0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.



AR140 2003年 8月 23日01

ありがとうございます、暑い中を。でも、ここは大分涼しいでしょう、下界に比べると。
 
   「鏡」という言葉

 「環境は心を写す鏡」の「鏡」という言葉はいろんな意味にとらえられるのですけどね。鏡も種類が沢山あるんですよね。現実の鏡もそうですけど、心を写す鏡にもいろいろな鏡があるんですね。 「鏡」というのは、大体、暗いほうを見ると、丁度、窓ガラスでも外側が暗いときは、窓ガラスが鏡の働きをしますよね。暗いほうを見る時に「鏡」という働きがよく出てくるのね。太陽を見るように明るい方を見ると、写らないですね、輝きだけがある。 これは根本に神さまが「輝き」という姿と「鏡」という姿の両方をとるんですね。 だから、神社なんかにはよく鏡が御神体というふうに入れられているのはそういう意味なんですね。二通りの意味があるんですね。

 これは人が鏡をどういうふうにとらえるかなんですけど。光源としての輝きという鏡、これは無限に無限に輝いた姿をとってるんですね。そして、自分の心を写す闇の方へ向いた時の鏡は、自分の心の状態を反射するんですね。だから、心の向きによって、輝きの鏡、写すほうの鏡、どちらでも受け取れるのね。もともと神さまというのは、無限の無限の輝きが一杯!という姿で、それをズーッと与え続けてくださるんですけど。それをどういうふうに受けるかなんですね。光源のほうへ心を向けるか、末端のほうへ心を向けるか。これは人の自由意志で定めていくんですね。 いつも光源ばっかりを見てると眩しいばっかしなんですけど、味気ないかもしれない。偶には闇のほうへ心を向けて、いろんな段階の表現をも楽しみたいというのがあるんですね。

     神さまの前ではみんな平等

 最初、人というは、神さまの前に立つと、みんな平等なんです。神さまの前に立つと平等なんですよね。これはどういう意味かというと、一人一人の奥の本体の自分というのは、神さまから新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯!という、この最高のものを与え続けてもらってるのね。そういう意味でみんな平等なんですね。 でも、この世に生まれてきて「この世だけ」というふうにとらえると、先ず神さまの前に立ってないんですね。闇のほうへ心を向けて、そして無限の無限のチャンネルの中の一つのチャンネルだけを今とらえて見ているだけなのね。だから不平等なんです。絶対平等というのはないんです。あり得ないんです、みんな違うんですね。

 「平等」という立場からもう一回見直すというのが大事だと思うんですね。そこに立つと、本当に自分は元々自由なんだという。自由と平等を完全に保障されて神さまから生きる目的を与えてもらうんですね。 本当の生きる目的というのが解らないと、幸せって無いんです。生き甲斐も喜びも無いんです。人は何の為に生きてるというより、生かされてるんかですよね。何のために生かされているのか。 これは神さまの大きい目的・願いと一致した時に、本当の意味が解ると思うんですね。でも、普通「肉体人間」というふうに掴んでる掴み方だと、あまりにも掴み方が小さすぎるんですね。小さい掴み方では、神さまの大きい目的・願いの掴み方と違うんですね。だから、迷うんです。部分に執われるとみんな迷うんですね。根本を、全体をとらえた時は迷いがなくなるんですけど。だから、『大きい神さまの目的をしっかり捕らえる』というのが大事だと思うのですね。

    人間の心は「感謝の心」と「思いの心」

 人間の心を大きく分けて、神さまの方へ心を向けた時の心と、神さまに背を向けた時の心と二つ大きく分けたら分けられると思うんです。 感謝の心というのは、神さまの方へ心を向ける生き方なんですね。 思いの心は、神さまに背を向けて生きる生き方なんですね。

 感謝の心というのは、元々神さまから与えられてる奥の本体の心ね。神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯!という姿を受け取ってる心なんですね。感謝の心は元々みんな中に持ってるんです。ただ、その心を横に置いて、そして闇の方へ闇の方へ、マイナスの方へ心を向けて、そして自分の思い通りに生きようという時に、思いが表面に浮かび出てくるのね。 だから、感謝の心は無いんじゃないんですよね。ちょっと横に避けて思いの心を生きようとして出てきているだけね、ちょっとね。感謝の心で神さまの方へ向いている時は、全てが光輝くんですね。その輝きにも無限の段階があるんですね。いろんな段階の無限の輝きの番組を眺めていける。 でも、感謝を忘れて思いの心になった時は、思いの心の状態、いろいろありますよね。その心の状態に応じて、これもまたマイナスの無限の段階のチャンネル・番組を見るんですね。これは全部、本当は神さまにとったら、どの番組も価値のあるものなんですよね。ただ、思いの心で見る時は、上から下を見た時にマイナスに感じ、その立場から上を見た時にプラスに感じるんですけど。

 思いの心というのは、やっぱり過去をどうしても掴みすぎるんですよ、掴んで放せないという状態に陥りやすいですよね。執着して掴んで、その立場を掴んでしまうんですね。そうするとその立場からでないと何事も見れないという、本当に不自由な立場に立つんですね、心の状態ですよね。その囚われた心だと、やっぱり一つの立場から、どうしても見方が限定されてきますよね。同じものを見ても大きく見れないですね。 本当の自由な感謝の心だと、選択肢が無限に広がって、無限の中の小さい部分を見るんですけどね。 全体の中の部分というのは、輝いて正しく見えるのね。ところが部分だけを見ると、全体を見失ってどうしても囚われた見方、それもどうしてもマイナスに見がちなんですね。だから、できるだけ大きく見るというのが本当は必要だと思うのですけど。これはなかなか思いの心だとできにくいですね。思いの心になると、益々とらわれがちになるんですね。

     何故、鏡に写し出されるのか

 神さまが何故鏡に写し出してくださるのかというのは、何故だと思われますか、皆さん。 鏡になって写し出してくださるというのは、ストップをかけてくださるのね、マイナスへ向いた心をね。神さまの願いは、大きい幸せを味わい続けて欲しいはずなんですね。無限の無限のプラスをいっぱい受けて欲しいだけなんですね。ところが、心の状態がマイナスへマイナスへ傾いた時に、どうしても途中でストップをかけてあげたいと思うんですね。下へ落ちて行くのを防いであげたい、それも早く早く、というような感じですよね。だから「鏡」という姿をとってでもストップをかけようとされるわけよね。

    心の状態は言葉

 その心の状態は、その中核になるのが「言葉」なんですね。感謝のプラスの言葉になるのも、言葉が中心になって、心をプラスに変えて、そして神さまへ心が向く状態に変えてくるわけですね。 思いの方も同じなんですね。マイナスの言葉や小さいプラスの言葉を使うと、どうしても心の状態がマイナスになり、囚われていき、心の状態は必ずマイナスの思いの状態になるんですね。 思いの心の中核は言葉なんで、言葉さえ自分がしっかりとコントロールできたらいいんです。そしたら、自分の好きな、願う心の状態にもっていけるはずなんですね。

 感謝をする為に「ありがとうございます」の言葉を、この一言をずーっと繰り返したらいいというのはそういう意味なんですね。一言「ありがとうございます」を繰り返し繰り返し使ってるうちに、心の向きが「ありがとうございます」という方向へ向くんですね。「ありがとうございます」という言葉の本体が宇宙の大神さまなのね。無限に無限に輝いた姿をとる宇宙の大神さまを指し示してるのね。だから「ありがとうございます」で、スーッと心が神さまのほうに向いてしまうわけですね。そうするといつの間にかプラスの感謝の心になって、無限の無限の輝きが一杯!という状態を感じる心の状態に入っていくわけですね。だから、言葉の繰り返しというのがやっぱり大事なんですね。

    見ざる・言わざる・聞かざる

 普段、何気なく使う言葉が、また何気なく聞く言葉、見る言葉、全部心に入ってくるんですね。「記憶してない」というのは、思い出せないだけなんですよ。みんな入ってるんです、ちょっと聞いた言葉、ちょっと見た事、全部心に入ってるんですね。普通、心の状態というのは無防備の状態で全部入るんですね。多分、催眠術をかけたりして思いださせたら全部思い出すはずなの。それぐらいスーッと心に入りやすいんですね。 だから、どういう言葉を自分の心に入れたいのか、これを自分で定めないと、決めないといけないと思うんですね。だから、プラスへプラスへ心を向けて、そして神さまの輝きをいっぱい感じたいというのだったら、プラスの言葉だけをしつこくですよ、しつこく使わないといけない。そして、マイナスの言葉をできるだけ心に入れないように「見ざる、言わざる、聞かざる」ぐらいの生き方がいいと思うんですね。

 そうすると、しばらくたったら直ぐに変化がわかるはずなんです、体験できると思いますね。特に「ありがとうございます」を一日に五万遍ぐらい三ヶ月も唱えたら、ガラッと世界が変わってしまうのね。光り輝く世界が感じられるはずなの。でも、そこまで普通はしないですね。 新聞も読み、テレビも観て、ラジオも聞いてという、そうするとやっぱりマイナスの言葉も沢山ありますよね。プラスとマイナスの言葉をゴッチャに使ってる間は、心の向きが定まらないですね。 神さまのほうへ向いたり、また逆に背を向けてマイナスに向いたりってね、忙しいですけどね。忙しい時は駄目なんですよね。どちらかへ徹底するというのが、やっぱり必要だと思うんです。

    徹底すると言葉の力が出てくる

 徹底するということが、やっぱり大事ですね。底を貫き通す、穴をあけるんですよね。雨だれの水でも、石を動かすんでしょう、石に穴をあけてしまうんでしょう。雨だれのしずくが落ちるだけで穴があいていくんですね、石でもね。だから、心の状態というのもそうだと思うんです。一つの言葉を繰り返し繰り返し使う事によって、どれだけ思いがいっぱい溜まった心でも穴があいて光が通るようになるのね。光が通りだしたら、思いがサーッと消されていくんですね。 だから、ある一定の期間定めて、この「ありがとうございます」とか、プラスの言葉を徹底して繰り返すというのがいいんですね。そうすると、必ずその言葉の「力」というのが出てくるんですね。

 人の使う言葉は神さまの言霊の力を呼び出す、引っ張り出す働きをするんですね。人の言葉で何かを創るのじゃないのね。神さまの言葉に波長を合わすんですよね。そうすると、神さまの言葉が引っ張り出されて大きい力が出てくるね。 現実に使う「ありがとうございます」も人の使う言葉ですよね。この言葉に本当の力があるというのじゃなしに、この言葉の指し示す奥に、本当の力のある神さまが出てくるのね。 だから「ありがとうございます」って、言葉の働き、「無限の無限の輝きが一杯!」という、この神さまの働きが「ありがとうございます」の奥の働きなんですね。だから、この「ありがとうございます」という言葉はどんな唱え方をしてもいいんです。この言葉に力があるんじゃないんですよ、この言葉に波長の合う神さまの「ありがとうございます」という言葉に力があるのね。だから歌うように唱えてもいいんですよ。また空念仏的に唱えててもいいんですね。どんな唱え方でも、神さまの方からこの言葉に波長を合わせてきてくださるのね。

    運命は自由に変わる

 また、この言葉を唱えている限りは、神さまのほうへ心が向き続けるのね。そうすると必ず神さまの助けが必要に応じて自然に与えられてくる。そうすると変化がどんどん起きるんですね。 今までは、「人間の運命は変わらない」と言う人もありますよね。また「運命なんて自由に変わるんだ」と考える人もありますよね。これはどちらも正しいんですよね。 「運命は自由に変わる」と言う人は、言葉の使い方がよくわかってる人なんですね。言葉を自由に使えたら運命を自由に変えられるね。 でも、言葉の使い方がわからない人は、心の奴隷になるんですね。「自分では心は変えられない」と思ってしまうのね。そうすると、その心の通りの番組に波長が合い、また、その心を鏡に写すように写し出すので「もう決まった運命は変わらないんだ」と言うんですね。 でも「変わらない」と言いながらでも変化してますよね。マイナスに落ちる時はどんどん落ちて行くんですね。変わってるんですけど、でも自分では「変えられない」と言ってるだけね。

 それも、やっぱり自分が心でそう定めたんですよね。先ず、言葉の使い方がそうですよね「運命は変わらないんだ」という言葉を使って、これをしつこく使ってるはずなのね。そういう心の状態になって心をがんじがらめに縛られた状態に変えてしまうんですね。そしていつまでも「変わらない、変わらない」というふうに思うんですね。 でも、そんなことはないですね。人の本体は、もう自由自在な心が中に宿ってるので、そういう不自由な状態は本物じゃないってまた気づくんですね。だから、自由な自分に戻りたいというふうに心の向きを方向転換するようになるね。

    神さまが助けに入る時

 だから、神さまというのは、人の自由を絶対縛りたくないんですね。強制的に縛ってまで幸せを与えたくはないんですね。やっぱり「自由」というのが一番幸せなんですよね。そういう意味では、神さまは人の自由な意志を尊重して助け続けてくるね。 だから、マイナスの世界へどれだけ落ちて行っても、地獄のどん底まで落ちるようになっていっても、その人の願ってる限りはそれを止めないの。その人の自由意志を尊重して、できるだけいろんな勉強もさせてくださるわけね。 でも、その人がちょっとプラスの方へ向きたいと願った時は、直ぐに助太刀が入るんですね。間髪を入れずね。

 マイナスへ向く時は、「向きたい」と言っても神さまは応援はしませんよ、勝手に落ちていくんですね。後押しされたら大変ですからね。地獄へドーンと突き落とされるような感じになるね。そういうことは絶対されないですけどね。でもね、プラスのほうへ、幸せなほうへ、極楽の方へ上がりたいというのだったら、もう瞬間に助けに入るんですね。ちょっとでもプラスの方に心が向いた時に、その時の一瞬をとらえて神さまは助けに入るんですね。

 この「ありがとうございます」も、ちょっと唱えるだけで神さまは助太刀に入りやすいんですね。今まではマイナスの言葉をいっぱい使い続けて、もう心の状態がどうしようもない状態でも、嘘でもなんでもいいから「ありがとうございます」を唱えてみると、神さまは助太刀にスッと入るね。そうすると心の状態は変化するんですね。必ずプラス思考に変化してきますよね。それで、良いことがいっぱい周りに現れるように神さまは変化を見せてくるんですね。 普通は、心の状態だけで喜べる人って少ないですよね。だから、形のほうも変えてくるんです先に、強制的にでもその時に力を揮えるんでね「その人がプラスに向きたい」という時はね。

 ただ、その意志表示がどういうふうにするかなんでしょう。神さまにわかるように意志表示しないとね。 マイナスの言葉をいっぱい使いながら「助けて」と言っても駄目なんでしょう。量的にもマイナスが多いでしょう、そうするとなかなか神さまはどっちにしようかと迷うんですね。 だから、神さまの助けの入る時は、プラスの言葉だけに絞り込まないといけないですね、一瞬でもね。だから、短い時間を限って、この時間を一所懸命プラスの言葉を使うんですね。そしたら神さまはわかるんですね、「この瞬間をプラスの言葉に心を向けている」とわかったら、瞬間に力を注いでくるね。

 だから、プラスの言葉を使うのでも、「今日一日プラスの言葉ばっかり使う」というと大変ですよ。「この一分間」というとできますよね。「この一分間だけプラスの良い言葉だけを使う」と決めるのね。 お祈りも同じですね。「ありがとうございますをこの一分間だけ一所懸命唱え続けよう」というふうに決めると、神さまは心の向きを全部見通しているのね。「あっ、この一分間一所懸命やるのだったら、この人の自由意志はプラスに向くな」とわかるんですね。その時に、この一分間を、神さまは大事に活かして助けに入るのね。そしていろんな姿をプラスに変化を見せながら気づきを増やして、心の状態がプラスになるように助け続けていくのね。

    神さまの助ける目的

 この神さまの働きって凄いんですよ。目に見えない神さまの働きなんですけど。実際は、いろんな目に見える働きで見せてくるはずなのね。周りの環境を変えてくるというのもそうですね、本当はそうですね。ガラッと変えてきますから、奇跡をいっぱい起してきますからね。神さまからみたら手品みたいなものなんです。ちょっとした変化というのはね。 でも、その運命の変化、奇跡的な修正というのは、人の心にとったら大きい助けになるんですよね。病気でもパッと治してくるね。いろんな不思議な出来事をいっぱい起してくるでしょう。 でも、神さまの助ける目的は、それで喜んで欲しいわけじゃないですね。言葉の使い方をしっかりと身につけて欲しいんですね。自分の自由意志を最高に発揮できる状態になって欲しいんですね。そして、プラスに心を向けて神さまの与えてくるプレゼントを一瞬一瞬全部受け取って欲しいはずなんですね。そしたら、いつも無限の無限の幸せが一杯!という状態が永遠に続くはずですよね。

    神さまの修正の証

 今、この世でいろんなマイナスの姿がいっぱいあるというふうに受ける見方もあるんですけどね。「不景気だ、不景気だ」という言葉もあるんですけど。でも、やっぱり言葉通りですよ。「不景気」という言葉を使って、良くなるわけは絶対無いですね。そういう不景気な番組へ波長を合わせてしまうのね。その逆をすればいいと思うんですけどね。「無限の無限の繁栄で一杯!」と言えばいいんですけど、なかなか言わないですね。 でも、最近大分持ち直してきましたよね、ちょっとね。いろんな神さまの修正が大きく降りたみたいですね。 あの東北の地震も軽く済んでますよね、ビックリするぐらい奇跡的な軽さですね、あれもね。やっぱり「ありがとうございます」と唱える人の心が、神さまの大きい修正力を降ろしてるんだと思いますけどね。

    この前の親王祭

 この前の親王祭でも、凄い光がいっぱい降りたのね、神さまの光がね。もうビックリしますよね、この写真、どの写真を見ても、玉響(たまゆら)という光の玉がいっぱいよ。考えられないでしょう、玉ばっかしなのよ、これ。 お不動さんが出たり、これでも光の玉ばっかり写ってるの。不思議な光ばっかしがね。護摩の時の前で踊ってましたね、みんなね、手を上げてね。もう光の玉響がいっぱいなんですよね。本当の「お祭り」ってそうですよね。 みんな神さまの前には平等なので、「お祭り」という時は、神さまの心とみんなの心が一つにつり合うんですね「まつり合う」というのがね、一体化するのね。そうすると、高い世界も低い世界もないんですね、みんな一つに交流されて喜び一杯という姿をとるんですよね。 だから、高い世界の神さまがいっぱい降りたのね「無限」というぐらいね。写真には有限にしか写らないですけど。宇宙の神さまがいっぱいというような感じですよね。それも高い神さまがいっぱい降りたんですね。

 「感謝の心」と、奉仕の「与え尽す心」と、この二つがあれば、高い神さまはスッと波長を合わせて降りられるのね。皆さんはみんな感謝の心、奉仕の心で参加されましたよね。もうそれだけで神さまがスッと降りやすいんですね。こんなん考えられないですよね。普通のお祭りではこういうことは起こらないですね。だから、奇跡の大イベントだった。 お祭りから帰られた後、皆さんのほうが感激がズーッと続いて、不思議な事をいっぱい見せてもらってるみたいですけどね。お祭りの後のほうがビックリしているみたいね、みんなね。 こういうのでも、やっぱり心の持ち方一つで環境が、その人の運命が、その人の見てる世界が変わるんですね。だから、心の変化をどういうふうに持っていくかですよね。 こういう一つの「お祭り」という姿をとって、大勢の人が集まると、また心が変わりやすいでしょう。自分一人だけで、自分の心をプラスに変えていくという生き方もいいんですけど。でも、同じような願いを持って生きる人が集まれば集まるほど、助け合いが起こりますよね。

 だから、お祈りもそうですね、相乗効果が起こるんですね。二人寄れば二倍じゃない、2x2=4 三人寄れば 3x3=9 というふうにね。百人寄れば 100x100の百万倍というような感じですね。もっと効果があるかもしれないですけどね。 今回のお祭りには1600人ぐらい集まってるんですね。そういう人たちが感謝の心と奉仕の心で一日楽しんだのでしょう。凄い力でしょうね。

    思いの消し方

 だから、心を変えたら必ず環境は変わるんですね。今までは、その心の変え方が解らなかった人が多いのね。思いの心って大体そうですね、思いがコロコロコロコロ変わって出てきますからね。押さえ込んでも押さえ込んでも出てきますから、思いはね。そういう変え方じゃ、なかなか変えにくいですね。 思いを消してもらう生き方があればいいのね。湧き出てくる思いを消してもらったら、心は安定するね。

 だから、思いを消す方法としてどういう方法があるかですけど。 「ありがとうございます」って、この一言を唱えるのが一番効果が大きいですね。 普通「ありがとうございます」を唱える人も、何か自分の願い事を叶えたいために唱える人もあるんですね。ちょっと損をするんです、それはね。 思いを消してもらうために唱えるのがいいのね。そうすると心の状態がプラスに変化して、いい姿がサッと奇跡的に出るのね。でも、思いを消さないで願いを叶えてもらうという唱え方だと、「思いを消さないで」というのが先に入るでしょう。そうすると思いが消えないとマイナスが消えないんですね。だから、自分の思いや願いをいっぱい出して「ありがとうございます」を唱えるのはちょっと損するのね。 それよりも、そのいろんな思いも願いも全部ひっくるめて消してもらえばいいのね。思いを消してもらったら神さまの光が通りやすくなるね。そうすると願わなくても幸せが一杯という状態になるのね。

 「ありがとうございます」と唱える本当の目的は、先ず思いを消してもらうことなのね。思いが消えたら神さまを直接感じられるのね。神さまの輝きがスッと感じられる状態に入るんですよね。そういう唱え方の方がいいんですけどね。 雑念がどれだけ出てもいいんです、でる度に「ありがとうございます」と加えたらいいだけなんです。そうすると心に溜めた思いが全部消されてしまうのね。いつの間にか心に思いが全部なくなって空っぽになるんですね。そうすると神さまの光がスーッと通ってくると、みんな輝いて見えてくるのね。神さまの新たな全徳の輝きが一杯!という姿が周りに現われるのね。

   神さまを感じれば良い

 だから、番組だったらプラスの光の番組だけになるのね。周りが、環境が、光の世界に変わるんですね。これは、もう何ヶ月もかからないです、本当はね。一所懸命唱えたらね。本当に「ありがとうございます」を一日に五万遍、三ヶ月唱えてくれたら、本当に光り輝いた世界を感じるはずなんですね、誰でも。 そこまで徹底できたら一番早いんですけど。でも、一日に一時間でもいいんですよね、一日一時間でも「ありがとうございます」を徹底するんですね。それも神さまにちょっと約束しとくといいですね。この一時間は徹底して「ありがとうございます」を唱えますというふうに、自分の自由意志をはっきり示すほうがいいんですよね。「この一時間に思いを全部消してください」って、そうすると神さまが大きく働けるのね。そのうちに一日「ありがとうございます」を唱えられるようになるでしょうね。

 でも、この「ありがとうございますを一日ずっと唱え続けないと」というのじゃないんですよね。「最初は唱えた方がいい」と言うね。心の向きを神さまに向け続ける意味でね。でも、思いが無くなったら何も唱えなくてもいいんです、光をいっぱい浴びるだけでいいんですよ、本当はね。だから「ありがとうございます」という言葉にも囚われる必要はないんですけどね。神さまを感じればいいんです、幸せを感じただけがいいんですね。ただ、思いに囚われている時に、心の向きを神さまに向ける意味で、この「ありがとうございます」という言葉が役に立つんですね。心の方向付けをしてくれる言葉ですよね。だから「一日五万遍唱えないと駄目」というのもおかしいんですよ。唱えた方がいいというだけで、最初はね。一年に一回「ありがとうございます」でいいかもしれない。これは極端ですけどね。

 私も二十歳ぐらいの時にね、言葉の使い方をいろいろ修練させてもらったんですけど。その時は新聞も何も見なかったですね。もうプラスの言葉だけを使い続けるのね。だから、本当に「見ざる、言わざる、聴かざる」の練習するんです。一年ぐらいしましたよ。「絶対マイナスの言葉は使わない」という訓練をしましたけど。やっぱり目を閉じたほうがいいですね、耳栓したほうがいいですよ。  お寺に小僧さんが入門する時はそうですね「見ざる、言わざる、聴かざる」の修行をするんですね。これも最低一年ぐらいはするんじゃないですかね。なかなか大変みたいですけどね。自分独りだといいんですけど、周りに仲間がいっぱいいてると、誰かが一言言葉を使うと「お前、何か言ったじゃないか」と言われる。そうすると「お前も言ってるじゃないか」となるんですね「言わざる」の修行ができないですね。さあ、何か質問はありますか。


    具体的な思いの消し方


質問:
 思いを消すということについて具体的にお願い致します。

ありがとうございます:
 人間って、心にいろんな言葉や思いを溜め込んでしまってますよね。丁度、空に雲がかかってるように、黒雲がいっぱいという人もあるんですよね。そうすると太陽の光は通ってこないですね。 神さまを太陽に例えたら、太陽からサーッと降り注ぐ光の自分というのが本当の自分なんですね。ところが、地上に執着して水蒸気があがるような感じですね。思いが溜まってくると空に雲がワーッとあがるんですね。そうすると、薄雲の時はまだ光が通るんですけど、思いがいっぱい溜まると黒雲の状態で雨雲になるんですよね。そうすると光を全然通さない、雨が降ったり嵐になったりするのね。

 だから、人の心の状態、思いをいっぱい溜めた状態は、丁度そういう状態ですね、嵐のような状態になるんですね。だから、「思いを消す」という、それがやっぱり幸せには一番大事な生き方なんですね。その思いをできるだけ早く消してもらう方法が、思いを神さまに預けることですね。「ありがとうございます」って唱えると、その思いを預ける生き方なのね。いろんな思いがいっぱい出た時に「ありがとうございます」って一言いえばいいのね。そうすると神さまに預けて消してもらう働きがそこに降りるんですね。 何回かそれを繰り返していると、思いがどんどん少なくなるはずですね。そしてプラスの言葉だけを使えるようになったら、もう思いを相手にしなくても、雑念として思いが出なくなってても、まだ心の奥には溜まってますから、それも知らない間にずーっと消し続けてもらえる。そしたら、心がスカッと青空のような感じになるのね。雲が全部消えてしまうような状態ですよね。そしたら、いつも光が降り注ぐのね。


    子供が両親を選ぶ


質問:
 今日、はじめて寄せていただいています。養護施設で子供さんのお世話をボランティアでさせていただいているのですが。親御さんと一緒に住めないということをわかって、子供が両親を選んで生れたということを聞きますが。

ありがとうございます:
 この世に生まれてくるのは、全部本人の自由意志が先ず第一ですね。いろんなところに生まれ変わるのがそうですね。そして本人にとって、やっぱりプラスに、勉強になるようになっていくんですね。 神さまの方はそれがよくわかるのね、守護神さんも守護霊さんも、その子の自由意志を尊重して、そしていろんな勉強の場を用意して与えてくるのね。だから、マイナスに見えるようでも、その子にとったら必要なプラスの勉強よね。本当は全部そうなのね、そうなってるのね。神さまの計らいって、先の先まで見通して幸せへの最短コースを歩ますの。必要なものを的確に与えてくるのが神さまの与え方なのね。 だから、いろんな運命、環境も、いろんな状態がそうなのね。もし、貧乏が必要だったら貧乏を与えてくるね。病気になった方がいいのだったら病気を与えてくるね。そういう運命を持ってくるのね。必ずそれがプラスに変化するの。本当の親はみんな神さまよ、肉体の親は仮の親よね。

 普通、子供が前の世で親としてお世話くださる人に貸しがある場合よね、普通ね。そして、面倒を看てもらえるというのでその親を選んで生まれてくるのだけど、逆の場合もあるよね。子供が借りのある場合は面倒を看てくれない。逆に冷たくされる時もあるのね。だから、それも貸し借りがわかって、本人の自由意志をそこに発揮している場合もあるので「苦労したほうがいい」という子の魂は、やっぱり苦労を選んでくるね。みんな自分を早く幸せ一杯にしたいからよね。だから、みんな神さまの計らいの中だから、的確に必要なものを与えてもらうね。だから、みんな幸せへの最短コースを歩んでるというのが本当よね。


  「ありがとう」と「ありがとうございます」


質問:
 私も今日は初めて参加させていただきました。「ありがとう」という言葉と「ありがとうございます」という言葉は一緒なんでしょうか、基本的にお願いします。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」で宇宙の大神さまの働きの全体を現わすんですけど。「ありがとう」はその一部、ちょっと軽いんですね。だから、神さまに向かう時は「ありがとうございます」がいいですね。「ありがとう」もいいんですけど「ありがとうございます」の中にいろんな「ありがとうございます」があり「ありがとう」があるというぐらいがいいですね。


    「思い」の幸せ


質問:
 私も初めて参加させていただいています。最初に言われたのは「思い」のことなんですが。 私はずっと「成功」とか「成功法則」に興味がありまして、こちらの方で「思いを実現しよう」ということなんです。この生き方では幸せにはつながらないのでしょうか。

ありがとうございます:
 ちょっと、やっぱり実現しても小さいですよね、幸せがね。一つ思い通りになっても一つだけですよね。でも、神さまから与えてくるのは、無限の無限の幸せなんですよね、宇宙いっぱいなんですよね。それを感じる心のほうが幸せいっぱい感じますね。 だから、思いが消えたほうが、感謝の心に戻った方が幸せがそのまま既に与えられてるんですね、それに気づいて幸せいっぱいなんですね。だから、今更実現するんじゃなしに、「既に与えられた幸せに気づく」というのが感謝の生き方なんですね。だから、思いを捨てた方が楽ですね。


    「みたま」と「霊」


質問:
一霊四魂で、緩魂(ぬるみたま)のことがわからないのですが。 「霊・魂・魄」で「魂・魄」を消すと「霊」になるとおっしゃったのですが。一番高いチャンネルに行って神さまと一体化されてるということを聞かせてください。

ありがとうございます:
 魂の分け方も「一霊四魂・いちれいしこん」と四つに分ける働きの違いですよね。 一番活発なのが一番上ね、一番緩やかなのが一番下の緩魂(ぬるみたま)というふうに言うんですね。だから、石ころのように動かないというのはあまり活動してないですね。活動の一番緩やかなのがそうですね。 だから、電磁波みたいに自由自在に飛び回るのは活動が活発ですよね。

参加者:
 奇魂(くしみたま)は一番活発ですか。

ありがとうございます:
 一番活動の働きが大きいという意味でね。ただ、四つに分けるというのは、大まかな分け方ですよね、もっともっと細かく分けたら本当はいいんだと思いますけどね。

参加者:
 荒魂(あらみたま)よりも緩魂(ぬるみたま)のほうがまだ活きが――

ありがとうございます:
 そうね、動物的なものよりも植物的なのはもっと緩やかでしょう。植物よりも鉱物的なものはもっと緩やかでしょう。そんな感じの分け方よね。それで「魂・魄」が消えたら「霊」になるというのは、元々霊のほうは物質化して「魂」を現わし、「魄」の肉体を現わしてくるのね。それも必要がなかったら消しますよね。消すというたらなんだけど、無限のチャンネルの番組には全部揃ってるんですけどね。消すよりも感じる世界を変えていくと言ったほうがいいかもしれないね。

参加者:
 霊になった時に一番個性がしっかりしてよく見えてる世界になるんですか。

ありがとうございます:
 奥へ入るほど全体がわかって必要な働きをしっかりさせてもらえるので、個性が豊かに輝くんですね。

司会者:
 今のお話は、和魂(にぎみたま)とか、幸魂(さちみたま)とか分けたものとはちょっと違いますよね。漢字の文字ではどのように書くのですか。

ありがとうございます:
 言葉の一霊四魂の四魂の言葉の使い方も説がいろいろよね、同じ言葉を使ってないのね。だから、さっきの緩魂(ぬるみたま)というのは一番緩やかな波の変化を現わしてるのね。


    「宝くじ」と「株の収入」


質問:
 宝くじなんかは当たらないほうがいいという。多くの人の思いを受けるから。 そうしたら株式はどうでしょう、私は持っているのですが、一度も儲けたことがないのです。株で所得を得るのは不労所得と同じなのでしょうか。

ありがとうございます:
 宝くじを買うのでも、寄付するような気持ちで買えばいいのね。みんなを幸せにしたいという気持ちで買えば、そのプラスの思いはやっぱりみんなにも伝わるでしょう。当たった人にもプラスが行くはずなんですね、本当はね。そうするとまた自分も当たるかもしれないね。与え合いになったら必要なところへ当たって、またプラスになって、それがまた返ってきますよね。 でも、宝くじを買う人はあまりそういう与える心では買わないですね。当たりたい方が先に立つと、求める奪う心ですよね。そういう人が大勢買うと、当たった時のお金は、求める奪う心ですね。その時は高利の借金と思ったほうがいい。当たったら、高利の借金を背負ったと思ったと思わないとね。そこまで借金してでも活かせるのだったら当たったほうがいいんですけど。それを贅沢に使ってしまったら、高利の借金だから、後に借金が残りますよね。だから、将来的にはマイナスばっかしという姿をとりますから大変ですね。だから、当たらない方がいいんです、それね。

 ただ、株式の場合はちょっと意味が違いますけどね。会社を支える働きですからね。その会社が本当にいい働きをしてくれたらプラスになる、大きいプラスになりますよね。そこから生れたものを自分の方に分配してくれるのだったら、社会に貢献した分に対する分配ですからね。それで儲けてもプラスですよね。 ただ、株の操作だけで儲けようというのは良くないね。会社を支えて社会的に大きい働きをしてもらいたいというのが根本にあるのだったら大丈夫ですけどね。 だた、売り買いだけで利潤を、売るだけだったらちょっとマイナスになりやすいね、宝くじに似てるところがあるかもしれないね。


    先祖代々からの流れを変えたい


質問:
 今日、初めて参加させていただきました。性格というのは先祖や親からいただいているものじゃないかと思うのです。女房から「家の流れを変えてください」と言われたのです。「ありがとうございます」を唱えているだけでは、自分で変えようという思いを持つと、なかなか変えられないような気がします。 「ありがとうございます」を唱えて心をきれいにしたら変わるのかなと思うのですが。代々伝わる悪いものを消すにはどうしたらいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 普通、自分以外に先祖代々があって‥‥ と思うんですね、自分以外の別なものがあると思うんですけど逆なんですね。「自分の過去世」とみたほうがいいですね、先祖代々をね。「自分の親は自分の前世、前の世の姿」ってね。先祖は自分の過去世の代々なんだとみると、自分が変わったら全部変わるんですね。 自分の責任にしないと変えようがなくなりますね。人を勝手に変えるわけにいかないですからね、先祖を勝手に変えられないんですよ。一人一人自由意志があるので、変われと言っても変わらないですね。それを待ってたら永遠に変わらないですね。 でも、「自分の過去世」というふうにみると、自分が変わったらガラッと変わりますね。本当はそういう観方のほうが正しいですね。だから、自分一人が変われば周りも変わるし、先祖代々も全部変わるしというのがね。だから「ありがとうございます」の一言で全部変わります、大丈夫。


    プラスの言葉を徹底する

質問:
 言葉の使い方のところで、プラスとマイナスがありますが、その意味をもう少し。 「ありがとうございます」のほかに良い言葉がありましたら教えてください。後、マイナスで「これは絶対駄目だ」というのがありましたら。

ありがとうございます:
 普通はプラスとマイナスの言葉の両方を使いますよね。でも、プラスの言葉に一回は徹底しないといけないですね。神さまはプラスの言葉で大きく働いてくださるから、神さまの助けを受ける体験って大事ですね。だから、プラスの言葉を徹底して使うと奇跡がいっぱい起こるんです。 例えば、病気の人を前にしても、その「病気を治そう」と思っても治らないんですけど、「その人は無限健康で一杯」と言えばいいですね。「無限に輝いている」というと、その言葉を繰り返すとパッと消えるんです、病気がね。そういう体験がいっぱい起こるんですね。そうすると「言葉の力」というのがよくわかるでしょう。プラスに執われることも無いんでけどね。本当にプラスの言葉が正しく使えるようになって、神さまの助けをいっぱい感じるようになったら、今度はマイナスの言葉を使っても大丈夫なんですね。

 暑い時は「涼しい」と言えばいいですから、はははは、「寒い」とまでは言わなくても。お腹が満腹の時は、ちょっとお腹が空いたほうがいいでしょう。だから、マイナスの言葉も必要だったら自由に使えるほうがいいですね。でも、最初はプラスの言葉を徹底して使う練習をして、プラスの助けをいっぱい受ける体験を積んだほうがいいですよね。そしたら、言葉通りに必ず神さまの助けが降りるということがわかりますから、心配することが何もなくなるでしょう。何が起こってもプラスに変えられる力がつきますよね。


    見えた光は本体なのか


質問:
 光が見えたのですが、それは自分自身だと言われました。それが本体とするなら、本体と肉体は分かれてあるのですか。

ありがとうございます:
 本当の本体は宇宙大なんですよ、宇宙大に大きい、本体はね。本体の自分は宇宙と同じなの、大きいの、無限に大きいのね、だから、そんな小さく現れないの。「宇宙が自分」というのが本体ね。

参加者:
 親王祭の時の玉響はみんな丸いですね。どうしてそんな等身大以上の大きなものが私の本心としたら、それが本当なのか。

ありがとうございます:
 先ず、本体はこの肉体界までは降りられないよね。この肉体界は肉体界の姿よね。写真に写っても、光の玉に写ったら小さいよね。この世に合わせて降りてくるのね。

参加者:
 それを私の本体と思ってもいいのですか。

ありがとうございます:
 いいや、そこまで言わなくても大丈夫だけど、いろいろに見たらいいよね。見方はいろいろにできるけど。自分の背後の神さまが出てきたとか、いろんな意味もあるから。

参加者:
 自分の考えとか、一緒のところにあるとしたら、どういうことになるの。みたいなことになって。

ありがとうございます:
 そういう言葉に引っかかったのね。言葉に引っかかっちゃったのね。離れてるというのにね。 でも、本体は大きいから、ちょっと分身を写したらそうなるかもしれないし、また別に分身じゃなかっても、いろんな姿も出てくるから、あまり執われないほうがいい、プラスにみるだけがいい。

ありがとうございます。











AR1402003年 8月 23日 B

徳積み


本当の徳積み

ありがとうございます:
 「徳」という漢字の昔の字体は「ギョウニンベン」に、直接の「直の心」という書き方ですよね。 これは「直霊・なおひ」というのがあるね、直霊の心とか「直心・じきしん」というんですね。それは神さまの御心を指してるのですけど。神さまの御心を業ずるというのが「徳」ですね。だから、神さまの働きが「徳」という意味なんですね。 損得の「得」のほうは「得る」という字で、ギョウニンベンに日があって、下に一寸(ちょっと)神さまの心を一寸だけ業ずるのが損得の「得」という。

 本当の徳は、神さまの働きそのものなんですね。だから、無限の無限の働きなんですね。この徳を積む生き方というのは感謝に生きることによって、神さまを受け入れて、そして神さまが自分を通して働いてくださる時に徳として積み重なるんですね。 普通、いいことをして徳を積もうというんですけど、これは思いの心で「いいことをしよう」といっても本当の徳は積めないですね。神さまが自分を通して働いてくださらない限り、思いの心で自分が勝手に動かしているようでは、どんなにいいことをしている積もりでも徳にまで至らないですね。損得の得のほうですね。 本当の徳の積み方も無限の段階があると思うんですね。大きい深い徳もあれば、浅い小さい徳もあるね。これも、やっぱり感謝に比例するかもしれないですね。感謝を深くすればするほど、神さまの大きい働きを受け入れますよね。そして、神さまが大きく働いてくださった時が、本当の大きい徳積みですね。


大きさの違う「徳積み」

 その働きも、霊的な働き、魂的な働き、肉体的な働きというふうにみるだけでも、大きさが違いますね。 霊的な自分は宇宙大に広がりますから、感謝を深くすれば神さまが宇宙大に光を振り撒く働きをしてくださるね。そうすると無限の無限の徳ですよね。 魂的にとらえても、魂が大きくなれば神さまの働きを魂的に受け入れて、あの世でいろんな大きい働きをしますね。これも肉体的な小さい働きに比べたら大きいですね。 大きさでみると、上中下でみれば一番大きい働きが「上徳」という感じですね。 そして「中徳」「下徳」というふうに分かれるかもしれないですね。

 だから、肉体がどれだけいいことをしているように見えても、本当は小さいですね。神さまが直接働いてくださってもそうですよね。肉体にできることって限られてますよね。 肉体の自分が一所懸命いいことをして徳を積ませていただきたいというのは、小さい下徳を積み重ねているような感じですね。それも無いよりはいいんですけど。本当はもっともっと神さまの大きい無限の無限の徳を直接いただくほうがいいんですよね。「徳積み」なんて考えなくても神さまの徳をもらえばいいのね。新たに新たにもらい続けたら、「積んで、貯金をして」なんてつまらんですよね。宇宙銀行総裁から全部もらえばいい。無限の無限の徳を新たに新たに受けるだけが、本当は正しい意味の徳積みだと思うんですね。


「損得」の「得」

 「損得」の得というのは、手に入れて喜ぶのですけど、その「得」のほうは、本当は手に入れた分はみんな借り、借金になるんですね。本当の徳のほうは貯金ですよね、プラスのいい働きをして、人を幸せにする働きをしたのでね。それも報いを求めずに神さまはしてますから、本当の貯金なんですね。それも高いほど高利の貯金ですよね、利息がいっぱい付く貯金ですよね。 でも「損得」の得のほうは、人のために尽したというのですけど、思いの心でする働きは全部思いをかぶせて行くんですね。思いというのは神さまから見るとマイナスにあたりますね。思いをかぶせた分だけ相手に負担をかける、相手の心を曇らせていくんですね。

 今、世の中は、働かずにお金を儲けようという生き方の終焉を迎えてると思うんですよ。昔の日本人はよく働いたんですね。それも、タダ働きもよくしたんですよね、だから徳を積ませてもらって幸せだったのね。 ところがある時期から、働かずにお金を沢山もらおうという、賃上げ闘争がはじまったじゃないですか。あれがやっぱり大きいマイナスですよね。働かずに得たお金はみんな借金なんですね。大体、不労所得ってそうですね、宝くじが当たっても、保険金をもらっても、ボロ儲けをしてもみんなそうですね。高利の借金になるんですね。その時は得したように錯覚するんですけど、そうじゃないですね、借りてるんです、利息付のお金を借りたのと同じなんですね。

 土地でも、安い土地を持ってて高く売って、その差額を儲けたと喜ぶんですけど、逆ですよね。土地成金も末路が悲惨ですよね。その時はお金が沢山入ってきて贅沢してしまって、借金だけを残すんですね。心の中に借金が残るんです。それは思いとして積み重なるんですね。思いを積み重ねた生き方では、幸せになれないですね。やっぱりマイナスへマイナスへ心が向くので、いずれは地獄番組の一番低いところへ波長を合わせてしまうかもしれないね。 

 だから、今の教育問題でもそうだと思うのですけど。小学生にまで立派な校舎を立てて贅沢させてるじゃないですか。掃除もさせないなんて、掃除婦さんを置いてるって。子供の徳を全部奪ってるような感じですね。持ってる徳を無駄遣いさせてるような感じですよね。 もし子供に徳がなかったら大きい借金を、高利の借金を背負わせたような感じですね。それで子供が立派に育つわけはないですよね。思いがいっぱいかぶさるのでね、だからおかしく狂いますよね。苦しいから、はね除けようとするんですね。それも傍から見るとマイナスに見てしまうんですね。


大きい徳積み

 だから、本当の徳積みは必要ですよね、これからはね。だから、感謝に生きるという、神さまから本当の幸せをいただくというのが大事ですね。感謝して神さまの働きを受け入れたらいいんですね。「ありがとうございます」って感謝してると神さまが自然に自分を通して働いてくださるね。 肉体的な働きも小さいなりにも必要なんですけど、それ以上に神さまは大きい光を振り撒いてくださるのね。そうすると周りの人の思いも消されるんですね。思いを消すということは相手を借金から解放することですね、大きい働きですよね。それと同時にプラスをも大きく周りに与えてくださるのね。 だから、感謝に生きることが本当は大きい徳積みね。

 実際、あの世の見える、心の奥が見える人が見れば、感謝をしている人は光り輝いているんですよ。感謝のお祈りをかなり積み重ねたら純白に輝くんです。そこまで神さまが大きく降りて光を振り撒いてくださってるのね。 思いのいっぱい溜まった人は、見たら真っ黒なんでしょう。黒雲が覆ったような感じね。偶に腹を立てると赤黒い光が稲妻のように光るんです。やっぱり心の状態をそのまま現わすんですね。  だから、「感謝に生きる」ということは、心が青空に太陽が輝くように白い光がさーっと降り注ぐ。 思いを溜めたら、どんより曇ったり、雨雲になったり、嵐を呼ぶかもしれないね。そのぐらいの大きい違いがあるんですね。


人の為、社会の為につくす

 だから、「損得」の得を積んだら駄目ね、得をしたら本当はいけないみたいですね。今までのお金儲けを優先する生き方というのは逆かもしれないですね。 今、いろんな企業があって倒産したりつぶれていくのはそうでしょう。金儲けに走ったところですよね、本業を忘れてるのね。「人に尽す」という世の中を良くするための大きい働きをするというのを忘れて、地道な働きを忘れたところがつぶれるんですね。それがいいんですよね。大きい借金返しよ。つぶれなかったら益々借金を積み重ねるのね。だから、行き詰まるということは「この辺で借金をやめなさい」ということで、止めてくださってるのね。もう一回原点に戻ればいいですね「人のために尽す、社会のために尽す」という、そういう会社になればいいんですよね。 でも、会社というのは、会社があるんじゃない。一人一人が構成員ですから、一人一人の気持ちが変わらないとね。だから、しっかり働いて「みんなの幸せのために尽すんだ」という気持ちがあれば、そういう人が多い会社が良くなるんですね。

 もう一つ良いのがタダ働きですよ、「お給料をもらわずに世の中のために尽す」というぐらいの気持ちだと、もう一つ良くなるんですね。国際競争力というのが一番強くなりますよ。安いお給料で働くところが強いんですよね、本当はね。でも、安いお給料だから生きていけないかって、そうじゃないでしょう。みんな生きてますよね。ちゃんと働いただけの見返りはちゃんと来るんですね。働いた分は与え返される。「お金があるから幸せが買い取れる」のでもないですね。働いたから幸せが与え返されるのね。

 神さまのほうへ心を向けて感謝すれば、本当は無限の無限の幸せが一杯に直ぐにしてもらうんですけども。でも、現実も大事ですから、現実の生き方としては、与えたものが与え返されますよね。だから、神さまから受けて、しっかり働いてみんなのために尽せば、現実も幸せ一杯にみんなからしてもらうんですね。


「阿保」の生き方

 だから、これからはボランティアに生きる人が増えるんじゃないですかね。「阿保(阿を保つで阿保)の生き方」というのね。みんな阿保の生き方を馬鹿にするけど逆ですよね。本当のことがわかる人は「与え尽せば幸せ」というのが、よくわかってるでしょう。「本当の幸せはこれしかない」とわかってるのね。だから阿保の生き方にみえても、喜んでできるのね。それが解らない人は馬鹿な生き方よね「阿保」じゃなくて「馬鹿の生き方」「阿保」と「馬鹿」はちょっと違うんですね。

 「あ」というのは「光・光源」ですよね「神さま」ですよね。それをしっかり保って持ってるというのが「阿保」ですよね。「馬鹿」のほうは、馬か鹿の生き方で動物的な生き方だから、ちょっと違いますよね。もっともっと阿保の生き方が必要ですよね。「損得を考えない、本当にみんなを幸せにするための働きをさせてもらいたい」というのがね。そしたら無駄な働きが必要なくなるんですよね。

 世の中って無駄な仕事が多いですよ。本当に必要な働きだけに絞れば、多分、十分の一ぐらいの働きで、まかなえるんじゃないですかね、みんなね。店やスーパーに買いに行ってもレジは要らないんですよ、お金も要らない、レジも要らない。必要なだけをスッと持って帰ればいいというのがね。電車に乗っても切符は要らない、改札も要らない。お巡りさんも要らないですね、もう。本当に必要なだけに絞りきったら、本当は十分の一の働きで、みんなが幸せになる働きしますよね。

 本当は車でも最高の車を全てのメーカーが協力して一台つくり上げたらいいですよね。全部、部品が共通というふうに。基本になるのは全部共通にして、後は自分が好きなように勝手にアレンジして変えればいいですよね、ちょっとぐらいはね。ちょっとペンキを塗ってみるとか、はははは。そしたら車も資源の無駄遣いをせずに全部有効活用して長く使えますよね。それも最高の車ですよね。なんか、もう今まで無駄が多すぎますよね。なんか、それが幸せに思って錯覚したんでしょうね。「最高のものを与え合う」というのが、やっぱり本当は一番いいんですよね。みんなが協力し合って最高のものをそこにもってくれば、誰でも満足できるはずなんですけどね。これも、お金が必要でなくなったらそうなるでしょうね。儲けなくていいですもんね。いずれお金は必要がなくなるんでしょうけど。

 お金って、人と人との約束ですもんね。約束事ですよ、本当は人を信じてないでしょう。お金儲けに走ってる人は多分そうだと思うんですけどね。「人は信じてない、お金は信じてる」と言うんですけど。お金は人と人との約束事でしょう、それはね。裏切られるかもしれないね。お金の価値なんて直ぐになくなりますからね。高い番組の世界にはお金なんかは無いんですよ、本当に。一番奥の神さまの世界はお金が無いんです。低い世界も無いんですね、信用してないから無いんです、はははは。この世の中途半端なところにあるんですね。ちょっと信じて、ちょっと疑って。でも、国同士ではちょっとまだできないでしょう。価値観がちょっと違っただけで通用しないですもんね。地域通貨もあるらしいですけど、いろんな。そういうのもまたある意味ではいいかもしれないですね、自由なそういうものが生まれる方が。お金が無くなって行く一つのきっかけかもしれないですね。


これから必要なのはネットワーク

 だから、これからはネットワーク的に人と人との、本当の波の合う人同士の助け合いが、これからもっともっと大事になるでしょうね。いい人同士のネットワークでつながったら、その中にいる人はみんな幸せですよね。お互いに必要なものを供給し合い、与え合えるので、絶対困らないと思いますね。だから、本当に心の波の合う人同士の助け合いのネットワークというのが、これからいろんな意味で行われるのじゃないですかね。

 感謝に生きる人は、感謝に生きる人同士のネットワークで、本当のプラスの与え合いが起こるのね。みんなと付き合わないでいいんですよ、本当は。大変でしょう。地球の全ての人と付き合うなんて不可能ですよね。この一生で付き合える人って限られますよね。どのぐらいの人と付き合ったらいいでしょうね。百人でも大変じゃないですか、本当はね。本当に親しく付き合うって、百人の人とも大変でしょうね。一万人なんてもう気が遠くなるほど大変でしょうね。中にはそれができる人もあるんですけどね。でも、大変だと思いますよね。だから、もっともっと数が少なくてもいいんですよね。直接助け合える人なんてごくわずかでも、またその人が関節的にでも他の人とつながって助けてくれますよね。だから、本当に心の波の合う人同士がしっかりと助け合えば、幸せというのは絶対崩れないですね。


徳の人

 皆さんも感謝に生きて徳がいっぱいあるでしょう、徳の人ですよね。違うという人はいてますか、違うという人は謙虚とちがうのですよ。感謝に生きはじめたら神さまの徳をいっぱいもらうんですね。先ず、守護霊さん、守護神さんから徳をいっぱいいただきますよね。宇宙の大神さままでいかなくてもね。守護霊さんが如何に働きやすいか、想像を絶するぐらい働きやすい。ちょっと感謝に入りだしたら、それで守護霊さんは大喜びね。そして不思議なことをいっぱい起してプレゼントをいっぱい与えてくるんですよ。

 最初は、守護霊さんの働きね、いろんな不思議なことや奇跡が起こるのはね。もう一つ感謝を積み重ねると、今度は守護神さんが働くの、プレゼントをいっぱい与えてくれるのね。守護神さんの働きは表面のつまらんものじゃないね、心を大きく変えてくるね。中からゴソッと、思いの心から感謝の心へ置き換えてくれるね。そうすると気づきが増えて感謝が深くなる、神さまを感じやすくなるでしょう。その次は宇宙の大神さま直々に現れるんですよ。宇宙の大神さまが現れると凄いですよね。みんな輝いて見えてくるのね。「みんな無限に無限に輝いている」という姿を感じさせてくれるようになってくるでしょう。だから、感謝に生きる人が本当の徳を積む生き方をするんですよね。 だから、本当にこの世の財産とかこの世の物なんかは必要ないんですよね。


私有財産はみんなの借金

 西郷さんが「子孫には美田を残さず」という有名な言葉を残されてますけど、財産を残したがために、兄弟が争いをしたり、遺産争いをするでしょう、それだけでも不幸ですよね。本当は譲り合えばいいのに、必要な人に譲ってしまえばいいのに。なんか得したように錯覚するんですね。親からの遺産でも借金なんですよ。だから、親が先ず財産をつくってるということが高利の借金を積み重ねたということなんですよ。本当の徳のある人は財産は別につくらなくてもいいんですね。 自分の私有財産をつくったということは、みんなからの借金なんです。それを沢山持ってるということは、大きい借金を積み重ねたということなのね。それで、それを受け継いだら、もう一つ借金をするんですよ。根本はそういう考えが正しいんですね。

 だから、預かったもの、財産でも何でもそうですけど、「預かったものは神さまからの預かりもの」というふうに受け直さないといけないですね。そしたら思いが、マイナスが消されるんですね。その時は神さまから新たに受け直す心でしょう。感謝で受けてるから、過去のものを預かったんじゃないんですね、新たに神さまから必要なものとして与えられた財産ですね。別個なんですよ、この時は。親から引き継いだ財産じゃないんですよ、神さまから直接に受け直した財産になる。同じように思うでしょうけど違うんですよ、その時はね。ガラッと置き換わってしまうんです。だから、マイナスが消えるんです、光り輝いてくるね。だから、どんなものも自分のものとして持ってるのはマイナスなんです。「神さまからの預かりもの」ですよね。「神さまから今新たに新たに預かってる」という受け方がいいですね。そうすると光輝いた姿で与えてもらえるね。そういうものは全部プラスに生かして使えますよね。

 普通、宝くじが当たったら、当たる前はいいことに使うというんですよ、みんなそうですね。当たった途端に心が変わるんです、てき面に変わるんですよ。当たったら即、いろんな思いをいっぱい背負うんですね。心が変わって狂ってしまうんです。今度は「寄付する」と言ってても寄付ができなくなる。投げ出せなくなる、掴んでしまうね、やっぱり。大体そんなものですね。 お金儲けをしていいことに使おうと思うでしょう。本当はお金儲けをしすぎた時はできなくなるね。


無理はしなくても良い

 儲からない時のほうがいいことに使える。だから、いいことをしたい時は一食抜くんです。一食抜いて、その食事代を貯めてそれに使うのね。そうすると一番いいことに使えるはずなのね。そういうのが、本当はボランティア的な働きがあるんですよね。「儲けて」というのはちょっと良くないですね。今あるものでちょっと割いて、自分を犠牲にしてでもちょっと割いて使うというと、本当の働きをするお金になりますよね。

 だから、あまり無理はせんでもいいんですよね。本当の働きはもっと感謝を深めて、神さまの大きい働き、光を振り撒く働きを自分を通してしてもらえばいいですね。肉体的に一所懸命働いて、お金を儲けて、いっぱい働いてというのはあまりプラスにならないですね。自分一人がしても駄目なんですね。みんなが少しずつ平等にすればいい。

 お金が沢山あったら何か大きい働きができそうに思うのですけど、そうじゃないですね、人の分を奪ってしまうかもしれないですね。だから一寸でいいんです、一寸お手伝いをすればいいね。 「神さまのお手伝い」というのも同じなんですね。無理はしなくていいの、一寸でいいんです、一寸でね。ただ、自分がしっかり働いてさせてもらうほうがいいですね。一食抜いて、たまにはいいですよ、断食も。そのぐらいだと大きく生かして使ってもらえるね。


先ず、自分が感謝に生きる

 でも、考え方ってやっぱり違うでしょう。感謝に生きる時の考えと、思いに生きている時の考えって全く正反対なんですよ、価値観が全部反対になるのね。 だから、感謝に生きる人がいくら「これが正しい」と言っても、思いに生きる人にはわからないのね、逆に見るね。すれ違うの、全く合わないのね。説得してもしきれない、そんなんできないですね。考えが違うんです、正反対でね。だから波の合わない人を相手にしても意味ないですよね。

 人を助けるんだ助けるんだって力んでも駄目ですね。自分がしっかりと感謝を深めて心を神さまに向けていけば、神さまが自分を先に救ってくださるでしょう。次に自分を通して神さまが、時期がきて、必要な人を救いあげてくるね。 神さまが全体をよく見通して、一人一人の救われる時期もちゃんと見通して、そして的確な助けを与え続けるのね。その「神さまのお手伝い」という形がいいですね。神さまが自分を通して順番に人を幸せにしてくださるという見方でね。だから、波が合わないとできないですね。

 だから、自分はもう神さまにしっかりと感謝して、神さまのお手伝いをさせていただこうと準備さえしておけば、順番に波の合う人を幸せにしてくださるね。これを無理に焦っていろいろしてしまうと逆になるのね。時期を間違ったらおかしいですね。だから、自然に任せたら一番うまくいくんですね。「自然に」というのも何もしないのじゃないですよ、自然にチャンスがあるんですね。人に「ありがとうございます」をすすめるのでもそうですよね、自然な中でスッと伝わるのね、一言でいいのね。だから無理に押し付けんでいいですよね。「ありがとうございます」の言葉も必要な人にはスッと入るんですね。必要のない人に与えると反発するんですね。反発するところまで行かなくても、受入れることはできないですね、まだ時期がきてないってね。そしたら何もしなくてもいいんじゃないんですよ、しっかりするんですよ「ありがとうございます」を唱えてね。自分を変えるほうがいいんです、自分をしっかり変えていくほうがいいのね。人を変える前に自分を変えるんですよね。


先祖ではなく自分

 一部でもありましたけど「よく先祖から受け継いだものが‥‥」と言うんですね。先祖の所為にするのは駄目なんですよ。先祖が祟ってるとか言ってよく悩み相談に来る人もあるんですけど。違うんですね、やっぱり自分なんですね。「過去世の自分」という見方だと、全部自分に責任がきますよね。そうしたら、自分一人が変わればいいのね、自分一人が悟ればみんな悟るのね。それが正しい本当の生き方ですよね。 「自分が変わればいい」というのがね。これだと楽なんですよ、必ず変化するんです。

 本当に人を変えるなんて不可能ですよね、絶対不可能ね。「人の心を変えてあげよう」なんておかしいですね、変わらないですよ。自分の心が変えられる人でも、人の心は無理なんです。人は勝手に変わってくるんです。 自分が自由に心を変えて、どういう番組にでも合わせられる本当の自由な心に戻ればいいですよね。その時は自分の心が変わっただけで、人を変えたんじゃないんですよね、本当はね。どういう番組になっても、自分の心が変化しただけよね。そして見てる番組が変わったというだけでしょう。

 みんなちょっとここで錯覚するところがありますよね。 でも、この辺の原理がちょっとわかるだけで楽になるんですね。ただお祈りさえすれば全部変わりますからね。「責任が全部ある」という立場が神さまとピタッと波長が合ってますね。そうすると、神さまの助けがスッと入ります、必ずね。 だから、一番やさしい方法なんです、これがね。「ありがとうございます」を唱えて自分の心をしっかりと変えていけばいいというだけがね。


みんな無限の徳を頂いている

 「徳」という意味は今お話したそういう意味で、皆さんはもう既に無限の無限の徳をいただいてる。その徳も自分の徳じゃなしに、「みんなの共通の徳」というふうにみればいいですね。「自分一人の徳」というと、また小さくなるんですよね。「みんな共通の徳」と言えば、自分が徳を受け損なった時でも、みんなの徳をまた与え返されるのね。共有財産にするといい。 神さまのほうは、無限の無限の徳というんですけど、もっと大きいですね。無限の無限の徳が無限に無限に一杯で、更に無限に無限に一杯になりますんで、なんぼでも徳は降ろしてもらえるから徳切れはないですね。 その徳をみんなで共有すればいい。だから、本当は徳の無い人はいないんですね。「みんな徳のある人」という見方で感謝して与え合えばいいですね。 そしたら、なんでみんな不幸になるんでしょうね。困ることは何もないのにね。不景気なんて考えられないですね、そんな言葉はどっから出てくるんですかね、というぐらいね。

 農作物でも本当は有り余るぐらいつくれるはずなんですね。お金儲けを考えずにみんな一所懸命畑仕事をすればいいんでしょう。必要な量の十倍ぐらいはつくれますよね。昔のような手作業で一所懸命手作業をしたら、それはもう凄い量がとれるはずなんですね。食糧危機なんかは嘘みたいに消えますよね。一番楽しい幸せな生き方なんだと思うのですけどね。農薬も使わずに自然と調和した生き方で、自然循環の生き方でいろんなものをつくれば、プラスばっかしになるはずなんですよね。でも、段々とそういう人が増えてくるでしょうね。みんな時間をもてあましているでしょう、今ね。畑仕事が一番幸せなんですよね。


子供の徳とは

 小さい子がそれを味合わないといけないですけどね。幼稚園や小学校の子供がそれを味わうと、ガラッと変わってくるはずなんですけどね。親不孝をする子って、みんな親の生き方が間違ってるってよくわかるはずなんですけど。親が仕事をさせずに甘やかせて、おもちゃをいっぱい買って与えてるんですね。そうすると子供が親不孝をするんですね。子供に徳の貯金を無駄遣いさせているんですよ、必要なことに使うのだったらいいのにね。その上に、親のマイナスの思いをいっぱいかぶせるんでしょう、子供がおかしくならなかったら嘘なのね。だから、子供には仕事をいっぱいさせないと駄目ですね。親のお手伝いをいっぱいさせて、仕事をいっぱいさせて働く喜びを味あわせたら、子供は絶対徳を失わないですね。自分の食べるぐらい、食い扶持は自分で働いてつくってますもんね、徳は消えないですね。もっと働こうとして徳を積みますよね。そしたら、立派になるしかないですね。

 学校で勉強するのは要らんのですよ、本当は。知識をつけるだけじゃ駄目ですね。本当に必要なものだったらいいんですけど。それは、本当に必要な勉強っていうのは、働く場で必要性が生れますよね。働く場で身につける知識・知恵、これが一番大事で、生きたものとして身に付くんですよね。先ず、働かすことですね、そこでいろいろ学ばせて本当に必要な知恵や知識は何かって、自分で探させて身に付けたら、ちゃんと身に付くのね。これからは、小さい子が大きい働きをしてきますよ。立派な魂の子がいっぱい生まれてきて、本当の働きをするように変わってきますね。だから、しっかり働かせてあげてくださいね、働くほうを与えないと駄目ですよね。宝の持ち腐れになる。働くのを喜ぶ子がいっぱい出てきたら、本当の力を発揮してくれますよね。

 本当は小学校へ行ってるのもボロ校舎がいいと思うんですけどね、ホッタテ小屋が。プレハブのホッタテ小屋がいいと思うんですけど。場合によったらテントでもいいんですね。自分等でテントを張らせてそこを教室にすればいいんです、本当はね。 山の木を切ってきて自分等で組み立てたらいいんですね。最高に輝いた校舎になるんですけどね。自分等の手でつくったのが輝くんですね。

 税金をつかって、沢山のお金をかけてつくったものは、思いでいっぱいで真っ黒けになるんです。可哀相にね。神さまの光が届かない真っ黒けのところで勉強するんですよ。それで「立派になりなさい」というたら可哀相ですね。だから、自然の中のほうがいいですね、青空天井の下で勉強するほうがいいかもしれないですね。一教室に百人ぐらいでもいいんですね、多いほうがいいんですよ。二十人や三十人って少ないですね。大勢で、もみ合ったほうが早く磨かれるの。子供に負担を掛けない、先生を大勢雇わなくて済むじゃないですか。 子供同士のほうがお互いに助け合えるんですよね。先生が生徒の全部を面倒みるのは駄目ですね。子供同士がお互いに助け合わないとね。 上級生が下級生を全部面倒をみればいいのね、今そういうシステムがなくなりましたね。みんなバラバラでしょう。


日本の良いならわしを見直す

 柔道とか日本のああいう武道は、順番に上の人が下の人の面倒をみて指導していくというのがまだ残ってますけど、その方がいいんですよ。上から教えられて、今度は自分が下の子を教えて面倒をみるというと、自分が早く立派になれるんですね。それを順番にずーっとして上がっていくんですね。

 だから、もう一回昔からのそういういい慣わし、そういうのをもう一回取り戻さないとね。いいものはいいんですよね、間違ってるのは間違ってるんですね。いいものと悪いもの、間違いとの区別をはっきりつければ、いいものをどんどん取り入れたらいいんですよね。「本物と偽物」ってありますよね、本物をどんどん引っ張り出さないと、そういうのを集めてみんなに伝えていかないとね。 本物が大勢集まったら強いですよね、発言力が出ますよね。一人だと弱いですね、遠慮しますから本物の人はね。みんなで本物を沢山集めて、それで世界を発信していくぐらいの大きい働きになればね。


本物の時代

 今回の惟喬親王祭で本物を集めて世界に発信するという一つの目的で、神さまの計画の一つなんですけど。第一回目、集まりがあったんですけど。これは、これからはもっと各分野で、各ジャンルで集まりがあればいいですね。太鼓を叩きたい人は、太鼓ばっかり集めたらいいんですよ。本物の太鼓がいっぱい集まって、そして太鼓を通して本物を発信すれば、世界に太鼓が鳴り響くんですよ。凄い神さまの光が届くと思うんですけどね。雷さんの叩く太鼓よりも大きい音が出るかもしれない。

 そういうふうに、ジャンル毎にすればいろんな集まりがいっぱい生れるでしょう。そうすると、これから世界を大きく変えていく意味の、大きい力になりますよね。 漫画を書く人だったら、漫画を書く人がいっぱい集まればいいですね。どういう漫画を書こうかって、本物をね、やっぱり漫画にも本物がありますよね。 絵を描く人は絵を描くく人で、より本物の絵を描くく人が集まればね。 柔道をする人は、本当の柔道とは何かって、本物の柔道を目指す人が集まれば素晴しい柔道大会ができますよね。 だから、一人一人の持ち味を全部生かして、つながりをつけていけたらいいでしょうね。 では、何か後、質問があればなんでも。




「働く」という事

質問:
 「働く」ということですが。体を動かす働きとか、頭を使うということがあります。傍が楽になるということをすればいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 「働く」とは、かたわらを楽にする、かたわらを幸せにするという意味でね。「楽」という字が、自由にするという意味ですね、みんなを自由自在にしてあげるというのが一番の幸せなんですね。 「楽しい」という字は「楽」と書きますね、漢字でみると「白」に「チョンチョン」となってるでしょう。あれも‘純白の光が燦然と輝く’という意味ですね。「木」というのは、永遠の命の象徴なんですよね。神さまの命が燦然と輝く、これも「楽しい」という漢字の意味ですよね。 「楽しい」というのも、手が掌(たなごころ)の「た」ですが、手が伸び伸びとする、楽しい・伸ばすという意味です、楽しいというのもね。だから、自由が出てくると楽しいんですよね。 だから「働く」というのでも「人を自由自在に変える」という意味ですね、縛らないという意味ですね。伸び伸びさせるという、これが一番の幸せの条件ですね。


神さまを感じた時

質問:
 ありがとうございますがはじめて神さまを感じられた時のきっかけと、最初にどう思われたのかをお聞きしたい。

ありがとうございます:
 神さまの感じ方はどんどん変化しますよね。小さい時は、やっぱりいろんな形に執われますね。 いろんな守護霊さんの姿をみせてくれたり、いろんな神さまの姿をみせてくれたりするんですけど。やっぱりどうしても形に執われやすかったですね、小さい時はね。 いろんな神さまは声に出して声でいろいろ伝えてくれるのも、やっぱり形ですね、執われるんですね。でも、いろんな個別霊に、個別の神さまに心を向けてる間は、やっぱり振り回されますね。

 だから、私を指導してくれた神さまは「根本の神さまに心を向けなさい」と先ず指導してくれたのね。また、形の上でも私の家には神棚にいろんな神さまをいっぱい祭ってあったんですよ、形の上でもね。 御不動様も、観音様も、お稲荷様もって、天照大御神さまもって、大変ですよ、あれ。 ある時ね、出てきた神さまが冗談めかしに言うんですよね。「観音様はお前達が他の神さまに心を向けてるから、遠慮して‘お不動さんが護ってるから絶対大丈夫やから’ってちょっと遠慮してるよ」って、はははは。「お稲荷さんもそうだよ」とか言ってね。そうするとね、みんなの神さまに平等に一所懸命感謝してと思うでしょう、逆になるんですね。すればするほど、みんな神さまは謙虚で遠慮しはじめて、結局誰も護ってくれなかったらどないなるんでしょう。(笑)

 それでね「唯一つの神さまに心を向けたほうがいいよ」というふうにね。だから、唯一無二絶対の神さまですよね、全部を束ねる神さま、そこにさえ心を向けたら、みんな分身の神さまだから必要な時にはサッと助けにくるよ、というのね。それが一番私にとったら大きいプラスのアドバイスだったですね。それから、やっぱり「ありがとうございます」ですね。そして、その神さまの感じ方が、全体を一つに見るような感じ方に変わったんですね。「個別の神さま」って執われないですね。本当の神さまから、必要だったら必要なアドバイスもくるし、どんな助けもくるんだという見方ですね。だから振り回されなくなったんです、それから。何を言われても動じなくなった。 それで、段々と全体が光り輝くような感じ方をさせてもらって、そして「宇宙の大神さまの現われ」というほうがいいですね、みんなね。「みんな神さまの現われ」という見方ができるほうがいいんですよね。 みんな形に執われるとバラバラにみますから、別個というふうにみがちなので、みんな神さまの現れって、一つの神さまの現われというほうがいいですね。そうすると心が動かなくなる、後は、神さまの輝きを強く感じるようになればいいだけ。

 だから、感謝を深めてその輝きがどんどん強くなってるんですね、今もどんどん強くなるんですけど。 最初は、やっぱり形に執われた見方で、段々と見方を変えてもらったんですね。これは、宇宙の大神さまがいろんな形を現しては自由自在に必要な助けとして導いてくださったと思うのね。だから、あんまり執われないほうがいいよ、枝葉にはね。「唯一つの神さま」と見ている方がね。すると必ず的確に必要な助けが必ずきますからね。その感じ方はみんな違ってもいいんですね。 大きい太陽みたいな光をパッと見せてもらった人もあるね。それはそれでいいのね、でもそれが全てじゃないですね、それも一つの神さまの導き方ですよね。 また、いろんな形のある姿を見せてくれる時もありますよね、それも必要な時はそれでいいのね。「全部が神さまからの現われ」というふうに見てたら必要な導きも助けもありますからね。 でも、今もどんどん変わってるんです、はははは。今の方が変化が激しいかもしれない。


純白は最高の色

質問者:
 ありがとうございますはさっき白いと言われましたけど、白や赤、色には何かあるのですか。

ありがとうございます:
 ありますね。根本はやっぱり純白ですね。純白が分かれるんですね、光がね。 枝葉になるほど分かれた光ですよね。だから、純白へ心を向けて、光の分れを楽しむような見方で受けたほうがいいみたいですね。 感謝は特に全体を束ねる生き方ですから、純白に変わってきますね、みんなね。いろんな光があってもそこに純白が加わると明るい色合いに変わって、やっぱり純白になっていきますね。

 本当の「個性」って、色合いでいうといろんな色合いがあるんですけど。本当は、奥の本体の自分は純白なんです。純白だから自由自在に、その時に必要な働きができるのね。全体にとって必要な働きは一瞬一瞬変わってもいいんですね。今、赤を現わすのが必要だったら、赤をサッと出せるのね。次に青が必要だったら青をサッと出せるのね。これが本当の個性なんですね。個性って限定されてないんです、奥の自分にとったら純白で自由自在なんです。いつでもなんでもできるというのが本当の個性としてあるんですね。 そして、必要な時に、全体にとって必要な働きをスッとする、果たせる。それが本当の個性ね。

 だから、みんな奥では平等ですね。赤だったら赤をずーっとしなきゃならないかって、違うんです。色合いが違ってしまったら不平等ですもんね。奥は純白というのがいいですね。それで、表面に出てきた時に、その時に必要な働きをお互いに役割を分け合うのね。 それも、黒い方に変わるぐらいがいいですからね、どんな色でも順番に果たせるのがいいかもしれないですね。この一生なんて短いでしょう。この一生で果たせる役割なんてちょっとでいいんですね。

質問者:
 このお軸の説明をちょっとしていただきたいんですけど。

ありがとうございます:
 これは五井先生の直筆ですよね。これからもの凄い光が出てるんですよ。古いものですけどね。 不思議と自然とスーッとこっちにきてくださったような感じで、いただいているんですけど。私が直接もらったんじゃないですからね。古い信者さんがもらったのを順番にズーッと通ってここへきてますけどね。 それもやっぱり必要なところへスッとくるんですね、神計いでという感じですね。 いい字ですね、これね。別に私は欲しいと言ったんじゃないんですけど、はははは。ここへ来たいと言うて飛んで来たみたいですよ。


どんな型にも執われない

質問:
 ありがとうございますは礼拝とか特定の型には執われないで?

ありがとうございます:
 なんにもしないです。私も何にもしないです、こっちにも向かないです。皆さんの方に向いてるでしょう、皆さんを神さまと思って拝んでるだけでしょう。だから「全部を神さま」と拝むだけでしょう。だから、どっちも向かないですね、どっちに向いてもいいんです「みんな神さま」という受け方をしてますから。形の対象というのはないんです、私は。

参加者:
 瞑想の時間に何を考えていらっしゃるのですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」という言葉を唱えるより「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」という感じ方ですね。一瞬一瞬新たな感じ方をズーッと続けてる感じですね。「みんな無限に無限に輝いている」という受け方をずーっとしてるんです。過去を一切掴まない新たな無限の輝きだけをしっかり受けるという感じでね。 祈り言葉もあまり執われてないですね。唱える時もあるし、唱えてない時もあるし、それよりも神さまを感じてるという感じでね、感じ続けるというだけを大事にしますね。 だから、寝てても覚めててもなんでもいいんです、横になってても何をしててもいいんです、自由自在で。

質問者:
 最初は型から入ることをなさいましたか。

ありがとうございます:
 いや、型は破った方がいいですね。最初から型を破った方がいいですね、修行したら駄目ですよ。修行にはまったら駄目なんです、型破りのほうがいいですよ。後は自然に戻りますね「ありがとうございます」の一言を持ってたらね。

参加者:
 唱える場所や時間なども?

ありがとうございます:
 それも自然にね、関係ないですね。

参加者:
 電車の中であろうが。

ありがとうございます:
 はい、どこでもいいですね。

 ありがとうございます。







ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神さまですよ。そういう意味だったら本物の神さまが必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神さまから来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神さまの教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神さまの教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神さまの働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神さまの働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神さまの助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神さまの本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神さまはどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神さまじゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神さまだけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神さまがみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神さまの働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神さまと一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神さまと一体なのです。本物の神さまの現われと見るんだったら「みんな天照大御神さま」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神さま、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神さまが入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神さまでないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神さまが働いている、本当の神さまのいわば分身として、すべての神さまが助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神さまに力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神さまを試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神さまの救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神さまの命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神さまの宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神さまの働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神さまに助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神さまから命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神さまの本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神さまの方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神さまは微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神さまの願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神さまへの全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神さまにお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神さまの光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神さまの譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神さまの愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神さまの最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神さまの大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神さまの絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神さまは全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神さまから加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神さまに加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神さまは「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神さまのプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神さまの助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神さまの深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神さまは戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神さまは放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神さまを悪者にしてしまうね。「神さまの御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神さまの御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神さまの御心のままにとは言えないのね。何%かの神さまの御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神さまの御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神さまのお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神さまのもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神さまやね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神さまへのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神さまが創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神さまが作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。