ありがとうございます 神書 6-43   無限の知恵が無限に無限に一杯!

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不平不満不足の心の極致が虚の感謝の出発点


 感謝には、無限の無限の段階があるのです。無限の虚の感謝と無限の実の感謝が、無限の無限の段階の感謝として、感謝一元に配列されているのです。不平不満不足の心の極致が、虚の感謝の出発点です。不平不満不足の心が少なくなるにつれて、虚の感謝の段階が上がってゆくのです。不平不満不足の心が全く無くなれば、虚の感謝の最上の段階なのです。次に実の感謝が、その大きさ・深さ・高さに比例して、神さまなる感謝の極致に、どこまでもどこまでも肉薄してゆくのです。即ち無限億万分の一秒という、一瞬一瞬新たなる、神さまの全徳の無限の無限の輝きが、無限に無限に一杯!という、神さまの最高表現を感受する段階に、限りなく近づいてゆくのです。




 また感謝には、自力の感謝と他力の感謝と絶対力の感謝があるのです。自力の感謝とは、自分の努力・力だけで、不平不満不足の心を少なくし、実の感謝も深めてゆこうとするものです。ところが自力は、他力や絶対力の大きな助けを無視し・拒絶する生き方なので、その力に限界があるのです。必ず行き詰まり・頭を打ち・無力感に打ちひしがれるものなのです。もし少しでも進歩向上しているとすれば、自分が気付かないだけで、他からの応援もあったからなのです。




 他力の感謝は、謙虚な素直な心で、色々な段階からの、他の助けを受け入れる生き方です。自分の認めただけの、他からの応援を受けることができるのです。マイナスの心を肩代わりしていただいている、マイナスの心を消し去っていただいている、マイナスの心を免除していただいている、と自分が認めた分だけ、マイナスの少なくなるように助けていただけるのです。また他から感謝されたり、他から祈ってもらえた分は、自分の感謝にプラスされて、大きな助けになるのです。




 絶対力の感謝は、絶対神の感謝の真祈りが、すべてのすべてに輝き渡っている、という感謝です。自力や他力という小さな部分に囚われないで、唯一無二絶対の・すべてのすべてなる本当の神さまに、すべてをお任せする生き方です。自分の身も心も命も、自分のすべてを、神さまに捧げ尽くして、神さまの御用にお使いくださいと、全託してゆけば、必ず神さまは、自分を訓練し・錬磨して、使ってくださるのです。神さまが自分を通して働いてくださる時に、すべての段階の自分が、感謝の真祈りをしていることになるのです。無限の無限の感謝が、無限に無限に一杯! さらに無限の無限の感謝が、無限に無限に一杯! さらにさらに無限の無限の感謝が、無限に無限に一杯! これが絶対力の感謝なのです。小さく掴んだだけが、自分であり、自分のものになるのです。掴みを放せば、すべてが自分であり、自分のものになるのです。