カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
80.81.82.83.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.
116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.


 おめでとうございます

質問:
 「おめでとうございます」というのが引っかかりまして、言霊的にはどうなんでしょうか。

ありがとうございます:
 よく似てるんですね。お正月の「おめでとうございます」も凄い言葉ですね。一瞬一瞭新たに受け直す言葉なんですね。
 「お」というのは、いろんな意味が考えられますけど、「大きい」という意味だったら、無限に無限に偉大な存在というふうに捉えられますし。
 「め」というのは、目に見える姿に現れた全てを捉える言葉ですね。「絶対」から現れる「全部」、草木の芽が出るような感じもありますね。
 「で」は、「照り輝く」それがダブってると見ると「照り輝き、照り輝き、無限に無限に輝いた」というような感じですね。
 「とう」は、ありがとうの「とう」と同じで、だからそっくりそのまま同じといってもいいぐらい、「ありがとうございます」と「おめでというございます」はいい言葉ですね。こういう素晴らしい言葉は日本にしかないらしいですけど。ねえ、ありがたいことだと思うんですけど。
「あけまして」というのもいいですね。「新年」というのもね。いつも新たに新たにというのね。ねえ、いい言葉いっぱいですね。ははは。嬉しいですね、あはははは。凄い言葉に引っかかりましたね。

 奇跡の連続

質問:
 この土地を買うにしてもかなりのお金がかかってると思うんですけど。先生はお金が入ってきても全部平和運動に使うので。多分この土地を買われるときもどこからそのお金が出てくるのかなあ。

ありがとうございます:
 ねえ、どっから入ってくるんでしょうね。この辺の木の葉がサッと、はははは、一万円札に変わったらいいんですけどね。みんな必要なときにお金をサッと持ってきてくださるのね。うん、その時顛が来たらね、私も、何も思っても願ってもないんですよね。「何で、こんなお金入って来んの?」と思うのね。そしたらその後にすぐ話が来るね。やっぱり、もう理由も何もないんですね。背後で神さまが、お蔭様が働いてるみたいね。だから、私が計画も何もしてないのにね。うん、バッと向こうの方から、向こうの世界でちゃんと計画して動いてくれてるいろんな神様が一杯いてるみたいですね。そうでないとピタッと金額合わないですね。だから、必要なだけしか入ってこないですけど、それがピッタリ来るんで不思議なんですけど。

質問:
 「ありがとうございます」と与えることしか、考えてないからもう必要なものは全部。

ありがとうございます:
 そうね。だから、みんな「可哀相」と思ってくださるのかどうか、ただ、必要なだけはね。神様の計画には必要なんでしょうね。それで、神様の責任の下にいろんな人を遣われて応援してくださるのだと思うんですけど。そうでなかったら、土地だけ買っても全然進まないね、こういうとこではね。先ず、この辺は木がいっぱい生えてて電柱一本立ててくれる、ということは絶対ないんですよ。木を切り出すときに邪魔になるからってね。この前の山でもそうなんですね。ちゃんと森林組合が山の所有者で管理してるんですね。絶対切らせんですね。それが奇跡みたいに、電柱がずーっと立ってきたんですね。ははは。

 だから、すべてが奇跡の連続で、不思議やなあ、不思議やなあ、ってびっくりばっかりしてね、それで与えてもらってる。やっぱり神業みたいな感じなのね。ここ自然公園の中のようなところで、国定公園のここだけ空白になってますしね。それで建築の規制区域外なんてね。おあつらえ向きなんですけど。ちょっと確認申請がいるとなると、もう大変ですよね。図面書くだけでもお金ようけかかるから。ははは。

 でも、お金は全然かからずに、自由に建てられてという感じで、全部うまく行ってるのね。目隠ししてるのかね、神様がみんなを。はははは。向こうの宿泊施設もそうですよね。あそこへ山の道路の取った土が40cmぐらい入ってるんですけど。それが奇跡みたいに、あの土地を利用するようになってすぐに道路工事が始まるのね。それで、全部に土が入ったんですけど。普通は全部外へ出さなあかんのね。それがうまく入れたままで終わってくれた。考えられへんですよ、本当に奇跡みたいで。誰が口封じしたんかって、ははは。だから、上手にみんなを神様の方が操ってるのかも知れないですけど。

 大勢の悟った人を生み出す

質問:
 「全託」ということは、神様のシナリオ通りということだと思うんですけど。全託は在るにしても、どこかで「思い」というのが働くんじゃないかと思うのですが。

ありがとうございます
 「ない」言うたらないし、「在る」と言うたらあるんですね。それもーつの番組のストーリーとして神様が計画した通りになってると言えば、読み取ればあるんです。でも、今の一瞬一瞬何も思いも願いもないし感謝だけなんですよね。だから、いい番組のストーリー通りに運ばれて行ってるだけ、という感じで。多分、この地域一体が、「皇の聖地」という感じで、「ここで大勢の悟った人を生み出すことになってるらしいです」ね、計画的にはね。それも「究極の悟りを」、というような感じでね。だから「ありがとうございます」を唱えることによって本当の神様と一体化してしまう人がここでいっぱい出てくるら
しいです。

 何万人ぐらいじゃないみたいですね。そういう意味だったら、何か神様のほうで大きい計画を立てて、「地球を変えるために」という計画の下に動いているんでしょうね。そういうと、また言葉に執われてもまた困るんでね。隠しておくほうがいいのかも知れんね。やっぱり結果を見て、それで「良かった」と思えばいいんでしょうね。

質問:
 地球を立て直すということで。ムーのお話しをテープで聞きました。落書きになってしまったので、キャンバスを変えた、というお話があったんですが。人類のうちの一人でもお祈りをしてればそういうことにはならない、というお話しがありましたね。そうしたら、ムーの時は一人も祈らなくなったんですか。

ありがとうございます:
 そうですね。ただ、地球全滅じゃないですもんね、部分的ですもんね。地球が壊滅状態で消えたというのなら大変でしょうけど。だから、ちょっと落書きを消した、という程度で済んだんでしょうね。

 進化論は間違っている

質問:
 今までだったら、地動説と、天動説があったみたいに。事実は、神様の世界があって、我々の世界があるというふうに考えてみてた方が、つじつまが合うな、と思って聞いていたんです。今は神様は遠い存在なので、「自分を」というところから「神様を」という見方なんですけど。もっと我々が進化して行ったら、神様という世界があって、それの方が当たり前で、こっちの我々の世界があるという見方。我々が何をじたばたしようと全て神様の計画があって動いているんだから、それに合わせるというか添って行く生き方、「自分が」ではなくて、神様の生き方に添うような存在なんだというふうに今は思うのですが。それが本当かなあ、という感じがするんですが、その辺は如何ですか。

ありがとうございます:
 その方が本当ですよね。そういう考えにたどり着いた人は凄い悟りですよ。はははは。
やっぱり神様が根本ですもんね、そこから全部現れて全部を動かしていますよね。今までの人類は、思いを出して、その「思いで、本当の姿を隠してきてた」という感じなんですよね。ダーウィンの進化論にしても、今のクローン人間と言われているにことにしても、本当はもの凄い大きい間違った考えをしてるみたいなんですよね。何故かと言うと、神様は絶対の中に同じものを一つとして持ってないのね。全部違うものを無限に無限に無限に‥・…、いっぱい倉庫に貯めてあるのね。それを一つずつ出してきて新しい創造をずーっとし続けるのね。だから、進化論といっても、例えば、三角があって四角があって丸があるでしょう。この人は三角から四角になるのはなりやすいと思うのね。直接三角から丸よりもね。三角になって四角になって、それから丸になるほうが多分その方が正しいんだろうと思うわけですね。そうすると、その定説を流してそれに賛同する人が増えてきたら、進化論て生まれてるのね。

 でも、神様の方は丸も三角も四角もね、絶対の中に全部持ってて、それを新たに新たに押し出してくるのね。今までは三角しかなかったのね、ちょっと寂しいから今度四角を降ろそうかというてね。それで三角と四角が出来たら今度はもうーつ丸を降ろそうか、とこうなるね。だから、三画や四角を丸に変えたんじゃないんですね。新しくそこへ生み出してきただけなんです。だから進化論はあわないですね、間違ってるんです。

 それともうーつクローン人間というでしょう、同じものを作れるのかという考えですけど。これ絶対不可能ですよね。先ず、一つの設計図で家を建てたとするね、その素材を松と杉と檜の三つにわけとするでしょう。杉の家、松の家、檜の家とすると、形は同じですよね。でも、それは同じ家といわないですね。杉と檜と松だから、区別の出来る人はちゃんと言いますよね。設計図は同じで形は同じと言っても、本当はその素材が違ったら全く別のものですよね。それと同じで、構成する部分部分が一個一個全部顔が違うんですね。原子一個、水素原子も無限の数の原子の顔が一個一個違うの、個性があるのね。原子を構成するもっと小さい素粒子みたいなものでも、みんな一個一個顔が違うとなると。やっぱり大きいものほど違うものをいっぱい組み合わせて作ってるから、なんぼ表面は似たような姿をとってても全然違うわけね。もう、無限に大きい違いがそこに見出せるはずなんですね。だから、DNAの設計図を基にして何か似たようなものを作ったように見えても、先ず構成の要素一つが同じものをどこ探してもないんですよ。宇宙には一つだけなんよ、それに変わるものはどこからも持って来れないね。

 人間の細胞が60兆近くあったとして、60兆の積み木と思えば、Aいう要素は此処と決まってるのね、ジグソーパズルのような感じねおじさんは。Aはここなんだと決められてるとしたら、先ず、似たものをどこからももって来れないし、場所も確実に決まってるとしたら、代用は全然きかないね。だからクローン人間なんて作れると思ってる人は頭がいいんです。本当にね、良すぎるんです。素材を全部粘土をこね合わすようにして、ねえ、全体を一つにして泥団子を作って、それを眺めてるような感じですね。それだったら似たようなもので、作ったように錯覚できるんですけど。コンピューターでもドット数で見るような感じですね。一つの黒丸だからわからんですよね。みんな同じと思っていいんですけど。そういう程度の同じものを作るというのならわかるんですよね。

 でも神様の側から見ると、幼稚な・馬鹿な・間違った考えなんだ、と神様の方は言うてくるんですね。神様の表現は、本当は最高表現なんですよね。一個一個の番組も、その中の構成要素も、地獄の表現も神様の最高傑作になるんですよね。地獄の石ころ一個も本当は無限に輝いているんです。絶対の個性あるものを、複雑に組み合わせて生み出して、地獄の石ころ一つに変えるわけですからね。本当の違いがわかれば、一個一個の存在は無限に無限に輝いている、と見えるんですね。

 お饅頭をいつ食べる

質問:
 たとえ、地獄にあっても。

ありがとうございます
 あってもね。その違いがわかったら、本当の意味の神様の表現を正しく味わえてる、と言えるんですね。それがわからないのが、やっぱり見る目がないんですね、まだね。見る目を何かで覆い隠してるか、見えない状態なんですね。それが思いで目隠ししてるのかも知れないですけど。その思いを捨てて感謝の心で正しく明るく見えるようになった時、その区別がはっきりしてくる。

 禅宗なんかの公案で、「お饅頭がここにあったら何時食べるんだ」問答をかけてくるんですね。「それがわかったらこれあげる」て。お饅頭いつ食べます? 今食べると言うでしょう。今食べると言うけど、すぐ過去になるんですね。万分の一秒経ったらもう過去の時間でしょう。そしたら過去に食べられないですよね。万分の一秒未来だったらまだ来てないから食べられないでしょ。それをもっと絞り込むのね。無限億万分の一秒過ぎ去っても過去ですからね。それで食べられない。無限億万分の一秒未来でもまだ来てないから食べられない。そしたら、本当に無限億万分の−秒に絞り込んで「今、食べてるんか」というと、そんなこと出来ないですね。絶対不可能よね、だから永遠に食べられないと思う。

 もう一つ、ウサギがカメを追いかけてるとするね。ウサギがカメのところまで追いつくでしょ、時間はちょっとかかるんですね。そのちょっとの時間でカメは必ず前へ進みますよね。そしたら差が出来るでしょう。次にウサギが追いかけるのね、たどり着いたと思ったらその時間の間にまたカメがちょっと前に出るでしょう。それをずーっと永遠に続きますよ。無限分の−まで行ってかなりゼロまでに近づいても、まだウサギがカメに追いつけない。でも、普通はウサギはカメにスッと追いつくでしょ。何故か。これもー瞬一瞬の置き換えだったらわかるのね。そうでしょ、ねっ。離れてる状態をサッと現して、次の一瞬追い付いた状態をサッと現したらもう追い付いてますよね。また、追い越した姿をサッと現したら追い越してるのね。

 お饅頭も同じよね。今、食べてないという姿ですね。次に食べてる状態を表したら食べてる。次に食べ終わった上体を表したら食べ終わってる。置き換えだったら全部わかるのね、納得行くんですよね。ただ、一瞬一瞬の置き換えと言っても、これも時間がないんですね。限りなくゼロに近い無限億万分の一秒と言ってもまだ問題が起こりますんで。神様の置き換えは時間なしに置き換えてくるというところがあるのね。そうするとみんな神様の置き換えというのは、全てに通用して一瞬一瞬という言葉を使うんですけれど、時間のない置き換えで同じものを何一つ現さず、同じことは二度と繰り返さずという、最高の表現の仕方をしてくるのね。だから、今の一瞬一瞬を「ありがとうございます」で如何にそれを素晴らしく感じて楽しむか。そこに大事なポイントがあるんじゃないか、思うんですね。

 そしたら進化論なんか間違いですね。猿から類人猿になって人間て、そんな考え方はとても受け入れられへんですよね。神話でも、聖書に「土に息を吹き入れて、人間を作った」とかいう部分もあるんですけど。神様の言葉とは言えないですね。まあ、一つの何かの例えを表現してるにしても、神様の側から見たら、なんかちょっとおかしいですもんね。

 南無阿弥陀仏

質問:
 悟りを得るために、「南無阿弥陀仏」と唱えれば信じれば救われるのか、回数多くいえば救われるか、ということで、神道は信じれば救われますとかがありますが。「ありがとうございます」は、そういう意味では、行ずればいいのか、「ありがとうございます」と言えばそこに神様が現れて、悟りの道に行けるのか、行ずる事が大事なのか、ということを先生にお聞きしたい。

ありがとうございます
 「南無阿弥陀仏」は、他力の生き方なんですけど。救う側と救われる側と最初から離れてるんですね。それで、信じただけで一つにつながって救われるとか、行じただけで一つになって救われるとか、それはまあいろんな方法はあってもいいと思うんですけど。でも、最初に離れてるところがちょっと問題があるんです。

 でも、「ありがとうございます」は絶対力といって、これは最初から離れてないんです。最初から神様と自分とは一体なんだ、最初から切り離すことは出来ないのね。だから、信じてもいいし、行じてもいいし、どちらもなかっても救われてるという。「ありがとうございます」唱えた時に、もう一体の自覚がそのまま与えてもらって、「悟ってる自覚がよみがえって」というような感じですね。だから、無条件かも知れない。

質問:
 その瞬間。瞬間に受け直すという表現ですが。受け続けると、受け直すとはどう違うんですか。

ありがとうございます:
 似てるんですけどね。受け続けるというと、「直す」方が、根本からという感じがあるんですよね。だから、根本へ心を向けなかっても受け続けることが出来るんですね、横からこう眺めててもね。根本へ向く方が正しく受けやすいですね。受けて直接根本から受け直すという感じなんですね。神様から直接に受けるという感じを「受け直す」という言葉で表現してるんじゃないかと思うんですけど。一瞬一瞬新たに受け直す、というね。

 「思う」のではなく「感謝だけ」

質問:
 お話を聞くまでは、神様仏様があって自分があると思ってたんですが。今の、神様と元々一つなんだという絶対他力の話なんですが。聞いたときに、自分がそう思うのか思わないか、自分の認め方にありますよね。それをおっしやってることを、「うん、そうなんだ」と自分が信じてやってる。そういわれるけども本当かなあと思ってるのは「自分の我」ということになりますか。おっしやってる通りなんだと思って自分がとるのと。と思ったらそういう生活が当然あると思うんですけど。そうなると自分が神だという生活になるわけですか。

ありがとうございます:
 だから、それを「思う」んじゃなしに、「感謝だけ」でいいんですよね。だから、思いだけでは部分を掴んであれこれいろんな立場で思うんですね。だから「感謝は」スーッと奥まで入るんです。木があって葉っぱがいっぱい茂ってますよね。表面の葉っぱが自分とするでしょう、その立場でスッと 「ありがとうございます」と感謝すると、小枝から太枝へ、根っこまで行くんですね、スーッとね。そうすると根っこから見るとみんな一体ですよね。だから神様が葉っぱにまで現れてるだけ、神様が全てなんですね。ところが思いというのは「つながってるんだ」と思っても、ちょっと疑って思っても、葉っぱを中心に掴んだ思い方なんです。根っこまでなかなか意識が入らないです。そうすると疑ったり、そうかなと受け入れて思うこともそれはあるんですけど。まだ本当の一体感というのを実感して喜べないですね、まだね。

質問:
 わかったのか、わからないのは、自分の感じ方ですかね。

ありがとうございます:
 そうーね。感謝がもう全体をスッと感じさせる。神様の心が感謝なのね。その神様の心は全体を把握してるんで、全体を把握する心がスッと自分の心によみがえるような感じなんですね。それも時間はかからないで一瞬にスッと神様の心でわからせてもらう。神様の心は、本当の全てと一体感で愛の心そのものですからね。だから枝葉の葉っぱを自由自在に、自由に離して延び延びと成長させるわけですね。思いの方は、その「愛の一体感」というのを思えば思うほど表面の葉っぱと葉っぱをくっつけようとするんですよ。縛りつけようとする。自由を奪うでしょう、縛っていくからね。「思い」の愛の一体感というのは偽者なのね。葉っぱと葉っぱとを思いの接着剤で引っ付けて行ったら不自由になっていくばっかしなのね。でも根本からの本当の一体感があったら、本当の一枚一枚の葉っぱをくっつけずに延び延びと自由に離すんですね。

 天命が完うされますように

質問:
 お祈りのなかで「天命が完うされますように」というのがありますが。神様は一人一人として同じものはないということで。それぞれに天命というものがあるんですか。

ありがとうございます:
 個性というのがあるんですよね本当はね。

質問:
 天命というのはそれぞれの場所で、生活する中でいろんな「こうなりたい、こうありたい」という思いじゃなくて、神と一体感で「ありがとうございます」だけで行きたいと思ってるんです、ところがそれが出来ない。しがらみとかいろんな中で、自分の天命という思いを発しないで、そのままストレートに「ありがとうございます」感謝でいいのか、ある程度はそういう思いというのをきちっとしていないと。悟ってしまったらそういうのは要らないと思うんですが。それぞれの中で思いというのは必要ないですか。

ありがとうございます:
 思いがなくなったら、天命を果たしてるのね。天命というのは、一人一人の個性を最大限に発揮している状態ですよね。だから、神様と自分とを切り離さなかったら、一つにつながってる状態だったら、必ず個性が生まれる。そしてその個性を発揮するんですね。それが本当の天命を果たしてるのね。神様から役目付けられた個性を発揮した、という状態なんですね。この手の指がそうですね。一本一本切り離しておいたら、単に指が一本ずつあるだけなんですね。過去は、親指だっても、人差し指だっても関係ないのね。今、指が一本あるだけなのね。個性はないですよね。これは、つながって動いてる時は、全体で一つですから必ず決まるんですね。親指、人差し指、中指…、てね。だから、人も神様とつながってるとき、感謝してるときは、必ず役目があるのね。個性が合って個性を発揮してるのね。それが本当の意味の天命を果たしている状態なのね。

 だから、神様と自分とは一体なんだという自覚を呼び起こすだけがいいんですよね。それが一番いい方法は、「ありがとうございます」てね、頂いてるだけで自然に個性を発揮し、天命を果たさせてもらってるのよ。だから、難しいこと考えない方がいい見たいね。うん。

 いつでもどこでも

質問:
 神様は何時もどこにいるんですか。

ありがとうございます:
 本当の神様ね。唯一無二絶対の神様は、全ての全てにいてるのね。この世の全てにもいてるし、奥の全てにもいてるし、全部にいてるのね。その全体が一つの神様と見たら一番いいですけど。今見てる神様はどの神様ですか、と言われたら。全体の神様でなかったら、部分の神様だったら、また居てるところに居てるんですね。

質問:
 ありがとうございます先生の神様は。

ありがとうございます:
 私の神様は「ありがとうございます」という神様だけなんで。この世の全てにもあの世の全てにも、もっともっと奥の次元の全部にもってね。全ての全てに満ち渡って、全ての全てになってる神様という感じですね。

 全部に役目を与えそれを作らせてる

質問:
 今、いろんな事件がありますね。神様がいてるのだったら、それを役目としてやっているのか。

ありがとうございます:
 神様の創ってる放送番組、無限の無限のチャンネルの中のストーリーだったら、神様が全部に役目を与えてそれを作らせてるんですね。神様が創ってるわけでしょう、それはもうどうしようもないよね。勝手に変えるわけには絶対行かないですよね。でも、それを作った人、それを見て味わう人は番組の中にいないですよね。あくまでも番組の中は作られたものでしょう。本物じゃないですね。俳優さんはそのテレビ番組の中に出てこないね、本人は撮影所にいてるかも知れないけど、テレビの波の中に出て来れないですよね。そういう演技の姿だけはそこへ映し出してもらってもね。普通この世というのも、テレビの画面の中の姿だったら、本当の自分はその画面の中に入ってないですね。だから、どんな悪いことをしてても、どんな悲しい生き方をとってても、本人はコタツでテレビを見てるような感じで、おいしいものを食べながら見てるかも知れないでしょ。だから、現実を心でちょっと離すだけでいいんですけどね。ちょっと距離を置いてみてる自分になれば、良い役も悪い役も番組を作るためだったら、役割を一応果たしたというふうに見て、それを今お茶を飲みながら好きな番組をもう一回見てるんだ、という感覚でいたら引っかかりはなくなりますね。だから、神様が何かしてるわけでもなんでもないですね。楽しませてくださってるだけなのね。

 声か心の中か

質問:
 無限の無限の愛を思ったときに「ありがとうございます」と言うのか、また声を出していう波動と、心の中で思う「ありがとうございます」とは。

ありがとうございます:
 別にそれ自由でいいと思うんですけどね。ただ、回数が増えれば増えるほど、自由な自分に戻っていくのね。それは自分が心で唱えるだけでもいいし、口に出してもいいし、また他の人の唱えてくれてるのを聞くのもいいし。また、他の人に代わって唱えもらうのもいいし、それは自分の中に「ありがとうございます」がどんどん入って来るようにしてもらう方がいいのね。だから、自らも感謝し、人からも感謝される。そういう人は得ですよね。早く自由な感謝の自分に戻っていくんで、その自分は神様の表現を、いろんな表現を自由に楽しめるようになってくるのね。だから、自然なのがいいですね。条件付にこれを唱えたからどうのこうのって余り思わないほうが楽でいいのね。最初から結果を「ありがとうございます」を受けるような気持ちで、条件をつけないほうが感謝そのものになるんですね。

 人類を良くしよう?

質問:
 人類を良くしようとかというのはありがとうございます先生の中にはないんですか。

ありがとうございます:
 思いのある時はそういう「良くしたい」と思うけどね。でも、感謝になった時はないですね。マイナスの多い番組を今見てるとしても、その番組を良い番組へ変えようと思わなくなるね。その番組はそれでいいんだ、というね。でも、良い番組は既にあるから、もし良いのを見たかったらちょっとだけ波を変えて良い番組をサッとそのまま受けたらもう良くせんで済むわけね、すぐに実現してるという。

質問:
 どっかの波長に合わせれば、その世界へすぐ行く。

ありがとうございます:
 そうですね。地球も無限のチャンネルの地球があるのね全部ね。だから低い番組の地球もあるし、高い番組の地球もあるし。人も同じですね、低い番組の自分もあるし高い自分もある。全部取り揃えられてるんですね。

質問:
 悪い番組を見てると、そうなってしまうようで、まあ見ないようにして。

ありがとうございます:
 本当そうですね。例えば、地獄絵図のテレビを見てるときに、一生懸命見てると中へはまり込んでしまうんですね。その中の登場人物を自分と思い込んで、周りからの危害をそのまま受けてしまうような錯覚を起こすんですね。でもテレビを見てる自分と中の配役の自分と違うんですね。ちょっとテレビを見てる、というふうに距離をおいて見た時には、もう「これは作り事やから」というふうに離せたら自分には危害は及ばないですね。感謝するということは、もうテレビを見てる自分に戻ることなんです。

 「ありがとうございます」も自分の「ありがとうございます」に頼らずに、回りの人もいつも自分の為に「ありがとうございます」を祈ってくれてるとか、神様が根本的に「無限の無限のありがとうございます」を与え続けてくれてるというふうに思うとらくになるね。そんないろんな思い返しもいいですね。

 心を合わす模型

質問:
 ありがとうございます先生のおっしゃってる神というのは創造神ですよね。各神社にはいろんな神々がいて、お参りに行く時は自分の願い事をします。そいう庶民の行動は創造主から見ますと、どういうふうに映っているのか。いろんな願い事は過去完了形であるとか、ここでバックにかかっているように、「何々ありますように」ということで。お祈りで願い事をする時は、どのようにすればいいのか。

ありがとうございます:
 お祈りも無限の段階があるんですね。大きく言うと「無限のマイナスの祈り」と「無限のプラスの祈り」とがあります。プラスの祈りにしても無限の段階があって、それぞれの段階にそれが必要なんですね。だからどれが良い悪いは言えないです。必要な段階の折り方がないと祈れないのね。この世にいろんな神社がありますけど、本当の神様を直接把握するのは難しいですよね。

 だから、心を合わす模型を持ってきて、そこへ心を向けることによって、本物を降りやすくするために必要として持ってきてるのね。ここに多賀神社がありますね、多賀大社に実際、いざなみの神様、いざなぎの神様がいらっしやるかというと、いないのね。そんな中に入れるような神様じゃないですよね。宇宙を一瞬一瞬創り続ける神様が、そんな模型の中に入れないですよ。だから、そこにお祭りしてるのは何の神様かと言うたら、本物じゃないですよね。あくまでも模型の模型の更に小さい模型の感じよね。だから、何も置いてないでしょう、鏡ぐらいかも知れんでしょう。石ころかも知れんでしょう。何かわからんね、印をちょっと置くだけよね。そしたら、そこに「何の力もないのか」と言うとまた違うのね。神様に心を向けるということは、その神様からの光の波の流れを受けるんですね、受けやすくなってるのね。だから直接の神様じゃなくっても、そこから順番に段階を追って、神様のお使いという感じで段階をおったいろんな神様が働いて、ずーっと下まで来る。
 それで神社で「これを叶えてくださいお願いします」という心だと、その心に波長の合う神様が助けてくれるんです。でも「ありがとうございました」と過去完了で言うと、その神様と波長の合う神様が応援して助けるね。でも、一番いいのは「ありがとうございますと最後に加えるのがいいらしいね。すると究極の神様からの助けがそのままスッと入るのね。だから、祈り方と波長の合わせ方にも無限の段階があるんですけど。それぞれによっていいんですよね。自分がどんどんいい祈り方に変化していけば。

 でも、最後に行き着くところは「ありがとうございます」ですね。どの神社にお参りしても、その神社の神様を呼んで、最後に「ありがとうございます」を加えるんですね。断定的に祈れる人はいいんです、ところが現実と理想のギャップの大きい人は、現実に病気なのに「健康である」と断定するのは矛盾が生じて、逆に健康を疑って思えなくなる人があるのね。そういう場合は断定じゃなしに、神様の世界には健康があるというのを信じて、「その健康を降ろしてくださいと」いうような感じで「健康でありますように」という受け方の方が、心の葛藤がなくスーッと光が入って来やすい場合があるのね。それもーつの方法ですよ。必要な人はいろんな方法を使って、より神様の助けやすく整えていくんだと思うんですけど。

 世界人類が平和でありますように

質問:
 五井先生の世界平和のお祈りが「何々でありますように」ということで。塩谷先生の大断言ということですが、いくら「世界人類が平和でありますように」とやってきてもよくならなかった、そこで気が付いて「あります」ではなくて「既に平和が実現したんだ」ということで「何々になった」という断言をすることにされて、過去完了形のお祈りの方が本来の実現は大きい、というお話しでした。それはそれで凄く納得したんで変えたんですね「世界人類が平和になった」と言うふうに。それがいままた「ありがとうございます」になって変遷してきて、それがどうかではなくて、自分がなると思ったほうをやればいいという。

ありがとうございます:
 「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉も、浅い祈りも深い祈りもぜんぶ兼ね備えてるんです。だから、「世界人類が平和であります」という断定の世界へ先ず自分が奥へ飛び込んで掴んだら、本当の断定の祈りなんです。(たとえ「ように」と付いていても?)そう、そう。だから、これはぜんぶに通用するように作ってる言葉なんです。断定できない人には「ように」は大きく働くんです。断定的に祈れる人にとったら「世界人類が平和であります」て、この断定の世界を奥にちゃんと捉えてしまうんですね。(ああ、そういう意味があるんですね。)ああ。そしたら後「ように」はいらないですね。なしでそのままでサッと実現するんです。ところが断定の祈りを奥に掴めない人は、現実を先に見てるんですね。現実には断定の世界なんかないですから、まだ「平和でない状態」が現実にあるんで。だから祈り言葉もいろんな活用の仕方があるんですけど。だから神様からくる祈り言葉は、ぜんぶ幾く通りにも解釈が利くんです。それでなかったら「神様の言葉」という値打ちがないんですもんね。誰にでも通用する言葉なんですけど。

 病気を健康に置き換えた

質問:
 以前は病気の方を治してられたそうですが、今はもうやっていらっしゃらない。

ありがとうございます:
 そうですね。病気の人が目の前に現れなくなるんです。はははは。

質問:
 その時の癒し方と、今は現れなくなったという過程をお聞きしたい。

ありがとうございます:
 私は小さいときからお医者さんになって、病気の人をぜんぶ治したいと思ってたのね。それは、やっぱり病気を掴んでる心が多分にあったと思うんですね。だから、病気の人が目に付いて仕方がなかった。それで、一生懸命病気を治してあげたいと思って祈るのね。祈るのは、病気を見つめるんじゃなしに、「無限健康、完全健康」を見つめて置き換えてもらうという祈りなのね。だからみんな神様で完全なんだとか、みんな無限健康でいっぱいなんだと。もう光り輝いている無限健康を心に感じるまで祈るんです。そうすると、目の前にいてる人でも遠くにいてる人でも関係ないんですね。遠くの人でもいいんです、遠隔思念的にスッと通じて、その人はもう健康な姿ね。その健康な姿をとった状態になって私のところへ情報が入るんです。そのうちに何万人とそういうふうに心の中の病気を健康に置き換えたんでしょうね。

 そうするとやっぱり病気の人を情報として入ってこなくなる・見なくなる。『だから、人の病気を治したと言うより、自分の心の中の病気を健康に置き換えてもらった、と言うほうが正しいかも知れない。』だから、自分が選んだ番組だったかも知れないね、それはね。本当はもう健康ばっかしの人を見ているほうが幸せですよね。
今だったら「みんな天照大御神様」と「無限に無限に輝いている」という見方でしか見ないですから。

 だから、病気を治してあげたいとも思わないし、お祈り出来るようにしてあげたいとも思わないですね。もう「みんな無限健康で、無限の幸せでお祈りが出来てる」というふうに「みんな天照大御神様なんだなあ」というふうに、そういう感謝の仕方をずーっと続けさせてもらってるんで、一番得な役目を、はははは。



 寿命

質問:
 肉体としては命には限りがありますね。125歳ぐらいと、50・60歳ぐらいとの違いはどういうふうに見ればいいのですか。

ありがとうございます:
 寿命も必要あってそういう寿命になってるんですね。今の地球のレベルでも、例えば人口が百倍にもなったら先ず生きていけないね。だから程々の人口を整えてバランスをとってくださるのね。ただ、この地球の場のいくつかのチャンネルの幅の中での動きですよね。日本でもそうですね、食糧が少ない時は三千万人、四千万人ですよね。外国から食料が入ってくると一億超えてもいいんですよね。

質問:
 アメリカなんかは癌で死ぬ人が多いですよね。それもやっばり神様に与えられた寿命なんですか。

ありがとうございます:
 いや、いや、それも本人が選ぶんです。どの番組をどの寿命を選んでるかというのは、一人一人の責任で選んで決めてるんですよね。本当はこの世に近いところは理想が125歳というんですけど、もっとちょっと高い番組になると寿命は何千歳なの、肉体持ちながら。もっと高いともっと延び延びと自由に長生きできるんですよね。それで年をとればとるほど若くなる、老化がないんですよね。だから、番組によったらぜんぜん違う寿命の表現があるんですよね。

質問:
 そうすると私達はその狭い中の。

ありがとうございます:
 そう。その中でまた細かく分けるといろいろあるのね。だから、その寿命を短くして終わる人も、長くして終わる人もいろいろね。それも必要性で決まるのね。だから、長生きしたからいいんじゃないのね。「勉強をし残しているから、ちょっと長生きして勉強しなさい」というのもあるんです。早死にするのもそうですね、「この一生の分は終わったからもっといいところへ行きなさい」というのもあるのね。

質問:
 人生は卒業式だと思うんです。後、私も卒業式まで幾つかこなさないといけないのかな、と思ってるんです。

ありがとうございます
 まあ、それも一つの考え方なんですけどね、卒業式という考え方もね。でも、卒業式なしで、早く勉強の場へ移る人もあるのね。途中で「もっと良いとこへ」と移動させてもらうと卒業じゃないんですよね。一番やっぱり良いとこへ良いとこへ行くんですよね。必要なとこへ、必要なとこへね。卒業でも転入でもいいんですよね。落第してもう一つ年数を重ねてもいいんです。それも一番いい方法だったら必要で、その方がいいんです。だから、一番いいように計らってもらってるというように見て、それも自分ひとりの考えで決めるんじゃなしに、神様が周りがぜんぶ自分のことを詳しく見てて、それで一番いい方法を与え続けてくださってるのね。

質問:
 条件が整ったらそっちへ行ったほうがいいわけですね。

ありがとうございます:
 それも自然にね、自然に一番いい方へいい方へ行くでしょうね。

 チャンネル

質問:
 チャンネルのお話しなんですが。パラレルワールド(平行世界・多元宇宙)というチャンネルの世界があって、今見えてる現象ではなくて、極楽みたいな地球があって、地獄みたいな地球があって、それがみんな同時平行にあるという話しがあるんです。(あるんですね。)未来がどうなるというのもある。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」を全員が唱えても、地獄はずーつと永遠に存在し続けて、ただ、「ありがとうございます」を唱えてる人にとったら、地獄番組も神様の最高傑作の一つとして味わえるんですね、「必要な番組」とわかるんです。「ただ苦しいばっかし」というような見方をしなくなるんですね。「地獄の石ころも輝いてる」というぐらい、どんな悪役の姿も「名演技なんだ」という見方ができるんですね。(ホラー映画をみてるようで、楽しんでるような。)そうですね。こういうのを演技できる俳優さんは名優だなあ、ってね。

質問:
 船井幸雄先生は地球レベルで変革することをおっしゃってますし、塩谷信男先生さんも良くしていこうとしておられますし。ありがとうございます先生の方からはそういう情報はあるんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうね。多分にみんな一つの番組の中にはまり込んでますよね。はまり込んだ人を如何に番組の外に引き出して、そしてより良い番組の方へ心を向けさせるかという方法・テクニックはいろんなのがあるんでしょうね。

質問:
 案外みんな恐いもの見たさというのがある。

ありがとうございます:
 それもあるでしょうね。

質問:
 嫌々いいながら見てる。

ありがとうございます:
 そういう番組も人によったらありますよね。戦争番組ばっかし趣味で見る人もありますよね。それぞれにいろんな生き方があっていいんだと思いますけどね。どれが良い悪いじゃなしにね、みんな必要あってそういう方法があるんで。だから、本当に自分に必要なものを的確に与え続けてもらって、いろんな体験を勉強しながら、もし必要だったらもっと番組が上がるように最短コースを歩めるようにしてもらってると思うんですけど。一つだけの方法ってないですね、沢山ありますね、同時にね。

質問:
 こういういろんな問題は神様が与えてくるんですか。それとも自分が選んでいるんですか。

ありがとうございます:
 神様が与えてると言えば、全てのチャンネルを作って与えてる、と受けた方がいいでしょう。神様は強制的に「この番組を見なさい」とは言われてないですよね。どれを選んで見るかは人の側の自由と責任に伴った生き方ですよね。自分の好きなものを選んで見てるんですね。だから、神様がどうのこうのとは言えないですね、もうね。その神様が「創り損ないをしてるか」、絶対そんなことはないのね。全てを尽くした表現ですから、「ないものは一つとしてない」んです、もうぜんぷ揃ってるのね。「まだこれが足りませんよ」ということは絶対言えない、全部あるんです本当に。無限の無限のチャンネルという言葉通りにぜんぶ揃ってますから。神様がぜんぶ揃えて与えてる限りは、後、それを受けて味う人間の側の責任になってくるんですね。「病気が治るようにいろんなアドバイスがきた」と思えても、これが「神様の導きか」と思うと、やっぱり違うんですね。本当の神様の導きというよりも、その番組の中のストーリーを、自分がそういう「番組として見てる」ぐらいね。

 与える側と受ける側

質問:
 腑に落ちないですね。神様が創ってるというのが腑に落ちないですね。暗いマイナスの意識は人間が作ってると思うんですよ。人間が作っていって、自分も神ですから、人間意識は暗い方を取って行くんだけど。神というのは、どの瞬間も輝ける、白にひっくり返せる可能性を持たしてるのと違うかなと見えるんですけども。どうでしょうか。

ありがとうございます
 形で決まるというと、本当は「限身・カギリミ」という輝いた神通自在のものを限定してスッと形に現した姿なのね、全部ね。だから、無限のチャンネルのすべてが限身なんです。それだともう決まってしまってるのね。永遠の未来まで全部ストーリーも決まってしまって、形も用意されてしまってると言えるんですよ。でもその同じ形を見てても受け方はいろいろね、人によって。地獄をも輝いて見る人もあるし、苦しいばっかしの思いでいる人もあるし、見方はいろいろですけど。でも、形は変わってないですね。地獄は地獄の形はありますよね。

質問:
 その時に、神は、地獄に光と闇があるじゃないですか。神は光を見せよう、見せようとしてると私は理解してるんですよね。人間意識・エゴが、闇を闇を見つめていってる。闇を見てるのは人間意識で、神は常に光を見せよう見せようとしてるという捉え方をしてるんです。

ありがとうございます:
 神様の方は一番輝いた番組もあるし、順番に段階を追って下へ行くほど光の少ない番組でしょう。これはもう仕方ないですね。全部それぞれの番組ですからね。それに上と下とを比較したら、上は無限に無限に輝き、下は無限に無限に闇なんです。その違いは絶対あるんですね。だから、一番下の闇のほうを神様が輝かせようとする必要はないんです、形としてね。そこは闇として、その役割としての形なんですね。

 ただ、見る人によったら「地獄にもいろんな無限のプラスの役割の姿」として見ることは出来るのね。相対の両極というのは、悪いばっかしがマイナスの闇じゃないのね。双方がいいように見る立場なんですね。だから、与える側があったら、受ける側があるわけでしょう。「受ける側」が悪いかというと、違うよね。受けるから「与える側が生きる」んですね。また、時間と空間というのが相対の両極だったら、どっちもやっばりいいですよね。プラスとマイナスというより、時間という要素も素晴らしいし、空間という要素も素晴らしい。どっちも褒め称えあうだけですね。

 また人間の「霊と体」というのも、そういうふうに受けると、霊も素晴らしいし、体ももっと素晴らしくなってくるわね。両方褒め称えあう要素が相対の両極に分かれるのね。「プラスとマイナス」にわかれる相対もあるし、また、「生と死」という相対に分かれるのもあるし、いろんな要素がいろいろなんです。だから、極楽と地獄も、場合に寄ったら地獄も大犠牲精神の愛の極地というふうに見ると、地獄にもそういう大犠牲精神の愛の輝いた世界ですよ。そういう意味だったら大きいプラスも見える番組に逆転するのね。だから、その辺が立場を変えたり、いろんな見方をすると、自由自在に変化する…、それもいいかも知れないね。

 人がでしゃばる時代ではない

質問:
 全国を回られたら多くの方が「ありがとうございます」の素晴らしさに気付いて、お祈りをする人が増えるんじゃないかと思うんですが。

ありがとうございます:
 これからは人がでしゃばる時代ではないみたいですね。「ありがとうございます」の神様が前面に出て、みんなを仲良くさせていくみたいです。だから、私は別に「ありがとうございますが素晴らしい」と、私が説いているんじゃなしに、私は「ありがとうございますを唱えて幸せにしてもらった」という小さい一つの実例をちょっと体験的に述べてるぐらいなのね。皆さんがこれから「ありがとうございます」で素晴らしい体験をいっぱいされるにしても、それを謙虚に「小さい現実なんだ」というぐらいに、そして「ありがとうございます」という神様を表に・前面に出せばいいかと思うんです、これからはね。そしたら、もう争いも一切消えてなくなって、本当の意味の調和した姿が早く実現してくるね。そしたら、もう宗教争いも何もないのね。これからそういう一体化する時代ですもんね。私はどんどん奥へ隠れます。はははは。その辺の山に穴を掘って入ります。

 天照大御神

質問:
 天照大御神は無限の無限の創造主ですかね。日本語と外国語ということで、世界方々にいろんな神がありますよね。そういう意味では「あまてらす」イコールというのはなおらないですか。

ありがとうございます:
 そうですね。ちょっと言葉が足りないですね。「アラーの神」と言ったら似てるんですけど、天照大御神を指そうとしてるんでしょうけどね。「アラー」と言うだけではちょっと足りないですよ。「あまてらす」の方が意味が沢山、ほんと、揃ってるんですね。

質問:
 キリストもそうですか。

ありがとうございます:
 そうですね。キリストを真理と捉えても「あまてらす」という意味にはちょっと違うんですね。一番わかりやすい感じやすい言葉はやっぱり日本に多いですね。時期的に早く感じとりやすい人は日本に生まれてきてるという。みんな素質は同じなんだと思いますけど。外国に住んでる人は、先ず部分的にしっかり勉強して、それで最後に総括する勉強に入る、という意味で見ていくと。日本人は先輩になるんですね、上級生という感じかも知れないですね。それが順番にまた日本という学校へ入学してくる。外国にてる人には、立派な指導的な役割をする人が日本に生まれてもいいのに、「外国に生まれて指導者としての役割を果たしてる」というたら言える人もあるんですよね。気持ちの広い大きい人もね。

質問:
 日本語が世界最古の言葉と言われていて。立花先生のおっしやることからも「成る程」と思うところもあります。時代によって最上級生の地域は変わるんでしょうか。

ありがとうございます:
 変わるでしょうね。でも、本当の意味の「日本が中心」というのは、この「島国の日本」ということじゃないんですよね。「日の本の国」といのは「絶対」なんですね。神様の一番奥、「最高表現」と見た方がいいのね。そこからいつも全体に必要な知識を送り込んでくる。この島国日本の場合は、時代時代で働きに変化するとしたら、日本から世界に広がる時もあっても、今度、世界から日本に入る時もあるはずなんです。その両方を繰り返してるかも知れないですからね。だから、いつも「日本が上だ」とは言えないね。逆に世界の方が上で、子供を育てるように日本を育ててもらってる時期もあるはずなのね。でも、「絶対」という「根本・日の本」は、いつも光を与える側なんで、それは変わらないと思いますけど。

質問:
 「皇・すめら」が中心になってる、???

ありがとうございます:
 本当、そうですね。「すめら」という言葉が「すめたかあまはらみこと」で「宇宙の絶対神の全て」。だから、「ありがとうございます」と同じ意味なんですね。天皇陛下を「皇命・すめらみこと」という言葉を一部として「宇宙絶対神の御心をそこに大きく体現した人」という意味で「すめらみこと」というのね。これはみんなも宇宙絶対神の心をしっかりと把握して、それを生きてる人は、みんな「すめらみこと」なんですね。だから、絶対神のことを「すめたかあまはらみこと」と全体を指す言葉として使うんですけど。「すめら」というだけではちょっと足りないですけど、ただ長いとちょっと不便なんで、「すめら」と軽く簡単な言葉でね。

 「自我の思い」と「神様の御心」

質問:
 「感謝がいっぱい」の中の、‘自分を求めているところへ与えていくのも、自分を必要としているところへ与えていくのも、自分を必要として欲しいという求める心も隠されている…。’人の頼まれごとがありますね。「はい、喜んで」と。それは自分自身の中に求める心があるんですか。

ありがとうございます:
 自分の命を・全てを全部神様にお返しするまでは、やっぱり自我の思い・願いは出るんですよね。だから「全部神様に捧げます、お使いください」という形で「全託の行」というのをかなり積み重ねていかないと、ちょっと残ってるんですね、自我の思い・願いというのはね。神様は自分をどういうふうに使いたいか。一番必要なところで使ってくださるはずなんですけど。ところが、自我の願いがあると自分が願い通りのところで使ってもらいたい、という気持ちが出てくる、先にね。大きく使いたいのに‘小さく使って欲しい’というと神様は使いにくいですよね。だから、「何でも神様の御心のまま」になってないですよね。やっぱり「自我の思いのままに」というふうに動かしてる可能性があるのね。それだと、本当の意味では行きづまるんです。

質問:
 頼まれごとをしまして、やったんですけど、その辺がちょっと引っかかりまして。

ありがとうございます:
 どっちだと思われます。

質問:
 神さんが「せえ」(注:しなさい)、言うた。

ありがとうございます:
 そうよね。

質問:
 お前、出来るよ、と。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」をこれだけしっかり唱えてる限りは、神計らいで必要なことをさせて頂くんでしょうね。それで最高ですよ。(ありがとうございます)ははは。

 そのままでいい

質問:
 ここにはしょっちゅう来れないと思うんですけど。「ありがとうございます」が基本なんですけど、日常生活の中でアドバイスがあれば。

ありがとうございます
 そのままでいいです、大丈夫です。神様の護りは無限に無限に大きいですからね。その通りで自然でいいんです。「ありがとうございます」のお祈りが出来ない時は、「神様が代わりにしてくださってる」ぐらいの大きい開き直りでいいですね。

 ーカメムシがいる、蚊がいないのに何でカメムシがいるのかなー

 人間の構造

質問:
 人間の構造をちょっと教えていただきたいんです。神一心一体、という捉え方をしてるんですけど。もう少し細かく教えていただきたい。

ありがとうございます:
 自分というのはどの部分の自分でもいいんですけど。今の自分を中心に置くんですね、全体の中心にね。神様の働きが末広がりに同心円的に無限に無限のどこまでもどこまでも広がってる。一番外側が「絶対」というふうに見るのね。「絶対という大光源の中心に今の自分があるんですね。他の人もそれぞれ、中心はどれだけあっても大丈夫なんですけどね。ぜんぶ絶対の中心に置かれて護り護られてるという見方がいいのね。その働きというのは、言葉で現すのは不可能ですね、無限の無限の働きが複雑に組み合わさって、今の中心にいる自分をありとあらゆるところから、護りに護ってくださってるのね。だから、銀河系の遠いところから星の光も入ってきてるのみんなね。どういうふうに入ってきてるか考えてもわからんですね。

 でも、宇宙の全部から直接・間接的にありとあらゆるところから入ってきてますよね。また、肉体というこの人体が小宇宙というふうに見ると、大宇宙と必ず相似形なんで、お互いに影響しあってますよね。だから、複雑な構造が無限の無限の構造としてあるんですね。ちょっとわかり辛いですけど。あまり単純化すると余計わかりにくいですね。無限に無限に複雑でそのままでいいというぐらいが、ありのままを認める生き方かも知れない。だから、原子一個の顔が違うという見方と、水素原子一個はみな同じだという見方と、どっちが正しいか、といったら。やっぱり‘違う’というほうがいいんでね。あまり単純化しすぎて‘同じ’というふうに見てしまうとまた、それに執われてしまうとまたわかりにくくなるんで。それはわかってはるんと違いますかね。

質問:
 人に説明するときにね。

ありがとうございます:
 そうね。人に説明するときね。でも、わかる人にはわかるんで、わからない人にはわからないから。どっちにしてもね余りね、表面を納得させてもわからないですもんね。思い出なんぼ「納得した」というてもね、すぐけろっと忘れてまた反対のことを言い出しますよね。でも、感謝の心でちょっと感じたのはもう変わらないですね、理解して納得してるんですね。ある時忘れててもまた思い出すのね。本当はみんな最初から「知ってる」という大前提の下に必要な時にその自覚がよみがえってきたらいいんだ、というぐらいでいいですね。

 肉を食べる善悪

質問:
 いたるところに神がいる。カメムシもそういった意味ではむやみに殺せないとなるかと思うんですけども。肉食ですが、肉を食べる善悪についてはどうでしょうか。

ありがとうございます:
 「生き物を殺しては駄目」というのも、殺す必要のない番組もあっていいですけどね。殺し合いの番組もあってもいいですよね。でもまた、「殺すJという立場ではなしに「命を捧げあう」という立場もいいですよね。肉食でもマイナスに見たらマイナスの番組になるのね。プラスに見たらプラスの番組になるね。

 だから、牛が自分の命を人間の捧げて「どうぞ私の命の活用をはかってください」というて自ら願って食べて欲しいと言ったとしたら、もの凄い大犠牲精神ですね。愛深い心でね、神様に全託の心ですね。そうしたら、牛の魂が凄い進化を遂げて、人間を飛び越えて神様になるかも知れないね。そういう番組だったら、そういう牛の捧げてくれる肉を食べるのも素晴らしい生き方なんですね。でも、嫌がるのを殺して無理やり食べてというと、恨みの思いを人が被って気持ちが荒々しく動物的になるとかという影響を受けてしまうのね。それもいろんな番組に応じての必要性だと思うんですけど。ここでもカメムシをこういうところへ入れて死ぬんですけど、はははは。うーん。だからその死に場所をどこの定めるかというんでね。これも外へ飛んで行ってノタレ死んでもいいんですけど。ここへ入れて断食の行をしながら、はははは、お祈りの光を浴びてね、最高の神界へ上がるかも知れない。あっはははは。ここでは幸せな番組なんです。はははは。だから、別に形に執われずにプラスに思い返して生かす方法も番組としていいでしょうね。

 でも、番組としてこのカメムシがようけ出てきた時に、ここらでも何千、何万って出てくる時もあるでしょう。そしたらどうします、それ。カメムシ様々と拝んでおいといて家中に入られたら、ねえ、もうこの中にいっぱい入り込んできたら、そういう時どうします? やっぱりねえ、早く神様のところへ戻って欲しい、あはははは。早くお役目終わって帰ってくださいって。その時は、もうカメムシの殺虫剤をバッと掛けて「ありがとうございます」。あっはははは。

質問:
 アフリカかどっかで、食物をとりに行くのに現地の人は刺されない。なぜかと聞いたら「君たちの邪魔はしないよ、食べ物が欲しいからそれを取ったら出て行くから刺さないでね」てお願いしたら刺されない。それを聞いて実際入っていったら刺されなかった、という話を聞いたことがあるんですけど。自分の必要でないもの、自分のチャンネルにないものは現れないというお話しがずっとあったので。カメムシがこうやって出てくるというのは、ありがとうございます先生じゃなしにここへ来てる者に必要なんですか。(笑い)

ありがとうございます:
 あっはははっはは。

質問:
 やっぱり来ないんですか、来るんですか、来た時はやっばり必要とされとるんですか。

ありがとうございます:
 そうね。カメムシが必要としてくるね。ねえ。

質問:
 小さい小蝿が網戸越しに入ってきて、「ありがとうございます」でスプレーをかけたんです。虫は殺さないので、いつもは出て行ってもらうんですけど、大量に下へ落ちたのを見ると心の中がなんかニ・三日悩んでました。

ありがとうございます:
 私はカメムシは必要としてないんですけどね、カメムシが悟りを開きたい言うてようけ飛んでくるんです。それで蝿叩きで、これで一巻の終わりです。はははは。

M:
 こういう質問をいろいろしてもらいために…。

ありがとうございます
 だから、別に形じゃないですね。丁度、弘法大師がいのしし肉を食べた時に一緒にいてた坊さんが、「お前はいのししの肉を食べた」と責めるんでしょ。でも、弘法大師は「食べてない」と言うんですよね。「わしは食べてないんだ」とね、そして「吐き比べしようか」というと、責めた方の坊さんの口から吐き出したのがいのししの肉なのね、弘法大師からは出てこない何もね。だから、心で掴んでないんですよね、いのししの命を自分は頂いただけって、殺生してないんですね。私もカメムシを救っただけって。あはははは。もうね、ここで死ぬか他で死ぬかでしょ。寿命が来たら死にますよね、最後の最後に「ありがとうございます」のお祈りにふれて死ぬ方が、ねえ。そのために遠いところから飛んできてるかも知れませんもんね。それも必要なだけ昇天して頂くんですけど。

質問:
 いろいろお話しうかがって今の点だけは落ちませんね。

ありがとうございます:
 そうですか。あっはははは。

 意識と命

質問:
 「悟り」というのはどういう感じなのですか、段階もあるでしょうけど。

ありがとうございます:
 神さまとの一体感なんですけどね。離れてるというのが差がある状態で、離れてるという感覚がどんどん取られてしまうと「悟り」は、「神さまと一体である」という意味なのね。本当はすべてが一体だったら、カメムシを殺したって自分で自分の命を必要ないから神さまの世界へ戻します、という感覚でよろしいよ、はははは。

質問:
 まだもうちょっと。

ありがとうございます:
 あっははははは。いろんな虫がいますよね。ここらでもモリアオガエルが卵産みにきて蚊が少ないですね。ブト(ブユ・ブヨ)ていうのね、最初の年は多かったですね。みんな刺されて噛まれていっばい腫らしてましたから。それがどんどん減るんですよね、モリアオガエルが増えることによってね。最初はブトなんかに噛まれたら相当腫れますからね。作業してて大変なのね、殺虫剤バァ〜〜〜ツとねやっては追い払い殺してたのね。それも必要あってするしかなかったね、最初はね。段々とモリアオガエルが食べてくださる。はははは。そしたら別に殺虫剤で殺さなくても済む、という一面は大分あるんですけど。でも、どっちがいいかと考えると、モリアオガエルが食べると「ご馳走様」といって食べるかも知れん。殺虫剤かけるほうは「ありがとうございます」とお祈りしてるかも知れないね。だから、虫にとってどっちが幸せかなって。まだちょっとモリアオガエルは「ありがとうございます」まで行かないかも。ほんとカメムシが異常繁殖の時ありますよ。それもやっばり人類の思いがそういう形で、そういう異常繁殖の形をとるときがありますね。だから、それを消すのもそれぞれの人が打ち消さんなんかもね。

質問:
 その意識のお話しですけど。カメムシの意識もあるでしょうし、人間・動物・植物・鉱物、全て意識を持ってる。意識の差というのは、レベルの差というのか、それはどういう。

ありがとうございます:
 ランクがあるんですね。どれだけ神様の大きい意識に近いか。人間はやっばり万物の霊長と言うだけで、一番神様の意識に近いのね。動物よりは昆虫の方がレベルは低いと思いますね。植物はもっとある意味では低いかも知れないね。その低い意識を高める方法もいろいろでしょうけど。命を捧げることによって大きく進化するという一面もありますよね。だからカメムシが異常繁殖して、人類の業をいっぱい背負ってきて、その業も消してもらいながら、命を捧げて大きく進化をはかるという時に、こういうところを選ぶんですよ。
あっはっはっはははは。

質問:
 それでしたら、人間は一番神に近い意識を全体的には持っておるんですけども。鉱物の中でも、あるものは人間と同じ意識の入ってるものも。

ありがとうございます:
 ありますよね。だからいろんな例があっていろいろなんでね。石ころの方が人間の意識よりはるかに高い場合もありますよね。カメムシも悟った神さまもいてるかも知れないですけど。


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