2003/6/21

 自分の運命は自分自身の作品です




自分の運命は、自分自身の作品です。自分自身の心を表現しているのです。自分の心がプラスであれば、必ずプラスの運命になるのです。自分の心がマイナスであれば、必ずマイナスの運命になるのです。自分の運命は、自分の心を鏡に写し出すように、現れて来るのです。自分の運命の責任は、すべて自分自身に在るのです。それを他の所為にしているのは、大きな間違いです。自分の心が変化すれば、運命は必ず変化するのです。自分の心がプラスに変化すれば、必ず運命は好転するのです。自分の心がマイナスに変化すれば、必ず運命は悪化するのです。自分の運命をプラスに変える為には、自分の心をプラスに変える以外に方法は無いのです。自分の心の調律を怠っていては、現実にどんなに足掻いても、運命が善くなる道理は無いのです。

 現実に執着する心は、環境の影響を大きく受けてしまうものです。だから業想念の心では、運命を支配することはできないのです。運命を自由自在に支配できるのは、本心の心の自分です。本心の心の自分は、一瞬一瞬新たに、神さまの全徳の無限の無限の輝きを受け直せる心です。だから短期間に、自分の心をプラスに置き換えることができるのです。神さまは、輝く身と鏡という、二面性を持っているのです。神さまに心を向ければ、全徳の無限の無限の輝きとなって現れるのです。神さまに背を向ければ、鏡となって、人の心を写し出して下さるのです。だから神さまに心を向ける時間の多い人ほど、運命は早く良くなるのです。

 神さまを正しく信じて、正しくお祈りを実行すれば、必ず無限の無限の幸せで一杯!に成れるのです。神さまを忘れ、神さまを無視すれば、必ず幸せから遠ざかることになるのです。神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受できる自分になれば、いつも無限の無限の幸せで一杯!なのです。その為には先ず、お祈りの練習を積み重ねて、本心の自分に戻ることです。そうすればいつも、神さまの全徳の無限の無限の輝きを感受できるのです。また現実に執着することなく、移り変わる運命を楽しむこともできるのです。

 自我の心を死に切って、本心の心を生きようとすれば、すべての問題は一挙に解決するのです。自我の心にしがみついているから、いつまでも七難八苦が付き纏うのです。現実ばかりを見ていないで、神さまに心を向けることが大事なのです。神さまに心を向けさえすれば、すべての問題は既に解決しているのです。神さまに心を向け続ける為には、神さまに自分のいのちを捧げ、神さまの為に生きようとすることが、必要不可欠なのです。自分の為に生きても、他人の為に生きても、業想念の心に陥るのです。神さまの為だけに生きてこそ、本心の心の自分に戻ることができるのです。


 神さまとは何か

ありがとうございます:
 はじめての方がたくさんいらっしゃるので、私も今日はじめてなんです、はははは。
 この文章はいつ頃書いたのかなって、はははは。何十年前のものかも知れん。今だったらこんなことは書くかなあと思って、はははは。

 「神さま」っていう本当の意味ですよね「本当の神さまとは何か」というのは一番難しい問題ですよね。
 人が神さまについて言葉にしていろいろ表現してくれるんですけど、人の言葉はあくまでも本物の神さまを指し示している指の働きですよね。本当の神さまは自分自身がしっかりとらえないとわからないですね。
 考えられました? 神さまとは何か?って、見つかりました?
 もう考えても考えてもわからないでしょう、不思議不思議でいっぱいでしょう。掴んだと思ったら掴めてないんですもんね。奥が奥が、まだ奥が‥‥とありますよね。だから神さまなんでしょうけどね。
 神さまをいろんな立場から説明する仕方はたくさんあるんですけど。


 「輝く身」と「鏡」


 ここでは「輝く身」と「鏡」という二面性を持ってる立場でちょっと説明しますね。「何故こうなるか」なんですけどね。
 神さまは人の自由を絶対自由を縛りたくないんですね。神さま自身が「自由が最高の幸せ」と感じておられるので、だから一人一人に完全な自由を保障したいんですね。だから絶対自由を縛ってこないというところがあるんですね。そうしたら、神さまの御心に沿って、「神さまの御心のままに」という時は、神さまはいくらでもその人の後ろについて応援できますけどね。
 でも、人は「自分の思い通りに生きたい」という時は、神さまは手出しができないですね。ちょっとズレるんですね、「神さまの御心」と「人の思い通りに」というのがね。その時は、やっぱり神さまはちょっと遠慮しますよね。


 神さまが隠れてしまう時

 このいい話が、須佐之男命が暴れまくった時は、天照大御神さまが岩戸隠れするでしょう。須佐之男命というのが「思い通りに生きよう」という一つの生き方の一つの姿として現わされてるね。まあ、いろんな意味合いがたくさんあるんですけど、それも一つの意味合いとして表現されてるんですね。
 人が自分の思い通りに生きたい時は、神さまは干渉してこないですね。スッと放れてしまうのね、本当の神さまはね。

 もし神さまがスッと現われたら思い通りに生きられないんです、思いは全部消されてしまうでしょう。なんぼ思い通りに生きようと思っても生きられないですね。神さまは無限に無限に謙虚でしょう、だから遠慮して遠慮してサッと放れるのね。そこがまた神さまの奥ゆかしいところですよね、でも困りますね。思い通りに生きて一時的には思い通りになる時もあるんですね。でも、思い通りに生きた時は、必ず人を自分の思い通りにしてるんで、人の自由を縛ってますね。そうしたら必ずその反動が来るんですね。今度は自分が人に縛られるんです。今度は人の思い通りにならないといけないんですね。そうすると思い通りになった何倍じゃなしに何十倍何百倍って縛りがくるんですね。それで七難八苦の苦しみが現実に出てくるような姿をとるんですね。一時的には思い通りに生きても、これは幸せじゃないんです、本当はね。それを神さまは早く気づかせたいというのがあるんですね。そこで「鏡」を姿を取る。


 周りの姿は自分を気づかせる姿

 でも何故「鏡」になるのかって不思議でしょう。
 明るいところから暗いところへ向いた時に、例えば夜に部屋の中を明るくするでしょう、窓を見ると外は暗いですから窓ガラスが鏡の姿をとるでしょう。だから、自分の周りから神さまがスッと引いて隠れてしまうと暗黒の姿をとるのね。そうすると暗闇が鏡に変身するのね。
 だから「思い通りに生きよう」という時は必ず自分の周りは鏡なんです。それで自分の心の状態を周りの姿に写し出してくださる。

 だから、自分の心の中を見るとたくさんあるんですよ、いろんな思いがいっぱい溜まってるのね、過去の全てが残ってるのね。だからいろんな姿が写るんです、もう忘れてしまったようなことがいっぱい出てくるんです。でも、自分の心が鏡に写るように写してもらってるのね。だから、みんな自分の過去の姿かも知れないね。いいものばっかしだったらいいんですけどね、はははは、たまにはマイナスも写るんですよね。

 でも、その時の心境に応じてですね、思いの心でもその時の心境に応じて、いい思いの時はいいものが写りやすいですね。表の方は鏡にはっきり写りますから、隠れた奥のほうはなかなか写り難いですよね。
 だから、表にどういう心を出しているかによって、その心に合ったような姿が周りに写るのね。だから、明るい時は明るい姿が出ますよね。でも、暗い心が表に出てきた時は暗い姿になりますね。みんな自分の心の中の姿を写してくださるのね。それで「思い通りに生きたらあまり幸せじゃないでしょう」というのを早く気づかせようとされてるのね。


 懲りない人のために

 だから、人間って何回も何回も同じことを体験してもなかなか懲りないでしょう。それで自分一人で体験したことなんて知れてますよね。だから、大勢の人を自分の身代わりに体験させた姿をとらないと早く気づきにくいので、それで周りの姿もみんな「自分の勉強材料」という姿で、マイナスが一つ出たら何十人、何百人、何万人って出してくださるかも知れん、早く気づくじゃない? そういう「鏡」という姿でいろんな自分の心の状態を写し出して、そして本当に自分が何を願ってるかを確かめてくるのね。
 本当にそういうマイナスの姿が自分が願ってるんだったら、それも神さまは喜んで与えてくださるよね。本当はそうじゃないですね、本当は無限の幸せ、無限の無限の幸せというのを願ってるはずですよね。
だから、それを早く気づかせたいんですよね、「本当に何を願ってるか」ということをね。気づかせると、本人の自由意志でそれを選べるようになるのね。だから、いろんな姿をたくさん見せて、その中からより良いものを選ばせようとしてるんですね。

 だから、選択肢が無限に広がるほうがいいですね。もう「これしかない」と決められるとがんじがらめですけどね。たくさん選択肢があるほうがいいわけね。この世の特徴の一つは、選択肢を無限に拡げていろんな姿を見せてくださる練習の場なんで。でも、これはあの世へ行ったらちょっと大変なんですよ。

あの世は同じ姿がサッと出てくるのね、そっくりさんがいっぱいになるんですね。それも、まあ勉強の仕方によったらいいのかも知れないですけどね。でも、この世はいろんな姿が出ますよね、同じ鏡でもね。良いのも悪いのもいろいろ取り揃えて鏡に写し出してくださるね。その中からいろいろ学んで勉強するんですね。そして何を選ぶほうが自分にとっていいのかという、本当の自由意志で選ぶ練習ですね。

 まあ、「こころ」ってコロコロ変わるものなんで、過去世・過去をぜんぶ見てきたらずーっと変わり続けてるでしょう。その時その時にいろんなことを思って、願って生きてきてますからね。だから、自分の心の中にいろんな思いをいっぱい溜まってますね、種類が無限に溜まってる。
 でも、その中から一番自分が何を願ってきてるか、何を本当に今願ってるかというのをはっきりさせるのも必要ですよね。そういう意味で、心を写すと同時に選択肢を無限に拡げてくださるね。そして良いものを良いものを選んでいけばいいんですよね。それが「鏡」の一つの働きなんですね。


 いいものは神さまの中にしか無い

 それで、いいものを選び出したら、いいものは神さまの中にしか無いのでね、今度は感謝を始めるんです。「思い通りに生きてもいいものがないな」ということに気づくんですね。そうしたら、今度は感謝行に入るんですね。感謝行に入った時から順番にいいものが出てくるね、神さまが必要に応じてずーっと現われてくださるから、いいものをどんどんどんどん見せてくださるね。

 神さまの方のいいものは、それこそ「無限」ぐらいじゃないね「無限の無限」ぐらいじゃないね、更に「むげんのむげん」って付くんですね、いくらでもあるんですね。だから、感謝行に入りだしたらもう幸せはどこまでもどこまでも大きく深くなっていくのね。
 でも、「神さまと出会った」と思ってもまだまだ小さい出会いなんですね、浅い出会いなんですね。まあ、いろんな姿で出てきてくださるよね、神さまってね。

 人間のような姿で人格神的に出てくるのは、ほんの小さい現われなんでしょう。「宇宙全体」というふうに現われてもまだ小さいというのでしょう。それで入れ子構造の宇宙で「無限の無限の全大宇宙」という姿で出てくるのね、それでもまだ小さいのよ。だから、神さまってとらえどころがないですよ、本当。

 空間的にも入れ子構造で、時間的にも入れ子構造なのね。だから、言葉で言い表せない想像を絶する姿をとって、神さまはいつも現われ続けてくださるね。
ただ、その受け方って難しいでしょう。これも、やっぱり「自分の心の器」ってあるんですよね。まあ、色眼鏡は取れても、心の器がやっぱり邪魔するのね。
 器の中にしか入ってこないでしょう、だから器に入るだけのものしか神さまは入ってこれないよね。
だから、小さい器の時は小さいなりの神さまが現われて入ってくるだけね。神さまの方が自分に合わせて一体化してくださるんですけどね、器のある間は小さい感じ方しかできないんですね。


 神さまが入れる器を大きくする

 だから、その器をどんどんどんどん大きくしていく必要があるのね。これは、自分の努力で大きくする方法は、ないことはないんでしょうけどね、大変ですよ。引き伸ばさないと、はははは、身体でも引き伸ばすのは大変でしょう、まあ、心はちょっと楽かも知れないですけどね、でも大変ね。
 でも、その心の器を大きくする方法は、古いのを神さまにお返しすることよね。古い器を神さまに捧げてお返しして消してもらうのね。そして新しい大きい器を受け直すといいよね。
 「ありがとうございます」と感謝する練習というのはそうよね、古い自分を神さまにお返しして、新しいものを受け直す練習になってるね。そうすると、器がどんどんどんどん大きくなるね。
 大きい器の自分だと大きく感じる、神さまがね。その繰り返しで、どんどんどんどん神さまの方が感じ方を変えてくださるわけね。だから、どこまでもどこまでも神さまは奥深いですね。「掴んだ」と思っても掴みきれてないですよ。


 この世の悟りは悟りではない

 だから、この世で「修行して悟った」と言っても、そんなんは神さまから見たら「悟りと違う」って「修行して悟るようなのは悟りじゃない」と言うね。
 元々、神さまから放れた姿をとって、また引っ付いたからってね、こんなんは偽物ですよね。一回放れて付いたと言ったってね。最初から神さまと一体の自分のほうがピタッと一つになってるでしょう。それは、常に新たに新たに出てくる自分のほうが本物よね。だから、感謝で新たに新たに受け直した自分のほうが、本当に悟った自分ね。それも最初は小さいでしょう、神さまから新たに受け直した自分もまだ器が小さいですね。その器をどんどん大きくしてもらってもまだ小さいでしょう。だから「悟り」というのはピンからキリまであるでしょうね。それも偽物と本物があるでしょう。


 地獄へ降りるという意味

 みなさんはいつもどこにいらっしゃるんですか。一番高い世界? 極楽世界? 一番下の地獄?
 一番いいのは一番下なんよ。一番下の地獄のどん底がいいんですよね。地獄のどん底に降りたら一番幸せになれる。みんな逆に思うでしょう「悟ろう」と思ったら上に行こうとするでしょう、逆なんよね。
 一番下へ降りたら本当の悟りになっていくよね。
 先ず、地獄のどん底で周りを見回したら、凄いでしょう、「みんな無限の苦しみで一杯」という姿をとるでしょう。それを眺めた時にどう感じられます? 
 思いの心だと「ああ、可哀相に」となるね。
 でも、感謝の心だと逆になるわね「ああ、みんな自分の身代わりに、自分が背負うべきものをぜんぶ背負って助けてくださってる」と見るでしょう。「愛の極致を生きてる女神さまばっかし」という感じでしょう。
 地獄のどん底の自分を置いた時に、一番幸せを感じるような感じね。「なんて自分は神さまの大きい愛に包まれてるんだろう」というような感じね、もうありがたいばっかし、涙を流して感謝し続けても、とてもとても感謝しきれないという感じよね。もう「神さまの愛の塊」と見えるんですね。

 その心で神さまから全てのプレゼントを受けるというぐらいなのよね。凄いでしょう。一番下から無限の無限のチャンネルを全部受け取るのよね。地獄番組だけと違うよ、八大地獄を地獄めぐりをして。
 八大地獄も一つ一つ違うんですよね、一つの地獄が無限に分かれてるのよ。「八」というのは本当は数字の「八」じゃないのね「∞・無限」という意味なんですね。ただ、地獄ですら「無限の無限」なんですね。

 神さまって凄いな〜と思うね、いろんな地獄を創ってくれて、地獄めぐりを楽しめるように。

 だから、もう地獄のどん底から神さまを本当の意味で仰ぎ見て、無限の無限のチャンネルを受け取る。地獄ですら無限の無限の幸せが一杯になるでしょう。そうしたら他の番組も全部そうよ。もうね、「言葉で現せない素晴らしいプレゼントばっかし」という感じでしょう。それも一瞬一瞬、みんな置き換えてくるのね。

 今は無限の無限のチャンネルを受けたとするでしょう、次ガラッと変わった無限の無限のチャンネルになるでしょう。これも凄いね、時間も入れ子構造の時間なんですけどね。とても言葉で表現できないでしょう。そこまで神さまは幸せを与え続けてくるの。早く地獄へ行きたいでしょう、はははは、早く地獄へ降りた人が徳(得)なのよ。


 地獄のどん底に降りたいというありがとうございます

 私も神さまにお祈りして、命を神さまに捧げて一所懸命お祈りし続けてね、そして「幸せ一杯」という感覚になるでしょう。そうしたら、ありがたくて、ありがたくてどうしようもないでしょう。そうすると、「ちょっとでも恩返しができたら」という気持ちで地獄へ降りようとするのね、降りきれない、なかなか降りきれないですけどね。直ぐにまた幸せ一杯に補充されてしまうとね、なかなか降りきれないね。

 それで一所懸命降りようと降りようと努力してるのね、今もね。もう地獄へ降りられたら私も最高の幸せなの、と思ってもなかなか降りきれんのね。途中で拾い上げられてしまうような感じでしょう、はははは。
 だから、本当に地獄に降りられたら、この「最高の幸せ、最高の悟り」よね、神さまの全てを一瞬に受け直せるのね。「神さまの全てを受け直す」というのが最高の悟りなんよね。でも一番下へ降りないと全部受け取れないよね。だから「悟りへの修行」は「地獄へ降りる修行」かも知れない。

 でもこれは感謝の心に戻らないと、やっぱりそういう感覚になれないですね。先ず、感謝して神さまから幸せ一杯にしてもらってはじめて喜んで地獄に降りられるのね。どんな苦しみでも喜んで背負えるのよね。
 それも背負った苦しみは一瞬に消されてしまうんだけど、消されても消されてもまた喜んで受けようとするのね。
 
 皆さんも、ご馳走を毎日食べて満腹の状態というのは幸せじゃないでしょう。もうこれ以上何も食べられないという状態に置かれたらどうです? ご馳走を見ても嫌でしょう。
 ご馳走に本当の価値を見出す時はお腹が空いた時よ。だから、「お腹を空かす」というのは、地獄に降りるのと同じなのね。
 だから、神さまのプレゼントを本当に無限の価値あるものとして受け取れる状態、これが地獄に降りた状態。だから、地獄に降りないと本当の価値あるものを受け取れないのね。

 空気を吸うのでもそうですもんね。空気をいっぱい吸って溜めた状態だったら、もういっぱいで入らないでしょう。そうしたら、後、空気なんて要らないという状態でしょう。そのうちに酸欠で苦しくなるね。
 でも、一回ぜんぶ吐き出して深呼吸したら、もう空気を少しも残してない状態になった時、ぜんぶ吐き出した時に、空気ってもの凄いありがたいでしょう。空気を吸えることが無限の幸せね。

 だから、そういう状態に自分を置くというのが必要でしょう。
 だから、苦しみを自ら背負う方が幸せ一杯に早くなれるのね。
 でも、苦しみって瞬間に消されてしまうよね、ぜんぶ吐き出したら空気が自然にスッと入ってくるように、神さまの与えてくる方が大きいのよね。神さまの幸せの補充の仕方が間髪いれずに入ってくるから、それも無限に入ってくるでしょう。だから、幸せになるしかないようにもうなってしまってるね。

 だから、本当は逆な生き方いいのね。幸せを求めて生きると逃げて行くのね、幸せがね。
 苦しみを求めて生きると幸せが寄ってくる。苦しみを追いかけたらいいのよ、苦しみを追いかけたら苦しみは逃げるのね。幸せが周りから集まってくるね。
 みんな幸せを追いかけるから幸せが逃げちゃうのよね、それで周りから苦しみが集まってくるのね。
面白いね。


 どんな運命も自分が選べる

 「本当の自由」というのがそういうところにもしっかり示されてるのよね。
 もう、どんな運命でも、自分が選べる。絶対人の所為(せい)じゃないよね、環境の所為(せい)でもないね。
 だから「思いがあるから感謝できない」のじゃないよ、逆ね「感謝しないから思いがあるだけ」ね。
 頑固に感謝しないのよ、はははは。ちょっと「ありがとうございます」を言ってみたら自然に感謝が湧き出るでしょう、思いが消えていくもんね。感謝しない人って、相当頑固よね、頑張り屋よ。呼吸を止めて「う〜ん」とうなってるような姿よね。感謝はもう自然にできるようになってるけど、思いを出すのはやっぱり努力が要るのね。みんなはもう一所懸命努力して思いを出し続けるのね。
 でも、感謝のほうは別に努力は要らんのよね。思いを出すのを止めたら感謝が湧き出る。もう自然に「ありがとうございます」って神さまが中から入ってくるにつれて湧き上がるように「ありがとうございます」が出てくるのね。


 恐い言葉の縛り

 だから、人の言葉の縛りってすごいでしょう「努力しなさい」と言われると努力してしまうでしょう。
 「頑張りなさい」と言われたら頑張ってしまうのね。それは人の言葉の縛りよね、みんなね。
 「勉強しなさい」と言われたら勉強してしまうんでしょう。
 「修行しなさい」と言われると修行するんでしょう。だから、悟るためには修行したら駄目なんです。
 「感謝しなさい」と言うと、また感謝し難いでしょう。
 いろんな意味の言葉の縛りってあるんですよね。だから、その言葉の縛りから抜け出る方法ね。これは嘘はついてないですからね――

 「ありがとうございます」を一言となえるだけ、はははは。神さまがスッと助けに入るのね。そうすると心を自由にしてくださるね、縛りを解いてくださるのよね。神さまは本当の自由だけを大事にしてくださるからね。神さまを呼んだら自由を与えてくださる。
「思い通りにしよう」という時も、その人の自由を縛りたくないから神さまは引っ込むだけよね。でも、自分から神さまを呼んだら「もっと自由になるように」って助けてくださるね。だから、必ず、言葉の縛り・思いの縛りをスッと消してくださるのね。そして自由になるといいものを選びやすくなるね。だから、感謝をはじめると感謝がしやすくなるでしょう。

 一言よね「ありがとうございます」と言えばあとが楽なのね。嘘でもなんでもいいよね「ありがとうございます」って言ってしまえば、後は「ありがとうございます」が続くようになって心が自由になっていくのね。
 皆さんはもう一回言ってしまったでしょう。ここへ来る人は、もうみんな一回は言ってきた人よね、お気の毒にって。
 でも「ありがとうございます」を唱えてない人は、ここへは絶対来ないですね。意味ないですもんね。
 「ありがとうございます」って唱えて神さまの助けが入ってきて、そして感謝の心を引っ張り出してもらってはじめて、ここへ来てもちょっとプラスがあるでしょう、いろんな意味でね。
 だから、感謝の心の自分が本物を感じ取れるね、神さまを感じ取れるんですよね。だからいろんな意味で本物を確認したい「本物とは何か」ってね。そういう意味でここへ来られるだけでね。
 だから、みんな「神さまを感じたい」という人がここへ来て、どっかで感じているんだと思いますけど。

 私を見てても駄目ですよ、わたしにたよっても駄目ですよ、どこにいてるかわからないですよ、神さまは。だから、私の言うことに縛られたらあかんのよね。私はみんなの縛りを解こうと思って一所懸命になってるだけでね、縛りが解けたら感じるんですね、どこででもね。

 このぐらいで、後は質問を。


 感謝が深まるいろんな状況

 「ありがとうございます」を言おうとしても言えない時と、言おうと思わなくても勝手にうなされて言う時とあるんです。ご先祖様が喜んでいる時に勝手に言うように思うのですが。

ありがとうございます:
 これもいろんな言葉で説明できますよね。もう全部当たってるのね。今言われたような意味もあるのね、言葉通りにね。もっと無限にいっぱいいろんな言葉通りにもなるのね。
 だから、自分の中から湧くように出てくるのもいいですよね。みんなの代わりにお祈りをさせてもらってるその時に、本当の神さまの中に入って祈ってくれてるかも知れないでしょう。いろんな神々様がいっぱい入って祈ってくれてるかも知れんね、ご先祖様もそうかも知れないね。それもいいことでしょう。
 でも、祈れない時もいいのよね、自分の代わりに神さまがいっぱい祈ってくれてるのね、だから自分は祈らなくてもいいという。


 苦しくてどうしようもない時は、必死で言わないといかんと思って一所懸命で。気の緩みかなと思って。

ありがとうございます:
 それもその言葉通りの姿があるというだけでね、それも無限の中の一つの姿ね。苦しいから祈れない人もあるのね、楽だから祈れる人もあるのね、それも事実なんよね。だから、いろんな姿で護り続けてもらってるよね。祈れる時はいい、祈れない時もいい、全部いいの。


 自分の気が緩んでいる時に、無理にでも一日にこれだけの回数を言おうと思っているのですが。

ありがとうございます:
 それも一つの楽しみ方よ、はははは。いろんな楽しみ方があってもいいけど。


 苦しみを与えてくださった二階の人に心を向けて「ありがとうございます」を言って感謝してましたら、しばらくしてから結果が出まして、簡単に引越ししてしまいました。それで今は静かになって。

ありがとうございます:
 今度、ねずみさんでも来てもらって踊りまくってもらわないと、はははは。でも、マイナスへ心を向けて感謝するのも大事だけど、プラスに心を向けて感謝するのもいいですね。
 そうでしょう「いい人ばっかし」というふうに感謝するのもいいじゃない、だから両方楽しめたほうがいいからね。


 北朝鮮の食糧難、餓死寸前の人たちの姿を見まして、私も質素に生活していますが、その人たちと比べると随分幸せだなあと思います。随分悲惨な状態を見させてもらうのは、自分が感謝がしやすいのでしょうかね。

ありがとうございます:
 そういう時はそういう姿で感謝が深まるようにしてくださるでしょう。


 イラク戦争も見させていただきましたけど「ありがたいな」という気持ちになりました。

ありがとうございます:
 そうね、でもね、それに執われたら感謝し難い人もあるからね。そういう時はいい姿を見せてもらって感謝が深まるようにしてくださるしね。だから、感謝が深くなるようにしてもらったら一番幸せなんで、そういうふうになってるね。感謝が深くなるように環境も調えてくれるよね。


 まだ自分で心の底から出てないのが自分でもよくわかっているんです。

ありがとうございますん:
 そのうちに、底から出始めたら大変よ、はははは、止まらなくなるじゃない、もう直ぐじゃない。


 「ありがとう」と言えないのはまだ余裕がある


 「ありがとうございます」という言葉自体は日頃使っていたような気がするんですけれども。ここに来てからは、言わないといけないと思う自分と、腹が立ったりどうしようもならない時に「ありがとうございます」と言えない自分に対して、自己嫌悪に陥ってしまって、よけい苦しくなります。
 何があっても「ありがとうございます」を言えない自分にこだわっている自分があって、辛い時があるのですが。

ありがとうございます:
 いいですね。辛くなるほど、その辛さが大きいほど、今度は幸せが大きくなるじゃない。苦しみが大きいほど楽が大きくなるよね。
 今は空気を深呼吸で吐き出してるのよね、お祈りをしてもしてもマイナスがいっぱい出るという人があるよね、形の上でね。心も雑念がいっぱい出て大変という人もあるよね。でも、その時ほど大きいマイナスをぜんぶ吐き出してるのよね。そうしたらもの凄い幸せがいっぺんに来るよ。でも、マイナスじゃないよ、ぜんぶね、まだ余裕しゃくしゃくよね。


 腹が立ったとか、どうしてもそれが出てくるんですよ。駄目だと思っても、悔しいと思ったり。

ありがとうございます:
 そうよね、まだ余裕があるね、はははは。本当の空気を吸い込んでずーっと長い間止めて酸欠状態という時は、止められないでしょう、どうしても吐き出してしまうよね、全部ね。まだ止められる余裕があるね、まだね。まだ酸欠状態じゃないみたいね、もうちょっと頑張ってもいいよ、はははは、その時にぜんぶ吐き出すのよね。考える暇が無いのその時ね、ぜんぶ吐き出してしまうね。そうすると感謝が湧き上がるね「ありがたいな」ってね。

 いろんな状態を体験した方がいいでしょう、幸せが幅広く大きくなるね。
 「幸せ」って一定のものじゃないのね。本当に無限に変化するし、自由自在なものよね。だからいろんな感謝の仕方を体験して、いろんな幸せを感じさせてもらうのね。それも一つの過程よね。
 楽しんでよ! はははは。

ありがとうございます:
 じゃあ、このままでいいんですね。「ありがとうございます」だけで。

ありがとうございます:
 そのままでいいね〜。必ず良くなるだけね。もう絶対放れられない、はははは。一回「ありがとうございます」って神さまを呼んだら、後は放れられない。後は神さまが幸せへの最短コースを歩ませるのね。
だから、必要な姿を与え続けて感謝が深くなるようにしてしまうね、大丈夫ね。


 神さまを感じるまでの過程



 先程「本物とは何か」ということを求めるという過程の中で「ありがとうございます」という言葉を繰り返していけば、「本物とは何か」というところに近づいてこれるというお話でしたが。
 例えば「ありがとうございます」と思ってもいないのに「ありがとうございます」という言葉を出すのを繰り返していけば、心の中から「ありがとうございます」という気持ちが段々膨らんでくるというものなのでしょうか。

ありがとうございます:
 本物というのは、まあ神さまなんですけどね。神さまを本当に感じ取るまでにいろんな過程を通るんですね。「神さま」というのは、一番上でもあり全体でもあるのね。最初は一番上をみんな掴もうとするはずなのね。そして次に全体を掴もうとするのね、全てから幸せを感じ取るのね。
 それを苦しい状態に置いたほうが楽を、言うたら「求める心」になるでしょう、そういう意味では苦しい姿を先ず体験するのね。それでより上を目指すのよね。最初から上ばっかしだったら、求めるものは何も無いのよ。幸せな人は普通は神さまを求め難いの。だから一回苦しんで、それで神さまを求める心を起こさせるのよね。それで途中で止まるとまた中途半端になってしまうけどね。それをきっかけにして本当の神さまへ心を向けさせようとしてるね。途中で止まった人はまた同じことを繰り返すんだけどね。


 「ありがとうございます」と思ってもいないのに「ありがとうございます」という言葉を出すということはそれなりに意味があるということですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」は感謝の心が湧いてきたから唱えるのじゃないのね、神さまを呼んで助けてもらうためよね。「感謝しなさい」じゃないのね、神さまを呼んでるだけなの。「助けて欲しい」というふうに神さまの助太刀を願ってるだけね、そういう意味で神さまの名前を呼ぶだけね。そうすると必要な助けが入ってくるね、そして湧き上がるように感謝が出ていい時は、湧き上がる感謝になるの。

それも必要に応じてしてくださるからね、それも本物に出会うまで、神さまを感じるまでずーっと助け続けてくれるから。最初はどんな唱え方でもいいよ、空念仏的にでも、感謝が心から何もないのに「ありがとうございます」を無茶苦茶に言ってもいいよ、はははは。でも、神さまの助けは入ってくるの、呼ばれたら必ず神さまはね。そして助け続けてくださる、その人に応じて必要な助けを的確に与えてくる。
 そういう言葉ね、「ありがとうございます」はね。


 根源の天照大御神さまと、人間である天照大御神さまと、どうして同じ名前がついたのでしょうか。

ありがとうございます:
 そうね、人は真似をするのね。「あやかりたい」というところがあるじゃない。人はどんな言葉を使ってもいいよね、でも本物と偽物があるでしょう。神さまが本物で人の使ったものは偽物よね。偽物と決め付けなくてもいいけどね、小さい模型というふうに見た方がいいかも知れないけどね。その区別さえついてたら「みんな天照大御神」と言ってもいいよ、別に構わないよね。天照大御神さまは腹を立てたりしないね、自分を呼んでくれているように思うから。


 「ありがとうございます」を子どもに言わせた場合には効果があるかということと。子どもがやらない場合は親がやるのが有効なのかどうか。

ありがとうございます:
 自分の見ている世界は全部自分の心を写し出しているというふうに見たら、自分が「ありがとうございます」を唱え出したら自分の周りの人は全部変わりだすね。だから、自分が「ありがとうございます」を唱えるだけで周りを全部変えてくださるね。
 これは、もう自分の心を神さまが変えてくるの、だから心の写る周りの環境が全部変化するね。だから、自分の心が変化して変わるのね。だから、自分一人が「ありがとうございます」を唱えるだけでいいの。そうすると自分の心に神さまの光が、プラスがいっぱい入ってきて、心をプラスに変えてくださるからよね。それで周りに写る姿が全部プラスに変わってしまうね。
 それで、後、感謝が深くなるにつれて、神さまが周りから現われだすのね。鏡に写る姿じゃなしに、神さまが現われてくるね、周りに全部ね。するとみんな全部輝いて見えるね、みんな祈ってる姿に見えてくるね。 
 「みんなが祈ってる」という姿をとってくるね。


 効果はいつ現われるか


 効果が現われるということですが、ある段階を超えないと効果はないのでしょうか。「ありがとうございます」を唱えはじめて大体どのぐらいでしょうか。

ありがとうございます

 それもみんな一人一人違うね。自分の今の心の状態がどういう状態かというので、先ず神さまは心の中をプラスにプラスに変えてくるでしょう。そのマイナスの消し方も自分の真剣さに応じて、どれだけ真剣に願ってるか、その人の自由意志を尊重してくるね。早く大きく消して欲しいという、こういう気持ちだと真剣に唱えるね。その時は大きく早く消してくださるね。
 でも、その真剣さが無いと緩やかに消して欲しいのね、あまり早く消して欲しくないというところがあるでしょう。そうする少しずつマイナスを消してプラスに置き換えてくるね、だから時間的にもちょっと余計にかかるという感じね。だから、一人一人に合わせてくださるね、自由意志を尊重しながらね。
 だから、早くプラスに変えたい時は真剣に唱えるといいね「ありがとうございます」ってね。そうしたら早く変わるね、パッと変わるかも知れないね。


 鏡があるうちは神さまを感じてない


 人間がいた場合に、鏡が前にありまして、例えば、最初に六人いた場合に自分の周りに六角形の鏡がある。その三面はクリアに写っていて、残りの三面は曇っている。その曇っているところに自分で「ありがとうございます」と一つずつ消していきながら六面の鏡が全部クリアになった時に、心の器というのがあると思うのですが、次に八面、三十二面、それから前後合わせた立体的な面の鏡に全部「ありがとうございます」で全部クリアになって行くということが、自分の器が大きくなるというようなこととは違うのでしょうか。


 神さまは鏡に現われるのですけど。神さまの鏡の変化が無限にあるのね。
 平面になったり、凹面になったり、凸面になったり、それも周りの形をいろんな姿の鏡に変えて、その人に合わせて必要な勉強をさせるように、させるようにしてくるから、これを自分が変えるのじゃなしに、神さまが自分に合わせて変えてくださるからね、鏡自体がね。これも無限の変化があるね。ただ、もうそれから自分が学びプラスを感じ取ればいいだけね。それで、神さまが順番に鏡を変化させて、更に学びを多くして、気づきを多くしてくださるでしょう。そのうちに鏡が消えて輝きだけになるのね、そこまで行くのね。
 最後は、神さまを直接感じて欲しいのね。


 鏡があるうちは輝く世界には――

ありがとうございます:
 まだね、まだ神さまを感じてないもんね、はい。


 先程のお話にもありましたように、自分ではしっかり人生を生きているつもりでいましたが。ある時、どうもボタンのかけ違いをしたのではないかと、それで一旦バラバラにしてみました。そしていろいろ体験をさせていただいて、本当に地獄までは参りませんでしたが、今はもうかなり思いの底に沈みながらもやっております。自分で座禅をしましてから二十年ぐらいになるのですが、自分の心が光の空間に自分が幸せを感じていますけれども。ある時期「本当に気が付いたということを気が付く」というふうに感じたのです。光の中にいながらも、まだ本当に気が付いた自分じゃないということを気が付いているのですね。
 「ありがとうございます」を唱えて、そのまま続ければいいかという思いでいます。

ありがとうございます:
 それでいいんですよ。どんどんより深く気づく自分に変化するんですね。これも神さまの助けで全部そうなりますね、だから大丈夫ですね。今のままで自然に続けられたらいいですね。


 そして、今日ありがとうございますの光と、自分の体験している光が共鳴できて大きくなるということを、今日はそうなりたいなと思っています。

ありがとうございます:
 共鳴してますね、はははは。


 病気になって消してあげる


 病気になるということは消えてゆく姿だから感謝をすればいいということをお聞きしたのですが、病気になった時にそういうふうに素直な気持ちになれるのでしょうか。その時に「ありがとうございます」と言える自分であれば消えていくのでしょうが、喜んでその病気を受けるという気持ちにならないと消えないですね。

ありがとうございます:
 病気になりたいというぐらいがいいんじゃない、はははは。「みんなの身代わりになって、自分が病気になって幸せを与えたい」というぐらいのほうが早く消えるのよね。病気から逃げようというと追いかけてくるでしょう、病気が。だから、自分から病気を捕まえて「病気になってあげよう」という方が病気の方が逃げ出すかも知れない。

 だから、病気の原因ってたくさんあるのね、種類がね。だから、菩薩行的に病気になる方法がいいのね。家族に誰かマイナスを持って病気になる因縁があったら、自分が身代わりに病気になって消してあげるというのがいいじゃない「みんなの幸せのために」ってね。そうすると病気のほうが逃げてしまうね、消えてしまうのね。 病気がマイナスじゃないよ、本当はね、恐いもの違うのね、心のマイナスを消すためだけでしょう。形に現わしてマイナスを消しているだけよね。だから、どんどんなってあげて、遠慮せんと。すると病気の方が嫌がって逃げてしまうけど。掴まなかったら大丈夫よね、掴むといつまでも引きずるじゃない。

 「治そう」という時は病気を掴んでるよね、病気を捕もうという時は病気じゃないの、その人ね。 だから「何を掴んでるか」というのが一番大事よね。病気でない自分を掴んでいる方がいいね。そうすると病気から放れてしまうのね。だから、病気を掴みに行けばいいよ、その自分は病気じゃない自分よね。
そのぐらいの気持ちだったら楽ね。
 ありがとうございます。



起テープ/M.T


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ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神さまですよ。そういう意味だったら本物の神さまが必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神さまから来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神さまの教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神さまの教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神さまの働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神さまの働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神さまの助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神さまの本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神さまはどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神さまじゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神さまだけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神さまがみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神さまの働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神さまと一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神さまと一体なのです。本物の神さまの現われと見るんだったら「みんな天照大御神さま」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神さま、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神さまが入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神さまでないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神さまが働いている、本当の神さまのいわば分身として、すべての神さまが助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神さまに力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神さまを試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神さまの救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神さまの命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神さまの宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神さまの働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神さまに助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神さまから命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神さまの本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神さまの方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神さまは微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神さまの願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神さまへの全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神さまにお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神さまの光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神さまの譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神さまの愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神さまの最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神さまの大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神さまの絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神さまは全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神さまから加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神さまに加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神さまは「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神さまのプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神さまの助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神さまの深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神さまは戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神さまは放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神さまを悪者にしてしまうね。「神さまの御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神さまの御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神さまの御心のままにとは言えないのね。何%かの神さまの御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神さまの御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神さまのお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神さまのもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神さまやね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神さまへのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神さまが創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神さまが作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。


 無限の無限とは


ありがとうございます:
 答えのわかっている人? 
 普通「無限」でいいと思うんですけどね、でも一つでは足りないんですね。それでもう一つ付けて「無限の無限の」でもまだ足りないんですね、本当はね。
 いろんな意味合いから足りないんですよね。一通りや二通りじゃなしに、たくさんの意味合いで足りないんですけど。それを幾つか例をあげて考えてみましょう、一緒に。ちょっと知恵を絞ってくださいよ。
 一人に一つずつ言ってもらいましょうか。

 「無限の無限のありがとうございます」も「無限の無限の幸せ」も「無限の無限の」と付く意味も一つずつ考えてみたいのですけどね。どういう意味があると思います? 答えは皆さんの心の中にって。

 「無限の無限の幸せ」についてちょっと考えてみましょうかね。
 今「無限の幸せで一杯」という人はいてます? みんなそうですね。この「無限の幸せで一杯」というのは、今ここにいる自分ですよね。そうすると時間って、過去から未来まで永遠に続いているとして、無限の時間があるでしょう。それぞれの時間帯に全部自分がいるんですよね。時間的にみても、無限に時間があるので「無限の無限の幸せ」ですよね、全部ひっくるめてね。
 それに、「次元」と見ても無限の次元がありますよね。「番組」と言ったら無限の番組というふうに見てもいいんですけどね。その全ての番組に出演してますよね、皆さんね。
 今の自分が無限の幸せで全ての番組に出演している自分がまた無限にあって、これも「無限の無限の幸せ」というんですね。

 「宇宙」って入れ子構造というのね。入れ子構造が、これがまた無限に続いているんですね。今、この大宇宙を眺めている自分が「無限の幸せ」と感じるでしょう。
 原子の中にもまた宇宙があって、その宇宙の中の原子にまた宇宙があってという感じでしょう。そうすると底知れん「無限の無限の幸せ」ですよね。
 「幸せ」というのもみんな顔つきが違うんですよ。「無限の幸せ」というのも、一つの単位で見た時に同じ幸せは一つもないですね。みんな種類が違うんです、無限の幸せでもね。顔が違うんです、みんなね。
 幸せはやっぱり「無限の無限の」となるんですね、幸せがね。大きさからも無限に違うのね、また深みもまた無限に違うんですよね。また高さも違うという感じで、いろんな違いがあるんですね、本当に。

 自分の一つの幸せだけで、本当は「無限の無限の」なんですけどね、今自分が「無限の幸せ」って言って、他の人もそういうふうに言いますよね。人類が無限にいてたら、自分一人の幸せじゃなしにみんなの幸せを自分のものにいただけばいいですよね。「私の代わりにみんな身代わりに幸せを味わってくれて」という感じですよね。みんなのもひっくるめて「無限の無限の」となりますね。
 人だけが幸せと思います? 違うんですね。動物も植物も石ころ一個もね、原子一個もみんな無限の幸せを味わうんですね、意識あるもの全てそうですね。その幸せも全部もらいましょうか。また、みんな大きくなりますね「無限の無限の幸せ」というふうにね。

 「無限のチャンネル」というのは、全部それぞれに幸せを持ってるでしょう「無限の幸せ」を一つの番組に無限の幸せがあるはずですよね。
 例えば「この世」を眺めても幸せを数え上げたら無限にあるんですよね。チャンネルが無限にあったら、またそれも「無限の無限」ですよね。もっと細かく分けると、この世のチャンネルに一つ無限の幸せがあって、この世もまた無限に細かく分けたらわかりますね。この細かく分かれた番組の中には無限の幸せがありますよね。この世だけでも無限の無限の幸せがあるんですよね。面白いですね、入れ子構造というのはね。まだまだいっぱいあるでしょう。いろんな角度からいろんな見方がいっぱいできますよね。

 普通、神さまの世界は「光の世界」と「闇の世界」と大きく二つに分けた時でも、「光の世界」にも無限の幸せがあって、「闇の世界」にも無限の幸せがあるんですよね。ただ、受け方、見方が違うんですけど。
 例えば、真っ暗闇の中に星明りでもすごい幸せを感じるでしょう、蛍の光でもすごいですよね。すると闇の世界にも幸せをいっぱい感じるんですよね。
 光の世界はまた違う幸せがいっぱいあるんですね、無限にね。
 「顕界」と「幽界」というふうに分けて、顕幽の両界を合わせると「無限の無限の」という幸せの見方があるんですよね。
     なんか深刻そうに‥‥ はははは 幸せでしょう、はははは

 幸せでも「実の幸せ」「虚の幸せ」と分けると、光もそうですね「実の光」「虚の光」というふうにわけると、虚の世界にも無限の幸せがあるし、実の世界にも無限の幸せがあるのね。「虚実の幸せ」を合わせて「無限の無限の幸せ」という。どこから出てくるんでしょう、こんなもの。
 無限の幸せが今ここにあって、その幸せが全方向からまた飛び込んでくるでしょう、無限の方向からね。
 それがまた奥にところてん式に無限に連なったらどうです? 神さまの幸せの与え方はそんな感じですね。全方向からところてん式に無限に連なってるね、集中的に飛び込んでくるのね。もう、常に無限の無限の幸せで一杯ですよね。どこにいてても幸せばっかしでしょう。

 肉体一つ見てもそうでしょう、細胞一個一個も無限の幸せを持ってるのね。細胞の数が60兆だったら足りないですね、無限に‥‥。原子に代えたらどうでしょうね、一個の細胞の中にどれだけ原子があるでしょうね、凄い数でしょうね。数えきれなかったら「無限」と言っておきましょうか。肉体の中に無限の無限の幸せがありますよね。そこに順番に「ありがとうございます」って幸せを感じていけばね。

 海で泳いでいる時に、砂場に寝そべって砂の数を数えたことはあります? はははは。この砂粒ね、無限の幸せを感じてるはずなんですよ。砂の数を数えてみましょうか、無限に近いかも知れないですね。
 もう数えきれないものは「無限」と言っておきましょうね。どこを見ても「無限の無限の幸せ」になってしまいますね。なんでこんなややこしいことを、神さまって暇なんでしょうかね。どこまでもどこまでも幸せを数え上げようとして。
 幸せって本当は数えあげないと行けないんですね、一つ一つね。数えあげて確認するのが本当はいいみたいですね。漠然とバッと掴むのはあまり大したことがないでしょう。中身を一つ一つ数え上げて、それで大きく感じるのがいいですね。

 だから、地球上の全ての存在を一つ一つ確認しながら「ありがとうございます」を言うと、みんな幸せに通じますよね。一生かかってもちょっと数えきれないんですけど。それで何回も生まれ変わるんですかね、はははは、数え終わるまで。卒業できないですね、はははは。

 感謝行というのは幸せを発見するためにしてるんですね。発見というより再発見ですかね、もう一回確認という意味で、感謝行で幸せを確認していくんですね。どこまでもどこまでも幸せって一杯なんですね。
 この幸せだけをとらえてもそうでしょう。その幸せを前面に出した時に、バックにいろんな要素がいっぱいくっつくんでしょう。「喜び」とか「安らぎ」とか「平和」とか「愛」とか「知恵」とか、バックのつき方で全部変わりますよね、同じ幸せでもね。丁度ダイヤモンドのカットと同じで、一つのカットの面を前面に出しても、置き方によっていろんなダイヤモンドの姿をとりますでしょう。バックによって幸せは変化しますね、無限に無限に変化するでしょう。「幸せ」という本体は変わらないのに、バックが変わるだけで大きい変化ですね、見え方が変わるんですね。それも「無限の無限」と必ずなってくるんですね。
 まだまだ行ったほうがいいですか、あっはははは。いくらでも出てきそうですけど。
 
 でも、神さまの幸せの与え方って凄いですね。これも感謝の心を起こしたら気づくんですね。思い通りに生きている時は気づかないでしょう。「思い通りに」というのは小さいものを掴むだけで、もう「それだけで」という感じですから、心が拡がらないんですね。一回「ありがとうございます」と言ったのが運のつきでね、はははは、もう、無限の無限の幸せを感じるしかない。
 みんな中から、そういう幸せを感じる能力って湧き上がってくるんですね。もう実感させてくださると思いますねみんなね。もう、実感できてます? 

 いろんな神さまの徳性というのも、光で見たらいろんな種類の光がいっぱいあるんですけどね。光の種類は無限にあるんです、本当はね。光の組み合わせって、凄い組み合わせになりますね。
 この世の光も色合いがいろいろあって凄いですけど、高い番組へ上がるほど凄いですね、色合いがね。輝きの輝き方が全然違うんですね。
 やっぱり、色合いでも、光の色合いと、物の色合いと違うでしょう。光のほうは透明感があるでしょう、透明感のある色合いの方が凄いですね、奥が深いんです。普通の色は表面だけで浅くなってるね、奥へ入れない、奥が見えないですもんね。
 でも、光の透明感のある色合いというのは、また表面がちょっと濃い赤とするでしょう。奥が変化する、同じ赤でもね。無限の種類の赤が連なるんですね、同じ一つの赤でも奥が全部違うんですよね。それで表面を輝かしてるという感じですね。だから、幸せの色合いも、奥の色合いが違うことによって無限に無限に変化しますね。楽しいでしょう、考えてるとね。神さまって楽しいんでしょうね。みんなを喜ばすために、楽しますために苦労してるんでしょうかね。遊んでるんですよね、神さまはね。

 誰か代わりに答えてくださいよ、他にもあるでしょう、いろいろな見方がね。

 番組自体もそうですね、無限の無限のチャンネルの番組を創るという、神さまの本当の心って凄いと思いますね。無限の無限のチャンネルって、何一つ無いものはないんですよね。人が何を願っても全部取り揃えてるという感じですね。いつ何を願ってもよ、全部あるの。それでなかったら神さまの値打ちはないですね。
 あの世を大きく「無限のチャンネル」って分けるでしょう、そしてこの世を更に細かく分けて、この世も無限に分けて無限のチャンネルですね。でも、この世の一つのチャンネルの中にも、やっぱり無限のものがいっぱいあるんですよね。この世の宇宙ってまだ掴めないでしょう、これも無限に小さいものから無限に大きいものまでぜんぶ把握できるかというと把握できないですね。中間点をちょっと一部、ちょっとだけでしょう。どこまでもどこまでも神さまは隠したいって、はははは、皆さんに宝探しをして欲しい、幸せの宝探しをね。でも、どこまで行っても幸せの宝物ばっかしですけどね。
でも、「宝探し」って簡単なんですね。みんなちゃんと鍵を持ってるでしょう「ありがとうございます」という鍵をちょっと使ったら、みんな幸せに見えてくるのね。出会うものが全部幸せになるんですね。幸せの扉がパッと開くのでしょう。目の前に何があってもいいんですね、鬼が現われても、ちょっと「ありがとうございます」の鍵でちょっと開けたら鬼が仏様に変わる。地獄の門をちょっと開けたら極楽に変わるでしょう。どんな難しい問題が目の前にあっても「ありがとうございます」で鍵をちょっと開けたら答えが出てくる。凄い鍵を与えてもらって。
この「ありがとうございます」って鍵は、もう最高の鍵ですよね「打出の小槌」ぐらいじゃないでしょう。別に振らなくても出てきますからね、はははは。

 「ありがとうございます」一言で、本当に無限の無限の幸せが一杯になるんですけど。そこへまたもう一つ「無限のありがとうございます」と言うとまた増えるんでしょう。更に「無限の無限のありがとうございます」最近は無限の無限のありがとうございますを言いすぎじゃない。中にはもう一つ付ける人があるかも知れない。
 でも、付けた方がいいみたいですね、付けたらその感覚が甦るんですね。「ありがとうございます」だけで普段はいいんですけど、偶(たま)に「無限のありがとうございます」とか「無限の無限のありがとうございます」って、これを心に唱えると、深みのある「ありがとうございます」に戻るんですね。だから、「無限の無限のありがとうございます」を中に持ってる「ありがとうございます」に変化しますでしょう。だから、偶にそれを使ったほうがいいですね。

 「幸せ」もそうですね。「幸せ!」というふうに大きくとらえるのもいいですし、「無限の無限の幸せ」というのもいいですね。そうしたら入れ子構造になって、一言の幸せが大きくなるのね。そういう意味で「無限の無限の」と付けるのも大事ですね。何もかも大きくなって深みができて、いい言葉ですね、だからね「無限の無限の」という言葉はね。

 このぐらいでいいですか、どうぞ質問を。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 「霊太陽」があると聞きます。そういう太陽が人間の目に見える、そういう霊障が起こるのかということ。その霊太陽が霊障として現われた人がいたとしますと、その人の使命というのは、見たということに関しての使命があるのでしょうか。

ありがとうございます:
 あのね、みんなその言葉通りね、やっぱりね。そういう言葉でチャンネルを選ぶのね、そうするとそれなりの番組が引き出されて、それなりのストーリーが続くのね。でも、その言葉を使わない人も大勢いてるでしょう。使わない人はその影響を全然受けないしね。だから、言葉通りの番組を全部取り揃えられてるから、「言葉通りに楽しんでいる」というのが本当なのね。どんな言葉を使っても出てくるよ、番組が引き出されてくるのね。だから、その人がどういう言葉を使ってどういう番組を引っ張り出すかなのね、一人一人ね。本当に自由に言葉を使って自由に番組を引っ張り出せるね、なんでも引っ張り出せる。

 でも、縛られたらいけないよね。言葉の縛りってやっぱりある意味ではがんじがらめに縛られると恐いですね。だから、その言葉の縛りに合わないように、言葉を自由に使って楽しむというのが本当なのね。
 だから、その言葉に縛られてがんじがらめということは絶対ないね。もう「自由自在」というふうに見て、無限の選択肢がいつもあるのね。だから、あまり言葉に執われないほうがいいみたいね、何が見えてもいいよ、見えなかってもいいし。後ろに何が見えるかもわからんね、無限の種類の何が見えるかわからん。それも楽しめば楽しんだらいいよね。そのぐらい気楽な方がいいね、見方もね。


 地球上に60億ほどいる人間の中で、この「ありがとうございます」とか、ありがとう村に縁をいただくのは奇跡の中の奇跡だと思うんです。だから、部屋が東側にありますので、窓を開けて朝の起きたてに「無限の無限の健康をありがとうございます」「無限の無限の幸せをありがとうございます」思い付く言葉をいっぱい言ってるんです。今日伺って「無限の無限の、もう一つ無限を付けよう」て(笑い)言ってみようかなと。なんかそれだけでワクワクウキウキしてきて、一日の出発ですので、お客様のお蔭で、家族のお蔭で、今こうあるという幸せがものすごい湧いてくる。だからこの奇跡を大切に明日からもう一つ「無限」を付けて頑張って声を出して言ってみようと思います。

ありがとうございます:
 本当ね、同じ幸せをみんなにも施さないとね、はははは。無限の人に施して、みんなの代わりに唱えるのよね。お返しがまた多すぎますよ、ちょっと、いっぱい戻って来すぎますよ。もう一つまた「無限」を付けないと。幸せね。


 「ありがとうございます」を言い始めたのは最近ですが。夜寝る時に「ありがとうございます」を言ってますと何回かで寝てしまいます。今日からこの「ありがとうございます」の前に「無限の無限の」を付けて寝るように心がけて意識の中に入れていきたいと思います。ありがとうございます。


 障害者に学ぶ


 筋ジストロフィーのお子さんと仲が良くて友達で一年ぐらい付き合っているんですが。最初のうちは可哀相にと思ってました。身体も動かないし言葉も出ないし、「可哀相、可哀相」と思っていたのですが。ある日、その子の表情とか訴える眼を見て、「ああ、この子は可哀相ではないのじゃないかな」ということに気が付いたんです。私が彼にいろんなものをもらっているなというふうに思って、この「ありがとうございます」のお話を聞いたときに、ああ、やっぱりそうだったんだな、私だけじゃなくお互いに「ありがとうございます」という良い関係で、気づいて良かったなというふうに思いました。

ありがとうございます:
 すごい気づきよね、それねえ。


 ただ、同じ地球に人として生まれて、私たちは体が動いて五体満足でいるのに、日に日に動けばいいかなあ思うのですが。

ありがとうございます:
 でもね、一回自分も体が動かない状態になってみると、動くことの幸せってもの凄い感じるでしょう。病気で動けないのもいいですけど、一回小さい箱の中に入ってみられるといいね、はははは。
体を動かせないような状態の箱に入れてもらうのね。多分、一日我慢できないと思うね。何時間かで音をあげてしまうよね。それだけ動けるのが幸せなの、本当はね。
だから、いろんな病気で動けない人も、本当は動けることの幸せを嫌というほど味わってるね。ちょっとでも動いたら「幸せ」という感じね。それでみんなの動けている姿を見て、また「幸せ」って感じるね、大きくね。だから、動けない体験っていいのよね。もうちょっとだけ体験してるのね。もうずーっとじゃないもんね、この世に生きている一生ぐらいは短い時間だしね。この一生ずーっと動けないのかというと、そんなんじゃないしね。ちょっとそういうマイナスに見える体験を積むと幸せが大きくなってるね。
小児麻痺の子でもそうでしょう。周りは可哀相に見えるんだけど、違うのね。本人の目は輝いているじゃない。幸せをいっぱい見つめてるのよね。病気しないとみんな健康のありがたさをわかってないもんね。病気をした人がはじめて健康に気づくのね。だから病気をした人のほうが幸せかも知れない。ちょっとは早くしておいたほうがいいね。一生しても大丈夫。


 仕事場の道具に感謝



 一人で美容室で仕事をしているんです。今まで私は「一人だ」と思ってたんです。「ありがとうございます」を繰り返すようになったら、お店が終った時に、鏡や椅子やドライヤーや鏡までに「みんな助けてくれてありがとう」という気持ちがワーッと湧いてきたんです。そうすると私が一人でしてるんじゃない、みんなにありがとうって言うきっかけをいただきました。

ありがとうございます:
 凄いね、髪結いと鏡だったら、神さまばっかし、あっはははは。


 お祈りしている時にテープが流れますが、それと合わせて私とばーっと共鳴するように波動がそうなるのですが。

ありがとうございます:
 波が共鳴するといろんな感じ方をするでしょう。幸せな感じになってくるよね。
神さまの助けの与え方って、いろんな角度からいろんな助けを与えてくるでしょう。感覚もいろんな変化をしてもいいんだけど、楽しめばいいね、それをみんなね。「ああ、幸せ」って喜んで楽しめばいいね、また別な変化が必ず起こってくるけど、全部楽しむばっかしがいいね。それも無限の種類の楽しみ方をね。


 欲しいものと必要なもの

ありがとうございます:
 「欲しいもの」というのは思いの心が「欲しいもの」というふうに求めるんですね。でも、必要なものは神さまが与えてくださってるのを、感謝の心で気づくんですね。神さまは必要なものを全部与えて尽くしてくるね。感謝の心はそれに気づくのね、「必要なものは既に全て与えられてる」って、豊かにあたえられてね。
 空気でも必要ですよね、空気はちょっとだけということはないでしょう、無限に与えてもらってるでしょう。
太陽の光も必要ですよね、だから太陽もずーっと照り輝いてくれる。
 大地も必要でしょう、ちょっとだけだったら、そこだけしかなかったら歩けないでしょう、土のないところは歩けないですからね、落ち込んでしまいますよね。大地も無限に続いているのね、本当はね。
 本当は、必要なものって無限に豊かに与え続けてもらうね。
 食べるものもそうよね、地球上に無限にあるのよ、一人で食べるのは大変でしょう。本当は自分のために無限に食べ物を用意してくれてるのね、でも食べきれないですね。次から次へと新しい食べ物が生まれてくるじゃない。全部自分のためのものね、本当は一人で食べてもいいのよ。誰も文句は言わないけど、食べきれないから人に与えているような感じね。
 着る服も同じよね、無限の服をつくってくれてるのね、みんな着たらどう? 重ね着をする? 一秒毎に着替えないと、全部着れないね。
 住む家もいっぱいあるね、地球上にね。どの家に住んでもいいんだけど「こんにちは」と入っていったら自分の家よ、はははは。全部の家に住もうと思ったら一瞬しかおれないよ、そこにね、はははは、一歩足を踏み入れたら勝ちよ。ねえ、本当に必要なものは全部与えてもらってるね、豊かに豊かにね。

 でも、思いの心は「あれが欲しい、これが欲しい」と願うんだけど、願うことがあまりにもみみっちいね、小さすぎるね。みんな「これだけでいい」と言うのね、無限に与えてもらったものを拒絶して「これ一つでいい」というのが欲しいものよね、はははは。「欲しい」という人を見てたらそうよね、「あの車が欲しい」というと、その一つだけよね、一台だけよね、全部の車が欲しいという人は無いのね、あれは不思議にね。本当に気の毒に。どの車でも乗れるのにねえ。神さまは上手にしてるね、必要なものは全部与えてくれるね、もう何から何までそうよね。欲しいものを探し始めたらつまらん幸せしかそこにはないから、早くそれに気づくように頭を打たせるのね。だから、欲しいものは手に入らないようにしてくれる、はははは、それも早く早くしてくれる、はははは、そうしたら早く幸せに気づくもんね。欲しいものが手に入っている間は気づかないよね。何か欲しいものはあります? もう無いでしょう? お金が欲しい?
 
 お金が欲しいと言っても、地球上のお金を全部欲しいという人はないのね。いつでもくれるのよ、家に入らないでしょう。札束に押しつぶされるよ、はははは、どうする? もう身動き取れなくなるじゃない。
 そうしたら「要らん」と言うんでしょう、その時はね。ちょっとだけ欲しいの? はははは、無い方がいいね。もう、何も欲しいって願わなくていいよね。「ありがとうございます」で受けるだけよね、もう全部与えてもらってるからね。必要なものも、欲しいものも、全部本当は与えてもらってるね。でも、必要なものだけしか要らんのよね。全部もらってもいいんだけど、味わい尽くせないのよね。だから、必要なだけが味わえるものね。神さまは上手にしてるね。
 「欲しいものと必要なもの」答えを知ってるから話しようがないのよ(笑い)はははは。


 自転車操業も徳の貯金でやりすごす


 私は会社を引き継いでいるんですけど。借金があると、それは大変ありがたいことだということで、それがわかって。でもやっぱり借金は無い方がいいよねという話もいっぱい出てくるので。それもそうだなと思いながら。銀行も貸す相手がいないと成り立たないというところもあるので、回っていけばそれでもいいし、そうじゃなければ役割が終ったと考えればいいかなとも思いますが。そういうことでいいものなんでしょうか。借金を無理矢理返そうとして欲張って儲けるというのはしたくないし。
 今、リサイクルの仕事なんですが、空き缶などを持ってホームレスの人たちが来てくれるんです。元気に来てくれるというのがありがたいし嬉しいし。その人たちの人生を聞けることもあって、それもありがたいことなので。それに感謝だけをしていけばいいのかなと思ったり。借金もできるだけ早く返す努力をしたほうがいいのか、経営的にはどうしたらいいのかと思うこともあります。

ありがとうございます:
 借金だけだと追い立てられる時があるでしょう。貯金も増やしておいて両方持ってたら大丈夫ね、はははは。借金があることによって、恩返し・借金返しをしないといけないし、働く意欲もいっぱい湧いてくるよね。そしていい働きをいっぱいさせてもらうのでしょう。それで貯金もいっぱいしておくといいね。借金取りがきて「今、返して欲しい」という時は返してあげられるもんね、余裕しゃくしゃくとね。両方しておくといいね、そうするといい人助けね、銀行も助けられるし、はははは。
 お金を貸して生活が成り立つ人もあるし、そういう人も助けてもいいよね。でも貯金もしておかないとね。そういう意味だったら、借金をしてても大丈夫ね。
 借金だけだと利息が付いて追い立てられるから、結局しんどい目をするけど。一方で貯金もいっぱいしておけば、それにも利息が付くから楽に回っていけるわね。そういう意味だったらいいのね。


 結構自転車操業だったりすると、冷や冷やするんですけど。こんなに不況と言われているわりには、最後の最後に助けられちゃうのは、私自身はありがたいんだけど「また助けてもらっている」という感じがすごくあるんです。それはそれで感謝なので、たくさん感謝行に励まないとと楽しく。

ありがとうございます:
 そうね、感謝行で徳の貯金がいっぱい積まれているからいいじゃない。


 お祈りする人は、よく動ける人になる


 「ありがとうございます」のお祈りをすることがすごく幸せであるという人と、全く「ありがとうございます」を知らない人の中にも、身を粉にして働いておられる人もいます。でも、身を粉にして働いてくれる人がいるからこそ、祈りの世界に集中できる人がいるということも考えられると思うのですが。
 仕事もしないで「ありがとうございます」さえ言っていればいいと思って、世の中の人全員が祈りの中でずーっとやり続けるとしたら、この世の中は成り立たないんじゃないかなという気がするのですが。

ありがとうございます:
 祈りって何もしないのじゃないのね。神さまの大きい働きを受けることよね、祈りというのはね。自由自在に動かしてもらうのね、本当の祈りはね。神さまからプレゼントをいっぱい受けるだけが祈りね。

でも、思いのほうは小さく掴んでそれしか受けないから、神さまのプレゼントを拒絶するのよね、そういう意味で「お祈りがいい、感謝がいい」というだけね。でも、本当は動かしているのは全部神さまが動かしてるからね、人がしているんじゃないね。全部神さまの大きい働きよね、ただそれを受け取るか受け取らないかの違いね。だから、感謝をすると受け取れるのでしょう。だから感謝をしたほうがたくさん受け取れるというだけね。

 「思い通りに」というのは、ちょっとしか受け取らないのよね。だから、大きいのは拒絶しておいて、「一つだけ」というのが思い通りの生き方よね。そういう意味だったら早く「ありがとうございます」になった方がたくさんの幸せを感じるから、ちょっとは何もない状態で幸せを小さくするのもたまにはいいよね。そしてまた大きく受けたら幸せが大きくなるという意味でね、まあちょっとは思いに生きてまた感謝へ戻るというのがいいのよね。そうすると感謝が深くなる、はい。


 去年の十二月にありがとうございますの誕生日にお目にかかりまして、「ありがとうございます」と般若心経は同じということを伺いまして、それで最初はチラシの裏に「ありがとうございます」をずっと書き込んだのですが、今頃はノートに「ありがとうございます」を書いています。それと同時に「ありがとうございます」の入ったテープがございますね。それを朝従業員が来るまでに、有線のところにつなぎまして、うちの店だけに「ありがとうございます」の言葉が流れるようにしています。そうしてますと、聞かない朝というのは落ち着かないんです。それで、毎朝それを聞くことで、自分が落ち着けて、今日も一日感謝しながら過ごさせていただけると、お祈りしながらさせていただいています。ありがとうございます。

ありがとうございます:
 素晴らしいね、ありがとうございます。


 まだ足りないのですが。それと同時に、犬がいたり、鶏がいたり、動物と一緒に(ありがとうございます:楽しいね)いると、犬がワンワンで言葉に出ないことに「あなたも言葉が出たらいいのにね」ということから「ありがとうございます」を言いなさいねとか、そういうことを日々多いのですけども。本当に「ありがとうございます」という言葉で感謝させてもらっています。

ありがとうございます:
 ねえ、本当にね。
 ありがとうございます。

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.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.167