ありがとうございます 神書 3-30  無限の無限の安らぎが一杯!

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『与え尽くす』生き方


 神さまの愛・神聖恋慕とは、自分のすべてを『与え尽くす』ところの愛なのです。人は神さまの愛をしっかりと把握して、『与え尽くす』生き方になった時に、真実の無限の無限の幸せを掴むことができるのです。




 この世は、与え尽くす練習をして、幸せを大きくする為の、修行の場です。本当の幸せは、本心の自覚からくる、霊的なものです。与え尽くすことによって、内奥から湧き上がってくるところの、尽きることの無い無限の歓喜なのです。




 肉体に執着している業想念の心で、求めて掴んだ、どんな感覚的歓びも、永続性の無い、惑わしの歓びなのです。




 この世は、魂の修行・本心開発の為の、大切な場です。幸せがどんどん大きくなってゆくならば、それは正しい生き方なのです。幸せがどんどん小さくなってゆくならば、それは間違った生き方なのです。何が正しく、何が間違っているのか、一日も早く的確につかむことが大切です。与える心・感謝の心・善意の心・謙虚な心・素直な心・明るい心・前向きの心・プラスの心等々を生きるのが、正しい生き方なのです。反対に求める心・不足の心・悪意の心・傲慢な心・頑固な心・暗い心・後ろ向きの心・マイナスの心等々を生きるのが、間違った生き方なのです。




 人は常に自分自身で、何事も選択し、決定して、生きているのです。




 だからこそ正しい生き方を、しっかりと見極め、慎重に選択し、決定して、生きなければならないのです。自分の不幸を、他人の所為にするわけにはいかないのです。他人任せにして、仮に不幸になっても、自分がその生き方を選択し、決定したのですから、みんな自分自身に、その責任が降りかかってくるのです。




 恋愛と結婚は、この世における大事な人生修行の一つです。自分自身の心の持ち方次第で、大切な魂の修行・本心開発の場にすることができるのです。本当の恋愛とは、報いを求めないで、自分を捧げ尽くし、与えられるままに、感謝の心で受けることです。相手に自分を捧げ尽くして、一体化する歓びが、本当の本心の歓びなのです。自分を捧げ尽くして、本心の歓びを掴んだ人が、全体の為に自分を捧げ尽くす、自己犠牲の大きな歓びを、知ることができるようになるのです。こうして真実の恋愛は、神さまの愛にまで高められてゆくのです。




 神聖恋慕の恋とは、心ひかれるものへ、自分のすべてを与え尽くすことです。慕とは、与えられるすべてを、感謝の心で受け尽くすことです。




 神聖恋慕に近い恋愛ほど、清まった恋愛であり、美しい表現となるのです。




 結婚は相手を特定して、自分を捧げ尽くす修行なのです。恋愛にしても、結婚にしても、一切の報いを求めないで、自分を無条件で与え尽くす生き方によって、魂の修行・本心開発の場になるのです。