ありがとうございます 神書 6-22    無限の知恵が無限に無限に一杯!

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神さまをいのちがけで愛すること


 無限の無限の幸せ一杯に生きる為には、神さまの大愛を、しっかりと受ける必要が有るのです。

 神さまの大愛を、しっかりと受ける為には、自分の方からも神さまも、いのちがけで愛することが必要なのです。

 愛されることだけを求めている心では、最初の愛は受けられても、その後が続かないのです。

 呼吸の原理と同じように、吸うだけは、呼吸はストップしてしまうのです。

 吐くことによって、また吸うことができるように、自分の方からも神さまを、いのちがけで愛することによって、神さまの大愛を、永遠に受け続けることができるのです。




 神さまを永遠の恋人として、しっかりと愛し続けることが、神さまの絶対の愛を受ける秘訣です。

 『恋する』とは、愛する対象に一点集中して、自分のすべてを、報いを求めること無く、捧げ尽くすことです。本心の自分・いのちの自分が、神さまに対して、いのちも心も身体も、すべてを捧げ尽くすことなのです。

 本心の自分と神さまが、いのちを捧げ尽くし合うことによって、真(まこと)の恋人と成り得るのです。




 肉体人間同士が、お互いに求める心で、愛していますと言っても、偽物の恋なのです。例え一切の報いを求めない心であっても、肉体を捧げ合うだけでは、幼稚な恋なのです。本当にいのちを捧げ尽くし合う段階にまで、高め上げられなければ、本物の恋とは言えないのです。求める心で、ころころ変わる、この世だけの恋なんて、全くの偽物なのです。自分のいのちを、喜んで捧げ尽くせるので無ければ、本物では無いのです。




 『いのち』と『いのち』が触れあって、「バチッ」と『喜びの火花』が飛ぶのが、本物の『恋』なのです。

 『いのち』と『いのち』が交流して、全く一つの『いのち』と成って生きるのが、本当の恋なのです。

 『いのち』の自分は、陰陽を兼ね備えた、絶対の存在です。『いのち』と『いのち』の交流によって、真(まこと)の恋が生まれ、種々様々(しゅじゅさまざま)な本物の愛の表現と成るのです。

 それが本物の恋愛・夫婦愛・親子愛・兄弟愛・友愛・師弟愛・博愛・人類愛・生類愛・等々に成るのです。




 絶対から相対が生まれ、相対はまた絶対に戻るのです。一つの『いのち』が無限に分かれ、無限の『いのち』がまた一つに戻るのです。その間に、『いのち』と『いのち』の、無限の無限の交流が行われ、無限の無限の妙趣ある、『愛』の表現が生まれるのです。

 今の一瞬一瞬に、種々様々な『いのち』との出会い・触れ合い・交流を体験して、いのちの自分は、喜びの賛歌を歌うのです。

 神さまと本心の自分との間に、『いのち』の交流が行われ、神さまを永遠の恋人に定めてこそ、宇宙のすべてと本心の自分との間に、種々様々な『恋』『愛』が生まれ出て来るのです。