ありがとうございます 神書 2-48   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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心の姿勢をプラスの方向へと向け変えてゆくこと


 自分自身の心の姿勢を、プラスの方向へプラスの方向へと、向け変えてゆくことが大切なのです。

 プラスの方向に向いている時には、一瞬一瞬新たに、自由自在な本心の心で、すべてを大きな大きなプラスに受け直して喜べるのです。

 マイナスの方向に向いている時には、過去に・小さな立場に囚われて、すべてのマイナスを針小棒大的に大きな大きなマイナスに拡大して、自分勝手に苦痛を味わうことになるのです。




 時間と空間は相対の両極です。時空一如の原理から、時間を今の一瞬に絞り込めば、空間は無限に広がることになるのです。




 今の一瞬を生きることによって、本心は無限の自由を感得して、大きな幸せを味わうことができるのです。

 逆に過去の囚われ・未来を心配すれば、時間が大きく広がることになって、空間が小さく絞り込まれてくるのです。空間が小さくなってくると、本心の自由が失われて、大きな苦しみを味わうことになるのです。




 今の一瞬一瞬に、宇宙のすべてを新たに受け直してゆこうとするだけで、この世だけでも、無限のプラスを数え上げることができるはずです。プラスに数え上げるものが多くなればなるほど、その人の幸せは大きく大きくなってくるのです。




 マイナスに見ているすべてに対して、『みんな私の持っているマイナスを、身代わりに振り替えて背負い、消し去って下さっているのだ、みんな私の責任なのだ、御免なさい』と真心からお詫びし、感謝できてこそ、謙虚で素直な本心の自分なのです。




 すべてのマイナスに対して、真心から御免なさい、と言える自分になってこそ、すべてをプラスにプラスに受け直して、感謝を深めてゆけるのです。





  いかなる理由があろうとも、マイナスに見ること自体、全体者である神さまへの大きな反逆です。




 何をマイナスに見ても、神さまをマイナスに見ていることになるからです。神さまを悪者にするのは、傲慢極まり無い業想念の心です。それでは本当の幸せを掴むことはできないのです。




 どんな小さな物事であっても、自分の方から「こうしてほしい、ああしてほしい」と求める心を起こしたら、途端に業想念の奴隷に陥って、必ず苦しむことになるものです。




 こうしてほしい、ああしてほしい、と相手に求めることは、相手の自由を縛ることになるのです。その相手の自由を縛る心が、自分自身をも縛って、結局自分を大きく苦しめることになるわけです。




 本心の自分は、一切の縛りから開放されてこそ、真(まこと)の幸せを味わうことができるのです。他の自由を少しでも縛れば、同じように自分自身を縛ることになるのです。




 我の願いを出せば出すほどに、本心の自分を縛りに縛って、本当の幸せから遠ざかることになるのです。すべての我の願いを捨てて、本心の自分を自由に解放してこそ、無限の無限の幸せで一杯!の自分になるのです。