ありがとうございます 神書 5-6   無限の調和が無限に無限に一杯!

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『幸せ』は、今・ここに


 『幸せ』は、外に捜し求めて得られるものではなく、今・ここに見出すべきものです。業想念の心を掴んだままでは、どこを捜し回っても、本当の幸せを手中にすることはできないのです。何故なら業想念の心(暗い心・怒りの心・憎しみの心・悲しみの心・愚痴る心・貪る心・害する心・等々)は、「類は友を呼ぶ」「波長の合うもの同士が引き合う」という法則によって、業想念だけを磁石のように、自分の周囲に引き寄せるからです。また業想念の心が強大であればあるほど、沢山の業想念を引き寄せ、何処へ逃げても、業想念だけが自然に集まってくるようになるからです。「泣き面に蜂」と言う諺は、そのことを端的に示しているのです。




 業想念の心と幸せとは、波長が合わないのです。波長の合わないもの同士は、自然に離れ去るようになっているのです。仮に幸せを追いかけて掴もうとしても、幸せはそれ以上に速く逃げ去ってしまうのです。




 幸せは本心の輝くところに、自然に集まってくるのです。本心の心(明るい心・笑いの心・愛の心・喜びの心・感謝の心・与える心・生かす心・等々)を、しっかりと生きていさえすれば、別に幸せを遠くに捜し求めなくても、幸せの方から喜んで、自然に集まって来てくれるのです。だからどんな幸せも、今・ここに見出せるようになるのです。『笑う門には福来たる』と言う諺は、このことを示しているのです。




 本心の心をしっかりと生きる為には、先ず本心と業想念の区別をつけなければならないのです。そして今の一瞬一瞬に、本心を選び続けて、本心をしっかりと掴まなければならないのです。その本心をしっかりと掴む為には、真理の言葉を駆使して、本心こそが本当の自分なのだと、忍耐強く・徹底的に思い返さなければならないのです。本心を指し示す真理の言葉を、心に繰り返し唱えることによって、本心を心の奥から呼び出すことができるのです。本心が心の奥から自然に湧き出てくるようになるまでは、真理の言葉を駆使して、本心を呼び出し続けることが大切です。




 本心とは本源心であり、神さまの全徳そのものです。本心の自分を思い返すということは、自分は無限の生命・無限の知恵・無限の愛・無限の光・無限の平和・無限の幸せ・無限の歓び・無限の健康・無限の繁栄・無限の成功・無限の力・無限の宇宙・無限の美・等々であると断定的に思うことなのです。これを素直に受け入れることが、本心の立場に立つことなのです。これを遠慮勝ちに拒むのは、傲慢で頑固な業想念の立場に立つことなのです。




 本心の立場に立ちさえすれば、無限の無限の幸せは自然に集まり来たり、今・ここに本当の幸せを見出すことができるのです。




 要は真理の言葉を心に沢山蓄積するほど、正しい信念が深まり、本心の立場に立ち易くなるのです。