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みなさんも芸達者でしょう、幾つくらいできます?

 芸術って幅広いですよねえ。万芸とも言いますもんね、一万ぐらいじゃないみたいですね。

 何の為に芸術があるんでしょうね。芸術の根本は「美の探究」ですよね。美の根源が神様ですよね。

 「美」というのは、調和のあるところに「美」が生まれてくるんですね。「調和」というのが中心が定まってるんですね。「中心」というのは、宇宙の大神様が中心なんですね。だから、宇宙の大神様の御心が現われてくるというのが調和の姿で、そこに美があるという。

 無限の無限のチャンネルの番組、まあ全部それぞれに神様の表現ですから中心はあるんですね、それぞれの中心ね。番組としての中心はあるんですけど。上のほうへ行くほど中心がはっきりするんですよね。

 下へ行くほど中心がぼやけてくる。中心がバラバラというのが一番混沌としてますね。そこに本当の姿がない、美がないということになるんですね。

 芸術というのは、やはり最高番組を目指さないといけないですね。最高番組の本当の中心をとらえる生き方ですよね。そして神様に戻る、神様と出会うというのが目的なんですね。

 いろんな習い事をね、まあ芸事って全部最初は型にはまっていくんですね、初歩の段階はね。最初は自分の我流の癖を取るために、いい型にはめていくんですね。いい型にはまってもまだ縛りがいっぱいですよね。それで、そのいい型も捨てて、それで本当の自由な心に戻った時にはじめて神様なる本物へ心が向き始めるんです。

 だから、最初、型にはまるのは思いの心でするんですね。先ず思いの心の自分を生きてるときは、悪い我流の癖が残ってるんですね。その癖を取るために正しい型にはめていくんですね。それは、我を、癖を取るためなんですね。そして正しい型を習うことによって、悪い癖は消えるんですね。でも、いい型にはまった、というその縛りは残ってしまうんですね。悪い思い、悪い言葉を使わなくなったけども、いい思い、いい言葉が残ってるのね。その言葉の縛り、思いの縛りはあるんですね。だから、まだ自由自在にはなってない。

 神様というのは元々自由自在の本体なんですね、自由のないところにはまだ神様は現われてないんです。縛りの中にはまだ神様は降りてこれないんですね。それで、今度はいい型を全部捨てていくんですね。捨てて、捨てて、捨てきったときにはじめて自由が段々と大きくなっていくのね。

 自由が大きくなるにつれて神様と波長が合いだすんですね。高い番組と波長が合いだすんですね、自由になるほど波長が合うんですね。

 最初の段階の'自分勝手'と違うんですよ。自分勝手というのは悪い癖で勝手に動くだけでしょう。がんじがらめに縛られた状態ですよね。思いの奴隷なんです、まだね。

 でも、悪い癖を取って、いい癖も取って、本当に自由になるというのは言葉・思いの縛りから抜けた状態ですよね。その自由な自分が順番に高い番組へ波長を合わすことによって、より神様に近づく、より本物になっていくんですね。

 いろんな武道をされる人でも、例えば空手だったら、正しく基本を学んで型を練習しないと、我流でやるとあまりいいことはないですね。でも、その我流が消えて型にはまっただけでも力は全然出ないですよ。

 今度はその型を完全に無くしてしまわないとね。

 型を無くすために、その一つの型に一所懸命打ち込むんですよね。型を忘れるぐらいまで一つの型に打ち込むと、自由な自分がスーッと出てくる。

 また、強い方を習うという時は、心で掴んでしまうでしょう。それを何万回、何億回かもしれないですね。同じ一つの方を繰り返すうちに、それを一心不乱に繰り返すうちに、その縛りからスッと抜けた自分が出てくるんです。

 これはたくさんの型を順番に習っている間はもの凄いしばりですよ。それもたくさん習った型を順番に繰り返したって時間がないんですね。

 でも、一つの型に絞り込んだ時にはじめて、全ての時間を使ってその一つの型に没頭できるでしょう。その時に自由になりやすいんですね。

 だから、なんでもそうですね、空手でも剣道でも、なんでもそうですけど。一つの型を徹底してやると自由な自分に早く戻るんですね。自由な自分に戻ったら他の型を全部自由に使いこなせるはずなんです。

 「一道を極めたら万道に通ず」というぐらいね。

 「道を究める」というのは、命の自由な自分に戻ることなんですね。

 だから、これも「型にはまる」というのでも、一つの型に没頭するというところまでいかないと難しいですよ。

 最初はみんないろんなものを順番に興味本位に習っていくでしょう。その段階ではなかなか本物はまだ掴めないですよね、ちょっとかじったぐらいね。

 たくさんの中から一つ選ぶんですね。一つを選んだほうがいいですよね。それを徹底してやり抜く。それもまたその中を一つに選ぶ、一つ選んで、またそれを徹底する。どんどん絞り込むほど自由な自分に戻りますね。最後には、やっぱり単純化しないとね、徹底して一つに絞り込まないといけないです。

 「悟りへの本当の道」ってそうですね。神様の邪魔をするのを減らしていく。神様の邪魔をするのを止めないといけないですね。本当に神様の方から自由自在に使える自分に戻さないといけないですね。

 だから、自分の努力、自分の計らい心は邪魔になるんですね。

 「何か神様のお手伝いをしたい」というのでもそうですね。邪魔するんです。

 最初、思いの心でいいと思ってしていることは邪魔ばっかりするんですね。

 例えば、「神様の御心を示したまえ」と言うでしょう、皆さん。神様の導きが欲しいというときに、「神様の御心を示したまえ」と言うたら大きい「我」なんですよ、これね。神様に命令してますよね。

 神様はそうとってるみたいですよ、はははは。いいように思って言うんですけどね、やっぱり縛りなんですね。

 神様は既に示してるのに何故気づかないかって、目の前にあるのに何故気づいてくれないかというような感じですよね。それで「示したまえ」と言うんでね、自分を縛ってしまうのね。こういう縛りがたくさんあるんですよね。気づかない縛りってね。

 だから、何も言葉も使わないぐらい、思わないぐらいがいいんですよね、縛りがないからね。

 赤ちゃんは縛りがないですよね「あ」という言葉しか使わないですからね。「あ」の一言ですよね。「ありがとうございます」まで言わないですね「あ」だけで済ましてしまうというとすごいじゃないですか。本当に自由自在に手足を動かしてますよね。

 なんででしょうね、大人になって難しいことをするのは、もう一回戻らないとあかんのね。

 いろんな芸事を習うのでも、そこまで行くと祈りになるんですね。単純化していくと本当の祈りになっていくんです。

 言葉で「ありがとうございます」とか、その他いろんな祈り言葉を使うのが祈りじゃないんです。祈りというのは幅広いんですね。狭い意味じゃなしに広い意味の広義の祈り言葉というのはたくさんあるのね。

 音楽も祈り言葉ですね、絵も祈り言葉なんですよ。形の運動をすることも祈り言葉なんです。もう全てが祈り言葉になってるのね。神様の与えてくるいろんな番組を自由自在に受け取るための、波長を合わせるための祈り言葉として、この世の全てがあるんですね。

 日常生活の中で、例えば、この肉体という一つの道具を使って神様に波長合わせをするでしょう。言葉も大事ですし、顔でニコッと笑うのもいいでしょう。身体を自由自在に動かすのもいいでしょう、踊ったりするのもそうでしょう。全部神様に波長を合わせるために、これを祈り言葉として使ってるんですね。

 嬉しいときは体は踊ってますよね。言葉で別に「ありがとうございます」って唱えなかっても体が祈ってるんですね。全身の細胞は踊ってますよね。大きい祈り言葉なんですよね。

 絵描きさんが絵を描くときなんて、大抵寝食忘れて、寝るのも食べるのも忘れて没頭しますよね。一枚の絵を仕上げるまで、何日間でもその絵と向き合ってますよね。そういう時は深い祈りですよね。もうそれが一番楽しいのね。「何で?」と思うでしょう、神様と出会えるからですよね。絵を描くことで波長合わせをして神様と出会う楽しみがあるんです、本当はね。

 皆さん出会いました? 漫画を描いて? 面白い神様、出ませんでした?

 花の絵を描くだけでも花を通して神様を感じるんです、あれね。神様が花に変身して出てくださるのね。

 絵を描くことによって、花に変身した神様を感じるんです。だから大事なんですよね、それにしっかりと心を向けて、一点集中、精神集中って大事ですよね。その絵に成りきると、神様を感じやすいね。

 神様を感じた時に、その絵は本物になるんですね。何か違うところが出てくるんですね、神様の光が降りるんでしょうね、そこにね。輝いている、何か違う絵に変わりますよね。

 書道もそうでしょうね。形を習ってるときはまだ駄目ですよね。もう何万回って同じ字を書いて、型から抜け出る、自由に書けるようになったときに、はじめて自由自在に動き出す字になるでしょう。スッと出てくる字、書ける字ってありますよね。その時に神様がスッと出てきてその字に光がこもるんですよね。

 「あっ、この字は違う、本物」という。その本物にも段階があるんですけどね、でも本物ですよね、神様がスッと出てくるという。

 そういういろんな体験を日常生活の中で、いろんな体験を神様はさせてくださるね。

 だから、何事をするのでも、そういうふうに没頭するぐらいまでいかないといけないですね。一つのことに没頭すればするほどお祈りになるんです。その時に「ありがとうございます」もちょっと混じえると、段階が早く上へあがるんですよね。同じ絵を描いてもね、神様は宇宙全体、大きいでしょう。

 例えば、花の絵を描いても小さいでしょう。だから、同じ感じ方でも、小さい感じ方と、大きい感じ方とあるでしょう。また、浅い感じ方、深い感じ方とかね、また程度の低い感じ方、高い感じ方ってね、いろんな段階がありますからね。

 でも「ありがとうございます」を一言添えておくと、その時の自分にとって必ず一段二段三段、もっと大きく早くかもしれないですけど、必ず上へあがるように神様の働きがくるんですね。

 だから、絵を描くときでも、字を書くときでもそうですね。必ずランクがあがるんです。一つの字を書くだけで、一枚の絵を描くだけでランクがスッとあがるんです、あげてもらうんですね。その度に、神様を新たに新たに発見するんです。

 だから、芸術というのはいいんですよ、素晴らしいですね。神様を発見するためにする。それも本当に本物を神様に捧げる段階になったら、宇宙の大神様を直々に発見するんですよ。それにはかなり本物にならないと駄目ですけどね。順番に本物を高めあげていかないとね、より本物に高めあげておいて、そして「神様への捧げもの」という姿をとると、その時に神様を大きく感じますよね。宇宙の大神様が直々に降りてくる、受け取ってくれる。その時に本当に自分の心境がガラッと変わるはずなんです。本当に「神様を感じた」という感じでね。

 音楽で素晴らしい演奏を聴くでしょう、心がスーッと澄みきるでしょう、思いがサッと消されるでしょう。病気の人でもサッと治ることがあるでしょう、本当の癒しの力って出てくるでしょう。もう、神様が降りるからなんです。

 「癒し」というのは、命が無限に輝いた姿になって降りるのが「癒し」というのね。だから、神様が直々に現われたら癒しが起こるんです。

 心の闇って、体の病でもそうですけど、闇というのは光がないんですね、命の輝きがないんですね、足りないんです。命が輝いて出てこないといけないですね。神様が現われないと闇が残るのね、病が残るんです。

 普通、感謝の深い人はもう闇がないんですよね、心の闇もないし、病も自然に消えていくんですけど。

 心にやっぱりマイナスの闇を残してる場合は、やっぱり形にも出ますし、心もまだ暗いですよね。でも、そういうときでも、誰かが神様を呼んでくださって、神様がスッと現われて降りてくださったら闇は消えるんですね。先ず、心が癒されるんですね。すると心が明るくスカッと澄みきるんですね。

 だから、素晴らしい演奏でも聴かれたら心がスッと澄みきるはずなんです。神様の光がいっぱいになるんです。本当の一流の人の演奏を聴いたりするといいですよね。

 ただ、曲でも全部ランク付けされますよね、より高い曲がいいですよ。言葉でもより高い言葉がいいんですね、本当はね。ただ、演奏する人、歌う人の力量にもよるんです。元々高い人は低い方へ合わしてくださるのね。だから、低い曲でも低い言葉でも、その段階へ合わせて光を送り込むんです。その二通りあるんですね、本当はね。

 でも、上を上を目指すときは、より高いものを選ぶんですね。下へ光を送るときは、低い方に合わせても大丈夫。その両方が必要なんですね。

 「癒し」ってね、心の癒しも、体の癒しもいろいろの段階の癒しがあるんですけどね。「癒し」というのは、本当はね、神様を呼び出すことなんですね。人の病気を治すとか、そういう段階はまだ低いんです。

 そうじゃなしに、神様を呼び出せばいいだけなんです。「この人の病気を治してあげたい」と思うだけで、自分の心が低い心へ向いてしまうでしょう。一旦は向いてもいいんですけどね、そのままだったら治らないです。もし治ったとしたら自分のエネルギーを吸い取られてしまうんです。

 だから、そこへ神様を呼び出さないといけないですね。そしたら「拝む」ってね、「神様を拝みだす」というのがいいですね。「みんな無限に無限に輝いている」っていうふうにね。マイナスを相手にしない方がいいですね。

 だから、前に病気の人が見えたら、「これは自分の心の中の闇なんだ」という。だから「自分の心の中だけをプラスに変えたらいいんだ」というふうにしないといけないですね。そしてそこへ神様を呼び出せばいいね。自分の心の中へ神様を呼び込んで、自分の心の中の闇を消してもらって、そして自分が神様を感じて「ああ、幸せ一杯」となった時に、投影される他人の病気というのは消えるんです。

 だから、もう神様だけを相手にすると効果があるでしょう。でも、病気を相手にするとなかなか効果が出ないですね、治り難いですね。もし治したとしたら、そのマイナスを自分が背負ってしまうんです。

 いろんな治し方があるでしょう。例えば手かざしで一所懸命治してる人があるでしょう。一時的にそれはマイナスを押し出すという感じですね。一時的に受けてもまたなりますよね、病気にね。もしね、相手から自分の方に取り込んだら自分が病気になってますよね。それで早く死んだりするでしょう。あまり良くないですね、それはね。マイナスを消してもらわないとね。

 いろんな宗教団体に入って、そこの神様が助けてくださって病気が治る場合がありますよね。本当に高い「浄・清」めの神様がいっぱいいてる団体だったら、その病気の原因のマイナスを全部消すんです。本当の意味の「浄・清」めをしてくださるんですけど、なかなかそういうのは少ないですね。一時的に除けてくれるだけ。そうすると直ぐにパッと治るんですよ、パッと治るところが曲者なんです。パッと治るときは警戒したほうがいいんです、「一時的に除けただけ」というふうにね。除けるのはサッと除けられるのね、でも消えてないですよ、まだね。これを誰かが背負うんです、あの世の人かこの世の人か、どっかへ行くんですよね、また自分に戻ってくるかもしれないですね。

 でも、「浄・清」めの場合は、やっぱり高い神様が消す場合でも余程の理由がない限りは時間をかけるんですね。本人の勉強でもあるしね。心境が高まるのを待って消してくれるね。しっかり祈るのを待って消してくれるね。治ったら祈らないですもんね、祈りの練習すらしない。

 祈りの練習をさせるためだったら直ぐには治さないですね。しっかり祈りの練習をさせてから消してしまう、治してくれるね。

 皆さん体験あるでしょう、そういうのは身近な人にもいろんな人の体験があるでしょう。

 だから、本当の神様はどういうふうに人を救っていくかというのをしっかり学んでおかないとね。

 本当の神様の願っているのは、悟りを開くことなんですね、神様と一体化することね、神様と本当の意味で出会うことなのね。「そこに本当の幸せがある」というふうに神様は思っていらっしゃるのね。

 だから、病気を治すなんて、そんな手品みたいなことをしても喜ばないの、神様はね。「病気ぐらい自分で治せ」と言ってる。そうでしょう、お祈りしたら勝手に治るじゃない、病気になるほうが難しいんですよ。神様は無限健康、完全健康を与え続けてるのに、努力して病気になってるんじゃないですか。一所懸命努力して病気になったんでしょう、頑張りすぎて病気になったんでしょう、みんなね。努力しなかったら、頑張らなかったら病気にならなかったのに。

 そうでしょう、癌になってる人を見てご覧よ、もの凄い頑張ってますよ。そうでしょう、頑張りすぎたんでしょうみんなね。一所懸命働いて、お金儲けに一所懸命になって、物をいっぱい買い込んでは、財産をいっぱいつくってという人に癌の人が多いでしょう。それは「頑張りすぎてるよ」という気づきなんでしょう。癌細胞のはびこり方を見たら、ものすごい頑張ってるじゃないですか。神様が全体としたら、自分が癌細胞に頑張ったという姿を見せてくれたのね。「そこまでしなくていいよ」という。全細胞が同じように働けばいいのね、一つの細胞だけが頑張らなくていいのよ。程々がいいですよね、だから必要な働きだけでいいんですよね。全体と調和した一つのちょっとした働きで済むはずなんですよね。人の仕事を奪ったら駄目ですしね。適度の助け合いの働きがいいはずなんですよね。

 でも、元へスッと戻ったら自然に消えるんですよ、病ってね。気づきのために現わした病は、気づいたらスッと消してくれる。気づくまでは続くかもしれないね。

 本当に病気になるほうが難しいんです、本当にそうですよ。神様は光をスッと与えて健康を与えてくるでしょう。その光をさえぎらないと病気になれないのね。それをさえぎるためには努力や頑張りが要るんです。いろんな思いをいっぱい溜め続けないと光をさえぎって影を映すわけにいかないですね。涙ぐましいまでの努力をしないと駄目なんです。

 だから、ちょっと「ありがとうございます」を言い始めると、思いがスーッと消されていったら、もう光をさえぎることができなくなるでしょう。そうすると簡単にスーッと治ってしまいますよね。

 「ありがとうございます」を唱えて治る人はそういう人ね。思いをスッと消されてしまうのね、そうすると光をさえぎる働きがなくなったら病が消えるんですね。

 神様が病気を治してるのと違うんですよ、だからね。光をスッと通るようにしてくださるだけね。だから、命が輝いて出てくるだけなのね。それはいつもしてくださってるんですけどね。本当に無駄な努力を皆さんされてましたよね。涙ぐましいまでの、ものすごい頑張り方でね。

 大抵そうですよ、病気になった人を見ててご覧よ、すごい努力されますよ、心の中を闇にするために。

 人を恨むのでも恨み続けないと、腹を立てるのでも腹を立て続けないと、なかなか肝臓を傷めたりできないです。

 ちょっとマイナスの心を起こしたぐらいでは病気には絶対なれないんです。ずーっとマイナスの心を保ち続けないとね。そのぐらい病気になるほうが難しいんです。だから、健康になるほうが簡単なんですよ、本当にね。「ありがとうございます」をちょっと言ってしまったら、もう消えてしまうんですね。

 まだ、病気の恐い人います? 健康の恐い人は?