世界の中心というのは、神さまの光が強く輝いたところが中心なんですね。その中心は自由自在に変化するんですよ。神さまはみんなに幸せを与えたいばっかしですよね。だから、プラスの言葉をいっぱい使ってくれるところに強い光を降ろしたい。そこを雛形にしていいものを世界に投影していきたいのね。だから、いい言葉をたくさん使うほど世界の中心になる。マイナスの言葉はやっぱり神さまは遠慮するんですね、マイナスを世界に広げたくないんですね。だから、光を抑えてしまうんです。神さまの近づいてくださるところはプラスの言葉の多いところ、特に「無限の無限の何々」というところへ、プラスの言葉がいっぱい集まってくるところが、神さまが光を添えに来やすいところなのね。

 だから「ありがとうございます」という言葉は、神さまに波長を合わせる言葉ですよね。神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!という意味を中に持ってるので、「ありがとうございます」を深くいっぱい唱える人が大勢いるところ、そこが世界の中心になって行くんですね。それはもう必然的に神さまはそこへ光を降ろしたいわけで、必ず光を添えにやってくるね。だから「ありがとうございます」を唱えるところには大きい光が降りるんです、必ずね。これは、地獄で唱えても地獄がいっぺんに極楽に変貌するぐらい大きい光が降りるんです。試してみてください、あっはははは、地獄へ行って。ちょっと大変ですね。

 本当にそうなんですよ、地獄に下りても大丈夫ですね、「ありがとうございます」さえ忘れずにいたら、大きい光を神さまが添えにきますから、いっぺんに明るくなるんですね。

 だから、中心というのは自由自在に変化しますね、そういう意味ではね。人が感謝すればするところが、そこが世界の中心になっていくはずなんです。だから、みなさんが、また自分の生活の場に戻って深く感謝し、また仲間をつくって大勢で祈りをすれば、そこは大きい光を放射する場所になって行きますね。そういう意味だったら、もう中心がたくさんできるほどいいんですね。



 普通は、神さまを信じている人は、いろんな神さまや仏様を信じるでしょう。八百万の神さまとなると大変ですよね。みんな働きが違うんですよね、それで助け方、与え方がぜんぶ違うわけでしょう。

 自分にいろんな願いがあって、自分の願いを叶えてもらうために、いろんな神さまを対象にして助けを受けようとすると大変ですよね。順番に神さまの名前を呼んで助けを受けるにしても、神さまの名前をいっぱい唱えないと駄目じゃないですか。

 一万柱(はしら)の神さまがいらっしゃるとして、順番に一万の神さまの名前を呼べるでしょうかね、無理ね。

 そして、ある神さまの名前を呼んで、他の神さまの名前を呼ばなかったら機嫌を悪くするかも知れない「なんで私を除け者にして」と言われるかも知れない、まあ、そんなことは言わないかも知れないけどね。

 エコヒイキよね、不平等になるじゃない。

 だから、全部に、全ての神さまに通じる言葉っていいですよね。「ありがとうございます」一言で自分を護ってくださる神さま全てに通じるんですね。

 また、あの世の神さまだけじゃないんですよね、この世の全てのものも神さまが愛の心で変身して、いろんな姿に形を変えて、姿を変えて、私たち一人一人を幸せにしようとしてくださる姿でしょう。

 だから、道路を歩いて石ころにけつまづいても、その石ころに文句を言っても駄目よね。その石ころは神さまの愛の塊みたいなものよね。本当に神通自在な神さまが石ころに変身して、みんなが歩けるように支えてくれるわけでしょう。蹴飛ばされても文句言わずに幸せを願って祈ってくれてるわけね。

 この世の全てもそうなのね。だから「ありがとうございます」って言うのでも、もう全部に本当は言わないといけないね。全部に言うなんて不可能よね。地球の六十億あまりの人に一回でも「ありがとうございます」を言おうと思ったら一生では言えないですね。ある人に言ってある人に言わなかったら不平等よね。

 だから、特別に「あの人」と名指さなくていいのよね、本当はね。「ありがとうございます」一言で、全ての人にも感謝ができるのね。全ての動物にも、植物にも、鉱物にもってね、細かく言ったら全ての細胞に、全ての原子にというような感じでしょう。もう全てに行き届いた感謝ができるというのが「ありがとうございます」一言でいいのね。そこまで絞り込んだら楽ですよね。もう枝葉にとらわれなくなる。

 いろんな宗教の教えがいっぱいあっても、もうぜんぶいいのよ、それね。「ああ、みんな素晴らしいな」でいいのよね。ぜんぶ「ありがとうございます」の一言の中に小さく納まってるのね。

 お祈りもいろんな種類の祈り方がありますよね。無限の種類があっていいね、祈り言葉もね。また、祈りも無限の段階があっていいのね。

 だから「南無阿弥陀仏」もいいし、「世界人類が平和でありますように」もいいし、もう全てがいいのね。でもね、「ありがとうございます」の中にぜんぶ含まれるのね。そしたら一つに絞った方がいいでしょう、いろんな祈りをしなくてもね。まあ、「ありがとうございます」で全部できてるのよ。楽になるね。

 だから、どんどん単純化して楽になるほうがいいのよね、根本に戻るほど全体が把握しやすくなるね。

 だから「一つに絞りきる」ということが、本当の意味で神さまをしっかりと掴むことになるのね。そのための祈り言葉になってるね「ありがとうございます」というのがね。だから、もう皆さんは既に無限に無限に輝いて祈り続けてるという。

 これを今信じられる人は思いの少ない人ね。またそういう言葉を少し使ってきたか、受け入れやすい状態に心がなってる人よね。でも、奥の自分はぜんぶわかってるのよ。「みんな天照大御神さま」ってね、そういう感覚は奥にはちゃんとあるのね。ただ、それがどの程度邪魔されずに出てきてるかでしょう。この邪魔するものは、やっぱり思いの心ね。

 普通ね、思いの心を生きている間は、自分の思い通りにしたいのよね。いっぱいいろんな願いが出てくるでしょう「こうしてみたい」とか「こうあって欲しい」とか、いろんな願いが出てきますね。

 でもね、思いの心を生きている間は、取り越し苦労をし、持越し苦労をし、上手く行かないよね。思いがいっぱい溜まったら、もう七難八苦でいっぱいになるね。最後には地獄の苦痛を味わう状態に落ちてしまうのね。だから、思い通りに生きても駄目ね。思いは、やっぱり相手にしないほうがいいのね。

 「思いを捨てて感謝に生きる」という、この生き方が本当の正しい幸せへの道なのね。

 思いの心でいろいろ人に質問して答えをもらったって、思いの世界へはまり込むだけね、答えにも何もならないね、解決しないのね。

 それは思いの心で一つの番組に波長を合わせて、その番組にはまってるだけね。それでは、幸せは感じないし、代わりに思い通りになった姿が与えてもらえても、次にまた問題が次から次にいっぱい出てくるのね。もう際限なく問題が出てきて七難八苦の苦痛におちいるの。それはもう、思いは相手にせずに、感謝に切り替えたほうがいいね。

 感謝に切り替えて、「みんな神さまの現れ」というふうに、神さまの最高番組を受け取ろうとすればいいね。そうすると「みんな無限に無限に幸せ一杯なんだ」という、そういう言葉の思い返しでどんどん感謝を深めていくと、自分のまわりに現われる姿はみんな無限に幸せな人ばっかしになるね。そしたらいろんな問題で悩むことはないのね。もう一切の苦しみからは超越してしまって、幸せだけが自分の運命に、まわりに現われるようになるね。心配の種はぜんぶ消えてしまうのね。

 だから、今ある心配の種をどうこうしようじゃなしに、ガラッと変えてもらうのね、番組自体をね。それは感謝に生きることによって、番組自体が高い番組に変ったら、もう幸せだけの姿をとってくるね。そういう運命に変るから、自分のまわりは幸せな人ばっかしになるの。それが本当の自分の願ってることのはずなのよね。だから、感謝に生きる練習さえしていけば、もう全ての問題はどんどん解決されていくね。

 そして、「供養」というのでも、いろんな供養の仕方があるのね。これも供養にも無限の段階があるとみたほうがいいね。その供養の仕方も段階があるんで、最高のいい供養の仕方がいいじゃない。

 「供養」というのは「供える」という意味よね、何を供えるか、どこへ供えるか、誰を対象にってね。

 「迷った人がいてる」と見て、なんか食べ物でも供えようかというのだったら、それも一つの供養かも知れないけど、低い段階ね。自分も救われないよ