AR1162002.07.21.01
 子供を信頼する

質問者:
 中学生の男の子を家庭教師で面倒見ているんですが、勉強しなさいとすごく言うお母さんなんですが、その言葉ではないんですけど全然勉強しない子なんです。お母さんに反発して勉強しないのではなく、学ぶ楽しさとかがわからないのではと思うので、学ぶ楽しさを教えたいと思うんです。どんな感じで接していれば、その子の魂が輝いてくるのでしょうか。

::::
 問題を与えられて、解答して、他の人に採点してもらって、どれだけできたと評価されるより、本当は全部自分が作った方がいいのよね。問題を解くのも自分だし、採点するのも自分だし、評価するのも自分だしっていうね。そうすると本当の喜びって湧いてくるよね。そういう指導の仕方って、最近ちょっと出てきているみたいね。本人を信頼してあげるっていうのが大事ね。そういう勉強の仕方がいいのかもしれないね。上から一方的に教えてあげるというのが、今までの教育のあり方かもしれないけど、ちょっとそれはマイナスを伴うんですよね。信ずるというのか、信頼関係がしっかり出てくるのがいいのよね。いっしょに遊んであげて、こんなに楽しいんだっていうのをね。すべて自分の責任で、楽しんでいくのがいいと思うのね。

 中心は自由に変化

質問者:
 掛け軸の「神」というのは何か意味があるんですか。

::::
 「神」という字ですか?ここに掛けている意味ですか?ここは掛け軸も何もなくていいんですけど、ちょっと寂しいでしょ(笑)。どっち向いたらいいかってね。どっちを正面にしてもいいんですけど、こっちにしましょう(笑)。ちょっとあっても、邪魔にならんでしょ。だから中心とか正面とかは自由に変化していた方がいいんですけどね。ここにいてる人の誰が中心になるかって、みんな順番に入れ替わればいいのでしょ。正面もどこを正面にしてもいいんですよね。ただみんな謙虚なんで、決めにくい時には、決まっているのがいいでしょうけどね。

 障害者は高い魂を持つ

質問者:
 障害のある方にはどう接したら良いのでしょうか。

::::
 みんな、前世の責任で選んできているんですね。例えば、小さい小さい障害を持って生まれてくるっていうのでも、そういう姿を本人が選んでくるのね。逆に言うと、障害の姿をとって出てくる魂はかなり高いのね。立派なんですね。ハンディ背負ってでも、自分はこれだけの能力を発揮して、みんなに貢献できるんだっていう、お手本を示そうとするのね。それでもっともっと自分を鍛え抜いて、進化を促進しているわけよね。だから、神さまとか本人が、最高って見ているのに、周りが可哀想にというのもおかしいよね。逆よね。本当は褒め称えて、なんてすばらしいと言わないとね。
 ハンディ背負っている方が、大きい力がいるでしょ。それだけ障害者というのは、ある意味では潜在的に大きい力を持っているのね。それを逆に可哀想に可哀想にって、足を引っ張るわけよね。そのマイナスの言葉、思いで、もっとハンディを与えようとするのね。 ヘレンケラーさんでも三重苦の御陰で、本当に神さまが解ったというのね。感謝も深まって・・・。幸せを本当に感じ取れるようになったというんでしょ。それは目が見えないというのは大変なことよね。一日でも目が見えたら、それだけでも大きな幸せよね、思うだけでね。もし太陽が見えたら、なんて幸せって思うでしょうね。見えてなくてもね。そういうように、仮定的に空想するだけで、喜べるでしょ。幸せに感じるでしょ。だから障害の本当の価値って、無限に大きい。だから目に見えない勉強、気づきっていっぱいあるのよね。自分の小さい力で生きてきたっていうのがね、たいていは大きく払拭されるよね。自分の力では生きられない、生きてるんではないっていう、本当は大きい神さまに生かされているんだというね。病気してもそうですね。病気して初めて生かされているというのがよくわかるのね。最初から大きい障害を背負ってくるということは、本当の大きい学びを目的を生きているのよね。周りの人も、それに励まされて大きい気づきが増えていくでしょ。だからマイナスはないのよね。ほんとにね。

質問者:
 ヘレンケラーは三重苦で神さまを感じたわけですけど、・・・・の場合には、神とのコミュニケーションはどういうことによって受けられるようになったんですか。

::::
 たいしたことないよね。みなさんと同じなんだけどね・・・。ただちょっと前向きなのかもしれないね。ふつう、危険なきつい辛い仕事、汚い仕事っていうのは、あまり喜んでやろうとしないですよね。でも私は喜んで喜んで、全力で限界破ってしてきたから、そういうのがへっちゃらになって、マイナスに見えなくなってしまうのね。ある程度、全部自分を投げ出してしまうというところまで行けば、不思議に神さまの愛が湧いてくるように感じられるんですね。
 根本の要素というのは、自分を空っぽにするかどうかなんですね。ちょっと余力を残していると、まだ中に何かあるから・・・。全部出し尽くして空っぽにする限界が来てしまうと、神さまの方が放っておけないよね。何とか助けに入らないと、という感じでね。それが神さまを感じる一つのきっかけになるかもしれないね。ここに来ている人もそうよね。人がいろんな生き方していて、一生懸命生きているのを見たら、なんか応援したくなるじゃないですかね。神さまの方もそう感じるのよね、この人の世を見ていてね。もう全力出して一生懸命努力して、力もないのに、そういうのを見ていると、神さまの方もなんとか応援してという気持ちがおこるんでしょうね。特に守護霊さんとか守護神さんとか、そうですよね。そういうふうに助けてあげようと神さまが与えかけてくると、守護霊さんとか守護神さんを通して、神さまを感じさせてもらえるんですね。それがだんだんと深くなっていくんだと思うんです。

 熱き祈りで唱える

質問者:
 『神との対話』という本の中で、世界の文学者、映画俳優など、すべての人に神は語りかけていると書いてあります。でもそれを受け取ることのできる人は、ほんの一部で、その人の透明度によるとも書いてあります。::::の場合は、長い間澄み渡っておられるから、神さまの言葉がすっと入ってくるということだと思うのですが・・・

::::
 さあ、どの程度入っているんでしょうか。

質問者:
 その人の進み具合によって、文学者の一言となって、文学作品となったり、映画作品になったりと、いろんな形をとって表現されているとも書いてあります。::::の場合もそうなんでしょうが、どうしたら・・・・のように神から受けられるのでしょうか。究極は「ありがとうございます」を唱えれば良いのでしょうが、どうしても「ありがとうございます」一言では、不安になるし、どうなのでしょうか。

・・・・ ありがとうございますだけで本当はいいんだと思うんですよね。ただありがとうございますを唱えるときの、唱え方ですよね。熱き祈りというのが大事なんですよね。ちょうど片栗粉を透明にするのには、熱湯をかけたらいいでしょ。瞬間にさっと透明になるのね。ぬるま湯では、なかなか透明になりにくい、半透明ですよね。だから一心にありがとうございますと言える時期があると、短期間で、すっと透明になるんだと思うんですよね。だから大きい問題を抱えたときに、一心に唱えるチャンスを与えてもらえることが、ある意味では透明度を早くするわけね。みんな同じで、誰でもそういうチャンスを何度も何度も与えてもらって、ある一定の期間、一心に唱えたらいいんですよね。そしたら心をすっと透明にしてもらえるよね。ありがとうございますが一番だと思いますよ。

 無限の力が備わっている

質問者:
 自分の特色とか天職とかとのつながりはどういうことでしょうか。

・・・・ 神さまと一体の本当の自分は、なんでも自由自在にこなせるはずよね。どんな仕事でもできるはずなのね。だから、今与えられたものが、初めて出会ってその問題を解決しなければならないという時に、今まで体験も何もないから、すぐに力を出せないという意見があるかもしれませんが、でも無限の力は中にあるから、一心に神さまに祈りながら、全力を出したら、初めてのものでも解決できるよね。本当に自由自在に、右、左にどんな難問でも解決できるということになれば、本当の自分がどんどん輝いて出てくるね。片っ端から目の前の問題を解決できて行けたら、もっと問題が増えてもいいじゃないですかね。ある意味で、ゲームを楽しんでするような感じで、ゲームでも単純なゲームはおもしろくないですものね。やっぱり難しいゲームの方が、楽しみ方も大きいというか深くなるものね。

 宇宙は入れ子構造

質問者:
 ありがとうございますは言っても見ても良いということですが、ここに貼ってある大きいシールをさっきからずっと見ていると、一万回くらい言ったことと同じになるのでしょうか(笑)。

::::
 そうね、心に本当にはっきり焼き付くように入ってくるのがいいよね。ちょっと小さくしたら入りにくいでしょ。拡大して、拡大して・・・(笑)だからイメージとして心の中に拡大して見えたらね、同じにすっと大きく入ってくるしね。
 でも本当の宇宙構造って、「ありがとうございます」という大きい字の中に、小さい「ありがとうございます」が無限にあるよね。そういう入れ子構造で全部できあがっているというところから見たら、こういうのもいいんですよね。

質問者:
 入れ子構造になっていると発見されたきっかけは何ですか。

・・・・ 創造の原点から眺めたら、みんなそうですね。最初は、宇宙はどういうふうに創造されているのかというところから、ふっと感じさせてもらったんですけど。

質問者:
 ありがとうございますと言っているうちに、宇宙のビッグバンの近くまで、瞬時に、輝いている神の元に、創造の隠身(かくりみ)まで行けるのでしょうか。


・・・・ 行くんですよね。神さまの全体像が「ありがとうございます」なんでね。

 私物化しない

質問者:
 日本語だと「ありがとうございます」ですが、英語とか他の言語でもだいじょうぶなんですか?


  ・・・・同じような言葉があればいいんですけどね。日本語だから日本の独占じゃないんですよ。いいものは世界のみんなのものですね。だから外国にそういう言葉があったらね、日本人もそれを自由に使いたいと思うのね。外国の人も同じよね。いいものはどんどん自由に使って欲しいですよね。日本の国の国旗の日の丸も、日本の国旗ではなしに、どこの国でも使えればね。本当の太陽のような生き方をしたいという国だったら、みんなそれを国旗にしてもいいのよね。そしたら世界が一つに調和した姿となるよね。もともとそうよね、日本の日の丸の国旗は誰が作ったかもわからないようにして、法律でも決めなかったのは、その辺が神さまの御心だったと思うのね。それを、日本の国が私物化するっていうのも、本当はおかしいのよね。

 神さまにおいてみんな平等

質問者:
 私にとって、天皇陛下というのは、お会いしたことがないのでわからないのですが、ただ何となく心の中で尊いような感じがするんですが、・・・・にとってはどのような意義というか、位置を占めているのでしょうか。

・・・・ 私の場合はもうね、この世的に天皇陛下が立派なんだというとらえ方はしていないのね。神さまの元に戻ったら、みんな平等なんですね。どの人も、神さまから無限の無限のプラスをいつも与え続けてもらっているから、だからこの世的に見て、天皇陛下は一般の国民よりも高くて立派なんだという見方はしたくないのね。
 神さまにおいてみんな平等だからという立場から出発して、すべてには中心が必要ですよね。調和するためにはね。ばらばらでは調和がとれないよね。中心があって初めて、全体がまとまった調和した姿を取るんで、その中心を決めるに当たって、みんな無限に謙虚なんで、自分からなりたいという人はほとんど無いのよね。中心に立つ場合でも、みなさんにどうぞどうぞと言って、勧め合うものよね。そしたら中心に立つ人が偉いか偉くないかではないですね。役割としての必要性があって中心が定まるだけで、だから逆に言うと、中心に立つということは全責任を負うというしんどい立場ですね。上に立つのではないね。みんなを自分の思い通りに権力で動かすのではないから、みんなの責任を一身に背負うという立場なんですよね。自分から立ちたいと言わないけれど、もしみんなが決めるんだったら、また神さまがどうしてもおまえがなった方がいいというように言われたら、謙虚な人であっても、みんなのマイナスを全部背負ってでもみんなの役に立つんだったら、ということで受けるよのね。だからそういう決まり方をしていくことこそ、本当の中心に立つという天皇陛下の生き方を現し得るわけよね。日本の皇室の在り方は、まず自我を死にきって神さまにすべてを全託して、そこから受け直した姿なのね。
 外国の君主制は違うのね。権力を握って力で従わせようといういき方よね。上に立っているのね。だから中心に立つというのは、神さまの御心が働いて、そういう姿をとるんで、ちょうど太陽がいつも輝いているでしょ。どれだけ雲がかかっていても、太陽自体は消えることないですね、不滅なのね。それが中心よね。でもね、上に立つという、権力のあるものは崩れてしまうね。支えるものがないのよね。不変のものではないよね。ころころ変化するのね。ある時は栄えたら、必ず滅んでしまうのよね。だから神さまが支えてくれてないとね。
 天皇陛下の生き方は、みんなにとったら、本当のお手本になると思うのね。この世的に見てもね。でも奥に奥に遡ったら、みんな同じなのよね。譲り合って、中心を決めているだけなのね。
 ある意味では、自分が宇宙であり、全体者であるから、ひとつの中心を自分が持ってきているということね。肉体人間的に見ると、この肉体人間の全部が自分の分身という形をとるのね。分身の誰を中心に据えるかというぐらいの感じね。だから自分が決めたというのがいいのよね。そしたらもう、何の差別も何もないでしょ。そういうのが本当の決め方なんですね。
 だから天皇制に反対する人というのは、小さい自分を掴んで、いろいろな差別があるって反対するんでしょ。この肉体人間だけ見たら、この世に生まれてきただけでいろんな差別が最初からあるのよね。でも過去世というのを見たら、過去世でよいことした人はプラスが多いしね。悪いことした人はマイナスが多いよね。でも過去世を過去世をずっと見ていくと、この世の差別が消えていくよね。もともと出発は同じなんだという感じで見えていくとね。もっともっと奥へ遡ったら、神さまと同体、一体だからという立場に立ったら、もっと差別観が消えてしまうのね。一切の差別を消してしまって初めて、みんなを認めていけるのよね。表面だけを見るから、本当の意味の自由とか平等を認められないのね。外国は特にそうよね。自由だ平等だって旗印に掲げるのは、本当にそれがないからなのね。日本はその旗印が必要ないのね。もともと心の奥の自分をかなり深く知っているのね。もともと自由で平等だからという自覚があるから、とやかく言わないね。少々の不自由も差別もへっちゃらなのね。一番奥から見たら、それが当たり前なのね。自由を侵害されてもいないし、平等が侵されてもいないのね。そのまますっと受け入れられるのね。日本人に生まれてきた人の、魂的に言ったら、進化が進んでいるというかね、世界のリーダーとしての。兄弟で言ったら、兄とか姉とかいう感じね。

 縛りをはねのけて出てくる本物の輝き

質問者:
 戦後、日本はアメリカの言いなりになっているというか、コントロールされているとか、自主性がないとか、国際舞台でも独自性がないとか、日本の文化を主張したりとかそういうことがあまりないですよね。今後そういうことはどうなんでしょうか。

 ・・・・それも、ある時期には必要なんでしょ。そういういろんな縛りがね。縛られて初めて、その縛りをはねのけて本物が出てくるのね。いろんな問題でも、易しい問題ばかり与えられていたら、例えば1+1はすぐに2って出てくるわね。答えるまでもないというくらいの感じでしょ。力を発揮してないものね。だから難しい問題を前に持ってこられて初めて、本当の力を引っ張り出して発揮していくのね。そして本当の美しい輝きが出てくるのでしょうね。日本の本当の良さを出していくのは、その良さを打ち消すようないろんな大きい障害的な問題が出てくるよね。それをはねのける力を、神さまが求めてくるよね。本物が光るには、ってね。
 どれだけ反対されても、押しのけて前に突き進むくらいの強さが必要なのね。外国からのいろんなマイナスに見える姿を、自分の本当の力を引っ張り出してくれる大きい助けと見る方がいいよね。

質問者:
 平和憲法がありますけれど、その趣旨をとことん貫き通すということが必要なのでしょうか。

・・・・ 外国が攻めてきたら、それに対抗して軍備でその問題を解決しようとしたら、それは易しい問題よね。でも攻めてきたのを武器を持たずに解決しようとしたら、ものすごく力がいるよね。平和憲法という中で、がんじがらめに縛られた状態で力を発揮しなければいけないでしょ。それができたら、世界を本当に平和にする力が出てくるでしょうね。本当の神さまの力を引っ張り出したら、世界中のすべての人々の心を安らげてしまうよね。ある意味ではそういう難しい問題を与えられて、力を引っ張り出してもらっているのね。

 即座に解決できるのは神さまの智慧だけ

質問者:
 瞑想の時の柏手で、ビービーっと・・・。これはどういうことなのでしょうか。

・・・・ 眉間とか掌から、いろんなものが・・・。生命磁気とか気とか命とか、いろいろ言うんですよね。そういうものが発現するんですよね。出やすいところがあるわけよね。波が合ってお互いに響きあうと、そこがビーとなったり、そういう感覚が出てくるんですね。でもあまりとらわれる必要はないんです。出たら出たでいいし、出なければ出なくてもいいし、でね。

質問者:
 私の小学校からの友人の一人なんですが、彼は大学時代に共産党に入って、私といろいろ議論するんですが、なかなか折り合わなくて・・・。また医学部の麻酔科の先生をしている友人が、ガン患者に告知をしなければいけないということから、死んでも命があるよというような死後の問題をケアする必要性を感じているわけです。そこで魂の問題を共産党の友人と話してみたんですが、そんなものはないってやっぱり言います。

・・・・ みんなね、勉強することが違うのよね。本当の自分の力を中から発現させるためには、余計なものをかぶせない方がいいでんすよね。肉体の頭が良くて知能指数が高くて、何でもいっぱい勉強して詰め込んだからいいのではないのね。逆に知識が増えるけれども智慧が出なくなるのね。そのバランスを上手に取らないとね。知識はあくまでも道具なのね。 智慧の方が大事なんですね。中から神さまの智慧が出てきて、初めてどんな問題でも解決する能力が備わるのね。すべてを見通す力も出てくるのね。その智慧を引っ張り出す通路を作っておかないと、知識も活かせないのね。だから教育でも、詰め込み勉強的な教育では、まあテストの点数は良い点を取れるかもしれないけれど、それは受け売りよね。初めての問題にぶち当たったときには解決できないよね。
 どんな初めての問題にでも、即座に解決できるのは神さまの智慧だけよね。だからいつでも神さまの智慧が湧き出やすいように、パイプを掃除しておくというのが一番大事だと思うのね。あまり記憶に頼って、知識を一杯詰め込まない方がいいよね。頭悪い振りをした方が必要かもしれないね。でもそれも一人一人、みんな生き方、選び方が違うものね。その智慧に頼りたい、神さまに頼りたいという人は、あまり知識を付け過ぎないようにね。ただ知識を付けないでいいような生き方を選んでしまうわね。
 みんな一人一人、時期によっていろんな勉強の仕方をとっているだけで、どれが良いということではないんです。時期が来たら逆転するかもしれないしね。周りの人の姿も、自分の勉強材料と見ていると、自分の代わりに、自分ができないことを周りの人が代わりに勉強してくれて、自分の大きい勉強の役に立っているんだというくらいがいいでしょうね。

質問者:
 考え方は違うけれども、しかし人間的にはすごくいい男なんですね。

・・・・ だから私の分身ていう形でね。私にできないことをしてもらっているという感じでいいじゃないですか。いろんな生き方を、一人の人間がこなせないですものね。

 食事療法も幽霊もすべて言葉の現れ

質問者:
 私の知っている自然療法センターというところがあるんですが、そこは野菜を中心にした食事療法で、火を使わない方が良いと言っているんですが、それはどうなんでしょうか。

・・・・ でもそれも、プラスに考えたら全部プラスになるんですしね。マイナスに見たら、全部マイナスに変わりますよね。やはり人の言葉の方が大事なんで、火を通したから悪いのではなくて、火を大きいプラスと見たら、生よりも煮たものに光がたくさん入るんじゃない?火の働きって大きいですものね。だからどれだけそこにプラスを見出すかですよね。だから自分が勝手に生野菜でないと、と限定してしまうと、言葉の使い方がマイナスに傾きますものね。自分のマイナスの言葉で縛られて、自己限定してしまうんですね。それで煮たものは食べられないとなると、不自由ですよね。

質問者:
 肉食でも、肉食はいけないとよく言いますけれど、アイスランドやアラスカなど、ある地域では肉を食べないと生きていけないところがありますものね。

・・・・ だからそれが悪いとは言えないですね。動物も、肉食動物は肉ばっかり食べているんですものね。でも健康ですよね。だからすべてをプラスにプラスに持っていけば良いのではないですかね。まあ人はどう思おうが、自分はプラスに思った方がいいですよね。自分の運命世界は、自分の言葉通りになるというのが法則ですしね。他では別な考えが通用してもね、自分の世界は自分の言葉通りのすべてが通用するんで・・・。

質問者:
 そういう組織の理念、方針というのがありますが、その組織に入ってしまったときに違った意見を持ってしまうと、問題が出ると思うんです。

・・・・ そういうときは、自由になった方がいいよね。入らずに、抜け出る方がいいですね。極端に言ったら、イエスキリストさんなんか、何を食らい、何を飲まんと思い煩うことなかれって断定的に言っているでしょ。何食べてもいいっていうね。
 だから食事療法がどうの、栄養学がどうのなんて関係ないのよね。何を食べても良いというのが正しいし、自由でしょ。余計な縛りがない方が幸せですものね。場合によっては何も食べなくてもいいというくらいね。霞だけでいいとか、水だけでもいいんですがね。 もともとは本当にこの世で何か食べているんではないですよね。信念が投影されて映っているという感じじゃないですか。突き詰めて考えたら、実際にものを食べているのかといって、食べていないですよね。

質問者:
 何年か前に、幽霊を見る人たちのグループに参加したことがあるんですが、それを知った世界人類の平和を祈る会から、そんなことに関わること自体がおかしいといわれて結局少し疎遠になったんですけど・・・。そこのグループの教祖が幽霊を見ることを通して、みんなの魂を救い上げるとか、自分はお釈迦さんのさらに上であって、と言うんですね。そういうのはどうなんでしょうか。

・・・・ それも一つの番組なんですよね。人の使う言葉通りの番組がすでに用意されているというのが、本当の姿なんですね。だからどういう言葉を使って、どういう番組を味わってもいいんですよね。幽霊という言葉を使い続けたら幽霊を見るんですよね。言葉通りになるんですね。全部番組として取り揃えられているので、なんでもあるんですね。(実際、身体に現れてくるんですよね)現れてきますね。そういう番組にはまり込んでくるんですね、言葉で。だからその人が好きこのんで選んで行くんですね。

質問者:
 私もそこに行っていたら、憑依されたりしたかもしれないですけど、結局5人くらいの人が僕を救いに来てくれました。その結果抜け出ました。

・・・・ どれが嘘とか間違いとか、そんな大して関係ないです。そういう番組が全部あるんですね。ただ自分がそれを選んでいるかどうかだけなんですね。さっきの食事療法もそうですよね。自分がどういう食事療法の在り方を選ぶかでしょ。何を食べても大丈夫という生き方を選んだら、そういうものは関係ないですものね。お釈迦さん以上の偉い人になって、みんなを救うんだっていうのも、一つの番組としてならいいんですけど・・・。
 でもみんな悟っていたら、救わなくていいんですからね。一番楽な方がいいじゃないですか(笑)。わざわざ辛い思いして、救い上げたりしないでもね。みんな悟っていてすばらしいんだと言うんだったら、みんなに助けてもらうだけでいいじゃない。だからどういう番組を選ぶかですよね。プラスの大きい番組の方がいいじゃないですかね。

質問者:
 いろんな教祖に会ってきましたけれど、みんなどこかで自分が一番偉いと思っているんですね。

・・・・ 自分以外の周りのすべてが偉いんだという方がいいですよ。楽でいいです。



    AR1162002.07.21.01
 子供(こども)を信頼(しんらい)する

質問(しつもん)者(しゃ):
 中学生(ちゅうがくせい)の男の子(おとこのこ)を家庭(かてい)教師(きょうし)で面倒(めんどう)見(み)ているんですが、勉強(べんきょう)しなさいとすごく言(い)うお母(かあ)さんなんですが、その言葉(ことば)ではないんですけど全然(ぜんぜん)勉強(べんきょう)しない子(こ)なんです。お母(かあ)さんに反発(はんぱつ)して勉強(べんきょう)しないのではなく、学(まな)ぶ楽(たの)しさとかがわからないのではと思(おも)うので、学(まな)ぶ楽(たの)しさを教(おし)えたいと思(おも)うんです。どんな感(かん)じで接(せっ)していれば、その子(こ)の魂(たましい)が輝(かがや)いてくるのでしょうか。

::::
 問題(もんだい)を与(あた)えられて、解答(かいとう)して、他(た)の人(ひと)に採点(さいてん)してもらって、どれだけできたと評価(ひょうか)されるより、本当(ほんとう)は全部(ぜんぶ)自分(じぶん)が作(つく)った方(ほう)がいいのよね。問題(もんだい)を解(と)くのも自分(じぶん)だし、採点(さいてん)するのも自分(じぶん)だし、評価(ひょうか)するのも自分(じぶん)だしっていうね。そうすると本当(ほんとう)の喜(よろこ)びって湧(わ)いてくるよね。そういう指導(しどう)の仕方(しかた)って、最近(さいきん)ちょっと出(で)てきているみたいね。本人(ほんにん)を信頼(しんらい)してあげるっていうのが大事(だいじ)ね。そういう勉強(べんきょう)の仕方(しかた)がいいのかもしれないね。上(うえ)から一方的(いっぽうてき)に教(おし)えてあげるというのが、今(いま)までの教育(きょういく)のあり方(ありかた)かもしれないけど、ちょっとそれはマイナスを伴(ともな)うんですよね。信(しん)ずるというのか、信頼(しんらい)関係(かんけい)がしっかり出(で)てくるのがいいのよね。いっしょに遊(あそ)んであげて、こんなに楽(たの)しいんだっていうのをね。すべて自分(じぶん)の責任(せきにん)で、楽(たの)しんでいくのがいいと思(おも)うのね。

 中心(ちゅうしん)は自由(じゆう)に変化(へんか)

質問(しつもん)者(しゃ):
 掛け軸(かけじく)の「神(かみ)」というのは何(なに)か意味(いみ)があるんですか。

::::
 「神(かみ)」という字(じ)ですか?ここに掛(か)けている意味(いみ)ですか?ここは掛け軸(かけじく)も何(なに)もなくていいんですけど、ちょっと寂(さび)しいでしょ(笑)。どっち向(む)いたらいいかってね。どっちを正面(しょうめん)にしてもいいんですけど、こっちにしましょう(笑)。ちょっとあっても、邪魔(じゃま)にならんでしょ。だから中心(ちゅうしん)とか正面(しょうめん)とかは自由(じゆう)に変化(へんか)していた方(ほう)がいいんですけどね。ここにいてる人(ひと)の誰(だれ)が中心(ちゅうしん)になるかって、みんな順番(じゅんばん)に入れ替(いれか)わればいいのでしょ。正面(しょうめん)もどこを正面(しょうめん)にしてもいいんですよね。ただみんな謙虚(けんきょ)なんで、決(き)めにくい時(とき)には、決(き)まっているのがいいでしょうけどね。

 障害者(しょうがいしゃ)は高(たか)い魂(たましい)を持(も)つ

質問(しつもん)者(しゃ):
 障害(しょうがい)のある方(ほう)にはどう接(せっ)したら良(よ)いのでしょうか。

::::
 みんな、前世(ぜんせ)の責任(せきにん)で選(えら)んできているんですね。例(たと)えば、小(ちい)さい小(ちい)さい障害(しょうがい)を持(も)って生(う)まれてくるっていうのでも、そういう姿(すがた)を本人(ほんにん)が選(えら)んでくるのね。逆(ぎゃく)に言(い)うと、障害(しょうがい)の姿(すがた)をとって出(で)てくる魂(たましい)はかなり高(たか)いのね。立派(りっぱ)なんですね。ハンディ背負(せお)ってでも、自分(じぶん)はこれだけの能力(のうりょく)を発揮(はっき)して、みんなに貢献(こうけん)できるんだっていう、お手本(てほん)を示(しめ)そうとするのね。それでもっともっと自分(じぶん)を鍛(きた)え抜(ぬ)いて、進化(しんか)を促進(そくしん)しているわけよね。だから、神さま(かみさま)とか本人(ほんにん)が、最高(さいこう)って見(み)ているのに、周(まわ)りが可哀想(かわいそう)にというのもおかしいよね。逆(ぎゃく)よね。本当(ほんとう)は褒め称(ほめたた)えて、なんてすばらしいと言(い)わないとね。
 ハンディ背負(せお)っている方(ほう)が、大(おお)きい力(ちから)がいるでしょ。それだけ障害者(しょうがいしゃ)というのは、ある意味(いみ)では潜在(せんざい)的(てき)に大(おお)きい力(ちから)を持(も)っているのね。それを逆(ぎゃく)に可哀想(かわいそう)に可哀想(かわいそう)にって、足(あし)を引っ張(ひっぱ)るわけよね。そのマイナスの言葉(ことば)、思(おも)いで、もっとハンディを与(あた)えようとするのね。 ヘレンケラーさんでも三重苦(さんじゅうく)の御(ご)陰(いん)で、本当(ほんとう)に神さま(かみさま)が解(わか)ったというのね。感謝(かんしゃ)も深(ふか)まって・・・。幸(しあわ)せを本当(ほんとう)に感じ取(かんじと)れるようになったというんでしょ。それは目(め)が見(み)えないというのは大変(たいへん)なことよね。一日(いちにち)でも目(め)が見(み)えたら、それだけでも大(おお)きな幸(しあわ)せよね、思(おも)うだけでね。もし太陽(たいよう)が見(み)えたら、なんて幸(しあわ)せって思(おも)うでしょうね。見(み)えてなくてもね。そういうように、仮定(かてい)的(てき)に空想(くうそう)するだけで、喜(よろこ)べるでしょ。幸(しあわ)せに感(かん)じるでしょ。だから障害(しょうがい)の本当(ほんとう)の価値(かち)って、無限(むげん)に大(おお)きい。だから目(め)に見(み)えない勉強(べんきょう)、気(き)づきっていっぱいあるのよね。自分(じぶん)の小(ちい)さい力(ちから)で生(い)きてきたっていうのがね、たいていは大(おお)きく払拭(ふっしょく)されるよね。自分(じぶん)の力(ちから)では生(い)きられない、生(い)きてるんではないっていう、本当(ほんとう)は大(おお)きい神さま(かみさま)に生(い)かされているんだというね。病気(びょうき)してもそうですね。病気(びょうき)して初(はじ)めて生(い)かされているというのがよくわかるのね。最初(さいしょ)から大(おお)きい障害(しょうがい)を背負(せお)ってくるということは、本当(ほんとう)の大(おお)きい学(まな)びを目的(もくてき)を生(い)きているのよね。周(まわ)りの人(ひと)も、それに励(はげ)まされて大(おお)きい気(き)づきが増(ふ)えていくでしょ。だからマイナスはないのよね。ほんとにね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 ヘレンケラーは三重苦(さんじゅうく)で神さま(かみさま)を感(かん)じたわけですけど、・・・・の場合(ばあい)には、神(かみ)とのコミュニケーションはどういうことによって受(う)けられるようになったんですか。

::::
 たいしたことないよね。みなさんと同(おな)じなんだけどね・・・。ただちょっと前向(まえむ)きなのかもしれないね。ふつう、危険(きけん)なきつい辛(から)い仕事(しごと)、汚(きたな)い仕事(しごと)っていうのは、あまり喜(よろこ)んでやろうとしないですよね。でも私(わたくし)は喜(よろこ)んで喜(よろこ)んで、全力(ぜんりょく)で限界(げんかい)破(は)ってしてきたから、そういうのがへっちゃらになって、マイナスに見(み)えなくなってしまうのね。ある程度(あるていど)、全部(ぜんぶ)自分(じぶん)を投げ出(なげだ)してしまうというところまで行(い)けば、不思議(ふしぎ)に神さま(かみさま)の愛(あい)が湧(わ)いてくるように感(かん)じられるんですね。
 根本(こんぽん)の要素(ようそ)というのは、自分(じぶん)を空(から)っぽにするかどうかなんですね。ちょっと余力(よりょく)を残(のこ)していると、まだ中(なか)に何(なに)かあるから・・・。全部(ぜんぶ)出し尽(だしつ)くして空(から)っぽにする限界(げんかい)が来(き)てしまうと、神さま(かみさま)の方(ほう)が放(はな)っておけないよね。何(なん)とか助(たす)けに入(はい)らないと、という感(かん)じでね。それが神さま(かみさま)を感(かん)じる一(ひと)つのきっかけになるかもしれないね。ここに来(き)ている人(ひと)もそうよね。人(ひと)がいろんな生き方(いきかた)していて、一生懸命(いっしょうけんめい)生(い)きているのを見(み)たら、なんか応援(おうえん)したくなるじゃないですかね。神さま(かみさま)の方(がた)もそう感(かん)じるのよね、この人(ひと)の世(よ)を見(み)ていてね。もう全力(ぜんりょく)出(だ)して一生懸命(いっしょうけんめい)努力(どりょく)して、力(ちから)もないのに、そういうのを見(み)ていると、神さま(かみさま)の方(がた)もなんとか応援(おうえん)してという気持(きも)ちがおこるんでしょうね。特(とく)に守護(しゅご)霊(れい)さんとか守護神(しゅごしん)さんとか、そうですよね。そういうふうに助(たす)けてあげようと神さま(かみさま)が与(あた)えかけてくると、守護(しゅご)霊(れい)さんとか守護神(しゅごしん)さんを通(とお)して、神さま(かみさま)を感(かん)じさせてもらえるんですね。それがだんだんと深(ふか)くなっていくんだと思(おも)うんです。

 熱(あつ)き祈(いの)りで唱(とな)える

質問(しつもん)者(しゃ):
 『神(かみ)との対話(たいわ)』という本(ほん)の中(なか)で、世界(せかい)の文学者(ぶんがくしゃ)、映画(えいが)俳優(はいゆう)など、すべての人(ひと)に神(かみ)は語(かた)りかけていると書(か)いてあります。でもそれを受け取(うけと)ることのできる人(ひと)は、ほんの一部(いちぶ)で、その人(ひと)の透明(とうめい)度(ど)によるとも書(か)いてあります。::::の場合(ばあい)は、長い間(ながいあいだ)澄み渡(すみわた)っておられるから、神さま(かみさま)の言葉(ことば)がすっと入(はい)ってくるということだと思(おも)うのですが・・・

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 さあ、どの程度(ていど)入(はい)っているんでしょうか。

質問(しつもん)者(しゃ):
 その人(ひと)の進(すす)み具合(ぐあい)によって、文学者(ぶんがくしゃ)の一言(ひとこと)となって、文学(ぶんがく)作品(さくひん)となったり、映画(えいが)作品(さくひん)になったりと、いろんな形(かたち)をとって表現(ひょうげん)されているとも書(か)いてあります。::::の場合(ばあい)もそうなんでしょうが、どうしたらおじさんのように神(かみ)から受(う)けられるのでしょうか。究極(きゅうきょく)は「ありがとうございます」を唱(とな)えれば良(よ)いのでしょうが、どうしても「ありがとうございます」一言(ひとこと)では、不安(ふあん)になるし、どうなのでしょうか。

・・・・ ありがとうございますだけで本当(ほんとう)はいいんだと思(おも)うんですよね。ただありがとうございますを唱(とな)えるときの、唱(とな)え方(かた)ですよね。熱(あつ)き祈(いの)りというのが大事(だいじ)なんですよね。ちょうど片栗粉(かたくりこ)を透明(とうめい)にするのには、熱湯(ねっとう)をかけたらいいでしょ。瞬間(しゅんかん)にさっと透明(とうめい)になるのね。ぬるま湯(ぬるまゆ)では、なかなか透明(とうめい)になりにくい、半透明(はんとうめい)ですよね。だから一心(いっしん)にありがとうございますと言(い)える時期(じき)があると、短期間(たんきかん)で、すっと透明(とうめい)になるんだと思(おも)うんですよね。だから大(おお)きい問題(もんだい)を抱(かか)えたときに、一心(いっしん)に唱(とな)えるチャンスを与(あた)えてもらえることが、ある意味(いみ)では透明(とうめい)度(ど)を早(はや)くするわけね。みんな同(おな)じで、誰(だれ)でもそういうチャンスを何度(なんど)も何度(なんど)も与(あた)えてもらって、ある一定(いってい)の期間(きかん)、一心(いっしん)に唱(とな)えたらいいんですよね。そしたら心(こころ)をすっと透明(とうめい)にしてもらえるよね。ありがとうございますが一番(いちばん)だと思(おも)いますよ。

 無限(むげん)の力(ちから)が備(そな)わっている

質問(しつもん)者(しゃ):
 自分(じぶん)の特色(とくしょく)とか天職(てんしょく)とかとのつながりはどういうことでしょうか。

・・・・ 神さま(かみさま)と一体(いったい)の本当(ほんとう)の自分(じぶん)は、なんでも自由(じゆう)自在(じざい)にこなせるはずよね。どんな仕事(しごと)でもできるはずなのね。だから、今(いま)与(あた)えられたものが、初(はじ)めて出会(であ)ってその問題(もんだい)を解決(かいけつ)しなければならないという時(とき)に、今(いま)まで体験(たいけん)も何(なに)もないから、すぐに力(ちから)を出(だ)せないという意見(いけん)があるかもしれませんが、でも無限(むげん)の力(ちから)は中(なか)にあるから、一心(いっしん)に神さま(かみさま)に祈(いの)りながら、全力(ぜんりょく)を出(だ)したら、初(はじ)めてのものでも解決(かいけつ)できるよね。本当(ほんとう)に自由(じゆう)自在(じざい)に、右(みぎ)、左(ひだり)にどんな難問(なんもん)でも解決(かいけつ)できるということになれば、本当(ほんとう)の自分(じぶん)がどんどん輝(かがや)いて出(で)てくるね。片っ端(かたっぱし)から目の前(めのまえ)の問題(もんだい)を解決(かいけつ)できて行(い)けたら、もっと問題(もんだい)が増(ふ)えてもいいじゃないですかね。ある意味(いみ)で、ゲームを楽(たの)しんでするような感(かん)じで、ゲームでも単純(たんじゅん)なゲームはおもしろくないですものね。やっぱり難(むずか)しいゲームの方(ほう)が、楽(たの)しみ方(がた)も大(おお)きいというか深(ふか)くなるものね。

 宇宙(うちゅう)は入(い)れ子(こ)構造(こうぞう)

質問(しつもん)者(しゃ):
 ありがとうございますは言(い)っても見(み)ても良(よ)いということですが、ここに貼(は)ってある大(おお)きいシールをさっきからずっと見(み)ていると、一万回(かい)くらい言(い)ったことと同(おな)じになるのでしょうか(笑)。

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 そうね、心(こころ)に本当(ほんとう)にはっきり焼き付(やきつ)くように入(はい)ってくるのがいいよね。ちょっと小(ちい)さくしたら入(はい)りにくいでしょ。拡大(たい)して、拡大(たい)して・・・(笑)だからイメージとして心(こころ)の中(なか)に拡大(たい)して見(み)えたらね、同(おな)じにすっと大(おお)きく入(はい)ってくるしね。
 でも本当(ほんとう)の宇宙(うちゅう)構造(こうぞう)って、「ありがとうございます」という大(おお)きい字(じ)の中(なか)に、小(ちい)さい「ありがとうございます」が無限(むげん)にあるよね。そういう入(い)れ子(こ)構造(こうぞう)で全部(ぜんぶ)できあがっているというところから見(み)たら、こういうのもいいんですよね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 入(い)れ子(こ)構造(こうぞう)になっていると発見(はっけん)されたきっかけは何(なに)ですか。

・・・・ 創造(そうぞう)の原点(げんてん)から眺(なが)めたら、みんなそうですね。最初(さいしょ)は、宇宙(うちゅう)はどういうふうに創造(そうぞう)されているのかというところから、ふっと感(かん)じさせてもらったんですけど。

質問(しつもん)者(しゃ):
 ありがとうございますと言(い)っているうちに、宇宙(うちゅう)のビッグバンの近(ちか)くまで、瞬時(しゅんじ)に、輝(かがや)いている神(かみ)の元(もと)に、創造(そうぞう)の隠身(かくりみ)まで行(い)けるのでしょうか。


・・・・ 行(い)くんですよね。神さま(かみさま)の全体(ぜんたい)像(ぞう)が「ありがとうございます」なんでね。

 私物(しぶつ)化(か)しない

質問(しつもん)者(しゃ):
 日本語(にほんご)だと「ありがとうございます」ですが、英語(えいご)とか他(た)の言語(げんご)でもだいじょうぶなんですか?


  ・・・・同(おな)じような言葉(ことば)があればいいんですけどね。日本語(にほんご)だから日本(にほん)の独占(どくせん)じゃないんですよ。いいものは世界(せかい)のみんなのものですね。だから外国(がいこく)にそういう言葉(ことば)があったらね、日本人(にほんじん)もそれを自由(じゆう)に使(つか)いたいと思(おも)うのね。外国(がいこく)の人(ひと)も同(おな)じよね。いいものはどんどん自由(じゆう)に使(つか)って欲(ほ)しいですよね。日本(にほん)の国(くに)の国旗(こっき)の日の丸(ひのまる)も、日本(にほん)の国旗(こっき)ではなしに、どこの国(くに)でも使(つか)えればね。本当(ほんとう)の太陽(たいよう)のような生き方(いきかた)をしたいという国(くに)だったら、みんなそれを国旗(こっき)にしてもいいのよね。そしたら世界(せかい)が一(ひと)つに調和(ちょうわ)した姿(すがた)となるよね。もともとそうよね、日本(にほん)の日の丸(ひのまる)の国旗(こっき)は誰(だれ)が作(つく)ったかもわからないようにして、法律(ほうりつ)でも決(き)めなかったのは、その辺(そのへん)が神さま(かみさま)の御心(みこころ)だったと思(おも)うのね。それを、日本(にほん)の国(くに)が私物(しぶつ)化(か)するっていうのも、本当(ほんとう)はおかしいのよね。

 神さま(かみさま)においてみんな平等(びょうどう)

質問(しつもん)者(しゃ):
 私(わたくし)にとって、天皇(てんのう)陛下(へいか)というのは、お会(おあ)いしたことがないのでわからないのですが、ただ何(なん)となく心(こころ)の中(なか)で尊(とうと)いような感(かん)じがするんですが、・・・・にとってはどのような意義(いぎ)というか、位置(いち)を占(し)めているのでしょうか。

・・・・
 私(わたくし)の場合(ばあい)はもうね、この世(よ)的(てき)に天皇(てんのう)陛下(へいか)が立派(りっぱ)なんだというとらえ方(とらえかた)はしていないのね。神さま(かみさま)の元(もと)に戻(もど)ったら、みんな平等(びょうどう)なんですね。どの人(ひと)も、神さま(かみさま)から無限(むげん)の無限(むげん)のプラスをいつも与(あた)え続(つづ)けてもらっているから、だからこの世(よ)的(てき)に見(み)て、天皇(てんのう)陛下(へいか)は一般(いっぱん)の国民(こくみん)よりも高(たか)くて立派(りっぱ)なんだという見方(みかた)はしたくないのね。
 神さま(かみさま)においてみんな平等(びょうどう)だからという立場(たちば)から出発(しゅっぱつ)して、すべてには中心(ちゅうしん)が必要(ひつよう)ですよね。調和(ちょうわ)するためにはね。ばらばらでは調和(ちょうわ)がとれないよね。中心(ちゅうしん)があって初(はじ)めて、全体(ぜんたい)がまとまった調和(ちょうわ)した姿(すがた)を取(と)るんで、その中心(ちゅうしん)を決(き)めるに当(あ)たって、みんな無限(むげん)に謙虚(けんきょ)なんで、自分(じぶん)からなりたいという人(ひと)はほとんど無(な)いのよね。中心(ちゅうしん)に立(た)つ場合(ばあい)でも、みなさんにどうぞどうぞと言(い)って、勧(すす)め合(あ)うものよね。そしたら中心(ちゅうしん)に立(た)つ人(ひと)が偉(えら)いか偉(えら)くないかではないですね。役割(やくわり)としての必要(ひつよう)性(せい)があって中心(ちゅうしん)が定(さだ)まるだけで、だから逆(ぎゃく)に言(い)うと、中心(ちゅうしん)に立(た)つということは全(ぜん)責任(せきにん)を負(お)うというしんどい立場(たちば)ですね。上(うえ)に立(た)つのではないね。みんなを自分(じぶん)の思い通(おもいどお)りに権力(けんりょく)で動(うご)かすのではないから、みんなの責任(せきにん)を一身(いっしん)に背負(せお)うという立場(たちば)なんですよね。自分(じぶん)から立(た)ちたいと言(い)わないけれど、もしみんなが決(き)めるんだったら、また神さま(かみさま)がどうしてもおまえがなった方(ほう)がいいというように言(い)われたら、謙虚(けんきょ)な人(ひと)であっても、みんなのマイナスを全部(ぜんぶ)背負(せお)ってでもみんなの役(やく)に立(た)つんだったら、ということで受けるよのね。だからそういう決(き)まり方(がた)をしていくことこそ、本当(ほんとう)の中心(ちゅうしん)に立(た)つという天皇(てんのう)陛下(へいか)の生き方(いきかた)を現(あらわ)し得(う)るわけよね。日本(にほん)の皇室(こうしつ)の在り方(ありかた)は、まず自我(じが)を死(し)にきって神さま(かみさま)にすべてを全(ぜん)託(たく)して、そこから受け直(うけなお)した姿(すがた)なのね。
 外国(がいこく)の君主制(くんしゅせい)は違(ちが)うのね。権力(けんりょく)を握(にぎ)って力(ちから)で従(したが)わせようといういき方(ほう)よね。上(うえ)に立(た)っているのね。だから中心(ちゅうしん)に立(た)つというのは、神さま(かみさま)の御心(みこころ)が働(はたら)いて、そういう姿(すがた)をとるんで、ちょうど太陽(たいよう)がいつも輝(かがや)いているでしょ。どれだけ雲(くも)がかかっていても、太陽(たいよう)自体(じたい)は消(き)えることないですね、不滅(ふめつ)なのね。それが中心(ちゅうしん)よね。でもね、上(うえ)に立(た)つという、権力(けんりょく)のあるものは崩(くず)れてしまうね。支(ささ)えるものがないのよね。不変(ふへん)のものではないよね。ころころ変化(か)するのね。ある時(あるとき)は栄(さか)えたら、必(かなら)ず滅(ほろ)んでしまうのよね。だから神さま(かみさま)が支(ささ)えてくれてないとね。
 天皇(てんのう)陛下(へいか)の生き方(いきかた)は、みんなにとったら、本当(ほんとう)のお手本(てほん)になると思(おも)うのね。この世(よ)的(てき)に見(み)てもね。でも奥(おく)に奥(おく)に遡(さかのぼ)ったら、みんな同(おな)じなのよね。譲り合(ゆずりあ)って、中心(ちゅうしん)を決(き)めているだけなのね。
 ある意味(いみ)では、自分(じぶん)が宇宙(うちゅう)であり、全体(ぜんたい)者(しゃ)であるから、ひとつの中心(ちゅうしん)を自分(じぶん)が持(も)ってきているということね。肉体(にくたい)人間的(にんげんてき)に見(み)ると、この肉体(にくたい)人間(にんげん)の全部(ぜんぶ)が自分(じぶん)の分身(ぶんしん)という形(かたち)をとるのね。分身(ぶんしん)の誰(だれ)を中心(ちゅうしん)に据(す)えるかというぐらいの感(かん)じね。だから自分(じぶん)が決(き)めたというのがいいのよね。そしたらもう、何(なん)の差別(さべつ)も何(なに)もないでしょ。そういうのが本当(ほんとう)の決め方(きめかた)なんですね。
 だから天皇制(てんのうせい)に反対(はんたい)する人(ひと)というのは、小(ちい)さい自分(じぶん)を掴(つか)んで、いろいろな差別(さべつ)があるって反対(はんたい)するんでしょ。この肉体(にくたい)人間(にんげん)だけ見(み)たら、この世(よ)に生(う)まれてきただけでいろんな差別(さべつ)が最初(さいしょ)からあるのよね。でも過去(かこ)世(よ)というのを見(み)たら、過去(かこ)世(よ)でよいことした人(ひと)はプラスが多(おお)いしね。悪(わる)いことした人(ひと)はマイナスが多(おお)いよね。でも過去(かこ)世(よ)を過去(かこ)世(よ)をずっと見(み)ていくと、この世(よ)の差別(さべつ)が消(き)えていくよね。もともと出発(しゅっぱつ)は同(おな)じなんだという感(かん)じで見(み)えていくとね。もっともっと奥(おく)へ遡(さかのぼ)ったら、神さま(かみさま)と同体(どうたい)、一体(いったい)だからという立場(たちば)に立(た)ったら、もっと差別(さべつ)観(かん)が消(き)えてしまうのね。一切(いっさい)の差別(さべつ)を消(け)してしまって初(はじ)めて、みんなを認(みと)めていけるのよね。表面(ひょうめん)だけを見(み)るから、本当(ほんとう)の意味(いみ)の自由(じゆう)とか平等(びょうどう)を認(みと)められないのね。外国(がいこく)は特(とく)にそうよね。自由(じゆう)だ平等(びょうどう)だって旗印(はたじるし)に掲(かか)げるのは、本当(ほんとう)にそれがないからなのね。日本(にほん)はその旗印(はたじるし)が必要(ひつよう)ないのね。もともと心(こころ)の奥(おく)の自分(じぶん)をかなり深(ふか)く知(し)っているのね。もともと自由(じゆう)で平等(びょうどう)だからという自覚(じかく)があるから、とやかく言(い)わないね。少々(しょうしょう)の不自由(ふじゆう)も差別(さべつ)もへっちゃらなのね。一番(いちばん)奥(おく)から見(み)たら、それが当たり前(あたりまえ)なのね。自由(じゆう)を侵害(しんがい)されてもいないし、平等(びょうどう)が侵(おか)されてもいないのね。そのまますっと受け入(うけい)れられるのね。日本人(にほんじん)に生(う)まれてきた人(ひと)の、魂(たましい)的(てき)に言(い)ったら、進化(しんか)が進(すす)んでいるというかね、世界(せかい)のリーダーとしての。兄弟(きょうだい)で言(い)ったら、兄(あに)とか姉(あね)とかいう感(かん)じね。

 縛(ばく)りをはねのけて出(で)てくる本物(ほんもの)の輝(かがや)き

質問(しつもん)者(しゃ):
 戦後(せんご)、日本(にほん)はアメリカの言(い)いなりになっているというか、コントロールされているとか、自主性(じしゅせい)がないとか、国際(こくさい)舞台(ぶたい)でも独自性(どくじせい)がないとか、日本(にほん)の文化(ぶんか)を主張(しゅちょう)したりとかそういうことがあまりないですよね。今後(こんご)そういうことはどうなんでしょうか。

 ・・・・それも、ある時期(じき)には必要(ひつよう)なんでしょ。そういういろんな縛(ばく)りがね。縛(しば)られて初(はじ)めて、その縛(ばく)りをはねのけて本物(ほんもの)が出(で)てくるのね。いろんな問題(もんだい)でも、易(やさ)しい問題(もんだい)ばかり与(あた)えられていたら、例(たと)えば1+1はすぐに2って出(で)てくるわね。答(こた)えるまでもないというくらいの感(かん)じでしょ。力(ちから)を発揮(はっき)してないものね。だから難(むずか)しい問題(もんだい)を前(まえ)に持(も)ってこられて初(はじ)めて、本当(ほんとう)の力(ちから)を引っ張り出(ひっぱりだ)して発揮(はっき)していくのね。そして本当(ほんとう)の美(うつく)しい輝(かがや)きが出(で)てくるのでしょうね。日本(にほん)の本当(ほんとう)の良(よ)さを出(だ)していくのは、その良(よ)さを打ち消(うちけ)すようないろんな大(おお)きい障害(しょうがい)的(てき)な問題(もんだい)が出(で)てくるよね。それをはねのける力(ちから)を、神さま(かみさま)が求(もと)めてくるよね。本物(ほんもの)が光(ひか)るには、ってね。
 どれだけ反対(はんたい)されても、押(お)しのけて前(まえ)に突き進(つきすす)むくらいの強(つよ)さが必要(ひつよう)なのね。外国(がいこく)からのいろんなマイナスに見(み)える姿(すがた)を、自分(じぶん)の本当(ほんとう)の力(ちから)を引っ張り出(ひっぱりだ)してくれる大(おお)きい助(たす)けと見(み)る方(ほう)がいいよね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 平和(へいわ)憲法(けんぽう)がありますけれど、その趣旨(しゅし)をとことん貫き通(つらぬきとお)すということが必要(ひつよう)なのでしょうか。

・・・・ 外国(がいこく)が攻(せ)めてきたら、それに対抗(たいこう)して軍備(ぐんび)でその問題(もんだい)を解決(かいけつ)しようとしたら、それは易(やさ)しい問題(もんだい)よね。でも攻(せ)めてきたのを武器(ぶき)を持(も)たずに解決(かいけつ)しようとしたら、ものすごく力(ちから)がいるよね。平和(へいわ)憲法(けんぽう)という中(なか)で、がんじがらめに縛(しば)られた状態(じょうたい)で力(ちから)を発揮(はっき)しなければいけないでしょ。それができたら、世界(せかい)を本当(ほんとう)に平和(へいわ)にする力(ちから)が出(で)てくるでしょうね。本当(ほんとう)の神さま(かみさま)の力(ちから)を引っ張り出(ひっぱりだ)したら、世界中(せかいじゅう)のすべての人々(ひとびと)の心(こころ)を安(やす)らげてしまうよね。ある意味(いみ)ではそういう難(むずか)しい問題(もんだい)を与(あた)えられて、力(ちから)を引っ張り出(ひっぱりだ)してもらっているのね。

 即座(そくざ)に解決(かいけつ)できるのは神さま(かみさま)の智慧(ちえ)だけ

質問(しつもん)者(しゃ):
 瞑想(めいそう)の時(とき)の柏手(かしわで)で、ビービーっと・・・。これはどういうことなのでしょうか。

・・・・ 眉間(みけん)とか掌(てのひら)から、いろんなものが・・・。生命(せいめい)磁気(じき)とか気(き)とか命(いのち)とか、いろいろ言(い)うんですよね。そういうものが発現(はつげん)するんですよね。出(で)やすいところがあるわけよね。波(なみ)が合(あ)ってお互(おたが)いに響(ひび)きあうと、そこがビーとなったり、そういう感覚(かんかく)が出(で)てくるんですね。でもあまりとらわれる必要(ひつよう)はないんです。出(で)たら出(で)たでいいし、出(で)なければ出(で)なくてもいいし、でね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 私(わたくし)の小学校(しょうがっこう)からの友人(ゆうじん)の一人(ひとり)なんですが、彼(かれ)は大学(だいがく)時代(じだい)に共産党(きょうさんとう)に入(はい)って、私(わたくし)といろいろ議論(ぎろん)するんですが、なかなか折り合(おりあ)わなくて・・・。また医学(いがく)部(ぶ)の麻酔(ますい)科(か)の先生(せんせい)をしている友人(ゆうじん)が、ガン患者(かんじゃ)に告知(こくち)をしなければいけないということから、死(し)んでも命(いのち)があるよというような死後(しご)の問題(もんだい)をケアする必要(ひつよう)性(せい)を感(かん)じているわけです。そこで魂(たましい)の問題(もんだい)を共産党(きょうさんとう)の友人(ゆうじん)と話(はな)してみたんですが、そんなものはないってやっぱり言(い)います。

・・・・ みんなね、勉強(べんきょう)することが違(ちが)うのよね。本当(ほんとう)の自分(じぶん)の力(ちから)を中(なか)から発現(はつげん)させるためには、余計(よけい)なものをかぶせない方(ほう)がいいでんすよね。肉体(にくたい)の頭(あたま)が良(よ)くて知能(ちのう)指数(しすう)が高(たか)くて、何(なん)でもいっぱい勉強(べんきょう)して詰め込(つめこ)んだからいいのではないのね。逆(ぎゃく)に知識(ちしき)が増(ふ)えるけれども智慧(ちえ)が出(で)なくなるのね。そのバランスを上手(じょうず)に取(と)らないとね。知識(ちしき)はあくまでも道具(どうぐ)なのね。 智慧(ちえ)の方(ほう)が大事(だいじ)なんですね。中(なか)から神さま(かみさま)の智慧(ちえ)が出(で)てきて、初(はじ)めてどんな問題(もんだい)でも解決(かいけつ)する能力(のうりょく)が備(そな)わるのね。すべてを見通(みとお)す力(ちから)も出(で)てくるのね。その智慧(ちえ)を引っ張り出(ひっぱりだ)す通路(かよいじ)を作(つく)っておかないと、知識(ちしき)も活(い)かせないのね。だから教育(きょういく)でも、詰め込(つめこ)み勉強(べんきょう)的(てき)な教育(きょういく)では、まあテストの点数(てんすう)は良(よ)い点(てん)を取(と)れるかもしれないけれど、それは受け売(うけう)りよね。初(はじ)めての問題(もんだい)にぶち当(ぶちあ)たったときには解決(かいけつ)できないよね。
 どんな初(はじ)めての問題(もんだい)にでも、即座(そくざ)に解決(かいけつ)できるのは神さま(かみさま)の智慧(ちえ)だけよね。だからいつでも神さま(かみさま)の智慧(ちえ)が湧き出(わきで)やすいように、パイプを掃除(そうじ)しておくというのが一番(いちばん)大事(だいじ)だと思(おも)うのね。あまり記憶(きおく)に頼(たよ)って、知識(ちしき)を一杯(いっぱい)詰め込(つめこ)まない方(ほう)がいいよね。頭(あたま)悪(わる)い振(ふ)りをした方(ほう)が必要(ひつよう)かもしれないね。でもそれも一人一人(ひとりひとり)、みんな生き方(いきかた)、選び方(えらびかた)が違(ちが)うものね。その智慧(ちえ)に頼(たよ)りたい、神さま(かみさま)に頼(たよ)りたいという人(ひと)は、あまり知識(ちしき)を付(つ)け過(す)ぎないようにね。ただ知識(ちしき)を付(つ)けないでいいような生き方(いきかた)を選(えら)んでしまうわね。
 みんな一人一人(ひとりひとり)、時期(じき)によっていろんな勉強(べんきょう)の仕方(しかた)をとっているだけで、どれが良(よ)いということではないんです。時期(じき)が来(き)たら逆転(ぎゃくてん)するかもしれないしね。周(まわ)りの人(ひと)の姿(すがた)も、自分(じぶん)の勉強(べんきょう)材料(ざいりょう)と見(み)ていると、自分(じぶん)の代(か)わりに、自分(じぶん)ができないことを周(まわ)りの人(ひと)が代(か)わりに勉強(べんきょう)してくれて、自分(じぶん)の大(おお)きい勉強(べんきょう)の役(やく)に立(た)っているんだというくらいがいいでしょうね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 考え方(かんがえかた)は違(ちが)うけれども、しかし人間的(にんげんてき)にはすごくいい男(おとこ)なんですね。

・・・・ だから私(わたくし)の分身(ぶんしん)ていう形(かたち)でね。私(わたくし)にできないことをしてもらっているという感(かん)じでいいじゃないですか。いろんな生き方(いきかた)を、一人(ひとり)の人間(にんげん)がこなせないですものね。

 食事(しょくじ)療法(りょうほう)も幽霊(ゆうれい)もすべて言葉(ことば)の現(あらわ)れ

質問(しつもん)者(しゃ):
 私(わたくし)の知(し)っている自然(しぜん)療法(りょうほう)センターというところがあるんですが、そこは野菜(やさい)を中心(ちゅうしん)にした食事(しょくじ)療法(りょうほう)で、火(ひ)を使(つか)わない方(ほう)が良(よ)いと言(い)っているんですが、それはどうなんでしょうか。

・・・・ でもそれも、プラスに考(かんが)えたら全部(ぜんぶ)プラスになるんですしね。マイナスに見(み)たら、全部(ぜんぶ)マイナスに変(か)わりますよね。やはり人(ひと)の言葉(ことば)の方(ほう)が大事(だいじ)なんで、火(ひ)を通(とお)したから悪(わる)いのではなくて、火(ひ)を大(おお)きいプラスと見(み)たら、生(せい)よりも煮(に)たものに光(ひかり)がたくさん入(はい)るんじゃない?火(ひ)の働(はたら)きって大(おお)きいですものね。だからどれだけそこにプラスを見出(みいだ)すかですよね。だから自分(じぶん)が勝手(かって)に生(せい)野菜(やさい)でないと、と限定(げんてい)してしまうと、言葉(ことば)の使い方(つかいかた)がマイナスに傾(かたむ)きますものね。自分(じぶん)のマイナスの言葉(ことば)で縛(しば)られて、自己(じこ)限定(げんてい)してしまうんですね。それで煮(に)たものは食(た)べられないとなると、不自由(ふじゆう)ですよね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 肉食(にくしょく)でも、肉食(にくしょく)はいけないとよく言(い)いますけれど、アイスランドやアラスカなど、ある地域(ちいき)では肉(にく)を食(た)べないと生(い)きていけないところがありますものね。

・・・・ だからそれが悪(わる)いとは言(い)えないですね。動物(どうぶつ)も、肉食(にくしょく)動物(どうぶつ)は肉(にく)ばっかり食(た)べているんですものね。でも健康(けんこう)ですよね。だからすべてをプラスにプラスに持(も)っていけば良(よ)いのではないですかね。まあ人(ひと)はどう思(おも)おうが、自分(じぶん)はプラスに思(おも)った方(ほう)がいいですよね。自分(じぶん)の運命(うんめい)世界(せかい)は、自分(じぶん)の言葉(ことば)通(どお)りになるというのが法則(ほうそく)ですしね。他(た)では別(べつ)な考(かんが)えが通用(つうよう)してもね、自分(じぶん)の世界(せかい)は自分(じぶん)の言葉(ことば)通(どお)りのすべてが通用(つうよう)するんで・・・。

質問(しつもん)者(しゃ):
 そういう組織(そしき)の理念(りねん)、方針(ほうしん)というのがありますが、その組織(そしき)に入(はい)ってしまったときに違(ちが)った意見(いけん)を持(も)ってしまうと、問題(もんだい)が出(で)ると思(おも)うんです。

・・・・ そういうときは、自由(じゆう)になった方(ほう)がいいよね。入(はい)らずに、抜け出(ぬけで)る方(ほう)がいいですね。極端(きょくたん)に言(い)ったら、イエスキリストさんなんか、何(なに)を食(く)らい、何(なに)を飲(の)まんと思い煩(おもいわずら)うことなかれって断定(だんてい)的(てき)に言(い)っているでしょ。何(なに)食(た)べてもいいっていうね。
 だから食事(しょくじ)療法(りょうほう)がどうの、栄養(えいよう)学(がく)がどうのなんて関係(かんけい)ないのよね。何(なに)を食(た)べても良(よ)いというのが正(ただ)しいし、自由(じゆう)でしょ。余計(よけい)な縛(ばく)りがない方(ほう)が幸(しあわ)せですものね。場合(ばあい)によっては何(なに)も食(た)べなくてもいいというくらいね。霞(かすみ)だけでいいとか、水(みず)だけでもいいんですがね。 もともとは本当(ほんとう)にこの世(よ)で何(なに)か食(た)べているんではないですよね。信念(しんねん)が投影(とうえい)されて映(うつ)っているという感(かん)じじゃないですか。突き詰(つきつ)めて考(かんが)えたら、実際(じっさい)にものを食(た)べているのかといって、食(た)べていないですよね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 何年(なんねん)か前(まえ)に、幽霊(ゆうれい)を見(み)る人(ひと)たちのグループに参加(さんか)したことがあるんですが、それを知(し)った世界(せかい)人類(じんるい)の平和(へいわ)を祈(いの)る会(かい)から、そんなことに関(かか)わること自体(じたい)がおかしいといわれて結局(けっきょく)少(すこ)し疎遠(そえん)になったんですけど・・・。そこのグループの教祖(きょうそ)が幽霊(ゆうれい)を見(み)ることを通(とお)して、みんなの魂(たましい)を救(すく)い上(あ)げるとか、自分(じぶん)はお釈迦(おしゃか)さんのさらに上(うえ)であって、と言(い)うんですね。そういうのはどうなんでしょうか。

・・・・ それも一(ひと)つの番組(ばんぐみ)なんですよね。人(ひと)の使(つか)う言葉(ことば)通(どお)りの番組(ばんぐみ)がすでに用意(ようい)されているというのが、本当(ほんとう)の姿(すがた)なんですね。だからどういう言葉(ことば)を使(つか)って、どういう番組(ばんぐみ)を味(あじ)わってもいいんですよね。幽霊(ゆうれい)という言葉(ことば)を使(つか)い続(つづ)けたら幽霊(ゆうれい)を見(み)るんですよね。言葉(ことば)通(どお)りになるんですね。全部(ぜんぶ)番組(ばんぐみ)として取り揃(とりそろ)えられているので、なんでもあるんですね。(実際(じっさい)、身体(しんたい)に現(あらわ)れてくるんですよね)現(あらわ)れてきますね。そういう番組(ばんぐみ)にはまり込(はまりこ)んでくるんですね、言葉(ことば)で。だからその人(ひと)が好(す)きこのんで選(えら)んで行(い)くんですね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 私(わたくし)もそこに行(い)っていたら、憑依(ひょうい)されたりしたかもしれないですけど、結局(けっきょく)5人(にん)くらいの人(ひと)が僕(ぼく)を救(すく)いに来(き)てくれました。その結果(けっか)抜け出(ぬけで)ました。

・・・・ どれが嘘(うそ)とか間違(まちが)いとか、そんな大(たい)して関係(かんけい)ないです。そういう番組(ばんぐみ)が全部(ぜんぶ)あるんですね。ただ自分(じぶん)がそれを選(えら)んでいるかどうかだけなんですね。さっきの食事(しょくじ)療法(りょうほう)もそうですよね。自分(じぶん)がどういう食事(しょくじ)療法(りょうほう)の在り方(ありかた)を選(えら)ぶかでしょ。何(なに)を食(た)べても大丈夫(だいじょうふ)という生き方(いきかた)を選(えら)んだら、そういうものは関係(かんけい)ないですものね。お釈迦(おしゃか)さん以上(いじょう)の偉(えら)い人(ひと)になって、みんなを救(すく)うんだっていうのも、一(ひと)つの番組(ばんぐみ)としてならいいんですけど・・・。
 でもみんな悟(さと)っていたら、救(すく)わなくていいんですからね。一番(いちばん)楽(らく)な方(ほう)がいいじゃないですか(笑)。わざわざ辛(から)い思(おも)いして、救(すく)い上(あ)げたりしないでもね。みんな悟(さと)っていてすばらしいんだと言(い)うんだったら、みんなに助(たす)けてもらうだけでいいじゃない。だからどういう番組(ばんぐみ)を選(えら)ぶかですよね。プラスの大(おお)きい番組(ばんぐみ)の方(ほう)がいいじゃないですかね。

質問(しつもん)者(しゃ):
 いろんな教祖(きょうそ)に会(あ)ってきましたけれど、みんなどこかで自分(じぶん)が一番(いちばん)偉(えら)いと思(おも)っているんですね。

・・・・ 自分(じぶん)以外(いがい)の周(まわ)りのすべてが偉(えら)いんだという方(ほう)がいいですよ。楽(らく)でいいです。

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