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ありがとうございます。それでは「古神道」についてお話させていただこうと思います。

 みなさん「古神道」ってご存知ですか、聞かれたことはありますよね。ただ、この古神道というのも本物と偽物があるんですよね。

 本当の古神道は本物を指してるのね。本物というのは、神様のことですよね。だから「古い」という言葉は「口」の上に「十」と書くでしょう。過去・現在・未来の「過去」じゃなしに、口を超えて超越して縦横無尽の働きをしてるという意味で「古」と使うのね。だから「真実の実在」と言ってもいいんです、古神道をね「本当の神様」という意味でもあるのね。それはどういうものかというのを説明していきたいのですけど。

 普通「古神道」は宗教の一部に考えるのですけど、そうじゃないんです。宗教も含めて全部を中に包容するのが古神道ですね。宗教的に見る見方もあるんですけど、これは過去の神道の古い時代の神道なんだという感じですよね。でも、本当の古神道はそうじゃないですね、全てを包容するものなんですね。

 科学も芸術もありとあらゆる全部を中に持ってる本当の働きを「古神道」というふうに見ていくんですね。

 この世の宇宙を眺めてても不思議なことがいっぱいでしょう、不思議で不思議でたまらないものですよね。いつどうして、どのように生まれたのかってわからないですよね。この世の宇宙だけでも不思議なんですよね。でも、この世が全てじゃないんですね、まだまだ無限にいっぱい違う宇宙がいっぱいあるんですね。

 それを全部、中にひっくるめないとわからないです。だから、不思議の上に無限の不思議が無限にあるという感じで、そのぐらい本当の神さまの存在というのは、もうわからないことばっかしだと思うんですね。

 古神道が本当にわかるというのは、感謝を無限に無限に深めないと感じ取れないんです。

 普通、この世で「思いを自分の心」というふうに考えて見ていると、思いの心では全体をとらえることは不可能ですね。どうしても小さいものを掴んでしまうね、時間的に見ても、今の時間だけを掴んでしまうという感じですよね。だから「全体を掴む」というのが古神道を知る上で一番大事なことなんですね。

 その「全体」というのは、全てを包容した全体ね、全ての全てなる全体なんですけど。それがどういうものかというね、考えれば考えるほどわからなくなるでしょう。本当はそうなんですよ、考えたらわからなくなるね。考えることを止めて、思いを全部捨てて、何も無い状態になったらスッと湧いてくるような感じで、甦るようにわかってくる、わからせてもらうんですよね


 「宇宙」という言葉は、時間と空間という意味ですよね。それを組み合わせてできたのが「宇宙」というのね。「世界」も同じような感じね。

 「宇宙」の方は、「宇」が空間ですよね「宙」が時間ですね。

 「世界」の方は、「世」が時間で「界」が空間ですよね。

 「宇宙」も「世界」も時間と空間の組み合わせで生まれてる。時間と空間は神様の絶対の中から相対の両極として生まれてくるね。それが組み合わさって宇宙、世界というふうに生まれるんですね。

 その神さまというのは、絶対の働きが一番奥にあって、その中にすべてが混然一つに融け合ってるんですね。もう全てが揃ってるという感じですね。その中にあるものが両方に振り分けられる、相対の両極に振り分けられて、それが螺旋状に組み合わさってすべてのものが生み出されてくるね。

 その宇宙の創造もいつ始まったかというようなとらえかたじゃ駄目なんです。時間を超えてるんですね。

 「今の一瞬」という「今」の中に、過去・現在・未来、全部揃った時間が新たに新たに生まれてくるという感覚でないとわからないですね。だから「宇宙の始まりはいつか」と言われる質問が出たときに、思いの心は無限億万年前かなというような感じで言うんだけど、そうじゃないですね。

 本当の宇宙の始まりは今であり、完成も今なのね。その一瞬一瞬が宇宙創造の始まりであり、完成の連続という感じで。ただ、それはあまりにも大き過ぎますよね。「今」の中に全ての時間が含まれて、「今」の中に、今ここに全ての空間が含まれているという感じでね。

 阿保(あほ)になってもらわないとわからないですよ。考えだすと矛盾だらけかも知れん、はははは。

 先ず、神さまは「光と闇」と分かれたときは「光」が神さまの本質ですよね。そして、その光の表現をとるというふうに考えたら、宇宙が光の表現の姿をとってるのね。ただ、その時に、光の表現をどういうふうに例えるかですよね。丁度、模型的に考えましたら――

 太陽があって、月があって、地球があるという、この三つを一つに見る見方とか、また、三つを別々の働きとしてとらえる見方とか、いろんな見方があるでしょう。神さまの本当の働きは、光を天照大御神様というふうに見て、光の極点、光源というふうに見るんですね。そこから光が放射されて、月には光は反射されて地球へ送られてきますよね。光を受けて反射する働きと、また地球のように光を受けるだけという働きと、古事記の中には、この天照大御神様と月讀命と須佐之男命というふうに、そういう神様の名前を現わして、働きを現わして模型として太陽・月・地球というふうに三つの模型を持ってくるわけですね。

 その時にね、どういうとらえ方が一番全体をとらえてる生き方かというのね。

 神さまは光だから、太陽だからという感じで、天照大御神様だけがというふうにとらえると、光は無限に無限にあってまぶしいばっかしですよね。それもまあ素晴らしいんです。でも、光の味わいというのは少ないですね。大きい光だけがあるという感覚になるのね。

 そして、その闇の中へ中にお月さんを持ってくると、また全然変ってくるでしょう。月は満ち欠けがあって、いろんな光の状態で闇を照らしてくださるという。

 だから、太陽の光と、月の光と、この両方の光が一つに、一元に、光一元にというふうに見るときに、太陽だけの光のときよりも、月が加わったときの光の姿というのは無限の変化が生まれてくるのね。これは光の表現としては、やっぱり素晴らしいものになってくるでしょう。その光を地球という場で受け取る。

 この三つ(太陽・月・地球)を一つに見る見方が、やはり古神道の生き方なんですね、姿なんですよね。

 また、神さまは「無限の無限のチャンネルの番組」を生み出しているというのでも、無限の無限のチャンネルというのは、もの凄いチャンネルの数ですよね。この世も一つのチャンネルですよね、その一つのチャンネルが、また細かく分けると無限に分かれてるという。あの世には無限のチャンネルがあって、それぞれのチャンネルが無限にまた細かく分かれてるという。その全部を総括して「無限の無限のチャンネルの番組」と言うんですけどね。

 神さまは、その無限の無限のチャンネルの番組を一瞬一瞬新たに生み出して送り出してくるね、与え続けてくるんですけど。

 その時にね、何が本物かというと、やっぱり、一番上の番組が本物なんですね。部分部分を眺めたときはね、やっぱり一番下が地獄のどん底なんです。一番上の番組が極楽の最高なんですね。だからどちらが本物かと言うと、極楽の方が本物なんですね。だから、この世では地獄に近いところもあるし、極楽に近いところもあるしってね、いろんな状態ですよね。だから、全体から眺めると中間点ぐらいですね。

 それで、この世で「より本物」というと、やっぱり極楽世界に近づいて行かないといけないですね。

 この世の極楽はまだまだ低いんですよね。あの世に、まだこの世の極楽以上の極楽番組が無限にあるんですね。より極楽を求めてそれを現実化して行くという生き方が大事になってきますよね。

 本物になって行くというのでも、もうピンからキリまであるんですね。だから「より本物に、より本物に」という生き方で最高の極楽を求めて、それを現実化しようとして行くのね。

 ただね、その最高の極楽と、他の状態を比較して「ああ、これこそ本物」と言っても、やっぱり一つの部分的な本物なんですね。神さまの側から見ると、その部分的な最高の番組だけでは駄目だと言うのね。無限の無限のチャンネル全部を包容した本当の極楽が大事なんだと言うのね。それでないと無駄なことはしないですね、神さまはね。最高の極楽一つでいいんですね、最初からね。わざわざ無限の無限のチャンネルの番組を創る必要はないんですね。だから、その一つ一つの番組自体が、神さまの最高傑作になってるね。

 だから、地獄のどん底の一番下の番組までも最高傑作なんですよね。ただ、その受け方によっては、マイナスに見たり、プラスに見たりするだけの話でね。本当は、神さまの側から見ると、全部の番組を素晴らしいように見て欲しい。ただ、見方によったら、いろんな見違いがいっぱいあるわけですね。

 それでいて、尚且つ全体を一つに見るような見方で、全ての番組を眺めて欲しいのね。だから、全体をとらえるというのが易しいようで難しいと思いますよ。

 肉眼だけを開いてこの世だけを見ている人にとったら、あの世は全然わからないですもんね。ましてや、無限の無限のチャンネルがあるなんて想像もつかないですね。

 丁度「群盲、象を評す」という例えがありますけどね。目の見えない人が象のお腹をさすって「ああ、象は壁のようなものだ」と言うのね。足を掴んでは「ああ、ビア樽のようなものだ」と言うんでしょう。部分的には正しいんです、みんなね。でも、全体をとらえてるかというと、全然とらえられてないですね。

 神さまの姿、神さまの創った宇宙創造の姿、この全体像をとらえるって、もう難しいですね、想像を絶するんですよね。ただね、この神さまの創造の仕組みが入れ子構造になってる、ここが曲者なんですけどね。

 入れ子構造というのは相似形に順番に大きくなったり、順番に小さくなって行くんですよね。大きい宇宙を知るためには、小さい宇宙を知ればいいという。大宇宙の縮図が、例えば太陽系であったり、また地球であったり、またこの人体であったり、また一個の細胞であったり、一個の原子であったりするわけですね。みんな相似形の姿をとって無限に小さくも、無限に大きくもなって行くという入れ子構造なんですね。

 その入れ子構造であることによって、推理力を働かして全体像をとらえやすい。

 地球を見れば宇宙の仕組みもよくわかる、この人体の小宇宙を見れば、宇宙の仕組みがよくわかるというのね。ただ、それは一つの模型として推理しやすいんですよね。そういう意味で、全体像をとらえようとしていくんですね。推理小説の好きな人は、はははは。犯人は誰かって神さまを探さないといかん。

 空間的にはそういうふうに入れ子構造の宇宙が無限に小さくも、無限に大きくも、これも無限に連なってるというのね。ちょっと、頭がおかしくなりません? はははは、でも本当はそうなんですよ、本当の真実の姿というのはね。神様のことは、もう掴みどころがないですね、本当にね。

 光でもそうですよね、「神さまの光」と考えても、太陽の光なんて消えてしまうぐらい、もう芥子粒のように消えるんですね。本当の神さまの光の、ちょっと大きなのに触れるだけでね。だから「無限の光」って凄い光でしょう、太陽どころじゃないですよね。それを無限に集めたら無限の無限の光ですよね。そこでもう想像を絶するんですよね。それが一方向からくるんじゃないですね、全方向からくると、それが「無限に無限に」なるんですね。だから「無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯!」というのが、もしそれが想像できて感じられたら、神さまの天照大御神様の姿をちょっと現わしてるというのね。でも、それが全部じゃないみたいですね、まだ「奥が奥が」って、あるというのね。そのぐらい神さまは無限の幸せをいっぱい与え続けてくる。ただ、それを受け取ってるかどうかは別なんですね、厳然とあるのは事実なんです、真実なんですね。ただ、それを受け取ってるかどうかは、一人一人全部違うのね。

 「古神道」というのは、そういう大きい神さまの働きの全体像を指してるのね。もう、幸せを無限に無限に与え続けている姿をとってるのね。だから、本物なのね、真実なんです。

 宗教的にね、教祖が出てきて教えを説いて「神さまとはこういうものだ」と言っても、そういうのとはもう全然次元が違うんです。教祖が出てきて教えを説いたから宇宙が生まれたのでも、太陽ができたのでも、地球が誕生したのでもないんですね。そういうものとは無関係ね、もう最初からあるものなんです、永遠にあり続けるものなんですね。これが「古神道」よね。

 だから、天から降るように、降り続けるようにあるものが、まあ、「古(ふる)」という降るですね、「神」というのは、神様の働きの全部を現わすんですよね。これは、絶対の働き、創造の働き、無限に輝いた輝く働き、神通自在な働き、そして愛の心で限定して、いろんな姿に変身する働き、この五つの働きを全部総括して、尚且つ、それが満ちて満ち渡っているってね。また、全ての存在をつなぎ合わせている。

 道路の道ってそうですよね、離れているものをつなぎ合わせて全部一つにしてますよね。

 人間の体でも、細胞の一個一個、全部バラバラだったら死ぬんですよね、全部つなぎ合わされてるから生きているんですよね。必要なものが全て循環してつながっているからこそ、一つの生命体として生かされてるね。だから、全ての存在が全部つながってるんですよね。そういう一つの姿をとってて古神道ですね。

 神さまの働き、神さまそのものを「古神道」と言えるのね。だから、名前はなんでもいいんです。古神道という名前を使いたかったら使えばいいのね。「真実」と言えばその真実でいいのね「本物」と言えば本物でいいですよね。

 あまり「古神道」と言うと宗教臭くなって困るんですね。「本物」というぐらいがいいかも知れないですね。「古神道とは本物」と言えばいいですね。「本物とは何か」本物にもやっぱりピンからキリまであるんで「より本物を、より本物を」というのがいいんでしょうね。

 でも、神さまについて語るというのは難しいでしょう。言葉を失うんですね、本当はね。語れば語るほどむなしくなってくる。でもね、本当に存在するのは神さまですね、本物なんですね。

 それで「本物の生き方ってどういう生き方か」というのでも、「これが本物」と掴んだらもう本物でなくなるのね。まだまだより本物が新たに新たに出てくるのね。

 神さまの本物は、常に新たに新たになんですね。一瞬過去でも、「これが本物」って神さまが出してくるでしょう、ところが次の一瞬別の姿で本物を出してくるでしょう。だから、過去の本物は今の本物と比べたら偽物になってしまうのね。常に、新たに新たに神様の最高表現を受け直して、より本物になるのね。

 だから、難しいんですね。この世に生きてて、肉体というこの姿に執(とら)われて、思いの心を持って、本当に過去を放せるかって、放せないですね。過去を完全に放しきっても、新たに新たに受け直す時間が一秒経ったら遅いんですね、万分の一秒でも遅いのね、億分の一秒でもまだ駄目だというのね。無限億万分の一秒でもまだもっと短い時間があるんだというんでしょう。だから、時間を超越した神さまの宇宙創造というのは、とらえてもとらえてもとらえどころが全然ないんですね。「これが本物」と掴んだとたんに本物でなくなってしまうね。

 だから、古神道でも「これが古神道」と言えないんですね。「古神道」と名乗りを上げただけで「古神道」と言っただけで偽物になってしまうね。だから何も言わない方が古神道、黙ってたほうがいい、はははは。

 無言の行、「ちょっと喋りすぎたらあきません」って、はははは。

 古神道の生き方の一番大事な点というのは「全体像を掴む」ことですよね。全体を感謝の心で、感謝の心を奮い起こして受け取るというのが感謝ですよね。できるだけ沢山の神様からの贈り物、プレゼントを受け取るというのが大事ですね、先ずね。

 だから、言葉の使い方というのが一番大事だと思いますね。「この世しかない」という言葉を使うと、この世しか受けられないね。だから「無限の無限のチャンネル、無限の無限の世界がある」というふうに言葉で、みなさんはまだ嘘と思っているかも知れないですけど、でも言葉通りになりますからね、言葉でそういうふうに思い返して「こんなプレゼントをいっぱいもらったんだ」という気持ちで感謝の練習をさせてもらうんですね。そうすると、選択肢が大きく広がりますね。自由な心になって、この世を受けるのでも限定された受け方じゃなしに、「沢山の中の、この素晴らしいもの」というふうに受けると、感謝が深くなるんですよね。それで、この世を「ありがとうございます」って、大きく全体を受けるのね。地球だけじゃ小さいですよ。銀河系宇宙でも小さい。

 だから、推理力を働かせて、この地球のような星がいっぱいあるんですよね。地球一個もらっても凄いでしょう、やっぱり無限の価値がありますよね、地球一個でもね。「これが自分のもの」と与えられたら、地球のオーナーになれば凄いですよね。この地球のような星が無限に無限にあって、それを全部神さまからのプレゼントというふうにしっかりと推理力を働かせて受けると、ありがた味が深くなる、大きくなるの。

 先ず、その感謝の心を奮い起こさないとね、「無限の無限の何々」という言葉を使いながら大きく素晴らしいプレゼントを受け取ろうとしないといけないですね。そして「ありがたい」という気持ちを深く起すことね。先ず感謝することが大事ね。

 次に、感謝の心が深くなったら今度は「報恩の心」という恩返しの心が自然に湧き出るんですよね。

 「神さまからこんなにす晴らしものをもらった、プレゼントしてもらった」という。そうしたら、神さまへ恩返しをしようという気持ちが必然的に起こりますね。本当は万分の一も恩返しはできないんですね、どんなにあがいても駄目ですね、億分の一もできない。無限億万分の一すらできないかも知れないね。でも、恩返しに生きようとするでしょう、そして自分の受けたものを全部もう一回神様にお返しするんですよね。それで、空っぽになって、また新たに受け直すのね。

 呼吸と同じでね、吸うばっかしだったら呼吸は止まるんですね。一回吸ったものを全部吐き出さないと、全部吐き出したら、また新しい空気が入るように神さまのプレゼントを大きく受けられるようになるのね。

 だから、「感謝して恩返しの心で与え尽していく、お返ししていく」この繰り返しをしているうちに、どんどん大きく受けられて、大きくお返しできるようになっていくのね。だから、「感謝と報恩の心を生きる」これが古神道の生き方なんですね。

 ただ、感謝も「本物の感謝」「本物の報恩」というのが大事なんです。本物の感謝は神さまへの感謝なんですね、与え手は神さまだけなのね。部分だけを見てると、部分的に人からもらったとか、そういう考え方も出るんですけどね。その全ての源は神さまですよね。本当は部分も神さまから見ると神さまの一部なのね。だから神さまから全部もらっているんですね、だから神さまへの感謝というのが必要ですよね、大事なんですね。

 そして「報恩行」という恩返しも全体への、神さまへの恩返し、常に全体への恩返しという生き方が必要ですよね。この「感謝」と「報恩行」がバラバラではまだ偽物なんです。感謝と報恩の行がワンセットで一つにピタッとなったときが本物になるね。神さまをバラバラに見たときは偽物なんですよ。神さまの全てを、働きを全部一つに見たときが本物なのね。

 人間の肉体一つを見るのでも、バラバラに見たときはどうします? これが頭で、これが手で、これが足でと、バラバラにしてしまって、今の西洋医学がそうですよね。部分的に並べて、その部分の病んだところだけを治そうというようないき方ですね。部分を治しても全体を殺すときがあるですよね。

 東洋医学のほうはまだ全体を見ようとしてますよね。全体を一つに見た方がいいんですね、一つの生命体としてね。

 本物の見方がそうですよね、全体を一つに見て、それで本物になるのね。バラバラになっては偽物になっていくので、感謝と報恩も一つになったときが本物になっていくのね。ちょっと離れると偽物になっていくんですよね。神さまからいろんなものを受けるのでも「ありがとうございます」を唱えてるでしょう、唱えるだけで、受けるだけで終わると偽物におちいるんですね。

 恩返しの心を起こして、自分の持ってる、受け取った全部を与え尽していくという、この報恩行があると感謝が深くなっていくのね、一瞬一瞬の感謝がね。受けたものを直ぐお返しするのがいいんですね、早く循環させる方がより本物になっていくね。

 「吸っては吐き、吸っては吐き」とあんまり忙しいと大変ですけどね。自然がいいんですよね。それぞれの場の自然がいいんですね、吸っては吐き、吸っては吐きというのはね。もっともっと速い世界もあるんですけどね、でもこの世はこの世の自然がいいんですね。自然なサイクルで、受けては返し、受けては返しという感じで。そして、感謝と報恩の行がワンセットで一つになったときが、本物の感謝であり、本物の報恩行なんですね。もう常に全体を一つに見るというのが大事ですね。

 これが古神道の生き方の大きい特徴だと思いますね。