ありがとうございます 神書 2-38   無限の無限の喜びが無限に無限に一杯!

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福は内!鬼は外!


 「福は内! 鬼は外!」の本当の意味が理解できれば、一切の苦難は消滅し、無限の無限の幸せで一杯となるのです。福(無限の無限の幸せ)は、自分の心の内にこそ見出すべきものなのです。自分の心を深く掘り下げて、絶対より新生してくる本心の心をしっかりと把握すれば、自ずから無限の無限の幸せで一杯となるのです。




 人の心を大別すれば、二つの心があるのです。




 一つは、絶対より新生してくる光の心です。




 他の一つは、役目を果たして消え去ろうとする、用済みの闇の心です。




 一瞬一瞬新たに新たに、絶対より新生してくる、神さまの全徳の無限の無限の輝きを持った、本心(本当の心・本源の心)の心は、光の心です。その光の心は、無条件で・そのままで・他の何をも付け加える必要も無く、最初から無限の無限の幸せで一杯なのです。従ってこの本心の心を、自分の心の内に発見することができれば、福(無限の無限の幸せ)を掴んだことになるのです。




 もう一つの闇の心とは、過去の心であり、外界に投影されて、消え去ってゆく心です。今に相応しく無い、今は必要としない、邪魔になる心です。新しいものを受ける為には、古いものは邪魔になる鬼に他にならないのです。外界に投影されたものは、一瞬後には、過去の・古い・用済みの・邪魔になる・マイナスの・光の乏しい・鬼のような存在になってゆくのです。従って絶対(光源・内奥)に背を向けて、心の投影された外界に囚われることが、鬼を見ることになるのです。だから鬼は外なのです。




 『福は内!鬼は外!』の内とは、絶対神を意味するのです。




 幸福は絶対神の別名です。絶対神より降り注がれて来るものです。従って幸福を得る為には、心の向きが絶対神に向いていなければならないのです。その為には謙虚な心になって、マイナスの極・地獄のどん底に自分の立場を置いて、プラスの極・絶対神を光一元に仰ぎ見ることが、必要不可欠なのです。




 心を真っ直ぐ絶対神に向けることさえできれば、無限の無限の幸せが、間断なく降り注がれていることに気付くのです。太陽の輝きにその億万分の一の素晴らしさを、模型として見出すことができるのです。




 外とは、絶対に背を向けて見る世界です。絶対を絶対神を、視野に見出せない世界は、すべて外なのです。移り変わる全大宇宙のどんな小さなものにも、執着し・囚われたら、絶対を見失ったことになり、心は外へ向いていることになるのです。一瞬でも過去の出来事に心を奪われたら、その時は心は絶対を見失い、外へ向いていることになるのです。心が外へ向いている限りは、無限の無限の幸せはどんどんマイナスされてゆき、マイナスの極に地獄の鬼が見えて来ることになるのです。




 『福は内! 鬼は外!』という言葉を、真理の言葉(豆)として、年毎に深く味わって、真実の無限の無限の幸福を、心の内奥にしっかりと見出すことが大切なのです。