ありがとうございます 神書 6-45


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神さまの無限の護りを受ける秘訣


 神さまの願いを生きることが、神さまのお手伝いに生きることが、神さまの無限の護りを受ける秘訣なのです。自分のいのちを神さまに捧げ尽くして、血涙を絞り出し・いのちを懸けて奉仕すれば、神さまも護らずにはおれなくなるのです。業想念の心(五欲)の奴隷になって、自分勝手な生き方をしていては、幾ら頼み込んでも相手にされないのです。人の自由意志を尊重する神さまの立場からは、思い通りに生きようとする人に干渉することはできないのです。自分の思い通りに生きたいという人に対しては、ご自由にどうぞと引き下がるしか無いのです。神さまの助けを受けるには、未だ時期尚早なのです。




 自分の思い通りに生きるのと、神さまの御心のままに生きるのとは、全く正反対の生き方なのです。自分の思い通りにというのは、自分の立場を中心にしているのです。どうしても小さな生き方になってしまうのです。利己的に・マイホーム主義的に、求める心を生きるようになるのです。求める心を生きていては、神さまの御心と波長が合わないので、神さまの助けは受けられないのです。だから必然的に行き詰まり、万事不如意の状態に、七難八苦の状態に陥るのです。一時的に思い通りになっても、高利の借金をしたのと同じで、そのツケは後から巡って来るのです。




 自分の思い通りにというのは、神さまの計らい・他の愛念を、無視し・拒絶しているのです。調和の流れを大きく乱しているのです。どれだけ多くの恩恵を与えられて来たか、計り知れないものがあるのに、全く気付かなくなるのです。恩返しの生き方を最優先してこそ、助け続けてもらえるのに、恩を仇で返すようなことをして、逆鱗に触れてしまうのです。どれだけ神さまの願いを生きているか、どれだけ神さまのお役に立っているかが、神さまの助けを受けているかどうかのバロメーターなのです。日々の自分の生き方を厳しくチェックしなければ、正しい悟りへの道を歩むことはできないのです。




 高利の無限の借金は、完済し終わるまでは油断できないのです。ちょっと油断すれば、瞬く間に殖えて元に戻ってしまうのです。過去世の無限の業想念も同じです。すべてを神さまに預け切ってしまうまでは、安心できないのです。直ぐに業想念の奴隷に陥って、自分の思い通りに生きようとしてしまうのです。感謝と報恩の真(まこと)を生きるようになる迄は、『真剣に・真剣に・どこまでも真剣に』神さまのお手伝いだけに生きようとしなければ、無限の業想念を消し切って、悟りを開くことは不可能です。真剣に神さまのお手伝いに生きてこそ、必要なものが的確に与えられるのです。そして本当に必要なものだけで満足して、求める心を起こすことは無くなるのです。感謝三昧の心で奉仕に生きられてこそ、真実に無限の無限の幸せ一杯! の生き方になるのです。