おおはらい のりとで使ったHTMLは菊地さんのサイトで勉強しました。
以下のコラムは宗教サイトではありません。古神道研究ノ−トです。
またその内容に責任を保持していません。さらに著作権も行使しません。
どうぞ自由に使いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感じに
なったよというのをどんどん、是非メールでお知らせください。
河上彰延
使いまわすような内容はまだまだないですが・・・・
おおはらい のりとへ ようこそ あなたは 人目の訪問者です。

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18

大祓詞(オオハライノコトバ)

大祓おおはらいことば(オオハライノコトバ)

 大祓おおはらい(オオハライ)とは、だいなる〔(1)偉大いだいな (2)根本こんぽんの (3)すぐれた (4)威力いりょくる (5)すべての時間じかん空間くうかんにあまねくおよぶ〕はらいということです。宇宙うちゅう全体ぜんたいはらいです。

 はらいには、しょう狭義きょうぎはらいと根本義こんぽんぎはらいとがあるのです。

 しょう狭義きょうぎはらいとは、みず塩水しおみずあさ(あさ)・形代かたしろ(カタシロ)など使つかって、つみけがれ・あくなどのぞき、吉事きちじぜんまねこうとするものです。方便ほうべんてきな・私的してきな・ちいさなものです。

 根本義こんぽんぎはらいとは、宇宙うちゅう創造そうぞうしんである那岐なぎみこと禊祓みそぎはらい(ミソギハライ)です。

 那岐なぎのみことは、みそぎぎとはらいによって、宇宙うちゅう組織そしき構成こうせいを、秩序ちつじょ統一とういつのある、一大いちだい調和ちょうわ完璧かんぺきなものにしているのです。みそぎぎとは、ぐ(彫刻ちょうこくのように、無用むようのものをけずとす)、すすぐ(よごれを洗い流あらいながす、だい生命せいめいながれにまかせる)、すなわ絶対ぜったいしん御心みこころ絶対ぜったい帰一きいつ随順ずいじゅん奉仕ほうしすることです。はらいとは、自分じぶんけているひときれのものを投げ捨なげすてる、すなわ自分じぶんすべてをあたくす、自分じぶんぜん能力のうりょく発揮はっきすることです。

 幽界ゆうかいやみ世界せかい)を整理せいり統一とういつして、光一ひかりいちげんかがやかして、つぎけんじかいひかり世界せかい)をもだい整理せいりだい統一とういつして、顕幽けんゆうりょうさかい光一ひかりいちげんに、一大いちだい統一とういつしているのです。つく(ツクシノ)日向ひむか(ヒムカノ)たちばな小門おど(タチバナノオトノ)阿波あわはら(アワギハラ)とは、てんすい完備かんびしているけんかい意義いぎです。そこにいたり、みそぎはらうということは、絶対ぜったいかみ全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきの根源こんげんって、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたに、一大いちだい調和ちょうわ一大いちだい統一とういつぜん大宇宙だいうちゅう創造そうぞうつづけているということです。

 根本義こんぽんぎはらい・おおはらいによって、ぜん大宇宙だいうちゅうすでに、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたにあらたに、かみさまの全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきをもって、一大いちだい調和ちょうわ一大いちだい統一とういつされているのです。それをそのまま謙虚けんきょに・素直すなおに・感謝かんしゃこころ受け入うけいれたら、いっさいつみけがれはいのです。一大いちだい調和ちょうわ一大いちだい統一とういつ完璧かんぺきぜん大宇宙だいうちゅうに、気付きづかない状態じょうたいを、受け入うけいれない状態じょうたいを、つみけがれというのです。

 ことば(コトバ)とは、大祓おおはらい真義しんぎ気付きづかせるため言葉ことばです。言葉ことばによって、言葉ことばちからによって、その真義しんぎ理解りかいし・把握はあくし・体感たいかん体得たいとくして、ひときれつみけがれの自分じぶんもどるのです。『ありがとうございます』の言霊ことだまが、大祓おおはらい真義しんぎなのです。

 すべての意識いしきものたいして、宇宙うちゅう絶対ぜったい統一とういつしん天照あまてらす大御神おおみかみは、一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたに、全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきなる玉体ぎょくたいを、あたつづけているのです。無限むげん無限むげん意識いしきある存在そんざいは、受け手うけてです。天照あまてらす大御神おおみかみは、あたしゅです。受け手うけてはみんな平等びょうどうに、あらたなる全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきなる玉体ぎょくたいつづけているのです。受け手うけてはみんな、天照あまてらす大御神おおみかみ御子みこです。天照あまてらす大御神おおみかみ全徳ぜんとく無限むげん無限むげんかがやきで一杯いっぱい!です。かみさまのまえとき、みんな平等びょうどうなのです。かみさまに贔屓びいきいのです。みんな平等びょうどうに、おなじプレゼントをけているのです。みんな天照あまてらす大御神おおみかみ真子まこ(マコ)・すめ(スメミマ)なのです。

 天照あまてらす大御神おおみかみ玉体ぎょくたいとは、最高さいこう表現ひょうげん頂点ちょうてんにした、無限むげん無限むげんのチャンネルの放送ほうそう番組ばんぐみ全体ぜんたいでもるのです。ひとひとつのチャンネルごとに、ぜん大宇宙だいうちゅうるのです。無限むげん無限むげんのチャンネルには、無限むげん無限むげんぜん大宇宙だいうちゅうるのです。受け手うけてであるみなにとって、無限むげん無限むげんぜん大宇宙だいうちゅうは、自分自身じぶんじしんそのものなのです。だから全体ぜんたい自分じぶんおもうことも、部分ぶぶん自分じぶんおもうことも、自由自在じゆうじざいにできるのです。

 無限むげん無限むげんのチャンネルの番組ばんぐみたのしむときに、全体ぜんたい自分じぶんたのしむのも自由じゆうなら、色々いろいろ部分ぶぶん立場たちばって、種々しゅじゅ様々さまざまたのしみかたをするのも自由じゆうなのです。完全かんぜん自由じゆう完全かんぜん平等びょうどうは、かみさまによって完璧かんぺき保証ほしょうされているのです。感謝かんしゃふかめて、本当ほんとう自由自在じゆうじざいたのしみかたをするのも、おもいを積み重つみかさねて、とらわれた不自由ふじゆうたのしみかたをするのも、本当ほんとう自由自在じゆうじざい自分じぶんだからこそ、できることなのです。

 大祓おおはらいことばは、ひく番組ばんぐみからたか番組ばんぐみへと、チャンネルを切り換きりかえるときに、おおいにやくつものです。中心ちゅうしんさだめることによって、調和ちょうわまれるのです。中心ちゅうしんく、混沌こんとんとしているのは、ひく番組ばんぐみです。中心ちゅうしんって、調和ちょうわしているのが、たか番組ばんぐみです。どんな言葉ことば使つかっても、その言葉ことばどおりの番組ばんぐみが、すべて用意よういされているのです。無限むげん無限むげんのチャンネルの番組ばんぐみというのは、すべてのすべてをくした番組ばんぐみなのです。

 一瞬いっしゅん一瞬いっしゅんあらたに、かみさまからなおしたすべてが、自分じぶんのものであり、自分自身じぶんじしんなのです。いま自分じぶんながめている番組ばんぐみのすべてが、自分自身じぶんじしんなのです。自分じぶんている世界せかいのすべては、自分自身じぶんじしんなのです。すべての部分ぶぶんは、自分じぶん言葉ことばどおりに、自分じぶんのままに、それぞれの役割やくわりえんっているのです。全体ぜんたい自分じぶんかんうけすれば、全体ぜんたいのままになるのです。部分ぶぶん自分じぶんかんうけすれば、部分ぶぶんのままになるのです。感謝かんしゃふかめてゆけば、全体ぜんたい自分じぶんになってるのです。おもいを積み重つみかさねてくと、ちいさな部分ぶぶん自分じぶんになってるのです。感謝かんしゃきれば、万事ばんじ如意にょい自在じざいなのです。思い通おもいどおりにきようとすれば、万事ばんじ不如意ふにょいになってるのです。

「高天原(たかあまはら)に神(かみ)留(つまり)坐(ま)す」

「皇親(すめみおや)神漏岐(かみろぎ)神漏美(かみろみ)の命(みこと)以(もち)て」

「八百万神等(やおよろずのかみたち)を、神集集(かみつどへつどへ)賜(たまひ)

、神議議(かみはかりはかり)賜(たまひ)て

「我(あが)皇御孫命(すめみまのみこと)は、豊葦原(とよあしはら)の水穂国(み

ずほのくに)を、安国(やすくに)と平(たいら)けく知所食(しろしめせ)と事依(

ことよさ)し奉(まつり)き」

「如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し国内(くにうち)に、荒振神等(あらふる

かみたち)をば、神問(かみとはし)に問(とは)し賜(たまひ)、神掃(かみはら)

ひに掃(はら)ひ賜(たまひて)」

「言問(ことどい)し磐根(いわね)樹立(きねたち)、草(くさ)の垣葉(かきは)をも

語止(ことやめ)て」


「天(あめ)の磐座(いわくら)放(はな)ち、天(あめ)の八重雲(やえぐも)を

伊頭(いづ)の千別(ちわき)に千別(ちわき)て、天降(あまくだ)し依(よさ)し

奉(まつ)りき」


「如此(かく)依(よさ)し奉(まつ)りし、四方(よも)の国中(くになか)と、・・

・・・・・・安国(やすくに)と平(たいら)けく所知食(しろしめさ)む国中(くに

なか)に、成出(なりいで)む天(あめ)の益人等(ますひとら)が、」


「大倭日高見(おおやまとひたかあみ)の国(くに)を、安国(やすくに)と

定奉(さだめたてまつり)て、下(した)つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(

みやはしらふとしきたて)高天原(たかあまはら)に千木(ちぎ)高知(たかしり)

て皇御孫(すめみま)の命(みこと)の瑞(みづ)の御舎(みあらか)仕奉(つかへま 

つり)て、天(あめ)の御蔭(みかげ)日(ひ)の御蔭(みかげ)と隠(かくりまし)て


過犯(あやまちおか)しけむ雑雑罪事(くさぐさのつみごと)は、

天(あま)つ罪(つみ)とは、畔放(あぜはなち)、溝埋(みぞうめ)、

樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、串刺(くしさし)、生剥

(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸(くそへ)、蠱物(まじもの)

為(せ)る罪(つみ)、許許太久(ここだく)、の罪(つみ)を


「天(あま)つ罪(つみ)と法別(のりわ)けて、国(くに)つ罪(つみ)

とは、生膚断(いきはだたち)死膚断(しにはだたち)、白人(しろひと)

、胡久見(こくみ)、己(おの)が母犯(ははおか)せる罪(つみ)、

己(おの)が子犯(こおか)せる罪(つみ)、母(はは)と子(こ)と犯(おか)

せる罪(つみ)、子(こ)と母(はは)と犯(おか)せる罪(つみ)、畜(けもの)

犯(おか)せる罪(つみ)、昆虫(はうむし)の災(わざわ)い、高(たか)つ

神(かみ)の災(わざわ)い、高(たか)つ鳥(とり)の災(わざわ)い、畜(け

もの)仆(たお)し、蠱物(まじもの)為(せる)罪(つみ)、許許太久(ここ

だく)の罪出(つみいで)む」


「如此(かく)出(いで)ば、天津宮事(あまつみやごと)以(もち)て、天津金木

(あまつかなぎ)を本打切(もとうちきり)末打断(すえうちたち)て、千座置座

(ちくらのおきくら)に置足(おきたら)はして、天津菅曾(あまつすがそ)を、

本刈断(もとかりたち)末刈切(すえかりきり)て、八針(いやはり)に取辟(とり

さき)て、天津祝詞(あまつのりと)の太祝詞事(ふとのりごと)を宣(の)れ」


「如此(かく)乃良(のら)ば、天津神(あまつかみ)は天磐門(あまのいわと)を

押披(おしひらき)て、天乃八重雲(あめのやえぐも)を伊豆(いず)の千別

(ちわき)千別(ちわき)て所聞食(きこしめさ)む。国津神(くにつかみ)は、

高山之末(たかやまのすえ)短山之末(ひくやまのすえ)に上坐(のぼりまし)て

、高山之伊穂理(たかやまのいほり)短山之伊穂理(ひくやまのいほり)を

掻別(かきわけ)て所聞食(きこしめさ)む。」


「如此[かく]所聞食[きこしめし]ては、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は

存[あ]らじと」


「科戸之風[しなどのかぜ]の、天乃八重雲[あめのやえぐも]を、吹放事之如[ふ

きはなつことのごと]く、朝之御霧[あしたのみぎり]夕之御霧[ゆうべのみぎり]

を、朝風[あさかぜ]夕風[ゆうかぜ]の吹掃事之事[ふきはらうことのごと]く、

大津邊[おおつべ]に居[お]る大船[おおぶね]を、舳開放[へときはな]ち艫開放

[ともときはなち]ちて、大海原[おおうなばら]に押放事[おしはなつこと]の如

[ごと]く、彼方之繁木本[おちかたのしげきがもと]を、焼鎌[やきがま]の敏鎌以

[とがまもち]て打掃事之如[うちはらうことのごと]く、遺罪[のこるつみ]は

不在[あらじ]と、祓給[はらいたまい]清給事[きよめたまうこと]を、」


「高山之末[たかやまのすえ]短山之末[ひくやまのすえ]より、佐久那太理[さく

なだり]に、落多支都[おちたぎつ]、速川[はやかわ]の瀬坐[せにます]、

瀬織津比賣[せおりつひめ]と云神[いふかみ]、大海原[おおうなばら]に持出

[もちいで]なば
荒塩之塩[あらしほのしほ]の八百道[やほじ]の、八塩道

[やしおじ]塩[しほ]の八百会[やほあひ]に座[ま]す、速開都比賣[はやあきつ

ひめ]と云神[いふかみ]、持可可呑[もちかかのみ]tむ。如此[かく]可可呑

[かかのみ]ては
氣吹戸坐[いぶきどにます]氣吹戸主[いぶきどぬし]と云神

[いふかみ]、根国底之国[ねのくにそこのくに]に、氣吹放[いぶきはなち]てむ。

如此[かく]氣吹放[いぶきはなち]ては、根国底之国[ねのくにそこのくに]に

坐[ます]
速佐須良比賣[はやさすらひめ]と云神[いふかみ]、持佐須良[もち

さすら]ひ失[うしなひ]てむ。如此[かく]失[うしなひ]ては、自今日始[きょう

よりはじめ]て、罪[つみ]と云[い]う罪[つみ]は不在[あらじ]と、祓給[はらい

たま]ひ、清給事[きよめたまうこと]を、諸[もろもろ]聞食[きこしめせ]と宣

[のる]。」


0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18