ありがとうございます 神書 6-52

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真(まこと)の神さまに自分のすべてを捧げ尽くしてゆく


 真実に無限の無限の幸せで一杯である為には、真(まこと)の神さまに、自分のすべて(いのち)を、捧げ尽くしてゆく必要があるのです。先ずすべてに最優先して、真(まこと)の神さまに、自分のすべてを捧げ尽くしてゆけば、必ずどんな幸せでも与えてもらえるのです。必ず無限の無限の幸せを与えてもらえるのです。真(まこと)の神さまを無視して、真(まこと)の神さまを抜きにして、幸せを手に入れようとするから、どんな幸せも手に入らないのです。




 利己主義的・マイホーム主義的な小さな生き方では、真(まこと)の神さま(全体)とは波長が合わないのです。だから真(まこと)の神さまの助けを受け損なって、どんなに努力しても、真実の無限の無限の幸せが手に入らないのです。真実の無限の無限の幸せは、真(まこと)の神さまから、一瞬一瞬新たに、与えてもらうものです。真(まこと)の神さま以外からは、決して与えてもらうことはできないのです。真実の無限の無限の幸せを人に物に求めても、決して与えられるものでは無いのです。真実の無限の無限の幸せは、神さまから与えられる光輝いたものです。この世という影の世界に、捜し求めて得られるものでは無いのです。




 真(まこと)の神さまへの絶対奉仕に生きれば、必ず必要などんな幸せも与えてもらえるのです。食事を一回減らしてでも、その分を神さまへの奉仕に使えば、食べ物の徳分は、必ず大きく殖えるのです。そのような生き方をある程度継続すれば、食べ物に関しては、絶対に困らなくなるのです。反対に神さまへの奉仕を忘れて、美食家を気取っていたら、この一生の食い扶持を早く使い果たして、晩年には食べ物に困ることになるものです。神さまへの奉仕が無ければ、家庭サービスをどんなにしても、真実の幸せな家庭は築けないものです。何故かと言えば、自分の背負っている業想念を、神さまに消し去ってもらわない限りは、自分の業想念をも家族に与えることになるからです。業想念をもらった家族は、必ずマイナスの反応を示し、家庭不和に陥るのです。逆に、 神さまへの奉仕を最優先していたら、家族のみんなが天使のようになって、自分を幸せ一杯にしてくれるのです。真(まこと)の神さまの力は、無限に無限に偉大です。何も求めなくても、必要な幸せは必ず与えて下さるのです。




 真(まこと)の神さまへ絶対奉仕すれば、八百万の神々さまが守りに護って下さるのです。奉仕すれば、奉仕して下さるのです。自分のすべてを捧げて奉仕すれば、真(まこと)の神さまは、宇宙のすべてをもって奉仕して下さるのです。


 『部分は全体の為に、全体は部分の為に』


 『一人はみんなの為に、みんなは一人の為に』


 『人は神さまの為に、神さまは人の為に』


    という生き方が、真実の幸せを手にする為の絶対条件なのです。真実に神さまと一体化した生き方が、最も幸せな生き方なのです。