ありがとうございます 神書 6-10  無限の無限の知恵が無限に無限に一杯!

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謙虚と傲慢は相対の両極


 謙虚と傲慢は、相対の両極です。謙虚な人は、極楽への道を歩み、傲慢な人は、地獄への道を歩んでいるのです。謙虚になればなるほど、感謝と報恩の心が湧き上がって来て、幸せが大きくなるのです。傲慢になればなるほど、不平不満不足の我欲の心に陥って、苦しみが大きくなるのです。




 謙虚な心は、すべてを光一元に仰ぎ見て、プラスに感受するのです。ただただ有り難くて、恩返しに生きるのです。神さまへの感謝と報恩の心が、自然に湧き上がって来るのです。神さまに生かされ、神さまからすべてを与えられ、感謝・感嘆・感激・感動・感涙で一杯になるのです。無限の無限の幸せを与えられていることに気付き、自分のすべてを捧げ尽くして、恩返しに生きるのです。すべてを神さまからの預かり物として、自分の所有(もの)とは思わないのです。




 傲慢な心は、高慢も卑下慢も、我の主張が強いのです。高慢な心は常に、自分が自分がと、のさばり出るのです。神さまの所有(もの)を、自分の所有(もの)だと主張し、神さまの働きを、自分の働きだと主張するのです。徹底的に神さまを無視し、神さまの働きを否定するのです。




 神さまが居なければ、神さまの働きが無ければ、何一つとして存在することは無いのに、こんな簡単な道理も判らないのです。卑下慢の心も、徹底的に神さまの働きを否定し、神さまの助けを拒絶するのです。神さまの助けを受けたら、何でもできるのに、また無限に素晴らしくなれるのに、できない・できない・駄目だ・駄目だと、強く主張し続けるのです。




 謙虚な心で、感謝と報恩に生きてこそ、幸せは大きくなって来るのです。この簡単な道理も判らないのは、無限の業想念を積み重ね、その奴隷に陥っているからです。換言すれば、感謝と報恩の生き方を、実行して来なかったからなのです。少しでも感謝と報恩の生き方を実行していたら、ここまで落ち込むことは無いのです。本心の自分が、何の力も発揮しなかったら、善きものは何も生まれないのです。本心の自分を呼び覚まし、本心の自分を叱咤激励し、その力を発揮しなければ、決して幸せにはなれないのです。




 神さまへの真(まこと)の感謝が無ければ、神さまの所有(もの)を、無断で盗み・奪い・傷つけ・殺しているのです。強盗殺人の大罪を犯し続けているのと同じなのです。このことに気付かないで、何の反省も・お詫びも・償いも無ければ、地獄での無限の刑期が待っているのです。盗み取った物を他に与えても、貰った者も同罪になり、大きなマイナスを与えたことになるのです。




 感謝を深めて、神さまから受けた物で無ければ、業想念(マイナス)で一杯なのです。本当に『無知』ほど恐ろしいものは無いのです。