ありがとうございます 神書 6-34   無限の知恵が無限に無限に一杯!

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『無限のありがとうございます』


 『ありがとうございます』の中には、『無限のありがとうございます』が含まれているのです。その『無限のありがとうございます』の中の一つの『ありがとうございます』の中にも、『無限のありがとうございます』が含まれているのです。そのまた『無限のありがとうございます』の中の一つの『ありがとうございます』の中にも、『無限のありがとうございます』が含まれているのです。『ありがとうございます』は、入れ子構造になっているのです。




 『ありがとうございます』の中には、『無限の無限のありがとうございます』が含まれているのです。その『無限の無限のありがとうございます』の中の一つの『ありがとうございます』の中にも、『無限の無限のありがとうございます』が含まれているのです。そのまた『無限の無限のありがとうございます』の中の一つの『ありがとうございます』の中にも、『無限の無限のありがとうございます』が含まれているのです。『ありがとうございます』は、更に複雑な入れ子構造になっているのです。




 『ありがとうございます』は、無限に無限に大きくも、無限に無限に小さくもなって、どの『ありがとうございます』も、神さまの新たなる全徳(働き)の無限の無限の輝きで一杯なのです。『ありがとうございます』は、神さまの働きの全てを指し示す言葉です。『ありがとうございます』は、神さまの全体像を指し示す言葉です。神さまの全体像の中には、無限に無限に大きいものから、無限に無限に小さいものまで、神さまの全体像の全ての模型が含まれているのです。




 一意専心に・真剣に・ただひたすらに、『ありがとうございます』と心に唱え続けることによって、神さまに融け入ることができるのです。自分のすべてを神さまに捧げ尽くすということは、『ありがとうございます』に融け入ることなのです。感謝三昧に成って、自分が消えて、『ありがとうございます』だけに成り切ることなのです。自分という小さな器・殻があっては、神さまの全てを受け入れることは不可能なのです。過去を・部分を掴む思いを、『ありがとうございます』の中で消し去ってもらうことによって、自由自在な自分に戻ってゆけるのです。




 自分の思い通りに・願い通りに生きたいというのは、過去の言葉・思い(業想念)の奴隷状態に陥っているのです。業想念の操り人形なのです。そこには本当の自由は無いのです。本当の自由を奪われた状態が、七難八苦であり、地獄の苦痛であるのです。一瞬一瞬『ありがとうございます』と、神さまの中に融け入ることによって、本当の自由自在を得て、神さまの全体像を把握することができるのです。