0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

ar124神さまの五つの姿2003.1.12.01

ありがとうございます:
 「神さま」というのは、いろんなとらえ方がありますよね。「神さま」という言葉で何を指し示しているかというのが一番大事ですね。本当の神さまは全体を統括しているのが本当の神さまね。「神さま」という言葉にすべての意味を中に持ってるのが本当の神さまですよね。大きく分けると五つに分かれるんです「神さま」という言葉がね。

 一つ目、先ず「絶対神・絶対の神さま」これは「隠身(かくりみ)」の神さまで、これをつづめて「神」。

 二つ目、「創造神」ですよね、宇宙を創る創造する神さまで「仮凝身(かごりみ)」「かごる」というのは、仮に凝り固まるという意味で創造という意味で、仮凝身の神さまを神さまというね。

三つ目、耀く神さまで、無限に無限に耀いているという、そしてすべてを照らす神さまで「輝身(かがりみ)」の神様ね、それをつづめて「神」。「かがりみ」をつづめて「神」というでしょう。

四つ目、「駈身(かけりみ)」といって、神通自在の神さまね。宇宙を自由自在に、神通自在に飛び回れるような神さまね。どんな力でも発揮できる神さまを「駈身の神さま」というね。これをつづめて「神」ね。

五つ目、「限身(かぎりみ)」の神さまというのは、神通自在の神さまが自由に変身するのね。これも愛の心で何にでも変身して、みんなの幸せのために役割を果たすのね。
 例えば一個の原子もそうよね、石ころ一個もそうね。本当は宇宙を自由自在に飛び回る神さまよね。その神さまが一個の原子になるね、一個の石ころになるね。大きくも小さくも変身するのね。石ころなんていうと、頭を踏まれても「ありがとうございます」と踏まれてくれるよね。すごい愛の塊のような神さまでしょう。

 その五つの意味を中に持ってる神さまが、本当の宇宙の大神様ね。この「ありがとうございます」という言葉が「究極の神様の名前」という意味もね、この「ありがとうございます」に、この五つの働きがぜんぶ含まれてるのよね。だから、本当の宇宙の大神様は「ありがとうございます」という神様なのね。この神さまの名前を呼ぶと神さまがスッと現れるね。必要な助けをどこからでも受けられるのね。絶対からも、創造神のところからも、統一神という輝いたところからも、また、神道自在な無限の無限の八百万の神様からも、またこの世の物質に現れた姿からも、どんな助けでも必要に応じて受けられるね。

 いろんな宗教信仰があるんですけど、本尊の名前がいろいろありますよね。また、その中身の対象の姿もいろいろあるのよね。ただ、全体を指し示すというのはなかなか少ないと思うのね。部分的に偏ってくると思うね。でも、本当は全体から必要な助けを受け続けられるのが一番幸せですよね。必要に応じてどんな助けでも受けられるというのがいいのね。

 例えば、駈身の神さまがいっぱいいてるよね、無限に無限にいてるね、八百万の神さまという形でね。そうすると、観音様を信じている人は観音様だけにすがろうとするでしょう。他からは助けが来ても「知らない」というような感じよね。また、お不動さんを信じている人は、お不動さんだけをすがるじやない。

 そうすると、部分的な助けは受けられても、全体からの必要な助けは受け損なう可能性があるね。また、神様同士もお互いに譲り合うところがあるのよね。まあ、一つの神さまに絞ってると、その神さまは一生懸命護ろうとするけど。「この神さま、あの神さま」といっばい、百ぐらいの神さまに護って欲しいと思って心を向けてると、やっぱり心も分散するし、神さま同士が謙虚に遠慮し合って「あの神さまが護ってたら私はもう引っ込んでても大丈夫」というような感じでみんなが譲り合ったら誰も護ってくれない。まあ、そういうことはないかも知れないですけどね。

 やはり、中心の、根本の、全体を現す神さまに心を向けるほうが、本当は一番安心感があるね。「どこからでも護ってもらえる」というのがいいよね。その中心さえとらえておけば、根本さえとらえておけば絶対間違いないのね。枝葉・部分にとらわれとどうしても偏るのね。だから、全体を、根本をしっかりとらえるという生き方が宇宙の大神様を、本当の神さまをしっかりとらえる生き方ね。「ありがとうございます」という言葉を根本において、感謝の心を深めていくと、常に全体から大きい助けを受けていける。神様というのは、そういう大きい意味でとらえたほうがいいと思うね。

 自分とは何か

 次に「自分」というのが一番難しいでしょう。「自分とは何か」という、これは一番大事な命題なんですね。普通、思いの心でとらえるのは、どうしても過去を掴んでしまうのね。そうすると過去の自分の姿を掴むと小さくなっていくね。例えば「肉体が自分」というふうに教えられたり、思ったりして掴むと、いつまでも「この肉体が自分だ」と錯覚するね。そして「魂が自分だ」と教えられると「ああ、魂が自分かな」と思ってしまうね。でも、それも大きい本当の自分からみたら、ぜんぶ中に持ってる一つの姿なんですけどね。「それだけが自分」というと執われてしまうね。

 この「魂」とか「肉体」というのはね、本当の自分からみたら爪の先の垢ぐらいよ、そのぐらいの感覚よね、本当はね。「本当の自分は神様と一体の自分」までさかのぼらないといけないね。神様から一瞬一瞬新たにして、すべてを受け直した自分。これは宇宙の大神様と一体の自分ね、宇宙の大神様そのものと言えるかも知れないね。一瞬一瞬受け直した自分というのがね。宇宙の大神様と一体の、本当に宇宙の大神様そのものの自分が本当の自分であって、そこから一瞬一瞬いろんな姿を、表現をとりながら、この魂とか肉体の自分まで、この命の働きがずーつと出てきてるのね。
 だから「本当の自分探し」というのは「神様探し」よね。「自分とは何か」というのはね。「本当の神様をしっかりとらえた時が本当の自分に気づいた」というね。その自分は永遠不滅のものだし、無限に無限に幸せが一杯だし、すべてのいいものをぜんぶ持ってる自分よね。

 人って大体幸せを求めるんですけどね、さて、幸せとはどこにあるか。本当の自分を探し当てたら幸せなのね。そしたら、本当の自分はどこに居てるのかというのね「常に今ここにいる」気づかないだけでしょう、普通ね。気づいたらどこにでも居てるのね、今ここに、自分の中にも外にもどこにでも居てるのね、本当の自分がね。本当の自分の中に包み込まれて、この肉体の自分も魂の自分も小さく存在しているだけでね。みんな本当の自分の中の一部の姿をとってるのよ。
 人生の目的でも、自分をしっかりとらえないと本当の目的は定まらないと思うね。「肉体が自分」と思うと「人生の目的は何か」と言われても定まらないよね。いろんな思いや願いが出てきてコロコロ変化するし、さてそれで目的が定まるのかというと、何かむなしい・はかない感じになるね。

 それは、肉体は有限のものでしょう、寿命が決められて必ず死んでしまうじゃない。そしたらいつ死んでも同じような感覚じゃない。百年生きて長生きしたように思っても、今日一日生きて明日死んでも、そう大差ないような感じじゃない。「肉体が自分」と思うと本当の意味の人生の目的は定まらないですよね。何のために生きるのかって、いくら答えを出してもむなしくなるね。

 また「魂が自分」というふうにとらえても、魂も立派な魂、堕落した魂、悟った魂、迷った魂といろいろあるじゃない。でも「その魂を自分」ととらえたら、立派に輝いた魂の人は何か希望があるように思うね。
 「魂は永遠なんだ」と言われると幸せなように思うんですね。でも地獄に落ちていかないといけないという感じの魂だと大変でしょう。迷って迷ってマイナスをいっぱい積み重ねて、必ず地獄へ行くんだという魂だとするとね。本当にね、こんな自分が永遠に生きても大変よね。逆に「永遠に魂は生き続けるのだ」と言われると、ものすごい苦しいよね。だから「魂」でも目的が定まらないよね。

 それで、奥の「命の自分」という、本当の神様の分身としての「光り輝いた命の自分」というふうにとらえてくると、ちょっとは希望が見えてくるね。でも小さい命の自分だと、本当の人生の目的・個性って輝いてこない、まだね。「本当の個性」というのは、全体とつながらないといけないね。「神様と一体」という自覚があったときにはじめて一筋の命の自分も個性が発揮されてくるね。

 この肉体が全体の神様とするでしょう、指の一本が自分だとするよね。全体とつながっているときは、これが人差し指よね。でもその自覚がないと、人差し指としての働き・個性を発揮できないね。指先だけが自分だと思ってたら駄目でしよう。指を切り落としたら役割がなくなるのね。だから「命の自分」を掴んでもまだ足りないね。もう一つ奥へ入らないとね。だから「全体としての神様」というのが大事ですよね。

 人生の目的

 そこまで心が入って行って、神さまと一体の自分をとらえたら本当の人生の目的が定まってくるね。それは、神さまの目的が自分の目的として出てきたときが本物よね。「神さまの御心のままに生きるJという「神さまの目的を自分の目的として生きる」その時は、本当に自分の心の底から納得できるのね「ああ、これこそ人生の目的、本当の目的なんだ」ってね。

 具体的にいろんな大きい目標、小さい目標といろいろ具体的にあるでしょう。それをぜんぶ「神様の御心のままに」というふうにとれていくと、順番にいいものがいっぱい出てくるだけね。それも神さまのバックアップのもとに必ず実現するのね。そういう生き方だと人生の目的をしっかりととらえて生きるということが、本当の生きがいになってくるね。神様のプレゼントを、新たに新たに身をもって体験して味わうという感じね。本当の生きがいがそこに生まれてくるね。生きがいでもいろんな生きがいがあるでしょう。小さいと必ず崩れるの。

 例えば「結婚して子供を生んで、子供の成長が生きがいなんだ」と思ってるでしよう。成長してしまうと生きがいがなくなるのね。そして、ちょっと反抗されると瞬時に壊れてしまうのね。あまりにも小さすぎるのよね。神さまの大きい目的・目標をしつかり掲げて、その神様からのプレゼントをしっかり受け取る、神様とともに歩むというのだったら、もうすべての生きがいが喜びいっぱいに湧き出てくるのね。

 だから、先ず神さまとつながらないといけないね。‘つながらないと’というとまた見方がちょっと間違うんですけど。元々つながってるのに気づかないといけないね。神様と切り離したらみんな死んでるのよね、一瞬も生きておれないのね。だから最初からつながってるのね、神様の命を生きてるのね、神様と常に一体の自分を生きてるのよね。ただ、それに気づくか気づかないかの差なのね。気づく方法よね、何が必要かというのはね。

 思いの心

 普通、思いの心を生きてるというのは「思い」は過去を掴んでる心よね。過去を掴むと新しい受け直しをぜんぶ忘れてしまうね。一瞬一瞬新たに神さまは無限の無限のプレゼントを与え続けてると言っても、今ここにあるものを一つ掴むだけで、他のことをぜんぶ忘れてしまうのね。「これは自分のもの」って「これが今、受けたプレゼント」というふうに掴んだだけでそうよね。それも過去をずーっと掴み続けたら、新しいプレゼントはぜんぶ拒絶してしまうのね。思いの心は、そういうふうに過去を掴むことによって生まれてくるね。

 また、思いの心というのは古い心よね。新しい感謝の心じゃなしに、古い心が思いの心ね。それも古くなるほど光が乏しくなると、ちょうど空に浮かんでる雲のような働きをするのよね。霧と言ってもいいけどね。古いほど光のない雲よね、黒雲という感じね。まだ新しい思いだったら光り輝いて白雲なのね、でも光じゃないのね。また太陽でもないでしよう。

 太陽が神さまというふうにみると、命の光り輝いた自分は、太陽から放射された光そのものよね。それは新しく現れて、現れてはいろんな働きをしてスッと絶対へ戻って消えて行くのね。でも、思いのほうはいつまでも残ってるね。思いは地上から・執着の心から生まれてきたものなのね、霧のように空に浮かんでるのよね。その思いの心がいっぱいになると見えるものが見えなくなってくるでしょう。霧が立ち込めたら周りが見えないよね。折角いいものがいっぱいあっても、美しいものがいっぱいあっても見えないのね。それが問題なのね。

 この世に生きている人でも、神さまを、光り輝いた姿をいつも感じている人は思いのない人なのね。思いが邪魔をして見えなくしてるのね。その思いを消す方法もいろんな方法があって、一番得な方法は何かというのね。一番楽なのが「ありがとうございます」を唱えることよね、神さまを呼ぶことよね。

 そうすると神さまがスッと現れて消してくれるのね。消してもらう方法も「命を神さまに預ける」という姿をとると、もう一つ大きく消してもらえるね。神さまを呼んでも必要なだけしか光をよう受け取らないのね、自分はね。その自分の心に溜めた奥深い心までは「光を射し込ませて消す」というところまではいかないね、表面だけよね、どうしてもね。でも「命を捧げます」という姿をとると、ゴソッと神さまに預けて消してもらえるから早く思いが消えるね。そうすると早く感謝の心が湧くように湧いてきて深くなるね。

 感謝の心

 感謝の心は光の心よね、光を感じる心になるね、波長が合うのね。神さまと波長の合う心が感謝の心というのね。だから、いつも光を、神さまを感じ取れるね。そうするといつも何を見ても輝いて見えるのね。本当はみんな輝かないと嘘なのね、輝いていることに気づかないとね、それを感じないと嘘なんだけど。思いの霧が立ち込めると見えない、また色眼鏡をかけると見えないというような感じね。本当は「みんな無限に輝いている」というのが正しいのね。

 一個の原子でもそうよね、無限に輝いてるね、小さいけども中に宇宙を持ってるのよね。だからすべてが無限に輝いてるね。そしてみんな個性があるのよね、一個の原子、例えば水素原子が無限にあっても、一個一個の水素原子のぜんぶの顔の形、働きが違うのよね。中の構成要素も違うしね、一つ一つの中に宇宙があるのよね。だから同じじゃないのね、神様は同じものは一つとして創ってないね、ぜんぶ違うように創ってるね。「同じものだったら必要はない」って言うね。また一瞬一瞬、同じことは繰り返さないね、同じことを繰り返すんだったら「これも必要ない」と言うね、必ず変化させてくるね。

 神さまの芸術作品

 そうするとすごいことでしょう、これが神さまの芸術作品というのよ、最高傑作。神さまの宇宙創造が芸術なのね。美しいもの、素晴らしいもの、清らかなものといっばい生み出してくるでしょう。人の芸術という考えは神様の真似をするのね。神さまの創造されたものを、人も同じ神さまの心を持ってるんで、そこに何かを生み出そうとするね。芸術作品として生み出そうとしてるね。それはやっばり大事なことよね。

 人の役目って大事なんよ。神様一人でも宇宙創造して、素晴らしいものを創り続けて、それを味わって楽しむことができるね。でもね、無限の人がその神様の分身として、更に一人一人が自由にいろんなものを想像・創造して、それを心行くまで味わうと、神さまの楽しみ方が無限に広がるのね、大きくなるでしょう。神さまの代わりにみんなが芸術を生み出して、それを味わって楽しんでるのね。神さまの喜びを大きくするために必要なのね。だから、芸術というのは大事なのね。

 芸術家というのは、やっぱり感性が鋭いでしょう、神さまをしっかりとらえたら本物よね。ただ、感謝の心を深めないと本物を掴みにくいでしょう。思いの心でつくり上げた芸術って、ちょっとおかしいね、自分勝手なところがあるでしょう?「なんか美しいのかな」と本人が思ってても、はたから見ると「なんかおかしいな」となるね。だから、思いの心でつくるのは本物じゃ無い、まだね。本物は、神さまの真似をしないとあかんね、神さまの心をしっかりとらえて、それを映し出すようなものが本物の芸術ね。感謝を深めて神さまをしっかりとらえるのね、そうすると新しい本物の芸術が生まれてくるのね、次から次へと。

 だから過去の物真似はいらないし、人真似はいらないし、自分を通して個性が出てきて本物の芸術作品、自分そのものが芸術作品かも知れないけどね。自分の生き方そのものが、神さまにとったら「最高の芸術」というふうにみてくれてるかも知れないね。だから、本当に自分が感謝を深めて生きがいがあって、そこに素晴らしいものが生み出されたら、神さまの最高の芸術作品よね。そういう生き方をしっかりとれたら別に芸術家にならなくても本物だと思うのね。

 民族

 「民族」というのも枝葉なんですけど、神さまから命の別れとしていろんな働きが出てくるね、ただ、命の自分は自由自在なのね。何にでもなれるの、縛りがぜんぜんないの、命の自分は。最初に、絶対から出てくる命の自分は、まったく自由自在ね。神さまの自由自在な心をそのまま受け継いでいるので、今の一瞬に石ころになり、次の一瞬は人になり、次の一瞬は太陽になりって、何でもできるの。そこまで自由なの命の自分はね。その命の自分が何を表現しようかと個性を持って出てくるね。ある時は石ころになるときもあるのね、ある時は虫けらになるのね、ある時は植物や花になったりするのね。また動物なり人に生まれ、何にでもなってこれるのね。だから人間になる前に、いろんな生まれ変わり、移り変わりの姿を体験をしているはずね。何にでもなれるから他のことがわかるのよ。一体感で愛の心で感じ取れるのね。
 だから、花の心がわかる人は花になったことがあるのよ、そうでないとわからないよ。まったく違うんだったらわからない、花の心も何もくみ取ることも理解もできないね。だから、人は何にでもなれるのね。

 「魂の生まれ変わり」の姿もいろんな番組の中にあるんだけど、でも一瞬一瞬何の民族にでも生まれ変われるのよ。また魂の生まれ変わりとしていろんな民族としても生まれ変われるのね。魂の生まれ変わり、輪廻転生という世界、その番組を眺めてもいろんな国に生まれてるのよ、また、いろんな民族に生まれてるね。

 これはやっぱり大事なことなのね、一つの民族だととらわれるのね。だから、いろんな体験を積んで、全体をひとつにみる大きい心になっていかないといけないからよね。
 また、日本の中だけでも○○家ってあるでしょう、その家の家系だけに生まれるんじゃないの。いろんな家系にも生まれるね、男になり女になりいろんな生まれ方をするでしょう。これは「全体を自分の家」というふうにみていくために必要よね。「宇宙家族の一員」というぐらいがいいのね「地球家族の一員」ね、それでいて、その時その時必要な役割を、個性を発揮して果たすのね。それが全体に対しての責任を果たす姿よね。だから、民族の違いで上下の優劣の差なんかは無いのよね、みんな平等、助け合うためにあるのね。

 また、自分の表現ができないことをまわりの人がぜんぶ表現してくれる、代わって表現してくれるね。だから「みんな自分の代わり」と思わないといけないね。
 早く地球全体が一つの家族のようになって、すべての民族が仲良く助け合う姿をとらないといけないんだけど。これもね、過去を掴んだら執われるのよね。みんな過去を掴んで恨みを積み重ねたり、憎しみを積み重ねて争うんでしょう。過去をぜんぶ放せたら、神様の方へ心が向いて、新たに新たに受け直す心だったら、もう自由にいいものを受け取って、それを与え尽す生き方をとれるよね。
 それをみんな忘れてるでしよう、感謝を忘れてるのね、先ずね。神様を無視して感謝を忘れて思いの奴隷に徹ってるのね。だから「過去を掴む」というのはよくないよね。どんな過去も感謝してそれを味わって直ぐに放さないといけないね、忘れてしまわないと。常に新しい神様からのプレゼントを受け取っていくというのが大事ですよね。

 新たに、新たに生きる

 「宇宙は一大交響楽」というふうにたとえられるんですよね、一大交響楽が響き渡ってるね、奏でられてるね。それで、今聞いた音(音楽)を聞いて、ずーっとそれを心に持ち続けたらどうなる? 新しいものが何も耳に入ってこないじやない。折角、演奏会を聞きに行ってもー瞬だけ聞いて、あと耳を塞いでしまったような感じになるでしょう。でも、新しい音色がずーつと続くんでしょう、だから今聞いた音色をサッと離さないと、新しい響きに心を受けるわけにはいかないね。だから、常に「新しい姿、新しい姿Jを追いかけないといけないですね。
 人の本当の幸せな生き方というのは、常に「新たに、新たに」生きることよね。「新たに生まれ新たに生きる」それも「神さまの中から一瞬一瞬自由自在な心で出てくる」というのが大事でしょうね。

 お正月なんていうのはそういう意味の心を思い出すためにあるのよね。いろんな「節目」というのがそうですね、月のはじめも日のはじめも年のはじめも、ぜんぶ新たな心を思い出すためにあるのね。新しい自分はもう何にも縛られないね、自由な心でたくさんのプレゼントの中から一つを選んでそれを楽しめるね。また、たくさん選んでも楽しめる。その「自由な心」というのが一番大事でしょうね。

 哲学・科学

 哲学も神様についての哲学になると本物になるんだけど、本当の生命哲学とかね。どうしても人の思いで考える哲学は程度が低いのよね。感謝の心で、神さまの心で考える哲学は本物の哲学なのね。でも、過去を掴んで思いの心で考えるのは、それも哲学の中に入るんだけど、低い哲学といえるね。考えるだけでは本物は・いいものは生まれてこないね。「神さまの心を受け取る」というほうが大事ね。
 神さまの心を受けて、神さまは哲学者よ、本物の哲学者は神さまなのよね。神さまの哲学を受け取って本物よね。
 芸術や哲学はぜんぶ神さまの中にあるのよ、本物はね、科学もそうよね。科学と神さまと相反するか、そんなことはないよね。神さまが本当の科学者なの。
 だから、宇宙を創るのでも、法則を創ってその通りにぜんぶ動かしてるね。この世の科学で掴んでる「自然の法則」なんていうのは大したことはないよね、ちょっとだけ感じてるぐらいね。本当の科学は神さまが知ってるのよね。科学者というのは本当の神さまにならないとあかんのよね。そしたら宇宙がどういうふうに創られてるかがわかってくるのね。でも、まだまだ細かいところまではわからないね。いくらいろんな素粒子の段階まで入っても、まだまだ奥へ奥へは入らないとね。一番最初の出発点もわからないものね。肉体の人間があまりわかりすぎても困るかも知れない。「肉体の人間ではわからない」というのがいいよね。一番奥の命の自分、神さまなる自分
だったらぜんぶわかってるというのだったらいいよね。肉体の自分でわかってしまったら、神さまの自分に戻らないかも知れない。一番の幸せは一番の奥に戻ることよね。神さまと一体の自分まで一瞬一瞬戻ることのほうが大事よね。そのほうが大きいプレゼントを受け続けられるからね

 だから、あまり枝葉に流れ出てきて、その枝葉を掴む生き方はあまりよくないよね。常に全体像をとらえるほうが大事ね。

 足跡は残さない惟喬親王

質問:
 惟喬親王のことが古典の「伊勢物語」に書かれていて、ここの惟喬親王さんのことかなと。他に惟喬親王のことが書かれているものはあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 あるでしょうね、有名な方だからね、いろんな意味で活動的な方だったから。‘あちこちに顔を出してる’って。歴史に書かれてる、残ってるというのもあまり残ってないでしょう、一部でしょう。ほとんど記録に残ってないというのが本当よね。特に自分を残そうとしないからね、立派な人はね。「隠して、隠して」というところがあるじゃない。

質問:
 このような生き方をされていました、というようなのは残っていないのですか。

ありがとうございます:
 残ってないね、あまりね。神さまでも、高い神さまは痕跡を残さないというね。人でも本物の生き方をたどってる人はあまり残したくないのね。残すと過去を掴んでしまうでしょう「一瞬一瞬新たに生きるというのが特に日本民族の一番大事な生き方」ととられてる。

 惟喬親王さんも桜の花が一番好きだったというのね。桜の花って、花びらがさーっと清らかな散り方をするわけでしょう。「今の一瞬一瞬いかに清らかに死にきるか」死ぬことが生きることなのね。新たに新たに生き続けられるという意味でね。過去を掴まずに常に神様の新たな命を生きるという、それが一番輝く生き方ですよね。
 「自分を残そう、名前を残そう」というのは、名声欲の五欲の心の一つよね。思いの心、五欲の心の一つよね。感謝の心の本心の輝いた心じやないのね。
 もし、神さまが過去を記録して残そうというたら大変なことになるよ。古いものでいっぱいになってしまう地球は。もうゴミの山になるよ、はははは。だから古いものをぜんぶ消しきっていかないと新しい表現がとれないものね。古いものを掴むのは、神さまの創造の働きを邪魔するかも知れないね。それぐらいよね。

 だから、足跡は残さないほうがいい、だから記録も何も本当はいらないと思うけどね。今を新たに受け直せるようになれば、いつもぜんぶ輝いてるというふうになってくるね。

 絶対神

質問:
 「永遠の中今の今」のお話の中で、みなさんがここに来られても「私には会ってるけれど、絶対神には会ってない」というお話をされてましたけど。あまりにも畏れ多いような、ちょっと恐いような気がしたんですけども。その絶対神というのは「そこまで行かなくても」という思いがちょっとあったんですけども。やはりそこまで行くものなんでしょうか。

ありがとうございます:
 そこまで行かないと神様の本当の愛に出会えないじやない。「恐い」なんて言うてたら、はははは、神様の絶対の愛へ、そこに来れないとね、恐いものが無くならないといけない。

質問:
 ありがとうございますの言われる絶対神、何かそういう予感はするのですけど。なんか大変なことのように思ったものですから。

ありがとうございます:
 これもね、思いの心がちょっとでもあると古いものを掴んでるじゃない。ちょっとでも古いものを掴むと、そこへ神さまを呼び込むと消されてしまうから、消されるのが恐いのよね。「過去の古いものを今掴んでる」それを消されると今の自分にとったらちょっと心配なのね。でも、神さまが永遠にずーっと輝き続けて出てくるわけでしょう。それをしっかり受けられたら大丈夫なのね。

 だから「置き換え、取替え」でしょう「交換してもらう」という気持ちがしっかりしてると、新しいほうを受け取るほうがいいの。そしたら「恐い」んじゃなしに「喜び」に変わるはずなの。取り替えてもらうだけだから。「新しいいいものと常に取り替えてもらおう」という気持ちがいいですよね。それで
「ありがとうございます」で無限に輝いた宇宙を受け取るという。小さくだと執われて行くのね、大きく大きく受けるほうがいい。絶対神まで行かないと損よ。「どこまでも、どこまでも」ってね「より新しいものを受け取ろう」というところへ行かないとね。ちょっとでも途中で止まったら過去を掴んで、ずーっとまた過去へ流されてしまうもんね。光の川の流れにさかのぼらないとあかんのね。止まったら流されてしまうよ、光の流れにね。だから、急流をさかのぼらないといけないよ、光のスピードでよ。

 言葉通りになる

質問:
 まったく油断できない。

ありがとうございます:
 油断できないよ、光の流れはすごいスピードよ、川の流れはゆるやかだけど。光の流れに逆らって奥へ入らないといけないから。でも、不可能じゃないのよね、言葉通りになるから。どんな番組も運命も、ぜんぶ言葉通りに受け取るのよね「駄目」と思ったら駄目だし「大丈夫」と思ったら大丈夫だし「可能」だと思ったら可能になるね。みんな言葉通りになって行くしね。

質問:
 ありがとうございますはそうして来られたわけですね。

ありがとうございます:
 私はいい言葉だけを使うことにしてる、はははは。心配しない、何も。「ありがとうございます」で受け取るだけ。

 借金払い

質問:
 前にお話していただいた「無限の無限の幸せが一杯!」という中に「借金払い」ということが書いてあったのを見て。自分には現実の借金払いをしなければ自分を見出せないといいますか。子供がいて主人がいて、現実的には借金で因っているという状態で。ありがとうおじさんのことを友達に教えていただいたんです。「あなたがこれからやっていくのだったら、ありがとうございますという気持ちですべての過去を忘れて、でもやっぱり借金は払わないと駄目よ」というのが頭の中でギャップとしてわからなくなります。自分では何とかしようと思っても楽にはなりませんね。借金払いという意味がわかりません。

ありがとうございます:
 本当の借金というのは、人からいろいろ助けてもらうでしょう、お世話になるよね。また迷惑をかけてもこれは借りになるのね。過去世をずーっと生きてきていろんな人の助けを受けて、人に迷惑をかけたことって無限にあるのね。だから無限の借金をみんな持ってるのね。それを返すというと、返せないよね、本当はね。この世だけを見てもそうだけど、受けた恩を返しているかというと、返してないね、万分の1も返せてないもんね。

 借金も同じね、万分の1も返せてないよね。借金のほうは利息が付くのね、それはちょっと返してもすぐに膨らんでしまうから、もうぜんぜん返しようがないと思うね。でも「返そう」という気持ちは必要よね。自分では返せない、でも返すことは大事ね、必要よね。命懸けで返そうとする気持ちを持って神さまにすがるのね。神さまの助けを受けないと返せないの。それで、小さい神さまよりも大きい神さまの方がいいじゃない。だから宇宙の大神様に「ありがとうございます」ってすがるのね。

 最初は、すがり方も自分のぜんぶを神さまに預けずにすがろうとするね。表面だけを順番に消して行こうとするのね、マイナスでもね。借金取りが来た分だけを支払っていこうという生き方ね、最初はね。でも、それではキリがないね、次から次に借金取りが出てくるよ。七難八苦の姿をとったりいろんな姿で借金返しの催促をしてくるね。でも、その度に神さまにすがって助けてもらうのもいいけどね、もう永遠に続くかも知れない。

 だからいいのは、全部まとめて神さまにスカッと任してしまうことね。無限の借金があっても神さまだったら瞬間に消せるのね。神さまの方は「いつすがってくるか」ってみてるのね。神さまはすがってきてくれるのを待ってるだけね、何倍年以上かけてずーっと待ち続けてるのね。だから、早く命を預けて、古い自分を預けて過去の借金をぜんぶ預けにくるのを待ってるのね。そしたらスカッと過去を消して、新しい生まれ変わった自分に生まれ変えてくれるから、その時は借金のない自分よね。

 神さまから出てくるのは無限の貯金を持った自分が出てくるのね。過去を掴むと無限の借金を抱えた自分よね。これもどっちを選ぶかよね。「どっちを選ぶか」って神様が問うてるわけよね。古いものを神様に返してしまえばいいの、それで新しい自分を受け直せばいいのね。自分一人でしようと思うと大変よ、出来ない。あれこれ悩んで苦しまんならんね。

 「ありがとうございます」は古い自分を神さまに預けて、新しい自分を受け取る生き方なのね「全託行」よね。全託の気持ち、命を捧げて古い自分をお返しして、新しい自分を神さまを受け入れる生き方になって「ありがとうございます」を唱えたらぜんぶ解決するよ。

 ただ、この世であまり贅沢はしないほうがいいよね。贅沢というのはあまりよくないのね。人だけが贅沢すると自然を破壊するのよね。自然との調和を考えるだけでも人は贅沢をしないほうがいいね。必要なだけがいいのね。
 人同士でもそうね、贅沢するから無理がくるのよね。助け合うためにいいものを与え合うのだったらいいんだけど、贅沢するためじやないね、それはね。だから、できるだけ贅沢をやめて質素に、必要なだけにしぼると余裕が必ずできるね。その余裕で助け合うのがいいのね。


 本当は家でもそんな大きい家に住んだら損よ。お金もかかる、税金もかかる、大変よ。一人一畳でいいの。極端だけどね、横になって寝られたらいいのね。そのぐらいの気持ちだったら楽なもんよね。服でも沢山あったら大変よ、何から何までそうよね。本当に必要なだけに絞り込んで、その気持ちで生活しようとしたら楽になるよね。また神様の方は必要なものは必ず与えてきてるのね。贅沢なものは与えてこないけど、必要なものは必ず与えてくるね。
 この世に肉体を持って生きてる人の寿命がある限りは、必要なものを与えてもらうように決まってるのね。守護霊さんが必要なものを用意して与えてくるから、ただ、みんなはちょっと先に贅沢をし過ぎるのね。その徳分を先に消してしまうとちょっと不自由するのね。だから、借金をしてまですることは何もないのよ、本当はね。だから大丈夫よ、大きいこの世の借金を「贅沢はせん」という気持ちを先ず持って神様に感謝してたら、ぜんぶ借金返しはしてくれるね。

 思いは消える

質問:
 先生は「ありがとうございます」を唱えることによって思いが消えるとおっしやいます。自分は「ありがとうございます」を唱えてもどうしても思いが消えないのですが。

ありがとうございます:
 思いは消してもらってても次から次に湧いてくるでしょう。心に溜めた思いは無限にあるよね、みんなね。その思いをずーつと順番に消し続けてくれてるのね。浮かび出たのを「ありがとうございます」で消してもらい、また浮かび出たのを「ありがとうございます」で消してもらうのね。そうすると、いつのまにか出てくるものがなくなったら思いが消えて無いのね。

質問:
 いつかは消えていくのですか。

ありがとうございます:
 そうそう、心に溜めた量がぜんぶ違うのね。少ない人はすぐにスカッとなるよね。でも、沢山溜めた人はまだちょっと時間をかけないとぜんぶ消しきれないね。その消しきる方法も、命を神様に預ける人だったら早く消えるね。「命を神様に捧げます、預けます」という気持ちで「ありがとうございます」と言えば大きく消えるから、早くスカッとしてくるけど。でも、まだそこまで行かない人は、ちょっとずつ消してもらうのね。片一方で消してもらっても、片一方で増えてるかも知れない。いろんな人があるのよね、まったく消えないのと違うよ。浮かび出たのは消してもらってるけど、まだ出てくるのね。だからもっとゴソッと消してもらう方法を選ぶといいね、そういう時はね。

質問:
 命を神様に委ねるんですか。

ありがとうございます:
 それが一番手っ取り早いのね。「この命を神さまの御用にお使いください」と言うといいね。「神さまのお手伝いに生きたいJという気持ちを起こすと、いつも神さまに護られるのね。神さまの光がいっぱい入ってくるから大きく消してもらえるのね。
 でも「ありがとうございます」をずーっと唱え続けたら思いに負けないんだけどね。もうちょっとよね。

質問:
 時間の問題なんですか、数の問題なんですか。

ありがとうございます:
 ずーっと一日に五・六万遍唱えてごらんよ、思いの出ないぐらい唱えてごらんよ、効果は大きいよ。いつもずーっと「ありがとうございます」を唱え続けるとね、思いが出なくなってくるよ、必ず。そこまでまだしてないかも知れないもんね、それはね。

 リストラにあったが

質問:
 リストラにあって、もう一度同じところで勤めることにはなったのですが、リストラにあった人のことを思うと、これからやって行く気持ちに複雑なものがあるのですが。

ありがとうございます:
 過去を掴む心は思いの心だから、思いの心はマイナスヘマイナスへ心が向くのね。それで自分の心を痛めていくね。
 でも「感謝の心、ありがとうございます」の心は、神さまから新たに新たに受け直すのね。「過去は無関係」というのね。一回辞めたら「辞めた」でそれでいいのね。また今度新しく戻ったら「新しいところへ入った」と思えばいいじやない。「まったく新しいところへ入った」というふうに「神さまからのプレゼントとして、神様の会社へ入った」と思えばいいじゃない。

質問:同じところでも?

ありがとうございます:
 それも「毎日、毎日、神さまの会社へ今日入った」というぐらいの気持ちがいいね。新入社員でいいよね、神さまの会社へ入るのは、新入社員がいいよね。そうすると神さまの護りが大きくなるね。
 過去を掴むとやっぱりマイナスヘ心が向いてしまうのね。過去を掴まないほうが神さまの大きいプラスヘ心が向けやすいね。そうするとまわりがプラスにプラスに変化するのね。

 思いが出てきたら負けないくらいに「ありがとうございます」を唱えてごらんよ、そうすると、プラスヘ心が向くと「過去は関係ない」というぐらいになれるし。そしたらまわりがプラスにプラスに変化して、神さまがプラスの姿で出てきてくれるから。

 ペットが身代わりに

質問:
 ペットについてお聞きします。人間との関係は密接だと思うのです。実家でも犬や猫を飼ってますが、人間の状態に影響されて、そのペットの状態が変わったりしているような気がするのですが。

ありがとうございます:
 これも感謝の心で受けてる生き方だと「神さまがペットの姿をとって自分の幸せのために出てきてくれてる」というふうにみるね「神さまの変身の姿」というふうにみるのね。中は神さま、表面の姿がペットの姿をとるのね。神さまが自分を幸せにするために変身して出てきてくれてるというと、輝いていつも自分を幸せにしてくれるね。それを「ありがとうございます」つて受けきればいいよね。

 でも、思いの心というのは心配するのね、いろんな思いを出すと、ペットが神さまだとして、神さまが自分の思いを背負ってくれるのね。特に、マイナスの苦しい思いを持ってる時は、ペットが身代わりに背負って、それで病気になったり怪我をしたりして思いを消してくれる働きをするからね。だから、ペットは飼い主の心を映すというぐらい、助けてくれるのね。でも、どちらも中は神さまなのよね、感謝をすると輝いて出てくるし、思いの心を生きてると自分の思いをペットに被せてしまうね。身代わりにそれを背負って消してくれる働きをとるね。ペットも神さまよ。「ありがとうございます」と受けるといいね。




 ar124戦争2003.1.12.02

質問:
 先だってある方から「戦争の悲惨さを直視してください」と言われましてショックを受けたのですけども。現状のマイナスを変える一つのテクニックのようなものを教えていただいたのですけども。
 先生の言われるマイナスを変える方法と、ちょっと違うような気がしたのですが。どういう方法が世界を平和にするのに一番いい方法かを教えていただきたいのです。

ありがとうございます:
 みんなは受け方を言葉通りに受けるのよね。神さまの方は言霊の力ですべてを用意してるね。 「人は言葉を使って、どの番組に波長を合わすか」というのが一番大事なのね。マイナスの言葉を使ったら、マイナスの番組が必ず引っ張り出されてくるのね。大事なのは「神さまから何を受け取るか」これを自分の自由意思で選択して、それをしっかり味わう自分になればいいのね。戦争自体がマイナスとは限らないね、感謝の心で受ければ「神さまの表現・最高傑作」と見えるのよね。 地獄絵囲もそうよね、別に、神さまが地獄絵図を創るのが「マイナスだから、必要はないから」というのだったら創ってないよね。地獄番組を創ってるということが神様の最高傑作よね、一つのね。その地獄番組からどれだけ大きく神様の愛を感じ取るかというのが一つの勉強よね。また、幸せを得るための一つのステップになるよね。普通、プラスだけだと、みんなは感謝を忘れてしまうよ、はははは。
 極楽世界に住まわせてもらって、それで幸せが深くなればいいけど、大抵、幸せに慣れて感謝を忘れて不足を言い出すの。そういう意味だったら、もう一回地獄へ降りて、そこでちょっと体験するだけでも、もう一度極楽へ戻ったときに、その幸せ度は無限に大きく深くなってくるね。だから、必要なものはちゃんと用意されてるのよね。
 ただ、地獄へ降りるというのは大変よね。マイナスヘ心を向けて「苦しい、苦しい」と逃げながらでは地獄へ降りられないよね、もっと苦しくなるからね。だから、先ず幸せを掴んでおいて、それで謙虚な心で降りるのだったら降りられるね。

 普通、現実のこの世の七難八苦、戦争もーつの姿よね。それを見て平然としていられる人って少ないよね。肉体の痛みひとつとってもそうよね、平気で肉体の痛みに耐えられる人、喜べる人って少ないよね。どうしてかというと、やっぱり思いの心で見てるからよね。思いの心はどうしても掴んでしまうね。特にマイナスを掴みやすいね。でも、感謝の心だったら掴まないよね。感謝の心は一瞬だけよね、一瞬だけ「神さまの現われ」というふうに、どんな表現も受け取るのよね。一瞬の苦しみなんて別に大したことじやないのよね。これが「ずーつと続いてきた」とか「ずーつと続く」と思うと苦しくなるね。本当はそうよ、一瞬一瞬変化してるのよね、大きく大きく変化してるのね。だから一瞬だけそれを味わうのだったら、どんな地獄絵図でも大丈夫ね。戦争状態といってもそうよね、掴みすぎてるね、みんなね。「その掴みを放す」その放し方にはいろいろあるよね。神さまの最高番組を、例えば、最高番組というのは「完全平和」よね、それをしっかり見つめることによって放す方法もあるね。もっと酷い状態へ心を向けることによって、それと比較して「現実の戦争状態は大したことはない」というふうに放せることもあるね。いろんな放し方があってもいいのよね。「心を現実から放す」というのが大事ね「転換する」というのがね。それは、やっぱり言葉の力でするのよね、いろんな言葉の使い方によって、心の方向付けをして、それを変えて行くのね。 でも「戦争」というのを掴みすぎて、掴んだままでは変わらないよ。必ずそれを転換しないといけないね。

質問:
 そうしますと、アメリカの貿易センタービルのテロのことを以前に質問しましたが。あれはあれで、いいこととは言わないけれど、起こることは起こるということをお話されて、逆にショックを受けたんですが。しかし、考えようによっては、自分が見る番組、作られる番組というのは、先ほど署名を集めましょうということでされていましたが。私は、いくら署名を集めても、起こることは起こるだろうし、個人的にはそういうことで戦争がなくなるということもある意味では思いませんけども。究極の行為というのは、単純に表現すると「祈る」ということになるわけですか。戦争というものをあえて回避しようと思えば、一人一人の気づきとか言葉という意味では大事ということになるのでしょうか。

ありがとうございます:
 人の使う言葉がプラスに変わったら即、変わるよ。

質問:
 確かに、我々がいくら署名したってブッシュ大統領が書かなきゃ戦争が起こるのでしょうけど。我々の使う言葉や思いというものが変化すれば、あるいは状況が変わるかもわからないという意味では、はるかに大事なことなんでしょうね。

ありがとうございます:
 個人で考えてもそうでしょう。自分の心に争いの心がいっぱいあったら、絶対争うでしょう。また、過去を掴んで恨みの心をいっぱい積み重ねてたら、必ず仕返ししようとするよね。それはやっばり自分の心の中を言葉でコントロールしてるよね。言葉の中核になるのはみんな言葉よね。大体、どういう言葉を使ってるかというので、心の状態が決まってくるのね。いつのまにか、言葉の縛りの中にはまってしまうのね。マイナスの言葉をぜんぶプラスの言葉に置き換えられたら、絶対マイナスは起こらないよ。
 特に、感謝の心になって、みんなに感謝するという「すべて神さまなんだ」と拝めるこころになったら、自分から絶対戦争を起こさないね。絶対人を傷つけることはないよね、もうぜんぶ与え尽すだけよね。「命もあげましょう」と言うよね「自分の持ってるものは全部あなたに差し上げます」と言うね、無抵抗よね。そしたら、相手が殺しにくるか、相手が殺しにきても「どうぞ、どうぞ」と言うね。そこまで自分の心をコントロールできるのだったら、絶対戦争も起こらないし、攻撃されることもないのね。

 だから、根本の姿というのは、みんな「自分は神さまから何を受けてるか」というだけなのよね。「何を選んで受けてるか」その選び方が言葉で選んでるのね。今、選ぶ言葉、それで今すぐそれがぜんぶ出てくるかというとそうじやないのね。過去にずーっといろんな言葉を使ってきてるね。その過去に使ってきた言葉の総決算として出てくるからね。言葉の使い方にも順番があるでしょう、どういう言葉をどういうふうに使ってきたか。言葉が番組を引っ張り出す力になるから、沢山マイナスの言葉を積み重ねた人は、マイナスの番組を引っ張り出す予約をいっぱいしてるからね。その予約を取り消す言葉がまた必要になるよね。そして、今、使った言葉が即、新しい番組を引っ張り出せるのだったら、今使う言葉通りの番組が出てくるね。即、変わる、一瞬に変わるね。

 今、みんな思いを溜めてるでしょう、心に思いをいっぱい溜めてるよね。その思いの中核がみんな言葉よね。言葉をいっぱい溜めすぎてるのね、まだ消しきってないね。だから、いろんな番組の予約をずーっとし続けて、特にマイナスの番組を引っ張り出し続けて今日にきてるわけよね。だから、過去の番組の予約をぜんぶ取り消すのが一番大事なのよね。それは「言葉を・思いを消すこと」よね。それは誰が消すのか、消し方がわからないよ。それを神さまに消してもらうのよね、自分では消えないね、ちょっとね。マイナスの言葉をいっぱい溜めてるから、それにプラスの言葉を加えたら消えるかって、そんな程度じやないのね。プラスマイナスゼロで打ち消せるか、その程度じやないのね。マイナスの番組を選ぶために、マイナスの言葉を使ったらずーっと続くよ、それね。だから、消すのは神様に消してもらうのが一番いいね。
 自分の心の思いを・言葉をぜんぶ神さまに預けていくのね。そしたら簡単に消してくれるね、必要なかったらサッと消してくれるから。次に、自分の使う言葉通りの番組がサッと出てくるようになるね。それをぜんぶ消してくれるまでに、ちょっと時間がかかるのよね、一人一人ぜんぶ違うね。どれだけ真剣に神様にそれを預けていけるか、預けた分だけが消してもらえるのね。思いが少なくなった人は、今、使う言葉通りの姿が早く出てくるね。実現力が早くなるね。

 お祈りの練習をしっかりした人は、今、思ったこと、今、言葉にしたことは直ぐに出てくるの。サッと変わるのね。そのぐらいになったら「言葉通り」というのがよくわかるのね。今、自分がどういう言葉を使ったか、言葉を使った通りに出てくるからね。
 この世でも同じよね、この世はあの世の縮図というのね。一人一人がどの番組を引っ張り出してもいいわけね、あの世の番組の無限の無限のチャンネルの番組を、何を引っ張り出してもいいのね。それはみんな自由だから、なんでも引っ張り出してくるね。戦争番組を引っ張り出す人も大勢居てるのね。でも、平和を引っ張り出す人も居てるわけよね。戦争を引っ張り出す人は、戦争の場へ自分が行かんならんのよ、やっぱりね。でも、平和だけを見つめてる人は、絶対戦争の場へ行かないよ。争いの場へ行かないね、そういう場に遭遇しないの、自分のまわりは平和なの。
 テレビや新聞で戦争があるというのがわかるのね。わかること自体、自分の心にまだそういうマイナスがあるのよ、まだ。もう徹底して平和だけを見てるのだったら何にもいらないよ。テレビを見ない、テレビを見ても戦争番組は出てこない。新聞を見てもプラスの言葉しか見えない、というのね。そこまで徹底できたらいいのね。

 本当は、この世に神さまの最高番組を引き下ろすのが本当は大事なのよね。この世に最高番組を引っ張り出せる自分になったら、あの世に戻ったときに最高の番組をみんなが味わって幸せになれるね。神さまは無限の無限のチャンネルを用意してるといっても、最高番組を味わい続けて欲しいのね。必ずそこへ戻ってきて欲しいね。つまらん番組で満足して欲しくないね。ただ「謙虚になる心」つて大事なのでね、一番下からいろいろ勉強しながら最後に最高番組に戻って欲しいね。その方が本当の意味の深い味わい方ができるからよね。

 でも、言葉通りになるというのは法則なのよ、言葉で選ぶのね。だから、どういう言葉を使っても、その言葉通りに必ずなるの、それが引っ張り出されてくるのよね。それが法則になってるね。

質問:
 非常に悲惨な子供さんの絵とか、戦争の場面の絵とかを見るとショックを受けるし。ビルが壊れる中で亡くなった方々というのは、大変な可真相さと悲劇があるけど。それは極論すると、その方がそれを選んだので仕方がないということになるんですか。
ありがとうございます:
 それもあるけど、その選び方といってもいろいろね。自分を強くするためにマイナスを選ぶ場合もあるのね。また、マイナスの姿をプラスに変えるために選ぶときもあるわね。同じ一つのマイナスの姿をみてもみんな受け方が違うはずよね。

質問:
 そうしますと、可哀相だなとか、悲惨だなとか、回避する手段があるのかな。こういうことをしたら回避できるのなら大事なことだろうと思うのですが。しかしその番組を選んだのは、死に行く子供とか、ビルの中に閉じ込められる、その人が選んだ番組だということになるんですか。私はそれを見るばかりという。

ありがとうございます:
 見るというのも、それを選んだことになるのね。極論すればそうよね。もうすべて細かいところまでぜんぶ一人一人が選ぶのよね。

質問:
 それは、多くの番組だから、ある意味では仕方のないことなんですかね。

ありがとうございます:
 特にこの世があの世の縮図として現れて、一人一人が何を選ぶかという勉強の場なのね。寿命を定められて限られた時間の中で「何を選んでいくかと」いう勉強をしてるのね。それでいろんな姿を見せてもらうね。同じものだけの世界に行ったら選べないよね。いろんな種類があってはじめて選べるのね。だから「選ぶ力をつける」というのが大事よね。

質問:
 確かに同じビルにいても死ぬ人もいるし、死なない人もいるし。同じイラクにいて、打ち込まれてもピンピンした子もいるでしょうし、悲惨な子もいるというと、その極限でもやっぱりプラスもあればマイナスもあるということですが。全体が、あのビルがマイナスだとか、イラクはぜんぶ可哀相ということでもないということなんでしょうかね。

ありがとうございます:
 実際、そうよ。イラクの国民がぜんぶ戦争を願ってるかというと、願ってないよね、別に。不幸になるかというと、ならないよ。一人一人の運命はぜんぶ違うよ。
 仮に、ここに原爆が落ちても死ぬ人もあるし死なない人もあるよ。神様の光のバリアに包まれたら、原爆なんかなんともないよ。瞬間に変わってしまうね。

質問:
 自分が光の場にいるつもりだったのに‘外れてる’ということもありますわね。(笑い、はははは)「それも運命」と言えば運命で。

質問:
 戦争のない世の中はできるのですかね。

ありがとうございます:
 「この世に平和を実現する」というのね、これは簡単だと思うよ。ちょっとみんながプラスの心を起こして感謝したら、戦争のない番組がスッと出てくるのね。そんなんは簡単なんよ、本当はね。
 だから、ちょっとみんなが「ありがとうございます」と言い出したらね、直ぐ変わってしまうよ。ところが言わないよね、やっぱり「自分の思い通りにしたい」というのが強いでしょう。「戦争したい」という人、かなり強い人、持ってるよ。それもやっばり勉強なんよ、みんなね、いろんな勉強をしてね「何を選んだらいいか」というのをしっかり学びとるようになってるわけよね。

 愛について

質問:
 「言霊」ということでお聞きしたいのですけども。最近は「愛」という言葉を日本人もよく使うようになりまして。私はそういう年でもないんですけれども、私のようなタイプの男は「愛」と言うのは恥ずかしいし、慣れないんですね。昔の仏典なんかを読むと「愛」というのは「慈悲」とか「慈(いつく)しむ」という言葉を肯定的に使うと「愛」というのは「愛着」だとか「愛欲」だとか、ほとんど否定的な響きを我々は数百年持ってますよね。翻訳しはじめて急に「愛」という言葉を非常に価値観のある言葉としてつい最近使い始めて、まだ憤れない。ある作家は五十年から百年は日本民族に「愛」という言葉が定着するにはかかるだろう、というふうに言ってますけど。結構、宗教家の方も「愛こそすべて」と言うと、まだ私なんかは身を引くほうですけどね、恥ずかしさがあって。言霊的には「ありがとう」とか「愛」を解説されているような意味で「愛」という響きというのは、そういういい響きなんでしょうか。

ありがとうございます:
 「愛」の言霊ね、「あ」は「光・光源」ね、最高のものよね「あ」はね。「い」は「命の・い」だけど。

質問:
 言霊というのは駄酒落に似てますね、すごく。

ありがとうございます:
 「愛」は「あう・会う・合う・相う」という意味よね、放れたのが一つに「出会う・出合う」という「あう」という意味でしょう「一体化する」という意味よね。

質問:
 神道ではもともと「愛」は悪い意味では使ってなかったんですか、昔から。

ありがとうございます:
 同じ言葉でもいろいろに使うのね。

質問:
 仏教では間違いなく明治以前では「愛」という言葉はいい意味で使ったことは先ず無いと思うんですが。
 最近は一生懸命練習をしているんですけどね、なんか恥ずかしさがね。「愛こそすべて」というと、自分の中に「なんか恥ずかしいな」と。

ありがとうございます:
 「愛」という一言を辞書で見るといろんな意味を書いてるよね。まだいっぱい意味をつけてもいいのよね。ところが、神さまの使う意味は、また違うのよね。同じ言葉でもそうよね。
 「神」という言葉も同じよね、神さまがそれによって表現しようとする意味と、人が勝手に使っていろんな解釈をほどこした意味とはぜんぜん違うのね。もうすべての言葉がそうよね。だから「できるだけ神さまに近づいて、神さまのほどこす解釈に従う」というのが一番正しい受け方よね。

質問:
 語源的には「あう」ということと近いわけですね、そうすると。「出会う」とか「調和する」とか。

ありがとうございます:
 はい。感謝の心で神さまの心をくみ取って、それで解釈をほどこすとプラスに見えてくるね。でも、思いの心だと、やっぱりマイナスになるのよね、正反対ね。感謝の心と思いの心は正反対に解釈するね。
 どうしてもマイナスに解釈しがちになるから、そういうのは続いてるよね、日常ね。だから、いい言葉も否定しようというところがあるね、マイナスに解釈してね。神さまの解釈はぜんぶプラスに解釈するのよ、徹底してね。

 教育

質問:
 教育についてお願いします。

ありがとうございます:
 本当の教育は「引っ張り出す」というのよね。詰め込むのじゃないのね、教えて詰め込ませるのじゃないのね。一番大事なのは「神さまの知恵を引っ張り出す」というのが本当よね。天才を引っ張り出すというのがね。
 言葉をプラスに変えて、褒め称えて褒め称えて、奥の本当の姿を引っ張り出すのが本当の教育よね。
 「マイナスに掴んで、そこへプラスを加えて」つていうのは、まだまだ本物にならんのね。表面だけ、プラスの言葉を使ったって本当の力はないけどね、でも神さまを相手にするのね。「神さまから引っ張り出す」という言葉を使うのね。神さまの中には最高の姿がぜんぶあるのよね。みんな天才よね、無限に素晴らしいものをぜんぶ持ってるね。それを引っ張り出す方法は言葉で引っ張り出すのね。だから、自分を褒め続けるのが一番いいんだけどね。それができない人は、学校の先生でもその子を褒め続けるのね、そうすると出てくるね、天才が、素晴らしいものがね。言葉で引っ張り出すね、みんなね。
 だから、勉強嫌いな子は、必ず「勉強しなさい」と言われ続けてるよ。「勉強しなさいと言われる」ということは「勉強してない」という言葉を投げかけられたのよね。何も言われてない子は勉強できるのよね。別に、褒められるところまで行かなかっても「勉強しなさい」と言われない子は勉強ができる子が多いね。マイナスの言葉をあまり受けてないからね。

 本当は放っておいた方がいいのよね、放っておいたら自然に成長していいものが出てくるね。花の種でもそうじゃない、蒔いたら放っておいたらいいのよ、いじくったら駄目よね。言葉の種を一粒まいたら、そのまま放っておいたら成長するのね、本当はそうよね。ところがみんな途中でいじくるのよね、種を蒔いてもほじくり返したりね、芽が出たら芽を摘んでみたりね。ちょっと枝をこつちへ伸ばしてみたら「こっちは駄目だ」つて切ってしまうのね。自然に任せたらいいのにね、だから放っておくほどいいのよね。

 親が子供のことをかまい過ぎたらあまりよくないね。親が忙しくて「子供のことは放ったらかし」というぐらいがいいのよね。その方が子供はすくすくと育つのね。
 育てるのは誰が育てるかよね、神さまが育てるのね。宇宙の大神様が、守護神さん、守護神さんがしっかり働いて育ててるよね。その邪魔さえしなかったらいいの。邪魔するのは『マイナスの言葉を投げかけること』だけどね『マイナスに思うこと』だけど。だから、感謝してると、神さまの働きがスッと降りるから放っておいた方がいいね。

 夫婦

質問:
 夫婦についてお願いします

ありがとうございます
 夫婦っていろんな見方があるけどね。一つの魂が二つに分かれたとか、そういう見方もあるけど。本当はね「みんな神さまから自分に必要な姿を与えていただいている」というふうに受けるほうがいいよね。だから、自分の所有物じやないのね「神さまの現われ」というふうに見るのね、相手をね。「自分に必要な姿で、神さまが現れてくれてる」つて、徹底して感謝するのがいいのね。それが、最高の受け方よね。
 ところが「夫婦」というと「自分のもの」になるのよね。この執着する思いになったらマイナスが出てくるね。相手を縛って行くのね、結局、自分を縛るのよね。それで、相手に求めだすと自分も相手から無理難題を吹きかけられるというような感じね、マイナスヘマイナスへ落ちて行くね。
 神さまを相手にすると感謝だけなんよね、神さまには求める心はいらないもんね。必要なものを無限にいっぱい与え続けてくるね。感謝して受けてる限りはマイナスには絶対ならないね。
 ところが、みんな求めだすね、結婚した途端に自分の所有物に変わるのね。恋人の間はまだいいのね、恋人の間は、まだ相手に尽くそうという気持ちが強いでしょう。でも、結婚した途端に相手に求めだすからね。ここが問題よね。最初から「神さまの現われ」というふうに神さまを相手に受けるのがいいんだけど。
 「なんで結婚して縛り合うんだろうな」と思うけど。これは夫婦だけじやないね、まわりすべてがそうだと思うね。感謝して「神さまの現われ」と受けてる限りは、自分を幸せにしてくれるだけよね。絶対マイナスにはならないけどね。でも、自分の所有物にしてしまうと、今度神さまから必要なものを受け損なうのね。
 本当にそうよね『「これだけが自分めもの」と思ったら、他が自分のものではなくなるだけ』よね。
 本当は神さまのプレゼントはぜんぶ自分のものよね、自分一人に与えられてるの、ぜんぶね。感謝さえ深めたら、ぜんぶ自分のものよね、自分の幸せを大きくするために与えられたものばっかしね。だから、みんなが幸せを与えてくれてるよね。
 ところが「これだけが自分のもの」つて掴んだ途端に、他からの幸せをぜんぶ拒絶してしまうのね。だから、いつも神さまを相手にするのがいいでしょう。神さまから与えられたプレゼントをぜんぶ受けたらいいのよね。それも必要に応じて、自由自在に受け取るのがいいよね。そしたら永遠に幸せが崩れないね。
 結婚相手を毎日変えたらいいか、そんなんでもないんだけど。同じ人に対してでもそうよね、毎日毎日新婚気分で受けるほうがいいでしょう。「今日一日だけ」というぐらいの気持ちだったら、また新たに感激が・感動が新たになって、価値を増した姿として出てくるね。
 だから、神さまを相手に「いつも新たに新たに受け直す」というのが本当の受け方よね。常に「与え尽す」というのが大事なのね
「感謝」というのは「与え尽すこと」よね。「感謝する」というのは、結局、神さまの大きい助けを受けるのでしょう、神さまが自分を通して働いてくださるのよね。そうすると、神さまは何をするかというと、みんなを幸せにするために与え尽すだけなのよね。神さまの助けを受けたということは、結局「与え尽す生き方がとれた」ということで実証されるわけよね。
 だから「感謝することは与え尽すこと」なんよね、ワンセット、本当はね。それが神さまの助けを無限に大きく受けてる姿よね。だから、極楽世界に住める。極楽世界に住んでる人は、みんな働き者よね。与え尽す生き方をとる人ばっかしで、自分のことは何も考えないね。「人の為に、人の為に」つて与え尽すだけの人が極楽に住んでるね。

 でも、これを逆にすると、感謝を忘れて不足を言う人というのは、求めるばっかしでしょう、ぜんぜん与えないね。もし、与えてもお返しを求めるね、更に求めるのよね、与えた以上に求めるでしょう。結局は、求める心がマイナスを大きくするね。自分が求めたらまわりから求められるね、何倍も求められるのよ。それが順番に大きくなっていくと、マイナスがいっぱいになるね。
 本当は、感謝も浅い感謝は「もらうばっかし」と思うんでしょう、逆よね。本当の感謝は「与えるばっかし」ね、与えて与えて喜ぶのが本当の感謝ね。

 「もらって嬉しい」というのは、まだちょっと浅いのよ。それはまだわからないよ、神さまからもらったのか、人から借りてるのか。借りだったら、今度は利息をつけて返さんならんからね。その見極めはちょっと難しいからね。だから「与えて喜ぶのが本物」よね、本当の感謝になるね。与えるだけのものが順番に回ってくればいいのよね。与えても与えても湧くように出てくるというのがいいんでしよう、与えるものがね。それが本当の感謝よね。

 「与えてる」生き方

質問:
 与えているかどうか、深くなったかどうかを判断するには、現実に見える形では、どういうところで判断できるのですか。

ありがとうございます:
 与えたら与えただけ自分の過去の借りも減るでしょう。借りというのはイコール思いよね。思いがいっぱいあるというのは、借りが多いということなんよ。与える生き方をとったら必ず思いが消えていくね、気持ちが軽く・明るくなってスカッとしてくるね、そしたら「与えてる」という生き方をとってるね。
 でも、借りが増えてるときは、思いが被さってくるよ、沢山ね。気持ちが暗く重たくなってくるね。その時は借りが増えてるときよね。「明るくなってくる」というのが大事ね。その時は与えてる量が増えているときよね。

質問:
 あと、スピードが早くなりますか。

ありがとうございます:
 そうよね。

質問:
 気づきの早さが早くなるとか。

ありがとうございます:
 番組が高くなるほど、明るく幸せになるほど実現力が速くなるね。それは神さまの愛念よね、いいものはどんどん早く与えたいのね。でも、マイナスは実現力が遅いよ、ちょっとでも時間を長引かせて、反省もさせて、苦しませたくないというのがあるでしょう。マイナスの実現力が遅くなるの。それでも必要なだけは勉強材料として出てくるかも知れないけどね。
 実現力が早くなるほどプラスの生き方をとってるね。その時は与える量が増えてるときよね。与えるのもいっばいあるでしょう。笑顔一つでも与えることでしょう、大きい与え方よね。言葉もそうよね、プラスの言葉はそうよね。また自分がいろいろ勉弓姦して、心を立派に変えたら、その心がまわりにプラスを与えてるよ。いろんな与え方がいっぱいあっていいね、それを総合してよね。

質問:
 ニュースとかは一切見ないで、ありがとうございますの話だけを読んで過ごしている。それだけの生活でいいですか。

ありがとうございます:
 大事なのはね、神さまを見ることよ、全体を見ることなのね。部分に執われたら、やっぱりマイナスになっていくよね。「神さまを見る」という意味だったらいいんだけど。
 仏教の修行でも、最初入門したときは「見ざる、言わざる、聞かざる」を練習するね。現実をみてたら仏様・神さまを思えないよね。徹底して「この世に心を向けない」という、先ず練習からはじめるね。

 「何も見ない」特に「マイナスを見ない、聞かない、言わない」というふうに、もうしっかり練習をしないと本当の修行はできないよね。
 ある時期は、この世から情報がいろいろ出てきても「一切受け付けない」というぐらいでもいいのよ。ただ、それがずーつとというわけではないのね、ある一時期ぐらいはかまわないよね。それも神さまに心を向けるためにするのね。
 神さまに近づくのも、枝葉からぜんぶを把握して、それで全体を総括して神さまをとらえるというのもいいけど、時間が無限にかかりすぎるよね。先ず、根本へ、根本の幹へ、根へ心を向け続けて、そして全体を把握しようという方が早いのね。神さまへ集中して、心を向けるというのもいいのよね。

質問:
 外の情報とかマイナスが入っても、プラスに見えるようになってくるんですよね。

ありがとうございます:
 なってくるよね、神さまに心を向けてたら必ず必要な情報だけは入ってくるね。必要な勉強材料としで情報が的確に入ってくると思うね。そしたら無駄がないね、時間が短縮されて節約できるね。

 肉体を消す

質問:
 ラムサのビデオを見ました。自分の意志で肉体を残さずにこの世から消えるということなんですが。チベットにもそういうのがあるそうですが。

ありがとうございます:
 そういうのも可能よね。それがいい生き方かどうかは、また別ね。肉体を消すぐらいは誰でもできるよ、本当はね。

質問:
 また、現れてきたりもするんですか。

ありがとうございます:
 老子さんがそうだったと言われるよね、中国のね。いつ生まれたのかわからないね、ある時パッと空中から出てくるような感じかも知れないよね。役行者(えんのぎょうじゃ)さんでも、死体を残さずにあの世へ去ったというでしょう。でも、これは悟りとは関係ないのよね。本当の神さまと一体化するという悟りとは無関係ね。この世に近い波のところで自由に操作すればいいだけでね。

質問:
 そういう状態でも、消したりとかが間単にできるのですか。

ありがとうございます:
 あの世からこの世を干渉したら、何でもできるよ。低い次元からでもね。ただ、勝手な干渉はできないというだけね。それがある程度許可されるのだったら、何でも物質化できるし、何でも消せるのよ。
 ただね、何でも物質化したらみんな怠け者になるじゃない。必要なものがぜんぶ空中から物質化して出てきたら、怠け者になる可能性が多いでしょう、みんなね。それでは心の勉強にならないよね。だから、止められてるね。一部の人にはできるね。

質問:
 それができるだけの心の状態になった人は?

ありがとうございます:
 ただ、神さまの方へ心を向けてる人は「一瞬一瞬神様の物質化現象」と見るの、すべてがね、宇宙全体が。自分がわざわざ物質化しなくても、神さまの方が物質化してくるから、必要なものをスッと物質化して現してくれるから、大きい意味の物質化現象を受けるのね。手品みたいなことはあまりしないのね。また、する必要はないね、感謝する人はね。

質問:
 肉体を持っていったら便利だということが書いてあって。肉体を持たずに死んで行った人は、もう一度持って行けるように生まれて来る道を選ぶ人が多い、ということなんですが。どっちかだったら、持って行きたいと思うのですけど。

ありがとうございます:
 自分にとって何が一番必要で幸せかというのでしょう。それが自分でわかればいいのだけど、わからなかったら神様にお任せしてお願いするのよね。すると、自分に一番必要なものが与えられて、幸せがどんどん大きくなるようにしてくれるでしょう。もし、この肉体がまったく必要がないのだったら、もう生まれて来ないね。この世に勉強にも来ないね。

質問:
 肉体を持って行くというのは、またこういう次元に来るときのために持って行くんですか。

ありがとうございます:
 そうでもないけどね。それはいろんな受け方をするのね、いろんな受け方があっていいけど。感謝する人は別に過去は執われないのね、未来も心配しない、ぜんぜんね。神様から必要なものを的確に与え続けてもらうというのを信じて受けるだけだから、自分であれこれ考えないでいいのね。
 必要なものをぜんぶ自分で考えて「これがないと」というと大変よ。空気が必要だからって「空気を」と思うでしょう、太陽の光が必要だから「太陽」と思うでしょう、そういうのを考え出したら無限に考えないといけない。(笑い)
 でも、その前に神さまがぜんぶ必要なものを用意してくれてるじゃない。何も考えなくてもね、先に必要なものをぜんぶ用意して与えてくれてるね。だから「ありがとうございます」で受けたらいいだけよね。もう、そこまで悩まなくていいよ、はははは。(考えておいたほうがいいかなと思って)「ありがとうございます」で最高のものだけを受けたらいいね。それを永遠に受け続けられるのがいいものね。

 医療

質問:
 医療について。

ありがとうございます:
 病気を治す医療ね。病気の人も多いから「病気は苦しみ」というふうにとらえている人が多いから「治したら幸せかな」と思って治す方法も生まれてくるんだけど。「病気は心の‘浄・清’めの働き」というふうにみたら治さないほうがいいんじやない、本当はね、極端に言うとね。喜べばいいのよね。それで、健康のありがたさを深く感じて受ければいいよね。
 元々、神さまは健康しか与えてないよね、無限健康を与え続けてるのね。それを受けてないと健康が消えて行くのね。でも、病気をしている人の全身の細胞がぜんぶ病んでるかとみたら、ぜんぶ病んでないよね。ちょっとバランスを崩してるぐらいでしょう。神さまの方の健康の与え方のほうが強いのよね。病気になりたくてもなれないというぐらい。だから、無理してならなくてもいいよね。
 本当の医学というのも「健康の医学」でないとね。「本当の健康とは何か」という勉強がいいのにね。
 病気を学んで健康を知るというのもいいけどね。本当の健康だけを学んで、病気を相手にしないというのがいいよね。
 神さまの中に本当の完全健康があるのね、大調和の本当の姿がね。それをしっかり受け入れたら、病気にはなれないよね、本当はね。「明るく感謝して幸せいっぱい」という人は病気にはなれない、本当はね。病気のほうが消えてしまう、逃げてしまうね。ただ、そこまでみんなが行ってないのよね、だからちょっとは病気の症状の姿をとるわけよね。それでも、心配しなかったらね、病気になったら喜べばいいんだけど。それを、また心配してマイナスに思うからね「大変、大変」つて言うんだけど。どんな病気になっても喜べばいいのよね。「ああ、癌になった、ありがとうございます」と言うて、そしたらサッと消えてしまうのに。
 心の「浄・清」めの働きをしたら、役目が終わったらスッと消えるのに、いつまでも続くと思うのよね。また「病気で死ぬ」と錯覚してるのでしょう。人は病気では絶対死ねないよ、寿命が来て死ぬのよ、必ず。寿命が来なかったら絶対死ねないね、どれだけ難病・奇病を抱えても死ねないのね、寿命が尽きるまではね。
 癌でも、早死にするかって、そうじやないよ。長生きしている人があるよ、癌と一緒にね。七十、八十、九十になっても癌の人が居てるよね、若いときからそうだという人も居てるよね。だから、癌ができたから死ぬのじやないよね、みんな寿命が来て死ぬだけよね。ただ、寿命が尽きるまで、いろいろ心の学び、勉強、「浄・清」めがあるから、いろんな姿をとってるだけでしょう。病気の症状が出たときは喜べばいいの、本当はね。「ああ、これで心がきれいになる」というふうに「お‘浄・清’めを受けられた」というふうに感謝して、明るくなればいいだけなんだけど。思いの心は逆にするのよね、やっぱり。

 だから、感謝して神さまの本当の心をキャッチすれば正しく感じられるね。病気に対しての見方もそうよね、神さまはマイナスに見てないのね「みんな必要だ」と見てるのね、いろんな姿をね。その時その時の段階に応じて、一人一人の時期に応じて「これが必要な勉強」とみて与えてくるでしょう、受けさせてくるのよね。だから、それをプラスにプラスに受けていくだけがいいんだけど、受け方がまだ下手なのね。

 病気の人を「可哀相に」と思って治すのもいいけど、本当にそれが相手が幸せになれるかというと、なるときもあるし、ならないときもあるね。病気の人を片っ端から、例えばお祈りで治してしまうとするでしょう。病気のない世界に変えてしまおうと思って一生懸命して、ぜんぶの病気を治してしまったとしてもね、人は幸せになれないよ。
 大体、健康に対して感謝ができない人は、健康のありがたさが何もわかってないでしょう。そんなんでは幸せとは言えないね。病気をしてないだけで‘幸せ’とは言えないね。そういう場合は一回病気をすると健康のありがたさがよくわかってくるじやない。その方が幸せなんでしょう。
 ある程度病気の時期があってもいいのよ、それで健康のありがたさがわかれば、健康に対する感謝が湧いているほうがいいのね。その方が幸せよね。だから、病気を治すほうが間違いかも知れないね。病気を治して、その人の感謝が深まるのだったらいいけど、またいろんな気づきも増えるのだったらいいけど。ただ、病気だけを治すのは間違いかも知れないよね。だから、いろんな表現があってもいいよね。みんなプラスに受けられたら、みんな自分の幸せを大きくしてくれるね。

 交通事故

質問:
 交通事故はどんなふうにとらえればいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 交通事故も、ぶつかり合うのね。ぶつかる心を溜めすぎるとまたそうなるよね。過去からの、過去世からのいろんなぶつかる心ってみんな持ってるでしょう。どんな事故もそれを「浄・清」めるためよね。
 自分も含めて縁者のいろんなそういう心の「浄・清」めのためにそれが起こつて軽く消してくれてるんだけどね。また、その事故で借りに死ぬときがあっても、寿命がきて死ぬのよ、それはね。事故で死ぬんじゃないのね。ただ、その死ぬときに、どういう働きをして死ぬかというのが大事でしょう。その時は「浄・清」めの働きをさせてもらうほうが、その人にとったらプラス、幸せが大きくなるね。
 畳の上でコロツと死ぬのもいいけど、大病して死ぬのもいいし、事故で死ぬのもいいのよね。大きい「浄・清」めの働きをして死ぬことになるね、寿命が尽きるのね。だから事故で死ぬのと違うよ。病気で死ぬんじゃないというのと同じで、寿命が来ないと死ねないね。どんな事故に遭っても死ねない。だから、交通事故も心のお「浄・清」めよね、みんなね。

 「ありがとうございます」の響き

質問:
 一月ぐらい前にありがとうございますの存在を教えていただいて、それからテープとか本とかを読んだり聞いている時間が一番幸せなんですけど。それよりも「ありがとうございます」のほうを一生懸命言ったほうがいいんでしょうか。読んだり聞いたりしてる間に「ありがとうございます」を唱えたほうが‥・・

ありがとうございます:
 必要な姿を順番に取り続けるよね、神様の方から助けが入ってくるからね。「ありがとうございます」を一生懸命唱える時期もあるのね。また、間にチョッチョッと入れるときもあるし、入れなかっても「ありがとうございます」の響きを受けてるときもあるよね。

質問:
 言葉に出して言ったほうがいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 それは自由でいいの、神さまの方から助けに入ってくるね。テープを手に入れるということも神様の助けよね。本を読むというのも本が手に入るというのもそうでしょう。いろんな意味で神様が助け続けてきてわかる時期に、テープや本をプレゼントしてもらうのね。それでまた神様を感じ取ってるのね。ぜんぶ神さまの働きを受けてる姿よね。また「ありがとうございます」を唱えるのも、神さまが唱えさせて光を受けさせてるのね。ぜんぶちゃんとしてくれるね。だから、自然に変わってくるね、それでいいのね。

 色

質問:
 色についてお願いします。

ありがとうございます:
 いろいろ、はははは。

質問:
 言霊とさっきおっしゃったので、色も多分そういうのがあるのだろうと思いまして。

ありがとうございます:
 あるのよね。この世を七色に分けて、それを組み合わせていろんな沢山の色に創るでしょう。神さまの世界はこの世の色どころじやないのね。もっともっといっぱいあるね、色がね。その色合いがいろいろよね。物質の光の色じやないのね、知恵の光、愛の光、ぜんぶ色が違うの。神さまの徳性にぜんぶ色がついてくるね。だから、その感じ方が無限にいろんな色合いの組み合わせになるの。
 肉眼で見て色があるという、そんな浅いものじゃないね。もっと澄み通った、透き通った、光り輝いた色がいっぱいあるからね。楽しみよ、これから。神さまの光の綾模様というのは凄いよ。

質問:
 言葉だだったら「ありがとうございます」というふうにはっきり出てますが。色であったら何か「ありがとうございます」と対応するようなものがあるのですか。

ありがとうございます:
 そこまで限定しなくていいね。言霊のぜんぶ、色が違うの。「あ」も「い」も「う」もね、ぜんぶ色が違うのよ。「あ」もー色じゃないのね。例えば、赤色があるでしょう、赤でも区別したら無限に分かれるのね、濃い赤、薄い赤ってね、いろんな赤がいっぱい出てくるのよね。「あ」でもそうなのね、一つの「あ」でも、一つの色と言っても無限に分かれる色なの。だから、組み合わせも無限に無限に変化するのね。
 だから、色で感じたらこの世は凄い色の綾模様よね、凄いよ、もうね。この世の物質の光の色なんて、ほんにちっちゃなものよね。みんなはまだ色盲よ、はははは。

 不動心
實村 :
 先生が昔「不動心」ということはどういうことかと言われたことがあって。「動かない心じやないよ」と言われたことがあって「青空のような澄み極まった、何にも執われない自由自在な心」と言われたことがあるんですけど。

ありがとうございます
 本当の不動心はね「コマ」があるでしょう、コマが回転するでしょう。高速でものすごいスピードで回ったら見えないでしょう、止まってるでしょう。特に中心がそうよね。
 本当の不動心は、中心の無限に回転している姿なのね。本当の不動心は「神さまの無限の無限の働きそのものが不動心」。本当の自由自在で、無限の無限の働きがあって、脇から見たら静止した姿で見えるのね。スピードが速いね。感謝の深い状態で、神さまの働きを受けた時が不動心になるの。
 感謝を忘れたら神さまを受け入れることができないね。だから不動心になれないね。だから、枝葉に執われた時ほど心が揺れ動くのね。小さいものを掴んだほど揺れ動くね。また、神様から、中心から離れるほど揺れ動くのよね。「不動心は、神さまの中にある」ね。