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 神様が宇宙を創造するわけですけれど、神様の宇宙創造にはマイナスは一切無いんですね、プラスばっかしなんです。それはどういう意味かというと、例えば、光がありますよね、光の表現をする場合に、先ず闇の助けが要るんですね。光にも「実の光」と「虚の光」が生まれるのね。

 「実の光」でも、例えば、蛍の光とか、星明りの小さい光から、太陽のような大きい無限の光がいっぱいあるんですよね。

 「虚の光」というのは、闇をもうひとつ和らげていくんですけど。大きい闇があったらね、闇を段々和らげていくと「虚の光」が生まれてきますよね。ちょうど、ブラックホール的な闇というのは光を吸収するんですよね。その「虚の光」と「実の光」が揃って本当の大きい意味の光の表現が生まれるのね。

 「虚の光」も無限に小さい「虚の光」から、無限に大きい「虚の光」まで、無限の段階の光が生まれて、また「実の光」も同じように、無限に小さいものから無限に大きい光まで、無限の段階の光の表現が生まれるのね。その両方を合わせてはじめて光の表現がそこに生まれてくるのね。

 神様は、光の表現をとりたいわけよね、無限に無限に輝いた光の表現を、ありとあらゆる種類の光をぜんぶ取り揃えて表現したいのね。だから闇は無いんですよね、光の表現だけがそこにあるんですね。これが「光」というふうに例えたんですけど、神様の働き、徳性(特性)のすべてがそうなのね。

 例えば「善」と「悪」という二つの要素があれば「善だけ」の表現がある。

 「プラス」と「マイナス」だったら「プラスだけ」の表現があるね。

 「美(び)」と「醜」というと「美しさ」が表現され「美(び)だけ」の表現があるね。

 神様の方はそういう気持ちで宇宙のすべてを創造し続けているんですよね。その受け方が、どう受けるかというのが大事なんですけど。

 先ず、その「宇宙創造の働きが神様の祈り」なの。

 「古事記」の中に、伊邪那岐(いざなぎ)の神様と、伊邪那美(いざなみ)の神様とがいらっしゃるのね。それは宇宙の創造の働きの時の神様の働きの名前なんですね。

 「伊邪那岐・いざなぎ」の「ぎ」というのはプラスの働きを指すね。伊邪那岐の神様はプラスの極に立って創造されるのね。その「ぎ」という言霊が「ぎ〜〜い」と延びてくるんですね。その「い」が「いのち・光」なのね。「いのち」が延び広がって、それも螺旋状に無限に展開するわけですね。螺旋状の組み合わせによって、宇宙のすべてが生み出されるというね。

 「いのち」というのは、神様の本当の意味の宇宙創造の働きを指してるのね。それが無限に無限のチャンネルという姿で、一瞬一瞬新たに神様の創造が展開されていくわけですね。

 だから「いのち」ってね、本当は「生きてるだけ」というのじゃないんですね。そこに、美しさも、躍動している姿も、ありとあらゆる素晴らしいものがいっぱい、一つになって存在するのね。

 だから「神様の徳性」というのは、バラバラに分けられないんです。みんな渾然(こんぜん)、融合して一体化してるのね。すべて、どの角度から見るかによって、ちょっと見え方が違うだけでしょう。「ぜんぶ一つ」なんですね。切り分けることは絶対できないんですね、ぜんぶ一つになって融(と)け合ってる。

 だから「いのち」と言ってもいいし「光」と言ってもいいし「美」と言ってもいいんですね。それはその中に残りのすべてが含まれてるんですね。

 そして「いのり」は、神様の宇宙創造の働きそのものを指してるんですね。

 普通、この世の人が「祈る」というんですけど、その祈りと神様に祈りとはちょっと違うんですね。

 人の場合は、神様の祈りを宇宙の創造された無限の無限のチャンネルのその番組を受けるために、祈り言葉を使うのね。

 神様の宇宙創造は「言霊(ことだま)」なんですね、ことばでも言霊のほうですね。人の使うほうは単なる「言葉」のほうなのね。神様の言霊が宇宙創造の働きをするのね。人の言葉は神様の創造されたものを受けるための、波長合わせのための言葉なんですね。人の言葉によって、神様の創造されてる宇宙のすべてを感じ取れていくの、波長合わせでね。

 だから、人の言葉が大事なんですよね「どういう言葉を使うか」ってね。プラスの大きい言葉を使えば、高い番組を受けられるんですね。つまらんプラスの言葉では低い番組なんです。ましてや、マイナスの言葉だと、もっともっと低い番組になっていくね、マイナスの言葉は虚の番組になるんですね。でも、人の使う言葉通りの番組がぜんぶ揃ってるんですよ。神様はすべてを尽して、すべてを用意されてるのね。それをみんなへのプレゼントとして与え続けてるのね。

 ただ、人には自由が完全に保障されているんで、どういう言葉を使って、どの番組を引っ張り出して、それを味わってもいいとなってるのね。だから、運命は自由自在に変えていけるんです。どんな運命でも受けて味わえるんですね。人の祈る「いのり」というのは「言葉選び」なんですね。どういう言葉で祈っても、どういう言葉を使っても、その言葉に波長の合ったふさわしい番組がスッと降りてきて現実化するんです。だから、なにも神様に「ああして欲しい、こうして欲しい」と頼む必要はぜんぜん無いんですよ。

 例えば病気をしてて「病気を治してちょうだい」って言うね、でも、その番組が出てくるんです。病気をしている状態、頼んでる状態の番組になって出てくるんです、それはね。

 言葉通りになるんですよね。

 健康になりたかったら「いつも健康にしていただいて、ありがとうございます」と言えばいいよね。もっといいのだったら「無限健康をいつも与えてもらって、ありがとうございます」よね。だから、言葉通りの番組がスッと出てきますね。

 ただ、この世の世界では、今、言葉を使って直ぐに出たら困るでしょうね。言葉通りにサッと出たらね、本当は大変なんだと思いますね。まだ、プラスの言葉を使いなれてないんです。マイナスの言葉を使って、即、マイナスになったら、やっぱり地獄絵図になるかも知れないですね。それで直ぐに出ないようにしてくれてるのね。ちょっと反省時間をおけるようになってるんですね。

 だから、今、出てるのは過去に使ってきた言葉通りになってるはずなんです。形に、現実に出る前に、心の中に一応過去の言葉がずーっと連続して残されてるんですよね。それが順番に出てくるようになってるんですね。

 だから、それを反省して気づけば、心の中に残ってる間に消せるんですね。嫌なものを、マイナスの言葉をね。それでこの世で生きているのが楽なんですね。でも、それに気づかないといけないんですよ。心の中にどういう言葉が蓄積されているかというのを、しっかり自分で判断しないといけないね。「どういう言葉が残っているんだろうか」ってね。

 そして、嫌な言葉、マイナスの言葉があるんだったら、それを「ありがとうございます」のお祈りで消していただくんですね。「ありがとうございます」というのは神様に預けることなんですね。そうすると神様が引き受けて消してくださるのね。

 また、神様を呼ぶ言葉でもあるのね「ありがとうございます」というのはね。「ありがとうございます」という言葉は、宇宙の大神様の働きのすべてを現わしてる言葉ですね。究極の神様の名前でもあるのね、最後の救いの切り札なんですね。「何々の神様」って呼ぶ必要はないんですね。それもまあいいんですけどね。でも「ありがとうございます」一言ですべての神仏の名前を、働きをぜんぶ中に持つ大きい働きとして出てくるね。

 「何宗を信じているから、その神様の名前を呼ばないと」ではないんですね。どんな教えを受けて、どんな団体に属してても、すべてに共通して働く大きい神様の働きとして言葉が生まれてるのね「ありがとうございます」という言葉はね。この一言さえあれば、宇宙のどこからでも、どんな神仏からも大きい助けが自然にスッと降りてくるね。だから、みんなを仲良く一つにする接着剤のような言葉でもあるのね。

 でも、不思議でしょう「ありがとうございます」という言葉ね、何気なしに使ってるんですけど。何時(いつ)、これは生まれたんでしょうね。誰が発明したのか、使い出したのか、そんなことはないんですね、最初からあったんですね。最初から神様が用意されてるのね。ただ、その使われ方がいろいろな使われ方をしたんですね。

 ものをもらって「ありがとうございます」という人もあるね。親切にしてもらって「ありがとうございます」もあるでしょうしね、まあいろんな使い分けをされてきたと思うんです。でも、今の地球の状態をみると、やはり「地球が滅亡するかも知れん」というような心配するような事柄がいっぱいあると思うんです。

 でも、その地球滅亡の姿をも、神様は一瞬に消せると言うのね。「完全平和を、即、持ち来たすことはできる」と言うんですね。地球なんてフッと吹けば一瞬に変わると言うんですね、神様のほうはね。

 ただ、神様が働くためには、謙虚な心になって「ありがとうございます」って唱えて、神様の助けを受けて欲しいと言うのね。でも、まだ少ないですよ、神様の助けを受け容れようという人はまだまだ少ないですね。まだ、自分の思い通りにしたい人がいっぱいなんですね。

 戦争でもそうですよね。戦争なんかしていいことは無いですよ、ね。でも、過去の恨みを掴んでるのか、自分の面子があるのかなんか知りませんけどね。良くないのがわかってて戦争をするんでしょう。人を殺して幸せなわけが無いでしょう、ねえ。殺される側も、殺す側もね、やっぱり心は地獄ですよね。でも「どうしようもない」という人が多いんですよね。

 だから、そういう争いの心、憎む心を、そういうのを全部、やっぱり消してもらえばいいんですね。自分で消せなかったら神様にすがるだけでいいんです。ただ、今まではすがり方がわからなかった人が多かったかも知れませんけどね。どんなマイナスの思いでも、どんなマイナスの言葉でも「ありがとうございます」って神様にすがれば即、消してくださるのね。

 今の時代はそういう時代になったんですね。新しい世紀は、特にそういう時代に入ったんですね。もう、思い通りに生きる時代は終わったんです。思い通りに生きようとして幸せになれなかったんですね。世界が平和になれなかったんです。もう、みんな気づきはじめてますよね。「我の心をぶつけ合っても、いいものは何も生まれない」ってね。

 「民主主義、民主主義」というんですけどね、偽の民主主義ですね。我の心を本当の自分の心だと錯覚してね、それを主張するんですけど。多数決で決めたって、いいものは何も生まれて無いですね。どんないい意見でもまとまらないんですね。だから、本当の民主主義にこれからは戻るんですね。

 本当の民主主義って何でしょうねえ。「神様と一体の自分を先ず自覚すること」なんですね。

 先ず、神様から命をいただいて、神様から無限の素晴らしいものをいただいて、そして今ここに「霊・魂・魄」の総合体としての人間がここに生まれて出てきてるんですよね。「肉体が自分」じゃないんですね。肉体はあくまでも本当の自分から見たらちっぽけなものですね。爪の先の垢ぐらいなものですよ。それが汚いか、きれいかと言ってるぐらいな話なんですよね。

 もっともっと自分の本当の姿に気づいていくというのが大事ですよね。

 本当の神様から「無限の無限の輝きが一杯!」という素晴らしいプレゼントを受けて初めてそれが本当の自分になるんですね。そういう自分から眺めた時は、この肉体なんてもうゼロ以下のマイナスの姿にしかみえないぐらいのちっぽけな存在ですよね。

 本当の民主主義は、奥の本体の本当の自由意思をそこに発揮することになるのね。本当の自分というのは、神様から「無限の無限の輝きが一杯!」というのを受け直しをしている自分ですよね。

 すべての人がそうなんですよね、だから、無限に無限に輝いている自分なんです、みんなそうなんですね。すべてが神様の姿をとってるのね。その自分の自由意思をそこに発揮すれば、どんな意見でも一つにまとまるんですよ。最初からまとまってるんですよね。スッとまとまるのね、一つにね。それでいいことを全員でスッとしてしまうんですね。

 だから「地球を平和にする」なんてアッという間にできるんです、本当はね。人を幸せにするのでもアッという間にできるんですね。どんないいことをするのでもね、みんなが協力し合ってスッと仕上げるんですよね。そこまでいかないと民主主義じゃないですよ、本当のね。本当の人の自由意思をそこに尊重した姿をとってないんですね。

 先ず、人間の心は思いの心じゃないんですね、感謝を深めて、神様の心を受け継いで初めて本当の自分の心ね。そこに本当の個性というのが輝いているんですね。だから「個性と癖」とは違うんです。肉体人間の持っているのは、みんな「癖」なんですね。「腹が立つ・気が短い」癖ですよ、これ。

 だから「癖と個性」とはぜんぜん違うんですよね。

 「個性」は、その人でないと発揮できない宇宙でただ一つの最高に輝いた姿なんですね。

 これは、神様と一つにつながった時に、本当の役割が与えられて個性が輝いて出てくるんですね。

 よく言うんですが、例えば、手があるでしょう。この指の一本一本は決まってますよね。これは全体とつながっててはじめて親指や人差し指なんですね。指をぜんぶ切って並べたらわからないですよ、どれが親指か人差し指かは決まらないんですね。

 だから、神様と一つにつながってこそ、一人一人の役割が定められて個性を発揮させていただくのね。それも自由自在に変化するんですよね。今、親指の役割をしたら次は人差し指かも知れないですね。頭かも知れないですよ、足の裏かも知れないね。みんな平等に順番に役割を変えてもらって、自由自在に楽しませていただくのね。でも、全体とつながらないと個性は生まれないんですね。

 だから、この世に生まれてきても、どういう役割をするかは、ある程度決めているかも知れないですよ、本人がね。でも、神様とつながって初めてこの世での個性も発揮できるんですね。先ず、全体者、神様と直結することが必要なんですね。そこから神様の導きも、知恵も、力もいっぱい出てくるんですね。そして、生き甲斐も、喜びも生まれて、楽しく楽しく役割を発揮していくんですよね。

 でも、そのためには「ありがとうございます」というお祈りが必要になるんです。

 「ありがとうございます」というのは、そういう意味で個性を本当に発揮して、この世での役割、使命を、天命を果たすためにも必要なんですよね。

 そうすると、本当の祈りというのは「ありがとうございます」の感謝なんですね。願い事を唱えるんじゃないんです。神様に「こうして欲しい、ああして欲しい」というのはお祈りでもなんでもないんですよ。まあ、そういうのも低いお祈りかも知れないですけどね。本当の正しい大きいお祈りは「ありがとうございます」なのね。神様の働きをそのまま受け取ることなの。

 無限の無限のチャンネルを「ありがとうございます」って受け取ることなんですね。そして、部分部分のチャンネルを心行(こころゆ)くまで味わうんですね。

 ただね、全体を総合して漠然と受けただけでは中身が浅くなるんですね。例えば、音楽の演奏を聴きにいきますよね。一大交響楽が鳴り響いていると、最初は素人の耳では「ああ、いいな」というぐらいの感じですよね。中身は、どういう楽器が使われて、どういう人が演奏しているのかわからないですよね。プロの人だったらわかると思うんですよ、バイオリンを弾いている人が何人いてて、ピアノは何人が弾いていてとぜんぶ見抜けるんですけどね。それを詳しくわかってはじめて総合的に聴けた時に、本当に素晴らしい音色がすーっと味わえるんですよね。だから、部分部分というのは、各、いろんなチャンネルを順番に体験していくことなんですよね。高いチャンネルも低いチャンネルも自由に選んで、それを順番に体験をある程度しているんですね。そして神様の本当の神様の宇宙創造の無限の無限のチャンネルを、今度は総合して見て「なんて素晴らしいんだ、最高に素晴らしい」というふうに味わっていくんですよね。

 だから、今までにいろんないのり言葉を使ったのも、それは必要だったんだと思いますよね。低い番組も体験しないといけないですもんね。いろんな高い番組も、心行くまで味わって、そして最後には総合して、全体を見ながら部分を楽しむように変わってこないといけないですね。

 だから「いのり」というのは、そういう意味で、言葉を自由自在に使いこなせて、神様の宇宙創造の素晴らしい姿を心行くまで楽しんで味わうことなんですね。だから「祈りほど楽しいものはない」んです、本当は。「祈りがすべて」という、本当はすべてなんですね。特に「ありがとうございます」っていうこの祈り言葉は、すべてのすべてになるんですね。

 だから、この「ありがとうございます」を唱える時の気持ちですよね。願い事を持っていのる必要はないですね、損するんです、それはね。「これを唱えたら何か願いが叶うだろう」というようなのは小さすぎてもったいないですね。

 この「ありがとうございます」を唱える時は、もう純粋な心、無心の心でいいんですね。神様の最高のプレゼントを受けるために、その心を調(ととの)えるために「ありがとうございます」を唱えるの。そうすると、自然に神様からのプレゼントを無限にいっぱい受けられるように変わるんですね。もう、今更願うことは何も無いんですね。既に与えられてるのに気づいていけばいいという、気づきが増えてくるんですね。「ああ、こんなにも与えられていた」というのがよくわかってくるね。

 幸せは探し求めたら逃げていくんですよ、待ってたらいいんです、待ってたら。「ありがとうございます」を唱えて待ってたら寄ってくるの。寄って来るって、もう既にあるんですね。もう既にあるのに気づくだけなんですね。

 特に「思いの心」というのは霧のように立ち込めて、まわりを見えなくしてるんですけど。先ず「ありがとうございます」で、自分の心に溜めた思いがぜんぶ消されていくんですね。それで、まわりが霧が晴れたように見えだすんですね。そしたら「無限の幸せが一杯あった」というのに気づいていくんですね。

 不思議なんですよ、この「ありがとうございます」はね。一日に何万回か何ヶ月か唱えてみるとよくわかるんですね。本当にまわりが輝いて見えてくるんですね。最初から輝いているんですよ、みんなね。それが見えてくるように、気づくようになってくるんですよね。

 ただ、人は真剣さを出さないといけないですね、真剣さがその人の本当の自由意思を現わすんですね。自分が本当に何を願っているかでしょう。本当に願っているものを手に入れたい時は真剣になりますね。その人の自由意思を定めてるんですね、それでね。本当の自由意思が決まれば、神様はその人の自由意思を尊重して、必要なものを的確に与えていけるはずなんですね。ところが「強制的に」は、何もいいものは与えられないですね。

 「ありがとうございます」という言葉を唱えるのでも、一日に一回ぐらい唱えて、他の時間は他のことを思ってるんでは「この人は本当にありがとうございますを願ってるんだろうか」と思うじゃないですか。あまりいいものを与えられないですね。マイナスの言葉をいっぱい使っているのに、プラスのいいものをプレゼントできないんです、受け取らせるわけにはいかないでしょうね。

 本当にプラスのいいものをいっぱい受けたいのだったら、ある程度「ありがとうございます」をたくさん言わないとね、神様は迷うんですよ。だから、プラスのものを無限にいっぱい受けたいという、この意思表示の言葉が、この「ありがとうございます」ですね。それを神様の前に提出するというのが大事なんですね。そしたら、神様はいくらでも力を揮って幸せな運命に変えてくれるのね。強制力を使う必要はないでしょう。人の自由意思を尊重して助けられるのね。

 そして、神様というのはどこにいてるかというのでも、どこにでもいてるんですよね。「天にいてる」というと、天にしかいないんですよ。「自分の中にいてる」というと、自分の中に小さく納まってるんですよね。でも、宇宙のすべてに満ち渡ってるんですよね。「無限の無限の輝きが一杯!」という姿で、全方向から自分の中に飛び込んでくるんです。

 「神様」というのは、小さい中心じゃないんですよね。無限の大きい光を無限に持っている中心なんですね。だから、自分の中に探し求めても無いんですよ、外に探し求めても無いんですよ、そんなんね。そんなちっぽけな見方をすると損するのね。

 言葉通りになるんですね、みんなぜんぶね。

 だから「新たな全徳の無限の無限の輝きが一杯!」という姿を、これは天照大御神様の姿というんですけど。その姿が無限に無限に一杯というのがいいんです。「天照大御神様が全方向から無限に無限に飛び込んでくる」というのがいいんですね。これはもう、中からも外からも、右からも左からも、上からも下からも、もう全てから自分の中に飛び込んでくるのね。これが本当の神様の姿なんですよ。そういう神様が宇宙にいっぱい満ち渡ってるのね。全ての次元に、全ての番組に満ち渡ってるんですね。だから「神様だけ」なんです、神様だけなんですね、他に何も無いんです。

 「ありがとうございます」という言葉は、その神様の全てを受け取るための言葉なんです。

 「ありがとうございます」一言で、神様の全てを受け取れるんです。後は何も要らないんですよ。後の細かいつまらん言葉は、受け方を限定するだけなんです。他の言葉を使うと受け方を限定していくんですよ、小さくしていくんですね。だから最後に一つに絞り込むのは「ありがとうございます」がいいんですね。後、何にも要らないはずなんですね。

 祈り言葉の最高のものは「ありがとうございます」という、この「感謝」なんですね。