2003年5月10日昼AR136




 平和とは 

ありがとうございます:
 ありがとうございます。
 最初に「世界平和」について、ちょっと皆さんと一緒に考えながら勉強していきたいんですけど。
 本当の平和ってどういうものでしょうね、難しいですよね。「戦争がないだけ」というのでは、まだ平和ではないですね。本物の平和といういのはどういうものか、また、世界を平和にするのにはどうしたらいいかというのでも、本物の平和をこの世へ持ちきたすというのが大事だと思うのですけど。難しいですね、かなりね。本物の平和について勉強して行きたいですね。

 「平和」という言葉、この「平」というのは、「みんな平等」という意味が含まれていると思うんです。人類・人間同士もお互い平等で、人間以外の万類ともみんな平等という感じね。
 「和」というのは「調和」だと思うんですね。役割がぜんぶ決まって、お互いが助け合って、生かし合って、本当に調和した姿をとってるという意味ですよね。だから、本当の自由が保障されてないといけないと思うんですよね。みんなの自由が最高に発揮されて、個性豊かに役割が決まって、それが全体としてバランスがとれて大調和の姿をとってる。これが本当の「和」だと思うんですね。


 自由と平等 

 だから「自由と平等」というのがなかったら平和じゃないんですよね。この本等の「自由と平等」というのをしっかり見極めないと、本当の平和はわからないと思うんですね。
 浅い自由とか平等では、まだまだ駄目なんですね。
人間について「自分とは何か」というのでも、浅いとらえ方ではまだまだ自由と平等があっても、まだその自由と平等も浅いですね。奥深い自分をしっかりとらえて、その自分の本当の自由と平等を把握した時が本物だと思うんですね。だから、段階が無限にあると思う、本当の自由も本当の平等も無限の段階があるんですよね。だから、より本物の自由と平等へというふうに、一歩一歩みんなのぼってるのだと思うんですけどね。その本当の自由と平等をしっかりと見極めながら、心をそこへ向けていく、そしてそれをしっかりと体得して把握していくというのが大事だと思うんですね。

 でも、日本には、あまり自由とか平等を求めての運動って少ないですね。外国はそれが多いですね、自由がないから、平等ではないから、それをなんとか守らないとという強い運動が起こるんですね。
 その点、日本の人は、かなり自由と平等を既に与えられてて、本物を把握する感じが強いのかも知れないですね。もう自然にそういうものが与えられて備わってるというところがね。普通は、もっともっと自由と平等を命懸けで求めて、それを手に入れないとという感じが世界にはそういうものがあると思うんですね。
 みなさんも真剣に考えて欲しいんですけどね、本当の自由と平等についてね。

 この世だけを眺めてるとね「平等」といっても本当は無いんです。先ず、生まれたときの状態がぜんぶ違うでしょう。いろんな家に生まれますよね、またいろんな国にも生まれ変わりますね、男に生まれたり女に生まれたりしてね。そして運命がぜんぶ違いますよね、これはぜんぶ違いますね。細かいところまで見ると無限に違いが出てくるんですね。
 だから、この世を見てたら「平等」なんてあり得ない。もし、それを型にはめて同じようにしたとしたら、そこには、もう自由が完全になくなりますよね。 自由のない平等なんて価値がないんですよね。
 「本当の平等はこの世には無い」と言ってもいいと思う、断言できるんですよね。そしたらどこにあるか、やはり、人間の心の奥の奥の、更に奥の一番奥に神さまが存在するんですよね、本当の宇宙絶対神がね。その絶対神の中に本当の平等ってあるんですね。だから、平等についても無限の無限の段階の平等というのがあるはずなんです。それを順番に段階を追って、奥へ奥へ近づけば本物の平等という神さまの中へ到達するんですね。


 本当の平等 

 そこではどういう姿をとってるか―― 
 宇宙の大神さまの最高表現としての、全大宇宙はどういう状態かと言うと、無限の無限の輝きが一杯なんですね。それも神さまの働き・徳性の全てが無限に無限に輝いてるね。
 例えば、「愛」だったら、愛が無限に無限に輝いてる、「知恵」だったら、知恵が無限に無限に輝いてる、「幸せ」という徳性だったら、幸せが無限に無限に輝いてる。もう全ての要素がぜんぶ無限に無限に輝いた姿で、それが大調和しているんですね。そういう姿を一瞬一瞬神さまは現わし続けてるのね。
 その神さまの最高の姿、最高表現、最高の宇宙の姿を、心の奥底・核でしっかりとらえた状態、これが平等の姿なんですね。
 意識あるもの全て、人間だけじゃないんですよ、動物も、植物も、鉱物も意識ある存在の全てが、心の奥底深くで神さまの最高表現を一瞬一瞬新たに受け直す状態ね。神さまをしっかりととらえて、認めて、受けた状態ですよね。その状態において、みんな平等なんですね。
 その意識を持って自由自在にいろんな、例えば、無限の無限のチャンネルの番組が用意されているとして、そこへ自由自在に舞い降りてくるんですね。そして「この世」という一つのチャンネルに降りてきてるんですね。この世も細かく分けたら一つの番組ですけど、無限のチャンネルに分れるね。この世に生きている人も同じ番組は見てないのね、みんな違う番組ね。細かいところまで比べてみるとぜんぶ違うね。
 ある人は無限の中の一つの番組を眺めてるのね、また別な人もちょっとは違う番組なんですよね、もうぜんぶ違うんです、だからね。同じ番組は誰一人見ることはできないのね。それは、もう一番上の自分から眺めると、無限の無限のチャンネルを与えられて、それだけの選択肢を与えてもらって、自由に一つを選んできてるのね。その一つを選んで、またこの世でいろんな立場の見方ができるんですけど。それも自由な立場に立って、それを楽しんでるってね。
 そこには、自由が全然束縛されてないですよね、それでいて、奥ではみんな同じものを受けてるのね。
 最高番組としての無限の無限のチャンネル全体を、神さまから一瞬一瞬新たに与え続けてもらってるんですね、だから平等なんです。それでいて、いろんなチャンネルに舞い降りて、それを楽しんでる状態も、自由は絶対束縛されてないのね。自由にどの番組でも選べるのね、また、どういう立場からでも味わえる、どういう感じ方でもできるのね。ここに自由と平等は保障されてる。
 これが神さまが意識ある全ての存在に与えてるものなんです、「最高のプレゼント」という。
 ここまでさかのぼった時に、はじめて平等感が出てくるね、本当の平等ってね。

 だから、天照大御神さまという名前で、例えば、神さまの名前を、最高表現としての名前を呼んだ時に、この天照大御神さまを受け直して一体化して合体しないといけないですね。天照大御神さまの全てを自分が受け直して、自分が天照大御神さまというぐらいの感覚になったときが本当の平等。
 だから、いろんな平等のとらえ方があるんですけど、浅い段階、小さい段階ではまだまだ不平等そのものね。
 例えば、魂の段階に降りてきても、魂ってぜんぶ違いますよね、もうね。
それで、「肉体人間」に降りたら、もう一つ限定された違いがいっぱい出てきますよね。
 それで、「命の自分」といっても、まだ小さい命の自分では全然違うんですよ、みんな持ってるものがぜんぶ違うんですよね。
 だから、一番奥まで行かないと駄目ですね、やっぱりね、本当の平等はね。そして全てを受け直した状態ね。それでないと平等にまで行かないですね。部分的なだけを受け直しているのでは、まだまだ不平等ですよ。だから、神さまの全てを受け直して、はじめて平等。
 
 でも、これはわかりにくいですね、大変ですね。想像を絶するぐらいのものだと思うんです。でも、そこまでいかないと本当の平等感が無いんですね。差別感の世界に落ちてしまうんです。


 本当の平和 

 「本当の平和」というのをこの世に持ちきたすのでも、一番奥へ戻らないとみんな崩れるんです。浅い段階の平和って掴んだとしても、直ぐにもろくも崩れ去るのね。だから、本当の幸せというのは、そういう自由と平等が完全に保障された状態ですよね。だから、本当はこの世にそういう自由と平等が保障された状態って無いんです、まだね。
 それは先ず、神さまからのプレゼントの受け方が足りないんですね。先ず、無限の無限のチャンネルをぜんぶ受けないといけないですね。ところが「この世だけ、この世の宇宙だけ」というのを受けてると、無限の中の一つしか受けてないのね。そこに先ず、一番の問題があるんですよ。


 本当の自由

 そして、「自由」と言っても、無限の中の一つだけ掴んだのでは自由が無限分の一になるんですね。選択肢が無限分の一に減ってしまうんですね。そうするとそれだけ自由がなくなったということね。
 それで、この世に降りてきて一つの番組を眺めているんですけど、この世でも全体を見てないですね、宇宙全体を見てないですね、まだね。
本当は、宇宙全体が自分が見ている番組としても、この地球だけを見てたらまた小さくなるでしょう。
 地球全体を見ても小さいんですよね、そして地球の中ではもう一つ小さいでしょう、日本だけ見てるともっと小さいでしょう。それでまた、自分の肉体のまわりだけ見てると益々小さくなるね。
 小さく掴んだということは、結局、自分の自由を小さく小さく限定してしまってますよね。だから、どんどんどんどん心が縛られて苦しくなってくる。
これは誰が縛ってるかというと、自分なんですよ、みんなね。他の誰かが自分を縛るんじゃないんですね。
 奥の本体の自分というのは、完全な自由と平等の保障された自分なんですよね。神さまの全てを与えられて平等であり、完全な自由を保障されて自由自在なんですね。この自分が天から舞い降りて一つの番組を掴んでしまったというところがあるのね。そしてその中のまた部分に執われてしまった、そして益々小さくなってるでしょう。


 思い・感謝と言葉 

 これは何故そういうふうになるかというとね、心の働きにも二つあるんですよね。
 過去を掴んで古い心になったのは「思い」というんですね、思いがどんどん溜まるとどんどん自分を縛るんです。
 でも、「感謝」をすると、新たに新たに受け直すんですよね。感謝は神さまからのプレゼントを新たに新たに受け直すのね。だから、古いものを消す働きもあるのね、古いものを消してもらって新しいものを受け直すんですね。だから、「感謝」は自由をどんどんどんどん大きくするんですけどね、「思い」はどんどん縛りを大きくして行くんですね。

 普通、この世でいろいろな思いを出しながら生きていますよね。思いの中心になるのは言葉ですけど、いろんな言葉を使いながら、いろんな思いを出して生きているんですよね。
 その言葉が、思いが自分自身を縛るんですね。だから、縛りのない言葉とか、縛りのない思いというのはないですよね。どんないい言葉でも自分を縛るんですね、どんないい思いでも自分を縛ってくるんですね。
 その言葉や思いの縛りをどうして解いていくか、無くしていくか、消しきっていくか、これは一番大事なことなんですけど。
 どんな方法があります?

 これはみんな神さまに預けないと消えないんですよね。自分の掴んだものを、自分が掴んで握ってるだけなんですけどね、古いものを掴んで握ってるだけなんですけども。一旦掴むと放せないですよね。

 ところが、丁度、太陽があって、太陽から光線がさーっと流れてきますよね。古い光が思いになってどんどん消えていくという感覚で眺めた時に、古い思いを消すのは新しい光を受けたらいいんですよね。新しい光をどんどんどんどん受け直してたら、古いのを相手にしなくなるのね。
 最初、太陽から光がすーっと出てくるでしょう、その光は放射されたらどんどん遠くになって消えて行ってなくなりますよね。その古い光にしがみついたら、どんどんどんどん遠くまで行って消されていくんですよね、古くなってね。
 ところが、新しい方へ、新しい方へ心を向けている限りはね、古いのは相手にしなくなるんですよね。それで、新しい光を、新しい光をというふうに受け直して行くと、古いのは勝手に消えて行くんですね。掴まない限り、とどめない限りは勝手に消えて行くはずなんですね。
 だから、思いの心というのは掴まなかったら消えて行くはずなんです、自然に消されて行くんですね。どんどん新しい光によって押し出されて、どんどん消されて行くはずなんですね。だから、新しい方へ心を向けるというのがね。これは神さまの源ですね、光源の方へ心を向けることが、古いものをぜんぶ消してくださる働きですよね。そしたら神さまへ心を向けたらいいですね。


 神さまはどこにいるの? 

 ただ、「神さま」というのがちょっと難しいですね。どこにいてるかってわからないでしょう。神さまのいてる場所、ご存知の方。
 でも、難しいことはないんですよ、神さまはどこにでもいてるんです。どこにでもいてるんですよ、全体に満ち渡ってるんですけど。
 ただね、心の向きって大事ですよね。心の向きを言葉によって定めることが必要なんです。
 神さまが天にいてるか、地にいてるか、心の中にいてるかとみんないろんな見方をするんですけど、ぜんぶにいてるんですよ、本当はね。ただ、神さまを感じるには言葉で方向付けをして神さまを感じ取っていくんですね。
 「神さまってどういうものか」というと、無限に無限に輝いているんですね。無限に無限に輝いているという言葉で心を神さまに向けるんです。そうすると、その言葉の指し示す奥に神さまにつながるという感覚で感じ取れてくるんですね。
 本当は、神さまって全方向から、無限の無限の輝きが一杯という姿でやってくるんです、天からも地からも、右からも左からも、どこからでも神さまを感じ取れるんですね。
 ただ、言葉の使い方って大事ですね、神さまを表現する言葉、神さまを指し示す言葉を使わないと。
 「無限の輝き」と言ったらまだ小さいのね、神さままでは行かない。「無限の無限の輝き」と言ってもまだ駄目なんですけどね、かなり近くなるんです。
 「無限の無限の輝きが一杯」と言うと、神さまへ心を、照準を合わせていくような感じですね。その言葉の奥に神さまが厳然といるんですね。
 だから「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」と言うぐらいがいいですね。そうすると全方向からところてん式に自分の方へぜんぶ飛び込んでくる。

 だから、いつもそういう言葉を使い続けてたら自分のまわりはぜんぶ神さまになるんですね。ところが、この言葉を普通は使わないですね。この世のことを表現するつまらんマイナスの言葉か、つまらんプラスの言葉を、それだけをいっぱい使い続け過ぎてるのね。だから、その言葉通りに方向付けして、この世だけを相手にするの。つまらんマイナスの言葉、つまらんマイナスの番組に波を合わすの、波長合わせてそれに心を向けてるのね。小さいプラスの言葉、小さいプラスのある低い番組へ心を向けてることになるね。光源へ、神さまへはまだ向いてないね。
 でも、これは使う言葉通りなんですね、これは法則ですからね、言葉で方向付けをして、その番組を心を向けて見るようになってるのね。
 だから、神さまをしっかりと見るためには、「無限の無限の何々」という言葉でしっかりと照準を絞りきらないとね。そういう大きいプラスの言葉を使い続けて、はじめて神さまに心を向けたことになるのね。そうすると神さまの方がスッと現われてくるのね。無限の無限のチャンネルの中でも、より高い番組が現われてきてくれるのね。
 幸せだったら「無限の無限の幸せが一杯!」という姿がスッと出てくるね。
 喜びだったら「無限の無限の喜びが一杯!」という姿がスッと現われてくるんですよね。
 それで、「神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!」というふうにまわりが感じられてきたら、かなり最高番組に近いんです。でも、最高番組はこの世では無理です、感じられないですよね。あまりにも差が大き過ぎるのね。
 この世で神さまの最高の輝きに近いものを感じたと言っても、この世は低い番組なの、まだね。この世なりの輝いた番組なのね。
 本当の最高番組は、この肉体感覚を消しきって、五感六感の感覚をぜんぶ無くしてしまって一番奥まで入らないと。命の自分をどんどんどんどん奥へ入れて、本当に低い番組の縛りをぜんぶ断ち切っていかないとそれは無理なんです。
 それは別に慌ててしなくてもいいんです、まだね。まだまだ一番上から舞い降りてきたんですからね、もうちょっとこの世で遊んでもいいんですけどね。
 ただ、その縛りからは抜けないといけないですね。言葉の縛りで不自由になっているところを、プラスのいい言葉を使って、もう一回自由を回復しないとね。自由な心でもう一回番組選びというのが必要なのね。そしたらかなり奥へ入れますよね、そしたら本当の平等感というのをかなり感じられるはずなんですね。
 みんな神さまからは、無限の無限の輝きが一杯の素晴らしいプレゼントを与え続けてもらってるという「みんな平等なんだ」という感覚が甦ったら、また自分が本当の「無限の無限の幸せ」という感覚が出てきたら、人に対しても求める心は起きないですよね、ただもう与えたいばっかし、幸せを与えたいばっかしという感覚になるんですよね。


 神さまの目的 

 この宇宙の大神さまという根源の神さまが、最高表現の姿で「天照大御神さま」というふうに現われた時にね、この神さまの目的は何かというのね。
 「天照・あまてらす」という言葉の意味ね、「天・あま」は宇宙全体ですよね「てらす」という照らす働きなんですよね。天照大御神さまは自ら無限に無限に輝くと同時に、他を照らす働きをするんですね、与える働きなんです。自分だけが輝いて幸せというのじゃないんですね、みんなを輝かすんですね。
 だから「無限の無限の輝きが一杯!」という姿で現われた天照大御神さまが、みんなも同じように輝かそうとするね。無限に無限に輝いた姿をとらそうとするんですね。それで「無限の無限の輝き」というのをぜんぶに与え尽すのね。そうすると「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」という状態になるんですね。これ全体をひっくるめて「大きい天照大御神さま」となるのね。
 神さまは常に小さい喜びを味わってるんじゃないのね、どんどんどんどん喜びを拡大していくんですね。
 だから、神さまが人と現れて、人というか神さまの分身ですよね。分身をこれだけ無限にたくさん創るのは、一人一人の体験がぜんぶ違うわけでしょう、幸せの味わい方がぜんぶ違いますよね。ぜんぶの人の体験、幸せの感じをぜんぶ取り込むんですね、神さまはね。だから、みんな必要なの、神さまにとっての分身になってるんですね。
 一人一人が天照大御神さまと同じだけの感覚に戻らないといけないですね。「無限の無限の輝きが一杯!」という状態の感覚に戻って、そういう人たちがまた無限に無限にいてるわけでしょう。
 だから、神さまの目的は、自ら輝くと同時に、みんなを輝かせようとしているね。その分身としての人も、そういう同じ目的を持たないといけないですね。


 人生の目的 

 「人生の目的」ってね、いろんな目的がありますよね、これも無限にあっていいんですね。段階が無限にあると思うんです。ただ「本物の人生の目的は何か」本物という限りはね、神さまの目的と一致しないといけないね。神さまの目的と一致した時が、人生の本当の目的。
 浅い目的はいろいろあるんですよ、段階は無限にあっていいんですけど。
でも「本当の人生の目的とは何か」と考えると、自分が最後に納得するのは、神さまの目的と一つになったときなんですね。途中ではまだ満足しきれない。だから、自ら無限に無限に輝くというのが、やっぱり大事なんですね。それと同時に、全ての存在、全てのものを無限に無限に輝かせるという、これも目的なんですね。そうすると、そこに生き甲斐も喜びも湧き上がってくる。
 やはり、人生の目的を定めないと、本当の目的を定めないと生き甲斐は無いんですよ。喜びも湧き上がらないですね。
 人生の目的について皆さんもある程度悩まれたこともあると思うのね。また、悩む時期が必ず誰でもやってくるんですよね。「何の為に生きているのか、生かされているのか」ってね、小さい意味の目的じゃなしに、本当の意味の、大きい意味の人生の目的ね、生かされてる目的がわかった時にはじめて自分の心が納得するのね。だから、中途半端で納得できない人は、かなり深いところまで自分の意識が行ってるんです。
 浅い段階では中途半端な目的で満足するでしょう。でも自分の意識が深く入ってくると、小さい目的では納得できなくなるね。そういう人はかなり神さまに近づいていると言えるのね、本物へ近づきつつあるのね、もうちょっとで深く入れる。
 神さまへより近づけば、神さまの目的と自分の目的と一つにスッと融け合ってくるね。そうなったら心から喜べるのね


 本物の中心 

 そして「平等」というのも、やっぱりそこまで行ってはじめて平等でしょう。
 日本には天皇陛下がいらっしゃるよね。皇室というのは天照大御神さまの子孫というふうに、普通はとらえて「中心者」というふうに見てるでしょう。でも、これは言葉の縛りなんですよ。そういう言葉を使った人の縛りにあって、皆さんは縛られてますよね。言葉はもっともっと自由な言葉でないといけないと思うのね。
 全ての存在は天照大御神さまの子孫よ。
 全ての人が宇宙の中心よ。
 神さまは別にエコヒイキして天皇家だけを、天皇陛下だけを中心に置いたり最高の位置に置いてないよ、みんな平等なんよ。一番奥の元ではね。

 本当は誰でも宇宙の中心に立って宇宙の天皇になれるのよ。ただ、みんな平等だから、またみんな神さまの無限の無限の謙虚さというのを持ってるから、自分から中心になろうとはしないわね。みんな謙虚に譲り合うのね、みんなね「私は一番最後で結構です」ってぜんぶ言うのよね、奥の本体の自分がね。だから譲り合って誰もならないのね。最後に一人、神さまが定めてくれるよね、その時は誰かがなるのね。これは誰が偉いからとか、どうのこうのと違うよね。みんな平等の立場にあって、その一人の人を宇宙の天皇を選ぶね、神さまはね。

 また、太陽系の中心に一人の天皇がいるのよ、地球にも一人いるよね、中心者としてのね。一人誰かを選ばないといけないね。
 中心ってやっぱり大事ですよね、中心があるから調和するのよね。だからいろんな中心がいっぱいあるでしょう。この中心がたくさんあって、ぜんぶが調和しないといけないでしょう。

 その中心になった人が偉いんじゃないのね、一番謙虚なんよ。一番下に立って、全責任を持って全体の調和を図るのね。だから、中心に立つのは大変なの、本当はね。みんなのマイナスを一心に背負わないといけないのね。「本物の中心」ってそういう意味よ。

 でも、低い番組は上に立つのを中心だと錯覚するのね。上に立ってみんなを支配するのが中心かなと思うでしょう。でも、そういう権力者的な、上に立つ生き方は本物の中心じゃないのね。でも、それも低い段階では中心と言えるのね。でも、高い番組で「本物を中心」と言うのは違うね、自分が一番下に下りることね、みんなを支えることなんよね。それもみんなが本当の自由を発揮してそうなるのね。


 本当の民主主義 

 この世で「民主主義」という言葉があって、民主主義にも本物と偽物があるんですよね。
 浅い民主主義は、やっぱり偽物なんよね。奥深い自覚の民主主義が本物なのね。自分が単なるこの肉体人間ととらえたときは、浅い民主主義ね。この時は、まだ奥の本心が輝き出てないから、思いの心を生きるのが多いよね。思いの心で多数決で決めていろんな意見が出てまとまらないでしょう。

 でも、一番奥の本心同士の民主主義は、最高の言葉はわかる、直ぐにね。多数決で決めなくてもいいのね、みんなの意見が一致してしまうのね、スッと衆議一決するってね。どんな問題があってもパッと一瞬に一つにまとまってしまうのね。これが本当の民主主義よ。
 だから、一人一人の心の状態で変るわけよね。
 この世に本当の平和な世界を実現するには、一番奥の姿を降ろしてこないといけない。だから一人一人の自覚が神さまと一体の自覚まで戻らないと、本当の自由と平等をしっかりととらえてこないとね。そしてみんなで力を合わせて協力して、スッと最高番組の極楽世界を現実化するのよね。

 そうしたら、今の政治家のしているような足の引っ張り合いなんか無いよね。お互いにいいものを誉め合うだけなんよね。足りないところを補い合うだけでしょう。だから「いいことをやりたい」と言ったら、もうぜんぶが協力してサッと仕上げてしまうでしょう。そんなん、問題なんか一つも起こらないね、即完全平和実現というような極楽世界がすぐ現われるのね。

 でも、やっぱり奥へ戻るのが、まあ難しいかも知れないね。奥の自分に、奥の自覚に戻るという、本当に神さまと一体の自分の自覚へ戻らないとね。ここへ戻るのが今の時期、一番大事なのね。


 本当の自分に戻る方法 

 でも、神さまは戻るのに難しい方法を用意しているんじゃないね。一番上から、天から舞い降りて、いろんな番組に心を合わせて降りてきて、仮にそれに執われてはまり込んで抜けられんというときに、すぐに抜ける方法を先ず用意してくれてるのね。ちょっと心を自由にするだけでいい。

 これはどういう言葉か――
 「ありがとうございます」という言葉なんよ。これは誰が発明した言葉でもなんでもないんだけどね。最初からある言葉ね。最初から全体を把握する言葉として、心を自由にする言葉として存在してるね。その言葉を神さまは最初から与えてるのね。そして必要になった時に気づかせるね。

 「ああ、この言葉に力があるよ」というのに気づかせてくれるね。また、知らず知らず使っているうちに、心を自由に変えてきてくれる。だから、何気なしに「ありがとうございます」を使ってるうちに、いつの間にか心が自由になってくるのよ。思いの縛りが解けてくるね、これは不思議なのね。どれだけ思いの縛りで苦しい時も、嘘でも何でもいいのよ「ありがとうございます」を連発してご覧よ、心が軽くなってくるね、縛りがスッと消えて行くのよね。

 それで、その心の縛りが解けると同時に、プラスの方へプラスの方へ心が向いて選択肢が広がって行くのね。それで自由に心がなってくるのね。自由になってくると、また最初の自由自在な本体の自分へ戻りやすくなる。

 だから、人というのはいろんな番組に執われては、また自由になり、執われては自由になりという。そしていろんな番組をいろんな角度から味わって、最後には最高番組に戻るんですよね。だから、ある時期は執われないといけないみたいですね。一つの番組をしっかり味わうという意味でね。でも、自由にまた戻らないと、次の番組に移れないですからね。でも、無限の無限のチャンネルをぜんぶ味わうって大変でしょう。万のチャンネルでも大変でしょう、一万のチャンネルをぜんぶ味わい尽すのは大変でしょう。でも、みんなチョッチョッチョッと摘んでは見ているような感じで、ちょっと体験して早く最高番組へ戻るんですよね。

 最高番組を何故最初から味わい続けて、それだけで終らないか。これはやっぱり最高番組だけを見ててもとらえ方が浅くなるのね。一大交響楽が流れてるとするでしょう、初めて素人がその音色を聞いて「ああ、素晴らしいな」と感動する心と、いろんな楽器の演奏の仕方を、一つ一つ部分的に勉強してぜんぶマスターした人の感じ方と全然違うでしょう。全ての楽器の演奏の仕方を学んできた人は、更に細かく区別して聞き取れますよね、味わい方がグンと深くなるのね。

 だから、最高番組だけを見てるのも同じなのね。他のいろんな番組を順番に体験して味わって、そして最後に戻った時に、中味の濃い味わい方ができるでしょう。同じ最高番組を味わうのでもね。
 そういう意味で、いろんな番組の体験って必要になってるんですね。


 世界平和のための言葉 

 だから、「この世を平和にしないといけない」と躍起になってる人もいますよね。でも、本当はそうじゃないんですね、心が本当に自由で平等な感じを取り戻せばいいのね。この世の番組を自分勝手に変えることが大事なんじゃないんですね。神さまの創った番組を、人が勝手に変えるわけにはいかないのね。もっと低い番組、戦争ばっかしの番組もあるよね。殺し合いの、争いの地獄絵図のような番組もあるのね。でも、それも番組としては必要なのね。その番組を勝手に変えようと思っても変らないし、変える必要もないよね。

 ただ、自分の心が自由と平等を回復すればいいね。そして、自由な心に戻って必要な番組をこの世へ降ろせばいいでしょう。ちょっと平和な心を持てば、この世は平和になるじゃない。どの番組でもスッとこの世に引き降ろせるよね。
 だから、この世はあの世の番組の縮図なのね、あの世は地獄から極楽まで無限のチャンネルの番組があるわけね。あの世の地獄から極楽までの番組のぜんぶを、言葉によって、心によってこの世へ引っ張り出す、あの世のどの番組でも自由に引っ張り出すようになってる。

 だから、あの世の地獄もこの世に引っ張り出せるし、あの世の極楽もこの世に引っ張り出せるのね。それで、この世のチャンネルが無限のチャンネルに分れてるの、細かくね。その言葉の使い方によって、平和な番組を引っ張り出せばいいでしょう。そしたらこの世なりの平和番組ができてくるね。
 だから、この世の地獄も、あの世の地獄と比べたら取るに足らないよね。万分の一か、億分の一の苦しみの世界ね、この世の地獄はね。
 極楽も同じなのね、あの世の極楽はこの世の極楽の何億倍以上の素晴らしい極楽。ただ、縮図としての、模型としての極楽の姿がこの世に降りてくる。

 平和も本当は同じね。一番奥の最高番組としての平和の姿と、この世に降ろした平和とは比較にならないぐらい違いがあるのね。本当の平和の小さい模型的な平和がこの世には降りてくるけど、一番奥の完全平和なんてとても降りないよ。この世なりの小さい平和なのね。

 でも、この世なりの平和でも、最高番組をこの世に降ろした平和だったら凄いよね。みんなが感謝が深くて、与え尽す心がいっぱいで、本当に助け合いの姿をとって、人だけじゃなしに、動物も植物も鉱物もぜんぶが、誉め合って感謝し合って喜び合ってという大調和の姿をとるよね。どこにもマイナスは無いという。
 これがこの世の完全平和の姿という姿で出てくるね。
 そのために必要なことは何か。――
 本当は「ありがとうございます」一言なのね。「ありがとうございます」という言葉の力に気づけばいいだけね。神さまの大きい助けが一言に降りてくる、「無限の無限の輝きが無限に無限に一杯」という、こういう神さまの大きい光の働きが降りてくるのね。ただ、その降り方が一人一人の順番に合わせてくれるから、必要なだけを順番に降ろしてくるんだけど。その順番に降ろしてもらったものを受けるのに、ちょっと時間がかかるだけね。必ず大きい光を受けられる自分に変わった時に大きい光を与えてくるのね。

 ただ、それもみんな同じなんよね、言葉の使い方がいろいろだからよね。「ありがとうございます」一言に絞り込んだ人はまだ少ないよね。他のいろんな言葉を使い過ぎるでしょう。それもプラスだけじゃなくて、マイナスまで使うでしょう。
 それで、神さまの方は順番待ちで、順番に光を強い光に変えては与えてくるのよね。だから、ある程度の人が「ありがとうございます」に絞り込んでくれるとかなり大きい光がダッと降りるから、まわりがいっぺんにパーッと明るくなるような感じで平和がすぐに実現するんですけどね。

 でも、まだまだしつこくマイナスの言葉を使いたい人もいてるじゃない。それも強制はできないわね、プラスの言葉を使いなさいというふうにね。最初からみんな自由だからね。
 ただ、みんなが「ありがとうございます」と言い始めたら、それに習ってくる人が増えてくるね「ああ、そのほうがいいか」と気づいてくる人が増えてくるのよね。
 だから「ありがとうございます」は世界平和のための言葉よね。世直しの言葉ね。
このぐらいで、質問をしてもらいましょう。


 奉仕作業とは 

進行:
 その前に奉仕作業のことですが。奉仕作業というのは何の為に、誰の為にしていると思われます?
 一つは神さまの為というのもあるし、ありがとう村の為というのもあるかもわからないし、それから自分の為にしているんだというのもあるし。どういう思いで、どういう気持ちで奉仕作業をされてますでしょうか。
 その辺のお話を。

ありがとうございます:
 「奉仕」って一言で言ってもね、これも無限の段階があると見た方がいいですよね。
 「奉仕」は「仕え奉る」でしょう。本当は「神さまに仕え奉る」というのが根本の奉仕なんですけどね。神さまの手足として神さまに動かせてもらうというのが根本の奉仕ですよね、本物の奉仕はね。
 「神さまのお手伝い」というのが本当なんですけど、段階がやっぱり無限にありますね。本当の奉仕になるまでに、先ず「練習の奉仕」ってあるんですね。
 普通、神さまの心を汲み取って、そして必要なことをスッとできる人って、これは本物の奉仕者ですよね。

 でも、神さまは言葉で言ってこないでしょう、神さまは何を願って何を必要としてるかというのを、神さまは言葉で言ってこないんですよね。だから、これを汲み取るのが一番難しいですね。
 みんなを幸せにするために、例えば、この世を平和にするために、神さまが願って必要としていることがあるんですよね。「一番大事なこと、一番必要なことは何か」ってね、でもこれは神さまは言ってくれないんです。汲み取らないといけない、神さまの心をね。それを汲み取って必要なことを、自分が全責任を持って自発的に自主的にしていくという、させていただくという、これが本物の奉仕なんですね。ここへ行ったら誰からも縛られないですよね。自分が自由にさせてもらってるだけでしょう。そこには自由があるということで、縛られてないということで喜びが湧き上がるのね。そして、神さまの心を汲み取って奉仕した分だけ、その分だけまた神さまから力を添えてもらった姿で喜べるのね。

 本当は神さまにぜんぶさせてもらってるんですよね、自分がしているんじゃないですよ、神さまから全てを必要なものを与えてもらってさせてもらってるのね、奉仕ってね。神さまが働かなかったら一瞬も生きておれないでしょう、手足も動かないね。
 だから、ぜんぶ神さまが自分を通して力を添えてくるのね。だから、どんな奉仕も神さまにさせてもらってる奉仕よね。だから、神さまの御心を汲んで神さまのお手伝いに生きたいという時に、神さまが自分を通して働くんですね。その時に必要な働きをさせてもらって、喜びが湧き上がって、神さまのお役に立つのね。これが本当のプラスの奉仕なのね。

 でも、今度は人が、「これが神さまの御心なんだ」と、いろんな言い方をしますよね「神さまはこれを必要として願っているんだ」ってね。これは人によってみんな言い方が違うんですね。
 でも、神さまが直接じゃないから偽物かも知れないですよ、間違ってるかも知れないよ。でも、人の言うのを聞いて、もし「これが正しいのかな」と思う人は、その人と大体心の状態が同じなのね。自分が本当は心に感じ取って動いた方がいいんですけど、人の言葉を参考にして、そしてその人の言葉を元に動こうとするのね。これも自分の心の状態に合った人の言葉を受け入れるのね。

 十人の人がいて、その十人が違うことを言ったら、やっぱり誰か一人を選びますよね。それは自分が納得する人の言葉を選ぶのよ、やっぱりね。だから、自分の心の状態と波長の合う人の言葉を参考にして受け入れてるね。
 常に、本当はみんな自由に動いているはずなんですよ。でも、ここで人のせいにしたら駄目なんですね。「その人のために動いてる」というと、間違うんですね。人のために奉仕しても損するんですよ。これは何故かというと――

 例えば、自分が何かマイナスを持ってても、人のためにしてもマイナスは人は消してくれる力は無いんです。「神さまのために」というと、神さまは引き受けてぜんぶ消してくれる。
 奉仕の目的はね、自分の過去のマイナスを、古いものをぜんぶ神さまに預けるために、消してもらうためにさせてもらうのが本当ね、それが先ず第一なのね。
 そしてマイナスを消してもらって空っぽの自分になった時に、初めて神さまからプラスが降ろされてくるでしょう。そしてプラスがいっぱいの姿に変えてもらって、いいことをいっぱいさせてもらうのね。

 だから、本物の奉仕になるまでに、先ず自分のマイナスを神さまに背負ってもらって消してもらわないといけないね。そういう意味で、人に言われた時でも、やっぱり「神さまのために」というふうに心の向きを神さまに向けないといけないね。「神さまのために自分の全てを捧げます」という感じで、そして奉仕に入ると、自分のマイナスをぜんぶ神さまに預けることができるね。その時に神さまがそれを引き受けて消してくださるね。

 そうすると自分の心が自由に軽くなる、そこへまた神さまが降りて働きやすくなって、プラスがいっぱいになってくるでしょう。
 だから、人の言いなりになったら駄目なんでしょう、人の言うことを参考にはしてもいい。でも、人の言いなりになって動くと奴隷なんですよ、人の奴隷よね。これは偽物になってくるね。だから、まわりの人の言葉は参考にはすればいいよね、でも、常に自分が自発的に自分のほうから責任を持って動くのね。それも「神さまのお手伝い、神さまのために」という気持ちで動くのよね。そしたら必ず神さまの助けが大きく降りてくるんですね。自由を縛られずに、マイナスも消してもらい、プラスもいっぱい与えてもらって、そして喜びが湧き上がってくる。

 だから、人の言葉を相手にせずに、神さまの心を汲み取って動ける人が本物なのね。
 でも、人の言葉を参考にして動くのでも、やっぱり自分が自主的に動かないと偽物になってしまうね。自らが自由に動けるときが本物なのね。
 だから、段階がこれは無限にあってもいいんですよね。奉仕の練習も必要なの、最初はね。本物の奉仕になるまでにいろんな段階の奉仕の練習って大事なんでね、それも順番にこなしながら、でも早く本物の奉仕に近づいたほうがいいよね。神さまの助けを大きく受けて、本当のお役に立てるほうがいいのね。そうするといいものを与えた結果、自分にもいいものがいっぱい返ってくるよね。

 やっぱり無駄な努力は必要ないもんね、無駄はできるだけ少なくする方がいいね、早く早くいいものをいっぱいにするほうがいいのね。
 奉仕の心構えが大事だというのは、そういうところね。

  ありがとうございます。



AR136 2003.5.10.02

 「世界維新」について

ありがとうございます:
 ありがとうございます。
「世界維新」という言葉ですが、それからちょっと説明しますね。
「維新」というと「明治維新」という言葉がありますよね。
 「明治維新」の場合は政治体制なんかを古い体制から新しい体制に置き換えた意味ですよね。
 この「世界維新」というのは、「維新」というのは「これ新たに」という意味で、世界全体を大きく置き換える働きね。これは、人がするんじゃなしに神さまがしてくださるね。
 丁度、今一つの番組に波長を合わせて世界が一つの番組として出てくるでしょう。その番組を上へ上へ変えることによって世界全体をガラッと変えてくださるのね。部分的に変えて行くんじゃないのね、世界全体を大きく変化させる働きね。特に、神さまの大きい力が降りてくる時代というのは、より高い番組へどんどんどんどん変えてくださるのね。

 本物を現すというのも、神さまの最高番組をどんどんこの地上へ模型として降ろしてくださるのね。そういう時代が、この新しい世紀、本物の時代なんですね。
 それは「世界維新」という姿でどんどん本物が出てくるんですね。だから、「世界維新」の言葉は「ありがとうございます」という言葉ね。「ありがとうございます」という言葉でどんどんどんどん高い番組を降ろしてくださるね。だから、世界全体を大きくガラッと変えてくださるのね、それが「世界維新」という言葉、簡単ですけどね。




 自力の感謝、他力の感謝、絶対力の感謝について

ありがとうございます:
 それから、自力、他力、絶対力という言葉は、悟りを開くために本当の救いを体得するためには、自力的な生き方・行法、また他力的な生き方・行法、最後に絶対力的な生き方・行法ってあるのね。
 悟るためには何が一番必要か、いろんな方法があるんですね、悟る方法ってね。でも、根本はお祈りなんですね。お祈りが悟りへの道なんですね。そのお祈りもピンからキリまであるんですけどね。でも、そのお祈りをぜんぶ束ねて中に持ってるのがこの「ありがとうございます」という感謝のお祈りですね。
 その感謝のお祈りが、本当の意味の「悟りへの道」最短コースを歩む道なんですね。
 ただ、その悟りへの道、最短コースへの道と言っても、「ありがとうございます」にも段階があるんですね。段階があるというのでも「ありがとうございます」に段階があるんじゃないですよ。「ありがとうございます」は一貫してるんですね、ただ受け方にいろんな段階があるの。

 最初は自力的な「ありがとうございます」が始まるんですけど。これは「自我の心・思い」を持って生きようとしている人にとったら、それを除けて「ありがとうございます」は言えないですね。
 「ありがとうございます」って言っていながら自我の心を、思いをいっぱい持ってるんですよね。思いの心、自我の心で唱えている時が、自力の「ありがとうございます」ね、自力のお祈りをしている段階ですね。

 でも、これも効果が無いんじゃないんですね、神さまの方は「ありがとうございます」という言葉があるところには、必ず必要な光を添えてくるんです。だから、思いの心を生きてる、思いもいろんな種類がたくさんありますよね。その思いも段階がいろいろあって、真っ黒の黒雲がいっぱいというような状態の、思いでいっぱいの人にとったら、大きい光はちょっと投げかけるのは難しいですね。それを一瞬に消されたら肉体まで亡んでしまうという感じで、瞬間に蒸発するような感じになりますよね。それではあまりにも耐え切れないというふうにみるのね。だから、一人一人に合わせて最初はやわらかい光を与えてくるね。少しずつ思いを消しながら、順番に段階を追って光を強くしてくださるのね。

 だから、自力でどんな思いで持って「ありがとうございます」を唱えてもいいんですね。
 「お金を儲けたいから」という思いでもいいんです、「病気を治したいから」というのでもいいんですね。どんな思いを持っててもいいんですね「ありがとうございます」を加えることによって、神さまからの必要な助けは順番に段階を追ってくるんですね。これも自然に無理なく向上できるようにしてくださるね。
ただ、必要な助けを的確に与えてくださるのね、この「ありがとうございます」という言葉がある限りはね。それがある程度進むと、今度は、まあ「自分が祈ってる」という感じですね、最初はね。「自分が努力して祈らなければ」という感じで祈るんですけど。

 今度はそれ以上に守護霊さん、守護神さんとか、救済のいろんな神さまが「ありがとうございます」を祈り続けて自分を助け続けてきてくださってるというのに気づくんです。
 自分の努力よりも他力の働きの方が無限に大きいってね。守護霊さん、守護神さんの働きの方がもっともっと大きかったのね、自分の肉体の努力の働きなんかと比べたら、もう無限に大きいのね。それに気づくと、「自分の祈ってる祈りも、ああ、これは守護霊さんが祈っていてくださるその姿が影を映している姿なんだ」と気づくんです。守護霊さんだけではないですね、守護神さん、副守護霊さん、副守護神さんってね、縁のある神さまがいっぱいいてるのね。だから、大勢の神さまが一所懸命自分一人のために祈りに祈ってくださってるという、それに気づいたら「他力の祈り」になるのね。

 だから、自分の祈っている祈り、例えば二十四時間寝ずに祈ったとしても、大したことないんです。何億回祈ったって大したことないんですよ。それ以上に、自分を護ってくださってる救済の神さま、他力の元になる大勢の神さまの祈りのほうが、はるかにはるかに大きい。それは、自分の祈りに比べたら無限に大きいんですね。 それに気づきだしたときから、他力の祈り、感謝行に入るんですね。

 それがまたずーっと続くとどんどん向上していくんですね、自分がね。それで謙虚に謙虚になって、神さまの助けをどんどん受け入れていくと、最後に到達するところというのが、やっぱりあるわけですね。最後と言うとなんだけど、最後に近づくんですね。そうするとね、「みんなが無限に無限に輝いている」という感覚が出てくるんですね。
 これから祈るんじゃないのね、また、これから救われるのでもない、またこれからまた悟るのでもないという、みんな既に悟ってるんだという、みんな既に祈ってるんだ、みんな既に救われてる、みんなもう無限に無限に輝いているというのに、これも気づき出すね。そしたら「もう、みんな神さまと一体なんだ」という感覚ですね。
宇宙の大神さまが、最高表現としての天照大御神という姿で、宇宙絶対統一神という姿で出てきますよね。

 この天照大御神さまとみんなが一体なんだという、本当に無限に無限に輝いて、それも一瞬一瞬新たに出続けるという、それに気づいたときは、もう区別できないんですね。みんな天照大御神さまと一体そのものってね、切り分けることなんかできないのね。もう一瞬一瞬、天照大御神さまの与えてくる無限の無限の輝きが一杯という姿が、もう一瞬の休みもなく間断なくずーっと連続して与えられるのね。もの凄い与え方なの。
 もう圧倒され続けるような与え方ですよね。だから、ピタッと天照大御神さまと一体化してしまうような感じね、みんながそうなんだってね、人だけじゃない、物も、石ころ一個もそうなのね、原子一個もそうなんだという、みんな天照大御神さまと一体化して、無限の無限の輝きが一杯という姿をとり続けてるという、これに気づくんですね、気づかせてもらうのね。

 その時から絶対力の祈り、感謝行に入るんです。だから「みんな天照大御神さま」という祈り方になるね。「ありがとうございます」の祈りは、本当はそうなのね。「みんな天照大御神さま」という、原子一個も、石ころ一個も、植物も動物も、全ての人が既に無限に無限に輝いているんだ、それを受け直すのが「ありがとうございます」の祈り言葉なのね。

 だから「ありがとうございます」という本当の祈りの中に、自力の祈り、他力の祈り、絶対力の祈り、ぜんぶあるんですよね。
 だから、絶対力の祈りの中に全ての他力の祈り方、自力の祈り方がぜんぶ含まれてたのね。ただ、それを分けてる間は、全体像に気づかなかったというだけね。既にあったの、ぜんぶね。絶対力の中に他力の祈りも自力の祈りも小さく納まってたのね。だから、自力の祈りしか無いというのは、それにしか気づかなかっただけね。また、他力の祈りに気づいたと言っても、それに気づいたから、あるとわかるだけね。

 でも、絶対力まで到達したら、他力なんてちっぽけなものという、もう絶対力の祈りが全てだったというふうに気づいていくわけですね。そうすると、もう、ただ「ありがとうございます」一言、その中に全てがあるんですね。最後にそこに絞り込まれていくんですよね「ありがとうございます」一言にね。




 「ありがとうございます」一つに絞り込む

ありがとうございます:
 普通は、神さまを信じている人は、いろんな神さまや仏様を信じるでしょう。八百万の神さまとなると大変ですよね。みんな働きが違うんですよね、それで助け方、与え方がぜんぶ違うわけでしょう。
 自分にいろんな願いがあって、自分の願いを叶えてもらうために、いろんな神さまを対象にして助けを受けようとすると大変ですよね。順番に神さまの名前を呼んで助けを受けるにしても、神さまの名前をいっぱい唱えないと駄目じゃないですか。
一万の神さまがいらっしゃるとして、順番に一万の神さまの名前を呼べるでしょうかね、無理ね。
 そして、ある神さまの名前を呼んで、他の神さまの名前を呼ばなかったら機嫌を悪くするかも知れない「なんで私を除け者にして」と言われるかも知れない、まあ、そんなことは言わないかも知れないけどね。エコヒイキよね、不平等になるじゃない。

 だから、全部に、全ての神さまに通じる言葉っていいですよね。「ありがとうございます」一言で自分を護ってくださる神さま全てに通じるんですね。
 また、あの世の神さまだけじゃないんですよね、この世の全てのものも神さまが愛の心で変身して、いろんな姿に形を変えて、姿を変えて、私たち一人一人を幸せにしようとしてくださる姿でしょう。
 だから、道路を歩いて石ころにけつまづいても、その石ころに文句を言っても駄目よね。その石ころは神さまの愛の塊みたいなものよね。本当に神通自在な神さまが石ころに変身して、みんなが歩けるように支えてくれるわけでしょう。蹴飛ばされても文句言わずに幸せを願って祈ってくれてるわけね。
 この世の全てもそうなのね。だから「ありがとうございます」って言うのでも、もう全部に本当は言わないといけないね。全部に言うなんて不可能よね。地球の六十億あまりの人に一回でも「ありがとうございます」を言おうと思ったら一生では言えないですね。ある人に言ってある人に言わなかったら不平等よね。

 だから、特別に‘あの人’と名指さなくていいのよね、本当はね。「ありがとうございます」一言で、全ての人にも感謝ができるのね。全ての動物にも、植物にも、鉱物にもってね、細かく言ったら全ての細胞に、全ての原子にというような感じでしょう。もう全てに行き届いた感謝ができるというのが「ありがとうございます」一言でいいのね。そこまで絞り込んだら楽ですよね。もう枝葉に執われなくなる。

 いろんな宗教の教えがいっぱいあっても、もうぜんぶいいのよ、それね。「ああ、みんな素晴らしいな」でいいのよね。ぜんぶ「ありがとうございます」の一言の中に小さく納まってるのね。
 お祈りもいろんな種類の祈り方がありますよね。無限の種類があっていいね、祈り言葉もね。また、祈りも無限の段階があっていいのね。
 だから「南無阿弥陀仏」もいいし、「世界人類が平和でありますように」もいいし、もう全てがいいのね。でもね、「ありがとうございます」の中にぜんぶ含まれるのね。そしたら一つに絞った方がいいでしょう、いろんな祈りをしなくてもね。まあ、「ありがとうございます」で全部できてるのよ。楽になるね。
 だから、どんどん単純化して楽になるほうがいいのよね、根本に戻るほど全体が把握しやすくなるね。

 だから「一つに絞りきる」ということが、本当の意味で神さまをしっかりと掴むことになるのね。そのための祈り言葉になってるね「ありがとうございます」というのがね。だから、もう皆さんは既に無限に無限に輝いて祈り続けてるという。
 これを今信じられる人は思いの少ない人ね。またそういう言葉を少し使ってきたか、受け入れやすい状態に心がなってる人よね。でも、奥の自分はぜんぶわかってるのよ。「みんな天照大御神さま」ってね、そういう感覚は奥にはちゃんとあるのね。ただ、それがどの程度邪魔されずに出てきてるかでしょう。この邪魔するものは、やっぱり思いの心ね。




 思いの心を感謝の心に切り替えて

ありがとうございます:
 普通ね、思いの心を生きている間は、自分の思い通りにしたいのよね。いっぱいいろんな願いが出てくるでしょう「こうしてみたい」とか「こうあって欲しい」とか、いろんな願いが出てきますね。
 でもね、思いの心を生きている間は、取り越し苦労をし、持越し苦労をし、上手く行かないよね。思いがいっぱい溜まったら、もう七難八苦でいっぱいになるね。最後には地獄の苦痛を味わう状態に落ちてしまうのね。だから、思い通りに生きても駄目ね。思いは、やっぱり相手にしないほうがいいのね。

 「思いを捨てて感謝に生きる」という、この生き方が本当の正しい幸せへの道なのね。
 思いの心でいろいろ人に質問して答えをもらったって、思いの世界へはまり込むだけね、答えにも何もならないね、解決しないのね。
 それは思いの心で一つの番組に波長を合わせて、その番組にはまってるだけね。それでは、幸せは感じないし、代わりに思い通りになった姿が与えてもらえても、次にまた問題が次から次にいっぱい出てくるのね。もう際限なく問題が出てきて七難八苦の苦痛におちいるの。それはもう、思いは相手にせずに、感謝に切り替えたほうがいいね。

 感謝に切り替えて、「みんな神さまの現れ」というふうに、神さまの最高番組を受け取ろうとすればいいね。そうすると「みんな無限に無限に幸せ一杯なんだ」という、そういう言葉の思い返しでどんどん感謝を深めていくと、自分のまわりに現われる姿はみんな無限に幸せな人ばっかしになるね。そしたらいろんな問題で悩むことはないのね。もう一切の苦しみからは超越してしまって、幸せだけが自分の運命に、まわりに現われるようになるね。心配の種はぜんぶ消えてしまうのね。
 だから、今ある心配の種をどうこうしようじゃなしに、ガラッと変えてもらうのね、番組自体をね。それは感謝に生きることによって、番組自体が高い番組に変ったら、もう幸せだけの姿をとってくるね。そういう運命に変るから、自分のまわりは幸せな人ばっかしになるの。それが本当の自分の願ってることのはずなのよね。だから、感謝に生きる練習さえしていけば、もう全ての問題はどんどん解決されていくね。




 供 養

ありがとうございます:
 そして、「供養」というのでも、いろんな供養の仕方があるのね。これも供養にも無限の段階があるとみたほうがいいね。その供養の仕方も段階があるんで、最高のいい供養の仕方がいいじゃない。
 「供養」というのは「供える」という意味よね、何を供えるか、どこへ供えるか、誰を対象にってね。
 「迷った人がいてる」と見て、なんか食べ物でも供えようかというのだったら、それも一つの供養かも知れないけど、低い段階ね。自分も救われないよね、そういう世界に自分を置くとね。それは「低い番組」と見た方がいいよね。

 「高い番組の供養」は、自分の命を神さまに捧げていくわけよね、自分の大事なものを捧げて、そして古いものを消してもらって、新たに神さまから最高のいいものを与えてもらう、置き換えてもらうのが供養よね。
 だから、別に「何をお供えしなければ」じゃないのね。本当は神さまの方から与えてもらった最高のものをお返しするのが大事なのね。自分の命を、それ以上のものをいうと「ありがとうございます」よね。
 「感謝を神さまに捧げ続ける」という、それが最高の供養になるね。

 例えば、特定の人を相手にして供養をするのでも、その人を「神さま」と拝んで感謝を捧げると高い供養の仕方よね。そしたら、高い神さまは自分の持ってるマイナスをぜんぶ消してくださるよね。自分の命まで捧げる・感謝を捧げることによって、自分が過去に積んだマイナスをぜんぶ引きくけて消してくださるね。そして新しい良いものと、最高のものと置き換えてくださったら、幸せ一杯にしてくださるよね。

 特定の人、特定の神さまを相手にするのでもそうね、でもそれ以上に高い番組を相手にするのだったら、宇宙の大神さまを相手にするのね。自分の全てを神さまに捧げ尽す、感謝の真を捧げ尽し続けるのよね。そしてその最高のものを受け続けたらいいのね。これが本当の意味の供養の仕方よね。
 だから、もう感謝一筋でいいのね「ありがとうございます」一言の感謝一筋で生きてると、全ての供養がその中に含まれてるのね。
 だから、一人の人に心が向いて、「その人を供養しないと」と一所懸命になったって、そしたら他の人に対して失礼よ。他の人から「なんで供養してくれない」と言われるよ。これもぜんぶに通用する供養がいいのね。全てに通用する供養は「ありがとうございます」よね。全ての段階の全ての人を幸せにしてくださるね。そこから幸せをいっぱい与えてもらえるよね。だから、そういう供養の仕方って大事ね。




まわりのマイナス

ありがとうございます:
 自分のまわりに現われた姿、マイナスの姿が出てくるときもあるでしょう。でも、そのマイナスに引っかかるという時、それを「どう受けるか」よね。思いの心で「ああ、これをなんとかしなければ」じゃ損するのね。そういう時でも常に感謝の心に戻ること、先にね。感謝の心に戻ってそれを眺めたら、プラスにプラスに受けられるね。まわりの全てのマイナスは、自分のマイナスを振り替えて身代わりに受けて大きく消してくださってるのね。「神さまの愛の働き」というふうに受けられるよね。もう全てのマイナスがそうよ。

 誰かが交通事故にあったって、「自分の身代わり」と思っただけで大きく助けてもらっているってわかるじゃない。泥棒に入られたっていいのよ、泥棒は悪者じゃないの「自分の大きい借金をこれで棒引きにしてくれた」と思えば別にいいのよね。強盗もいいの、強盗に入られたって構わんね「自分の大きいマイナス・業を消してくれた、取ってくれた」と思えばいいじゃない。
 全てのマイナスはぜんぶ神さまの方から愛の助けとして現われてる。ただ、みんな持ってるマイナスに気づかないよね、掴んでるマイナスって気づかないでしょう。知らん間に掴んでるものがいっぱいあるのね。

 ただ、それを消すのに神さまは人の自由意思を無視しては消さないね、必ず確認をとって消してくださるから、ちょっと出しておくのね。大難を無難には消さないね、大難を小難にして消すの。より少ない小難にして消そうとするのね。だからマイナスがあることによって気づくのよね、だから「その何万倍を消してもらった」と喜べばいいね。また「その何億倍を消してもらった」と喜ぶ方がいいのね、そしたらたくさん消してもらったことになるのね。その上にプラスを積み重ねると、感謝がグングン大きく深くなるね。
 これも常に感謝の心に戻ったほうがいいね、思いの心を生きるのじゃ損するね。常に感謝に戻って、そして神さまを感じ取る、神さまの愛の働きを感じ取っていくのがやっぱり幸せへの道よね。




 禅宗の「只管打坐」

ありがとうございます:
 禅宗は座禅を組むのね「只管打坐(しかんたざ)」っていう言葉があるんですけど。「只、坐る」というような感じにね。これは肉体的な自分が「只、坐る」んじゃないのね。一番奥の自分、本体の自分は宇宙の大神さまと一体化して、もう自然に生かされてる、祈り続けてる姿をとってるのね。その一番奥の姿に任せきるのね。そうすると「只管打坐」の状態になのね。
 だから、悟った自分から出発したほうがいいの。これから悟ろうという立場だと姿勢がどうのこうのと言い出すのね。でも既に悟った自分から出発したら、もう自由自在でいいね。座ってもいいし、寝てもいいし、どんな姿勢をとってもいいの、常に「只管打坐」ね。心が座ってるのね、しっかりと。

 これも「ありがとうございます」を唱えながらするほうが楽ね。普通、座禅を組んでも「無念無想」になろうとするんだけど、思いが出てくるね、次から次へとね。
でも「ありがとうございます」から出発すると悟った自分から舞い降りてくるような感じでいいね。
 思いがあっても構わんね、雑念がいっぱい出てもいいのね、そのままぜんぶ光り輝いた姿をとるようになるね。
 丁度、太陽から眺めて地球の上空に雲があって、「ああ、白雲がたなびいているな」という感覚でいいの。否定するものは何もないの、そのままでぜんぶ輝いてくるのね。その状態が本当は「只管打坐」の状態ね。だから「既にみんな悟ってる」というのがいいね。




結婚談義

ありがとうございます:
 私が結婚した時に、何かインスピレーションがあったのかって。
私は別に何も無いの、はははは「ありがとうございます」だけよ。若いときは独身主義かな、結婚しないというような気持ちで、ガチガチの心の時もあったし。段々と感謝行をしているうちに我を取ってもらうのよね。思いを消してもらって我を取ってもらって、自分の願いをぜんぶ消してもらって、そして神さまに命を捧げて、神さまのお手伝いをさせて欲しいということで、ただ神さまのお手伝いだけに生きるようになったのね。

 そしたら、神さまの方が必要な姿で助けに出てきてくださるね。必要だったら結婚という姿で支えてくれる姿をとってるだけね。だから、私は、もうまわりの人から助けてもらってるだけね、助け続けてもらってるだけよね。それも神さまがいろんな姿で助け続けてくださってるという感覚ね。だから、何もインスピレーションは無いの、感謝で受けたというだけね。
 はい、ありがとうございます。




お祈り

参加者:
 二つあるんですけど。一つは、先生がお祈りしている時には、天照大御神さまと一つになってるのかということと。どのような形でみなさんに光を与えておられるのかということと。
 貸し借りのことで、今ネットワークビジネスというのが流行ってまして、僕の感覚では貸し借りが動いているような気がして。過去での借りを返してもらうとか、そういうことはどうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 私のお祈りは、先ず命をぜんぶ神さまのお返しするのよね、神さまから受けたものをぜんぶお返ししてますね、一瞬一瞬ね。だから、自分が無くなってしまって無いのね。そしたら、どこにいてるかっていうと、いないの、どこにも。ぜんぶ消えて無いのね、そこへ必要な神さまの働きがスッと降りるから、本当に神さまの方は自由自在に使えると思うね。だから、私の姿は誰もとらえられないと思う、消えてしまうから。
 それも一瞬一瞬、神さまから受けてものをぜんぶお返ししてしまうからね、私がどこにいてるかわからないと思う。実際消えて無いのね、もうね。だから、いろんな神さまが使おうと思ったら自由に使えるよね。
 この肉体の場へでも、いろんな神さまが自由自在に降りてこれるね。それ以上に宇宙の大神さまも必要だったらスッと降りられるね、自分をぜんぶ捨てて消しきってるからね、消してもらってるから。そんな感じね。


 借りがある場合、貸しがある場合

ありがとうございます:
 それから貸し借りの問題ですけどね。普通はみんな思いのある間は貸し借りの世界に住んでいるのよね。「思い」というのが貸し借りの元になってるのね。
 神さまからプレゼントを受けて、それを感謝で受けている限りは貸し借りは無いのよね。神さまからは無償の愛で与え続けてくれるから、「貸した」とは言わないね、無償で与えてくるから、感謝で受ける限りは借りは無いのね。
 でも、人の思いの世界では、人に何か親切をしたり、いいものを与えたらお返しを求めるよね。このお返しを求める心ってあるのよね。これは感謝の心じゃないよね、思いの心ね。この思いの心が残ってるということが、貸し借りの世界に自分があるということよね。

 その思いでも、例えば、一つ例をあげると、「好き嫌いの心」ってあるでしょう。
 「好き」というのは、いろいろ助け続けてもらって借りのある心ね。だから、助け続けてくれた人に対しては「好き」という感情がそうでしょう。この世だけを見てもそうよね。いろいろ親切にしていろんなプレゼントを与え続けてくれて、いいものを与え続けてくれた人には「好き」という感情が出てきますよね。
 でも、嫌なことをいっぱいされて自分の大事なものを取られたりしたら「嫌い」になるのね。これが過去世からずーっと眺めた時に、「借り」のある人に対しては自分の気持ちは「好き」になって、相手に尽したいという前向きなプラスな心が起こるのね。
 逆に「貸し」のある場合には「嫌い」になる、顔も見たくないという、どうしてもなるのよね。それはもうどうしようもないね、隠しようがないよね。一目見ただけで、出会っただけで感じるかも知れないから。遠くにいても感じる人もあるね。

 だから、お互いに「好き」というのは、いい意味の助け合いがあった場合ね。一方的じゃなかったのね、両方から助け合ってたら両方好きになるかも知れないね。でも、まだそれは思いの世界ね、貸し借りの世界よね。
 思いの方はやっぱり、親切にしたら返して欲しいという求める心がどうしても出てくるね。それも、やっぱり縛られてしまうのね、苦しいね。
 だから、感謝の心の、与え尽す愛の心の方が楽なの。神さまからプレゼントをいっぱい受けて、それをまわりの人に一所懸命与え尽すだけがいいよね。そうすると、まわりの人も同じことをしてくれるね。神さまからいいものをいっぱい受けて、それを与え尽してくれるね。貸し借りじゃなしに、いいものだけを与え尽し合うから、心の縛りは一切ないし、必要な幸せをいっぱい与えてもらうね。
 感謝して与え尽す生き方をとる人が、本当は一番の幸せになるのよね。そういう意味だったら、思いの世界はもう相手にしないほうがいいね。

 だから、今のいろんなビジネスの話でもそうね。「無理矢理入れられた」というんだけど、借りがあったら入ってしまうよ。どうしても入らんならんようになってしまうわね。それで、そこで尽さんならんようになるでしょう。
 いろんな商売をしている人でも、貸しのある人、徳のある人、まあ徳まで行かないかも知れないけど。
 貸しの多い人はどんな商売をしてもお客さんがついて、いろんなものを買ってくれるのね、喜んでかどうかわからないけどね、無理が通るのね。だから商売が成り立つ、貸しがあるからよね。それによって貸しを返してもらったという感じね。
 でも、貸しをぜんぶ返してもらったら、今度商売しても駄目なの。今度は成り立たなくなるね、誰も買ってくれない、商品をね、そしたらつぶれてしまう。そういう場合もあるよね。

 だから、一番いいのは、この思いの世界の貸し借りで生きるんじゃなしに、そういうのはぜんぶ相手にしないほうがいいね。もう神さまから無限の無限のプレゼントをいっぱい受けて、それを惜しげなく与え尽すのがいいよね。
 神さまの助けは、天から、棚からぼた餅じゃないのね、自分の中から働く力になって出てくるね。神さまから高い能力を与えてもらって、いろんないい働きをいっぱいさせてもらうのが、これが本当の神さまからの助けね。それが具体的に人を幸せにするいろんな働き、プレゼントになるのね。だから、喜んで喜んで働くほどいいわけね。そうすると、神さまからのプレゼントを具体化して人に与えたことになるね。それが幸せを大きくしてくれるね。




 タダ働き、ボランティアの時代

ありがとうございます:
 だから、働くほどいいのよ。労働時間がどうのこうのと言わないでいいね、お給料がどうのこうのじゃないのね、もうそんなのは相手にせんでいいよね。二十四時間働いてもいいよ。喜んで喜んで、働けるのだったら、人の幸せのために、何でもいいのね。報いを求めないで、お金を求めないで、タダで一所懸命尽すのがいいね。これが大きいプレゼントよ。そうするとみんなが無償で与えてくるね、必要なものを、いいプレゼントをいっぱい与えてくれるから。その循環、交流によって幸せが大きくなるね。これが本当は世界平和の一番の元になるのね、極楽世界を生み出す働きよね。

 これからは、ボランティアの時代よ、みんなが神さまからいろんなものを、能力なりいろんなものを力を受けて、そしてそれを働くことによって、それを具体化していくのね。
 だから、アイディアもいっぱい降ってくるよね、発明発見のためのアイディアをいっぱいもらったらいいね、神さまからね。そして、それを具体化することによって、みんなを幸せにしていくわけでしょう。そういう人がみんながなればいいよね。

 ダイオキシンの問題というても、そんなんへっちゃらよね、ダイオキシンを消す何か細菌を一つ発見すればいいじゃない。それを食べて幸せになる細菌が一つ出てきたら、それなら問題ないよね。だから、いろんなアイディア、いろんな神さまの助け、働きって降りてくるでしょう。
 特に感謝をする人には、必要な助けがどんどん降りてくるね。一人一人個性もあるし役割も違うから、いろんな役割が一人一人に降りてきて、地球全体、世界全体を良くするための具体的な姿になって出てきますよね。そしてみんなを幸せにする大きい働きがお互いにとれたら、全員が幸せになってしまうでしょう。
 だから、感謝する人は、もう与え尽すだけでいいよね。それが、もう幸せを大きくする一番の方法よね。
 「感謝━即━奉仕」という、それも一人一人に合った自然な方法がいいですよね。




 若い人は宇宙人だと言われるが

参加者:
 人というのは、どんどんどんどん世代毎に変化しているという話を聞いたのですが。
今の若い人をみていると、その世代の役割とかがあって、どんどんどんどん変ってきていると思うのです。私は二十四歳の息子を持ってるのですけれども、三十五ぐらいの方に「本当に何を考えているのかわからない」と言いましたら、「僕達もその世代は宇宙人でわからない」というふうに返ってきました。そういう世代間のものの考え方などはどうなんでしょうか。(要約)

ありがとうございます:
 この世へ生まれてくるのは、心の勉強のために生まれてくるのよね。
 特にこの世は、あの世の縮図として特別な場所として創られてるのよね。そしてこの世で何を選んで自分をどういうふうにもっていくかよね。高く上りたい人、低く下りたい人、いろいろよね。これも自由自在ね。
 ただ、この世で心の勉強をして、悟りへの世界を歩みたいと言うのだったら、やっぱりこの世の方が上りやすいのね。やっぱり、この時間的な経過というのが緩やかに進んでるのね。あの世は一瞬ね、今思ったことが即出てくるから。この世は、今思っても直ぐ出ないね、ちょっと時間の経過が後で出てくるね、反省の時間もあるのね、そして修正もきくのね。そして、自分が何を選んでどういうふうに生きようかという正しい方向付けをしやすいね。
 そして、この世はあの世の縮図というだけで、一応一通り全部いいものも悪いものの揃ってるの、選びやすいね。
 あの世へ行くと、自分の心の波長の合った世界へ行ってしまうと、似たようなものばっかしがあるのね。すると選択肢が少ないから進歩が遅くなるね。この世の方が心の勉強がしやすいね。

 ただ、時代時代で、どういう魂の人が生まれてくるかよね。一つの魂が何回も何回も繰り返してここへ出てくる時と、そういう人たちが卒業してしまって他の星へ行く場合もあるよね。
 また、全然違う魂の人が生まれてくる時があるね、時代時代でね。だから、立派になった魂の人から早く地球を去って、他の進化した星へ行ってしまうと、今度は未開の星から来てこの地球へ生まれてきた人を見ると「なんだ、程度が落ちた」と見えるよ。
 でもね、立派な星から生まれ変わってくるものが多かったら、「この子は天才だ」と言うよ「宇宙人だ」と言えるかも知れない。
 ただ、これは時代時代で違うのね。どういうふうに生まれ変わらせてくるか、勉強の場をどういうふうに使うかによって違うわけね。
地球人だからいつまでも地球に住んでるかというと、そうじゃないのね。

 だから、詳しく見てみないとちょっと判断はつかないかも知れないよ。
 今の地球を良くするために、高い星から生まれてきてる子供もいてるね、また逆の場合もあるね。低いところから地球に生まれてきてるのもあるのね。また、地球上で何回も輪廻転生して、立派になろうとして修行してきた人もあるのね。だから、いろんな人が交じり合ってるの。だから、全体を見てどうのこうのと言えないね、みんな一人一人違うのね。違うからこそいいのかも知れないね、いろんな人の姿を見て勉強できるから。
 だから、みんな自分の代わりの体験をしてくれてると見た方がいいかも知れないね。そしてぜんぶ取り込んで大きく自分を成長させるのが一番いいよね。




 自分の「ありがとうございます」の祈りの深さの判定

参加者:
 自分の「ありがとうございます」の祈りが、どれくらいの深さかというのがわかる方法ってありますか。

ありがとうございます:
 そうね、これが深くなると他力の「ありがとうございます」を感じるね。
 「大勢の神さまが祈り続けてくれてる」という感覚で「護りに護られてる」という感覚が出てきたら、かなり深いね。
 「みんな天照大御神さま」というふうに感じられたら、やっぱり深く入ってる、深い「ありがとうございます」になってるね。でも、まだよね、もうちょっとよね、はははは。でも焦らずに「ありがとうございます」をしっかり握ってたらいいね、命綱よね。
 その言葉さえ握ってたら神さまの方からは、一所懸命助けようとして降りてるからね。そのうちにどんどん気づきを増やして奥へ奥へ入れてくれるからね。別に楽しめばいいじゃない、一瞬一瞬の「ありがとうございます」をね。

 自分がこれだけ祈ってきたから、こういう結果が出たほうがいいとは考えないでいいね。今の一瞬一瞬を楽しむのがいいね「ありがとうございます」でね。
 それも「みんな神さまの現れ」というふうに受け直す練習というふうにみたら、もう楽しいよ。
 「みんな神さま」という受け方よね「みんな無限に輝いている」というふうにね、そういう受け方で「ありがとうございます」を一回一回唱えるのね。
 確認よね「みんな無限に輝いている」という確認のためにすると、そしたらどれだけ深く入ったかも感じなくなるかも知れん。一瞬一瞬が、この世的にも楽しいし、深く入っても楽しいし、全体が幸せを大きくしてくれるね。




 老子さんの「無為」・役の行者

ありがとうございます
 老子さんの「無為」という言葉をちょっと説明しましょうね。
 「無為」というのは、何も為さないという言葉だけど、何もしないんじゃないのよね。普通は、自我の心で何かしようとするでしょう。だから自我の心では何もしないという意味かも知れないけどね。
 老子さんの「無為」というのは奥深いところから出てきてる意味があるのね。人間の言葉の解釈じゃ駄目なのよ、神さまの辞書によって解釈するのよ。これが一番大事ね。
 老子さんは悟りが深いのね、「空」の自覚が無限に深い。「空」にも段階があるでしょう、奥深い「空」をとらえたら、「空」というのは神さまの源・光源よね。奥深い光源をとらえたら、本当に自由自在になるのね、とらわれがなくなるのね。また、そこまで行くと自分が消えて無いのね、奥へ入るほど自分が消されてしまうね。自分というのが消えて無いから、自分が何かするという感覚が消えるの、無くなってしまうね「みんな神さまがしてる」という感覚ね。「神さまだけがある、神さまの働きだけがあるんだ」という感覚よね。だから、自分が何も為さないというのじゃないのね、神さまだけを認める感覚なのよ「無為」というのはね。
 だから「神さまの働きだけがある」という、無限の無限の働きが無限に無限に一杯というような、「神さまの働きだけが宇宙に一杯あるんだ」という。こういう感覚が「無為の心、無為の生き方」なのね。

 だから深い感謝と一つね。「ありがとうございます」が深くなって神さまの全体像をしっかりとらえた状態ね、これが「無為の心、無為の状態」ね。
 老子さんのいう意味はそういう意味ね、深いのね、もの凄くね。
 老子さんは、伝説的には空中から物質化して肉体を現わしたというぐらいに言われている人だから、そこまで奥深い神通自在の力を持ってたのね。だから、肉体を物質化してどこへでも姿を現わせたのね。
 まあ、表面的なそういうので深いとは言えないけど、心の心境もグンと深いのね。
だから「無為にして為す」というのは大事よ、もう「全て神さまの働き」というふうに「感謝で受ける」という、これもやっぱり必要ね、大事ですね。

進行:
 同じように、役の行者(えんのぎょうじゃ)さんはどうですか。

ありがとうございます:
 役の行者さんというのも、修験道で自力の修行を命懸けでされた方よね。
 元々、魂も立派で上根の方というのね。だから、自力の修行もしやすいね。ただ、自力の修行で命懸けでやっても、やっぱり高い心境に入るのは大変なのね、限界があるのね。
 役の行者さんというのは、肉体を消しきってあの世へ移った方でしょう、肉体を消すって大変よね。
 屍解仙(しげせん)という姿で肉体を消してあの世へ移れるというのは、波動も自由自在に調整できて、低い波動を消して高い波動にすぐに切り替えて生きるんでしょう。だから、かなり神通自在な波動調整の力を持ってるわけでしょう、波動を変える力をね。

 でも、無限の無限のチャンネルから見たら、自力的な生き方で上るというのは、やっぱりかなり低いところでしか上れないね。
 それで、役の行者さんはあの世へ行ってから自力を捨てたのね。やっぱり他力の方が楽なの。深い悟りの救済の神さまがいっぱいいてるでしょう。そういう人たちにちょっと助太刀をしてもらうだけでスッと上がってしまうね。だから、自力で頑張ったからこそ自力を捨てられるのね。自力を捨てた途端に高い世界にスッと上がるでしょう。だから、自力もとことんやるといいかも知れないけど。でもね、本当に命懸けでとことんやり続けてこそ自力の本当の意味がわかるわけでしょう。

 法然さんなんかはちょっと早く切り替えた方よね。法然さんってやっぱり日本でも一・二という碩学(せきがく・註:学問の深い人と意)でしょう。仏教でもぜんぶ学んだような感じでしょう、そしていろんな教えも一所懸命実行して悟りを開こうとされたのね。でもね、法然さんでも「自力では駄目だ」と早く気づいたのね。自力で修行して悟ろうとしたんだけど無理だったってね。限界を、もう嫌というほど感じたのね、早くね。
 それで、こんな自分でも悟れる道はないかと。

 仏教の大蔵経ってぜんぶ読むのは大変なんよ。沢山あるじゃない、普通の人じゃ一生かかっても読みきれないもんね。それを繰り返し繰り返し読んで、自分の救われの道を探したんでしょう。それで「南無阿弥陀仏」にすがって悟ろうとしたのね。阿弥陀様にすがる他力に転じたのね。
 それで「南無阿弥陀仏」一筋よね、一日に五・六万遍、「ありがとうございます」五・六万遍と同じよ、「南無阿弥陀仏」を五・六万遍、一日にずーっと唱え続けるのね。その他の言葉をぜんぶ忘れてしまうの。過去に覚えたものをぜんぶ捨てきるのね。人から「これを教えて」と言われても言わないの、もう答えない「忘れてしまった」という感じで。もう常に「南無阿弥陀仏」だけね。そしたらやっぱり深い悟りに入るのね。肉体を持ったままで深い悟りの心境に入ってしまったのね。
 「ありがとうございます」も一日五・六万遍はいいよ、他の言葉を使わないというのがいいのね。そうすると神さまが大きく助けに降りて助けるのね。そしたらみんな悟った姿が直ぐに出てくるのよね。
 はい、ありがとうございます。





AR136 2001.12.16
 瞑想中に「ありがとうございます」を入れて

参加者:
 去年、瞑想を教えて欲しいという人がいて、道元さんのやり方をしておったんですけど、なかなかみなさんはテクニックがあるように思ってて、早く神さまを感じたいということなんでしょうけど。

ありがとうございます:
 逆になるでしょう、そう思うと、求める心を出すと逆になってしまってね。

参加者:
 そうじゃないんだということを。

ありがとうございます:
 お任せがいいですね、お任せだとスッと入るんですけど。

参加者:
 そうじゃないんだと言っても、他のところへ意識が向いちゃう。これに「ありがとうございます」という言葉を入れていくと、ぜんぜん違ってくるのがわかったんですね。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を心に唱えてすると効果は抜群にいいですよね。

参加者:
 実験されるといいと思いますけど、やっぱり伝統的なものに法った人はなかなか受け入れませんから。

ありがとうございます:
 教えの縛りってね、凄い大きいきつい縛りですよね。でも、実行したら縛りは解けるんですけどね。

参加者:
 そうですね。実行しないとこれはわかりません。まあ、ちょっと遊び心があればね。

ありがとうございます:
 ねえ、本当ね「ちょっと試してみよか」でいいんですけどね。

参加者:
 こだわりがあって、それをひたすら思うことがいい、ということがあって。常に刷新していくという考え方があったら。こんな機械でも随分前から出てたんですけどテープでいい、とかやってみたらぜんぜん違う、全く違うんですね。

ありがとうございます:
 やっぱり新しいのと乗り換えないとあかん。

 「あけまして ありがとうございます」

ありがとうございます:
 「おめでとう」は似てるんです「ありがとう」と。「め」が「目・芽」から形に現れて見える姿で出てきた、という意味なのね。だから絶対から創造された、という意味が「め」なのね。
 「で」で「照り輝く」ですよね「無限に無限に輝く」という意味ですよね。
 「が」と「で」と一致するんですよね。「とう」は同じ意味よね。
 本当は似通ってるのね。殆ど一致、というぐらい「おめでとうございます」と「ありがとうございます」はね。「ありがとうございます」の方が「あ」が最初だから「お」が最初か「あ」が最初かという問題だけですけどね「あ」がいいんでしょうけど。
これからはもう、新たに新たに受け直す生き方が必要なの。新しい年も「受け直す」という意味が大事ですよね。本当、世直しの言葉です、はははは。

参加者:
 今「受け直し」とおっしゃった、どういう意味ですか。

ありがとうございます:
 新たに新たに受け直すんですよね。与えられても「受け取る」というのが大事なのね。神さまからは「無限の無限の輝きが一杯」という姿をずーっと与え続けてもらってるんですけど、受け取るのがみんなまだ上手にできてないね。「ありがとうございます」って、受けるまで行くんですよね。「おめでとうございます」は、受け取る意味はちょっと少ないですね。

参加者:
 受け取って感謝の「ありがとうございます」

ありがとうございます:
 なるんです、与えてもらったものを受け取るまで行くんですよね「ありがとうございます」がね。

参加者:
 いつも神さまは与えてくださっているのですか。

ありがとうございます:
 そうですよ、はい。

参加者:
 それを気づかないだけ、受け取ってないだけ。

ありがとうございます:
 はい、受け取ってないですね。だから「ありがとうございます」という心を起こして受け取るようになるんですよね。

参加者:
 唱えてると、いつも受けられる。

ありがとうございます:
 はい、いつも受けられるということでね、はい。

ありがとうございます
 そうね、みなに。伝染病みたいに広がってしまう、あっはははは。新年、ありがとうございます、
  あっはははは。時代時代で言葉は変わってもいいですもんね。その時代に相応しい言葉に置き換わってもいいですから。

進行:
 亡くなった方のところに間違って出しても。あけましてありがとうございますなら。

ありがとうございます:
 ちょっと感じが良くなるでしょうね。「おめでとうございます」というと「何が悲しいのにそんなこと言うんや」となるんですけど。「ありがとうございます」だったら、死者に対して感謝してるという意味がありますもんね。

参加者:
 喪中につき賀状欠礼、というのはよく意味がわからんね。そんなに忌み嫌うものかね。

ありがとうございます:
 やっぱりちょっとマイナス思考になるとそういうふうに執われていくんでしょうね。亡くなるのも「この世の卒業」と思ったら、卒業祝いという気持ちでね、プラスに見えたら。そしたら「いいとこへ上がった」と喜びを表現するのが本当なんですよね。

参加者:
 この「ありがとうございます」の書体はいいですね、いろんな書体がありますけど、これはいいですね。

ありがとうございます:
 これね、ちょっと修正してるんです「ありがとうございます」の書体ね。バランス取れるようにね。一応これは勝手に書いたもんじゃなしに、ちょっと修正して作った感じのものですね、これ。誰かが書くとやっぱりちょっと執われますからね。筆で書いたりするのもいいですけどね。「誰が書いたか」となるとちょっとね。だから印刷文字的なほうがいいでしょう。ある意味ではね。みんなに共通性がもてるのね。
でも、本当は自由でいいんですけど。なんでも。

 宇宙創造

参加者:
 一番疑問なのは、この宇宙の根源の神さまの本当の始めの始めと、終わるかもわからないビッグバーンで、そういう世界とちっぽけな人間がどこから来てどこへ帰っていくのか。そこら辺がズーと子供の頃から恐い気持ちと知りたいのと、そこら辺を教えていただきたい、そういう大っきなことかわからないんですけど。

ありがとうございます:
 神さまの宇宙創造って時間を超越してるんでね、無限億万分の一秒でその一瞬に「新しい宇宙」を創るんです。それが無限の無限のチャンネルという姿で出てくるね。
 宇宙というのは時間と空間の組み合わせで出来たものを宇宙というんですね。「宇」が空間で「宙」が時間ですね。
 世界というのもそうですね「世」が時間で「界」が空間なんですね。時間と空間の組み合わせによって宇宙世界は生まれてるのね。無限の無限のチャンネルの中には、上ほど時間を短縮して空間を広げるんですね。
 だから一瞬に「無限の無限の輝き一杯」という無限の無限の広がりがあるのね。
低くなると、逆に時間が長くなって空間が狭まるのね。一番下なんかは無限の年月をかけて空間が一点に絞りこまれたような状態、穴があったら入りたいような状態の地獄になるのね。それがずーっと段階を追って無限の無限の段階になるんですね。それを一瞬に生まれて次にまた一瞬に全部置き換わって消えていってるんですけどね。

 ただ、この世は、その無限の無限のチャンネルの中の一つの番組になるんですね、中間点ぐらいです、この世はね。時間の経過は長く感じるんで「一瞬に置き換わった」という感覚はなくなるんですね。高い番組は「一瞬に一瞬に置き換わってる」という感覚なんですけどね。低いところへ降りてくると「長くかかった」という感覚で置き換えてもらってるの。もっと低くなると、もう「無限の年月をかけて置き換わった」という感覚になるのね。ところが上から見ると、全部一瞬に置き換わってるの。それで新しい宇宙がまた現われて、次に新しい宇宙がまた現われて…という。本当は、宇宙、天地の始まりはいつかというと「今、一瞬だけ」なのね。今の一瞬に現われて完成して消えていくんです。一瞬一瞬が常に宇宙の始まりであり、終わりなの。

参加者:
 なかなか実感できないですね。

ありがとうございます:
 だから、一つの番組の中へはまり込むと、その番組に応じて時間と空間の関係が生まれて、長く感じる時間のところでは「いつ始まったんかな」という感じで見るんですけどね「終わりはいつかな」というふうに見るんですけど。
 本当は高い番組を受け直す状態だと「一瞬一瞬置き換わってる」と見るのね。一瞬の中に全部揃ってるのね。ありとあらゆる時間と空間が、無限の無限のチャンネルが揃ってる、というふうに見るんですね。

 だから、この世の部分を掴んでしまうと一つの番組に巻き込まれますよね。その中だけに執われたら、本当は高い方では一瞬に消されてるのに、低い番組ではまだ残ってるような感覚ね。長い時間を生きてるような感覚でその体験を通してまたスーッとと消されていくんですけどね。
 本当の自分に戻るというのは、一瞬一瞬新しい全体像をとらえるのがいいんです。「新しい宇宙、新しい宇宙」というふうにね。「無限の無限のチャンネル全体を一瞬一瞬受け直す」というのがいいんですね。
 そこまで行くのがこの「ありがとうございます」というお祈りの力なんです。そうしたらもうぜんぜん執われは無いですね。スッとぜんぶ納得がいくと思うんですけどね。

 完璧な神さまは、なぜ不完全な人間を降ろしたのか

参加者:
 人間ってもの凄く不完全だと思うんですよ。何でそんな人間を、完璧な無限の無限の宇宙の神さまが、こんな不完全な人間を地球に生んで、僕らは生きてるのかなあと思うんです。戦争とかいろんなことをしてますよね。

ありがとうございます:
 神さまが創っているのは、無限の無限のチャンネル全部なんですよ。この世の中間点ぐらいの一つの番組を創っただけじゃないね。この世は大したことはないですよ「プラスとマイナスがある」というぐらいの世界ね。この世よりもはるかに素晴らしい世界が無限にあるわけね。最高番組なんてもう最高極まりない番組よね。(あるんですか)あるの、あるの、既にあるのね。(あるんですか)あるの。だから神さまが創ったのは、無限の無限のチャンネル全部なのね。ただ、いろんな表現があって、番組があって、それを自由自在に味わえるのが本当の自分。一番奥の番組を超えて奥にいる自分があるんですね。その自分がいつも神さまから無限の無限のチャンネルを与えてもらって「どれでも自由に楽しみなさいよ」というふうに送り出されるのね。だから、最高番組を見てる人は一瞬一瞬打ち上げ花火を見るの宇宙大のね。「ああ、素晴らしいな、素晴らしいなあ」って感動の連続という感じで見るのね。

 ところが打ち上げ花火でも時間が経つと消えていくでしょう。その消えていく残像を追いかけるのが「低い番組」なの。この世だけ見てると「線香花火」を見てるような感じね。神さまからのプレゼントをぜんぶ受け取るのが本当は正しい生き方なんですね。ところが受け損なってるんです、みんな。「ありがとうございます」の感謝を忘れてるから。

参加者:
 残像が残ってると受け取れませんよね。

ありがとうございます:
 そうね。過去を掴んで残像に執われたらそうよね。もう一つ新しいものも受け損ないますもんね。

参加者:
 ということは「ありがとうございます」を言うと、パッともうそういう残像も消して一瞬消してもらってるんですかね。

ありがとうございます:
 そうです、そうです。
ありがとうございます」を言えない時がある

参加者:
 金沢の山岸さんに教えてもらったんですけど。「過去を捨てないと新しいのが入ってこない」と教えてもらったんですけど。「ありがとうございます」というと自然と受けてるということは、もう消えてるんですか。

ありがとうございます:
 そうです「ありがとうございます」は神さまに自分をお任せなんですね。だから古いのを消して新しいものを与えて置き換えてくださるのね。即、受け取る状態にまで入るんですね。

参加者:
 一言で一瞬、全てが?

ありがとうございます:
 そうなんですね。

参加者:
 とっても「ありがとうございます」と言えない状態に置かれることがあるでしょう。人生の中で「神も仏もない」という状態の時が。そういう時でも「ありがとうございます」

ありがとうございます:
 人が「自分の好き勝手に低い番組を見たい」という時は、神さまはストップを掛けないんです「どうぞ、どうぞ」って。
 ただ、みんなマイナスの大きいのはあまり見たくないですね。だから、途中でマイナスの姿を見せることによって「もうこれ以上行かんでもいいよ」という感じのストップを掛けてくるんですよね。それでもまだ押し切っていくと、もっと酷いマイナスが増えるわけよ。だから、どこまでもストップを掛けてくれてるの、『大きいマイナスの姿を持って』それで嫌気がさして「プラスへ戻りたい」という気持ちになったときに初めて神さまの助けが入るんですね。それで、プラスへプラスへ引き上げてくれる。

参加者:
 いわゆる、どん底まで行って、そこから…

ありがとうございます:
 どん底まで行かんでもいいんですよ。方向転換する気持ちが起こったら、即、助けに入るのね。
 その時に「ありがとうございます」が出てくるんです。それまではやっぱり人の自由があるんで。自由意思で低い番組に落ちていくのは、もうどうしようもないの。それを止めるわけに行かないの、神さまは「人の自由を縛ってまでは」と言うね。でもある程度マイナスへ向いたら必ず向き変わるんです、苦しくなるからね。

 人の使う言葉が波長合わせになる

参加者:
 よく下世話な話で「こんな女に惚れたら駄目になる」と言っても、男も女も引っ付いてドロドロになって、歌謡曲によくありますよね。あんな世界は聞くのも最近嫌ですから。でも、自分がそういう時はそれを聞きたいですね、昔ですけどね。

ありがとうございます:
 そうです。やっぱり波が合っていくんですね。だから、そういう言葉を使うとそういう世界へ入り込むんですね。言葉の通りの世界がある、番組がね。全部そうなの、言葉で番組合わせをするのみんな。

参加者:
 言霊でそうなるんですか。

ありがとうございます:
 いや「言霊」の働きは、神さまの創造された番組の方が言霊の働きね。
「言葉」の方は番組の波長合わせよね。だから、人の使う言葉が波長合わせの言葉になるね。
 マイナスの言葉を使えば必ずマイナスの番組に波長が合ってしまうね。言葉通りに出てくるんです。だから良い言葉を選んだ方がいいんですけどね。
 ぜんぶ用意されてるんです「無いものはない」というぐらいにね。だから、最高番組は無限の無限のプラスの言葉を使う。

参加者:
 それもやっぱり「ありがとうございます」なんですか。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」は全体なんです、必要な全体なのね。「無限の無限の輝きが一杯」という最高番組を頂点にして全部あるんです、その中にね。最高番組だけじゃないのね。全部を光一元に仰ぎ見て受ける言葉。低い番組だから「低い」とは言わないね、全部そこに価値を見出す。「低いのは低いなりに価値がある、無限の価値がある」と見ていくのね。そこに無限の価値を見出せるだけのものが「ありがとうございます」にはあるんです。高いのはもっと価値を見出せるんですけどね。無限の無限のチャンネルの全部から価値を見出せるの、無限の絶対価値をね。

 最高番組の解釈は

参加者:
 最高番組なんですが、イメージとして大体感じとして分かるんですが。最高番組に、というのはどういうふうに解釈すれば…

ありがとうございます:
 幸せだったら「無限の無限の幸せが一杯」という感じ、喜びだったら「無限の無限の喜びが一杯」てね、もう限界がないですね、本当にね。「これだけ」というのがないのね。もう「無限に無限に大きくもなり、深くもなり」というね。それも一瞬に全部受ける世界ですね。
 だから、それだけのものを受ける感覚は本当の自分は持ってるんですけど。それも段々とそういうのは蘇ってくるね。言葉では表せないね、これね。

 言葉は「こういうもんだ」と指し示してもね、言葉は偽者ですねまだね。「これが太陽だ」と指し示しても、指と太陽は違いますもんね。指の方は偽者よね、太陽は本物ね。だから、無限の無限の幸せと言っても、言葉のほうは偽者で、本当の無限の無限の幸せが本物よね。その本物を感じるのは、やっぱり神さまが自分の中へスーッと入ってきて神さまの心と自分の心が一つにならないといけないね。「ありがとうございます」でしっかり神さまを呼ぶことね。神さまが自分の中へ入ってきたら、それを感じ取る心になってるのね。

参加者:
 天風先生の、座禅瞑想とかやってて、体は肉体労働をしますけど。三時間かけて通勤してるんです。
 その時に同じ道を走ってますから、殆ど意識なく反射神経で動いて、安全運転で。ぼーっとしてまして突然「ありがたいなあ」という気付き。また反省が湧いてきておいおい泣けてきちゃうんですね。それは神さまが入って来たんですかね。

ありがとうございます:
 そういう気づきというのは、神さまが自分の中に入ってきて気づきが増えていくんですよね。その気づきをどんどん大きくしてもらうのね。言えば、それは感謝ができてるんですね。そういうふうに神さまが順番に助け続けるんですね。気づきを与え続けて深く深くしてくださる。だから、どんな形をとっても、そこへ「ありがとうございます」を加える方が楽ですね。進歩が早いんです。

 神道と古神道の違い

参加者:
 念のための確認なんですけど。一般に「神道」といわれているものと、ありがとうございますのおっしゃる「古神道」というものの、具体的な違いを説明していただきたいと思います。

ありがとうございます:
 神道は、「教派神道」いろんな教えを立ててする教派神道ってあるのね。
それと「神社神道」というのと二つに分かれますよね。「神社」の方は教えを出してないですね。出入り自由ですよね。神社という模型を通して神さまの救いをそこへ降ろしてもらって受けさせよう、という生き方ですよね。出入り自由でいいんですけど、教えはちょっとないですね、普通ね。

 「教派神道」の方はそれぞれのいろんな宗派に分かれて、教えがそれぞれにありますよね。教えを通して人を幸せに導こう、という生き方ですよね。
 でも「古神道」はそれもはるかに超越するんです。だから、神道的なものも中に小さくおさめてしまうね。仏教もキリスト教もイスラム教もありとあらゆるものも、宗教だけじゃなしに科学も芸術も、全ての分野を中におさめてしまうんですね、古神道はね。それでいて最高のものをどんどんそこへ降ろしてくる。

参加者:
 すみません、今の神社神道というのは、政治の方でいろいろやって、神社庁とかで形だけの神社にしちゃったというような気がするんです。それに対して昔からの神道、大自然の宇宙根源ということは、全ての地球を含むような考え方。それが元々本来あった日本の神道じゃないかと、自然発生的に。

ありがとうございます:
 古神道は二通りありますね。神道の奥にあるような昔のあり方、というよな見方の古神道と、そういうのもはるかに超越した本物の古神道とあるのね。
 本物の古神道は、言葉を超越してるという意味の「いつも天から降り続けてる」という意味の神さまの縦横無尽の働きを指すんですね。だから「過去の、古いの」というのはないんです古神道は。

参加者:
 じゃあ、私の思ってる、山蔭神道とかは?

ありがとうございます:
 普通そのように教えを説いて「古神道」というのは本当の古神道とは違うんですね。「偽」なんです。「偽者」になってしまうのね。本当の古神道は「これが古神道」と表号するだけで看板だすだけで、もう外れてしまう。

参加者:
 ということは、宗教じゃない。

ありがとうございます:
 宗教だけじゃないんです、科学も、芸術もありとあらゆるものを全部中に含めて、ぜんぶ最高に活かしきるのが「古神道」神さまの働きなんですね。そこまでいかないと神さまを中心に置けないんです。
 だから「神さまだけが中心」ですよね。人が中心になったり、教えが中心になったりと、つまらん物が中心になると偽者になってしまう。

参加者:
 おっしゃるのはよくわかるんですが、それを監督するというか、自分で受けて実際に体現していくといのは、人がやるわけでしょう。すると一人の人が、科学も芸術も全て受けて、神さまだったらできるけども人間として全ては出来ないしと思うし。誰かが言ってくれないと、自然にしてても入ってくるとは思えないです。どういうふうに‥‥

ありがとうございます:
 それは「ありがとうございます」で本当の神さまを呼ぶんでしょう、呼ぶと神さまがスッと入ってくるわけね。そうすると神さまは一人一人違う役割を与えてくるのね、同じ役割を与えないですね。

 天命には二通りある
参加者:
 それが五井先生のテープでの「私たちの天命が完うされますように」という、天命のことですか。

ありがとうございます:
 天命とは役割ね。みんなが「共通して持ってる天命」また「個性を発揮して異なる天命」の両方ありますね。その両方が発揮されるのがいいですね。そしたら全体が大調和の姿をとるのね。

参加者:
 個性を発揮するというのは。アインシュタイン、ああいう人は科学をされるとか。それは個性それぞれ極めてる天命ですね。もう一つおっしゃった人間全体の役割・天命というのはどういうことなんですか。

ありがとうございます:
 全てに共通する天命は、やっぱり「感謝を深めること」ですね。その感謝の中に神さまの働きぜんぶあるんですけどね。常に「全体を自分として受ける」というのが大事なんですね。部分にとらわれると全体がわからなくなると、ちょっとおかしくなるんですね。常に全体を把握しながら部分に生きる、というのが大事なんです。

参加者:
 じゃあ、最初から個性に生きる、芸術家としてやっていくというのじゃなくて。感謝して全体をわかった上で、自分が偶々「絵が得意」だとか、いうことですね。

ありがとうございます:
 「自分は何でも出来るんだけども、今これが必要だから、今これを担当する」という意味で、担当する役割は全部お互いに分けるんですね。だから、同じことしたら駄目なんです、二人いてもね。「違うことをして、全体が良くなるようにしていく」というそれが一番大事ですね。常に全体を見て行く、というのが大きい役割・天命の一つです。そして「部分をしっかりできる」というのが、これは小さい意味の天命になるんですけど。だから「常に全体を見ている」というほうが「大きい天命」ですね。そして小さい部分に降りて、その小さいものを果たすのは小さい天命なんです。

参加者:
 小さい役割を果たせばいいということですが。生まれつき音楽家でモーツアルトみたいになってる人もいますけど。我々普通の人間は、何が個性か役割なのか、なかなかわからないと思うんですが、そういうのをわかろうとするにはどうしたらいいんでしょうか。

ありがとうございます:
 奥は本当は何でもできる自分があるんですよ。いつでも、全く初めてでも、サッと出来る自分があるんですけど。必要だったらスッと出てくるんですね。それを出す方法が「ありがとうございます」なの。
 ただ、必要でないと出さないですよね。必要なものを出してくるの、神さまのほうはね。「今、これをしなさい」というふうに力を添えてくるのね。だから、人真似はいらないです。

参加者:
 自分が何かやりたい時にも、個性というんだと、神さまがさせるわけですか。

ありがとうございます:
 そうです。神さまが自分の中に入って神さまが自分となって、本当の素晴らしい天命・個性を発揮させてくださる。やっぱり神さまという全体者とつながらないといけないね。「思いの心」というのはそれを切って分けてしまうのね。先ず、神さまとつながるというのが一番必要・大事なことね。それが「ありがとうございます」でつながったら自然に出てくる。
 ただ、自分が芸術的な才能がずーっと昔からあって、それを天才的に発揮できるという人は、神さまから「別なことをしなさい」と言われた時に、それに固守して「私は芸術家として生きる」と言うたら間違うよね。
 「あなた科学者として生きなさい」と言われたら「はい」と言うて喜んで科学者にならなあかん。

参加者:
 普通は、世間の評価が定まって、お金も一杯入ってきて楽な生活ができてるのに、今更、訳のわからん、というエゴがでますよね。その時はどこで判断したらいいですか。やっぱり過去の自分にしがみつきたいと思う。

ありがとうございます
 「思いの自分」は過去にしがみつくんです。「感謝の自分」は神さまから必要なものを受けてスッと現せるんで、神さまに対して素直になるんですね。「ありがとうございます」て唱えてるうちに、自然に本物に戻るんです。

参加者:
 歌舞伎なんかで、世襲の血筋がありますが、バッハもそうですが、神が与えた血筋なんですか。それとも全然関係なくて、一般の人も突然神さまによって目覚めて音楽家になれるということなんですか。

ありがとうございます:
 本当は自由自在ね。ただ、一人一人異なってるのね、一つの家系・血筋に生まれるのも。
 でも、似通ったところへ生まれるんです。芸術家的な働きをするというのがわかってる人は、その才能を発揮しやすい場を選んでくるんです。だから芸術家のところへ生まれてくる。
 ただ、一人一人独立してるんですよ、縛り合いはないのね。才能を発揮しやすい場へ生まれてくるのね。そういう波が合って生まれてくるのでも、全く別なものを生み出す時は、そういうところへ生まれずに、全く別なところへ生まれて、そこから独立した働きを生み出すんです。だから、どこからそれが生まれてくるかはわからんですね、本当はね。だから、生まれ方も自由自在でいいんですけどね。

 死ぬ時も自由意志で決めてきている
参加者:
 ということは、偶々私が生まれたのは何か意味があって神さまがこの世に現したんですね。あまりそういうことに気が付かないですよ、普通の人は。「頼んでもないのに親が勝手に生みやがって」てね。

ありがとうございます:
 もったいないことを言う、あっはははは。

参加者:
 うちの子もそんなこと言いましたけどね「君が僕らを選んできたんだよ」と言うと黙りますね。魂の奥では知ってるのかもわからんですね。

ありがとうございます:
 そうですね。みんなそうです、子供の方から選んで親の元へ生まれてきますもん。だから、人の自由意思は絶対縛られてないんです。みんな自分の自由意思で選んで貴重な体験を積んで幸せを大きくしていくのね。

参加者:
 でも、死ぬ時は自由意志で死ねませんよね。

ありがとうございます:
 いや、それもそうです。自由意思が働くんです。

参加者:
 そうなんですか、自殺だったらわかるんですが。

ありがとうございます
 いや、いや、この世へ勉強しにきて何時卒業する、というのはあらかじめ自由意思で決めてるんですよね。もっとこの世にいて勉強できるのだったら、自分が選んでるのね。延ばしてもらうのね、滞在期間を、はははは。この世を卒業してあの世の方が早く幸せになるんだったら、あの世へスッと滞在期間を短くしても行くのね。

参加者:
 幸せになる、というのは魂を磨くということですか。

ありがとうございます:
 幸せを大きく・プラスを大きく感じ取る勉強ですよね、全部ね。だから、神さまからのプレゼントをより多く受け取る練習・勉強なんです。

参加者:
 それをしてるわけですね。そうすると若死にしたとか、赤ちゃんで死んだとか、十代で天才的な画家で惜しまれて死ぬ人がありますよね、三島由紀夫でも。それはそれで卒業したと考えていいんですか。

ありがとうございます:
 そうです。勉強の場・教室が変わっただけね。この世の教室よりも、もう一つあの世の教室の方がより自分が勉強できて進歩できる、というとこを選んでくる。

参加者:
 ということは、人の死は悲しまなくていいわけですか。

ありがとうございます:
 卒業。

参加者:
 でも、やっぱり悲しいですね、親が死んだとかは。

ありがとうございます:
 ねえ、卒業祝いをして送り出さないと。

参加者:
 神道は、死んだら喜ぶとかお祝いすると聞いたことがあるんですけど。

ありがとうございます:
 やっぱり、プラス思考ですよね「神になる」と見ますからね。
 仏教系は「迷う」とかいう言葉を使うでしょう。やっぱり言葉の使い方がマイナスが多いとマイナスへ落ち込んでいきますね、番組としてね。やっぱりプラスだけがいいですね。

 大祓いの祝詞に「忌み嫌う」というは?

参加者:
 大祓いの祝詞で、何かマイナス的なのがありますね。あの辺から「忌み嫌う」というのがきてるのですか。

ありがとうございます:
 その深い解釈がみんなできないんですね。神さまの宇宙創造の仕組みをあれは説いてるんですよね。
 「光の世界」と「闇の世界」と大きく二つに分けた時に、光だけの世界じゃあ味気ないんですよ。闇の世界をも輝かせないといけないのね。そこに「実」の小さい光もあり「虚」の大きい光・小さい光がぜんぶ揃わないといけないですね。
だから、闇があることによって光が浮かび上がるのね。素晴らしい価値あるものに変わるんですね。
 だから「一番下の無限大の立場から、プラスの無限大の立場まで全部を表現として取り揃える」というのが必要なのね。それで無限の無限のチャンネル、というふうに生まれるのね。

参加者:
 じゃあ、古事記に書かれて「伊邪那美、伊邪那岐」の黄泉の国は、今おっしゃったような。

ありがとうございます:
 そうそう、宇宙創造の仕組みの働きを、そういう人格神的に現して説いてるんです。その名前に執われて本当の意味に働きを見抜かなかったら、ちょっとおかしく感じたりするよね。だから、神さまの言葉の解釈と、人の言葉の解釈は違うの。同じ言葉を使っても、神さまの方はいつもプラス思考でマイナスの解釈はないですよ。人の方はやっぱりマイナスの言葉はマイナスに見てしまうね。例えば「迦具土神」て火の神ね、切るというね。

 切り殺すというと悪いことに見えるでしょう。ところが、火を切ると燃え上がるんです。燃えてる火にパッと切り込むでしょう、そしたら酸素も入ってバーっと燃え上がるでしょう、生かすことなの本当はね。切ることは生かすことになってるね。
ところが言葉の解釈が「切る」というと「切り殺す」死ぬような感じでしょう、違うのね。神さまの解釈は大きく生かすということ。

参加者:
 「神を切る」というのがあるんですか。

ありがとうございます:
 あるんです。古事記にもいっぱい書かれてますよ。古事記に出てくる言葉を全部プラスに翻訳しないといけないね。

 低い番組を見たがる魂がある

参加者:
 今、世の中はマイナス思考がすごく幅を利かせているというんですか、プラス思考を自分なりにしようと思うんですが。人生ではそういうマイナスは多いんですか。

ありがとうございます:
 テレビでもそうでしょう、番組が2ch.から12ch.まであって、それを初めて楽しむとしたら、一応一通り見てみたいでしょう。みんな一通り見てみないと、どれが良い悪いと気付かないですね。
だから、神さまの無限の無限のチャンネルもそうでね。高い番組も低い番組もいろいろ見てみないと、最後の最高番組に戻らないのね、一番いい番組へね、それは途中の過程ですね。
 最初、一人一人ぜんぶどこから見始めるかはみんな違うんです。良いとこから見たり、悪いとこから見たりいろいろしますよね。同じ見方は絶対しないですね。同じ番組を順番に見て行くんだったらレベルが同じで、みんな同じように進歩したり落ちていったりするんですけどね。みんな違うのね。それで、いろんな姿をこの世で見せてもらうのね。

 みんなの分も自分が見たように思うと早く卒業できますよね。「みんなの生き様を自分の生き様に照らし合わせて、自分の代わりに番組合わせをして体験してくれてる」というふうに見ていくと、自分一人が選んで見て行くわけにいかないのでね。「周りの人の全部が自分の代わりにいろんなチャンネルに波長を合わせてしてくれてる」と見ていくと大体わかるんです。その中から自分は「良いもの・良いもの」を選んでいけばいいね。そうすると早くつまらん勉強から卒業するんです。
 だから、マイナス思考の人も大勢いてる方がいいんです、あっはははは。自分が早くプラスへ向く、という意味で参考にして卒業できていくでしょう。実際、自分がマイナスへ落ちて行ったら、なかなかそこから抜けるのは難しいですからね。ちょっと距離を置いてマイナスを見せてもらう方が。

輪廻転生を抜け出す方法

参加者:
 よく生まれ変わり、といいますよね。魂の生まれ変わり。例えば男で経験して、今度は女を一度経験してみたいとか、ということで生まれ変わりというのが、輪廻転生というのがあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうです。ただ、無限の無限のチャンネル全部にあるんじゃなしにね、かなり低い方にあるね。

参加者:
 地球のこの世みたいなものですか。例えば…

ありがとうございます:
 そうです。この世の人は輪廻転生があるんですね。こういう番組はね。だからゼロに近い中間点にはあるんです。高いプラスの方は無いんです。

参加者:
 ゼロに近い中間点というのはどういうことなんですか。

ありがとうございます:
 この世を大体ゼロと見たらいいのね、無限の無限のチャンネルが合って、ゼロを中心点ぐらいに見たほうがいいね、この世をね。それで、プラスもありマイナスもありという世界で。この世に近いところは生まれ変わりがあるんです。

参加者:
 そしたら、生まれ変わりとか輪廻転生とかは、あんまり深刻に考えなくても。

ありがとうございます:
 そうです。ちょっと高い番組に変えたら、もう輪廻転生は必要なくなるんです。

参加者:
 昔「悪いことをしたら地獄に行って牛に生まれ変わる」って言われたから恐れてましたけど。

ありがとうございます:
 でも、そういう言葉を使い続けるとそういう番組に波長が合っていくでしょう。そういう低い番組を体験する可能性がでてくるんですよ。だから、そういうマイナスの言葉はもう必要ないですね。ある程度体験するだけで、早く卒業してプラスの言葉に切り替えるほうが大事ですよね。
 だから、もう輪廻転生もない、一瞬一瞬新たに最高の姿を現す番組がいいですね。「ありがとうございます」の番組がいいんです。

参加者:
 輪廻転生なんかをいろいろ言われていてものすごく大事なことのように説く人がいますでしょう。
 インドへ行ったら葉っぱにその人の全人生、過去から未来まで書いてあるとか。ああいうのを聞くと全部決まってるのかなあ、と思う。

ありがとうございます:
 そういう言葉の世界の番組では全部そういうふうになって決まってるんです。ただ、その言葉に縛られたら損するのね。どんな言葉を使ってもいいんですけど、その言葉に応じた番組があるんですけど。
 どんな教えでも教えに縛られたら、その中にはまり込むんです。そこへ縛り付けられてしまうんですね。だから、言葉の縛りに合わない、というのが一番大事ですね。

参加者:
 難しいですね、我々は一応言葉でコミニケーションをはかるんですが、それも縛りにとらわれないと言うのは、難しい。

ありがとうございます:
 だから、自分が積極的に良い言葉を自由自在に使いこなすのがいいですね。そうするとつまらん言葉には縛られなくなってくる。

参加者:
 「どうせ僕なんかできない」とか「どうせ…」と本人が言うと本当だと思ってしまう。

ありがとうございます:
 そういう世界にはまっていく、あははは。「ありがとうございます」は「無限の無限のプラスが一杯」という番組に合わす言葉なんで、つまらん番組にはまり込まないようになって自由になってくるね。言葉の縛りから抜けていけるんです。

 ここを中心にしていてはいけない
参加者:
 先生は三歳のときから「ありがとうございます」と拝んでたんですか。

ありがとうございます:
 そうですね「ありがとうございます」ですね。お祈りさせてもらってたのね。

参加者:
 そのとき誰か親に「ありがとうございます」を‥‥

ありがとうございます:
 いや、いや、やっぱり自然に。外から強制されてではないですね。「しなさい」じゃないですね、自然に中から助けてもらってるんですね。やっぱり神さまが助けてくださったというだけですよね。
 それも「必要あって」でしょうね。役割があるんでしょう、そういう役割がね。

参加者:
 そういう役割でお聞きしたいんですが。僕は本当に今日初めてこういう広いところでこれだけの設備で泊まってご飯もいただいてありがたかったんですけども。二・三年前までは先生の名前も場所もいわずに、限られた方だけが先生のことを知ってる、外のいろんな人に出会うことをしなかった、と聞いたんですけど。

ありがとうございます:
 今も同じよ、隠してるんです。あっははははは。

参加者:
 でも、段々広がって、50人・70人来られますよね。というのは時期が来たんですか。

参加者:
 案内したらそういう人達だけが集まってくるわけ、偶々メールでうちのネットでここの住所・連絡番号を出したんですよ、やっぱり良くないということで。有象無象の人が来てかえって迷惑になる場合も、難しいですね。

ありがとうございます:
 やっぱり、必要な人だけがここに来られたらいいですね。だから、ここを中心にしたら駄目ですよ。
 ここを中心にすると言うのはおかしいですね、私を中心にしたら駄目ですよね。人を中心にしたら駄目なんです。それにまたいろんな教えを中心にしたらいけないんです。
 特定の場所を中心にするのもおかしいですね。それだったら今までの生き方と同じですよね。中心争いで、争いの種をまくだけですよ。だから何もないのがいいです。
 だから、一人一人が神さまを中心にして本当の個性の素晴らしさを発揮すれば、全体が良くなるわけでね。

参加者:
 じゃあ、神社・仏閣などは本当はいらないはずだと。

ありがとうございます:
 そうですね。将来、いらなくなりますね。宇宙が本当の神さま、神殿だったらつまらん模型はいらないですね。

参加者:
 こだわるわけじゃないんですが、昨日もお話しがあったんですけど。気づく人が増えてきたのかなあと。
 前は先生のことを知る人は限られてて、今は、四十人・五十人と来て、先生はお変わりになってなくても、周りはどんどん変わってきてますよね、世の中が変わってきたんですかね。

ありがとうございます:
 世の中全体が変わってきてるんですね。「神さまが助け続けてる」と言うたらそうなんですけどね。
 それで必要な時期に必要なものを与え続けてるわけでしょう、神さまのほうはね。それで新しい世紀になってどんどん本物を現す時代ですよね。
 そういう意味だったら一人一人の中に本物の神さまが中に入ってくるのね。下から、中から湧き上がってくるような感じで助けに入ってくるんです。それで気づきが増えて、感謝が出来るように変えてくる。

参加者:
 僕は○○に住んでて、先生は中主とか近江八幡に居られたらしいんですけど。今はここに来られて、奥さんにお聞きしますと、着々とここを整地して‘平成の森’を作ってどんどん広げて行ったというのは、やっぱり今日の今日、これからのことを予測してやられたのか、それとも「やらんといかんなあ」というんで神さまが言ったからやり始めたのか。

ありがとうございます:
 いや、私は何もしてないですよ。私は「ありがとうございます」ってお祈りだけさせてもらってるよね。後、勝手に出来てしまうでしょ。天から降ってくるような感じで、神さまが全部してるのよねこれ。
 必要な人を集め、必要な資材を集めて、もう勝手に作り上げるのね「必要だから」ってね。
 「ありがとうございます」を唱えてる限りは、必要なものは的確に与えてもらえるのね。

参加者:
 先生だけじゃなくてみんなも?

ありがとうございます:
 そうよ。みんなに必要なんでしょう。言ったら、根本は神さまが必要としてるのね。「神さまが必要としてる、私達はそのお手伝いをさせていただこう」としてるだけでね。神さまがこの世を本物の理想的な世界に置き換えようとしてくださってるんでしょう。そのお手伝いを大勢の人がしていくわけですね、させてもらうのね。
 神さまがあくまでもこれからは中心なんです。本物の時代は、神さまだけが中心なんです。そのお手伝いをする人が増えたらいいだけでね。人が中心になったら、その人がいなくなっただけで、もうぜんぶ駄目になるんでしょう。でも、神さまが中心だったら永遠に崩れないですよ。

参加者:
 普通神さまが中心というと、戦前の日本みたいに「神国日本」でね「神のために特攻隊で死ね」といわれたら、神の国は恐いかなというアレルギーであると思う。

ありがとうございます:
 それは言葉の縛りの中へはまってるのね。本物の神さまは言葉を超えてるの。

参加者:
 限界がありますね、言葉というのは。(ありますね)使わないと伝わらないし、使うとまた縛りにあうし。でも言葉を使って伝えないといけないところに、努力とか何か方法があるんでしょうかね。

ありがとうございます:
 だから、つまらん言葉はいらないよね。本当の神さまを呼び出す言葉、本当の神さまの言葉はいいですよね。だから「ありがとうございます」とか「無限の無限の何々…」のプラスの言葉ですね。そうすると本当の神さまがスッと降りやすいの。だから、肉体人間はいつも「ぼさっ」としてたらいいんです。それで必要があって神さまが使ってくれたら「ぼさつ・菩薩」になる。あっはっははははは。小さい「っ」が大きい「つ」になる。

 神さまは全部を幸せにできる
参加者:
 あんまり、肉体とか、縛りというか、お金とか地位や名誉とか、俺は偉いんだぞ会社の社長だぞ、とかね。そういうのはあまり意味がない。

ありがとうございます:
 ほんとね。そんなん虚栄を張ってねえ、大したことないですもんね。

参加者:
 例えばアメリカの大統領だったら、一応形の上では世界を動かしてますよね。テロに反対する陣地と賛成する陣地と二つに分けて戦え、と一応動かしてますよね。そういうふうに見えますよね。権力とかお金を持った人が動かしているように見えるんですけど。ただ、そういうふうになりたい、なりなさいとみんな幼稚園・小学校でね、言ってましたけど。そういうふうに言うと一応うまく行ってるように見えるから、お父さんもお母さんも子供にそれを押し付けますね。「違うな」と思いながら結構やってるじゃない、優雅に暮らしてるじゃないか、とかね。そこをどう整理したらいいのかな。

ありがとうございます:
 やっぱり違いますよ。人のすることと神さまのすることはぜんぜん桁違いですね。神さまは全部を幸せに出来ますよね。どれだけ人が頑張っても自分ひとりの幸せもできてないですね。ましてや全ての人の幸せできてるか、て何もできてない。ちょっと思い通りになってるだけでね。思い通りになった分だけマイナスを与えてるんです。(みんな:何?)自分の思い通りになると、他の人の思い通りにはならないですよね。
 どっちかがプラスを掴んだら、相手をマイナスにしてるんですね。だから、それは全部を幸せにする神さまの働きとはもうぜんぜん違うわけです。

参加者:
 人間を中心に考えてはいけない。

ありがとうございます:
 いけないですえ。

参加者:
 でも、今の文化は人間中心じゃないですか、言ってても。

ありがとうございます:
 だから、物が中心とか、人間が中心とか唯物的な見方ですよね。これが神さまが中心になって、「全てが神さま」という見方で唯神的な考え方にならないとね。「この世も神さまの愛の結晶」というぐらい「全て神さまの愛の塊」に見えてこないといけないでしょう。だから「神さまが全て」という見方になってこないと嘘ですよね。

参加者:
 それを今の人に言うと「何か怪しいな」と思われますよね。

ありがとうございます:
 ところが最近は、神さまを受け入れる人は増えてますよ。(増えてますね)どんどん増えてますね。「ありがとうございます」がどんどん広がってますよね。

本当の理解というのは、知識より知恵があるという事

参加者:
 神さまを受け入れなさい、というよりも「ありがとうございますを言いなさい」と言う方が普通の人にはわかりやすいです。僕なんかは今日始めてきたんですけど、素直に受けられますからね。とってもいいなあ、と思って。今の人間は頭でわかって「うんうん、わかった」とか言ってて、結構、頭と腹が分離してる、本当に腹の底からわかる、というのと頭でわかるのと違うでしょうね。

ありがとうございます:
 ただ、理解があれば本物なのね。頭で解るのも「理解があれば」本物なのね。思い込みじゃないの、理解するというのはね。奥の本体の知恵が出てきてるのね。知識だったら単なる思い込みでしょう、洗脳された状態ですよね。それじゃないのね、「理解する」というのはいいですよね。「納得する」というのがね。スッと気づくのがいいのね。気づけばもう本物ですね。

参加者:
 知識でも学説とか、神さまの啓示を受けて作ったものがありますよね、「これが正しい」って。これが正しいとは限らないですか。

ありがとうございます:
 限らないですね、はい。いいのもあるでしょうけど、本当は神さまの知恵とはまた違いますね、知識に変化するとね。知恵はいつも新たに新たに出てこないとね。過去のその言葉は当てはまらなくなる。
 「今、何が必要か」でしょう。だから、踏切を渡るのでも「電車が来てない、今渡りなさい」って導きが来るでしょう、それで今渡れば正しいのね。ところが時間が経ってからそれを当てはめると、電車が来てる時に渡ってしまいますよね。見事に衝突しますよ。だから知恵は神さまから新たに出てくるのね。それは絶対間違わないね。

参加者:
 そうすると屁理屈じゃないですけどね。勉強をして万巻の書物を読んで勉強をしたら知恵が湧いてくるんでもない。

ありがとうございます:
 逆なんです。知恵の出てくる通路を塞いでしまうの。

受験生を持つ親、子供の進路

参加者:
 でも、逆に学校へ行かないで、不登校がありますが、勉強を放棄して。僕らから見ると勉強をして常識をしっかり身に付けて、と古い人もいってるし。だから、学校を卒業しろ、と言いたくなるでしょう。子供は拒否してますよね。

ありがとうございます:
 その方が正しいですね。あっはははは。知恵が出てきて、それで道具として必要な知識を備えるのはいいですよ。知恵の出るのを抑えて「知識を一杯詰め込も」と言うのが詰め込み勉強なんですよね。それは逆にマイナスになるのね。幸せから遠ざかるので、それを知ってる子供はそれに反発しますね、偉いんです。

参加者:
 知恵が出てきて本当に「知りたい」と思ったら勉強を始めるわけですか。

ありがとうございます:
 そう、必要な勉強を始めますよね。(必要な勉強ねえ)必要な勉強をするときは楽しいですよね。
 将来使うかどうかわからない、必要かどうかわからないのも詰め込むんでしょう。それはもう嫌ですよね。

参加者:
 先生の場合もそうだったんですか。必要なものを勉強していくんですか。

ありがとうございます:
 そうです。先ず、知恵を磨いて知恵が出るように磨いておいて、それで必要なだけを勉強する。
 必要なものは勉強の仕方が早いのね。お祈りしてると感謝してると必要なものをスッと教えてもらうの。
 本当、本読むのは速いよ。一冊、全部読まないとわからないのと違うのね、必要なところだけサッサッと開けば出てきますからね。ははははは。それも速くサッと読むのよ。だから必要なものを教えてもらうのが速いです。どんな知識でも必要な知識はサッと入ってきますね。だから、一万冊の本を読むのでも、必要なものだけ読むのだったら速いですよ。スッと読んで、ははははは。

参加者:
 うちに中三の娘と小学校六年の娘がいるんですよ。先生のお話を聞いていまして、受験なんかでも本人の希望に任せてたらいいんですね。

ありがとうございます:
 本人が感謝出来てしっかりしてきたら、本人任せでいいんです。ところが感謝が出来ない状態で思いに負けてるときがあるでしょう。その時は守護霊さんに感謝してあげるといいね、代わりにね。
 子供の守護霊さんに対して「いつも護ってくださって、ありがとうございます」というふうにね。そうすると進路が正しくなるんです。守護霊さんの働きが降りるほどいいんですよね。本人が感謝してたら、守護霊さんにいつも護られて導かれてるのね。選択が間違わないの、いつも正しいですね。
 でも感謝出来ないときには親が代わりに「守護霊さんさん、ありがとうございます」と感謝するんですね。そしたら子供の進路は絶対間違わないですね。後は、子供の自由に任せたらいいですけどね、そのままでね。いいようにいいように変えてくださるからね。

参加者:
 うちも中三の男の子がいるんですけど。「自分のしたいことは何もない」って。行けそうなところを一応志望校を書いた、そういうのもやっぱり守護霊さんに護ってもらえるのですか「ありがとうございます」で。

ありがとうございます:
 そうよ。本当はもう学校なんか行かんでもいいの。学校なんか行かんでも、人の為に働く方がいいね。人の為に尽くす方がいいのよね。それで必要だったらまた学校へ行きたかったらいけばいいよ、いつからでも行けるのよね。恩返しする方がいいよ、先にね。「人の為に、人の為に」って、世の中の為に尽くす恩返しの働きをする方が早く自分が立派になれる、幸せになれるね。それで、必要だったら勉強を学校へ行ってしてもいいし、そういう自分だったら学校へ行かなかっても、図書館で本を借りて勉強も出来るしね。本当の勉強は実際の働きの中でするほうがいいのね。必要な知識も能力も全部必要なときに身に付くのね。

 だから、働く過程で勉強をさせてもらうのが一番いい勉強が出来るよね。
例えば、大工さんになりたかったら、「建築士の資格を取ってからなろう」と言うよりね、実地に大工さんの仕事をさせてもらいながら、それで必要に応じて勉強して行って建築士の資格を取ればいいよね。
 その方が本当の実力が付いてるの。建築士の資格だけ持ってても大工さんの真似は出来ない。
釘一本よう打たん、はははは。やっぱり実際働きながらする方が本当に大物になるね。

参加者:
 ここの方に聞いたら、昨日もちょっとお手伝いしたんですけどね。本物の大工さんは居られないでみんな素人のかたがやってるんですね。それでこういうのが出来る。すごいです。みんな力を持ってるんですかね。

ありがとうございます:
 誰でもできるんですよね。必要があったら力が出てくるんです。誰も手伝いに来てくれなかったら、自分がしないと駄目じゃないですか。神さまの助けはいつも自分の中から湧いてくる。その能力や力が神さまの助けなのね。だから、何でもできるようにしてくれるのよ。心配ないですね、ぜんぜん。

 神さまが子供の姿をとって親を幸せにするために出てくる

参加者:
 さっきから子供のことを言ってるんですが、やっぱり心配でしょう親としてね。「やってやらないかんなあ」というような。

ありがとうございます:
 逆の方がいいよね。子供にいろいろしてもらう方がいいですよ。はははは。親孝行してもらう方が子供が早く幸せになるんです。子供は元々親を幸せにするために出てきてるんですよ、神さまの姿なんです。
 神さまが子供の姿をとって親を幸せにする為に出てきてるのね。逆に「親が見てる」というんでしょう「子供の面倒を見んならん」て。逆よ、子供に面倒を見てもらっているのに。そのぐらいの気持ちだと、子供が天才を発揮するんです。

参加者:
 七歳までの子供は神さまだと言うことを聞いたことがありますが、神さまなんですか。

ありがとうございます:
 ずーっと神さま、はははは。

参加者:
 でも、神さまとは思えないようなことをやったり。

ありがとうございます:
 いや、いや、それね、神さまと認めてない。あっははははは。馬鹿にした分、馬鹿になってくるんです。「ありがとうございます」で感謝し続けたら神さまが現われてくるんです。「いつも助けていただいて、ありがとうございます」言わな。はははは。そしたら子供がお金を稼いで、ええ面倒見てくれる。これは別にしてもね、助けてくれるんです。

 私の若い頃の友達なんですけど。そこは両親亡くして兄弟が七人いてるんです。自分が一番上でね。自分は働いて、自分は高校へ行くし、下の子を全部面倒見て育ててるのよ。高校生の時からね、すごいねえ。できるんよ、親がいないのにね。そういう人が早く幸せになれる。親の生活の面倒を見てもらわなあかん。はははは。アルバイトをしっかりしてもらって。

 子供には財産を残してはいけない

参加者:
 子孫に美田を残すな、になりますけど。子供に何か残そうとかしない方がいいですね。

ありがとうございます:
 絶対したら駄目ですね。絶対したら駄目です。

参加者:
 どうしてですか。当てにするから。

ありがとうございます:
 当てにするし、財産は良いことないですね。
もし遺すんだったら「徳を遺す」。「人の為に尽くして尽くして、徳を子供にめぐらす」のがいいのね。(子供に?)そしたら子供は必要なものを必ず与えてもらって、大きい働きをするようになるの。

参加者:
 億万の財産を遺しても駄目ですか。

ありがとうございます:
 それはもう逆ですね。逆にマイナスをかぶせることになるね。だから、財産を遺すよりは、借金を遺すほうがいい。本当、子供のためには借金を遺してあげるほうがいいんです。それを子供に返済してもらうぐらいの方が、親孝行になるんです、本当そう、実際そうなの。

 子供に「徳」という貯金をしよう

参加者:
 親は、何とか借金だけでも遺さないように、財産を遺してやりたいっていうのが親心ですけどね。

ありがとうございます:
 いや、いや、それは逆効果です。マイナスになりますね。それよりも「徳を遺して上げる」ことね。だから「ありがとうございます」をしっかり唱えて、その徳をめぐらせてあげるとか、人の為にいろいろ尽くしてその徳を遺すとか。そうすると子供は必ず幸せが大きくなるの。

参加者:
 億万遺したら幸せだと。

ありがとうございます:
 いやいや、違うの。財産は絶対遺したら駄目。遺すんだったら借金を遺さないとあかんのよ。
 借金を遺してあげる方がいい。

参加者:
 今までの常識と違うなあ。

ありがとうございます:
 違うんです。

参加者:
 でも、何となくわかりますけどねえ。

ありがとうございます:
 そう、本当にそうね。大体、財産争いをみんなするでしょう。親が財産遺したら、兄弟が財産争いをして、仲が悪くなりますよね。例外ないですよそれ。それで、先ず財産をもらったら働かなくなりますよね。人の為に尽くせなくなるでしょう。そうすると運命が悪くなる、どんどんどんどんね。その時は良さそうに見えて晩年悪くなる、子供の運命がね。

参加者:
 働くとは、人の為に尽くすことを働くと言う。

ありがとうございます:
 そうです、そうです。だから、働いて働いて貯金を増やす方がいいんです。そうするとそれがどんどん増えて幸せが大きくなるんですけど。

参加者:
 貯金というのはお金の貯金ですか。

ありがとうございます:
 お金じゃない、あっはははは。(理解が浅いですね)

参加者:
 ああ、徳の貯金。

ありがとうござます:
 徳の貯金をいっぱいするんですね。

参加者:
 「働く」というのは、金儲けのために働くというのではなくて、今先生がおっしゃったように。

ありがとうございます:
 人を幸せにしていく働きをさしてもらうのがいいね。
 その一番良い方法が「ありがとうございます」を唱えることね。これはお金なしで出来ます、タダで。
 だから、一回「ありがとうございます」唱えるのが、お金の一万円以上の価値があるの。汗水たらして一日働いて一万円稼ぐより、一回「ありがとうございます」唱える方が徳を積むんです。あはははは。

参加者:
 子供は見てますよね、親の姿を。親が「ありがとうございます」をやってたらそれを見ていて、あれがいい道かなあ、と。ガリガリ金を貯めて人を蹴落として貯めたお金を遺してもらっても使っちゃうでしょうねすぐ。

ありがとうございます:
 そうね。無駄に消えてしまうよね。

参加者:
 もしそういう億万の財産を受ける側になったらどうしたらいいんでしょう。

ありがとうございます:
 預かるのは「正しい意味で使いなさい」という意味で預かるのよね。だから、世の為人の為にそれを活かして使いきらないとあかんの。その使い方が難しいんですねまたね。まだ、使う能力も無いのに与えられたら、本当に大きい負担になる。

参加者:
 それを車を買ったりね。

ありがとうございます:
 そうでしょう、贅沢に使うでしょう。必要でないところへ使ってしまうよね。それが大きい借金を積み重ねることになる。預かったのは自分のものじゃないですよ。世の為、人の為に使うために預かってるだけでしょう、神さまからね。贅沢に使ったんは、自分の借金になる。だから大きい家を建ててもあかんのよ、贅沢に使うだけでしょう。必要なだけはいいんですけど、贅沢に使った分損しますね、後でね。
 本当に必要なだけに絞り込むというのは大事ですよ。そしたら楽になるんです、すごく。無理が全然なくなるんですよ。

 宝くじを当てると借金になる

参加者:
 今、年末宝くじ。それを買うという夢を託してですけど。買うこと自体も神さまから見たらおかしなことですか。

ありがとうございます:
 おかしいですね。

参加者:
 そんなことをしなくても、「ありがとうございます」を唱えてたら、必要な時は入ってくる。

ありがとうございます:
 そうです。「ありがとうございます」を唱えてる人は、必要なものは必ず与えてもらえるのね。
 それで、必要以外のものを欲しがるんでしょう。必要以外のものに使うと、徳が・貯金が消えるんです。
 それで、宝くじが当たっても、これはみんなからの借金になるんです。みんなに何も与えてないでしょう、プラスのものを与えてないよね、みんなからもらうわけでしょう。みんなからの借金になって、それも利息付の借金ですからね。必ず返さなければならない時期がくるんですよ。そしたら後で損するよ、利息が付いて増えてるんで。当たった金額の何倍もの何十倍も大きくなってるの、返すときにはね。
 だから、必要なだけでいいんです。もし、当たってしまったらそれをもっと大きく活かす方法で、世の為、人の為に使わないと借金返しは出来ないね。

参加者:
 大変ですね。

ありがとうございます:
 大変なんよ。使うのにものすごい苦労するね。無いほうがいい、当たらない方がいい。

参加者:
 人生観変わりましたね。(ははははは)

参加者:
 世の中の常識は逆に考えればいいみたいですねなんか、普通の常識も。

ありがとうございます:
 そうね。神さまの考えと、思いに生きてる人の考えとは正反対なんですよ。感謝に生きたら神さまの心がよくわかるのね、幸せの最短コースを歩むんですよね。でも「思い通りに生きよう」と言う人の生き方は正反対の生き方を歩むんですよね。「良い」と思うのは間違いなんです。

 メッセージに気づくまで病気は続く

参加者:
 僕らビジネスマンは目標を立てて、それに向かってスケジュールを作って、人生設計では何歳までに貯蓄をいくらか作って頑張って働けって、ずーっと来たんですね。そういうのは神さまから見たらムチャクチャな。

ありがとうございます:
 馬鹿な損な生き方ですね。ははははは。ひとっつも幸せになれないね。

参加者:
 必死に働いても、それこそ汗水たらして朝から晩まで働いて、定年になっても母ちゃんが、退職金頂戴、離婚して頂戴とかね。結構いますでしょうまわりに。

ありがとうございます:
 幸せへの道じゃなかったんです。

参加者:
 私の同僚や先輩もけっこう癌でバタバタ死んでるんですよ。そうすると、彼らの人生はなんだったんだろうかなあ、と思ってね、あんなに頑張ってきても。

ありがとうございます:
 ねえ。ガンになるためにガンばった。

参加者:
 本当にそうかも。肺癌になって入院して手術して退院してきて、復帰していろいろ話をして。やっぱり何かの教えだから、少し考え方を変えたらいいよ、と言ったら怒ってね「そんなことはない!、今まで通りやるんだ」って、そんなことを強気でやって、また再発して入院してしまったんですね。そうなるともう言えない、あまり言ってもいけないのかな、本人が気が付かないと。

ありがとうございます:
 本人が気づかないとね。頑固な時は癌になりますねえ、やっぱり。神さまの助けは受け入れないですね。ちょっと素直になれば人のアドバイスでも、神さまの知恵がスッと入るんですけどね。普段の生き方がスッと正しい方に向くんです。

参加者:
 僕らも癌になったら少し考えて、それこそ正反対にね、もう少しリラックスしていけばいいな、と思うけど。益々自分を強くするんですね。

ありがと:
 まあ、人によったら反省して気持ちが変わって治る人もあるんですけど、まだ少ないですね。

参加者:
 病気とか怪我はある意味ではお知らせなんでしょうかね。

ありがとうございます:
 もし、心の持ち方や生き方に過ちがあったら、気づかせるメッセージでもある時がありますよね。

参加者:
 「ある時がある」と言うのは、そうじゃないのもある。

ありがとうございます:
 あるんです。病気は大体心の間違いを全部形に出して消すためなんですね。消してもらったら心は正しくなるんですけどね。
 ただ、心の持ち方がマイナスへ向く傾向の強い時は、メッセージ的にマイナスを現すときがあるのね。だから、病気になったら心が軽くなるんです。本当にね。心は楽になるんですね。心のマイナスを消してもらうの、病気の姿でね。

参加者:
 そこがちょっと分かり難いんですけど、どういうことなんですか、心のマイナスを消すとは。

ありがとうございます:
 普通、過去を掴んでマイナスの言葉を使い、マイナスの思いを出して、ぜんぶ溜め込んでますよね。空に雲が溜まっていくような感じで、それが溜まりすぎると雨雲になるね、黒雲にね。それで雨が降ったら消えるでしょう。心に溜まったマイナスが消されるんです、マイナスが形に出ることによってね。
 でも、また溜める可能性があるでしょう。何回も同じ事を繰り返すと、メッセージ的に出てくることもあるんですね。「早く生き方を改めなさい」という感じでね。普通は、病気になるほど喜べばいいんですけど。
 「マイナスを消してもらって」って、プラスに生きてたらそれだけでいいんですよね。原因も何も探る必要はないんですね。ただ、生き方がまだ改まってない時は何回も出てきますね、ずーっと気づくまで。

参加者:
 メッセージって気づくまで出てきますね。やっぱり神さまが早く…

ありがとうございます:
 早く気づかせたいのね、神さまの愛の働きですよね。その時はやっぱり早く気づいて新たにした方がいいんですね。

参加者:
 その時は何がなんだかわからないでしょう、気づけと言われても。生気もなくなってるし体もしんどいし。そういう時に「ありがとうございます」を言ったら。

ありがとうございます:
 もう、「ありあがとうございます」を言えたらもうね、言えたらもう気づいてる、あっはははは。

参加者:
 ここでこれを聞いたらまだ言えるだろうけど。苦しんでる人がいて「ありがとうを言え」と言ったって言わないです。

ありがとうございます:
 だから何回も大病するんです。大病することが心の大きい「浄・清」めでしょう、気づく心に変えてくるのね。大病するほどいいんですだから、ある意味ではね。気づいた人は小さく済むんですけど、気づかない場合はやっぱり大病して気づくようにしてくれる。それも、マイナスはないですけどね。必要あってそういうふうになるだけでね。神さまの助けは入ってるんですね。

参加者:
 どんな人のところにも神さまは来てるんですね、気づかないだけ。

ありがとうございます:
 そう。気づくように、気づくように働きかけてるんですけど。

参加者:
 いろんな苦難を与えられて気付いて成長していくことが人間の存在が…

ありがとうございます:
 気づくことによって神さまのプレゼントをしっかり受け止めて行けますよね。神さまのプレゼントを沢山受け取れる方が大事なんでね、幸せを大きくする意味でね。その為の気づきを与えてくださるのね。

 感謝を深めて全部自分の物にする

参加者:
 気づいて魂が成長していけば、神さまに近づいていけるわけですか。

ありがとうございます:
 そうです。沢山受けた分が自分なんです。受けたものが自分なので大きくなる。

参加者:
 大きくなるってことは、広がっていくということですか。

ありがとうございます:
 そうです。「宇宙が自分」て大きく広がった宇宙が自分なんですね。でも、今「肉体の自分」と、小さく掴んでるでしょう。感謝を深めていくと「宇宙が自分」になるのね。それで「神さまが自分」になる。神さまから与えてもらったのを受けたら、それが自分なんですね。
 ただ「思いの自分」は、小さく小さく思って限定して掴んでしまうでしょう。思いの自分は損してるのね。この世も、この世の番組の世界は全部自分なの、本当はね。一つの番組を選んで受けてる、受けたものが本当は自分なんですけどね。

 「思いの自分」はもう一つ小さく掴んで「肉体が自分」と掴むんでしょう。でも「感謝の自分」は、全てのチャンネルが自分となる。そして「奥の神さまが自分」と受けていくのね。だから、感謝に生きて大きくなる方が幸せなのね。私のものは私のもの、みんなのものは私のもの。あっははははは。

参加者:
 普通に聞いたらエゴの極地ですね。みんなのものは俺のもの。先生のおっしゃってるのは「感謝」ですか。

ありがとうございます:
 全部自分だったら、一体感の愛の心でみんなを生かすんでしょう。エゴの人は小さい自分だけ掴んでますよね。「これだけが自分のもの」ってね。それで、みんなのものを自分のものに「しよう」としてるだけ、自分のものにはなってないの、未だなってないのに。

参加者:
 自分を磨くということは、魂を出来るだけ輝かせるような、自分を磨いて人様に少しでもお役に立てるようにするのが本来の目的。

ありがとうございます:
 それもいいんですけどね。小さく掴んでそれを磨いて輝かすのもいいんですけどね。
 それよりも「ありがとうございます」で全部と一体化する方がいいですよ。人に対しても「ありがとうございます」で、人との一体感が深まるんです。「自分もあの人も一体」ということになると、本当にいいものが全部自分のものになるのね。

 神さまへの感謝もそうよね。神さまに感謝してると「神さまと一体化」するのね。すると神さまの持ってるものが全部自分のものになるでしょう。だから一体化して大きくなるのがいいですね。その中にみんな磨かれた姿が出てきますよね。
 だから「小さいものを磨こう」というのはまだちょっと小さく執われすぎてる一面があるよね。それよりも「ありがとうございます」で一体化していくのがいいですよね。

参加者:
 時間をかけて、究極の目的でいろんなものをしようとするけど、逆に「ありがとうございます」一発で行っちゃうてことですか。

ありがとうございます:
 それでもう充分ですねえ。

参加者:
 時間は関係ないですね。

ありがとうございます:
 関係ないですね。そのままズバリ受けたらいいだけなんでね。接着剤です「ありがとうございます」つながってしまって。

参加者:
 単純なんですね。単純に言葉で言う場合と、深い意味を持って言う場合と随分違いますねえ。

ありがとうございます:
 ただ、唱えてるうちに深くなってしまいますね。必ず深くなっていくね。

参加者:
 とりあえず言えばいいんですね。

ありがとうございます:
 そう。とりあえず言えばいいんです、空念仏でも何でもいいんです。(笑い)言ってるうちにね中身が伴ってくる。

 簡単に悟るとつまらないから滝行などをする

参加者:
 天風先生という人も、自分で滝行をして、日本へ帰ってきて教えるときに「自分は苦労をしたから、苦労をしなくても君たちが悟れるように、いろいろ教える」というふうに教えてもらったんです。
修行をするというと、滝に打たれたりいろんな修行がありますよね、あまり意味がないんですか。

ありがとうございます:
 そうね、あんまり必要ないんですけどね。ないんですけども、遊んでるんですね。(笑い)あまり簡単に単純に悟ってしまうとねえ、ちょっと頼りないです。(笑い)ちょっと難しくして、あはははは。

参加者:
 「ありがとうございます」と言うことで、自分の持ってるものを捨てる、投げ尽くす、上げ尽くすわけですね。これは相当な修行だなあ、という気がしますね。(あははは)

 両手に古い物を持っていたら新しい物を受け取れない

参加者:
「ありがとうございます」と言って、上げちゃうんじゃなくて受けるんでしょう。

ありがとうございます:
 本当は神さまからいいものを受けようと思ったら、古いものを持ってたら受け取れへんでしょう。
 両手に古いものを握ってて「新しいものをあげましょう」と言われて持ってきてもらっても受け取れないよ、絶対。放さなあかん、放さな。「放し上手」というのが大事よ。そしたら新しいのをサッと受けられるでしょう。
 また、新しいものを受けようと思たら、放さなあかんのよ。常に新しいものを受け直す、というのはそういう意味でね。だから、上手に持ってるものを放さないと。放し方がドブに捨てるよりはちょっとは人の役に立った方がいい。

参加者:
 そうすると先生のおっしゃる、一瞬一瞬という世界が宇宙に出来てるのが、それとつながってきますね。

ありがとうございます:
 つながってきますね、それで循環が早くなるほど幸せが大きいですね。

参加者:
 「俺がっ!出世街道を歩きたい」という我欲の塊でサラリーマンやってて。それを捨て去れ、というね‥‥‥先生も「ありがとうでいいんだ」って格好のいい事言っとるけども、その裏には相当な‥‥‥

ありがとうございます:
 あっはっははははは。あんまり格好いいことしたら駄目よ。はははは。

参加者:
 「ありがとうございます」の「ございます」がやっぱり相当の深い意味があるね。謙虚になることが自分を離すことでしょう、ぽーんて。離さないと「ございます」言えないわ。

ありがとうございます:
 ねえ。悟っている。(笑い)あっはははは。場所、交代しましょ。ははははは。

参加者:
 これ作られたんでしょう。修行して家の増築でもしようか。

ありがとうございます:
 簡単にできますよ。先ず、山の木をもらってくる、拾ってくる。はははは。製材機お貸ししますから。はははは。何でもあるものは使わないとあかんのですからね。製材でも製材した木は高いですよね。手間賃でしょうけどね。自分でするんだったらタダで出来ますからね。 山の掃除を兼ねて。ははは。今はもう間伐したら木は放ったらかしですもんね。持ち出すのに経費が出ないのでしょう。持ち出しても売れないですしね。こんなんでも間伐して放ったらかしですもんねみんな。必要になったらいろいろ勉強できるんですね。ちょっと見るだけで参考にできますもんね。

 ガードの堅い女房は反面教師

参加者:
 ‥‥何とか自分の波動で相手を包めるようになりたい思うんやけど。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を唱えてるとね、太陽が輝いてくるような感じで周りを融かしてしまうんですね、思いをね。太陽と風の話があるじゃない。風で吹き飛ばそうと思って上着を脱がそうと思っても難しいですね。グーっとガードしますからね。でも、太陽は照り輝いたら暑くなりますよね、自分から脱いでしまうような感じでね。

参加者:
 結局、先生はそういう姿ですよね。自分を磨いて自分が波動が上がると、そういういい光が出るようになれば、相手は自然に融けてくるという。(そうですね)そういう意味で、ありがたいことに女房は自分の反面教師で神さまだと。自分のレベルは成長具合を見りゃ良くわかると、逆にね、という感じで励む。

ありがとうございます:
 今までは世の中寒かったですからね、上着をしっかり着ないとあかんかったね。最近は暑くなったでしょう。あっはははは。みんな上着脱ぐんですよ。奥さんも今汗かいてるのにグーっと握ってるかも知れん、ね。はははは。

参加者:
 ベースには何とか感じるものがあるようなんだけど。まだ自我が、昔のことで自我を持ってね。何とか融かしてやりたいんだけど。言っても駄目だから、よほど次元が上がって相手を包めるようになれば自然に緩和されるかなっちゅう。

ありがとうございます:
 焦る必要もないですもんね。自然に上着脱ぎますよ。はははは。

参加者:
 ありがとうございますシールを家に貼る、いっぱい貼る。うちの女房は、天風さんのところへ行くというとちょっと嫌な感じだったけど。ありがとうございますのところへ来る時は、何か「行ってらっしゃい」という感じ。「ありがとうございます」が応援してくれてる感じの空気になってきたんです。
‥‥ (寒そうにしている人がいる) ‥‥

ありがとうございます:
 寒い?「思いの服」をようけ着てるから。はははは。

 神さまがいろんな人を使って説いてくれている

参加者:
 天風会の人、僕もそうなんですけど。天風先生のおっしゃってることも、先生のおっしゃってることも全部基本のところでつながってるみたいですね。

ありがとうございます:
 そうよ。本当の神さまがいろんな人を使って説いてくれるのでしょう。根源は本当は一つですよね。
 ただ、その表現がちょっと、ちょっとぐらい変わってるぐらいでしょう。同じだったらちょっとね、みんな容れあわないと、変化にとばないと。

参加者:
 天風先生の時代の人と、今の時代の人とはやっぱり受ける側も違ってますよね。

ありがとうございます:
 そうね。ちょっと変わるかも知れないですね。だから変化していいんですよ。ちょっとは過去に戻らないと駄目ですもんね。はははは。タイムマシーン乗って。

参加者:
 どんどん進化していくんでしょうね。

参加者:
 また言うけど、これ縦横ぴちっとあっとるなあ。

ありがとうございます:
 見事でしょ。

参加者:
 今日は代表質問でバンバン。

参加者:
 そうですか。前のことは何も知らないから、今、自分が一番聞きたいことお聞きして全部答えていただいて嬉しかったです。これでやっと自分も納得して次に進めますから、いつもこだわってるとそればっかりぐるぐる思いがいってますので。ありがとうございます。ああ、今、素直に出ました「ありがとうございます」と。スッと出ますねえ。何とか言わんといかん言わんといかんと思ってないと出ないのに。

参加者:
 天風先生は、死後の世界を説かないんです。死んでからみんな経験できるんだから、今、生きてるときは、生きてることを一生懸命やれば。でも、僕らは死後のことや、生まれる前のことをもっと知りたいんです。そこら辺が今日お聞きしてわかってきたような気がしますね。やっぱりこの世で一生懸命やらないと、一瞬一瞬ですから、逃げたら駄目ですよね。

ありがとうございます:
 一つの番組からプラスを一杯発見するのもいいですよね。また、一つの番組にとらわれたら「それしかない」と思い込むのもおかしいのね。やっぱり無限にある、というふうに理解しておいて、それで今の番組からしっかり幸せを発見するのがいいですね。







ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神さまですよ。そういう意味だったら本物の神さまが必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神さまから来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神さまの教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神さまの教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神さまの働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神さまの働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神さまの助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神さまの本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神さまはどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神さまじゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神さまだけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神さまがみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神さまの働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神さまと一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神さまと一体なのです。本物の神さまの現われと見るんだったら「みんな天照大御神さま」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神さま、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神さまが入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神さまでないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神さまが働いている、本当の神さまのいわば分身として、すべての神さまが助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神さまに力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神さまを試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神さまの救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神さまの命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神さまの宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神さまの働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神さまに助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神さまから命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神さまの本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神さまの方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神さまは微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神さまの願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神さまへの全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神さまにお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神さまの光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神さまの譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神さまの愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神さまの最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神さまの大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神さまの絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神さまは全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神さまから加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神さまに加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神さまは「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神さまのプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神さまの助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神さまの深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神さまは戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神さまは放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神さまを悪者にしてしまうね。「神さまの御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神さまの御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神さまの御心のままにとは言えないのね。何%かの神さまの御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神さまの御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神さまのお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神さまのもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神さまやね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神さまへのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神さまが創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神さまが作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。


0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
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