ありがとうございます 神書 7-23

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業想念の心の奴隷は自由意志の放棄


 業想念の心の奴隷になって、自我の心を生きているのは、本当は自由意志の放棄です。神さまの御心・願いを生きようと、本心の心を生きるのが、本当の自由意志の発揮です。業想念の心は常に、人を強制的に・強圧的に支配してくるのです。神さまの御心は常に、人の自由意志を尊重して、自らの自由意志で、神さまの御心を生きることを願っているのです。




 自我の心を強く主張して生きているのは、業想念の心の奴隷・操り人形になって、自分の自由意志を完全に奪われているのです。更に他の人の自由意志まで奪おうとして、業想念の心の道具・手先に成り果てているのです。業想念の心の本質は、全体の破壊・破滅です。神さまの御心の本質は、全体の創造・建設・完成です。業想念の心の奴隷になって、自我の心を生きていては、必ず全体を破滅へと追いやることになるのです。癌細胞の栄えのように、一時的に・局部的に栄えても、全体を早く破滅させる為の働きをしていることになるのです。




 神さまの御心を生きる為には、本当の自分の自由意志を最大限に発揮して、業想念の心の奴隷状態から、完全に抜け出さなければならないのです。守護の神霊の助けを受けて、自らの自由意志で、祈りの力を駆使して、業想念の心・五欲の心・煩悩の心を、完全に消し切ってゆかなければならないのです。そして本心の心を輝かして、常に強固な光のバリアーを張り巡らす必要があるのです。そうしなければ一寸の油断で、業想念の心が自分の心の中へ侵入して来て、その影響を受けることになるからです。




 本心の心の自分・自由自在な心の自分に戻る為には、業想念の心に打ち勝つことが必要なのです。本心の心と業想念の心の、熾烈な戦闘に勝利しなければならないのです。安易な妥協は、業想念の心に負けただけのことです。微塵も妥協していてはいけないのです。勝利の為の作戦を練りに練って、総力を挙げて、完全に降伏させることが大事なのです。二度と歯向かうことの無いように、徹底的に叩き潰し・思い知らす必要があるのです。そうすれば業想念の心も、本心の自分の道具として使えるのです。常に本心の自分が主導権を握っていなければならないのです。




 霊主体従が、神さまの御心の根本神律です。本心の心が業想念の心を支配しなければ、体は霊に歯向かうことになるのです。本心の心が業想念の心を放置して、好き勝手なことをさせていては、寝首を掻かれることになるのです。道具として必要の無くなった業想念は、片っ端から消し切らなければならないのです。用済みの古い道具は、残して置く必要は無いのです。本心の自分は、必要に応じて、新しい道具を作れば良いのです。本心の心の輝いた自分になりさえすれば、業想念の心など恐れることは無いのです。