ありがとうございます 神書 6-11   無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

神書目次へ

業想念とは執着の心で過去を掴む想念感情


 業想念とは、執着の心で、過去を掴む、想念感情のことです。神さまへの感謝を深めてゆけば、業想念は自然に消滅するのです。神さまと人との間の縦の交流が、古いものと新しいものの置き換えになり、業想念の心から本心の心に戻る生き方なのです。神さまへの感謝を深めて、一瞬一瞬新たに新たに、すべてを神さまから受け直せば、常に本心の心が最高に輝くのです。神さまへの感謝を忘れ・怠った分だけ、古いもの・業想念の心が残るのです。




 感謝一筋・感謝三昧の生き方になれば、業想念の心とは無縁になるのです。もし自分の心の中から、業想念の心が少しでも出て来るとしたら、まだまだ自分の心の中には、無限の業想念が残っているのだと、反省しなければならないのです。そして感謝を徹底して、すべての業想念を消し去らなければならないのです。自分自身の積み重ねた業想念は、自分自身で消し去ることが原則なのです。




 人と人との間の横の交流にも、留意する必要が有るのです。本心の心の輝いた人との交流は、業想念を消し去る生き方です。業想念の心で一杯の人との交流は、業想念を積み重ねる生き方です。業想念を少なくして、感謝のし易い自分になる為には、交流する人を選ぶことも大事なのです。感謝のできる自分になる為には、他の助けも必要なのです。業想念の心で一杯になったら、感謝の心は出て来ないからです。




 業想念の心を持った人と人との貸し借りは、業想念のやり取りなのです。他からの借りは、他の業想念を貰う・被ることになるのです。他への貸しは、自分の業想念を貰ってもらう・被ってもらうことになるのです。受ける量よりも、与える量の少ない人は、いつも直接・間接的に、他から業想念を被る状態になるのです。だから世の為・人の為に、しっかりと働いて、借越にならないようにすることが大事なのです。




 自分の積み重ねた無限の業想念の上に、他からの業想念を沢山貰ったら、感謝の心は奥深く隠されてしまうのです。感謝のできない自分になってしまったら、取り返しがつかなくなるのです。質素に質素に生活して、世の為・人の為に、全力で与え尽くす生き方を徹底することによって、感謝できる自分になって来るのです。




 業想念を被る・苦を背負うだけでは、決して業想念も苦も消え去ることは無いのです。業想念(七難八苦)を背負ったままで良いから、全力で働くことによって、本心の自分が出て来て、業想念(七難八苦)も消え去り、楽になって来るのです。感謝を無限に無限に深めて、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、無限の無限の光のシャワーを感受することによって初めて、大きく業想念(七難八苦)を消し去ることができるのです。