カウンター
0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
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116.117.118.119.110.111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135
.136.137.138.139.140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

ar00 2003.6.8
河上彰延 :ありがとうございます (先生)のお話をこのように毎月第1日曜朝8時からしていただいております。
いつや知らぬまに、宗教団体のように誤解するかたも出てきているので、ここで、確認しておきたいとおもいます。
 まず、ここで、録音を勝手にされて、そのテープを配布もしくは勝手に販売される方もいらっしゃいますが、すべての責任は、配布もしくは販売された方に帰属します。テープの内容についてもです。先生がおっしゃっているように聞こえますが、編集次第でどのようにも変わるからです。
 つぎに、ここで発言された内容のすべての責任は主催者である、この河上が取ります。不適切な発言内容は河上が修正します。
 最後に、誰を連れてこられても自由ですが、つれてくる方にその責任のすべてがあります。その覚悟で、いろんな縁有る方をお連れ下さい。

ありがとうございます:
 神さまは一切の自由を縛らないから、どうこうというガイドライン的なものは言えないのです。すべては受け取る側の責任です。本物を掴むと言う覚悟があれば責任有る行動がとれるはずです。

河上彰延 :山岸先生が一般書店からありがとうおじさんの名で本を販売されるそうですが、いくらでされるのですか?

ありがとうございます
1200円です。

河上彰延 :およそ印刷と紙代だけで160円くらいしかかからないと思うのですが、粗利1000円の内いくらか先生の手元入るのですか?そしてありがとうおじさんというのは誰ですか?

ありがとうございます:
ぼくの手元には一切お金は入りません。版権著作権等の主張はしない放棄することを条件で許可しました。それから、ありがとうおじさんて誰ですか。僕は誰のことか知りません。

河上彰延 :老子道徳経第一章に道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず。無名は天地の始めなり。有名は万物の母なり。とありますが、およそ名を付けてしまえば、その範囲が限定されて受け止められるものまで受け損なってしまうと思います。ありがとうおじさんと命名されたかたが、すべての責任を取られるのでしょうか?先生は一切の自由を縛られないが故にその命名を拒否されなかったのですか?

ありがとうございます:
すべては、受け取る側の責任です。許可したおぼえもありません。ありがとうおじさんて誰のこと?

河上彰延 :宗教団体で無いが故にみんな自由。一切の行動の自由は縛れない。すべての、責任は受け取る側にあるということで、ここは、宗教団体でないという結論でよろしいでしょうか?

ありがとうございます:
はい、そのとうりです。

河上彰延 追記
その後ありがとうおじさんという命名について、いろんな方からメール等をいただきました。追記補足説明をいたします。
今の一瞬を感謝で受止めそこなうと(現実をつかむ。番組に入り込む。)と先生の肉体を掴んでしまって、いろんな疑問が起ります。
しかし、今の一瞬一瞬の奥に奥に感謝で受け止めていくと、先生の響きの本体がありがとうございますの奥の奥にあることが感じられるはずです。それ故、ありがとうございます。と命名?しております。モット良い呼び方があれば、また、お知らせください。2003.11.20メール⇒ありがとうございます

其の後、ありがとうございますのお住まいになる通称ありがとうボランテアグループ及びありがとうおじさんと山岸先生との関わりについて明記して欲しいとの要望が先生よりあり(山岸先生が全国各地でありがとうおじさんの要望でしていると称して寄付等の集金講演活動を行っていることについて)ここに記載いたします。
山岸先生がありがとうございますのところにおいでになり、インタビューや講演を希望されたので自由が基本なるが故お受けしたが、ありがとうございますの名前を使って全国各地で集金活動をお願いした事は無く(宗教団体で無い故に)山岸先生がご自分の生活のためにされている事であって(集金活動は)ありがとうボランチアグループと山岸先生が名づけられた通称ありがとうおじさんは一切その山岸先生のされる講演集金活動とはかかわりがありません。山岸先生からは一円の金額も受け取っておりませんので、関係各位におかれましては誤解の無きようお願いいたします。(なお、ビデオテープ等も勝手に撮影されているのであって許可したことは無くありがとうおじさん本人が写っているとは保障できないそうです。)よって誤解を防ぐ為今後山岸先生から希望があってもインタビュー等は一切受け付けないそうです。以上2004.3.14の勉強会に於いて。

お祈り(精神統一)のしかたについて最近質問が殺到しておりますので、ありがとうございます先生よりお聞きした方法をここに再録しておきます。

真実の祈りを体感体得しましょう。!

     正しい方法で

1.姿勢を正して上体の力を抜き、自然体になる。
2.丹田呼吸を行う。
3.丹田に意識を鎮めて、そこから祈り言葉が湧き出て来るようにして唱える。
4.祈り言葉の本義をしっかりと学んで掴む。

     真剣に
1、絶体絶命の立場を思い返す。
2.今の一瞬にすべてを懸ける。

     継続して
1.どんな時にも、どんな状態であっても、必ず半歩でも前進する。
2、同じ時間をかけるならまとめて1回の祈り時間よりも分散させて10回真剣に祈る。


丹田呼吸とはどのようにしたらいいのでしょう?

細く長く息を吐くだけでいいのです。そのうちに漏れるだけになり、それも、ほとんどなくなり 少し吸い足しし また 長く漏れるように吐く となります。
吸う時間吐く時間や量に気を病むことは無いのです。人それぞれ個性に応じた呼吸があり、伝授するとか教えるとかの問題ではありません。
Iさまの守護霊様が自然に感受できるように伝えて教えてくれます。
Iさまにとって下腹部があつくなって手にじんじんと来たのは氣(神さまの光)がIさまの本心にまで通ったことを守護霊様が身体の感覚を通じて教えてくださったのであります。(直感的にそう思いませんか?)おめでとうございます。
あとは、ひたすら、感謝だけで進まれれば良いのです。お祈りしにくい時はメモ護摩木等を利用してご自分なりに工夫して頑張るのでは無く楽しんでください。感謝の言霊を出すお祈りほど楽しいものはないのですから・・・・。
 みんなはわざわざ苦しいことや何か断食等の苦しい事をしないと悟れない神さまを感じれないと自分の言葉で自分を縛っているのですから・・、Iさまの体験はその縛りが取れた証拠証左であります。
神さまをご自分に入れるのではなくIさまそのものが神さまの響き生命そのものだったんだと分かる時が来たのであります。
みんな難しく遠くに置いてしまっている神さまの存在⇒実はすぐそこ今ここにあるのですが、今のIさまなら理屈ぬきにその今ここが実感できるはずであります。
むつかしい できない と 縛らずに素直に受け取って感じてください。
 神さまはいつもおっしゃいます。”喜んで 感謝して 待っていてくれたらいい”・・・・と、


             

 
  

<1>
 「ありがとうございます」というのは、宇宙うちゅう大神おおがみさまの究極きゅうきょくしんめいである。
 「ありがとうございます」のかみさまは、宇宙うちゅう大神おおかみさまである。すべてのすべてなるかみさまである。本物ほんものかみさまである。唯一ゆいいつ無二むに絶対ぜったいかみさまである。最高さいこうかみさまなのである。これ以上いじょうかみさまは、古今ここん東西とうざいどこにも存在そんざいしないのである。 
 「ありがとうございます」とこころとなえるのは、このかみさまと一対いったい一の関いち  かんけい向き合む  あい、このかみさまをかんじゅし、一体化いったいかするためである。いなすで一体いったいであることを確認かくにんするためである。
 
 「ありがとうございます」の一言ひとことなかに、すべてのすべては存在そんざいしているのである。「ありがとうございます」は、すべてのすべてである。「ありがとうございます」をおれい言葉ことばだというのは、一知半解いっちはんかいなとらえかたである。おれい意味いみ無限むげんなかひとつとして存在そんざいしているというだけである。 
 「ありがとうございます」のかみさまのはたらきのすべてを把握はあくするため言葉ことばは、この「ありがとうございます」一言ひとことである。この言葉ことば以外いがいなに必要ひつようとしないのである。
 
 「ありがとうございます」の一言ひとこと絞り込しぼ  こんで、ただひたすらに「ありがとうございます」ととなつづけているだけで、こころおくからしん絶対ぜったいしんあらわれてくるのである。最高さいこうしあわせがこころおくからしののめてくる。浮かび上う   あがってくる。がってくるのである。このしあわせは絶対ぜったい崩壊ほうかいすることのい、永遠えいえん本物ほんものしあわせである。
 
 いまかみさまはなにねがい、なに必要ひつようとしているか?
 いまかみさまが本当ほんとう必要ひつようとしているのは、いまかみさまが一番いちばん必要ひつようとしているのは、ただひたすらに「ありがとうございます」ととなつづけてくれるひとである。ただひたすらに「ありがとうございます」といのつづけて、かみさまを受け入う  いれてくれるひとである。
 
 地球ちきゅう人類じんるい今日きょうまで、自分勝手じぶんかっておもいをつづけて、かみさまを受け入う  いれることを拒絶きょぜつつづけてきたのである。
 かみさまを受け入う  いれて、しん一体いったいとならなければ、いかなる調和ちょうわ生み出う  だすことができないのに、かみさまを無視むしし、拒絶きょぜつつづけてきたのである。
 地球ちきゅう滅亡めつぼうまえにして、まだわるあがきしつづけるのか、かみさまにまかせてすくってもらうのか、二者択一にしゃたくいつせまられているのである。


<2> 
 「ありがとうございます」ととなつづけさえすれば、かならすくわれるのである。「ありがとうございます」ととなつづけるだけで、本当ほんとうしあわせを体得たいとくしたひとが、どんどんえているのである。
 こころ奥底おくそこから最高さいこうしあわせ、最高さいこうよろこび、最高さいこうやすらぎががって、これ以上いじょうしあわせはいというひとが、どんどんえているのである。本当ほんとう本当ほんとうに、必要ひつよう大事だいじ大切たいせつなことは、「ありがとうございます」とこころとなつづけることだけである。ほかのことはすべて、すくわれを邪魔じゃましているだけである。
 
 ありがとうおじさんのほんんでも、テープをいても、本当ほんとうすくわれるのではいのである。そんなことでよろこんでいるのは、おもいの世界せかいはなしである。そんなひとが1おくにんできても、かみさまはすこしもよろこばない。かみさまのなんのおやくにもてないからである。「ありがとうございます」といのりを実行じっこうしてくれるひとだけが、かみさまのおやくてるのである。いのりを実行じっこうしてくれるひと誕生たんじょうを、かみさまはせつせつねがつづけているのである。
 
 ほんんでよろこひとは、ほんんでよろこひとをふやすだけである。テープをいてよろこひとは、テープをいてよろこひとをふやすだけである。本当ほんとうに「ありがとうございます」といのりを実行じっこうするひとをふやすためには、自分自身じぶんじしんいのりを実行じっこうする以外いがい方法ほうほういのである。自分自身じぶんじしんいのりにいのって、いのつづけることだけが、本当ほんとうかみさまのお手伝てつだいになるのである。
 
 ありがとうおじさんも、名無ななしの権兵衛ごんべいも、つまらないおしえをてて、しゃしゃりてはいけないのである。しゃばってはいけなかったのである。「ありがとうございます」のかみさま以外いがい前面ぜんめんてきてはいけないのである。「ありがとうございます」のかみさまとひとあいだに、いかなるものものちはだかってはならないのである。あいだちはだかることは、かみさまのすくいのはたらきをおおきく邪魔じゃますることになるのである。
 
 「本物ほんもの」と一対いったい一の関いち  かんけいで、つねつね向き合む  あわなければ、けっして「本物ほんもの」にはなれないのである。
 「本物ほんもの」は「ありがとうございます」のかみさまだけである。
 にせものであるひとおしえにだまされてはならない。
 にせものであるひと言葉ことばしばられてはならない。
 すべてのにせものを自分じぶんなかから葬り去ほうむ  さってこそ、本物ほんものになれるのである。


<3> 
 地球ちきゅう人類じんるいなが歳月さいげつあいだおもいの世界せかいきてたのである。自分じぶん思い通おも  どおりになればしあわせなのだという、間違まちがった錯覚さっかく世界せかい自分じぶんいていたのである。自分じぶん思い通おも  どおりにきようとすることは、他人たにん不幸ふこうにし、みずからも不幸ふこうになることに、ちょっと気付きづきはじめたのである。
 自分じぶん思い通おも  どおりにきようとすれば、他人たにん自由じゆうしばり、七難八苦しちなんはっく見舞みまわれ、地獄じごくちてゆくのである。
 この厳然げんぜんたる事実じじつをそらしていては、永遠えいえんすくわれないのである。謙虚けんきょ反省はんせいして、かみさまのみちびきにみみかたむけなければ、しあわせな自分じぶんにはもどれないのである。
 
 おもいの世界せかいきるのと、感謝かんしゃ世界せかいきるのとは、まった正反対せいはんたい生き方い  かたなのである。おもいの世界せかいは、七難八苦しちなんはっくかげのようにつきまとう世界せかいである。
 感謝かんしゃ世界せかいは、しち福八ふくはちらくひかりとなって降り注ふ  そそ世界せかいである。おもいの世界せかいやみ世界せかい、しゃば世界せかいきるのか、感謝かんしゃ世界せかいひかり世界せかい神様かみさま世界せかいきるのか、地球ちきゅう人類じんるいいま二者択一にしゃたくいつせまられているのである。
 
 おもいの世界せかいきたいひとは、「ありがとうございます」をとなえなければよいのである。感謝かんしゃ世界せかいきたいひとは、「ありがとうございます」をとなつづけさえすればよいのである。そうすればすべてのおもいを消し去け  さってもらえて、感謝かんしゃこころきることができるのである。
 
 「ありがとうございます」のかみさまは、無限むげん無限むげん謙虚けんきょなのである。ひと自由じゆうけっしてけっしてしばることはないのである。だからこそ、感謝かんしゃきたいひと感謝かんしゃきようとするひとは、「ありがとうございます」の一言ひとこと絞り込しぼ  こんで、こころとなつづけ、かみさまを受け入う  いれる必要ひつようがあるのである。
 ほかにちょっとでもこころけたら、そちらを優先ゆうせんしなさいと、「ありがとうございます」のかみさまは引っ込ひ  こんでしまうからである。最後さいご最後さいご絞り込しぼ  こみ、到達とうたつする唯一ゆいいつ無二むにこころ故郷こきょう・いのちのみなもと最高さいこうしあわせの本源ほんげんである。
 
 おもいのこころは、必要ひつようでないものまでしがって、重荷おもに一杯いっぱい背負い込しょ  こむのである。
 感謝かんしゃこころは、本当ほんとう必要ひつようなものだけに絞り込しぼ  こんで、いつも自由じゆうかろやかである。
 
 「ありがとうございます」ととなつづけているだけで、本当ほんとう必要ひつようなものは、かみさまからかなら的確てきかくあたつづけてもらえるのである。本当ほんとう必要ひつようなものをあたえられたときに、ひと最高さいこうしあわせをかんあじわうことができるのである。
 だから、「ありがとうございます」ととなつづけているひとは、かならず、最高さいこうしあわせをあじわいつづけることができるようになっているのである。


<4>
 光源こうげん光線こうせんちがいを、絶対ぜったいしん救済きゅうさい神々かみがみちがいを、はっきりと理解りかいしておく必要ひつようがあるのである。本当ほんとう救い主すく  ぬしは、宇宙うちゅう大神おおがみさまだけである。

 どんなすくいに神仏しんぶつひとも、あくまでも使つかいであり、パイプやくでしかない。謙虚けんきょ謙虚けんきょに、自我じが滅却めっきゃくして、すべての栄光えいこう宇宙うちゅう大神おおがみさまにかえし、本当ほんとう救い主すく  ぬし宇宙うちゅう大神おおがみさまであることを、はっきりとしめさなければならない。途中とちゅうで、その栄光えいこう横取よこどりしてはならないのである。すくわれるがわひとたいして、本当ほんとう感謝かんしゃは、宇宙うちゅう大神おおがみさまへささげるべきであることを、くどいくらいにおしえなければならないのである。使つかいとしての神仏しんぶつひと感謝かんしゃする、そのなんまんばいなんおくばい以上いじょう感謝かんしゃを、宇宙うちゅう大神おおがみさまにはささげなければならないのである。
 自分じぶん自分じぶんがとせばすほど、パイプはこころまってしまい、宇宙うちゅう大神おおがみさまのすくいのひかりながれなくなるのである。宇宙うちゅう大神おおがみさまのすくいのひかりければ、過去かこをつかむひとおもいはえないので、けっしてひとすくわれることはいのである。すくがわも、すくわれるがわも、宇宙うちゅう大神おおがみさまに感謝かんしゃしてこそ、どちらも本当ほんとう意味いみすくわれてゆくのである。
 
 これまですくがわ神仏しんぶつひとが、あまりにも自我じがぎたのである。いろいろな神仏しんぶつが、教祖きょうそが、おしえが、わがものがおしゃばりぎたのである。自我じが滅却めっきゃくし、謙虚けんきょにしりぞいて、宇宙うちゅう大神おおがみさまのみを、前面ぜんめん押し出お  ださなければならなかったのである。それをぎゃくにして、自分じぶんしたために、枝葉えだはにとらわれさせ、対立たいりつしょうじさせたのである。
 
 世界せかい戦争せんそう根本原因こんぽんげんいんは、この枝葉えだはにとらわれた対立たいりつおもいにあるのである。とく宗教しゅうきょう宗派しゅうはおもいの対立たいりつ深刻しんこくである。枝葉えだは神仏しんぶつ自分じぶん主張しゅちょうすれば、対立たいりつしょうずるのは当然とうぜんである。すべての神仏しんぶつたばねる宇宙うちゅう大神おおがみさまが、前面ぜんめんなければ、収拾しゅうしゅうがつかなくなっているのである。だから、「ありがとうございます」の宇宙うちゅう大神おおがみさまが、出現しゅつげんすることになったのである。
 
 「ありがとうございます」と、宇宙うちゅう大神おおがみさまをつづければ、宇宙うちゅう大神おおがみさまがあらわれて、すべての対立たいりつおもいを消し去け  さってくださるのである。「ありがとうございます」は、世界せかい平和へいわため最後さいご切り札き  ふだである。

<5>
 無限むげん価値かちある貴重きちょう時間じかんいて、「ありがとうございます」のいのりのかみさまは、数年すうねんにわたって、みんなの質疑しつぎ応答おうとうにつきあってくださったのである。それにたいしてどれほどの恩返おんがえしのこころこせたか?十分じゅうぶん反省はんせいすべきである。自分じぶんわせてたすけてもらう段階だんかいは、ご利益りやく信仰しんこうである。恩返おんがえしのこころをしっかりとこして、自分じぶんかみさまにわせてゆくのが、本心ほんしん開発かいはつさとりへのみちなのである。
 
 本当ほんとう自分自身じぶんじしんおもいのこころ消し去け  さろうとしているか?感謝かんしゃふかめてかみさまを感じ取かん  とろうとしているか?どれほど真剣しんけん取り組と  くんできたか、反省はんせいしなければならない。 
 いつまでも自分じぶんわせて、たすけてもらえるとおもっているのは、おや子供こどもである自分じぶん面倒めんどう一生いっしょうてくれるものだとおもちがえて、親不孝おやふこうをしつづけているのとおなじである。幼少ようしょうころからおやのお手伝てつだいをしっかりとして、自分じぶん能力のうりょくたかげ、一日いちにちはや独立どくりつして、親孝行おやこうこうできるようにならなければならないのである。本心ほんしん自分じぶんは、一日いちにちはやかみさまのおおきなお手伝てつだいにきるようにならなければならないのである。


 質疑しつぎ応答おうとうでは、「ありがとうございます」のいのりの実行じっこう大切たいせつさをつづけたにもかかわらず、いまいのりの実行じっこう絞り込しぼ  こんでいるひとは、ごくごくわずかなのである。
 1にち24時間じかんなか、どれほどの時間じかんいのりの実行じっこう使つかっているか?すこしでも恩返おんがえしのこころがあるのならば、このいのりの実行じっこう時間じかんやしてゆかなければならないのである。
 
 かみさまへの本当ほんとう恩返おんがえしとはなにか?真心まごころめた「ありがとうございます」のいのりの実行じっこうである。かみさまへの本当ほんとうのお手伝てつだいとはなにか?神様かみさま一点いってん集中しゅうちゅうした、ふかふかいのりの実行じっこうである。
 おもいにきるのと感謝かんしゃきるのとは、どこがちがうのか?本当ほんとう感謝かんしゃきるようになって、はじめてその区別くべつがつくのである。

 いま感謝かんしゃこころ成り切な  きっていないものには、このこたえはせないのである。徹底てっていしておもいを消し去け  さ生き方い  かた実行じっこうしなければならないのである。すべてにおいて、必要ひつよう最低限さいていげんのギリギリの生き方い  かた実行じっこうすることである。
 すこしでもぜいたくになったぶんは、おおきくおもいを背負せおうものなのである。おもいの奴隷どれいになりつづけてきた自分じぶんが、おもいの(しば)りから抜け出ぬ  だせ方法ほうほうは、安易あんいみちではないのである。他人たにんからの援助えんじょけてよろこんでいる自分じぶんは、おもいの自分じぶんである。援助えんじょするくらいの生き方い  かた変化へんかしなければ、おもいの自分じぶんから脱却だっきゃくすることは不可能ふかのうなのである。

 どんな不労所得ふろうしょとくにも、おおきくおもいがくっついてくるものである。かみさまへの献金けんきんには、無限むげんおもいがくっついてくるものである。それを私的してき流用りゅうようすれば、こころくるってしまい、末路まつろ悲惨ひさんである。
 
 方便ほうべんおしえをいてよろこんでいるのは、おもいのこころである。つぎからつぎへと、あたらしいはなし追い求お もとめていているのは、これまたおもいのこころである。 感謝かんしゃきるこころは、いちいてじゅうさとり、そく実行じっこうするものなのである。感謝かんしゃきるひとそだてるためには、沢山たくさんおしえは必要ひつようないのである。ぎゃくひとつに絞り込しぼ  こまないと、邪魔じゃまになるものである。
 
 もし、かみさまのお手伝てつだいとして、おしえをあたらしいひとつたえたいのであれば、これまでのおしえをまんぶんいち絞り込しぼ  こんで、それを小冊子しょうさっしにして、無料むりょう贈呈ぞうていしてゆけばよいのである。自分じぶんはたらいてたおかねで、無理むり範囲はんいで、かみさまのへの恩返おんがえしを実行じっこうつづければよいのである。
 
 感謝かんしゃいのりへの「こころ指針ししん」としてのパンフレットは、いっさつでよいのである。あとにもまえにも、いのりの実行じっこうあるのみである。みずか率先垂範そっせんすいはんして、いのりを実行じっこうすることが、そくいのりをつたえることなのである。
 感謝かんしゃいのりの本当ほんとう価値かち見出みいだせたならば、みずからが即実そくじつこうすればよいのである。真剣しんけんにどこまでも真剣しんけんに、自分じぶん生命せいめい引き換ひ  かえに、感謝かんしゃいのりを受け取う  とればよいのである。
 
 おもいのこころはからいごころというものは、本当ほんとう必要ひつようのない、まらないことをしぎるのである。 自分じぶんうちなる絶対ぜったいしん一点いってん集中しゅうちゅうして、こころつづけることのみが大事だいじなのに、その自分じぶんかみさまの一対いったい一の関いち  かんけいをこわしてゆくのである。
 かい組織そしきつくったり、ほんやテープなど沢山たくさんあればいいとおもったり、沢山たくさん情報じょうほうあたえるのがただしいかのように、ひと貴重きちょう時間じかん奪い取うば  とってゆくのである。
 
 枝葉えだはこころうばわれたら、おもいのこころおちいるのである。感謝かんしゃこころもどためには、かみさまへのみこころつづけなければならないのである。どんな理由りゆうがあっても、かみさまへこころけるチャンスをうばったら、おおきな間違まちがいなのである。
 ほんむよりも、いのほう大事だいじなのである。テープをくよりも、いのほう大事だいじなのである。
 うちなるかみさまとの一対いったい一の関いち  かんけいを、絶対ぜったいこわしてはならないのである。本当ほんとういのりは、うちなるかみさまと自分じぶんとの交流こうりゅうである。本当ほんとう感謝かんしゃは、うちなる絶対ぜったいしんへの感謝かんしゃである。
 
 外界げかいこころうばわれたときに、しんいのりは崩壊ほうかいするのである。無限むげん無限むげん情報じょうほう氾濫はんらんするなかで、本当ほんとう必要ひつよう情報じょうほう手中しゅちゅうにすることは、難事なんじちゅう難事なんじなのである。自分じぶんにとって本当ほんとう必要ひつようなものだけを受け入う  いれないと、こころ生命せいめいほろぼしかねないのである。
 
 「ありがとうございます」の感謝かんしゃいのりに、本当ほんとう絞り込しぼ  こんで実行じっこうできていたら、必要ひつようなものはかみさまから的確てきかくあたつづけてもらえるのである。いのりをわすれて情報じょうほう呑み込の  こまれてしまったら、まよいにまよって、地獄じごく転落てんらくしてゆくだけである。

あたらしい情報じょうほうもとめることは必要ひつようないのである。いのりにいのっていれば、必要ひつよう情報じょうほうかならかみさまから的確てきかくあたえられるものである。

  

 ただひたすらに「ありがとうございます」を(とな)(つづ)けているだけで、(だれ)でもみんな、(しあわ)せで(しあわ)せで、どうしようも()いくらい(しあわ)せで、無茶苦茶(むちゃくちゃ)(しあわ)せで、(なに)(なん)でも(しあわ)せで、こんなに(しあわ)せでいいのかしらという状態(じょうたい)(かなら)()るのである。すべての(おも)いを()()ってもらい、(しあわ)せな(こころ)()(だ出)してもらった人が、本当(ほんとう)感謝(かんしゃ)()きている(ひと)なのである。
 
「ありがとうございます」の(かみ)さまは、一切(いっさい)(しば)りを(きら)うのである。
「ありがとうございます」の一言(ひとこと)(とな)えること以外(いがい)(なに)必要(ひつよう)ないという。
余計(よけい)なことをすればするほど、神様(かみさま)(すく)いの邪魔(じゃま)をしていることになるのである。


@ いつもいつも大難(だいなん)無難(ぶなん)にし、無限(むげん)無限(むげん)のマイナスを免除(めんじょ)して(くだ)さって、ありがとうございます。
A いつもいつも無限の無限(むげん  むげん)のプラスを、(あら)たなる全徳(ぜんとく)無限の無限(むげん  むげん)(かがや)きを(あた)(つづ)けて(くだ)さって、ありがとうございます。
B いつもいつも無限の無限(むげん  むげん)感謝(かんしゃ)(こころ)()()がらせて(くだ)さって、ありがとうございます。
C いつもいつも無限の無限(むげん  むげん)のプラスを、神様の最高表現(かみさま  さいこうひょうげん)感受(かんじゅ)させて(くだ)さって、ありがとうございます。
D いつもいつも無限の無限(むげん  むげん)感謝(かんしゃ)真祈(まいの)りを(いの)らせて(くだ)さって、ありがとうございます。
E いつもいつも無限の無限(むげん  むげん)神様の最高(かみさま  さいこう)のお手伝(てつだ)いをさせて(くだ)さって、ありがとうございます。
F いつもいつも無限の無限(むげん  むげん)神様(かみさま)との一体感を実感(いったいかん  じっかん)させて(くだ)さって、ありがとうございます。

 (かみ)さまはいつもいつもこれ以上(いじょう)のプレゼントを(あた)(つづ)けて(くだ)さっているのである。これから(あた)えてもらうのではなく、(すで)(すで)(あた)えられ()みなのである。この事実(じじつ)気付(きづ)かないのは、恩返(おんがえ)しの(こころ)を、お(れい)(こころ)(おこ)こさないからである。(ぎゃく)不平不満・不足の心(ふへいふまん  ふそく  こころ)()こして、神様を無視(かみさま  むし)否定(ひてい)し、(おん)(あだ)(かえ)すような無礼千万な態度(ぶれいせんばん  たいど)()(つず)けているからである。(かみ)さまはこのような人々(ひとびと)(たい)しても、大犠牲精神の愛(だいぎせいせいしん  あい)(こころ)で、マイナスの(おも)いを振替(ふりか)えて()()り、感謝の心(かんしゃ  こころ)()てくるように、二重三重(ふたえみえ)(まも)りのすがたを、これでもかこれでもかというくらいに()()たりに()せて(くだ)さっているのである。
 
 「ありがとうございます」の感謝(かんしゃ)真祈(まいの)りに出会(であ)えるのは、何億年に一回(なんおくねん  いっかい)何億人に一人(なんおくにん  ひとり)貴重(きちょう)なチャンスである。この出会(であ)いには、無限の無限(むげん  むげん)価値(かち)があるのである。(ほか)のいかなるものとも、比較(ひかく)できるようなものではないのである。
 
 「ありがとうございます」のお(れい)くらいは()(つづ)けないと、(あら)たな気付(きづ)きを(あた)えてもらう資格(しかく)()いのである。恩返(おんがえ)しの(こころ)(おこ)こして、(かみ)さまのお手伝(てつだ)いに()きようとしてこそ、本当の神様(ほんとう  かみさま)(おお)きな(たす)けを()()ることができるのである。(かみ)さまに(たい)して、自我(じが)(おも)いや(ねが)いを、つきつけるような無礼千万な態度(ぶれいせんばん  たいど)を、(けっ)して()ってはならないのである。

 地球人類(ちきゅうじんるい)(つみ)(かさ)ねて()無限の無限(むげん  むげん)(おも)いは、地球を破壊(ちきゅう  はかい)(つづ)けているのである。その一方(いっぽう)救済の神々(きゅうさい  かみがみ)は、地球の滅亡(ちきゅう  めつぼう)(ふせ)ぐために、(なみだ)ぐましいまでの努力(どりょく)をし(つづ)けて()ているのである。(いま)地球人類(ちきゅうじんるい)の99.9%以上(いじょう)は、破壊(はかい)(おも)いを()(つづ)けているのである。(かみ)さまは人類に対(じんるい  たい)して、破壊(はかい)(おも)いを()さないようにしてほしいと、ひたすら(ねが)っているのである。

 「ありがとうございます」の一言(ひとこと)(こころ)(とな)(つづ)けてくれたら、破壊(はかい)(おも)いを()さずに()むからと。それ以上(いじょう)他の人(た  ひと)破壊(はかい)(おも)いを消し去(け  さ)る、神様(かみさま)のお手伝(てつだ)いもできるのだと。
 
 自分(じぶん)(すく)われを願う心(ねが  こころ)では、(かみ)さまの(たす)けに波長(はちょう)()わないのである。(かみ)さまのお手伝(てつだ)いに()きようとする(こころ)こそが、(かみ)さまの(たす)けに波長(はちょう)()って、(ねが)わずとも、無限に無限(むげん  むげん)(おお)きな(しあわ)せを(あた)(つづ)けてもらえるのである。
 
 これからは、ありがとう(むら)()られる(かた)は、(かみ)さまへの恩返(おんがえ)しの(こころ)で、神様(かみさま)のお手伝(てつだ)いの(ため)に、『地球救済(ちきゅうきゅうさい)のひな(がた)(づく)り』の(ため)に、お(いの)りと奉仕の為(ほうし  ため)に、お()(くだ)さい。
 
 「ありがとうございます」のひたすらなる(いの)り、無心無我無欲(むしんむがむよく)(いの)り、呼吸(こきゅう)のように自然(しぜん)(いの)り、(かみ)さまと出会(であ)(よろこ)びの(いの)り、千変万化(せんぺんばんか)する自由自在(じゆうじざい)(いの)りの真髄(しんずい)()れる(ため)に、いつでも自由(じゆう)にお()(くだ)さい。お()ちしています。









2003.7.13

【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】



ありがとうございます:
 どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神さまですよ。そういう意味だったら本物の神さまが必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神さまから来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。

本物の神さまの教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神さまの教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神さまの働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神さまの働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神さまの助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神さまの本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。

 それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神さまはどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神さまじゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神さまだけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。

 これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神さまがみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神さまの働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。