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 この世からあの世ね意識を移して、あの世へ移ろうとすると、普通は難しいですね。たまにはいるんですけどね、行ける人がね。でも、門があるんです、見えない門がね。見えないから「無門関」なのね、でも門があるんですね。この門を開ける方法ですよね。

 与えると上の門が開くんですね、与えるというのは「押すと」という意味でね。上へは上がりやすくなってるのね、押せば開くんです。下へ落ちにくくなってるね、押しても開かないんです。下から引っ張らないと開かんのね。引っ張ると下りられるんですけどね。

 神様はみんなを幸せにしたいばっかしですよね。だから、上へは上がりやすくしてるのね。簡単に手で押せばいいんですね、頭で押してもいいんですよ、スッと入って行けるのね。これはもう「ありがとうございます」ってね、与える心をちょっと出すだけで上へ上へ上がるんですね。また、人のために何かいいことをちょっとするだけでね、上へ番組がどんどんどんどん上がるのね、門が自然に開かれていくの、スッスッとね。だから上へは上(あ)がりやすいのね。ちょっといいことをするだけで番組は上へ上がるんですね。そうすると運命がどんどん良くなっていくんですね。

 でも、下へは下がりにくいですね、押しても開かないですから、門が重たいと、引き上げないと上がらない。だから、与える心を起こした人は絶対下へ下りられないの。感謝すると絶対下へ下りられない。

 でもね、感謝して上へ向いているとね、下の扉も同時に開くんですね。上の扉が開いたのと同時に引圧が起こるんですね。スッと引っ張り上げられて勝手に神様が開けてしまうみたいですね。感謝し続けた人の扉はぜんぶ開いてしまうんです、上も下もね。そして光の柱が立ってしまうのね。

 そしたら今度は上(のぼ)り下(お)りがしやすくなるでしょう。上にも自由に行けるし、今度は下へ下りて人助けにも行けるんですね。みんな下へ下りたくないのは何故かというと、上へ上がりにくいから下りたくないんですよね。でも、いつでも上へ上がれるという人は、たまには下へ下りたいんですよ、はははは。でも、下へ下りるときに、いちいち扉を開けないと下りられないというたら嫌でしょう、億劫(おっくう)になりますよね。だから先に開けてくれてある。いつでも地獄の下まで下りられるんです。でも、直ぐに上へ上がれますよね、スッとね。

 だから、目に見えない門ですけどちゃんとあるんですね。それも神様は開け方まで用意してくださるのね「ありがとうございます」一言でね。

 だから、天地を上り下りできるというのは、やっぱり「ありがとうございます」の感謝行ですね。この方法を一つ知るだけで得しましたよ、もの凄く。普通は一つの扉を開けるのに一点集中の修行をしないと駄目なんですね。この世の全てを捨てきって、あの世へ、他界へ心を集中するのね。一点集中の極に、あの世へ一つ上がるのね、閉じている門を開けて一つ上がるんですけど。それを絶えず繰り返して上へ上へ上がるんですけどね、大変ですよぉ、これは。一点集中の修行をした人は、あの世がよく見えるでしょう。でも、かなり練習しないとそれはできないですよね。でも、それができたにしてもね、あまりたくさん門は開いてないんですよ、ほんのちょっとだけ開くの、二・三ヶ所ね。

 でも、感謝のお祈りをすると、本当のお祈りをすると、いっぺんに同時にたくさん開くのね。だから、心が益々自由になっていい番組をいっぱい見せてもらえるのね。

 そして、下へも自由に下りられて、それもプラスに受けられるというね。そういう感じですね。

 自力、他力、絶対力という言葉は、悟りを開くために本当の救いを体得するためには、自力的な生き方・行法、また他力的な生き方・行法、最後に絶対力的な生き方・行法ってあるのね。

 悟るためには何が一番必要か、いろんな方法があるんですね、悟る方法ってね。でも、根本はお祈りなんですね。お祈りが悟りへの道なんですね。そのお祈りもピンからキリまであるんですけどね。でも、そのお祈りをぜんぶ束ねて中に持ってるのがこの「ありがとうございます」という感謝のお祈りですね。

 その感謝のお祈りが、本当の意味の「悟りへの道」最短コースを歩む道なんですね。

 ただ、その悟りへの道、最短コースへの道と言っても、「ありがとうございます」にも段階があるんですね。段階があるというのでも「ありがとうございます」に段階があるんじゃないですよ。「ありがとうございます」は一貫してるんですね、ただ受け方にいろんな段階があるの。

 最初は自力的な「ありがとうございます」が始まるんですけど。これは「自我の心・思い」を持って生きようとしている人にとったら、それを除(の)けて「ありがとうございます」は言えないですね。

 「ありがとうございます」って言っていながら自我の心を、思いをいっぱい持ってるんですよね。思いの心、自我の心で唱えている時が、自力の「ありがとうございます」ね、自力のお祈りをしている段階ですね。

 でも、これも効果が無いんじゃないんですね、神様の方は「ありがとうございます」という言葉があるところには、必ず必要な光を添えてくるんです。だから、思いの心を生きてる、思いもいろんな種類がたくさんありますよね。その思いも段階がいろいろあって、真っ黒の黒雲がいっぱいというような状態の、思いでいっぱいの人にとったら、大きい光はちょっと投げかけるのは難しいですね。それを一瞬に消されたら肉体まで亡んでしまうという感じで、瞬間に蒸発するような感じになりますよね。それではあまりにも耐え切れないというふうにみるのね。だから、一人一人に合わせて最初はやわらかい光を与えてくるね。少しずつ思いを消しながら、順番に段階を追って光を強くしてくださるのね。

 だから、自力でどんな思いで持って「ありがとうございます」を唱えてもいいんですね。

 「お金を儲けたいから」という思いでもいいんです、「病気を治したいから」というのでもいいんですね。どんな思いを持っててもいいんですね「ありがとうございます」を加えることによって、神様からの必要な助けは順番に段階を追ってくるんですね。これも自然に無理なく向上できるようにしてくださるね。

 ただ、必要な助けを的確に与えてくださるのね、この「ありがとうございます」という言葉がある限りはね。それがある程度進むと、今度は、まあ「自分が祈ってる」という感じですね、最初はね。「自分が努力して祈らなければ」という感じで祈るんですけど。

 今度はそれ以上に守護霊さん、守護神さんとか、救済のいろんな神様が「ありがとうございます」を祈り続けて自分を助け続けてきてくださってるというのに気づくんです。

 自分の努力よりも他力の働きの方が無限に大きいってね。守護霊さん、守護神さんの働きの方がもっともっと大きかったのね、自分の肉体の努力の働きなんかと比べたら、もう無限に大きいのね。それに気づくと、「自分の祈ってる祈りも、ああ、これは守護霊さんが祈っていてくださるその姿が影を映している姿なんだ」と気づくんです。守護霊さんだけではないですね、守護神さん、副守護霊さん、副守護神さんってね、縁のある神様がいっぱいいてるのね。だから、大勢の神様が一所懸命自分一人のために祈りに祈ってくださってるという、それに気づいたら「他力の祈り」になるのね。

 だから、自分の祈っている祈り、例えば二十四時間寝ずに祈ったとしても、大したことないんです。何億回祈ったって大したことないんですよ。それ以上に、自分を護ってくださってる救済の神様、他力の元になる大勢の神様の祈りのほうが、はるかにはるかに大きい。それは、自分の祈りに比べたら無限に大きいんですね。それに気づきだしたときから、他力の祈り、感謝行に入るんですね。

 それがまたずーっと続くとどんどん向上していくんですね、自分がね。それで謙虚に謙虚になって、神様の助けをどんどん受け入れていくと、最後に到達するところというのが、やっぱりあるわけですね。最後と言うとなんだけど、最後に近づくんですね。そうするとね、「みんなが無限に無限に輝いている」という感覚が出てくるんですね。

 これから祈るんじゃないのね、また、これから救われるのでもない、またこれからまた悟るのでもないという、みんな既に悟ってるんだという、みんな既に祈ってるんだ、みんな既に救われてる、みんなもう無限に無限に輝いているというのに、これも気づき出すね。そしたら「もう、みんな神様と一体なんだ」という感覚ですね。

 宇宙の大神様が、最高表現としての天照大御神という姿で、宇宙絶対統一神という姿で出てきますよね。

 この天照大御神様とみんなが一体なんだという、本当に無限に無限に輝いて、それも一瞬一瞬新たに出続けるという、それに気づいたときは、もう区別できないんですね。みんな天照大御神様と一体そのものってね、切り分けることなんかできないのね。もう一瞬一瞬、天照大御神様の与えてくる無限の無限の輝きが一杯という姿が、もう一瞬の休みもなく間断なくずーっと連続して与えられるのね。もの凄い与え方なの。

 もう圧倒され続けるような与え方ですよね。だから、ピタッと天照大御神様と一体化してしまうような感じね、みんながそうなんだってね、人だけじゃない、ものも、石ころ一個もそうなのね、原子一個もそうなんだという、みんな天照大御神様と一体化して、無限の無限の輝きが一杯という姿をとり続けてるという、これに気づくんですね、気づかせてもらうのね。

 その時から絶対力の祈り、感謝行に入るんです。だから「みんな天照大御神様」という祈り方になるね。「ありがとうございます」の祈りは、本当はそうなのね。「みんな天照大御神様」という、原子一個も、石ころ一個も、植物も動物も、全ての人が既に無限に無限に輝いているんだ、それを受け直すのが「ありがとうございます」の祈り言葉なのね。

 だから「ありがとうございます」という本当の祈りの中に、自力の祈り、他力の祈り、絶対力の祈り、ぜんぶあるんですよね。

 だから、絶対力の祈りの中に全ての他力の祈り方、自力の祈り方がぜんぶ含まれてたのね。ただ、それを分けてる間は、全体像に気づかなかったというだけね。既にあったの、ぜんぶね。絶対力の中に他力の祈りも自力の祈りも小さく納まってたのね。だから、自力の祈りしか無いというのは、それにしか気づかなかっただけね。また、他力の祈りに気づいたと言っても、それに気づいたから、あるとわかるだけね。

 でも、絶対力まで到達したら、他力なんてちっぽけなものという、もう絶対力の祈りが全てだったというふうに気づいていくわけですね。そうすると、もう、ただ「ありがとうございます」一言、その中に全てがあるんですね。最後にそこに絞り込まれていくんですよね「ありがとうございます」一言にね。