道連盟の方に出ろと言われてますけど「私は将来出てもいいと思ってますけど、私の性格をご存知だと思いますけど私は出たら日本の為には働きませんよ。世界の柔道のための働きますよ」と言うと「そりゃ、困る」と、これじゃあ寂しいです。
 創始者の嘉納治五郎先生から見れば、日本もフランスもエジプトもメキシコも・・髪の毛の色とか目の色とか関係ない、世界中の柔道をやっている子はみんな自分の子供だと思うんです。そうしたら何で嘉納先生を奉りながら日本が本家だとかいうのか、僕が思うのは逆に本当のそういうプライドがあるんだったら、日本にとってマイナスになることでも世界の為になることだったら敢えて呑むくらいの気持ちが持てないかなと思います。日本人がもっと多様なものを受け入れて・・日本には外人という言葉がありますけどあれはすごく嫌な言葉みたいです、「外の人」自分らと違うというその辺がなくなるともっとよくなるのかなと思います。うちの前総長も世界平和ということをすごく言われていました。思想的には共産主義は大反対なんですけど旧ソ連と近しくしていて、あるとき「山下君、僕が何故ソ連と付き合っているか判るか?」と・・判るはずがないですね。「日本は政治も経済もみんなアメリカの方ばかり見ている。しかしすぐ目の前の隣にとてつもない大きな国があるんだ。民間のレベルでも僅かでもパイプを作っておかないと日本にとってとんでもないことになる。皆がアメリカの方ばかり見ている日本の将来が心配だから、僅かでもパイプを作ろうと思っている」・・そういう人々や先生から可愛がられたものですから、他の人に較べると私は日本と他の国との境というのは遥かに少ないような気がするんです。・・世界維新とは全然関係のない話で終わりましたけど・・。

 世界維新

ー司会者ー
 柔道という日本の「道」とつくことを通して世界維新をやってらっしゃるように私は感じたんですけど・・。

ーありがとうございますー
 世界維新と言うと、すごく大それた気がするんですね。先ず自分に出来ることは自分を変えること・・しかないような気がするのと、もうひとつは会ったことがなくてもそういう同じような思いを持った人と手を繋いで協力していくと・・それくらいしかないように思うんです。本当に世界をよくしようと思って何ができるかと言われても自信がないし、もうひとつ言うと本当のそう思ったら自分を捨てなきゃダメですよね。まだ・・やっぱり自分が可愛い部分がありますから、自分の全部を捨てて世界の為にというふうには・・世界も大事だけどやっぱり自分も可愛い、自分を捨てきれない・・いつの日か捨てきれる日が来るかもしれないですけど・・そういう部分は在りますね。だから、ちょっとそこまでは・・・。

ー司会者ー
 今の、自分を捨てないとそういう大それた世界維新というものに入っていけない・・という中には多分謙遜がたくさんあったんだと思いますが・・

ー山下さんー
 いえいえ、本当にやろうと思ったら自分のことなんて考えられませんよね。

ー司会者ー
 その辺について、ありがとうございますさんの方から何か・・それを両方、こう・・・

ーありがとうございますー
 そうですね、世界維新は新しいものと置き換えるという神さまの大きい働きなんですよね。だから神さまからの新しいプラスのプレゼントがいっぱい降って来るというそういう置き換えでよくして頂くんです。だから人が主役じゃないですね、神さまが主役です。そういう意味で人の場合は神さまのお手伝いですね。それぞれの分野で、謙虚になった時に初めてお手伝いを具体的な意味でさせていただいているんです。そういう意味では凄く謙虚で、もうお手伝いを実際にさせていただいてるような姿ですね。

ー山下さんー
 そういう意志に少しでも沿うというか、神の摂理とか自然の摂理とかに沿うような生き方をしたいとは思います。

ー司会者ー
 人生を6,7回生きたい、一つの人生が終わったらそれはもう終わりと、次また新たに始まるという常に新しいものにチャレンジしていく、そこに何か日本人の大切なものを感じたんですけども・・。

ー山下さんー
 自分で思っていたのは第一の人生はオリンピックに出て活躍したい、第二の人生は指導者として選手を育てて柔道国日本の復活をしたい、第三の人生では現場から離れて柔道を通した人づくり、教育をと。日本の武道の中では柔道は開かれている方ですが世界を相手にしているので開かざるを得ないんです。いつまでも殻に閉じこもっていたら身動きが取れないんです、勝てないんです。
 常に世界を相手にしていかないと・・でも体質的には古いんですね。上の人に意見を言うとか反対するとかがひじょうに難しいところなんです。でも面白いのは過去の実績がものを言う世界なんです。だから私が言うと、上の人もある面では正しければ聞かざるを得ないような部分もありますが、やはり上に立つ人が変らないと進んでいかないですからね。柔道が人づくりを出来るものでありたいというのと、もうひとつは今、世界176くらいの国で柔道がやられていますが柔道着を着て畳の上に裸足で立つそして日本式の礼法をする・・柔道着は一応着物です、着物に帯で裸足で正座です。イスラム教ではアラーの神にしか頭を下げないですけど柔道では下げますから、これだけで日本の文化を体験したことになるんです。だから僕はこれをもっと柔道は大事に出来ないものかなと思います。いろんな国から柔道の指導の依頼も来ます。素晴らしい人材を送ったところで先ずその人がその国の文化を受け入れ尊敬される人間になる、そしてそのあと単に柔道を強くするというのでなく、柔道を通しながら柔道の心を伝えていく・・柔道の心は日本の心とひじょうに通ずるものがあります。その国を理解した上で柔道を通して日本の心を伝えていく、これは日本とその国を繋ぐ大きな掛け橋になっていくと思うんです。それをしていけば柔道は日本の心を伝えるメッセンジャーになれる・・今、日本は世界でひじょうに誤解されています。
 本来は素晴らしい民族であると思いますが日本も世界から信頼されるということをあまりしていないような気がするんです、どうも自分の国の利益の為に働いている感じがするんですが、柔道連盟が講道館がしっかりしていけばいろんな国から要請がきた時それを通して民間レベルではあるけれどその国と日本を繋ぐ掛け橋になれると思います。いろんなところで国際交流は盛んで姉妹都市もいろいろあります。そういう時にお互いに交流しようというのに一番いいのは柔道なんです。その国で生まれ育ったものと交流しようという、そういうところももっともっと生かしながら・・今は日本が行ってその国の技術レベルを上げるというところで止まっている気がします。今の日本の組織ですと本当に優秀な人材をその所属しているところは、抜けたら困るので出してくれません。「ああ、どうぞ」というのは1年2年行っても差し支えない人が出て行っているような部分もあるんです。本当に連盟がしっかりしていけば国内において柔道を通した青少年の健全育成人づくり、そしてもうひとつは海外と日本を信頼のパイプで繋ぐ・・そしてこれは他のスポーツでは出来ないんじゃないかと、その辺のところが何とかできないかなぁというのが僕にとっては第三の人生と思うんです。
 第四第五の人生はまだ見えてませんけど、まだまだ第三の人生に行けませんで現場の指導者なんですけど、いろんな話が来るんです、いろんな役職とか仕事とか・・よく喜んで気楽に座られる方がいるんですけど、そういう名誉よりもその役職の持つ責任感を先ず考えるタイプで、受けることに対してひじょうに責任を感じるタイプなんです。だからどうしても自分としては自分の責任の持てる範囲のことに集中してそこに期限を区切りながら全力を投入していきたい。そして次の人を育てていかなければ進んでいけませんから、柔道界でもスポーツ界でも次の若い人たちを育てながらそういう人たちにどんどん自分がやろうとしたことを譲っていけばまた次のステージに上っていける。人の力は限られていますからいかに多くの若者を育てていくか、育てていけるかどうかが違った新しい仕事に取り組んでいける鍵かなと思います。

 責任感

ー司会者ー
 今の山下さんのお話で、特に自分が大切だと思っていること自分が役割として責任を持ってやっていくことをまた次の人に繋いでいくというのは、やはり先々のことを考えて仰っていると思うんですけど・・私達は特に感謝というものを大切だと思ってここに集っている訳ですけど、ありがとうございますさんにお聞きしたいんですがそういう事が、ありがとうございますの世界への波及の仕方というのもあるんですけど・・今、政治的にも・・スポーツでもオリンピックのスケートで何かおかしなことがあって、あまりにも各国の利害関係とかいろんなものが絡んでスポーツマンシップに乗った判定でなかったりという何かスッキリしないものが、これからどのように刷新されていくのかと・・・。

ーありがとうございますー
 先ず責任感なんですけど、責任感というのは大きいほど神さまの心と一致しますね。神さまは常に全体の責任をもつ立場なんです。全体者ですから・・だから大きい責任感をもつ人ほど神さまの助けを受けやすいんです。部分だと部分的な小さい助けを受けるだけです。全体をよくしようという人は常に後継者を育成するんです。常に全体を大きく広く見ているんです、そういう人はもう神さまの大きいお手伝いをさせていただいているんです。だから常に神さまの心がスッと移ってくるんです。その神さまの御心のままに行動させて頂いているんでそういう人は常に感謝も深くなっているんです。感謝というのはやっぱり大事なんです。感謝すれば神さまの心をそのままスッと受ける心です。感謝すれば神さまがスッと入ってくるから責任感も強くなるし大きい働きにも使っていただくんです。

 特にこれからは神さまの時代で神さまが大きく力を振るってくれないと短時間で良くするわけに行かないです。それで神さまが直接出てくるんです。ただ今までは人間が自分の思い通りしたいというので神様を拒絶していた一面があるんですけどいろんな面で行き詰まったり問題解決の為に神さまの助けを求める人が増えてくると神さまの出番なんです。謙虚に神さまに縋るという心が芽生えてきているんです。そして神さまを呼ぶことによって神さまの助けを受けて神さまに力を振っていただくんです。特に感謝というのは愛の心の極致みたいなものです。常に一体感を増やしてくれるので世界を繋ぐ接着剤みたいなものです。感謝し合ったらスッと仲良くなるんです。

 ただ、みんな感謝しないとなれない、感謝しなさいという感じだと出来ない人は無理なんですけど、そうじゃないですね。ありがとうございますと唱えたら感謝できる心に変えてくれるんです。自然に変えてくださるこれは神さまの力です。これからそういう生き方が大切なんです。感謝できるからありがとうございますと唱えられるんじゃない逆なんですね。ありがとうございますを唱えて感謝できる心に変えてもらうと一体感の愛の心が湧いてくるんです。これからそういう時代で神が力を振るってくるんです。だからありがとうございますと唱える人は必ずいろんな過去の生活体験の中で謙虚な修行をしているんです。いろんな苦労を積み重ねたりいろんな問題を与えられてそれによって心磨きをずっとしてきているんですね。謙虚になって気付きが増えて初めて神様の助けを頂くようになっているんです。そういう人は自然にありがとうございますを唱えさせていただいて神様の力を大きく受けていけるように変えてもらったんですね。これも神さまの計画だと思うんです。
 特に世界維新という意味はちょうど夜の時代から昼の時代へと変化するんです、大きく変る節目になるんです。夜の時代は星明りや月の明かりで自らも光を燈して明るくしないといけない時代だったんですけど今度はガラッと夜明けが来て昼になって太陽が輝くと小さい自力の働きはもう必要なくなるんです。大きい太陽が輝いたら何もしなくても明るいんです。今はその夜明けなんですね。東の空が自然に明るくなってきているという感じです。昔の言葉に「光は東方から」という感じで日本がその光の放つ国とみんな昔から認めていますよね。そういう意味で日本から感謝がありがとうございますが生まれて来るんだと思うんですけど、感謝の光が自然に大きく輝いて努力じゃなしに神様の力でどんどん明るい状態にプラスの状態に変えて頂いて世界が明るい昼の状態に入っていくんだと思うんです。それも自然に・・だと思うんです。一人ひとり自然に神さまのお手伝いを知らないうちにさせて頂いて気づいた時は、お昼になっていたという・・これからそういう時代に入っていくようになると思うんです。

 教育の問題

ー山下さんー
 話が全く変ってしまうんですけど、教育の問題でゆとり教育の是非が言われていますね。三割削減で円周率が何とか・・と、このままでは学力が落ちるとか・・私はひじょうにそれに憤慨しているんです。教育というのはただ学問や智識を詰め込んでいけばいいというものではないと、教育は人を育み人を作っていくもので、人を作っていく一番は、志を立てるとか人生をいかに生きるか人生いかにあるべきかと、生きるとは学ぶとは幸せとはとそういう事を考えながら自分の人生の背骨を作っていくことで、勉強や学問というのは枝葉の部分だと思うんです。
 価値観や思想がしっかりしないでただいい点数をとればいいという考え方の歪をひじょうに感じます。登校拒否の子供達や掛け算割り算分数の出来ない高校生の話を聞いて僕は三割削減しても習熟度別の学習とか、自然の中で実際に体験すること、環境問題や情報、福祉という今の教課では学べないけど人間として生きていく為に若いときから考えていかなければいけないことだと・・新聞などを見ると教育をもの凄く狭く考えている、それでは日本の技術力が落ちるとかですね・・これからの日本を作っていくのは子供達ですから子供達がしっかりした背骨を持って高い価値観に基づいて人生を作っていくためにはただ詰め込んでただ点数を取ればいいということであってはいけないと、そのために削減ということになったらまたもの凄く小さな教育というところに戻ってしまって、人を作るというところが凄く希薄になっているんです。私は声を大にして叫びたいんですが、そういう事をどうお考えなのか皆さんもどうお考えなのかをぜひ聞いてみたいと思いました。

 ありがとうございます の子供の育て方

ー司会者ー
 そのお話については皆さんとも第2部として後で行いたいと思いますのでそのままいただいておきます。
今の話と関係して、ありがとうございますさんにはお子さんが二人いらして長男さんが27歳で下の妹さんが22歳ですか、ありがとうございますさんはずーっと奉仕活動をされていたものですからこのお二人を普通とは違う方式で育てたとお聞きしたんですが、その辺の子育てとか教育についてありがとうございますさんに少しお聞きしたいんですが・・。

ーありがとうございますー
 そうですねぇ、何もしてないですね私は。本当に小さい時から・・そして何も買い与えてないですね。お金はないですから、欲しいものも・・欲しいものもなかったみたいですね。必要なものも買ってあげようかといっても「いらない」と・・男の子でも靴に穴があいて水が入るのに冬でもそれを履いているんです。もう買い換えたらといってもダメなんで「まだいける」と。
 中学から高校へ行くのでも普通の高校へ行けばいいんですけど通信で単位を取る、それも大学受験の為の単位を先に一年で取ってしまって、通信で一応卒業しているんですけどその後も絶対お金をかけんようにとね・・女の子もそうですね、親がお金ないのをよく判っているから一円でも使わないようにして・・高校で修学旅行に行った時でも、お小使いをちょっと持っていくんですけどそれでお土産買ってくるんですよ、ところが私には何も買ってきてくれないので理由を聞くと皆には必要だからちょっとずつ安いもの小さいものを買ってくるんですけど、お父さんには使わずにお金を持って帰る方がと・・そんなんです。
 だから子供に何も買い与えてない、何も与えてないですね。それでも親より立派なんです。もの凄く親孝行ですよね。何も親に対して求めないし、それでお手伝いをいっぱいしてくれるでしょう、もの凄く機転がきくんです。必要な時スッと自分から動いてますもんね。ただ、小さい時にありがとうございますを唱える練習をしてるんですよ。それはやっぱり大事だと思いますね。ありがとうございますの練習をして、やっぱり神さまを引っ張り出しているんでしょうね。表面立ってはあまり見せないです。今でもお祈りしているんですけど、しているような感じを見せないでさりげなく・・それでも何かあったら一生懸命祈ってるんですね。
 それで自然に助けて頂いてるんだと思うんですけど、親以上かもしれないですね、私はもう子供は放ったらかしです、後は神さまにお任せなんです。私は私でさせていただくことを一生懸命していくことによって、もしそれによって自分が何も出来なくてもそのまま神さまがカバーしてくれているというそういう気持で安心感があるんです。だから親がしなくても必要なものは周りから必ず与えてもらっているんです。
 女の子が通信のスクーリングで東京へ行かないとならないとなるでしょう、本当は旅費と旅館代がいるんですけど親は出さない・・そうするとちゃんと、親が何もしないからというので東京の方のスチュワーデスさんが旅館も取ってくれて旅費も出してくれてという・・私は頼んでないんですよ。神さまがそういうふうにちゃんとしてくれたんですね、全てがそうなんです。不思議なんですね・・・だから、教育って私は何もしてないです、そしてこういう神さまのことも全然教えてないです。
 お祈りしなさいもないしこういう教えも何も教えてないのに、でも知ってるんです、なぜでしょうね・・中学の時に男の子がちょっといじめられていたような感じがあったんですけど、その時でも作文書いているのを見たら、悟ったお坊さんみたいなことを書いてるんです。学校の先生の方がビックリしてたみたいですね。だから、いじめに対してでも考え方がしっかりしてる、相手を絶対責めてないしそれでいて自分もいろんな対処の仕方を悪いとこは悪い、良いとこは良いとしっかり認めてこうした方がいいという感じでちゃんと意見を持っているんです。
 だから、子育ても親がするんじゃないみたいですね、神さまがしてくれるのが本当の子育てかもしれないです。親の方は子供が立派になっていくのを神さまから見せて頂いているという感覚ですね。だから神さまにお任せというのが一番力があるように私は思うんです。それで私の場合はもう、ありがとうございますと神さまへの感謝、全てへの感謝でそれで徹底しているんですけど、あとは神さまが育ててくださるという感じでそういう生き方を実行させてもらっているんですけど。

ー山下さんー
 子供さんは、お父さんの生き方とか生き様とかその姿をずっと見られていたんですか?

ーありがとうございますー
そうねぇ・・。

ー山下さんー
 それがやっぱり凄い大事な気がしますよね。親の生き方とか働く姿とか、いま我々は見せてませんよね、それを身近で見ると子供はすごいそれに対して感じるような気がするんですけど、今の世の中の仕組みとか生き方そのものが問われてきますよね。お父さんの日々生きている姿、それがそのまま教育になっているんじゃないですか、何にも言わなくても・・・。

ーありがとうございますー
 ああ偉いですね 、子供は・・。

ー山下さんー
 もしかすると、言う言葉よりも行動の方が影響力が大きいんじゃないかなという気がします。

 過去を掴まない

−司会−
 山下さんが変わったという、出会いのひとつなんでしょうけど息子さんがおられたおかげで、ずいぶん気いたところがあったということでしたが・・・。

ー山下さんー
 ・・あとから振り返ってみてですね、そのときは何も思ってないんですけど、ふと振り返ったら、あれ?俺の考え方も隋分変ったなぁ、前はこうじゃなかったのに何で変ったのかなと、或いはそれさえも考えないで周りから「昔からそういう考え方をされていたんですか?」と聞かれて「いいえ、そうじゃなかったです」「じゃあ、何で変ったんですか?」と聞かれてそれで考えることが多いです。あまり過去を振り返らないで先ばっかり見ているから、問われてみて何でだろうと思った時に、この子が生まれてきて私にいろんなことを気付かせたんだなと・・そんな感じですね。

ーありがとうございますー
 山下先生は過去を掴まないというのが凄いところですね、常に前を向いて、前を向くと神さまが必要なものを的確にズーッと与え続けてもらうんですよね。大抵は過去を掴んで新しい必要なもの受けてないです。

ー山下さんー
 じゃあ、今の生き方のままでいいんですね?

ーありがとうございますー
 いいんです。人生の達人ですね。

ー山下さんー
 昨日誰とあったか何をしたか何を喰ったかと大事に思ってないから全然頭に残ってないんです。明日何をするか今週何をするか、来月半年後一年後三年後五年後・・そういう事はいっぱい考えているんですけど・・過去のことはインタビューでも何でも、聞かれて喋っているうちにだんだん思い出してくるんです。オリンピックの話とか昔話をしてくれといわれると、せっかくするんならこれからのこと今のことを話したいと思うんです。でも一般の人はあのオリンピックで足を怪我しながら優勝した山下と思っていて・・違う、それは今の俺じゃない、それはとっくに終わっているんだ・・そういう思いです。

ー司会者ー
 それでは後半は皆さんお二人に質問なりいろんな意見なりを言って楽しい場にしてほしいんですけど、先ほどの教育についてのお話を・・。

ー山下さんー
 授業時間をこの4月から三割削減するということから、学力低下とかもの凄く狭い教育の話になってしまって今の教育の大きい問題は、狭い教育の話じゃなくて子供達の心が病んできているというそこの部分じゃないかと思うんです。問題がすりかえられて・・話は飛びますがマスコミにもすごく責任はあって、非難とか批判とか悪いところの指摘はいくらでも出来るんです。大事なのは提案です、良くする為にはもっとこうしたらというような、何をやってもリスクや問題点はあるわけですから・・どうも非難ばかりのような気がします。本当に日本の将来のことを考えているのかなという思いはあります。皆さんがどういうふうに思われているかなと、私がそういう意見をぶつけるとみんな「そうだ、そうだな」としか言われないんですけど新聞とかの論調は違いますからね・・。

 親が子供と一緒に苦労する

☆今日のお話を聞いてまして・・子供の頃、私の親はとび職だったんです、今だったら労働執行違反とかいうんでしょうけど小中学生の頃に現場に連れて行くんです。で、大人と一緒に仕事させるんです。家を移動させるのまで建物の中に入ってコロを転がしたり・・それは命がけなんですがそれまでやらせて・・となると子供なりに真剣に考えていたんですね、当時はこんな大人と一緒に仕事をやらされて嫌だなと思いながらでしたが、体験させる考える・・農業も両親と一緒に朝早く起きて草取りから、嫌だなと思いながらやっていたけど今思うとあれをやりながら考えさせられていた、そういう体験が物を作るとか何かこれをやったらどうなるかというのは身体で自分が体験しながら学んできたということで、今ものを見る見方とか自分で何でもしなくちゃいけないという基礎は、やはり親の背中と一緒に働かせるというそれが昔は 当たり前だった気がしますが、そういうものがひじょうに役に立ったなあということをお話を聞いてふと感じたんですけど、ゆとりの教育というのはこの体験させる教育というのを必要とするものかなと感じました。

☆そのゆとりの教育で例えば土曜日が休みになってしまって、学校の先生は休みじゃないぞ勉強するんだぞと言っているらしいんですが、実際には誰も面倒を見る相手をする人はいない、親は不景気なんで一生懸命稼いでいるという状況で、じゃあせめて部活でもやってくれと、でも中体連では部活は5時でやめろと、休みの日は部活をやってはいけないという指導をしているようです。競技を一生懸命やっている先生なんかはスポーツ少年団の登録をして5時までは部活でそれ以降はスポーツ少年団ということで練習しているらしいです。ゆとりの教育ということを挙げているんだけど具体的な周囲の整備も合わせて必要なんじゃないかなと考えていました。

ー山下さんー
 競技のことから考えるとそうなると思うんです。そうじゃなくて子供のことから考えていかないと、今教員の方々がひじょうに慌てられているのは子供のことからで考えてないですよね・・自分の立場から考えてますよね。だからいかに子供達を育んでいくべきかと子供がどう育っていくべきかというのが、どうも二の次三の次になってしまっている気がするんです。いろんな体験のさせ方はあると思うんですけど、両親が不景気で働かなきゃいけないのは仕方がないかもしれませんけど、子供達にいろんな活動をする場を探すことは出来ると思うんです。学校側も先生もこれは出来ると思うんです。この子供たちが長い人生の中で何が本当に大事なのかという視点で考えなきゃいけない、大人が自分の立場でばかりものを考えていったら見る角度が全然違いますから、親は学校任せで学校は・・どこ任せでしょうか・・いろんな智慧を出していけると思うんです。確かにゆとりがないのは事実ですよね。中学校へ行くと急に子供達にストレスがたまんですね、実際授業についていけない子供達も多いみたいです。子供達のキラキラした目の輝きとか明るい笑顔、先ず子供らしさを彼らに戻してあげることが何よりも必要なんじゃないか、人間らしさを・・ストレスをいっぱい感じて人のことは考えないで自分のことばかり考えているところから戻してあげる、はっきり言って僕が子供の頃より遥かに今の子供の方が不幸だと思います。我々の子供の頃は物は充分になかったですけどもっと自由があったし生き生きしていたし伸び伸び出来て夢もあったしお互いの連帯感もあったと思います。どんなにものが溢れていても豊かな心がないと幸せになれないと思います。物質的な豊かさだけを大事にして求めてきたんじゃないでしょうか、人間らしさとか本当のゆとりとか本当の幸せとかどこかで忘れてお金があればものがあれば地位があれば幸せになれると、心の底では思っていないのだけどそういう錯覚で生きてきたのかなという気がします。
 僕は環境が人を作ると思っています。私は私の周りの恵まれた環境で自分が作られたと思っていますから、そういう子供達を生んでいる環境に問題があるとそれは世の中でありそれを構成している私たち一人ひとりだと思います。

☆今の社会は嘗てないほど社会不安があって、年間3万人の自殺者が出るという・・それは当然その社会の仕組みが子供達に伝わり、社会現象に一番敏感なのは親よりも子供だと思います。親が争えば子供はそれを増幅して感じるんですからそういう現実をまともに受けている子供達が親よりも賢く生きろと言われても生きる智慧というのは神から与えられ、生命力そのものは放っておいても生きるというものですけども、その歪みというのは敏感な人ほど出やすいとこれは命の法則みたいなものだと思うんです。社会構造そのものが大人が元気にならない社会だと子供も元気にならないそんな社会を作ってしまった。これは資本主義社会が投機型の社会で人の心までを含めた環境を破壊してしまった・・その辺の社会構造の変革というものに気がついてこれから変っていくんじゃないか、だから皆もの求めてそれを持ってみたもののそれが心の充足に役立たないというのが最近判り始めた、これから多くの人たちがそのことにどんどん気がついていく社会になっていくんじゃないかと思うんですが・・。

ーありがとうございますー
 本当にそうですよね、特に子供っていうのは親の喜ぶ顔を見たいんです。だから親のお手伝いをさせるのが子供にとっては大きいプラスになります。一緒に親が子供と苦労してあげるというのが・・親が一生懸命働くのもいいんですけど、その働いたお金で何でも買い与えるよりは逆に子供にいろいろ手伝ってもらって内職でもしてもらって親が助けてもらう方が、その方が本当は子供が親孝行できたという、親を喜ばせたというので輝くんです。私も小さい時そうでした、親が一緒に苦労してくれたおかげだったと思うんです。
 だから本当に親が子供と一緒に苦労するという・・これは芝居でもなんでもいいと思うんですけど、わざと子供と苦労をともにしてあげるというのが 子供にとっては大きいプラスになるんじゃないかと思うんです。もっと実際に仕事の場でいろんな体験を積ませるというのは、ものすごく大事だと思います。そして本当に何が必要かと考えて勉強していくという・・そうすると勉強でも楽しくなりますね、身につくんだと思うんですけど、それを幅広くいろんな分野でそういうチャンスを与えてあげると子供のしたいものが、たくさんの選択肢の中から選んだものは喜びいっぱいにやっていけると思うんですけど、親の代を継ぐとなるとちょっと選択肢が狭まるのでちょっと強制されたかな・・という感じも受けるのでまた後で迷うかもしれませんけど、でも最初にいろんな場へ子供を連れて行って勉強させるという意味で体験させると選択肢が広くなります、そうしたら子供の自由意志で自分のしたい本当に必要な事を選んでそこでいろんな必要性を学ぶと学校の勉強も楽しくなると思うんです。それも全科目を平等にするんじゃなしに本当に必要な勉強を最優先させて勉強させてあげる方が効果が大きいんじゃないかと思うんですけどね。

ー山下さんー
 先ほど、あまり物を与えた事がないというお話ですけど・・物を与えるより一緒になにか作ったりそういう時間を共有することの方が子供にとっては大事なんじゃないですかねぇ。ものだけ買い与えてもそこには思いが伝わらないんじゃないですか?ちょっと今思い出したんですけど16年前イギリスに行きまして一年間いたんですが、向こうで全く日本人と付き合いませんでした。出発する前にたくさん名刺をもらいました、まだ日本が一番自信にあふれていた頃でイギリスは経済のどん底で・・ここにうちの会社があるからぜひ行って顔を出してこいよ、何でも言ってやってくれ・・という感じでしたが、せっかくイギリスに行ってイギリスの人達と付き合わなかったら、何の為に皆が一年間苦労して俺の為に空けてくれて俺が勉強しに行ったかわからないと思いましてイギリスの人と付き合ってました。半年くらいして、柔道の練習が終わったあとで「山下、ひとつ聞いていいか?・・どうも・・日本人が判らない。日本人は何の為に働いてるの? 」と。「何の為って、働くのは家族の為だよ」
「本当か?我々は家族の為に働く、だから時間になったら5時になったら・・大事なのは家族と一緒に一日の思いを語りながら食事をすることだ、だから我々は帰る。・・でも我々が知っている日本人は5時に終わっても帰らんぞ。7時8時まで残って仕事をしているぞ、それだけならまだいい・・それからそのグループと集まって酒を飲みに行く、飯を食いに行くぞ」そして・・イギリスでは基本的に日曜日はサンデービッグランチといってお父さんが昼飯を作るんです。お父さんがたくさんおっきな昼飯を作って、家族みんなでその昼飯を食べながら一週間あった事を語り合う、だから日曜日は基本的にはみんな家族集まってきて食べるんですけど・・「イギリスに来ている日本人はエラいゴルフが好きで、みんな土日になるとゴルフばっかり行ってる。これで本当に日本人は家族の為に働いているのか?」
 そう聞かれて僕はそこでハッと思ったんです。口ではそういうけど本当にそうではないんじゃないかなと・・この辺りも子供を家族をないがしろにしているところかなと、そして教員だからこんな事をいえるんですけど・・あまりにも出世を大事にして結果失う物が多いのかなと、イギリスへ行ってそういう事を言われて僕は初めて感じました。自殺の問題・・日本ではすごく多いんですけど、こんなに恵まれている私が言うと「お前に言って欲しくないよ」と言われるかもしれないんですけど、世界の国々を観て世界の人々の生き様から見たらまだまだ恵まれてませんかねぇ?
 死ぬ気になってやればいくらでも頑張れるんじゃないですかねぇ?本当にもうどうしようもないのか、命を捨てるしかないのか・・そんな事はないんじゃないか、もっともっと悲惨でもっともっと状況が悪い中で必死になって生きて家族を護っている人達がいるんじゃないかと思うんです。確かにその人たちから見ると、もう死ぬ以外に選択肢がないという状況かもしれないけど世界の国々の人から見たら、それでも遥かに恵まれているということがあるんじゃないかなと。僕は本当に、本当に死ぬ気になったら何でもできるし、必ず道は開ける・・やっぱりその辺も日本人の生き方がおかしくなってきているんじゃないかなと思います。私みたいに恵まれた人間が言うべき言葉ではないということを理解しながらでもそう思います・・いかがなもんですかねぇ?

☆人が死を選ぶというのは諦めだと思うんです。先ほど、褒められる・喜ぶ・その気になる・というお話がありましたが相談したりするそういう仲間がいなくなるというコミュニケーションの在り方に私は問題があると思います。死というのは孤独になっていくことですから孤独を選択せざるを得ない自分が作ってしまった環境あるいは周囲が作ってしまった環境、それがもしかすると最近の日本型社会・・むかしは隣近所があったから田舎で自殺する人なんで聞いた事がなかったんですけど、隣近所もよく判らないようになってしまった社会という・・・。

☆コミュニケーションという言葉が出たので・・・。今、私たちがここに集っていて、ここで心を向き合って一つにするというのとは別に、しっかりと向き合おうとしていますよね。こういう関係が日常の中ですごく薄れていると思うんです。「ながら族」で、何かをしながら一応相槌を打っているにしても・・例えば子供が今日こんなことがあったよと話している時に、「ながら族」が悪いと言う訳じゃなくて、そのことがきちんと受け止めているというふうに子供に通じないとか、大人同士でもそういうことが通じないコミュニケーションをしているのではないかと思います。そのあたりをそれぞれが同意をしてくれなくてもいいけど、この人は今こういう気持ちなんだとしっかりと受け止めるということを、自分の言いたいことを言う前に先ず受け止めることが大切なんじゃないかと、先ほど個人的におじさんに相談をした時にもとてもそのことをはっきりと体験させていただいたんです。受け止めてくれるところというのが今の日常の中ではなかなかなくて、内容が何であれお互いがきちんと受け止めるということさえ出来れば何とかコミュニケーションが立ち直っていく可能性があるんではないかと思います。

☆私は今の子供達がそんなに悪くないような気がしているんです。私が知る限りの周りの子供達に関してですが、なんら問題はないんじゃないかとひじょうに素直ですし・・ただ競争心とか闘争心とかがないような感じはあります。私なんかはやはり親に鍛えられた記憶があり、「負けたくない」みたいな気持がすぐに出るんです。私の周りの子供達はこちらが厳しくなかったせいもあるんでしょうが素直ですくすくと育っちゃったみたいなところがある・・頼りないんですが20世紀から21世紀にかけて大きなシフトの変化がある・・もし21世紀が共生の世紀だったり、大きな輪となって暮らしていくような世の中だとしたらひじょうにそれにマッチした感性とか素質を持って存在しているのだろうと私はそれを全然悪くないと思っているんです。でも新聞などではそれを病理現象だと、いつも時代でも病理現象というのはあるんです・・ただ大きくそれをクローズアップするか、ごくあることだと認識するかその違いじゃないんですか? マスコミがひじょうに発達しているものだから小さなことが大きくなってしまう、例外が原則になってしまう・・政治の世界もそうだし企業もそう、人間もそうだとそこが我々がひじょうに誤解しているところじゃないのか、全然おかしくはない、よくなっているという感じを持つんです。日本についても日本はよくないと今は言いますけど、日本は全然悪くないと思うんです。日本の国というのは世界の中でも、国がやることって何だ?と言うと平和と安全と衣食住を先ずやるべきで今、世界の中でこれをキチッとやっているところは少ないと思います。アメリカでもイギリスでも夜中に女性が一人で歩くのはなかなか難しいですが日本はそれができるんです。こんなに、安全で衣食住は足りている・・確かに今、不良債権はたくさんありますがそれはどこだってあるんで日本はODAかなんかでお金をいろいろとばら撒いて出しちゃったからそうなっていると私は理解しているので全然悪くないと思います。それでもっとよくしようという、どうすればもっとよくなるのか・・例えば教育の問題もいろんな観点があると思います。誰が教育するか、その前に教育って何だ?という時に今おじさんが言われたように最大の教育は理念的には何もしないことだ、するなということを言わないのが最大の教育なんです。ただ今のこの現代社会の中で、管理社会それから文明の利器・・危険なものが周りにたくさんある世の中で「するな」と言わないと何割かは怪我してしまう、死んでしまうから、やむを得ず言わなきゃならない状況が今だと思うんです。これは分業があまりにも進化しすぎたからで、誰一人全体が判らないというか、一部しか判らない。だから全体としてどういうバランスを取るべきか、自己完結性・・どうなるんだということがわかっていなくてただ一部の為という、これが現代社会の一番の問題点で、どうすればいいかと言うとやはり・・二、三百人くらいのコミュニティーのようなものを作ってそこでそれぞれ自己完結的なことをやっていくとまとまりがつく、廃棄物の問題も全部そうで誰かが廃棄物を処理すると思うから適当に捨てるけれど、自分の小さなコミュニティーの中でこの廃棄物を我々がやらなきゃいけないと思ったら・・・。教育の問題も二、三百人の中でやっていけばお互いに見えますから親が一日どういう生活をするのか子供は見ることが出来ます。誰が教育するのか・・家庭で、学校で、子供達お互いで、という三つの場面があり、これがうまく機能すると人間としては素晴らしい存在として進化していくんです。今の段階でそれをどうやって実現していくかというのが答えが・・なかなかないんです。ゆとりの教育ということなんですが、ちょっとこれは私もまだ意味を理解していないんですが、この間ひじょうに具体的なことを知りまして、これは日本の教育にとって大きな明かりになると思ったことがひとつあります。神戸の小学校か中学校の先生が、読み書き計算が基本であるとこれを10年間実践したんです。音読と写書と計算を徹底してある時間させるんだそうで、音読というのはもっとも頭脳を右脳左脳を活発に使うのだそうです。これを徹底してやると脳神経の中のニューロンの連結がひじょうに密になるそうで、やはり幼児、小学校の辺りにニューロンの働きを活発にしておくことがもっとも大切だというんです・・智識はあとで詰め込みでいくらでも入りますから・・それが読み書き計算なのだそうです。これは知的な部分のみならずそれをやることによって責任感が出て来て目が生き生きしてきて、ものごとを結末をつけるような処理が出来るようになってくるというんです。日本の教育にぜひ、幼児小学校中学校くらいまで読み書き計算を30分から1時間、これをやったら日本は今よりもっと素晴らしい国になる気がします。
 子供の教育の問題

ー山下さんー
 お子さんの周りがみんな素直でということですが、いかれているのは私立ですか?(☆ええ・・私立です)
 私立の学校の方が遥かに問題がなくて、中学なんかは私立と公立で全然状況が違うみたいなんです。公立になると登校拒否の子供が半分近くだと・・・そういう行っている所によっても違う気はします。

☆今、それを実感しています・・子供の同級生が公立へ行きまして、うちはたまたま一人っ子なんで電車通学1時間なんですけど毎日学校が楽しいと、でも近くで5分ほどでいける同級生達は学校へ行くのが辛い、監獄みたいだと言ってました。

ー山下さんー
 私立は当然、経営努力みたいのものをしていかないといけないですけど、公立は先生方は首にならないですからね。日本は悪くないと仰いましたけど貧富の差も少ない、先進国の中で一番少ないんじゃないですかね。さっきのコミュニケーションがうまく行かないということがあると思うんですけど、手前味噌なんですけどスポーツというのはこれをかなり補ってくれると思うんです。スポーツは指導者があまりにも勝ち負けに固執してしまうとゆがめる可能性があると思うんですが基本的には間違いなく体を丈夫にします。そして決まりを、当然ルールを守りますね。そして力を合わせますよね。
 特にチームプレイをするとき相手が仲間が何を求めるのかと相手のことを考えます。そして好き勝手には出来ないから我慢することも覚える。勝ったり負けたりと一生懸命がんばったことが結果に繋がらなかったり、コツコツ努力したことが成果に現れたり、そういう喜びをみんなで味わうことが出来ます。
 もしかしたら昔は小さい子供から大きい子までが一緒に遊んで、その中で大きい子はみんなの責任を持って、小さい子も自分の兄弟じゃなくても長の言うことを聞かなきゃいけないという関係が出来てきたんでしょうけど今はそうやって遊ぶこともないし、そうすると単に身体を鍛えるということよりも、もっともっと社会において必要なものをスポーツは育んでくれると思うんです。だから友達ができないといいますけどスポーツをある程度やれば友達は出来てきます。そういう意味ではこういう時代だからこそ、もっとスポーツを大事にしていかなきゃいけないかなという気がします。指導者の影響はひじょうに大きくて、指導者によっては逆にそれがマイナスに行くこともありますけども・・・。

☆娘が小学校5年なんですけ授業参観に行きましてとても授業がつまらない・・先ほど山下先生が仰ってましたけど、もっと授業を楽しくする努力というのは不足してるかなというのは感じました。やはり社会の問題かも知れないんですけどお金を稼ぐ為に働いていると感じますし学校の先生が無理矢理教えているという感じなんです。子供はやはり教えるんじゃなくていいところを引き出すというかこれは学校だけじゃなく家庭でも子供との関係で子供は僕らよりもあとに生まれてきているけど波動というか、そういうもっといいものを持って生まれてきているんですね、だからそういういいところを押し止めるんじゃなくて引き出すような努力を親とか先生がこれからしていかなきゃいけないかなと思います。ガイアシンフォニーでアメリカの講師で月に行った方がいらして、そのお話なんですが、まだジェット機も飛んでいない頃だと思うんですが月のきれいな夜道をお母さんと歩いていて「僕はあの月へ行くんだ」と子供が言ったらお母さんが「あら、月に行けたらいいわねぇ」と・・こんなふうに僕らの狭い範疇の考えで答えるんじゃなく、子供のいいところをそうさせてあげるにはどういうふうにと考えながら答えを出してあげるといいかなと思います。

☆義理の姉が小学校の先生をしています。今、学校の先生がお金を稼ぐ為に働いているというお話があったんですけどこの4月から言われているように教科書の内容も変りました。その姉は正月からこの4月以降どういうふうなものを何月何日までに教えていこうというスケジュールを全部組んでいたんです。それも年末年始の休みを全部使って家でやっていたんです。若くして教師になったときはすごく理想に燃えていましてテレビドラマに出てくるような先生に憧れていたようなんですけど、長いこと教師をやっていると本当はこうしたいというのがあっても、そういうスケジュールをキッチリ決められてそれを学校の方へ提出しなければいけない、それの通りに教えなければいけない、ある時にちょっと変わったことを教科書の内容とズレることを教えると今度は保護者の方からもっと教科書の内容をキッチリと判るように教えてほしいという話が来るらしいんです。先生の中でも理想としてやりたいことはあるんだけれど結局周りの校長や教頭や保護者の意見がひじょうにうるさくと言うといいすぎかもしれないんですが、かなり言われるらしくてその中で先生自身が身動きが取れなくなって結果として無難に教科書に沿ってつまらない授業をしてしまうという所もあるんです。周りの親とか社会も何か・・決まった価値観、今の価値観といのが変らないと先生だけではちょっとかなり厳しい状況なんじゃないかと思うんです。先生の中にもカウンセリングを受けるというような状況になっていますから、そういう中で先生だけをというのも厳しいところがあると思います。

ー山下さんー
 先生だけじゃないですね、みんなですよね。今思い出したんですけど長男が小学校4年ぐらいの時授業参観があってPTAのクラス懇談会に出たんです、男性は私だけで・・そのときのお母さん方が先ず先生に対してありがとうございますの言葉がないんですよ。隣のクラスより宿題が少ないからもっと出してくれとか、このクラスをどうすればいいかという問題じゃなくて自分の子供からの視点で言うんです。だからある人は・・うちはこうだから宿題を出してもらっちゃ困るとか全部話をまとめると今のままでとなるんですけど、みんな自分の子供からの視点で、途中で私の順番になって私が「先生いつも息子を指導してくださってありがとうございます。心からお礼を申し上げます」と言ったら、そのあとの言いたいことがいっぱいあった人がみんな狂っちゃったらしいです。後日うちのカミさんから「お父さん、クラス懇で何か変なこと言った?」と。
「変なことは言わなかった。みんな自分の子供からの意見ばっかり言ってお礼の一言も言わなかったけど・・俺は何も言わなかったよ。なんで?」と聞いたら「お父さんが出て来てなんか言っちゃったから、後の人が言いたいことを言えなくなって・・」と。
 だから、これは教師もですけどそこの大人一人ひとりのありがとうございますの気持が欠けてきているというのはあるんじゃないかという気はします。個人的に教師でいいますと、うちの息子でも週3回夜10時まで塾に行って家に帰るのは10時半くらいです。可哀相だなと思って「大変だろう、辞めたら?」といいますと塾へ行かなかったら付いていけない、塾の方が楽しいというんです。塾の先生はやっぱり必死なんですね。いい悪いは別にして子供の成績が上ったかどうかで評価されますから。今後、学校の校長に採用権が出て来て子供達がある程度学校を選択できるようになってくると、今度は学校も子供が集まるところと子供が集まらないところが出てくるわけです。首にならない、他人から評価されないそういう部分のある意味ぬるま湯というのはあるんじゃないかと思います。だから塾や私立の先生に較べてそういう面での公立の先生方のそういう外的な刺激が少ないことに対しては、学校を選べること授業も先生も評価されること外部の人々の評価を入れる、そういう流れは少し先生方の襟を正させるし情熱に燃えた先生たちが今度はかなり自分の思う形でやっていけるかなと、ただその時にそんな授業をやったら入試で困るとかいう自分の子供からの視点の意見が当然出てくるかもしれないです。でもどこへ行っても自分の子供とか自分の立場からの意見で、父母懇の中でもどうやったらこのクラスがよくなるかとかそういう視点というのはなくて・・どこへいっても利益と自分の立場の主張で、どうやったら全体がうまくいくかというのが少ない気がします。

ー司会者ー
 子供の教育の問題も大人の教育の問題も一緒だと思うんですけど 、今教育のことで話が進みましたけど・・ちょっと話題を変えて今までのなかで何かありましたら伺いたいと思います。

☆最今、家を建てる方で子供部屋を作ってそれに鍵をつける方が大変多いんです。冷暖房を完備してテレビやいろんなものを買い与えているんですが、そういうところを見ていると必ず子供が学校へ行かなくなったり、やっぱり親がそういう子供を作ったんで、昔のように小さい部屋でまとまっていればそういう事はないんだけれど小学校の一番大事なときにそういう部屋を作って与えてしまうから、子供は好きなことが出来ますからね。携帯を持って電話も子機があればどこでも連絡も出来ますから、そういう環境を大人が作ったんでしょうね。私が小さい頃は二階に間借りで別な家族が住んでいたりとかがいくらでもありましたから、隣近所の玄関にも鍵は掛かってませんから、食べ物の行き来もありましたし隣で作ったものを自分のところで食べているというような環境でしたから、小学校の小さい子は薪割りをして自分で風呂焚きもしましたね。便利さ快適さを求めすぎて自分で自分の鍵を掛けてしまったのが今じゃないんですかね?

☆たまたま若い頃住宅メーカーの広告の仕事で設計する人と打ち合わせをしたことがありますが、注文する人は子供がまだいなくて親に相談することもなく決めちゃって、設計する人はまだ独身で会社にベテランの相談する人もいない状況で、玄関を入るといきなり二階に上れるような設計をしちゃったんです。今になってそういう問題が起きてきて自分がした失敗を反省して、これからはそうじゃないようにというのが現状なんです。
 神様を呼ぶと

☆さきほどの山下先生の好きな言葉をもう一度教えていただけますか?それは東洋哲学の安岡先生ですか?

ー山下さんー
 はい。一灯照隅 万灯照国です。ひとつの灯かりが隅を照らす、そういう人が日本にたくさん出て来て万のそういう灯かりを照らす人がいたら、それが国を照らす。
安岡先生はもちろん年代が違いますから会ったことはないんですけど私がひじょうに影響を受けた先生です。前に神渡さんが来られたんですね、神渡さんの「安岡正篤の世界」も読ませていただいて、今日新幹線の中で読んでいたのも安岡先生のものです。

ーありがとうございますー
 本当に必要なものを与えてもらった時に、人は幸せを感じるんですよね。本当に必要なものというのは神さまが与えてくださるという意味で、神さまを呼ぶと全ての人が必要なものが的確に与え続けてもらうんです。ところが、今ありがとうございますといわない人が多いですね、そうするとチグハグになって必要でないものが目の前に来るんです。だから神さまを呼ぶということが皆が必要なものを的確に与え続けてもらえてみんなが幸せになれる生き方だと思うんです。教育も他の分野も全部そうだと思うんですけど・・ありがとうございますは、いいですよ。

ー山下さんー
 生かされていると思ったら、やっぱり感謝の気持になってくるんでしょうね。




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35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
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.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.