0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.


 AR134「心はエンドレステ−プ」2003.6.28



――人は心というエンドレステープに言葉を記録し、運命として表現しているのです。

 他のマイナスを責め裁いたら、自分の運命を更に悪くすることになるのです。何故ならば他のマイナスの姿は、自分の過去・過去世のマイナスが再現されていて、そのマイナスの上塗りになるからです。人は自分の使う言葉によって、自分の運命・自分の世界を表現しているのです。過去にマイナスの言葉を使って来た為に、自分の運命・世界にマイナスの姿が現れているのです。人は心というエンドレステープに、言葉を記録して、それを運命として表現し続けているのです。心にマイナスの言葉が残っている限りは、必ずマイナスの姿が繰り返し再現されて来るのです。自分の運命・世界から、マイナスの姿を除去する為には、プラスの言葉を駆使し続けて、心にプラスの言葉だけを記録しなければならないのです。
 
 自分の心というエンドレステープに、どのような言葉が記録・蓄積されているかによって、自分の運命・自分の世界が定まるのです。人は自分の使う言葉によって、神さまの放送番組に波長を合わせて、自分の運命・世界として現実化するのです。神さまの放送番組には、マイナスの極からプラスの極に至る、無限の無限の段階の番組が用意されているのです。人は自分の味わいたい番組を、言葉によって選ぶのです。マイナスの極の言葉を使えば、地獄番組を見ることができるのです。プラスの極の言葉を使えば、極楽番組を見ることができるのです。一瞬一瞬選び続けるのは大変なので、心というエンドレステープに予約しているのです。予約した通りに、必ず放送番組は映って来るのです。もし予約を変更したいのであれば、言葉の置き換えをしなければならないのです。
 
 自分自身が、『選ぶ自由と権利』を握っているのです。マイナスの放送番組を体験し、味わいたいのであれば、マイナスの言葉を心にインプットすればよいのです。マイナスの放送番組に飽きて、嫌になったのであれば、プラスの言葉だけを前向きに・積極的に駆使すれば、プラスの放送番組に置き換わって来るのです。言葉さえ換えれば、予約変更は簡単なのです。言葉による予約変更をしない限りは、放送番組はそのまま続くのです。泣いてもわめいても、泣く番組・わめく番組になるだけです。運命の原理は簡単なのです。
 本当に極楽番組を味わい続けたいのであれば、感謝の真祈りをするのが一番なのです。
『ありがとうございます。ありがとうございます‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥』
『宇宙絶対統一神・天照大御神 今ここに在します』
『無限億万分の一秒の一瞬一瞬新たなる、全徳の無限の無限の輝きが一杯!
 全徳の無限の無限の輝きが一杯!‥‥‥‥‥‥‥』
『みんな天照大御神 新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!
 新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!‥‥‥‥‥』

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

ありがとうございます:
 ありがとうございます。
 皆さんがね、こうしてこういうところへ集まってこられるというのは何故かご存知ですか。
 騙されて来られたんじゃないですか。 
 この地というのはものすごい不思議なところなんですよね。神さまの大きい計画の元に用意されていた土地柄なんですね。これから世界平和のために、本当の完全平和の地球に仕上げるために、本物を世界に発信する場所として用意されてるのね。
 
 「本物」というのは神さまなんですけどね、神さまが直々に降り立って世界に光を放射して、世界を完全平和の地球に変えて行く。そういう神さまの計画があって、用意された場所ですね。そういう場所へ皆さんが知らず知らずか、自分から願ってかどうかしりませんけどね、引き寄せられてるんですね。
 それも、新しい世紀になってから神さまの動きが具体化しだしたんです。それまでは神さまはずーっと奥に隠れたままですよね、まだ本当の意味の働きを具体的にはされたないんですね。
 これは神さまにも自由意志があるんですけど、人一人一人にも完全な自由意志があるんですね。だから、神さまは自分の自由意志で人間の自由意志を束縛してまで、強制力を使ってまでこの地球を完成させたり、いいように変えようとは思っていらっしゃらないね。あくまでも、人の一人一人の自由意志を完全に保障しながら、地球を素晴らしい状態に持っていきたいんです。

 今までは、無限億万年かもしれないですよ、一人一人の成長を待ち続けてくださったのね。そしてやっとそういう時期がきたんですね。人の自由意志で神さまの大きい助けを受け入れるという、そういう時期になってきたんですね。
 そこへ行くまでには、やっぱり一人一人のいろんな体験が必要だったんですね。神さまは元々無限の無限の輝きが一杯!というこの宇宙を、一瞬一瞬新たに創造し続けてるんですね。その無限の無限の輝きが一杯!という姿の中に無限の無限の段階の世界が番組として創り上げられてるんですね。


 無限の無限のチャンネル


 「番組」というと、丁度テレビ番組と同じですよね。放送局にいろんなテレビ番組の元になるものがあって、それを電波として放射してますよね。神さまの放送番組もよく似たものですね。波動として放射されてるね、だからぶつかり合わないんですね、波動が違ったらね。だから、同時にここに無限の無限のチャンネルの番組の波動があるんですね。
 
 だから、最初神さまが、その無限の無限のチャンネルの番組を用意されて、それをみんなに平等に、どの番組を選んで見てもいいよ、というふうに与えてくださってるね。
 最初は神さまと一体の自分が、その無限の無限のチャンネルの番組を与えられて、「ああ、幸せだなあ」という感じで、先ずどれを選ぶと思われます? たくさんあるんですよ、無限の無限のチャンネルですからね。

 皆さん、どれを先ず選ばれます? 先ず第一番目にね。一番下ですか? 一番上ですか? 中間ですか?
 みんな選ぶのは違うんですね。同じだったらね、人はこんなに大勢要らないんです。みんな選び方が違うんですね。だから、大勢の人がいててもいいんですね。無限の人がいてても全部選び方が違うんですね。
そして神さまが全体を大きく束ねて、その全ての幸せ、味わい方を全部神さまが自分のものとして味わうようになってるんですね。

 だから、みんな最初の出発点が同じでも、後の歩みは全部違うんです。上から選ぶ人もあるし、下から選ぶ人もあるしね、中間から選ぶ人もあるし、いろいろな選び方をしてきてますね。
 ただ、無限のチャンネルでも大変ですよ、選ぶのはね。一つを選んでも一瞬で卒業ということはないですね。一つの番組を選んだだけでも何億年以上体験するんだと思いますね。

 例えば、「この世の番組」と、一つ選ぶとするでしょう。この世で何万年って住んだら早いですよね。同じ番組を何億年かけて見ないと味わい尽くせないでしょう。この宇宙全体を知り尽くすというのは難しいですね。そのぐらい一つの番組でもそこに無限に価値あるものを見出せるんですね、幸せいっぱいを発見できるんですね。だから、神さまって気の遠くなるぐらいの幸せの材料をいっぱい与え続けてくださってるのね。


 今、やっと人間


 でも、その一つの番組を先ず選んで、その番組の全体像はまだとらえられないの、大きすぎてね。その全体の中の小さい部分をまた選ぶんですね。この世で生きているような感じですね、自分の周りだけを見ながら、体験しながら小さい体験ですよ、それはね。それを順番に何回も何回も繰り返して体験し続けて、それで、ちょっとはこの世の番組が味わえたかなあという。皆さんはどのぐらい味わいました?
 それも、この一生で味わえるものってごく僅かなんですね。
 だから、今、人として生まれてきて、人としての立場からいろんなものを味わってるんですよね。でも、一番奥の本体の自分は、人として生まれてきて味わうだけじゃなかったんですね。

 ある時は石ころとして生まれて、石ころとして何億年じっとしてて世界を見てる場合もあるんですね。
 ある時はアミーバーのような生物になって周りを見ているときもあるね。
 また、花になって世界を見てたり、動物になって見てたり、また水や風のような姿になって世界を眺めるというときもあるんですね。だから、自由自在にいろんな立場に立ってこの世界を眺めて、この一つの番組を味わって体験してきたんですね。記憶はあります?

 人間としての体験だけでもね、遠い昔のことは全部忘れてますけどね。
 でもね、人間として生れる前にそれだけ大きい体験をいっぱいしてきてるんです。それでなかったらね、人間以外のことは何もわからないんですよ。
 今、やっと人間として、また人間の立場という立場で、いろんな体験をさせていただいてるね。
 でも、これからまだどれだけ続くんでしょうね。何億年、無限億万年。


 修行


 でも、今までにいろんな番組を、まあチョッチョッと摘むぐらいですけどね、眺めてきて、それでやっと神さまの無限の無限のチャンネルの中の最高番組へ心を向けようかなあという段階なんですね。
 神さまは元々最高番組だけを味わって欲しいんです、一番上の番組ね、最高の極楽世界の番組を味わって欲しいんですね。ただ、最高の番組を最初に選んだ人は、やっぱり浅いとらえ方をするのね。どうしても浅くなるんですよね、いいのはいいんですけどね、やっぱり‘浅いとらえ方’なんですね。だから、一旦一番下に降りるほうがいいんですね。地獄番組をちょっと味わって、それで極楽番組へ戻ると、その差が大きいほど価値が増してくるんですね。だから、いろんな番組をちょっとは体験しておかないと、極楽苦番組に戻っても駄目なんです。幸せが浅くなる。
 
 それで皆さんはいろいろ番組を選んでは、いろんな苦労もしてきてるはずなんですけど。苦労をたくさんしてきた人ほどいいんです。これから極楽番組に戻った時に幸せが大きくなる。幸せの浅い人はもう一回地獄へ戻らなんならんの。本当にそうなんですよね。
 高い世界に居てて、そこで「悟った」と自慢しても自慢にならんのですよね。一回迷ってから悟らないと値打ちがないんですよ。だから、この世に生まれてきて悟りを開いた人は偉いんですよね。それだけ悟りの価値が大きくなってるのね。最初から悟ってたらあまり価値がないですよ。

 だから、これからは極楽番組に戻るんですけどね、その戻り方が、まあいろいろあるんですね。皆さんはいろんな修行をされてきているはずなんですけど。修行をしてる間は駄目なんですよ。
 
 修行にはもう無限の種類があるんですね、無限の段階があるんですね。
 「修行」というと下からのぼるんですね、階段を一歩一歩のぼるような感じでのぼるんですけど、無限の階段をどうしてのぼるんですかね、のぼれないですよね。のぼったと思ってもまだ上があるんですね。
だから、もう修行を止めないと駄目ですね。ここがポイントになるんですね。

 今まで、いろんな信仰をされている方があると思うんですけど、「悟ろう」と思っていろいろ信仰されたり修行されてるかもしれないですね。そういう人で悟った人はいらっしゃいます? 多分ね、悟れないんです。自力の修行も、他力の修行も途中で止まってしまうんですね。そうしたらどうしたらいいか、もう修行しなくなったらいいんですよ。極端ですけどね「阿保」になることなんです。
 自力の努力や計らいを無くしてしまった時に、他からのいろんな干渉を無くしてしまった時に、奥から自然に出てくるものがあるんですね。これが本当の神さまの働きね。
 この本当の神さまの計らいに任せた時に悟った自分がスッと湧き上がるように出てくる。だから、今まで修行した人は邪魔をしたんですね。悟った自分の出てくるのを押さえ込んで邪魔をし続けてきたんです。
 
 だから、悟りたいけども悟れなかった。邪魔ばっかりしてきたのね、みんなね、努力をしてるんですけどね、無駄な努力ですよね。邪魔する努力というのをね。


 悟った自分


 だから、最初から悟った自分をスッと受けるだけでよかったんですけどね。
 神さまが人を迷わせてどうこうしようというようなね、そういう考えは元々なかったですよね。悟った人間だけを創りあげて、そしていろんな番組を自由に味わって欲しいと言われただけなんでね。誰も「迷ってる」なんておっしゃってないね。みんな神さまと一体で、神さまの全てを受け直して、それで一瞬一瞬輝き続けて悟った自分なんです、みんなね。
 「その悟った自分が何故迷ったのか」って、不思議ですけどね。悟った自分は迷ってないですよね、迷いようがないんですよ。ただ、迷った自分がどっかに出てきてますよね。それはね、「古い自分」なんです。
 
 神さまが一人一人に悟った自分として与えている新しい自分ですよね。神さまは一瞬一瞬新しい姿の自分を与え続けてくださってるね、それが悟った自分なのね。
 ところが古い自分はどんどんプラスが消えて行くんですね。光だったら光が消えて行くんですね。光のない自分、プラスのない自分に変化するんですね。だから迷った姿をとってしまうんですね。
 古い自分をしっかり掴んで、その古い自分を悟った状態に変えようとしてたのね。そんなんは不可能ですよ。

 例えば、呼吸がありますよね。今、スッと吸い込んだ空気は新鮮な空気ですよね、酸素がいっぱいで「ああ、気持ちがいい」って吸えますでしょう。この酸素の多い空気だったら、これは同じなんです、悟った自分と同じなんですね。これを一旦溜め込んでしまうでしょう、吐かずに溜めるんですね。そうすると段々と酸素がなくなりますね。時間の経過と共に酸素が完全になくなりますね。そうしたら酸欠状態で苦しむんですね。
 これは古いからなんですね。古くなった空気は酸素がなくなるでしょう。だから、古いのを握ると苦しくなる。もう一回吸えばいいんですけどね、吸うためには吐かないといけないですね、吐き出すというね。
 
 吐き出すということは、過去を放すことなんですね。今 神さまから受けたものを直ぐ心から放してしまうんですね。そしてまた新たに神さまから受け直す。この心というのは「感謝の心」なんですね。
 「ありがとうございます」って受けて、また「ありがとうございます」って受けてってね。
新しいものを受けたら直ぐに放して、心を神さまのほうに向け直せばいいですね。だから、新たに新たに受け直し続けたら、いつも新しい自分なんですね。この自分はいつも悟ってる自分ね、絶対に迷うことのない自分なんですね。
 だから、修行をするのは駄目なんですよ、過去の自分を掴んで修行しようとしてるのね。
 
 マイナスの多い自分を掴んでプラスの変えようなんて不可能なんですね。そういう無駄な努力はもう要らないですね。後、もっと楽な生き方を選べばいいですね、楽な生き方をね。

 人ってね、「神さまより偉くなりたい」というところがあるんですかね。難しいことをいっぱいして修行して悟って神さまより偉くなりたいって、そんなんできないですね。
 だから、神さまは最初から幸せになるための方法というのは、一番簡単でやさしい、そういうものを用意してくださってるのね。
 呼吸と同じように、自然に呼吸をさせていただくだけで幸せは永遠に続くんですね。
 だから、最後に戻るところが「ありがとうございます」という、この神さまの中へ戻る生き方なんですね。


 大和言葉


 でも、この「ありがとうございます」という言葉はどっから出てきたと思います? どこの言葉です?
 これは、この言葉の根源が宇宙の大神様なんですよね。宇宙の大神様の働きの全体を指し示す言霊からくるんです。そこから、この「ありがとうございます」という言葉が生まれてきてるんですね。元々「宇宙語」なんです、世界共通語「大和言葉」なんです。
 「大和・やまと」というのは、一大調和と、大調和の大和(だいわ)の大和(やまと)なんですね。
 神さまの御心の中に、一大調和の姿があるんですね。それを現わすための言霊が「大和言葉」ね。
 日本の、島国日本の言葉じゃないんですよ。神さまの世界の言葉なんですね「大和言葉」というのはね、そこから現われてるんですね。
 だから、いろんないい言葉は全部そうなんです。神さまの中から生まれてきてる一大調和を現わす言葉なんです「大和言葉」というね。

 この「ありがとうございます」が、そういう大和言葉の一種ですね、一つなのね。
 また、いろんな言葉がいっぱいあるでしょう、世界にはね。全部、この根本はこの大和言葉から発生してるんですよね。そこから枝分かれして、最初は言霊に則した言葉が生れたんですけど、段々とその言葉が変化していくんですね、人が使っているうちに。だから、言霊から外れた言葉も出てくるんですよね。
 だから、プラスの言葉が段々とマイナスの言葉に変化するのね、そして言葉が乱れてくるというところがあるんですよね。

 一本の木の枝があって葉っぱがいっぱい付いてますよね。根本の根・幹につながって、枝があって、葉っぱが全体とつながってるときは生きてますよね、活き活きと生きてるんですよね。これは生きた言葉ね、プラスの言葉ですよ。
 でも、全体と切り離した途端に枯れるんですね、枯葉になるんです、死んだ言葉、マイナスの言葉に変化するんですね。
 だから、言葉というのは、言霊と一致する言葉、言霊から現われた言葉というのがいいんですね。そういう言葉を使うことによって枝葉がね、葉っぱが活き活きと輝くんですね。そうすると「幸せ」というのが崩れないね。常に、無限の無限の幸せが一杯!という姿をとり続けるのね。


 プラスの言葉とマイナスの言葉


 ただ、神様の創られた無限の無限のチャンネルの番組というのはプラスだけじゃないですね。マイナスとプラスと両方、一元につらねた番組なんですね。だから、マイナス無限大からプラスの無限大までの全部を取り揃えた番組ですね。神さまはプラスの言葉だけを使うようには自由を束縛してないんですよね。マイナスの言葉も使えるようにしてくださってるね。
 
 最初からプラスだけを使うようにしてくれたらよさそうに、と思うでしょう。甘いんですよ、これは。
 「これでは幸せが浅くなる」って神さまは見ておられるんですね。
 だから、マイナスの言葉を使うのを神さまは待ってるの、ちょっとはマイナスの言葉を使ってね、やっぱりマイナスの番組を先に見てこないといけないんですね。それで、皆さんマイナスの言葉を上手に使えるようになりました?もう。ちょっとは使ってこないとプラスに戻れないですからね。
 
 中には、もの凄く今修行している人がいてますよね、マイナスの言葉を使う修行。最後の仕上げかもしれないですけどね。
 
 でも、やっぱりマイナスの言葉の使い方というのは大事ですよね。
 これもねえ、本当はプラスの言葉と同じくらい価値があるんですよ、使い方によってね。だから、マイナスの言葉も本当に自由自在に使えるようになって、次にプラスの言葉を自由自在に使えるようになって、そして最高番組を、本当に無限の無限の輝きのあるものとして味わえるようになっていくんですね。
 
 そのための祈り言葉として「ありがとうございます」という言葉が神さまの方から与えられてるのね。与えられてるというより、最初から用意されてたんですけどね。気づき始めた人が増えだしたという。最初からあったんですけどね。その本当の「ありがとうございます」という言葉の意味を理解して、そして自分の中から気づくものが出てきてるんですね。気づく自分が出てこなかったら、チンプンカンプンなんです。全然唱えないし、唱えても何もわからないしね。何か物をもらって「おおきに」という感覚ぐらいで終ってしまうのね。
 でもね、気づきの出てきた人は「神さまそのもの」としてとらえるんです。段々と気づくんですね「あっ、この言葉は神さまの働きの全てを現わす言葉なんだ」ってね。そして「神さまとの出会いの言葉なんだ」ということに気づいてくるんですね。


 神様との出会い


 「神さまとの出会い」ってどういうことでしょうね。皆さん、出会われました? 神さまに。
 神さまってどういうふうに出てくるんでしょうね。
 神さまは、無限の無限のチャンネルの全体として出てきてるんですよ、一瞬一瞬新たにね。宇宙全体ですよ。この世も神さまの現われなんですよ。この世を見てるということは、神さまを見てるのと同じなんですけどね、ただ、神さまの全体は見てないですね。神さまの一部を眺めてるんですね。
 
 神さまは一つの形はとれないですよね、人間のような姿で、女神様のような姿で神々しく出てきても、神さまとはいえないんです。小さすぎるんですね。
 宇宙の大神様、本当の神さまはそういうものじゃないんですね。いろんな姿で出てきては気づかせようとしているんですけどね。その気づき方、感じ方が全部違うんですね。
 
 宇宙創造の働きの姿で出てきたときは、どんなんと思います? 凄いですよ。無限の中心があって、そこから螺旋状の光が無限に放射されて、その全体が海鳴りのような感じで‘ゴーッ’と押し寄せてきますよね。
 無限億万分の一秒でパッと置き換わっていくでしょう、圧倒されますよね。もう自分なんて吹っ飛んでしまうでしょう。凄い現われ方ですよね、神さまの宇宙創造の現われ方ってね。とてもとても耐え切れないですね。
 
 太陽の姿ひとつとってもそうでしょう。神さまが太陽の姿をとって自分の目の前に出てくるだけで卒倒しますよね。「ああ、焼け死ぬ」とかいうて。その太陽のようなものを無限に集めて、更にそれを無限にして、それを更に無限倍にしてというような感じでしょう。そうしたら「神さま」ってどういうふうにとらえたらいいんでしょうね。難しいですね。
 だから、地球上でいろんな宗教が生まれてね、神さまについていろいろ人が言葉に変えて教えようとしてきたんですけど。今までの宗教の教えって大したことはないです、そうしたらね。これは神さまの言葉じゃないんですよ、人の言葉ですよ、みんなね。「人が神さまについてどう表現したか」なんですね。

 だから、宗教の教えは全部違うでしょう。説明した人の表現の仕方なんですね。神さまは最初から自分を表現しないですよね、言葉としてはね、「できない」という、「難しい」って。人は「しよう」とするんですね、できないことを人は言葉で表現しようとするんですけど。だから、やっぱり片手落ちですよね、正確じゃないんですね。


 言葉の縛り


 ところがね、神さまについて教えをたれる人が、さも「これが正しい」と言うんでしょう「絶対に正しい」ってね「これが最高」なんて言うとね、皆さんは信じ込み易いですよね。そしてその言葉の縛りにはまってしまうんですね。言葉の縛りにはまるというのが、やっぱり一番恐いところですね。自分の自由を縛られてしまうんですね。
 でも、これは誰が縛ったか、自分が縛ったんですよ。人の言葉を自分が鵜呑みにして、その言葉で自分が縛ったんですね。そうするとその縛りがずーっと続くんですね、大変だったと思いますよ、皆さんも。
 
 その言葉の縛りを解くのも、これもまた自分なんですね、自分が解かないと解けないんです。
 
 その解く方法ですよね。一番いいのが「ありがとうございます」を心に唱えることなんですね。この言葉を唱えると神さまがスッと呼ばれて入ってきて、その過去の縛りを全部スッと消すんですね。そしたら自由になるでしょう、そうすると縛られてない自分がスッと出てくるんです。神さまと一体の新しい自分がスッと現われるんですね。そうすると、「あっ、こういう言葉の縛りにあってて馬鹿だったな」というのに気づくんですね。

 この「ありがとうございます」という言葉は不思議なんですね。この宇宙の大神様がスッと自分の中に入ってくるんですね。そうすると新しい自分になるんです、直ぐにね。古い自分は残ってるんですけどね、新しい自分がスッと出てくるんですね。新しい自分が古い自分を眺めて、「ああ、こういうのは必要ない」と判るんですね。

 心の中を眺めても、「感謝の心」と「思いの心」が大きく分けると二つあるんですね。
 「思いの心」は、過去の古いものなんですね、みんな過去の記憶なんですよ。古い自分は神さまのことは何もわからない、正しい感じ方はできないんですね。迷うばっかしなんですね、いろんな言葉の縛りに合うだけでね。でも「ありがとうございます」を唱えることによって、神さまがスッと入ってきた時に、新しい自分がスッと出てくるんです、新しい自分に戻れるんですね。その時にいろんな理解が、気づきが増えるんですね「ああ、そうだった」というのに気づくんですね。


 過去を手放す


 この「ありがとうございます」という言葉がないと大変なんですね。気づきが遅いの、理解が浅くなってしまう。他のいい言葉もたくさんあるんですけどね、それぞれの段階の役割としての働きはあるんですけど、どうしても力が弱いんです。
 でも「ありがとうございます」を唱えられた人は、自分で体験されると思うんですけどね。心が自由になってるはずなんですね、そして気づきがどんどん増えてるはずですね。幸せな感じが中から湧いてくるんですね。
 これは、神さまから新たに受けた自分は元々幸せだし、自由だし、安らいでるんですね、問題は何もないんです。でも、ちょっとはまた過去に戻るんですよね。古いものを掴む癖がある。

 現実に生きているというのは、結局過去を掴んでる生き方ですよね。特に社会生活をしてると、過去を忘れてしまうと「あの人は阿保か馬鹿か、キチガイか」って。記憶を全部無くしたら、これが一番最高の生き方になるんですけどね、なかなかねえ、過去の全てを捨てきって、記憶も無くしてというのはちょっと難しいでしょう。
 
 だから「過去を掴む」ということが、ちょっと縛りの世界に入ってるんですね。それを徐々に無くしていって本当の自由な自分に戻らないといけないですけどね。
 一足飛びにパッとしたら良さそうですけどね、恐いでしょう。大抵できないですね。疑うんです、ちょっとね。ちょっと先が心配というところがあるのね。

 例えば、UFOが飛んできて「素晴らしい星の世界へ連れて行ってあげますよ」と言って扉をサッと開かれた時に、皆さんは乗ります? はははは、「まだちょっと待ってください」と言うんじゃないでしょうかね。片足だけ乗せてくださいと言ってもあかんのよ、扉が閉まらないですから。もう大抵そうですよね。
 
 現実はなかなか全部放しきれないですね、徐々に放す練習をするといいんですよね。
 それで「ありがとうございます」で新たに受けては、それで過去をちょっと放すんですね。段々と新たに受け直すと「いいものがいっぱい」というのに気づいていくんですね。感謝をするほどプラスが増えてくるんですよね。そして信じられる心に変わるんです、先ずね。「もう、全部放しても大丈夫」という気持ちになるのね。神さまの愛を本当に信じきれたときから、もう過去を全部放せるのね、新しいほどいいんですね、だからね。
 
 無限の無限の幸せが一杯!というのは一番新しい姿なんですね。そこには、幸せしかないという、そういう番組があるんですね。そういう番組選びというのが、この言葉でするんですね。


 番組予約取り消し方法


 普通、皆さんの心の中には、過去のマイナスの言葉もプラスの言葉も、ゴッチャにいっぱい入ってるんです、心にね。頭のいい人ほど記憶力がいいでしょう、たくさん溜め込んでるはずですよね。それが番組選びの言葉として予約されてるんですね。
 本当に自分の見たい番組を今選んでそれを見れるという人は、心に言葉の予約の無い人なの。でも、ちょっと残ってますもんね、予約したのが先なんでしょう。
 
 今、いい言葉を使っても、なかなか現実化しないのは、予約の言葉が先に出てくるんですね。この予約の言葉を打ち消さないと、取り消さないと駄目なんですけどね。

 その取り消す方法も「ありがとうございます」を唱えているうちに、知らず知らずのうちに消されていくんです。「最高番組に波長を合わせます」という意思表示なんですね「ありがとうございます」がね。
 だから、神さまもその人の自由意志を尊重して、心に溜めたマイナスの言葉とか、つまらんプラスの言葉の予約はもう要らないだろうって、神さまは勝手に消せるんですね。
 
 そして「ありがとうございます」を唱えているうちに、どんどん予約を消して、そして今の「ありがとうございます」という言葉に合うようなプラスの番組へどんどん変えてくるのね。番組選びを上手にできるように護ってくださるのね。
 それで、日常生活の中にも小さい奇跡なんですけどね、ちょっとした奇跡がポッポッポッと起こるでしょう。病気の人がパッと治ったり、欲しいものが手にパッと入ってきたり。いろんな人間関係でもサッと良くなったりしてね、神さまから見ると本当に手品みたいなものですけどね、ちょっと不思議なことを見せて、効果があるというのを気づかせるんです。


 神様の邪魔をしない生き方


 本当はね、最高番組を選ぶための勉強のために「ありがとうございます」を唱えさせてくださるんですけどね。まだそこまで大きい願いにはならないでしょう。そして、その最高番組を超えて、もう一つ神さまと出会いたいという人が出てこないといけないんですけど。本当に神さまを直接に感じ取るというところまでいかないと、神さまの本当の幸せを自分のものにできないんですね。
 
 それまでは小さい自分の幸せですよね、いろんな番組に波長を合わせて、それを選んで味わってもまだ小さいですよね。でも神さまの中へ飛び込んでしまえば、神さまと出会ってその中へ融けきって飛び込んでしまったら、神さまの幸せが自分の幸せになるね。
 その時はね、みんなの幸せも自分の幸せなんです。そこまで行かないと損するんですよ。
 でもこの肉体の自分を生きてるときは、それはできないですよね。これが自分の幸せ、人の幸せがいっぱいあって、全部自分の幸せと思い込もうと思っても無理でしょう。思い込もうとしてるだけね、実感がないのね。でも「ありがとうございます」を唱え続けて、神さまの中へ自分を投げ入れて行くにつれて、実感のある幸せな本当の感じ方ができるようになる。本当の愛の一体感という、一体感が湧いてくるんですね、本当にわかるようになるんです。自分以外の人のことが全部わかるんです。さも自分が体験するように感じるんですね。同時に。凄い能力ですね、神さまの能力ってね。

 だから、普通、「これが自分」と掴んだときは、やっぱり自己限定なんですね。「これしか自分でない」という縛りなんですね。それは、まだ思いのほうがちょっと勝ってるんですね。
 だから、思いが完全に消えたときから、感謝の心になったときから、直感でスッと感じるんですね。だから、感じる感じ方が一番いいんですね。その時は理屈抜きで、自分の幸せも人の幸せも自分のものなんです。
 それも新しい幸せがどんどん押し出されてきますからね「新しい幸せ、新しい幸せ」と受け直したらいいだけなんですね。だからもう古いのは要らないですね。古いオモチャにいいものがあっても要らないですよ、もうね。新しいいいオモチャが無限に出てくるんですね。古いのを残したらいっぱい溜まってしまいますもんね。自分の部屋がオモチャでいっぱいになったらどうします、窮屈で何もできないですね。
 
 過去をちょっとでも掴んだら自由が奪われていくんですね。自由がないというのが一番損しますよね。
 もう「これしかない」と目の前が狭くなるでしょう。無限のものがあっても選べないですね、目の前のちょっとしたものしか見えないんです。
 だから、無限のものがいつもあって、それをいつも自由自在に選べて、楽しめた方が幸せが大きいですけどね。一瞬一瞬、本当に自由な心にならないとね。
 
 皆さんはもう気づかれてるでしょう、ここへ来た人は気づかない人は来れないんです。今まで損しましたね。これからは一所懸命「ありがとうございます」を唱えるはずなんですね。「ありがとうございます」さえ唱えたら自由自在になっていくんですね。

 この「ありがとうございます」は一つの言葉なんですけど、本当の神さまに波長を合わす「ありがとうございます」はもっと幅広いんですよ、本当はね。また後の部でお話しますけど、もうありとあらゆるものを全部この「ありがとうございます」の祈り言葉の部分なんですね。
 元々は番組合わせの練習のためにいろんなことをさせていただいてるのね。もう全てがそのために用意されてるんですよね。
 だから、科学も宗教も芸術も、全ての分野の全てね、これは番組合わせの勉強なんです。順番にいろんな段階の番組に波長合わせをしては、それを体験してまた上へあがっていくという、この繰り返しをしてるんですよね。ある時は科学に没頭する、ある時は宗教にのめり込むってね、ある時は芸術を楽しむとかね。もう全て「神さま探し」という感じですね。本当の神さまと出会うためのいろんな勉強なんですね。順番に番組合わせの勉強をして、自分の心を高め上げて行ってるんですね。

 皆さん、いろんなことをされてますよね。今は一つかもしれないですけどね、過去には嫌というほどいろんなことをしてきてるんですね。
 でも、これからは一つに絞った方がいいですよ。できるだけ単純なものに一つに絞る込むほうがいいですね。どういう立場に自分があっても、できるだけ絞る込むんですね、一つに絞り込む方がいいですね。楽な方に絞り込むんですね。もう修行をやめて、努力をやめてね、神さまの邪魔をしないという生き方に。


 無限の悟り


参加者:
 悟りの瞬間ってあると思いますが。‘いっちゃう’という瞬間があるんですけど。それを突破した時に悟りのピカピカというものは何かあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 無限のチャンネルだけでも一つの世界をスッと抜けるでしょう、上の方はちょっと輝くんですね。そしてもう一つ抜けたらもっと輝くんですよ。抜けたら抜けただけ輝いていくんです、だから無限の段階を輝き続けるんですけど。それもね、小さく何か光を感じたって、まだ抜けた世界の一部を見てるだけなんです。気が遠くなるのと違います?それで。でも、この世を見てるだけでもいいんですよ。この世を見るのも「神さまの現われ」というふうに輝いて見えたら、これも一つの悟りなんです。

 無限のプラスの価値あるものとして見たときは悟りなんですよ。これをマイナスのつまらんものに見たときは悟ってないんですね、神さまから離れてますよね。だから、これを価値あるものとして見たときは、この世の悟りなんですね。そして奥にもいっぱい神さまの姿があるんですよね。でも、今はこの世もプラスに見ないといけないですね。プラスに見る勉強の場としてあるんですね。
 
だから、今時分の波長を合わせて見てる番組を、無限の価値ある番組としてしっかりと認めた時が、この世の番組から卒業ですよね。この世を悟りきったというのね。そして次に移る――

参加者:
 その時点で悟ってるんですね。(ありがとうございます:そうです‘悟’でしょう)そこから無限にずっと行くだけですか。

ありがとうございます:
 そうです。次から次へと悟る状態が続いて行くんです。名前を変えたらどうです?「無限の悟」(笑い)

参加者:
 ありがとうございますが二十歳の時に太陽を見て、神様が入ってきたとか――

ありがとうございます:
 そんなん、ちっぽけな悟りですよね。

参加者:
 それは? (うん)そっからのスタートですか。

ありがとうございます:
 いや、もっと前から悟ってます、あっはははは(笑い)
順番がみんないろいろになるんでしょう。一番大きい悟りを開いた人は迷うんですよ。

参加者:
 もう、普通に戻ってしまうんですね。

ありがとうございます:
 自由自在に戻ったらいいんですね。

参加者:
 まだ僕は普通なんです。

ありがとうございます:
 はははは、自由自在でしょう。


 祈る努力


参加者:
 「ありがとうございます」をを唱えていると逆にしんどくなってしまうことがよくあるんです。これは、どんどんどんどん自分の中で迷いや、縛られているような気がします。

ありがとうございます:
 努力してますよね。努力はしない方がいいんですよ。

参加者:
 止めてもいいんですか。

ありがとうございます:
 止まらないんです。呼吸と同じでね「呼吸をしなければ、しなければ」っていうとね、夜中まで寝ずにしないといけない。苦しいでしょう、他のことが何もできなくなる。でも呼吸は放っておいたらできますよね。一回「ありがとうございます」という言葉を唱えたときは、もう唱えるしかないように決まってますからね、後、神さまにお任せなんですね。それで一回「ありがとうございます」を唱えられたら「ありがとうございます」で確認すればいいですね。
 
 だから、「感謝をしなければ」じゃなしに「唱えなければいけない」じゃなしに、「ありがとうございます」って出てきたら「あっ、神さまの助けが大きく入ってきてる」という確認なんですね。それで「ありがとうございます」というふうに確認するだけがいいですね。そうすると楽でしょう、そしたらずーっと続くんです。もう止まらないですよ、これ、お気の毒に。(笑い)




 一夫一婦制


参加者:
 お久し振りでございます。一夫一婦制というのはどうしてあるんですか。なにか縛りの中で学ぶようにできているような、そのへんをずっと考えていたんですけども。

ありがとうございます:
 先ずね、みんな自分が縛るんですよね。自分が「この人がいい」って縛るでしょう。先ず一人選んだというのは「この人でないと、この人だけでいい」と選んだでしょう、この縛りが自分を縛るんですね。
 宇宙全体と結婚されたらどうです? はははは、忙しいですか、地球人類全部と結婚されたら、(Q:嬉しい)そうですか、もう一秒しか見れないですよ、はははは、一人の人を。チラッと見たらもう別れないといけないから、はははは、もうウインクする時間がないですよ(大笑い)幸せですねえ。
 みんな、心を自分で縛ってるんですよ、ねっ、本当はもっともっと自由自在なんですね。
 
 神さまは与え尽くす生き方をとるでしょう、もう全部与え尽くす生き方ですよね。受けて欲しいとも言わないわね、与えるだけで終るんですよね。だから自由なんで、全然縛りがないんです。そうすると縛りのない姿で全体から自分に対して現われてくるでしょう。だから自分の自由を絶対縛らない姿で全体から助けてもらうんですよね。だから、自分の思いや願いは無いんですねえ、神さまのほうはね。みんなに幸せを与えたいだけだしね、だから、自分も全体から、神さまの全体から幸せを与えてもらうだけね。本当の自由自在がいいですよね。もう、縛りはないですか、そうしたらみんなにウインクを送ってあげてください。一秒間よ。
 ありがとうございます。








AR134 2001.8.5-01
 ありがとうございますの修行の仕方

金沢の山岸:
 世の中には神様に出会うというか、そういう道を求める人、例えば、比叡山へ行って千日回峰行をなさるとか、或いは高野山の方で修行するとか、或いは禅寺で道を求めるとか、そういう既存のところでやられる方が多いわけなんです。そういうのを一切ありがとうございますは関心がなかったのか、最初からこういうやり方でやろうということだったのか、その辺を少しお話していただけたらと思うんですけど。

ありがとうございます:
 はい、一人一人ぜんぶ歩む道が違うんで、同じ道は必要ないですよね。だからいろんな悟りへの修行方法も、道もあっていいと思うんです。
私の場合は「感謝一筋で、大きい幸せを与えてもらう生き方をとらされた」という、それも生活の中で感謝を深めて行くという。
 その修行というのも、難行・苦行とかそんな感じじゃなしに、生活行の中で、感謝を深める過程で、神さまの愛を感じさせてもらうという生き方だったのね。だから「神さま」というのは、本当は身近にどこにでもいらっしゃるんで、それを「どういうふうに感じ取るか」だけの問題ですよね。だから、現実生活を離れて、どっかへ神さまを求めて行くって、まあそれも悪いことはないでしょうけど。現実の中に、身近に神さまがいらっしゃるのに、わざわざ外へ行く必要ないですよね。

 私小さい時によく神社参りしに行ったことあるのね。そうするとね、守護霊さんが言うのね、「お前を護ってるのは、守護霊である私や」と言うのね。「神社の神様に頼みに行ったって駄目やよ」って、はははは。ねえ、本当よねえ、本当は自分の守護霊さん・守護神さんが専属に護りに護ってくれてるの。それなのにわざわざそれを忘れて神社にお参りしてね、神社の神様にいろいろ願懸けしたり、いろいろお願いしたりしたってね、本末転倒なんよね。それも一つの私の考え方として、それが深く身についてしまったのね。

 やっぱり身近なところから、神さまの護り・助けをしっかり受けて行く方が大事なんだというね。わざわざ遠い所へ探し求めんでも、身近な中に必要な物すべて与えられてね、そうして「守りに護られてるんだ」というのがね。そういういろんな体験から私の中に根を下ろしてしまったような感じね。だからもう特別な何も要らないと思うね。いろんな方法があってもね、「それでなかったら救われない」ということは絶対ないと思うのね。

 根本は、みんな神さまと一体で救われている自分があるのよね。だから、それが自然に現れてくるのを邪魔さえしなかったらいい。だから開き直りで自然になればいいね。何もしないのがいいのかも知れない、極端に言ったらね。自力で修行しようとしない方がいいみたいなの。
自力の働きをぜんぶ捨てきって、みんな神さまにお任せして、「すべて神さまにさせていただいている」という気持ちだったらもう感謝一筋でやっていけるよね。その方が一番本当の助けを受けやすいと思うよね。

 ただ、私の歩ませてもらったのは、それはみんなに参考にはなっても、ピッタリは合わないよね。みんな一人一人違うからね。一人一人的確に神さまは護り抜いてるはずなんでね。だからみんな歩み方が違うからいいはずなんで。ちょっとは似てるところがあってもいいけどね。そっくりには絶対にならないしね。
でも、本当の助けは、やっぱり自分の中から本物の神さまから与えてもらうばっかしだと思うのね。外から枝葉的にいろいろ助けてもらったって、そんなんは根本の助けにはなってないよね。その時その時の、ちょっとした助けではあるけどね。やっぱり根本の助けは、自分の中から本当の神さんが働いて出て来てくれる時よね。それはやっぱり感謝してる中から、そういう助けが与え続けてもらえるんでね。やっぱり日常生活の中で、感謝を深めていくのが一番いいと思うのね、本当ね。はい。




 全託とは、自由意志とはこの世のいろんな縛り・障害があって、本当の自由を発揮した時が本物 それを楽しむ

参加者:
 自分の人生は、自由意志で選択して選んでいるんですけど、「全託」というと「自由意志」というのはどうなるんですか、あるんですか。

ありがとうございます:
 「神さまの御心」いうのが、最高の自由な生き方をとってるのね。本当の最高の自由を手に入れようと思ったら、神さまの御心と一致しないといけないね。神さまこそが自由自在なのよね。人の場合は、やっぱりそこまでいかないよね。どんだけ自由に生きていると言ったって、神さまの自由から見ると、ほんのちょっと自由なぐらいでね。だから、できるだけ神さまの自由に合わせていくという、近づいていくというのが一番の自由を手にする方法よね。
「全託」というのが本当の自由を獲得する一番の道なんよね、だから、矛盾はしてないよね。全託の中に本当の自由があるのね、感謝の中に本当の最高の自由があるんですね。

 「自由」っていうのを、好き勝手に動いて自由じゃないのね。ぶつかり合ったら自由が奪われるでしょう。だから、お互いにぶつかり合わずにすり抜けないといけないでしょう全部ね、自由になるのね。うなぎみたいにね、どんなとこでもヌルヌルとすり抜けるぐらいの自由さが必要なの。どんな障害物があってもスッと抜けて行けるっていうね。それはやっぱり知恵が必要なんよね、神さまの知恵がね。
全体を見抜いてどういう障害があるかってはっきりわかって、すり抜ける知恵が湧いてこないといけないのね。そうするとぶつかり合わずに、自分は自由自在に動けるのよね。そういう意味で、神さまの知恵を受ける為の「全託」でもあるのね。そうした時に本当の自由自在がそこに生まれるのね。障害が大きいほど神さまの知恵が必要になるでしょう。

 何もないところで自由に動いたって値打ちないのよね。大きい障害の中で自由自在に動けたら、本物の自由自在性があると言えるのね。
だから、この世に生まれてきても、この世のいろんな縛り・障害があって、本当の自由を発揮した時が本物よね。それを楽しむのよね、やっぱりね、本当はね。




 五欲と戦うことなかれ

参加者:
 「五欲」というのは、それを止めるというか、止める為に修行に来てると言われる人もあるんですが、それも楽しむためにこの世に生まれて来ているのでしょうか?__

ありがとうございます:
 そうね、「五欲」って言ってしまうと言葉の縛りに合うんでしょう。だから、「全て神さまから与えられた必要なもの」というと、もうマイナスじゃなくなるわね。幸せに必要なものだったら、いくら与えてもらっても、受けてもいいわけでね。それは言葉の違いよね。「神さまからのプレゼント」という形で受けてたらマイナスは一切ないの。神さまは必要な物を的確に与え続けてるね。

 「五欲」の方は必要なものを与え続けてもらっているという「確信が持てない」のでしょ。だから今「不足してる、不足してる」という形で求めるのよね。でも、神さまの方はもう「的確に与え続けてくれてる」と言ったらもう絶対心配ないはずよ、本当はね。
食べ物一つでも「必要な食べ物をずーっと永遠に与え続けてもらえるんだ」というんだったら「あれ欲しい、これ欲しい。あれ食べたい、これ食べたい」と言わんでも、目の前に与えてもらうものを受け続けたらいいだけなんよね、本当はそうなんよね。

 だから、感謝し続けたら、神さまから与えてもらう必要なもの全部、的確に与え続けてもらっているのがよくわかってくるから、欲を出す必要なくなるののね。「ありがとうございます」だけでずーっと行けるのよね。そしたら別に、「五欲」とか「欲」という言葉を使わなかっても、そういうことは必要なくなるから、執われなくなってくるよね。

 だから、その五欲と戦って勝ったって意味ないのよね。食事を絶って断食して、それで何があるのかって、何もないでしょう、骨皮筋右衛門になって、ガリガリで貧相な姿をとったってね、どこにも幸せ一つ見られないじゃない、そこにはね。だから、五欲と戦ってもマイナスなんよね。
それよりも「神さまから必要な幸せを受け続ける」というのが大事やね。やっぱり神さま相手に、しっかりと神さんからのプレゼントを受け続けなあかんのよね。

 だから、悟りを開くのでも、お釈迦さんが「苦行は悟りの因にあらず」ってね、苦行しても悟れない、とおっしゃってるよね。そうよね、苦行したって悟りは得られないよね。逆に苦行捨てて、神さまからのプレゼントをしっかり受けたら悟りが開けるのよね。だから、プラス一杯受けるのが大事なのね。




 悟りにも段階がある

金沢の山岸:
 そうしましたら、「悟り」というのは、段階がありましてですね、またそれが一瞬一瞬深まって行くというものなのでしょうか。それとも「悟り」というのは、一回「自分が本来悟っているんだ」ということを悟ると、それでいいものなんでしょうか、その辺のところをわかりやすく教えてください。

ありがとうございます:
 それもいろいろよね、はははは。一つの一定のものってないのね。悟りも無限の段階あると言えばあるのよね。言葉通りよね、やっぱりね。
また「悟りは、本当は一つしかない」と言えばね、また言葉通りに一つになってしまうしね。
 だから、言葉を自由自在に使う自分の方がいいのよね。悟りには無限の段階があって、順番に楽しみながら登って行くんだと言えば、それも楽しいよね。
でも、みんな最初から神さまと一体で悟っているんだからというその立場から出発して、それだけを持ち続けるのも、またいいことなんよね。他にもいろんな考え方が、沢山あると思うね。それはもう言葉通りに、すべて必要なものを与え続けてもらえるんでね。自由自在に言葉を使いこなせばいいよね。

 だから、悟りにも無限の段階があるって言えばそうだし、悟りにも無限の種類があると言えばそうなのね。いろんな種類があってもいいでしょう、悟りもね。「これが悟りだ」というのが無限にあってもいいのよね。そのぐらい神さまはちゃんと用意してお膳立てしてくれてるはずよね。だから、神さまの与えようというプレゼントは、もう無限に無限に大きいよね。それを如何に上手に受けて楽しむかという、それだけが大事だと思うよね。




 過去の五欲の消し方

参加者:
 そしたら、過去に今日まで欲の心で買って来たものってありますね、家であったり、車であったり、そういうものはどうしたらいいんですか。

ありがとうございます:
 だから、過去の連続って見なくていいんでしょう。「今、与えられた神さまのプレゼント」っていうふうに受け直せば、瞬間に置き換わるのね。同じものが神さまからのプレゼントに変ってしまうわね。
それも一瞬一瞬神さまの現われていうふうに受けて「神さまの愛の変身の姿」というふうに受けてると、神さまそのものに見えてくるね。だから、単なる物でない神さまの光り輝いた、神さまの愛の塊みたいに見えてきたら、いつも神さまの中に自分が置かれてるって感覚でしょう。
だから、ぜんぶ大事なも物に見えてくるよね。でも、やっぱり「神さまの愛の姿」というふうに、言葉で確認して行くのがいいのよね。そうするとその通りに感じられてくるね。言葉で瞬間に変ってしまうね。




 悟ることも全て「言葉通り、思い通り」になる

金沢の山岸:
 じゃあ、もう一ついいですか。以前に、悟りを開く人というのは、お釈迦さんだとか、歴代でも何人もいらっしゃるわけですけども。例えばこの時代に入って二十一世紀という言い方でもいいと思うんですけども、本来悟っているということに気づく人と言いますか、要するにまた悟るということなんですけども、そういう人が以前よりもたくさん増えるということをある人から聞いたことがあるんですけども、その辺はどういうふうに考えたらいいんでしょう。

ありがとうございます:
 「増える」って言ったら増えてくるのね。「ぜんぶが悟る」と言うたら、「ぜんぶが悟る」のよね。だからやっぱり言葉通りにぜんぶ現実化してくるんで。「既にみんな悟っているんだ」というふうにね、「みんな悟っている」という言葉を使って行くと、自分の周りがぜんぶ悟った姿をとってくるよね。どんな言葉を使ってもその通りになるはずよね。

金沢の山岸:
 ということは、今迄では「悟る」ということは、先ず百万人に一人ぐらいの確立しかないぐらいに思ってたんですけど、そういうことが逆に縛りに?

ありがとうございます:
 難しくしてしまったんよね。「修行しなければ悟れない」とかね、そういう言葉の縛りで悟れなかったのね。だから「何もしなかっても、何をしても悟れる」と言えば、自然にみんな悟った姿現すのよね。
だから、大事なのはもう「既に悟ってる」ていう、「神さまと一体なんだ」というそういう言葉を使い続けたら必ずなるの、その通りにね。やっぱり言葉通りに、思い通りに全部なるのね。
 ただ、しつこく使い続けないといけない。他の言葉は使わずにねえ、そういう自分の願う言葉を使えばいいのよね。普通、一つのことを願いながら、その願う言葉を使ってないよね、使い続けてないことが多いよねっ。逆にその反対の言葉をよく回数多く使い過ぎるぐらい使ってるのよね。だから、願ってることとは別のことが実現するの。そういうギャップ的なものを感じるのよねえ。
 だから、一つの言葉を徹底して使い続けたら、それで結果がすっと出てくるのがよくわかるのね。
その一番いいのが「ありがとうございます」の言葉を使い続けたら、大きい幸せを感じ取るよね。

参加者:
 使い続ける、ということに意味があるんですか。

ありがとうございます:
 「言葉通りになる」と言うたら、いい言葉使い続けた方がいいわけでしょう、いいことを実現し続けられるという意味でね。
逆のマイナスの言葉を間に交えたら、マイナスも実現してくるんでね、困りますよそれはね。
 だからいつも、一瞬一瞬、いい言葉を使い続けるという、一瞬一瞬、最高のものを受け続けるために必要なのね。だから「言葉で受け取る」というふうに考えた方がいいよね。使わなかったら受け取れないね、何もね。

参加者:
 一瞬一瞬の連続だからですか。

ありがとうございます:
 そうですね、はい。今使った言葉で今新たに受け直して、次に何も唱えんかったら何も受けられないよね、本当はね。

参加者:
 その一言でいけるとしたら、選択がなくなってしまう世界になってしまうんですか。

ありがとうございます:
 そうね、一回で、もうそれがずーっと続くんだったら、あと自由がないもんね。神さまは一瞬一瞬新しいものを与えようと創り続けるわけでしょう、そしたら過去の同じものをずーっと持ち続けたって、新しいのを受け損なうもんね、そういう意味でやっぱり一瞬一瞬、人の自由を発揮しないとあかんわね。

金沢の山岸:
 今のことの確認みたいな話しなんですけども、人生は思い通りにはならない、思い通りにならないのが人生だという一方で、逆に、言葉でそれを言い続ければその言葉通りになるということ。
そうすると「思い」というものと「言葉」というものと、あきらかに違うということなんですけども、その辺のところを少し。

ありがとうございます:
 だから、同じことなんよね、「言葉通り、思い通りになる」という、これはもう大原則よね。
 ところが「思い通りにならない」という人がいてたとしたら、その人は「思い通りにならない」と思ってるじゃない「思い通りにならない」と言ってるよね。だから「言葉通りに、思い通りにならない」という状態が生まれるでしょう。それも思い通りになってるのね、ちゃんとね。ノ(どよめき)ノ 
 だから言葉通りに思い通りになってるのよ、ぜんぶね、必ずなってるのよ。「思い通りにならない」というふうになってるじゃない。

金沢の山岸:
 そこで言葉を止めてしまうから、最初に思ったことがならないだけなんですか。

ありがとうございます:
 いやいや、それは全部なってるんだけど。

参加者:
 ああ、そうかそうか、一瞬一瞬。

ありがとうございます:
 止めても止めた通りになってるしね、思い続けたら思い続けた通りになってるのよねえ。




 子育て

参加者:
 子供を育てるのは、先生が言われたのは「守護霊さんや守護神さんが育てる」と言われたんですけど、そしたら肉体の親ができることというのはどういうことがあるんですか。

ありがとうございます:
 そのお手伝いよね。守護霊さん・守護神さんの手足になって動けたら一番理想よね。必要な時に手足になって動けたらいいのよね。その子供を育てるのに本当に必要なことってもう極わずかでしょう。
赤ん坊でもそうでしょう、お乳飲ませるのもわずかな時間よね、他の時間は自分の自由に使わないといけないわね。だから「本当に必要な時だけ」ね、お手伝いするのね。

参加者:
 その「本当に必要な時」いうのが、わからないというか。どういう時でしょうか。

ありがとうございます

 それが「ありがとうございます」唱えてると、必要な時だけ、必要なだけ手足として使ってくれるの。感謝してないと、親が心配したり、いろんな思いを出したりして、余計なことをし過ぎるのよね、邪魔ばっかりするのよね。「子供がいてるから、自分は何もできない」って、何もしなかったり、子供のせいにしてしまうでしょう。

 そうすると、本当だったら親が自由に何でも、いろんな良いこといっぱいして、能力発揮して世の中に尽して徳をいっぱい積んどかないといけないのにね。子供のせいにして何もしなかったら、逆に子供にその大きい負担をかぶせてしまうよね。子供にとったら、大きいマイナスを背負わされたのと同じになっていくでしょう。だから、少々泣いてグズっても、それも「運動だ」と思って放っとけばいいのよ。「腹筋を鍛えてるんだ、内蔵を強くしてるんだ」ってね、泣く時は泣かした方がいいわけよね。

 本当に病気したり、怪我したりして、どっかが痛むんだったら、それを治すようにいろいろ手助けせんならん時もあるよね。でも普通の泣いてる時まで、一々そんなん構いに行ったらあかんのね。
やっぱり「何が必要か」というのを見抜く知恵というのは必要よね。それで、過保護にし過ぎても駄目よね、必要なだけを的確に与えるのが神さまの最高の育て方なんでね。

 だから、何か物を買い与えるんでも同じよね、何かおもちゃでも与えたら「子供が喜ぶから」て思うんだけど、本当に必要かどうか考えたら、必要でない余計なものを与えてる場合もあるの。子供がちょっと喜ぶからとか言うて与えたらあかんのよね。本当に必要なものを見抜かないとね。
無駄なものを与えたら、子供の徳を先に親が勝手に引き出したことになる。貯金を引き出して先に無駄遣いさせたことになるでしょう。将来、本当に必要なときに、それが手に入らなくなったりする可能性もあるね。だから、もうできるだけ無駄遣いさせないように、必要なだけ与え続けるというのが一番理想なんよね。それが「ありがとうございます」を唱えてると、守護霊さんが必要なことを的確にさせてくださる。
だから「ありがとうございます」唱えてるのが一番いいのよね。後はもう自然に任せてね、必要な時すっと動けるのがいいね。

 だから、子供をいつもね「危ないから」って監視してたって、いつ危険がすっと迫るかわからんね。心配したら余計心配する出来事が起こるでしょう。
でも感謝してる人は、危ない時にすっとその場へ行って、すっと手助けして助けてるのよね。普段、何にも考えてないよ、必要な時にはすっと考えずにその場へ行ってるのね。そういう生き方の方が自由でいいのよね、自然でね。

金沢の山岸:
 守護霊とか守護神というのは、一応目に見える、というかエネルギー体として多分存在してると思うんですけど、当然、声を掛けるとか、そういうことは口がないんですから無いと思うんですけど。その人間の本心と言いますか、心の深いところに意識に語りかけるというか、働きかけるというか、それはこちら側からのディスポンスというか、こちらを浄めていくと入りやすくなるというか、その辺のいきさつといいますか、少しおはなしください

ありがとうございます:
 本当の自分、神さまと一体の自分から見たら、ぜんぶ自分の中にあるのね「守護霊さんも・守護神さんも」小さく自分の中に治まってるのね。それでその肉体の自分と守護霊さん・守護神さんの関係をどういうふうにするかでしょう。そのつなぎ方も、もう自由自在なんよね、どんな方法でも取れるのね。

 番組的に見たら、守護霊さんはかなり上のいい番組をいつも見てるんでしょう。それでいて番組から抜け出して自由自在に他の番組に波長を合わせて、働きかけはできるのよね。
この世という番組に波長を合わせて、この世の人に働きかける場合は、いろんな働きかけがあるのね。直接その人の心の中から、自分が中へ入り込んですっと良いものを与えてきたりね、知恵でも力でも与えたりできるのね。また外から誰かを使ってアドバイス・ヒントを与える時もあるわけよね。それはもう自由自在にするよね。番組の外へ抜け出して自由に波長を合わせられる守護霊さん・守護神さんにとったら、何でもそういうの朝飯前よね。

 だから必要な助けはどっからでもくるというのがいいね。やっぱり中からも外からも、もうどっからでも与えてもらえるというのが本当よね。でもそれが、本当の自分の中にぜんぶあるというのをはっきりさせていく方がいいのよね。
普段、あまり「肉体を自分」って掴み過ぎるもんね、小さく掴み過ぎるからね。「本当の自分は神様と一体なのだから、ぜんぶ自分の中にある」という立場からもう一回大きく見直すと、小さい立場から見るのもそれも必要な時もあるんですけどね、もうちょっと大きい立場から見るのもいいのよね、両方自由自在にする方が人生が楽しくなってくる。




 神様への奉仕

金沢の山岸:
 そうしますと今みなさんが作業に出たりですね、帰ってきてからまた綱引きをしたりですね、非常に体も酷使しながら、酷使という言い方は良くないかも知れませんけども、目一杯働いてですね、そうすれば当然頭もわりと空っぽになりますし、非常にいい感じがするんですけども、この辺のところをやっていらっしゃる意図みたいなことをどう説明すればいいんでしょうか?__

ありがとうございます:
 そうね、みんな神さまへの奉仕は何のためにしてるかというと__
 過去にマイナスの言葉を使ったり、マイナスのことを思ったりして、心にそれを溜め込んでる場合が多いでしょう。それを如何に早く消してもらうかというのが大事なんよね。そのためには神さまにそれをぜんぶ預けていかないといけないね。自分が持ってても消えないね。だから「神さまに渡して行く・預けて行く」というのが、消してもらう一番のポイントになるね。その預け方、渡し方がいろんな方法あっても、やっぱり「神さまのために」っていう奉仕を通すとたくさん預けられるよね。その意味でどんどんそういう奉仕活動を一所懸命してるうちに、たくさんのマイナス、要らないものを消してもらえるのね。そうすると感謝の中から新しいものを早く受け取れるようになるね。

 それもまあ、一人一人全部自由なんでねえ、いろんな生き方をとっていいと思うけどね。全力を出しきる方が沢山与えられるのね。「ちょっとだけ」というと、ちょっとだけしか引き受けてもらえないかも知れないもんね。だから「自分は全力を神さまのために捧げ尽して、ぜんぶを受け取ってもらうためにしてるんだ」という方がいいよね。本当は一回でぜんぶ受けとってもらえたら一番楽なんだけど。
それでもなかなか渡しきれんのよね。やっぱり、自分のものを掴んでしまってるからね。「これだけはまだ自分のものとして残して置こう」というところがあるのよね、心の奥のどっかにね。それも如何に上手に渡し続けられるかね。

 ただね「神さまのために」と渡す時でも「もう要らないから、ゴミだからどうぞ消して」って言うても受け取ってくれないね。そうでしょう、人間同士でもそうよね。人から自分の要らないものを捨てるものをもらって言うたってね「そんなん必要ないから要らん」て言うでしょうね。
 でもその人が真心込めて、自分の一番大事なものを「もらって欲しい」ときたら、その気持ちが嬉しいから受け取るよね。自分が「そんなつまらんもの」と思っててもね、すっと受け取って「ありがとう」って言ってくれるよね。それと同じよねえ、神さまも真心を見てるわけね「神さまのために」という気持ちがやっぱり神さまにとったら嬉しいね。それで「どんな大きいマイナスでも引き受けて消してあげよう」というふうにね。また「いいものを置き換えてあげよう」としてくれるんでね。

 だから、お釈迦さんの話しでね「富者の万灯より貧者の一灯」という言葉が生まれてるように、大金持はなんぼ万の灯ろう寄進してもあんまり価値がないらしいのね。貧しい人が一所懸命働いて、一つの灯ろうを寄進したとするでしょう。そうするとその灯火が消えずにずーっと続くんだという感じの話しで「富者の万灯より貧者の一灯」という言葉が生まれてるんですけどね。やっぱり真心がこもってるのよね。その真心を受けてもらえるね。
 お金持ちにとったらそんなんねえ、万の灯ろう寄進したって自分の全てじゃないのね。ほんの一部かも知れないね、だから真心がこもらんのよね。自分の命も含めてぜんぶを捧げ尽すぐらいの気持ちが、一番神さまにとったら真心がこもってると思うのね。そうすると「その人の全てを、マイナスぜんぶでも引き受けて消してあげたい」と思えるのよね。

参加者:
 ここへ奉仕活動をするというのが、一番そのマイナスを消してもらえるのですか。

ありがとうございます:
 いや、別にここに限らんでいい。世の為人の為になることを、それぞれの場で「神さまのために」という気持ちでさせてもらってたら、それが大きいいろいろなマイナスを引き受けて消してもらう方法なのね。ここは一つの練習台みたいな場所ではあっても、それが最良かって、そうでもないのね。やっぱり一人一人の置かれた場で「神さまのお役に立ちたい」という気持ちで全力尽して、世の為人の為になることをすることが一番いいのよね。まあ、その練習の一環として、ここで一緒に遊んでくれるのがいいよね。まあ、一つの練習みたいなものんだけどね。でも形の方はもう自由自在よね、何させてもらってもいいのよね、ただ心の向きだけが、神さまに向けばいいの。




 貸し借りの関係

参加者:
 貸し借りについて、よく先生は言われるんですけど、例えば、体の不自由な方を街中で助けたとしたら、それは、こちらが貸して、向こうは借りを作った、ということになるんですか、それともお互いに感謝しながら、助けた方も「ありがとうございます」と言えば、それは貸し借りではなくなるんですか。それはどんな場合でもお金でもですか?__

ありがとうございます:
 そうね、「ありがとうございます」と神さまを通せばみんな貯金になってくね。「貸した」というよりも、無償で与えても自分の陰徳・貯金は増えるのね。だから相手に貸しを与えるんじゃなしに、ただ無償で与え尽していいのよね。

参加者:
 与えられた方が借りを作った?

ありがとうございます:
 いや「ありがとうございます」があれば神さまからの無償のプレゼントを受けたことになるでしょう、光だけを受けたことになるのね。だから人から借りたんじゃないのね、その時はね「ありがとうございます」を通せばね。
 貸し借りはあまりいいことはないよね、縛り合いになるね。だから「ありがとうございます」を唱えて神さまを通さなかったら、人と人との貸し借りは、やっぱり縛りとして残るの。「その人には貸してあるから今度返してもらわんならん」となってくるわね。必ずそういう、まあ、直接でなかっても間接的にでも返してもらうような姿をとらないといけないようになってくるよね。でも、貸し借りの無い方がいいよね。神さまからのプレゼントをいつもタダでもらう方がいいよね。

参加者:
 大きな幸せとか、自分で「嬉しいな」と思うことがあったとして、それが大きければ大きいほど、マイナスが増えるということはないのですか。何か代償を求めるからいけないとか。

ありがとうございます:
 そうね、神さまから受け直したらね、神さまからの無償のプレゼントというのは、受ければ受けるほどプラスが増えるのよね。でも、神さまから受けるんじゃなかったら、もし、自分の心の中に「陰徳」という貯金があれば、その貯金を引き出して大きい幸せを現実化して行くのね。もし貯金がなかったら、借金をしてするのよね。そうするとマイナスが増えるわね、そういう場合はね。だから、いつも「自分の今の幸せが、いつも神さまから与えられてる」と感謝して受けるのが一番いいのね。そしたらマイナスは一切ないよね。
神さまを忘れると、贅沢すればするほどマイナスを背負う可能性もあるね、貯金もなくなっていくしというようなね。




 周りに病人が居る時、何かできることは?

参加者:
 ちょっとよくわからないんですけど、私の周りに最近病気になった方が何人かいらして、間接的な知り合いだったりするんですけど、私の友達もそのことによって心配したりしますよね。でも心配というのはあまりいいことではないから、心配しなくていいって言ってたんですけど、何かその人が元気になるようなことを私にできるとしたら、「ありがとうございます」って言っていればいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 病気のある番組を自分が本当に見ていたいのか、健康の番組を見ていたいのかというのを自分が決めるのよね、先ずね。
 やっぱり病気の姿を見て「可哀相に」と思う生き方も悪いことじゃないかも知れないけど、自分が本当にそれを願っているのかどうかよね。健康で幸せな姿の人ばかりを見たいのだったら、番組を変えるだけがいいの。病気の姿を言葉にせずに、「みんな健康で幸せなんだ」というふうにプラスの言葉を使ってると、番組が健康な人の番組に変るから、病気の人を見なくて済むようになるのね。

 でも、病気の番組の中にはまり込んでその中でいくらあがいても、いろいろ働きかけて病気が治った姿を見たって、あまり大したことないでしょう。しんどい目するだけでしょう。
それもその人の言葉通り・願い通りに病気の人を治して満足したり、病気をお祈りで治してあげたからと言うて自分が満足したりね、そういうのは一応あるわけよね。でも、それは本当の自分の幸せか、願いかって考えたら、それもどんどん変化するかも知れないよね。
 それよりも最初から「無限健康の人ばっかり見ていたい」という「その方が幸せなんだ」というんだったら、「みんな無限健康なんだ」っていう言葉で、そういう番組に波長を合わせていけばね。




 「ありがとうございます」の体験談

金沢の山岸:
 「ありがとうございます」の実践編でたまたまここへもきてる人なんですけれど、昨日も話しをしてたんですけど。一日に二万回ぐらい唱えているんですって、そしたら随分状況が変ってきて、それの一番具体的なことの現われが、今迄声も掛けたこともないあまりつきあいのなかった妹さんから「一千万台の家を買ってあげるから探しなさい」というような話しがあったと、妹さんはなんか社長をしておられるらしいですけど「それも、それのあれだよね」と彼は言ってるんですけど。お聞きしたいことは「ありがとうございます」というと、例えば、ある時、心境が一変して、世の中の全てがキラキラと輝いているとか、人が愛しくて愛しくてしょうがないとか、そういう経験もあると思うんですけれど、徐々に変って行くということなのか、劇的に変るということなのか、その辺のことをお聞かせ下さい。

ありがとうございます:
 それもねえ、一人一人ぜんぶ違うねえ。一人の人にとっても劇的にパッと変る時も、大きく変る時もあるね、徐々に変る時もあるし、それはもう、もう自由自在に変化するみたいね。
 だから、全部いいのよね。それでね。
 白隠禅師でも「大悟七回」というんですか「小悟数知れず」というんでしょう。同じよね、大きい変化の激動的な変化が大悟にあたるのね、大きい悟りね、まあ数えるほどでしょうね、それはね。
 小悟は、小さい気づき・悟りというのは無限にあるわけよね。そういうのは徐々に変化した姿とってるわけでしょう。だから一人一人ぜんぶそういう大きく変ったり、徐々に変ったり、いろんな姿を見せてもらいながら、気づきがどんどん増えて行ってるよね。神さまとの一体感がどんどん深まって行ってるよね。




 ボケていく人

金沢の山岸:
 少し年老いてボケてくるということがあるんですけども、そういう人がなるべくボケないように、なんかやる方法がありませんでしょうか。

ありがとうございます:
 あるでしょう。目的を持つことですね。目的なかったら何もしなくて済むんで、ボケるの当然よね、若かってもボケるでしょうね。だから、もう大きい目的を持つほどいいでしょうね。そうすると中から力を振り絞らないといけないんで、本当の神さまの力が湧き出てきますよね。そしたら肉体が若返って病気にもならずに、ボケずにいろんなこといっぱいできるね。もう死ぬまで元気一杯に活躍できますよね。
 だから、目的をしっかり持つことよね。それも大きい目的ね、神さまの方はいくらでも力添えてくれるのね、大きい目的を持つほど力はたくさんもらえるの。

金沢の山岸:
 そうしますと本人は、ボケようとしているくらいですから、なかなか本人は目標を持ってない訳ですけど、周りからそれを持てるように、仕向けていくというか、そういうことはできるのでしょうか。


ありがとうございます:
 そうね、でも本人の自由意志で選ばないといけないんでね。だから、周りの人のできることって言ったら「自分が感謝して無限に輝いて、それで世の中のためにいっぱい働いて幸せになってる」という姿を見せることによって「真似したい」という思うかも知れないね。いいお手本を見せればいいのね。

 ボケる人は、「何もしなかったら幸せ」と思ってるかも知れないしね。「楽して寝てて幸せ」って思うかも知れないよね。でも「本当の幸せはね、一所懸命働いて人を幸せにして本当の幸せを感じられるんだ」というふうに、そういういいお手本を見せ付ければいいわね。

 だから、みんな「何を選ぶか」だけの問題よね。この世は特に、良いのと悪いのと両方見せてもらえる場なんで。だからいいものをお手本にして、それを選び取れば、どんな人でもプラスに向いて行くんですけどね。ただ、強制はできないよね。
 もし自分がお祈りしてね、その人が変ったように見えるとしたら、自分の番組が変っただけよね。その人を変えたんじゃなしにね。その人の生き方は変えられないね、その人自身の問題だからね。ただ「自分の見る番組が、マイナスの多いものからプラスの多いものへ変化した」というだけよね。神さまでも人の自由は縛らないからね。人はなんぼお祈りしたからって、他人の自由を縛って変えるわけにはいかないよね。自分の見ている番組を変えただけよね。

金沢の山岸:
 自分自身としては、死ぬまでボケずに、今日までも生きてて明日コロッと亡くなるという、そういう状態がいいと思ってるんですけども。そうでない人でボケて行こうとする人は、あまりそういうことは思ってないと思うんですよね。そうした場合「ボケて幸せ」ということはあるんでしょうかね。
 要するに自分の意思という問題ですけども「何としてでもボケないようになって欲しい」という気はあるんですけども。関わり方が結局、こちら側の「ありがとうございます」だけでいけばいいのか、それともなにかする方法がありますか?_

ありがとうございます:
 心って二つの心があるよね。本当の自分の心・神さまの心であるプラスの心と、過去を積み重ねて出来上がったマイナスの心というのがね。
マイナスの心は、楽をしてたいの。何もしないで怠けてじっとしてて、棚から牡丹餅式になんでも、してもらったら幸せと感じる心やね。そういう心の人は、もうしんどいことから抜け出たいわけね。
 「何もしたくない」と寝てたらいい方なんよね、じーっとしてたい方なのね。そういうのを「幸せ」と感じてしまうのね。

 本当の自分から見たら、それ正反対になのね。だから、感謝する心、本当の自分が出てこない限り、それが「間違ってる」って気づかないよね。本人が気づくまでは仕方ないよね。偽物でも「これが幸せなんだ」と思い込んでしまうから、そこへずーっと入って行くのよね。だから自分自身の問題よ、本当はね。
 だから、自分の過去をずーっと振り返った時にね、感謝して本物を正しく掴めた時は「一所懸命働いて人を幸せにすることが幸せ」って本当に思えるよね。
 ところが、感謝をしてない時期ってあるのね、やっぱりね。そういう時は怠けて「人からもらうのが幸せなんだ」って、そういう時期があったと思うのね。そういうなごりが心に残ってたら、自分の見てる番組の中にそういう姿も見せてもらえるね。

 だから、それを両方見ることによって、どっちが本物か正しいのか」というのがわかって、それで自分は「もっともっと本物の一杯の世界を番組として見ていきたい」と言うんだったら、みんなが命輝かせて働いている幸せ一杯の姿の番組へ、合わせて行けばいいよね。
 だから、今、この世にマイナスが見えるとしたら、まだ、自分の心にマイナスが残っているというぐらいに思って、更にプラスにプラスに向け続けるのがいいかも知れないね。
 だから、マイナスの人の姿は見ない方がいいよね。極端に言えばね「みんな命輝いて、働いているんだ」という「みんなを幸せにする働きをしてるんだ」というのがいいね。そういう言葉を使い、そういういい姿だけを見つめてね、番組を上へ変えて行けば、ボケ老人も見なくなるかも知れない。

 ボケ老人ぐらいの問題やないね、世界のいろんな問題沢山あるんですけど。
大勢の子供が餓死して行くって、年間どれぐらいいてるの、凄い数でしょう、(一日五万人です)ねえ、ちょっと考えられないね日本ではね。餓死しなかってもの凄い程度の低い生き方をしている人が、もの凄い数でしょう、何十億なんでしょう。でも、そういう人達を、どうして自分が幸せにして行くのかって、考えて取り組んだって、一人の人をも幸せにできないよ、本当はね。そうでしょう。
 食べ物がないから食べ物を与えたとしても、それで本当に救えるんかっていうと、救えへんよね。一生食べ物を与え続けても、大してその人を幸せにも何もしてないよね。食べ物を与えた程度の幸せしか与えてないでしょう。

 本当の幸せというのは、そういう低い番組でいくら掴もうとしても掴めないよね。低い番組を見ている限りは、自分も幸せになれないよね。だから、自分が先ず高い番組をしっかりと見れるようになることよね。もし「他の人も幸せにしてあげたい」と言うんだったら、他の人も高い番組に心を向けてそれを受けられるようにしてあげることよね。そういうお手伝いが、本当の意味の根本から幸せを与える生き方ですね。
 だから、みんなが本当にお祈りできるようになればね、最高番組に波長が合って、それを受けて現実化するのね。そしたら、もう最初から幸せいっぱいの状態になるのね。




 与えてもらうばかりだと相手の番組を下げる

参加者:
 今の状態で、国際援助とか国際ボランティアありますよね、今の状態でやっている以上はずーっとそれが、あまり変らないんですか。

ありがとうございます:
 あまり変ってないね、変ってないよね。逆にね、「可哀相に、可哀相に」ってやってると、そういう世界がどんどん広がってるみたいやね。だから助けてもらった方も、自分の力を発揮しないから、助けてもらうばっかしの気持ちだと、求める心になってるでしょう。番組がどんどん低く下がって行くのよね。

 だから、逆に番組を下げる手伝いしてるみたいな感じになるのね。自分の中の力を振り絞ってでも発揮して、プラスへ向かないといけないでしょう。自分の方から与える心を起こさないと、番組が上がらないよね。
 だから、ちょっとでも人のために役立つことをさせてもらう生き方を、みんながとるようにしてあげる方がいいの。番組さえ上へ上へ上がったら、必要なのものをちゃんと与えてもらえる幸せな姿をとるのにね。余りにも、求める心を起させ過ぎてる。だから、番組を下げるお手伝いしても、意味ないもんね。

 難しいでしょう何か援助をするんでもね。「ありがとうございます」を援助しないとねえ。
 だから、物を与えるのでも「ありがとうございます」いっぱい祈りを込めておいて与えるのがいいかも知れないね。感謝の心を引き出すための手立てにすればいいのね。




 現実の幸せを数えてみる

参加者:
 求める心をなくして、与える心を持つこと。感謝を深めて与える心を出すためには感謝がいいということではないかと思ってるんですけど。その感謝の心がなかなか、私自身与える心がまだまだなんです。感謝の心から始めたいと思ってるんですけれども、なかなか自分が恵まれてるせいもあると思うんです。
 そういう自分がどうやったら感謝の心というのが持っていけるか、何かアドバイスを。

ありがとうございます:
 既に与えられているもの、幸せを数え上げるのがいいんですね。
 この肉体一つでも、神さまからの大きいプレゼントですよね。「目が見える」というだけでね。
 「目」ってものすごい無限の価値ありますよね、目が見えなかったらどんな素晴らしい景色でも見えないね。だから、目が見えるというだけでも、無限の価値がある「ありがたいなあ」ってね。「耳が聞こえる」ってね、そうでしょう、いろんなこといっぱい聞かせてもらえるね、参考になること勉強になることいっぱい聞かせてもらえる「ありがたいなあ」というね。
 また、鳥の鳴き声、聞こえるだけでも幸せやね。「息ができる」というのもすごいことよね。息も吸うも吐くもできなかったら、もう悶絶して、もがき苦しむわけでしょう。

 だから全身の細胞六十兆の細胞の一個一個が、やっぱり本当に命を輝かせて、自分を幸せにするのに働いてくれているって、これだけでも「細胞さん、ありがとうございます」って言わずにおれなくなるのね。
 太陽一つでもそうやね、毎日毎日新しい太陽がどんどん出てきて、輝いて、幸せ与え続けてるね。これが一瞬すっと消えてしまったらどうなるか、大変よねえ。地球は闇になってしまうでしょう。

 そういうふうに今、与えられたものを、幸せをずーっと数え上げていくと気づきがどんどん増えるのね。感謝がどんどん湧きあがるように出てきてね。それが根本になったら、神さまへの本当の感謝が徹底できるようになってきますよね。「現実からの神さまのプレゼントを感じる・感謝」というのは、まだ浅いのね。奥から、一番奥からのプレゼントを感じるのが、一番深い感謝になるのね。そうすると現実がぜんぜん闇でも、心はもう無限に無限に幸せ一杯という状態になれるのね。無条件に幸せってそこにあるのよね。
 先ず、今は現実から幸せを数え上げたら一番手っ取り早いと思うんですね。

金沢の山岸:
 北九州からおいでで、折角ですから、何かありませんか、子供さんのことでも。

参加者:
 この場所に来られた、というだけで感謝の気持ちで一杯ですので、「ありがとうございます」ということで。

ありがとうございます:
 あ〜、いいことねえ〜。

参加者:
 神様は「ありがとうございます」唱えることは、神様自身が喜んでいらっしゃるのでしょうか。
ちょっとわからないんですけど。

ありがとうございます:
 そうですよ、やっぱり人も同じでね、認めてもらって幸せ感じるでしょ、無視されたら感じないですね。「ありがとうございます」というのは、神さまの働きの全体像をぜんぶ認めたことになるね。感謝の心を起してしっかりと受けたことになるんでね。やっぱりそれが一番の神さまの幸せなんよね、喜びなのね。「ありがとうございます」を唱えてる人はね、もう自分の周りのぜんぶから喜びを感じ取るのよね。神さまの喜びなのね、それね。プラスの喜びの姿を見せてもらえるの。みんな神さまが喜んでいる姿ね。

 だから、周りの人もみんなそうでしょう「ありがとうございます」って、心から感謝したら「ニコッ」って笑ってくれるわね。神さまが喜びの姿を見せてくれてると思うのね、それね。
植木鉢に植えてる花でもそうやね、「ありがとうございます」って感謝してたら、花がニコッて笑って咲いてくれるじゃない、ねっ。それ感じるもんね、花の笑顔をスッと感じるもんねっ。

金沢の山岸:
 良寛さんだったかの言葉に「愛語」という言葉があるんですけども、要するに「愛の言葉」と言いますかね「愛語」を相手に掛ける、ということなんですけど、いろいろあると思うんですけど、やはり私は「ありがとうございます」と言うと、ちょっとしたことにでも、例えばウエイトレス水を持って来るとか、食べたものを下げて行くとかね、そういう時に「ありがとうございます」と言うと「ニコッ」と笑うんです、向こうの方が、それで照れたりする人もいるんです。そんなことで普通あまり言われないんだと思うんですけど。そういうのも、やはり「愛語」になるんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうです、本当の愛語は「感謝」なんですよ「ありがとうございます」だけ。
「ありがとうございます」が、神さまと一体化する言葉ですよね。「愛」というのは神さまとの一体感の言葉ね。「愛はすべてと一体」という意味でしょう。一つに合体して合ってるっていう、合一してるという意味ですよねえ。「愛」が一体感だったら「ありがとうございます」が全てと一体化する言葉なんで「愛語」というと「ありがとうございます」だけよね、本当はね。




 忙しいというのは奴隷になっているから

参加者:
 仕事をしていて、すごく忙しい時なんかは、相手の方が「ありがとうございます」を言ってくださるんですよ、すごく忙しい時は「いいから、次のことをどんどんしゃべって!」って、自分が思っちゃう時があるんです、でも「言っていただいて嬉しいな」という気持ちもあるんですけど、急いでると「はあ〜」って__ 後で「何であんなこと思っちゃったんだろう」って思うんですけど。そういう時の自分って、そういう感情はやっぱり、いくら「ありがとうございます」を聞いていても、プラスにはならずにマイナスになっているんですか。

ありがとうございます:
 いえいえ「忙しい」という、忙しい言葉が、リッシンベンに亡くなるでしょう、人の「心」が「亡くなる」というね、われ(我)を失うんでしょう、「奴隷」になってしまうことよ「忙しい」というのはね。自分から楽しんで一所懸命やってる時は「忙しい」って言わないわね。「ありがとうございます」だけで、喜んで楽しんでいるだけでしょう。
だから、そういう「忙しい」という状態は、「ありがとうございます」で軽く消してもらってるのよね。助けてもらったのね。奴隷になったら損するわね。




 神様との対面を楽しむのが「お祈り」

参加者:
 普段「ありがとう」というのが段々口癖というか、思えるようになったんですけど、朝お祈りさせてもらったように、静かな時間というのは持った方がいいですか。

ありがとうございます:
 それも自由自在にね。いろんな時間を持てるのは幸せでしょう、別にこういう形に執われないでいいんですけどね。朝起きて太陽眺めるだけでも静かな時間ですよね。景色を眺めて心をゆったりさせるのも、これも一つのお祈りの時間よね。

参加者:
 自分で決めなくても?決めなくても自由自在に?

ありがとうございます:
 決めなくていいの、自由自在にね。一瞬一瞬を大事に楽しめばいいよね。
本当はもう、神さまとの対面を楽しむのがお祈りよね。太陽を見ても、太陽を「神さまの愛の現われ」って感じたら神さまと対面よね。
そよ風の中に自分を置いて、「ああ、気持ちいいなあ」というのも神さまとの対面なのよね。
 神さまと対面・出会うというのがお祈りなんよね。(すべて?)すべてよ。全てに神さまを見出して行く、そういう練習よね。(自由自在で?)自由自在でいいね、自由自在がね。
 お布団に入って寝る時もそうやね、布団を「神さまの愛の御手」ていうふうに「神さまの愛」というふうに見ていけば、布団の中にゴロッと横になるだけで神さまに包まれるじゃない、愛にね。だから形じゃないね、自由自在がいいよね。




 霊感の強い人

参加者:
 もう一つ、友達の娘さんが霊感が強いというか、なんかわからないんですけど、病院やお寺へ行くと何か入るらしいんですね。私の友達が、お母さんなんですけど、どうしていいかわからなくて悩んでるんですね、そのお嬢さんが自分なりにお祈り、おまじないじゃないですけど、適当にやってるらしいんです、出歩く時は塩を持ったりとか、でも入る時は必ず入っちゃって、寝る時も「こっちに入ってるから、今日は下向きに寝られない」とか言って、なんか大変らしいんです。すぐ入ってしまう、そのお母さんの悩みを聞いても、私にはどうすることも出来ないんですけれど、どういうふうにしたらいいでしょうか?。

ありがとうございます:
 それも、やっぱりマイナスを掴んでマイナスの言葉を使ってるよね。いろんなもん「マイナスのものが入ってる」って見てるのね。「また、入った、入った」ってね。だからそれをプラスに変えるのがいいね、言葉をね。いつも神さまが無限の光が入ってるっていうふうにプラスを受け入れたら、マイナスをもう相手にしなくなるね、プラスの方が強いのね。マイナスを掴んで言葉にしてるから、それがその通りになって行くの。だから、いつも神さまの無限の光が世の中に流れ込んでいるというふうに、プラスの言葉だけを使い続けたら、マイナスは入らなくなるわね。




 「ありがとうございます」を忘れるとマイナスを感じる

参加者:
 入ったもの自体はプラスのものですか。

ありがとうございます:
 そういうものは見ないのね、神さまの無限の光がいつも流れ込んでいるというふうに、「神さまの無限の光だけが、自分の中にあるんだ」というふうに見て行けば、そういう言葉を使ってたら、それがもう「ありがとうございます」という言葉なんですけどね。だから「ありがとうございます」を唱えたら、それも全部消えて行くね。
 本当に「ありがとうございます」唱えたらね、そういうマイナスは一切感じなくなるの。もし、それで何かマイナスを感じるとしたら、その時唱えてないね、「ありがとうございます」を忘れてる時よね。思い出して「ありがとうございます」唱えたら、それで消えて行くのよね、本当はね。




 思い通りにしたい人は、ここには来れない

金沢の山岸:
 ところが、そういう方がいて、例えばここへ来てそういうことを体験させようと思って連れて来ようとしても、なかなか実際は来れないということが多いように思うんですけど。

ありがとうございます:
 そうね、ここへ来れる人は「ありがとうございます」を唱えてる人よね、唱えた人よね。そうでないと、無理矢理連れてきたって、必要なものを受けられないでしょう。ある程度謙虚に素直になって、神さまの助けを受け入れる心になって「ありがとうございます」を唱えさせてもらって、初めてここに来るのよね。
 それでいろんな気づきを、またどんどん与えてもらうような姿とってるだけよね。

 でも、感謝も何もしない人が、自分の好き勝手に思い通りにしたい人が、ここへ来ても何も得られないね。逆に、その「思い通りにしたい」というのを消されたら困るからね、来ない、絶対。
 思い通りにならなくなるからね、ここへ来たらね。まあ、一人一人自由があって時期が来るまではどうしようもないよね。でも、段々と変化するけどね、周りがお祈りする人が増えたら、また、気持ちが変化するのよね。

参加者:
 来てもらいたいなあ、という友達があったとしても、すごい声を掛けずらい、とか思う人だったりすると、やっぱりそれは時期じゃなかったりするのですか。

ありがとうございます:
 そうね、だからそれも自然になるのがいいよね、だから、声掛けても来ないかも知れないからね。別に声掛けなくってもね、またなんかの縁でフッとね、他から誘われて来てるかも知れないしね。それも自分も自然に動いてるのがいいよね。




 ありがとうございますの食事風景

金沢の山岸:
 すみません、つまらない質問かも知れませんけど、いつも、ありがとうございますの食事をしている姿を、みなさん余り見ないものですから、果たしてありがとうございますは食べているのかということを心配されてるんですけど。

ありがとうございます:
 食べてますよ、はははは。しっかり食べてます、十倍ぐらい。そうね、あまり量的に沢山食べたいと思わないからね。みんなと一緒に食べると遠慮しちゃうのよね。

金沢の山岸:
 なんか五分ほどで終わってしまうとか。

ありがとうございます:
 それも、その時その時でね。若い頃はご飯でもなんでも食べたいよね。お腹空くしね、運動したら特にそうよね。私はご飯はもう一膳ね、軽くしか食べないし。偶には食べない時もあるしね。
 おかずだけでちょっと食べるぐらいで終わってしまうから。食べるものも、私は果物があったらいいぐらいなんで、はははは。お肉とかカレーとかね、そんなんあんまりねえ、食べないですね。一番あっさりした淡白なんがいいから。だから一緒に食べるとみんな遠慮し過ぎるのね。
 それでちょっと別にね、食事させてもらってるけど。(そういうことでしたか)はい、食べてます、食べてます。ただお客さんのある時は食べない時もあるけど。臨時にねえ、やっぱり来られる時あるからね。
 そういう時はね、お昼も抜いたりね。夕食も抜いたりする時もあるけどね。それも別にね、なんでもない、苦痛でもなんでもないし、楽しんで。だから、寝食を忘れて楽しむのがいいでしょう、はははは。




 人の縁

参加者:
 「人の縁」って神様から見たらどんなふうなんですか。

ありがとうございます:
 そうね、両方あるでしょうね。腐れ縁とね、神さまから新たに結んでもらう光の「神縁・新縁」というのがね。「腐れ縁」は、足の引っ張り合いみたいな姿をとるんですけどね。それでも、神さまがそこへちょっと働くと、腐れ縁もやっぱり輝いて来るのよね、はははは。

 この世の姿って、本当はみんな神さまからの「新しい縁結び」と思う方がいいよね。「腐れ縁」だけで結ぶことは絶対ない。それも活かしながら神さまが光の縁を結んでくれるの。マイナスの腐れ縁ばっかしだったら、みんなマイナスへ向いてしまうもんね。それだったら大変よね。みんなどんどん地獄へまっしぐらに行ってしまうじゃない。だからそれを防ぐ為に神さまが働いているんだから。だから、どんな縁も神さまの光の縁で新たに与えてもらってるのね。もし「腐れ縁」に見えてもね、その腐れ縁は軽く済んでるの。

 だから、マイナスに見える縁もいい縁よね。本当はいろんな勉強ができて、それをきっかけに大きい幸せを掴むチャンスになってるかも知れないもんね。
だから、「無限の無限のプラスの縁」というのがいいじゃない、はははは。




 国民の感謝が深まれば、政治は変わる

参加者:
 この間、小泉総理が、自分の周りの人のことを「言ったらわかる人と、言ってもわからない人と、それから、言わなくてもわかる人と、三種類いる」とおっしゃってたんですけど。言えばわかる人はいいですよね。言ってもわからない人がたくさんいた場合に、どうしてもそこでやって行かないといけない場面があるとしたら、どういうふうに対処していけばよろしんでしょうか。

ありがとうございます:
 でも「自分がこの世界を変えてる、動かしてる」というのは、ちょっと傲慢かも知れないね。
 「自分は何にもできない」というのがいいのよね。それで「神さまのお手伝いができたら幸せです」というのがいいよね。だから、謙虚になって神様の手足に使ってもらうのがいいの。そうすると神さまが全責任をとって大きく動かしてくださる。だから、総理大臣になったら、個人の総理大臣の力がどうのこうのって関係ないの。

 謙虚な総理大臣だったらバックに八百万の神さまが働くの。一人の神さまがつくだけでもすごい能力発揮するのね、大きい働きがそこに加わってくるの。だから、謙虚さが大事よね。
 人をどうのこうの動かそうじゃないの。神さまが動いてくださってる、働いてくださってるっていう感謝があると、神さまが人を動かすのね。どんな人でも神さまだったら動かせるのね。

 神さまは人だけじゃないね、動物でもなんでも動かせるでしょ。神さまが動かしたら、みんな大きい働きしてくれるからね。「言っても動いてくれない、自分の思い通りになってくれない」って、それも勉強かも知れないけどね。だから「言って動かすものじゃない」というのを気づけばいいの。「思い通りに動かすもんじゃないんだ、「もう全て神さまの御心のままに」って。「神さまの最高表現を下ろす為のお手伝いさえできたらいい」というのがいいでしょうね。

参加者:
 その場合に、相手も相手なりに自分の思い通りにしたいと思ってますよね、こっちも話しを聞かないで、自分の思い通りにしたいと思ってますよね。そういう時はどうしたらいいですか。

ありがとうございます:
 どうしようもなくなってしまうわね。お互いがマイナスよね。足の引っ張り合いで、両方駄目になるね。

 神さまの最高表現を現実化するのが日本の政(まつりごと)なんよね、本当はね。その「政」となると、神さんの心をしっかりと生きるのね。それは「褒め讃えて、感謝して、喜ぶ生き方」なの。お互いを褒め讃え合わないといけない、感謝し合わないと。そして「みんなのお蔭で」って、喜び合わないといけないのね。「誉めて感謝して喜びの生き方」これがあったらもう必ず最高表現が現実化してくるのね。

 だから、今迄の政治の世界見てるとねえ、足の引っ張り合いでしょう。批難し合って責め合ってっていうね。褒めてないね、そうよね。それで感謝し合ってるかって、感謝してない、不足ばっかり言ってる。
喜んでるかって、喜んでないよね、苦虫を噛み潰したような顔してねえ、苦しがってる。
 だから、日本の政の生き方から、正反対の生き方を選び続けてるような感じよね。だから、ちょっと本来の姿に戻ればいいのよね。

 今の小泉総理は他のことをあまり批難しないでしょ、いいことよね、褒めるまでいかなくても、批難しないだけでもすごいことよね。他の悪口言うの少ないね。自分のしたいことは積極的に信念持って言ってる、そこがいいのよね。
 これがもうちょっと褒めあうようになったら、また感謝が深まればね。それでまた「幸せです」って喜べば、本当の政治になって行くと思うんですよね。早くなって欲しいんですけどね。

 でも、政治家から変えるというのは難しいね。下からよね、やっぱりね。国民がどんどん感謝の心を起すようになったら、上は勝手に変るのね。だから、感謝する人が一人でも増えたら、日本の国はどんどん良くなって行ってるのね。だから、みんなの感謝が小泉総理を変えているはずよね。プラスにプラスに変化させてるよね。だから、ちょっと少なくなったね、悪口の言い合いがね、ちょっとだけね。




 「思い」は言葉の後に付いてくる

参加者:
 ずっと聞いてましたら、「ありがとうございます」というところへどうしても行くんで、聞くことがなくなった、(はははは)難しいなあと思うのは、言葉の使い方は意識できるんですが、「思い」というのが、無意識のうちに思ってるということがあるんです。そこをどうしたらいいのだろうとなってくるんで、あんまり難しいこと考えずに、とにかく言葉でもっと出して「ありがとうございます」という言葉を広く自分の中に言うことなのかなあと思ってるんですけど。

ありがとうございます:
 その通りですねえ。「思い」というのは言葉の後についてくるのよね、言葉を積み重ねたらその通りの思いに変るんです。ただ、言葉と裏腹にいろんな思いが出てくるというのは、過去に積み重ねた、心に溜めた思いなのね。それは、今「ありがとうございます」を唱えてても浮かび出てくるのね。それが浮かび出た時に、それで消してもらうために浮かび出てるのね。だからどんな思いが出てきても、これで消されて行くという「ありがとうございます」で、どんどん消されてプラスに置き換えてもらってるのね。

 でも、言葉の通りに思いは・心は従ってくるんでね。だから、言葉だけを選んで積み重ねたらいいの。コロコロ変化する心はどうしようもないよね。でも言葉は選べるの、言葉を選んで心を支配するのね。

金沢の山岸:
 お便りを書く時に、私は「ハガキ道」ということで、ハガキを書くんですけども。そこに「ありがとうございます」という言葉をなるべく入れようとして、最初と終わりにシールも貼ったりするんですけども。そうやって「書く」ということが、自分もそうですし、それを受け取った相手さんにとっても、そういう神さまの光というんでしょうかね、そういうものなんでしょうかね。

ありがとうございます:
 心でずーっと唱え続けられたら、別に形はどっちでもいいような感じですけどね。でも、形の「ありがとうございます」もあることによって、また思い出して心に「ありがとうございます」を唱えやすいですよね。だからそういう助け合いになれば、それが大きく生きてきますね。「ハガキ道」も素晴らしいですね、はははは。(ありがとうございます)
 ありがとうございます。







ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。