カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

すでにある幸せに気づく

ありがとうございます:
 ありがとうございます。 「人の幸せ」というのは、感謝の心が深くなることなんですよね。今、この世に生まれさせてもらって、いろんな環境・境遇に置かれているのですけど、その中でどれだけ無限の幸せを感じ取れるか。これは感謝の深さに比例すると思うんです。折角与えてもらってる幸せにも気づかなかったら、感謝の心を起こせてないですよね。この世だけでも無限のプラスを発見しないと、本当は嘘ですね。もう幸せばっかしのはずなんですね、無限の幸せを既に与えてもらってますよね。一つ一つ数え上げたら、もうキリがないぐらい無限の幸せがあるんですね。それに気づいて、はじめて深い感謝になるんですね。 でも、ちょっと思い通りに生きようとするだけで、この感謝の心って忘れていくんですよね。自分の思い通りになって得られるものって、ごくわずかですよね。でも、神さまの与えてくださっている幸せって、この世だけでも無限の幸せが既にあるんですね。それに気づいたほうがはるかにはるかに大きい幸せですよね。

 例えば、健康一つでもそうですよね、病気一つすると、みんなは病気ばっかりを掴むでしょう。「私は不幸だ、不幸だ」というんですけど、そんなことはないですね。病気の箇所は一箇所ですよね、健康の箇所ははるかに多いでしょう。全身の細胞は全部病気はしてないですよ、ほんのちょっとだけ、マイナスの思いをかぶって消す働きをしくれてる細胞があるわけですね。その部分だけがちょっとマイナスの姿をとってるのね。みんなマイナスじゃないんですよね、みんなプラスの働きをして助け続けてくれてるのね。 この肉体の姿一つをみても、どれだけ幸せを発見できるか、計り知れないものがあるんですよね。だから、細胞一個一個に一回の「ありがとうございます」を言えたかどうか。言えないですよね、六十兆回言わないといけない。何億回言うのでも一生では不可能ですよね。でも、一回ぐらいは感謝の心を捧げるというのは必要ですよね。 そしたらプラスのものを数え上げるだけで、もう感謝せずにはおれないでしょう。一瞬の休みもなく、感謝し続けてこそ本当の生き方ですよね。

 この世でいろんな恩恵を受けてる、その恩恵の数って無限に大きいですね。本当は、もっともっと神さまの方から無限に大きい幸せを与えて続けてもらってるんです。この世だけじゃないんですね。この世は無限の中の一つにも満たないんですね。もっともっと大きい無限の幸せを与えてもらいながら、まだ気づいていないんですね。それはやっぱり感謝の練習を忘れてるんですね。もっともっと感謝の練習が必要なんですね。プラスを数え上げる練習、またマイナスを軽くしてもらってることを思い返す練習ですよね。

何故、感謝を忘れたのか

 何故、感謝を忘れたんでしょうね。不思議と言ったら、これほど不思議はないですね。 元々、神さまから分かれて出てきた自分は、感謝の心の自分ですよね。感謝の心の自分が感謝を忘れるというのはおかしいですよね、本当はね。本当は忘れてないんでしょうけど、表面をちょっと思いの心が覆ってるんですね。そうすると表面だけを眺めたら「ああ、感謝ができてないんじゃないか」っていうふうに見えるんですね。 この人間の体も汚れたら「ああ、汚い」と思うのね。でも、汚れを取ったらきれいですよね。だから、中身は汚れないんですね、表面に汚れがちょっとつくだけね。

 心も同じですね。感謝の心が本当の自分で、表面に思いがちょっと覆ってるのね。表面だけを眺めたら「あっ、私は感謝ができていない」と思うんですね。でも、そうじゃないですね、感謝の心は厳然とあるんです。表面の思いをちょっと放せたらいいんですね、そしたらスッと消えていく。 でも、思いの心って、どうしても小さい部分を掴んでしまうわね。「思い通りに」というだけで、一つしか掴まない、普通ね。この、掴むのが曲者ですよね。「思い通りに生きよう」というのを、やっぱり捨てないといけないですね。感謝の心で掴める幸せは無限ですけど、思いの心で掴める幸せは一つですよね。

逆境も順境も両方必要

 この切り替えの時期が何時かというのは、一人一人違うと思うんですけど。一旦は思い通りに生きようとして、小さい幸せを味わうんだと思いますけど。これでは本当の幸せは味わえないと気づいた時から、もう一度感謝を深くしていくんですね。 神さまの仕組みといういのは、もう奥深い、計り知れないものなんですよね。「最初から幸せだけにしてもらったらいい」という人もいてるんですね。苦しんでる時、困った時は大体そういうふうに言うんですけど。 「幸せな状態に最初から置かれたらどうか」と思うのね、そうすると感謝を忘れるんですね。

 例えば、毎日ご馳走を山盛りいっぱい与えてもらったら、みんなどうでしょうね。食べられる量の十倍ぐらいのご馳走を山盛りいっぱい与えてもらって、一日三食「食べなさい、食べなさい」と言われたら食べきれないですもんね。それで幸せを感じるでしょうかね。大抵、文句を言い出すんです「もう、入らない、もう要らない」と言う。そしたら、お腹を空かせたほうがいいんですよね。 「幸せが一杯」というふうにしてもらっても、あまり幸せが大きすぎたら受けきれないですよね。不足も出がちなんです。

 それを本当に心の底から感謝で受けられるようになるというのは、やっぱり感謝の心を本当に磨き上げないといけないですね。だから、最初からの感謝は、ダイヤモンドの原石みたいなものね、もう一回磨き上げるんですよね。 だから、一旦思い通りに生きて「思い通りに生きるだけじゃ、駄目なんだ」と気づいて、小さい幸せからもう一回感謝を積み重ねて、大きい幸せへ戻っていくんですね。 だから、順境も逆境も、両方必要だと思いますね。

根が張り出して花が咲く

 草花の種を蒔いてもそうでしょう。一粒の種を土に入れて、蒔いて、根が先ず出てきますよね。根を張って、それから地上部の芽が出はじめますよね。 根の働きというのは、光のない世界で、土の中には汚いものがいっぱいなんでしょう。そこへグングン根を張っていくんですよね。言えば、逆境に生きているんですね。逆境に生きて養分を吸い上げるんですよね。そして地上部がどんどん成長する。

 人もそうですね、人の心の成長も同じだと思うんですね。感謝の心の種を蒔かれても、逆境でこそ必要な養分を吸収して、そして地上部が栄えて、最後には感謝の花が開き実を結ぶんですね。 神さまが必要なものを的確に与え続けてるんですね。だから、無駄はないんですよね。「みんな必要なんだ」というふうに気づいたらいいだけなんですね。そしたら逆境にも感謝が深くなる。順境には勿論感謝が深くなるんですよね。本当に神さまの護りは計り知れない無限に大きいものなんです。ただ、それに早く気づけるかどうかなんです、気づく心に早く戻してもらえるかどうかですよね。 だから、苦労を早く先にしたほうがいいかもしれないですよ。

 「根」って大事ですよね、草花の「根」というのはね。木でも「根」が大事なんですね。「根」が弱い時に地上部が栄えたら枯れるんですよね。 特に、植木でも、植え替える時を考えたらよくわかりますね。大抵、植え替える時は根を切ってしまいますよね、きちっと根を掘り起こせないですから根が弱くなってるのね。その時に、地上部の分をそのまま植えると根のほうが弱いんですね。そしたら枯れてしまいますね。だから、根に合わせて地上部を剪定しないと駄目でしょう。逆に根よりも小さく剪定しないとね。そしたら枯れずに済んでますよね。

 だから、感謝の心が出てきてない時というのは、やっぱり感謝の根を先に張り巡らせるように、根のほうを大事にしないといけないですね。だから、苦労をするほうがいいんです、感謝の忘れた時は特にね。 そうすると、感謝の心の種は蒔かれて成長しつつあって、これは枯れずに済むんです。でも、苦労がなかったら枯れますよ、必ず。苦労も神さまから必要として与えてもらった大きいプレゼントなんですね。早く苦労をさせてもらうほうがいいんですね。

子供に贅沢をさせない

 今は、子供さんに対して贅沢をさせる親が多いんですよ。社会全体がそうですよね、社会全体が子供に贅沢をさせすぎてますよね、苦労を与えてない。これが、今、いろんな問題が起こってる一番の原因だと思いますね。 昔の日本は、先ずみんなに苦労をさせましたよね「小さい時には苦労をさせよ」とね。先ず「苦労をさせてこそ立派になれるんだから」ってね。そして親も子供と一緒に苦労をしようとしたのね。贅沢をさせようとは、あまりしなかったですね、昔の人は。だから、みんな立派になれた、心が立派になれたんですよ。

 でも、今の時代はちょっと生き方がズレて間違ったところがあるんですね。今は、国自体も大きい借金をしながら国民全体に贅沢をさせすぎたの。この借金をどうして返すのか、というぐらい大きい借金をみんなにさせてるんですね。借金してまで贅沢をする必要は全然ないですよね。特に子供に対してそうなんですよ。子供に対してこそ苦労を与えないといけないのに、親が苦労して働いて得たお金を無駄に与えたらあかんの。ましてや、借金してまで子供に贅沢な姿をとらせたら駄目ですよね。

 神さまのほうも、守護霊さんも守護神さんもそうですよね。感謝の心が深くなるのを願ってくださるね。心の成長を願ってくださるので、この世の物質的な表面の浅い幸せなんて相手にしてないですね。「心が早く幸せになるように」これを一番に願って護りについてるんですよね。 だから、肉体の親以上に、魂の親である守護霊さんは厳しいですよ。だから、物質的な幸せは与えようとしないんです。

 でも、親のほうは甘やかして、肉体の親は子供を甘やかして贅沢させようとするんですね。何かそれが幸せなように錯覚している人がまだ多いですよね。 でも、守護霊さんは、先ず感謝の心が早く深くなるようにしてあげたいのね。そして、本当に感謝ができるようになったら、必要なものは豊かに受けても大丈夫なんですね。もう、神さまの働きはみんな必要なものを豊かに与えてくるんですね。

 物に対してでも、感謝が深くできるのだったら、いくらでも豊かに与えてくださるのね。でも、感謝ができないのだったら、与えないほうがいいのね。だから、締め付けてくださるよね。 お金でも同じなんですよ。皆さんは、お金があったら幸せだと思うでしょうけど、違うんですね。お金があったら苦労が多くなる。

借金とは

 
大体、働いてお金をもらうでしょう。本当は、これはみんな借金なんですよ。働いたからもらっていいんじゃないんですよね。本当の働きというのは、恩返しの働きが本当の働きなんですね。神さまから、宇宙の全体から、みんなから幸せをいっぱい与えてもらってるでしょう。恩恵を無限に無限に受けているんですよね。 だから、それに対して恩返しをしようと思ったら、もうどれだけ働いて恩返しをしようとしても、恩返しはできないですね。万分の一は勿論、億分の一すら恩返しはできないですね。 だから、自分が社会に対してどれだけ恩返ししようかという、その気持ちさえあったらタダで働いても当たり前なんです。自分にできることを一所懸命して、そして社会へ恩返しするんですね。働いたからお金を要求するというのは、本当は間違いですよね、根本的にね。

 お金をもらった時は「新たな借金」というぐらいがいいんですね。そうすると、お金を沢山持った時は大きい借金なんですよ。「儲けすぎ」というのは借金を沢山もらったことになるのね。高利の借金かもしれないですよ。 だから、儲けすぎて幸せになるんじゃないですね、儲けすぎたら心に借金をいっぱい背負うんです。この借金が「思い」という姿でかぶさってくる。 見てたらわかるでしょう、世の中を見てたらね。ぼろ儲けしてがめつい人というのは、みんな思いが溜まってるからなんですよ。欲の心・思いがいっぱい溜まるんです。 でも、あまり儲けてない人、儲けすぎない人は思いをかぶらないから心がまともになりやすいですよね。

 これと同じで、人からいろいろお世話をしてもらうでしょう。親から子供がいろいろ助けてもらったり、世話をしてもらって、贅沢をいっぱいさせてもらったら、これも借金なんですよ。子供が思いをいっぱい背負うんです。 だから、今の子供は贅沢をさせられてるので、贅沢しすぎなんですね。周りの人からも、国全体からも思いをいっぱい背負ってしまうんですね。思いの心は感謝の心と正反対ですからね、だから感謝しない、文句を言うんです。それで我が侭になるでしょう。贅沢をさせすぎたために、大事な子供を我が侭に、親不孝にしてしまってる。 極端にいうと、何も与えないぐらいがいいんですよ。食べ物もあまり与えすぎたっら駄目なのね、一日に一食でもいいかもしれない。偶に断食をさせて、山に一週間ぐらい一人で放っぽり出すというのもいいかもしれない。サバイバルゲームに参加しなさいって。自分で山の中を駆けずり回って食べ物を探すでしょう。「食べられるものはなんでも食べよう」という感じで一週間ぐらい生活すると感謝が深くなるんですよ。 本当はそうですよね。だから「逆境に置かれる」これが一番の感謝を深める絶好のチャンスなのね。

ありがとうございますの耐乏生活

 私も小さい時から耐乏生活をいろいろさせてもらったのがよかったんですね。私の父が霊媒体質で、若い時に、財産家に生まれたから、そういう関係で親も兄弟も全部早死にして、自分は財産だけもらって贅沢三昧、放蕩三昧ですよね。お酒も沢山のんで、体をボロボロに壊してしまって、これは絶対助からないという状態に置かれて、神懸りになって命を助けてもらったのね。その後いろいろ修行して人助けに生きるようになったんですけどね。 でも、小さい時からの贅沢の習慣ってなかなか取れないですよね。大人になってもその癖が出てくるでしょう。だから、その修行のために、今度は苦労に苦労をしたほうがいいんですよね。だから、断食したり、滝に打たれたりして「神さまのお手伝いをせんならんから」ということで、いろいろ修行させてもらったんですけど「そんなんでは駄目だ」というのね「本当の修行にはならんぞ」というわけですね。「これから本当の修行をさせるから」っていうのが‘耐乏生活’なんですよ。

 家族を持ちながら、子供が四人いてて、そして仕事は時計屋をしてたのを辞めさせられて、そして安い内職だけはさせてあげるということでね、収入がほとんど無いですよね。そして、家も売ってしまって家財道具も全部質に流して、商品の時計までお客さんが来ても買ってくれる人は一人もないからね。本当「時計屋を辞めなさい」と言われた時からね、ピタッと止まったんですね。修理を頼んでくる人も、時計を買いに来る人もピタッと止められてしまってね。この辺は凄い神業なんですけどね。それまでは、毎日十ぐらい修理の依頼があったのに、本当に止まったというのはピタッと止まるんですね。大事な時計まで、真鋳と鉄くずにより分けてくず鉄やへ売ったんですよ。そのぐらいどん底に置かれて、有るものを全部無くしてしまうわけね。

 そして、知り合いの家のトタン張りの六畳ぐらいの物置を借りて家族六人が生活するでしょう。布団も何も無いんですよ、藁布団をかぶるんですよね。 着替えは無いんです、みんな着たきりスズメよね、着替えのシャツ一枚無いんですよね。繕い糸も無いんですよね。石鹸なんかは無いし、水は無いでしょう、もらい水しに行くんですよ、電気も無いしね。そこで生活するんですよね。それで、内職をしても安い、一日一食分の小麦粉が買えなかったのね。小麦粉があの当時は一番安かったから、お米なんかはとても高いから買えない。小麦粉が一番安かったから、小麦粉を一食分ぐらいなんとかと思って一所懸命内職するんですよね。でも、買えないぐらいよね。

 そしたら、どうしたら食べ物が手に入るのか。野菜屑を探し回るのね。畑をしているところへ行ったら、野菜屑が放かしてあるじゃない。その中からいいのを選り分けるのね。ちょっとでも食べ物になるものを探して食べるわけね。冬なんかはあまりないから、野菜はほとんど枯れて無いでしょう。そうしたら何を食べるかというわけね。川へ魚を獲りに行かないとね。でも、寒い時はあまり獲れないね、だから凍ったところを、溝なんかの氷を割って、中の土のドジョウなんかをよく獲ったのね。冬の食べ物はドジョウよね。 でも、それがいいのよね。小さい時の苦労というのが一番いいんですよね。贅沢になれてるとちょっと大変ね。

 私も幼稚園の時はちょっと贅沢だったのね。ネクタイを締めて幼稚園へ通ってたから、あっはははは。小学校の三年ぐらいから厳しくなったね。だから、贅沢に慣れてるとちょっと大変よ「恥ずかしい」という気持ちが起こったのね。他の子と同じことをやっぱりしたいという気持ちがちょっと残ってたのね。 全く他の子と違うことをさせられるでしょう。学校へ行っても給食も食べられないでしょう、給食代を払えないからね。みんなと別行動よね。遠足なんかは一回も行けなかった、遠足代が無いから行けないね。 映画鑑賞だと言っても、映画代が要るから、払えないから一人残って自習しないと駄目でしょう。 服装でも、いろんな時はきれいな服を着て行くわね、みんなね。それでも一枚キリのボロしか着れないから、これも同じ真似はできないね。でも、これがもの凄い助けになってるのね。

 普通は、みんな周りの人の考え方、見方って、みんな気にしすぎるでしょう。「あの人がどう思うかもしれない」と思うじゃない、みんなね。 でも、私の場合は、どんなに思われてもどうしようもなかったからね。だから、周りの人の気持ちを相手にするという気持ちが消えてしまったね、消してもらったのね。虚栄心よね、これは虚栄心を消してもらえたのね、それでね。これが私にとって一番徳をしたことなんよね。 もう、周りを一切気にしなくなった時に、心が本当に安らぐよね。これは、もう小さい時にそれをしてもらったのね。

 それで「最低生活」というのは、やっぱりありがたいよね。先ず、贅沢してないというのは、思いをかぶらないよね。そして、自分のちょっとした食べ物でも内職して働いて手に入れてるでしょう。その分、親の思いもかぶらずに済む。 思いをかぶらなかったから感謝の心が自然に湧き出て、小さい時から感謝をさせてもらったんだと思うのね。神さまが感謝ができるように護ってくださったのね。この護りって凄いと思う。 親だけだったらきっと贅沢させてるね。幼稚園でネクタイ締めさせたように、背広を着せて幼稚園へ通わせるんだから馬鹿よね。そして欲しいものを何でも買い与えてくるもんね。 これは、守護霊さん・守護神さんだから厳しくしてくれて、そして護ってくれたのね。親の甘い生き方を徹底して叩きつぶしてくれたのね。きちっと締め付けて子供の成長を本当に願ってくれたのね。だから、神さまの方が力があるのよ。

 私の両親も、小さい時にやっぱり苦労してるよね。親を亡くして孤児的に育って、いろんな苦労をしてるから、神さまには素直なのね。神さまが命令してくると聞かずにおれないというところがあったから良かったのね。神さまに逆らってたらどうなってたかわからないけどね。これも、やっぱり苦労をしたお蔭かもしれないね。 だから、苦労は先にするほうがいいですよね、どんな苦労もね。これは、守護霊さんが与えてくれてるの「早く感謝が深くなるように」ってね。 でも、みんな、守護霊さんの本当の気持ちをわからずに、お金が無い時に「お金が欲しい」というのね。病気をしたら「病気を治して」と言うんだけど、逆ね。先ず感謝の心を先に育てないといけないよね。感謝の心が育ったら病気は瞬間に治るの。お金でも必要なお金をサッと入れてくれるのね。

 もう、守護霊さんの徳の力って凄いから、お金でも何億円でもサッと入れてくれるはずなんよ、守護霊さんの徳の力だったら、必要なところからサッと入ってくるのね。 でも、まだ感謝の心がまだ深くなってない時は、入れてくれない。これは思いがかぶさってきて邪魔するからね。思いに負けたら感謝の心は隠れてしまうじゃない。これが一番の不幸の原因になるからね。 だから、感謝の心が深くなって、輝きが強くなったら、少々の思いはなんでもないでしょう。瞬間に消えるもんね。それだったら、何を与えてもいいというわけよね。お金でも物でも何でもいっぱい与えてくれるね。早くそこまで行かないと損なんよね。

今置かれた状況に感謝しよう

 だから、「逆境に置かれて本当の幸せ」なんよ、そこで感謝の心を養うのね。 順境に置かれても、深い感謝になってないと「当たり前」という感覚じゃ。まだ感謝じゃないのね。順境に置かれた時に、感謝ができるようになたってたら本物よね。その人は何を与えてもらっても思いをかぶらない、かぶっても瞬間に消してもらえるから、幸せが失われることはないのよね。 いつも守護霊さん・守護神さんの愛の計らいって凄いから、人の思いや願いをはるかに超えてるわね。今、置かれたままが、本当はそのままでいいのよね。必要なものとして、必要な勉強材料として今与えてもらってるね。だから、それをプラスに受けて感謝できたら卒業して行くのよね。だから、もうなんでも感謝するほうがいいよ。もう全てに「感謝、感謝」よね。
 
 病気をしたら「病気さん、ありがとうございます」がいい。貧乏をしたら「貧乏さん、ありがとうございます」よね。意地悪な人が出てきたら「意地悪な人さん、ありがとうございます」でいいのね。感謝ができたら、もうそれで卒業して行くのね。そしたら直ぐにマイナスの姿は消えてしまう、直ぐに無限のプラスが降り注ぐような感じで、全部プラスに置き換えてくるのよね。だから『苦労をした人が感謝が深くなる』ね。 皆さん、苦労は先にしてるよね、いっぱいね、だからここへ来られたのよね。苦労をこの世でしてなかったら、過去世でかなりしてるはずよね。苦労をしてるからこそ感謝の心を深くしてもらえるんでね。後、質問があったら、なんでもしてください。


質 疑 応 答


  マイナスを感じる時は思いの心

質問:
 「ありがとうございます」を唱えることによって、好転反応というのか、マイナスが噴出すことがあるのでしょうか。

ありがとうございます:
 
形の上ではマイナスが出る可能性もあるでしょうね、そのほうがいい時ね。形のマイナスが感謝を深めるのに役立つ時は出ますよね。全部人によって違いますね。 普通ね「ありがとうございます」を唱える目的、これは段階に応じていろいろよね。思い通りにしたいから、思いを叶えて欲しいからって唱えはじめる人が多いでしょう。これは浅い段階よね。 でも、その時でも「ありがとうございます」を唱えたら、思い通りに生きようという思いを消そうとするの、神さまはね。だから、思い通りにならんという時があるの。思い通りにすると、また思いがエスカレートしてくるでしょう。だから、思い通りにならないようにしてくる場合があるね。その時はマイナスに思うのね。本当は「なんでも願いを叶えて欲しいのに願い通りにならん」これはマイナスかというと、そうじゃないね、思いを消してくれてるの。 普通、思い通りに生きようという思いが強いのね、それを消してもらうと感謝がしやすくなるから。そういう意味のマイナスになる時はあるのね。 でも、思いが軽くなってきたらプラスがいっぱい出てくるね。奇跡というふうに見せてもらうのがいっぱい出てくるけど。


          奥の自分から出発する    

質問:
 ありがとうございますは感謝行を始めて何十年にもなられるのですが、なさろうと思われたきっかけと、神様を感じるには、感謝が必要だということはどういうことか教えてください。

ありがとうございます:
 私が今までいろいろ体験談を話するのは、みんなに合わせてさせてもらうのですけど、本当は逆なんよね。宇宙いっぱいの私が先にいてて、その自分が合わせて降りてきたの。だから、最初から無限の無限の感謝をしている自分があったのね。その自覚はあるの。だから、三歳の時から感謝ができてたの、生まれた時から。今はもっともっと感謝の深い自分の意識で、天地を貫く光の柱になって下りてるけどね。

 だから、肉体は一つの道具みたいなものだけど。だから、肉体の自分として生まれて修行してないの、私は全然ね。最初から感謝してたの。だから、いろんな出会いも別に自然にさらさら流れるような感じでしか見てないし、修行も勉強もしてないね、私の場合はね。 ただ、感謝行は奥からずーっと響いてきてて「させられてた」という感覚よね、肉体の自分としてはね。だから、いろんな苦労が苦労に感じなかった、全然ね、ありがたいばっかしだった。どんな苦労も苦労になってないね、苦労に感じないね。もうありがたいばっかしの気持ちでずーっと今まで来てるから、それも感謝の心でそういうふうにしてもらったんだと思うね。

 皆さんも同じなんだけどね、奥の自分から出発したほうがいいよ。
肉体の自分を掴みすぎると思いの心になるからね。だから、悟った自分があるの、元々ね。その自分が必要に応じて降りて来てるという感覚ね。それも「本心の悟った自分が一瞬一瞬降りてる」という感覚でもう一回自分を見つめるほうがいいよね。そうすると、ガラッと考え方が変わってくるね。 「感謝しよう」じゃなしに「感謝している自分が降りてきてる」ということね。


 子供は親を幸せにする天使

質問:
 養護学校に勤めているのですが、子供に力があるからそういう形で生まれるとおっしゃってるのですが。現実に学校という場におりまして、お母様方にもそういう力があって‥‥、ということがなかなか通じなくて。そういう子供たちに良いようにするには、どうすればいいのかをお聞きできればと思います。

ありがとうございます:
 世の中の人は、自分の思い通りに生きたい、自分の願い通りに生きたいわけよねえ。だから、思い通りにならないことをマイナスに見て、それを苦に感じるよね。でも、逆に見たほうがいいのね「みんな自分のマイナスの思いを身代わりに背負ってくれてる」というふうに。 だから、親の立場から子供をみる場合でも「親が自分の思いを子供に背負ってもらって消してもらってる」とみればいいね。本当は子供って、神さまが親なる自分を幸せにしようとして天から舞い降りてきてくれてるのね。そして一瞬一瞬姿を変えながら幸せを大きくしようとして働いているわけね。だから、どんなマイナスの姿をとっても、親のマイナスを背負って消してくれてる働きね。それを愛の神さまがしてくれてるのね。 「こんなにも自分の思いを身代わりに取って消してくれてるのか」と、こういうふうに感謝すると思いをどんどん大きく消してもらうでしょう。その思いが消えた段階で、子供は愛の天使の姿をサッととるのね。形までプラスの大きいプラスの姿をとってくれるね。
 
 だから、みんな同じなんだけどね、
自分の思いを消してもらうのが先なのよね。そして、神さまの愛を感じ取れるように変えてもらうために、いろんな姿が必要な姿で出てくるのね。 マイナスの姿で出てくれる時はね、これはみんな自分の思いを消してくれてる時なの。周りの人みんなが身代わりになって、自分のマイナスの思いを消し続けてくれてる神さまの働きなのね。これにちょっと感謝の心を向けただけで、大きく思いが消えるのね。そしたらマイナスが消えて行くのね。 自分の身近な周りだけじゃなしに大きく見た方がいいんだけど「世界のマイナスの全てに自分のマイナスを消してくれてる姿」と見る方がいいけど。そうすると、小さいことにひっかからなくなったら、感謝がしやすくなるの。 小さい部分にとらわれると、やっぱり思いの心になりがちよね。すると感謝がしにくいね。極端だけどね「世界のマイナスは全部自分の思いを消してくれてる姿」ぐらいにみたら、自分の子供のマイナスには引っかからないね。「これも神さまの愛の助けなんだ」と思えたら感謝がしやすくなるね。そしたら、直ぐに変わるよ、形はね。


 子供にどう教えたら良いのか

質問:
 九歳、六歳、三歳、0歳の男の子四人を育てています。考えていることがごちゃごちゃになってしまうところがあります。朝にありがとうございますのテープを聞かせてもらいながら掃除をしたり、子供たちがいろんな思いを出してきたら、こちらがぐちゃぐちゃになった時は、とにかく穏やかになりたくて、ちょっと離れたところで「ありがとうございます」って言ったりしているのですけれど。こういうことでいいのかなと、今つまっているところがあります。先ほど「子供には贅沢をさせない」というお話がありました。私自身も我侭で贅沢に育ってきましたので、贅沢はあまりさせたくはないと思うのですけども、頭でいろいろ考えてしまいます。

 例えば、おもちゃを買うにも、誕生日まで待ったほうがいいかなとか、それが言えなくて、頭だけで考えていて疲れてしまいます。でも「ありがとうございます」を念じていたら、自然にそれがまともになってくるのか、その辺をお聞きしたいのですが。 子供たちにも家の手伝いをしたほうがいいんじゃないかと思って言いたいのですが、でも自分がやれたらいいと思ってやってしまいます。そうすると子供にさせることがなくなってしまいます。子供を背負っていたら、背中が痛くなるので「お母さんは背中が痛いからできない」と騙したほうがいいのかなと思ったりします。その辺もうまくやれないで、頭で考えているだけです。こういうことを言っても反応は悪いかなとか、どうせ嫌がるだろうなというのが見えてしまって。それだったら自分で楽しくやっていたら、その姿を見て真似をするかなとか思ったり、その辺のアドバイスをお願いいたします。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を心に唱えてたら、思いが消されて神さまの心が自分の心になって現われてくるんで、神さまの心に沿った生き方がとりやすくなるね。何が正しいか間違ってるかを判断できるようになるね。だから「ありがとうございます」を唱え続けるのが一番大事ね。 「子供には贅沢にさせてはいけない」ということに気づくのも、感謝してこそ気づくのよね。唱えているうちに、その正しい生き方が自然にとれるようになるよね、全てに対してね。 そして、子供さんには嘘をついてでも苦労を、仕事をさせたほうがいいよね。

 私の母が小さい時から苦労をしてるから、小学生の頃から人の三倍ぐらい働いてるね。男の人の三倍ぐらいの仕事をしてるのかな。朝早く起きて蚕の世話をして、旅館があって旅館のお世話をして、朝学校へ行くまでに沢山の仕事をして。食べ物でも一日に食べるのも立ってしか食べられないぐらい忙しかったみたいね。 走って行って学校へ通うでしょう、終わったら直ぐに帰って、また仕事をして、いっぱいするのね。だから、私の母はもの凄い働き者、癖になってたからね。私たちが物心ついて苦労をしたほうがいい時に、自分で全部仕事をしてしまうでしょう。それを「これは駄目だ」と言うのね、神さまの方はね。「子供に仕事をさせないで自分がしてしまったら駄目なんだ」って何回も言われてても癖になってるから、なかなか改まらない。それももの凄い早いからね、仕事が。ササッと片付いてしまうでしょう。そしたら子供がするのが無くなるのよ「それでは駄目だから」ってね、そしたら神さまは「なんで言うことを聞かんのだ」と言うわけね。「そうしたら動けないようにするぞ」って、動けないようにさせてしまうのね、病気になるの。病気になると動けないよね。そうすると、子供はそれがプラスなんよね。 母が病気をしてると、一所懸命お手伝いをしようとするのね。

 私もそうよね、小学校三年生頃には、ご飯炊きが上手にできたのね。洗濯もできるし、なんでもできるようになってたよ。繕いもできたの、なんでもさせてもらうのね。 「小さいからできない」と違うね、小さい時にはみんなできるはずよ、能力が高いのよ。ちょっと教えてもらったらサッとできるようになるから。だから、仮病を使ってでも、子供にいろいろしてもらうほうがいいよ。親孝行になるね。

質問者:
 仮病を使って「お母さん、腰が痛くて動かれない」と言おうかなと思いながらでも言えない。

ありがとうございます:
 本当に病気になる前にしたほうがいいよ、はははは。


 
ありがとうございますの笑顔のわけ

質問:
 子供に聞かれたのですが、ありがとうございますはいつもニコニコしてるのはどうしてですか、と聞くのです。

ありがとうございます:
 幸せだから。(笑)「ありがとうございます」を唱えてると幸せにしてもらえるからと言うておいて。


         お祭りの光の柱                

質問:
 玉響の写真を見せていただきました。救世の光明霊団ということがしょっちゅう出てました。その光明霊団の光じゃないかと思うのですが、どうですか。

ありがとうございます:
 一つの宗教運動って起こるでしょう。その運動にいろんな高級な神霊が応援につくのね。いろんな運動の系統が沢山あって、それぞれに相応しい護りが加わるのね。 でも、今回のお祭りのは別ね、もう一つ凄いね。宇宙の大神さま直々の大きい働きとして下りてるからね。だから、宇宙の全ての神さまが馳せ参じるぐらいの無数の高級な神さまが応援についてくれたね。


 マイナスを持って生まれる子は菩薩様

質問:
 私は養護学校で仕事をする時に、子供たちに対しては「ありがとう」という気持ちと、子供たちが少しでも楽しいという、そんなふうになるように。怒るのではなく、どうして自分は悪いことをしたのかなということがわかるような感じで接しているのですが。どんなふうに接していくのが一番いいでしょうか。

ありがとうございます:
 最高の生き方は「みんな神さま」と拝むことね。一人一人を「神さまの現われ、最高の神さまの現われ、みんな無限に輝いている」と拝みあげることね。 現実を掴んで見るんじゃなしに、最高の姿と置き換えるような気持ちがいいよね。 「みんな無限に無限に輝いている」というふうに、新たに新たに受け直すのが最高の生き方ね、拝む生き方ね。そうすると、周りがスーッと良くなっていい姿を見せてくださるね。「拝む修行の場なんだ」と見ると、感謝がグーンと深くなるよね。 だから「現実のマイナスを変えよう」なんて思わなくてもいいよね。「拝みあげる修行」というふうに見ると、感謝がグングン深まるのね。 マイナスの姿を見せてもらった時に、そこへ心が向くでしょう。その時は「感謝の練習、修行の時だよ」ということを気づかせてくれるのよ。順調に行った時は、みんなそれで喜んで当たり前だから、感謝を深くしようとしないのね。でも、マイナスが現われた時ほど「感謝をしなければ」となってくるでしょう。すると拝む練習になるのね。拝む修行が一番幸せになるね。 「みんな神さま!」と拝むのね「みんな無限に輝いている、ありがとうございます」って。

質問者:
 毎日拝めます。

ありがとうございますん:
 いっぱい拝めるでしょう。それが自分にとったら一番の最高の幸せへの道なのね。そしたら周りがガラッと変わるから。

質問者:
 拝んで拝んで拝みたおす。

ありがとうございます:
 そうそう、それが一番最高の生き方ね。

司会者:
 障害を持っている人は何もしなくても周りの皆さんがしてくれるから、それぐらい徳を持たれているというような話もあります。だから、そういう方を「菩薩様」というふうな形で周りの方がすると、本当に力を持たれているので。厄介者ではなくて「菩薩様」という形でされると、全体が良くなるという、本当にそうらしいので。何もできない方を皆さんで応援するというのは、それぐらい力があるんですからね。

ありがとうございます:
 マイナスを持って生まれてくる子供さんはね、これはいろいろだけど、みんなが徳があるとは言えないけど。もし徳がなかったらマイナスを持って生まれても周りから虐待されるの、必ずね、徳が無い場合ね。 でも、徳がある子は、周りからお世話してもらうでしょう。だから、徳のある子というのは力があるよ。感謝をすればするほど凄い力を発揮してくれるよ。元々、みんなのマイナスを背負って出てきてるから、それで障害の姿をとってるだけね。これも、この世の人のだけじゃない、あの世の人の分まで背負いながら、みんなを救うために障害を背負ってるの。だから、本当は感謝されて当たり前なんよ。みんなからお世話をしてもらっても当然なのね。そのぐらいの徳を持って生まれてくるから、感謝すればもの凄い力を発揮してくるの。幸せなところにいるのね、徳の高い人の中に入ってるのね、みんなね。

参加者:
 養老院で、何もしないでいる人がいますが、そういう人も周りの人の為なのですか。

ありがとうございます:
 それもあるけど、やっぱり、お年寄りも自分のできることを一所懸命して尽すほうが幸せなのね。

参加者:
 でも、寝てご飯を食べてるだけ、何もできなくても「大好きよ」と言ってニコッとされますね。

ありがとうございます:
 そういう人はお年寄りでも立派な方よね。救世の光明霊団周りの人の思いを消してくれてる働きをするのよね。

参加者:
 何かお役目があるんだろうと思うのですけど。

ありがとうございます:
 お年寄りもいろいろだけど、そういう人は立派な人よね。

ありがとうございます。








【古神道につて】
悟った自分を生きる

司会者:
 今日は、皆さんからのご希望が多かった「古神道」についてお話していただきます。

「教え」と「道」

ありがとうございます:
 「古神道」という言葉を聞かれて「神道の古いもの」ととらえる人が多いですよね。でも全然違うんですよ。 「古神道」の「古」というのは「十」に「口」でしょう。「口」というのは言葉、言葉を超えて縦横無尽の働きをするという意味があるんです。だから「教え」というのではもう駄目なんです。教えは言葉ですよね、口なんです。教えをを超えてないとね、そして縦横無尽の働きがないといけないですね。本当の神さまというのはそうなんですね。

 これは、丁度、太陽と月と地球というふうに例えると、今までの宗教の七つの系統の教えが地球上にあって、それぞれに素晴らしいんですよね。時代時代で光の輝きの程度が全部違うんですけど。これは全部、月の明かりなんですよね、月明かりの働きね。お月さんの光も素晴らしいんですよ、闇を照らす働きなんでね。その月明かりには満ち欠けがありますよね。空に雲がかかると隠れたり、いろいろしますよね。時代時代でいろんな宗教が現われては、その光の程度が全部違ってたのね。今までの教えは全部‘月明かりの教え’ね、方便なんです、方便の教えなんですね。

 本物は太陽なんですよね。太陽の光が月に反射して地球に到達しているだけね。本物の太陽の光を浴びた時が本物の生き方なんです、神さまの本当の光が降り注いでるという姿ね。「古神道」というのは、例えたら太陽なんですね、月明かりはいろんな教えなんですね。 これ面白いのは、日本では「神道」というでしょう、他のいろんないろんな宗教はみんな「教え」なんですよ。仏教、キリスト教、イスラム教、道教というのもそうでしょう。「神道」というのは道でしょう、教えじゃないですね。ここがまた不思議なんですね、

 日本に「神道」があるでしょう。「神の道」というのは、神さまが「道」は離れているものを全部つなぐ働きでしょう、道路がそうですね。全てを一つにつなぐ働きね。それでいて「道・みち」というのはみち渡ってる、全てにみち渡ってるという。神さまが全てにみち渡ってる、神さまが全てを一つにつないでるという。日本はそういうのを自然にとらえてたのね。だから「神道」といえる、自然で当たり前なのね。 ただ、神道といろんな教えと同列にみんな見てしまいますよね。それでは本当の意味がわからないので、もう一つ奥へ入るという意味で「古神道」なのね。 「古い」というのでも「一番根源の」という意味だったら正しいですね。‘一番大本の’というふうにとらえると、無限の昔から存在し続けてるという。そういう意味の「古い」というのだったら、また意味もあるんですよね。「古神道」は本当の神さまの働きを全て受ける生き方ですね。どんな教えを信じてても、まだ神さまの全体はとらえてないんです。

 キリスト教を信じてるといっても、イエスさんの愛の教えを信じて、愛の大犠牲精神を目の当たりにしても、神さまの全体像じゃないんですね。ほんの一部、まだまだ小さいですね。神さまの本当の全体像・全体の働きは、はるかにそれを超えて無限に無限に大きいですね。だから、本物の神さまをとらえる生き方が「古神道」ね。 でも、これからが本物の時代でね、古神道の時代になるんです。昔に帰るんじゃないですよ、本物に帰るのね。全ての根源をとらえる生き方になるんですね。

一番下から一番上を見上げる生き方
            
 「古神道」の特長ってどういうものがあるかでしょう。 先ず、神さまの全体像というのは、凄いですよね。先ず、神さまは無限の無限のチャンネルを与えてきてるというのはもの凄いことでしょう。この世の一つのチャンネルじゃないんですね、無限の無限のチャンネルとしての宇宙を与えてる、スケールが大きいですよね。 その表現を見ると、一元に輝いてるのね。 光だったら「光一元」という、闇の極から虚の小さい光があり、また虚の大きい光になって、また実の小さい光から実の大きい光までという、光一元に無限に無限に輝いてる姿ですね。 「一元に輝いてる」というのは凄いことですよね。普通は、二元的に見やすいですよね。 「善と悪」があるとか「光と闇が」あるとか、そういう二元的にどうしても見るんです。でも「一元に見る」というのは凄いことですね。一番下から一番上を見上げる生き方ね、一つに見る生き方って凄いでしょう。これは古神道の一つの特長ですよね。

     古神道の一つの見方 
       一大交響楽団

 もう一つは、バラバラには絶対見ないですね、全部一つに見るんですね。全て一つの神さまの現われというふうに、一つの神さまの表現なんだという、これも凄いですよね。だから、相対的に対立させないですね。 いろんな教えは対立するでしょう、並列的に並べると対立するんですね。でも、一つの神さまの現われとしてすべてを見るというのは、本当に凄いことなんですね。 神さまの全体像をとらえたらそれは見えますよね「一つの神さまの表現、全て一つなんだ」とね。これも古神道の見方の一つですね。

 「大調和」という言葉は凄いですけど、いろんな段階の調和がいっぱいあって大調和ですよね。 でも、古神道は「一大調和」という、もう一つ「一」をつけるの。一つに統一されてるという意味を強調して「一大調和」というのね、古神道のあり方というのはね。 また「一大統一されてる」という見方ですよね。大の上にもう一つ一をつけるといいですね。全て一つになってしまいますからね。難しくないですね、これね、一番単純に戻るのですよ。阿保(阿を保つ)になるんです。

 「古神道だから宗教か」というと、そうじゃないですよ。宗教ももちろん、科学も芸術もありとあらゆる全ての分野を一つにするんですね。それも対立させないんですよ「宗教と科学」というふうに分けない「みんな一つ」と見るんです。 「宗教」と見たときは、宗教の中に科学も芸術もありとあらゆるものが全部含まれるね。バラバラに見てたら違うんですよ。全体を、本当に全ての働きを一つに見るのが古神道の見方ですね。

 でも、本当はみんなそうよね、そういうふうに見たいと思うはずですよね。ただね、神さまのスケールがあまりにも大きいでしょう。大きすぎると全体をとらえたと思っても浅くなる、小さくなるんですよ。表面だけを見てしまったり、どうしてもとらえ方が違うんですね。それでもう一回全体をとらえる前に、部分部分の勉強があったほうがいいでしょう。 丁度、一大交響楽団があって、いろんな楽器をそれぞれに分担して演奏するわけでしょう。全体を聴いているときは「ああ、素晴らしいな」という感覚だけでしょう。何がどういう楽器で演奏されてるのかは判らないですね、音だけを聴いてもね。 でも、部分部分をしっかり勉強を先にするとよくわかりますよね。

 例えば、バイオリンだったら、バイオリンの勉強をいっぱいしておくと、バイオリンの音色はこういうものだというのがわかったら、その中にバイオリンの音色が流れているのに気づきますよね。 だから、部分部分の勉強って、これも必要なんですよね。最初は、先ず部分の勉強を順番にして行って、そしてもう一回全体を束ねて一つを見ると、また見方が変わりますね。最初は漠然と全体を見てるんですね。 漠然と見てたのが、今度は中身が濃く感じられるでしょう。そういう勉強の繰り返しも必要なのね。 部分に戻って、また全体に戻って、また部分に戻ってというふうに、その繰り返しで中身がドンドンドンドン濃いものになりますよね。だから、神さまのとらえ方が大きく深くなっていくんですね。そういう生き方も古神道の生き方ですよね。

  感謝だけの生き方⇒古神道の信仰のあり方          
              過去の全てを心から放す(一瞬一瞬新たに受けなおす・・初めて受け取るものとして)

 そして今「ありがとうございます」という感謝の言葉が出てきてるというのも、本物の時代は必ずこうなるんだと思いますけども。「ありがとうございます」という言葉が、神さまの働きの全体を指し示している言葉ですね。この言葉が出てきてるということは、神さまの全体を一人一人みんながとらえる時期になってるのね。 部分部分にとらわれるのじゃなしに、全体を一つにとらえる時期になってるんだという意味ですね。

 今までは、思い通りに生きようという生き方が主流だったんですね。「自分の思い通りにしたい」という生き方だったんですけど、これは部分をとらえる生き方ですよね。 「思い通りに」というのは、小さい部分をとらえて、それを思い通りに自分のしたいようにしたいわけで、全体を動かす生き方じゃない、全体をとらえる生き方じゃないですね。 「思い通りに」というのは、必ず小さい部分しか掴めないんですね。その生き方を捨てた時からですよね、全体がスッと感じられてくる。

 「ありがとうございます」という言葉が出てきたのは、神さまが、全体像が皆さんの中にスッと入る時期になったんですね。古神道の信仰というのは、感謝だけの生き方なんです。感謝だけして神さまの全体をとらえるですね。だから、思いは一切出さないんです、思い通りも願い通りもないんです。全て、そういうのは捨てきって、思いを捨てきって感謝だけになると、神さまの全体像がスッと中から感じられるんですね。 感謝の心に成りきったら古神道の信仰のあり方なんですね。だから、阿保に成りきる信仰、賢いとあかんのよ。賢いというのは過去をよく覚えていますよね、記憶力がいいじゃない、過去を掴みすぎますよね。過去の全てを心から放すのが大事なんですね。

    思い通りにしたい心    
             
 思いの心というのは、過去を掴んで記憶として残るんですね。思いが消えたら過去は覚えてないですよ、皆さんね。全部忘れてしまうんです、消えて無いんですね。 でも、それで損をするのかというと、そうではないですよ。過去の全部を放して、捨てて、消してもらったら、常に今新たに無限の無限の輝きが一杯!という姿で、宇宙が目の前に現われるんですね。これが本当に一番幸せなんですね。いつも無限の無限の幸せが一杯!という心境になるんですね。 でも、そこまで行かないのは思いがあるから、思い通りにしたいから小さくなっていくのね。

 思い通りになんでもしたいというのは、五欲の心と同じですけど。「これが自分のもの」と思うだけで、それだけが自分のもので、他が自分のものではなくなるのね。「自分のもの」と思うから、小さいものを「自分のもの」と掴むから、他の全てが自分のものではなくなってるだけね。勝手に自分が境を置いてるのね、垣根を置いて自分のものを小さくするだけでしょう。自分のものを無くしてしまったら宇宙全部が自分のものになるんですよ。

 神さまは宇宙の全てを与え続けてくるんですね。だから、自分が垣根をつくって拒絶しなかったらいいだけで、一瞬一瞬神さまのプレゼントを受け続けるだけよね。だから、こんな幸せはないでしょう、本当はね。 無限の無限の幸せが無限に無限に一杯!という姿で神さまが与え続けてきてるのね。今、現にそうなんですね、ただそれに気づいているか気づいていないかの差ね。 これは「思い通りに生きよう」とする人には気づかない。「感謝に生きよう」としたら気づくようになってくるね、中から湧きあがるように気づくのね。

  「教え」に縛られている 

 だから、今までの教えを信じて生きる宗教信仰というのは、みんな教えに縛られるんです。今の世界の戦争の一番の原因は、宗教戦争ですよね。キリスト教とイスラム教の争いってきついでしょう。 アメリカはキリスト教ね、イラクはイスラム教でしょう、その戦いなんでしょう、根本はね。どっちも自分の教えが最高で正しいと思い込んでる。教えの縛りにあってるのね、がんじがらめにね。 だから、その教えの縛りからなかなか抜けない、怖いぐらいに本当に教えの奴隷になってしまうね。他のことは何も入ってこない。

 でもね、本当の神さまはそんなちっぽけなものじゃないよね、そんなつまらん教えじゃないし。一つの民族や国を護るようなちっぽけなえこひいきの神さまじゃないよね。みんなを無限の無限の幸せが一杯!にしたいばっかしでしょう。無限の無限の愛を降り注ぎかけてるよね、それが本当の神さまね。本当の神さまにちょっと心を向けて気づいただけで、いっぺんに地球は平和になるのにね。気づかないところが不思議なくらいよね。だから、まだ思いが残ってるのよね。思い通りにまだしたい人がいてて、思いをまだ消してもらってないのね。

 本当の「ありがとうございます」⇒自分の願いや思いを出すと神さまは力が揮えない。 

 神さまは人の自由意志を絶対縛れないので、思い通りに生きたいときは消せないのね。いくら消してあげた方が幸せなのにと思っても、強制力を使っては消せないのね。やっぱり「消して欲しい」と言わないとね。 でも、この「ありがとうございます」を唱える人でも、自分の思い通りにしたいと思って唱える人があるんですよ。自分の思いや願いを適えたいから「ありがとうございます」を唱えようとね。 でも、この時はね、神さまは大きい力は揮えない、思いが前面に出てるから、思いを消すと困るんでしょう。思い通りにしたいのに、思いを消されたら思いにならないね「それは困る」と言うよね。だから、あまり力は揮えないでしょう。ちょっとは思いや願いを適えてくれるかもしれないけど、それは方便としてね。

 だから、思いや願いを出さない方がいいでしょう。ただ「無心に」とか、神さまへの恩返しの心でお礼の意味で「ありがとうございます」を唱えるとか。もっともっと大きい幸せを受け取るために、神さまと出会うためにというのだったら、それだったら本当の「ありがとうございます」よね。神さまが大きい力を揮えるのね、その時は思いを消してくれるね。思いを消してもらったら直ぐに感謝が湧きあがるのね、そして気づきが増えて「あっ、既に無限の幸せで一杯なんだ」と気づくのね。「小さな願いなんて要らん」となるね。 「もう、幸せ一杯なんだ」と気づいただけでいいよね「今、このままで無限の幸せで一杯なんだ」と気づける人が幸せよね。今更一つや二つの願いをかなえたって何の役にも立たないよね。無限の大きい幸せを先に与えてもらってるのに、その上に一つや二つをプラスしたってね。

 本当のお祈り
          神さまに護られているという確認

 だから、気づきが大事ね。気づく心は感謝の心なのね。「ありがとうございます」を唱えるのでも、先ずお礼の気持ちで唱えるのがいいでしょう、神さまへのお礼ってね。 「七つの確認の祈り」があるんですけど、あの祈りの本当の目的は確認なんですよね。どれだけ神さまに守りに護られてるかという。この確認のために「ありがとうございます」ってお礼を捧げるのね。そうすると気づきが増えて幸せを感じて、本当の感謝の心に戻るわけでしょう。 常に、無限のマイナスを免除してもらってるというだけでも、これに気づいたらマイナスは一切掴む必要もないもんね。無限のプラスをいつも与えられていると気づくだけで、もうこれ以上何も要らないよね。 感謝の心も神さまが湧きあがらせてくれてるのよね、今更自分が祈る祈りなんかは無いのよ。自分が「ありがとうございます」と唱えて、幸せを手に入れようなんて馬鹿よ、本当に。自分一人のお祈りなんて何の力もない、ちっぽけな力よね。

 大勢の神さまが、守護霊さんや守護神さんを含めて大勢の神さまが自分の代わりに祈り続けてくれているもんね。また、宇宙の大神さまが自分の代わりに祈って祈って祈り続けてるじゃない。それを確認すればいいね「こんなにも自分のために祈ってくださってる」というふうにね。これが本当はお祈りよね。 いろんな意味合いの神さまの大きい働きがいっぱいあるでしょう。それを確認するだけがいいね。「ありがとうございます」って確認していくのよね。それが楽しいよね。

    お祈りは楽しくてたまらない  

 お祈りは、だから楽しくならないと嘘よ、もう、楽しくてたまらないのが本当のお祈りよね。 この地球上だけでもそうでしょう。神さまが愛の心で変身していろんな姿で出てきてるね。地球上の人類全部に、やっぱり感謝をするのが必要なのね。六十億あまりの人に順番に感謝するだけでも楽しいよね。 人間だけじゃないね、動物も植物も、もう全てのものに感謝をして行こうと思ったら楽しいよね。それでいろんな姿をとってるのね、同じ姿は一つもないもんね。 動物でも昆虫でもそうよ、同じ姿はないよね、花でもそうでしょう、同じ種を蒔いても花は全部違うよ、同じ種類の花でも、みんな違うのよね。その違いはどこからくるのかというのは、神さまからきてるでしょう。幸せをいっぱい与えたいのね、いろんな表現を楽しんで欲しいからよね。その表現を楽しんでないかもしれないでしょう。本当に一つずつ味わわないと楽しんでないよね。人の顔を見ても同じように見てたら駄目ね。お猿さんの顔だったらみんな同じかなと思うでしょう。人の場合だったら違いがよくわかるかもしれないけど。人の顔を眺めるぐらいに、他の動物の顔を眺めたら楽しいかもしれんよね。「ああ、こういうところが素晴らしいな」というふうにね。 そういうふうに一つ一つ確認するのがいいよね。

 人間の体一つをみてもそうよね。表面だけを見てたら浅い、だから中もしっかり確認していかないとね。 心臓はどういうふうにして働いてるかとか、胃や腸はどうかとか、みんなそういうふうに確認して気づいて行くほうがいいでしょう。そしたらありがたくなるよね。全身の細胞全部に、どんな働きをしてくれているのかと確認していけばすごいよね。 暇のある人はもっと原子一個一個に心を向けて確認するのよ。原子一個一個全部顔が違うよね。同じ水素原子や酸素原子といっても、水素と酸素の違いはわかるかもしれないけど、同じ水素原子でも全部顔が違うのね。その違いが判ったらもっと楽しいかもしれないね。 原子の段階より、もっと更に小さく小さいとなるのね。 大きくは、宇宙もね、この見ている大宇宙の外にもっともっと大宇宙がいっぱい続くから。どこまでも大きく見えるし、どこまでも小さく見えるし。この世だけでもそうだから、他に無限の無限のチャンネルが待ってる。早く味わって欲しいと待ってるんじゃない。 神さまのプレゼントって凄いよね。これでもかこれでもかと、もの凄いプレゼントを与え続けてきてるから、それを味合わないと、十分に受け取らないと駄目なのね。

 その受け取る方法は「感謝行」よね、「ありがとうございます」って感謝し続けて、そういう心に戻してもらうのね。 だから、もう思い通りに生きる生き方は皆さんはもう卒業してるよね。ちょっと出てくるかもしれないよ、まだね。でも負けたら駄目よね、その心に負けたら時間をまたロスしてしまうわね。 だから「思い通りにという心は消してもらうんだ」というふうに「思いは全て消してもらうんだ」ともう決めないとね。そしたら神さまは働きやすい、グングングングン感謝を深めてくれるね。

 感謝行は天地の呼吸と同じ

 感謝って、本当は湧き上がるものね。呼吸と同じなの、本当の呼吸は天地の呼吸ね。これは、神さまから受けたものを直ぐにお返しする生き方ね。 感謝を深めたい人はどうしたらいいかというと「受ける心」ではなしに「与える心」を持たないといけないね「恩返しの心」ね、吐くことよね。呼吸の秘訣は、吐くことなんよね。吐いたら自然に入ってくる。空気を吸おう吸おうと思ったら、吸うばっかしで止まってしまう、そしたら酸欠になって苦しむのよね。


 みんなそうなんよね、幸せになりたい人はみんな吸うばっかしなのね。受け取ろうとするのだけど、それもいいんだけど、吸うばっかしでは駄目ね。 呼吸の秘訣は吐くこと、吐けばいい、吐き出すのね。 だから、恩返しの心でみんなの幸せのために与え尽せばいだけよね。そうするとスーッと必要なものがまた入ってくる。それがまた感激を新たにして、感謝の深い心で全てが受け取れるのね。それを一瞬一瞬繰り返せば天地の呼吸と一つになってるね。 「感謝行」というのは天地の呼吸なんよ、天地の呼吸と一つなのね。「ありがとうございます」って唱えて何かを受けるんじゃないの。本当は「ありがとうございます」と唱えて与え尽すこと。そうすると呼吸は永遠に続くのね。

 だから「ありがとうございます」を唱えて何かを得ようと思ったら駄目よ。何かを得ようと思ったら止まってしまう呼吸がね。一回きりで終わるの、はははは。恩返しの心で、与え尽す生き方で「ありがとうございます」を唱えてると、これは永遠に続くのね。新たに新たに新しいものがいっぱい入ってくるね。それは中からも外からも入ってくるね。神さまはどこにいてるかとみんな探すんだけど、中にも外にもいてるね。本当の神さまはそうよね。そして無限の無限の輝きが一杯!という、その中心がまた無限にあるのよね。だから、自分の周りにそういう光源、中心になるようなものが無限にあるのね。だから、無限の無限の輝きが、全方向から自分に飛び込んでくるの、光をいっぱい投げかけてくるね。それが無限にところてん式に奥へつながってるのね。神さまの与え方ってそんなものよね、だから凄い与え方をしてくるよね。

 自分も自分の中からそれに似合うだけのものを放射するのよ。無限の無限の輝きを全方向に放射するのよ。でも、自分の与えたものより与え返されるほうが大きいね。全然違うでしょう、自分一人が与えられるものはしれてるね、でも他から与えられるものは無限倍よね。だから、与えて損をしているのとは違うよね、与えた無限倍をまた返してもらうね。だから、天地の呼吸は理に適ってるのよ。幸せへの最短コース、道になってるのね。

 古神道の信仰のあり方
            いつも天照大御神様と対面する

 これからは本物の時代よね、本当の神さまをしっかり感じ取る・とらえる時代よね。 全ての分野に本物が出てくる、神さまが顔を出してくるね。だから、外からも中からも出てくるよ、神さまがいっぱいね。もう、捜し求めることなんかは要らないね、神さまを探すのじゃないのね、与える心で感謝をしてたら出てくる。自然に中からも外からも現われてきてくれるのね。

 「ありがとうございます」の本当の意味は「天照大御神様との対面」ね。「大神様の最高表現」という定義をするわけね。宇宙の大神様が常に最高の装いを持って現われてくる、これが天照大御神様ね。それも一瞬一瞬姿を変えて出てくるね。だから、宇宙全体よね、天照大御神様というのはね。無限に無限に輝いた宇宙全体が「天照大御神様」という定義をするわけね。 この天照大御神様との一瞬一瞬の対面が「ありがとうございます」ね。 だから、小さい部分を掴んだだけではまだ古神道のあり方じゃないね。いつも無限に無限に輝いた宇宙をとらえるのね。だから、天照大御神様を実感する、対面していくのが古神道の信仰のあり方ね。 だから「ありがとうございます」も無限に大きく深くしていくのよ。

 天照大御神様の一筋の光では足りないよね、光源としての全体としてとらえていくのが大事よね。だから、楽しいでしょう、本当はね。一回一回の「ありがとうございます」を楽しく楽しくしていくのね。これ以上の楽しさはないんだというぐらいの唱え方がいいよね。それも目的がないと忘れるのよ「天照大御神様と対面するんだ」と言わないと、最高の恋人に出会うぐらいの気持ちで唱えるのよ。 本当の、永遠の最高の恋人は、天照大御神様よね。天照大御神様のほうがいつもお化粧をして出てくるのよ、はははは。毎回姿を変えて、最高のお化粧をして出てくる、最高の衣装を着て。その神さまと出会うんだから、こっちはやっぱり楽しく楽しく、喜んで喜んでというのが必要よね。

  悟った自分を生きる

 
感謝も、本当は褒め称えて喜ばないといけないね。褒めて喜ぶというのが、神さまと対面する一つの感謝のやり方よね。だから、現実の姿にとらわれたら損ね、現実の姿にとらわれるのは思いの心よね。 感謝の心は違うよ、過去を掴まない、過去を一切掴まないで今新たに天照大御神様を見るのね。一瞬一瞬新たに最高の姿を見ていくの。これが本当の感謝のあり方ね、古神道のあり方ね。

 この古神道の信仰に入ったら、これを悟ろうとする自分じゃないよね。悟った自分を生きるのね。 既に悟った自分を生きて、喜び一杯、幸せ一杯に生きるのね。これが本当のものよ、本物の時代なんよね。そういう時代に今入りつつあるのね。だから本物を感じた人がどんどん出てきてるね。神さまと出会える人がどんどん増えてきてるから、幸せよね。

 はい、古神道はこれぐらいにして、後、質問をしてください。

質 疑 応 答


 神さまを確信できたらどの言葉でも良い

質問:
 「ありがとうございます」という言葉は感謝の意味というよりも、音としての要素が多いと思うのです。サンキュウーとか外国の感謝の言葉がありますが、それとは違って、その響きにそういうパワーがあるのか、感謝をする意味があるのか、どちらなのですか。


ありがとうございます:
 そうね、本当は確認のほうが大きい意味があるのね。その言葉を通して本当の中身を確認するほうがいいのよね。 言霊的に響きがいいという意味もあるけど、それだったら宇宙の全ての言葉にそれぞれの大きい響きがあるから。その響きという意味じゃなしに、確認よね。その言葉を通して何を確認するかですね。 英語のサンキューでも、サンキューという言葉の響きから大きく確認できたらそれもいいのよ。 例えば、天照大御神様という言葉も凄いけど、アラーの神様でもいいよ「アラー」と言うだけでもね。でも、中身よね、中身をどういうふうに大きく深く確認するかよね。こっちのほうが大事ね。

 極端に言うと「あ」だけで全てを確認できたら最高なんよ。「す」だけで全部確認できたら最高なんよ。言葉の一つ一つに全部を最高のものを確認する響きがあるのね。これは何故かと言うと、 例えば、五十音のこの言葉を全部、全体が一つなの。「あ」という言葉が表に出たら、残りの言葉が全部バックについてるわけね。「あ」に全部の働きが含まれてるのよね。「い」が出たら「い」が前面に出てるだけで、残りの言葉は全部後ろについて働いてるのね。 だから、どういう言葉が表面に出ても、常に全体と一つなのね、全体の働きが中にあるわけね。だから、どの言葉からでも奥へ入れるの、全体に通じるの。そういう意味だったらどの言葉も素晴らしいのよ、本当はね。

 ただ「ありがとうございます」というのが今出てきて、素晴らしい言霊の響きもあるし、全体を確認する意味合いもあるしという。ただ、それだけじゃ駄目ね、確認のほうが大事なね。 神さまが、この「ありがとうございます」と呼ぶことによって、身近に降り立って神さまが出てくるのね。その出てくる神さまを順番に確認させてもらう、気づかせてもらうのね。確認の作業が本当は必要なの、大事なのね。神さまは一所懸命出てきて確認させようとしてるよね。そして気づきを増やして、神さまの全体像をわかるようにしてきてくれるのね。そういう一つの働きの言葉といったらそうだけど。でも、他の言葉でも神さまは働けないのじゃないね。もし、その言葉を使って確認しようというのだったら、気づくように働きやすいと思う。
 だから、昔のままの「ありがとうございます」だったら小さい感謝かもしれないね。でも、今の時代は「確認せよ」と言ってきてくれてるのね、神さまの方がね「確認する言葉として使わないと駄目だ」と言ってきてるのね。だから、同じ「ありがとうございます」を唱えてる人でも「神さまとの対面をしよう、神さまを確認しよう」という人は深く入れるの、これも順番があるけどね。 早く神さまを確認するような意味で唱えたほうがいいよね。そしたら同じ言葉でも生きてくるわね。だから、どの言葉でもいいのよ、本当はね。外国のサンキューでもいいよ、本当はね、確認さえできたら。

  神計らいで自然に実現する    

質問:
 ゆくゆく家族で田舎に引越し、畑を作り田舎暮らしをしたいと家族と話をしています。 自分たちの暮らしだけではなく、いろんな人が集まってくるような場になり、そういう場に、今日の真弓先生やいろんな方々を招いてお話をしていただくという夢を描いています。この思いが自分の我なのか、本当の神さまのお手伝いなのか、何かをやらせてくださいというのも思いなのか、その辺がまだわからないのです。 「ありがとうございます」を念じていてそういうイメージを描いてたら、本当に神さまのお手伝いをやっていこうとするのなら、そういうふうに道はつくのでしょうか。

ありがとうございます:
 最初は思いや願いでしているように思うよね。でもね「ありがとうございます」を唱え始めると神さまの心を感じ取るようになるのね。そして神さまの願いを生きようとするのね。神さまの大きい目的を自分の目的として生きようとする心になってくるね。神さまのお手伝いとして生きるようになるね。 それは自然に実現するの、神計らいで自然に実現するのね、みんなが助けてくれて実現するの。 ここも同じよね、こにいてる人、私たちは何も願いも思いも出してないよ、神計らいで全部実現してるだけね。みんなが助けてくれてみんなで創ってくれているだけね。自分たちの努力じゃないの、本当に不思議ね、神計らいで勝手に出来上がったの。ここの設備や施設も全部そうだし、宿泊施設もそうだし、トントン拍子にサッと出来上がっているからね。

 あの宿泊施設でも半年で全部出来上がってるよ。普通はそんなことは考えられないね、準備し始めて半年よ。普通はそんなに簡単にできないわね、みんなか神計らいで用意してくれたのね「泊まりに来る人が増えるから」ということでね。できてなかったら皆さんは泊まれない、来れないよね。ちゃんと神さまの神計らい、全部ね。自分たちでは何もしてないもんね、勝手に動かされたような感じよ。 だから、神さまの願いを自分の願いとして生きるように必ずなってくるね。「ありがとうございます」さえ心に唱え続けてたら、神さまが働けるから。 神さまの願いを自分の願いにする時が一番幸せなの。つまらん願いなんて本当につまらんね。神さまの願いが生きられたら一番幸せね。そして神さまがバックについて応援してくる、みんなを動かしてくるのね。必要な人を全部動かしてくれるから、応援してもらって自然に生まれるのね。だから、自分のものじゃないもんね、全部神さまからの預かり物だけど。その代わり、みんなのためのものよね。それでちゃんといくのね。 みんなが助けにきてくれているだけね、本当にそうよね。だから、一番幸せになるよ、必ずそうなる、実現する。

  子供のいたずら

質問:
 八歳の小学校二年生の子供のことですが。テレビでも戦うもの、乱暴なものを見たがるんです。それは親としては見せたくないし、見ないで欲しいと言ってしまいます。そういう気持ちを処理できなくて困っています。


ありがとうございます
 小さい時のいろんなマイナスに見える姿は、これはマイナスじゃないの、マイナスを消してもらってる姿ね、本当はね。 例えば、過去にいろんなマイナスの思いをいっぱい溜めて人殺しでもしかねないような、そういう因縁があるとするでしょう。それをどうして消そうかと神さまのほうが一所懸命になるね。その時は、小さい時にいたずらをさせて消すの、いたずらで済ませてしまうのね。するとマイナスが消えて大人になったら立派になれる。

質問者:
 じゃ、あえて止めなくてもいいのですか。

ありがとうございます:
 そうよ、そこに感謝を加えたら絶対マイナスにならないね。「ああ、マイナスを消してくださって、ありがとうございます」と言えばいいね。だから大難が小難に済ませてもらえて、またその勉強も必要なのかもしれないよ。マイナスに強くなるよ、子供もね。いろんな意味のプラスがいっぱいなんよ。 だから、一言「ありがとうございます」で、神さまに心を向けて行けば心が安らぐし、みんなプラスに変化するね。

司会者:
 小さい頃はいたずらはものすごいしたな〜。

ありがとうございます:
 はははは、それで今立派になった、はははは。

     変化が早くなってくる     

質問:
 娘と電話をしてましたら。以前は嬉しいことと、そうでないことが現実化するのに時間がかかってたんです。「最近はすごく嬉しいことも、そうでないことも早く現実化していると思わない?」と話をしてました。それはどういうことなのでしょうか。


ありがとうございます:
 移り変わる姿って番組毎に時間のサイクルが違うから、低い番組は時間がかかるのね、一つのことが実現するのでもね。だから、プラスでもマイナスでも早く実現するほうが高い番組ね、マイナスを早く消してもらい、プラスを早く実現してもらうのね。だから、時間のサイクルが早くなるほうがいいよね、移り変わる姿が早くなるほど、高い番組に変わってきてるね、幸せが大きくなるのね。 「ありがとうございます」を唱え始めたら、必ず番組が上へ上へあがるから、必ず時間のサイクルが早くなる。いいことも早く実現するし、マイナスが出てもマイナスを早く消してもらう。 マイナスが出たから悪くなったのと違うよ、大きいマイナスを軽くして早く消してもらっただけよね。だから、変化が早いし激しい、そのほうがいいのよね。だから、一番高い番組は無限に早いよ、もう、時間が感じられなくなるぐらいもの凄い変化がある。一瞬に無限の変化があるから、時間の経つのが感じられなくなるくらい変化に惑わされるの。だから、早くなるほうがいいね、幸せが大きくなってるね。

  「霊・魂・魄」     

質問:
 「霊・魂・魄」といいますよね。その時の「霊」というのは、本質も感謝だけの世界ですか。


ありがとうございます:
 まあ、大雑把に三つに分けてるからよね、本当はもっと細かく分けてもいいはずなんだけどね。

質問者:
 はい、考え方としては、感謝だけの世界。これは自分の体の中にある。「魂」というのは、思いの世界ですよね、想念の。それを「ありがとうございます」を言いながら、その思いを消して、その部分を感謝に変えていきなさい。思いの部分が「ありがとうございます」で全部感謝に変われば「霊」の部分の本体が本当に輝く、というようなことでいいのですか。

ありがとうございます:
 そうですね

質問者:
 「ありがとうございます」という言葉を言う度に、ある意味では「魂」の部分が変わってるよ、気が付かないけども変わってる。場合によっては「霊・魂・魄」の「魄」の部分・肉体の部分にもその影響が出てくることもあるし。出てこなくても、その「魂」の部分のエネルギーというのは変わってるよと。 だから、一瞬一瞬「ありがとうございます」を唱え続ければ変化があるよ、というような理解でいいのでしょうか。

ありがとうございます:
 ほんと、そうですね。魂の進歩向上って本当は難しいんですよね。下で一所懸命修行をして上がろういうのは、なかなか変化しないですね。「ありがとうございます」の感謝行は、魂をもの凄いスピードで「浄・清」め尽してしまうね。「浄・清」めるというのも、消してしまうのね。思いを消していくから、魂的なものがどんどん向上して輝いてくるでしょう。そのうちに消えてしまうぐらい、魂が消えるぐらいに向上するのね。その後は、本心の感謝の心が「神様が輝くだけ」という姿をとるのね。 今までは、思いの心、魂が肉体を動かしていたのね。ところが、思いが消えて魂が「浄・清」まって、魂も消えたら、神様が肉体を直接動かすでしょう。一番幸せななんよね、だから「感謝行」って凄いよね。 神さまを現わす生き方、肉体に直接現わす生き方なのね。

   宗教だと思われている    

質問:
 私は四十年間ぐらいお子さんにお習字をならっていただいています。本当に心のきれいな子供さんにきていただいて、反対にパワーをいただいているんです。ありがとうございますのお話を折に触れるたびにお話させていただいたり「ありがとうございますシール」を「文鎮に貼って、筆に貼って、‥‥」とおっしゃるものですから貼っているんです。お清書が上手くできたと子供さんたちも生き生きされてるんです。その顔を見るのが私にしたらとても嬉しく「ありがとうございます」と書いてくださる姿に感謝するんですけど。親御さんにしたら、ちょっと宗教をしているのかなと見えるようです。そのことを気にする必要はないでしょうか。


ありがとうございます:
 はははは、神さまから見たら、大きい幸せを与えたいばっかしで働いてくるでしょう。おかしく見る人は、自分から神さまの愛を拒絶してるだけなのね。素直に「はい、ありがとうございます」と受け入れればいいのにね、気の毒な人よね、みんなね。

質問者:
 成果が上がって喜んでいただく方もあるのですけども。中には、文句を言うと「はい、はい、ありがとうございます」って‥‥ 親を馬鹿にしてって。「大人に怒られても、ありがとうございますって言えばいいのよ」と私が言うものですから。

ありがとうございます:
 子供さんのほうが魂が上で立派なんよね。 そうよ、みんなわからない人は、先ず神さまのことはわからないもんね。思いがいっぱい溜まったら「神さまはない」と言うのね、無神論者はそうでしょう。思いが溜まったらみんなそうよね、神さまを否定するよね。神さましかいないのに、神さまはいないと言うのだからね、不思議な現象よ、これはね。 それを、順番に神さまを感じさせようとして一所懸命神さまが働くんだけどね。だから、最初からみんな反対してるというふうに見たらいいよね。 ここもそうよ、○○○真理教だとか言われたり、白い服の集団だとか言われてるよ。(笑)万人に一人ぐらいよ、正しくわかってくれるのは。 そのぐらいの気持ちで「順番に神さまがみんなを幸せにしてくれるんだ」と思ってたら、人はなんと言っても構わないね。幸せになる人が一人でも増えてくれたら、本当の幸せを掴んでもらうためだからね。

 逆に言うとね、けなされたり、悪く言われたほうがいいの、徳が積めるの。その徳の力がみんなを救う大きい働き・力となって出てくるからね。本当は、一人を救うだけでも大きい徳の力が要るよ。無限の借金を抱えた人を、無限の思いを抱えた人を救うんだったら、もの凄い大きい徳をそこへ回してもらわないと無理なんよね。 順番に一人一人救って行くためには、自分の徳を無駄遣いしないほうがいいから。少々、人から悪く言われても誤解されても構わない。一人だけでも幸せになればいいね。 だから、一人の子が幸せになったらそれでいいじゃない、それがどんどん増やしてもらえたら最高よね。

質問者:
 シールもどんどん使わせていただいてもいいですか。

ありがとうございます  :
 神さまのお手伝いは何をしてもいいの。

司会者:
 奉仕の時にお話をしてくださっていましたが、どうでしょうか。

ありがとうございます:
 でもね、先に奉仕に来られる方はね、質問が無くなるのよ。奉仕してお祈りをすると質問がなくなってしまって誰も質問をしてくれないの、話せないの。 次もどうかなと思って、ちょっと心配してるんだけど。今度私の方から質問しようかなと思って。


ありがとうございます。







ar83宗教の必要性2000.7.1

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神様ですよ。そういう意味だったら本物の神様が必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神様から来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神様の教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神様の教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神様の働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神様の働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神様の助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神様の本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神様はどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神様じゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神様だけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神様がみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神様の働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。



供養


【人が亡くなった時に、ひと七日、ふた七日、四十九日、百か日とかいろいろ供養しますよね。それはどういうふうに思われますか?結局、縛られる・囚われるという思いになるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうですよね。これはお釈迦さんの教えとはちょっと違うんです。お釈迦さんは「悟りを開く為にはどういう生き方がいいか」って、悟りを教えているのね。肉体が死んで魂が抜けてどうのこうのじゃないの。本当の元の根本を、しっかり見定めて、悟りを開くにはどうしたらいいかってね。本当は「みんなは悟ってるんだ」っていう見方の方が正しいです。だから、迷いの姿を先に掴んでしまうから、そして「亡くなった人が迷っているから、救ってあげんなん、いろんな供養をせんなん」とかいうふうに、迷いを前提にして掴んでしまうと、本当は亡くなった人というより、本当の人に対して失礼なんです。「みんな神様と一体で、みんな既に悟っているんだ、無限に輝いているんだ」というふうに拝んで受ける生き方の方が、正しい受け方です。



お仏壇へのお参り・お花の向き


【という事は、もし仏壇にお参りする時は、「いろいろ力添えをくださいましてありがとうございます」というような感謝の述べ方のほうが、御先祖様も、いろんな方たちの魂も喜んでくださるのでしょうか? またその方に、例えば「・・さんありがとうございます」というのが最高の言葉になるんでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね。みんな「ありがとうございます」という神様と一体なのです。本物の神様の現われと見るんだったら「みんな天照大御神様」というふうに見た方がいいね。無限に輝いているというふうにね。「ありがとうございます」というのはそういう事なの。だから、その仏壇も模型なんです。本物の世界の模型になっているわけよね、中心にご本尊さまがあって、その回りを御先祖様が悟った姿で輝いて「自分を護りに譲ってくださっている」という見方の模型なんです。模型であっても、荘厳な姿をとっているでしょう。お供え物でも全部向こうへ向けてないのね、みなこちらへ向いているでしょう。全部向こうから自分に対して与えて頂いているという意味の模型なんです。



【お花なんかも確かに私たちのほうへ向いてますよね、何故何だろうと思っていました。「死者に手向けるのであれば向こうへ向けるはずなのに」と思ったことがあったんです。】

ありがとうございます:
 全部自分の方へ向けてもらっているのね。だから神様、仏様から「一瞬一瞬最高の素晴らしいものを与え続けてもらっている」いうのを確認する模型なんです。ただ、誰も仏壇の中には入ってないんです。そういう小さい中に入ってないの、本当の力ある宇宙大の大きい神様が入れるわけがないよね。模型を通して、本当の姿を思い浮かべる意味で、手助けになるのね。そういう意味で模型を使うわけ、だから「ありがとうございます」が本当の意味で正しい、ご先祖様への心の向け方よね。「ありがとうございます」と言ったら、「ご先祖様のすべてがみんな悟っている・無限に輝いている」という受け方になるのです。ただ、模型は別に必要だったら使うんですけど、必要なくても破壊する必要はないですね。後から必要な人が出てくるかもしれないし、本当に必要がなくなったら、世の中全体から必要なくなったら、自然に消えるかもしれない。それまでは大事に残しておくのもいいですね。



【やはり、社会通念上、破壊というのは出来ませんしね。】
ありがとうございます:

 そうね。はい。


【古神道も神棚は必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 うん、まあ模型としてですからね。だから必要な人はそれを使っていいと思うんです。何もないよりあった方が思い出しやすいでしょう。ただ、どの神社・どの神棚でも、本当の対象は本当の神様でないといけないでしょう。いろんな神名が出てくるんですけど、神社でも神名がそうでしょう。その神名の奥に本当の神様が働いている、本当の神様のいわば分身として、すべての神様が助けてくださっているんです。だから、どの神社にお参りしても、神棚にお参りしても「ありがとうございます」でいいのです。「ありがとうございます」で全部に通じるのね。



何故「ありがとうございますの話」が聞けるようになったの?



【二年ほど前から「先生のお話を一般の我々に教えをいただけるようになった」ということなんですけれど、ずっと最初からではなく、何で、最近に表現されたのか、何かの動機があったと思うのですが、その理由をお伺いしたのですが?】



ありがとうございます:
 昔は全国を飛び歩いて、お話しに回っていたのね。でもやっぱり「お祈りが一番大事」ということで、どんどんそういうのを減らして、お祈りだけに専念してきたのです。深く深く祈る為にね。また、みんなが本当に感謝の心を起こせるように、本心を引っ張り出す意味でのお祈りを、ずっとお祈りだけに専念してきたのです。
いろいろお話するのもいいんですけど、やっぱりお祈りの方が力があるんです。深く祈るお祈りというのが大きい力があるのね。そういう意味でお祈りだけを選んで、他のことを一切何もしないという気持ちでしばらく続けてきたの。でも、私一人が祈るよりも、大勢の人がお祈りしてくださる方が、力が増えてくるでしょう。

 そういう意味でお祈りができるように、本当のお祈りを、神様に力を引っ張り出してもらっている人が増えてきたという段階です。また、みんなに再確認して、一生懸命祈ってもらう意味で、神さんが必要と認めてもらえるのね。私をみんなと出会う働きに使ってくださると思うのです。でも私は、やっぱりお祈りが一番大事と思っているの。みんなが大きい本当のお祈りをしてくださるのも大事なことなんで、お祈りの時間を割いてでも、こういう話しの場を神さんが与えてくださったということなのね。私もみなさんと出会うのは一番嬉しいです。「あっ、こんな立派な方が沢山いらっしゃるんだ」と心強いですからね。



何故?断食を・断食の様子

【三週間の断食をされたということですけど、どんな様子なんでしょうか。】



ありがとうございます:
 そうね私は小さい時から、いろいろ耐乏生活を体験させられて、一日一食を、食べられるかどうかだったの、それも粗末な食べ物です。だから食べることに関して余り「あれ食べたい、これ食べたい」なんてないんです。それで二十歳過ぎから「命を神さんに捧げて、平和運動を一生懸命しよう」というふうに考えてお祈り一筋になってたんです。そうすると「人の病気治しを一杯頼まれるでしょう」もう寝る時間がないくらい忙しいのね。夜中まで電話で叩き起こされたり、もう一杯電話かかってきます。祈る時間が一分一秒惜しいので、寝食忘れてお祈りする方を、人助けの方を選んだのです。中途半端に食べるとなると、食べる時間がなくなってしまうんです。この時間に食べようと言ってもお客さんがきたら、いつの間にか食べられなくなる。食べるのが億劫になってしもうて、面倒くさくなり、「丸薬一つで一年ぐらい持てばいいのに」と思うくらい、そんな気持ちになってしまうのね。



【四週間の内に三週間は断食されて、一週間は思いっきり食べてと、伺ったんですが。】

ありがとうございます:
 思いっきりでもないですけど、はははは。



【それを繰りかしえて、一番長いのは、百日も続けられたと。それが出来るものなのかというのが不思議なんですけど。】

ありがとうございます:
 不思議なのね。出来るんです。それだけ力を与えてもらって、助けてもらっているのね。それも私は何もしてないんじゃなく、ジーッと座ってるわけでもなく、人の三倍ぐらい力仕事を一杯してるのよね。朝・昼・晩と、いろんなアルバイトしては、寸暇を惜しんで、もう祈って祈って、睡眠時間を殆どないぐらい削って、頑張ってたのね。普通だったら死んでもおかしくないぐらいなんだけど。それでも、「ちゃんと譲ってもらえて、力を添えてもらった」って感じだったのです。そういう意味でも「ありがとうございます」の力って凄いなあと思うの。限界をいくらでも破ってもらえるのです。



【百日やって、神様を試されたんですか?】

ありがとうございます:
 神さんの助けがどんだけあるかって。断食するのは、神さんの恵みを拒絶することなんですね、よくないです。いつも注意されていたのね。与えられたものを感謝して受けるのがいいんです。私の場合は、我が強かったんだと思うの。とことんやり抜かないと気が済まないところがあるし、また神さんの護りはどんなもんか試したいところもあるし、いろんな意味合いがあったのね。これも私だけじゃなく、人類一般が「何か修行しないと悟れないという我がある」じゃないですか、そういう我を消す意味もあっての事ですね。神さんに、「修行しなくても悟らせてもらえる」という、本当の意味のやさしい救われの方法を与えてもらう意味でも、「我を消すこと」が、ある一面で必要だったと思うのです。それで断食を無理矢理「させられた」のじゃなくて、自分が「してしまった」のね。断食や、またいろんな行的な修行なんか必要ないと思うね。何もしない方が、神様の救いの働きを邪魔しないのです。本当は何もせん方がいいのね。



本当の祈りとは




【「本当の祈り」と先程おっしゃいましたよね。私は「ありがとうございます」を、ただなんとなく言っているだけですが、「本当の祈り」とは、呼吸の部分の心の奥まで染み入るような感じの祈り、そういうような感じなのでしょうか?】

ありがとうございます:
 祈りというのは、神様の命の宇宙創造の働きを指しているんです。本当の祈りというのは、神様の宇宙創造です。最高の宇宙を創り出す神さんの働きが祈りなんですね。「本当の祈りをする」というのは「それと一つに同化して一体化する」ということ。だから、それを受けないといけないね。「受けて一体化する」というのが本当です。



【受ける為にはどうすればいいんですか?】

ありがとうございます:
 だから「ありがとうございます」と唱えて、「神様の働きと一つに一体化させていただく」のね。「ありがとうございます」を唱え続けていると「無限に無限に輝いた宇宙が感じられてくる」のです。



【そこまで「ありがとうございます」を言い続けなくてはいけない?】

ありがとうございます:
 その「最高の宇宙の姿を感じ取ること」なのね。だから、一心に、「ありがとうございます」を唱え続けた方が、早く感じられるようにしてもらえるんです。


周囲の人もチャンネルが上がる




【この間の話で「ありがとうございます」と言っているのが、チャンネルの段階を上げるのに、一番の最短コースだというお話をされてたんですけど。周囲の人間が上がって行くと、その間にいる人間も自動的に上がっていくものなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですね。本当は一人一人の自由な意志があるんです。回りの人は「上がりたい」と言っても、自分は絶対「上がりたくない」という人もいますよね。ただ、回りにお祈りで「上がりたい」言う人がネットワークを作ってしまうと、その網から下へ下りられなくなるときがあるの。網で救い上げてもらうような感じで、上がってしまうのね。昔はみんな一本釣りなのです。本当に「神様に助けてもらいたい、救われたいという人は」一心に神さんにすがって神様から命綱をスッと下ろして、引っ張り上げてもらっていたの、一対一よね。それは本人の真剣な自由意志を尊重して神さんが助けるんですけど、数が少なかったんです。

 今の時代は、特に『神様の本当の助けを受けて、悟りを開いて、自由自在な生き方で、最高の番組を味わいたい』という人が増えてきているのね。だから、「大勢向上したい」という気持の人が増えてくると、もう一本釣りじゃあ間にあわない。特に、先にお祈りをし始めた人が、心のつながりを持って、祈りのネットワークを作ってしまうと、ちょっと「救われたい」と思うだけで、そのネットワークに乗ってしまえばいいのです。その中には「下へおりたい」という人も混じっていても、一緒に上がってしまうと、「やっぱりマイナスよりプラスの方がいいな」という気持ちに変化するのね。その内お祈りの方へが向いてくると、みんな一緒にスーツと救われるのです。



【会を作って、みんな一斉に「ありがとうございます」を言ったら、何百倍何千倍になりますよね。そうするとこの中の人達が「ありがとうございます」ってここで三十回ずつ唱えようとしたら、五十人の五十倍で二千五百倍になるんじゃないかと思うのですが。】

ありがとうございます:
 そうですよね、祈りは必ず相乗効果が起こすんです。二人だったら2x2で4倍ね、3人だったら3x3が9倍にね、もの凄い力やね。



【だから、ここで一斉にみなさんで言ったら、いいかなあ、と今フッと思ったんですけど。】

ありがとうございます:
 それはそうです。またみなさんも地元へ帰られて、お祈りで一緒にやる人があったら、ちょっと時間を決めて一緒に「ありがとうございます」を唱えられたら、凄い力を発揮しますよ。




大勢の人との祈りの時間・場所・仕方・回数

【同じ場所にいることが大事なんですか、各自家にいて時間を決めてやるのか。】



ありがとうございます:
 それでもいいんです。ただお祈りは、時間、空間を越えるんです。時間が違っても心がつながっていたら、いつでも祈っていると、ネットワークが生まれて、助け合いの相乗効果が起こるんです。どの場所でも一つにつながるんで、場所は関係ないのです。だから、自分一人で祈っているのではなく、仲間が一杯いてるんです。だから、自分が祈れない時は、みんなが代わりに祈っていて、神さんの光どんどん流してくれているのね。



【例えば、もし私が病気しているとすると、みんな仲間がただ何となく言うのか、それとも私に対してどこが悪いから、よろしくお願いしますという「ありがとうございます」をたくさん言うのか。何も考えなくて、ただ、ただ、もう自分で祈ればいいということですか?】

ありがとうございます:
 いやいや、何も思わなくて、ただ神さんの働きがみんなを通して働くのね。だから病気をしている人に対してでも、その病気が本当に消えた方がいいんだったらスッと消してくれるね。でも、その病気が何かの意味で必要だったら、ちょっと残してくれるのね。その病気の必要性もいろんな意味があるの。心の勉強でもあるんですけど、いろんな勉強です。

 また、自分が病気をすることによって、例えば、自分の子供が働き者になるでしょう、親孝行のね。母親なんて特にそうやね、自分が全部仕事をしてしまうと、子供に何もさせないで終わるじゃないですか、その時は神さんがわざわざ病気にさせて、動けんようにしといて、子供に親孝行させる意味もあって、いろんな能力付ける意味もあって、家事手伝い全部させるのよね。そうすると子供にとったら大きいプラスになるの。そこまで仮病使って芝居できないでしょう。それが出来るようだったら別に本当の病気をしなくもいいんだけど。だから、いろんな必要性がある場合があるのです。やっぱり病気が必要だったら残してくれるし、なかったら病気はすぐ消してくれるしね。それは自分の方で願わなくても、神様の方で必要なものを的確に与えてくださる、助けてくださるんです、大丈夫ですよ。



【神様は微に入り細に入り、全てを与えて頂けるですね。】

ありがとうございます
 そうですね、本当に必要なこと、幸せに必要なことを与えてくださるのね。



【私の経験でも今のようなことがありました。母が重態で危篤で一歩手前、あと四・五日で命が危ない時、それを聞いた夜に仏壇にお祈りをしました。その時私は「このまま死んじゃってもいいけれど、それが最善であればそうしてください」「まだこの世にやることがあるのだったら、もう少し生かせてください」と、生き返れとは強く思わなかったんです。もうお任せしました。そうしましたら今はピンピンです。あの時は、赤ちゃんのように「ここ何処?」ってとても素直に、生まれ変わったと思います。その時僕は、祈りというのは素晴らしいんだなあと感じました。】

ありがとうございます:
 そうねえ…。祈って「・・してください」と願った時でも我を出さない方がいいんです。自分の願いと神様の願いは、ちょっと違うの、ズレることがあるのね、だからお任せの方がいいんです。お任せが一番いい状態になりますね。



【「ありがとうございます」の数は一億回とおっしゃいましたけど、数えるのが出来ないですけど、やっぱりカウントしなくちゃいけないですか?】



ありがとうございます:
 いや、自分の祈るぺースというのは大体わかるじゃないですか。ある時期、ちょっと数えるでしょう、それと同しペースだったら大体ね。



【それが解ればもうね、はい、わかりました。】

「お任せ」と「プラスのイメージトレーニング」

【自分がプラス思考、自分でイメージを持って、とか言われていますが。自分で持ったイメージというのは、もしかしたらマイナスに働くことがあるという事を考えたときに、神様への全託ということになる「お任せ」というのは、自分ではプラスのイメージを持たなくても、自分にとって一番プラスの状態を与えてくださるのですか?】

ありがとうございます:

 そうですよ。イメージトレーニングというのが流行ってますよね。人の描く「思い」というのは、それは「雲」のようなんです。プラスに思うのは「白雲」、マイナスに思うのは「黒雲」。でも、それは太陽から射し込んでくる光とは違うのね。だから、思いの力がないと崩れるのです。太陽から来る光は、無限に新しいものがどんどん出てくるでしょう、絶対なくならないよね。

 「神様にお任せ」というのは、太陽から来る光を浴びること。だから永遠に幸せが崩れないし、そして最高のものが降りてくるでしょう。でも「空の雲」は光と比較しても大したことはないよね。なんぼ「白雲で明るい」と言ったって、光と比較できないし、本当の幸せ、という所まで行かないよね。

 だからイメージトレーニングでその思いを実現しても、もう感謝に生きる人から見たら馬鹿らしくなるわね。だから無限に素晴らしいものを感謝の心で受ける方がいいですね。一つのことを自分の思いで実現したって、ちっぽけなもんだから。だからプラスに思うのもいいんですけど、マイナスに思うよりいいわけですが、それよりもその思いも消してもらって、感謝の心を深めてもらって、無限の光を浴びる方がいいよね。そういう意味だったら感謝に生きるだけの方がいいですね。イメージトレーニングもプラスに思うこともいらないよね。感謝だけで最高の神様の光を浴びられるのです。



【そうしたら「こうしたい」「ああしたい」「こうなりたい」じゃなくて、「この仕事をしたらどう」と流れてきた場合、もうすべてお任せコースで淡々と「はい、ありがとうございます」と受ける。例えば受験に失敗しても、「ありがとうございます」、また次に受けたときに、受かって「ありがとうございます」という感じでやっていくということなんですか?】

ありがとうございます:
 そうよ、それが一番の幸せの最短コースよね。神さんの新しい働きをズーッと受け続けて、一番いいようにしてもらえるね。



【受験でも具体的に願いを持たないでいい?】



ありがとうございます:
 もうすっかりお任せがいいですね。だから「ここへ入りたい」じゃなしに、入れなかったら入らない方がいいのね。入れるのと、幸せとは関係ないのです。入らないのが幸せになるのだったら、絶対入れてくれないよね。それが全て神様の譲ってくださった姿ですね。



【やっぱり落ちた時はどっと落ち込みますし、そこを「ありがごうございます」で全てを受け入れる。回りから見たら負のことでも、「ありがとうございます」と受け入れる心になればいいなと、思いながら今聞いてました…。】

ありがとうございます:
 だから感謝を練習して感謝が深まると、マイナスもプラスに見えてくる。万病をかかえても「ありがたい」となってくる。それはもう一切のマイナスは見なくなってくるのね。だから幸せな心は何があっても幸せなの、絶対崩れない。神さんの与えて来る本当の無限の無限の幸せというのは、心の幸せなんです。その本当の幸せな心は、もう地獄に落ちても幸せそのものなの、無条件で幸せが出てくるの、幸せな心が湧いて出てくるのです。

 

「池田小学校の事件」の受け入れ方




【池田小学校の事件を思うと、自分の中でどう考えたらいいかという時に、犯人に対しても、犠牲になられた人に対しても、いくら「ありがとうございます」でと思ってもやりきれない自分があのですが、先生はどのようにお考えですか?】

ありがとうございます:
 人ってね、過去にやっぱりマイナスの言葉を一杯使い過ぎています。だからマイナスの言葉はマイナスの放送番組と波長が合って、マイナスの面を味わうようになっているんですね。だからどれだけマイナスの言葉を過去に積み重ねてきたか、心にどれだけマイナスの心があるかって、これはもう無限に近いよね。そうすると、本当はマイナスの言葉に波長の合う世界って、地獄のどん底かもしれない。そしたら、この世のいろんなマイナス、いろんな姿を見ても、地獄と比べると万分の一の軽さよね。

 本当は、自分は犯人のような姿をとる可能性もあるかもしれないでしょう。また被害者の姿をとるかもしれない。でも今の自分は、それをせずに済ませてもらっている。だから大難を小難にして、さらに小難を無難にして、「護りに護って頂いている」というような受け方の方がいいですね。「みんな自分の身代わりなんだ」、「犯人も被害者も、どちらも自分の身代わりで、助けてくださっている神様の愛の姿なんだ」というふうに見た方が、「ありがとうございます」で全部に感謝できます。

 そうすると、自分の心の中のマイナスも「この事件を通して大きく表面に浮かび上がらせて消して頂いた」というふうに受け止められるよね。そしてプラスヘブラスへ自分の心を向け続けてもらって「神様の最高番組を味わえるように早くしてもらえるんだ」とね。もう全てが感謝につながってくるね。感謝で受け止めて行くのが一番いいです。それをマイナスに使ったら、自分もマイナスの番組に波長を合わせて行くんだし、また犯人を責めても、犯人を幸せにすることは出来ないね。被害者に「可哀相に」って言ったって幸せになれない。みんなが幸せになる生き方というのは、やっぱり、そこへ神様の大きい助けが降りて来ないとね。「ありがとうございます」で全部締めくくるのがいいです。そうしたら全部が幸せになるように、助け続けてもらえるんですね。



【池田の事件で、身代わりという事ですが。当事者になった場合はどうしたらいいんでしょうか?】

ありがとうございます:
 当事者になったら、過去世の因縁を、本当は地獄に落ちて苦しんでなければならないところを、こんなに軽く軽く済ませてもらえたというふうにね。本当に地獄のどん底って、無間地獄に落ちたら、殺されては生き返り、殺されては生き返りでしょう。瞬間の一瞬も、間がないくらい、もう殺され続ける姿をとるんでしょう。一回殺されるぐらいじゃ済まないもんね。それも永遠に続くぐらいの殺され方をするのね。だから地獄のどん底に落ちても、文句を言えない自分より、「ああ、こんなに軽く済ませてもらって、マイナスを消してもらえた」と思うと、感謝につながって行くよね。そしたら幸せがどんどん大きくなるのね。



世界の中心は誰か

【皇太子殿下は世界の中心となられますでしょうか?】



ありがとうございます:
 そうね、なられるんでしょうね。中心というのは本当はね、みんなも中心なんです。だから神さんと一体の自覚を深めて行けば、みんな世界の宇宙の中心なんです。でも本当の自分を失うと、中心でなくなっていくんです。

 天皇陛下というのは、役割として、神様の絶対の愛の心を体現して、そして一番下からみんなを支えるような形で、全責任を自分の上に持ってくるのね。だから「我」が一切ないの、「我」がないから中心になるのね。「我」があると上に行きたいでしょう、それはもう中心じゃなくなるんです。「我」をなくした自分が、常に世界の中心に立っているのね。その中心は無限にあってもいいんです。みんなが中心に立たないと、本当の意味の大きい働きの姿が出てこないです。

 中心にもいろんな意味の中心があるんです。この体を見ても、中心って何処ですか?心臓が中心という人もあるし、丹田が中心という人もあるでしょう、頭が中心という人も、顔が中心と、顔の中の鼻が中心ってね。でも指を一本こう前に出したら、指が中心ですよね、足の裏を前に出したら足の裏が中心になるでしょう。その時その時で、中心が自由自在に変化してもいいんでしょう。だから、どの部分でも一番前に出した時が中心になるのね。その宇宙全体から眺めてもそうです。一人一人どの部分の人でも、それを前面に出してもらったらそれが中心だし、いろんな意味の中心があっていいのよね。固定された中心はないのです。もう常に、神様は全ての人を中心に置いてくださっているのです、宇宙の中心にね。




古くからの因習

【古くからの因習には縛りがある、言葉で人を突き刺すのも暴力と同じ。】



ありがとうございます:
 善悪含めて人の自由を縛るのは縛りなんですよね。感謝というのは、一人一人の自由な生き方を尊重するのです。それで「本当の個性のある素晴らしいものが、自然に中から湧き出てくるようにお手伝いしよう」とするのが感謝なんです。古い生き方には、型にはめて、縛ろうというのがあったんです。これが正いというと、それから外れたものをぜんぶそこへ縛って、ここへ持ってこようとするの、そして「悪い、悪い」って責めるんでしょう。マイナスに見ることも大きい責め言葉ですよね。言葉の槍で突き刺すような感じになるんです。だから
人を責め裁く人は、逆に暴力をふるわなくても、やっぱり言葉の槍で相手を突き刺しているの、お返しを受ける可能性が大きいですね。


 どんなマイナスの姿でもマイナスに見えても、「ありがとうございます」で神さんの助けを、そこへ下ろしてもらうということは、そこへ無限のプラスをどんと加えてもらうわけ。そうしたら中から自然に、いい姿になるしかないように、みんながなればいいし、「ありがとうございます」って感謝すればいいですね。やっぱり、マイナスの姿に感謝するんじゃなしに「無限のプラスを神様から加えてもらう」という意味で感謝するのです。「ありがとうございます」で無限のプラスを神様に加えてもらうのね。

神の怒り・悲しみ




【神様は「人間が可愛い、可愛いだけ」と先生はおっしゃいますが。でも神の怒り、と人はよく言いますけど、本当にあるんでしょうか?】

ありがとうございます:
 番組毎に違うのね。地獄の番組では、閻魔大王様が出てきて、厳しく間違いを正して、くれるの、高い方には怒りはないね、だから感謝に生きる人は神様のプラスを受け入れようとするんでしょう。喜んでプラスのいい姿ばっし与えてくださるし、優しいプラスばっかりやね、怒りなんか全然ないです。でもね、神様の助けを無視して、悪いことばっかりする人に対しては、それを止めてあげないと、どこまでもマイナスを大きくするじゃない。そういう場合は、閻魔大王になったり、不動明王になって、光の姿でそれにストップかけてくれるわね。それも神様の深い愛の働きです。でも優しい方がいいわね。



【怒りの次に、悲しみなんですけと、神様は戦争なんかを見られて悲しんでおられるのでしょうか?】

ありがとうございます:
 神様は放送番組としてしか見てないです。それを眺めて、仮に巻き込まれて悲しんでいても、本当の人は悲しんでないってね。ただ「番組に巻き込まれて一緒に悲しい真似をしている」というように見てるのね。「だから早く番組から抜け出しなさい」というぐらいね、パッと背中叩いてパッと気づかせてくださる、はははは。



【悲しみもないんでしょうか?】

ありがとうございます:
 うん。神さんの方は悲しみと対局の無限の無限の喜びの方やね。神さんは「何でも与えている」けど、「マイナスも与えている」と見るのは間違いなの、神様を悪者にしてしまうね。「神様の御心のままに」というのは「無限の無限のプラスのままに」ね。
だからこの世の運命のストーリーがあるでしょう。これが全部「神さんの御心のままに」と言うと間違いなの。「本当の神様の御心のままに」というのは、最高の番組を受けて、それを「御心のままに」というのね。まだ低い番組だったら、神様の御心のままにとは言えないのね。何%かの神様の御心のままにやね、百%じゃないのね。だから「百%神様の御心のままに」といのは「最高の番組の無限の無限のプラスばっかりの番組」を味わえるようになったら、すべて神さんの御心のままにと言えるのです。悪いのは神さんのせいじゃないの。良いものだけは神様のお蔭なのね



台風の意味




【寝台車で来たんですけども、漁業組合の方が「台風が来るのはとても大事なことだ」と言われたんです。諌早湾の海苔が取れなくなったのも、台風が来ないことで海の水を中まで混ぜ返せない。また年々降水量が少なくなって不漁になっているから、鯵や鯖や鰯とかが取れなくなったと。雨が降ることによって魚がその降った水に卵を産みつけるんだそうです。「雨が降った水にですか」と言ったら、流れてきたその水は何か違うみたいで、それが自然の営みで、台風も大事雨も大事だと教えてもらって一緒に電車の中で話をしてきたんです。私たちにとって、大雨は確かにマイナスだし、台風も確かにマイナスなんですけれども、やっぱり自然の流れからすれば、非常にプラスになっている部分もあるんだなあと思ったんです。これも、ありがとう村に私が来るというときに、凄い人と話をしながら来るんだと思いながら、こちらに向かったんですけれど。本当に私たちは台風とか大雨とかというのは、マイナスだけしか思わないですけれど、自然にとっては凄くプラスになってるんだなと、そこで本当に感謝いたしました。】

ありがとうございます:

 台風というのは神さんの、まあ龍神さんのお清めの働きなんです。風というのも、風が吹く所は文化が栄えるのね。滞ったマイナスの業想念、思いを全部吹き飛ばして消してくれるの。だから、風が吹かないとみんな死んでしまう。空気が動かなかったら酸欠で死ぬのね。知らん間に空気は動いているのです。それで強く流れるほど、澱んだものを全部消してもらえる、大きくたまったマイナスを、すっかり消し切ってくださる働きなんです。その中でも台風が一番大きいものね。その神さんの大きい働きを感謝で受けて、自分達が傷つかないように準備しないといけないよね。台風の風が吹いても家が倒れないように、ちゃんとしておかないと。それでまた大水が出ても被害を受けないように、人の方がそういう場へ行かないようにしないと。だからその神さんの働きに合わせて、逆にそれをプラスに受けられる立場に置かないといけないですね。


 「台風の大水が出たから」と言うてそこへ飛び込んだら、みんな死んでしまうわね。やっぱりそういう時は行かないように、また近寄らないように、そういう場所へ家を建てたりしない方がいいでしょう。日本人って昔から自然と調和する生き方をとろうとしてきたのです。川でもコンクリで要壁を作って、一定の形で堤防を作ってしまうと、それを越えた時に堤防を越えて水で大被害を受けるんでしょう。昔の人は、普段流れる川幅の低い所と、もう一つ外に広く大きい堤防を作って、普段自由に使える場所と二つに分けているのね。だから、大水出た時は広く緩やかに流れる川の流れを作るわけ。そうすると被害は殆どないというぐらい影響を受けないね。今は土地が私有財産になってしまって、そういう余裕のある場所は取れないですね。本当はみんな神様のもので共有財産で、大自然と調和する生き方がとれるようにというふうに、一番理想的なそういう川の姿を作ればいいのだけど、そうしたら自然と調和した姿で、台風が来ても「ありがとうございます」と、喜んで迎えられる。そのくらい科学も今は発達しているのに、その力がなかったらおかしいですよね。


超能力

【最近超能力を持っておられる方が出てきておられますが、何かお役を持っておられるのですか?】



ありがとうございます:

 超能力もピンからキリまであるのよね。



【知る限りでは、ゆで卵を生卵に戻す、炒ったピーナッツから茅を出すとかという方もおられます。】

ありがとうございます:
 これね、一瞬一瞬の置き換えだったら何でも可能でしょう。だからそのチャンネルを自由に切り替えられたら、死んだものでも瞬間生き返るのね。マイナスがすぐにプラスに変化するわね。本当はみんなそれが出来るんです。チャンネルの切り替えさえ上手になれば、必要だったらそれが出来るんです。そこまで自由自在になんでも変化するという意味では、そういう能力を見せてくださる人もみんなの勉強になります。ただ、そういうふうに手品的にするのは小さいもんよ。本当は大きく全体をどんどん変化して置き換えてもらうので、良いものへ、良いものへと、大きく全体を置き換えてもらえる生き方の方がいいですね。




子育てのポイント

【子育てのポイントを教えて下さい。】



ありがとうございます:
 子育でも、「親が無くても子は育つ」と言う言葉があるようにね、子供を育てるのは神様やね、特に守護霊さん、守護神さんが専属に譲って育てているのです。神様へのお任せよね、だから「いつも譲って頂いて、ありがとうございます」と感謝していたら、完璧に育ててくださるわね。

ただ肉体の親というのは、守護霊さんの考えと反対のことをして邪魔する時があるの。「甘やかしすぎる」必要のないものまで与えてしまうでしょう。守護霊さんの方は、子供を立派に育てて幸せにしたいでしょう。能力一杯引き出して、世の中のために尽くせるように変えたいわけでしょう。ちょっと肉体の親より厳しいね。「本当に必要なことは何かと考えて、守護霊さんのお手伝いをするような気持ち」でさせてもらうと、一番理想的な子育てやね。

 本当に必要なものを与えるのがいいです。子供さんが「甘いものを欲しい」「お菓子欲しい」と言うでしょう、必要かどうか考えたら、あんまり必要ない時があるのね。そういう時は断固として拒絶するぐらいの気持ちで接してあげないと。やっぱり甘える心を起こさせると、本当の自分が出てきにくくなって、子供さんにとってはマイナスですね。だから我慢する時は我慢させた方がいいね。それで「何が必要か」というのをはっきりわからせるのがいいですね。



チャンネル選びの自由




【アガスティアの葉には、「前世からすべての小さいことまで決まっている」というのは実際そうなんでしょうか?】

ありがとうございます:
 そうですよ。神様が創る放送番組は、ピタッと細かいとこまでぜんぶ決まってるの。はい。ただ、それは人の自由を縛るものじゃなく、神様が作った放送番組として決まっていて、人は自由意志で何でも選べるでしょう。



【だって、選ぶことでさえもこう…。】

ありがとうございます:
 決まってないんです。放送番組を選ぶ自由は人間にあるんですよね。だから、どんな番組でも選べるから、その人の受ける番組の運命は自由に変るんです。



【自由に変わるんですか?】



ありがとうございます:

 一つの番組を見続けている限りは、その番組のストーリー通りに決まっています。もう細かいことまで全部決まっていますね。



【なら、発想の転換をしてパッとてチャンネルを変える…】

ありがとうございます:
 番組を変えたら必ず別な運命をたどるんです。



【それはいつでも可能なんですか?】



ありがとうございます:
 いつでも可能なんです。だから人はね、運命の奴隷じゃないですね。運命を支配する支配者なんです。



【それを聞いて安心しました。細かい所まで決まってたら、なんか、面白くないんじゃないかと思って。】

【チャンネルは幾つぐらいあるんですか?】

ありがとうございます:
 無限の無限。無限って言っても数字にあらわせないくらい無限なんですね。人の願う、考え付くどんな運命でも、神さんは番組として用意していますから、何を願っても大丈夫なの、そこまで自由を護ってもらえるのね。ただ一つの番組にはまり込んで、そこから抜けられない状態の時に一番恐いね、それは「運命の奴隷」です。ただ感謝の心を起こせたら、番組からスッと抜け出させてもらえるので、番組選びは自由になるんです。そうしたら運命を支配するんですね。



【チャンネルの中にいる間は細かいことも決まっているんですね。チャンネルが変ったら、そのチャンネルでも、また決まっているんですか? それとも上がることだけが決まっているのか、上がったらその変わったチャンネルの中では、全く自分で作れるんですか?】



ありがとうございます:
 違うチャンネルは、違うチャンネルでストーリーは決まっているの。



【じゃあ、上がるか、上がらないかは、自分で決められるの?(そうです)
上がった場所でのストーリーは決まっている。 (はい) 

 ひとりづつ別々に?】

ありがとうございます:

 そうです。はい、どんなストーリーでも用意されているんです。だから人の思いつくストーリーの無限倍ですよね、そこまで神さんの宇宙創造の働きは凄いんです。

【そんなに沢山あったら自由と一緒ですね。】

ありがとうございます:

 自由なんです、「何でも選べる」という自由があるんです。



チャンネルを選ぶ時の守護霊・守護神との関わり




【チャンネルの選び方としては、守護霊、守護神との関わりはどのようになっているのでしょうか?】

ありがとうございます:
 心にマイナスの言葉をズーッとズーッと貯めすぎると、貯まってしまって番組の予約をしてしまうのね。マイナスの言葉はマイナスの番組の予約なんです。それをどんどん貯めすぎると、マイナスの番組の予約がズーッと続くでしょう。そうすると、なかなかマイナスの番組から抜け出せないです。そういう場合は助太刀が要るんですね。

 守護霊さんの働きは、心の中のマイナスを、自分が身代わりに引き受けて消してくれる役目なんです。だから本当は自分の自由意志で言葉を選んで、番組選びをする必要があるんですけど、落ち込んだらもうどうしようもないです。そんな時は一旦棚上げにしてくださるのね、特に、この世がそうなんです。過去のマイナスを全部守護霊さんが一時預かり、棚上げにしといて、それでちょっとだけ勉強材料を与えといて、マイナスからプラスに向け換える練習させてくれるのね。全くプラスばかりだと勉強にならんので、ほんの一部だけマイナスを残しておいて、「どっちを選ぶか」という自由意志をはっきりさせる意味で、勉強をさせてくださる。それでプラスの方へ心を向け出したら、守護霊さんも喜んで一生懸命力を振るって助けてくれるのね。

 その過去の棚上げした自分の預かっている分も、プラスに向き出したらその人の自由意志で、「マイナスを消して欲しい」というのがはっきりしますから、その時に預かっているものを消せるのです。そしたらマイナスの予約が消えてしまい、今度、プラスの言葉を使ったら、すぐプラスの番組に波長が合うようになってくるし、瞬間、瞬間、波長合わせが楽になって出来るようになるんです。そうなったらもっと自由な番組選びの出来る自分に変ってくるのね。そうなったらもう心配ないんです。そういう意味で守護霊さんがいつも働いてくれるのね。



【守護霊さんと守護神さんとの役割の違いはあるんですか?】

ありがとうございます:
 そうね、力の違いと言ったら力の大きさの違いがあるんです。またこの番組にどれだけ身近に寄り添って護るかでしょう。なかなか、低い番組には高い守護神さんは降りられへんの、波動の違いが大きいからね。だから梯子的につないで、いくらでも根元から光を流せるようにしておいて、それで守護霊さんが直に寄り添って、人の自由意思を尊重しながら護るんです。



【何人ぐらい、三人ぐらいいるんですか?】

ありがとうございます:
 ううん。もっと付くんですよね。必要だったら何百体って付いてくださるんですけど、ただ必要にならないと、じっと待っているだけでは他の仕事をしますから、守護霊さんも何もできないの。大勢の守護霊さん、守護神さんも付いてくださって、護ってくださるから、忙しいぐらい仕事を与えなあかん。



【威張っていいんですね。】

ありがとうございます
 はい。あっはははは。



【番組を選ぶと、どれくらいで見れるんですか?】

ありがとうございます:
 人によって全部運いますね。予約を沢山し続けた人は、やっぱりそれが終わるまで、次の番組が出てこないですね。あまり予約してない人はすぐ出てくるんですけど、テレビでも、何週間も先の分まで、10ぐらい予約している人もいるでしょう。そういう予約を取り消さないと、今見たいものは見れないです。