ありがとうございます 神書 6-32   無限の知恵が無限に無限に一杯!

神書目次へ


『求める心~執着の心』『与える心~自由な心』


 『求める心』を積み重ねると、『執着の心』に変化するのです。『執着の心』は、過去を掴み、自縄自縛してゆくのです。一切の苦しみの原因は、この自縄自縛から来ているのです。『与える心』を積み重ねると、『自由な心』に変化するのです。『自由な心』は、移り変わる姿に囚われ無くなり、神さまの最高表現に心を向けてゆけるのです。『求める心』というのは、自分の所有(もの)を持つ心です。自分の所有(もの)を持てば持つほど、それは古い・小さな・詰まらないものに変化してゆくのです。『与える心』というのは、自分の所有(もの)を捨てる心です。自分の所有(もの)を捨てれば捨てるほど、それは新しい・大きな・素晴らしいものに置き換えられて来るのです。




 業想念の心(求める心)を生きる者は、他を自分の思い通り・願い通りにしようとするのです。だからその反動として、他の思い・願いに縛られ、七難八苦で一杯!に成るのです。結局は自分の他に与えたものが、与え返されて来るのです。本心の心(与える心)を生きる者は、神さまの御心(思いやり・寛容・赦し)を生きようとするのです。だから神さまの無限の無限のバックアップを受けて、自由自在に成り、常楽我浄で一杯!に成るのです。




 求める心・執着の心では、今見ている番組から、抜け出すことができないのです。その上に心にマイナスを取り込んだ分だけ、番組を下げてゆくことになって、不如意なことが一杯になるのです。求める心を生きていては、決して幸せには成れないのです。このことに早く気付くことが、幸せへの第一歩なのです。七難八苦で一杯になり、地獄に落ちてから気付いても、遅過ぎるのです。気付く為の勉強材料は、周りに一杯有るのです。一日も早く、求める心から与える心に切り換えることが、何よりも大事なことなのです。




 与える心を生きようと決心したならば、決して他人の自由を縛ってはならないのです。他人の自由な生き方を、批判してはいけないのです。お節介も無用なのです。神さまでも人の自由に干渉しないのです。無知無力盲目の人間が、他人を正しく導ける道理は無いのです。本人が自分の自由意志で、本当に必要としてアドバイスを求めて来たら、相談に乗って上げれば良いのです。




 でもそのアドバイスを受け入れるかどうかは、本人の自由な選択に任せるしか無いのです。本人が自分の責任の下に、自分の生き方を決定しなければ、本当の正しい生き方にはならないのです。他の言いなりになって、他に責任を転嫁するようでは、求める心を生きていることになって、決して幸せには成れないのです。自分の生き方に、自分自身が全責任を持ってこそ、本当の与える心を生きられるようになるのです。