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禊祓い(みそぎはらい)というのは、伊邪那岐(いざなぎ)の神様、宇宙創造の伊邪那岐の神様が自分の持ってるすべてを与え尽くして、それを適材適所に配置するんですね。そうすると宇宙の創造が生まれるんですね、それが「無限の無限のチャンネルの番組」という姿で出てくるんですね。

 伊邪那岐の神様はプラスの極の立場にいる神様ですね。だから無限の無限のプラスが一杯!という神様ね、無限の無限の大光明の神様なのね。無限の無限の大光明という中には無限に小さい虚の光から、無限に大きい虚の光まで、これは無限の段階の虚の光があるんですね。その上に無限の小さい実の光から、無限の大きい実の光まで、これも無限の段階の実の光があるんですね。この虚の光と実の光の両方ぜんぶを持って、それを与え尽くして、そして適材適所にぜんぶ配置するのね。それは光一元に配置するんですよね。

 そうすると一番小さい虚の光から、一番大きい実の光まで段階を追って、無限の無限の段階の光の表現というのが生まれますね。だから、伊邪那岐の神様を光の極に立つ姿というふうに見るとそうなんですね。

 他の徳性(特性)をぜんぶ伊邪那岐の神様は持ってるわけですね。それも同じように一元に並べて配置するのね。そうすると、無限の無限のチャンネルの番組というふうに最高の姿が生まれてくるのね。これが本当の意味の禊祓いなのね。自分の身を削いで、自分の体をぜんぶ、自分の持っているすべてを与え尽くして、祓うというのは「配置する」という意味ね。適材適所に置いて行くという意味よね。

 これは本心開発と一致するんですよね、悟りを開くということとも一致してるのね。

  「本心開発」という言葉も、本心というのは「本源心」一番奥の極の心ね。伊邪那岐の神様の無限の無限のプラスそのものの立場なんですよね。それを引き出して現わして配置していく。

 同じことなんですね、伊邪那岐の神様の禊祓いと、本心開発というのがね。神様の側から見るとそうなのね。本心を現わしていくという。

 悟りを開くという言葉も同じなんですね。悟りというのは「差を取る→神様との差を取って行く」というわけですね。神様と一体化していくのね。無限の無限のプラスと一体化するのね。また、すべての段階の光ぜんぶと一体化するのね。無限の無限のチャンネルの全部と一体化した状態、これが悟りを開く状態ですよね。

 普通、この世で肉体人間として生きてて、どうしてもこの世の姿だけに執(とら)われていますよね。そうすると神様のほんの一部と一体化している状態ね。無限の無限のその上の何分の一、無限の無限分の一ぐらい、小さく一体化してるのね。そして、心境が高くなって高い番組と一体化したと言っても同じなのね。まだ、ちょっとしか一体化してないでしょう。全部と一体化するにはどうしたらいいかというのね。

 もう、皆さんご存知でしょう。一番下へ下りないと駄目ですね、一番下に下りたら無限に小さい虚の光も感じられるんですよね。だから、闇の極に下りて、一番小さい虚の光りも感じ取れる立場に立たないと、無限の無限の種類の光をぜんぶ感じ取るわけにはいかないでしょう。ちょっと上に立っただけで、もう虚の光りになるから感じないんです、全然ね。

 上のほうに上がってしまったらね、強い光しか感じないだけで、ホタルの光も星明りも楽しめなくなるのよ。ましてや虚の光なんて全然味わうことができなくなってしまうのね。だから、無限に謙虚になるというのが大事ですよね。

 常に一番下に下りて、そしてすべての番組を価値あるものとして楽しめたら、大したことですね。そしたら、神様の与えてくるすべてのプレゼントと一体化するわけでしょう、全部を味わう自分になるんでね。

 それが神様のすべてと一体化している状態ですよね、そしてそれを受け取った状態ね。

 それが本当の悟りですよね。上へ上がってしまったら悟りと違うんですよ、一番下へ下りないと。

 一番下へ下りて、地獄のどん底の一番下へ下りて、そしてすべてを光一元に、プラス一元に、すべてを一元に仰ぎ見て眺めてぜんぶ感じ取る心ね。これが本当の悟りの心。本心を最高に輝かせた状態、本心開発の極の姿、また感謝が無限に無限に深くなった状態。

 感謝が一番深くなった状態が悟りを開いた状態、本心を最高に輝かせた状態なんですね。

 そしたら、どうしたら本心が開発できるかという、次は方法論。

 いろんな方法があるはずなんですね、無限にあるんです。時間のかかるのはちょっと大変なんで、一番簡単で、一番時間も短縮できるのがいいですね。それが「ありがとうございます」というこの感謝行なんですよね。

 感謝行というのは神様のすべてを受け直す呼吸と同じなんですね。常に新しい神様を受け入れて、古いのをお返ししてという「受けてはお返しし、受けてはお返しし」というふうに呼吸をするわけですね。そしてどんどん新しい大きい光を受け入れていく。

 この「ありがとうございます」という感謝行の中に「感謝して受ける」というのと、恩返しの心でぜんぶお返ししていくという両方、ワンセットであるんですね。だから、深い感謝行になると霊的な働きの受けるのと与えるのとの両方がセットで「ありがとうございます」の中にあるんですね。この世的だけに見ると、神様から素晴らしいものを与えてもらって、恩返しのために肉体を使って、自分の持っている全部を与えて奉仕していくという形をとるんですよね。この与え方に霊的なものと精神的なものと物質的なもの、この三つが大きく分けるとあるわけですね。

 (1)先ず、大事なのが霊的に、神様のすべてを受けて、そしてそのすべてをお返しするというのが必要なのね。これがお祈りなんです、深いお祈りね。

 (2)次は、精神的なものね。神様から素晴らしい精神的なものをいっぱい受けて、それも与え尽くしていく、全体に振り撒いていくというのも、精神的な意味の感謝と報恩の生き方なんですね。

 (3)そして最後は物質的なものですね、この宇宙をプレゼントしてもらったという感謝の心で、また受けたものを全体へ与え返していく、そして循環をはかっていくわけね。循環も早くなるほどいいんですよね。たくさん受けてたくさん返していく、その循環が早くなるほど、自分が豊かになっていくでしょう。

  お金でも貯金してしまったらね、その貯金だけの分しか循環してこないですね。でも、与えてまた入ってきて、また与えて入ってきてという、その循環が早くなるほど、一日に百回ぐらい循環してくれたら大金持ちよ。

 だから、難しくないんですよね、悟りを開くことも、本心開発も、禊祓いも。これはぜんぶ神様の方が先にしてくださってるの。後、それを認めて気づいて受けるだけでしょう。

 神様の方は「受けなさい、受けなさい」と一所懸命受けさせようとしてるのよ。ところがみんな受けないのよね、頑張るのよ。吸うた空気をいっぱい吸い込んで呼吸を止めてしまうのよね、苦しいのにね。苦しかったら吐いたらいいのにね。すっと吐いたらまた新しいのが入ってくるのに、ところがみんなガンバルのね、よく。

 でも、この世の人はそういうことをするのよね、感謝を忘れている人というのはみんなそうよね。折角神様が無限にプラスのものをいっぱい与えようとしてるのに「もう、要りません、要りません」と呼吸を止めてしまうのね。感謝を忘れてしまうとそうなのね。ところがふっと持ってるものを与えて掴まなくなったら、直ぐ新しい無限のものをいっぱい感じとれるのにね、ほんのちょっとの差なんですよね。そうしたら、感謝と報恩の生き方が循環するんですよね。

 だから「何も持たない」というのが秘訣なんです、無所有、無所得というのがね。これだけが自分の所得だ、収入だと掴んだ途端に、残りのぜんぶが自分のものではなくなるんですよね。「これだけが自分の財産」と掴んだ途端に、宇宙のほかのがぜんぶ自分の財産じゃなくなるのね。だから、自分で小さく限定してしまってるね。小さく小さく限定して「これだけが自分のもの」っていうふうに限ってしまうのね。もの凄い損をしてるのよ。「これだけ自分のもの」って、収入があったら喜んでいるんでしょう。「儲かった」と思うんだけど、大損してるの。だから、自分のものとして掴んだら駄目ね。さらりと流さないとね、放さないと。

 放した途端に宇宙の全部が自分のものよね。無限の無限のチャンネルの全部をプレゼントしてもらって、全部受け取れるのね。

 だから「悟りを開く、本心を開発する」というのは、みんな無駄な抵抗を止めたらいいのよ。神様に素直になればいいだけね「ありがとうございます」ってね。

 素直になれる方法ね、一番やさしい方法ですね「ありがとうございます」って、感謝行の練習をするのね。もうこれだけで自然に素直になって、謙虚になって、いつの間にか気づきが増えて悟ってしまったという。でも、慌てないほうがいいですよ「この一生で」というぐらいのほうが、そういう気持ちのほうがいいね。「あと何年で悟ろう」というと、また求める心を起こしだすのよね。求めると放せなくなるね。だから、のんびりと無心の感謝行が一番早いのね。

 悟りたい?

 本心開発したい?

 でも、それがね、また縛りになるのよね。

 「一番最後でいい」と思うほうがいいね。一番最後に悟らせてもらうというような感じね。みんなを先に渡そうというような気持ちね。みんなが先に悟るほうがいいと思ったほうがいいでしょう。気楽よねぇ。「自分は一番最後でいいから」ってね「慌てない、慌てない」って。でも、そういう人が先に悟ってしまうのよね。みんなから先に「悟りなさい」って譲ってくれるのね。やはりこれも心の働きがその通りになってるのね、心の通りに運命が決まるのね。また言葉の通りに運命が決まってしまうね。

 みんなを先に彼岸に渡そう、みんなを悟らせようという「悟らせよう」という言葉はそのままその心になって、それがそっくり自分に返ってくるのね。だから、まわりのみんなが自分を悟らせようとしてくれるのよ、一番に悟ってしまうのね。ここにも与える心を生きるとみんなから与えられて極楽世界に住めるのよ。

 だから、与えるほど出すほど得するのよね。

 息でも吐くほどいいのね。呼吸って本当に大事なのね。丹田呼吸という言葉があるのね。

 この吐くときに細く長く静かにす〜〜っと吐くときにね、この吐くときに神様の助けが間髪を入れずにずーっと入り続けるのね。普通は吸ったときに入ると思うでしょう、逆よ。呼吸は吐くときに神様の光が入ってくる。

 神様の方はもう与えたくてたまらんのでしょう、ちょっと吐いたらちょっと入るのよ。もう間髪を入れないのね。吐くのにつれてずーっと入ってくるのね。だから、丹田呼吸は吐くときに意識をしっかりと神様に向けて感謝行をするのよね。そうすると神様の光をいっぱい浴びられるのね。吸うときも入ってるのだけどね、それは後の残りカスよ。だから、吐くときが一番いいのよね、神様の助けがサッと入ってきてるから。

 本心、本源心というのもね、神様の御心は元々系統立ってるのね。ゴッチャに寄せ集まってるのじゃないんですよね。秩序整然と系統が決まって、そしてそれが順番に物質化して現実まで出てくるのね。ここが大事なんですね、役割がぜんぶ違うのね。

 だから、感謝行をして本源と・神様とつながった途端に、その時に全体に必要な個性ある働きがすっと出てくるね。だから、誰一人同じ働きはしないね、みんな違う働きになるね、個性があるね。これは癖じゃなしに個性のほうね。癖だとみんな同じことをしてしまうよ。でも、個性は一人一人の働きはぜんぶ違うわけね。そして全体にとって素晴らしい、美しいものが生まれる。

 だから、系列、系統ってぜんぶ秩序整然と現われてくるね。神様の働きは分けたら無限に分かれるね。

 いろんな光の働き、それを美しく綾模様として織りなしてるわけよね。本心が輝いてきた人は個性が豊かに出てくるの。感謝の深い人は個性が輝いて出てくるのよ。だから、自然に出てくる、これはね。人真似はしなくていいよ、もうね。感謝をする人はもう人真似をしたら駄目よ、絶対駄目なのね。宇宙でただ一人の自分よね。自分にしかできない個性が輝いて出てくるのね。これも自然に神様が出してくださるね。

 必要な役割を与えて、必要な力を添えて、必要な働きをさせてくださるね。そして個性が輝いた姿をとるのね。もう、理屈を抜きで、感謝行だけでそれが可能になってくるね。

 みんなこの世に生まれて「天命は何か」って考えるでしょう、考えても出てこないよ、悩むだけね。でも、感謝行をしているうちに、知らない間に個性が発揮されてくるね、天命が完(まっと)うされてくるね。それが本物なのよね。神様の方から自然に与えられて自然に発揮するのが本物ね。

 本心というのは本物とも言えるのね。だから、すべての分野で一人一人が本物にならないといけないでしょう。一流になるのね、名人、達人になるわけね、その一つの分野でね。それは、もう感謝行をする人はぜんぶ本物になってくる。