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それでは「真(まこと)の感謝とは」ということで、少しお話をさせていただきます。

 「感謝」という漢字は「感じる」と「ゴンベンに射る」という字ですよね。「ゴンベンに射る」というのは、「言霊の放射」というふうにとらえるとよくわかると思うんですよね。言霊というのは神さまの宇宙創造の働きですね。その神さまの宇宙創造の働きを感じる、受ける、これが「感謝」ですね。

 神さまの働きはたくさんあるんですね、無限にというぐらい、いろんな働きがあるんですけど。その神さまの働きのすべてを感じて受けて、そして一体化する。それが真の感謝になってくると思うんですね。

 例えば、この世というのは、神さまの創られた無限の無限のチャンネルの一つですよね。だから、この世だけを見てると無限の中の一つ。また、自分の世界だけを見てると、この世も無限の中の一つの番組だけを見てるという感じになりますね。この世を見るのでも大きくみんなの番組を同時に見るような感じがいいですね。また、この世だけじゃなしに、あの世に無限のチャンネルがあるというふうに見て、そのすべてを感じ取ろうという気持ちで大きく眺める方がいいと思うんですね。そうすると神様の働きのすべてを感じやすくしていただけると思うんですね。

 いろんな働きがありますよね、本当にね。その神さまの働きのぜんぶを本当の意味で感じて受けて、そしてその働きと一つになる、一体化する。そうすると、神さまの本当の御心がよくわかるんですよね。

 神さまは一人一人を本当に無限の無限の幸せ、無上の幸せを与えて味わい続けて欲しいというのが一番の願いですもんね。だから、その本当の神さまの愛の心を受けることによって、一体化することによって味合わせてもらうんですね。

 本当の神さまがただ一つ、只(ただ)お一人いらっしゃるだけなんですね。後は、その神さまの部分、分身、分かれなんですよね。本当の感謝という、真の感謝という特徴は、全体を一つにとらえるというのも大事ですよね。バラバラにとらえるんじゃ、ちょっと片手落ちになるんですよね。全体を一つにとらえて、本当に生かし合い助け合い、本当に融合して一体化してるという姿を、それをとらえた時は、本当に生きている姿をとらえるのね。

 例えば、この人間の体もそうですよね、部分部分をとらえるときはバラバラに切断して、部分部分の勉強をしているときは、全体としての働きはわからないですね。ただ、生きているという感覚では取れにくいんですよね。でもね、部分部分が一体化して、本当に生かし合い助け合いで、本当に生きているという感覚でとらえたときが本当のとらえ方になりますよね。そういう意味でも、神さまの働きを無限にいろんな働きがあっても全部一つにとらえるのね。そうすると本当に神さまが生きていらっしゃるという感じで、本当の意味の神さまの働きが感じやすいですよね。

 
だから、感謝して受けるというのが、普通「感謝」というふうにみられるんですけど。感謝して受けるだけではまだちょっと足りないですね、片手落ちなんですね。受けたものを今度は与え返すというふうにね、それを同時にというのが本物ですよね。そういうとらえ方というのが大事だと思うんですね。

 これは何故かというと、宇宙の創造自体が循環しているんですね。現われては絶対へ戻り、また絶対から現われては絶対へ戻りっていうふうにね。

 また、古事記の中に伊邪那岐、伊邪那美の神さまの両神の宇宙創造の働きがありますけど。

 まず、伊邪那岐神様の側はプラスの極にあって与え尽す側ですよね。そうすると、伊邪那岐神様は伊邪那美神様の対して、自分の持っている無限の無限のプラスのぜんぶを与え尽していくんですね。与えて与えて与え尽してしまうと、受ける側の伊邪那美神様はぜんぶを受けた時にマイナスじゃないですね。無限の無限のプラスに置き換わるんですよね。一方の与えた方はマイナスになるのね、無限の無限のマイナスですよね、何も無い状態になるのね。それで今度は立場が代わるんですね。今度、伊邪那美神様は伊邪那岐神様の立場に立ってしまうのね。今度は与え尽す側に立って、逆に伊邪那岐神様は受ける側に立つのね。それが同時に、一瞬に行われているんですね。それで、循環し続けてる。そうすると、伊邪那岐、伊邪那美の別々の神さまじゃなしに「一体の神さま」というとらえ方ですよね。これが本当のとらえ方だと思うんですね。宇宙創造の働きとしての神さまの働きもね。

 だから、
働きを常に一つにとらえる、一体化するという、これが正しい真のとらえ方ですね。

 例えば、人間は肉体だけじゃないですね、内(なか)に心、魂があり、命がありというふうにね。これをバラバラにとらえると、肉体だけだと魂も命もなかったら、もう死体ですよね、死んでるんですよね。この心と魂と肉体と切り分けができるかというと、できないでしょう。死んだらできるんですよね。でも、生きている間は切り分けるわけにはいかないですね。切り分けることができないというところがやっぱり大事なんですね。本当は絶対に切り分けるわけにいかないですね。神様の命がスッと出てきて魂になり肉体になるんですね。どこで区別をするかというのは難しいですね、区別がつかない。連続して一つになってる姿がいいんですよね。

 例えば「霊と体」というのは一体化してるね、「霊・肉が一つなんだ、心と身(み)(体(からだ))が一如してるという、本当に一つにとらえるときが真のとらえ方ですよね。感謝というのはそういう神さまの働きを本当の意味で一つにとらえて、本当に深いところで感じるのが大事ですよね「生きてる!」という感じにね。これが神さまをとらえる生き方だと思うんですね。

 神さまは生きているんですね、命が躍動しているんですね、命が輝いているんですね。その躍動、輝きをとらえるために常に一つに見るというのがいいんですね。

 昔から、東洋は全体を一つに見るんですね、東洋の生き方はね。でも、西洋の生き方は、先ずバラバラに分けて部分的な勉強をして、それを組み合わせてみようかというんですけどね。医学の方もそうですよね、もう全てがそうだと思うんですけど。

 でも、東洋的な生き方、全体を一つにとらえる生き方の方が全てを生かす働きなんですね。

 特に日本はそうですよね、日本は神さまの根源をとらえて全体を一つに見て全てを生かそうとする生き方ですね。日本に生まれて何が一番得したかというとね、一番神さまを感じやすい状態に置かれているんですよ。それも「日(ひ)の本(もと)」という名前までいただいて、全ての根源をとらえる、この場を与えていただいてるのね。

 感謝も本当はピンからキリまであるはずなんですね。小さい感謝・大きい感謝、浅い感謝・深い感謝ってね、感謝を区別するとやっぱり無限に分かれるんですよね。もうピンからキリまで感謝ってあるんですよね。

 でも、その感謝もやっぱり小さい感謝よりは大きい感謝ができる方がいいですね。また、浅い感謝よりも深い感謝になる方が幸せですよね。それで、いろんな感謝があっても部分部分の感謝にとらわれずに、ぜんぶの感謝をみんな自分の内(なか)に取り込む方がいいですよね。大きい感謝だけでいいかというと、そうじゃないですね。やっぱり小さい感謝も、中(ちゅう)ぐらいの感謝もってね、もう全ての感謝を内(なか)に持ってる、ぜんぶ包容するような大きい感謝の心というのがいいですよね。そうすると、私たちが見たり聞いたり、感じてないことも全て含めて、もうぜんぶが神様の働きの姿ですからね。もう全てにプラスを感じる、全てに大きい価値を感じるというのが感謝になると思うんですよね。それも、小さい価値あるものじゃ、自分の立場がまだまだとらわれていると思うんですけど。どの部分の価値も無限の絶対価値があるというとらえ方ですよね。こういうとらえ方でないと、本当の神様の「生きてる!」という、この働きはわかり難いんじゃないかと思うんですね。

 よく「命はどれだけの価値があるか」というんですけどね。普通、言ってるのは肉体の「生きてる」という感覚の命ですよね。でも「神さまの命を生きてる!」という感覚で見ると、命の価値なんてお金では絶対買うことはできないですね。無限の無限の価値があるんですね。「生きてる!」という「本当の神さまの命」という感覚だとね。この肉体の中に小宇宙というよりも、本当は宇宙があるんですね、大宇宙がね。

 原子一個の中にも宇宙があるんですね、大宇宙があるんですよ。そうすると、この肉体という一つの宇宙をとらえても、つまらん価値のものじゃないんです。無限に無限に大きい価値のある、絶対の価値のある存在なんですよね。これが本当にわかったら感謝が少し真の感謝に近づいてくるかなという感じだと思うんですよね。

 感謝も偽者の感謝というとなんですけど、偽物から本物、本物も更に本物にってね、どんどんどんどん大きい本物に変わっていくと思うんですけど。特に新しい世紀は本物探しという時代なんで。今までは感謝を忘れて思い通りに生きたいという感じですから、それも別に小さい意味の偽の感謝には属していると思うんですけどね。それを今の時代に本物の感謝に変えていただいて、更にその本物の感謝を大きく大きく、また深く深くしていただくんだと思うんですけどね。本当に神さまを感じ取る時代ですよね、これからはね。

 まあ、外見的な表面的な姿だけじゃないんですね、本当に中から神さまを感じる時代になってきているんですね。これはもう一人一人の人間の努力なんて何の力も無いですからね。もう、努力の力で変化するんじゃないんですね。神さまの方から感謝の心も大きく深くしてくださるのね。ここが、時代時代で違うところですよね。人間の努力でいつでもできるのだったら、本物の時代なんていう必要はないですね、いつでもできるのだったらね。でも、神さまの働きが大きく降りて、その時代時代をどんどんどんどんいいように変えてくださるんです。特に、新しい世紀は本物の時代というのは、神さまの助け無しにはできないことなんですね。

 だから、自分の努力でという、自我の努力でという時代じゃないんですね。本当に神さまだけの力ですね、本当はね。神さまの計画通りに全てが移り変わる。

 この「神さまの計画」というのは、もう元からあるみたいですね、深い計画がね。神さまは一人一人の人間を自分の分身として生み出して、自由を与えていろんな体験を積ませて、いろんな幸せの感じ方をさせてますよね。でも、今までは大きい幸せを感じなかったという人がいてるんですよね、まだまだね。でも、それも神様の御心から見ると「計画通り」というんですよね。小さい幸せを感じる心でないと大きい幸せを与えられても感動を覚えないみたいですね。

 毎日、太陽を見ている人にとったら、星明かりも蛍の光もあまり感動しないかも知れないでしょう。見えないですね、まずね。いつも太陽を見ている人にとったらね、お昼に星は見えないですもんね、感じないですもんね、見えないですもんね。そういう感覚だと小さい神様の表現は何もわからなくなるでしょう。

 でも、一旦闇に落ちて、真っ暗闇の中に落ちて、そこで闇の体験を積んだ人は、どんな小さい光でも感じますよね。そういう能力が生まれますよね。そういう心で小さい神様から与えてくださるプレゼントを感じられる人は、いろんな種類の幸せを感じて、また大きい幸せをも大きい感動の心で受けていけるのね。

 だから、神様の最初からの計画というのは、もう全ての神様の表現を無限の価値あるものとして、どこまでもどこまでも感動してもらえるようにというふうに仕組まれてるんですよね。その準備としていろんな体験が与えられて、それが生きてくるんだと思うんですけどね。だから、早く地獄を体験した方がいいみたいなんですけどね、はははは。一回地獄へ落ちた人は絶対不足を言わないでしょうね。「これが悪い、マイナス」と言わないでしょうね。地獄よりはみんな素晴らしいですよね、プラスですよね、幸せですもんね。早く地獄へ落ちた方がいいみたいですけど。

 だから、感謝も、少し感謝の花が開いたら「ああ、幸せ」と思うんですけど、その準備として感謝の根をグッと深く入れないと駄目なんですね。根を張らないと。感謝の根を張るというのも大事ですよね、本当の美しい感謝の花を開かせるためにね。これはマイナスへマイナスへ心を向けて、それをしっかりと体験することによって謙虚にもなり、また小さい幸せも感じ取れる能力を磨くんですね。だから、「もう、何もかもありがたい、ありがたい、ありがたい‥‥」というような感じで、もうぜんぶを価値あるものとして受けていくという。本当はこの世でいろんなマイナスの体験が出てきたときに、どう受けるかというのが難しい問題ですけど。ちょっと車に乗って事故に遭ったら「ああ、しまった」と思うのね、まずね。でも、直ぐに喜べる人は大した人なんですよ。「ああ、死ぬところを助けてもらった」とかね「大難を小難に変えてもらった」とかね。本当に間髪入れずに感謝のできる人は、もう悟った人かも知れないですけど。でも、そういう練習が感謝の根を広げていくんですよね、深くしていくんですね。

 病気をしても「ああ、大変」と言わずに「万病をこんなに軽く済ませてもらった」とか「この病気をすることによって心の中のマイナスをゴソッと取ってもらった」とかね。また「自分の縁者のいろんなマイナスをこの自分の病気を通して大きく消してくださった」とかね。プラスに思い返す方法はたくさんあるでしょう。もう、どんなマイナスの姿も感謝の対象にしてしまうと、感謝の根がグングングングン深く入っていくんですね。やっぱり最後は地獄まで行かないといけないですよ、ねえ。地獄のどん底の姿はぜんぶ、伊邪那美神様の愛の女神様の大犠牲精神の愛の姿なんですね。自分一人の身代わりで、無限の無限のマイナスを背負って助け続けてくださってる大犠牲精神、愛の姿と見ると、もう地獄ほど尊い愛の姿はないのね。

 普通、無限のプラスを与えてもらって「ああ、ありがたい」と思うんですよ。それは持ってる人が与えてくれるんですからね、でも大したことはないです。でも、無限の借金を肩代わりしてもらうというのは大変でしょう。自分が何も持って無いのに、お金・貯蓄が無いのに「あなたの無限の借金を肩代わりしましょう」と言ったらね、大犠牲精神が要るんですよね。大金持ちから無限の借金を肩代わりしてもらうのだったら楽なのね、まだね。そうでしょう「あの人はお金を持ってるから大したことない」と思うでしょう。でも、お金の無い人に頼むときは大変でしょう。その無限の借金をこれから返さなならんのですね、本当に大変な苦労をして返すんですね。だから、どちらに大きい愛を感じ取れるかというと、マイナスを背負ってくださる方に大きい深い愛を感じますよね。だから、女神様に感じるんですね、本当の意味の深い愛はね。自分のマイナスを汚れをぜんぶ取ってくださるというふうにね。これが地獄の姿なのね。そうすると「地獄は神さまの愛の表現の極致」なの「マイナスの世界じゃない」というふうに見た方がいいですね。

 そうすると感謝が深まりますよ、ねえ。いつもそういう思い返しをして「ありがとうございます」と地獄に対して感謝するのね。そしたら感謝の根がグングングングン深く入っていくんですね。その立場でプラスを見るんですね。今度、その価値がぜんぶ無限倍になるんです。今までの価値が無限倍されるんですね。

 美味しいご馳走をいただいたら、そうでしょう、餓鬼道に落ちて何も食べられない状態から見たら、その餓鬼道のマイナスをぜんぶ取ってもらった上に、まだ光いっぱいの美味しいご馳走をいただくんですね。そうすると常に無限の無限の感謝となるのね。

 「無限の感謝」というのはまだ浅いんですね、常にマイナスとプラスを一つにして「無限の無限の感謝」というのが大事ですね。だから、小さい感謝はなかなか真の感謝にまで到達してないですよ。「ああ、お金が儲かった、ありがとう」って、「病気が治った、ありがとう」ではあかんのです、まだね。

 「ああ、損した、ありがとうございます」よね。「ああ、病気になった、ありがとうございます」ね、何があっても「ありがとうございます」よね。最初はプラスをいろいろ与えてくださるんですけどね。

 まあ、お天気のほうがいいでしょう、お日様がでて、晴れているほうがいいんですけどね、これもありがたいんですけどね。自分の行くところはいつも天気だというのもいいんですけどね。

 今度ね、その感謝から深い感謝に入るためには、今度は「雨が降る毎にありがたい、雨が降るからありがたい」というのがいいんですね。天気よりも雨が降ることのほうがありがたいというぐらいが深い感謝になるんですよね。どこへ行っても雨が降るって、はははは、雨男か、雨女か、はははは、その人は感謝が深いんですよ。たまに居てるんですよね、雨男って。でも、それは素晴らしい方なんですよ、感謝が深いんです。

 次にその両方を大きく一つにして感謝をしていくんですよね。そうしたらいつも幸せでしょう、無限の無限の幸せが一杯というのがね。無限の無限の幸せが一杯というのはいろんな意味があるんですけどね。プラスとマイナスをワンセットにすると、いつも無限の無限の幸せが一杯なんですね。

 神さまの無限の無限のチャンネルの表現を楽しむという、これもいろんな楽しみ方があると思うんですけど。

 丁度、テレビの番組を見るのと同じですよね。このテレビで見る番組でも、やっぱりみんな好みがありますよね。自分はこの番組をみたいという。でも、本当はその好みを取らないといけないですね、感謝というのはね。

 好みの番組を見るというのは、まだ「思い通りに」という一面があるでしょう。でもね、神さまも番組を価値あるものとして見るためには、やっぱり「思い通りに」という生き方じゃなしに、選り好みをする好みの心を捨てて感謝一筋がいいんですね。神さまの御心のままに現われている表現を、神さまの御心を汲み取る勉強ですよね。どの番組をも価値あるものとして受けとめる勉強ですよね。低い番組だから駄目じゃないんです。高い番組のほうが普通いいと思って、それを選ぼうとするんですけど、まだみなさん低い番組をぜんぶ味わい尽くしてないはずなんです、はははは。本当の価値あるものとして受け止めるまで勉強し尽してないはずなんですね。

 これね、高い番組だとね、やっぱりしにくいんですよ、本当に「味わい尽くす」というのがね。何故かというと、高い番組ほどスピードが速いんですね。そうするとついて行けないの。低い番組はスピードがゆるやかなんですね。だから、深いところまで味わい尽くせるはずなんですね、スピードがゆるやかになってくるとね。端から端までわかるという感じですね。だから、その低い番組で味わい尽くす勉強をするんですね。神さまの御心を感じる勉強ですよね。

 この世を見て、この世の番組からいろんな勉強もさせていただくんですけど。「思い通りに」という心のときはできないでしょう、勉強ってね。思い通りになったらちょっと喜ぶだけですもんね。まわりのことは何も見えてないですよ、見てないですよ、本当にね。「もう、まわりは何も眼中にない」という感じですね。

 でも、思いの心を捨てて、感謝の心に切り替わったときに、感謝に生き始めたときに、はじめてまわりが見え出すんです。細かいところまで見えて気づくんですよね。そうすると、いっぱい価値あるものが与えられているというのに気づいてわかってくるんですよね。

 気づきが感謝の一つですよね。そしてそこに価値を見出すというのが感謝の一つなんですよね。

 数え上げたら無限にありますね、感謝の対象、気づきがね。

 まず、自分の身のまわりのぜんぶに感謝をするって大変でしょう。まず肉体の自分に感謝するというのも、まとめて一つだったら「ありがとうございます」で済むんですけど。全身の細胞一個一個に感謝となったら六十兆。この一生で何億回は感謝行はできるんですよ、でも六十兆ですよ。どうされます?

 一つの細胞に一回「ありがとうございます」は言えないですね、どれだけの年月をかけても、この一生では不可能でしょう。一個の細胞の中の一個一個の原子に今度は、原子の大きさになったらもっと数を増やさないと駄目なんでしょう。もう気が遠くなりますよね、何億年かけても無理なんですよ。この肉体一つに対して、そうなんですよ。

 そうしたら、地球上のすべての人に感謝を捧げる、それも深い感謝を捧げようと思ったら、もう大変なことなんですね。また、人間だけじゃないですね、人類だけじゃなしに、万類に感謝するって大変なことですよね。だから、一つ一つの部分に感謝するなんていうと、もう気が遠くなって気絶して、もう追っつかないですよ。

 ところが、一言「ありがとうございます」の中にね、すべてに行き届いた感謝ができる方法があるんですね。全ての部分に対して、この「ありがとうございます」だけが感謝になっていくんですね。

 だから、神さまは不可能なことは要求してこないみたいですよ。最初から、一言「ありがとうございます」だけで神さまの働きの全てに感謝が行き届くように最初からしてくださってるのね。それでいて、部分部分の全てを感謝の対象として感じさせてももらえるのね。もう、常に全体を一つに大きくも小さくも、深くも浅くもというふうに、ぜんぶを一つにして感謝のできるようにしてくださるのね。

 ただ、最初はみんなそこまで行かないんです、何故かというと「思い」があるんですね。思いに執(とら)われると、思いの縛りにあうとちょっと邪魔されるんですね。純粋に感謝に戻ったときは、本当の感謝にスッと神さまの力で引き入れてもらうんですね、感謝の心にスッとね。でも「思い」というのがちょっと曲者なんですね。ちょっとでも「自分の思い通りに」というとね、もう神さまは遠慮してしまうのね、人の自由は絶対に縛れないんですね。ほんのちょっとですよ、ちょっと思い通りにしたいというだけでね「そうしなさい」というのね、先に。そうすると神さまは引っ込んでしまうのね。

 でも、これが逆になるといいんですね、どれだけ思いがあっても「自分は感謝一筋に生きたい!」というふうに、もう真剣に感謝を前面に出せばいいんですね。「私はもう感謝だけでいい」というふうにね、ここが絞り込むというんですけど。「感謝一筋に絞り込む」という、感謝だけに絞り込む心になると神様が働けるんです。だから、無限の思いがあってもいいんですね。みんなの思いをぜんぶ背負ってもいいんですね。無限の無限の思いがあっても大丈夫なんですね。絞り込めば「ありがとうございます」に絞り込めば、神さまが人の自由意思を縛らずに働けるんですね。だからスッと助けに入るんですね。

 この「真の感謝」というのは、思いを叶えるためじゃないんです。思いの全てを捨てきって感謝に入るんですね。そうすると、神さまの全てを受けて、真の感謝に入っていくんですよね。でも、どちらが楽かというのはね、思い通りに生きたら苦しいですよ。それは皆さんね、嫌というほど体験しているはずなんですよ。特にここに来られる方は、もうそういう時期になっているはずなんですよね。思い通りに生きて幸せになるとは、皆さんはもう全然思ってないはずなんですね。如何にその思いを消そうか、消していただこうかという、こういう気持ちで感謝に入っていらっしゃるよね。もう感謝一筋に絞り込めばいいんですね、後は何も要らないんです。

 だから「真の感謝」というのは、感謝一筋に絞り込むという、そういう一面もあるんですね。もう、ぜんぶ他のことも忘れたほうがいいんです。「ありがとうございますだけでいい」というぐらいにね。

 でも、賢い人はまだまだ勉強をするんですよね「あれもこれも」って勉強をしたがるんですけど。でも、阿保(あほ)になったほうがいいみたいですね、みんな忘れてしまって、みんな忘れて忘れてね、阿保になりきって、「もう、ありがとうございますしか私は覚えておりません」って。そのぐらいがいいみたいですよね。

 いろんなことを勉強するよりもね「ありがとうございます」になりきって、その中に飛び込むほうがいいんですね。そうすると習わないことがわかるんですね。神さまの知恵がスッと入ると習ったことがないこともぜんぶわかるんです。したことがないことができるんですね。ここが凄いところなんですね。神さまの助けを受けると、神さまの知恵・能力・力が出てくるんですね。これが一番の最短コースなんですね。もう、ぜんぶ捨てきったときに、はじめて神さまの全てが与えられて受けるんですよね。これが真の感謝の一つですね。