ありがとうございます 神書 3-51 無限の安らぎが一杯!
備えあれば憂いなし
『備えあれば憂いなし』とは至言です。何事も未来に起こることを予知して、それに対して的確な準備を施してゆけば、困ることは何一つとして無いのです。神さまは常にあの手この手を使って、多方面から導き続けて下さっているのです。
人は皆予知能力を持っているのです。その予知能力を発揮するかどうかは、各自の自由なのです。
神さまの導きに素直になって、直ちに実行できる者は、どんな難問題でも、快刀乱麻を断つが如くに解決してゆけるのです。
神さまの導きを無視し続けている者は、冬が来てから綿入れを縫う、泥棒を捕らえて縄を綯う、というような後手後手に廻った生き方に陥って、憂えることになるのです。
今成すべきことは、直ちに実行するのが最善です。後で後でと遅らせると、何倍も時間と手数を要することになるのです。
神さまの導きに素直になれるのは、本心の心です。神さまの導きを無視するのは、業想念の心です。本心の心は、常に神さまの立場に立って、全体を達観し、全体にとって今何が最も必要であるかを的確に把握し、すべてを自己の責任の下に実行するのです。
業想念の心は、自己弁解して、すべてを他人任せにして、自分勝手なことばかりをして、無責任な甘い生き方をするのです。
本心の心を生きれば、幸せを多く実現できるのです。本心の心は、神さまの導きに素直に従うから、神さまの助け・力を大きく受けて、万事円滑に運ばれるのです。
業想念の心を生きれば、憂えを多く招くのです。業想念の心は、神さまの導きに逆らって、正反対のことをするから、神さまの助け・力を受け損なって、万事不如意となるのです。
本心の心をしっかりと生きる為には、一切の物事の総責任者の立場に自分を置かなければならないのです。
何事も他人任せにして、その責任を回避していては、本心の心に戻ることは不可能です。
業想念の心から本心の心に戻る為には、その為の自己訓練として、すべてに行き届いた、責任有る生き方を、実践し続けることが必要なのです。他人に甘えていては、楽な道を選んでいては、業想念の心から抜け出すことはできないのです。業想念の心から本心の心に戻るのは、飽くまでも自分自身の問題です。
小さな損得の感情を捨てて、徹底した奉仕に生きる者のみが、新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!の本心の心に戻ることができるのです。
自分のすべてを与え尽くす心・真実の奉仕の心に成った時に、神さまのすべてを感受できる自分・本心の心に戻ることができるのです。
未来を予知し、万全の準備を整え、すべてに行き届こうとすることは、本心開発の為の自己訓練に当たるのです。
自己訓練を無視して、幾ら本心開発を願っても、得られるのは絵に描いた餅でしか無いのです。