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「ありがとうございます」のおはなし 2000年ねんがつ29にち



     なおして現実げんじつ
       神様かみさまからなにけるかが大事だいじ


-ありがとうございます-
   質問しつもん内容ないよう聞き取き  とれませんでした

ありがとうございます:
 まえ部分ぶぶん聞き取き  とれません)  まだまだひとおもいと神様かみさま御心みこころとのギャップはあるとおもうんです。いままで地球ちきゅう文明ぶんめいは、物質ぶっしつ文明ぶんめい精神せいしん文明ぶんめいさかえたぐらいで、これから霊的れいてき文明ぶんめいさかえて、神様かみさま御心みこころをこの物質ぶっしつするまでにならなければいけない。
 
 いままでは現実げんじつあたえてもらったもの使つかって色々いろいろしてきました。霊的れいてき文明ぶんめいというのは、自分じぶん神様かみさま立場たちばって、そこから神様かみさま御心みこころ自分じぶんちから現実げんじつしてゆく、本当ほんとう物質ぶっしつ現象げんしょうこさなければいけないんです。
 過去かこ全部ぜんぶててでも、なにもないゼロの状態じょうたいでも、あたらしいものを空中くうちゅうからサッとあらわすような生き方い  かた・・・そういう生き方い  かたがこれから必要ひつようになってきます。空中くうちゅうからなにでもサッと取り出と  だしてくるようないきかたが、霊的れいてきさかえた文明ぶんめいのホントの姿すがたになるんです。 

-ありがとうございます-
 わたしは、さけむ、タバコもう、おかねものはねだる。神様かみさま御心みこころとのギャップは必要ひつよう必然ひつぜん現象げんしょうなんでしょうが、いったいなんなんでしょうかこのギャップは!!   

ありがとうございます:
 根本こんぽん原理げんりというのはね、神様かみさまからなにけるかが大事だいじなんです。神様かみさまあたえようというのは「無限むげん無限むげんのもの」なんです。ところが、肉体にくたい人間にんげんとしてきて、どれだけのものを毎日まいにち神様かみさまからなおしているかというと、ほとんどけてないんです。ってみれば、過去かこ残像ざんぞうをつかんで、それをうしなわないようにしっかりにぎっているような行き方い  かたなんです。
 だから、神様かみさまからのあたらしいプレゼントをほとんど受け損う  そこなっている状態じょうたいです。過去かこ足跡あしあとばかりをつかんで、自由じゆう生き方い  かたわすれて、つまらないものばかりをつかんで、本当ほんとう素晴すばらしいものを受け損う そこ なっているんです。
 
 現実げんじつというのは、過去かこなにつかんだかという、それもちいさくつかんだものの残像ざんぞうなんですよ。それを現実げんじつ自分じぶんつかんでるからといって、最高さいこうのものをつかんだわけではない。だからそこに最高さいこうしあわせをかんじないんです。そこにあがるような無限むげんよろこびというのはないんです。みんながこうだから自分じぶんがこの程度ていどだったら満足まんぞくしておこうか、みんな比較ひかくして自分じぶんのほうがうえだからしあわせかなというかんじなんです。

 こころなかから無限むげんよろこびがいてこないと本当ほんとうしあわせではない)。(本当ほんとうしあわせは)こののものを全部ぜんぶててでも、全部ぜんぶなくなっても、本当ほんとうよろこびというものはえないんですよ。もっといものをけているんですよ、本当ほんとうはね。
 
 神様かみさま御心みこころを、おいのりのちからこころおくでしっかりけたら、それが現実げんじつするんです、現実げんじつして永遠えいえんうしなわないものとしててくるんです。それは、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたに現実げんじつできるから永遠えいえんつづくんです。
 ところが過去かこ残像ざんぞうだとえたらおしまいになります。あたらしいものを神様かみさまからそこなうと、過去かこけたものは全部ぜんぶえていくんです、だから、しあわせもつかんでもげていく、しあわせがえていくひといんです。それは、神様かみさまからのあらたななおしができていないか、わすれているかなんです。
 
 自分じぶんこころおくから満足まんぞくできるんだったらいんです。でも最高さいこうのものをけないかぎり、こころおく自分じぶん満足まんぞくしないんです。こころおく本当ほんとうしあわせをっているんです、神様かみさまからあらたにあらたに「無限むげんしあわせ」をあたつづけられているのをっているんです。
 それが現実げんじつしてないのは、まだ自分じぶん生き方い  きかた本物ほんものではない・もっともっと本物ほんもの生き方い  かたがあるんじゃないかと、こころおくからと問い掛と  かけてくるんです。そしてむなしくなってくるんです、そのむなしさがえないといけない、本当ほんとうよろこびだけががってくるような生き方い  かたにならないと、自分じぶん納得なっとくしないんです。

-ありがとうございます-
 瞬間しゅんかん瞬間しゅんかんあたらしい(すばらしい)ものをあたえられつづけているというのは、おはなしをうかがっていてかったんですが、すばらしいものと触れ合ふれあっても、いつのまにかずれてしまうのはどうしてなんでしょうか。

ありがとうございます:
 どうしても執着しゅうちゃくがあるんです。いいものあたえてもらっても、「それをああいもんだ」とつかんだ執着しゅうちゃくなんです。それをいつまでもっていたいとはなさない。これが、あたらしいなおしをわすれさせた根本原因こんぽんげんいんなんです。お釈迦しゃかさまは「執着しゅうちゃくすべてのまよいの根本原因こんぽんげんいんである」「執着しゅうちゃく一番いちばんよくない」というんです。
 
 過去かこはなすことがあたらしいなおしを可能かのうにしてくれます。神様かみさま宇宙うちゅう創造そうぞうは、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたに創造そうぞうつづけています、それも時間じかんというものがないんです、無限むげん億万おくまんぶんいちびょうあたらしい宇宙うちゅうつくつづけているんです。ひとおなじなんです。あたらしい自分じぶんつねつくつづけられているんですけれど、たましい自分じぶん肉体にくたい自分じぶんは、あたらしい自分じぶんとくらべると過去かこ残像ざんぞうとしてちいさい部分ぶぶんなんです、足跡あしあとのちっぽけなものなんです。
 
 過去かこ執着しゅうちゃくこころつづけてきた結果けっかが、つまらないものがまりぎて、あたらしいものをそこなう原因げんいんになっています。それを、ごう想念そうねんまよい・・・いろんな言葉ことばわれてるんですけど、ちょうどそらくも太陽たいようかがやきをさえぎるようなものなんです。
 地上ちじょうからがった水蒸気すいじょうきくもになって太陽たいようかがやきをさえぎってくらくしてしまいます。本当ほんとうは、太陽たいようひかりのようにあらたにあらたにまれてくるひかりとして、かがやいた自分じぶんがあるんですが、地上ちじょうからのぼ水蒸気すいじょうき執着しゅうちゃくくもをいっぱいつくって、それ(本当ほんとう自分じぶん)を現実げんじつするのを邪魔じゃましているんです。
 
 過去かこ執着しゅうちゃくさえ全部ぜんぶしてもらえたら、いつも青空あおぞら太陽たいようかがやくように、本当ほんとう自分じぶんよろこびいっぱいにきている姿すがた現実げんじつするんです。ところがいったん過去かこつかんでしまったらなかなかはなせません。その過去かこおもい・執着しゅうちゃくをいかにはやせるかというのが一番いちばん問題もんだいなんですが、一人一人ひとりひとりかたちがうかもしれません。
 
 大病たいびょうをするのはひとつのおおきなかたなんです。ちょうどあめってかたまる、そら雨雲あまぐもただよったら、土砂降どしゃぶりになって、くもえてれますよね。大病たいびょうとか大怪我おおけがとか事業じぎょう失敗しっぱいするとかそういうことがこころくもりを全部ぜんぶしてくれます。
 そうすると、本当ほんとう自分じぶん本心ほんしん自分じぶん太陽たいようのようにかがやきだしてキラッとかるんです。本当ほんとう自分じぶん感謝かんしゃこころ自分じぶんだとか、永遠えいえんきている本当ほんとう自分じぶんだとか、いろんな意味いみ自分じぶんてきますよね。そうすると、本当ほんとう自分じぶん素晴すばらしいな・ありがたいなという感覚かんかくよろこびのこころだけががってくるようになるんです。
 
 神様かみさまあたえようとするのは、「あらたな全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやき」という言葉ことばわたし表現ひょうげんするんですが、全徳ぜんとくというのはすべての徳性とくせいとくなんですけど、とくという行人ぎょうにんべんちょくこころきます。
 じきしんぎょうずる。ちょくというのは神道しんとうではなおこころといいますが、神様かみさま根本こんぽんはたらきなんです。神様かみさまはたらきをとくという言葉ことば表現ひょうげんできるとおもうんですが、神様かみさまはたらきのすべてこれが全徳ぜんとくです。神様かみさま徳性とくせい無限むげんにあります、その徳性とくせい無限むげん無限むげんかがやいています。そのすべてをみんな一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあたえてくれている。それを一人一人ひとりひとりけきってほしい・・・これが神様かみさま一番いちばんねがいだとおもいます。

 これは人間にんげんだけではないんです、鉱物こうぶつ植物しょくぶつ動物どうぶつ意識いしきあたえられたもの全部ぜんぶ平等びょうどうなんです。意識いしきあたえられているということは、意識いしき中心ちゅうしんとして神様かみさまから全部ぜんぶ一瞬いっしゅんにしてあたえられる資格しかくがあります。それをけてどれだけ現実げんじつするか、ひとまれたらひととしてけたものを現実げんじつして素晴すばらしいものを表現ひょうげんするか、動物どうぶつ動物どうぶつなりにどれだけ神様かみさま御心みこころけて表現ひょうげんするか(が大切たいせつです)。
 
 宇宙うちゅうおお神様がみさま最高さいこう表現ひょうげんをとった姿すがた天照あまてらす大御おおみ神様かみさま宇宙うちゅう全体ぜんたい最高さいこうのお姿すがた。その天照あまてらす大御おおみ神様かみさま一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんよそおいをあらたにして最高さいこう御姿みすがたあらわつづけている、それをみな一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたにけなおして、自分じぶん天照あまてらす大御おおみ神様かみさま一体いったいなんだ・自分じぶん天照あまてらす大御おおみ神様かみさまそのものだ・・・というところまでったら本物ほんものなんです。それでいて一瞬いっしゅんなおすことをわすれてしまえばどんぞこちるんです。
 
 だから、自分じぶんえらいとかえらくないじゃないんです。一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんなおすから素晴すばらしさをあたえてもらうだけで、自分じぶんのものはなにもないんです。ところが執着しゅうちゃくこころは、過去かこ自分じぶんがこういう足跡あしあとのこしたとつかんではよろこんでいるんですけど、それはちいさな自己じこ満足まんぞくでしかない。本当ほんとうしあわせは無限むげん無限むげんおおきいものなんです。

・・・・中略ちゅうりゃく録音ろくおん途切とぎれています、ご了承りょうしょうください。途切とぎれているあいだあらたに質疑しつぎ応答おうとうくわえられたとおもわれますが、このまま継続けいぞくします)

 ・・・・・本当ほんとう自分じぶん生き方い  かたわすれていたひとおおかったとおもうんです。物質ぶっしつ文明ぶんめい精神せいしん文明ぶんめいさかえても、本当ほんとう自分じぶん見失みうしなっている生き方い  かたなんです。まだまだ本当ほんとうしあわせがくもかくされた状態じょうたいだったとおもいます。でもこれからはちがうんです。くもれて本当ほんとう自分じぶん太陽たいようのようにかがやきだす時代じだいです、本物ほんものをしっかりつかんで本物ほんものをあらわす時代じだいです。
 
 現実げんじつにあるものが本物ほんものなんじゃないんですよ、こころおくにあるものが本当ほんとうのものなんです。まずこころおくにある神様かみさまをしっかりらえて、受け入うけいれたとき現実げんじつしていきます。それが本物ほんもの現実げんじつです。でもそれは本物ほんものじゃないんです、現実げんじつしたものはあくまでも表現ひょうげん模型もけいなんです。だから現実げんじつには本物ほんものはないんです。本物ほんものこころ一番いちばんおくにあります。より本物ほんものちかづけて表現ひょうげんできたときに、本当ほんとうよろこびがあるんです。

 神様かみさま最高さいこうのものをつくって準備じゅんびしていても、それを神様かみさまだけがしたんじゃちいさいんです、それを人間にんげん一人一人ひとりひとりが・意識いしきあるすべてにものがいろんな表現ひょうげんをとってくれると、よろこびがおおきくなるんです。
 大自然だいしぜんいて色々いろいろ表現ひょうげんしてくれるひとがあってこそ、大自然だいしぜんのよさが浮かび上うかびあがってくるようなものです。ひとがあり・文章ぶんしょうにするひとがあり、いろいろなひと無限むげんにいてはじめて、神様かみさま最高さいこう表現ひょうげんもさらにかがやきます。
 このような多重たじゅう構造こうぞうてきおおきなはたらきが神様かみさま御心みこころなかにあります、そのために一人一人ひとりひとりの)ひと使命しめいきる目的もくてきというものが大事だいじになってきます。神様かみさま御心みこころをしっかりとキャッチして現実げんじつするというのが、自分じぶん人生じんせいきがいであり目的もくてきでありよろこびでないといけないのです。

-ありがとうございます-
 くもがかからず、かがやつづける具体的ぐたいてき方法ほうほうおしえてください。

ありがとうございます:
 むかしからいろんな宗教しゅうきょうさとりやおしえをしめしているんですがむずかしいですね。一番いちばんやさしい方法ほうほうが「ありがとうございます」ととなえることなんです。
 
 こころでしっかりとなえていると、天照あまてらす大御おおみ神様かみさま直々じきじきおおきいちからるって、こころくもりをしながら、さらに、かがやきをおおきくろしてくださるんです。不思議ふしぎ言葉ことばなんです「ありがとうございます」という言葉ことばはね。

 いままであったとおもうんですけど本当ほんとう意味いみがわからずに使い切つか  きれなかったんです。でも、いま時期じき準備じゅんびして神様かみさまっていてくださったとおもうんですよ。「ありがとうございます」という言葉ことばつくってのこしてね、まえしてくださったんです。それに気付きづ時期じきがやってきたんだとおもいます。

-ありがとうございます-
 かみ御心みこころ現実げんじつするというのは、自分じぶんかんがえろ、ありがとうございますをとおして気付きづきなさいと、そういうことですか。

ありがとうございます:
 そうです。「ありがとうございます」ととなえているうちにおくからひらめいてくるんです、自然しぜんにそれを現実げんじつするちからえられてくるんです。「ありがとうございます」を回数かいすうおおとなえているうちにその意味いみふかみもよくかってきます。
 
 わたしも「ありがとうございます」をとなはじめたときは、一日いちにちまんかいくらいとなえてなんヶ月かげつかたつと不思議ふしぎことがいっぱいこるんです。現実的げんじつてきには不思議ふしぎこと奇跡きせきがいっぱいこるんです、ところが、まだまだふか意味いみはわからない。

-ありがとうございます-
 となはじめたのはいつからですか

ありがとうございます:
 本格的ほんかくてきとなはじめたのは二十歳はたちぐらいからです。それまでもほかのいの言葉ことば感謝かんしゃぎょうはやっていましたが、いのちがけではじめたのは二十歳はたちぐらいですね。不思議ふしぎことがいっぱいこるんです、でも、現実げんじつにそういうことがこったって、本当ほんとうこころやすらぎとかふかみとかはまだなかったです、まだこころ表面ひょうめんとらわれているんですね。
 回数かいすうをドンドン積み重つみかさねているうちに「ありがとうございます」の本当ほんとう意味いみが、天照あまてらす大御おおみ神様かみさま一体いったいなんだという意味いみがだんだんかんじられてきました。すごいことだなとおもうようになりました。いちおくかいぐらいとなえるつもりでとなえていると本当ほんとうかってくるとおもいます。チョッとながいですけど。

-ありがとうございます-
 神様かみさまは、人間にんげん反省はんせいうながしたにもかかわらず、反省はんせいしなかったがために、神様かみさま大掃除おおそうじちかいうちにするとすうにんひとっていますが、どうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 神様かみさまのほうは、無限むげん無限むげんかがやいた最高さいこうのものをあたつづけているんです、これは宇宙うちゅうだい神様かみさまあいこころだとおもいます。

 ところが、過去かこのつまらぬものをつかんで、それをはなせずにくるしんでいるひとがマイナスをかんじて大変たいへんあじわっているんですけど、それを神様かみさまがそれを強制的きょうせいてき消し去けしさろうとすれば簡単かんたんなんですね、いとも簡単かんたん全部ぜんぶサッと消し去けしさってしあわせな状態じょうたいにできるんです。
 ところが、神様かみさま自由じゆう一番いちばん大切たいせつかんじています、自由じゆううばえばみな奴隷どれいなんです操り人形あやつ  にんぎょうです、神様かみさまにはそれが一番いちばんいやことなんです。神様かみさま自由じゆう本体ほんたいであるかぎり、一人一人ひとりひとり自由自在じゆうじざい最高さいこうしあわせをあじわってほしいのです。

 だから時間じかんをかけてずーっとつづけて、不明ふめい救済きゅうさい神様かみさまをいっぱい送り込おく  こんで、さらに援助えんじょしてつづけているんです。だから、ばちてたいとかわることをしたからどうだこうだということはないんです。
 本当ほんとう自分じぶんはや気付きづいて本当ほんとうしあわせをあじわってほしいというのが神様かみさまねがいなので、そのための方便ほうべん色々いろいろとってくださります。それもくるしみすくなく本当ほんとう自分じぶん自覚じかくふかまるように、最高さいこうしあわせがあじわえつづけられるようにというのが神様かみさまねがいです。
 
 強制的きょうせいてきちからるうのだったらなんでもできるんです。地球ちきゅうほろぶとか、大変たいへんことこるとっても、その予言よげんどおりには絶対ぜったいにならないですね。かならず、かるかるむんです。そのへんこと高級こうきゅう神様かみさま強制きょうせいりょく使つかうんです。かるむように、くるしみすくなくはや気付きづくようにという表現ひょうげん使つかってくださいます。
 
 予言よげんはいろいろな段階だんかいがありますが、うほどたらなくなるんです。たかいほうの予言よげんかなら実現じつげんしてゆくんですが、それは完成かんせいかってかならずよくなるという予言よげんですよね。わることこるというのはひくいほうの予言よげんなのでそれは修正しゅうせいされてゆきますね。ほうによいほう修正しゅうせいされてきますので心配しんぱいりません。


      無限むげん無限むげんしあわ

(ちゅう)  質問しつもん内容ないようがどうしても聞き取き  とれません。

ありがとうございます:
 宇宙うちゅうおお神様がみさま一身いっしん存在そんざいするだけですけど、その分身ぶんしんとしてそれぞれ意識いしき中心ちゅうしんとしてあたえられ、それをけて、神様かみさま御心みこころあらわすためにきているわけですよね、かされているんですよね。
 だから一人一人ひとりひとり神様かみさまであることたしかなんです。ただ、宇宙うちゅうおお神様がみさま一体いったいかというとちいさいですね、無限むげん中心ちゅうしんったひとがいて、それを全部ぜんぶ自分じぶんなか取り込と  こんだらおなじになるんですけど、なかなかそこまでかないですよね。自分じぶんなりには無限むげんしあわせをあじわっても、みんな無限むげんしあわせをも同時どうじあじわうまでにはなかなかね、そこまで意識いしきたかめようとおもうと大変たいへんなんですよね。
 
 自分じぶん無限むげんしあわせを・みんなっている無限むげんしあわせを全部ぜんぶひっくるめて、自分じぶんしあわせにしたときに「無限むげん無限むげんしあわせ」になります。そのしあわせ(無限むげん無限むげんしあわせ)を神様かみさまあたつづけてくださっています。それを感じ取かん  とるのが「ありがとうございます」ととなつづけることによって可能かのうになってくるんです。


       さと

-ありがとうございます-
 ちゅう録音ろくおん途中とちゅうからになっています

ありがとうございます:
 本当ほんとう自分じぶんは、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん天照あまてらす大御おおみ神様かみさま全部ぜんぶなおして、無限むげん無限むげんかがやいている自分じぶんなんです。そんな自分じぶんからたら過去かこ残像ざんぞう足跡あしあとなんかるにらないですね。
 だから本当ほんとうさとりというのは、過去かこはなてることなんですね。あらたにあらたに生まれ変う    かわった自分じぶんになることなんです。過去かこ積み重つみかさねたから「さとり」ではないんです、過去かこ全部ぜんぶててててって、はなしてはなしてはなってはじめて「さとっている自分じぶん」にもどるんです。
 
 最初さいしょからさとっている自分じぶん無限むげん無限むげん最初さいしょからかがやいている自分じぶんがあるんです。その自分じぶんもどればいいだけなんです。いかに過去かこ残像ざんぞうつかむのをやめるか、ただそれだけなんです。
 その方法ほうほうが「ありがとうございます」ととなえることで、となえていると、余計よけいおもいもないし、こころつねあらきよめられていくので自然しぜんに「はなせて」くところがいんですね。

-ありがとうございます-
 経験けいけんまなぶといます。経験けいけんによってまな成長せいちょうしていくとおもうんですが、その経験けいけん手放てばなし・必要ひつようないことなんですか。

ありがとうございます:
 本当ほんとうはね、そうなんです。本当ほんとう自分じぶんからると知恵ちえけばいいだけなんです。神様かみさまからの無限むげん知恵ちえいてきたら、過去かこなん経験けいけん体験たいけんがなくってもあたらしいこと全部ぜんぶかるんです。

 どんな発明はつめい発見はっけんもそうなんですよ、過去かこ積み重つみかさねじゃないんです、あたらしいもののひらめきなんです。知恵ちえくようになれば過去かこ必要ひつようなくなります。知恵ちえかないあいだ過去かこいものを組み合くみあわせてなにかをつくろうというところがあるんですよね。
 でもてたほうが知恵ちえきやすいです。だから、本当ほんとうのアイデアというのはボーっとしているときにきますね。

-ありがとうございます-
 時間じかんというものはなんですか。

ありがとうございます:
 時間じかんとらかたも、過去かこ残像ざんぞうとしての時間じかんとらかたと、いま神様かみさまあたらしく創造そうぞうされた時間じかんとらかたとチョッとちがうんですね。天地てんちはじめはつねいまはじめとすることわりあり、という日本にほん言葉ことばむかしからありますよね。
 いま一瞬いっしゅん宇宙うちゅうはじまりであり宇宙うちゅうわりであり完成かんせいなんです。一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんがそうなんです。地球ちきゅうなんおくねんまえまれたというのは、残像ざんぞうとしてのとらかた感覚かんかくです、歴史的れきしてき考え方かんがえかたというのはね。

 神様かみさまの、一瞬いっしゅんあらたにあらわれる時間じかん感覚かんかくというのは、いまというのが中心ちゅうしんにあって、無限むげん過去かこ永遠えいえん未来みらいとを同時どうじにもっているいまという時間じかんなんです。はな一輪いちりんいたという姿すがたまえたときには、はな先祖せんぞ全部ぜんぶあるんです。子孫しそん全部ぜんぶあるんです。その全部ぜんぶをバックにしながら一輪いちりんはなうつくしくいているという、そういうあらわかたをするんです。一瞬いっしゅん一瞬いっしゅん宇宙うちゅうはじめとわりをった完成かんせいされた表現ひょうげんが、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたにとられています。


       いのち が け

ありがとうございます:
 真剣しんけんさというのはね、いのちがけということです、いまいのち引き換ひきかえに神様かみさまからあたらしいものをいただくというのが、いのちがけなんです。いま自分じぶんつかんでいる全部ぜんぶてないと・はなさないと、あたらしい最高さいこう自分じぶんそこないます。神様かみさまあたつづけるだけで、人間にんげんはそれをけるのが役目やくめなんですけど、けるためにはふるいものをはなさなければいけない。
 それも、全体ぜんたいたいしてあたくしてはなすんです、そしてあらたになおして、それを繰り返く  かえ繰り返く  かえし、呼吸こきゅうおなじようにね、いてはいてはいしているうちに、神様かみさまとの一体感いったいかんふかまります。「ありがとうございます」というのははなすのとけるのが同時どうじにできている言葉ことばなんです。

-ありがとうございます-
 過去かこ経験けいけん知識ちしきてきれないというのは、「ありがとうございます」をとなえてみてもあたらしいものをける能力のうりょくがないんでしょうか。

ありがとうございます:
 つかみすぎてはなせてない、ふるいものをつかんではなしてないからあたらしいものがまだ充分じゅうぶんはいってこれない。それを、神様かみさまからの預かり物あずかりもの神様かみさまのものなんだというふうに、「神様かみさま」という言葉ことば使つかうと執着しゅうちゃくこころされます、かるくなってらくになってあたらしいなおしができるんです。神様かみさまこころけることが大事だいじなんです。「神様かみさま」とか「ありがとうございます」という言葉ことば使つかうと「つかみ」がされるのでらくになるんです。

-ありがとうございます-
 途中とちゅうからの録音ろくおんになっています、質問しつもん内容ないよう不明ふめいです

ありがとうございます:
 ・・・神様かみさま人間にんげん必要ひつようとしてくださっている。神様かみさまあたえてくださる最高さいこうのものを全部ぜんぶけて、それを現実げんじつする・表現ひょうげんしてほしい、それが神様かみさまおおきなしあわせにつながっています。神様かみさま本当ほんとうよろこびをあじわうというのは、一人一人ひとりひとり全部ぜんぶ最高さいこうしあわせをあじわったときにできるのです。だから、真剣しんけんつづけてほしいんです。最高さいこうしあわせをいつもあじわってほしいのです。そのために必要ひつようなものは神様かみさま無限むげん無限むげんあたつづけてくださっています。
 
 ところが、人間にんげんのほうが受け方う  かた下手へたというのか、受け損う  そんじなってよろこびをあじわっていない。それは、真剣しんけんさがりないんです。いのちがけになって、すべてをててすべてをなおす、そこまでいかないと、神様かみさまあたえてくださるものをそこなうんです。神様かみさまあたえてくださるものが、あまりにもおおぎるんですね。

-ありがとうございます-
 神様かみさまおもいを伝達でんたつする方法ほうほうはないんですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」という命綱いのちづないの言葉ことばによって、かろうじて神様かみさまほうからつないでもらうんですね。「ありがとうございます」という言葉ことば使つかわなかったら、人間にんげんだけのちからではだめなんです。てんのぼるわけにもいかないし、神様かみさま一体化いったいかすることもできないし。神様かみさまほうから命綱いのちづなでくくりつけて引っ張ひ  ぱげてもらう、そういうやりかたでないと神様かみさま一体化いったいかすることはできません。
 
 命綱いのちづなである「ありがとうございます」というのもね、神様かみさまほうからとなえさせてくださっているんです。というか、神様かみさまりてきてとなえてくださっているんです。自分じぶんとなえてはいないんです。神様かみさまほうからとなえてくださっているのを、自分じぶんとなえているようにおもうんですけど、命綱いのちづなをしっかりくくりつけて引っ張ひ  ぱもどしてくださるんです。それが「ありがとうございます」といういのりなんです。
      ・・(ちゅう途中とちゅうがぬけています・・
 自分じぶん努力どりょくじゃないんです、時期じきがきて、神様かみさまたすこしてもらって、ああ、ありがたいなととなえるのが「ありがとうございます」なんです。何回なんかいとなえたかというのは自分じぶん努力どりょくではなく、それだけ回数かいすうおおたすけにりてきてくださったという確認かくにんなんです。これでもかこれでもかといちおくかい以上いじょうたすけにりてきてくださったのです。そこまで神様かみさまあいおおきくふかいんですね。
 
 わたしは、二十歳はたちのころからいのちがけでおいのりしはじめました。自分じぶんいのちをまず神様かみさま全部ぜんぶささげたんです。全部ぜんぶね、もうなにもかもね、なにもいりませんというかたちで。すべ神様かみさまささくしてそれが可能かのうになってきたんです。
 そしたら神様かみさまほうから、それだったら面倒めんどうたすけてあげようというわけですよね。それでおいのりがさせてもらえるようになったとおもうんです。だから、いったんは自分じぶん全部ぜんぶ神様かみさまにおかえしする決意けつい大事だいじだとおもいます。・・  ・・ちゅう途中とちゅうがぬけています・・全部ぜんぶかえししたらくなってそんするんじゃないか、ぎゃくなんです。

-ありがとうございます-
 サイババは、「かわ洗濯せんたくをしていて、のどかわかしている洗濯せんたくのようだ」とわれていますが、そのように、しあわせになるためのものはすべ用意よういされていることけばいだけなんですよね。

ありがとうございます:
 そうですね。気付きづけばいだけなんです、無限むげんすべてはそなえられているんです。ところがひとつのこととらわれたら、ほかのことわすれて気付きづかなくなる。お金儲かねもうけ、お金儲かねもうけといったら、大自然だいしぜんのこの景色けしきも、そらほし気付きづかないですね。ひとつのことにこころくと、それにしばられてしまうんですね、だから、なにおもわない・ねがわない・自然体しぜんたいになると、全体ぜんたいえだすんです。
 

       あの と この

-ありがとうございます-
 わたしはは八十四はちじゅうよんさいで、現在げんざい入院にゅういん治療ちりょうちゅうです。そろそろ寿命じゅみょうかなとおもうんですが、治療ちりょうのおかげでいのちをながらえています。こういう状況じょうきょうなか寿命じゅみょうというのがわからなくなりました。寿命じゅみょうとはなんですか。

ありがとうございます:
 寿命じゅみょうはあらかじめまっています。だいいち第二だいに第三だいさんくらいにかれてさだめられています。寿命じゅみょうきるときというのはたましい肉体にくたいけたときです。肉体にくたい延命えんめい治療ちりょうけてきてても、たましいけたらんでるんです。
 
 たましいけたら肉体にくたいは、たましい自分じぶんとしてはもういらない。ただ、それ(肉体にくたい)にチョッとくせのこっていて、きているふりを残像ざんぞうとしてとっています。でもどこかちがうんです、たましいがあったらしっかりとした意識いしきがあってまともなんです、たましいけるとチョッとおかしいですね。ひとればわかるんです。
 
 肉体的にくたいてきいたみやくるしみをあじわうとかわいそうとおもうことがありますが、たましいがわからるとぎゃくなんです。このいたみやくるしみをあじわっておくほうが、いろんなマイナスのおもいを全部ぜんぶしてもらっているので、あのへいったららくになるんです。晩年ばんねん病気びょうきくるしんで、くるしみつづけているほうがたましいのそのひとにとったら、あのにいったらいところへらくなところにあがるんです。
 それを、いたみをとるためにらくにしてあげると、すべきものがされずにおもいを背負せおってこうへってしまうので、それが本当ほんとういかどうかはべつですね。あのでかえってくるしませる結果けっかになるのかもしれないですね。だから、はげましてはげまして、いたくるしみをえさせてあげるほうが本当ほんとうしあわせをはやつかむとおもいます。

    ・・途中とちゅうけています・・

   ・・いたみをあじわうこと大事だいじなんです。必要ひつようなかったら病気びょうきにもならないしいたみもあたえてくれないんです。への勉強べんきょう必要ひつようないんだったら神様かみさまらくなほうをえらばせてくださるんです。


-ありがとうございます-
 あのくるしむとはどういうことなんですか、たとえば、地獄じごくがあるとか・・・・

ありがとうございます:
 あのとこのちがいは、このおもったことが実現じつげんするのに時間じかんのずれがあり、あのおもったことが瞬間しゅんかんすぐに実現じつげんします。マイナスのおもいをすとマイナスの姿すがたがすぐに実現じつげんします。ある意味いみこわいですね、プラスでいいことだけをおもえるひとはすぐ実現じつげんしてらくになります。コーヒーをみたいとおもえばすぐに空中くうちゅうからてきます。おもいができるひとはそうなんです。
 ところがマイナスのわるおもいをひとは、すぐにそれが実現じつげんしてくるから反省はんせい時間じかんなにい。こん畜生ちくしょうおもったら、ひところしている。瞬間しゅんかんころしている。そうすると、あらためてなにことしようとおもってもなかなかできませんね。つぎからつぎへとわることをしつづけてしまいます。それだとこまるので、このという勉強べんきょうあたえられているんです。

 寿命じゅみょうかぎって、この時間じかんだけこの勉強べんきょうしてきなさい(という)こころ勉強べんきょうなんです。いいことプラスのことをおも勉強べんきょうなんです。マイナスをこころからはなして、プラスのいいことだけをおも練習れんしゅう積み重つみかさねると、あのでいい世界せかい自由じゆうきられるんです。その一番いちばんいのが「ありがとうございます」といういのりの習慣しゅうかんをつけることなんです。「ありがとうございます」をとなえたら、地獄じごくちていても瞬間しゅんかんにいいところへがってしまう、それだけのちからがあるんです。

-ありがとうございます-
 プラスにかんがえなくちゃとおもうんですが、もうここにこだわりがあるんです。こんなときどうしたらいいでしょうか。

ありがとうございます:
 マイナスを相手あいてにせずに、プラスのことだけをこころおもうというのがいんです。自分じぶんがプラスにおもえることからさきに、あかるくプラスにおもえることにこころつづけて、プラス思考しこうこころつくることが大事だいじなんです。
   ありがとうございます


AR143 2003年9月20日01[神さまをバックにする] 波長の合った分しか受け取れない

ありがとうございます:
 神さまの護りはいつも無限に無限に降り注いでいるんですよね。ただ、人の側がどれだけ受け取れるかという違いがあるだけでね。心の波長の合った分しか受けられないんです、神さまの護りもね。だから、番組毎に神さまの護りもぜんぶ違うわけで、一番高い番組は無限に無限に大きい護りよね。一番低い番組は小さい護りよね。だから、どの番組に波長を合わすかによって、護りの受け方が違ってくるだけね。でも、神さまの与えているのは無限の無限の護りをズーッと与え続けてるわけで、人の受け方さえ変わればいいのね

 一番大きい護りを受ける方法は、どういう生き方かというのが大事なんですね。最高番組、一番高い番組は極楽世界ですね。これは、一切の報いを求めないで与え尽す生き方をとるところなんですね。だから、与えて与えて与え尽せばいいね、それも一切の報いを求めないで与え尽すと、最高番組に波長が合って、一番大きい護りを受けやすいのね。

 護りの要らない人は、一番下の番組に心の波長を合わせばいいね。それは、奪って奪って奪い尽せばいい。そしたら、みんなから奪われて奪われて奪われて、幸せが無くなっていくわけね。 だから、一番下と一番上の間には、無限の無限のチャンネルがあるから、無限の無限の違いが生まれてくるのね。 この世も同じなんですよ。この世もあの世の縮図として一つの番組ですけど、無限に別れたチャンネルになってるわけね。 だから、与える生き方をとる人は、たくさん与えられて護りも大きいね。奪う生き方をとる人は奪われて護りが小さくなってるね。この世でも大きい違いがあるのね。

「神さまへの奉仕」というのが一番神さまへ波長を合わせやすいでしょう。神さまに報いを求める必要がないもんね。既に無限の無限の幸せ一杯にしてもらってるから、恩返しの心で奉仕するというのは、一切の報いを求めないでできるんですね。喜んで喜んで、無報酬で報いを求めないで与え尽す生き方をとりやすいですよね。だから「神さまのお手伝い」というのが一番いいのね。


  思いの心を消すと奇跡が連続する         

 本当は、神さまは無限の無限の幸せを一杯与えたいから、無限の無限の護りを本当は降り注がせて護ろうとしてるのよね。ただ、人の側が受け取らないのよ、拒絶してね。だから「思い通りに生きよう」という生き方は駄目ね。「思い通りに生きよう」というのは、求める心ね。自分の好きなように、自分の願い通りにしようとするのね。求める心を生きてるから、奪う心よね。 ちょっと求めるぐらいだったら、ちょっとまた求められて、という感じでマイナスは少ないんですけど、大きく求めたら大きいマイナスが出てくるね。
 だから、思いの心を溜めてると、どうしても五欲の心・求める心が強くなるので、思いを早く少なくしていかないと、消していかないといけないですね。思いが少なくなったら求める心が少なくなるね。だから、感謝行をすることによって、神さまの光を受けて思いを早く消してもらうのがいいね。

 また「神さまのお手伝い」という形をとって、思いを神さまに預けると、預けた分をゴソッと消してくれるから、早く思いが消えていくね。そうすると番組というのが、思いの番組じゃなしに感謝の番組に変わったら、どんどんとプラスばっかしの番組になるね。そうすると、護りが大きい姿でいつも現われてくるね。 奇跡が連続する、毎日毎日が、一瞬一瞬が奇跡の連続というぐらいが本当よね。


  与え尽くす生き方は必ず幸せになる

 「宇宙の法則」というのは、えこひいきがないのでね、もう厳然としてるのね。与えたら与え返されるのね、奪ったら奪われるのね。 だから、思いの心に陥ったらどうしても奪う生き方をとるね、人の自由を奪ってしまうのね。だから、思いの奴隷になったら駄目ね、思いを消そうとしないとね。思いを消そうという立場は、感謝の心の自分よね。でも、思いがいっぱい溜まったら負けてしまうわね。思いの重みに負けてしまって奴隷のようになってしまうから。 でもね「思い」というのは過去の借金なんよね「借り」なの。与えた以上にいろいろもらったり奪ったりした分が借りになるから、その分が思いとして心に蓄積されるのね。

 感謝のほうは与える心なのね、奉仕の心だから、どんどん貯金が増える、借りじゃない貸しが増えるのね。どちらも利息が付くのよ。借りにも利息が付く、貸しのほうの貯金にも利息が付くのね。 その利息の付き方は、また段階によっていろいろあるわけね。 ちょっと求めるぐらいだったら、その借金の利息も軽い、小さい利息で済むのね。 でも、無理に奪ったような姿をとると、高利の利息が付くね。思いでも、どんどん増えていくのよね。 貸しのほうも同じで、貯金のほうも、本当に一切の報いを求めないで与え尽す心だったら、高利の利息が付く、どんどん貯金が増えるね。 だから「与え尽す生き方」って大事よね。絶対損はしないのよ、必ず幸せになる、善くなるのね。


    思いの心で与えても無理がくる         

 これも「与える生き方をとろう」と思って、思いの心で考えても無理なんよ。思いの心が溜まった状態で与えようとしても無理なのね。無理がくるでしょう、できないね。感謝の心に戻してもらってはじめて与える心が自然に出てくる、自然にそれができるのよね。だから、先ず一番大事なところというのは「感謝行」よ。「ありがとうございます」って心に唱えて神さまを呼ぶことね。一回でも呼んだら神さまの助けが入ってくる、そしたら思いを消してもらうね。

 その神さまの大きい働きというのが凄いのよね。自分が努力してする働きじゃちっぽけなものよね。一回神さまを呼ぶ働きの方がはるかにはるかに大きいね。だから、思いを早く消してもらって、自然に感謝の心に戻ったら、与え尽す生き方しかとれなくなる。それも、人に何かを求めたり、期待したりすることがなくなるよね。「一瞬一瞬与え尽して喜ぶだけ」というのがいいね。


     本物の奉仕活動

 普通、世間で言うボランティアなんて浅いのよ。人にいろいろしてあげて、必ず報いを求めるのよね。「感謝してもらったから嬉しい」と言うのね。感謝してくれなかったら文句を言うのよ。ものすごい小さく浅いよ、段階がね。本当に与え尽すんだったら、神さまへの奉仕でないと駄目ね。神さまへの奉仕だったら、報いを求める必要は全然ないから、その時は中から喜びが湧きあがってくるね。「奉仕をさせてもらったことが喜び」というふうに変わるから、何も後は報いを求める必要がないよね。「奉仕をさせてもらって無限の幸せ」というふうになれるのよね。だから、奉仕することが喜び・幸せなんよね。そこまでいけば本物よね。神さまの護りがいつも無限に無限に大きくなってくるよね。だから、練習が要るでしょう、段階を追った練習というのが大事ね。

 いろんな奉仕活動をするのでも、人に聞いてするのはまだ人に求めてるでしょう。「教えて」というふうに求めてるでしょう、ちょっと小さいのよ、損するね。自分のほうから、神さまの心をくみ取って、自発的に動くほうが求める心がないのね。「今、自分は何をさせてもらったらいいか」というのを、その神様の心をくみ取ってするのよね。そうすると、神さまの護りが大きくなってくるね。 神さまのほうはいつも助けにスッと入りたいから、気持ちさえしっかり整えてくれたらスッと助けに入るね。そして必要なことをスッとわからせるの。スッと気づきを与えてくると、自分にも理解できてわかるのよね。


      責任を持つ事が大切           

 ただ、これには「責任感」というのが必要なのね「今、自分は何を対して責任を持とうとしてるか」よね。 例えば、地球の平和を護るために、自分が全責任をとるというと、地球を平和にするための大きい知恵も力も湧いてくるの。神さまがそれだけの知恵も力も授けてくるから、必ずそれができるのね。 でも、小さいことだったら小さいことだけの力しか湧いてこないよ。でも、責任をとろうとした分は必ず神さまは力を添えてくるの。波長が合うわけよね、神さまは全てに全責任をとろうとするからね。責任をとろうとする心は神さまに波長を合わせることになるね。だから、必ず神さまの力が湧いてくるよね。

 例えば、家でお母さんが家族の食事を作ろうという場合があるでしょう。これは責任を持ってしてるのでしょう。だから、食事を作るための知恵も力もぜんぶ出てくるのでしょう。自然にそれが実行できるのね、させてもらえるのね。でも、小さい子供がいてて、責任感がなかったら作れないじゃない。その小さい子でも、お母さんが例えば病気になって、食事は誰も作れないから自分が作らなきゃならないと思ったら作るよ。子供に力があるんじゃなしに、神さまが能力を授けてくるから、力を添えてくるから。先ず守護霊さんなんかが中へ入って働いてくれると、普段の子供にはできないことができるのね。だから、責任のある立場に自分を置いたら、助けてもらえるのね。


   責任を持つと必ずできる

 本当は、人って何でもできるのよ「できない、できない」と言うだけでできるのみんな、誰でもできるのよね。ただ、責任を持ってしようとするかどうかね、そこで神さまの助けが入るかどうかが決まるわけでね。自分の今の力でしようとしたら駄目ね「神様の力で全部させてもらう」という謙虚さが要るのね。そしたら、今の、過去の自分に能力がなくても大丈夫なのね。どんなことでもさせてもらえる、できるのね。本当に追い詰められて、「自分がこれをするしかない」というふうに追い詰められた状態だったら、責任を持つよね、その時は必ずできるよね。

 過去の歴史を見てもそうよね。新しい生き方を切り開いた人は全部そうよね、追い詰められてしてるのよ。 発明・発見もそうよね「絶対これが必要なんだ」というぎりぎりのところで、発明・発見って出てくるよね。ある意味では、いい意味で追い詰められたほうがいいでしょう。 「いつまでに、これだけのものを責任を持ってするんだ」というふうにすると、実現するし、早いね。自分が無理をしてすると楽しくないよね。でもね、神さまの助けが入ってさせてもらったら楽しいの。ものすごく楽で喜べるのよね。不思議なくらい、気持ちがスカッとして、喜びが湧きあがってくるね。神さまにさせてもらった時はそうよね。 だから、いろんな仕事をさせてもらう時には「ありがとうございます」を唱えながらすると凄いのがよくわかるでしょう。神さまが入ってきて助けてくれてさせてくれてるからよね。文句言いながらしたら駄目よね、はははは、神さまの助けを拒絶してやってるからね。神さまの助けが入らないと、やっぱり喜べないよね。だから、一瞬一瞬「ありがとうございます」を唱えながらさせてもらうのが一番楽よね。


         神さまをバックにする           

 
過去を掴んだ自分というのは思いの心になりやすいのよね。思いの心になると、どうしても感謝の心を忘れるのね。「もう、これだけしてきた」というだけで、もう感謝を忘れるから、神さまの助けを小さくしてしまうね。 だから、一瞬一瞬を楽しむのがいいね「一瞬だけ楽しむ」という仕事のやり方が一番いいのよね。そうすると神さまの助けが大きく入るからね。 病気でも、怪我でも一瞬に治るぐらいの大きい助けがあるわね。だから「過去を放す」というのがいいね。

 極楽番組は過去を一切掴まないのね、今の一瞬一瞬しか生きないから、時間を無限に小さく絞り込んでるから、幸せな空間が無限に大きく広がってるのよね。だから、もう幸せだけが連続するんだけど。過去を掴んだら、地獄がそうでしょう、無限の過去まで掴むのよ。恨んで恨んで恨み抜くという、恨みなんてそうよね、末代まで祟ってやるというような感じでしょう。米粒の数ぐらい代々祟ってやるというのだったら、無限の年月を祟ろうとするのよ。時間を無限に広げるから、だから空間が狭まって幸せなものが少なくなってしまう世界よね。だから、過去を掴まないほうがいいのよね、今の一瞬を新たに新たに受け直すと、時間が無限に小さく絞り込まれるから、必ず幸せな空間が広がるのね。だから、一瞬一瞬を楽しめたら最高になってくるね。

 大抵、疲れる時は、過去を掴んだから言うのよね。「これだけしてきたから」というと、もうそれだけで疲れちゃうよ。今、初めてしたんだったら疲れないよ「まだ一秒しか経ってない」って。まあ、結論からいうと、神さまはいつも守りに護ってくださってるよね。もう、常にバックに神さまがついているんだけど、ただ、その護りが受けられるかどうかが自分の心境次第、波長の合わせ方一つなのね。だから、感謝に生きて、奉仕に生きて、神さまのお手伝いをすればいいよね。そしたら、無限の無限の護りがいっぱい降り注ぐのね、いつも受けられるから、神さまをバックにできるのよね。そしたら、何か質問をしてください。

質 疑 応 答


   プレゼントの意味が解らない

質問:
 こういうプレゼントをいただいたのですが。ちょっと意味がわからないのです、何を書かせられたのかなと思うのですけど。

あいがとうございます:
 あまり大したことはないね、これね。練習よね、だから、段階毎にいろんな練習をさせてくるから、自分の能力を高めるためにね。最後に、本当に必要なことをちゃんと書かせてくるよね。最初から完璧には書けないのよね、まだまだ練習段階よ、それね。段々といいものを生み出してくれると思うけど。


            仕事が上手くいかないのは       

質問:
 今、世の中が不況の中で、仕事が上手く行かないというのは、神さまの助けが少ないからか、自分の感謝が少ないからでしょうか。

ありがとうございます:
 みんなお金儲けのために生きてるでしょう。タダの仕事をしようとしないわね、それでマイナスを増やすのね。求める心ばっかり生きてるでしょう。本当はタダで与え尽せばいいよね、タダで働いたら極楽世界になるのにね。ところが、
働かないでお金を儲けようとするでしょう、求めるばっかしね。そうしたら仕事もなくなるし、助けもなくなるし、どんどん困ってくるのよね。 本当は、もう、タダで働いたらいいだけなんよ。タダの働きは無限にあるじゃない、人を幸せにする働きは無限にいっぱいあるじゃない、なんでもできるよね。一日二十四時間働いてもいいのよ

 「仕事は無い」という人は、それぐらいあるのよ。仕事はいっぱいあるのよね。だから、働く人が増えたら景気がよくなるの、
働かない人が多いから不景気なんよ。お金にならないからって働かなかったらジーッとしてるだけでしょう。働く人がどんどん減って世の中が不景気になるよ。でも、タダでも働く人ばっかりだったら景気は良くなるよ。だから、ボランティア的にみんなタダで働けばいいのにね。そしたら、みんなタダでもらえるのよ、なんでも必要なものはね。タダで与え合うのが極楽世界なんよ。無償で必要なものを与え尽くし合うというふうに、お互いに与え合えば、本当の極楽世界よね。だから、自分のできることで人の幸せにつながることは何でもタダで一所懸命していると、その人の周りはそういう人ばっかりが集まるから、みんなが助けてくれるから、困ることは絶対ないけどね。

      思いを神さまに預ける

質問:
「思いを神さまに預ける」というのはどういうことですか。

ありがとうございます:
「思いを預ける」というのは、「神さまのお役に立ちたい・神さまのお手伝いがしたい」という気持ちで何かをすると、神さまがそれを受け取ってくれた時に、思いが一緒についていくのね。そして神さまが思いを引き受けて消してくださるのね。「思いだけ取って」と言っても無理なんよね。大体、自分が考えたらわかるのね。マイナスを人に与えて受け取ってくれるかと考えたら、受け取ってくれないでしょう、返されてくるよね。自分も同じだと思うね、人がマイナスだけを与えてきたら拒絶するかもしれないでしょう。だから、受け取ってもらえるようにしないといけないね。自分も「神さまのために」という気持ちでいいものを与えようとするのね、お手伝いをしようとするのね。そうすると、自分の持ってるものがそのままスッとついていくから、思いも同時についていって、神さまが一緒に受けてくれるのよね。それで、思いを消してくれるのね。

 だから、受け取ってもらう方法を考えないといけないね。例えば、自分で「これが毒饅頭」だとわかってて「どうぞ」とは言わないでしょう、絶対ね。自分も人からわかっててもらうわけにはいかんわね「要らない」って言うわね。でも、自分がそれを「毒饅頭」だと知らなかったら「これは美味しい饅頭なんだ」と思ってしている分は受け取ってくれるでしょう。神さまだったらどっちでもわかるのよ。思いのついたものは毒饅頭に違いないけど。その「いいものを与えよう」という気持ちが嬉しいのね、神さまはね。だから、毒饅頭でも受けて消してくれるの、思いを消してもらえるのね。でも、わかってたら、毒饅頭は渡せないよね、隠してしまうから、与えようとしないね。その辺の気持ちの違いなんよね。だから「ちょっとでも神さまのお役に立ちたい・お手伝いしたい」という気持ちがちょっとあればいいのね。そして、感謝の心がちょっとあればいいの。もうそれだけで神さまは引き受けてくれるのね。

 でも「自分がマイナスの思いがいっぱいあるから、神さまに迷惑を掛けるから、渡したくない」というのは、また間違いなんよ。神さまに預けないと消えないね。益々思いを大きくして自分が苦しんで、みんなにも迷惑を掛けるのね。神さまでないと消してくれないのね、消す力はないのね。だから、自分がマイナスをいっぱい持ってたら、周りにマイナスを撒き散らすから、自分だけの問題じゃない、周りが迷惑するの。だから、早く自分の思いを消してもらわないとね。普通は、自分の思いを周りに撒き散らしてるのよ、伝染病を撒き散らすより悪いの、毒ガスを撒き散らすより悪いことをしてるの。だから、その周りへの迷惑を早くストップをかけないとね。だから、早く神さまに預けないといけないね。早く預けるほど周りの人が早く幸せになる。だから、遠慮なく預けないとね。神さまに預けるのまで遠慮する人があるのよ、偶にね。これは駄目なんよね、人に迷惑の掛けっぱなしになってしまうでしょう、みんなを不幸に陥れてしまうから、良くないのね。
 神さまに対してはどんな大きいマイナスでも預けないといけない、みんなの幸せのために。自分の幸せは後回しでもいいけど、みんなを幸せにするためには、自分のマイナスや思いを全部神さまに預けないとね。そうしたら預けやすいでしょう「みんなのために」と言えばね。「自分だけのために」だったら「神さまにも迷惑を掛けたくない」って、自分独りで我慢しようとするのね。そうすると、いつまでも思いが消えないから、自分だけでは終わらない。周りにも不幸を撒き散らすような感じになるね。遠慮なく預けるのよ。「ありがとうございます」って言えばいいのよ、本当はね。これで預けてることになるし、またちょっとでも神さまのお手伝いをすれば、大きく預けることになるね。


      「浄・清」めは必要なのか       

質問:
 場を「浄・清」めるグッズなどいろいろあります。まだそういうものが必要な時代なのでしょうか。

ありがとうございます:
「ありがとうございます」だけでいいよね、何も要らないね。そういうのに頼ると、また根本を見失うのよ。本当の神さまの助けを見失ってしまうからね。もう既に神さまの護りは無限に無限に降り注いでるよね、それを受け入れたらいいだけだから。「ありがとうございます」と言えば、もう「浄・清」めるも「浄・清」めないもいいわね、「浄・清」まった姿がサッと下りるでしょう。それも大きく全体として下りてくるから、小さい部分を「浄・清」めるんじゃないのね。だから、番組を低く下げたら駄目よね。先ず、古い汚れた場を掴んでしまうでしょうそれを「浄・清」めようとすると過去の話よね。過去を掴めば掴むほど番組を下げていくから、しんどい目をするね。だから「ありがとうございます」一言で大丈夫よ。

質問者:
 ご先祖様を「浄・清」めるということを言いますが。それも、ご先祖様に「ありがとうございます」でよろしいのでしょうか。

ありがとうございます:
 そうよ。高い番組のご先祖様はみんな悟って、自分を守りに護ってくれてる姿をとるのね。感謝行があれば無限の護りをご先祖様からいただけるのよね。でも、感謝を忘れたら途端に低い番組のご先祖様でしょう。マイナスの多いご先祖様を自分が勝手に掴んでしまうのね。迷惑よ、ご先祖様はね。

質問者:
 でも、低い波動にいる人を上にあげるということは不可能なのですか。それでよく「浄・清」めたほうがいいということをよく聞くのですが。

ありがとうございます:
 それは、とらえ方が中途半端なのね。自分の選んだ番組は自分だけの世界なんよね、周り全体が自分の選んだ番組だから、その中の番組の姿を変えようとしても無理なの。その番組自体は変えようがないの。自分の番組合わせさえ変わったら、いい姿が番組が変わって出てくるだけでね。肉体の自分から見て、周りの人を「自分と別個」と見てるのでしょう。違うよ、自分の見てるこの世界が自分の番組なの。大きくとらえないといけないね、そうでないとわからなくなるね。

    確認のお祈りが必要

司会者:
 七つの確認の「ありがとうございます」がありますが、何故、確認のお祈りが必要なのかということをお話ください。

ありがとうございます:
 感謝行(かんしゃぎょう)っていうのは、やっぱり確認だけよ。既に神さまから与えられ済みのものに気づいて確認するだけよね、感謝というのはね。感謝のお祈りは確認していくだけが本当の働きね。その確認をして気づくのが、まだまだ小さいのね。それをどこまでもどこもでも大きく深く深くしていくの、行き止まりはないの。どこまでも大きく、どこまでも深くなるのね。 神さまの全体を掴むというのは難しいね。掴んだと思っても掴めてないからね。それも、新たに新たに出てくる神さまの姿は、過去の姿よりもはるかに良くなって出てくるから「過去の一瞬ぜんぶ掴んだ」と思っても、次の一瞬に何も掴まなかったら何も無いよね。 だから、「これ以上の掴み方はない」という掴み方はないよね。もう、足らない、全然ね。新たに新たに出てくる姿のほうが、もっともっと凄いから、どこまでもどこまでも確認を大きく深くしていかないといけないね。七つの確認というのも仮に書いているけど、まだまだ他にいっぱいあるわね。

司会者:
 何か質問はありませんか。

ありがとうございます:
 奉仕してお祈りをしたら、もう全部消えてしまうのね、思いがね。答えが出てくるでしょう、先にね。私が質問したほうがいいのよね、はははは。




感謝している自分が必要に応じて降りてきている  



質問:
 ありがとうございますは感謝行を始めて何十年にもなられるのですが、なさろうと思われたきっかけと、神様を感じるには、感謝が必要だということはどういうことか教えてください。

ありがとうございます:
 私が今までいろいろ体験談を話するのは、みんなに合わせてさせてもらうのですけど、本当は逆なんよね。宇宙いっぱいの私が先にいてて、その自分が合わせて下りてきたの。だから、最初から無限の無限の感謝をしている自分があったのね。その自覚はあるの。だから、三歳の時から感謝ができてたの、生まれた時から。今はもっともっと感謝の深い自分の意識で、天地を貫く光の柱になって下りてるけどね。だから、肉体は一つの道具みたいなものだけど。だから、肉体の自分として生まれて修行してないの、私は全然ね。最初から感謝してたの。だから、いろんな出会いも別に自然にさらさら流れるような感じでしか見てないし、修行も勉強もしてないね、私の場合はね。 

 ただ、感謝行は奥からズーッと響いてきてて「させられてた」という感覚よね、肉体の自分としてはね。だから、いろんな苦労が苦労に感じなかった、全然ね、ありがたいばっかしだった。どんな苦労も苦労になってないね、苦労に感じないね。もうありがたいばっかしの気持ちでズーッと今まで来てるから、それも感謝の心でそういうふうにしてもらったんだと思うね。 皆さんも同じなんだけどね、奥の自分から出発したほうがいいよ。肉体の自分を掴みすぎると思いの心になるからね。だから、悟った自分があるの、元々ね。その自分が必要に応じて下りてきてるという感覚ね。それも「本心の悟った自分が一瞬一瞬下りてる」という感覚でもう一回自分を見つめるほうがいいよね。そうすると、ガラッと考え方が変わってくるね。 「感謝しよう」じゃなしに「感謝している自分が降りてきてる」ということね。ということで、本当の話をしてください。


      思いの心の強い人
            
ありがとうございます:
 思いの心の強い人に本当のことを言ったら反発するだけなんよ。だから、方便を使うのね。方便というのは、方向付けを順番に変えていくのね、そして本物へ心を向き変えて行くんだけど。最初から本物へ向けさせたら必ず反発するの、拒絶するのね。だから、どんな教えも方便よ。だから、本当のことを言ってわかってくれる人には、本当のことが飛び出してくるの。みんなが引っ張り出したのよ。みんなも、悟った自分から出発してるのよ。隠してたわけじゃないよ、今まで、はははは。私が隠したのと違うね、みんなが隠したのよ。


             本物とは         

質問:
 本物というものはどういうものなのですか。

ありがとうございます:
 本物というのは神さまだけね。本物って、神さまが本物ね。神さまがみんなの中に直接輝いて現われてくる。だから、神さまだけになるのね。気づきが増えて、神さまが出て輝くだけね。

     魂が高いというのは

質問:
 最近の子供さんはすごく魂が高いということですが。

ありがとうございます:
 でもね、魂が高いというレベルでは低いの、魂が消えないとね。魂が消えて本心の自分が輝かないと、命の自分が本当に輝かないとね。神さまだけが出てこないとね。魂のレベルで比較してもドングリの背比べね。神さまがバッと下りて本物になるのね。

             親王祭の写真     

質問:
 ここに来られる方は気づきが早いようですが。

ありがとうございます:
 気づいた人が確認に来るの。みんな悟った人が来るだけ。昨日ね、笑顔教室の野坂先生が来られて、親王際の写真を持って来られたのね。光の玉がいっぱい映ってるのだけど、その中のを詳しく見たら、天照大御神様が水の結晶の姿をとってるね。同じような姿をとってるのね、天照大御神様のみしるし水の結晶の写真があるでしょう。ああいう形が一つ一つの玉に全部入ってるのね。光だけとかボーッとしているんじゃなしにね、そういう形が出てる写真が撮れてるの、何枚かね。ああ、凄いなあって‥‥、みんな天照大御神様よ、天照大御神様が下りてきてるのね、みんなの中にね。いろんな神様の中にも下りてるのね、大勢の神様が現われたのね。その神様が天照大御神様の姿をとってるって、凄いでしょう。「みんな天照大御神様」という姿を象徴的に見せてくるのね。本物の時代はそうよね。


       「ありがとう村」

司会者:
 「ありがとう村」についてお話していただきましょうか。

ありがとうございます:
 ありがとう村はどこにあるんでしょうか、不思議ね、どこにあるんでしょうね。誰がつけたんですか、こんな名前を。(笑)「村」というのは‘群がる’という意味よね「自然に群がる」という、集まってくるだけよね。「ありがとうございます」って感謝の心で集まってくるから村になってるだけでね。ここは何もないのよね、組織も何もないから、自由自在に出入りしてるね。感謝の心の人が自然に集まって、それでできたのかもしれないけどね「村」が、群がってるって。

司会者:
 ありがとうございますは冗談を言われるのが好きなんです。――

ありがとうございます:
 冗談の好きな人が大勢きてくれると、ほんとに冗談が飛び出すんですけど・・・・。

         真剣かどうか解りにくい     

質問:
 お祈りを自分でしているのですが。楽しく暮らしていると、真剣さというのがちょっとできているのかわかりにくいのです。感謝の心が膨らんでいかないと届かないのでしょうか。

ありがとうございます:
「神さまと出会いたい」という真剣さね、神さまってより新たな姿で出てくるでしょう。だから、過去の姿をできるだけ早くお返しすればいいよね。「真剣さ」というのは「命懸け」とも言うのね。命を神さまにお返しするのよね、本当の意味でね。「今の一瞬、一瞬一瞬命をお返しして新たに受け直そう」というのがいいのね。無限分の一秒まで絞り込んだら、より新しい神さまとの出会いになるでしょう。 神さまの出会いというのは、より新しい姿と出会うことなのね。そういう意味だったら、過去を掴んでいると、それがおろそかになってるわね。だから、一つに番組にのめり込んで、そこで止まったら新しい受け直しを忘れるね。そういう時もいいのだけど、でも、より新しい神さまとの出会いの方がいいね。「天照大御神様との対面」というのが一番幸せなんだけど。過去を放せるのがいいよね。 先に「ありがとうございます」で「この世の姿も新たな姿」という受け方よね。一瞬だけをとらえるのがいいね。もう「一瞬新たな姿」というとらえ方が真剣な生き方なのね。

質問者:
 世の中にいろんなことが起きていますが、そういうことも自分の真剣さの材料になるのですか。

ありがとうございます

 いえ、それは過去を掴んだ姿になるからね。現実のいろんな姿を掴んだら真剣さがなくなるから、神さまだけを相手にするのね。「無限の輝きが無限に無限に一杯!」というぐらいの気持ちをズーッと持続させた方がいいね。「この世なんかは無いんだ」というぐらいがいいね、はははは。これは極端だけど「この世なんかは眼中にない」というぐらいがいいね。「もっともっと無限に輝いた宇宙があるんだ」というぐらいね。

     現実への感謝と本物の感謝

質問:
 お祈りをしてますと、いろんなものに「ありがとうございます」という気持ちが出てくるのです。全てのものに、自分の体にもいろんなものに「ありがとうございます」と言うのでしょうか。

ありがとうございます:
 それもいいのだけど、ただ、それは現実への感謝でしょう、まだ神さまへの感謝じゃないね。過去の残像、足跡への感謝なのね、現実への感謝はね。本当の感謝は、神さまへの感謝にまでなった方がいいよね。だから、現実を放して「無限に無限に輝いている」という受け方ね。「全てが無限に無限に輝いている」という受け方だったら本物よね。単なる現実へのお礼じゃ小さいのね。本当の神さまへの感謝・お礼よね。だから「無限に無限に輝いている!」という姿で感謝するのね。その方がいいのね。

質問者:
 それは、一瞬一瞬が輝いているということですか。

ありがとうございます:
 そうそう、一瞬一瞬でないとね。過去を掴んだら過去を掴んだだけで‥‥

質問者:
 過去を見ないで一瞬一瞬

ありがとうございます:
 そうそう、今の一瞬の中に、全ての時間のある一瞬よ。過去・現在・未来を中に持った一瞬をとらえるのね。だから、新たな姿の中には、全ての時間があって、全ての空間があって、全部輝いているという感じね。


        感謝の真祈り       

質問:
 本当のお祈り、感謝の真祈りというのは。

ありがとうございます:
 感謝の真祈りは、神さまのお祈りなんよね。一瞬一瞬の新たな創造活動ね。「新たな全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」という、この連続を神さまの感謝の「真祈り」というのね。人はそれを受けるためのお祈りをするんだけど。神さまのお祈りが感謝の真祈りね。神さまのお祈りの中に融け込まないといけないね、
本当のお祈りというのはね。受けるだけじゃないのね、神さまの中へ入り込んだら、神さまと一緒に祈って、それを受けて味わってる自分ね。もう一つ奥へ入って深くなるの。受けるだけではちょっとしか受けてないから、小さいの、まだね。神さまの中へ入るほど大きく受けられるようになる。 だから、祈って宇宙を創造する働きの中に参画するほうがいいのね。その方が受け方が大きくなるね。 受けるお祈りと、両方が必要なのよ。「感謝の真祈りの中に融け込む」というのが大事よね。

質問者:
 受けるお祈りというのは、一日の中で時間を決めてした方がいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 いえいえ、二十四時間ずーっと、寝ても覚めても何をしてても。もう、一瞬一瞬よね。

参加者:
 そうすると、過去は直ぐに忘れたほうがいいのですね。

ありがとうございます:
 過去を掴んだら小さくなってしまってるもんね、大きく受け直しはできないね。だから、過去を相手にしないで、今、新たに大きく受けようとするのがいいのね。

参加者:
 難しいですね、現実は。

ありがとうございます:
 いやいや、幸せ一杯になる方がいいじゃない。線香花火を一つ見ているより、宇宙大の打ち上げ花火を見る方がいいじゃない。 過去を掴んだらそうよ、線香花火を見てるぐらいよ。でも、感謝の心で新たに受けるのは、宇宙大の打ち上げ花火がボーンと上がったらきれいな花火でしょう。そしたらどっちを見るか、いい方を見たほうがいいのよ。 だから「幸せ」というのも小さい幸せじゃ駄目なのね「無限の無限の幸せで一杯!」と言わないとね。大きく大きく受ける方がいいね。同じ感謝のお礼の「ありがとうございます」であっても、大きく受けて言う方がいいのよ。実感があるじゃない、真実味が加わってくるね。神さまは喜んでくれる。 ちょっともらって「ありがとうございます」を言ったって、神さまは「なんだ、馬鹿にするな」って言う、はははは。だから、先にたくさん受けておいて「ありがとうございます」と言えば、本当の感謝が神さまに通じるのね。だから「無限の無限の幸せで一杯!ありがとうございます」と言う方がいいよね。それも確認よ、確認をしていくの、言葉で確認すればいいね。

ありがとうございます。





ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。