ありがとうございます 神書 3-49  無限の安らぎが一杯!

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神さまを利用しようとする心


 神さまを利用しようとする心では、神さまの助けを受けることはできないのです。業想念の心(五欲の心・求める心)で、何でも自分の思い通りにしようと思って、神さまを自分の召使か奴隷のように扱おうとすることは、無礼千万なことなのです。『神は非礼を受け給わず』であって、どんなに媚びへつらっても、そんな自分勝手な願いが叶えられる道理は無いのです。




 業想念の心では、神さまの助けを受けることはできないのです。業想念の心に波長の合うものは、業想念の心なのです。業想念の心で、幾ら思い通りになったとしても、それは神さまからの助けでは無く、業想念からの一時的な助けであって、高利を付けて返さなければならない、サラ金の借金のようなものです。いつまでも業想念の心の奴隷になって、財産欲や名誉欲等を満足させようとしていては、本当に地獄に転落してしまうのです。




 神さまの本当の助けとは、業想念を消し去って、本心を引き出し・輝かすことです。


 神さまの助けを受ける為には、自分の心を整えることが必要なのです。神さまの御心は、救いを求めずに与え尽くす愛の心です。その神さまの助けを受ける為には、その御心に波長の合う、本心の心に戻らなければならないのです。即ち感謝の心と奉仕の心を、呼び起こさなければならないのです。




 神さまは求めるに先立って、既に必要なものは豊かに与えて下さっているのです。それらを先ず感謝を深めて受けることです。




 次に奉仕の心を起こして、自分のすべてを、自分の生命をも、喜んで捧げ尽くそうとすることです。




 感謝の心・奉仕の心を起こした程度に応じて、神さまの愛の助けを、大きく感受できるようになるのです。感謝で受けたものを、与え尽くすことによって、その空っぽになった所へ、必要なものが新たに・豊かに流れ入って来て、更に感謝が深まってゆくのです。その循環によって、感謝と奉仕の心は、無限に深められてゆくのです。




 感謝と奉仕の心の深まりに比例して、本心はその輝きを増してくるのです。本心こそが真実の自分です。


 本心こそが無限の無限の幸せで一杯!の自分です。


 正しい信仰とは、この本心を引き出し・輝かし、その自覚をどこどこまでも深めてゆくことです。


 本心の自覚の深まりに比例して、神さまが与えて下さる、全徳の無限の無限の輝きを、大きく感受できるようになるのです。


 業想念の心では、それができないのです。幾ら自分の思い通りになったとしても、小さな小さな自己満足の喜びに過ぎないものです。無限の無限の幸せを感受できる本心から見れば、全く無に等しいものです。だからこそ業想念の心を捨てて、本心の心に戻らなければならないのです。本心の心をしっかりと自覚して、業想念の心を消し去ってゆかなければならないのです。