0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

AR132
 2001年 8月 19日昼  

 神様と一体化            

参加者:
 私は一時期、「自我を無くして神様と一体化」を味わってみたいなと思った時期があったんですけども、ある宗教団体に入りましてやったんですけども、自分の中で感じたことと、先生が感じることを教えていただきたい、それぞれ違うものなのでしょうか、自分で思ってるだけなのでね、それで、本当のものかわからないんですね、どういう感じなのか、をお話いただきたい。

ありがとうございます:
 はい。「神さま」というのはね、先ず、どういうものかっていうのはね、みんな一人一人とらえ方が違うかも知れないですね。だから、神さまと一体化すると言っても、一体化の仕方もいろいろなんでね。自分の中へ神さまを入れるんか、神さまの中へ自分を投げ入れるんかってね。それでも大きく違うんですよね。

 私の場合は、もう自分の命を全部神さまに捧げ尽くしてお返ししてしまってね、それで、後「感謝行」になったのね。だから、自分がもう全部無いの、空っぽになってしまってというよりね、自分をもう粉砕してしまって神さまの中へ預けきったんで、後はもう「神さまの御心のままに」ってね、感謝で受け直してるだけなんですよね。
 でも、小さい時はまだちょっとね、自我がありますよね。いろいろ勉強して立派になって世の中を良くしたい人を救いたい、というやっぱり自我があったんですけど。でもやっぱりね、自分の力の限界って、やっぱりわかりますよね。大きい問題を前にすればするほど、この肉体人間の非力さというのですか、どんな問題も解決できない無力さというのがよくわかりますよね。もし、地獄へ落ちた人を一人救うんでも、もの凄い力が要りますよね、大変なんですね。だから、先ず自分を無くした方がいいですね。

 本当の神さまの力をいただきたかったら、神さまのご用に使ってもらいたかったら、自分を神さまに預けきるしかないですよね。「ちょっとでも神さまのご用にお役立て下さい」っていう形でね。それが私が二十歳の時だったんですけどね。もう全部神さまにお返しして、「どうぞ御心のままに、お役に立ててください」ってお返ししたんですね。その後は、もう神さま次第でしょう。私はもう、自分を神さまの中へ投げ入れて一体化して行くのね。それで「ありがとうございます」の本当の意味を教えてもらうようになったのね。

 だから、無限に無限に輝いた神さまの最高表現の中へ、自分を溶け入らせてもらって、それを感じさせてもらえるようになったのね。だから、いろんな感じ方があるんですよね、神さまについてもね。ただ、神さまの全体像をとらえる、というのが一番大きい難しい問題ですよね。

 宇宙絶対神の意識次元      

参加者:
 今、「宇宙創造神」っていうような言い方をされてますね、宇宙全体の名前、それは一般に私なんかそういうようにとらえてるんですが。もう一つ勉強してるところでは、人間の意識次元という問題について、我々エゴ丸出しの場合、三次元の意識でそういうものが。それで宇宙創造神の意識次元は、一応二十次元というような表現をしてるんですけど、それについてはどういうふうに。


ありがとうございます:
 それはね、神さまはね、もう、人間の使う言葉通りの番組の全てを用意して与えてきてるんですね。
 それが神さまの方から見ると、「無限の無限のチャンネルの番組」というんですよね。その中には人間の使うありとあらゆる番組全部取り揃えてあるんですね。ただ、人間の方はもう、どんな言葉を使ったって無限の中の一つね、ちょっと使う程度なんですよね。だから、いろんな人の考え方があってもいいと思うんです。また、生き方もいいんだと思うんですけどね。でも、神さまから見ると、無限の中の一つぐらいのちっぽけなもんなんですよね。その神さまについてもね、そうですね、「人は神さまについてどう考えて言葉に現してそれを受けようとしてるか」というのは一人一人全部違うんですね。それはそれなりにいいんですけどね。

 ただ、神さまの方から見ると、もっともっと無限の無限のプラス一杯の神さまの姿をとらえて欲しいというね。

 だから「神さまの全体像を、全体をとらえる」という方が、一番難しいかも知れないですけどね。やっぱり神さまはそれを願っているんだと思うんですね。「神さまの全体像を正しくとらえて欲しい」って。先ず、神さまが幸せの本源・本体ですよね。神さまをどれだけ感じ取るか、しっかり捕まえるかというんで、幸せの程度が変ってくるかも知れないですね。

  言葉通りの番組                 

参加者:
 その人の感じ方次第?その人の思いの結果が全てだと。

ありがとうございます:
 そうよね、極端にいうと、その人の使う言葉通りの運命・番組を味わってると言えますよね。
 その宗教の教えにしても、教えも言葉で現されて、言葉通りの教えの中に自分を置いてるね。その教えも無限にあっていいと思うんです。ただ、それが最高かどうかという、無限に無限に素晴らしい言葉をずーっと使い続ければ、最高表現の番組に近いかも知れないですね。それでも到達できないかも知れないですね。


参加者:
 その言葉を打ち破って行かなきゃいかん。


ありがとうございます:
 低いマイナスの言葉なんていうのはどんどん否定して、プラスのいい言葉をどんどん大きい高めたものに変えて行くのがいいんですよね。そうすると、神さまの全体像を早く感じ取りやすくしてもらえるというね。ただ、この「ありがとうございます」だけが、特別の言葉ですよね、全体に全てに通用するんですよね。『低ければ低いなりに、高ければ高いなりに、全てに必要な的確な助けを与え続けてくれる言葉』なんですよね。

参加者:
 ある意味じゃあ、同じ「ありがとうございます」と言っても、その人の意識次元によって中味はぜんぜん違うというのもありますよね。

ありがとうございます:
 うん、「本当の神さまの究極の神名」と言うだけあってね。本当の神さまの助けが的確に低いなりに入って行くし、高いなりに入って行くしってね。必ず最短コースで、最高の悟りまで近づけてもらえるね。

「ありがとうございます」の唱え方        

参加者:
 言う時は、大きい声とか、関係ないんでしょうか「ありがとうございます」を、低い声とか。

ありがとうございます:
 それは、もう口に出す言葉でなかってもいいんです、心で唱えるだけでいいんですし。

参加者:
 他の先生は、口に出して言わないと神に通じないという――

ありがとうございます:
 いや、いや、神さまの方はね、心で唱える、口に出す前に、その心の動きを先に察してね、感謝で受ける心になった時に、先に助けに入ってるんです。ねっ、それで助けてもらったら「ありがとうございます」が心に出てくるんです。それで口にも言葉になって出てくるんですね。

 幸せとは                    

参加者:
 先生が、いいお顔してらっしゃるのでね、私らには悩みとか、しんどいとか、痛いとか、そういうような、会社での人間関係のトラブルとか、やっぱり暗い顔にもなりますし。いつもこうニコニコされている、笑顔が。そういう苦しみとか先生にはなかったのですか。

ありがとうございます:
 いやいや、そんなことはない、みなさんよりもっと大きい苦しみをいつも味わってるんですよ、地獄の苦痛でも受けてるんですよねえ。それでも、無限の無限の幸せで一杯という感じなんです。だから、どんな状態に置かれてもこの幸せが崩れないんです。「ありがとうございます」と受ける、無限の無限の幸せ、というのがね。
だから、地獄のどん底の痛みを受けても大丈夫なんです。そんなん、なんでもないんです「ありがとうございます」で、すべて無限の無限の幸せ一杯になってしまうんです。

参加者:
 そうしたら、病気などはされたことはないのですか。

ありがとうございます:
 あるんです、はははは。何回も死んでるんですけどね、(へえ〜)死んでても直ぐに蘇るんですよ、はははは。

参加者:
 「ありがとうございます、ありがとうございます」で全てが解決しているんですか?(そうです)凄いことですね、「ありがとうございます」という言葉は。

ありがとうございます:
 病気しようが何しようが関係ないですね。うん、全部そんなん瞬間に消してもらうんです。

参加者:
 でも、どっか痛いでしょう、いろんな事故とか遭ったら。

ありがとうございます:
 何が起こっても大丈夫、全部良くなるだけなの。
幸せって、条件付きの幸せってね、そんなん小さい幸せですよね「こうだったら幸せ」ていうのはね、それがなくなったら幸せでなくなりますからね。でも、本当の幸せは、何があっても幸せなんですよね。だから、その神様と一体化するというんですか、神さまをいつも感じ取れる自分は、幸せの本源をしっかりとらえるんでしょう。だから「無限の無限の幸せ」というそれがぜんぜん崩れないんですね。
 極端に言うと、この肉体消えても・地球が滅んでも別に関係ないんですね。心の奥でお祈りの中でとらえた神さまの本当の実態を感じ取れる限りは、永遠にその幸せは崩れないんです。それが「ありがとうございます」の中に神さまを感じ取る生き方なんですよね。

 「ありがとうございます」と「ありがとう」 

参加者:
 やっぱり先生、「ありがとうございます」の方がよろしいんですか、「ありがとう、ありがとう」じゃあ「ございます」までの方がいいんですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」が、神さまの名前なの、(は〜あ、そうか)ね、神さまの働きの全てを現す言霊の裏付けのある言葉なんです。

参加者:
 中途半端に終わったらいかん、言うことやね、ねえ「ありがとう」はね。

ありがとうございます:
 「ありがとう」は「ありがとう」なりの言葉の意味があるんですけどね、「ありがとうございます」は、それよりもっと大きい本物の神さまの全体像を、全体の働きを指しし示す、神さまの本当の究極の名前なんです。だから、本当の助けがスッと早く入るんですね。

参加者:
 じゃあ、私「ありがとう」だけでいいって、あかんのかも知れませんね。

ありがとうございます:
 いやあ、それでも悪いんじゃないですよ。悪いんじゃないんですけど、やっぱり本当の神さまを感じ出したらね、「ありがとう」ではね、あまりにも失礼に見えてくる、呼び捨てのような感じになりますよ。
 まあ、最初はいいんですよ。神さまにとったらみんな可愛い愛し子なんでね。「ああ、名前呼んでくれるだけで、嬉しいな」という感じですけど。それでいいんですけどね、ただ、大きく神さまの助けを受けるような自分になってくるにつれて、やっぱり謙虚な謙虚な心で受け直さないとね、そういう意味で「ありがとうございます」と自然にそういう唱え方に変るんと思うんです。

 日本語               

参加者:
 その言霊は日本語だ、ということになんか意味がありますか。

ありがとうございます:
 そうね、日本と世界と、やっぱり親子の関係かも知れないね。親子といっても、どっちが親か子かわからないけど、‘ニワトリが先か卵が先か’ですよね。日本の国が先に生まれたんだったら、世界が後から広がって行くんですよね。また逆に言うと、世界が親で日本が子供であるかも知れないですね。

 だから、日本列島の地図の姿が、世界の大陸の姿と相似形というのも、なんかそういう意味合いを持ってると思うんですけどね。それを、日本と世界とを分けてしまうと、また、これもちょっとおかしいですね。
 
 だから、神さまの働きとして見る時は、既に一体化した姿で一つのものとして見ていかないとね。部分的にバラバラに分けてしまうと優劣が出てくるでしょう。
 この人間の指でも、親指、人差し指って、個性があってここについてるのは、全体とつながって一つの個性があるんですけど。これを切り離してバラバラにした時に、お互いにそれを、自分が親指だった、人差し指だ、って自慢し合っても意味ないですよね。全体と一つにつながってる時は、親指は自慢しないんですよ。「神さまのご用に使っていただいてありがとうございます」だけなんよね。「全体のお役に立てさせていただいて、ありがとうございます」なのね。バラバラになった時に初めて、「自分が偉いんだ」って言い出すでしょうね。だから、常に、全てと一体化して一つに見ていく時は、愛の心だけなんですよね。だから、「みんなのお蔭で自分は生かさせてもらって、幸せにしてもらってる」ってね。だから、感謝だけがあるんですよね。それが一番いいですよね。あははは。

 寿命                     

参加者:
 何度か死ぬような目に遭われたそうですが、「ありがとうございます」で生き返ってこられたのか、それとも寿命があったから、死ななかったのですか、どっちなんでしょうか。

ありがとうございます:
 あははは、あのね、寿命ってね、決まってるようで決まってないんですよね。その無限の無限のチャンネルの中で、どの番組を選ぶかによって、そのチャンネル毎に寿命が違うんですよね。だから、低い番組を選んでたら低い、例えば、寿命の短い番組かも知れないでしょう。そこで自分の心境が変って、高い番組に変ったら、寿命の長い番組の中に自分を置いたら、寿命は延びたように見えますよね。

参加者:
 番組を変えるのは自由自在だけど、番組を変える努力って要るんですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を唱えてるとどんどん高まるんです、自然にね。
(チャンネルがどんどん上がって行く)そうね、だから、いい運命の番組へ自分を置いて行くと、不思議に寿命が延びたように見えたりね、また、蘇って生き返ったように見えるんでしょう。

参加者:
 そうすると、長生きをすることは、いいことですか。

ありがとうございます:
 それも別に、自由自在なんですよね。この世においてもらってる間に、いろいろな勉強をさせてもらうんですけど、特にこの世があの世の全体の縮図みたいなもんですよね。あの世に無限のチャンネルがあったら、この世が一つのチャンネルなんですけどね、無限の中の一つのチャンネルね。それを全体を集約したような縮小して縮図にした形の世界がこの世なのね。あの世の縮図として、この世が無限のチャンネルに分かれるんですけど。だから、この世でチャンネル選びの勉強をするんです、期間を定めて。それでお祈りの練習を一所懸命して、一番高い番組に波長の合う心になれば、あの世へ戻ったら、あの世の一番高いところへ波長が合わせられるのね。だから、『一番楽に悟りが開ける場』なんです。そういう意味だったら、この世で一所懸命感謝行の練習をさせてもらうのがいいんでしょう。

 (執着したら)執着が一番良くないというたらそうですね、番組にしがみついてチャンネルを変えようとしないですからね。今見ている番組にしがみつくと、次の番組にも変らないですよね。だから、執着は要らないですよね。
 丁度テレビ見るようにね、離れて眺めてる感じがいいんですよね。そしたら自然に移り変わるだけなんですけどね。ただ、どのチャンネルの番組も、自分にとったら何かプラスの幸せ与えてくれるし、何かの学びがあるんですよね。ただ、一つにいつまでもずーっとしがみつく必要はないと思うんですね。ある程度勉強して行けたら、どんどんどんどん上へ上へ行けばいいと思うのね。それを自然な形で、楽しんで楽しんでね、幸せを味わい続けたらいいだと思うんですけどね。

 「ありがとうございます」でチャンネルを変える 

参加者:
 チャンネルを切り替えるということは「ありがとうございます」?

ありがとうございます:
 それが最短コースで早く高くなるのね。

参加者:
 数も沢山言った方がよろしいんですか。

ありがとうございます:
 それもいろいろですね。沢山言った方がいい時もありますよね。一回でもいい時もありますよね。(一回でも)一回で真心込めて唱えたらスッと上がりますよね。だから、沢山唱えられる時は、沢山唱えたらいいですよね。それなりの効果がどんどん出ますよね。だから、もう、自由自在に助けてもらえるんです。

 自分が一所懸命「ありがとうございます」唱えるのもいいんですよね。ただ、唱えられない時はあるでしょう、そういう時は「みんなが私の代わりに唱えてくれてる」というふうにね。みんなに「ありがとうございます」言うたらね、みんなが唱えてくれているのを貰うんですよね、あははは。(ああ、そうですか)ね、そうでしょ。だから、神さまが、みんなが自分に代わって自分の為にお祈りしてくださってるという、そういう気持ちで「ありがとうございます」を唱えたら、自分のお祈りも、また、みんなの為のお祈りでしょう。一体化するほど、みんなと助け合って、感謝がどんどん湧くようになってきますよね。
 だから、いろんな唱え方を活用すればいいんです。

 願いを実現するのは               

参加者:
 私も「ありがとうございます」まで言ってなかったんですけど、「ありがとう」を何千回か言った時に、やっぱり涙がダーっと出てきましたですね、自然に、それが一回だけありましたね。それの後は何もないんですよ、どうなんでしょうかね、何も思ってないのに、何にもここが真っ白やのに、涙がダーッと、これからは「ございます」と‥‥

ありがとうございます:
 だから、それも自由自在で使い分ければいいんですよね。「ありがとう」でもいいんですよ。でも、大きく受ける時は「ありがとうございます」に自然になってくると思います。

参加者:
 同じ「ありがとうございます」を言うのでも、やっぱり、自分自身が、嬉しい心で、楽しい、幸せだなあという思いで、嬉しいことがありました時には、抑揚がバーっと上がってきますわねえ、そういう時はやっぱりすごい、私は○○生命なんですけど、すごい契約がガーっと上がってくる時がありますねえ。
 私もまあ○○生命で使っていただいて、定年退職後もさせていただいてるんですけど、本当に感謝、お客さんには勿論ですけど、感謝の毎日が思ってるんですけど、「ありがたいなあ」っていつも思ってるんですけど。目標を掲げてそれに向かって「ありがとう」と言うてると、それがなんか生きてくるように思うんですけど、「ありがとうございます」まで言ってないから、なんか半分の力しか、ははは。


ありがとうございます:
 ただね、「ありがとうございます」唱えてね、自分のいろんな願いを実現する、というのは小さい生き方ですよね。(ああ、そうですね)


参加者:
 私自身じゃなくって、やっぱりあのう、五井先生と同じように「世界人類が平和でありますように」ということで、私は自分自身のあれじゃなくって、全体ですね、今こういう金融機関がこういったものですから、保険会社の全部の人が、全部金融機関の中で上位におれますように、潰れること嫌ですからもう、「○○生命の全部が、幸せになりますようにって、そして京都支社が幸せになりますように」って、そして少しだけの幸せを私に下さい、ということは常に申し上げてるんですけど。

ありがとうございます:
 でもね、それがやっぱし小さくなってしまうんですよね。神さまが働いて来ようとしてるのは、宇宙の全ての人に、人だけやないね、動物にも植物にもすべてにね、無限の無限の幸せを与え続けようとするのね。実際それを与え続けてるんですよね。それを「ありがとうございます」って受けるのが「ありがとうございます」の本当の意味よね。(ちっぽけな考えですね)うんうん、だから、自分の願いは要らないのね。「みんな無限の無限の幸せが一杯です、ありがとうございます」という生き方よね〜。
 だから、小さく願うと大きい神様のプレゼントを拒絶することになるんですね。「ちょっとだけでいい」と言うてるのよ、はははは。

参加者:
 ちょっとだけでいいんですけど、もうこの年ですから。そんな大きいことを、今迄でしたら、やっぱり三十年間やっぱりね、ありがたい思いばっかりしてきましたのでねえ、今日それがあるんですから。もうこれ以上何も望みませんのでね。

ありがとうございます:
 でも、神さまはね、無限の無限のチャンネルを与えた目的は、人の自由を縛りたくない為なんですけどね。でもね、低い番組で満足して、最高番組まで戻って来てくれなかったら、神さまは悲しいんです。
 だから「無限の無限の幸せが一杯と!」いう、みんながそうなってるというのを受けて欲しいんですね。

 本当の極楽世界へね、戻って欲しいんですね。

参加者:
 じゃあいきなり、その最高の方から行く方が近道なんですかね。

ありがとうございます:
 そうです、だから、最高の方へ心を向けるのがいいんですよね。丁度、太陽を眺める時がそうですよね。太陽の光を全部受けようと思ったら、まともに向かないといけないですね。ちょっと角度を反らすと、背を向けたり、横向けたりすると本当の光全部受けきれないですね。だから、光源を見つめるのが一番いいんですよね、光一杯受けるのはね。だから、最高番組に心を向けたら、いいものをいっぱい受けられますよね。

参加者:
 なかなか見えないですよね、太陽さんは見えるんですが、いきなり見えないものですから小さいものから行っちゃうんですが、いきなり見えなくても大きい方に目を向けるように努力した方が早いわけ。

ありがとうございます:
 それ、あのう、言葉通りになるからね。「小さく」と言うたら、小さい言葉使いますよね。小さいものから順番に登ろうとすると、無限の年月かけて登らんならんでしょ。それも一つの自由な生き方なんですよね。でも最初から光源を見つめて「無限の無限の幸せが一杯!」というふうに受け直すと、それはすぐにスッと降りてくるんです。だから、言葉通りにすぐに受けられるようになるんです。
 だから、「ありがとうございます」って唱えながら「無限の無限の幸せが一杯!」という大きい受け方をして行くといいんですね。

 天照大御神様                  

参加者:
 天照大御神様、それも一様イメージは、無限の無限のという中の――

ありがとうございます:
 そうです。天照大御神様の本当の言葉の定義は、例えば、伊勢の神宮の神様とか、皇室の先祖とか、人格神的に女神様として現れるとか、そんな小さい意味じゃないですね。宇宙全体の無限に無限に輝いた最高の表現を「天照大御神」というの。

参加者:
 だから、太陽よりもっと全体、宇宙全体の、という意味ですか。

ありがとうございます:
 太陽の無限億万倍でも足りないんです。もっと大きい輝きを持っている。

参加者:
 「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」のお子さんですよね、とはまた違う。

ありがとうございます:
 いや、これね、みんな小さくとらえて解釈するんですけど。
「伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美(いざなみ)」の創造神から生まれたという意味では親子関係に思うんかも知れないけどね、でも違うの。本当の神様の働きを名前で現すんですよね。

 創造の働きをする時の名前が、「伊邪那岐、伊邪那美」の神様、という名前を使うだけで「天照大御神様」という時は、絶対の天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を初めとして「かくりみ」の神様の名を全部中に持って、創造の神様「伊邪那岐、伊邪那美」の神様のそのまた分身の8×8=64神の名前を中に持って隠してるんですね。中に持ってながら、自分は最高の輝きを持って現れたという姿が「天照大御神」
 だから親子関係じゃないんですね。名前が違うだけで、働きが違うだけなのね。その時に、どの働きを中心に見るかによって、表面に出てくる名前が変るだけなんです。同じ神さまの別名なんです。

参加者:
 天御中主神が一番中心と思っておりましたが。天照さんなんですね。

ありがとうございます:
 いや、いや、だからどこを中心に見るかによってね。「天御中主神」という「絶対」を中心に見るんだったら、それが表面に出て他が全部隠れるんです。創造神の働きを前面に出す時は「伊邪那岐、伊邪那美」の神様が前に出て、後は全部中に隠れるんです。でもこの世の人にとったらね、一番奥とかね、創造の働きよりも、最高表現として生み出されたものを見る方がいいじゃないですか。そういう意味だったら「天照大御神様」を中心に見る方が、受けやすいでしょう。また、その分身の無限の八百万の神様、という形で受けるのもいいんですけどね。それだと、いろんな神様の名前が無限に出てきますよね。ただ、それは一筋一筋の光を、いろんな色合いの光を受けるだけでしょう。全体を受けられないですよね。だから「天照大御神様」を前面中心に置いて、無限の八百万の神様もいろんな色合いの光でいっぱいある、というふうに感じる方がいいですよね。はい。

参加者:
 「天照大御神様」とお唱えすることは、自分を神様の中へ投げ入れる、ということと同じですか。

ありがとうございます:
 同じなんですよね、自分が心を向けたところへ、溶け込んで行くんですよね。まあ、飛び込む、、吸い込まれて溶け込んで行けば、自分が消えて、そこに「天照大御神様だけが」ってね。その時は天照大御神様が自分になるんですね。それを、一瞬一瞬新たに受け直して、いつも天照大御神様と自分が一体という、そういう自覚にしていただくのね。

参加者:
 天照皇とも言いますよね、あれは皇室の方の呼び名ですかね、「天照皇大神」と言いますよね、天照大御神様を。

ありがとうございます:
 「あまてらすすめおおみかみ」と言うんですよね。

 「すめ」というのは、「絶対」と言う意味を強調するんですけど、宇宙の絶対神の働きの名前が「すめたかあまはらみこと」とも言うんですね。
 「す」というのは、一番奥の「絶対」なんですよね。それを目で見えるように表現で現われてくるのが「すめ」なんですけど。それが「たかあまはら」という「たかあまはら」が全大宇宙なんですね。それが「命」という姿をとるのね。「命」というのは「見事」という意味もあるし、最高に素晴らしいものよねえ。

 で、言葉の現われで「みこと」という意味があるんですけど。また、神さまの御心はそこに宣べ伝えられてる、という「みことのり」の「みこと」もあるんですよね。いろんな意味合いの「みこと」があって、神さまの最高表現の全大宇宙が無限に無限に輝いた姿をとっているという。これが「すめたかあまはらみこと」というんですね。だから、宇宙絶対神の名前が「すめたかあまはらみこと」なんですけど。いろんな意味で言葉って使われてますよね。ただ、言葉の定義が難しいですね。同じ言葉を使っててもね、みんなその定義の仕方でいろんな意味合いにとらえますんでね。

 いろんな宗教の教えがあってね、宗教がそれぞれ違うと、同じ言葉も違う意味で使ってるでしょうね。すれ違いますよね。神道だったら「神」という名前を使った時は、神道のほうは本物の神さまを指そうとするんでしょう。仏教の方は「神」(仏教では神書いて「ジン」と読みます)と言うと、何かちょっと外れた外道の働きを指してるんですね、だから「神は存在しない」とか言うんですね、そういう定義づけをするでしょう。
言葉の定義の仕方が、みんな教えの違いによって全部違うんですね。同じようにとらえると矛盾してごっちゃに思ってしまうのね、わからなくなるのね。先ず定義の仕方を、どういうふうに定義してるかを先ず調べて確認してその意味をとらえるんだったら、「神様と仏様は一緒」というふうにとらえてこれるんですよね。

 神様の喜び               

参加者:
 神様って喜ばれるんですか。

ありがとうございます:
 はははは、神さまはね、もう無条件で喜び続けてますよね。もう無限の無限の喜びをねえ、発散し続けてるんですよね。元が無限の無限の喜びなんですね。だから条件付きではないと思うんですけど。ただ、神さまの本質に近づくほど、神さまの喜びと一つに同化できるんで、ういう意味だったら、神さまの喜んでもらうこと、というは、神さまの本質に近づくことなんでね。

 供養                 

参加者:
 去年大事な家族を亡くしたんですけど、肉体レベルを放れましたら、心の中で深い悲しみがあったのですが、段々癒されてきまして、いつもつながっているような気持ちで過ごしています。先に逝ったものに対してどういう気持ちを持ってたら一番供養になるんでしょうか。

ありがとうございます:
 例えば、自分一人の、いろんな番組の役割ってあるでしょう。もし、自分が無限の無限のチャンネルの中に、番組の中に入っていろんな役割演じるとしたら、高い番組はいい役をしてるのね。低い番組はマイナスの役をしてるのね、悪役を演じたりしてるんでしょう。
 どの番組見て欲しい?(高い方を)一番最高のを見て欲しいでしょう。みんな同じなのよね。
 亡くなった人もねご先祖様もね、最高番組をいつも眺めて、それを楽しんで受けて欲しいのね。
 でも、番組の外へ抜け出た自分は、神さまと一体の、神さまの全てを受け続けてる自分なのよね。

 ただ、番組としては最高番組を味わって欲しい。だから、もし見るんだったら、すでに無限の悟りを開いて無限の幸せ一杯で、いつも自分を無限に無限に護り続けてくれてるとね、無限のプラスプラスと見る方がいいね。それがやっぱり一番喜んでもらえる生き方ですよね。

 外国人と「ありがとうございます」    

参加者:
 私は今ユニバーサルスタジオに勤めているのですが、お客さんが来られますと、日本人の方には「ありがとうございます」と言うんですが、外国の方が多いんですが、英語でしか出来ない時は、まあサンキュウーですね、まあ中国人の方が多いんですが。これは、日本語の「ありがとうございます」が一番いいのでしょうか。(要約)

ありがとうございます:
 まあね、人に対しての感謝であれば、それぞれの国の言葉でサンキュウーでもいいですよね。
 でも神さまを拝み出すという意味だったら、心の中で「ありがとうございます」って唱えながら、外国の人にサンキュウーでもなんでもいいと思う、口に出すのはね。心ではやっぱり「ありがとうございます」って唱えて、みんな神さまの現われって、無限に無限に輝いてるっという受け方がいいですよね。心だったら「ありがとうございます」で通りますよね。口に出す時はもう自由自在に使い分けられたらいいですよね。

参加者:
 我々は日本人だから「ありがとうございます」ということを言うわけですけど、外国の方はやっぱり説明すると、アメリカの方は「サンキュウーベリィマッチ」と言うのでしょうか、それで唱えはると思うんですけどね、それは、それでもよろしんでしょうか。

ありがとうございます:
 いや、それではわからないですね。本当に神さまと対面したいという気持ちで唱えるんだったら「ありがとうございます」がいいですね、外国の人もね。やっぱり大きい神さまの助けを受けやすいですね。
 でも、ただ人に対するような「ありがとうございます」だったらね、別にその国の言葉でいいと思うんですよ。人に対する感謝とかね、小さい意味だったらいいんですけど。本当の神さまをしっかりとらえる・対面したいというんだったら、「ありがとうございます」を唱える方が効果が大きいですねえ。

 だから、世界共通語であっていいと思うんです「ありがとうございます」はね。本当の神さまと対面する為のオールマイティな言葉ですから、はははは、ね。(外国の方にも)「ありがとうございますを唱えるのがいいですよ」というのがいいですね。そうしてたら神さまが早く感じ取れますね。

 他人を助ける               

参加者:
 病気の人がいらっしゃるんですが、無限のチャンネルの中から、かなりそこが居心地がいいのか、長い病気を患われてるんですが。基本的にはその方が何か気付かれて、沢山のチャンネルの中から、プラスの言葉で生活を変えて行かれるのが一番いいんですけれど。それが神様が望んでおられるなら、もしそれを第三者がこの私が何か少し応援ができるとしたら、どういう形で応援するのが、それも番組なのかも知れないですが、もし多少なりともあるとしたらそこのところを。

ありがとうございます:
 その番組を変えることは絶対できないですよね。どの番組を見るかという、番組を変えることは人の自由でね、そのお手伝いはできるかも知れないですね。また、同じ番組を見てても、それをよりプラスに見る感謝を深める生き方のお手伝いはできますよね。
 仮に一番下の地獄番組を眺めてても、無限の感謝のできる人はできるんですよね。それがもう、みんな自分のマイナスを身代わりに振り替えて、背負ってくれて、その代わりに苦しんでくださって、本当に大犠牲的精神を発揮する菩薩様なんだ・女神様なんだ、というふうに見ると、地獄番組が無限にありがたくなるんですよね。本当に「ありがとうございます、みなさん、ありがとうございます」になるんですよね。だからそういう受け方も、幸せな生き方でしょう、感謝が深くなってますよね。

 また、その形が極楽になるのも、また、幸せがまた倍加するわけですよね。
だからその形のマイナスだけじゃ無しに、形のプラスも伴ないながら、感謝が無限に無限にやっぱり深まるのが一番幸せが大きくなる生き方ですよね。それを一人一人の本体の自分・本質の自分が願ってるはずなんです。神さまもそれをみんなに願って、その助けを与えようとしているわけですね。

 ただ、人の場合はお節介な気持ちの方が先に立つわけね。神さまの方は必要な時に的確に助けを入れるんですよね。人の場合はちょっとお節介ね。まだ、低い番組を楽しんでるのに、無理矢理引き上げてあげよう、と思ってもね、余計なお節介の場合がありますよね。
 本当に必要だったら神さまが先に助太刀に入りますよね。そして必要だったら、自分を使ってくださる、という形で使ってもらえばいいんですね。

 だから、神さまの使いやすい器になる、というのが「ありがとうございます」を唱えている状態の時ですよね。だからもう自然に「ありがとうございます」を唱えながら神さまに使ってもらったら、自然に人助けに、いろんな意味で使っていただけるんで。だから、あまりお節介的な気持ちは起さなかっていいと思うんですね。みんな自由なんだから、それぞれ神さまが護って、必要だったらちゃんと助けてもらうんだからってね。それで、感謝行をしてると、後でサッと助太刀に自分が使ってもらえますよね、それが一番楽ですね。

参加者:
 お年寄りさんをお世話するリハビリの仕事をしてるんです、年を取ると頑固になるんですね、わがままがその方に本当に必要であればいいんですが、少しでも痛いとかいろんな年をとってくると病気という形で現れてくるんですが、それを一つは楽になりたいという気持ちで、いろいろ医療を受けたり、リハビリを受けたりするんですが、その中でちょっとでも私が役に立てるものが、これも我になるかわからないけどね、ちょっとでもその場だけにしろ、言葉掛けにしろ、悟るとか、幸せにするなり、他の器具を使って、電気治療を施すなり、いろいろのリハビリのお手伝いしているんですが、どうしても頑固な人が、感謝する言葉が、そういった電気を掛けるよりも、感謝する言葉の「ありがとうございます」とか、そういうのが自然な形ででるようなものが、ちょっと意識改革は畏れ多くて、大先輩のお年をめされた方にできないですけども、時々、僕が「ありがとうございます」の代わりの感謝の言葉として「すいません」とか「すいません」という言葉をよく発せられる方がおられるんですよ。そういう方に「すいませんを何回言うよりも、ありがとうございます一回でいいですよ」というのを何回か伝えた方が、最近気付かれた方がお一人おられて、最近は「ありがとうございます」で「すいません」いうのを一言も言われなくなってね、ああ、そういうのがすごくよかった、という思いがあるんですね、そういう思いで、言葉掛けがすごく大事だなあというのとですね、その方に気付いていただくためには、どうすればいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 お祈りできる人は、どんどん神さまとの一体感が生まれますよね。そうすると、神さまは全体との一体感を愛の心を深く持っていらっしゃるのね。だから「ぜんぶ自分の責任」というふうに神さまは見ていらっしゃるのね。自分の責任だったら、ぜんぶ自分の力で本当は変えて行けるんですね。

 そういう意味で神さまが早くみんなを救い上げる力が発揮できるんですよね。私達もやっぱり同じだと思うんですけど「自分と他人」というふうに別個に見ている時は、相手に自由があるんで、相手の気持ち次第でどうにでもなって行くだけでね、こっちから何もできないんですね。

 でも、相手の状態が「自分のものなんだ」というふうに一体化した状態で受け直すと、今度は自分の自由意志で、それを神さまに預けてもらって消してもらったりできるんですよね。だから、一緒になって神さまの方へ向いて行けば、どんどんどんどん神さまの助けが降りてきて、マイナスの方をどんどん消してもらうわね。そうすると、自然にすーっと上がって行くような感じでね。早くプラスの方へ心を向けて行けますよね。

 それで「ありがとうございます」を自然に唱えてきてね、プラス思考に変ったりするんですね。

 だから、もう「相手の言葉は自分のものなんだ」って言うぐらいで、愛の一体感で、もし、受け直しができた場合、その人に対しては自分が「ありがとうございます」唱えたら相手も変えていけますよね。
 ただ、いつもそれができるかっていうと、そうじゃないよね。やっぱり相手が極端にマイナス思考になってる時はね、波が合わないと、ちょっと出会うこともできないし。もし、出会えるとして、もし、自分がそういう気持ちを起せるとしたら、波がやっぱり合ってて「それを受けて大きくなりなさい」という意味もあるかも知れないですよね。それも自然ですよね。自然にできるときにそういうふうにされたら、どんどん周りが変って行くかも知れないですね。

参加者:
 先にあちらに逝かれた人に、こちらで「ありがとうございます」と神様に言うと、全部そちらの方に全部包含していると思っていいのですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」は全てのチャンネルに通ずるんです。だからどのチャンネルへ向けて「ありがとうございます」を唱えても神さまの本当の神さまの直接の助けがスッと行くんです。

 家族は神様のシナリオか           

参加者:
 与えられた家族とか環境とか、生まれた日とか、それも神様がその人が地球に生まれてきて、一番いい形で、神様がこの方にしようとして生まれてきて、一番いい形で神様はちゃんとシナリオを書いてくださっていて、‘偶然はない’ということで考えていいんですか。

ありがとうございます:
 そうね、それはもうチャンネル毎にね、「決まってる」という意味でね。だから、一つのチャンネル見てる限りは、そのチャンネルの物語通りに、全部ストーリー通りに動きますよね。ただ、チャンネルさえ変えたら、別なストーリーで動きますよね。だから、同じ一つのチャンネルを眺める場合でもね、小さく受けるのと大きく受けるのと、やっぱり受け方によって大きく幸せの程度が変りますよね。
小さく「これだけが自分の家族」というと、少なくなるでしょう家族の数がね。でも「地球は自分の家族なんだ」と思ったら大勢いてますよね。「宇宙が自分の家で、全部自分の家族なんだ」と思ったら、もう無限に家族がいてるようになりますよね。だから同じ番組でも、大きく受ける方が幸せが大きくなりますよね。

 輪廻転生                  

参加者:
 輪廻転生というのは一つのチャンネルであって、この世にいる間、どこまでのチャンネル、どこまでの高いレベルのチャンネルが選べるかということが、本当の生きる意味だとう感じなんですけど。

ありがとうございます:
 輪廻転生のある番組はまだ低い番組なんですよ。高い番組は、もう輪廻転生ないんですね。
 「絶対」から一瞬一瞬のプラスの現れるばっかしという。いつも新たに新たに無限の無限のプラスが現実化するという受け方がいいんですよね。もう過去を掴まないんですよね。

参加者:
 でも、我々は今輪廻転生の中で生きてきたわけですよね、それで「ありがとうございます」を知って輪廻転生から外れていくという。

ありがとうございます:
 輪廻転生という言葉を使うと、輪廻転生の世界の番組へはまり込みますね。だから、「ありがとうございます」の世界は、絶対から無限の無限のプラスが降り注ぐという姿の「受け直しの世界」になってきますんで、輪廻転生の世界をはるかに超えてしまうんですね。過去をぜんぜん掴まなくなる生き方なんですけど。

 「ありがとうございます」の言霊      

参加者:
 「ありがとうございます」の一つ一つの言葉に「あ」なら「あ」、「り」なら「り」の言葉の意味ってのはある?

ありがとうございます:
 ありますね、言霊の意味合いがね、それがやっぱり大事ですよね。それがないと「ありがとうございます」唱えたって、本当の力は無いんですよね。バックに言霊の神様の働きがしっかりとついてるんですよね。

 「あ」が「絶対」ね、「命の本源・光の光源・光」を指してるのが「あ」。

 「り」が、「ら行音」で、宇宙の全てを創造する時に、全ての要素はらせん状に放射されて組み合わさる。直線の交わりは一点だけですけど、螺旋状だと無限に交わりができて、それが相似形の姿で無限に広がるんですね。そういうらせん構造の宇宙が本当の宇宙なんですね。だから、無限に複雑な宇宙が生まれるんです。それが、ら行音の「り」。

 「が」は、「輝きに輝く」を「か」をダブらせて、「無限に無限に輝いている」という意味を現すのね。

 「とう」っていうのは、数字の「十」ですけど、プラスにマイナスを組み合わせる、という意味で、相対の要素を十字に組み合わせて、大調和に結ぶ、という意味で十字交差が生まれるんですね。

 だから、「ありがとう」で、本当の意味の「天照大御神」という意味です。

 「ございます」は、「今ここにいらっしゃる」という意味ですけど、もっと細かく言うと――

 「ご」が、「凝り固まって、凝り固まって」ていう「無限の無限のチャンネルが生まれる働き」なんですね。最高表現だけだと「ありがとう」だけでいいんですけど、「無限の無限のチャンネル」も必要なんですね。それが「物質化されて・物質化されて」ていう、「凝り固まって・凝り固まって」ていうね、「次元を下げて・下げて」という意味でね「ご」なんです。

 「ざ」は、「さ」をダブらせて、「さらさら流れる」という「命がさらさら流れて、光がさらさら流れる」のね、変化無常移り変わる、というのがいいんですよね。だから、変化無常というのが「むなしい、はかない」というのはバックが何も無い時なんです、消えてなくなるという時ね。でもバックに神様がつくと変化が無限に無限に輝くんですね。新しいものがどんどん出てくるというね。それも同じことは二度と繰り返さず、同じ物は二つと創らない、という形で、どんどんいいものが生まれてくるというね。その「変化する」というんで「さ」なんです「ざ」ね。

 「い」は、「命」の「い」で、「全てが本当に生きている」という「命が輝いて躍動している」という意味ね。石ころ一個も、原子一個もいろんな素粒子も全部、神さまの命を輝かせて生きているんだというね。

 「ま」が「まったき」「完全な・完璧な」という意味で、そういう、神さまの宇宙創造の働きによって生まれた無限の無限のチャンネルを含めて「全体が完璧極まりない」という。やはり全知全能の神さまのなさることは、命どころじゃないわけで「完璧なんだ」という意味で「ま」なんでね。

 その現れた姿、ぜんぶがまた循環して繰り返すという意味で、絶対の「ス」へ戻るんですね。今現れた最高表現の宇宙を中心に無限の無限のチャンネルが今現れても、また絶対へ戻って、また新しく生まれ出てくるという。その循環が常に「ます」っていう意味で、「いやましにます」て来るのね。必ず良くなって出てくるのね。それが「ます」になるんですね。

 だから「ありがとうございます」で、「絶対」から、この表現の「末端」まで、神さまの働きの全てを指し示す言葉として生まれてるのね。

 「神さまの全体像」を「全体の働き」を「ありがとうございます」一言で現すんですね。だから、本当の神さまの別名の替え名とも言うね、究極の名前でもあるんですね。こういう言葉は少ないですよね。
 何か一つ神さまの名前を付けると、全体の神さまの働きを指してないですね、部分ですよね。全体の一部を指すだけね。「いざなぎの神様」って言うと「創造の働き」だけを指すんですね。なんとかの神様ってね、分身の八百万の神様は無限にいらっしゃるでしょう。阿弥陀様って言ったら一つの分身ですよね。八百万の神様の中の一つの姿ですよね。お不動様もそうなりますよね。そういうふうに見るといろんな神さまがいらっしゃっての、ほんの一部を指すだけで終わってしまうのね。でも、全体から本当は助けてもらうのがいいんでしょう。それで「ありがとうございます」で神さまの働きの全てから、常に助けをもらって幸せにしてもらう、「ありがとうございます」が一番力のある、神さまの助けをスッと与えてもらえる言葉なんですよね。
 はい、ありがとうございます。





 AR132-2写真に写る不思議な現象

2001.8.4
参加者:
 平成10年にイスラエルのガリラエ湖で、明け方に連続して撮った写真です。上は青空なんです。どういう意味があるのでしょう。

ありがとうございます:
 違うカメラで?

参加者:
 いえ、同じカメラです。

ありがとうございます:
 同じカメラで、連写したの?

参加者:
 一秒ぐらいで。

ありがとうございます:
 写り方がぜんぜん違いますね。普通、写真って正確に写ると思うんですが、いろんな要素が加わるんです。特に写真霊媒の体質の人がカメラを持つと、心霊写真のようなのがよく写る。
 人の心がかなり強く影響を与えるのね。いろんな波動をキャッチして、こういうふうに写るんですけど。途中で変化するね、写るものの波動が変化して写ってくるのね。

 これでも太陽が別のとこにあるような感じね。一つが二つになったり、幾つにもなったり、写る時ある。心霊写真というのは、この世の常識では想像できないような写り方をしますよね。実際この世に無いものまで写るでしょう。あるものは勿論、無いものも写ってくる。この世では同じ時間でも、次元の違う世界では、また違う姿があるわけね、同じ時刻でもね。

 一つは、ここに太陽が一つあるという感じに写って、別な次元だと別なところにある。いろんな次元の波がきた時に、いろんな姿をとって、もっといろんな変化にとんだ写真が映ると思います。これも、楽しいですね。光の雨が降っているような感じがしますね。雨は降ってないですよ。光のシャワーが降ってるのね。
 神霊写真的なものは、この世と関係の無い世界をすっと物質化させて出てくるね、神さんがね。いいですね、これ。

参加者:
 名古屋の講演の時に写した物ですが、8台のカメラの1台に起きた現象です。どういう意味があるのでしょうか。別の日にもあったそうです。やはり、写されるかたの体質でしょうか。

ありがとうございます:
 移す人の心境も体質もあるんです。写真霊媒の体質の人は、こういうあの世の姿を物質化しやすいんです。写真に写っていても、実際には見えないものですけど。だから現実の背後にどういう姿のいろんな働きがあるか、というのが霊媒体質の人が撮ると、物質化して写りやすいのね。いろんな光が流れたり、これでもそうでしょう。

参加者:
 こちらのは、今年の一月にインドのプッタパルティ、サイババ先生のところで写したもので、そういう光が写りました。洗濯場というところで撮ったのもこんな感じのものでした。

ありがとうございます:
 いろんな写り方、千変万化、いろんな写り方をするんですけど、写す人が媒介するだけで、あの世の姿が写ってくる場合もありますし。念力の強い人が念写が出来るでしょう。心にイメージしたものが写真にパッと出ますよね。特に思いの心、念の強い人は、写真にピタッと思ったことが写るでしょう。だから写す人の心の状態も強く影響して出てきます。機械的に誰が撮っても同じように写るんだったら、科学的に「こうだ」って言う見方もできるのかも知れないですけど。写真の場合はかなり心の状態が影響しますので。これは悪いものは何もないですけどね、いろんな光の働きが現れて見せてくださっているのね。

参加者:
 悪くは無いでしょうか。

ありがとうございます:
はい。



 早く卒業して抜けたいんですけど


参加者:
 番組のチャンネルを上げるのを「人生の目的」と考えてもよろしいのでしょうか。


はい。

参加者:
 そのためには、自我を無くして「ありがとうございます」を唱える、それが一番近いのでしょうか。

ありがとうございます:
 はい。

参加者:
 それで、ある程度チャンネルが上がったら、そこでまた選択する能力とか出てくるのでしょうか、番組を選ぶ力とか。

ありがとうございます:
 いいえ、元々自由に選ぶ能力は持っているんです。最初から神さまと一体の自分があって、その自分が神さまから無限の無限のチャンネルを与えられて「自由に楽しみなさい」って送り出されてきているんです、低い番組でも自由に選べたんです。だから「自分が高い番組を選びたい」と言えば、高い番組をより選びやすくなるはずです、本当はね。「低い番組に巻き込まれて抜け難い」という一面があるように思いますが、まだそれに感心があって・興味があって、そこへ入り込んでいるんです。

参加者:
 選んでるわけですね。

ありがとうございます:
 そうですね。ある程度体験して「もうそれに対しては未練が無い・卒業した」と思ったら、すぐ高い方へ向きます。心が高い方へ向いた途端に神さまの助けで、すっと上へ合わす能力が出てくるんです。

参加者:
 そろそろ卒業して抜けたいと思っているのですけど、なかなかその低いチャンネルを選んでいる自分がいるんです、辛い自分が。(先生:いるんですか、はははは。)自分は卒業したいと思っているのですが、どうすればいいんですか。おかしいなあと思って、卒業したい筈なんだけど、辛いってことはチャンネルを自分で選んでるんですね。

ありがとうございます:
 「高い番組を選びたい」と思っているでしょう、だからちゃんと区別がつくようになっていますよね、低い番組と高い番組の区別がね。低い番組は捨てて、新しい高い番組へ心を向けて行こうと、高い番組を受け直ししようとしていますよね。
 ただ、低い番組に予約をかなり入れているの。心の中にその予約がずーっと入っていると、低い番組もずーっと続いて出ます。予約を取り消さない限りはね。その予約の取り消しに今入っているわけです。だから今は早く予約を取り消して、高い番組がすぐにサッと出るようにしていきたいというところよね。

参加者:
 ものすごく予約をしているかも知れないですけれど。なかなか取れない、仕方ないです、はい、わかりました。

ありがとうございます:
 その予約の取り消しを早くしてもらう意味でも、やはり「言葉の使い方」というのが大事になります。「過去のマイナスの予約を沢山消していただいて、ありがとうございます」っていうふうに言えば、早く沢山消してもらえますよね。でも、あまり早く波をサッと消してもらったら、この世から卒業してしまうじゃないですか。肉体が消えてしまうかも知れない、そう慌てんでいいですよって、はははは。

 ただ、この世もやっぱり一つの勉強の場としては最高の場だと思うんです。いろんなものを選んで、高い方へ行くんだったら高い方を選んで、そこへ心を集中的に向けて行く、という勉強の場なんでね。
 この世を捨ててあの世の高い番組へ直ぐサッと移ないといけない、ということはないです。この世でしっかり練習しておけば、この世の寿命が終わって、あの世へ行った時に、もう一つ自由に撰んで、高い番組に合わせる能力がすっと出てきますからね。だから、この世で寿命がある限りは、この世で楽しむのがいいのよね。そりゃあ、練習はしておかないとね、しっかりと高い番組に合わす練習はしておく必要はあるんですけど。

参加者:
 そうすると、この世で高いレベルにいましたら、あの世に行きましたらそのまま継続して高いレベルにいられるんですか。

ありがとうございます:
 あの世が無限のチャンネルに分かれているとするでしょう、その縮図として一つに絞り込まれてくるの、この世が。無限の中の一つのチャンネルがこの世ね。この一つのチャンネルがまた無限に分かれているのね。この無限のこの一つのチャンネルの中の無限のチャンネルの中に、低い番組から高い番組へ自分がどれを選ぶかというのを練習しているの。だから、この世の番組で高い番組をしっかり選べたら、あの世へ戻った時無限のチャンネルの中の高い番組に行くの、直ぐにすっと。同じやり方でも楽なの、この世でしっかり練習しとくと、あの世へ行った時に楽になれるね。

参加者:
 そうしますと、自分がいつこの世をいつ去るということはわかりませんね。

ありがとうございます:
 わかる人はわかるんでしょうけど、でもわからんでもいいです。しっかりそのまま何千年何万年っていうことはないですから、はははは、一日一日を大事に生きる方がいいでしょうね。



 阪神大震災にはどういうお祈りをされたんですか?



参加者:
 先生は阪神大震災の時にお祈りされたそうなんですけども、どういうお祈りをされたんでしょうか。

ありがとうございます:
 別に、いつも同じですよね。

参加者:
 それを、防ぐということじゃなしに?

ありがとうございます:
 防ぐという意味も、私は別に願ってなくても、そういう働きで、必要な時は使われますよね。いつも「無限の無限の輝きが一杯!」というふうに受ける「ありがとうございます」ですよね。

参加者:
 何か起こるのは、わかりはったのですか。

ありがとうございます:
 わかりますね。だから、この肉体を持ってこの世に生まれている限りはね、この世での働き・役目ってあるんです。だから、心の奥で「無限の無限の輝きが一杯!」っていつも大きい光を受けていても、またこの世へ流す役目として、肉体が必要なんです。だから、この世の波を置き換える意味でも、マイナスを受けて、そしてその心の中でマイナス消してもらって、プラスをすっと流すんです。
 こういう働きがいつも起こっています。

参加者:
 防ごう、というイメージでお祈りをされたわけではないんですか。

ありがとうございます:
 あまりマイナスへ心が向くと、光が無くなってくるのよ。だからいつも光を浴びてないと、マイナスを受けてもすぐ消せないからあまり役に立たないのね。
 そのマイナスを振り替える場合は、もう神さま任せよね。自分はもう一所懸命プラスの光の方へ、心を向け続けてるのね。光を浴び続けて、後は神さま任せで、必要だったらマイナスがスッと入ってくるかも知れないけど。それを掴んだら途端にまた光が無くなるんでね。掴まないでお祈りし続けるのがいいんです。

参加者:
 いつも輝いていたらいいんですか。

ありがとうございます:
 そうです、いつもプラスへ心を向けてね。
でも、本当は神さまの働きって、一人や二人の人を使ってしてるんじゃないのね。もう本当は全員を使っているはずなの、大きい働きとして。
 本当は、阪神大震災でもね、まあ予言的に言うたら「万分の一に軽く済ませてもらった」と言える位。だから、本当だったらあの万倍の人が死んで、日本の人口が半分ぐらい亡くなってたかも知れない。でも「それを万分の一に済ませて、軽く済ませてくれた」という、それは大きい神さまの働きが常にいろんな面で起こっているんです。だから、現実のいろんな運命というのは、特にこの世の運命というのは「大難を小難に」ってね、万分の一ぐらいの軽さでずーっと修正し続けて護り続けてくれてるのね。



 マイナスは人間が作ったんですか?


参加者:
 マイナスは人間がつくってるんですか。

ありがとうございます:
 いや、つくったというより、波長を合わせて、番組を低い番組を引き出してるんでしょう。低い番組を現実に引き出した人が多いというわけよね。

参加者:
 その、多いのを神さまが万分の一に。

ありがとうございます:
 はい「あまりにも悲惨すぎたら可哀相」というんで。地獄番組をあまりこの世へ引き出しても、それもいいのかも知れないけど、ある程度体験したらそれは少ない方がいいんで、できるだけ軽く済むように変えてくる。
 実際、地獄番組をすっと引き出したら大変のことになる、七難八苦がいっぱいぐらいではないもんね。大変なことになってしまう。

参加者:
 先生は、前にやったことは必ず返ってくると言われたんです。また違う時には「ありがとうございます」を言ってると、現象というか、良くなるというか、未来が変ると言われてて、すみません、この世的なんですけど、一見矛盾じゃないですか。

ありがとうございます:
 矛盾はないよ、したことは必ず返ってくる。だから、マイナスのことをしたら必ず返ってきますよね。でも「ありがとうございます」は大きい無限のプラスの働きをしたことになるのね。だから少々の過去のマイナスは全部パッと消されて、打ち消されてマイナスが出なくなる。大きいプラスの働きをしたからでしょう。だから、矛盾はないよね。
 もし「ありがとうございます」って唱えてなかったら、マイナスの働きをしたんだったら、マイナスがどんどん次から次へと出てくるよね、返ってくる必ずね。

参加者:
 先生は名前だけで奥さんを決められたそうですが、名前でどれぐらいのことがわかるのですか。

ありがとうございます:
 名前でわかるんじゃなしにね、名前を通してその人を見るぐらい、奥まで見るの。だから別に……(
参加者:会っても会わなくてもいいんですか?)本当は同じなんですね。名前だけで何かわかるわけじゃないのね、名前はちょっと、そのきっかけですよね。

参加者:
 それを通じて感じられるんですか?

ありがとうございます:
 こうやって出会ってても表面だけを見るのではなく、奥まで見てしまう。

参加者:
 顔とか姿も分かるんですか、名前で?

ありがとうございます:
 あんまりわかり過ぎたら困るね、煩わしいよね。



 いろんな波を合わせて引き寄せる


参加者:
 類は友を呼ぶと言われます、やっぱり自分の波長が高いところで合わせれば、周りはそういう人達が集まってくるんですか。

ありがとうございます:
 ただ、その波の合わせ方がいろんな波の種類があるじゃない。だから、その「心の状態・心境」で合わすんだったら、心境の高い波の人は高い波の人を引き寄せるよね。
でも、心の心境だけで波を合わすんじゃないね、肉体的な波の合わせ方もあるの。親子関係でも、肉体的に波を合わすんだったら、肉体の形はそっくりになってくる。心で合わせたら心の心境がそっくりになってくる、同じようなレベルの高さになるね。また、いろんな能力で合わせてきたら、バイオリンの上手な人だったら、子供がバイオリンがまた同じように上手だったりね。だからいろんな波の合わせ方があるから。

参加者:
 自分が合わせようとすればいいんですか。

ありがとうございます:
 いや、やっぱり両方から、自然に合うのね。

参加者:
 合わない場合は、もうそれはそのままの方がいいんですか。

ありがとうございます

 でも、何かで合っているの、本当は。「合う」ということは自分はそこから何かを勉強することになっているんだと思うんです。まあ、いろんな助け合いになっている、プラスにもマイナスでも。マイナスに合ったら何か損したように思うかも知れないけど、逆の場合もあるのね。自分のマイナスを周りの人が背負ってくれているというふうに見たら、得しているでしょう。
 だからプラス思考で見ていたら、マイナスもプラスも全部いいのよね。
地獄番組に波長を合わせて見て、地獄の人ってマイナスばっかしじゃない、でも、それを見るのでもプラスに見ることはできるよね。「みんな自分のマイナスを身代わりに背負って、地獄の苦しみを味わって消してくれているんだ」と、そういうふうに見てるとね、みんな深い愛の持ち主ばっかしじゃない。



 服を着ている人の中身まで見えるんですが


参加者:
 初めてお目にかかります方でも、その方のことが全部わかってしまうのはどうしてでしょう。
 例えばお電話をしてまして、相手の方がその嘘というか偽りを言っているのがわかりますね、例えば「明日、どこどこへ行きましょ」ってお約束してるんですけど、相手の方が行きたくなければ、いろんな口実をつくりますね、その口実が「嘘」ってことがわかります、それはどういう状態になってるのですか。

ありがとうございます:
 それも、いろんな無限のチャンネルがあって、それぞれぜんぶ様子が違うの。だから、どのチャンネルを見てあげるか、一人一人のね。両方あるのプラスとマイナスと。本当に心から「行きたい」という番組もあるのね、ところがもう理由を付けて「断りたい」という番組もあるの。だから、本当はプラスにプラスに拝んで見てあげると、自分には高い番組だけがスッと寄ってくる、そうするとプラスばっかりの受け方が、できるようになってくると思うんですけどね。

参加者:
 それともう一つ、相手の方のことがわかってしまうんですね、初めてお目にかかっても、それはどうして?

ありがとうございます:
 だから、波が合った分が、波長が合うの全部。

参加者:
 その人が言わんとすることまでわかってしまうんです。友人でしたらわかりますね。初めてでしたらそういうのはわかりませんね。それがわかるということは、どういう状態になってるのですか。

ありがとうございます:
 いや、みんな波長が合うの、心の波の波長が合った分すっと伝わってくる。もう瞬時にすっと伝わってくるね。

参加者:
 そうしますともう一つお尋ねしてもよろしいですか、やはりぜんぜん知らない方なんですが、パッと拝見しますと、その人の着てる物を全部脱がしちゃってるわけですね、それで「ああ、この人モデルに使うといいな」とかね。あのう「その辺の筋肉が発達してるからいいかな」とかね、それはどうして見えるんですか。

ありがとうございます:
 そうね、本当は波が合うから見てしまうんですけど。自分が何を見たいかという方向づけをしっかりすると、自分の見たいものだけが見えるようになるのね。

参加者:
 この人モデルさんにどうかなあって。お洋服着てても全部脱がして「ああ、とてもきれいな線だな」とそういうふうに見えちゃいます。それはどうなんですか、一般的にはそういうこと見えませんですけどね。

ありがとうございます:
 あまり、見え過ぎたら困るじゃない。

参加者:
 そういうことですよね、見え過ぎますと困りますね。見えなくするにはどうしたらいいんでしょう。

ありがとうございます:
 そういう能力というのも、あっていいように思うんですけどね、でも困ることが多いの。だから自分の必要な時に、それがすっと出てくるだけがいいのね。

参加者:
 それはどうすれば、そういうふうになってくるんですか。

ありがとうございます
 必要なだけ出るようにしてもらうのは「ありがとうございます」唱えてるとね。

参加者:
 ありがとうございます、ありがとうございます、言ってると……

ありがとうございます:
 しっかり唱えてると神さまの助けは必要なものだけを、的確に与えてくださるの。
本当の助けは究極の神さまからしかこないの。
 ところがいろんな次元から、強制的に干渉して助けにくる時あるでしょう。その時は、必要ないのに無理矢理分からせて教えようとしてくる。そういうのが沢山あると、いろんなところから波がいっぱい寄ってくるの。強制的に何か伝えてこようとするのね。
でも「ありがとうございます」さえ唱えてたら、そういうのはぜんぶ排除してくれるね。必要なだけで、ちゃんとしてくださるのでね、楽なのね。(ありがとうございます)



 塾経営。今、病気や辛いことばかり


参加者:
 質問の仕方も分からないんですけど、私はちょっと小学生一年生から中学校三年まで、子供にお勉強教えてるんですけど、二十年ぐらい教えてるんですけど、最近の子供の変化がすごいんです。最近は一所懸命教えても日本語が伝わらないんです。それと、書かれてある文章、たった一行の文章の意味がとれない人が多いんですね。やっぱりお家の育ち方っていうのが随分変化してると思うんですけど。小学生の人ですごく黙って座ってるんだけど、なんか波動がすごい荒い人がいて、その人は大人しいんですけどその人が帰ると、みんなが「嵐が過ぎた」というぐらいホッとするんですね。
 彼も六年間来てるんですけど、その人がやっと私は一年半ぐらいした時から、あまり気にならなくなって、ほんとはその人の成績どうしても上げないといけませんよね、だけどそれは最近はもう気にならなくなったんです。
 中学生の人で、途中からいらした方で、私のお友達の子供さんなんですけど、その彼が入ってくると頭がクラクラするぐらいなものがあるんです、彼はもうぜんぜんたった一行の意味もわからないわけなんです。IQが低いとかいうんじゃないんです、もうなんか本当にガードしてる、心も全部ガードしてるんですね。
 この間からテープを聞かせていただいて、昨日もやっぱり授業をしてましたら、もうどうしようもないんですね、クラクラして、ああそうだと思って、知らん振りして、こうして手を合わせて「ありがとうございます」って、心の中で一所懸命言ってたんですね、今迄だったら、「どうぞ彼を良くしてあげてください」とか、そういうことがやってたんですけど、昨日もそういうこと一切なくして、ただ「ありがとうございます」だけを心の中で言ってたんです、そしたら夏休みに入っても本当にもう「目開いて寝てるのか」だったのが、昨日はあの二時間教えている間も、最初はそうだったんですね、言ってもわからない、ということで、でも途中から、なんか目が活き活きしてきだしたんですね。何にでもこちらが心の中で「ありがとう」というのを言って対処していけば、そのうち楽しくなるのかなあと思って。やっぱり成績を上げないとお母さんは駄目ですよねえ。それにどうしても執われそうになるんですけど。
 今迄は数学を教えてるんですけど、数学に関しては、通信簿を5を絶対取らしたいと思って、それで頑張ってきたんですけど。今、思えば思うほど自分の肉体にくるんです、それで今糖尿病で合併症で、それで随分長い間平成六年からインシュリンを打ってたんですけど、それを勝手に止めまして。行きたくないということだったんですが、その子を教え出して自分のストレスが消化できないものですから、もう今、目とか全部臓器とか合併症がきてしまったので、三ヶ月前からインシュリンを打ってるんですけど。そういうのも今教えていただいて、とにかくすべて、今迄は声に出して「ありがとう」言ってたんですけど、三・四日前から「ありがとうございます」というふうに言葉を変えさせていただいて、今迄は口で言いなさい、というふうに教えていただいてたんですけど、「ありがとうございます」を人がいたら、言えないですよね、でも心の中で言っていくことで。

 もしかしたら、今、もうお金も持ってなくなって、病気をしまして平成六年に糖尿病で教育入院をしまして、その時の薬害で死にかけたんです、急性肝炎になって、劇症肝炎でもう後48時間の命っていう時に、まさに死のうとする時に、すごい感謝の心で、本当に幸せだなあと思った時に阿弥陀様なのか観音様なのか、あまり意識が半分ないものですから、目の前に子供二人、子供の仏様二人なんですけど、雲に乗っていらしたんですね、それで二時間で劇的に回復したんですけど。

 それからの人生というのが、それまでは我が侭で、如何に不満の多い人間だったかというのをあらためて気がついたんですけど。それからずっと本当に友人関係もぜんぶ駄目になりまして、経済的にもこれでも、神さまは私から全部身包みを剥ぐんだったら、早く剥いで丸裸になった方がいいんじゃないかな、とか思ったぐらいなんですけど。今は本当に家を売らなくちゃいけない、かえってお金の都合がつかなければ、そこまで行ったんですけど。でも心は本当に幸せなんです、これも本当にいろんなことを感謝する、学ばせてもらってるんかなあと思うんですけど、友人関係もまわりにいる人ぜんぶ自分の心ではわかってるんですけど、あまりに苦しいんですね。もうそういうのもぜんぶ「ありがとうございます」って言うのをひたすらずっと思ってたら、パッとチャンネルが変るんですかね。今、本当にギリギリの、よく自分でも生きてるな、と思うんですけど。

 でも頭でそう思いながら心はハッピーなんです。だから、本当は二月の一日で自己破産どうしてもするとこだったんですけど、今借金しながらですけど、どうにか幸せに日々暮らさせてもらってるんですけど、現実はどうしようもないとこまで来てます。

 そのチャンネルをパッと変えるには、やっぱり先程教えていただいたように、今迄の予約を返させていただいてありがとうございますと言ってたらよろしいんでしょうか。やっぱり自分の学びもあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 チャンネル合わせはみんな自分の使う言葉でするんです。言葉通りのチャンネルがぜんぶ用意されている。どういう言葉を過去に使ってきたか、その総決算が今出てきているの。言葉で波長を合わせて番組を見るんだってことに気付いてない人は、マイナスの言葉を、無意識のうちに沢山使い過ぎてるのね。
 低い番組は特にマイナスの言葉がいっぱい出てくるようになって、それを無意識に積み重ねてしまうんで。それに本当に気付きだしたら、もうマイナスの言葉は使わずにプラスの言葉になってくるんですけど。
 それでも過去のマイナスがいっぱい溜まっているの。それをいかに早く消してもらうかというのが一番大事な問題なんです。

 普通、自分のプラス思考の心で、プラスの言葉を使って、ぜんぶ打ち消して行けるかというと、それは不可能なの。過去のマイナスの言葉は無限にあるの、無限に積み重なっているの。それも利息が付いて、もっともっと膨らんでるかも知れない。だから、神さんの力でないと短期間では消し切れないね。

 ただ神さまは「助けて欲しい」って気持ちを神さまに向けたら、もう瞬時に助けに入って消し続けてくださるんでね。だから、謙虚にちょっと謙虚になれたら、神さまはいつでもすっと助太刀に入るの。助けに入った結果が「ありがとうございます」で感謝の心になって出てくる。

 感謝の心が起きるようになった時は、もう助け続けてもらっているの。ただ、過去のマイナスの予約が余りにも多すぎてね。それも人の自由なんで、神さまは強制的に勝手に消せないの。ある程度は確認をとりながら消してくるの、ちょっとずつ。万分の一かも知れないけど、ちょっと確認とって、万倍を消すわけね。

 そういう形でちょっと時間かかるかも知れないですよね。それでスッキリときれいな心の状態に変えて、番組をすっと上げてくれるの。だから「沢山消してもらってありがとうございます」ってね。これもね、消してもらったら本当に心から「ありがたいなあ」て気持ち起こるでしょう。大きいマイナスを大難を小難に済ませてもらってもありがたいし。それも万分の一以下に軽く済ませてもらったら、プラスを与えてもらうより、マイナスを軽くしてもらう方が、もっとありがたいかも知れないです。「大きい借金を万分の一でいいから」と言ってもらったら嬉しいじゃないですか。そういう感謝の喜び方の練習も必要なのね。
 その後で大きいプラスを与えてもらったら、また感謝が無限に無限に大きく深くなってくるね。

 神さまもいろいろ計画して、感謝が早く深くなるようにしてくださっているの。形だけはプラスに変っても、感謝の心が深くならないと、いい番組見ても大して感動しないのよね。感謝が深くなるというのが先ず大事なの。それと、また、いい番組を見せてもらえるのも大事なの。やっぱり両方、神さまはちょうどバランスとりながら、ずーっと導いてくださるの。借金をサッと無くす位は、ほんとは簡単にできるんです。
 それをして感謝が深まればいいんですけど。借金があっても感謝が深まるという方がいいでしょう、先にね(はい)だから感謝の心を先に深くしておいてもらって、どんなマイナスでも「ありがたい」という心を養っといて、大きいプラス与えてもらう方が、本当の意味で大きい幸せを自分が掴んだことになるんでね。だから神さまの護りは完璧よ、もうずーっと助け続けに入ってくれているから大丈夫よね。

参加者:
 仕事なんかもその病気をしましたので、もう一年休んでましたから、すごく人数が減ってきてますし、やっぱり生涯現役でいたいと思うんですね。今迄は塾というのが天職と思っていたんですけど、今は体力的にもやっぱりきついんですね、大勢のお子さんを見させていただくいうのは。そして今は何か平行してもう一つの仕事と思ってるんですけど、いろいろみなさん言ってくださるんですけど、なかなか上手く行かないんですね、それももう自然のままでよろしんですかね。

ありがとうございます:
 自然に神さまの導きが、知恵が湧いてくると思うのね。今までの塾とこれからの塾は、また変化するかも知れないね。子供に全責任を持たせてやる塾も必要なんです。採点まで子供にさせてしまうという、いろんな質問出して子供に考えさせて答えを見出させるとかね。先生の方から答えを教えるんじゃなしに、子供が全部自分で質問を考え出して、答えを出して採点までして行くというぐらいの、それぐらいの生き方もこれから大事なんよね。

 今までは受け売りよね。子供の方に責任感がなくなってしまう。人のせいにする無責任な生き方になるのはそこなんです。だから「ぜんぶ自分に責任がある」という生き方をこれからとらないといけなくなってくるんで。子供が質問を考え出して答えを出して採点までして行くていう。「ぜんぶ自分の責任のもとに歩むんだ」と、そういう本当の意味の勉強を、塾なんかでして行くのが、これから多くなるんじゃないかと思うのね。

参加者:
 やっぱり「ありがとうございます」を雨の日でも風の日でも、私は家に座っているだけで、来てくれますから、それから「ありがとうございます」をしてねえ。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」さえ唱えさせてもらってたら、神さまが自分の中に降りて、神さまがみんなをちゃんと指導してくださるんで、座っているだけでいいの。だから、その縁のある必要な人を順番に引き寄せて、神さまがちゃんとしてくださる、自分はもう幸せ一杯に「ありがとうございます」を言うてたらいいんじゃない。



 宇宙が自分と見る


参加者:
 人間は、本当の自分と魂の自分と肉体からできているんですよね。本当の自分というのは、神様からいただいた生命の欠片だと思うんですけれども、違うんですか。

ありがとうございます:
 本当の自分は神さまと一体で、神さまの全てを一瞬に受け直している自分、欠片じゃない。神さんの全部を、一瞬一瞬新たに受け直している自分が本当の自分ね。

参加者:
 みんなそれぞれ違うんですか。

ありがとうございます:
 違うというのは、自分の意識の中心が違うだけで、みんな神さまの全てを受け直しているのが本当の自分。そういう意味ではみんな平等なの。

参加者:
 違うように現れているけど、本当は一緒といういことなのかな。

ありがとうございます:
 いやいや、神さまの全てを受け直す自分は、本当の自由自在な自分でしょう、形じゃないの。神さまの全部を受け直すと、神さま全部が自分になってしまうから、それぞれ中心が違うだけなのね、意識の中心がね。
 「どこを中心に見るか」だけでしょう。「自分」というのが意識の中心なの。
ところが神さまの全てが自分なのね。
 他の人は他の人の意識の中心がその中心でしょう。でも神さまの全体が自分というね。意識の中心が無限に無限にあるのね。神さまはそのぜんぶの意識をぜんぶ自分の中に持ってるからね、もっと大きいんだけど。
 本当の自分はそれだけ大きい無限に無限に輝いた自分よね。その自分が自由自在に、いろんなチャンネルを波長を合わせて眺めることもできるのね。だから、低い番組でも、沢山の番組を同時でも見れるし、また最高番組も一瞬一瞬受け直せる。

参加者:
 中心が違うんですね、それで個性が出てくるんですね。

ありがとうございます:
 いやあ、個性って言うとまた……
 もっと個性にもいろんな意味合いがあるんでね。一人一人の意識の中心が違うというのも個性なんですけどね。
 ダイヤモンドで言うたら、面が沢山あるじゃない。一つの面が自分としたら、他の面がいっぱい無限にあるでしょう。ダイヤモンドは一つだけど、面がぜんぶ違うという意味では、個性が全部違うわけよね。どこを中心に前に持ってくるかによって、ダイヤの見え方が違いますもんね。そういう意味の個性の違いもあるし。

 またこの指だったら、全部役目が違うでしょう。全体の中の部分と見た時は、親指は全体とつながっていて親指よね。人差し指も全体とつながっているから人差し指ね。これを切ってしまったら名前がつかないよね。指だけ置いたら名前がつかないよね。それの全体の部分としての個性という働きもあるのね、一人一人ね。

参加者:
 それぞれで合わせるのですか。

ありがとうございます:
 いやいや、言葉よね。どういう言葉を使うかによって、先ず自分をどういう言葉で表現するか。「自分は神さまと一体」という言葉を使うと、神さまと一体なのね。「無限に無限に輝いている」という言葉を使えば、自分は無限に無限に輝いているの。そういう立場から見ると、無限の無限のチャンネルに自由に波長を合わせて見れる自分よね、自由な自分になってくる。

 でも「肉体が自分」と思うと一つの番組の中の小さい部分を掴んではまり込んだ状態でしょう。かなり縛られた不自由な心になってしまう。そうしたら番組の中から抜け出すこともできないし「小さい肉体」って掴むと全体が分からない自分になってしまう。丁度、爪の先の垢ぐらいを「自分」と掴むような感じになってしまうでしょう。

 やっぱり全体像を掴まないと、本当の意味で自由な安らかな気持ちになれない。だから、できるだけ大きいプラスの大きい言葉を使って、全体を掴む生き方が大事やね。そうしたら本当の自分に早く近づける。
 「宇宙が自分」と思ったら問題が消えてしまうでしょう。「肉体が自分」と思うから、思うようにならん時、ちょっと問題が起こる。「宇宙全体が自分」と思ったら、全体が本当の活かし合い・助け合いで、本当のバランスを取った状態に、常に保ってくれてますよね、問題はないのね。
 言葉だけでしょう、その違いというとね。言葉通りに自分を受け直しているのね。

 だから「肉体を自分」と受けるのは、小さい受け方ね。「宇宙が自分」と受けるのは大きい受け方やね。また、浅い受け方も深い受け方もいろいろね。言葉通りに自分が何にでもなれる。だから、いい言葉を使った方がいいのよ、その実感が出てくるから。「いつも神さんと一体」と言った方がいいよね。

参加者:
 ちょっと大きすぎてピンときませんよね。

ありがとうございます:
 この「ありがとうございます」を唱えるのは、神さんの働きの全体を指す言葉だから、神さまの全体が自分になって分かってくる言葉なの。それで「ありがとうございます」を一生懸命唱えるのがいいの。もう自然に、スーッと分かってくるの。回数多く沢山唱え続けているほどいい。
 「ありがとうございます」だけを唱えて、他の言葉を使わんかったら早く結果が出るのよ。
 でもね、「ありがとうございます」を言うより、他の言葉を沢山遣い過ぎてるよね。それも小さいマイナスの言葉を使い過ぎるかも知れないね。本当に「ありがとうございます」をずーっと唱えるのだったら、一日五六万べんね、唱えないといけないでしょう。そうしたら結果が早く出てくるね。



 「ありがとう」に「ございます」をつける意味は?   


参加者:
 「ありがとうございます」という言葉と、「ありがとう」で止めるのとでは、やっぱり違うんですか、「す」まできちんと言った方が……

ありがとうございます:
 「ありがとう」にも深い意味があって、「ございます」にも深い意味があるんです。
「ご」というのは、「こ」をダブらせて、凝り固まって凝り固まって・物質化して・物質化してとかね、高次元を低次元に変えてきて、とかいう意味なのね。
 「ざ」というのは、「さ」をダブらせて「さらさらと命が・光が移り変わる」という姿をとってるね。だから無限に無限に変化して移り変わっているという姿ですね。
 「い」というのは、その移り変わりの全て、石ころ一個、原子一個ね、本当に生きているんだ、命が輝いて躍動しているんだという意味。
 「ま」は、その全体像を「完璧・完全だ」という「まったき」という意味なのね。そういう姿が一瞬一瞬絶対へ戻って、また絶対から現れてきて、その循環の繰り返しが行われている、というのが「す」の絶対の「す」なのね。「ございます」の中にも深い大きい意味があるのでね。

参加者:
 言葉を発するなら「ございます」まできちんと……

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」で神さまの全体の働きの全てを現しているの。奥だけの働きじゃなしに、この世までも全部ひっくるめて、「全ての全て」という感じで現しているの。だから、神さまは何処にいるかというと、奥にもいるし、この世にも現実にもぜんぶ神さまの姿として現れているんでね、「ありがとうございます」の方がいいわけよね。

参加者:
 その「ありがとうございます」を、心を込めて「ありがとうございます」って一言一言言うのはもちろんですよね。でも洗い物などをしてる時に「ありがとうございます、‥‥」って、こうハイペースでやるのができますよね、それは別に言い方には関係はしないですか。

ありがとうございます:
 それもみんな自然に自由自在でいいの。ただ「ありがとうございます」と言うのは、神さまが助けに入って唱えさせてくださっているの。自分がしてるんじゃないのね。だから謙虚になるほど「神さまが助けに入って、唱えさせてくださっている」というふうに湧き上がるような感謝に変化して行く。
 最初はいいのよ、もう、空念仏でもなんでもいいの、それなりの意味がぜんぶあって、神さまの助けが入らないと空念仏の「ありがとうございます」も出てこないからね。
 だから、最初から深い意味を体得できないかも知れない。それはもういろんなマイナスを消しながら、また、目の前のうろこをどんどん剥がしながら、本当の神さんの光が直感的に分かるようになるまで、ずーっと面倒を見続けてくれるので。焦らなくていいのね。でも段々気づきがどんどん増えてくるはずよね、いろんな意味で幸せがいっぱい気付くようになってくると思います。

参加者:
 さっき、心の中でも言ってられたって「ありがとうございます」を。それは言葉に発しなくても構わないんですか。

ありがとうございます:
 心の中が基本ね。後は口に出してもいいし、出さなくてもいいし、後は自由自在がいいのね。
はい、ありがとうございます。





 神様への奉仕 AR132 2001.8.4-03

参加者:
 この前、お祈りのこと、言葉のこと、いろいろありましたが。奉仕の話しなんですけど、神様の奉仕というのは、具体的にどういうふうに考えればいいのですか。

ありがとうございます:
 神さまの放送番組として、無限の無限のチャンネルがあって、その高い番組と低い番組の違いというのはどこにあるかというと、低い番組の方は「求める心」で生きている番組なんです。
高い番組の方は「与える心」生きている番組でね。

 地獄は、周りの人に、相手に対して求めるばっかしの生き方なのね。「あれして欲しい、これして欲しい」って、求める心だけで奪う心になるわけよね、極端に言うと。

 極楽はもう「与え尽すだけ」なのね。『相手から一切報いを求めずに、与え尽すだけの生き方』をとってる。それも、特定の人だけじゃ無しに、全体に対して与え尽す生き方をとるのね。

 何のために神さまへの奉仕をするのかというと、「神さまのプレゼントを、最大限に受けやすい自分になるためよね。神さまの最高表現を、受け直せる自分になるために、奉仕をさせてもらうのね。

 奉仕というのは「与え尽す心」をしっかり生きるだけよね。身近な生活の中で与え尽す生き方だけを練習すればいいのね。そうすると番組がどんどん上がっていって、最高番組に波長が合う生き方に変ってくる。

「奉仕とか神さまへの恩返しのための働き」というのは、報いを求めないの、だから与え尽す練習がしやすいの。それが、人に対すると、人にいいことをしてあげるとお返しを求めるのね。やっぱりね、交換条件が出てくるのね。「これだけ尽したのに、これだけは返して欲しい」というような感じになるのね。

 実際に働いている人にそういう人は多いよね。「こんだけ働いたから、これだけのお給料欲しい」と言うわね。そうすると、そういう生き方をとるのね。だから、与えるだけの生き方じゃないのね。
「与えたから返して欲しい」という生き方やね。このように、与えても返してもらう生き方では、番組は上にはのぼらないね、中間点ぐらい、ゼロに近い。求める心ばっかしではないから、まあマイナスというわけではないのね。

 でも「与えても返してもらいたい」というのはゼロに近いね。プラスとマイナスを両方持ってる。
でも、「神さまの御心のままに」という生き方になるためには「与え尽すだけ」がいいのね「報いを求めず尽すだけ」というのがね。日常生活の中で、そういう与え尽すだけの生き方を徹底して練習できたら、本当の意味の神さまへの奉仕にどんどん近づいていけるの。そうすると神さまからのプレゼントを受けやすくなるね。神さまにお返しすることなんて、本当は何もできないんですけど。無限のプラスをいただくばかりというのが本当なんですよね。

 空気も同じでね、空気を吸うだけでは、あと吸えなくなるんでね。吸った分は一回吐き出さないと新しく息が吸えないというのが原理なんでね。
だから、神さまからのプレゼントを沢山受けるためには、やっぱり、自分を空っぽにするために「与え尽す」。それもマイナスのついたものは、どうしても吐き出すわけでしょう。空気でも、酸素だけを吸い込んで炭酸ガスを吐き出すわけよね。炭酸ガスはマイナスがあるという見方ができると思うのね。

 だから一回受けたものも、自分の中に納まると、マイナスに変化してるよね。本当の最初の清らかなプラスだけじゃないよね、汚れてくるのね。そのマイナスを引き受けてくれるのは、やっぱり神さましかないよね。古いものを引き受けて消して、新しいものと置き換えてくれる、というのは神さましかできないよね。

 だから、人を相手にしてると、自分の出したマイナスを消してくれるところまでいかないね。逆に、自分のマイナスを相手に背負わせてしまう可能性があるのね。相手を幸せにするというよりも、不幸にしてしまう場合もあるわけよね。そういう、ちょっとした間違いも積み重なると大きい間違いになってくるから、やはり神さまを通さないとね。同じ与えるのでも神さまを通して与えるという方がいいのね。

 だから、人のためにするのでも、神さまに一旦自分の全てを預けて、それから神さまから自分を通して人に対して与えてもらうという生き方が、清らかに変えてもらう生き方やね。
神さまがする時は絶対相手に何も求めないよね、与え尽すだけよね。必要なものを的確に与え尽すだけの生き方をとるのね、神さまはね。そのお手伝いをさせてもらうのね。だから自分が勝手にするのは余りいいことないよね。自分が勝手にするのは、神さまへの奉仕と言っても、一人よがりのところがあるのね。

 だから一旦自分の全てを神さまに預けておいて、神さまに自分を使ってもらうというかたちで神さまにさせてもらう働きが、本当の意味の神さまへの奉仕になるね。それが世のため人のためにも大きい働き、プラスを与える働きに変化するのね。

 だから、何をしたら、何をしなければ、ではないのね、どんなことでもいいのよね。
どんな小さなことでもできるのね、なんでもいいのね。そういう気持ちですれば、ぜんぶ神さまへの奉仕になるのね。「ありがとうございます」って唱えることが、本当は大きい奉仕になるのね。それを根本に置いたら、何をしてても奉仕よね。

参加者:
 難しい話しも沢山あったんですけど、基本的には「ありがとうございます」でしょうか。

ありがとうございます:
 そうよね、簡単に言えば、「ありがとうございます」だけでいいのよね、本当はね。その中から全て自然に自然に、生まれてくるわね。

 自分の借金ではない借金。

参加者:
 借金があって、自分がつくった借金でなくても、自分が一応返さなければならない立場におかれている場合は、一旦自分を神さまに預けて、という場合は「神さま宜しくお願いします」という感じで、働いては返し、働いては返して行ったらいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうねえ、どんな借金も本当は、先ず自分に責任があるよね。
 この世的な原因だけじゃないね、過去世もあるから過去世に借りた分が自分に巡ってきたら、理由なく自分が借金を背負わされるのね。でも、そういう借金は沢山あるのよ。みんなそれぞれに無限に持ってると思った方がいいかも知れないね。

 先ず、借金は利息が付くからね、知らない間に利息が膨らむのよね。それで大きく膨らんで無限に近いようになってしまうね、借金というのはね。だからその借金を、この世だけの借金じゃなしにね、大きい意味の借金を消してもらうのは、やっぱり神さまの力を借りないといけないですね。そしたら、この世の借金はスッと消えるわね。

 先ず根本の借金を返すのが大事でしょう。この世だけの小さい借金を返しても、大きい借金を残してたらどんどん膨らんでくるもんね。そうしたら、またいろんな運命としてマイナスの運命を辿るような姿で借金がね、いつの間にかまた出てくるわね、次から次へとね。一つ返したらまた次のが出てくるでしょう。それじゃあキリがないもんね。だから、根本の借金を神さまの助けを受けて返してもらえばいいよね。

 それは「神さまありがとうございます」で、神さまが自分を通して働いてくださればいいでしょう。そうしたら大きいプラスの働きをしてくださったら、大きい貯金をして行けるわね。
 また、神さまに自分のマイナスをどんどん与え尽して預けてしまえばいいね。「私の命を神さまに預けますからどうぞお使いください」ってね。マイナスと一緒に預けるわけよね。すると神さんの方は、使いやすくするためにマイナスを早く消さないといけないよね。だからどんどん早く消してくださる、というところがあるのね。そうしたらいつの間にか、借金のない自分に変えて、使いやすくして返してくれるから。

 そして後ね、神さまの大きい働きが加われば、無限の無限のプラスが振り撒かれていくのね。そしたら、もう借金とか貯金とかいうのじゃなしに、いつも無限の無限の神さまからの最高の貯金をいつもいただき直せる、という形になるのね。必要なものはいつも的確に与え続けてもらえる。宇宙銀行総裁がいつも背後にバックにつくわけよ。それが一番いいんだけどね。
 それもやっぱり「ありがとうございます」が全てよね、はい。

 人間の必要と神様の必要とはズレ

参加者:
 神様は条件を付けて助けるのではなくて、助けるチャンスを、受け入れるチャンスを待っている。我が強ければ、それを受け入れられない。我が強いということは、神様を受け入れる準備をしてないということだと思うんですけど。
我が強いって、いろんなことがあると思うんです。例えば、御利益みたいなものを、神様にすがるのはどうも嫌だなと思ったりすることがなんかあるんですけど。それもある意味では「我が強い」ってことなのか、というように捉えてしまうこともあるんですけど。素直に頼めばいいじゃないかと、その思い方一つで、自分の中では「我なのか、我でないのか」よくわからないのですが。一般的にどういうことを基準に考えたらいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 人間が自分で「こうしたい、ああしたい」と思うことも「立派になりたい」というのでも「これが必要だ」というのでも、神さまの本当の心とズレている場合が多いよね。神さまの方は最高表現を与えて幸せを味合わせたいわね、早くね。そのために的確に護り続けて、そういう状態に早く持っていきたいわけよね。だから、神さまが何を必要としているかというのと、人が何を必要としているものとは大分ズレる場合があるよね。

 人の場合は自分勝手に「これが必要」というんだけど、神さまの方は「それよりも、もっとこれが必要」と言うね、神さまの方が上なんよね、やっぱりね『全部見通して、本当に必要なことを的確に見抜いて、それを与え続けようとするのね。
だから、必要という必要性が「神さまの必要性」でないといけないね。人が必要というのと、神さんが必要というのとは、ちょっとズレる時があるのね。

 だから、その神さまの必要なものというのはね、頼まんでも与え続けてるの、先にね。それが、病気であっても、貧乏であってもいいわけよね。それが神さまにとったら「必要」と認めて与えているのね。だから健康を与えていいんだったら、健康を先に与えている筈なのね。お金を与えていいのだったら、お金を先に与えているのね。ところが、健康やお金よりも、病気や貧乏を与えるとしたら、神さまがその方をより必要に見ているわけよね。

 だから、神さまの方は絶対間違わないね、必要なものを的確に与え続けようとしている必ずね、人が考える前にね。だからそれを正しく素直にスッと受ければいいのね。それが「ありがとうございます」と感謝に生きることなんよね。感謝に生きたら、その神さまの与えてくる必要なものを、スッスッスッと受けて、一番最短コースで幸せの道を歩めるのね。

 ところが自分勝手に「これが必要なんだ」と頑張るわけよね。「自分には借金があるからお金が必要なんだ、だから、お金儲けせんならん」とか言うて、余計なことを考え過ぎるのね。

 でも神さまの方は「そんなん放っておけ」と言うわけよね。「もっと本筋から根本から幸せになる道を歩んだ方が、早く幸せになれるから」ってね。お祈りさえしてたら、最高番組に波長が合ってきたらね、過去のそういう低い番組をサッと消して新しい高い番組に合わせてしまえば「借金なんか最初から無いじゃないか」という感じで。スッといい番組に置き換えてくれるでしょ。

 神さんの方はもうね、どんなテクニックでも駆使できるし最高の方法いくらでも持っているのね。
ただ、神さまに謙虚に素直に従えば一番理想なんよね。

参加者:
 今を否定しないで?

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」って気持ちでね、「感謝で受けきっていく」というのがいいね、全てをね。そしたら、どういう状態も、それが大きいプラスへプラスへ変化していくのよね。
お金でもなんでもそうですね。神さまはねえ、本当の正しい使い方がわかったら何でも与えてくるの。
もし、今一億円お金与えてもらったらね、本当に使い切れる?貯金しておくのでは使ってないよね、本当に活かしきれなかったらまだ能力ないよね、使いきれないよね、正しく使えないよね。
本当に必要があって正しく使えるんだったら、神さまいくらでも与えてくれるのね。お金だけじゃないね、全てがそうなのね。
 お金

参加者:
 お金っていうのは、身につけていない方がいいものですか。

ありがとうございます:
 それも、いろいろよね。大きい目的を持って「これだけの額が必要」というんで、プールして準備するのは別に悪いことやないよね。大きい目的に向かってるからね。でも、ただ貯め込むだけではね、やっぱり役に立たないね、目的も無しに貯め込むだけではね。

 また、それも「老後の病気になった時のために」とかいうマイナスの目的のために貯めたら、そのマイナスの目的のために使い果たしてしまうね。それじゃあ、やっぱりつまらん使い方になるもんね。

 本当の正しい使い方というのは、自分も人もみんなを幸せにする大きい――

参加者:
 じゃあそんなに必要じゃないのに貯まってる状態というのは、どこかに分けるとか寄付するとか?

ありがとうございます:
 だから正しい使い方をしていかないと、お金は死んでいるよね。やっぱり循環しないとね。
循環しないと、やっぱりマイナスになっていくんよね、なんでもね。循環が早いほど神さまの光がたくさん加わってくるよね。

 空気もそうでしょう、吸い込んで溜めといたら酸欠で苦しいじゃない。全て原理がそうなっているのね。循環が早くなるほど、自分を通過するお金でも多いほど豊かなんでしょう。貯めておいたらあまり循環しないからね、それだけで終わるけどね。それを百回循環させてごらんよね、百倍になるものね。

 物も同じよね、だから必要なとこへ必要なとこへ渡していけばいいのよね。そうしたらまた自分が必要な時に必ず周りからスッと入ってくるのね。



 最高の幸せって何?

参加者:
 先生が「最高の幸せ」ということを話されるんですけど。結構、今幸せだとは思うんですけど、最高の幸せって例えば何かですか。

ありがとうございます:
 この世でいくら、形の上でよ、この世で「最高の幸せ」と言ったって、本当の幸せとぜんぜん違うの。この世はやっぱりゼロに近い世界だから、どんだけ大きいプラスが加わったと言っても大したことないよ。だから、本当の最高表現の世界とは違うわね、この世はね。どんだけ大きくプラスが加わったにしてもよ、大したことはないのね。

 だから、この世から心を放してお祈りの中で深く入って「神さまの無限の無限の輝きが一杯!」というのを感じ取らなあかんのね。肉体の自分・魂の自分が「何かを受けて幸せ」というのでは小さ過ぎるの。自分の意識だけで、感謝の意識だけで、「無限の無限の輝きが一杯」と受け切った時に、本当の大きい幸せを感じるのね。その微かな影がこの世に映してくるわけよね。それでこの世的にはやっぱりね、プラスばっかりの幸せという小さい幸せを感じられるという程度なのね、この世はね。だから、この世で幸せ本当に掴むと言ったって大したことは掴まへんよ。

 本当の幸せはお祈りの中にあるね、感謝のお祈りの中にね。そこで本当の幸せを感じ取れるね。それは本物よね。この世のはねえ、光に対して影のようなもんだから。どっちが実態があるかというと、お祈りの中に実態があるの。高い次元の世界ほど、光りが強いね、実態があるのよね。この世ほど光が乏しくなってるしね、影になっているわけね。

 だから、感謝の心が無限に深くなればいいのよね。そしたら、幸せが直接感じ取れる自分よね。そしたら、もう肉体の自分は関係なし、肉体から死んでも、どうなろうが関係ないの、本当はね。感謝の心の自分は、もう無限の無限の幸せを感じ取れるの、永遠不滅よね。

 どういう幸せを自分が本当に掴もうとしてるかっていうのは大事なのね。無条件の幸せっていいでしょう、これを掴まないと幸せになれないんじゃ困るよね。「これが無いと」というのではね、条件付きよね、それね。何も無かっても、「無限の無限の幸せが一杯!」というのがいいよね。

参加者:
 空気が美味しい、ご飯が美味しいというのでも、本当に気づいていけば幸せなことは沢山ありますし。すごいと思う人でも駄目になったり、そこにどれだけの幸福に差があるのかと考えるんですけど。有名じゃなくても毎日新しい発想になれば、幸せなんだろうなと思うんですけど。

ありがとうございます:
 それでもそれは条件付きでしょう、やっぱりね。もし空気がなかったら幸せじゃないもんね。
だから、もう何もかも無くしても、「無限の無限の幸せ」というのが本物やね。でも、それはなくなるんじゃないんだけどね「常に新たに神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!」というのが、無限億万倍の一秒でどんどん出てくるからね。それを受けずにおれなくなるわけでしょう。そうなったら幸せは絶対崩れないよね。「新しい神さまの最高表現を受け直そう」という生き方だったらもうね、それがどんどんどんどん出てくるから。感謝の心さえあったら、受けられるようになるよね。

 だから、その幸せは無限に湧き出て来る幸せだから、絶対なくならないね。でも、この世のは消えて行くよね、みんなね、現れたら消えて行くよね。消えて行くのを追いかけて「消えないで」と言ったって無理なんよね、姿形あるものは全部、そうでしょ、消えて行くよね一回ね。
だから本源から湧き出てくるものをとらえないとね。それは絶対崩れない・消えないから。いつも新しいものがどんどん出てくるからね。

 だから、お祈りの中にあるのよね、本当はね、本当の幸せ、無限の無限の幸せというのはね。
新たに受け直すというのでも、自分の全てを神さまに与え尽してないと、受けきれんのよね、まだね。
だから、与え尽す練習も必要よね。与えて与えて与え尽して自分を空っぽにしてしまうというね。そこへ神さまの必要なものがスッと入ってくるから、何もない状態にしておくほど大きいものがいっぱいスッと入ってくるからね、受けやすくなってくるね。それがどんどん高まると、最高表現の受け直しが受けやすくなるというふうになってくるね。

金沢の山岸:
 最高の幸せの、神の最高表現の、それを感じ取るところは、お祈りを深めて行くことによって、少しずつ深まっていくというか。その中で、先生のお話では「太陽が何万個も輝くような」(無限億万個)なんかすごい表現で溶けちゃいそうなんですけども。
 私達が「ありがとうございます」を唱えていく中で、幸せというものを感じる手掛かりとして、おそらくありがとうございますも当初はそういうところから入ったのではないかと思うのですけども。その段階みたいなのを、もしあるようでしたら少しお聞かせいただきたいんですけども。

ありがとうございます:
 そうねえ。
@最初はねえ、やっぱり自分の好きなものを与えられたら「ありがたい」と思うのね。 またね、人が幸せになって行けたら、それをまた自分の幸せになって「ありがたい」と思うわね。 最初はこの世的な形の幸せを喜ぶよね、最初はね。

A次はやっぱり、形はマイナスに見えてても、それをプラスに受けられる心になったら「なんでもありがたい」になるわね、形じゃないね。形のマイナスの地獄でも、「ありがたい・ありがたい」になるわけよね。それは心の幸せと言ったらそうよね。より深くちょっと深くなってるのかな。それは、まだまだそういうマイナスを喜んでいるぐらいでは浅いよね。

Bそれで、更に奥へ奥へ、形の最高表現まで受け直さないとね。それも深い謙虚な感謝の心で受け直してこそ、本当の幸せがどんどん深く大きく味わえてくるのね。
 だから「謙虚」という言葉は、下へ降りるだけじゃないのね。「虚」という字は「虚空」ともいうでしょう「虚空」というのは「絶対の空を包み込む心」なのね。だから「全大宇宙の全ての全てを包み込む心が虚」というね。そういう心にならないと「謙虚」とは言えないね。下へ降りるだけじゃあ謙虚じゃないね。全体を大きく包み込んで、受け入れる心が「謙虚」というのね。だから、大きくならないといけないのね。

 ぜんぶ取り込むだけの自分というのは、自分が消えてぜんぶ無くならないといけない。自分というのが消えて無くなったら、なんでも入ってくるのね、なんでも受け直しができるのね。そういう生き方をどんどん続けて行くうちに、幸せはどこまでもどこまでも大きくなって行くね。

 だから、今の私ではまだまだ駄目よね、なんぼ大きく受けたと言ったって大したことないよね。奥が奥がまだまだ奥がってあるのね。無限に無限を付けてもあかんね。神さまの働きは言葉ではもう説明も何もできないぐらいもの凄いね〜。

 だから「太陽の無限憶万倍の大光体が‥‥」なんて言ったって大したことないね。神さまから見たら「そんなもの大したことないよ」と言ってるよね。
 だから「ありがとうございます」を繰り返しているうちに、感謝がどんどん深まるよね。深まるのに比例して、感じる気づきがどんどん変化してわかってくるね。

 それは、やっぱり実行が大事ね。人の話しはちょっとは参考になったって、絵に描いたお餅みたいなもんよ、やっぱり自分が味わわないとあかんよね。
自分が「ありがとうございます」をしっかり繰り返すことよね。一回繰り返す毎に気づきが増えてくるはずよね。だから、一回一回の「ありがとうございます」を大切のする方がいいと思うわね。

 太陽や月に人が住んでいる?

参加者:
 「太陽は熱くない」というのはどうですか。

ありがとうございます:
 見方よね、この世だと太陽は火の塊に見えるでしょう。ちょっと次元変えたら、あそこに立派な悟り開いた太陽神という神々がいっぱい住んでいる世界だから、火の塊じゃないよね。
 緑したたる楽園よね。

参加者:
 緑がある? お月さんは?

ありがとうございます:
 お月さんも働きはいろいろよね。表面と奥といろいろやね、人もいてるしね。

参加者:
 それで地球を癒してくれてはるんですか。

ありがとうございます:
 そうね、いろんな意味でね。
 太陽と月と地球の関係は、これは神さまの働きを模型的に縮図的に現して、神さまの働きを説明するのに便利だからいろんな説明があるんだけど。
 実際の太陽、月、地球というのは小さいよね、神さまの大きい働きから見るとね。だから、いろんな意味があるよね。月は月の働きをしていろんな意味合いがあるのね。太陽の光を反射して、地球の闇の夜の時間を照らす働きとかね。また月の満ち欠けがあってね、いろんな照らし方をしてくれるわね。研究したらもういろんな学びがいっぱい出てくるけどね、百や二百ぐらいの説明じゃ駄目よね、いっぱいあるよね。

参加者:
 お祈りの時に先生が「神様と一体なんだ」というふうに思えばいいと。「輝く・輝く」と思った時に、一瞬光が強くなったような気がするんですけど、それは自分自身の気のせいか、それとも神様が「いいぞ、いいぞ」っていう感じで、応援してくださっているのか、それは?

ありがとうございます:
 両方よね。だからもっともっと言葉の力を活用するのがいいね。「言葉通りになってくる」というのが法則だから。「ありがとうございます」だけでもいいんだけど、その中味をもっともっと大きく深くする意味で「ありがとうございますを唱えてたら神さまと一体」という意味もあるのね。「無限に無限に輝いている」という意味もあるしね、いっぱいあるんだけど。それをもう一回確認する意味で「神さまと一体なんだ」とかね、「無限に無限に輝いているんだ」とかね、そういう言葉を使いながら「ありがとうございます」を言うと「ありがとうございます」の中味がどんどん大きく深くなって出てくるでしょう。

 そうするとその感じ方がどんどん変化するのね。本当は「無限の無限の大光体の中心に自分は置かれてる」の、いつもね。どこかからパッと来るんじゃないのね、無限の無限の大光体に置かれていると、みんな光りなんだけど、それも本当は言葉通りに出てくるのね。
 だから、しっかりいい言葉をたくさん使って気づきを増やして行くのがいいよね。

参加者:
 いい言葉というのはよく分からないんですけど、人に発して気持ち良くなる言葉とか、日本の昔からの言葉、そういったことですか。

ありがとうございます:
 沢山あると思うね。それぞれにいろんな意味の言葉、プラスの言葉って辞書を調べてみるといっぱい出てくるでしょう。プラスに見える言葉って、いっぱいあるよね。
ただ、マイナスも必要な時は、マイナスもプラスの言葉になるよね。マイナスは常にマイナスかというと、そうでもないよね。

 だから本当の今プラスの働き・幸せにする働きがあれば、全部プラスの言葉になってくるよね。だから必要に応じて自由自在に言葉を使いこなせばいいと思うね。
言葉で「暑い・寒い」と言うのでも、「暑い」方がいいと言うのだったらそれがプラスでしょう。暑過ぎるのがマイナスだったら寒い・涼しい方がプラスになってくるでしょう。変化するわね、その立場立場でね。

 お金が沢山あれば幸せかっていうのも、そうでもないでしょう。必要なだけあったら幸せだけどね、部屋中お金がいっぱいになったらね、寝る場所もなしに困るじゃない。



 良いことをして悪く言われるのは陰徳

参加者:
 低い次元の話しで申し訳ないんですが、先ほどのお祈りの時間が経つほど、背中がバリバリになって、もう耐えられないぐらいなんですね、右の目の奥が痛くなったりしてるんですけど。よく私はそういうことが集団でした時によくあるんですけれども。気にはしないようにはしてるんですけども、どういうふうに心を持っていけばよろしいのでしょうか。

ありがとうございます:
 いろんな見方ができるんだけどねえ、幾通りもプラスに見る見方があるよね。
 例えば、自分の過去世の大きいマイナスを、心に溜めておいたらそのまま消えないものね。だから、それを一挙にたくさん消してあげようという時は、ぜんぶバーッと浮かびあがるじゃない。お祈りする時ほど浮かび上がるよね。それを万分の一か、億分の一に軽さでスッと消してくれると見るとものすごい得したことになるじゃない。だから喜んだ方がいいよね。「ありがとうございます」ってね。

 小さい意味でもそうでしょう。また、自分が「全人類を救う立場」というのだったら、大きい救いの働きに使ってもらうのが、一番幸せなのね。みんなの幸せが自分の幸せになってくるからってね。そうすると、みんなの大きいマイナスでも、やっぱり自分のお祈りの場へ吸い込まないと駄目じゃない。

参加者:
 でも、痛みに耐えられなくなる時があるんですけど。

ありがとうございます:
 地獄で苦しんでいる人を、お祈りできる幸せな場へ救い上げようと思ったら、その身代わりに引き受けてスッと引き上げるのでしょう。だから、その痛みが「大勢のそういう苦しんでいる人を救い上げる、大きい働きに使ってもらった痛みなんだ」と思うと、みんなが幸せになっていくのを喜べるじゃない。だから「ありがとうございます」で喜び続けたら、全部それはプラスにプラスに大きく役に立つ働きよね。

 まだたくさんあるのよ、理由はいっぱいね。プラスにプラスに思う見方はいっぱいあるからね。
 それをぜんぶその時その時、喜ぶために思い返せばいいよね。

参加者:
 現象世界で、自分がそういう時期になってるというのは自分はわかりますよね、でもみなさんはわからないですよね、そういう時にこの苦しみが来ますよね。そういう時にどうしても耐えられなくなって、心がねえ、でも、そういうのもぜんぶ感謝で――

ありがとうございます:
 でも、ぜんぶ神さまが見てるのね。本当の神さまが自分を見守ってくれているから「そういう大きい働きをさせていただいている」というふうに見たら神さまの護りの中だから大丈夫よね、はははは。
 だから人に理解されなくても、人に喜んでもらわんでもいいのね。神さまに理解してもらって、見てもらって、喜んでもらえたらいいからね。

参加者:
 どんな時でも、神に視点を合わす?

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」がいいよね。

参加者:
 いいですね、はい。人間界では、現象としては嫌がられたりしますのでね。

ありがとうございます:
 それも、嫌がられているのではなしにね。いいことをしてマイナスの態度をとられるのが一番得するのよね、本当はね。

参加者:
 まだ、そこまで深い洞察力が――

ありがとうございます:
 いいことをして、いい態度を取ってもらったら帳消しになるのね。だから、どれだけいいことをしても人から悪く言われたり、罵倒されて悪い態度を取られる方が、大きい陰徳貯金になるいのよね。
 それが悟りへの大きい力にもなり、人助けの力にもなるからね、だから、いいことをさせてもらって、悪く言われる方がいいの。

参加者:
 随分悪者ですかね、(はっははは。)すぐこう浮腫(ふしゅ)してきたりね、もう三十年苦しんで来たのが、大きな自信、つっかい棒ができました。



 八百万の神の働き

参加者:
 よく仏界と神界といわれますね。仏様が護っていたのに、今度は神様が護っているとおっしゃるかたがおられますが、そういうのはどういうふうに考えればよろしんでしょうか。

ありがとうございます:
 まあね、言葉通りの番組があるんでね。そういう言葉の使い方をする人は、そういう番組に合わせているのね。すっきりしないね、それちょっとね。でも、そういう番組もあるから仕方がないのよね。
 神界と、仏界をどういう区別をしてるのか、その人の考え方一つよね。そういう言葉を使ってそういう世界にはまり込んでいくのね。でも、神さまのほうから見たら本当は全部すっきりしてるのよ。理路整然としたすっきりした姿を取っているんだけど、ただ言葉通りに全てがなるからね。

参加者:
 お役で、必要な方が行くということですか、例えば、神様ですから八百万の神様ですよね。

ありがとうございます:
 八百万の神がどこにいてるかという考え方はいろいろよね。本当の八百万の神さまはどこにいらっしゃるかと言うと、どこにいらっしゃるの?

参加者:
 私は、唯一神、ただ一つ、まあそれを真理というのか、表現はわかりませんけれども、それだけをいつも考えて、ずーっと求めてきたんですけど。よく仏様もいっぱいいらっしゃいますし、神様もいっぱい名前がありますし、私は自分なりに、全部一つだけれども、例えばこの人にはこういう人には相性が合うというのか、そういう用途に応じてというのがあるのかなと思ってたんですけど。

ありがとうございます:
 本当の八百万の神さまというのは、宇宙絶対統一神の天照大御神の分身よね。どういう働きをするかと言うと、無限の無限のチャンネルを創る働きをするのね。チャンネル創りの働きよね、八百万の神さまというのはね。

 だから、チャンネルの中に現れた神さまは、本当の八百万の神さまじゃないの。それぞれの番組に、それぞれにいろんな神さまが、まあ神さまっていうとなんだけどね、いろんな姿があるわけね。その番組を変えて、低い番組の人から見ると、高い番組が神さまや仏さんに見えるかも知れないけど、そういう神さまや仏様もあるけれども。でも、無限の無限のチャンネルのチャンネルを創る神さまが、八百万の神さまが本物なのね。番組から抜け出た神さまが本物の八百万の神さまやね。

 いろんな見方があるのね、同じ八百万の神さまといってもね、解釈の仕方がいろいろ、定義の仕方がいろいろなのよね。
 神さまが無限の無限のチャンネルの番組を創ってくれたということはありがたいでしょう。何でも番組として体験して味わえるでしょう。そういう運命・世界を体験できるわけよね。でも、その中から、自分が何を選んでもいいって言うんだけど、やっぱりいいのを選んだ方がいいよね。できるだけ早く最高番組を選べるのがいいのね。

 だから「ありがとうございます」は、本当は「最高番組だけが今ここにある」という意味なんよね。低い番組に合わさないね。最高番組だけを受け直すことが「ありがとうございます」ね、本当の意味はね。
 だから「ありがとうございます」を繰り返しているうちに、最高番組だけを味わえるように変るのね。



 ご先祖は悟っている

参加者:
 仏教とかはあまりよくわからないですけど、神社にはお参りに行かなくてもいいということですか。

ありがとうございます:
 神社もお寺もみんな模型なんよね。だから、そこに本当の神様・仏様がいてるかって、いないのね。ただ、何も無いかというとそうでもないね。やっぱりそこに本当の神さまの、まあ使いみたいなものが働きかけてることは確かやね。神さまの働きかけはあるんだけど、本物はいないよね、模型の模型よね。

参加者:
 お寺で、お墓に手を合わせるとか、それはご先祖供養――

ありがとうございます:
 それも、形が必要だったらその模型を通して心を整えて、本物と心の交流を図るわけでしょう。
 本当のご先祖様はどこにいてるかと考えたら、どこにいてる?
「あの世」と言うけど、自分の中かも知れないし、外かも知れないし、どこかな〜って、はははは。
 でも、本当のご先祖様を見るんだったら、神さまと一体の悟りを開いているご先祖様を見ないといけないね。

 低い番組の姿をとらえて「これがご先祖様」と決めつけることは、失礼極まりないよね。悟ったご先祖様から眺めて、低い番組の役割の姿を見て「ご先祖さんは今迷ってるんだ、地獄へ落ちてるんだ」と言われたら、喜ばないわね。



 人を相手にせず神様を相手に

参加者:
 光の世界にいると聞いたことがあるんですけど、そういう世界にいると思ってれば――

ありがとうございます:
 御仏壇がそういう姿を現しているじゃない、ご本尊様があって、ご先祖様が光り輝いた世界に自分を置いて、自分達を見守っているという姿をとってるじゃない。それで、お供え物も自分の方へ向けて、ご先祖様から与えていただいているという姿をとってるじゃない。必要なものを豊かに与えてもらってっていうね。みんなご先祖様が悟りを開いて、無限の無限の輝きを持って護り続けてくれてるという姿を仏壇で模型として現しているんでしょう。そういう心になったら、本当のご先祖様からの護りを受けやすくなるんでしょうね。だから「ありがとうございます」で受けきれる状態になってくるのね。

 言葉の使い方って一番難しいですよね、共通性があれば同じ言葉でお互い通じ合えるのね。でも国によってぜんぶ言葉が違うでしょう。それだけでも、同じ言葉を指す言葉はぜんぶ違うから、通じ合わないよね。難しいでしょう、ねえ。外国語を知らない人は通じないものね。

 日本の国の中だけでも同じなんよね。言葉の定義の仕方がぜんぶ違う場合があるね。いろんな宗教団体が沢山あるでしょう。そこで、「神さま」という言葉を一つ定義するのでもみんな違うのよね。同じ「神さま」という言葉を使いながら、どういうふうに定義をしてるかというと、ちょっとはぜんぶ違うのよね。「仏様」という言葉も同じなのね。これも定義の仕方が違うのよね。

 だから共通性がないのに、同じ言葉を使って議論をしたって、ぜんぜん噛み合わないよね。
 だから、先ず、言葉を定義を一定にして、共通性を持たせて話してね。本当にその言葉は何を指している、という実態をしっかりとらえないと、議論も何もできないでしょう。ましてや本物を掴むって難しいですね。

 だから、いろんな宗教の教えを学んでみたらよく分かるよね、全部すれ違うのよね。仏教では「神はない」と言うでしょう。その神は何を指しているかというと、「仏」を指しているのよ、本当の意味の。
 本当の意味の仏を他では指しているのに、やっぱり「おかしい神はない」って使うよね、仏教では「神」というのはね。だから、すれ違いというのは多いよね。

 まあ日常の生活の中もそうかも知れないけどね、お互いの話でもそうよね、大抵すれ違っているよね、なかなか正しくは伝わらんのよね。
 自分はこう思ってこう伝えたいと思っても、人は別な思い方で正反対に受けてるかも知れないね。

参加者:
 そういう時はどうすればよろしいのですかね。

ありがとうございます:
 もう、どうしようもない、はははは。どうしようもないよね、人は自由だしね。
 だから、人を相手にしても意味ないのね、本当はね。だから、自分は神さから何を受けるかよね。
 神さまを相手に「何を受けるか」というのが一番大事なんでね。それなら絶対間違わんね。神さまの方が正しいからね。自分の方さえ正しく合わせていけば、正しく受けられるよね。やっぱり「ありがとうございます」よね、はははは。



 受ける時は受けて、断る時は断る

参加者:
 ご縁があってここに来させていただいて、ありがとうございます。こういうご縁というのは最近いろいろあって出かけることが多いのですけども。そういう縁ていうのはぜんぶ「はい、はい」と受けて動いて行っていいのでしょうか。なんか、すごい自分がバタバタと最近動いているという感じがするのですね。
 でも、動いたお蔭でここに来れたということで、すごくありがたいのですけども。さほど心配する必要はないんでしょうけども、何か「はい、はい」って受けてきちゃって、自分でいいかどうか。

ありがとうございます:
 本当に必要なものが的確に与え続けてもらえたらいいんでしょう。それは「ありがとうございます」を唱えてたら、必ずそうしていただけるね。ただ「ありがとうございます」が無いと、やっぱりマイナスの誘惑・誘いがあるかも知れないね、マイナスへずーっと誘惑されてく可能性はあるのね。

 でも「ありがとうございます」さえ唱えてたら、必ずプラスへプラスへ導いてもらえるのね。それも必要なだけを的確に与え続けてもらえるので、自然にいいものだけが入ってくる、与えてもらえるという姿をとるのよね。ぜんぶ「ありがとうございます」で受けるのがいいのじゃないのね、自分が気分が向けば、スッと受けて行くの、断る時はスッと断る。

 だから、「ありがとうございます」と唱えてて、自分で判断すればいいね。「受ける時は受けて、断る時は断る」っていうのね、それはもう自由にしないとね。何でも「はい、はい」は、本当にお任せしきった状態だったら、それスッとなって行くけどね。まだそこまで行かない時は、やっぱり自分がいいと思うのを選んで行くのね。よりプラスを選ぶ方がいいね。ぜんぶ選んだら大変なことになるじゃない。

 体一つだもんね、一つから誘われたらスッと行ったらいいんだけど、百から誘われたら行けないじゃない。だから、その中で一番いいのを選び続けたらいいのね、その自由はあるのね。

 はい、ありがとうございます。














ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。