世界の中心というのは、神さまの光が強く輝いたところが中心なんですね。その中心は自由自在に変化するんですよ。神さまはみんなに幸せを与えたいばっかしですよね。だから、プラスの言葉をいっぱい使ってくれるところに強い光を降ろしたい。そこを雛形にしていいものを世界に投影していきたいのね。だから、いい言葉をたくさん使うほど世界の中心になる。マイナスの言葉はやっぱり神さまは遠慮するんですね、マイナスを世界に広げたくないんですね。だから、光を抑えてしまうんです。神さまの近づいてくださるところはプラスの言葉の多いところ、特に「無限の無限の何々」というところへ、プラスの言葉がいっぱい集まってくるところが、神さまが光を添えに来やすいところなのね。

 だから「ありがとうございます」という言葉は、神さまに波長を合わせる言葉ですよね。神さまの全徳の無限の無限の輝きが一杯!という意味を中に持ってるので、「ありがとうございます」を深くいっぱい唱える人が大勢いるところ、そこが世界の中心になって行くんですね。それはもう必然的に神さまはそこへ光を降ろしたいわけで、必ず光を添えにやってくるね。だから「ありがとうございます」を唱えるところには大きい光が降りるんです、必ずね。これは、地獄で唱えても地獄がいっぺんに極楽に変貌するぐらい大きい光が降りるんです。試してみてください、あっはははは、地獄へ行って。ちょっと大変ですね。

 本当にそうなんですよ、地獄に下りても大丈夫ですね、「ありがとうございます」さえ忘れずにいたら、大きい光を神さまが添えにきますから、いっぺんに明るくなるんですね。

 だから、中心というのは自由自在に変化しますね、そういう意味ではね。人が感謝すればするところが、そこが世界の中心になっていくはずなんです。だから、みなさんが、また自分の生活の場に戻って深く感謝し、また仲間をつくって大勢で祈りをすれば、そこは大きい光を放射する場所になって行きますね。そういう意味だったら、もう中心がたくさんできるほどいいんですね。



 普通は、神さまを信じている人は、いろんな神さまや仏様を信じるでしょう。八百万の神さまとなると大変ですよね。みんな働きが違うんですよね、それで助け方、与え方がぜんぶ違うわけでしょう。

 自分にいろんな願いがあって、自分の願いを叶えてもらうために、いろんな神さまを対象にして助けを受けようとすると大変ですよね。順番に神さまの名前を呼んで助けを受けるにしても、神さまの名前をいっぱい唱えないと駄目じゃないですか。

 一万柱(はしら)の神さまがいらっしゃるとして、順番に一万の神さまの名前を呼べるでしょうかね、無理ね。

 そして、ある神さまの名前を呼んで、他の神さまの名前を呼ばなかったら機嫌を悪くするかも知れない「なんで私を除け者にして」と言われるかも知れない、まあ、そんなことは言わないかも知れないけどね。

 エコヒイキよね、不平等になるじゃない。

 だから、全部に、全ての神さまに通じる言葉っていいですよね。「ありがとうございます」一言で自分を護ってくださる神さま全てに通じるんですね。

 また、あの世の神さまだけじゃないんですよね、この世の全てのものも神さまが愛の心で変身して、いろんな姿に形を変えて、姿を変えて、私たち一人一人を幸せにしようとしてくださる姿でしょう。

 だから、道路を歩いて石ころにけつまづいても、その石ころに文句を言っても駄目よね。その石ころは神さまの愛の塊みたいなものよね。本当に神通自在な神さまが石ころに変身して、みんなが歩けるように支えてくれるわけでしょう。蹴飛ばされても文句言わずに幸せを願って祈ってくれてるわけね。

 この世の全てもそうなのね。だから「ありがとうございます」って言うのでも、もう全部に本当は言わないといけないね。全部に言うなんて不可能よね。地球の六十億あまりの人に一回でも「ありがとうございます」を言おうと思ったら一生では言えないですね。ある人に言ってある人に言わなかったら不平等よね。

 だから、特別に「あの人」と名指さなくていいのよね、本当はね。「ありがとうございます」一言で、全ての人にも感謝ができるのね。全ての動物にも、植物にも、鉱物にもってね、細かく言ったら全ての細胞に、全ての原子にというような感じでしょう。もう全てに行き届いた感謝ができるというのが「ありがとうございます」一言でいいのね。そこまで絞り込んだら楽ですよね。もう枝葉にとらわれなくなる。

 いろんな宗教の教えがいっぱいあっても、もうぜんぶいいのよ、それね。「ああ、みんな素晴らしいな」でいいのよね。ぜんぶ「ありがとうございます」の一言の中に小さく納まってるのね。

 お祈りもいろんな種類の祈り方がありますよね。無限の種類があっていいね、祈り言葉もね。また、祈りも無限の段階があっていいのね。

 だから「南無阿弥陀仏」もいいし、「世界人類が平和でありますように」もいいし、もう全てがいいのね。でもね、「ありがとうございます」の中にぜんぶ含まれるのね。そしたら一つに絞った方がいいでしょう、いろんな祈りをしなくてもね。まあ、「ありがとうございます」で全部できてるのよ。楽になるね。

 だから、どんどん単純化して楽になるほうがいいのよね、根本に戻るほど全体が把握しやすくなるね。

 だから「一つに絞りきる」ということが、本当の意味で神さまをしっかりと掴むことになるのね。そのための祈り言葉になってるね「ありがとうございます」というのがね。だから、もう皆さんは既に無限に無限に輝いて祈り続けてるという。

 これを今信じられる人は思いの少ない人ね。またそういう言葉を少し使ってきたか、受け入れやすい状態に心がなってる人よね。でも、奥の自分はぜんぶわかってるのよ。「みんな天照大御神さま」ってね、そういう感覚は奥にはちゃんとあるのね。ただ、それがどの程度邪魔されずに出てきてるかでしょう。この邪魔するものは、やっぱり思いの心ね。

 普通ね、思いの心を生きている間は、自分の思い通りにしたいのよね。いっぱいいろんな願いが出てくるでしょう「こうしてみたい」とか「こうあって欲しい」とか、いろんな願いが出てきますね。

 でもね、思いの心を生きている間は、取り越し苦労をし、持越し苦労をし、上手く行かないよね。思いがいっぱい溜まったら、もう七難八苦でいっぱいになるね。最後には地獄の苦痛を味わう状態に落ちてしまうのね。だから、思い通りに生きても駄目ね。思いは、やっぱり相手にしないほうがいいのね。

 「思いを捨てて感謝に生きる」という、この生き方が本当の正しい幸せへの道なのね。

 思いの心でいろいろ人に質問して答えをもらったって、思いの世界へはまり込むだけね、答えにも何もならないね、解決しないのね。

 それは思いの心で一つの番組に波長を合わせて、その番組にはまってるだけね。それでは、幸せは感じないし、代わりに思い通りになった姿が与えてもらえても、次にまた問題が次から次にいっぱい出てくるのね。もう際限なく問題が出てきて七難八苦の苦痛におちいるの。それはもう、思いは相手にせずに、感謝に切り替えたほうがいいね。

 感謝に切り替えて、「みんな神さまの現れ」というふうに、神さまの最高番組を受け取ろうとすればいいね。そうすると「みんな無限に無限に幸せ一杯なんだ」という、そういう言葉の思い返しでどんどん感謝を深めていくと、自分のまわりに現われる姿はみんな無限に幸せな人ばっかしになるね。そしたらいろんな問題で悩むことはないのね。もう一切の苦しみからは超越してしまって、幸せだけが自分の運命に、まわりに現われるようになるね。心配の種はぜんぶ消えてしまうのね。

 だから、今ある心配の種をどうこうしようじゃなしに、ガラッと変えてもらうのね、番組自体をね。それは感謝に生きることによって、番組自体が高い番組に変ったら、もう幸せだけの姿をとってくるね。そういう運命に変るから、自分のまわりは幸せな人ばっかしになるの。それが本当の自分の願ってることのはずなのよね。だから、感謝に生きる練習さえしていけば、もう全ての問題はどんどん解決されていくね。

 そして、「供養」というのでも、いろんな供養の仕方があるのね。これも供養にも無限の段階があるとみたほうがいいね。その供養の仕方も段階があるんで、最高のいい供養の仕方がいいじゃない。

 「供養」というのは「供える」という意味よね、何を供えるか、どこへ供えるか、誰を対象にってね。

 「迷った人がいてる」と見て、なんか食べ物でも供えようかというのだったら、それも一つの供養かも知れないけど、低い段階ね。自分も救われないよね、そういう世界に自分を置くとね。それは「低い番組」と見た方がいいよね。

 「高い番組の供養」は、自分の命を神さまに捧げていくわけよね、自分の大事なものを捧げて、そして古いものを消してもらって、新たに神さまから最高のいいものを与えてもらう、置き換えてもらうのが供養よね。

 だから、別に「何をお供えしなければ」じゃないのね。本当は神さまの方から与えてもらった最高のものをお返しするのが大事なのね。自分の命を、それ以上のものをいうと「ありがとうございます」よね。

 「感謝を神さまに捧げ続ける」という、それが最高の供養になるね。

 例えば、特定の人を相手にして供養をするのでも、その人を「神さま」と拝んで感謝を捧げると高い供養の仕方よね。そしたら、高い神さまは自分の持ってるマイナスをぜんぶ消してくださるよね。自分の命まで捧げる・感謝を捧げることによって、自分が過去に積んだマイナスをぜんぶ引きくけて消してくださるね。そして新しい良(い)いものと、最高のものと置き換えてくださったら、幸せ一杯にしてくださるよね。

 特定の人、特定の神さまを相手にするのでもそうね、でもそれ以上に高い番組を相手にするのだったら、宇宙の大神さまを相手にするのね。自分の全てを神さまに捧げ尽す、感謝の真を捧げ尽し続けるのよね。そしてその最高のものを受け続けたらいいのね。これが本当の意味の供養の仕方よね。

 だから、もう感謝一筋でいいのね「ありがとうございます」一言の感謝一筋で生きてると、全ての供養がその中に含まれてるのね。

 だから、一人の人に心が向いて、「その人を供養しないと」と一所懸命になったって、そしたら他の人に対して失礼よ。他の人から「なんで供養してくれない」と言われるよ。これもぜんぶに通用する供養がいいのね。全てに通用する供養は「ありがとうございます」よね。全ての段階の全ての人を幸せにしてくださるね。そこから幸せをいっぱい与えてもらえるよね。だから、そういう供養の仕方って大事ね。

 自分のまわりに現われた姿、マイナスの姿が出てくるときもあるでしょう。でも、そのマイナスに引っかかるという時、それを「どう受けるか」よね。思いの心で「ああ、これをなんとかしなければ」じゃ損するのね。そういう時でも常に感謝の心に戻ること、先にね。感謝の心に戻ってそれを眺めたら、プラスにプラスに受けられるね。まわりの全てのマイナスは、自分のマイナスを振り替えて身代わりに受けて大きく消してくださってるのね。「神さまの愛の働き」というふうに受けられるよね。もう全てのマイナスがそうよ。

 誰かが交通事故にあったって、「自分の身代わり」と思っただけで大きく助けてもらっているってわかるじゃない。泥棒に入られたっていいのよ、泥棒は悪者じゃないの「自分の大きい借金をこれで棒引きにしてくれた」と思えば別にいいのよね。強盗もいいの、強盗に入られたって構わんね「自分の大きいマイナス・業を消してくれた、取ってくれた」と思えばいいじゃない。

 全てのマイナスはぜんぶ神さまの方から愛の助けとして現われてる。ただ、みんな持ってるマイナスに気づかないよね、掴んでるマイナスって気づかないでしょう。知らん間に掴んでるものがいっぱいあるのね。

 ただ、それを消すのに神さまは人の自由意思を無視しては消さないね、必ず確認をとって消してくださるから、ちょっと出しておくのね。大難を無難には消さないね、大難を小難にして消すの。より少ない小難にして消そうとするのね。だからマイナスがあることによって気づくのよね、だから「その何万倍を消してもらった」と喜べばいいね。また「その何億倍を消してもらった」と喜ぶ方がいいのね、そしたらたくさん消してもらったことになるのね。その上にプラスを積み重ねると、感謝がグングン大きく深くなるね。

 これも常に感謝の心に戻ったほうがいいね、思いの心を生きるのじゃ損するね。常に感謝に戻って、そして神さまを感じ取る、神さまの愛の働きを感じ取っていくのがやっぱり幸せへの道よね。

 禅宗は座禅を組むのね「只管打坐(しかんたざ)」っていう言葉があるんですけど。「只(ただ)、坐(すわ)る」というような感じにね。これは肉体的な自分が「只、坐る」んじゃないのね。一番奥の自分、本体の自分は宇宙の大神さまと一体化して、もう自然に生かされてる、祈り続けてる姿をとってるのね。その一番奥の姿に任せきるのね。そうすると「只管打坐」の状態になのね。

 だから、悟った自分から出発したほうがいいの。これから悟ろうという立場だと姿勢がどうのこうのと言い出すのね。でも既に悟った自分から出発したら、もう自由自在でいいね。座ってもいいし、寝てもいいし、どんな姿勢をとってもいいの、常に「只管打坐」ね。心が座ってるのね、しっかりと。

 これも「ありがとうございます」を唱えながらするほうが楽ね。普通、座禅を組んでも「無念無想」になろうとするんだけど、思いが出てくるね、次から次へとね。

 でも「ありがとうございます」から出発すると悟った自分から舞い降りてくるような感じでいいね。 思いがあっても構わんね、雑念がいっぱい出てもいいのね、そのままぜんぶ光り輝いた姿をとるようになるね。

 丁度、太陽から眺めて地球の上空に雲があって、「ああ、白雲がたなびいているな」という感覚でいいの。否定するものは何もないの、そのままでぜんぶ輝いてくるのね。その状態が本当は「只管打坐」の状態ね。だから「既にみんな悟ってる」というのがいいね。


 普通は、神さまを信じている人は、いろんな神さまや仏様を信じるでしょう。八百万の神さまとなると大変ですよね。みんな働きが違うんですよね、それで助け方、与え方がぜんぶ違うわけでしょう。

 自分にいろんな願いがあって、自分の願いを叶えてもらうために、いろんな神さまを対象にして助けを受けようとすると大変ですよね。順番に神さまの名前を呼んで助けを受けるにしても、神さまの名前をいっぱい唱えないと駄目じゃないですか。

 一万体(たい)の神さまがいらっしゃるとして、順番に一万の神さまの名前を呼べるでしょうかね、無理ね。

 そして、ある神さまの名前を呼んで、他の神さまの名前を呼ばなかったら機嫌を悪くするかも知れない「なんで私を除け者にして」と言われるかも知れない、まあ、そんなことは言わないかも知れないけどね。

 エコヒイキよね、不平等になるじゃない。

 だから、全部に、全ての神さまに通じる言葉っていいですよね。「ありがとうございます」一言で自分を護ってくださる神さま全てに通じるんですね。

 また、あの世の神さまだけじゃないんですよね、この世の全てのものも神さまが愛の心で変身して、いろんな姿に形を変えて、姿を変えて、私たち一人一人を幸せにしようとしてくださる姿でしょう。

 だから、道路を歩いて石ころにけつまづいても、その石ころに文句を言っても駄目よね。その石ころは神さまの愛の塊みたいなものよね。本当に神通自在な神さまが石ころに変身して、みんなが歩けるように支えてくれるわけでしょう。蹴飛ばされても文句言わずに幸せを願って祈ってくれてるわけね。

 この世の全てもそうなのね。だから「ありがとうございます」って言うのでも、もう全部に本当は言わないといけないね。全部に言うなんて不可能よね。地球の六十億あまりの人に一回でも「ありがとうございます」を言おうと思ったら一生では言えないですね。ある人に言ってある人に言わなかったら不平等よね。

 だから、特別に「あの人」と名指さなくていいのよね、本当はね。「ありがとうございます」一言で、全ての人にも感謝ができるのね。全ての動物にも、植物にも、鉱物にもってね、細かく言ったら全ての細胞に、全ての原子にというような感じでしょう。もう全てに行き届いた感謝ができるというのが「ありがとうございます」一言でいいのね。そこまで絞り込んだら楽ですよね。もう枝葉にとらわれなくなる。

 いろんな宗教の教えがいっぱいあっても、もうぜんぶいいのよ、それね。「ああ、みんな素晴らしいな」でいいのよね。ぜんぶ「ありがとうございます」の一言の中に小さく納まってるのね。

 お祈りもいろんな種類の祈り方がありますよね。無限の種類があっていいね、祈り言葉もね。また、祈りも無限の段階があっていいのね。

 だから「南無阿弥陀仏」もいいし、「世界人類が平和でありますように」もいいし、もう全てがいいのね。でもね、「ありがとうございます」の中にぜんぶ含まれるのね。そしたら一つに絞った方がいいでしょう、いろんな祈りをしなくてもね。まあ、「ありがとうございます」で全部できてるのよ。楽になるね。

 だから、どんどん単純化して楽になるほうがいいのよね、根本に戻るほど全体が把握しやすくなるね。

 だから「一つに絞りきる」ということが、本当の意味で神さまをしっかりと掴むことになるのね。そのための祈り言葉になってるね「ありがとうございます」というのがね。だから、もう皆さんは既に無限に無限に輝いて祈り続けてるという。

 これを今信じられる人は思いの少ない人ね。またそういう言葉を少し使ってきたか、受け入れやすい状態に心がなってる人よね。でも、奥の自分はぜんぶわかってるのよ。「みんな天照大御神さま」ってね、そういう感覚は奥にはちゃんとあるのね。ただ、それがどの程度邪魔されずに出てきてるかでしょう。この邪魔するものは、やっぱり思いの心ね。

 普通ね、思いの心を生きている間は、自分の思い通りにしたいのよね。いっぱいいろんな願いが出てくるでしょう「こうしてみたい」とか「こうあって欲しい」とか、いろんな願いが出てきますね。

 でもね、思いの心を生きている間は、取り越し苦労をし、持越し苦労をし、上手く行かないよね。思いがいっぱい溜まったら、もう七難八苦でいっぱいになるね。最後には地獄の苦痛を味わう状態に落ちてしまうのね。だから、思い通りに生きても駄目ね。思いは、やっぱり相手にしないほうがいいのね。

 「思いを捨てて感謝に生きる」という、この生き方が本当の正しい幸せへの道なのね。

 思いの心でいろいろ人に質問して答えをもらったって、思いの世界へはまり込むだけね、答えにも何もならないね、解決しないのね。

 それは思いの心で一つの番組に波長を合わせて、その番組にはまってるだけね。それでは、幸せは感じないし、代わりに思い通りになった姿が与えてもらえても、次にまた問題が次から次にいっぱい出てくるのね。もう際限なく問題が出てきて七難八苦の苦痛におちいるの。それはもう、思いは相手にせずに、感謝に切り替えたほうがいいね。

 感謝に切り替えて、「みんな神さまの現れ」というふうに、神さまの最高番組を受け取ろうとすればいいね。そうすると「みんな無限に無限に幸せ一杯なんだ」という、そういう言葉の思い返しでどんどん感謝を深めていくと、自分のまわりに現われる姿はみんな無限に幸せな人ばっかしになるね。そしたらいろんな問題で悩むことはないのね。もう一切の苦しみからは超越してしまって、幸せだけが自分の運命に、まわりに現われるようになるね。心配の種はぜんぶ消えてしまうのね。

 だから、今ある心配の種をどうこうしようじゃなしに、ガラッと変えてもらうのね、番組自体をね。それは感謝に生きることによって、番組自体が高い番組に変ったら、もう幸せだけの姿をとってくるね。そういう運命に変るから、自分のまわりは幸せな人ばっかしになるの。それが本当の自分の願ってることのはずなのよね。だから、感謝に生きる練習さえしていけば、もう全ての問題はどんどん解決されていくね。

 そして、「供養」というのでも、いろんな供養の仕方があるのね。これも供養にも無限の段階があるとみたほうがいいね。その供養の仕方も段階があるんで、最高のいい供養の仕方がいいじゃない。

 「供養」というのは「供える」という意味よね、何を供えるか、どこへ供えるか、誰を対象にってね。

 「迷った人がいてる」と見て、なんか食べ物でも供えようかというのだったら、それも一つの供養かも知れないけど、低い段階ね。自分も救われないよね、そういう世界に自分を置くとね。それは「低い番組」と見た方がいいよね。

 「高い番組の供養」は、自分の命を神さまに捧げていくわけよね、自分の大事なものを捧げて、そして古いものを消してもらって、新たに神さまから最高のいいものを与えてもらう、置き換えてもらうのが供養よね。

 だから、別に「何をお供えしなければ」じゃないのね。本当は神さまの方から与えてもらった最高のものをお返しするのが大事なのね。自分の命を、それ以上のものをいうと「ありがとうございます」よね。

 「感謝を神さまに捧げ続ける」という、それが最高の供養になるね。

 例えば、特定の人を相手にして供養をするのでも、その人を「神さま」と拝んで感謝を捧げると高い供養の仕方よね。そしたら、高い神さまは自分の持ってるマイナスをぜんぶ消してくださるよね。自分の命まで捧げる・感謝を捧げることによって、自分が過去に積んだマイナスをぜんぶ引きくけて消してくださるね。そして新しい良(い)いものと、最高のものと置き換えてくださったら、幸せ一杯にしてくださるよね。

 特定の人、特定の神さまを相手にするのでもそうね、でもそれ以上に高い番組を相手にするのだったら、宇宙の大神さまを相手にするのね。自分の全てを神さまに捧げ尽す、感謝の真を捧げ尽し続けるのよね。そしてその最高のものを受け続けたらいいのね。これが本当の意味の供養の仕方よね。

 だから、もう感謝一筋でいいのね「ありがとうございます」一言の感謝一筋で生きてると、全ての供養がその中に含まれてるのね。

 だから、一人の人に心が向いて、「その人を供養しないと」と一所懸命になったって、そしたら他の人に対して失礼よ。他の人から「なんで供養してくれない」と言われるよ。これもぜんぶに通用する供養がいいのね。全てに通用する供養は「ありがとうございます」よね。全ての段階の全ての人を幸せにしてくださるね。そこから幸せをいっぱい与えてもらえるよね。だから、そういう供養の仕方って大事ね。

 自分のまわりに現われた姿、マイナスの姿が出てくるときもあるでしょう。でも、そのマイナスに引っかかるという時、それを「どう受けるか」よね。思いの心で「ああ、これをなんとかしなければ」じゃ損するのね。そういう時でも常に感謝の心に戻ること、先にね。感謝の心に戻ってそれを眺めたら、プラスにプラスに受けられるね。まわりの全てのマイナスは、自分のマイナスを振り替えて身代わりに受けて大きく消してくださってるのね。「神さまの愛の働き」というふうに受けられるよね。もう全てのマイナスがそうよ。

 誰かが交通事故にあったって、「自分の身代わり」と思っただけで大きく助けてもらっているってわかるじゃない。泥棒に入られたっていいのよ、泥棒は悪者じゃないの「自分の大きい借金をこれで棒引きにしてくれた」と思えば別にいいのよね。強盗もいいの、強盗に入られたって構わんね「自分の大きいマイナス・業を消してくれた、取ってくれた」と思えばいいじゃない。

 全てのマイナスはぜんぶ神さまの方から愛の助けとして現われてる。ただ、みんな持ってるマイナスに気づかないよね、掴んでるマイナスって気づかないでしょう。知らん間に掴んでるものがいっぱいあるのね。

 ただ、それを消すのに神さまは人の自由意思を無視しては消さないね、必ず確認をとって消してくださるから、ちょっと出しておくのね。大難を無難には消さないね、大難を小難にして消すの。より少ない小難にして消そうとするのね。だからマイナスがあることによって気づくのよね、だから「その何万倍を消してもらった」と喜べばいいね。また「その何億倍を消してもらった」と喜ぶ方がいいのね、そしたらたくさん消してもらったことになるのね。その上にプラスを積み重ねると、感謝がグングン大きく深くなるね。

 これも常に感謝の心に戻ったほうがいいね、思いの心を生きるのじゃ損するね。常に感謝に戻って、そして神さまを感じ取る、神さまの愛の働きを感じ取っていくのがやっぱり幸せへの道よね。

 禅宗は座禅を組むのね「只管打坐(しかんたざ)」っていう言葉があるんですけど。「只(ただ)、坐(すわ)る」というような感じにね。これは肉体的な自分が「只、坐る」んじゃないのね。一番奥の自分、本体の自分は宇宙の大神さまと一体化して、もう自然に生かされてる、祈り続けてる姿をとってるのね。その一番奥の姿に任せきるのね。そうすると「只管打坐」の状態になのね。

 だから、悟った自分から出発したほうがいいの。これから悟ろうという立場だと姿勢がどうのこうのと言い出すのね。でも既に悟った自分から出発したら、もう自由自在でいいね。座ってもいいし、寝てもいいし、どんな姿勢をとってもいいの、常に「只管打坐」ね。心が座ってるのね、しっかりと。

 これも「ありがとうございます」を唱えながらするほうが楽ね。普通、座禅を組んでも「無念無想」になろうとするんだけど、思いが出てくるね、次から次へとね。

 でも「ありがとうございます」から出発すると悟った自分から舞い降りてくるような感じでいいね。 思いがあっても構わんね、雑念がいっぱい出てもいいのね、そのままぜんぶ光り輝いた姿をとるようになるね。

 丁度、太陽から眺めて地球の上空に雲があって、「ああ、白雲がたなびいているな」という感覚でいいの。否定するものは何もないの、そのままでぜんぶ輝いてくるのね。その状態が本当は「只管打坐」の状態ね。だから「既にみんな悟ってる」というのがいいね。

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