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真祈りに生命を捧げる人が必要


 真祈りに生命を捧げる人が必要なのです。人類に本心が輝き、地球に平和が実現する為には、過去世から積み重ねられた業想念を、消し去ることのできる、『力ある真祈り』が必要なのです。現在の地球は、大きな業想念の重みに、押しつぶされそうになっているのです。今まさに業想念は、轟音を発して大きく崩れ去ろうとしているのです。地球は地獄絵図を現出して、滅亡してもおかしくない状態です。人類は噴火山上で逃げ場を失って、踊り狂っているような状態です。




 現実だけを冷静に眺めても、地球人類が救われる可能性は、誰の目から見ても絶無に近いのです。溜まりに溜まった業想念は、必ず自壊するのです。幽界の地獄絵図が、現実に浮かび上がろうとしているのです。守護の神霊の加護によって軽減してもらっても、この世の七難八苦となって噴き出して来るのです。




 この世の七難八苦を、大難を小難に修正していただいたのだと、感謝の心で受け続けることができたら、少なくとも十人に一人がそうなれたら、地球は救われるに違いないのです。しかし現実にはそうなる可能性も夢のようです。それならば『力ある真祈り』に生命を捧げようとする人が、少なくとも万人に一人は、出現してこなければならないのです。現実に幾ら改革を叫んでも、理想論を並べ立てても、業想念を消し去る力がなければ、無力に等しいのです。悪を責め、欠点を指摘するたけでは、火に油を注ぐようなものであって、滅亡へ拍車をかけているだけです。




 自分の生命を捧げ尽くし、自分の全てを与え尽くすほどの真剣さが無ければ、神さまの助けを大きく受けることは不可能なのです。大きく与えてこそ、大きく受けられるというのが法則です。神さまに対して大きく与え尽くす人にして、初めて神さまから大きな助けを受けることができるのです。そのような人でなければ、地球救済の為の本当のお手伝いはできないのです。自分の小さな願いを実現する為に、神さまを利用しようとするような祈りでは、地球の救済には何の役にも立たないのです。また自分が立派になってから、余裕ができてから、神さまのお手伝いをしようなどと考えていては、今の緊急時には間に合わないのです。




 大きな業想念を持ったままでよいから、血の涙を流すほどの真剣さで、『どうか私の生命を神さまのお役に立てて下さい!』と、自分の全生命を投げ出さなければならないのです。今一番必要とされているのは、業想念を消し去る為の真祈りなのです。真祈りに全力で・命懸けでぶつかってゆく勇気を奮い起こさなければならないのです。真祈りに生命を懸けて、その為なら、『餓死しても本望である』と言える人を必要としているのです。神さまの大きな力は、そのような人に降ろされるのです。