0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.


AR137 2003年5月17日 夜

繁栄の法則


ありがとうございます:
 ありがとうございます。 「繁栄」という言葉はね、いろんな意味があると思うんですけど。これも、やっぱり感謝の心で捕らえる繁栄というのが本物ですね。 思いの心だと、例えば、会社を経営して、自分の会社だけがねずみ算式に大きくなって、お金もたくさん儲かってという、そんな感覚があるんですよね。 でも、自分だけが繁栄するというのは、ちょっと間違ってるところがあるんですね。丁度、癌細胞がドンドンドンドン増殖するような感じですね。全体との調和、バランスって一番大事でしょう。皆と一緒に繁栄してないと、ちょっとおかしいですね。


  最高の繁栄の姿

 感謝の心で受ける繁栄というのは、神さまから受ける繁栄・栄えですね。神さまの与えてくる無限の無限のチャンネルの番組の最高番組に、最高の繁栄の姿があるんですね。そこの最高の繁栄の姿というのは、極楽世界を現わすんですけど。 どういう状態であるかと考えてみると良いんですけど。もう、与えて与えて、与え尽す世界ですよね。自分の持ってる全てを与え尽して、全体の幸せだけを願って生きてる世界ですね。そうすると周りの人も全部が、自分に対して与えて与えて与え尽してくるんですね。その循環が早くなるほど、最高番組に近いんですね。

 お金でもそうですね。必要なお金がスッと入ってくる。その代わり直ぐに出ていくんですよ。サッと出ていくのね。そしてまたサッと入ってくるのね。一万円札が一日のうちに一億回ぐらい出入りする、はははは、凄い大金持ちですね。でも、一日に一回「ありがとうございます」と言って、一回一万円が入ってきたとするでしょう。それで止まったら一万円の繁栄しかないでしょう。出さないと入ってこないですよね、やっぱりね。ドンドン出して出して出し尽す方が良いね。

 丁度、呼吸も同じですけどね、吸うばっかしだと止まってしまいますね。吐き出したら、必ず周りに無限に空気があるんですね。そしてスッと自然に必要なだけが入ってくるんです。なんぼ早くしてもいいんですよ、それね。万分の一秒で、一回呼吸するのは大変ですけど。まあ、この世じゃ無理ですけどね。高い番組の世界では速いんです、スピードがね。そして必要なものがドンドンドンドン循環して入ってくるというのが、本当の極楽世界の姿ですね。 自分だけが栄えて幸せというのじゃなしに、周りの人が同じように全部が栄えて幸せなんですね。その周りの人の栄えも自分の栄えにしてしまうと、大きい大きい栄え・繁栄が自分のものになってるでしょう。 これが本当の感謝で受ける繁栄なんですね。


  循環を早くする

 極楽世界にはお金が無いんです、要らないんですね。自分は、もう人に与え尽すだけが喜びなんですよね。だから、お金を必要としないんです、お返しはいらないんです、もうね。与えるだけで良いんですね、それだけが喜びになるのね。すると、周りから与えられるだけで、それも何も報いも何も一切求めずに、タダで与え返して下さるでしょう。縛りが一切無い状態ですね。お互いに縛り合わないのがいいんですね、みんな自由にしてしまうというのがね。与えても、受けてくれても受けてくれなくてもいいんですよね、循環さえ速くすれば良いね。 あの人に与えたいと思って与えるでしょう、ところがその人が受けてくれなかったら他へ周っていくのね。それでいいんですよね、誰かが必要とするところへ周っていくんですね。途中、一万人ぐらい通り抜けていくかも知れない。一番必要なところへスッといくようになるのね。感謝の心って、本当に自由自在で良いんです。思いの心は執われるんですね。「私はあの人の為にしたいんだ」というような感じね。でも、それは小さい執われになっていくんですね。


  掴んだら小さくなる

 普通「これだけが自分のもの」って掴んだ途端に、小さくなるんですね。もう、それだけしか自分のものでないんですね。神さまから与えてもらう、感謝で受ける生き方というのは、宇宙ぜんぶが神さまからのプレゼントですね。「みんな受け取りなさい」って与えてくるんでしょう。そこから必要なものをスッと受けたらいいんですけど。みんな自分のものなんですよ、本当はね。ところが「これだけが自分のもの」って掴んだら、それだけが、それだけしか自分のものでないんですね。結局、自分が勝手に小さく掴んで自己限定してるのね。そして神さまの大きい恵みを拒絶してるんですね。 だから、自分のものは何も無いほうが良いんです、本当に「空っぽ」という方が良いんですね。 入ってきたら即、与え返してしまうという。そうすると、いつも新たに新たに、宇宙全体を受け直せるね。その中から、一番自分に必要なものを、一瞬一瞬与え続けてもらえるね。

 結婚してもそうでしょう、一人の人と結婚してしまったら、もう「その人だけ」という執われが生まれるんですね。それもまあ、与え尽し合う練習としては、まあ良いかも知れないんですけど。本当は、宇宙全体との与え尽し合いがいいんですね。宇宙全体が神様ですからね、神さまとの与え尽し合いというのがね、これが一番幸せなんですね。

 いろんな神さまが一杯、天照大御神様の分身としていらっしゃるわけね。いろんな神さまが自分に対して幸せを与えようと一所懸命になってる。ところが「一人の神さまだけ」と限定したとしたら、他の神さまは与えようがないんですね。もう、いろんな神さまの愛の働きがあるんですけど、それをぜんぶ必要に応じて、自由自在に受ける方が、幸せが大きく深くなるのね。

 だから、本当の繁栄の法則というのは、いつも神さまを相手にしてないとね。神さまを相手に与え尽し合う生き方が、無限の無限の繁栄をいつも受け続けられるのね。 その繁栄の姿というのは、他の神さまの徳性・働きと別個じゃないのね。もうぜんぶ繁栄の中に含まれる大きい繁栄の姿。その繁栄という中に、幸せも、喜びも、安らぎも、神さまの知恵も、愛も、力も、一切合財ぜんぶあるんですよね。だから、繁栄も最高の繁栄という姿をとるのね。 「繁栄だけ」というのはつまらんですね。この世だったら「お金だけ」というとお金だけしかないでしょう、他のものは全部消えてしまう、無いんですよね。 でも、神さまから受ける繁栄は、全部備わるね。そういう繁栄でないと幸せというのは無いんですよね。


  「必要なだけ」とは

 物でも一杯与えられて「ああ、幸せ」っていうのは、思いの心の幸せなんですね。 物でも一杯あったら困るんじゃないですかね、家が小さいと物置になっちゃう。 服でも百着ぐらいだったら大丈夫でしょうけど、一万着も与えられたら整理整頓が先ず大変でしょうね。一億着となるともう、どうしようかと思うじゃないですかね。一個の家にそれを収めるって大変ですね。それだったら、宇宙全体に分散して保存する方が良いんです。必要な時に一つだけくればいいね。自分の家を物置にしたら損ですよね。これも必要なものが、自然に循環してこないと、必要なだけが循環してくるというのが一番楽。だから、極楽世界が繁栄しているという姿が、実際、本当に物がいっぱい有り余ってるのかというと、逆なんですよ、無いんです。必要なだけしかないんです、必要なだけで終ってるのね。その循環が速いんですよね。

 「ああ、コーヒー飲みたい」と言ったらパッとくるんですけどね、飲み終わった瞬間にパッと消えるんです。邪魔するものは何もないんです。「あの服が着たい」と思ったらサッとくるんです。でも次の服が着たいと思ったら瞬間に、前の服が消えてなくなる。凄いでしょう、そうしたらね。必要なものが的確に与え続けてもらえるね、邪魔するものが何一つない、本当に自由になるね。だから、その時に必要なだけしか持ってない。本当に自由自在で楽なんですよね。感謝の心はそこまで行くんですけどね、でも「思い通りにしたい」という思いの心は、そこまで行かないですね。やっぱり執われてしまいますね。過去を掴んでしまって、部分を掴んでしまって、がんじがらめになるんですね。取替えが難しくなりますよね。

 「感謝」というのは、本当はもの凄い働きなんですね。 無限の無限の幸せを受けるだけというんですけどね、その無限の無限の幸せを受けるとう、無限の無限の繁栄を受けるという本当の中身の働きが、本当に必要なものを的確に与えてくる、神さまの大きい愛の働きなんですね。


  スピードが速い方が良い

 必要がなくなったら消して下さる働きも中に含まれてる。だから、ゴミは生じない、埃も生じないですね、要らないものが一切無くなってしまうんですね。そこまで循環が速いんですよね。それは、やっぱり循環が速いからです。 川の流れでも澱むと汚れてくる、濁ってくるね。でもスピードが速いと清らかなままなんですね。それで、神さまから現れてくる最高番組の光というのは一番スピードが速いんですね。そして番組が下へ降りてくるにつれて、スピードは緩やかになってくるね。

 感謝の心も速いほど深い感謝で、緩やかになってくるほど浅い感謝ね。その感謝がもっと緩やかなスピードになると、思いの心に変化するのね。思いも最初は良い思いなんですね、そしてスピードが益々遅くなると、今度はマイナスの暗い思いに変化するでしょう。そして一番最後は、ほとんど動かないような思いの姿で、そして消えていくんですけど。だから、動かない姿を見てると、もうなんか時間がズーッと長い間続いているように錯覚を起すでしょう。低い番組ほど時間が長く感じられるのね。マイナスを掴んだらマイナスが長く続いたように錯覚を起しますよね。

 でも、無限に速いスピードで動いているものというのは、本当は掴みどころがないでしょう。次から次へと無限のスピードで現れてくるものって掴めないですね。 瞬間「掴んだ」と思っても掴んでないですよね、もうね。次のものに心を向けるのに忙しいから。そういう感覚が良いですね。だから、自分の周りの全部が、無限のスピードで飛び回ってる、変化し続けてるという。楽しいですよ。時間の感覚を、今の感覚から十倍ぐらいにするだけでも凄いですね。百倍にしたらもっと凄い、一万倍にしたらもっと凄いでしょう。内容が、中身が充実しますよね。だから、短い時間で沢山の変化をとらえる方が、幸せが大きくなるんです。

 極楽世界というのは、この世の感覚の無限億万倍のスピードですね、スピードが速くなっていくんですね。これ、時間的な比較はできないですけどね、どこまでも速くなるのね。その代わり、たくさんの幸せ、光を一杯感じ取れる。 この例え話が、龍宮城の話ですね。浦島太郎が亀を助けるんですよね。お礼に龍宮城へ連れて行ってもらうでしょう。亀を助けるというのは、愛の心ですから心の波が高いんですね。それで波長が合って龍宮城へ連れて行ってもらうのね。そこでしばらく滞在して「ああ、幸せだなあ」という感覚で遊んでるでしょう。まあ、ちょっとの間だと思うんですね、感覚はね。そしてまたこの世に戻ってきた時は、長〜い年月が経ってしまってた。幸せな世界は時間の経つのを忘れる、感じられない、短い時間に思うんですね。低い番組の世界は長く感じるんですよね。短い時間でたくさんの幸せを捕らえていくほど、高い世界に、幸せを感じる能力が増えてくるんですよね。

 まあ、いろんな勉強もそうみたいですね、スピードを速くして聴くというのがね。それで能力を引き出すのにはちょっと良い感じでしょう。見るのもスピード化したらどうでしょうね。早送り、ビデオの早送りですかね、はははは。慣れたら感じられるのかも知れませんね。早送りでみんな見えてしまうというのね。一時間のビデオが数分で見えてしまうというのは面白いですよね。


  繁栄は与え尽くすだけ

 そして、栄える為には与えるだけの心が良いですね。求める心は一切起こさない方がいいんです。「与える心と求める心」は正反対の働きになるんですね。「与える」というのは押し出すわけでしょう、そうすると周りから自分のほうへ全部入ってくるね。だから、与え方がプラスの循環を起すんですけど。「求める心」は、逆にマイナスの循環になってしまうんですね。周りから与えてもらって「ああ、有り難い」というだけだったら、それで止まってしまうでしょう。

 だから、「与える心と求める心」は交流しないんです「与える心と与える心」は交流し合うでしょう、そしてスピード化してプラスをいっぱいにしていくんですね。「求める心と与える心」とは、循環が止まるんですね。そして「求める心と求める心」はね、今度は逆にマイナスの循環が大きく速くなるんですよ。「求め合い、奪い合い」になるでしょう。むしり取り合いですよね。普通、ちょっと求める心を起こすだけで、みんな心を痛めるんですよ、苦しくなってくるんですね。「ああ、こうしてくれたら良いのに、こうして欲しい」と思っただけでそうなんですよ。結局、自分が逆流を起して、逆流の波の中にはまり込むんですね。そして幸せがドンドンなくなっていくんです。

 だから、与え尽すだけが良いですね、なんぼ与えても与えても、ちょっとでも求める心を起こしたら駄目なんです。「喜んで欲しい」というだけでもあかんのですよ。「こんだけ幸せを与えたのに、ちょっとは喜んで欲しい」「感謝して欲しい」とかね、それはやっぱりマイナスになるんですね。本当に、神さまの与え方を見てるとそうでしょう、絶対縛ってこないですね。「与え尽すだけ!」。本当は与えたものを受けて欲しいんでしょうけどね、「受けなさい」と言わないね、縛ってこないね。「どうぞ、ご自由に」と言うわけよね。だから楽なんですよね。だから、どれだけ良いものを与えても、強制されたら嬉くないですね。ご馳走を山ほど積まれて「早く食べなさい!」と言われたら、もういっぺんに満腹になって、食べる気が起こらなくなるね。やっぱり自由にさせてもらうほうが良いですもんね。

 だから、身近な生活のいろんな中で、本当に「与え尽すだけ」という練習が、本当の繁栄を掴む方法ですよね。直ぐに結果が出てくると思います。「ああ、幸せだな、本当に幸せになれたな」という感覚がスッと湧いてくるんですね。だから、恐いもの知らずなんですよ、本当にね。「何も無いのが幸せ!」という感覚がね、「無条件の幸せ」というのがそこに生まれてくるね。 普通は、みんな条件付に思うでしょう、幸せというのはね。「こうしてもらったら、これがあったら幸せ」という感覚ですね。これは思いの心の感覚なんです。

 感謝の心の幸せは、もう何もいらないんですね、「何も無いから幸せ」無条件の幸せが本物の幸せなんですね。これは、もう感謝を徹底して、与え尽してしまえば、必ず何も無い状態で、無条件で幸せ一杯という感覚になれるのね。 これからは本物の時代ですからね、感謝も繁栄も全てが本物にドンドンなっていくと思いますけど。順番にその本物を与え続けてもらうんですね。そしてその本物を大きくして頂くのね。 繁栄についてはこのくらいで、何かご質問をして下さい。


  欲しいものと、必要なもの

質問:
 今のお話で、与え尽す相手が非常に思いの強い人、マイナスの思いの人。その人の思いに対しても与え尽すのですか。それともそういう人とは距離を置いて。

ありがとうございます:
 与え尽す時に一番大事なのは、相手に本当に必要なものを与え尽すのね。これがいいんですね。 欲しいものと必要なものとちょっと違いますね。質問がありましたよね、ちょっと答えてみたいと思うんですけど。 相手に必要なものを与えたら、相手が幸せを感じるんですね。でも、欲しいものを与えても、相手の思いの心は満足するんですけど、本心の感謝の心は喜ばないですね。逆にマイナスに重ねたような感覚に陥るんですね。感謝の心にとったらそうなのね。 「本当に必要なものを与える」というのは難しいですけどね、これが一番与える上で大事な事ですね。

参加者:
 そうすると「与える」という時には、相手の本心が欲しいものを与える、必要なものを与える。 闇雲に相手の思いの通りに与えるのとは全く違うということですね。

ありがとうございます:
 ちょっと違うんですね。だから、与え方にも知恵が必要なんですね。 感謝の心の中には知恵も備わってますよね。そして神さまに導かれて、必要なところへ必要なものを的確に与えていく、その循環を速くしていくんですね。本当は、必要なものを与えてもらった時は幸せが大きいでしょう。お腹が空いてどうしようもないという時は、食べ物を与えてもらったら一番幸せですよね。服を貰っても駄目ですね。 やっぱり、その時その時に一番必要なものを与えてもらって、「ああ、幸せ」って、感謝を深くしてもらうのね。そういう与え方というのが本当は大事なんで。

 でも、普通は欲しいものを手に入れようとするでしょう。欲しいものというのは、マイナスになるんですよね。我がままなんです、「欲しい」という感覚で手に入れたものはぜんぶ借り・借金ですね。神さまが背後で応援してないですね。 例えば、子供が「甘いものを沢山食べたい、欲しい」って駄々をこねたとするでしょう。そしたら親は、子供が可愛いからって甘いものをいっぱい与えて虫歯をつくらせたりね、体を壊させたりしたら、子供の幸せにはなってないですもんね。すると、守護霊さんなんかは、その親の生き方と正反対の事を願ってるはずなのね。「我がままを通すな」という。本当に必要な食べ物は与えて欲しいんですよね。ところが甘やかせて欲しいものを与えると、逆にマイナスになる事が多いですね。そういう時は厳しく「与えない」という気持ちで対処しないとね。

 先ず「欲しい」という心は五欲の心からくるのね、思いの心からくるんです、皆ね。 感謝の心は絶対自分から「これ欲しい、あれ欲しい」という思いを出さないんですよね。出さなくても必要なものは必ず与えられるんで「ああ、既に与えられてる」と気づいて感謝が、喜びが深くなるのね。 思いの心はそれに気づかないんですよね、与えられてるのに気づかないから、「あれ欲しい、これ欲しい」というふうになるんですよね。思いの心で「あれ欲しい、これ欲しい」という時は、与えてもらわないほうがいいんです、本当はね。そうすると、その間違いに気づくし、借りを増やさないで済むんで、早く感謝の心に戻りやすいんですね。 だから、「思い通りにならない」という事で、思いを消してもらうんですね。そうすると感謝の心がスッと出やすくなるね。


  思い通りに生きた人

 大抵ね、思い通りに生きた人って、この世で権力を握って、自分の思い通りに生きた人は、地獄の方に降りるんですよね。思い通りにならない世界に入るんですね、必ずね。それで借金返しをするのね。 大勢の人を自分の思い通りにした人ほど、地獄のどん底に落ちるのね。それで、「絶対思い通りにならん」という状態に置かれて、はじめてそれが帳消しにしてもらえる、清算されるのね。 これは一個の家庭でもそうですね。亭主関白で家族を思い通りにした人は、今度は思い通りにならない体験を積まないと消えないでしょう、マイナスがね。この世で消してもらう方がいいんですけど。あの世へ行ったらまたいろいろと苦しみも大きくなりますからね。

参加者:
 この世で消しておかないと、あの世で大きくなるんですか。

ありがとうございます:
 大きくなるんです、長引かすほど利息も付いて大きくなるんですけど。この世以上にあの世の方が苦しみも大きくなるのね。この世は軽く消してもらえる世界ですね、あの世へ持ち越したら損するね。 だから、我がまま一杯で苦しんで死ぬ方がいいんですよ。それは若い時は思い通りになると思いますよね、無理矢理にでも周りを思い通りにしてしまう。晩年ね、みんなからいじわるされて、誰も助けてくれない状態で苦しみながら死んだ方が、この世のマイナスを清算してあの世へ行けるのね。その方が、本人にとったら幸せが大きくなるんです。

参加者:
 逆に、果たしてないで天上へ行った場合はどうなるんでしょうか。

ありがとうございます:
 持ったままで、良いところへ上げてくれるんですけど。でも、先に借金返しをたくさん済ませた方が良いでしょう。楽に行けるんですね、良いところへね。 自分の借金は自分が清算していかないと、自分で返さないといけないです、いずれはね。借金返しを早く済ますほうが良いですよ、楽です。

参加者:
 天上では、借金返しはできるんですか。

ありがとうございます:
 必ず出てくるんです。これは強制的にされるんじゃないんです。みんな奥の本心の自分がぜんぶ見通して知ってるんですよね。人に迷惑をかけて借金をして、借りをいっぱいつくったら、その借りを必ず返さなきゃいけないと本人がわかるんですね、知ってるんですね。 だから、みんなに迷惑かけた分は必ず清算しようとするんです。

参加者:
 天上では果たせないから、また生まれて来て果たすんですか。

ありがとうございます:
 いや、あの世でもできるんですけど。あの世の方は厳しいんですね。厳しい返し方をしないといけないね。 普通、この世で生を終えてあの世へ移る時に、あの世で一応良い世界へ上げてもらう、見せてもらうんですよ。「ここで良いか」と言われるのね。ところが本人は良く知ってるから、自分がどういうことをしてきたかをね。本人が決めて行くんです「ああ、ここはちょっと敷居が高い」というわけですね。そして一段降りるんですね。「ここではどうか」って、ここでもまだちょっと居心地が悪いというのね。それで順番にズーッと降りていくんです。最後に居心地の良い場所が決まるんですよね。それが我がまま一杯に人に迷惑をかけた人は低いところへ落ちる。権力を握って大勢の人を不幸にした人は、必ず地獄へ降りるんですね、そこが一番居心地がいいんです。そして、そこでもう一回借金返しを済ませて、そしてまた高い世界を選んでくるのね。これは、閻魔大王が強制的にそこに置くんじゃないんです。みんな自分が選ぶんです、誰も強制しないんです、良いところへ上げたいばっかしね。ところが自分が居たたまれないの、そこはね。そして降りていくだけなのね。

参加者:
 そして、降りて苦しむのですか。(笑い)

ありがとうございます:
 やっぱりそれは、借りを清算したいというのが、本当の奥の願いなんですね。それで自然にそういうふうに早く借金返し、借りを返せるように、そういう立場に自分を置いて行くんです。 この世も同じなんですよ、この世でも不幸になるのは、他からしてくるように思ってる人もあるかもわからないですけど、違うんです、逆なんです。自分が自分の過去を全部知ってるんですね。それで迷惑をかけた分、早く自分のマイナス面を清算しようとして、そういう場へ自分を置くだけなんですね。

 例えば、昔に人殺しをしたと仮定するでしょう。人殺しをした人は、必ずその罪を清算する為に殺されないといけないんですよ。だから、殺されるような場へ自分を持っていくんです。 ただ、この世はもっと軽く済むんですけどね。それがちょっとした喧嘩になって殴られるとかね、その程度で済ませてもらうんですけど。それで殴られたら腹を立てたら駄目なんですよ。「ありがとうございます」って言わないと。(笑い)本当に「ありがとうございます」で受けないといけないね、もの凄い徳をした事になるのね。 だから、この世のマイナスはマイナスじゃないんですね。大きいマイナスを軽くして、帳消しにしてもらう姿なんでね。だから、マイナスにも大きい感謝が必要ですよね。 プラスは、もっと感謝をするのが大事なんですけどね。そういう感じですね。


  与えるものが解らない

質問:
 与えることですが、与えたいという気持ちがあれば‥‥。 与えようとするものが必要かどうかわからない時は、どうすれば良いのですか。

ありがとうございます:
 そこに感謝をする、感謝の心を持っていたら、自然に必要な与え方ができるようになりますね。 一番良いのが「ありがとうございます」って心に唱えている事ですよね。そうすると、自然に、必要な時に、必要なものを、自然に、スッと与えてるんです。それが一番良い与え方になるんですよね。 でも、難しいでしょう、与え方がね。

参加者:
 相手のエゴであれば、それを拒絶する事が、逆に本心に対しては与えているのですか。

ありがとうございます:
 そうです、それは必要なものを与えてるという姿ですね。だから、プラスだけを与えるというんじゃないんですね。マイナスに見える姿も良い与え方の時があるんですね。 悪い事をしたら「コラッ!」と言って止めるのも、良い与え方かも知れないでしょう。 食べ過ぎて病気になった人に「断食しなさい!」って、食べ物を与えないのもいいんです。与えない事も良い意味の与え方なんですね。それが自由自在にできるというのが、感謝の心ですよね。神さまに導かれて自然にできるんですね。

参加者:
 その為には、自分は常に神様とつながってないといけない。

ありがとうございます
 そうです。もういつも神さまと一緒・一体で「ありがとうございます」で神さまを受け入れたらいいんですね。「みんな神さま」という感覚になってくると、それでもう自由に楽になってきますよね。


  この世における輪廻転生について

質問:
 先ほど、あの世の話がありましたが、輪廻転生について少し教えてください。

ありがとうございます:
 この世は輪廻転生の世界ですよね、番組としてはね。高い番組はもう輪廻転生を超えているんですけど。もう一つ低い番組も、輪廻転生というのは無いですね。 この世における輪廻転生を考えてみたいんですけど。
 
 この世で魂を磨く為に、魂が肉体に何回も生まれ変わってくるんですね。本体の、本心の自分から見ると、魂なんてちっぽけなんですよね、一つの分身の程度ね。無限の分身を出せる本心の自分にとったら、ほんの無限分の一ぐらいの分身の出し方ですよね。そして一つの魂を立派に変えて行こうとするわけですね。 ある時は、人間のこの「魂」という姿で表現を完成させていこうというふうに思うわけね。表現ですから、最初はゼロから出発すると見た方が良いのね。そこへ魂の自分として、完成品を写し出す、描き出してくるんだといういふうにね。

 最初は失敗があるんですね、最初から完成品は描けない。何回も練習を積み重ねて完成品を創り出すんですね。それで、何回も肉体を持って地上に生まれては、いろんな学びをして行くんです。そしていろんな角度からその魂を磨くんですね。そして最後に「完成された魂」という姿をとって、それで「ああ、一つの絵を描いたな」という感じで卒業してしまう。

参加者:
 もう生まれてこないのですか。

ありがとうございます:
 一つの完成品の絵を見たらね、もう要らないですもんね。次に新しい作品を創りはじめる。

参加者:
 悪い事をした人でも、今わの際に本当に感謝をした場合はいいんですか。

ありがとうございます:
 本当に感謝できたらぜんぶ卒業ですね。

参加者:
 上に上がれるんですか。

ありがとうございます:
 本当に深い感謝のできる人は、瞬間に完成品を創り出すんです。だから、次から次へと新しい作品を創っていけるんですよね。だから、過去の一切はぜんぶ無縁の状態で、関係ない状態に入りますね。 実際この世で人殺しをしても、どれだけ悪逆非道なことをし続けてもね、本当に深い感謝に入った人は、過去の一切を消しきってしまうんです。それで、そういうものに一切縛られない状態で、悟りの世界に入ってしまうんですね。 過去に悪い事をしたから悟れないんじゃないですね、それを本当に心から放せて消しきれるかですね。感謝を深めて、神さまの光をいっぱい浴びて、その過去を掴む思いをぜんぶ消しきれるかどうかなんですよね。

参加者:
 今わの際に意識がなくても、自分の心の中で本当に感謝した場合はそうなるわけですね。

ありがとうございます:
 そうです、感謝の自分が出てきたら、過去の一切を消しきるんです、そして悟りを開くんですね。

参加者:
 例えば「どこかに行きたい」「これをしたい」思う時がありますが。例えば「魂を磨きたいからこれをしたい」とか、そういうものは、その人にとっては思いになってしまったりすることがありますか。

ありがとうございます:
 ありますね。

参加者:
 どういうふうに見分けるのでしょうか。

ありがとうございます:
 やっぱり「ありがとうございます」って感謝し続けてないと、思いに負けちゃうんですね。 感謝してると、いろんな出て来る思いも消してもらって、感謝の心で必要なものを選び続けていけるのね。それで、やっぱり自分の奥の一番願ってる必要な事を優先的に選んでいくんですよね。 だから、幸せへの最短コースを歩み続けるような感覚なんですよね。 でも、感謝を忘れた途端に、過去の思いが浮かび出てきますよね。また新たに思いを出し続けますよね。そうすると思いの奴隷になってしまうのね。そして、思いの心で選んだのは、やっぱりマイナスへ向きますね。 一番いいのは「ありがとうございます」を心に唱え続けるのが一番いいですよ、それが一番楽な生き方ですね。


  欲をとる努力は必要か

参加者:
 求める心というのは、今の人間の五欲、感謝がないから五欲が出るという事だと思うんですけど。金銭欲とか名誉欲とか、それから肉体に付随した食欲とか色欲、睡眠欲がありますね。 例えば、○○さんだったら金銭欲も名誉欲もほとんど無いんですけども、食欲だけはしっかりあるわけですね。私だったら、やっぱり眠いんですよね、なるべく睡眠欲を取ろうと思って三時間か四時間続けていると眠いわけですね。それでも尚且つ、また徹夜でお祈りしようかなと思うわけですけども。そういう一つ一つの欲を取る努力といういのは必要なのか。それとも逆に感謝を深めるという事の方が近道なのか、その辺をちょっとお聞かせ願いたいのですが。

ありがとうございます:
 本当の意味の感謝をすれば、神さまの光がスッと降りて思いをぜんぶ消して下さるね。五欲は自然にスッと消えて、無くなっていくんですよね。だから、「感謝を深くする」というのが一番いいんですけど。ただ、感謝をするというのは、心で「ありがとうございます」を唱えるだけじゃないんですよね。もう、自然に神さまが自分を使って働いてくださる姿をとった方がいいんですね。それで体が自然に自由に動いて、神さまのお手伝いの姿をとってる時の方が、楽に神さまの大きい光を浴びて思いをたくさん消してもらうのね。

 本当に真剣に座って祈った方が良いという時は、神さまはそういう姿をとるのね。これは自分で選ばなくて良いですね、「ありがとうございます」を唱えながら神さまにお任せして、あと真剣に必要な「神さまのお手伝い」という姿で、深く祈らなきゃならない時は、座って命懸けで「ありがとうございます」と唱えるのもいいんですね。そうでなかったら、またいろんなお手伝いの仕事をその時にさせてもらうのがいいんですね。それも自由自在がいいんですね。

 神さまのお手伝いをして、神さまに使ってもらうほど、思いは早く消してもらえる。思いを消そうとしなくてもね、前へ進むだけでいいんですね、前へ進むだけで過去を一切消してもらうの。だから、楽しく楽しくが良いの。無理に止めなくていいんですよ、そんなんね。楽な状態で前へ進めば良いだけなの。そしたら自然に必要でないものはぜんぶ消してもらって、自然に必要なだけが残されて楽になるね。

参加者:
 ありがとうございますは、やっぱり一時間か二時間しか寝ないんですよね。それぞれ人によって違うと思うんですけど。

ありがとうございます:
 そうね。眠れないのも損かも知れないですよ、はははは。でもね「みんなが自分」と思えば、いろんな眠り方をしてくれるでしょう。小さく見ない方が良いですよね。起きているのがいいんだったら、神さまが自分の代わりに起きてくれてるって、そのぐらいの感覚が良いですよね。 また、番組で見たら、高い番組は寝ないですね、忙し過ぎて。でも、ゆっくりしたいという番組があっても良いですもんね。だから、その時その時、必要な姿で良いですよね。眠り姫みたいに眠ってもいいんですよ、何年も。それを小さく部分的に執われるとマイナスに見がちなんで、全体を大きく受け入れて、ぜんぶ自分の身代わりの分身の姿と見ていけば、いろんな眠り方を楽しむ、という感じでいいんじゃないですかね。 それで必要だったらまた変化しますから、変化を楽しまないとね。


  地獄はあるのか

質問:
 地獄はあるんですか。

ありがとうございます:
 ありますね。やっぱり仏教で説くような八大地獄ってあるんですね、八熱地獄、八寒地獄ってね、それは簡単に説明してるわけ方ですけど。神さまの表現というのは、全てを尽した完璧なもので、番組としてちゃんと創られてるんですね。「神さまの最高傑作」という感じでね、無いものは無いんです、本当に無いんですね、みんな揃ってるんです。 それも、地獄番組を見る必要のある時は見せてもらう方が幸せなんですね。ただ、その中にはまり込む必要はないんですからね。それをちょっとでも見ることで体験したら、極楽世界の素晴らしさがよくわかるでしょう。幸せが大きくなりますもんね。「比較の対象」ってあった方が良いでしょう。そういう意味で必ずあるんですね。

 「地獄は無い」と言う人もありますけどね、そういう程度の番組もあるんです。でも、本当の地獄もあるんです。だから、ありとあらゆる番組を全部とり揃えられて存在してますから。一度は体験してみたいでしょう、はははは。でも感謝を深くしてね、番組を遠く放して達観できるような感じになったら、地獄番組も喜んで見れるのね、楽しめるんです。恐くないですよ。


  辛い時の感謝

質問:
 辛い事や悲しい事があった時に、感謝したいという気持ちがあっても、なかなか心からそう思えない時があります。そういう時はどうしたらいいですか。

ありがとうございます:
 感謝というのは、「心から感謝しなさい」という意味じゃなしにね、「ありがとうございます」と神さまを呼ぶだけが良いのね。呼んでると感謝できるように変えてくださるね。心から喜べるようにしてくださるだけね。だから、「神さまを呼ぶ」という感覚が良いですね。しんどい、大変、苦しい時ほど呼べば良いのね、「神さま!」というふうに、「ありがとうございます」って神さまを呼べば、サッと助けに来てくださるわけよね。だから楽な方が良いね。


  締めくくりの時代とは

質問:
 今の時代は締めくくりの時代だという事を言われたと思いますが。 「フォトンベルト」とか「光の12日間」というお話を聞いたことがあるのですが、それと関わりがあるのかどうか。

ありがとうございます:
 そういうのは、枝葉の小さい事ね。表面を流れてるちょっとした働きの一部よね。そういうのとは無関係ね。本物の最後の締めくくりというのは、大きい悟りの世界に入らないとね。この世になんか執われない生き方よね。神さまの最高番組を受け入れようという生き方なんで、ぜんぶ無限の無限のプラスに変化するね。神さまが直接感じ取れるような感覚の時代になってくるね。それも感謝を深めた人から順番にそういうふうにしてもらえるね。本当の悟りを開かせてもらうのね。 みんな最初はいろんな番組へ順番に舞い降りて体験しながら、最後には最高番組に戻るように最初から決めてきてるのね。その途中は自由にいろいろ選び方が、いろいろで変化してるんですね。でも、最後はみんな最高番組に戻ろうとするのよね。そして、全体のいろんな人の体験を束ねて神さまは喜んで遊んでるような感覚よね。

参加者:
 それは地球人類がという意味ですか。もっといろいろレベルの高い星がいますよね。

ありがとうございます:
 小さい締めくくりも、大きい締めくくりもあるので。地球だけだと小さい締めくくりね。

参加者:
 そうすると、小さい締めくくりと大きい締めくくりと両方。

ありがとうございます:
 はい。


  「祭り」の意味

参加者:
 七月には惟喬親王祭があります。「祭り」ということに対して一言だけ。

ありがとうございます:
 「祭り」という言葉の響は「まつりあわす」と言うんですよね。 「ま」というのは、「真理・真」ですよね。「真と釣り合わす・神さまと釣り合う」という。 だから、バランスをとって交流のできてる状態ですよね。一方に偏ると駄目なんですね。神さまだけでも、人だけでも祭りにならないんですね。神と人とが本当にバランスをとって一体化して、交流し合わないとね。そうすると、天の理想がこの地に現れる、神さまの喜びが地に満ち渡るわけですね。全ての良いものが、この世に降りてくるのが「祭り」ですね。全ての分野に本物が降りた状態が「祭り」なの。人も悟った状態が「祭り」の状態ね、神さまと祭り合った状態ね。 芸術でも、最高の美的表現がこの世に降りたら、祭り合いの姿ですね。本物がいっぱい降りてくる状態ですよね。そして皆が本当に心の底から「喜び一杯」という姿をとった時、これが「祭り」ですね。 だから「天岩戸開き」ね、天照大御神様が最高に降りてきた状態ですよね。これが本当の意味の「祭り」なんです。だから、どんちゃん騒ぎが良い、はははは。


  宿命と運命

質問:
 宿命と運命。コントロールできるものと、できないもの。どこからどこまでが運命で宿命なのでしょうか。

ありがとうございます:
 一番奥の自分から見た時は、無限の無限のチャンネルを与えてもらって、どの番組も選べるでしょう。一つの番組に宿命も運命も含まれてますよね、一つの番組に入った時にね。自分で変えられないものもあって、変えられるものもあるんですよね。そういう番組なんですよね。 でも、奥から見ると、番組自体が自由に選べるというところから見たら、運命も宿命もぜんぶ変えられますよね。番組さえ変えれば変わるんですからね。 普通、この世に生まれて来て、寿命って定まってると言いますよね。でも、寿命も伸び縮みするんですね。そして寿命も段階も、第一、第二、第三の寿命って定められて、最後まで行く人も、途中の第一で亡くなる人もあるという見方もあるでしょう。でも、そういう定まった寿命をも変えられるんです、番組を変えたら。

参加者:
 番組は生まれる前に、一応決めてくるという事。途中でも感謝とかで変えられる。

ありがとうございます:
 そうです。今の一瞬、いつでも変えられるんです。本当は、もう自由に全てを変えて行けるんです。

参加者:
 それを変える力が「ありがとうございます」という感謝があれば。

ありがとうございます:
 本当の自由な心に戻って、もう一回番組選びをし直せば、本当の自由自在な、全てを変えるような生き方がとれますね。だから過去の一切に縛られなくなる、はい。 ありがとうございます。

 ありがとうございます。



AR137 2002.6.29-1
 最初から用意されている言葉

進行:
 祈り言葉は神様との約束事でないと効果がない、あまり力がないということですけども、それと「ありがとうございます」のことをお聞きしたいのですが。

ありがとうございます:
 祈り言葉というのは種類が多いんですよね。普通の祈り言葉は「救済の神様」との約束事で効果を大きくしてもらうのね。でも「ありがとうございます」は、宇宙の大神様のすべての働きを現す言霊によって支えられた言葉なのね。最初から降り注いでいる神さまの働きの全てですね、‘約束事’どころじゃないのね。この言葉「ありがとうございます」って唱えたら必ず宇宙絶対神が救いに立つわけね。最初から用意されてる言葉ね、後からできた言葉じゃないね。それで、「全ての全てなる神さまの大きい働き」というふうにとらえられるわけね。

 例えば「南無阿弥陀仏」、これも祈り言葉よね、これは阿弥陀様とみんなが救われたい一つの約束事の言葉なのね。これも阿弥陀様の方から‘降ろしてきた’といったらそうなんですけど、‘阿弥陀仏’という名前自体がそうですよね。阿弥陀様から降ろされた働きが、その「南無阿弥陀仏」という祈り言葉となって、それで「救ってあげよう」という働きになってくるわけですけど。ただ、その「南無阿弥陀仏」を唱えるのでも救われる条件というのがあるというのでしょう、三つの条件がね。「至誠心 深心 廻向発願心」という、この三つの条件をちゃんとできた時に、初めて南無阿弥陀仏を唱えて阿弥陀様の大きい助けを受けられるというよね。他のいろんな祈り言葉ってほとんど何かの条件があるのよね。‘条件付’というのが多いよね。

 ところが、この「ありがとうございます」だけは‘無条件’ね。この言葉さえ心で唱えることができたら、どういう段階のどういう立場になっても、一番必要な的確な助けを与えてくれるのね。これは神さまの方がみんなを見守り続けてるわけですね。その神さまの方へ心を向くのを、何億年以上待ちに待ってね、忍耐強く待ちに待って見守り続けているわけでしょう。そして、その神さまの助けを謙虚に・素直に受け入れるという心の状態になったのを見極めて‘スッと’助けに入るわけね。

 最初は神さまの方から助けに入ってはじめて「ありがとうございます」が出てくるね、神さまの方が先に認めてくれたのね「もう救われる時期だよ」という意味でね。「ありがとうございます」って神さまの助けが入ってスッと出てきたのが、最初の救われのきっかけになるわけね。それで後、「ありがとうございます」を、これも神さまに唱えさせていただくのね。宇宙の大神様からいろんな救済の神様、また守護霊さん・守護神さん・ご先祖様が一人一人に合わせて、順番に助けに入ってくるね。その唱え方がいろいろに変化してるのね。

 一心不乱に唱える時もあるし、年に一回ぐらいの時もあるしってね、浅い唱え方もあるし、深い唱え方もあるしね、もう千差万別ね。いろんな唱え方が、その時その時必要に応じて入ってくるのね。そして最後には最高の幸せを感じさせるように、大きい助けを与えて本心の本当の自分へ戻してくれるのね。
 そして「無限の無限の感謝がいっぱい」という、本当の感謝三昧の状態へ持ってくるのね。
 だから、「ありがとうございます」という言葉は、もう約束事じゃないのね。人が神さまと約束してつくってもらったような、そういう言葉じゃないね、『最初から、みんなのために用意されてる言葉』なのね。そういうものね、はい。




 「一番奥の無限に無限に輝いた姿」を見るのが本当の見方

進行:
 もう一つ、先生はどんな方のことを聞いても「素晴らしい方ね」とおっしゃって批判はされないのですが、それは何故ですか、というのがあります。

ありがとうございます:
 そうね、神さまの与えてくる無限の無限のチャンネルの番組ね、これは本当はぜんぶ「神さまの最高表現・最高傑作」なのね。一番下の地獄番組ですら神さまの最高の最高の傑作・素晴らしい作品なんですね。その見方がどういうふうに見るか、よね。本当は一番下から謙虚に拝み上げて見るんだったらね、全部プラスにプラスに見えるはずですよね。ただ、この世的に、「この世でいろんな善悪の判断をする」という立場に立つと、「これは善い、これは悪い」という見方もあるんですよね。そういう見方もある時は必要なのね。
でも、全部をプラスに見るほうがいいでしょうね。謙虚な立場でね、みんなを拝み上げてプラスにプラスに見ていける方が、本当はこの世の生き方としても幸せが早く大きくなると思うのね。

 でも、それ以上にね、みんなの本心って「天照大御神様そのもの」という、みんな、神さまの全徳をいただいて無限の無限の輝きが一杯!という姿をとり続けてるのね。それがどのチャンネルの自分であっても、その奥の自分は、そういう無限に無限に輝いた姿をとり続けてるわけよね。「その人を本当に見る」というのは、「一番奥の無限に無限に輝いた姿を見る」のが本当の見方ね。
 例えば、この肉体人間を見るのでもね、爪の垢だけをみて「これがあなたです」と言われたらどうなるんでしょうね、嫌よね。やっぱり顔をまともに見て・全体を見て名前を呼んで欲しいね。この世の姿だけを見るのは爪の垢ぐらいかも知れない、奥にまだまだ素晴らしい姿が一杯あって、大きい自分が存在するわけね。無限に無限に輝いた自分が本当に存在するという、そういう見方の方が神さまにとったら「ああ、正しく見えているよ」というふうに認めてもらえるのね、褒めてくださるわけね。

 私もお祈りはいつも、みんな無限に無限に輝いているという見方をしているのね。お祈りする時は特にそうよね。「みんな無限の無限の輝きで一杯!」というふうにね、そういう見方でずーっと祈り続けているんで、本当に目を開けて見ても、みんな輝いてしか見えないから。偶には、善悪を比較して「これは善い、これは悪い」という時はあるけど、本当はそういうのはあまりしたくないね、はい、ありがとうございます。

参加者:
 宇宙絶対神というのは、全ての宇宙を含めた絶対神なんですか。

ありがとうございます

 そうですね。本当の宇宙の大神様というのは、もう本当は言葉では表現できないですね。
 無限の無限のチャンネルって、この一つ一つのチャンネルが大きい大宇宙なのね。その大きい大宇宙が無限に無限にあるわけね。その一番奥、ワンセットとして無限の無限の輝きが一杯という宇宙ね、無限の無限のチャンネルがワンセットで生まれるわけでしょう。そのワンセットの宇宙がまた無限に無限にあるのね。その一番奥に「絶対」というのがあるのね。その全部をひっくるめて「宇宙の大神様」と呼ぶしかないよね。
 そうするとあまりにも大きすぎて言葉にならないの。

参加者:
 その一番元は、その元は、本当に永遠の時からずーっとこれからもずーっと‥‥?

ありがとうございます:
 そうそうそう、元は、もうね、もう言葉を超えているね「いいものが一杯」というね、もの凄いものよね。その「絶対」という根源があるから、永遠に素晴らしいものが表現され続けるのね。

参加者:
 それと、あそこのお面と、あちらの黒い球体は?

ありがとうございます:
 ああ、これね、誰かが持ってきて置いていってくれたのよ、はははは。これは海外旅行へ行った人が置いて行ってくれてね、隕石らしいけどね。ここには水晶のいいのが置いてあるし、いいでしょう、これ、世界地図が入っているらしい。お土産に置いて帰ってくれたの、別に意味はないんです、はははは。




 祈りの時の効果音

参加者:
 お祈りの効果音は何故使うんですか、変わったテープですね。
 これは、白光真宏会の五井昌久先生の霊笛と柏手と思うのですが、どういうかかわりがあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうね、私は昔、二十歳頃から五井先生って知ってるのね。私も小さい時からお祈りばっかり練習しててね、二十歳の時に命を神さまに捧げてお祈り一筋に入るというふうに全託したのね。その時に、現実に(五井先生と)会ってなかってもよく知ってたのね。その後ずーっと十年ぐらい経ってから、現実には肉体の五井先生にお会いしたことがあるのね。やっぱり素晴らしいお祈りの神さまだと思うのね。その五井先生の口笛とか柏手の響きが、一番自然なのね、自然な響きを奏でているし、何も無いのもいいんだけど、「自然な響き」っていいよね。ここでは鈴虫が鳴きだしたら、鈴虫を後ろに・バックに置くんですけどね。
 また、カジカ蛙の声とかね、カナカナ蝉の声とかもいいんですけどね。そういう自然な響きをちょっと利用させてもらって、そこに神さまの光を添えてもらうのもいいと思うのでね、はい。



 聖書の教え、なぜ肉体を持って生まれたのか

参加者:
 神様は自分の姿に似せて人間をお創りになったんですよね。そうじゃないんですか、もしそうなら、何故に人間には苦悩とか苦痛というものがあるのかということと。「ありがとうございます」を言い続けることによって、そういうのは消えてしまうんですか、幸せになれるんですか。

ありがとうございます:
 聖書の言葉もぜんぶ正しいわけじゃないよね。世界の宗教の「素晴らしい」と言われる宗教の教えでもね、「教え」となるとあまり大したことはないのね。本当にそうなんよ。神さまの側から見るとね、教えの縛りでみんながんじがらめでしょう。それも程度の低いつまらん教えが多い、この世的にはね。

 でも、この世以外にね、もっともっと高い次元の番組の世界がいっぱいあるでしょう。そこはもっと素晴らしい言葉の教えがいっぱいあるよね。
高い次元ほど人の自由を絶対縛らないね。自由をどんどん大きくしてくれるね、それでプラスを大きくしてくれるのね。

 今の聖書の言葉がぜんぶ正しいかというと、間違っているのが多いね。神さまが自分の本当の姿のように人間を創ったというのでも、意味の解釈が幾く通りも出てくるよね。神さまというのは全体だから、宇宙の全てでしょう。宇宙の全てとして人間を創ったのだったら人間も宇宙の全てでないとダメよね。そしたら、人間というのは、この肉体じゃないよね。神さまから与えられた全てを受け直した自分よね。「宇宙の全てが自分」という人だったらそう言えるよね。
 でも、肉体人間のような姿を神さまがとってるのかって、そんなつまらんものじゃないよね。その言葉の解釈も難しいね、また言葉の使い方も難しいよね。本当の神さまは、この世の人がいろいろ想像したりするような小さなものじゃないのね。もっともっと凄いから、だから、できるだけ「神さまとはどういうものか」というのでも、深く深く考えていかないと、もう想像を絶するような姿をとるよね、神さまの方はね、もっともっと素晴らしいよね。

 そして神さまが本当にこの世に肉体を持って生まれた人に対してでもね、この肉体人間としての人が本当の人の全てじゃないのね。肉体人間は、本当の人の無限分の一ぐらいよね、小さいものなのよね。その無限分の一の自分を掴んでね、「これが自分の全て」と見ると力不足になるよね、それで幸せも小さくなるのね。
 でも本当の神さまが人に対して与えているのは、この無限倍の大きいものね、それで自由自在なものよね。だから、幸せも無限に大きくなる、それで「神さまのこともよくわかる」という自分に戻れるのね。

 だから「肉体が自分」とあまり掴まないほうがいいね、先ずね。そして「もっともっと無限の素晴らしい自分」というのをこれから受け直していくわけね。
 その受け直す方法が「ありがとうございます」という宇宙の大神様へ心を向けて神さまを呼んで、その中へ融け入って、素晴らしいものを与えてもらって受けさせてもらうという、そのために必要な言葉が「ありがとうございます」という祈り言葉よね。

参加者:
 本当に「絶対神」という、本当の「唯一神」というのは、今の話であったけども。言葉で表現するなら「無」に近いものですかね。

ありがとうございます:
 「無」とはちょっと違うね。

参加者:
 「光」という表現もあるのかなという気がするんですけど。本当に表現できないような凄い存在というものが神で、人の姿というのは、神が美しいなと思った一つの姿が今の肉体だと思うんですけども。
 言葉で表現できるもので言えば、光に近いものが神かなって思うんですけど。どうしても言葉というものに縛られちゃうもので。

ありがとうございます:
 本当ね。「無」とは言えないね。「無」って、何も無いことになってしまうからね。
 例えば光でも、この世の光は七色に分かれるのね。神さまのほうの光は七色に分かれた姿はその無限分の一ぐらいに出てる、というぐらいに見た方がいいかも知れんね。もっともっと素晴らしい光が一杯という、それも目で見る光だけじゃなしに、例えば「知恵の光」「愛の光」「幸せの光」とかね、いろんな神さまの働き・徳性の光が一杯あって、それが縦横無尽に組み合わさって、本当に無限に無限に輝いた光の綾模様というような感じね。その奥に本当の根源の生み出す働きがあるというぐらいが神さまの本当の姿よね。この世に出てるのは、ほんの一部だけ出てるというぐらいの見方の方がいいね、光でもね。

参加者:
 物で見れるものが、この世で見えるものは一部のものしか見れない。更にもっと高次元に行けば、もっといろんなものが、この世で見えないものがある。

ありがとうございます

 丁度、花火でたとえたらよくわかるかも知れんね。宇宙大の大きい打ち上げ花火、これを一瞬一瞬、一秒単位ぐらいでドーンドーン上がるとするでしょう。その宇宙大の花火ってすごいよね、それと比較した時に、この世の光は線香花火の小さいものというぐらいね。この世には大きい素晴らしい光かって、そんな大したことないよね、ほんのちょっと光があるぐらいね、線香花火程度よね、この世はね。




 あの世の姿はこの世の姿よりしっかりした形がある

参加者:
 先程の続きかと思いますけど。神様は何故肉体を持たせたのでしょうかというのをお聞きしたいのですけど。

ありがとうございます:
 この世の番組もいろんな表現だからちゃんと形があるのね。あの世にある無限の無限のチャンネルの番組にもちゃんと形があるのね。本当の自分は全ての番組に出演してるの。この世の番組に出てくるとこの世の姿をとるのね。形を持たないと表現できないでしょう。それでいろんなことをするのでもね、道具としての形が要るわけね、道具としてのね。そしてこの世は「肉体」としての姿をとってるのね。
 でも、あの世はあの世の形がぜんぶあるのね、自分の体がちゃんと備わってるのね。番組が高いほどしっかりした形があるの。

参加者:
 形があるって、どういう形? あの世の形って?

ありがとうございます:
 全部、こういう形があるの、姿・形はちゃんとあるの。

参加者:
 この現実とは違う? ぜんぜん違う全く違う形?

ありがとうございます:
 ぜんぜんこの現実とは違う形でね、もっとしっかりと形が上へ行くほどしっかりしてるのね。

参加者:
 先生はそれは見えてられるのですか。

ありがとうございます:
 うん。

参加者:
 そうするとこの肉体を持ちながらいろんな次元というか、番組を自分でわかるということができるということですか。(うん)それが「ありがとうございます」。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を唱えてるとね、心が自由になって番組を自由に変えられるようになるよね。他の番組を見ると、高い番組ほど中身が濃いのね、輝きが大きいね。低くなるほど中身が乏しくなって、輝きが少なくなるね。




 早く高い番組へ戻っておいで

参加者:
 自分でそれを自覚するのはどうしたらできるのでしょう。

ありがとうございます:
 ただね、本体の大きい自分から見るとね、最初に無限の無限のチャンネルの番組を神さまに与えてもらうんでしょう。それで神さまのほうから送り出してもらって「自由にどれでも好きな番組を選んで楽しんでいらっしゃい」というふうに送り出してもらってるのね。
 最初は、自分の好き勝手に順番にいろんな番組を見てるのよね。そのうちに低い番組に執われてしまうわけね、番組の中にはまり込むのね。
 この世もそうよね、この世の番組にはまり込んだ人が多いのね。丁度テレビでも、テレビの中へ見入ってしまうと、回りのことがわからないぐらい見入ってしまうと、テレビの中の人物が自分のように錯覚するじゃない。一緒になって泣いたりするじゃない。この世も一つのテレビ番組の姿というふうに見ると、その中にはまり込んだ人は、一緒になって泣いたり笑ったりするのよね。

 ただ、感謝の心は、心を自由な心に戻してくれるから、番組から抜け出て「あっ、自分はこの番組を選んで見てるんだ」というふうになるのね。そうすると他の番組にもすっと移りやすいでしょう。そうなるといろんな番組を楽しめるようになるね。それも、最初は低い番組を見るのも必要なのね、低い番組にも幸せを・価値を見出せばね、高い番組ほどもっともっと価値が見出せる、幸せが大きく感じられるというふうになってくるのね。

 比較してより価値のあるものに上の番組を見ていけば、神さまの無限の無限の最高の番組は、「もうこれ以上のものはない」というぐらい素晴らしく感じるでしょう。だから、ある程度は低い番組も一旦見てきた方がいいわけよね。そういう意味でいろんな番組を好き勝手に見させてくれるのね。
 でも、早く最高の番組を見て欲しいからね、神さんの方もね、迎えに来てるのよみんなをね。「早く戻っておいで」ってね、「いつまでもつまらん番組ばっかり見て欲しくないから」というね。それであの手この手を使って迎えにきている姿が、この「ありがとうございます」という言葉にもなってるのね。

参加者:
 「ありがとうございます」は人間だけが唱えられる言葉ですね。例えば、動物とか植物・鉱物は、意識を持ってるけど「ありがとうございます」を唱えているかどうかはわからないけども、どうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」という人間の使う言葉はね、これは人間に対する言葉よね。動物には動物に対する言葉があるね神様の方からのね。感謝の光の言葉というのはね、別に人間の使う「ありがとうございます」を唱えなかっても大丈夫なのね。植物には植物の、動物には動物の言葉を与えてくるね神さまの方からね。それはそれでいいと思うのね。

参加者:
 数字に執われてはいけないんだけど、33次元までは物理で確認できて、地球は11次元を確認できたと、ちょうどやってたんですけども。数字で執われてはいけないんですけども、先生は何次元ぐらいまで‥‥。

ありがとうございます:
 あはははは、何次元にしておこうかな。それもね、いろいろに数字を使うのも、その人の感じたとらえ方・分け方でしょう。みんな一人一人感じ方・分け方はぜんぶ変わってもいいからね。
 でも神さまの方はぜんぶ無限に大きく拡大しているよね。無限に大きく分けた方がいいね。




 好きな人と嫌いな人、どちらを優先するか

参加者:
 遅れてきてすみません。あまり高次元の話ばかりなんで、大衆の話を。
 ある儲け話がありましてね、それを言うのに、「自分の好きな人にだけ教えてあげなさい」と言われたんですけど、嫌な人にもやっぱり教えてあげた方がいいんですかね。
 その嫌な人は自分のことを好きらしいんです。でも私はあんまり好きじゃないけど、二十一世紀はギブ・アンド・ギブであげてあげてあげる時代だから、相手が嫌な人にでもその儲け話を教えてあげたらいいんですかね、或いは、教えてあげない方がいいんですか。

ありがとうございます:
 どちらがいいか、それもいろいろあるんですよね。「好きな人」というのはね、過去世とか過去に自分がいろいろお世話になったり借りがあったりね、助けてもらった人よね。「恩返し」という意味だったらいいものをお伝えするのがいいでしょう。だから、好きな人を先に優先して恩返しを先にする方がいいね。
 でも、嫌な嫌いな人はね、自分が相手に貸すばっかし、与えるばっかしだったのね。だから、これ以上貸したくない、与えたくないという気持ちが残っている時は嫌になるね。だからそういう人は後回しでいいね。はははは、(笑い)余裕があったらまた。(ありがとうございます)




 「ありがとうございます」を唱えたきっかけ

参加者:
 今までは「ありがとうございます」は何気なく使ってきたんですけども、「ありがとうございます」という言葉はとてつもない力を持っているということで、今、大変驚いている状態なんですけども。この「ありがとうございます」が、そういう力を持っているということに気付かれたきっかけと言いますか、教えていただければ。

ありがとうございます:
 きっかけというのは中から教えてもらっているのでね、別にきっかけというのはないですけどね。
 「ありがとうございます」を唱えているうちに気付きがどんどん増えてくるのね。
最初はこの世的に良いものを与えてもらったら「ありがたい」という感じでしょう。それはみなさんも同じだと思うんですけどね。病気を治してもらったらありがたいとかね。
 それが、気付きがどんどんどんどん増えてくるとね、もうそういうものを超えてしまってね、本当に神さまから何を与えてもらっているかというふうに考えるとね、本当はもの凄いものを与え続けてもらっているのよね。神さまからは無限の無限のプレゼントが毎日宅急便でどんどん届いているのよね。その無限の無限の贈り物の中には素晴らしいものがいっぱいよね。

 例えば自分が過去に無限の無限の借金を積み重ねてね、それも高利の借金だったとするでしょう。そんなんは自分では絶対返しようがないでしょう、なんぼ働いてもね、利息が増えて増えてどんどん増え続けてるだけで返しようがないよね。でも神さまの方はね、「それを免除してあげよう」と言うんでしょう、いつも「免除してあげるよ」と言うてね。本当にそういう贈り物がずーっと来てるのに、みんなそれを受けなかったら免除してもらえないよね。

 そしてまた「大難を無難に変えてあげよう」と言うてね、一所懸命神さまは身代わりになって引き受けて消してくれているのに、それもやっぱり自分が気付かないと受け取れないのね。
 いろんな気付きが順番にあって初めて「ああ、神さまって素晴らしいプレゼントをいっぱい与え続けてくださっている」とわかるんですけどね。
 でも、それも順番よね。「ありがとうございます」って唱えて、神さまを呼んでいるうちに、その気付きがどんどんどんどん増えてくるのね。そのうちに「神さまが全て」という感覚で「ありがとうございます」も本当の神さまの、みんなを幸せにする愛の働きそのものなんだという。その働きは無限に無限に一杯あるというような感じで「ありがとうございます」の言葉を感じるようになってくるのね。
 いつからどういうふうに大きく感じたか、というより、順番にずーっと大きくなり続けているのね。今ももっともっと大きくなり続けているの、限界がないみたいね。

 今の私の感じはね「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!」というふうにね、そういうとらえ方をしているんですけどね。太陽でも無限の輝きじゃないよね、有限よねえ。だから、無限の無限の輝きってもの凄い輝きでしょう。それが全方向から飛び込んでくるような感じがするのね。それも奥にところてん式に無限に連なってるというような感じでね。もの凄い圧倒されるような感じ方がするのよね。深く祈った時にそうなるのね。だから、神さまってまだまだ底知れん奥深いものだなと今びっくりするばっかしに感じているんだけど。これも、「ありがとうございます」って唱え続けさせてもらったお蔭よね。これからまだまだもっともっと大きく深くなると思う、はい。




 三ヶ月間、集中的に唱えた結果

参加者:
 三ヶ月前にこちらへ寄せてもらって、全くの無知でしたけども。それでは実践ということで生きてきていますので、それならやろうということで「ありがとうございます」を3千回目標とか5千回とか一万回とか。今は大体平気で三ヶ月間で四・五十万回ぐらいは言えるようになったと思っているだけで、実際にできているかどうかはわかりません。ただ、今感じることは、階段を上がるがごとく自分の波動を調えたりとか、霊性を高めたりというのは、まるで人生を修行のように積み重ねていたんですが。この頃、「どうでもええや」という、そんなものは成るようになって、上からドーッと落ちてくるんやから、もう下から積み上げるのは止めようというような。それは自分の過去・人生にはなかったから、これはもう一回確認に行かないと、どうもこれで良いのか悪いのかというのがちょっと疑問があります。
 もう一つは、「想念観察」というのをここ二・三年練習しておりまして、自分の思いを自分で観察して、流したりエネルギーを取り入れたりして判断をしておりますけども。マイナスの想念がちっとも流れてこなくなったような気がするんですね。良いことだけが思いにあって、今までは「あいつバカやな」というように人のことが腹が立ったのが、「そんなんどうでもええや、それはその人の選択やから、もうええんや」というふうな、マイナス思考がなくなってきたような気もするんです。でも「待てよ、三ヶ月でそんなに進歩するはずがない」と思って今日は確認に来たんですけど。

ありがとうございます:
 やっぱり素晴らしい変化ですね、それね、はい。最初はマイナスの思いがいっぱいあるのを感じるのね、それが先ず消されますよね。本当に三ヶ月一所懸命したら消されますね、全部ね。今度はプラスの思いも消されてしまうね。もう「思いとか願い」は消えてしまうのね、うん。「思い」という想念感情を全部消してもらうともう一つ楽になるのね。
 「思い」というのは積み重ねよね、過去を記憶して積み重ねてるでしょう、だから積み重ねが消えてしまうのね。下から梯子をかけて天までのぼろうというと大変なんよね、途中で倒れてしまうね。今度は天から降ってくるのがいいね、天から舞い降りてくるというような感じでね。
 また、神さまが天から降りてきて必要なものを与えてくれるという生き方がいいのね。これは本当は「ありがとうございます」の一番大きい効果ね。三ヶ月のその実践によってそこまで行ったのよね。

参加者:
 それがテープやら活字をいろいろ實村さんのお蔭で送っていただいておりますと、私はムチャクチャ時間がありまして。朝、4時か5時に起きますから、6時ぐらいから畑へ出て、晩の7時まではぶっ続けに働いておるんですが。そして3級の身障者なんです、私は心臓を全部やりかえましたから。ところが自分の体で実践し、且つ「ありがとうございます」が凄いなと今思うのは、普通の人の5割以上働いていますけども、いわゆる死ぬとか怖いとか病気になるということが、もうぜんぜん今意識がないんですね。死ぬんだったら「呼んでくれたら行きまっせ」というような、簡単に考えるようになったんです。それが三ヶ月で四十万回でできるなら四百万回ぐらい言うたらどうなるんかなあと、今度は新たに今挑戦したいと思っているんですけど。

ありがとうございます:
 どんどんどんどん楽しみが増えますよ。

参加者:
 ああそうですか、それは凄いですね。「それで何や、こんなもんか」と思っているんですが、それでいいんですかね。

ありがとうございます:
 はい、でもまだ先の方がもっともっと楽しみが大きいですからね。

参加者:
 それこそ「無限の無限の」という。

ありがとうございます:
 そうです、はい。

参加者:
 いまだに、「無限の無限の」というのが実感的にはわかりませんで、ああ言うておられるけれどどこまでが無限なのかなあ、というふうに考えてたんですけど。

ありがとうございます:
 そのうちに天から降ってきた感じで・意識でわかるんです、はい。下の意識ではわからんのですね、天から降ってくるんです。




 「ありがとうございます」で上の扉が開く

参加者:
 私は昔から「想念観察」と一緒に「瞑想」というのを「感謝瞑想」と称していろいろ一時間ぐらいやるんですけど。この頃いやに「中心じゃ、中心じゃ、中心にあるんだ」というようなイメージがきますんで、「中心ってどこかいな」と思って、臍の周りを触ってみたり、丹田かなと思ってこの辺を触ってみたりするんですけど、「意識を中心に下ろせ」というようなイメージなんですね。それで、「中心ってどこか」とさすりまわすんですけど、入り口がわからないですね、そして意識が下へ降りないです。胸の辺までは降りてる気配があるんですけど。中心がどこかわからない、入り口がどこかわからないから行けない、非常に今落ち着かないというか。「意識を中心に降ろせ、行け」というのは、どういう意味があるというか、どいういうふうにしたら具体的に意識を中心に降ろせるのかというのをちょっとお聞きしたいのですが。

ありがとうございます:
 「意識の中心」というのは「神さまの心の中・絶対の中」なのね。その「絶対の中」に入るには、無限の無限のチャンネルを順番にさかのぼって、ずーっと一番上までのぼらないといけないのね。チャンネルを一番上までのぼっていくのね。その一つのチャンネル毎に扉があるのね、その扉を開いてのぼらないといけないでしょう。
 その開く方法よね、「ありがとうございます」と唱えると開いてくれるの。「開けゴマ」じゃないけどね、「ありがとうございます」と言うと上の扉が開いていくのね。また「ありがとうございます」と言うとまた上の扉が開くのね。それで「ありがとうございます」を言い続けると上まで全部開いてしまうのね。そうすると自分の意識が神さまの「絶対」の中へ入ってしまうのね。それが「意識の中心」なのね。感謝の一番奥の極地ね。

参加者:
 丹田の近所にどっかに中心があるのかと思ったら違うんですね。

ありがとうございます:
 無いの、違う、そうじゃないね。

参加者:
 ありがとうございますが丹田呼吸が非常に必要である、自分を深く見つめるのに、感謝をするのに必要だよということを聞いたと思ってましたけども。私は臍の下の丹田がと思ってましたけど違うんですか。

ありがとうございます:
 肉体を持った人にとったらね、呼吸法もちょっとは役に立つという意味でね。
呼吸が乱れると思いも乱れるでしょう、また、意識が上ずって頭で考えたりすると、また意識が上ずってしまうでしょう、落ち着かんよね。頭で考えるのを止めるには、丹田というか下腹に力を入れる方がいいのね。その方が頭で考えなくなるね、その方が肉体人間としてはお祈りもしやすいというぐらいね。

 本当の意識の中心は、肉体にはないの、「神さまの中」にあるのね。最初の入るきっかけぐらいにはなるかも知れないね、丹田に意識を集中するというのはね。でも、丹田の本当の中心ってどこかって、そんなんは探してもないよ、そんなん。
 みんな形が違うからね、どこが中心って決められないかも知れないよ。肉体の中心に神さんが居てるかって、そんなことないよね。だから、感謝をしていくと扉が開いて神さまの中へ入って行けるから、神さまの中へ入れば意識の中心に入れるね、それが一番楽なのね。姿勢なんて本当はね関係ないはずなの、本当はね。
 どういう姿勢で、どういうやり方で唱えてもいいのね。「ありがとうございます」さえ唱えてたら、自然に意識の中心へ戻って行くね。これは寝てても起きてても何でもいいよね、極端に言ったら自由自在がいいよね。




 「積み上げる」のではなく、「捨てきる」

参加者:
 今の「ありがとうございます」で、段々扉が開いていくという、それは一足飛びには行かないんですか。
一つ一つ開いていかないと行けないということは、積みじゃないんだということと矛盾しているような気がしたんですが。お祈りをしたらすーっと無限の無限まで一本で行っちゃうのかな、そういう方法があるのかな、それとも――

ありがとうございます:
 積み上げというのはね、何かして「これが自分のもの」と掴むでしょう、その成果の上にまた自分のものを掴んで行くんでしょう。でも、感謝の場合は、「ありがとうございます」は、掴んだものはぜんぶ神さまに贈り物として捧げてしまうわけね。自分はもう何もなくなる、空っぽになるのね、身軽になるのね。
 それでまた扉を開いてもらって空っぽで迎え入れてもらうわけよね、どんどん軽くなって行くでしょう、だから積み上げてないのね、捨ててるの全部。捨てて捨てて捨てきってね、それで神さまの中へスッと引き入れてもらうのね、招き入れてもらうわけよね。




 世の為に働いて、家族が困っている場合

参加者:
 今、ちょっと感じたんですが、頭で考えて、「感じる」ということを忘れている人が多いような気がして。
 頭で何でも、こういう精神的なことでも「感じる」のを忘れて「考える」というのにみんな慣れきってて、そのチャンネルに合わせるのがとても難しくなっているような気がしたんですけれども。
 私が知っている男性で、人のため世のために一所懸命なさっているんです。確かに喜んでいる方もいるんですけれども、ご家族がぜんぜん幸せじゃないんですね。周りの人に自分が一所懸命理想を追って、でも家族はその人のために非常に経済的に困ってて、そういう人をチラホラと見掛けるにつれて、魂とかを求めるのはいいけども、一番足元にある人々をおろそかにして、何が‘あれだ’と私は思うんですけども。
 そういう人にアドバイスしてもおそらくわかってくれないと思うんですけども、何かいい方法はないでしょうか、アドバイスとかなんなり、特に男の方に多いです、申し訳ないですが。

ありがとうございます:
 あっははは…。神さまがね、その人を救ってあげよう・気づかせようというふうに働く時は、そのチャンスを与えてもらうのね。人がお節介になんぼやっても無駄なんよね、神さまがその人を救おうという気持ちになってその救いに立たないとできないのね。その時にね、感謝している人は神さまのお手伝いができるのね。救いに立とうという時の神さまは、お祈りする人を使っていろいろアドバイスをしたり働きかけるのね。
 だから、自分の心を感謝に調えておいて待ってたらいいね、それで神さまの「救いたい」という時期が来た時に、すっと自分を使ってもらうといいのね。そしたらその人を救い上げられるのね。

参加者:
 お金の問題で今悩んでいる人がすごく多いと思うんですけど。バランスをとるという、現実と理想と現在の自分の時点におけるバランスをとるというのがみんなすごく下手なようで、私もそうですけど。

ありがとうございます:
 そうね、はははは。本当は必要なもので満足できたらね、お金は要らないんだけどね。必要なものは必ず与えてもらうのね、でもお金を求めるのは、「ちょっと贅沢したい」のよね。「ちょっと自分の思いや願いを叶えたい」という時にお金が必要になってくるね。だから「最低限、必要なだけでいい」と心に定めたらね、必ず必要なものはお金なしに入ってくるの。これは、守護霊さん・守護神さんなんかが与えてくるからよね、必要なだけを与えてくれるね。でもちょっと持ちすぎると無駄になるんでね、邪魔になるのね。

参加者:
 先生は世界一周をしたいとか思われないんですか。あっちこっちいろんなところを回ってみたいとかそういうのは。

ありがとうございます:
 もう思わないね、肉体を持って、それはまたお金が掛かるから嫌よ、あっはははは、もう、心だけで飛び回るよ宇宙を、はははは、もう世界旅行はせんでもわかるからいい、はははは、大儲けしてる。

参加者:
 先ほどの話の中で、「いろんなものを捨てて行くと魂が軽くなる」ということですが。例えば夢とか目標を持つということは、重くなるということですか。

ありがとうございます:
 自分の思いや願いというのは全部いらないね。

参加者:
 そういうのはみんな捨てる方が。

ありがとうございます:
 そうね、ぜんぶ捨ててね、神さまからいいものを受ける方がいいね。だから「ありがとうございます」と感謝してるといいものがどんどんね受けやすくなる。

参加者:
 そうすると自然と必要なものが入ってくるんですか。

ありがとうございます:
 そう、目標を立てんでもね、即、目標の実現した現実をすっと受けるのね、結果を受けてしまうのがいいね。目標に向かって進んで、それを実現しようというのもいいけどね、必要なものを結果としてサッと受けるのがいいね。それが「ありがとうございます」を唱えてると(来るんですか)結果が出てくるの、即ね。(わかりました、ありがとうございます)




 仏教の教えとお墓の処分

参加者:
 すみません、こんにちは。ただただ先生に会いたくて来ました。今みなさんの高度な質問には付いていけなくて、「ありがとうございますという」のはいろいろ書いてあるけど、本当の感謝で素直な気持ちで「ありがとうございます」と言っていればいいんだなというのが今わかりました。前に仏教をやったことがあるんです、それで、人間は亡くなる時に、今まで生きていた時のいいことの積み重ねでいろんな天上界とかいろんな世界があって、そこへ魂がすっと行くんですよ、というんですけど。それは本当ですか。

ありがとうございます:
 それもね、仏教の教えの根本の正しい教えかどうかはわからないね。いろんな教えがいっぱいあるでしょう。その教えが本当に自分をプラスにして自由にしてくれる言葉だったら、ちょっとは利用してもいいのね。
 でもね、みんな縛りになって行くのね、そういう教えを聞くと、みんながんじがらめに縛られてしまうでしょう。そうしたらそれしかないような錯覚におちいるね。でも、そういうのは無限の中の一つぐらいの教えなんよね。他に無限の生き方があっていいのね。もっともっと自由になる方がいいからね、そんなんは笑い飛ばして蹴飛ばしせばいい、わっはははは。

参加者:
 例えば、お墓なんかはありますが、本当は無い方がいいと思ってもお墓の中にうちの両親が眠っているんですが。父親は川に骨を砕いて撒いて欲しいと言って逝ったんですけど、母親は誰でもいいから家族をまとめてどっかへ納めておいて欲しいといって亡くなっていったんですね。肉体を持っていた時のその言葉がずっと気になっているんですけども。例えばお墓を処分する時に、私の思いで粉々にして川に撒こうが海に撒こうが別に構わないんでしょうか。

ありがとうございます:
 うん、別に構わないよ、ねえ。別にこの世を去ってあの世のいろんな世界、みんな好きな所へ行くんでしょう。骨はもう無関係よねあの世へ行った人はね。死んだ肉体なんて、もう足跡ぐらいのようなもんよ、足跡をいつまでも保存して欲しいなんて言わないよ。そんなんに執われないで早く足跡を消してくださいと言うほうが、そのぐらいの感覚よねえ。亡くなった人がお墓に入るなんて思うのは、それも悪いことじゃないけどね、不自由じゃない。

参加者:
 肉体を持っている時は今までの観念で思っていて、向こうへ行ったらそんなことは考えてない。

ありがとうございます:
 でも、実際亡くなった人がお墓へ入るかというて入ったらどうなるのよね。あんな小さい石の中へ入り込んでね、石牢に閉じ込められてしまうんじゃない。本当はそんなところへ入らないよ、お墓はこの世の人のためにあるだけでしょう。それでご先祖様を思い出しやすいように、ちょっとした模型のとしてあるだけよね。本当のご先祖様はもっと素晴らしい世界で幸せ一杯じゃない。

参加者:
 病気は神様からその人が何かを悟るためのプレゼントだということですけども。例えば、病気の治療・医療に携わる人達はどういう気持ちで治療にあたったりするのがいいのでしょうか。治すということは神様の邪魔をしていることになるのでしょうか。でも必要があるからあるのだと思うのですが。

ありがとうございます:
 病気ひとつに対してでもいろんな見方があるのね、その見方は無限に別れてもいいね。
 「治していい」という見方もあるしね、「治したらダメ」という見方も出てくるね。それで自分がどの生き方を選ぶかでしょう、どういう生き方を選んでもいいんだけどね。
 例えば、お医者さんになって「この病気の人を治してあげたい」という生き方をとるんだったらね、それもいいのよね。その治し方も幾く通りもあるね、いろんな病気の治し方があるよね。肉体だけを治すんだったら、まあそれもいいし、心まで治してあげようというのだったら、もっと心を治すようなものを加えたらいいしね。いろんな要素が沢山出てくるでしょう、それはみんな自分が選ぶのよね。病気に対してどういう考え方で、どういう治療を施して、人をどの程度まで幸せににするかってね。




 宇宙の仕組みを全て知っているありがとうございます

参加者:
 ありがとうございますは、神界とか、宇宙の仕組みをぜんぶわかっておられてるのかなあというふうに思っているんですけども、わかっておられるんですか。(はははは)それはチャネルで言っておられるのかなと思うぐらい正確に、なんのてらいもなく言っておられる。ただ、そんな宇宙へ行かんでも滋賀県に来たら聞けるわけです。間違いなく、(笑い)チャネルですか、それは。(要約)

ありがとうございます:
 私はぜんぶ自分のものをかみさまにお返しして自分がなくなるでしょう、そしたら必要だった神さまがどんな神さまでも降りてくるのね。必要だったら降りてきてなんでもペラペラ喋ってくれるのよね、あっははは。必要に応じてなんでも出てくるからね。

参加者:
 ありがとうございますの場合はチャネラーじゃなくてリモコンですよね。

ありがとうございます:
 あっははは、だから高い話もできるけど低い話もできるんですよ、あっははは。

参加者:
 よく「自分の本性を知る」とか「天職・天命」という言葉がありますね。それはどのように解釈すればよろしんでしょうか。

ありがとうございます:
 神さまの全てを受け入れたら本物よね。その受け方が、程度がちょっと落ちてくるんでしょう。

参加者:
 自分にとっての天職とは何なのかとか、本性とは一体何なのかとか。そんなことで自分探しを随分してきたんですけれども。自分なりにとらえていることが的を得ているのかどうかということと。与えて与えて与え尽すということなんですけれども。仕事をしている時に、いろいろされた時に、結局喋らされて一銭もお金をもらわんと、何をやってんねん、というのがずっとなんですけど。(いいですね)他所へ行けばお金を払うのに、どうして私にくれないの、というのがあるんです。そういうのは与えたことになるんですか。(はい)そいうですか。事実、本当に理解できない状態で今生かされています。「ありがとうございますと感謝」の二言以外に今の自分の生活はないな、というぐらいですけども。時たま、それはちょっとおかしいんじゃないかと、それもやっぱり与えているということにつながるから、そういう生かされ方をしているんでしょうか。

ありがとうございます:
 天命もね、自分が大きくなるにつれてね、大きい天命が与えられるでしょう。(変わっていくわけですか)そうそう、神さまの全てを受け入れる大きい自分だったら、宇宙創造が自分の天命よね、凄いよね、それだったらね。でも、段々と小さくなると小さい天命が出てくるよね、だからいろんな天命があってもいいよね。その時その時必要なものを与えてもらって楽しませて貰ってるというぐらいがいいね。

参加者:
 じゃあ、ああなりたいこうなりたいという必要はなく、ただ、今楽しく生きていればいい。

ありがとうございます:
 そう、「ありがとうございます」って受けることよね、神さまからね。神さまのプレゼントを受けるほど天命も大きくなるし、幸せも大きくなるし、楽しくなるしというね。

参加者:
 人からあることを頼まれたり誘いがあった時に、今の自分にそれはちょっとしんどいかなと思うときに「行きたい」という感じで、ちょっと無理をして動くことというのは、それはそれでよろしいんですか。

ありがとうございます:
 「なんでも神さまからのプレゼント」という気持ちだったら「ありがとうございます」と受けてまた与え尽くせばね。(はい、ありがとうございました)
 ありがとうございます。



AR137 2001.6.29-02

 「ありがとうございます」を実践して後はお任せ

参加者:
 今日初めてご縁をいただきお邪魔させていただきました、ありがとうございます。私は一・二年前からしっかり意識をするようになったのは「私はあなた、あなたは私」という意識です。そういう意識状態ってあるのかどうか、でもなれるものならなりたいなあと。
 もう一つは、「全てに感謝」と、病があろうと、お金を取られようと、事故が起ころうと全てに感謝する。これも難しいと思うのですが、なれるものならそんな境地になってみたいなあというのを一年ほど前から考えていたんです。日常はこの世の欲にまみれているわけですが、半年ほど前からこちらの話を聞きまして、聞いてみましたら単純に「ありがとうございます」を繰り返していればいいよと、いうことで、それまでは「何とかそういう意識になりたいなりたい」と思って、「それには感謝それには感謝」と聞いていましたから、感謝、感謝でかなり肩に力が入っていたんですけども。こちらの話を聞いて、とにかく何でもいいから「ありがとうございます」を言おうということで、畑仕事をしながら「ありがとうございます、ありがとうございます」ということで、車を運転していて誰かがパッと割り込みをしてくると「ありがとうございます、この野郎、ありがとうございます」一応こんな形で今やっているんですが。その程度でいいのかどうかということをちょっとアドバイスいただきたいと思いまして。

ありがとうございます:
 それでいいんですよね。マイナスに見る思いというのはどんどん消されてしまうんですね。
 「ありがとうございます」さえ唱えてたらね、確認をとって消してくださるのね。だから表面にちょっと浮かび出るのね、ちょっとだけ浮かび出て「それを消して欲しい」という気持ちになってると、その何万倍を消してくれるのね。表面に浮かび出るのはほんの一部ね、それは確認をとるために浮かび出るのね。後はずーっと消し続けて不思議なことをいっぱい気付かせて感謝が深くなるようにしてくださるよね。

 
「ありがとうございます」って、これは神さまの名前を呼び続けているのと同じなんでね、後は「お任せ」なのね、本当はね。自分の努力で何かをするんじゃないのね、神さまの助けを受けるだけの「お任せ」の生き方よね、一番楽なんよね。ただ「ありがとうございます」を言うてたらいいだけ、心に唱えたらいいだけなのね。後は神さまがちゃんと必要なものを与えて、的確に最短コースの幸せへの道を歩ませてくれるね。それで、そのままいいですよね。

参加者:
 自分の意識としてはそんなに感謝の念を持った「ありがとうございます」ではないですよね。
要するに単純に機械作業で「ありがとうございます、ありがとうございます」と言うているだけなんですけども。

ありがとうございます:
 いろんな宗教の教えは「感謝しなさい」と教えるんでしょう。本当の神さまはそんなん言わない、「感謝しなさい」とは言わないね。感謝できるんだったらもう悟ってるじゃない、ねっ。
 マイナスのものがいっぱい出てくるから「神さまの名前を呼びなさい」言ってる、「ありがとうございますって呼びなさい」って、「そしたら感謝の湧き出るようにしてあげるよ」って、逆よね。どんな状態でもいいからね「ありがとうございます」ってね、神さまを呼んだら最高の幸せを与えてくれるというだけなんよね。
気楽な方がいいですよ、はい。(ありがとうございます)ありがとうございます。




 フォトンベルトへの心がけは必要?

参加者:
 私たちの住んでいる銀河系を護っていらっしゃるのが救世の神さまだと思うのですが。絶対神の他に救世の神さまと一緒にこの宇宙の秩序を護っていただいている存在というか‘個’としての存在の方々は何人ぐらいいらっしゃるんですか。

ありがとうございます:
 そんな小さいものじゃないよね、この世の番組の宇宙は、銀河系宇宙だけじゃないね、もっともっと無限に無限に大きいよ。もう行き止まりってないのね、何処までも広がっているからね、無限に大きいね。それを神さまは簡単に護っているの、神さまがそれを創りあげているということはね、神さまが護り続けているということでしょう。それで、他の次元からも、みんな働きかけがあるよね。

参加者:
 今フォトンベルトが来ていますよね、そうするとこれによって私たちは変化が起きますよね。
フォトンベルトが終わった時点で私たちは何も心がけることはないんですか。例えば2012年の12月22日ぐらいにフォトンベルトが通り過ぎますよね。その時に私たちが心がけておかなければならないことはないですか。

ありがとうございます:
 そういういろんな考え方も見方もあるんですけどね、「ありがとうございます」がある限りね、天から地からぜんぶから助けてもらうのよ。小さい助けをちょっと受けるだけじゃないのね、全体から必要だったら助けがくるのね。そういう助けを受けて幸せを大きくしてもらうでしょう。「感謝して気付く」というのが無限に大きく増えてくるのよね。本当は全体から助けてもらっているというのが本当は正しい見方なんだけど。それに気付いていくというのが「ありがとうございます」の感謝行ね。一部の人に助けてもらっているんじゃないね、はい。




 病気が治る時、直らない時

参加者:
 「ありがとうございます」と言ってたら助けていただけると何度も聞いたんですけども。病人の方で「ありがとうございます」を言っているのだけれど、なかなか良くならないんです。それは何ででしょう。

ありがとうございます:
 治りにくい時は病気を掴んでいるでしょう、強く掴んで放さないのね。神さまの場合は掴んでいるものを無理矢理剥ぎ取って消すわけにはいかないのね。

参加者:
 掴んでいるって、自分でその病気を楽しんではるんですか。

ありがとうございます:
 はい、しっかり掴んでしまっているね、その掴む理由がいろいろあるのよね。
 人から優しくされたいという一つの理由かも知れんしね、病気をしていると仕事もせんで済むからとかね。
もういろんな理由が沢山あってね、病気をその隠れ蓑にしたりする時もあるのね。
その病気を掴んでいるという場合は、本当にその人が病気を治して欲しいと思ってないね。そういう時は神さまはなんぼ治してあげたいと思っていても治せないね、その人の自由意志を束縛できないからね。

 その人が本当に「治して欲しい」と言うんだったらね、その病気を持ったままの自分をぜんぶ神さまに預けるといいね。それは「神さまの何かお役に立ちたい、お手伝いをしたい」という気持ちで前へ進んだらね、簡単にスッと治してもらうのね。

参加者:
 先生が病気を治された時期、その病気が治った理由は、先生の中で病気を掴まなくなったので病人の方が治ったということをお聞きしたんですけども。先生が病気を掴まなくなったのでしたら、病人の方が治るのではなくて、先生の前から消えてしまったらいいわけですよね。それが治ってしまったということは、視点は病人の方に移した場合に、病人の方にどういうことが起こったのか、どういう変化が生じたのかというのを少し知りたいのですけども。

ありがとうございます:
 私のお祈りの練習のためだったら、ぜんぶ拝んで拝んで、どんな病気でも全部消してしまったらいいんでしょう。それは自分の心の中の病気のマイナスのものを全部消しきってしまうのね。そうすると目の前から病人が全部いなくなるよね。現実に今も病人はあまり目の前に見ないよね。自分の心の中のマイナスはほとんど消されてしまってないのよね、いい人ばっかり出てきてくれるのね。
ただ、治してもらった人にとったらどうかというのでしょう。病気が治った方がプラスの働きができる時はそれはプラスになってるのよね。ところが、それが勉強材料なのに無理矢理治してもらった人は損してるのよ。やっぱり治していい時と悪い時があったのね。なんでも拝んで治したらいいかって、そうじゃないね。

 同じ拝むのでも「病気を治すために拝む」のと、「感謝のできる心を引っ張り出すために拝む」のとではちょっと違うよね。
やっぱり本人が感謝の心が出てきて、自分で気付いて病気ぐらい簡単に治せた方がいいね。「病気なんて必要ないんだ」というぐらいになったら勝手に治るもんね。だから、やっぱり「感謝のできる心を引っ張り出してあげたい」という気持ちで拝む方がいいみたいね。




 天命・天職の選び方

参加者:
 私も自分の天命とは何かとか、仕事の事で自分はどういう仕事をして、どういうふうに世の中の役に立って、しかも自分がイキイキワクワク楽しくて人生を送れるかと、ずっと探し続けていて。この度仕事を辞めてまた新しい仕事を探すんですけども。「ありがとうございます」とずっと感謝をしていて、絶対神さまに助けていただくという気持ちでいたら、与えられた仕事を、その時に声を掛けていただいたとか、そういう仕事をそのまま「ありがとうございます」と受けていいのか。これは合ってないとか思うのは我欲なのか、その辺のところを教えていただきたいのですけれども。

ありがとうございます:
 本当の自分の天命を果たすためにはね、神さまと一緒に歩むのがいいね。自分一人だと天命にも気付きにくいし、力不足で本当の天命を果たしにくいね。いつも神さまと一緒に歩むという気持ちになるのが一番いいのね。そのためには「ありがとうございます」を唱え続けたらいいだけね。後、神さまのほうはね、どんな能力でも降ろしてくるね、今できなかってもできるようにしてくれるしね、嫌なことでも好きで喜んでできるように変えてくれるしね、何でもさせてくれるんだけどね。
ただ、その時、沢山の中で一つ選ぶんでしょう、その時の選び方よね。本当に必要なものを選べばいいね、自分にとって必要なもの、世の中のためにとって必要なものね。(それは自分が決めるんですか)そうそう、何を選んでもいいんだけどね、より必要なものを選ぶ方が早く幸せが、自分も人も大きくなるね。

参加者:
 それを排除するとは、我欲とかではなくて。

ありがとうございます:
 そうじゃない、選ぶだけね、一番いいものを選ぶだけでいいから。それを選んで、また次にいいものが出てきたらまた変わってもいいよ。もう自由に変化したらいいからね、どんどんいいものを選び続けたらいいね。「いつも神さまと一緒」というのがいいね、「神さまと共に歩む」というのがね。だから、いつも神さまが力を添えてくれるね、神さまが中から働いていろんな能力を授けてくれるから、はい。

参加者:
 それで、例えば、ある状況なり、機会なり、チャンスなりは変えられる、それが自分にとって嫌なものだったら「選ばない」という選択をするのは構わないのですか。それとも、そういうのがきても、自分の固定的な観念とかで判断しているだけだから、とりあえず受け入れるというか、感謝してさせていただくという気持ちで選んだほうがいいのか。

ありがとうございます:
 それがね、自分がいつも感謝してるとね、本当に必要なものを感じるのよね、わかるのね。
 だから、必要性が本当にわかったら、その必要なものに入って行くほうがいいですね。そうするとプラスが大きくなるね。表面の思いで「好き・嫌い」というのと、感謝の心で必要性を感じて入るのとではぜんぜん違うのね。まあ、感謝してたらいいものがやってくるよね、本当はね、いい話が出てきて、いい話の中で一つ選ぶのね。マイナスの話は来ないね。だから、どれを選んでもいいはずなんだけど、より必要性を選ぶといいね。

参加者:
 実は今僕が仕事をしているのは、実は嫌いな仕事だったんですよ。ところが段々段々上手くいきだしてお金が入ってきたら好きになったんですね。(笑い、はははは)それが好きになると、また好きになって、「あれ、前は嫌だったのに、なんでこんなに好きなのか」って、打算的なんですかね。

ありがとうございます:
 今、お金が儲かって助けてもらってるから好きになるんでしょう。前はお金が儲からなかったんでしょう。あっはははは、助けてもらえなかったんでしょうが、(そうです)まあ、いいじゃない、はははは。

参加者:
 同じような仕事なのに儲からないどころか大損したのにね、それで嫌いになったから、と思ったけど、やりだしたら、顔も見ないでお見合いして結婚して、やることをやってたら好きになるというのとちょっと似てるんですけど。(あっはははは)無理矢理自分が好きになろうと思ったわけではないんですけど、人間の欲深さというか、上手く行きだしてお金が入りだしたら好きになるというのは、これも自然でいいか。

ありがとうございます:
 それは違うんですよ、「ありがとうございます」を唱えてね、神さんの徳をもらって良くしてもらっただけじゃない、あっはははは。(ありがとうございます)




 過去の栄光を掴む自分がまだ居る

参加者:
 ここ一年、最もてこずってることは自分自身のエゴさんなんですけど。見えてる部分の上の方は「ありがとうございます」も言えて「よし、やった」と思っていたら、全くもっとドロッとおどろおどろしいものの存在が感じるんですね。それは「ありがとうございます」だけでは消えないのではないかと今非常に疑問視しているんですけど。これは「ありがとうございます」で消えますか、自分自身のエゴです。

ありがとうございます:
 それね、必要がなくなったらぜんぶ瞬間に消してくださるね。(瞬間に?)瞬間に消えますね、消してもらえるね。(まだ今必要なんですか)
何か必要あったら、何かそこから学びがあるとか、プラスを感じるとか何かあるのね。
 自分がそれをもう卒業できるようになれば必要なくなって、もう瞬間にでも消してもらえるんで。
 そこから何か学ぶ気持ちでちょっと見つめられたらね、何か教えてくれるね、プラスを・幸せを与えてくれるはずなのね。いろんな気付きがあるはずなんですよね。本当は無限の借りを・マイナスをこんなに軽く済ませてもらったというふうに気付くだけでもね、勉強よね本当のね。そういう気付きがいっぱいあるのよね、まだね。マイナスがマイナスじゃないのね、マイナスを通して気付くものがいっぱいあったらね。

参加者:
 実にけしからんことなんですが。過去六十年間の自分の事業の自分の過去の栄光を守ろうとするエゴなんですね。それはもう要らない、本当の過去のこだわりを全部捨てた人間としては要らないはずなのに、まだそれを後生大事に自分のエゴが掴んでいるというのがあって。僕は自分で自分を叱らんと、消しゴムで消してもらえない。

ありがとうございます:
 いやいや、過去のいい姿、そうでしょう、いい姿でしょう、それは自分の力でしたんじゃないね。回りの大勢の人に支えられて神さまに助けてもらってそういうふうになってるはずなのね。それにまだ感謝を深くしてないのね。(笑い)はははは、充分感謝して置いたらもう卒業よね、それが一番大事よね、お世話になったら感謝しておかないとね。

参加者:
 そこら辺、ぜんぜん感謝しておりません。

ありがとうございます:
 はははは。(笑い)(素直な方)

参加者:
 そうしましたら「感謝とエゴ」というのは裏表の関係なのですか。

ありがとうございます:
 そうね、裏表といったらそうね、感謝の方は表で、思いのエゴの方は裏よね。
 両方本当は必要な働きなんよね、感謝を大きく深くする意味でね。「光と闇」というのも同じよね、闇があるから光が際立って輝くのね、価値が増すわけでね。




 素晴らしい人格者なのに家族が大変

参加者:
 これは人様のことなんですけれども。そのお方はいろんなお勉強をなさって人格的にすばらしい方だと思って私は大好きなんです。でも、ご家族が大変なんですよ、お子様とか奥様ともうまく行ってらっしゃらないし、お子様のいつもいつも困らせる存在でいらっしゃるし、いろんな形で手助けなさるんですけども。その闇の中から抜け出せないでいらっしゃるんです、そういう場合は何が原因で、どうなさればそこから抜け出せるんでしょうか。

ありがとうございます:
 その人が神さまから必要な幸せを受けるという気持ちになったらね、周りに感謝して受けたらいいだけなんでしょう。そうしたらみんな神さまの愛の素晴らしい姿をとって、幸せを与える姿をとって助け続けてくれるのね。反発したり、マイナスの姿は絶対とらないよね。やっぱり感謝がまだ浅いんじゃない?

参加者:
 いろんな手助けをなさったり、いろんなことをなさるんですけど、ご自身の思いが家族に通じない。

ありがとうございます:
 感謝が足りないよね、やっぱりね。本当の意味の感謝よね、それね。与えるのもいいけどね「神さまから受ける」というのが大事よね、先ずね。神さまから素晴らしいものをいっぱい受けて初めて与えるものが沢山あるのよね。先ず自分が幸せな心になったら、周りに幸せがいっぱい与えられるのね。苦しむ心で何を与えてもね、苦しみを背負わすだけよね。物じゃないね、形じゃないのね、やっぱり心が大事だと思うんでね。感謝すると幸せな心をもらえるよね、すると周りにも幸せが伝わるね。またその幸せが帰ってくるという姿をとって、先ず身近から幸せが広がらないとね。

参加者:
 という事は、先ず自分が日々楽しく幸せだなあと思って生きる事が大事。

ありがとうございます:
 そうね、感謝して生きると幸せ感が湧いてきますよね。周りにもっともっと感謝できたら、幸せを大きくするのが早いね。




 無限のチャンネルの中から一つを選ぶという自由

参加者:
 自由意志という話しがあったんですが。それに関係して「自分」という問題なんですけど。「ありがとうございます」で受ければいいということですが。受けているものというのは一体何なのかな、自分が何かなというのもわからないので教えていただきたいというのが一つ。自由意志と神様の関係はどうなっているのか、神様ですら自分の(人の)自由意志というを変えられないとしたら、自分の自由意志というのは何なのか。頭で考えてはいけないと言われましたが、ここがわからないんです。

ありがとうございます:
 本当の自分は形でもない心でもない、命でもない、もう一つ奥の意識よね。神さまが全ての働きの大元でしょう。神さまの働きは命にもなるし、心にもなるし、形にもなるし、その全部を受けて感じるものが意識よね。その意識を神さまから分け与えてもらってるね、神さまの意識をもらっているのよね。
 逆に言うと、「神さまの意識を生きてるのね」その神さまの意識は元々自由自在ね。その自由自在の意識を生きるのね。神さまはその自由を縛らないために、一番幸せになる無限の無限のチャンネルの一番上の番組だけを創って与えるんじゃないのね。それだと縛りになってしまうでしょう、それで無限の無限のチャンネルを全部取り揃えて与えてくるね、「何を選んでも幸せなんですよ」というふうにね。そしてその中から一つを選ぶだけでいいのよね、それで「自由を縛ってない」のね。また選ぶ方も自由自在に選べるのね。選択肢を無限に広げてくれるから自由なのね。

参加者:
 それはやっぱり自由意志なんですか、ある意味では。

ありがとうございます


 そう、神さまの意識が人の意識として分け与えてもらうのね。神さまは絶対自由を縛られたくないのよね、神さま自身がね。だから、その分身として意識をもらっている人も絶対自由は縛られたくないよね。
 いろんな教えが沢山あっても、「この教えこれが最高」ってね、これ一つと言うたら縛られているでしょう。「この最高の教えが無限にある」と言ったら縛られないよね、そのぐらいの感覚が大事なんよね。




 幸せは無限に段階がある

参加者:
 幸せになりたいとずっと思って結婚したんですね、そして幸せだったんですよ。ずっと幸せで感謝していたんです、ずーっとずーっと。だけどそれが苦痛になってきたんですよね。そして結局は離婚することになったんですけど。それは神さまが私がもっと幸せになるように準備してくれたと取っていいのでしょうか、それとも私のエゴなんでしょうか。

ありがとうございます:
 幸せ、本当の幸せって何かというのね。幸せは無限に段階があるでしょう、小さい幸せ、浅い幸せ、大きい幸せ、深い幸せってね。その小さい幸せから大きい幸せにするんだったらね、マイホーム主義的な幸せは小さいよね。もっと大きい幸せがやっぱりいっぱいあるでしょう、また浅い幸せも深くした方がいいもんね。その幸せを大きくする意味でそういう変化があるかも知れないよね。
 だから「ありがとうございます」を唱えてたらぜんぶプラスにプラスに変えてくれるよね。




 過去の自分を掴むと本当の自分が消えてしまう

参加者:
 「ありがとうございます」の二十四時間体制のことなんですが。こだわるようなことを言いますと、朝目が覚めてから寝るまではずっと「ありがとうございます」が言えるんですけども。どうも寝てからのことというものは、僕は肉体は借り物で霊が自分だと思っているんですけども。この霊は寝たらどっかへビューっと行ってあちこち外交して楽しんでいて、自分の肉体には居ないというふうに思っているんです。その時は「ありがとうございます」を言えないと思っているのですが。先生は寝ても覚めても、一日五万回とか唱えられるというのを読んだような聞いたような気がするんですけども。寝ている時はこの肉体に居ると思われますか、それともどっかへ行ってますか、それが自分では不可解な、居ないような気がするんです。

ありがとうございます:
 過去を掴むと本当の自分が消えてしまうのね。今神さまから新たに受けるでしょう、受けたらもうすぐお返しするのがいいね全部ね。そうすると新しい自分は感謝の心の塊りみたいなもんね。神さまの心が・神さまの意識が感謝そのものなんよね。神さまの心を新たに新たに受け直すと、もう感謝が無限に無限に深いのよね。その感謝がずーっと永続するでしょう、新たに新たに受け直せばね。肉体を掴むとやっぱり過去を掴んでいるのと同じでしょう、そうすると新しい受け直しをちょっと忘れるのね。神さまから感謝の心を受けているというのを忘れるでしょう。そうすると肉体から抜けて何処へ行っているのかと思ったりしてしまうのね。でも、いつも無限の感謝の自分が新たに新たに与えられて出てきてると思えばね、その自分はどこにあっても感謝してるね。だから、肉体に居てる魂的な意識と、感謝の心そのものとはちょっと違うのね。
 感謝の心だけに戻ろうという気持ちの方がいいね、過去を放すのがいいね、過去を放してしまってね、新たに受け直すだけの生き方がいいのよね。

参加者:
 ありがとうございます、わかりませんけど。

ありがとうございます:
 わかりません、あっはははは。これも「ありがとうございます」を唱えているうちにね、天から降ってくる自分に気付いて、新たな自分というふうに気付いてわかってくるのね。




 寝ても覚めても「ありがとうございます」

参加者:
 もう少しNさんのを補足すると、わかりやすく言うと、寝ている時も「ありがとうございます」を唱えたいと思ったら、どうしたらいいんですか。寝ている時は意識がなくなっているので言ってないなあと。
寝ている時はどうしたらいいのかということだと思うんですが。

ありがとうございます:
 「ありがとうございますを唱え続けている自分なんだ」と最初から徹頭徹尾思い続けたらいい、それでね。「寝ても覚めても、ありがとうございますを言い続けている自分なんだ」というね。
 現実に祈ってなかっても、起きててもよ、「私は祈り続けてる」というぐらい気持ちを定めた方がいいね。そうすると祈り続けている自分がすーっと出てくるね。本当はもう必要に応じて出てきているんだけどね。

参加者:
 理屈っぽい私にありがとうございます。(あっははは)(笑い)




 親とのトラウマから、子供の接し方に悩んでます

参加者:
 今日はじめてこちらに来させていただきました、ありがとうございます。低俗な話で申し訳ないんですけれど。十年ぐらい前、子供を生んでから自分が両親のトラウマというのか、両親が仲が悪くて自分があまり愛情一杯に育てられなかったんです。自分が子供を生んでから自分の子供に対してどう接していいかわからないというか、ずーっと十年間悩み続けていろんな宗教もかじったんですけども、これは違う、これも違う、これは信じられないと言っていたんですけれど。去年小林正観さんのありがとうの本を読んでから、だいぶ変わったんですが、どうしても自分の中で自分が変えようという気がないらしくて続かないんです。
 すぐにマイナスにマイナスに自分を持って行っちゃって。旦那が言うには「君は自分を変えようという気がないね、だからいくら言っても無駄だね」って。そういうのも「ありがとうございます」を一所懸命唱えていたら何とかなるんですか。

ありがとうございます:
 本当よ、「ありがとうございます」を唱えることはね、自分を最高のプラスに変えようという意思表示なのよ。「神さまの大きい助けを受けて、無限に輝いた最高のプラスの自分に変わって行きたい」という願いが「ありがとうございます」になって出てきてるの。必ず変えてくれるの、そこまでね。もう何も考えんでいいよ、「ありがとうございます」って、ただ唱えているだけで変わってしまうね。もう絶対プラス志向になってしまうね、もう絶対マイナス志向にならん、遠い過去の話になってしまうよ。




 頼まれごとへの対応

参加者:
 今の小林正観さんの、「頼まれ事は断らない」ということなんですけども。先程のご質問の時に、自分でいいものを選ぶということがあって、その微妙なところが気になっていたんですけども、その辺りをもう少し聞かせていただきたいんですね。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を唱え続けていつも神さまに護り続けられたら、いいものが一杯くるのよね。頼まれごとでも一杯来てもいいのよね、その中から一つ選ぶだけでいいのよ。頼まれごとは一杯くるのよね、でもその全部はこなせないからね。丁度ご馳走でも同じよね、ご馳走が無限に山盛り一杯くるのよね、全部食べたらお腹を壊すからね、ちょっとしか食べられないね。頼まれごとも同じなのね、いい人に対してはいろんな頼まれごとが一杯来るじゃない、でもそれを全部受けてたら大変なことになるじゃない。
 それも、神さまのプレゼントは無限にあって、その中から一つを選んで、頼まれごとでも受けて楽しめばいいんでしょう。




 「蛍の光」には意味がありますか

参加者:
 今日は「蛍祭り」ということなんですけども。蛍というのには何か意味はあるのでしょうか、神様のお使いというのか、何かあるのですか。

ありがとうございます:
 「蛍の光」って素晴らしいよね、あっはははは。太陽の光もありがたいけどね、蛍からも気付かせてもらう、学ばせてもらうこと一杯あるもんね(そうですか)はははは。

参加者:
 何かわからないんですけど。私、生まれて初めて今日蛍を見させていただくんですけども。

ありがとうございます:
 きっと感動するんじゃないですか。螢という漢字も素晴らしいじゃないですか、火が上に二つ付いて、宇宙があって、中に虫、虫は私の無い「無私の心」よね。火が二つ付いて、輝きに輝いているよね。
 感謝の心は我の無い無私の心でしょう、ねえ、その心は無限に無限に輝いた宇宙を感じるのよね。
螢の光から、そこに無限の無限の輝きを感じる心になるよ。特に闇の中でね輝く螢というのはもの凄い価値を見出せるのよね。螢からいろんな気付き与えてもらうよね。(楽しみにしてます)

参加者:
 そういえばありがとう村には「蛾・我」がいないですね。

ありがとうございます:
 あっはははは。いや、我の強い人は連れてくるらしい。(大笑い)偶に入り込むんですよ。




 生き物が死ぬと蛆がわく

参加者:
 動物とか、人間もそうですけど、亡くなると蛆(うじ)虫が湧きますよね。どんな生き物でも、生命体、生きているものは蛆虫が自然と発生しますよね。あれは宇宙の法則なんでしょうか。何か意味があるんじゃないかと思って。

ありがとうございます:
 みんな助け合いなんでしょう、与え合いよね。必要なくなったものはそれを必要なところへ渡せばいいでしょう。それを活かして使ってくれてみんなが幸せになっていくんだったらいいよね。全てそうよね、最後の最後まで全部活用して、そして何も無い状態にまで変えてくれるね。それがまた活かし合い助け合いの循環になってるのね。

参加者:
 木もそうですよね、松くい虫、木も枯れると虫が湧きますよね。

ありがとうございます:
 そうですね、はい。全部活用してくれるね、いろんな細菌とかばい菌・カビ・菌が全部活用して活かしてくれるでしょう、それ。活かしきってくれるよね、使いきってくれるもんね。

参加者:
 自然のサイクルってみんなそういうふうになってるんですね。

ありがとうございます:
 そうよ、神さまの仕組みというのは、みんな活かし合い助け合いの仕組みでしょう、それが循環するようになってるよね。感謝の心はそれをプラスの循環に見るのよね、思いの心はマイナスにちょっと見るのよね。殺し合いとか奪い合いというふうに見たり、マイナスに見やすいけど、思いの心のほうはね。
 感謝の心は全てプラスに見ていけるね。みんな命の捧げ合いというね、活かし合いなんだというふうにね。

参加者:
 どんどんシンプルになってきますね、最後は。

ありがとうございます:
 そうね、元は神さまにおいて一体なんだというね。一体だからその中がプラスの循環だけがあるという、そういう感じね。




 お祈りの時間の体の変調 シロアリ

参加者:
 私事で恐縮なんですけれど。先ほどお祈りの時間に参加させていただいたのですが、その時に首のところにムジュムジュムジュしたものがずーっとあったんですね、三・四分でなくなったんですが。
 そういうことは何かあるのですか、それと、左足のコブラがえりがずっとあったんで、「ありがとうございます」でしていたら治ったんですけども、いろいろ体に出てきたりというのも、一つの判断としてどう考えていたらいいのか、どういうことなのでしょうか。もう一つ、羽蟻のことでちょっとお聞かせいただきたいんですけど。

ありがとうございます:
 羽蟻?シロアリ?

参加者:
 知っている人のところに羽蟻が出て、普通に考えたら木を食べるんですけど。そのお家は十二月に建てたばっかりなんですけども、もう羽蟻が出たということなので。何かあるのかと思いまして。

ありがとうございます:
 そうね、必要なメッセージかも知れない。先ずね、お祈りするとプラスの姿がいっぱい出る人と、マイナスがちょっと出る人とあるのね。プラスがいっぱい出るのも、それはプラスが出て心が前に前に向く時はプラスを出してくれるね。それも必要だから出してくれるのね。それも氷山の一角よね、本当の神さまから見たら一部なのね。本当はもっともっといっぱい助けを受けてるというのを見せてくれるのよね。

 それと、マイナスが出る時はね、大きいマイナスを消してあげているよ、というメッセージね。万分の一ぐらいの軽さで、「ちょっと出して消してあげてるよ」というメッセージを与えてくるね。それが無いと気付かないよね、大難が無難になったら何も気付かないよね。大難が小難になって出てこないとね、大きい大難を消してもらったとは思えないのよね。そういう意味では大きいマイナスを消す時はちょとマイナスの姿をとってくれるのね。するとその万倍、億倍を消してもらえたと思うと感謝がまた深くなるのね。その両方が必要なのよね。

 そのシロアリね、新しい家に一年に出てくるってちょっと不思議ね。よっぽど湿気てるんかなあ、そうでもない? その家が大好きだったのね、はははは、美味しかったんじゃないかな。シロアリを防ぐ方法もいろいろあるんだと思うんですけどね。例えば床下に炭を入れたりね、薬を先にかけておく方法もあるみたいだけど、それはあまりせんほうがいいよね。できるだけ床下を乾燥させるのは大事よね、風通しを良くするというのがね。それと気持ちが湿気るとね、やっぱり呼ぶんよ、そういう湿気たものをね。うん、これは物理的な働きだけじゃないのね、心の働きって大きく影響するからね。心がじめじめ湿気た時はね、雨漏りするね、穴が開いてないのに雨漏りするんよ。ところが感謝の心で明るくなったらね、雨が漏りそうなところが漏らない、絶対ね。そういう現象も実際起こるからね、気持ちが明るくなってるかどうかというのと、風通しを良く、湿気ないようにしているかどうかよね。




 神様を試した先生は感謝が足りなかった

参加者:
 先生が神様を試したこよがあるということですが。私たちにとってありがとうございますは神様のような存在なんです。私たちが先生を試す方法ってありますか。

ありがとうございます:
 あっはははは…、でも神さまは試しようがないよね。神さまは護り続けているだけでしょう、試そうとした心も間違いだけどね、試したものも間違いよね。護り続けてもらっただけよね、それに気付いたらもうそんな気持ちはぜんぜん起こらんようになるよね。そういう心を起こしたのが間違いなのよね、はははは。神さまは試しようがないわね、私が未熟だったのよ、はははは。

参加者:
 先生を何のために試すの?

参加者:
 全て絶対的に正しいということは何処に存在するのかという問題もあると思うんです。僕もあちこち行きましたけど、でもそれに信じ込んでしまうとオウム真理教になってしまうんじゃないかというところもあるんです。だから、気持ちの中のほんの僅かは疑った気持ちを持っていようとした方がむしろいいんじゃないかという考えは僕の中にあるんです。ありがとうございますを疑っているというのではなくて、でないとオウム真理教になってしまうのではないかという。

ありがとうございます:
 そうよね、私が試したというのはね「どれだけ護ってくれるか」というのをね、限界ぎりぎりまで生きてね、もう死ぬところまで行っても、とことん護ってくれるかどうかというのをやっぱり試してみたいのね、それね。でも護ってくれたからね、はははは、何回も死に損なってるけど生き返ってるからね。
 だから護りに護られているなというのに気付いたら、もう平身低頭よねもう。「ありがとうございます」って、もう感謝しかないよね。それもね、やっぱり感謝の心に徹底してなかったのね。

参加者:
 断食を続けられて生きる死ぬの極限までというのがありましたね、それを試したかという。

ありがとうございます:
 思いを、チラッとでも出したらね、試す心になってしまうのよね。それを感謝に徹底したらね、もう何も試す心は起こらないんだけど、ちょっと感謝の心が足りなかったところがあったのね。だから、未熟の至りよね。(それであきらめて結婚しはった)あっははは‥‥。そうよね、神さまにお任せよね。

参加者:
 でも、そういう過程って必要なんですよね。

ありがとうございます:
 そうね、思いを消してもらっているのよね、それもね。残った思いを全部消しきってくれたんだと思うね、それでね。でも普通は感謝してるというたら、無理しないでもいいのよね、自然にわかったらいいんでしょう。断食でも本当はしないほうがいいのよね、感謝している人は与えてもらったものを「ありがとうございます」と受けたらいいだけなのにね。それを「無理矢理感謝してるから」と言うてもね、断食なんかしたらバカよね、これね。神さまのプレゼントを拒絶してるのと同じだからね。
 「限界に挑戦して限界を破るんだ」と言ってもね、そんなん楽しむ心は大したことないもんね、低い番組よね。だから低い番組は見れないようになった、程度が低かったのね。

参加者:
 すごく正直なご自分のことをああいうふうに表現されているところは、僕らは俗に「先生も人間やった、良かったなあ」と感激しましたね。今は肉も食べるし、なんでも感謝して何でもいただいて「ありがとうや」それでいて本当にすごく自然ですね。

ありがとうございます:
 その私はもういないんだけど、あっはははは、天から舞い降りる自分しかないんだけど、もうね。
 過去の自分はそうよね。




 寝てたら損する

参加者:
 食生活ですけど、お肉は食べられませんよね。

ありがとうございます:
 私? 今? あまり食べないねえ、好きでもないしね、あまり食べないけど食べる時もあるね。

参加者:
 食事は少ない方ですか。

ありがとうございます:
 量的には少ない方が楽ね。

参加者:
 睡眠も少ないんですか。

ありがとうございます:
 はい、寝てたら損するから。(笑い)

参加者:
 二十四時間で、八時間は寝て、八時間は仕事して、八時間は何々って言われるじゃないですか。
そういう規則正しい生活をしないといけないんだとおっしゃられるのはどういうことですか。

ありがとうございます:
 そういう縛りの中に生きたい人も居てるのね。私は自由がいいからね、もう二十四時間起きてる方がいい、はははは、二十四時間なんでも好きなのを選ぶ方がいいもんね。

参加者:
 そうしたら睡眠不足だからこうなったとか、食事が偏ったからこうなったとか、それは理由付けになるんですか。

ありがとうございます:
 それはそういう番組の言葉の縛りの中へはまり込んだだけね。「起きてるほど元気になる」というのがいいね。普通、働いたら疲れたというのだけど逆ね、働くほど元気になるのがいいのよね。

参加者:
 好きなことをしていると元気になりますよね。

ありがとうございます:
 ねえ、みんな楽しい好きな事をしている時は眠らんとね、元気いっぱいじゃない。そういうのが無限にあるから楽しめばいいじゃない。




 人をマイナスに見るとき

参加者:
 お節介を焼くということですが。例えば不倫をして悩んでいるとかいうことがありまして、見ていてもわかりますね。そういう時にはアドバイスをしてあげたい人がいますが、他人の勝手ですよね。アドバイスをするというのはお節介で、その人の勉強を邪魔しているのではないかとさっきから思っているんですが。自分の周りの妻、子供も含めていろいろ悩んだり苦しんだりしていることは、それはそれで意味があるからと放っておくというのはその人の自由意志だし。何か声が聞こえるからアドバイスをしてあげるとか、みんないろいろされると思うんですけど。そこら辺はどう整理したらいいのか、徹底的に自分だけの幸せを求めて周りのことは妻も子供も含めて「関係ない、悩みは良いんだ」とするのか。やっぱり妻は大事にして生きていこうとか、子供も、周りの人もとか、どこまで広げてお節介をやっていいのか、そこがちょっと明快じゃないんです、どうしたらいいのかなあと、みなさんもそうだと思うのですけどね。

ありがとうございます:
 一番根本の大事なところはね、自分に合わせて神さまが宇宙の全てと現われて、全て自分に合わせて与えてくれているのよね。自分一人に宇宙全部が合わせてくれているのね、自分の合わせたチャンネルと見ているというのはそういう意味よね。
 周りにいろんな姿が見れるでしょう、例えば「あの人は不倫している」と責めている時があるでしょう、その時は「羨ましい」の、自分がね。(笑い)ねっ、そうよね、自分もそうしたいという思いがある時にね、人を責めまくるのね。でもそういう番組を自分が選んでいるのね、そういう波を合わしているのね、だからそういう姿を見せてくれるのね。

 大きく受けていると、みんな自分に合わせてくれる姿だから、楽しめば・喜べばいいのにね、小さくなるからいろいろマイナスに見てしまうのね。みんな自分のために与えてもらっていると思ったら、喜んで楽しめばいいのね。自分の代わりに不倫をしてくれてる、はははは。いっぱいいてたらみんな大勢の人が身代わりにしてくれてる、相手を変えてという。
 だから、自分に対して神さまが合わせてくれてる、全部ね。そこを徹底すると楽になるのね、人を責めなくなってマイナスに見なくなるからね。もしプラスの姿を見たかったら自分の気持ちをちょっとプラスに変えたらいいだけね。




 良いチャンネルに合わせる方法

参加者:
 無限の無限のチャンネルがあるといつもおっしゃいます。チャンネルというのは自分で番組を変えていくものなのか、自分の波動が上がっていくと自然にチャンネルが変わっていくのかどうなのかなあと。
 今日から私はチャンネルを変えよう、違う番組を見ようと思ったら見れるものなんですか。

ありがとうございます:
 そう。チャンネル合わせは自分の心の全体でするのね、信念でするの。心を・信念を変える方法はね、言葉を変えていくことね。自分が言葉を選んでそれを使っていったら、心・信念が変わってくるから、自分がチャンネル選びをしてチャンネルを変えていけるのね。自分で自由に変えられるの、チャンネルをね。
 でも、言葉を自由自在に使いこなせないとなかなか変化しないね。普通、他からの影響を受けていると同じ番組にとどまるね。今見てる番組の中からしかメッセージがこないでしょう。信念はそう大きくは変化しないのね、同じようなものを取り込んでるからね。

 でも、言葉を支配したら全く違う言葉を使うでしょう、そうしたら心が大きく変化するね。だから「無限のプラスが一杯」と言えば大きく変化するじゃない。そうすると番組が大きく変化してパッと変わるのね。(自然に変わる?)言葉で信念を置き換えてしまうのね、変化させてしまうから。
 ただね、信念を変える時に神様からの助太刀があるの、応援してくれるからもう一つ早く変わるのね。特に「ありがとうございます」を言っているとプラスへのチャンネル合わせに心が向いている・照準がプラスに向いてるからね、神さまから大きく応援してくれるのよね。
 それでマイナスの信念があったら、それをプラスに変えてくれるから、チャンネルもマイナスからプラスに早く変わるのね。そういう意味で祈り言葉って大事よね、はい。

参加者:
 「となりのトトロ」という映画に「まっくろくろっけ」というのが出てきたんですけど、うちの家にもでるんですけど、あれはどういうものなんでしょうか。

ありがとうございます:
 どんなん?

参加者:
 黒いこういう????一杯いるんですが。

ありがとうございます:
 飛ぶもんね。それも無限の中の一つの現象ぐらいに見たほうがいいね。もういろんなのが揃ってるのね、神さまの番組にね、その程度じゃないのね。化け物でも妖怪でも、もっといいものでもいっぱい無限に種類があってね、その一部よね。(悪いものではないんですか)楽しんで見るんだったら可愛いね、悪くはないよね。マイナスに見ると悪く見えるけどね、でも全部楽しんで見るほうがいいね。神さまの変身の姿と見たらね、神さまが変身するのだったら悪くないよね。上手だなあというぐらいで、変身の姿がね、素晴らしいなというぐらいがいいよね。




 自分の願いで祈っても、必要がなければ実現しない

参加者:
 祈る時に、例えば、試験に受かりたい時には、「試験に受かってありがとうございます」という言葉を付け加えた方がいいのか、それとも「ありがとうございます」だけ言ってればいいのかどうでしょう。

ありがとうございます:
 試験でもね、受かっていいのか悪いのかわからないよね。(笑い)本当に受かって幸せになるんだったら必要なんだけどね。それだったら「ありがとうございます」だけ言ってたら必要だからちゃんとそうしてくれるね。でも、いくら「試験に受かりました、ありがとうございます」と言ってもね、必要なかったら、それが幸せになる道じゃなかったら通らないようにしてしまうね。「ありがとうございます」を言ったらよけいね、通らないね。

参加者:
 それに関してなんですけど。目標設定とか願望実現の時は、自分の限られた意識で良かれと思って設定すると思うんですけど。それが本当にいいかどうかわからない時があるんです。例えば設定して一所懸命それに対してビジョンを描いてやることと、後は全てをゆだねて、今の自分にとって何がいいのか何が悪いのかというのをわからないので、ゆだねて、ただ「ありがとうございます」の方が。(先生:その方がいいですよね)その方が本当に自分にとって必要なものが早く受け取れるようになるのですか。

ありがとうございます:
 最初はあれこれ目標設定したりする人はあるけどね、それは無駄な足掻きね、それね。(笑い)
 「ありがとうございます」を、ただ無心に唱えている方がいい結果がすぐ出てくるね。最後はもうそういうのをしなくなるね「ありがとうございます」だけに絞り込んでくるね、その方がいいね。いいものがいっぱい受けられるね、結果を即受けるようになるから、目標設定が要らなくなるね。目標の結果が即出てくるようになるね、感謝してるとね。

 ありがとうございます。














ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。