カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

  宇宙の全ては神さまの愛の表現
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ありがとうございます:
 ありがとうございます。宇宙のすべての表現というのは、神さまの愛の表現なんですよね。神さまが与えてくる無限の無限のチャンネルの番組全部、神さまの愛の表現が無限の無限の段階に現れて表現されてるわけですね。 普通、マイナスに見るというのは、神さまに対して申し訳ないですね。愛を拒絶して受け入れてないという状態なんですよね。それは、どうして起こるかというと、神さまの愛を忘れて、感謝を忘れて、神さまの愛を受け損なってるんですね。もう一度、神さまとは何か、神さまの愛とはどういうものか、そしてまたそれをしっかり感謝して受け取って、しっかりと確認していく必要があると思うんですね。

 宇宙には神さまだけが存在するんです。神さまの絶体の愛だけが存在するんですね、その他に何も無いんですね。その神さまの中にすべてがあるんですね。これは絶対の真理なんですね。ただ、その全体を把握できなかったらちょっと理解が小さく浅くなるんですね。全体の中の無限分の一ぐらい掴んでも、神さまの大きい愛はちょっと解らないですよね。だから、神さまの愛をしっかりと把握するためには、神さまの全体像をしっかりと理解していく必要があるのね。 神さまの絶体の愛というのは、もう無限に大きくて無限に深いものなんですね。それを如何にして感じ取るか、受け取っていくかというのが大事なんですね。

 神さまは元々絶体なんです、対立がないんです。絶体の神さまが相対に別れるんです、先ずね。相対の両極に分かれる。 例えば、光と闇があったら、絶体は光だけなんですね、闇も中に包み込んで光だけなんですね。その光が分かれるときは、光と闇に分かれるんですね。善と悪にも分かれるね、生と死、美と醜とか、全ての要素が相対の両極に振り分けられてくるね。そして、その両極に分かれたものが螺旋状に放射されて組み合わさるんですね。入れ子構造ででき上がるんです、全てがね。直線の交わりって一点で交わるんですね。でも、螺旋状に放射されたものは、竜巻のようにぐるぐるぐると回るでしょう。そしたら、交わりは無限にできるんですよ。宇宙の全ては入れ子構造で生み出されてくるんですね。 そして、その絶対の中には中心が無限にあるんですね。無限の中心から螺旋状に放射されるんです、全ての要素がね。それが、無限の無限の輝きが一杯!という姿で全部表現されるんですね。

 神さまの徳性というのはたくさんあるんですね、愛も、知恵も一つの徳性ですよね。数え上げたらキリがないぐらい出てきますよね。その善徳はすべて螺旋状に放射されて、本当に無限に複雑な組み合わせが起こるんですね。 そして、その組み合わさった番組が、無限の無限のチャンネルという番組になってるんですね。その一番上が最高の表現をとってるのね、一番下が最低の表現なんですよね。 最高というのは一番輝きが大きいね、たくさんあるね。一番下の番組は輝きが少ないですね。でも、全てが神さまの徳性の表現なんですね。


  神さまは全て取り揃えている
         
  例えば、光と闇の二つの要素が組み合わさってできた光の表現というのは、一番上は本当に無限に無限に輝いた光の姿ですね。でも、一番下はブラックホールのような光をも吸収するような闇なんですね。 でも「光一元に」という表現にみていくときは、ブラックホールの闇も虚の光の表現なんですね。一番下が無限の虚の光―― 無限に小さい虚の光―― そして段々と虚の光も大きくなってくるね。そうすると、無限に大きい虚の光になってくるね。それを通過すると今度は実の光になるわけね―― 一番小さい実の光になって―― 今度は無限に大きい実の光に、というふうにどんどん大きくなってくるね。 この世でも、蛍の光も美しいでしょう、星明りも素晴らしいですよね。でも、それはこの世でいうと、実の光のほうですよね。

 闇も、深い闇と浅い闇とありますよね。闇が段々と浅くなってくると、そこに光がありますよね。ただ、闇の深い状態から見ないと光は感じないと思うんですね、そこに虚の光があるんですね。 だから、宇宙の全てが光の表現になるんですね。一番小さい虚の光から、一番大きい実の光までの、これも無限の無限の段階の光の表現というふうになるね。

 神さまはいつもどういうふうに見て欲しいかというと、一番下から一番上を見上げて、すべての光の表現を味わって欲しいのね。実の光だけでは味気ない、足りないのね。それも一番大きい光だけでは駄目なんですね。小さい光も虚の光も全部味わって欲しいわけね。そのために「無限の無限のチャンネル」という番組でみんなに与えてくるわけですね。 だから、神さまの徳性が全て光のような働きをもって、その全ての徳性がまた複雑に組み合わさって、本当に言葉には表現できないぐらいの素晴らしい表現として宇宙の全てを一瞬一瞬新たに生み出し続けてるのね。これはもの凄いことですよね。 だから、人間の頭で考える、想像できるものじゃないんですね。いくら考えても無限分の一も想像も考えることもできない、底知れん奥深さがあるのね。

 この世の宇宙だけでも凄いものでしょう、どこが終わりかわからないね。 また、この細胞一個みても、素晴らしい構成をしてますよね。またその中にいろんな原子があって、原子一つも凄いのね。まだまだ細かく細かくみていくと、無限に小さいものまで素晴らしい表現をとってるわけですね。どこまで行ったら掴めるか、これが一番最小単位といえるかというと、無いんですよね。どこまでもどこまでも無限に小さくなって行くね。またどこまでもどこまでも無限に大きくなって行くんですよね。全てが入れ子構造の姿をとりながらね。この世だけでもそうですよね。この世は、無限の無限のチャンネルの中の一つなんですね。私たちの見ているこの世界・宇宙というのはね。その他にいろんな世界がいっぱいあるんですよね。妖怪ばっかしの世界もあるんですよ。化け物ばっかしの世界もあるね。神さまだけの世界があるんですよね。もう、全部神さまは用意して取り揃えてるの、神さまの御心の表現としてね。 だから、人がどんな言葉を使っても、その言葉通りの番組が引っ張り出されてくるんですね。


  番組合わせの道具は言葉

 番組合わせの道具というのは言葉なんですね。どういう番組でも言葉通りに出てくるんですね。 この世は太陽は一つですよね、今見ているのはね。でも、言葉をどんどん変えて行ったら「太陽は二つ」という言葉をしっかり使ったら、二つの番組へ入るんですよ。この世は一つかもしれないですけど、あの世はもっと太陽が二つ輝いた世界もあるんですね。また、今の地球ではそうかもしれないけど、周りに二つ太陽がある世界もあるわけね。

 だから、言葉通りのものを全部神さまは用意してくれてる。だから、言葉というのは大事なんですね。どんな言葉を使っても、必ずその言葉通りになっていくの、そういう番組を引っ張り出して、それを受けて体験するようになってるのね。だから、プラスの番組を味わいたかったら、プラスの言葉が必要なのね。でも、プラスだけでは幸せが浅いのね、だから一度はマイナスの番組も味わっておく必要があるのよね。そういう意味では、マイナスの言葉も必要になるのね。


  みんな自分が選んでいる

 最初はみんな神さまの中から生まれてきてるのよね、一番最初はそうよね。絶対の神さまの中から一人一人生まれ出てきてるね。そして意識の中心として、自由と平等を与えてもらって、そして、さあ神さまの表現をどう味わっていくかでしょう。 だから、無限の無限のチャンネルの番組を与えられた時に、みんな選び方が違うんですよね。一番上から見てくる人と、一番下から見ていく人と、途中からと、みんな違うんですよね。だから、何を最初に選ぶかでしょう。みんな自由だから同じ選び方は絶対ないですね。最初はちょっと一番上にいてる自分だから、ちょっと一番下まで降りにくいですよね、だからプラスのほうから味わってくるね。プラスだけでは駄目なんで、必ずマイナスにも番組合わせをしてくるのよね。これは、全部自分がしてくるんですね。誰かが強制的にしてこない、みんな自分が選ぶんですね、自分が言葉を使って選んでくるのね。それで順番に番組を変えて、それを学びながら幸せを大きくしているんですね。 だから、人の自由は絶対本当は縛れないですよ。「あの人はマイナスの番組を見てる、可哀相に」というのはおかしいですよ、それは。そうじゃないですね。


  今見ている番組は、自分一人の番組
               自分が言葉を使って選んでいるだけ

 本当は、肉体人間として現れている場合は、自分と他人って別個に思いがちなんですよ。でもそうじゃないね。自分の見ている番組は自分一人の番組ね、他の人の見ている見方は違うのね。同じこの世に生きているように見えてもね。だから、自分が過去に使ってきたいろんな言葉の全体の総決算としての表現を、この自分の見てる世界に表現してもらってるわけね。だから、自分一人だけが自分の見てる世界を体験してるんですよ。他の人はちょっと違うのよ、ちょっとは違うのよ、そっくり同じということは絶対ないね。同じ言葉を使ってきてないからね。

 例えば、ここにいらっしゃる人、五十人近くいらっしゃったとしてね、みんな同じように見ないですよ、私のことに対してみんな違う見方をしますよね。そしたら、私の話てることは、みんな違う聞き方をするんですよ、絶対同じ聞き方はないのね。それは、やっぱり自分の見てる番組は違うということなんですね。だから、周りの人のいろんな姿は、全部自分の番組の中の姿ね。だから、Aさんが見てる番組とBさんの見てる番組、またCさんの見てる番組は違うんですね。

 Aさんは、例えば、ある人を「ああ、素晴らしい」と言うでしょう。
 Bさんは「普通の人や」と言うのね。
 Cさんは「あの人は最低の人や」と言う。

 同じ人に対してみんな評価が違うんですね。これが本当なんよね。だから、自分さえ言葉を変えて番組を変えたら、自分の番組が自由自在に変わるんですね。人のせいじゃないのね。自分が言葉を使って選んでるだけね。神さまから与えてもらった無限の無限のチャンネルの中から一つ選ぶだけなのね。


 今見ている番組は一瞬に変わる

 だから、どうにでも変わるのよ、番組はすでに用意されてるからね。一瞬に変わる、と言ったらそうよね。それで「ありがとうございます」という言葉も、この凄さもまたこれでわかってくるのよ。過去に使ってきた言葉を全部心に溜めてるね。これが全部予約の姿をとるの、その言葉が全部働くのよね。一回使った言葉というのは宇宙を駆け巡って、また自分にも戻ってくるね。宇宙全体に大きく駆け巡って働くのよね。だから、一旦自分が口にして心に思った言葉というのは、消さない限りいつまでも働くのよ。

 皆さん消し方はわかります? 言葉の消し方。勝手には消えないね、使えば使うほど増えてくるのよね。過去の古い言葉を消してもらう方法は、神さまに預けないといけないね。神さまに預けた時に、古い言葉を消してもらうのね。神さまに預けなかったら消えないのね。だから、思いというのはどんどん膨らんで溜まっていくのよね。神さまに預けて消してもらう方法ですよね、どういう方法があるかでしょう。それは簡単なのね「ありがとうございます」ということよね。

 今までは、地球人類全部「人間とはどういうものか」って「人間は考える葦だ」という「思うのが人間」という感じね。「我思う故に我あり」というような有名な言葉がありますね。思うことが人間の条件のような感じでみてたでしょう。これは思いを消す方法を知らなかったのね。思いがどんどん膨らんでしまったのね、だから思いを自分と錯覚したのね。でも、本当の自分はそうじゃないのね。本当の自分は、思いを消しきって感謝の心に戻った時が本当の自分よね。感謝の心の自分は、神さまの全てを感じ取る自分ね。自由自在の自分よね、自由な心で神さまの全てを感じ取れる自分ね。これが感謝の心の自分ね。


  本当の自分に戻るには

 本当の自分に戻るためには、思いを消さないといけないね。過去の言葉を、言葉の縛りを全部消しきらないと、本当の自分には戻れない。 今までは、言葉に縛られて、思いに縛られて、がんじがらめで不自由だったのね。それで七難八苦でいっぱいという姿から逃れるのは不可能というぐらい、みんな悩んでたのね。でも、そういう悩み苦しみを一旦は通過する必要があるんですよね。そして、もう一回自由な感謝の心に戻ればいいだけよね。今まではそういうマイナスの勉強を、皆さんしっかりしてきてるでしょう。まだ、やり足らない人はまだマイナスに向くんですよ、どんどんどんどんマイナスの勉強をしていくんですね、まだまだね。でも、ある程度マイナスの勉強をした人は、今度はプラスに戻るのね。そして自由自在にいろんな神さまの表現を味わう自分に変わっていくわけですね。


  どんな生き方をしても神さまに護られている

 神さまのほうは一人一人の生き方、歩み方全部見通して見守ってるね。一人一人に合わせて護ってるのね。だから、的確に一人一人に必要なことを与えてくるんですね。その為にも、守護霊さん守護神さんって、専属の護り神もつけてくるね。その上に宇宙の大神さまが控えてるわけでしょう。その護り方・導き方というのは完璧なんよ、絶対失敗はないの。一人一人の自由意志を尊重しながら必要な勉強を的確にさせてくるね。 そして、みんなの成長の過程をズーッと見守りながら、如何にしたら早く大きい本当の幸せに到達できるか、幸せへの最短コースを歩むように護り導いてきてるのね。

 同じマイナスの番組を見るのでも、全部見てからでは大変でしょう。ポンポンポンポンってちょっと選んで見たらいいだけよね。無限のチャンネルのマイナス番組なんて見れないよね、絶対ね。そういう意味では最短コースを歩めるように神様は導いてるのね。だから、どんな生き方をしてる人もみんな神さまに護られてるよ。自分と違う生き方をとってもいいわけね、みんな違わないとおかしいね。同じ生き方をとるのだったら二人と要らないのね。


  みんな違う生き方に価値がある

 だから、宇宙に無限の人が生まれてみんな違う生き方をとるからこそ価値があるのね。自分と同じ生き方をとる人は一人もいない、宇宙でただ一人自分だけが自分の生き方をとるのよ。そこに価値があるわけでしょう。 神さまのほうは、その無限の人が無限に違う生き方をとってくれて、はじめて全部を束ねた生き方を神さまはとってるわけね。だから、大きい幸せをいつも味わうわけでしょう。神さまの願いというのはそこにあるわけね。みんなが自由自在に神さまの表現を味わって、幸せを感じて欲しいわけですね。神さまの愛を感じて幸せいっぱいになって欲しいわけですね。

 皆さんも、だいぶん神さまの愛を深く感じてるでしょう。マイナスの体験をいっぱいして、プラスの体験もいっぱいさせてもらって、神さまの愛をひしひしと感じてるのね。特に「ありがとうございます」って唱え始めたら、神さまの愛を感じられてくるね、ひしひしとね。でもまだ小さいかもしれない、浅いかもしれないね。無限の無限の大きい深い愛というのがまだ奥に控えてるね。 だから、神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!という、その姿が感じられたら、感謝の第一歩ぐらいよ。本当の感謝のね。その奥にまだあるのよ、無限に無限にね。


  この世だけで神さまを感じるのはまだ浅い

 だから、この世だけで「ああ、神さまが感じられた」といったって小さい、浅いね。無限の無限のチャンネル全部に神さまの愛を感じないといけないね。それはまだ不可能ね、まだ心が自由自在になれてないし、そこまで大きいものを感じ取る能力が、まだ神さまのほうから与えてもらってないね。どうしても過去の小さい部分を掴みすぎてるから、それに執われてしまうのね。だから、過去を掴む心というのは、新しいものを受け損なうでしょう、やっぱりね。過去のどれだけ素晴らしいものがあっても、全部掴んでないでしょう。過去の一瞬のことだけでも、宇宙の全部は掴んでないのね、小さな部分よね。小さい部分をズーッと掴み続けてきて、その同じようなものの小さい部分だけを掴み続けてくるんでしょう。如何に神さまからの大きいプレゼントを受け損なってるかでしょう。足跡を追いかけてるような感じでしょう、つまらん足跡をね。

 だから、神さまの最高のプレゼントを、無限の無限の輝きが一杯!という最高のプレゼントを、一瞬一瞬よね、新たに受け直さないと「まだ、神さまを受け入れてない」と言われるのよね「神さまの愛をちょっとも受けてくれない」と言われるのね。 だから、過去を掴む思いの心はもう必要ないよね。思いの心だから過去を掴んでしまってる、新しいものを全部受け損なってるのね。だから、先ず思いを消してしまえばいいよね。 


  「思い」が消えたら神さまが入ってくる

 丁度、空に雲がかかったら太陽の光はさえぎられて感じないよね。だから、空に浮かぶ雲を全部消しきったら、いつも太陽が光り輝いてるのがわかってくるのね。 だから、人間の心に思いが消えてしまったら、神さまの愛の光がいつも心に差し込んでくるのね。だから、いつも神さまを感じるのよね。

 今の時代は、思いを完全に消しきる時代ね。すべての過去の思いを全部消しきってもらったらいいよね。思いの心では自分の思いは消せないね、思いでは消せない、煙で煙を払うようなものだから、駄目よね。神さまの光が入ってきたら思いを全部消してくれる。 「ありがとうございます」は神さまを呼んでるのね、宇宙の大神さまの究極の名前ね、神名が「ありがとうございます」ね。これは、もう信仰している人も、無信仰者も誰でもいいのね「ありがとうございます」は誰でも唱えられるよね。だから、みんなに実行できる神名で神さまは降り立ってくるね。だから「ありがとうございます」って呼べば、神さまが入ってくるね。そして思いを消してくる。そうすると心が軽くなるでしょう。

 腹が立ってても「ありがとうございます」と言ったら、腹立つ思いを消してくれるから腹立たなくなるのね。不思議よ、これはね。 だから、全ての思いを神さまは消しきってくるね。これが「ありがとうございます」という言葉、神さまの名前よね、凄い働きがあるね。 思いが消されたら、その消される度に番組が上がるのよ。思いで番組合わせをしてるでしょう、言葉の集積だからね。思いの中にはつまらんマイナスがいっぱいよね。だから、番組がどんどん低くなってたのね。思いを消されただけで番組がどんどん上へ上がるの、プラスの変わるのね。それで「ありがとうございます」と言うだけで病気がパッと治ったり、不思議なことがいっぱい起こるのね。番組が変化するのね。 だから、凄い不思議な力を持ってるの「ありがとうございます」という言葉の力というのはね。


  「思い」が消された後どうなるのか

 最初は思いを全部消すための神さまの働きだけど、今度思いが消えてしまった後どうなるかでしょう。その後のほうが凄いのよ。神さまの輝きがどんどん大きくなって出てくるの。本当に神さまを輝いた姿に感じるの。もう全部輝いて見えてこないと嘘よ、石ころも輝かないとね、ダイヤモンド以上に輝くのよね。もう、全てが輝いて見えてきて、中身がどんどんどんどん強い光を放つようになってくるね。それも、新たに新たにという受け直しをすればするほど輝きが大きくなってくるね。過去なんてとても掴んでられない、もう馬鹿らしくなってくるよね。常に新たに新たにって神さまの与えてくるプレゼントを受けさえすればいいという感じよね。

 だから「自分のもの・自分」というの消えるのね。みんな「自分」って掴んでるでしょう、これは過去を掴んでるからなのね「肉体が自分」って掴むのもそう「魂を自分」と掴むのもそうよね。過去を掴んでるから「自分」となるのね。「これが自分のもの」というのもそうよね、小さい部分を掴んでるからよね。掴んだ心では絶対幸せじゃないよね、あまりにも小さすぎるからね。

 「これが自分の財産」と言って掴んでいる人を見たらわかるでしょう。ちっぽけなものしか掴んでないじゃない、地球一個掴んでないのよ。宇宙全体なんてとても掴めないよね。この世のちっぽけなつまらんものだけでしょう、だから他のものが自分のものでなくなるでしょう。掴まなかったら宇宙全体が自分のものなんよ。神さまからのプレゼントだし、自分に与えられたものだからね。 でも、今これを掴んで「これが自分のもの」と掴んだら、宇宙でもこれをまた掴んだら古いもので終わるのよ。新しいものは、後、受け損なうでしょう。だから、古い宇宙も要らないの、宇宙が自分へのプレゼント、宇宙が自分のものと受けても、これを掴んだらまた損をするね。

 だから、一瞬一瞬新たに受け直す宇宙がいいでしょう。それが無限に無限に輝いた宇宙として、いつも自分の前に現れる、永遠に現れ続けるのね。そしたら、一番幸せになってくるでしょう。 だから、何も持たないのがいいのよ、何も自分のものとして掴まないのがいいの。神さまだけを、神さまのプレゼントだけを一瞬一瞬新たに感じ続けるのがいいのね。それが最高の幸せに通じていくのよね。 お金なんか要らないよ、あっても構わんけど。


  自分を小さく見ないこと
           「私は宇宙」「私=神さまに渡す」

 先ず自分を小さく見ないことよね。 同じ掴むんだったら「私は宇宙」って掴むのよ「今見てる番組の全体が自分」と掴んだらいいね。だから「私は宇宙」と掴むのね「すべてが私」とね。それも「新たな宇宙が私」というふうにね。

 「私・わたし」という言葉も不思議だけど「神さまに渡す」という意味よね「受けたら直ぐ渡す」のが「わたし」なのよ。「宇宙が私」と受けたら、直ぐに神さまに渡してしまうのね。また「宇宙が私」と受けるでしょう。そうするとそこに神さまだけが現れ続けてるね。だから、宇宙には神さまだけしかいないのね、本当はね。「神さまだけが現れ続けて存在するだけ」というのが本当よね。それで「ありがとうございます」という言葉で、神さまを褒め称えてるの。「全徳の無限の無限の輝きが一杯!」というふうに、神さまを褒め称えてるのが「ありがとうございます」ね。


  「ありがとうございます」は無限に奥深い

 だから「ありがとうございます」は無限に奥深いよ。何かをもらって「ありがとうございます」じゃないの、もらうんじゃないね。神さまの最高表現を感じ取って褒め称える言葉であるのね。そこまでいけたら、ちょっと神さまを感じはじめたというぐらいよ、まだね。とても奥深いからね「ありがとうございます」の奥深さは、もう言葉では表現できないね。どこまでもどこまでも奥深くなって行くからね。だから、この世で何億回「ありがとうございます」を唱えたぐらいじゃ、最初の初歩の第一歩ぐらいかもしれないね。

 後、永遠に感謝が深くなって幸せが大きくなるね。行き止まりがないのがいいんよ。ここで行き止まりというのだったらつまらんよね。これで最高の幸せ・感謝なんだと言ったらつまらんよね。そんなんだったら神さまの存在の価値がないね。どこまで行っても奥深いのが、神さまの本当の姿だから、感謝もどこまでも深くなる、どこまでも大きくなるよね。 そして、神さまの感じ方もどこまでもどこまでも大きく深くなって行くね、だから幸せになれるね。


  感謝の心が深くなれば「神さまだけ」
             思いの心はプラスでもマイナスに見る

 プラスの言葉もマイナスの言葉も本当に自由自在に使いこなせて、これはみんな神さまを感じる勉強をしてるのね。その神さまの表現をいろんな角度から味わってるのね。だから、マイナスの言葉も必要だし、プラスの言葉も必要だし、もう一つ感謝の心を深くするのも必要なのね。 感謝の心さえ深くなったら全部プラスにプラスに受けていけるのね。思いの心はまだちょっと限定された小さい受け方だから、プラスのものまでマイナスに見るかもしれないね、つまらんけどね。

 まず、思いの心から感謝の心に戻ることね。そして思いを消してもらうために「ありがとうございます」をできるだけ心に回数を多く唱えるほうがいいね。そうすると早く思いが消されるね。そして感謝の心が湧き出てきて、今度は神さまを感じる感謝行に入って、神さまのプラスの表現を今度は大きく感じられてくるね。 そして神さまの本当の姿を感じられたら、もう感謝も本物になるね。だから「神さまだけ」というのが本当ね。「全て天照大神様」というのが本当なのね。このぐらいにして、後質問をしてください。なんでもどうぞ。


質 疑 応 答

 
 神さまは深すぎてつかみきれないもの

質問:
今のお話で、神さまがいろんなチャンネルを創ってくださって、いろんな場面を見せてくださっている。大きな神さまはそれを束ねていらっしゃるということなんですが。何の為にそれをしているのか、神さまは何の目的でしているのか、もっと奥に何かあるのか。 それともみんながいろんな体験をし、その体験を神さまの為にそれを全体として味わって終わりなのか。何の為に味わうのか、その先があるのかどうかを考えているのですが。

ありがとうございます:
 神さまの心が本当にわかったらお終いだからね、解らんのがいいのね。神さまの、例えば、喜びの表現としていろんな番組が生み出されて、それをまた味わって喜ぶ人が無限に無限にあるわけでしょう。その全体を束ねて全体の喜びを神さまの喜びとして味わってるわけね。ただ、人の喜びだけじゃないね、動物や、植物や、鉱物、全部の喜びを神さまは束ねてるよね。 だから、自分が喜びの表現をして、その喜びをまた味わって喜んでるわけでしょう。だから、神さまは喜びだけを自然に発露するような姿に、喜びを放射して発散してるだけよね。本質が、神さまの喜びそのものなのね。だから、理屈抜きよね。神さまは喜びだから喜びの表現が溢れ出て、でてくるだけね。

 他の姿も同じね、神さまは愛だから愛の表現がほとばしり出るわけね、もう理屈抜きでね。 神さまは幸せだから幸せの表現がほとばしり出る、溢れ出るんですね。そんなもんよね。 だから、掴みきれんわね、わからないのがいいね、本当はね。あまりにも大きすぎて深すぎてね「わからない」というところが本物よね。


 要らなくなった物を捨てるとき

質問:
 「物」についてなんですが。過去に影響を受けた人からの本だとか、要らないなと思ってしまうんですよ。本などは他の人に使ってもらったらいいんですけど。例えば思い出のある置物とかは結構要らなくなって捨てちゃうんですが。捨てたら気分がいいのですが、物を捨てるのにちょっと罪悪感があるのです。別に罪悪感は持つ必要はないのですか。

ありがとうございます:
 本当は「物を生かす」というのもいいんですけど、過去を掴んで過去のものを生かして、それで新しいものを受け損なったら意味ないよね。今あるものも生かしきれたらそれもいいけど、生かしきれずに必要がなくなったら、全部神さまに戻してしまえばいいでしょう。絶対へ戻すというのは、消えることよね。 神さまの方はどんどん新しいものを生み出してきてるから、古いものをどんどん神さまへ送り返して消してもらえばいいという感じよね。今現れたもの以上に新しいものを送り込んでくるよね、どんどんどんどんね。

 「新しいもの、新しいもの」と、どんどん受けるほうが正しいのね。 感謝している人にとったら、もう過去の古いものはどんどん「ありがとうございます」で神さまにお返しするような気持ちになってたら、必要だったたら必要なところに回って行くし、必要なかったら消えて行くし。そして他に新しい必要なものがどんどん与えられてくるからね。

質問者:
 罪悪感は持つ必要はないですか

ありがとうございます:
 罪悪感じゃなしに、本当はそのほうが正しいんだけど、古いものにしがみ付かずに、より新しものを神さまから受け直すほうがね。

 発明発見でもどんどん神さまのほうから降ってるのよ、でも、古いものにしがみ付いてるから、それが出てこないのよ。世の中はどんどん進歩しないといけないのに、古いものにしがみ付くと出てこないよね。 ただ、なんでも無駄に捨てたらいいんじゃないけど、先ず一旦は感謝して如何に生かそうかというのがいいね。古いものもどこまでも生かしきったらいいからね。 だから、もらってくれる人があったら、生かしてくれる人があったらどんどんあげたらいいしね。それでもみんな最後はゴミになったら放かすじゃない、燃やしてしまうじゃない。みんなに必要なくなったらゴミになって消えて行くよ。今、必要だから残ってるだけでしょう、みんなね。だから、自分が「必要ない」と思ったら、みんな必要な人にあげたらいいし。みんなも「要らん」と言うたらゴミの焼却場へ行くのよ、みんなね、そのほうが正しいんでしょう。だから、必要なだけ残してもらったらいいね。だから、罪悪感は要らないよね、ゴミ掃除してあげたらいいじゃない。


 今ある自分に感謝している私

参加者:
 お話の中で「私」を「神さまにわたす」ということになるよ、という、このお話をありがとうございます。私は小さい時から母が「いつも神さん、見てるんやで。親の目をごまかせても神さんが見てるんや」ということで育って参りました。主人を亡くして二十年になるんですけど、その辺りから、ものすごい健康をいただけたんです。「あなたの健康の秘訣を教えて欲しい」と、店をしている私にいろんなお客様から問いかけられます。

 私は、朝目が覚めた時に「今日、目が開けられたわ、ありがとう、嬉しいわ」と言うんです。そして、鼻で匂いを嗅いで「嗅げるやん、嬉しいこと」と、耳もラジオをつけます「ああ、聴こえてるやん、嬉しいわ、ありがとう」って。そして「あああ」と声を出しまして「ありがとう、声も出てるわ」と言って美空ひばりの歌を一曲歌うんです。(笑)「上手に歌えてるやんか、○○さん」と言って目覚めるんです。 夜はお風呂の中で「この巨体を支えてくれてありがとう」と言うてね、足の指一本一本さすりながら感謝して、お腹もさすりながら。この毎日の繰り返しがものすごい不思議をいただくんです。それで病気になっても本当に直ぐに直していただけるんです。その時に「あっ、神さん居てはる」というふうに。その毎日を、今送らせていただいているんです。出会う人出会う人にすごい人とのお出会いができるんです。 この間も、甲田先生、断食のお話をされる先生ですけれど、「手を見せてごらん」と手を観ていただいたら「あなたは本当にたくさんのご先祖さんに護られてるね、ありがたく生きておられるね」と言っていただいて、益々「ありがとう、ありがとう」の生活をしなきゃと。今日は、ありがとうございますに、どんな方かなぁと思ってこさせていただきました。ありがとうございました。

ありがとうございます:
 本当に素晴らしいね。神さまに対して褒め称えて、そして感謝して喜ぶという生き方が、神さまの護りを完璧に受けきる生き方よね、それを実行されてるもんね。褒めて感謝して喜ぶというのが大事ね。 ご先祖様が護ってるだけじゃないね、宇宙全体が全ての神さまが護ってくれてるよね。


 ありがとう村での奉仕作業について

司会者:
 前は御陵の整地などのご奉仕をされていました。今は、国有林の保護、緑のダムをつくって、水や空気や全体がきれいになることをされたり、鹿などの餌が不足していることなども考えられてしておられます。それから村の方々に頼まれてされる仕事もあります。 国有林のほうの仕事については、多少の賃金としてあるのじゃないかと。今、ここへ来てボランティアをしようとされる方がたくさん来られます。みなさんがボランティアに参加していただくために、こちらのほうで、何かその仕事をつくってしていただいていることがあります。ボランティアをすることは、神さまがバックについて働いてくださるということを体感するための、ここは練習の場になっているということをお話くださっていますが。その辺の誤解があるということを聞きましたので、そのお話をしていただけますか。

ありがとうございます:
 神さまへの奉仕は何の為にするかですよね。先ず、感謝して神さまの助けを受けるという、感謝の心が湧きあがったらそれでいいよね。そして神さまの助けが入って、世の中の為に必要な働きをいっぱいさせてもらうのね。本当の感謝は、世の中の為にいっぱいいい働きをさせてもらって感謝なのね。でも、そこまで行く前は、先ず思いを消してもらわないといけないね。感謝がし難いから、思いが邪魔をするから、思いを消してもらうのが第一なのね。その為に、思いを神さまに預ける練習「神さまのお手伝い・神さまへの奉仕」という形をとるのは、思いを神さまに預ける為なのね。そうすると、思いを神さまに預けた分だけ取ってもらえるのね。その段階は、まだ神さまのお役に立ってないの、何もね。自分のマイナスを神さまに預けてるだけ、消してもらう為なのね。でも、それをしないと思いが消えないよね。だから、汗を流して重労働して、思いを神さまに預けるのね。消してもらった後お祈りをすると神さまを感じやすくなるでしょう。そして、その神さまを感じて、神さまが中へ入ってきて、はじめて神さまがいろんな働きをさせてもらった時が「神さまのお手伝い」なのね。神さまの奉仕の練習というのは無限の段階があるのね。

 だから、ここに住んでる人も、外からいろいろ手伝いに来てくれる人も、みんな段階が違うんですけどね。ここに居てる人も、一人一人が神さまへの奉仕をして感謝を深めて、神さまのお手伝いをしたいと思って頑張ってるのね。今でも朝四時半頃から出てきて頼まれた仕事をしてくるのね、夜遅くまでやってるわね。 でも、それも自分をやっぱり高めたいから、神さまへの奉仕に生きようとするのね。そして感謝のしやすい自分に変えてもらおうとしてるね。そして、本当に神さまのお手伝いのできる自分になりたいと思ってるのね。そして一所懸命、限界破りに挑戦してるのね。

 だから、ここに来てる皆さんも同じだと思うんですけど。やっぱり限界破りをしないと神さまの助けは入らないですね。 だから、うちは外から頼まれた仕事はタダでするの、本当はね、みんなタダでするつもりなのね。それも、危険な、汚い、きつい仕事を選んでるの。それを選んで一所懸命しようとするの、限界破りをね。きつい仕事ほど限界を敗れるのね。危険な仕事ほど神さまの守りが大きいのね。汚い仕事ほど謙虚になれるのね。これは全部感謝がしやすくなるのね。

 そして、うちは全部タダで無報酬でするつもりで全部頑張ってるね。でも、後みんなタダでは済ましてくれないのね、お礼をくれるのね。だから、そのお礼をもらった分は、ここの活動資金になるね。御陵の整備とか、コンクリートを打つだけでもお金・資金がたくさん要るのね。順番にいろいろ整備して必要なものをつくって行くだけでも大変なのね。その他にもシール資金とかブック資金とかいっぱい要るんですけど、みんな自分のものにしてないの、お金はね。みんなそういう、みんなの為の、神さまのお手伝いの為に全部使いきってるから、外から与えてもらうお金はしれてるね。その何十倍もここでの活動資金が要るぐらいね。だから、みんな無報酬でタダで働いてるのね。お金をもらってるのも、お金儲けは何もしてないよ。みんな神さまのお手伝いに一部しかならないけど、それは使わせてもらう、完璧に使いきってるから。

 だから、根本は「神さまのお手伝い」ね、そういう本当の自分になりたい為の奉仕の練習なのね。だから、外の安いきつい仕事なんて、本当は日当にならんのよ。山の仕事をしても、十年二十年した人は能力があるから日当は一人前にもらえるね。男の人は一万円、女の人は六千円ぐらいの日当はもらえるけど。 でも、はじめてする人はそこまでの能力はないね、十分の一ぐらいの能力ね、スピードが遅いからできないね。だから、時間給で百円ぐらいよ、みんな。それも失敗したりやり損なったらまたお金を弁償せんならんよ。そんな感じなんよね。だから、こんなところの仕事なんて安いものよね、みんなね。 それから、交通費とか弁当代とか道具代を入れたら、そんなお金になるものじゃないよね。

 でもね、その山の仕事でも山の手入れって大事でしょう。緑のダムをちゃんとしないと水が死んでしまうのね。だから、本当は無報酬でもみんなしないといけないものだけどね。ただ、表面的な小さい目的でしても、思いを消してもらう神さまのお手伝いにならんから、根本をしっかり定めるのが大事ね。 「神さまのお手伝いをさせてもらうんだ」という気持ちでしないと、思いは消してもらえないね。表面の人の為に尽すだけでは人に思いをかぶせるだけ。世の中の人に思いをかぶせるだけでは思いは消えないね。

 だから、必ず「神さまへのお手伝い!神さまへの奉仕なんだ!」という気持ちをしっかり定めないと、思いを神さまに預けて消してもらえないね。ここが一番大事なポイントね。 だから、神さまへの奉仕は思いを消してもらうね、自分の思いも縁者の思いも、できるだけたくさん消してもらう為にするのね。そして感謝のしやすい自分に、感謝のできる人を増やす為ね、それが根本の目的になってるのね。だから、真剣に奉仕するのね。危険な、きつい、汚い仕事こそ喜んで喜んで選んでするの。これがここの感謝の奉仕の練習なのね。そういう気持ちで皆さんが参加してもらうとありがたいと思うね。


 奉仕作業をされる時の持ち物

司会者:
 御陵のお祭りの日に、太陽の周りに丸い虹が出て、太陽から光の放射と、真っ直ぐ下に光の柱が立ってる写真が撮れました。皆さんに眼に見える形で見せてくださっているように思います。 もう一つは、御陵のお祭りの前夜祭で「不動明王?」が写っているような写真もあります。

ご奉仕に来られる方は

 長靴
 雨の時のカッパ
 軍手・ゴム手袋
 着替え(作業着)
 タオル
 帽子       

 これらは必ず持ってきていただきたいと思います。必要不可欠なものですので、よろしくお願いいたします。

ありがとうございます:
 本当に、ここは雨降りでも仕事をしますからね。雨降りほどいいというて(笑)泥んこになるほどいいということでしますからね。

ありがとうございます。




【世の中に起きる全ての責任は自分にある】

運命は自分に全責任がある

 責任ということについて説明をいろいろな角度からしてみたいのですけど。
 普通「運命」ってありますよね。一人一人の運命は全部違うんですね。「運命だから仕方がない」という言い方をする人もあるんですけど、そうじゃないですね。運命は自分が変えていけるんですね、どんな運命も自分が選んできてる。
 丁度、番組選びと同じですね、自分が使ってきた言葉によって番組を選んで、それが現実の世界となって、自分の運命となって現れてくるんですね。大きく見ると自分の見てる世界全体が自分の運命ですね。この世に住んでるというのも一つの運命、この地球に住んでるというのも一つも運命で、自分の周りの全てが自分の選んだ番組なんですね、自分の運命そのものですね。
 これを小さくとらえると「肉体人間だけの運命」というふうにみるんですけど、そうすると執われて行くのでね、小さく執われてしまうと本当の運命がわからなくなる。
だから「自分の見ている世界全部が、自分の選んだ番組であり、運命なんだ」というとらえ方がいいんですね。そうすると、自分に全責任があるとわかってくるね。

 これをね、単に責任を転嫁するような生き方だと、自分の力をふるえないんですね「あの人のせいだ」とか「環境のせいだ」とか、また「運命だから」とかいうかたちだと、どうしても自分に責任を持って来れないですね。そうすると、神さまの助けもないし、自分の力もふるいようもなくなってしまうね。いつでも運命が変わるのを待ってるだけという。絶対変わらない、悪くなるばっかしね、運命がね。
宿命も自分が選んでいる

 運命だけじゃないんですよ「宿命」という言葉がありますけど、宿命は変わらないというでしょう。でも、違うんですよ、宿命も自分が選んできてるね。男に生まれたり、女に生まれたり、これは一つの宿命かもしれないですね。男に生まれたから女になれない、それはそうよね。でも、この世で男として生まれてくるとしたら、それも自分も選んできてるの、先にね。これからどう選ぶかでしょう、またね。今度生まれ変わる時に女の人に生まれるかもしれないね、番組を変えたから。
 だから、自由に番組選びさえできたら、いろんな番組を体験できるんですね。そしたらこの世と全く異なった番組へ自分を置くことができたら、ある時は男になったり女になったり、またある時は人間でないかもしれないよ。植物であったり動物であったり、また大きい星であったりするかもしれないね。でも、その部分部分はあくまでも全体からみると一つの部分であって、あくまでそれは中心になる働きをするのね。
 だから、自分の意識を置いたところが中心になって、その部分が全体の中の中心として浮かび出てるだけね。でも、全体が自分の選んだ番組・運命ね。

番組選びの秘訣

 例えば、地獄を選んだとするでしょう、周りの人はみんな不幸でいっぱいでしょう。それで自分だけが幸せということはあり得ないね、一人だけが幸せということはないよね。周りの人が不幸だったら、絶対自分は幸せになれないね。やっぱり全体が幸せでないと本当の幸せになれないね。だから「常に自分に全責任を持ってくる」という生き方が、番組選びの秘訣でもあるね。本当の自分の力を発揮できる場なんよね、それはね。

言葉使いが番組選びに一番大事な要素

 先ず、言葉遣いですよね。言葉の使い方が番組選びに一番大事な要素なんで、常に自分がどういう言葉を使うか、自分で選んで使わないといけないですね。
でも、普通、無造作にいろんな言葉を使って心に取り入れてしまうのね。例えば、本を読むでしょう、いろんな言葉がありますよね。それを心に取り込んでしまうでしょう、読まれてしまうのよね、本に。本に書かれていることは全部心に取り込んでしまうでしょう、そしたら、その通りの運命をたどるのよ、必ずね。
 だから、本を読むのでも本に読まれたら駄目ね。自分がどういう言葉を使いたいのか、というのをしっかり定めて、その言葉を使わないといけないね。

テレビも音楽も言葉

 テレビを見てても、テレビの映像は全部ある意味で言葉なのね。その言葉は心に入り込んでくるね。そしたら、悲惨な姿が映ったら、その悲惨な姿を言葉にしたのと同じよね。必ずその言葉で悲惨な姿を選ぶ番組になっていくのね。
音楽もそうよね、明るい音楽を聴いてたら明るい言葉を選んだことになるんでしょう。でも、悲しい歌を聴いてたら、悲しい言葉を選んだことになるね。
だから、無意識のうちにいろんな言葉を取り込んでしまうのね。これはやっぱりある意味では怖いのよね。

 言葉というのはこの世だけからやってくるんじゃないね、あの世からもやってくるよ、いろんな番組の世界がいっぱいあるんですね。波の合うところから、いろんな波が反応してくるから、いろんなところからも影響を受けるね、この世からだけじゃなしにね。それを、自分がしっかりと「自分がこういう生き方をするんだ」と定めてないと影響を受けやすいね。
 やっぱり心の窓をしっかりと閉めておかないと、必要な言葉だけを窓を開けて取り込むぐらいにね。やっぱり、戸締りしてないと無防備だとどんな言葉でも入り込んでくるね。だから、一番大事なのは‘言葉選び’ね。大きい意味の‘言葉選び’ね。

 だから、映像を見るのでもいい映像を観る、音楽を聴くのでもいい音楽を聴く。この世の姿を眺めるのでも、自分がいいと思うものを選んでいけばいいね。たくさんの中から全部受け取るということは必要ないね。番組選びをするんだったら、自分がこうありたいという番組を定めて、それに合うものを心に取り込んでいくのね。

 だから、いつもニコニコ笑いたかったら、笑ってる人の姿ばっかり見つめたらいいんでしょう。だからね、自分の本当に願ってることを集中的に、心を集中的にそこへ向けていくのね。そしたら効果が大きいね。
 でも、なかなか皆さんはそこまで練習してないでしょう。
成功した人は方向付けがしっかりできている

 「運命が悪い」と言う人は大抵練習不足ね。運命が良くなって幸せいっぱいになって成功した人というのは、必ず方向付けがしっかりできてるのね。「自分はこういう生き方を取るんだ、こういう目標を持って生きるんだ」と、やっぱり方向付けがしっかりできてる人がその通りになってくるね。

 病気の人が本当に健康になりたかったら、もう健康ばっかしに心を向けないといけないね。病気の勉強ばっかりしたら病気になるよ、必ず。お医者さんって病気になりやすいよ。健康の勉強をするほうがいいね。
 病気を治すのに、薬の勉強ばっかりしてたらいっぱい薬を飲まんならんようになるよ。もう、不思議なくらいなってしまうのね。心に取り込んだら、それが自分の運命として現れてくるね。また自分だけじゃなしに、周りの人もそういう人がいっぱい集まるのね。

 警察官でも怖いよね、やくざを相手にすると自分もやくざに似てくる、怖いぐらいね。周りがやくざばっかしが集まる仕事になるのよ。だから、環境のせいにすると変えられないのね、どんどん環境に染まってくるね。でも、自分がそれが嫌だったら、別なほうへ心を向けたら直ぐに変わるのよ。
 職業でも同じよね、嫌だったら辞めたらいいね。他の職業に移ればどんどん変化するし、やっぱり自分が「こうありたい」というほうへ心を向けて選べばいいだけなのね。だから、全てが自分に責任があるのね、本当は元からそうなんよね。自分に全責任があって、自分が選んできてるね。だから、本当はそれに気づいたら怖いもの知らずよね、もう何も怖いものはないよね。

 今、仮に地獄に落ちてても、直ぐに極楽に上がれるね。神さまにちょっとすがればいいんでしょう「ありがとうございます」って「無限の無限の幸せで一杯です」と言えばいいのね。そしたら地獄番組から極楽番組へ即スッと変わってくるのね。ただ、ちょっとだけ時間がかかるかもしれないけどね。過去に使った言葉の影響がちょっと残ってるから、それを消してもらわないと、直ぐには極楽に変わらないかもしれないけど。
 でも、神さまの助けを受けたら直ぐにできるよね。だから、どんどん神さまの助けを受けて、自分の運命を、番組選びを変えてもらったらいいだけよね。

神さまの願い

 神さまは最高番組を受けて欲しいのよね、それも一番下から最高番組を受けて味わって欲しいのね。上から眺めて低い番組に落ちて、それに執われて欲しくないよね。最高番組だけを最初から味わってては味気ないよね、慣れてしまうと直ぐに良さが失われてくるから。だから、一番下の番組から一番最高の番組を受け取って欲しいのね。その差が大きいほど幸せが大きくなる、喜びが大きくなる、価値が増してくるからってね。「そういう受け方を神さまはいつもして欲しい」と願ってくれてるね。
 「そういう生き方を自分がしたい」というふうに願わないと、神さまは応援ができない。神さまの助けを受けないのだったら、謙虚になって最高番組を受けようとすることよね。そういう生き方を選んだ時にはじめて神さまは大きい力をふるえるのね。だから、謙虚な心で「ありがとうございます」と感謝し出したら「最高番組を受けよう」という意思表示になるね。そしたらどんどん神さまが応援して、番組がどんどんどんどん上へ上がるように、上の番組が受けられるように変えてくる、自然に変えてもらえるのね。そして、プラスをいっぱい取り込んで、どんどん素晴らしい世界が現実化してくるね。

 だから、人の自由意志というのが大事なんで、神さまは絶対強制力は使わないのね。「ああ、可哀相だから」といっても、強制的に幸せにしようとはしないのよ。だから「人の自由を縛ったら、これは一番不幸」って思うのね、神さまはね「自由だから幸せなんだ」ってね。
 神さまがしようと思ったらなんでもできるもんね。そうなると人は操り人形、ロボットになる、奴隷になってしまうね。それでは本当の幸せはないのよね。本当の自由自在でないと、神さまと同じ幸せは味わえないね。
 だから、人はどこまでも自由を大事にするのね。自分の自由意志で神さまに近づかないといけないね。神さまと同じところまで近づいていくのよね、そうすると、神さまの幸せが自分の幸せになってくるね。
 それは、もうあくまでも自分の自由意志で選んでいくのね。神さまの最高番組を受けるのも、自分の自由意志で選んで受けないといけないね。

人を変えようというのは無駄

 だから、人にいろいろお節介を焼く人もあるけど、それは無駄なんよね。人が何を選んでるかはわからないね。本当は、自分の見てる世界の中の一つの番組の中の姿でしかないでしょう。あくまでも全体が自分が選んだ番組だから、人を変えようというのはおかしいよね。自分の選ぶ番組さえ変えたら、自分の見てる世界が変わってくる。だから、自分さえ変わればいいのよ、自分さえ変わったら自分の世界が変わるのね。世界全体が変わるのね。
 だから、平和な世界に住みたいという人は、自分の心を平和にしてしまうね。平和な言葉を使えばいい、それを使い続けたら必ずそうなる、平和な世界に住む自分に変わってくるね。

 「この世を神さまの最高番組に近づける」というのだったら、それに近い言葉を使わないといけないでしょう。プラスのいい言葉を使う人が増えたら、この世は即平和な世界になるね。
 でもね、形が平和な世界でも、思いの心がいっぱいになった人があるでしょう。マイナスの言葉とか、思いのいっぱい溜まった人はどういうふうに感じるかというとね――
 「天が降ってくるかもしれん」と恐れるのよ。天なんか降ってこないよ、絶対ね。
 周りの人を「あの人は自分に毒をもるかもしれない」と錯覚するのよ、そんなことないのに、いい人ばっかしなのにね。

自分の心次第・言葉次第

 だから、形じゃないのよね、心ね、心の持ち方よね。心が感謝にできる人だったらプラスに受けるよね。心がマイナスの思いでいっぱいだったら、全部マイナスに見てしまうよね。結局は自分の心次第よね、自分の使う言葉次第になる。その通りに番組が現実化するの、同じこの世に住んでてもそうよね。
 だから、全てが神さまの最高表現の姿がとれる姿のほうがいいでしょう。「みんな神さま、神さまの現われ」というぐらいに感じられたら最高番組になっていくよね。
 「みんな無限に無限に輝いている」というふうに、いつもそういう言葉が大事よね。
 「みんな無限に輝いている」というのがいいね。
 「みんな無限に素晴らしい」って。
 「みんな無限に幸せなんだ」というふうに、そういうプラスの言葉に「無限」をつけるのね。
 そして「ありがとうございます」と受けていくと、最高番組が自分の世界に現われてくるね。そしたら周りを変えようとは思わないよね。
 本当はみんな悟ってる人ばっかしなんよ、みんな無限の幸せでいっぱいなのよ、みんなね。
 でも、そういう言葉を使い続けないといけないね、いい言葉を使ってる時は悪い言葉を使わないよね。言葉は今の一瞬一瞬どういう言葉を選んで使い続けるかよね。それが必ず結果として出てくるね。
 だから、自分の見てる世界全てに自分が責任を持たないといけないね。みんな自分の責任で現われてるというのが正しいの、それね。

責任ある立場に置くほど神さまの心がわかる

 また、責任感という言葉もいろんな意味で使われるんですけど。責任を持つ立場に立つというのも、また大事なのよね。これは神さまの立場がそうよね、神さまは全てに対して責任を取ってるの、全責任を、総責任者としての立場に立ってるのね。
 「人が幸せになるように」って、神さまが全責任を持って見守ってるのね。だから、無限の無限のチャンネルの番組を生み出して、自由を与えて護りにつくのね。そして一人一人を的確に護り抜いてるのよ「幸せの最短コースを歩めるように」って、必要な手助けをずーっとし続けるよね。神さまが全責任をとってるからよね。人も同じように、神さまと同じぐらいの責任のとり方をすると、神さまと波長がピタッと合うのね。

 例えば、「地球を平和にする為に、自分が責任を持ってするんだ」という立場に立つと、神さまと同じぐらいの立場に立てるよね。そうすると神さまに力をもらえるの。
 でも、小さい「自分の幸せだけ」と願うと、あまり大きい責任は持てないよね。ちょっとだけもらうのよね、神さまの助けはね。だから、責任が大きいほどいいのね、大きく責任を取るほうが大きい神さまの助けが入ってくるね。そうすると自分が大きく変わるね。

 一つの会社を経営しててもそうでしょう。社長さんが責任を取るわけでしょう、全責任を取ろうとする立場よね。そしたら、いろんな意味で能力が高いでしょう。
でも、自分が「平社員でいい」という人は責任を取らない、全体がわからないね。だから、小さい能力で終わってしまうわね。

 一つの家庭でもそうよね。お父さんが家族の生活の面倒を見んならんと思ったら一所懸命働くでしょう。それだけの能力を伸ばさないといけないもんね。どんどん能力は伸びてくるね。
 お母さんも家族のために一所懸命家事をいっぱいせんならんね。怠けてられないから病気にもなれないというぐらい。病気にならないのよ。責任のある人は神さまの助けを受けて良くなるの、全てにおいてね。
 でも、責任がなくなると甘えてくるよね、怠けてくるでしょう、力が出なくなる、必ず。
 だから、責任を自分に持ってくるほうがいいのね。それをできるだけ大きく。

 いろんな仕事、例えば、神さまへの奉仕作業でも同じなんよね。今日はどういう奉仕作業をするのかと、先ず自分が責任者の立場に立つとよくわかるのね。それも‘総責任者’というぐらいがいいのね。全体を見る立場に立ったほうがいいのね。そしたら「この仕事は何を目的にしてるか」とか「どういう方法が一番正しい方法か」また「スピード化するのにどういうやりかたがあるのか」とか。また「今日、参加する人にどういう人がいてて、どういう能力の人がいるのか」がわかるでしょう。そうしたら、一人一人の能力に合わせた仕事の配分ってできるよね。全体を見ながら奉仕作業をすると、仕事ってはかどるでしょう。
 でも、全体を見てないと責任を取れないのね。人に言われたことをするのは無責任よね。人は何を言うかわからんよ。正しいことを言ってくれたらいいけど、間違ったことを教えてくるかもしれないよね。
 でも、それを人がだましたからって責任をなすりつけるわけにはいかないね。自分が先ず総責任者の立場に立たなかったからよね。目的をしっかり定めなかったから、やり方がわからなかったのね。

 だから、どんな仕事をさせてもらうのでもそうよね。先ず、目的を定めて何が必要かをしっかりと理解しないと前へ進めないでしょう。これは全てにわたってそうよね。
 だから、責任ある立場に置くほど神さまの心がよくわかってくる、神さまの知恵も力も湧いてくる、理解も早く進むわけね。そして、することなすこと楽しいよね。
 わからんかったら、何をしたらいいかわからんもんね、ボーッとしてるだけだもんね。喜びがないよね。
 だから、目的が定まるというのは大切なことよね。目的・目標を定めて前へ進むというのがね。
 それも必要なことがわかって進んだら早く進めるのね。

仕事はスピ−ド化するほど良い

 仕事は、やっぱりどんな仕事もそうですね、スピード化するほどいいのよね。高い番組はスピードが速いの。だから、高い番組を現実化するためには、スピード化が必要になるのね。また、高い高級な神さまほどスピード化したときに波が合って助けに降りてくれる。だから、一日でする仕事の量を一時間でするとすごいよね、神さまの助けが大きい。
 でも、この一日を一週間に延ばすと、今度は逆になるよ。いろんな問題がいっぱいできてくるの。何倍も負担がかかるね、これは法則みたいなものよね。スピード化できたほど番組が上がるの、時間がかかるほど番組が下がるのね。
 だから、プラスを大きくしようと思ったらスピード化するのね。
 マイナスを増やそうと思ったらゆっくりすればいいよ。
 でも、スピード化したほうが輝くのよ、本当にね。家事の仕事でも、お手伝いするのでもそうよね。一時間かかるところを、できるだけ早く仕上げてしまおうと思って、それもお祈りしながら「ありがとうございます」って神さまにすがりながらすると、パッと一時間が十分でできたとしたら、仕事量がそれだけ早くこなせたというだけじゃないね。自分が輝くのよ、神さまが中に入って働いてるから、神さまが輝いて出てきてくれてるね。そしたら、本当の自分が大きく輝いて出てくるね。その自分は感謝が深いね、喜び一杯・幸せ一杯になるのね。だから、すごい変化になるよね。

 先ず、真剣になるほどいいのよね、高い神さまほど真剣なんよね。不可能に挑戦するほうがいいのよね。限界破りに挑戦するほうがいいのよね、そのほうが高い神さまの応援が大きい。
 自分では「これは不可能」と思ってるほうが謙虚になれるよね。謙虚になれるほど神さまが応援につくのよね。だから、いろんな意味で神さまの助けがいっぱいになるのね。一所懸命してたら誰でも応援してくれるよね。人でもそうだし、神さまもそうよね。怠けてたら、誰も助けに来ないね。余裕があったら助けてあげようとは思わないもんね。人でもそうだから、神さまはもう一つ見抜いて助けに来てくれないかもしれないね。
 だから、神さまの助けを受けるために、やっぱり助けてくれるように持っていくのも大事よね。

時間と空間

 それでね、高い番組と低い番組の差って凄いよ。時間と空間の関係で考えるとよくわかるのね。
 時間と空間は相対の両極になるのね。時間と空間を組み合わせて宇宙を生み出すの、世界というのが生まれるね。
 宇宙の「宇」というのが空間よね「宙」が時間という意味ね。世界の「世」が時間で「界」のほうが空間なのね。「宇宙も世界」というのも、「時間と空間の組み合わせ」という意味よね。
 空間がいっぱい広がると、時間が短縮されるの、短くなるね。空間が小さくなると、時間が広がるの、無限に広がるのね。
 高い番組・極楽番組は空間が無限に広がるの、いいことばっかし、無限にいいことばっかしという、空間が無限に広がる世界ね。一目で幸せいっぱいなのね、無限の無限の幸せが一杯!という世界が極楽ね、一瞬にこれを把握する世界ね だから、空間が無限に広がって、時間が無限に小さくなる。
 一番低いところが地獄、穴があったら入りたいという世界よね。小さく小さく空間が狭まっていくのね、いいことが何も無いのね。そういう世界は時間が無限に広がるの。だから、地獄は無限に苦しみが続くの。

 この世でもそうでしょう、楽しいことをしている時は、時間の経つのを忘れるでしょう。嫌な仕事は時間が長いよね、なかなか時間が経ってくれないよね。だから、楽しいことは時間が短縮されていくね、嫌なことは時間が長くなるでしょう。

 龍宮城の浦島太郎の話によく似てるよね。亀を助けるという愛の心を起こしたのね、プラスの心よね。そうすると番組が上がったのね。そして龍宮城へ連れて行ってもらうでしょう。この世よりも番組の高い世界へ連れて行ってもらったのね、波が合って、そういう世界へ連れて行ってもらうのでしょう。
 龍宮城は幸せがいっぱいなのね、いいことがいっぱいだから、空間が大きく広がってる世界ね。だから、時間が短縮されてるのね。そして龍宮城にいる時間がほとんど経ってないと思ってたのね、浦島太郎さんがね。もう、ちょっと一日ぐらいそこに留まったかなという感覚で帰ってくるのね。それで玉手箱を開いたら、もうもの凄い年月が経ってたんでしょう。自分の知ってる人がいないぐらい年月が経ってた。

 「玉手箱」というのは、お祈りよね。つまり合掌よ、お祈りで手を両方合わせたら玉になるでしょう。これが「玉手」よね。お祈りの状態を「玉手箱」というのね。お祈りしている時は高い番組へ入れるのね。龍宮城へ入ってるのね、玉手箱を開けたらお祈りを忘れた状態かもしれないね。番組が下がるのね。時間と空間の関係はそういう関係よね。

今を生きる生き方

 時間でも「過去・現在・未来」って執われると時間が長くなるでしょう、そうすると空間が狭まるの、いいものが少なくなるでしょう。
 だから、時間を短縮していく見方ってあるでしょう「今を生きる」ってね。今を生きるほど執われがなくなって空間が広がるの、感謝が深くなるね。いいものがいっぱい感じられるようになるね。

 「ありがとうございます」という感謝行は、今を新たに新たに受け直す生き方ね。過去も未来も相手にしない「今を生きる生き方」なのね。時間を今の一点に絞り込むの、絞り込むといっても過去・現在・未来の現在を掴むんじゃなしに、過去・現在・未来、全部を一点に絞り込むの。無限の時間を今の一瞬に絞り込むの、そうすると空間が無限に広がるのよ。
 過去・現在・未来の「現在」という「今」だけをとらえたら、まだ中途半端よ。無限の時間の中の一点を掴んだだけよね、小さくなってしまう、だから空間は広がらないよ。
 でも、過去・現在・未来の無限の時間を一点に絞り込むと、過去・現在・未来も全部同時にとらえるのよ。

 今、一輪の花がここに咲いてるとするでしょう、その花の先祖も子孫も全部同時にとらえるのよ。この一輪の花の先祖が無限にあるのね、子孫も無限にあるのね。その中心に、今一輪の花が咲いてるという。
 だから、過去も未来も全ての時間を今の一瞬にとらえる、そしたら空間が広がるでしょう、大きく広がるよね。そういうとらえ方が、感謝の今を新たに生きる生き方なのね。
 「ありがとうございます」というのは、全ての時間と全ての空間を同時にとらえる生き方ね。宇宙の全部を把握する生き方なのね。だから、小さな部分にとらわれたら感謝じゃなくなるのね、思いのほうね。
 部分を掴んでしまうのは思いのほうね。だから自由がなくなっていくのね。

感謝は大きく心を自由にする

 感謝というのは、全体をとらえるのね。全体をとらえるから自由になるのね。
何かを選ぶというのも「自由に選ぶ」というのは選択肢が多いほどいいでしょう。選択する対象が無限にあったら、その中から一つを選ぶのだったらもの凄く自由よね。でも「一つしかない」というのだったら、それ一つを選んでも駄目でしょう、縛られてるよね、自由が全然ないという感じね。十ぐらいあっても大したことはないよね。十しか選べるものがなかったら、かなり不自由よね。
 だから、選択肢が無限に広がるほうがいいのね。選ぶものを無限に広げたら自由になるね。

 番組でも、無限の無限のチャンネルがあって一つを選ぶんだったら自由になるね。
 感謝の生き方は、この無限の無限のチャンネルをいつも相手にして、そしてその中から自由に一つを選んで楽しむのね。そしたら絶対執われない、縛られない、いつも自由に楽しめるね。

 この世だけを見ててもそうよ、地球ぐらいを眺めたほうがいいかもしれないね。地球全体を眺めて「これが神さまからのプレゼント」と受けたら、かなり執われがなくなるよ。「地球全体を神さまからのプレゼント」というふうに受けてると、小さいことにこだわらなくなる。自分の家や財産やと言わなくなる、ちっぽけなものを相手にしなくなるね。

 だから、感謝というのは大事よね、もの凄く。大きく心を自由にするために必要なことなのね。
 思い通りに生きようと、思いに生きるというのは逆ね。小さく小さく掴んで自分を縛っていくのね。だから、感謝の生き方に切り替えたほうがいいのよね。そのほうが責任のある生き方よね。


  質疑応答    

対立関係にある人と接する時

質問者:
 いい映像を観るとか、いい音楽を聴くとか、自分で選べるものはいいのですが。例えば、仕事ですが、私の仕事は違反の建築物を取り締まる仕事なんですよ。(笑)それを自分が選んだといえばそれまでなんですけれど。それを選んでこの目に見える世界に現われてしまったのも現実にあるので。その時の対応というのでしょうか、その時に「自分を鍛えてもらっているのだ」と感謝はできると思うのです。
 現実には対立関係の仕事なので、感情的な部分やいろんな部分があるのです。その時にどういうふうに現象の処理をしていけばいいのか、皆さんもいろんな場面があると思うのですが。目に見えるものの処理の仕方、そのコツを教えていただければありがたいと思います。

ありがとうございます:  
 皆が批判しなかったらいいのよね。(Q:そうなんです、ええ)楽なんよね。「みんな神さまで、素晴らしい人ばっかし」と言えばいいじゃない。そうすると批判しない人ばっかしになるでしょう。

質問者:
 対応する時に「これで良くなる」とか、「違反がなくなってみんな幸せになる」とか、一瞬一瞬自分の気持ちがマイナスになりそうな時にも「これで良くなる、これで良くなる」ともっていけばいいでしょうかね。

ありがとうございます:
 そしたら、違反建築物には自分が出会わなくなる。他の人は出会うかもしれないけど、自分にはそういうのは一切出会わなくなって、仕事も楽になって、みんなに喜んでもらってって。

質問者:
 皆さん、いろんなことになると思うんですけども。そうなった時には、もう自分の言葉の力で「良くなる、良くなる」というふうに――

ありがとうございます:
 みんなをプラスにみてあげるのがいいね。(Q:対立関係の人もですか)「みんな無限に輝いてる、みんなプラスの人ばっかし」というふうにね。そうすると周りにはそういう人ばっかしが現われてくるようになるよね。

質問者:
 一瞬、そう思えないのですけど、その後に「光一杯だ」とかいろいろ思えばいいのですか。

ありがとうございます:
 そうそう。マイナスを前にした時に、それをプラスにプラスに思い返していけば、自分の中のマイナスが消されてプラスが増えてくるよね。そうすると自然にプラスが増えてくるという姿をとってくるよね。

質問者:
 本当に酷い言葉を投げかけられたりしても「みんな神さま、無限の無限の幸せが一杯!」って思うのですか。それで番組を変えられるのですか。

ありがとうございます: 
 「今、見てる自分の世界は自分の選んだ番組」というふうに本当にわかったら、後は番組を変えるだけだから、プラスにプラスに思い返すのが正しいのね。また、そこまで行かなくても、小さく見るのだったら。マイナスが現われるたびに「大きいマイナスを小さく変えて消してもらってる」という見方とか。
 また「マイナスが自分の徳積みなんだ」というのがいいよね。
 自分が正しい、いいことをしてて褒められたら、それで帳消しね。でも、いいことをしてて悪く言われたほうが・意地悪されたほうが徳が消えないね。だから、徳積みをしてると思えばいい、番組をどんどん上げてもらうと思うと、マイナスがあるほうがいいの。「ああ、またこれで番組が上がる」というぐらいがいいじゃない。プラスにプラスに思い返せたら全部プラスになっていくね。だから、意地悪されるほどいいよ。


下に降りるのは自分の意志

質問者:
 第一部のお話なんですが。段々低いほうから上がっていくほうが、その差が大きくて喜びが感じるということなんですが。自分自身も幸せになりたいと思ってこういうところへ来ているということもあると思います。最初に下に下りるのは、自分の意志で下りてるのですか、神さまの意志で下りるのでしょうか。

ありがとうございます:
 みんな自分の意志よ。神さまは強制力は使わないから、神さまと同じものを一人ずつ与えてもらってるね。

質問者:
 自分はいつも幸せになりたいと思っているのは、今上を目指しているのですけれども。下を目指したときがあるということですか。

ありがとうございます:
 だから、大きい幸せに変えるために下へ目指してるのよ。

質問者:
 幸せになりたいと思ってれば、今、上を目指してるということですか。
 そういう解釈でよろしいのですか。

ありがとうございます:
 そうよね。大きい立場から見たらそうよね。部分だけ小さく見ると、なんか下へ落ちてるように思うのね。大きく眺めるのが大事ね、そしたらよくわかるよね。
 感謝を練習して、大きい立場に立つようになってきたら、全部プラスプラスに見えてくるね。マイナスじゃないのね。

 病気をちょっとしたらね、なんか不幸に思うでしょう。そうじゃないね、健康のありがたさがよくわかるでしょう。一回病気すると「ああ、健康ってありがたい」と思うでしょう。でも、病気にならないときは、健康に気づかないでしょう。健康があっても無いと思ってるのね、心に感じてないから、健康のありがたさをね。でも、病気をすることによって「ああ、健康がこれだけありがたい」と感じるでしょう。それは幸せが大きくなったことでしょう。
 必ず、マイナスを体験することによって感謝が深くなるよ。幸せが大きくなって行く、必ずね。

質問者:
 表面の自分ではなくて、奥底の自分が一度マイナスを体験したがって下りていくのですか。

ありがとうございます:
 そうよ、だから感謝の自分がどんどん輝き出てくるの。だから、表面の小さい形の変化じゃないの、大きい心の変化よね。それが大きい幸せを掴んでいくのね。



本物の幸せ

質問者:
 家庭の中では今幸せだと思っているのですが。そういう小さい幸せに比べてもっと何か、うまく言えませんが、もっと上に幸せってあるのですか。

ありがとうございます:
 あるのね。感謝の心は全体との一体感が深くなるのね。この世だけでも感謝してると、みんなの幸せが自分の幸せになるのよ。一体感が大きく深くなるからね。だから、一人の肉体人間としての小さい幸せだけでは終わらないね。
 「幸せも与えてもらって幸せ」という感覚よりも、逆に「与えて幸せという感覚のほうが本物」なのね。
 「みんなを幸せにできて私は幸せ」という。
 「みんなから幸せを与えてもらって幸せ」というのは小さいのね。その幸せも大きく変化するね、次から次へとね。
 この世だけでもそうだから、あの世はいっぱいあるわね。あの世の全ての幸せも自分のものになるほうがいいでしょう。それも人の幸せだけじゃなしに、動物や植物の幸せも全部自分の幸せにできたほうがね。
 だから「ありがとうございます」で、全体との一体感を深くするというのが一番いいのよね。「ありがとうございます」にはそういう意味もあるのね。唱えているうちに一体感が大きく深くなってくるね。



「ありがとうございます」と「ありがとう」

質問者:
 「ありがとうございます」という言葉なんですけど。
 「ありがとう」というだけでは意味が全然違うと受け取っていいんですか。
 「ございます」というのがないと真の意味の「ありがとうございます」ということにはならないと思ったんです。もっと意味があるのですか。

ありがとうございます:
 はい、ちょっと小さくて軽いのよね。
 最初は「ありがとう」って練習してもいいですよね。そのうちに、自然に「ありがとうございます」になってくると思うんですけどね。

質問者:
 私は和歌山から来たのですけど。和歌山では「ありがとうございます」というのを「おおきに」と言います。「おおきに」だけではあっさりしてて、それに「よう」をつけて「おおきによう」って。そうするとなんか重みがあって相手にグンとくる。
 言葉は違いますけども、和歌山の場合は「よう」の中に入ってるなと。そういうふうに思ったんですけど。
 ここは「ございます」ということのほうがもっと大事かなという感じがしました。
 何もなくて幸せな人生よりも、何かをして、真の幸せとはこういうものだというのを感じて生きられるというのか、本当の意味で「ありがとうございます」かなと、今日来て感じたんですけども。

ありがとうございます:
 そうですね、





思いと欲は同じ

質問者:
 思いと欲、ああなりたいというのは――

ありがとうございます:
 同じ。思いイコール、いろんな願いでもあるし欲でもあるのね。感謝と正反対ね。
 感謝は、欲も願いも無いのね。感謝は、神さまから与えてもらったものをそのまま感じるだけだから、全てが既にあるというふうに感じるのね。
 思いのほうは全体がとらえられない、部分的なものを掴んでしまうから足りないのね。不足しているから、あれも欲しい、これも欲しいという願いや欲が出てくるね。思いと欲は同じなの。



小さい目標は思いの方の心

質問者:
 では、目標はどうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 同じね。でも、感謝のほうは目標が既にあるのよね。思いのほうは目標が無いから、目標を立てようとするのね。目標を立てようとするのと、目標を見るのと違うのね。
 「無いから立てよう」とするでしょう、「有るから受けよう」とするのと違うよね。だから、「目標を定める」というのは、神さまが本当の目標よね。それを「既に有る」と受けるのが感謝ね。
 この世の人の目標は、神さままで行かないし、つまらん目標・目的を立てるでしょう。だから、無いから立ててるだけね。神さまを本当の目標に定めてそれを受けたら、全部の目標が中に入ってるから「何も要らない」という感覚よね。だから、小さい目標は思いのほうの心ね。

 ありがとうございます。








ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。



【世の中に起きる全ての責任は自分にある】

運命は自分に全責任がある

 責任ということについて説明をいろいろな角度からしてみたいのですけど。
 普通「運命」ってありますよね。一人一人の運命は全部違うんですね。「運命だから仕方がない」という言い方をする人もあるんですけど、そうじゃないですね。運命は自分が変えていけるんですね、どんな運命も自分が選んできてる。
 丁度、番組選びと同じですね、自分が使ってきた言葉によって番組を選んで、それが現実の世界となって、自分の運命となって現れてくるんですね。大きく見ると自分の見てる世界全体が自分の運命ですね。この世に住んでるというのも一つの運命、この地球に住んでるというのも一つも運命で、自分の周りの全てが自分の選んだ番組なんですね、自分の運命そのものですね。
 これを小さくとらえると「肉体人間だけの運命」というふうにみるんですけど、そうすると執われて行くのでね、小さく執われてしまうと本当の運命がわからなくなる。
だから「自分の見ている世界全部が、自分の選んだ番組であり、運命なんだ」というとらえ方がいいんですね。そうすると、自分に全責任があるとわかってくるね。

 これをね、単に責任を転嫁するような生き方だと、自分の力をふるえないんですね「あの人のせいだ」とか「環境のせいだ」とか、また「運命だから」とかいうかたちだと、どうしても自分に責任を持って来れないですね。そうすると、神さまの助けもないし、自分の力もふるいようもなくなってしまうね。いつでも運命が変わるのを待ってるだけという。絶対変わらない、悪くなるばっかしね、運命がね。
宿命も自分が選んでいる

 運命だけじゃないんですよ「宿命」という言葉がありますけど、宿命は変わらないというでしょう。でも、違うんですよ、宿命も自分が選んできてるね。男に生まれたり、女に生まれたり、これは一つの宿命かもしれないですね。男に生まれたから女になれない、それはそうよね。でも、この世で男として生まれてくるとしたら、それも自分も選んできてるの、先にね。これからどう選ぶかでしょう、またね。今度生まれ変わる時に女の人に生まれるかもしれないね、番組を変えたから。
 だから、自由に番組選びさえできたら、いろんな番組を体験できるんですね。そしたらこの世と全く異なった番組へ自分を置くことができたら、ある時は男になったり女になったり、またある時は人間でないかもしれないよ。植物であったり動物であったり、また大きい星であったりするかもしれないね。でも、その部分部分はあくまでも全体からみると一つの部分であって、あくまでそれは中心になる働きをするのね。
 だから、自分の意識を置いたところが中心になって、その部分が全体の中の中心として浮かび出てるだけね。でも、全体が自分の選んだ番組・運命ね。

番組選びの秘訣

 例えば、地獄を選んだとするでしょう、周りの人はみんな不幸でいっぱいでしょう。それで自分だけが幸せということはあり得ないね、一人だけが幸せということはないよね。周りの人が不幸だったら、絶対自分は幸せになれないね。やっぱり全体が幸せでないと本当の幸せになれないね。だから「常に自分に全責任を持ってくる」という生き方が、番組選びの秘訣でもあるね。本当の自分の力を発揮できる場なんよね、それはね。

言葉使いが番組選びに一番大事な要素

 先ず、言葉遣いですよね。言葉の使い方が番組選びに一番大事な要素なんで、常に自分がどういう言葉を使うか、自分で選んで使わないといけないですね。
でも、普通、無造作にいろんな言葉を使って心に取り入れてしまうのね。例えば、本を読むでしょう、いろんな言葉がありますよね。それを心に取り込んでしまうでしょう、読まれてしまうのよね、本に。本に書かれていることは全部心に取り込んでしまうでしょう、そしたら、その通りの運命をたどるのよ、必ずね。
 だから、本を読むのでも本に読まれたら駄目ね。自分がどういう言葉を使いたいのか、というのをしっかり定めて、その言葉を使わないといけないね。

テレビも音楽も言葉

 テレビを見てても、テレビの映像は全部ある意味で言葉なのね。その言葉は心に入り込んでくるね。そしたら、悲惨な姿が映ったら、その悲惨な姿を言葉にしたのと同じよね。必ずその言葉で悲惨な姿を選ぶ番組になっていくのね。
音楽もそうよね、明るい音楽を聴いてたら明るい言葉を選んだことになるんでしょう。でも、悲しい歌を聴いてたら、悲しい言葉を選んだことになるね。
だから、無意識のうちにいろんな言葉を取り込んでしまうのね。これはやっぱりある意味では怖いのよね。

 言葉というのはこの世だけからやってくるんじゃないね、あの世からもやってくるよ、いろんな番組の世界がいっぱいあるんですね。波の合うところから、いろんな波が反応してくるから、いろんなところからも影響を受けるね、この世からだけじゃなしにね。それを、自分がしっかりと「自分がこういう生き方をするんだ」と定めてないと影響を受けやすいね。
 やっぱり心の窓をしっかりと閉めておかないと、必要な言葉だけを窓を開けて取り込むぐらいにね。やっぱり、戸締りしてないと無防備だとどんな言葉でも入り込んでくるね。だから、一番大事なのは‘言葉選び’ね。大きい意味の‘言葉選び’ね。

 だから、映像を見るのでもいい映像を観る、音楽を聴くのでもいい音楽を聴く。この世の姿を眺めるのでも、自分がいいと思うものを選んでいけばいいね。たくさんの中から全部受け取るということは必要ないね。番組選びをするんだったら、自分がこうありたいという番組を定めて、それに合うものを心に取り込んでいくのね。

 だから、いつもニコニコ笑いたかったら、笑ってる人の姿ばっかり見つめたらいいんでしょう。だからね、自分の本当に願ってることを集中的に、心を集中的にそこへ向けていくのね。そしたら効果が大きいね。
 でも、なかなか皆さんはそこまで練習してないでしょう。
成功した人は方向付けがしっかりできている

 「運命が悪い」と言う人は大抵練習不足ね。運命が良くなって幸せいっぱいになって成功した人というのは、必ず方向付けがしっかりできてるのね。「自分はこういう生き方を取るんだ、こういう目標を持って生きるんだ」と、やっぱり方向付けがしっかりできてる人がその通りになってくるね。

 病気の人が本当に健康になりたかったら、もう健康ばっかしに心を向けないといけないね。病気の勉強ばっかりしたら病気になるよ、必ず。お医者さんって病気になりやすいよ。健康の勉強をするほうがいいね。
 病気を治すのに、薬の勉強ばっかりしてたらいっぱい薬を飲まんならんようになるよ。もう、不思議なくらいなってしまうのね。心に取り込んだら、それが自分の運命として現れてくるね。また自分だけじゃなしに、周りの人もそういう人がいっぱい集まるのね。

 警察官でも怖いよね、やくざを相手にすると自分もやくざに似てくる、怖いぐらいね。周りがやくざばっかしが集まる仕事になるのよ。だから、環境のせいにすると変えられないのね、どんどん環境に染まってくるね。でも、自分がそれが嫌だったら、別なほうへ心を向けたら直ぐに変わるのよ。
 職業でも同じよね、嫌だったら辞めたらいいね。他の職業に移ればどんどん変化するし、やっぱり自分が「こうありたい」というほうへ心を向けて選べばいいだけなのね。だから、全てが自分に責任があるのね、本当は元からそうなんよね。自分に全責任があって、自分が選んできてるね。だから、本当はそれに気づいたら怖いもの知らずよね、もう何も怖いものはないよね。

 今、仮に地獄に落ちてても、直ぐに極楽に上がれるね。神さまにちょっとすがればいいんでしょう「ありがとうございます」って「無限の無限の幸せで一杯です」と言えばいいのね。そしたら地獄番組から極楽番組へ即スッと変わってくるのね。ただ、ちょっとだけ時間がかかるかもしれないけどね。過去に使った言葉の影響がちょっと残ってるから、それを消してもらわないと、直ぐには極楽に変わらないかもしれないけど。
 でも、神さまの助けを受けたら直ぐにできるよね。だから、どんどん神さまの助けを受けて、自分の運命を、番組選びを変えてもらったらいいだけよね。

神さまの願い

 神さまは最高番組を受けて欲しいのよね、それも一番下から最高番組を受けて味わって欲しいのね。上から眺めて低い番組に落ちて、それに執われて欲しくないよね。最高番組だけを最初から味わってては味気ないよね、慣れてしまうと直ぐに良さが失われてくるから。だから、一番下の番組から一番最高の番組を受け取って欲しいのね。その差が大きいほど幸せが大きくなる、喜びが大きくなる、価値が増してくるからってね。「そういう受け方を神さまはいつもして欲しい」と願ってくれてるね。
 「そういう生き方を自分がしたい」というふうに願わないと、神さまは応援ができない。神さまの助けを受けないのだったら、謙虚になって最高番組を受けようとすることよね。そういう生き方を選んだ時にはじめて神さまは大きい力をふるえるのね。だから、謙虚な心で「ありがとうございます」と感謝し出したら「最高番組を受けよう」という意思表示になるね。そしたらどんどん神さまが応援して、番組がどんどんどんどん上へ上がるように、上の番組が受けられるように変えてくる、自然に変えてもらえるのね。そして、プラスをいっぱい取り込んで、どんどん素晴らしい世界が現実化してくるね。

 だから、人の自由意志というのが大事なんで、神さまは絶対強制力は使わないのね。「ああ、可哀相だから」といっても、強制的に幸せにしようとはしないのよ。だから「人の自由を縛ったら、これは一番不幸」って思うのね、神さまはね「自由だから幸せなんだ」ってね。
 神さまがしようと思ったらなんでもできるもんね。そうなると人は操り人形、ロボットになる、奴隷になってしまうね。それでは本当の幸せはないのよね。本当の自由自在でないと、神さまと同じ幸せは味わえないね。
 だから、人はどこまでも自由を大事にするのね。自分の自由意志で神さまに近づかないといけないね。神さまと同じところまで近づいていくのよね、そうすると、神さまの幸せが自分の幸せになってくるね。
 それは、もうあくまでも自分の自由意志で選んでいくのね。神さまの最高番組を受けるのも、自分の自由意志で選んで受けないといけないね。

人を変えようというのは無駄

 だから、人にいろいろお節介を焼く人もあるけど、それは無駄なんよね。人が何を選んでるかはわからないね。本当は、自分の見てる世界の中の一つの番組の中の姿でしかないでしょう。あくまでも全体が自分が選んだ番組だから、人を変えようというのはおかしいよね。自分の選ぶ番組さえ変えたら、自分の見てる世界が変わってくる。だから、自分さえ変わればいいのよ、自分さえ変わったら自分の世界が変わるのね。世界全体が変わるのね。
 だから、平和な世界に住みたいという人は、自分の心を平和にしてしまうね。平和な言葉を使えばいい、それを使い続けたら必ずそうなる、平和な世界に住む自分に変わってくるね。

 「この世を神さまの最高番組に近づける」というのだったら、それに近い言葉を使わないといけないでしょう。プラスのいい言葉を使う人が増えたら、この世は即平和な世界になるね。
 でもね、形が平和な世界でも、思いの心がいっぱいになった人があるでしょう。マイナスの言葉とか、思いのいっぱい溜まった人はどういうふうに感じるかというとね――
 「天が降ってくるかもしれん」と恐れるのよ。天なんか降ってこないよ、絶対ね。
 周りの人を「あの人は自分に毒をもるかもしれない」と錯覚するのよ、そんなことないのに、いい人ばっかしなのにね。

自分の心次第・言葉次第

 だから、形じゃないのよね、心ね、心の持ち方よね。心が感謝にできる人だったらプラスに受けるよね。心がマイナスの思いでいっぱいだったら、全部マイナスに見てしまうよね。結局は自分の心次第よね、自分の使う言葉次第になる。その通りに番組が現実化するの、同じこの世に住んでてもそうよね。
 だから、全てが神さまの最高表現の姿がとれる姿のほうがいいでしょう。「みんな神さま、神さまの現われ」というぐらいに感じられたら最高番組になっていくよね。
 「みんな無限に無限に輝いている」というふうに、いつもそういう言葉が大事よね。
 「みんな無限に輝いている」というのがいいね。
 「みんな無限に素晴らしい」って。
 「みんな無限に幸せなんだ」というふうに、そういうプラスの言葉に「無限」をつけるのね。
 そして「ありがとうございます」と受けていくと、最高番組が自分の世界に現われてくるね。そしたら周りを変えようとは思わないよね。
 本当はみんな悟ってる人ばっかしなんよ、みんな無限の幸せでいっぱいなのよ、みんなね。
 でも、そういう言葉を使い続けないといけないね、いい言葉を使ってる時は悪い言葉を使わないよね。言葉は今の一瞬一瞬どういう言葉を選んで使い続けるかよね。それが必ず結果として出てくるね。
 だから、自分の見てる世界全てに自分が責任を持たないといけないね。みんな自分の責任で現われてるというのが正しいの、それね。

責任ある立場に置くほど神さまの心がわかる

 また、責任感という言葉もいろんな意味で使われるんですけど。責任を持つ立場に立つというのも、また大事なのよね。これは神さまの立場がそうよね、神さまは全てに対して責任を取ってるの、全責任を、総責任者としての立場に立ってるのね。
 「人が幸せになるように」って、神さまが全責任を持って見守ってるのね。だから、無限の無限のチャンネルの番組を生み出して、自由を与えて護りにつくのね。そして一人一人を的確に護り抜いてるのよ「幸せの最短コースを歩めるように」って、必要な手助けをずーっとし続けるよね。神さまが全責任をとってるからよね。人も同じように、神さまと同じぐらいの責任のとり方をすると、神さまと波長がピタッと合うのね。

 例えば、「地球を平和にする為に、自分が責任を持ってするんだ」という立場に立つと、神さまと同じぐらいの立場に立てるよね。そうすると神さまに力をもらえるの。
 でも、小さい「自分の幸せだけ」と願うと、あまり大きい責任は持てないよね。ちょっとだけもらうのよね、神さまの助けはね。だから、責任が大きいほどいいのね、大きく責任を取るほうが大きい神さまの助けが入ってくるね。そうすると自分が大きく変わるね。

 一つの会社を経営しててもそうでしょう。社長さんが責任を取るわけでしょう、全責任を取ろうとする立場よね。そしたら、いろんな意味で能力が高いでしょう。
でも、自分が「平社員でいい」という人は責任を取らない、全体がわからないね。だから、小さい能力で終わってしまうわね。

 一つの家庭でもそうよね。お父さんが家族の生活の面倒を見んならんと思ったら一所懸命働くでしょう。それだけの能力を伸ばさないといけないもんね。どんどん能力は伸びてくるね。
 お母さんも家族のために一所懸命家事をいっぱいせんならんね。怠けてられないから病気にもなれないというぐらい。病気にならないのよ。責任のある人は神さまの助けを受けて良くなるの、全てにおいてね。
 でも、責任がなくなると甘えてくるよね、怠けてくるでしょう、力が出なくなる、必ず。
 だから、責任を自分に持ってくるほうがいいのね。それをできるだけ大きく。

 いろんな仕事、例えば、神さまへの奉仕作業でも同じなんよね。今日はどういう奉仕作業をするのかと、先ず自分が責任者の立場に立つとよくわかるのね。それも‘総責任者’というぐらいがいいのね。全体を見る立場に立ったほうがいいのね。そしたら「この仕事は何を目的にしてるか」とか「どういう方法が一番正しい方法か」また「スピード化するのにどういうやりかたがあるのか」とか。また「今日、参加する人にどういう人がいてて、どういう能力の人がいるのか」がわかるでしょう。そうしたら、一人一人の能力に合わせた仕事の配分ってできるよね。全体を見ながら奉仕作業をすると、仕事ってはかどるでしょう。
 でも、全体を見てないと責任を取れないのね。人に言われたことをするのは無責任よね。人は何を言うかわからんよ。正しいことを言ってくれたらいいけど、間違ったことを教えてくるかもしれないよね。
 でも、それを人がだましたからって責任をなすりつけるわけにはいかないね。自分が先ず総責任者の立場に立たなかったからよね。目的をしっかり定めなかったから、やり方がわからなかったのね。

 だから、どんな仕事をさせてもらうのでもそうよね。先ず、目的を定めて何が必要かをしっかりと理解しないと前へ進めないでしょう。これは全てにわたってそうよね。
 だから、責任ある立場に置くほど神さまの心がよくわかってくる、神さまの知恵も力も湧いてくる、理解も早く進むわけね。そして、することなすこと楽しいよね。
 わからんかったら、何をしたらいいかわからんもんね、ボーッとしてるだけだもんね。喜びがないよね。
 だから、目的が定まるというのは大切なことよね。目的・目標を定めて前へ進むというのがね。
 それも必要なことがわかって進んだら早く進めるのね。

仕事はスピ−ド化するほど良い

 仕事は、やっぱりどんな仕事もそうですね、スピード化するほどいいのよね。高い番組はスピードが速いの。だから、高い番組を現実化するためには、スピード化が必要になるのね。また、高い高級な神さまほどスピード化したときに波が合って助けに降りてくれる。だから、一日でする仕事の量を一時間でするとすごいよね、神さまの助けが大きい。
 でも、この一日を一週間に延ばすと、今度は逆になるよ。いろんな問題がいっぱいできてくるの。何倍も負担がかかるね、これは法則みたいなものよね。スピード化できたほど番組が上がるの、時間がかかるほど番組が下がるのね。
 だから、プラスを大きくしようと思ったらスピード化するのね。
 マイナスを増やそうと思ったらゆっくりすればいいよ。
 でも、スピード化したほうが輝くのよ、本当にね。家事の仕事でも、お手伝いするのでもそうよね。一時間かかるところを、できるだけ早く仕上げてしまおうと思って、それもお祈りしながら「ありがとうございます」って神さまにすがりながらすると、パッと一時間が十分でできたとしたら、仕事量がそれだけ早くこなせたというだけじゃないね。自分が輝くのよ、神さまが中に入って働いてるから、神さまが輝いて出てきてくれてるね。そしたら、本当の自分が大きく輝いて出てくるね。その自分は感謝が深いね、喜び一杯・幸せ一杯になるのね。だから、すごい変化になるよね。

 先ず、真剣になるほどいいのよね、高い神さまほど真剣なんよね。不可能に挑戦するほうがいいのよね。限界破りに挑戦するほうがいいのよね、そのほうが高い神さまの応援が大きい。
 自分では「これは不可能」と思ってるほうが謙虚になれるよね。謙虚になれるほど神さまが応援につくのよね。だから、いろんな意味で神さまの助けがいっぱいになるのね。一所懸命してたら誰でも応援してくれるよね。人でもそうだし、神さまもそうよね。怠けてたら、誰も助けに来ないね。余裕があったら助けてあげようとは思わないもんね。人でもそうだから、神さまはもう一つ見抜いて助けに来てくれないかもしれないね。
 だから、神さまの助けを受けるために、やっぱり助けてくれるように持っていくのも大事よね。

時間と空間

 それでね、高い番組と低い番組の差って凄いよ。時間と空間の関係で考えるとよくわかるのね。
 時間と空間は相対の両極になるのね。時間と空間を組み合わせて宇宙を生み出すの、世界というのが生まれるね。
 宇宙の「宇」というのが空間よね「宙」が時間という意味ね。世界の「世」が時間で「界」のほうが空間なのね。「宇宙も世界」というのも、「時間と空間の組み合わせ」という意味よね。
 空間がいっぱい広がると、時間が短縮されるの、短くなるね。空間が小さくなると、時間が広がるの、無限に広がるのね。
 高い番組・極楽番組は空間が無限に広がるの、いいことばっかし、無限にいいことばっかしという、空間が無限に広がる世界ね。一目で幸せいっぱいなのね、無限の無限の幸せが一杯!という世界が極楽ね、一瞬にこれを把握する世界ね だから、空間が無限に広がって、時間が無限に小さくなる。
 一番低いところが地獄、穴があったら入りたいという世界よね。小さく小さく空間が狭まっていくのね、いいことが何も無いのね。そういう世界は時間が無限に広がるの。だから、地獄は無限に苦しみが続くの。

 この世でもそうでしょう、楽しいことをしている時は、時間の経つのを忘れるでしょう。嫌な仕事は時間が長いよね、なかなか時間が経ってくれないよね。だから、楽しいことは時間が短縮されていくね、嫌なことは時間が長くなるでしょう。

 龍宮城の浦島太郎の話によく似てるよね。亀を助けるという愛の心を起こしたのね、プラスの心よね。そうすると番組が上がったのね。そして龍宮城へ連れて行ってもらうでしょう。この世よりも番組の高い世界へ連れて行ってもらったのね、波が合って、そういう世界へ連れて行ってもらうのでしょう。
 龍宮城は幸せがいっぱいなのね、いいことがいっぱいだから、空間が大きく広がってる世界ね。だから、時間が短縮されてるのね。そして龍宮城にいる時間がほとんど経ってないと思ってたのね、浦島太郎さんがね。もう、ちょっと一日ぐらいそこに留まったかなという感覚で帰ってくるのね。それで玉手箱を開いたら、もうもの凄い年月が経ってたんでしょう。自分の知ってる人がいないぐらい年月が経ってた。

 「玉手箱」というのは、お祈りよね。合唱、お祈りで手を両方合わせたら玉になるでしょう。これが「玉手」よね。お祈りの状態を「玉手箱」というのね。お祈りしている時は高い番組へ入れるのね。龍宮城へ入ってるのね、玉手箱を開けたらお祈りを忘れた状態かもしれないね。番組が下がるのね。時間と空間の関係はそういう関係よね。

今を生きる生き方

 時間でも「過去・現在・未来」って執われると時間が長くなるでしょう、そうすると空間が狭まるの、いいものが少なくなるでしょう。
 だから、時間を短縮していく見方ってあるでしょう「今を生きる」ってね。今を生きるほど執われがなくなって空間が広がるの、感謝が深くなるね。いいものがいっぱい感じられるようになるね。

 「ありがとうございます」という感謝行は、今を新たに新たに受け直す生き方ね。過去も未来も相手にしない「今を生きる生き方」なのね。時間を今の一点に絞り込むの、絞り込むといっても過去・現在・未来の現在を掴むんじゃなしに、過去・現在・未来、全部を一点に絞り込むの。無限の時間を今の一瞬に絞り込むの、そうすると空間が無限に広がるのよ。
 過去・現在・未来の「現在」という「今」だけをとらえたら、まだ中途半端よ。無限の時間の中の一点を掴んだだけよね、小さくなってしまう、だから空間は広がらないよ。
 でも、過去・現在・未来の無限の時間を一点に絞り込むと、過去・現在・未来も全部同時にとらえるのよ。

 今、一輪の花がここに咲いてるとするでしょう、その花の先祖も子孫も全部同時にとらえるのよ。この一輪の花の先祖が無限にあるのね、子孫も無限にあるのね。その中心に、今一輪の花が咲いてるという。
 だから、過去も未来も全ての時間を今の一瞬にとらえる、そしたら空間が広がるでしょう、大きく広がるよね。そういうとらえ方が、感謝の今を新たに生きる生き方なのね。
 「ありがとうございます」というのは、全ての時間と全ての空間を同時にとらえる生き方ね。宇宙の全部を把握する生き方なのね。だから、小さな部分にとらわれたら感謝じゃなくなるのね、思いのほうね。
 部分を掴んでしまうのは思いのほうね。だから自由がなくなっていくのね。

感謝は大きく心を自由にする

 感謝というのは、全体をとらえるのね。全体をとらえるから自由になるのね。
何かを選ぶというのも「自由に選ぶ」というのは選択肢が多いほどいいでしょう。選択する対象が無限にあったら、その中から一つを選ぶのだったらもの凄く自由よね。でも「一つしかない」というのだったら、それ一つを選んでも駄目でしょう、縛られてるよね、自由が全然ないという感じね。十ぐらいあっても大したことはないよね。十しか選べるものがなかったら、かなり不自由よね。
 だから、選択肢が無限に広がるほうがいいのね。選ぶものを無限に広げたら自由になるね。

 番組でも、無限の無限のチャンネルがあって一つを選ぶんだったら自由になるね。
 感謝の生き方は、この無限の無限のチャンネルをいつも相手にして、そしてその中から自由に一つを選んで楽しむのね。そしたら絶対執われない、縛られない、いつも自由に楽しめるね。

 この世だけを見ててもそうよ、地球ぐらいを眺めたほうがいいかもしれないね。地球全体を眺めて「これが神さまからのプレゼント」と受けたら、かなり執われがなくなるよ。「地球全体を神さまからのプレゼント」というふうに受けてると、小さいことにこだわらなくなる。自分の家や財産やと言わなくなる、ちっぽけなものを相手にしなくなるね。

 だから、感謝というのは大事よね、もの凄く。大きく心を自由にするために必要なことなのね。
 思い通りに生きようと、思いに生きるというのは逆ね。小さく小さく掴んで自分を縛っていくのね。だから、感謝の生き方に切り替えたほうがいいのよね。そのほうが責任のある生き方よね。


  質疑応答    

対立関係にある人と接する時

質問者:
 いい映像を観るとか、いい音楽を聴くとか、自分で選べるものはいいのですが。例えば、仕事ですが、私の仕事は違反の建築物を取り締まる仕事なんですよ。(笑)それを自分が選んだといえばそれまでなんですけれど。それを選んでこの目に見える世界に現われてしまったのも現実にあるので。その時の対応というのでしょうか、その時に「自分を鍛えてもらっているのだ」と感謝はできると思うのです。
 現実には対立関係の仕事なので、感情的な部分やいろんな部分があるのです。その時にどういうふうに現象の処理をしていけばいいのか、皆さんもいろんな場面があると思うのですが。目に見えるものの処理の仕方、そのコツを教えていただければありがたいと思います。

ありがとうございます:  
 皆が批判しなかったらいいのよね。(Q:そうなんです、ええ)楽なんよね。「みんな神さまで、素晴らしい人ばっかし」と言えばいいじゃない。そうすると批判しない人ばっかしになるでしょう。

質問者:
 対応する時に「これで良くなる」とか、「違反がなくなってみんな幸せになる」とか、一瞬一瞬自分の気持ちがマイナスになりそうな時にも「これで良くなる、これで良くなる」ともっていけばいいでしょうかね。

ありがとうございます:
 そしたら、違反建築物には自分が出会わなくなる。他の人は出会うかもしれないけど、自分にはそういうのは一切出会わなくなって、仕事も楽になって、みんなに喜んでもらってって。

質問者:
 皆さん、いろんなことになると思うんですけども。そうなった時には、もう自分の言葉の力で「良くなる、良くなる」というふうに――

ありがとうございます:
 みんなをプラスにみてあげるのがいいね。(Q:対立関係の人もですか)「みんな無限に輝いてる、みんなプラスの人ばっかし」というふうにね。そうすると周りにはそういう人ばっかしが現われてくるようになるよね。

質問者:
 一瞬、そう思えないのですけど、その後に「光一杯だ」とかいろいろ思えばいいのですか。

ありがとうございます:
 そうそう。マイナスを前にした時に、それをプラスにプラスに思い返していけば、自分の中のマイナスが消されてプラスが増えてくるよね。そうすると自然にプラスが増えてくるという姿をとってくるよね。

質問者:
 本当に酷い言葉を投げかけられたりしても「みんな神さま、無限の無限の幸せが一杯!」って思うのですか。それで番組を変えられるのですか。

ありがとうございます: 
 「今、見てる自分の世界は自分の選んだ番組」というふうに本当にわかったら、後は番組を変えるだけだから、プラスにプラスに思い返すのが正しいのね。また、そこまで行かなくても、小さく見るのだったら。マイナスが現われるたびに「大きいマイナスを小さく変えて消してもらってる」という見方とか。
 また「マイナスが自分の徳積みなんだ」というのがいいよね。
 自分が正しい、いいことをしてて褒められたら、それで帳消しね。でも、いいことをしてて悪く言われたほうが・意地悪されたほうが徳が消えないね。だから、徳積みをしてると思えばいい、番組をどんどん上げてもらうと思うと、マイナスがあるほうがいいの。「ああ、またこれで番組が上がる」というぐらいがいいじゃない。プラスにプラスに思い返せたら全部プラスになっていくね。だから、意地悪されるほどいいよ。


下に降りるのは自分の意志

質問者:
 第一部のお話なんですが。段々低いほうから上がっていくほうが、その差が大きくて喜びが感じるということなんですが。自分自身も幸せになりたいと思ってこういうところへ来ているということもあると思います。最初に下に下りるのは、自分の意志で下りてるのですか、神さまの意志で下りるのでしょうか。

ありがとうございます:
 みんな自分の意志よ。神さまは強制力は使わないから、神さまと同じものを一人ずつ与えてもらってるね。

質問者:
 自分はいつも幸せになりたいと思っているのは、今上を目指しているのですけれども。下を目指したときがあるということですか。

ありがとうございます:
 だから、大きい幸せに変えるために下へ目指してるのよ。

質問者:
 幸せになりたいと思ってれば、今、上を目指してるということですか。
 そういう解釈でよろしいのですか。

ありがとうございます:
 そうよね。大きい立場から見たらそうよね。部分だけ小さく見ると、なんか下へ落ちてるように思うのね。大きく眺めるのが大事ね、そしたらよくわかるよね。
 感謝を練習して、大きい立場に立つようになってきたら、全部プラスプラスに見えてくるね。マイナスじゃないのね。

 病気をちょっとしたらね、なんか不幸に思うでしょう。そうじゃないね、健康のありがたさがよくわかるでしょう。一回病気すると「ああ、健康ってありがたい」と思うでしょう。でも、病気にならないときは、健康に気づかないでしょう。健康があっても無いと思ってるのね、心に感じてないから、健康のありがたさをね。でも、病気をすることによって「ああ、健康がこれだけありがたい」と感じるでしょう。それは幸せが大きくなったことでしょう。
 必ず、マイナスを体験することによって感謝が深くなるよ。幸せが大きくなって行く、必ずね。

質問者:
 表面の自分ではなくて、奥底の自分が一度マイナスを体験したがって下りていくのですか。

ありがとうございます:
 そうよ、だから感謝の自分がどんどん輝き出てくるの。だから、表面の小さい形の変化じゃないの、大きい心の変化よね。それが大きい幸せを掴んでいくのね。



本物の幸せ

質問者:
 家庭の中では今幸せだと思っているのですが。そういう小さい幸せに比べてもっと何か、うまく言えませんが、もっと上に幸せってあるのですか。

ありがとうございます:
 あるのね。感謝の心は全体との一体感が深くなるのね。この世だけでも感謝してると、みんなの幸せが自分の幸せになるのよ。一体感が大きく深くなるからね。だから、一人の肉体人間としての小さい幸せだけでは終わらないね。
 「幸せも与えてもらって幸せ」という感覚よりも、逆に「与えて幸せという感覚のほうが本物」なのね。
 「みんなを幸せにできて私は幸せ」という。
 「みんなから幸せを与えてもらって幸せ」というのは小さいのね。その幸せも大きく変化するね、次から次へとね。
 この世だけでもそうだから、あの世はいっぱいあるわね。あの世の全ての幸せも自分のものになるほうがいいでしょう。それも人の幸せだけじゃなしに、動物や植物の幸せも全部自分の幸せにできたほうがね。
 だから「ありがとうございます」で、全体との一体感を深くするというのが一番いいのよね。「ありがとうございます」にはそういう意味もあるのね。唱えているうちに一体感が大きく深くなってくるね。



「ありがとうございます」と「ありがとう」

質問者:
 「ありがとうございます」という言葉なんですけど。
 「ありがとう」というだけでは意味が全然違うと受け取っていいんですか。
 「ございます」というのがないと真の意味の「ありがとうございます」ということにはならないと思ったんです。もっと意味があるのですか。

ありがとうございます:
 はい、ちょっと小さくて軽いのよね。
 最初は「ありがとう」って練習してもいいですよね。そのうちに、自然に「ありがとうございます」になってくると思うんですけどね。

質問者:
 私は和歌山から来たのですけど。和歌山では「ありがとうございます」というのを「おおきに」と言います。「おおきに」だけではあっさりしてて、それに「よう」をつけて「おおきによう」って。そうするとなんか重みがあって相手にグンとくる。
 言葉は違いますけども、和歌山の場合は「よう」の中に入ってるなと。そういうふうに思ったんですけど。
 ここは「ございます」ということのほうがもっと大事かなという感じがしました。
 何もなくて幸せな人生よりも、何かをして、真の幸せとはこういうものだというのを感じて生きられるというのか、本当の意味で「ありがとうございます」かなと、今日来て感じたんですけども。

ありがとうございます:
 そうですね、





思いと欲は同じ

質問者:
 思いと欲、ああなりたいというのは――

ありがとうございます:
 同じ。思いイコール、いろんな願いでもあるし欲でもあるのね。感謝と正反対ね。
 感謝は、欲も願いも無いのね。感謝は、神さまから与えてもらったものをそのまま感じるだけだから、全てが既にあるというふうに感じるのね。
 思いのほうは全体がとらえられない、部分的なものを掴んでしまうから足りないのね。不足しているから、あれも欲しい、これも欲しいという願いや欲が出てくるね。思いと欲は同じなの。



小さい目標は思いの方の心

質問者:
 では、目標はどうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 同じね。でも、感謝のほうは目標が既にあるのよね。思いのほうは目標が無いから、目標を立てようとするのね。目標を立てようとするのと、目標を見るのと違うのね。
 「無いから立てよう」とするでしょう、「有るから受けよう」とするのと違うよね。だから、「目標を定める」というのは、神さまが本当の目標よね。それを「既に有る」と受けるのが感謝ね。
 この世の人の目標は、神さままで行かないし、つまらん目標・目的を立てるでしょう。だから、無いから立ててるだけね。神さまを本当の目標に定めてそれを受けたら、全部の目標が中に入ってるから「何も要らない」という感覚よね。だから、小さい目標は思いのほうの心ね。

 ありがとうございます。