ありがとうございます 神書 3-9

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謙虚になってこそ、感謝は無限に…


 謙虚になってこそ、感謝は無限に深められ、本心は無限の輝きを放つのです。真実の祈り・真実の感謝とは、暗黒の極・マイナスの極・地獄のどん底に立って、一瞬一瞬新たに、『天照大御神 今・ここに 在します』と、全徳の無限の無限の輝きを、心にしっかりと受け入れることです。




 宇宙絶対神が与え続けて下さっている、全徳の無限の無限の輝きは、本心の自分をしっかりと自覚して、謙虚に感謝を捧げてこそ、心に感受できるものなのです。全大宇宙のすべてのすべては、善くなるように・良くなるように・好くなるように・よくなるようにと、一瞬一瞬変化し続けているのです。これは厳然たる真実なのです。ところがそのように感受できるのは、本心の感謝の心だけなのです。本心の心をしっかりと呼び起こして、謙虚に感謝し続けてこそ、一切はプラスにプラスに好転してゆくのです。それは宇宙の生成発展の順流の流れに、素直に随順しているからこそ、日に日に善くなる姿となって現れるのです。




 この反対に、傲慢な心になって、感謝を忘れた生き方に陥ると、神さまの愛を拒絶してしまうのです。順流の流れに逆らった、マイナスの生き方になって来るのです。そうなると一切はマイナスにマイナスにと、悪化の一途を辿るようになるのです。業想念(傲慢な心・欲深い心)の奴隷となって、我の心を主張すればするほどに、神さまの与えて下さる愛の助けを拒絶することになるのです。プラスのものを破壊し、マイナスを増やし、プラスの少ない、マイナスの多い姿を現実化してゆくのです。感謝の生き方の中で現れてくるものであれば、どんなマイナスもプラスに変化してゆく為のものです。ところが感謝を忘れた生き方の中で現れてくるものは、どんなマイナスも更にそのマイナスを大きくしてゆくことになるものです。




 謙虚に感謝する本心の心であれば、どんなに辛い境遇に置かれても、こんなに楽な状態にしていただいて、なんと有り難いことよと、その置かれた境遇の中で、さらに感謝を深めてゆこうとするものです。ところが傲慢な業想念の心に陥ると、もっと楽な状態を求めて、不平・不満・不足の心を起こすのです。過去世からの罪の償いをしようともせずに、万分の一の軽さにしていただいた小さな苦労にも耐えようとしないで、わがままな無理な要求を、神さまに突きつけるのです。




 この世は過去世からの業想念を消し去る為の、罪を精算する為の、借金を返す為の、修行の場なのです。この一生が七難八苦の連続であっても、喜んで喜んで、その苦痛に耐え抜かなければならないものなのです。それでこそ本心の自分を生きていることになるのです。救われるのは、幸せになるのは、この本心の自分であって、業想念の心の自分では無いのです。