ありがとうございます 神書 6-54

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天照大御神の御姿は光明遍照の『日の本の国』


 『君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで』




 この歌は、宇宙絶対神の最高表現・天照大御神の御姿を表現しているのです。天照大御神の御姿は、即ち光明遍照の『日の本の国』なのです。それ故にこの歌には、天照大御神を顕現する偉大なる力があるのです。最高理想の世界『日の本の国』を現実化する、尊厳無比の『祈り言葉』なのです。従ってこの歌は、島国日本の国家では無いのです。島国日本の私物化できるものでは無いのです。宇宙全体の共有財産・最高の宝なのです。




 『君』とは、『極身』であり、宇宙絶対神のことです。『代』とは、一瞬一瞬新たに、移り代わり・置き代わるという意味で、絶対神の現れである『宇宙・世界』のことです。『千』とは、数多くの・無限のという意味です。『八』とは、『イヤ』であり、無限の伸展・拡大の意味です。従って絶対神の現れである宇宙・世界というのは、無限の宇宙を無限に組み合わせた、重層構造の荘厳無比の宇宙・世界なのです。




 本当の自分・本心の自分というのは、宇宙絶対統一神・天照大御神から、新たなる全徳の無限の無限の輝きを感受して、常に無限に無限に輝いている自分です。その本心の自分と比較すれば、魂の自分も肉体の自分も、全く無に等しい存在なのです。その無限に無限に輝いた本心の自分も、天照大御神と比較すれば、全く無に等しい存在なのです。無限の人に対して、永遠無窮に、新たなる全徳の無限の無限の輝きを与え続けることのできる、宇宙絶対統一神・天照大御神は、筆舌を超えて無限に無限に偉大な存在です。




 『さざれ石の巌となりて』というのは、本心の一人一人が個性を発揮しながらも、自分のすべてを天照大御神に捧げ尽くして、完全に天照大御神と一体化していることを示しているのです。元始(げんし)より本心の自分は、天照大御神と一体なのです。今更改めて一体化するのでは無いのです。真に本心の自分は、天照大御神の血となり、肉となっているのです。天照大御神の玉体は、無限の無限の「個性ある輝き」を持った最高の宝石を、無限に無限に組み合わせて、一大統一された宝石・巌(一大連珠)なのです。




 『苔のむすまで』というのは、生命・いのちの輝いた状態であるという意味です。いのち・生命ほど、尊いものは無いのです。天照大御神は、宇宙大生命・いのちの本源なのです。常に生き生きと喜びを表現し、常に活き活きと躍動しているのです。それは即ち全徳の無限の無限の輝きなのです。『徳』というのは、直心(ジキシン)を行ずる、直霊の働き、絶対神の根源の働きという意味です。無限億万分の一秒という一瞬一瞬の刹那に、新たなる全徳の無限の無限の輝きをもって、『天照大御神』荘厳無比・尊厳無比の全大宇宙が、常に常に新生しているのです。『君が代』は、天照大御神の『御稜威』を讃える歌です。