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「我(あが)皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(とよあしはら)の水穂国(み

ずほのくに)を、安国(やすくに)と平(たいら)けく知所食(しろしめせ)と事依(

ことよさ)し奉(まつり)き」




 我(あが)皇御孫命(すめみまのみこと)とは、絶対神(ぜったいしん)のすべてを

、一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)新(あら)たに受(う)けなおした、尊厳(そ

んげん)極(きわ)まりない本心(ほんしん)の自分(じぶん)のことです。新(あら)

たなる全徳(ぜんとく)の無限(むげん)の無限(むげん)の輝(かがや)きで一杯(い

っぱい)!の自分(じぶん)のことです。その自分(じぶん)に対(たい)して、国(く

に)構成物(こうせいぶつ)・組織(そしき)・団体(だんたい)等(とう)を、中心(ち

ゅうしん)に帰一(きいつ)した・大調和(だいちょうわ)の・すべての部分(ぶぶん)

が自由(じゆう)と平等(びょうどう)に満(み)ちた・理想的(りそうてき)なものに

せよと、御委任(ごいにん)されたのです。神(かみ)さまへの絶対奉仕(ぜったい

ほうし)の心(こころ)で、謙虚(けんきょ)に謙虚(けんきょ)に取(と)り組(く)む

ことが必要(ひつよう)なのです。先(ま)ず小我(しょうが)を切(き)り捨(す)て

・死(し)にきって、大局観(たいきょくかん)に立(た)ち、全体者(ぜんたいしゃ)

・中心者(ちゅうしんしゃ)・総責任者(そうせきにんしゃ)としての立場(たちば)

に立(た)つことが要求(ようきゅう)されるのです。すべての部分(ぶぶん)を平等

(びょうどう)にという為(ため)には、すべての部分(ぶぶん)に対(たい)して、

一瞬(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)、自在(じざい)応変(おうへん)の力(ちから)を

発揮(はっき)して、すべての役割(やくわり)を順番(じゅんばん)に演(えん)じ

させる必要(ひつよう)があるのです。それ以上(いじょう)にすべてのものが、

本心(ほんしん)の自覚(じかく)を深(ふか)めて、全体者(ぜんたいしゃ)・

中心者(ちゅうしんしゃ)・総責任者(そうせきにんしゃ)の立場(たちば)に立(た)た

なければならないのです。その時(とき)に始(はじ)めて、最高(さいこう)表現

(ひょうげん)としての理想(りそう)国家(こっか)(構成物(こうせいぶつ))が

実現(じつげん)するのです。君(きみ)が代(よ)の:さざれ石(いし)の巌(いわお)

となりて:の真意(しんい)は、すべての部分(ぶぶん)が、全体者(ぜんたいしゃ)

・中心者(ちゅうしんしゃ)・総責任者(そうせきにんしゃ)の立場(たちば)に立(た)

って、その全力(ぜんりょく)を発揮(はっき)するところに、磐石(ばんじゃく)の

理想国家(りそうこっか)が生(う)まれるということです。部分(ぶぶん)が部分

(ぶぶん)としての生(い)き方(かた)だけで終(お)われば、全体(ぜんたい)はバラ

バラになって、必(かなら)ず崩壊(ほうかい)してしまうのです。全体者(ぜんたい

しゃ)として生(い)きるもの(部分(ぶぶん))が多(おお)くなればなるほど、全体

(ぜんたい)強固(きょうこ)なものに成(な)るのです。

 権力者(けんりょくしゃ)は、他(た)の上(うえ)に立(た)って、自分(じぶん)の

、思(おも)い通(どう)りに、他(た)を支配(しはい)するのです。中心者(ちゅうしん

しゃ)は、自我(じが)を死(し)に切(き)って、全責任(ぜんせきにん)を一身(いっしん

)に背負(せお)って、他(た)を支(ささ)えるのです。権力者(けんりょくしゃ)が

増(ふ)えれば、世(よ)の中(なか)は乱(みだ)れるのです。そして癌細胞(がん

さいぼう)のはびこるように、全体(ぜんたい)を破壊(はかい)してゆくのです。

中心者(ちゅうしんしゃ)が増(ふ)えれば増(ふ)えるだけ、世(よ)の中(なか)は

調和(ちょうわ)するのです。全員(ぜんいん)が中心者(ちゅうしんしゃ)になれば、

最高理想(さいこうりそう)の世界(せかい)に成(な)るのです。

 豊葦原(とよあしはら)の水穂国(みずほのくに)とは、神(かみ)さまの全徳(ぜん

とく)の無限(むげん)に無限(むげん)に輝(かがや)いた宇宙(うちゅう)・世界(せかい)

・国(くに)・組織(そしき)・構成物(こうせいぶつ)・団体等(だんたいとう)の

意味(いみ)です。豊(とよ)(豊(ゆた)かな・沢山(たくさん)の・全(すべ)ての)、

葦(あし)(徳性(とくせい)・働(はたら)き)、原(はら)(広(ひろ)がり無限

(むげん)の無限(むげん)の)、水(みず)(いのち・光(ひかり))、穂(ほ)(実(

みの)り・輝(かがや)き、国(くに)(組(く)み合(あ)わせ・構成物(こうせいぶつ)。

 安国(やすくに)と平(たいら)けくとは、安(やす)(中心(ちゅうしん)に帰一(きいつ)

して、大調和(だいちょうわ)している)国(くに)であり、みんな平等(びょうどう)の

立場(たちば)に置(お)かれて、自由意志(じゆういし)を発揮(はっき)していると

いうこと。どんな差別(さべつ)も依怙贔屓(えこひいき)も、どんな自由(じゆう)の

抑圧(よくあつ)も制限(せいげん)も、全(まった)く無(な)いのです。


知所食(しろしめせ)と事依(ことよさ)し奉(まつり)きとは、神(かみ)さまの

最高理想世界(さいこうりそうせかい)を、無限(むげん)の無限(むげん)のチャン

ネルの中(なか)の最高番組(さいこうばんぐみ)を、正(ただ)しく知(し)ることは

、心(こころ)のしっかりと受(う)けることであり、それを現実化(げんじつか)

することになるのです。全体(ぜんたい)を正(ただ)しくしることは、全体(ぜん

たい)を正(ただ)しく治(おさ)めることになるのです。絶対神(ぜったいしん)の

眞子(まこ)(皇御孫命(すめみまのみこと))なる本心(ほんしん)の自分(じぶん)

は、神(かみ)さまの御心(みこころ)をしっかりと理解(りかい)し・把握(はあく)

して、神(かみ)さまの御心(みこころ)のままに歩(あゆ)むことが大事(だいじ)

なのです。無限億万分(むげんおくまんぶん)の一秒(いちびょう)という、一瞬

(いっしゅん)一瞬(いっしゅん)新(あら)たに、絶対(ぜったい)より新生(しんせい)

して来(く)る、神(かみ)さまの最高表現(さいこうひょうげん)((最高(さいこう)

番組(ばんぐみ))を、しっかりと受(う)け直(なお)してこそ、最高理想(さいこう

りそう)の世界(せかい)を現実化(げんじつか)できるのです。ところが謙虚(けん

きょ)な心(こころ)・真剣(しんけん)な心(こころ)・喜(よろこ)び勇(いさ)む

心(こころ)・感謝(かんしゃ)の心(こころ)を忘(わす)れると、惰性(だせい)に

流(なが)され、過去(かこ)を掴(つか)み・古(ふる)いものを積(つ)み重(かさ)ね

、新(あたら)しいもの(最高表現(さいこうひょうげん))を受(う)損(そこ)

なってしまうのです。そこで神(かみ)さまは眞子(まこ)に対(たい)して、常(つね)

に最高理想(さいこうりそう)の世界(せかい)を現実化(げんじつか)することが、

一大事(いちだいじ)なのであると御委任(ごいにん)し、全権(ぜんけん)を委譲

(いじょう)されたのです。

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