カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

AR160
「神様」っていう本当の意味ですよね「本当の神様とは何か」というのは一番難しい問題ですよね。

 人が神様について言葉にしていろいろ表現してくれるんですけど、人の言葉はあくまでも本物の神様を指し示している指の働きですよね。本当の神様は自分自身がしっかりとらえないとわからないですね。

 考えられました? 神様とは何か?って、見つかりました?

 もう考えても考えてもわからないでしょう、不思議不思議でいっぱいでしょう。掴んだと思ったら掴めてないんですもんね。奥が奥が、まだ奥が‥‥とありますよね。だから神様なんでしょうけどね。

 神様をいろんな立場から説明する仕方はたくさんあるんですけど。

 ここでは「輝く身」と「鏡」という二面性を持ってる立場でちょっと説明しますね。「何故こうなるか」なんですけどね。

 神様は人の自由を絶対自由を縛りたくないんですね。神様自身が「自由が最高の幸せ」と感じておられるので、だから一人一人に完全な自由を保障したいんですね。だから絶対自由を縛ってこないというところがあるんですね。そうしたら、神様の御心に沿って、「神様の御心のままに」という時は、神様はいくらでもその人の後ろについて応援できますけどね。でも、人は「自分の思い通りに生きたい」という時は、神様は手出しができないですね。ちょっとズレるんですね、「神様の御心」と「人の思い通りに」というのがね。その時は、やっぱり神様はちょっと遠慮しますよね。

 このいい話が、須佐之男命が暴れまくった時は、天照大御神様が岩戸隠れするでしょう。須佐之男命というのが「思い通りに生きよう」という一つの生き方の一つの姿として現わされてるね。まあ、いろんな意味合いがたくさんあるんですけど、それも一つの意味合いとして表現されてるんですね。

 人が自分の思い通りに生きたい時は、神様は干渉してこないですね。スッと離れてしまうのね、本当の神様はね。

 もし神様がスッと現われたら思い通りに生きられないんです、思いは全部消されてしまうでしょう。なんぼ思い通りに生きようと思っても生きられないですね。神様は無限に無限に謙虚でしょう、だから遠慮して遠慮してサッと離れるのね。そこがまた神様の奥ゆかしいところですよね、でも困りますね。思い通りに生きて一時的には思い通りになる時もあるんですね。でも、思い通りに生きた時は、必ず人を自分の思い通りにしてるんで、人の自由を縛ってますね。そうしたら必ずその反動が来るんですね。今度は自分が人に縛られるんです。今度は人の思い通りにならないといけないんですね。そうすると思い通りになった何倍じゃなしに何十倍何百倍って縛りがくるんですね。それで七難八苦の苦しみが現実に出てくるような姿をとるんですね。一時的には思い通りに生きても、これは幸せじゃないんです、本当はね。それを神様は早く気づかせたいというのがあるんですね。そこで「鏡」の姿を取る。

 でも何故「鏡」になるのかって不思議でしょう。

 明るいところから暗いところへ向いた時に、例えば夜に部屋の中を明るくするでしょう、窓を見ると外は暗いですから窓ガラスが鏡の姿をとるでしょう。だから、自分の周りから神様がスッと引いて隠れてしまうと暗黒の姿をとるのね。そうすると暗闇が鏡に変身するのね。

 だから「思い通りに生きよう」という時は必ず自分の周りは鏡なんです。それで自分の心の状態を周りの姿に写し出してくださる。

 だから、自分の心の中を見るとたくさんあるんですよ、いろんな思いがいっぱい溜まってるのね、過去の全てが残ってるのね。だからいろんな姿が写るんです、もう忘れてしまったようなことがいっぱい出てくるんです。でも、自分の心が鏡に写るように写してもらってるのね。だから、みんな自分の過去の姿かも知れないね。いいものばっかしだったらいいんですけどね、はははは、たまにはマイナスも写るんですよね。

 でも、その時の心境に応じてですね、思いの心でもその時の心境に応じて、いい思いの時はいいものが写りやすいですね。表の方は鏡にはっきり写りますから、隠れた奥のほうはなかなか写り難いですよね。

 だから、表にどういう心を出しているかによって、その心に合ったような姿が周りに写るのね。だから、明るい時は明るい姿が出ますよね。でも、暗い心が表に出てきた時は暗い姿になりますね。みんな自分の心の中の姿を写してくださるのね。それで「思い通りに生きたらあまり幸せじゃないでしょう」というのを早く気づかせようとされてるのね。

 だから、人間って何回も何回も同じことを体験してもなかなか懲りないでしょう。それで自分一人で体験したことなんて知れてますよね。だから、大勢の人を自分の身代わりに体験させた姿をとらないと早く気づきにくいので、それで周りの姿もみんな「自分の勉強材料」という姿で、マイナスが一つ出たら何十人、何百人、何万人って出してくださるかも知れん、早く気づくじゃない? そういう「鏡」という姿でいろんな自分の心の状態を写し出して、そして本当に自分が何を願ってるかを確かめてくるのね。

 本当にそういうマイナスの姿が自分が願ってるんだったら、それも神様は喜んで与えてくださるよね。本当はそうじゃないですね、本当は無限の幸せ、無限の無限の幸せというのを願ってるはずですよね。

 だから、それを早く気づかせたいんですよね、「本当に何を願ってるか」ということをね。気づかせると、本人の自由意志でそれを選べるようになるのね。だから、いろんな姿をたくさん見せて、その中からより良いものを選ばせようとしてるんですね。

 だから、選択肢が無限に広がるほうがいいですね。もう「これしかない」と決められるとがんじがらめですけどね。たくさん選択肢があるほうがいいわけね。この世の特徴の一つは、選択肢を無限に拡げていろんな姿を見せてくださる練習の場なんで。でも、これはあの世へ行ったらちょっと大変なんですよ。

 あの世は同じ姿がサッと出てくるのね、そっくりさんがいっぱいになるんですね。それも、まあ勉強の仕方によったらいいのかも知れないですけどね。でも、この世はいろんな姿が出ますよね、同じ鏡でもね。良(い)いのも悪いのもいろいろ取り揃えて鏡に写し出してくださるね。その中からいろいろ学んで勉強するんですね。そして何を選ぶほうが自分にとっていいのかという、本当の自由意志で選ぶ練習ですね。

 まあ、「こころ」ってコロコロ変わるものなんで、過去世・過去をぜんぶ見てきたらずーっと変わり続けてるでしょう。その時その時にいろんなことを思って、願って生きてきてますからね。だから、自分の心の中にいろんな思いをいっぱい溜まってますね、種類が無限に溜まってる。

 でも、その中から一番自分が何を願ってきてるか、何を本当に今願ってるかというのをはっきりさせるのも必要ですよね。そういう意味で、心を写すと同時に選択肢を無限に拡げてくださるね。そして良(い)いものを良(い)いものを選んでいけばいいんですよね。それが「鏡」の一つの働きなんですね。

 それで、いいものを選び出したら、いいものは神様の中にしか無いのでね、今度は感謝を始めるんです。「思い通りに生きてもいいものがないな」ということに気づくんですね。そうしたら、今度は感謝行に入るんですね。感謝行に入った時から順番にいいものが出てくるね、神様が必要に応じてずーっと現われてくださるから、いいものをどんどんどんどん見せてくださるね。

 神様の方のいいものは、それこそ「無限」ぐらいじゃないね「無限の無限」ぐらいじゃないね、更に「無限の無限」って付くんですね、いくらでもあるんですね。だから、感謝行に入りだしたらもう幸せはどこまでもどこまでも大きく深くなっていくのね。

 でも、「神様と出会った」と思ってもまだまだ小さい出会いなんですね、浅い出会いなんですね。まあ、いろんな姿で出てきてくださるよね、神様ってね。

 人間のような姿で人格神的に出てくるのは、ほんの小さい現われなんでしょう。「宇宙全体」というふうに現われてもまだ小さいというのでしょう。それで入れ子構造の宇宙で「無限の無限の全大宇宙」という姿で出てくるのね、それでもまだ小さいのよ。だから、神様ってとらえどころがないですよ、本当。

 空間的にも入れ子構造で、時間的にも入れ子構造なのね。だから、言葉で言い表せない想像を絶する姿をとって、神様はいつも現われ続けてくださるね。

 ただ、その受け方って難しいでしょう。これも、やっぱり「自分の心の器」ってあるんですよね。まあ、色眼鏡は取れても、心の器がやっぱり邪魔するのね。

 器の中にしか入ってこないでしょう、だから器に入るだけのものしか神様は入ってこれないよね。

 だから、小さい器の時は小さいなりの神様が現われて入ってくるだけね。神様の方が自分に合わせて一体化してくださるんですけどね、器のある間は小さい感じ方しかできないんですね。

 だから、その器をどんどんどんどん大きくしていく必要があるのね。これは、自分の努力で大きくする方法は、ないことはないんでしょうけどね、大変ですよ。引き伸ばさないと、はははは、身体でも引き伸ばすのは大変でしょう、まあ、心はちょっと楽かも知れないですけどね、でも大変ね。

 でも、その心の器を大きくする方法は、古いのを神様にお返しすることよね。古い器を神様に捧げてお返しして消してもらうのね。そして新しい大きい器を受け直すといいよね。

 「ありがとうございます」と感謝する練習というのはそうよね、古い自分を神様にお返しして、新しいものを受け直す練習になってるね。そうすると、器がどんどんどんどん大きくなるね。

 大きい器の自分だと大きく感じる、神様がね。その繰り返しで、どんどんどんどん神様の方が感じ方を変えてくださるわけね。だから、どこまでもどこまでも神様は奥深いですね。「掴んだ」と思っても掴みきれてないですよ。

 だから、この世で「修行して悟った」と言っても、そんなんは神様から見たら「悟りと違う」って「修行して悟るようなのは悟りじゃない」と言うね。

 元々、神様から離れた姿をとって、また引っ付いたからってね、こんなんは偽物ですよね。一回離れて付いたと言ったってね。最初から神様と一体の自分のほうがピタッと一つになってるでしょう。それは、常に新たに新たに出てくる自分のほうが本物よね。だから、感謝で新たに新たに受け直した自分のほうが、本当に悟った自分ね。それも最初は小さいでしょう、神様から新たに受け直した自分もまだ器が小さいですね。その器をどんどん大きくしてもらってもまだ小さいでしょう。だから「悟り」というのはピンからキリまであるでしょうね。それも偽物と本物があるでしょう。

 みなさんはいつもどこにいらっしゃるんですか。一番高い世界? 極楽世界? 一番下の地獄?

 一番いいのは一番下なんよ。一番下の地獄のどん底がいいんですよね。地獄のどん底に降りたら一番幸せになれる。みんな逆に思うでしょう「悟ろう」と思ったら上に行こうとするでしょう、逆なんよね。

 一番下へ降りたら本当の悟りになっていくよね。

 先ず、地獄のどん底で周りを見回したら、凄いでしょう、「みんな無限の苦しみで一杯」という姿をとるでしょう。それを眺めた時にどう感じられます?

 思いの心だと「ああ、可哀相に」となるね。

 でも、感謝の心だと逆になるわね「ああ、みんな自分の身代わりに、自分が背負うべきものをぜんぶ背負って助けてくださってる」と見るでしょう。「愛の極致を生きてる女神様ばっかし」という感じでしょう。

 地獄のどん底の自分を置いた時に、一番幸せを感じるような感じね。「なんて自分は神様の大きい愛に包まれてるんだろう」というような感じね、もうありがたいばっかし、涙を流して感謝し続けても、とてもとても感謝しきれないという感じよね。もう「神様の愛の塊」と見えるんですね。

 その心で神様から全てのプレゼントを受けるというぐらいなのよね。凄いでしょう。一番下から無限の無限のチャンネルを全部受け取るのよね。地獄番組だけと違うよ、八大地獄を地獄めぐりをして。

 八大地獄も一つ一つ違うんですよね、一つの地獄が無限に分かれてるのよ。「八」というのは本当は数字の「八」じゃないのね「無限」という意味なんですね。ただ、地獄ですら「無限の無限」なんですね。

 神様って凄いな〜と思うね、いろんな地獄を創ってくれて、地獄めぐりを楽しめるように。

 だから、もう地獄のどん底から神様を本当の意味で仰ぎ見て、無限の無限のチャンネルを受け取る。地獄ですら無限の無限の幸せが一杯になるでしょう。そうしたら他の番組も全部そうよ。もうね、「言葉で現せない素晴らしいプレゼントばっかし」という感じでしょう。それも一瞬一瞬、みんな置き換えてくるのね。

 今は無限の無限のチャンネルを受けたとするでしょう、次ガラッと変わった無限の無限のチャンネルになるでしょう。これも凄いね、時間も入れ子構造の時間なんですけどね。とても言葉で表現できないでしょう。そこまで神様は幸せを与え続けてくるの。早く地獄へ行きたいでしょう、はははは、早く地獄へ降りた人が徳(得)なのよ。

 神様にお祈りして、命を神様に捧げて一所懸命お祈りし続けてね、そして「幸せ一杯」という感覚になるでしょう。そうしたら、ありがたくて、ありがたくてどうしようもないでしょう。そうすると、「ちょっとでも恩返しができたら」という気持ちで地獄へ降りようとするのね、降りきれない、なかなか降りきれないですけどね。直ぐにまた幸せ一杯に補充されてしまうとね、なかなか降りきれないね。

 それで一所懸命降りようと降りようと努力してるのね。もう地獄へ降りられたら最高の幸せなの、と思ってもなかなか降りきれんのね。途中で拾い上げられてしまうような感じでしょう、はははは。

 だから、本当に地獄に降りられたら、この「最高の幸せ、最高の悟り」よね、神様の全てを一瞬に受け直せるのね。「神様の全てを受け直す」というのが最高の悟りなんよね。でも一番下へ降りないと全部受け取れないよね。だから「悟りへの修行」は「地獄へ降りる修行」かも知れない。

 でもこれは感謝の心に戻らないと、やっぱりそういう感覚になれないですね。先ず、感謝して神様から幸せ一杯にしてもらってはじめて喜んで地獄に降りられるのね。どんな苦しみでも喜んで背負えるのよね。

 それも背負った苦しみは一瞬に消されてしまうんだけど、消されても消されてもまた喜んで受けようとするのね。

 皆さんも、ご馳走を毎日食べて満腹の状態というのは幸せじゃないでしょう。もうこれ以上何も食べられないという状態に置かれたらどうです? ご馳走を見ても嫌でしょう。

 ご馳走に本当の価値を見出す時はお腹が空いた時よ。だから、「お腹を空かす」というのは、地獄に降りるのと同じなのね。

 だから、神様のプレゼントを本当に無限の価値あるものとして受け取れる状態、これが地獄に降りた状態。だから、地獄に降りないと本当の価値あるものを受け取れないのね。

 空気を吸うのでもそうですもんね。空気をいっぱい吸って溜めた状態だったら、もういっぱいで入らないでしょう。そうしたら、後、空気なんて要らないという状態でしょう。そのうちに酸欠で苦しくなるね。

 でも、一回ぜんぶ吐き出して深呼吸したら、もう空気を少しも残してない状態になった時、ぜんぶ吐き出した時に、空気ってもの凄いありがたいでしょう。空気を吸えることが無限の幸せね。

 だから、そういう状態に自分を置くというのが必要でしょう。

 だから、苦しみを自ら背負う方が幸せ一杯に早くなれるのね。

 でも、苦しみって瞬間に消されてしまうよね、ぜんぶ吐き出したら空気が自然にスッと入ってくるように、神様の与えてくる方が大きいのよね。神様の幸せの補充の仕方が間髪いれずに入ってくるから、それも無限に入ってくるでしょう。だから、幸せになるしかないようにもうなってしまってるね。

 だから、本当は逆な生き方がいいのね。幸せを求めて生きると逃げて行くのね、幸せがね。

 苦しみを求めて生きると幸せが寄ってくる。苦しみを追いかけたらいいのよ、苦しみを追いかけたら苦しみは逃げるのね。幸せが周りから集まってくるね。

 みんな幸せを追いかけるから幸せが逃げちゃうのよね、それで周りから苦しみが集まってくるのね。

 面白いね。

 「本当の自由」というのがそういうところにもしっかり示されてるのよね。

 もう、どんな運命でも、自分が選べる。絶対人の所為(せい)じゃないよね、環境の所為でもないね。

 だから「思いがあるから感謝できない」のじゃないよ、逆ね「感謝しないから思いがあるだけ」ね。

 頑固に感謝しないのよ、はははは。ちょっと「ありがとうございます」を言ってみたら自然に感謝が湧き出るでしょう、思いが消えていくもんね。感謝しない人って、相当頑固よね、頑張り屋よ。呼吸を止めて「う〜ん」とうなってるような姿よね。感謝はもう自然にできるようになってるけど、思いを出すのはやっぱり努力が要るのね。みんなはもう一所懸命努力して思いを出し続けるのね。

 でも、感謝のほうは別に努力は要らんのよね。思いを出すのを止めたら感謝が湧き出る。もう自然に「ありがとうございます」って神様が中から入ってくるにつれて湧き上がるように「ありがとうございます」が出てくるのね。

 だから、人の言葉の縛りってすごいでしょう「努力しなさい」と言われると努力してしまうでしょう。

 「頑張りなさい」と言われたら頑張ってしまうのね。それは人の言葉の縛りよね、みんなね。

 「勉強しなさい」と言われたら勉強してしまうんでしょう。

 「修行しなさい」と言われると修行するんでしょう。だから、悟るためには修行したら駄目なんです。

 「感謝しなさい」と言うと、また感謝し難(にく)いでしょう。

 いろんな意味の言葉の縛りってあるんですよね。だから、その言葉の縛りから抜け出る方法ね。これは嘘はついてないですからね――

 「ありがとうございます」を一言となえるだけ、はははは。神様がスッと助けに入るのね。そうすると心を自由にしてくださるね、縛りを解いてくださるのよね。神様は本当の自由だけを大事にしてくださるからね。神様を呼んだら自由を与えてくださる。

 「思い通りにしよう」という時も、その人の自由を縛りたくないから神様は引っ込むだけよね。でも、自分から神様を呼んだら「もっと自由になるように」って助けてくださるね。だから、必ず、言葉の縛り・思いの縛りをスッと消してくださるのね。そして自由になるといいものを選びやすくなるね。だから、感謝をはじめると感謝がしやすくなるでしょう。

 一言よね「ありがとうございます」と言えば極楽なのね。嘘でもなんでもいいよね「ありがとうございます」って言ってしまえば、後は「ありがとうございます」が続くようになって心が自由になっていくのね。