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AR161
 「番組」というと、丁度テレビ番組と同じですよね。放送局にいろんなテレビ番組の元になるものがあって、それを電波として放射してますよね。神様の放送番組もよく似たものですね。波動として放射されてるね、だからぶつかり合わないんですね、波動が違ったらね。だから、同時にここに無限の無限のチャンネルの番組の波動があるんですね。

 だから、最初神様が、その無限の無限のチャンネルの番組を用意されて、それをみんなに平等に、どの番組を選んで見てもいいよ、というふうに与えてくださってるね。

 最初は神様と一体の自分が、その無限の無限のチャンネルの番組を与えられて、「ああ、幸せだなあ」という感じで、先ずどれを選ぶと思われます? たくさんあるんですよ、無限の無限のチャンネルですからね。

 皆さん、どれを先ず選ばれます? 先ず第一番目にね。一番下ですか? 一番上ですか? 中間ですか?

 みんな選ぶのは違うんですね。同じだったらね、人はこんなに大勢要らないんです。みんな選び方が違うんですね。だから、大勢の人がいててもいいんですね。無限の人がいてても全部選び方が違うんですね。

 そして神様が全体を大きく束ねて、その全ての幸せ、味わい方を全部神様が自分のものとして味わうようになってるんですね。

 だから、みんな最初の出発点が同じでも、後の歩みは全部違うんです。上から選ぶ人もあるし、下から選ぶ人もあるしね、中間から選ぶ人もあるし、いろいろな選び方をしてきてますね。

 ただ、無限のチャンネルでも大変ですよ、選ぶのはね。一つを選んでも一瞬で卒業ということはないですね。一つの番組を選んだだけでも何億年以上体験するんだと思いますね。

 例えば、「この世の番組」と、一つ選ぶとするでしょう。この世で何万年って住んだら早いですよね。同じ番組を何億年かけて見ないと味わい尽くせないでしょう。この宇宙全体を知り尽くすというのは難しいですね。そのぐらい一つの番組でもそこに無限に価値あるものを見出せるんですね、幸せいっぱいを発見できるんですね。だから、神様って気の遠くなるぐらいの幸せの材料をいっぱい与え続けてくださってるのね。

 でも、その一つの番組を先ず選んで、その番組の全体像はまだとらえられないの、大きすぎてね。その全体の中の小さい部分をまた選ぶんですね。この世で生きているような感じですね、自分の周りだけを見ながら、体験しながら小さい体験ですよ、それはね。それを順番に何回も何回も繰り返して体験し続けて、それで、ちょっとはこの世の番組が味わえたかなあという。皆さんはどのぐらい味わいました?

 それも、この一生で味わえるものってごく僅かなんですね。

 だから、今、人として生まれてきて、人としての立場からいろんなものを味わってるんですよね。でも、一番奥の本体の自分は、人として生まれてきて味わうだけじゃなかったんですね。

 ある時は石ころとして生まれて、石ころとして何億年じっとしてて世界を見てる場合もあるんですね。

 ある時はアメーバのような生物になって周りを見ているときもあるね。

 また、花になって世界を見てたり、動物になって見てたり、また水や風のような姿になって世界を眺めるというときもあるんですね。だから、自由自在にいろんな立場に立ってこの世界を眺めて、この一つの番組を味わって体験してきたんですね。記憶はあります?

 人間としての体験だけでもね、遠い昔のことは全部忘れてますけどね。

 でもね、人間として生れる前にそれだけ大きい体験をいっぱいしてきてるんです。それでなかったらね、人間以外のことは何もわからないんですよ。

 今、やっと人間として、また人間の立場という立場で、いろんな体験をさせていただいてるね。

 でも、これからまだどれだけ続くんでしょうね。何億年、無限億万年。

 でも、今までにいろんな番組を、まあチョッチョッと摘むぐらいですけどね、眺めてきて、それでやっと神様の無限の無限のチャンネルの中の最高番組へ心を向けようかなあという段階なんですね。

 神様は元々最高番組だけを味わって欲しいんです、一番上の番組ね、最高の極楽世界の番組を味わって欲しいんですね。ただ、最高の番組を最初に選んだ人は、やっぱり浅いとらえ方をするのね。どうしても浅くなるんですよね、いいのはいいんですけどね、やっぱり'浅いとらえ方'なんですね。だから、一旦一番下に降りるほうがいいんですね。地獄番組をちょっと味わって、それで極楽番組へ戻ると、その差が大きいほど価値が増してくるんですね。だから、いろんな番組をちょっとは体験しておかないと、極楽番組に戻っても駄目なんです。幸せが浅くなる。

 それで皆さんはいろいろ番組を選んでは、いろんな苦労もしてきてるはずなんですけど。苦労をたくさんしてきた人ほどいいんです。これから極楽番組に戻った時に幸せが大きくなる。幸せの浅い人はもう一回地獄へ戻らなんならんの。本当にそうなんですよね。

 高い世界に居てて、そこで「悟った」と自慢しても自慢にならんのですよね。一回迷ってから悟らないと値打ちがないんですよ。だから、この世に生まれてきて悟りを開いた人は偉いんですよね。それだけ悟りの価値が大きくなってるのね。最初から悟ってたらあまり価値がないですよ。

 だから、これからは極楽番組に戻るんですけどね、その戻り方が、まあいろいろあるんですね。皆さんはいろんな修行をされてきているはずなんですけど。修行をしてる間は駄目なんですよ。

 修行にはもう無限の種類があるんですね、無限の段階があるんですね。

 「修行」というと下からのぼるんですね、階段を一歩一歩のぼるような感じでのぼるんですけど、無限の階段をどうしてのぼるんですかね、のぼれないですよね。のぼったと思ってもまだ上があるんですね。

 だから、もう修行を止めないと駄目ですね。ここがポイントになるんですね。

 今まで、いろんな信仰をされている方があると思うんですけど、「悟ろう」と思っていろいろ信仰されたり修行されてるかもしれないですね。そういう人で悟った人はいらっしゃいます? 多分ね、悟れないんです。自力の修行も、他力の修行も途中で止まってしまうんですね。そうしたらどうしたらいいか、もう修行しなくなったらいいんですよ。極端ですけどね「阿保(あほ)」になることなんです。

 自力の努力や計らいを無くしてしまった時に、他からのいろんな干渉を無くしてしまった時に、奥から自然に出てくるものがあるんですね。これが本当の神様の働きね。

 この本当の神様の計らいに任せた時に悟った自分がスッと湧き上がるように出てくる。だから、今まで修行した人は邪魔をしたんですね。悟った自分の出てくるのを押さえ込んで邪魔をし続けてきたんです。

 だから、悟りたいけども悟れなかった。邪魔ばっかりしてきたのね、みんなね、努力をしてるんですけどね、無駄な努力ですよね。邪魔する努力というのをね。

 だから、最初から悟った自分をスッと受けるだけでよかったんですけどね。

 神様が人を迷わせてどうこうしようというようなね、そういう考えは元々なかったですよね。悟った人間だけを創りあげて、そしていろんな番組を自由に味わって欲しいと言われただけなんでね。誰も「迷ってる」なんておっしゃってないね。みんな神様と一体で、神様の全てを受け直して、それで一瞬一瞬輝き続けて悟った自分なんです、みんなね。

 「その悟った自分が何故迷ったのか」って、不思議ですけどね。悟った自分は迷ってないですよね、迷いようがないんですよ。ただ、迷った自分がどっかに出てきてますよね。それはね、「古い自分」なんです。

 神様が一人一人に悟った自分として与えている新しい自分ですよね。神様は一瞬一瞬新しい姿の自分を与え続けてくださってるね、それが悟った自分なのね。

 ところが古い自分はどんどんプラスが消えて行くんですね。光だったら光が消えて行くんですね。光のない自分、プラスのない自分に変化するんですね。だから迷った姿をとってしまうんですね。

 古い自分をしっかり掴んで、その古い自分を悟った状態に変えようとしてたのね。そんなんは不可能ですよ。

 例えば、呼吸がありますよね。今、スッと吸い込んだ空気は新鮮な空気ですよね、酸素がいっぱいで「ああ、気持ちがいい」って吸えますでしょう。この酸素の多い空気だったら、これは同じなんです、悟った自分と同じなんですね。これを一旦溜め込んでしまうでしょう、吐かずに溜めるんですね。そうすると段々と酸素がなくなりますね。時間の経過と共に酸素が完全になくなりますね。そうしたら酸欠状態で苦しむんですね。

 これは古いからなんですね。古くなった空気は酸素がなくなるでしょう。だから、古いのを握ると苦しくなる。もう一回吸えばいいんですけどね、吸うためには吐かないといけないですね、吐き出すというね。

 吐き出すということは、過去を放すことなんですね。今神様から受けたものを直ぐ心から放してしまうんですね。そしてまた新たに神様から受け直す。この心というのは「感謝の心」なんですね。

 「ありがとうございます」って受けて、また「ありがとうございます」って受けてってね。

 新しいものを受けたら直ぐに放して、心を神様のほうに向け直せばいいですね。だから、新たに新たに受け直し続けたら、いつも新しい自分なんですね。

 この自分はいつも悟ってる自分ね、絶対に迷うことのない自分なんですね。

 だから、修行をするのは駄目なんですよ、過去の自分を掴んで修行しようとしてるのね。

 マイナスの多い自分を掴んでプラスに変えようなんて不可能なんですね。そういう無駄な努力はもう要らないですね。後、もっと楽な生き方を選べばいいですね、楽な生き方をね。

 人ってね、「神様より偉くなりたい」というところがあるんですかね。難しいことをいっぱいして修行して悟って神様より偉くなりたいって、そんなんできないですね。

 だから、神様は最初から幸せになるための方法というのは、一番簡単でやさしい、そういうものを用意してくださってるのね。

 呼吸と同じように、自然に呼吸をさせていただくだけで幸せは永遠に続くんですね。

 だから、最後に戻るところが「ありがとうございます」という、この神様の中へ戻る生き方なんですね。

 でも、この「ありがとうございます」という言葉はどっから出てきたと思います? どこの言葉です?

 これは、この言葉の根源が宇宙の大神様なんですよね。宇宙の大神様の働きの全体を指し示す言霊からくるんです。そこから、この「ありがとうございます」という言葉が生まれてきてるんですね。元々「宇宙語」なんです、世界共通語「大和言葉」なんです。

 「大和・やまと」というのは、一大調和と、大調和の大和(だいわ)の大和(やまと)なんですね。

 神様の御心の中に、一大調和の姿があるんですね。それを現わすための言霊が「大和言葉」ね。

 日本の、島国日本の言葉じゃないんですよ。神様の世界の言葉なんですね「大和言葉」というのはね、そこから現われてるんですね。

 だから、いろんないい言葉は全部そうなんです。神様の中から生まれてきてる一大調和を現わす言葉なんです「大和言葉」というね。

 この「ありがとうございます」が、そういう大和言葉の一種ですね、一つなのね。

 また、いろんな言葉がいっぱいあるでしょう、世界にはね。全部、この根本はこの大和言葉から発生してるんですよね。そこから枝分かれして、最初は言霊に則した言葉が生れたんですけど、段々とその言葉が変化していくんですね、人が使っているうちに。だから、言霊から外れた言葉も出てくるんですよね。

 だから、プラスの言葉が段々とマイナスの言葉に変化するのね、そして言葉が乱れてくるというところがあるんですよね。

 一本の木の枝があって葉っぱがいっぱい付いてますよね。根本の根・幹につながって、枝があって、葉っぱが全体とつながってるときは生きてますよね、活き活きと生きてるんですよね。これは生きた言葉ね、プラスの言葉ですよ。

 でも、全体と切り離した途端に枯れるんですね、枯葉になるんです、死んだ言葉、マイナスの言葉に変化するんですね。

 だから、言葉というのは、言霊と一致する言葉、言霊から現われた言葉というのがいいんですね。そういう言葉を使うことによって枝葉がね、葉っぱが活き活きと輝くんですね。そうすると「幸せ」というのが崩れないね。常に、無限の無限の幸せが一杯!という姿をとり続けるのね。

 ただ、神様の創られた無限の無限のチャンネルの番組というのはプラスだけじゃないですね。マイナスとプラスと両方、一元につらねた番組なんですね。だから、マイナス無限大からプラスの無限大までの全部を取り揃えた番組ですね。神様はプラスの言葉だけを使うようには自由を束縛してないんですよね。マイナスの言葉も使えるようにしてくださってるね。

 最初からプラスだけを使うようにしてくれたらよさそうに、と思うでしょう。甘いんですよ、これは。

 「これでは幸せが浅くなる」って神様は見ておられるんですね。

 だから、マイナスの言葉を使うのを神様は待ってるの、ちょっとはマイナスの言葉を使ってね、やっぱりマイナスの番組を先に見てこないといけないんですね。それで、皆さんマイナスの言葉を上手に使えるようになりました? もう。ちょっとは使ってこないとプラスに戻れないですからね。

 中には、もの凄く今修行している人がいてますよね、マイナスの言葉を使う修行。最後の仕上げかもしれないですけどね。 でも、やっぱりマイナスの言葉の使い方というのは大事ですよね。

 これもねえ、本当はプラスの言葉と同じくらい価値があるんですよ、使い方によってね。だから、マイナスの言葉も本当に自由自在に使えるようになって、次にプラスの言葉を自由自在に使えるようになって、そして最高番組を、本当に無限の無限の輝きのあるものとして味わえるようになっていくんですね。

 そのための祈り言葉として「ありがとうございます」という言葉が神様の方から与えられてるのね。与えられてるというより、最初から用意されてたんですけどね。気づき始めた人が増えだしたという。最初からあったんですけどね。その本当の「ありがとうございます」という言葉の意味を理解して、そして自分の中から気づくものが出てきてるんですね。気づく自分が出てこなかったら、チンプンカンプンなんです。全然唱えないし、唱えても何もわからないしね。何か物をもらって「おおきに」という感覚ぐらいで終ってしまうのね。

 でもね、気づきの出てきた人は「神様そのもの」としてとらえるんです。段々と気づくんですね「あっ、この言葉は神様の働きの全てを現わす言葉なんだ」ってね。そして「神様との出会いの言葉なんだ」ということに気づいてくるんですね。

 「神様との出会い」ってどういうことでしょうね。皆さん、出会われました? 神様に。

 神様ってどういうふうに出てくるんでしょうね。

 神様は、無限の無限のチャンネルの全体として出てきてるんですよ、一瞬一瞬新たにね。宇宙全体ですよ。この世も神様の現われなんですよ。この世を見てるということは、神様を見てるのと同じなんですけどね、ただ、神様の全体は見てないですね。神様の一部を眺めてるんですね。

 神様は一つの形はとれないですよね、人間のような姿で、女神様のような姿で神々(こうごう)しく出てきても、神様とはいえないんです。小さすぎるんですね。

 宇宙の大神様、本当の神様はそういうものじゃないんですね。いろんな姿で出てきては気づかせようとしているんですけどね。その気づき方、感じ方が全部違うんですね。

 宇宙創造の働きの姿で出てきたときは、どんなんと思います? 凄いですよ。無限の中心があって、そこから螺旋状の光が無限に放射されて、その全体が海鳴りのような感じで'ゴーッ'と押し寄せてきますよね。

 無限億万分の一秒でパッと置き換わっていくでしょう、圧倒されますよね。もう自分なんて吹っ飛んでしまうでしょう。凄い現われ方ですよね、神様の宇宙創造の現われ方ってね。とてもとても耐え切れないですね。

 太陽の姿ひとつとってもそうでしょう。神様が太陽の姿をとって自分の目の前に出てくるだけで卒倒しますよね。「ああ、焼け死ぬ」とかいうて。その太陽のようなものを無限に集めて、更にそれを無限にして、それを更に無限倍にしてというような感じでしょう。そうしたら「神様」ってどういうふうにとらえたらいいんでしょうね。難しいですね。

 だから、地球上でいろんな宗教が生まれてね、神様についていろいろ人が言葉に変えて教えようとしてきたんですけど。今までの宗教の教えって大したことはないです、そうしたらね。これは神様の言葉じゃないんですよ、人の言葉ですよ、みんなね。「人が神様についてどう表現したか」なんですね。

 だから、宗教の教えは全部違うでしょう。説明した人の表現の仕方なんですね。神様は最初から自分を表現しないですよね、言葉としてはね、「できない」という、「難しい」って。人は「しよう」とするんですね、できないことを人は言葉で表現しようとするんですけど。だから、やっぱり片手落ちですよね、正確じゃないんですね。

 ところがね、神様について教えをたれる人が、さも「これが正しい」と言うんでしょう「絶対に正しい」ってね「これが最高」なんて言うとね、皆さんは信じ込み易いですよね。そしてその言葉の縛りにはまってしまうんですね。言葉の縛りにはまるというのが、やっぱり一番恐いところですね。自分の自由を縛られてしまうんですね。

 でも、これは誰が縛ったか、自分が縛ったんですよ。人の言葉を自分が鵜呑みにして、その言葉で自分が縛ったんですね。そうするとその縛りがずーっと続くんですね、大変だったと思いますよ、皆さんも。

 その言葉の縛りを解くのも、これもまた自分なんですね、自分が解かないと解けないんです。

 その解く方法ですよね。一番いいのが「ありがとうございます」を心に唱えることなんですね。この言葉を唱えると神様がスッと呼ばれて入ってきて、その過去の縛りを全部スッと消すんですね。そしたら自由になるでしょう、そうすると縛られてない自分がスッと出てくるんです。神様と一体の新しい自分がスッと現われるんですね。そうすると、「あっ、こういう言葉の縛りにあってて馬鹿だったな」というのに気づくんですね。

 この「ありがとうございます」という言葉は不思議なんですね。この宇宙の大神様がスッと自分の中に入ってくるんですね。そうすると新しい自分になるんです、直ぐにね。古い自分は残ってるんですけどね、新しい自分がスッと出てくるんですね。新しい自分が古い自分を眺めて、「ああ、こういうのは必要ない」と分かるんですね。

 心の中を眺めても、「感謝の心」と「思いの心」が大きく分けると二つあるんですね。

 「思いの心」は、過去の古いものなんですね、みんな過去の記憶なんですよ。古い自分は神様のことは何もわからない、正しい感じ方はできないんですね。迷うばっかしなんですね、いろんな言葉の縛りに合うだけでね。でも「ありがとうございます」を唱えることによって、神様がスッと入ってきた時に、新しい自分がスッと出てくるんです、新しい自分に戻れるんですね。その時にいろんな理解が、気づきが増えるんですね「ああ、そうだった」というのに気づくんですね。

 この「ありがとうございます」という言葉がないと大変なんですね。気づきが遅いの、理解が浅くなってしまう。他のいい言葉もたくさんあるんですけどね、それぞれの段階の役割としての働きはあるんですけど、どうしても力が弱いんです。

 でも「ありがとうございます」を唱えられた人は、自分で体験されると思うんですけどね。心が自由になってるはずなんですね、そして気づきがどんどん増えてるはずですね。幸せな感じが中から湧いてくるんですね。

 これは、神様から新たに受けた自分は元々幸せだし、自由だし、安らいでるんですね、問題は何もないんです。でも、ちょっとはまた過去に戻るんですよね。古いものを掴む癖がある。

 現実に生きているというのは、結局過去を掴んでる生き方ですよね。特に社会生活をしてると、過去を忘れてしまうと「あの人は阿保か馬鹿か、キチガイか」って。記憶を全部無くしたら、これが一番最高の生き方になるんですけどね、なかなかねえ、過去の全てを捨てきって、記憶も無くしてというのはちょっと難しいでしょう。

 だから「過去を掴む」ということが、ちょっと縛りの世界に入ってるんですね。それを徐々に無くしていって本当の自由な自分に戻らないといけないですけどね。

 一足飛びにパッとしたら良さそうですけどね、恐いでしょう。大抵できないですね。疑うんです、ちょっとね。ちょっと先が心配というところがあるのね。

 例えば、UFOが飛んできて「素晴らしい星の世界へ連れて行ってあげますよ」と言って扉をサッと開かれた時に、皆さんは乗ります? はははは、「まだちょっと待ってください」と言うんじゃないでしょうかね。片足だけ乗せてくださいと言ってもあかんのよ、扉が閉まらないですから。もう大抵そうですよね。

 現実はなかなか全部放しきれないですね、徐々に放す練習をするといいんですよね。

 それで「ありがとうございます」で新たに受けては、それで過去をちょっと放すんですね。段々と新たに受け直すと「いいものがいっぱい」というのに気づいていくんですね。感謝をするほどプラスが増えてくるんですよね。そして信じられる心に変わるんです、先ずね。「もう、全部放しても大丈夫」という気持ちになるのね。神様の愛を本当に信じきれたときから、もう過去を全部放せるのね、新しいほどいいんですね、だからね。

 無限の無限の幸せが一杯!というのは一番新しい姿なんですね。そこには、幸せしかないという、そういう番組があるんですね。そういう番組選びというのが、この言葉でするんですね。

 普通、皆さんの心の中には、過去のマイナスの言葉もプラスの言葉も、ゴッチャにいっぱい入ってるんです、心にね。頭のいい人ほど記憶力がいいでしょう、たくさん溜め込んでるはずですよね。それが番組選びの言葉として予約されてるんですね。

 本当に自分の見たい番組を今選んでそれを見れるという人は、心に言葉の予約の無い人なの。でも、ちょっと残ってますもんね、予約したのが先なんでしょう。今、いい言葉を使っても、なかなか現実化しないのは、予約の言葉が先に出てくるんですね。この予約の言葉を打ち消さないと、取り消さないと駄目なんですけどね。

 その取り消す方法も「ありがとうございます」を唱えているうちに、知らず知らずのうちに消されていくんです。「最高番組に波長を合わせます」という意志表示なんですね「ありがとうございます」がね。

 だから、神様もその人の自由意志を尊重して、心に溜めたマイナスの言葉とか、つまらんプラスの言葉の予約はもう要らないだろうって、神様は勝手に消せるんですね。

 そして「ありがとうございます」を唱えているうちに、どんどん予約を消して、そして今の「ありがとうございます」という言葉に合うようなプラスの番組へどんどん変えてくるのね。番組選びを上手にできるように護ってくださるのね。

 それで、日常生活の中にも小さい奇跡なんですけどね、ちょっとした奇跡がポッポッポッと起こるでしょう。病気の人がパッと治ったり、欲しいものが手にパッと入ってきたり。いろんな人間関係でもサッと良くなったりしてね、神様から見ると本当に手品みたいなものですけどね、ちょっと不思議なことを見せて、効果があるというのを気づかせるんです。

 本当はね、最高番組を選ぶための勉強のために「ありがとうございます」を唱えさせてくださるんですけどね。まだそこまで大きい願いにはならないでしょう。そして、その最高番組を超えて、もう一つ神様と出会いたいという人が出てこないといけないんですけど。本当に神様を直接に感じ取るというところまでいかないと、神様の本当の幸せを自分のものにできないんですね。

 それまでは小さい自分の幸せですよね、いろんな番組に波長を合わせて、それを選んで味わってもまだ小さいですよね。でも神様の中へ飛び込んでしまえば、神様と出会ってその中へ融けきって飛び込んでしまったら、神様の幸せが自分の幸せになるね。

 その時はね、みんなの幸せも自分の幸せなんです。そこまで行かないと損するんですよ。

 でもこの肉体の自分を生きてるときは、それはできないですよね。これが自分の幸せ、人の幸せがいっぱいあって、全部自分の幸せと思い込もうと思っても無理でしょう。思い込もうとしてるだけね、実感がないのね。でも「ありがとうございます」を唱え続けて、神様の中へ自分を投げ入れて行くにつれて、実感のある幸せな本当の感じ方ができるようになる。本当の愛の一体感という、一体感が湧いてくるんですね、本当にわかるようになるんです。自分以外の人のことが全部わかるんです。さも自分が体験するように感じるんですね。同時に。凄い能力ですね、神様の能力ってね。

 だから、普通、「これが自分」と掴んだときは、やっぱり自己限定なんですね。「これしか自分でない」という縛りなんですね。それは、まだ思いのほうがちょっと勝ってるんですね。

 だから、思いが完全に消えたときから、感謝の心になったときから、直感でスッと感じるんですね。だから、感じる感じ方が一番いいんですね。その時は理屈抜きで、自分の幸せも人の幸せも自分のものなんです。

 それも新しい幸せがどんどん押し出されてきますからね「新しい幸せ、新しい幸せ」と受け直したらいいだけなんですね。だからもう古いのは要らないですね。古いオモチャにいいものがあっても要らないですよ、もうね。新しいいいオモチャが無限に出てくるんですね。古いのを残したらいっぱい溜まってしまいますもんね。自分の部屋がオモチャでいっぱいになったらどうします、窮屈で何もできないですね。

 過去をちょっとでも掴んだら自由が奪われていくんですね。自由がないというのが一番損しますよね。

 もう「これしかない」と目の前が狭くなるでしょう。無限のものがあっても選べないですね、目の前のちょっとしたものしか見えないんです。

 だから、無限のものがいつもあって、それをいつも自由自在に選べて、楽しめた方が幸せが大きいですけどね。一瞬一瞬、本当に自由な心にならないとね。

 「ありがとうございます」さえ唱えたら自由自在になっていくんですね。

 この「ありがとうございます」は一つの言葉なんですけど、本当の神様に波長を合わす「ありがとうございます」はもっと幅広いんですよ、本当はね。もうありとあらゆるものを全部この「ありがとうございます」の祈り言葉の部分なんですね。

 元々は番組合わせの練習のためにいろんなことをさせていただいてるのね。もう全てがそのために用意されてるんですよね。

 だから、科学も宗教も芸術も、全ての分野の全てね、これは番組合わせの勉強なんです。順番にいろんな段階の番組に波長合わせをしては、それを体験してまた上へあがっていくという、この繰り返しをしてるんですよね。ある時は科学に没頭する、ある時は宗教にのめり込むってね、ある時は芸術を楽しむとかね。もう全て「神様探し」という感じですね。本当の神様と出会うためのいろんな勉強なんですね。順番に番組合わせの勉強をして、自分の心を高め上げて行ってるんですね。

 皆さん、いろんなことをされてますよね。今は一つかもしれないですけどね、過去には嫌というほどいろんなことをしてきてるんですね。

 でも、これからは一つに絞った方がいいですよ。できるだけ単純なものに一つに絞る込むほうがいいですね。どういう立場に自分があっても、できるだけ絞る込むんですね、一つに絞り込む方がいいですね。楽な方に絞り込むんですね。もう修行をやめて、努力をやめてね、神様の邪魔をしないという生き方に。