無 限 健 康

真(まこと)の神さまは、

新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!
という、一大循環の相象で、
厳然と今ここに在しますのです。

真(まこと)の神さまは、真(まこと)のプラスだけです。

「ありがとうございます」は、真(まこと)の神さまの名前です。

「ありがとうございます」と、心に唱え続けたら、
真(まこと)の神さまが出て来て下さり、
すべてのマイナスは消えて、
真(まこと)のプラスだけに成るのです。

すべての七難八苦は、
太陽の前の霜のように消え去るのです。




病気とは?

病気の原因は?

病気を根絶できますか?




 真(まこと)の神さまの真実の世界には、一切の病気は無いのです。
 完全健康・無限健康だけです。

 虚の世界でも、プラスの言葉を使い、与え尽し合う世界には、病気は無いのです。病気が存在するのは、マイナスの言葉を使い、奪い合う世界に限定されるのです。マイナスの言葉で、健康を破壊し、奪う心で病気になっているだけです。

 病というのは、マイナスの言葉の結果なのです。
 「すべては言葉通りに成る」という結果なのです。
 病気になるということは、必ずマイナスの言葉を積み重ねたという原因があるのです。

 真(まこと)の自分を生きることを忘れたときに、虚の世界・思いの世界に転落するのです。過去をつかんで、これが自分、これが自分のものと思うだけで、業想念(過去をつかむ想念感情)を積み重ねてゆくのです。

 真(まこと)の神さまの一大循環の相象をつかんで、自分のものにすれば、借りになるのです。借りには必ず利息がついて、放置すれば、借りは大きく増え続けるのです。借りが増えるほど、借金返しの苦難(病気もその一つ)が大きくなるのです。
 この借りのある世界が、虚の世界です。
 どんな借りも因縁因果の法則で厳然と精算されるのです。

 虚の世界を抜け出て、真実の世界に戻る為には、真(まこと)のプラスの言葉を駆使して、真(まこと)の自分を生きることが大切なのです。
 真(まこと)の神さまと一体である本心の自分に戻れば、すべての原因は消え去り、問題は無くなるのです。



十 界

 仏教の教えの中に、人の心境を十段階に区別して説いたものがあります。

声聞    真理の教えを聴聞し、この世のすべては、過去の業想念を消していただいていると、順番に気付いてゆく勉強の段階が
       声聞界。

 「立ち向かう人の姿は鏡なり、己が心を写してや見ん」という道歌を、因縁の理を悟った段階が縁覚界。   縁覚
 自分の世界のすべては、自分の心をそのまま鏡に写すように見ているのである、という因縁因果の法則を  
本当に理解できた段階が縁覚界。

          
菩薩      感謝の祈りを祈りに祈って自分の心を変えることによって、自分の世界を変えて恩返しの救いに立つ段階、
         与え尽くす側に立つ段階が、菩薩界。力のある祈り、本物の祈りに変えていく勉強。

     色眼鏡の汚れが全部消えて、プラスだけが循環する世界。感謝の祈りを感謝の真祈りにまで高め上げて、 仏
    真実の世界を感受できるようになれば仏界です。

以上の4つの界は、感謝に生きる世界です。
地獄・餓飢・畜生・修羅・人間・天上の6つの界は、
思いに生きる世界です。

地獄     恨み・妬み・怒りの心で奪い合う心を生きるのが、すべての幸せを奪い取られる 地獄界。
        
         不平・不満・不足の心で怠け心を生きるのが、必要なものも手に入らない 餓飢界。   餓飢
          
畜生     本能のままに生きるのが、理性も何もない 畜生界。
         
         競争心を生きるのが、利己的な 修羅界。 修羅
  
          
人間     欲しいものを手に入れて、後で与えるテイクアンドギブが、人間界。
         
         先に与えて、後でもらう。ギブアンドテイクが 天上界です。 天上

感謝に生きる世界は、病気の原因を消し去るのです。
思いに生きる世界は、病気を作り出すのです。
真実の世界
                    真(まこと)の神さまの一大循環の相象・真(まこと)の与え尽くす心
                 虚の世界
                        思いの色眼鏡を通して見る世界
                             仏界
                             菩薩界
                          与える心・業想念を消し去る

                             縁覚界
                             声聞界
                          受ける心・業想念を減らす

                             天上界
                             人間界
                         求める心・業想念を積み重ねる
                             
                             修羅界
                             畜生界
                        欲の心・業想念を大きく積み重ねる
                             餓飢界
                             地獄界
                      強欲の心・業想念を大きく大きく積み重ねる
上根 新たなプラスを無限に大きく与え尽すだけ
仏界 中根 新たなプラスを大きく大きく与え尽すだけ
下根 新たなプラスを大きく与え尽すだけ
..........................................................................................................................................................................................
上根 報い求めずプラスを大きく大きく与え尽す
菩薩界 中根 報い求めずプラスを大きく与え尽す
下根 報い求めずプラスを与え尽す
..........................................................................................................................................................................................
上根 新たなプラスを大きく受け直す
縁覚界 中根 現実のすべてをプラスに思い返す(楽観的)
下根 現実のプラスだけを数え上げる(楽天的)
..........................................................................................................................................................................................
上根 大難を無難にして消していただいている
声聞界 中根 大難を小難にして消していただいている
下根 七難八苦は業想念を消していただいている
..........................................................................................................................................................................................
上根 与える心 >> 求める心 ギブ
天上界 中根 与える心 > 求める心  アンド
下根 与える心 = 求める心   テイク
..........................................................................................................................................................................................
上根 求める心 = 与える心 テイク
人間界 中根 求める心 > 与える心  アンド
下根 求める心 >> 与える心    ギブ
..........................................................................................................................................................................................
上根 すべての競争に勝ち取ろうとする テイク
修羅界 中根 すべての勝敗に勝ち取ろうとする  アンド
下根 すべての生殺に勝ち取ろうとする    テイク
..........................................................................................................................................................................................
上根 本能のままに行動する
畜生界 中根 欲望のままに行動する
下根 業欲のままに行動する
..........................................................................................................................................................................................
上根 すべてにおいて不平・不満・不足の業欲の心になる
餓飢界 中根 すべてにおいて強い業欲の心になる
下根 すべてにおいて強烈な業欲の心になる
..........................................................................................................................................................................................
上根 恨み・妬み・怒りの強欲な心ですべてを破壊する
地獄界 中根 大きな強欲の心で大きく破壊する
下根 大きな大きな強欲の心で大きく大きく破壊する









この世は、あの世の縮図であり、
あの世という氷山の一角です。

この世とあの世とは、
波の合う者同士が
密接につながっていて
お互いに影響を与え合っているのです。

過去をつかんで、重荷を背負うほど、下へ落ちてゆくのです。
 過去を放し、重荷を捨てれば、軽くなって上れるのです。

病気は心の重荷を押し出して消す働きです。



              
              上根・中根・下根 :
                  とことんやり抜く根気のあること
                根気があれば上へ昇れる。
                根気がなければ下へ落ちてゆく。




 上から下へ降りる為には
① 過去をつかむ
② 業想念を積み重ねる
③ マイナスの言葉を使う
④ 業想念を大きく積み重ねる
⑤ 借りを大きく殖やす
⑥ すべての助けを拒絶する

下から上へ昇る為には
① 過去をつかまない(疲れ果てて)
② マイナスの言葉を使わない(疲れて)
③ すべての助けを受け入れる(もがかない)
④ プラスの言葉を使う
⑤ 新たに受け直す
⑥ 借りを返してゆく
⑦ 徳の貯金を殖やす
⑧ 与える側に立つ

 真(まこと)の神さまからは勿論のこと、虚の世界のすべてからも常に常に愛の助けは無限に無限に一杯降り注いでいるのです。
その助けを拒絶するのも受け入れるのも、すべて一人一人の自由なのです。
 ありがとうございますを唱えたら、すべての助けをしっかりと受け入れることになるのです。

病気の根本原因と根本解決

 真(まこと)の神さまの世界では、
すべては完全円満完璧です。
一切の病気は無いのです。
完全健康・無限健康だけです。

 虚の世界においては、
人は一霊四魂・一元四体の統一体、
霊魂魄の自分を生きているのです。
真(まこと)の自分から流れ出て来る一筋の光が 霊 です。
さまざまな言葉・思いの集積が 魂 です。
霊魂を入れる器が 魄・肉体 です。

 霊の自分が魄の絵筆を動かし、肉体という紙に名画を描こうとしているようなものです。紙が絵筆が自分勝手に動いたら、落書きになるのです。
 霊の自分が真(まこと)の神さまをお手本にして描かなければ、名画即ち人格の完成は無いのです。

 絵筆に陽気・元気・活気・・・というプラスの気が、
  明るい絵の具が添えられたら、明るいプラスの絵を描けるのです。

 反対に陰気・邪気・毒気・・・というマイナスの気が、
  真っ黒な絵の具がくっついたら、暗いマイナスの絵になるのです。
 プラスの気を絵筆に付けたら、魂は輝き、肉体は元気です。
 マイナスの気を絵筆に付けたら、魂は暗く、肉体は病気です。

 魂が暗く、闇(やみ)になると、肉体は病(や)み、病気になるのです。

 すべての病気の根本原因は、マイナスの言葉、マイナスの想念感情を心に貯め込んだことです。マイナスの言葉、マイナスの想念感情を魂という絵筆に沢山付着させたことです。
 真っ黒な絵の具が絵筆からしたたり落ちているのです。
 これが病気の根本原因です。

 心という容器にマイナスの想念感情を溜めたままでは、心が苦しいのです。
 病苦の形で押し出せば、心が軽く楽になるのです。

 心にたまった業想念をすべて消し去れば根本解決となるのです。

 ① そのまま早く形に押し出してしまう。
 ② 明るい色を加えて灰色にして使う。
 ③ 真(まこと)の神さまに預けて消し去ってもらう。

  ①  の生き方を選ぶ人は、

 我に七難八苦を与えたまえという強い人です。
 苦難に耐え、苦行に耐え、早く魂の汚れを消し去ろうとしているのです。

  ②  の生き方を選ぶ人は、

 種々様々な明るい色を加えることによって黒い色を和らげ、病苦を軽くする生き方です。種々様々な治療法は、これに属するものです。

 霊魂や心に働きかけるものに、
  神癒治療、神霊治療、心霊治療、信仰治療、祈祷、催眠療法・・・・・等々があるのです。
 肉体に直接働きかけるものは、
  東洋医学・西洋医学のすべて、波動、薬物、整体等々、心霊手術、物質(電磁波、気体・液体・固体)的なプラスを加えることによってマイナスを変化させ、病苦を和らげるのです。

 代償を大きく払うほど、効果が大きいのはプラスが貯金であり、マイナスは借金であるという貸借の因縁因果の法則によるのです。
 心に溜めた明るいもの、プラスというのは貯金です。
 心に溜めた暗いもの、マイナスというのは借金です。
 プラスを与えたら、心に貯金として記録されるのです。
 プラスをもらったら、心に借金として記録されるのです。
 心に貯金の多い人は元気になり易いのです。
 心に借金の多い人は病気になり易いのです。

  ③  の生き方を選ぶ人は、

 真(まこと)の神さまへの感謝と恩返しに生きることです。
 真(まこと)のプラスの言葉を駆使し、与え尽くす生き方を実践すれば、すべてのマイナスを消し、真(まこと)のプラスに置き換えて下さるのです。

 真(まこと)の神さまの側に、本心の心の側に、与え尽す側に立ったとき、真(まこと)の神さまの一大循環の愛の相象を目の当たりにすることができるのです。
 本当に真(まこと)の神さまだけ!なのです。
 本当に真(まこと)のプラスだけ!なのです。
 本当に一大循環の愛の相象だけ!なのです。
 本当にすべてが至善至美至妙完全円満完璧大調和!です。

 真(まこと)のありがとうございますは真(まこと)の愛の真祈りです。
 真(まこと)の神さまの側に立った本心の心の自分は、一瞬一瞬新たに新たに、愛の光を与えて与えて与え尽すだけです。
 真(まこと)の「ありがとうございます」の愛の真祈りは、愛の光を放射するだけです。
 すべてとの愛の光の与え尽し合いです。
 縦横無尽の愛の光の循環交流だけなのです。

 「ありがとうございます」の真祈りは、与えて与えて与え尽すだけです。
 喜び勇んで祈り続けるだけで、真(まこと)の神さまの自覚は湧き上がってくるのです。最高最大の幸せです。

 求める心・受ける心では、思いの色眼鏡を通して、真(まこと)の神さまを見ているだけです。
 どんな綺麗な色眼鏡を通して見ても、真(まこと)の愛の相象の無限分の一以下しか見えないのです。
 本心の心の自分に戻らなければ、真実は何も判らないのです。
 ただひたすらに「ありがとうございます」を唱え続けて、与え尽す生き方を実行するだけです。




真(まこと)の健康と病気

 人の全体を良くしなければ、部分が良くなることは無いのです。
 人の全体とは、真(まこと)の神さまと一体の本心の自分、霊魂魄としての虚の自分です。霊とは生命の自分です。魂とは精神・心の自分です。魄とは肉体の自分です。

 真(まこと)の健康とは、本心の自分が無限に輝き、生命の自分が強い光となり、魂・精神・心が明るくプラスの状態となり、肉体も元気はつらつとしている状態です。

 病気とは、本心の自分を輝かすのを忘れ、生命の自分が細い弱い光になり、魂・精神・心が暗くなり、肉体に元気が無くなった状態です。

 肉体という部分だけを、心という部分だけを相手にして、どんなに良くしようとしても不可能です。
 川の流れと同じように、根源から清らかな水が豊かに流れてくれば、末端に至るまですべてがプラスの状態になるのです。水の量が少なくなれば、途中の汚れも多くなり、末端では悪臭のヘドロで一杯の状態になるのです。
 下流のヘドロをすべて除去して綺麗にしなければ、末端の肉体も本当の健康状態にはならないのです。
 肉体だけを相手にする治療法では、労多くして功少なしです。
 病気の数は殖える一方です。

 清らかな水を豊かに流し込めば、すべての病気は消えるのです。
 本心の自分の無限健康を末端の肉体にまで流し込めば、健康な肉体、病気にならない肉体になるのです。


 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分です。
 すべてに対して本当に必要なものを的確に与え尽す愛の自分です。

この真(まこと)の自分、本心の自分、愛の自分を忘れたときに、
 過去の残像・足跡としての自分、想念感情の自分に陥るのです。
 求める心・欲の心の自分になるのです。
 マイナスを汚れを溜め込んでゆく自分になるのです。

 その結果、魂に種々様々なマイナスの想念感情が付着し、心にはヘドロのような汚れが一杯溜まってゆくのです。
 すべて求める心・欲の心が生み出した業想念・汚れです。

 その業想念・汚れが肉体から溢れ出て来るのが肉体の病気です。
 その業想念・汚れの種類の通りに、病気の種類が決まるのです。

 病気は心に溜まった汚れを、外へ出して消し去る働きをしているのです。


 大病すれば、心が清まるのです。


 肉体・心・魂・いのちのすべての段階において
  汚れのやり取り、いのち、光のやり取りが行われるのです。

 その結果として、病気になったり、健康になったりするのです。
 虚の世界には因縁因果の法則が厳然と働いているのです。
①不昧因果 ②不落因果 ③不動因果 の三つです。

① 不昧因果(因果昧(くら)まさず)は、
  目には目を、歯には歯を、殺せば殺されるという法則です。

天網恢々疎にして漏らさず、どんな小さなことも例外なしです。
 六道(地獄・餓飢・畜生・修羅・人間・天上)の世界は、この不昧因果の法則に支配されるのです。
 自分の言葉・心・行いの三業は、すべて厳然と自分自身に報いられるのです。プラスは必ずプラスになり、マイナスは必ずマイナスになるのです。
 だからどんなマイナスも、自分から出たマイナスが、自分に返っているのです。他のせいにした分だけ、マイナスは大きく追加されるのです。
 ただ真(まこと)の神さまの助け、救済の神々の助け、守護の神霊の助け、ご先祖さまの助け、縁者の助けなどが加わった分だけ、マイナスが軽減されるのです。
 誰もが本来受けるべきマイナスを、万分の一以下に軽減してもらっているのです。それなのにそれなのに他を責め審くのは、恩を仇で返す生き方です。
 どんな助けも拒絶したら、そのマイナスは元の万倍に戻ってしまうのです。

 プラスを選ぶかマイナスを選ぶか、自分の選んだ通りに成るのです。





② 不落因果 は、
  声聞、縁覚の世界です。

 一瞬一瞬新たに新たに、光・プラス・真理だけを受け直せたら、過去のすべてを棚上げにして、プラスだけが現実化するのです。
 過去をつかんだら、マイナスを選んだら、不昧因果の世界に転落です。
 薄氷を踏む、綱渡りのような、真剣さが要求されるのです。

 プラスだけを数え上げる楽天的な生き方、すべてをプラスに思い返す楽観的な生き方の訓練です。
 すべて言葉通りに成るという法則を、体感体得する為です。
 不昧因果の法則を骨の髄まで体感体得する為です。
 六道に落ちた者は誰一人の例外も無く、無限のマイナスを背負っているのです。どんなマイナスが溢れ出ても、文句の言える筋合いでは無いのです。

 それなのに今の一瞬のプラスの言葉で、プラスが現実化したら、言葉通りに成るという勉強ができるのです。

 マイナスの言葉でマイナスが溢れ出ても、今の言葉が現実化しているかどうか、判らないのです。
 だからすべて言葉通りになるという勉強ができないのです。






③ 不動因果 は、
  菩薩・仏の世界です。

 菩薩・仏は、光をプラスを与え尽すだけです。
 与え尽すだけの生き方は、真(まこと)の神さまの一大循環の順流の後押しを受けられるのです。
 与えただけが返ってくるのでは無く、与えた以上のものが大きく流れ入って来るのです。
 だから不昧因果の法則に、恐怖心を抱くことは無いのです。
 不落因果の法則に、一喜一憂することは無いのです。


 原因も結果も相手にしないのです。
 過去も未来も相手にしないのです。


 今の一瞬一瞬、プラスだけの流れを眺めているのです。
 不動心・安心立命の境地が、本物へ近づくのです。
 
 
 真(まこと)の神さまの世界は、因縁因果の法則を超えた場所です。
 原因も結果も、過去も未来も無いのです。
 最高の結果だけが、永遠の中今だけが在るのです。
 
 
 過去をつかむのが、マイナスの生き方です。
 新たに受け直すのが、プラスの生き方です。
 新たに与え尽すのが、真(まこと)のプラスの生き方です。
 真(まこと)の自分に戻ろうとするのが、声聞・縁覚・菩薩・仏の心境の人です。
 
 
 声聞は、過去をつかまない練習をするのです。
 縁覚は、プラスを受ける練習をするのです。
 菩薩は、プラスを与える練習をするのです。
 仏は、新たなプラスを与えて一大循環の相象に融け入る練習をするのです。
 
 
 真(まこと)の神さまの一大循環の相象と一つになったら、真(まこと)の自分・本心の自分です。
 
 
  自由自在な意識の自分は、言葉通りに何にでも成れるのです。
  真(まこと)の「ありがとうございます」を唱え続けたら、言葉通りに真(まこと)の神さまが自分に成るのです。
  真(まこと)の「ありがとうございます」は、真(まこと)の神さまです。
  言葉通りのいろいろな自分に成って来て、最後には言葉通りの真(まこと)の自分に戻ってゆくのです。
  過去のすべての言葉の縛りを消し切った時に、真(まこと)の自分に戻るのです。


  真(まこと)の「ありがとうございます」は、過去のすべての言葉の縛りを消し切って、真(まこと)の自分に戻る為のものです。
「すべて言葉通りに成る」

  「すべて言葉通りに成る」というのが、厳然たる宇宙の絶対法則です。
 今の言葉がすぐに実現して、形に現れて消え去れば、心に言葉は溜まらないのです。
 
 
 言葉がプラスの言葉の場合は、直ぐに実現しても、困るようなことは無いのです。だからプラスの言葉の実現は速いのです。
 
 
 
 プラスの言葉   ==⇒ 実現が速い
 
 
 
 言葉がマイナスの言葉の場合は、マイナスがそのまま現実化すると困るのです。マイナスをプラスに修正する時間が必要になるのです。それでマイナスの言葉は心に溜めておいて、現実化する前に修正しようとするのです。だからマイナスの言葉は心に溜まるのです。マイナスの言葉は実現するのが遅いのです。
 
 
 
 マイナスの言葉 =============⇒ 実現が遅い
 
 
 この世に現われた、現実化したすべては、結果であって、原因では無いのです。どのように現われても、すべては結果であって、原因では無いのです。
 心にでき上がった、運命のひな形の通りに、必ず現実化するのです。
心にある運命のひな形が、原因です。
 その運命のひな形は、どのようにしてできたか。
 本当の原因、根本の原因は、ここにあるのです。


 自分の駆使した言葉通りに、運命のひな形はでき上がるのです。誰一人として例外は無いのです。言葉通りの自分になり、言葉通りの世界に成り、言葉通りの運命になるのは、厳然たる絶対法則です。
 ただすべてが言葉通りに現実化したら、悲惨極まりないものになってしまうのです。そこで運命の修正が加えられて、マイナスが軽減されて現実化するのです。運命修正の為の愛の助けは、無限に大きいものです。


 この世のどんなマイナスも、
軽減されたマイナスです。
 どんな当事者も、マイナスを軽くする為の、
縁の深い協力者・大恩人です。

 大きいマイナスを、共に支え合って、
軽く消し去ろうとしているのです。

 すべてのすべてに、真(まこと)の神さまの愛は、
降り注ぎ働いているのです。
言葉を支配する

 マイナスの言葉に対しては、「見ざる・聞かざる・言わざる」が必要です。
 マイナスの言葉を見ても・聞いても・言っても、直ぐに反省してお詫びすることが大事です。マイナスの言葉を見てしまって、聞いてしまって、言ってしまって、ご免なさい。
 真(まこと)の神さまは真(まこと)のプラスだけです。ありがとうございます。


 過去をつかむ、現実をつかむということから、虚の世界に陥ったのです。過去を現実をつかむという習慣性が残っている人にとっては、マイナスが現実化するということは、マイナスの言葉を何度も繰り返し見たり・聞いたり・言ったりすることになりやすいのです。
 そうするとマイナスが何倍にも殖えてゆくのです。


 言葉を支配するようにならなければ、いつまでも環境の奴隷、運命の奴隷になってしまうのです。


 言葉が先で、言葉を支配すれば、環境・運命を支配できるのだということに、一刻も早く気付いて、実行することが大事なのです。


 プラスの言葉を駆使する人は、心に言葉・思いが溜まらないのです。
今の言葉が直ぐに実現して、自由自在になるのです。


 過去をつかめば、自分の意識はそこに在って、現在までに積み重ねたマイナスの言葉の下敷きになってしまうのです。遠い過去のマイナスをつかめばつかむほど、沢山のマイナスの言葉を背負うことになるのです。
 その重量に押しつぶされたら、地獄になるのです。
 過去をつかまなければ、すべてのマイナスの言葉の上へ上へ出られるのです。
 舞い落ちる言葉はプラスの言葉です。
 いくら浴びても重荷にならないのです。
 沢山のマイナスの言葉を背負ったら、大きいマイナスの自分になるのです。


 遠い過去のことを恨み続けた人は、沢山のマイナスの言葉を背負って、地獄にまで落ちてゆくのです。
 新たに新たに生きる人は、過去のすべてのマイナスの言葉の上に出て、自由になれるのです。
 過去をつかんだら、誰でもマイナスの言葉の下敷きになるのです。
 新たに新たに生きたら、すべてのマイナスから抜け出せるのです。
 どちらの生き方を選ぶのも、一人一人の自由なのです。


 過去をつかむのが、順流の流れを止めるマイナスの言葉です。
 順流の流れを止めなければ、新たに生きる、プラスの言葉になるのです。


 常に言葉通りの自分に成ってゆくのです。
 そして自分の波長に合う、世界・番組・
運命になるのです。

自由自在 = すべての責任は自分に在る

 真(まこと)の神さまは一大循環の相象と成って、真(まこと)のプラスだけを与え続けているのです。新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯!です。無限のスピードで循環しているプラスです。
 それを「ありがとうございます」で、一瞬一瞬確認して眺めるだけというのが、本当の正しい生き方です。


 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分という本心の自分は、自由自在心です。


 自由自在心というのは、常にすべての立場に立てるということです。大きい立場にも小さい立場にも、全体の立場にも部分の立場にも、与える立場にも受ける立場にも、どんな立場にも自由自在に立てるということです。
 過去をつかんで、残像・足跡の世界、虚の世界にも立てるのです。
 また虚の世界の全体の立場にも、虚の世界の小さい部分の立場にも自由に立てるのです。


 すべて自分の自由であるということは、すべての責任は自分に在るということです。自分がすべてを決定しているのです。


 過去をつかまなければ、真(まこと)のプラス(縦線)だけです。
過去をつかんだら、虚のプラス(縦線に横線の加わった+)に成るのです。
過去をつかむ回数が多くなれば、それだけ横線が多くなり、マイナスが殖えるのです。

自分一人だけですべての立場を、十二分に味わい尽すということは、絶対不可能なのです。それ故にみんなの立場を、すべての立場を自分のものとして味わえるように、自分を与え尽して相手と、みんなと、すべてと同化し、一体化して味わうのです。


 自由自在な真(まこと)の自分は、自分を与え尽すことによって、すべてと同化し、ありとあらゆるすべての立場に、同時に立つことができるのです。


 すべての与える立場、すべての受ける立場に同時に立つことによって、真(まこと)の神さまだけ、真(まこと)のプラスだけ、真(まこと)の愛の相象だけということが、本当に無限に大きく・深く・実感できるのです。
 真(まこと)の「ありがとうございます」は、真(まこと)の神さまの絶対の愛を真実に味わうことなのです。


 真(まこと)の「ありがとうございます」は、真(まこと)の神さまに心を向けて、真(まこと)の神さまに自分を捧げ尽し、真(まこと)の神さまと同化し、一体化し、真(まこと)の神さまの自覚に、真(まこと)の神さまの自由自在心に到達する為のものです。


 本心の自分の自由自在心を、
真(まこと)の神さまの自由自在心にまで、
無限に大きくしてゆく為の
ものです。



病気は形に現われて消えてゆく姿

 過去をつかんで溜め込んだ無限の業想念を、一日も早く消し去ることが、無病への、幸せへの、悟りへの道です。


  ① 過去をつかんで自分のものにすると、残像・足跡をつかむ、業想念が心に蓄積してゆくのです。
  ② 虚のプラスの言葉、マイナスの言葉を使うようになると、それが業想念となって、心に蓄積してゆくのです。
  ③ 求める心・欲の心・奪う心になって、借りを殖やしてゆくと、借りは即ち業想念となって、心に蓄積してゆくのです。


 ①過去をつかむ、②虚の言葉を使う、③求める心になる、ということによって、心に無限の業想念を積み重ね、それが七難八苦(病苦もその一つ)の運命となって、形に現れては消えてゆくのです。



この世の七難八苦は、
無限の業想念を、万分の一に軽減して、消し去って下さったのです。
この世の小難は、
無限の業想念を、億分の一に軽減して、消し去って下さったのです。
この世の無難は、
無限の業想念を、無限分の一に軽減して、消し去って下さったのです。
この世のすべては、
無限の無限の業想念を、無限億万分の一に軽減して、消し去って下さる姿です。
過去をつかまない生き方

次にすべてを一瞬一瞬、
 新たに新たに受け直して、過去をつかまないことです。
 すべてを新たなプラスとして、数え上げ、受け直すことです。
 すべてを新たな大きいプラスに思い返して、受け直すことです。
 すべてを現実化する前に、新たなプラスとして受け直すことです。
 すべてを現実化する前の、新たなプラスとして受け直すことです。
 新たなプラスを受け直すことによって、一切の過去をつかまないようにすることです。

 一切の報いを求めることなく、与えて与えて与え尽すだけ、与え放してゆくことです。与え尽す流れをどんどん速くしてゆき、無限のスピードにまで近づけることです。
 過去に心に溜めた、一切の業想念を、洗い流し消し去ってもらう為です。
 無限のスピードで循環する、万華鏡を見るように、入れ子構造の万華鏡を眺めるように、ほめたたえ、感謝し、喜んで、ただ楽しむだけ、というのが、過去をつかまない本当の生き方になるのです。

                            万華鏡
              (錦めがね、百色めがね、ばんかきょう、カレイドスコープ)
              
                 3枚の長方形の鏡を向い合せにした筒に、細かい色ガラス
                または、色紙を入れ、筒を回しながら一方の穴からのぞくと、
                さまざまに変わる美しい模様が見られる。

病気にならない為には?

 心にマイナス(マイナスの言葉)を溜め込んだら、病気になるのです。
病気にならない為には、心にマイナス(マイナスの言葉)を蓄積しないことです。


 ① 先ず自分自身がマイナスを見ないこと、聞かないこと、言わないこと、心に思わないことです。

 ② 過去や現実の一切のマイナスに心を向けないことです。

 ③ 他からのマイナスの言葉や思いを受けないことです。
   その為には、マイナスに波を合わさないこと、常にプラスだけに波を合わせていることです。

 ④ 他からの借りを殖やさないことです。
   不労所得・あぶくぜには、大きな借りになるのです。借りは即ちマイナスです。借りを殖やせば、マイナスが心に蓄積されるのです。

 ⑤ 贅沢をしないことです。
   余裕があれば、過去の借りを先に返すことです。余徳を人助けに使うことです。
   本当に必要な物以外は、真(まこと)の神さまの支えの無いものです。
   だからちょっとした贅沢も、借りになって、マイナスが心に蓄積してゆくのです。



欲望に負けて、
 他から奪い取ったもの、他からだまし取ったもの、他から借りたもの、他から只でもらったもの、等々、


 自分が与えたもの以上のものを受け取ったら、それは借りになり、心にマイナスが業想念が蓄積されてゆくのです。放置すれば利息が付いて殖えてゆくのです。


 この世からの借りが、業想念となり、病の原因になっていることに、気付かない人が多いのは、気の毒です。
 借りる方も間違いなら、貸して借りを殖やさせる人も間違いです。


 無償の愛の本当に必要なだけの助けかどうか、しっかりと見極めなければ、不幸を生み出していることになるのです。


 借金をしなければ、借金返しの苦難は無いのです。
 本当に必要なものだけを与え合う、質素な生き方になれば、借金返しの苦難は無くなるのです。


 病気になったときの為に、お金を儲けて備えるというのは、病気の原因を作って、病気になろうとしていることになるのです。
 病気になったときの為に準備すれば、準備ができているのなら、誰かの身替りに病気になるかもしれないのです。


マイナスの言葉が病気の根本原因

 「井の中の蛙、大海を知らず」

 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分です。真(まこと)の自分は自由自在心です。
 自分の選んで駆使する言葉通りに、虚の世界のすべてを創造することができるのです。

 もし自分が井の中の蛙になっているとすれば、井の中の蛙になるような言葉を駆使したからです。すべて自分の言葉通りに成っているのです。

 井戸を認め、井戸に落ちたと認め、蛙のような自分を認め、井戸から出られないと認め、外界から隔絶していると認めたのです。

 すべて自分の言葉通りに成っているだけです。
 すべて自分の言葉の縛りです。
 現実は過去の言葉の結果です。
 過去の言葉が順番に現れて消えてゆくだけです。
 今新たに選んで駆使する言葉は、未来に必ず現実化して消え去ってゆくのです。

 自分の言葉で自分を縛るのは愚かなことです。
 自分を縛っているのは、自分の言葉だけなのです。
 自由自在な自分が、自分の言葉で、不自由になっているだけです。
 自分の言葉で、その縛りを消し去ればよいのです。

 病気の自分というのは、井の中の蛙と同じです。
 無限健康、完全健康の自分を忘れ、マイナスの言葉で自分を縛りに縛っているのが、病気という結果です。
マイナスの言葉を使わなければ、自由になるのです。
マイナスの言葉で縛らなければ、病苦から抜け出せるのです。


 真(まこと)の神さまの一大循環の相象は、無限健康・完全健康そのものです。
プラスの循環、順流の流れが健康そのものなのです。
 順流の流れが停滞すると、病気や死に到るのです。
 プラスの言葉だけをしっかりと駆使すれば、順流の流れが正常となり、元気はつらつと成るのです。
 マイナスの言葉を使い始めると、逆流と成り順流の流れが停滞して来るのです。流れが止まると、必要な物が循環して来なくなって、病気になり、死に至るのです。
 マイナスの言葉が一杯溜まると、いのち・光が流れなくなり、霊線が細くなって病気になり、霊線が切れて死に到るのです。
 本心の自分から流れ出て来る、いのち・霊線の働きを妨げたら、病気になるのです。霊線の働きを妨げるのは、マイナスの言葉です。


 マイナスの言葉が、すべての病気の根本原因です。
 病気は、人のマイナスの言葉による作品・結果です。


 真(まこと)の言霊の「ありがとうございます」を唱えることは、本心の自分を輝かし、霊線を太くする働きです。
 真(まこと)の言霊の「ありがとうございます」を真剣に唱え続けたら、すべての病気は消え去り、無限健康になるのです。
 只で、自分で、すべての病気を治せるのです。
 本心の輝きが、霊魂魄の自分に投影されて来るのです。
 広々とした明るい大海の世界は、無限健康・完全健康の世界です。
 狭い暗い井戸の世界が、病魔の巣くう世界です。

 井戸から脱出したら、無病の世界、健康の世界です。


 ① なぜ井戸に落ちたのか?
 ② どうすれば井戸から抜け出せるのか?


  ①    過去をつかみ、新たな受け直しを忘れた為に、虚の世界の落とし穴に転落したのです。

 そしてマイナスの言葉を沢山使った為に、病魔の巣くう井戸に閉じ込められたのです。



  ②    過去に現実にしがみつかないことです。
       マイナスの言葉の世界・井戸から出ようとすることです。
       プラスの言葉を選んで駆使することです。
       ありがとうございますの救いの綱をしっかり握って離さないことです。


 そうすれば、井戸から助け上げてもらえるのです。

 人の本質は、無限健康・完全健康です。
 人は本来健康なのです。健康を与えられているのです。
 健康が増進するように護られているのです。
 新たに新たに新陳代謝して、健康を与え続けてもらっているのです。

 病気にならないのが自然の摂理なのです。
 だから病気になるということは、難しいことなのです。
 病気になるということは、あり得ないことなのです。
 それなのに病気になるとすれば、与えられた健康を破壊し続けているのです。
 修復の邪魔をし続けているのです。
 必死にマイナスの努力をし続けていることになるのです。

 すべてマイナスの言葉が原因で、病気はその結果です。

 マイナス(病気)を言葉にすれば、マイナス(病気)を思えば、必ずマイナス(病気)になるのです。
 マイナス(病気)を恐れたら、マイナス(病気)がやって来るのです。
 マイナス(病気)になったときの準備をすれば、必ずマイナス(病気)を引き寄せるのです。

 言葉通りに運命は定まるのです。

 「健康に生かされている。
   ありがとうございます。」
とプラスの言葉を使っていたら、
健康になるのです。
一大循環の愛の働き

 真(まこと)の神さまの一大循環の相象が、一大調和の根源です。
 必要な物を的確に与え尽す、一大循環の順流の流れが悪くなると、不調和になるのです。
 順流の流れを悪くする原因は、
  ① 過去をつかむ、執着する、流れを止める
  ② マイナスの言葉を使う、逆流を起こす
  ③ 責任を他に転嫁する、
    他にもマイナスの言葉を与えて、逆流を大きくする

 光・いのち・プラスの流れが悪くなれば、元気が無くなり、陰気になり、病気になるのです。

 プラスの順流の流れを正常に戻してゆく為には、
  ① 他に責任を転嫁しないこと
    他に対してマイナスの言葉を与えないこと
  ② どんなマイナスの言葉も使わないようにすること
  ③ 過去をつかまないこと
    これが自分、自分のものとつかまないこと

 プラスの順流の流れを正常に保つ為には、
  ① 一瞬一瞬新たに新たに、すべてを受け直すこと
  ② 積極的にプラスの言葉を駆使して、前向きにプラスを与えて、循環を助けること

 真(まこと)の神さまの愛の助けを積極的に感受してゆくこと。
常に常に真(まこと)の神さまから、全体から、すべてのすべてから、真(まこと)の神さまの愛が降り注いでいると、しっかりと認め、受け入れてゆくこと。


 この世の七難八苦は、あの世の七難八苦を、万分の一に軽減して消し去って下さる愛の働きであると感謝すること。
 過去世の無限の年月の間に積み重ねた業想念(過去をつかむ想念感情)は、無限に無限に一杯です。自分の見ているあの世のマイナス(七難八苦)のすべては、自分の業想念の投影されたものです。


 すべてに対して、真(まこと)の神さまを・真(まこと)のプラスを・一大循環の相象を、一瞬一瞬新たに与え続け、すべてから、真(まこと)の神さまを・真(まこと)のプラスを・一大循環の相象を、一瞬一瞬新たに受け続け、すべてに、真(まこと)の神さまを・真(まこと)のプラスを・一大循環の相象を、一瞬一瞬新たに認め・味わい、感謝し・喜び続けるだけです。


 真(まこと)の自分の真(まこと)のありがとうございますの真祈りには、真(まこと)の神さまのすべての働きが包含されているのです。『ありがとうございます』と淡々と祈り続けるだけで、真(まこと)の神さまと一つに成れるのです。








真(まこと)の自分

 マイナスをどんどん大きく消し去ってもらって、現実のマイナスをつかまなくなることが、新たなマイナスを積み重ねない生き方です。
 次に新たなプラスを受け直す練習です。


①  一瞬一瞬新たに新たに、この世からプラスのものを無限に一杯!数え上げて感謝することです。


②  一瞬一瞬新たに新たに、この世のすべてをプラスに思い返して すべてが真(まこと)の神さまの愛の現れであると感謝することです。プラス
  のものは、そのままプラスの愛のプレゼントとして受け、マイナスのものは、自分のマイナスを身替わりに背負って消し去って下さる
  大犠牲精神の愛のすがたであると感謝することです。


③  すべては言葉通りに現実化するのです。
  一瞬一瞬新たに、現実化したものをプラスに受け直すだけではなく、現実化する前のプラスを、先に感謝して受け直し、更には、プラ
  スの言葉を駆使して、すべては言葉通りに現実化するということを確信して、感謝してゆくことです。


④  真(まこと)のプラス、本当に必要なものは、既に真(まこと)の神さまから与えられ済みであるということを確信し、それを言葉にして、ほめたたえ・
  感謝し・喜ぶことです。


 次には、受ける側から、与える側に立つことです。
 過去に助け続けてもらった恩恵は、無限に無限に一杯です。
 すべてのすべてから、ありとあらゆる助けが、真(まこと)の神さまの愛の働きとして降り注ぎ、その無限に大きい深い愛を感受させて下さったのです。
 感謝・感激・感動・歓喜の涙は、滝のように溢れ出るほどです。
 必然的に自分のすべてを捧げ尽して、恩返しをしたいと願うのは当然のことです。


 過去の自分の借り・マイナスは、自分の力で返したのではないのです。
真(まこと)の神さまが、すべてのすべてが、肩替りして下さっただけなのです。自分に返す力が付いた今こそ、恩返しに生きて真(まこと)の借金返しをしてゆくべきものです。
 恩返しの行こそが、真(まこと)の借金返しです。
 すべての借金返しを済ませてこそ、本心の自分に戻れるのです。


 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分という、本心の自分は、愛の自分です。
 一切の報いを求めることなく、すべてに対して本当に必要な物を、的確に与え尽してゆくという、真(まこと)の神さまの愛の御心を生きるのが、真(まこと)の自分・本心の自分です。
 真(まこと)の神さまが真(まこと)の自分です。一大循環の愛の相象となって、自分のすべてを与え尽してゆくのが、真(まこと)の自分の生き方です。
 真(まこと)の自分に戻る為には、一切の報いを求めることなく、本当に必要な物を的確に与え尽してゆく練習が必要です。
 すべてに対して、本当の幸せを与えてゆくのが、真(まこと)の自分です。
 それは何なのか? 自問自答すべき課題です。


 病原菌というのは、人がマイナスの言葉で作ったのです。
 人は、万物の霊長として、大自然のすべてを大調和に支配する責任があるのです。本来、すべてのすべてはお互いに愛し合い、助け合い支え合って、大調和しているのです。それを不調和にしたのは、人のマイナスの言葉です。



人の心が調和すれば、
すべては調和するのです。
人の心に毒気があれば、
その毒気を背負うものが出て来るのです。
人の心に攻撃心があれば、
その攻撃心を背負うものが出て来るのです。
人の心が弱肉強食の心になれば、
弱肉強食の世界になるのです。

大自然のすべては、人の心を写し出す鏡です。
相手を悪者にすれば、悪者になって出て来るのです。
相手を攻撃すれば、仕返しに攻撃して来るのです。

すべて人の言葉通りに成っているだけです。
すべて人の言葉の結果であって、
原因ではないのです。


 この世に現われたすがたは、すべて結果であって、原因ではないのです。
病原菌が原因で、病気になったのでも、なっているのでも無いのです。

 病気の原因は、真(まこと)の神さまから与え続けてもらっている、無限健康を拒絶して受け直さなかったのが、一番の根本原因です。
 次に不平不満不足の心になって、マイナスの言葉を沢山使ったのが、二番目の大きな原因です。


 すべて言葉通りに、心に溜めた言葉の集積通りに現実化して消えてゆくというのが法則です。
 心に溜めた業想念が、形に現われて消えてゆく時のすがたが、病気(不調和)です。

 その業想念を消し去る時に、手助けしてくれるのが、微生物です。
 分担して身替わりに背負った業想念を、消し去る為に全力を出し尽くしているのが、微生物の繁殖というすがたで現われているのです。
 微生物の応援のお蔭で軽く済ませてもらったのに、微生物を悪者にして責め裁くのは、大きな間違いです。
 自分の責任を他に転嫁して責め審くというのは、恩を仇で返す、味方を敵にする間違った生き方です。
 すべての根本に存在しているのは、真(まこと)の神さまの愛の働きだけです。
必要なプラスを与えてくれているのです。
健康を保持する為に必要な働きをしてくれているのです。
 自分の力で、自分の働きで、健康を作り出している人は、一人も存在しないのです。すべてのお蔭で、みんなの支えで、健康を与え続けてもらっているだけなのです。

 感謝を忘れ、マイナスの言葉を使って、健康を拒絶し、破壊した結果が、病気となって形に現われているのです。
すべてに感謝し、プラスの言葉を使えば、健康は増進するのです。


一大調和

 獣害対策の為にいろいろと苦労しているのも、この世に原因を求めて、間違った判断をしているからです。
 猪、鹿、猿が殖えた為に山や畑を荒らし、害を与えていると観るのは、正しい判断とは言えないのです。

 本当の原因は、この世という結果としての現実にあるのではないのです。
 この世に運命として現れる前の、心の中にある運命のひな型に問題があるのです。運命のひな型を修正することが先決です。

 人間が大自然への感謝を忘れ、恩返しを忘れ、大自然を破壊し、動物の食糧を奪って来たのです。
 大自然の調和を守り、動植物を護り育てる役目を人間が放棄しているからです。

 人の生き方の間違いを教えてくれているのです。
 この世のすがたはすべて結果なのです。
 人の生き方こそが、すべての原因です。
 人の生き方が正しければ、すべては調和するのです。
 人の生き方に間違いがあれば、不調和になるのです。
 思いやりの心で、支え合えば、すべては調和するのです。
 すべての問題は、思いやりの心の無い所に生ずるのです。





 狼を悪者にして、絶滅させたのも、人間の知恵の無い、一方的な間違った判断の為です。

 調和は、元から厳然と存在しているのです。
 その邪魔さえしなければ、自然循環の働きで、調和は保たれるのです。

 真(まこと)の神さまに、全体に、すべてに真(まこと)のありがとうございますを捧げ続けていたら、真(まこと)の神さまから、全体からすべてから本当に必要なものを、的確に与え続けてもらえ、一大調和のすがたが、現実化するのです。

 真(まこと)のありがとうございますを捧げるのを忘れて、マイナスの言葉を使って、邪魔した分だけ、不調和のすがたが現実化するのです。
 真(まこと)のありがとうございますを捧げ続けている限りは、一大調和のすがたは絶対に崩れることは無いのです。














治 病

 他の人の治病に当っては、愛の心で、無償でする場合でも、病気の根本原因である業想念を消し去る力が無かったら、自分が身替りに業想念を背負うことになるのです。
 業想念を消し去る力を身に付ける為には、祈りに祈って、自分の心を完全に浄め尽さなければならないのです。

 有償で治病に当る場合は、治療費と引き替えに、相手の業想念をもらうことになるのです。
儲け過ぎは、それ以上に大きい業想念を背負うことになるのです。

 貸し借りは、因縁因果の法則によって厳然と精算されるのです。
病気の原因となる業想念も、種類が多いのです。
どんな因縁があるのかを、しっかりと見抜く必要があるのです。











治病の種々相


① 本心の自分の自覚を深め、その全知全能無限力を発揮すれば、霊魂魄の自分の状態を自由自在に変えることができるのです。
自分の力で、祈りの力で、只で、自他の病を治せるのです。


② 信仰を深め、心を整えることによって、高級神霊(仏、菩薩、大天使、救済の神々、守護の神霊)の助けを受ければ、病気の根本
   原因である業想念を浄め(浄霊)、病気を治してもらえるのです。
    業想念を強烈な光で消し去ることによって、奇蹟が起こる。


③ 代償を支払うことによって、業想念を取り去ってもらえば(除霊)、病気が治るのです。
   願掛け、お百度、供養、喜捨、厄除。


④ 治療費を支払うことによって、業想念を引き受けてもらえたら、病気は治るのです。
   不労所得、あぶく銭には、業想念が付着しているのです。
   そんな汚いお金では、業想念を引き受けてもらえないので、病気は治らない。
   プラスのきれいなお金ほど、効果は大きい。
病気の原因の一つには、不労所得を手中にして、業想念を背負った為に、病気になっていることも多いのです。







どんな病気が
蔓延しているかを見れば、
その時代の世相・人心の状態が判るものです。

現代の5大疾病は、
がん
脳卒中
急性心筋梗塞
糖尿病
精神疾患です。

5大疾病に照らして、世の中のありさま、
人の心を推理してみましょう。

病気は人の心を写し出す鏡です。





① 癌

 品を山のように積み重ねる病、すなわち財産欲が強いことを現しています。
 自分さえ良ければ、自分の家庭さえ良ければ、自分の会社さえ良ければ、自分の回りさえ良ければ、・・・・・等々、利己主義、マイホーム主義、賃上げ競争、競争主義、金儲け主義、島国根性、覇権主義・・・・・等々の人の言葉・心・行い、および世の中のありさまが推理されます。
 他を侵略し、奪い取るようなら、悪性です。
他からの忠告も無視するようなら、頑固さも本物です。

 同じ時代に同じ世界に一緒に住んでいるということは、波が合っているからです。換言すれば、すべての責任は共同責任であるということです。
 一人でも病気になる人が居たら、みんなの責任です。
 その根本原因を正してゆく責任があるのです。

 みんなの幸せを願って、本当に必要なものを与え尽くし合う、思いやりのある生き方、世の中になれば、癌は消滅するのです。

 五欲の心に負けないで、本心の愛の心をしっかりと生きることが大切です。






② 脳卒中

 脳は全身を全体をすべてを統率する指令系統の中枢です。
そこが破壊され、機能していない状態です。

 人は本心が無限に輝き、生命(霊)線が太くなり、心(魂)が明るくプラスになり、肉体(魄)は元気はつらつとなるのです。


(1) 本心の自分を忘れ、輝いていないのです。
(2) 霊主体従の神律からはずれているのです。
(3) 肉体人間だけの小さな生き方になっているのです。


脳は一番上の頭に在るのです。
上に在るものがないがしろにされているのです。


(1) 真(まこと)の神さまを、本心の自分を無視している。
(2) 魂の親、生命の親とも言える、守護霊・守護神を無視している。
(3) 先祖を、親を、師を、上司を、先輩等々を無視している。



③ 急性心筋梗塞

 心臓は最も大事なもの(血)を与え尽す、循環機能の中枢です。
 心臓の働きが止まれば、即全体の死滅につながるのです。


(1) 部分が、全細胞が、恩返しに生きることによって、心臓のポンプは無理なく自然に動くのです。
   みんなが社会全体の恩返しの心で、本当に必要なものを与え尽し合っていないのです。


(2) 不必要な物、害になるもの、汚れが大量に世の中に流れているのです。


 恩返しに生きること、毒害を流さないこと、これが実行できたら、世の中から心臓病は消えるのです。









④ 糖尿病

 大切なエネルギー源となるブトウ糖が尿にまで溢れ出て、マイナスの働きをする状態です。


 本当に必要なものが、本当に必要な時に、本当に必要な所へ、本当に必要なだけが、循環していたら、マイナスとなる問題は起こらないのです。
 
 
 どんな必要な物も、多過ぎたら、邪魔になるのです。
 
 
 (1) 必要以上にぜいたくをしているのです。
 (2) 必要以上に貪っているのです。
 (3) 大切なものを無駄に捨てているのです。
 
 
 衣食住も、社会全体も、本当に必要なだけが理想です。
 
 
 大自然を破壊せず、大自然から奪わず、大自然から喜んで捧げ尽してくれるものだけで満足できてこそ、大調和の理想の世界になるのです。

⑤ 精神疾患

 運転者(霊)はハンドル(魂・心)を回して自動車(魄・肉体)を動かすのです。このハンドルが壊れた状態です。


 言葉を自由自在に選ばない、選べない状態です。
 心・精神をコントロールするのは、言葉なのです。


 心に何でも無防備に受け入れるのは間違いです。
 本当に必要なプラスのものだけにしておかなければ、ハンドルは重くて回らなくなるのです。
 マイナスの情報を取り込んだら、心というハンドルは重くなって、壊れるのです。


 過去のマイナスを一切受け入れないことです。
 新たなプラスだけをしっかりと選んで受け入れることです。


 過去のマイナスを言葉にしたり、記憶に記録に残すことは、大きな間違いなのです。




地 図

 正しい道を見つける為には、正しい地図を完成させる為には、ありとあらゆる苦労を、万倍以上の苦労を、喜び勇んでする覚悟が必要です。
 危険な落とし穴や迷路が一杯ある中で、正しい最短コースの道を探し出すということは、並大抵の努力では不可能です。
 大勢が支え合い、助け合わなければ、部分の地図も作れないのです。落とし穴から抜け出す方法一つとっても、大変なことなのです。


 正しい道を教えてもらっても、感謝して歩むのでなければ、その道を歩む資格は無いのです。文句を言った分だけ、道から外れてゆくのです。


 山の頂上へ到る道も、麓には沢山の道があっても、すべてが頂上にまで通じているのではないのです。
 途中までの道なら、いろいろな沢山の道があっても当然です。頂上までとなると、わずかな数に限られてくるのです。
 険しい道、なだらかな道、危険な道、安全な道、等々いろいろな道があるのです。


 全体を大きく眺められる人は、迷わないのです。
 小さい部分にとらわれた人は、迷ってしまうのです。
 全体の地図を、縮図を、模型を、いつも携えて歩むということが、人生を正しく歩む為には、絶対に必要なことです。
 自分一人で全体の地図を完成させるのは、至難の業です。
 みんなの助けを受けて、みんなで支え合いながら、地図を完成させることが一番大切なことです。人生の正しい目的に向かって、最終ゴールへの最短コースを歩む為にも、一番大事なことです。
 地図には種々様々な種類があるのです。
 心の中を常に整理整頓してゆくことが必要です。
部分を断片をキチッと整理整頓してゆけば、地図になってゆくのです。

 人生行路を歩む時に、目的地への地図があると、迷わずに最短コースを進むことができるのです。
 その時その時に種々様々な目的を持って歩むときに、いろいろな詳しい地図があると、どれだけ有り難いことか、地図の無いときと比較してみるとよく判るのです。
 先達、先輩たちの苦労の結晶として、種々様々な地図が作り上げられているのです。それらを感謝で受けて活用するということは、とても大事なことです。いろんな意味の無駄が省けるのです。
 その恩返しに自分たちも、みんなの為によりよい地図を作って残してゆくということが大切です。

 地図に相当するものとしては、
① 真理、いろいろな法則、原理、道理
② 鳥瞰図(高い所から見下ろし眺める)、縮図、投影図
③ いろいろな模型、お手本、型
④ 公理、定理、公式、仮説
⑤ 定石(囲碁の最善手)
  定跡(将棋の最善手)
  のようなもの
⑥ 周期律表、循環律表
⑦ 予報、予測、統計
⑧ 運命学、予知

       



別ページ(P.52、53)























子供の諸病の直接原因は、親の心の持ち方の間違いにあることが多い。
  長男と女の子は主として父親の因果を受ける、
  次男以下の男の子は主として母親の因果を受けるのです。

子は親のどこかに似ている、または祖父母のどちらかに似ている。
  子は前世(過去世)で造った因果応報の親を選んで生まれる。
  親は前世(過去世)で造った因果と、現世で造った因果応報の子が授かる。
  親が悪事をすれば、子にも同じ罪があり、因果の上から見れば同罪です。子も前世に同じ悪事をしているから。


祟り(たたり)

    精神分裂 恨みを持って死んでいる霊魂の憑依
    テンカン 近親者で成仏できない霊魂の憑依
    アルコール中毒  浮かばれない霊魂の憑依
    脳性小児マヒ 足が立たない恨みの霊魂の憑依
    たたり 浮かばれない恨みの霊魂の憑依
    破傷風で死んだ子 親が蛇とりで、蛇がのたうちまわるように死ぬ
    牛のような顔の子 親がと殺の仕事で、殺生に反省が無い
    足の指が六本ある子 親が獣医で動物の生体解剖をして殺生をしている



 自分の身代わりに、マイナスを背負って、助け続けてくれている存在に、気付かせようとしてくれているのが、種々の祟りのすがたです。
 親と子とは別人格だから、すべて個別というのは、浅い狭い見方であって、間違いです。
 親と子とは本来一つ、一体です。(波が合っている)
 因果も同じものを持っているのです。
 親がマイナスを持っていたら、子も同じマイナスを持っている。
 逆も同じです。
 親の罪は子の罪です。子の罪は親の罪です。
 親と子は合わせ鏡のようになっていて、自己練磨の為に助け合い支え合うように仕組まれているのです。

 根本の原理は、真(まこと)の神さまと真(まこと)の自分の関係にあるのです。
 真(まこと)の神さまをどのように見たか、それが周りのすがたです。
 真(まこと)の神さまをどのように見て受けたか、それが自分です。
 だから自分と周りのすがたは、同じ一つのものなのです。

 自分の世界にマイナスがあったら、それは自分のマイナスです。
 他を変えようと、いくら鏡を拭いても、変わらないのです。
 自分を変えたら、鏡に写るすがたが変わるのです。
 自分をマイナスからプラスに変える為には、真(まこと)の神さまを、真(まこと)のプラスを受け入れたらよいのです。

 真(まこと)の神さまだけ! 真(まこと)のプラスだけ!
ありがとうございますと一心不乱に祈り続けたら、必ず変わるのです。




この世は何のためにあるのか?

 この世とあの世の大きな違いは、この世は、あの世の縮図に成っている点です。この世は、あの世をそのまま映し出すのではなく、万分の一、億分の一、無限分の一、必要なだけの相象を映し出しているのです。


 あの世では、自分を鏡に写して、自分とそっくりな姿だけを周りに見るのです。波の合うものしか自分の周りに現れないので、同じチャンネルにいつまでも留まることになって、惰性に流された生き方で、進歩向上できないのです。
 この世は、あの世の縮図を参考にして、どのチャンネルでも選ぶことができるのです。それ故に自分を急速に向上させることができるのです。


 人は、自分の心の波長に合った一つの番組を選んで、その番組のストーリーを味わっているのです。同じ心の状態の人はどこにもいないのです。自分の見ている番組は、自分一人だけが見ている番組です。
 この事さえ理解できれば、自分の番組の切り替えは、自分の自由意思で自在にできるのです。
 例え、今地獄番組を見ている自分であっても、プラスの言葉を駆使して自分の心をプラスに変えれば、極楽番組を見ることができるのです。
 プラスの番組を見たいのであれば、プラスの言葉を駆使し続けたら、言葉通りに番組は置き変わって来るのです。


 あの世は、自分と同じ波を持ったものしか現れないのです。階層が厳然と分けられていて、一段階、上に登るだけでも大変なのです。
 この世では、あの世にある十界すべての世界と繋がる光を降り注ぐパイプを持っているので、どの段階にも、自由自在に波を合わせることができるのです。

 あの世では、波が違えば出会うこともできないのです。地獄に救いに降りようとしても、自分自身が地獄の亡者になってしまうのです。
 あの世で直接救いに降りるのは大変なので、神さまによって、この世が用意されたのです。


神さまは何故、この世を作られたのか?
あの世を救う為なのです。


 真(まこと)の神さまの直接の光は、あの世では強すぎてすべて消し去られてしまうのです。この世に生まれて来る者は、光をやわらげてあの世へ投影するお手伝いをする為に生まれて来たのです。

 この世に生まれてくるものは、多くの神々・縁者に助けられて、六道より上へ、引き上げて頂いた恩返しに、今度は、自分が低い世界を救おうと、祈りに祈って縁者を救い上げようと、この世に生まれ変わらせて頂いたのです。
 救いに立つ人で無いと意味が無いのに、本心の自分を忘れている人がほとんどなのです。

 この世は、真(まこと)の神さまの本当の光を降ろし、あの世全部に投影して変える為のひな型となっているのです。その為に先ず日本を用意して、世界を変え、この世を変えたら、今度はあの世を変える何重もの計画が用意されているのです。

 種々様々なこの世のマイナスの言葉の縛りから自由にならないと、本当の使命を全うすることはできないのです。
 真(まこと)の「ありがとうございます」をしっかりと唱え続けたら、すべての言葉の縛り、自己限定は消え去るのです。


 この世は、無限に無限に積み重ねた、あの世の業想念を消し去る為に、特別に用意されて世界です。
あの世の業想念(ゴミ)を、焼却する為の焼却炉です。


 あの世は次から次へとマイナスの言葉を積み重ねて、マイナスの無限に厚い層になっているのです。
 一番下に閉じ込められた地獄の亡者は、無限に大きい苦痛を味わっているのです。上から順に助けるのでは、一番下が最後になるのです。
一番下ほど早く救出しなければならないのです。
 その為に横から掘って救出しようとするのです。
 その為の縦穴がこの世に当るのです。
あの世全体から見たら、万分の一以下の縦穴です。
 この縦穴を使って横に掘り進んで、埋もれた人を救出しようとしているのです。掘り進んで出て来るマイナスの言葉(腐って汚泥になったもの)を、順番に焼却して消し去る必要があるのです。


 この世の一人一人は、その為の焼却炉の役目を担っているのです。
 焼却炉を最高の状態にする為には、一番下から点火して、よく燃え上がるようにしなければならないのです。
 焼却炉の内部が燃えにくいゴミで一杯では、上からいくら点火しても役に立たないのです。一度すべてのゴミを外に出して燃えやすいゴミを先に燃やして温度を上げてゆくことが必要です。


 その為には先ず心の大掃除が必要なのです。
 次にマイナスを消し去ることのできる、真(まこと)のプラス(熱線)を加え続けることが必要です。
 即ち真(まこと)の「ありがとうございます」を祈れる自分に成ることが、焼却炉として働ける自分です。

 この世のすべての人が焼却炉になって、万倍以上のあの世の業想念(ゴミ)を、一刻も早く焼却して、埋もれた人を救出しなければならないのです。
 それなのにこの世の人の万分の一に一人も、焼却炉になって働こうとしていないのです。

 この世は、あの世を救う為に、存在しているのです。
 この世の人は、あの世を救う為に、生かされているのです。

 自分のゴミ箱にして文句を言っても通用しないのです。
本心の与える心になって、他を救う為に生きれば、焼却炉としての天命を完うできるのです。
 引き受けるごみの量が、多ければ多いほど、不完全燃焼になって、黒い煙も汚ない灰も一杯出て来るのは当然です。この世の人の焼却炉に溜まったゴミを焼却するだけでも、万倍の量のゴミを焼却しなければならないのです。
 更にその上にあの世から次から次へとゴミの山が送り込まれて来るのです。一刻も早く、一人でも多く焼却炉がフル稼働するように、みんなが支え合い、助け合わなければならないのです。


 その為にこそ、
真(まこと)の「ありがとうございます」の祈りを、
真(まこと)の「ありがとうございます護摩」を、
与えられているのです。
 真剣に実行し、
活用することが大事なのです。



本心の自分に戻る為には

 業想念の奴隷状態から抜け出して、自由自在な本心の自分に戻る為に必要なことは、

       過去をつかまないようにすること。
  ① その為には過去世に積み重ねた無限の無限の業想念を、マイナスは億万分の一に軽減しながら、一瞬一瞬新たに形に現わ
   して、消し去って下さっているのだと確認し、感謝し喜ぶこと。

       マイナスの一言を使わないようにすること。
  ② その為には、すべてをプラスに数え上げること。すべてをプラスに翻訳すること。新たなプラスを受け直すこと。

       新たに新たに受け直すこと。
  ③ 恩返しに生きて、古い自分を捧げ尽して、新しい自分に置き換えること。

      
  ④ 自分の世界は自分の心の投影だから、自分の世界全体が自分自身であると明確に知ること。

      
  ⑤ 自分の世界全体を、新たに新たに受け直し、置き換える為に、大きく大きく眺めること。

      
  ⑥ 一大循環の流れの後押しを受ける為に与え尽す生き方に徹すること。

       一大循環の順流の流れの中に自分を置いて、自分の世界全体を背負って祈り続けること。
  ⑦ 自分の世界全体が大きい流れに洗い浄められて、マイナスからプラスへ、プラスから更に大きいプラスへとどんどん
       大きいプラスへ変わってゆくのを眺めるだけ。

      
  ⑧ 一大循環の流れの中に立つ本心の自分は、真(まこと)の「ありがとうございます」を祈り捧げるだけです。

真(まこと)の「ありがとうございます」の祈りの行は、

1.廻向の行 (真(まこと)の神さまに心を向ける)
2.称名の行 (真(まこと)の神さまの御名を崇める)
3.対面の行 (真(まこと)の神さまだけと出会う)
4.感謝の行 (真(まこと)の神さまのすべてを受け直す)
5.讃嘆の行 (真(まこと)の神さまを最高にほめたたえる)
6.恩返しの行 (自分のすべてを捧げ尽す)
7.絶対奉仕の行 (真(まこと)の神さまのお手伝いに生きる)
8.全託の行 (真(まこと)の神さまにすべてをお任せする)
9.交流の行 (真(まこと)の神さまとの与え尽し合いに生きる)
10一体化の行 (真(まこと)の神さまに同化する)
11愛の行 (真(まこと)の神さまを愛する)
12悟りの行 (真(まこと)の神さまとの差を取る)

を同時に行じて、真(まこと)の神さまのお手伝いに生きるのです。
真(まこと)のありがとうございます

 真(まこと)の神さまの世界は、一大循環の調和した世界です。
 必要な物を的確に与え合う、一大調和の支え合いの世界です。
 真(まこと)のプラスが降り注ぐ、順流の流れの世界です。
 新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!
 新たなる無限の無限のプラスが無限に無限に一杯!です。


 過去をつかむと、新たな受け直しができなくなって、過去の残像の世界に、虚の世界に陥るのです。
 そこはプラスの少ない世界、マイナスの世界になって、マイナスの言葉を使うようになるのです。マイナスの言葉がどんどん積み重なって、業想念の厚い層が生まれるのです。業想念の厚い層に閉じ込められたのが、七難八苦の世界です。
 七難八苦から自由になる為には、業想念を消し去らなければならないのです。
 マイナス(-・横線)に、真(まこと)のプラス(|・縦線)を無限に一杯浴びせ続けたら、マイナスは消えてゆくのです。
 虚のプラス(+・横線のある縦線)では、マイナス(横線)が積み重なるだけで、マイナスを消し去ることはできないのです。


 過去をつかんで受けて、「ありがとうございます」と言うのは、虚のプラスの言葉であって、マイナスを業想念を消し去ることはできないのです。
 真(まこと)の神さまの絶対の中心から、無限のスピードで降り注ぐ、真(まこと)の『ありがとうございます』は、縦線だけのプラスなので、すべてのマイナスを業想念を消し去ることができるのです。


 この世のすべては、遠い昔の過去の残像が、移り変わり消え去っているだけです。
 本心の自分から眺めるとき、この世のすべては遠い昔の過去の残像の消えてゆくすがたです。
 過去の残像は真(まこと)の自分では無いのです。
 過去の残像は、言葉でつかんだだけの にせの自分です。
 過去の古いにせの自分を、順番に消してゆくだけです。


 真(まこと)の自分は、一瞬一瞬新たな、一大循環の相象の自分です。
常に常に新たな自分です。


 求める心・受ける心で唱える「ありがとうございます」は、真(まこと)の「ありがとうございます」にはならないのです。
 与える心・本心の心で唱える「ありがとうございます」は、真(まこと)の「ありがとうございます」を祈っていることになるのです。


 求める心・受ける心では、自分に必要なだけを受けて、他にあたえるものまでは、受けていないのです。
 他のすべてに与える分を受けていないから、まだ本物ではないのです。


 与える心になって、真(まこと)の神さまの応援・後押しを受けたら、一大循環の相象が自分に流れ入って来るのです。他のすべてに与える分を受けることができるのです。
 これが真(まこと)の「ありがとうございます」になるのです。


 真(まこと)の自分・本心の自分は、業想念と一緒に焼かれて、火の洗礼を受けても、焼けて灰になったり、消えるのでは無いのです。
 白金のように、不死鳥のように、蘇って輝くだけです。
 業想念を自分と思い違えたら、消滅させられるのが恐くて逃げ出すのです。


 本心の自分は喜び勇んで、火の洗礼を受けるべきなのです。火の洗礼を受けて、すべての汚れ(業想念)を消し去ってもらうべきなのです。


 火の洗礼を受けるとは、ひたすら「ありがとうございます」と唱え続けて、真(まこと)の神さまの中へ飛び込むことです。
 そうすればすべての汚れ(業想念)が消し去られて、本心の自分が復活し、無限に輝くのです。本心の自分を無限に輝かせたら、この世も霊魂魄の自分も、プラスだけになってゆくのです。













 無限のマイナス・借り・罪・業想念を、積み重ねてしまった自分にとって、救われの道は、ただ一つです。
 それは、真(まこと)の神さまの愛と赦しを受けることだけです。

 無限の業想念を消し去ってもらわない限りは、業の流転によって、マイナスは大きくなる一方です。
 真(まこと)の神さまの助けを受ける為には、波を合わせることが、必要不可欠です。真(まこと)の神さまに波を合わせるということは他のすべての罪を赦すことから始まるのです。


 他を責め裁けば、自分も責め裁かれるのです。
 他を赦せば、自分も赦されるのです。
 目には目を、歯には歯を、の因縁因果の法則です。


 現実(過去)をつかんで責め裁けば、自分の過去世の無限の罪も浮かび出て来て、責め裁かれることになるのです。これでは永遠に救われることはないのです。

 自分自身の身口意の三業が、周りの鏡(環境)に写し出されて、地獄絵図を表すものです。
 自分が愛と赦しの生き方になれば、周りのすべてから、愛と赦しの助けが降り注ぐのです。否、元始めから真(まこと)の神さまの無限の無限の愛と赦しは、降り注いでいたのです。
 波が合えば、気付くのです。

 真(まこと)の「ありがとうございます」は、愛と赦しの祈りです。
 すべての罪を赦し、すべてを愛する祈りです。

 どんな時にも言葉をプラスに使う方が、神さまの助けが大きいのです。「風邪を引いた」と言うよりも、「風邪が出た。心の中の汚れが消えた」と言う方が、早く快くなるのです。




 「風邪が出て大変!」と言うよりも、「心の中の業想念を、神さまの光で消してもらっている。心の大掃除!ありがとうございます。」と感謝する方が、すべてがプラスに好転するのです。




 「働き過ぎて、疲れた」と言うよりも、「働くほど、神さまのエネルギーをもらって、元気になる」と言えば、疲れも取れるし、疲れなくなるのです。




 花粉を悪者扱いしないで、「花粉を吸えば、元気になる」と言えば、花粉症も消えてゆくのです。
 他に向けたマイナスの言葉は、必ず大きなマイナスになって、自分にはね返って来るのです。




 万物の霊長である人間が、ウイルスや細菌などの微生物に負けるということはあり得ないのです。
 人がすべてに感謝して、すべてを味方にして、すべてを従わせたらよいのです。みんな喜んで協力してくれるのです。
 マイナスの言葉を使って、他を悪者扱いした分だけ、そのマイナスは大きくなって自分に返って来るのです。





 同じ一つのすがたを見る時に、プラスの言葉を使えば、プラスに見えるのです。マイナスの言葉を使えば、マイナスに見えるのです。すべて言葉通りに見えるのです。
 「風邪を引いた」と言えば、邪が心に入るのです。
 「風邪が出た」と言えば、邪が心の外に出るのです。




病気をマイナスに見ないことです。
病気は心に蓄積した業想念を消し去る働き。
大病するほど心が清まる。
有り難い!




 周りの人が病気のときは、自分の身替りにマイナスを消し去って下さっている。
 ありがとうございますと感謝することです。





 熱が出たときには、神さまの光で心の中のマイナスを消し去って下さっているのです。





 肉体は自分の信念を写し出すのです。
 完璧な自分という信念の持ち主は、健康です。





 食中毒も病原菌のせいにするのは間違いです。自分に他を攻撃する心が無ければ、軽く済むのです。病気を軽減するお手伝いをしてくれているのです。
 病原菌では無く、病減菌なのです。

 病気は借金返しです。
過去世からの借りが、業想念となって心に蓄積しているのです。それを消し去る為に、病気になるのです。
 病気になったら、借金返しができると、感謝して喜ぶことです。





 「肉体は心を写す鏡」
病気の種類で、心の状態が判るのです。
 必ず心の反省材料として出て来るのです。
 本心の心を忘れたら、マイナスの心になるのです。
 早く幸せ一杯の本心の心に戻りなさいと教えてくれているのです。





 健康に感謝できなかったら、無いのと同じです。
だから病気になるのです。
病気になって、始めて健康の有り難さに気付くのです。
健康に感謝して喜ぶことが、健康増進の秘訣です。


 本当の名医は、本心の自分です。
本心の自分を呼び出せば、どんな病気でも瞬時に治せるのです。





 本心の自分を呼び出す方法は、世の為、人の為に、生きようとすることです。
感謝を深めて、恩返し一筋に生きようとすることです。





 昔ある人が通りすがりのお坊さんから、「あなたの顔には死相が出ている。3日以内に死ぬでしょう」と言われたのです。それならば心の準備をしてお迎えを待ちましょうと思ったのです。
 その帰途に水たまりに小魚がいるのを見て、このままでは死ぬに違いないからと川へ運んで放したのです。
 その因縁によって寿命が延びて幸せな一生を送ったという。






 昔から不治の病でも、絶対安静という病でも、同じ死ぬなら、死ぬ寸前まで、世の為・人の為に恩返しに生きようとした人は、病気も治る人が多いのです。
 病気が治ってから恩返しをしますというのでは、本心の自分を引き出せないのです。本心の自分は、万病を背負った状態でも、世の為・人の為に生きることができるのです。





 どんなに心が立派でも、どんなに愛深い心でも、病苦を背負うときがあるものです。
 自分の過去世に助けてもらった恩返しの為に、誰かのマイナスを身替りに背負うこともあるのです。





 家族の間で助け合うときには、身内の誰かのマイナス(病苦)を身替りに背負うこともあるのです。この人は今病気になったら困るというときは、別の人が身替りになったり、大事にしているペットや草木や家具等が振り替えて助けてくれるものです。






 この世の人が本当に困っている時には、あの世の人が身替りにマイナスを背負って助けてくれることも多いのです。





 あの世からのたたりや憑依によってこの世の人が苦しんでいるという場合でも、あの世の人のせいにするのは間違いです。
 すべてのマイナスの責任を自分に持って来なければ、根本解決はできないのです。
 あの世の人が先に自分のマイナスを身替りに背負ってくれていると感謝することが大切です。
 そうすれば、マイナスは早く消えるのです。
 反対に他人のせいにすると、マイナスは大きく殖えるのです。





 心に蓄積した七難八苦の思いは、肉体を通して病気というすがたで押し出せば、心は軽くなるのです。
 心の痛みよりも、肉体の痛みの方が、軽く済むのです。






    祈りで病気を治す為には、
 ① 肉体の病気をつかまないこと
 ② プラスの信念を作り上げること
 ③ その為には本心の自分を言葉にして、真(まこと)の自分は、完全円満完璧、金剛不壊、元気はつらつ、無限健康、完全健康、真清浄、永遠不滅、
   無限に輝いている・・・・・
   と、断定的に言葉を使うことです。





 虚の世界はすべて言葉通りに成るのです。
 プラスの言葉を使えば、プラスに成り、マイナスの言葉を使えば、マイナスに成るのです。
 健康と言えば健康に成り、病気と言えば病気に成るのです。
 言葉が先(原因)で、現実は後(結果)です。





 真(まこと)の神さまだけ!真(まこと)のプラスだけ!一大循環の相象だけ!
すべて完璧!
 真(まこと)のプラスの言葉を駆使して祈り続けたら、真(まこと)の神さまからのプレゼントは受け取れるのです。

 真(まこと)の神さまは、褒め称え・感謝し・喜んだら、直ぐに飛び出して来てくれるのです。
 愛のプレゼントを無限に一杯!届けに来てくれるのです。





 ここにマイナスがあると言えば、真(まこと)の神さまを悪者にしているのです。それでは真(まこと)の神さまは逃げてゆくのです。
マイナスに見てご免なさい。
真(まこと)のプラスだけです。
ありがとうございます
と言えば、真(まこと)の神さまは出て来てくれるのです。





 病気もマイナスも恐れる必要は無いのです。
 真(まこと)の神さまから、無限の健康を、無限のプラスを受け取ればよいのです。
 無限健康をありがとうございます。
 無限のプラスをありがとうございます。



 マイナスの言葉を使うということは、毒ガスを撒き散らしているのと同じなのです。無知なるが故に、平気で殺人を犯し続けているのです。
 因縁因果の法則によって、すべて自分の報いられるのです。





 自分の周囲に病気の人がいたら、病気があると認めてご免なさい。みんな無限健康・完全健康・完璧です。
ありがとうございますと祈り続けることです。





 世の中からマイナスの言葉を根絶すれば、世界の病い、国の病い、社会の病い、人の病いは消え去るのです。





 この肉体は、身体(からだ)・空(から)だ・光のパイプです。
 本心の光を光のパイプに流し入れて、波の合うあの世の縁者を救う為のものです。


 すべてに対して、本当に必要な物を、的確に与えられたら、全体は大調和するのです。
 人体でも社会全体でも、本当に必要なものが、正しく循環していたら、みんな健康になり、みんな幸せになるのです。
 真(まこと)の神さまの一大循環の相象に合わせる方法は、真(まこと)の「ありがとうございます」を唱え続けることです。
 すべての循環が正しくなるのです。





 本心の自分の全知全能無限力が輝き出てくれば、すべては調和するのです。
 肉体の頭脳の知識や経験には、なんの力も無いのです。
 科学万能とうそぶいても、不調和が殖えているだけです。
 先ずは本心の自分を呼び出すことです。
 真(まこと)の「ありがとうございます」を唱え続けたら、本心の自分に戻れるのです。










 子供の難病の多くは、以下のような目的を持っているのです。
① 親の心の反省材料
② 子供の魂の急速な浄化
③ 縁者の救済




 幼くして無くなる子供の魂は、高級な魂が多いのです。
多くの縁者のマイナスを、身替りに背負って消し去る為です。




 うつ病はマイナス思考になって、マイナスの言葉を沢山使い、マイナスの想念感情を、心に溜めこんだ結果です。
 プラス思考になって、プラスの言葉を沢山使えば、すぐに良くなるのです。





 プラスの言葉だけを使っていたら病気にはならないのです。
 心に蓄積したマイナスの言葉を消し去れば、すべての病気は消え去るのです。

 高い治療費を払ったから、病気が治るのでは無いのです。
心の中の業想念を取り除けば、治るのです。
 治療費と引き換えに取り去ってもらった業想念が、新たに積み重ねた業想念よりも多ければ、その差の分は必ず好転してゆくのです。





 順境に置かれると、感謝を忘れるのです。
 何でも当たり前になったら、感謝を忘れるのです。
 順流に置かれた時こそ、感謝を深くしてゆくことが大切です。
生かされている! ありがとうございます。
呼吸ができる! ありがとうございます。
心臓が動いている! ありがとうございます。
目が見える! ありがとうございます。
指が動く! ありがとうございます。





 マイナスの言葉を使って、病気になる前に、プラスの言葉を使って、健康を増進することです。


 病名をつけたら、その病気を生み出しているのです。
病名の数だけ、病気がふえるのです。
 心の中のマイナス(業想念)を、消し去っているだけと言えば、病名を付けなくて済むのです。病気を言葉にすれば、病気をつかんで消えにくくなるだけです。





 言葉が大事なのです。
 病気と現れて、心のマイナスが消えたと言えば、病気が消えてゆくのです。
 病気になって大変!と言えば、心にマイナスを積み重ねて、病気をふやしているのです。





 現実は過去の言葉の結果です。
 過去のマイナスの言葉の結果が、病気です。
 今プラスの言葉を使えば、未来に健康という結果が現実化するのです。




 健康は元から降り注いでいるのです。真(まこと)の神さまから、無限健康・完全健康が、降り注いでいるのです。
 細胞一個も、神さまの知恵と力で、大調和に生かされているのです。人の知恵と力で、健康を作り出す必要は無いのです。人が神さまの働きの邪魔さえしなければ、健康は崩れないのです。





 どんな病気も、人がマイナスの言葉で、健康を拒絶し、健康を破壊し、修復の邪魔をしているからです。





 自然に循環して来る、本当に必要なものを、的確に受け続けたら、健康は保たれるのです。すべては神さまのお蔭です。
 ありがとうございますと全託すればよいのです。





 すべては、真(まこと)の神さまの愛の働き・愛の現われです。
 真(まこと)の神さまがすべてを通して、支え・助けて下さっているのです。